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家から歩いていける所にある学校には農業園芸学科がある。年に何度かFarmers Marketが開かれる。「百姓市」だ。今朝行ってきた。真冬並みの寒さ。英語ではBloody Cold!という。イギリス人系はこのBloodyという言葉を好む。アメリカではちょっときつく響くらしい。いつもより人の出が少なかったが、美味しいパン屋さんやオリブオイルの店、様々なディップの店などで買い物して買える。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月30日
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「お酒はなるべく控えて、飲んでもグラスに一杯までとしてください。」かかりつけの医者から強いコメントをいただいた。気をつけて食事もし、運動もしているのに給料などとは裏腹にいろいろな数値だけは上げってきているという。一ヵ月後に、又検査をして結果をみるとのこと。水曜日のことだった。メルボルンで、私が主催している「恙無い会」というのがある。毎回、同じ居酒屋さんでやっている。二ヶ月に一度のストレスフリーの夜だ。(少なくとも私にとって)だいたい、月末の木曜日にやることになっている。今回の参加は14名。ワイン持込可だからだいたい同じ数のワインが集まる。飲む人は飲むし、飲まない人は飲まないから、よく飲むひとは、すごく飲む日。ということで、節制は金曜日からとなった。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月30日
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ロシア人で知らない人はいないほど人気がある日本の曲がある。1960年代に日本でも大ヒットした曲だ。Youtubeでみられるhttp://www.youtube.com/watch?v=atGxeLop588&feature=relatedロシア語の歌はhttp://www.youtube.com/watch?v=r9WcgJIRfWY以前、呼ばれたロシア人の家に行ったら、みんなでピーナッツ、ピーナッツと言い出す。私は、ビールのつまみは「柿の種」です、とか言い出しそうになった。そのときにこの歌の話をきいた。メルボルンには、ユダヤ系ロシア人が多い。そして、ロシア経済の発展とともに移住者も増えてきている。ロシアといえば、東北の白系ロシア人との間にできた二世たち。あの、昭和44年の夏の甲子園、松山商業との決勝戦で対決した三沢高校の太田投手がそうだった。色白で精悍な顔立ち。秋田出身で同じく色白の私の母親も応援していた。先日、お呼びしたオランダ系の連れ合いの同僚は39歳の若い世代のロシア人だ。このピーナツの歌のことを訊いたら知らなかった。ちょっと年の差を感じてしまった。新しい日本語の歌を教えてあげないとならない。ひとまず、三波春夫さんあたりからか。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月28日
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オーストラリア237% カナダ145% アメリカ128% フランス122% ドイツ84% イギリス70% イタリア62% そして日本39%だという。何の数字だかお分かりになるだろうか。ロシアを100%としたときの年間実現セックスの回数、とかの話だろうか。ちょっと違うように思える。実は、これ2006年の統計だが食料自給率のことなのだそうだ。今は旱魃の続くオーストラリア南部ではあるが、それでも現在でも200%を確保しているとのこと。日本はこの国と仲良くしておく必要がある。隣国を見渡せば、広大な土地を有する中国があるが、中国は自国民に食べさせることもままならないほど人口爆発の国。ということでオーストラリア。小食になる老後をおくるには、今のところ非常に安心な国のようではある。日本ではリタイヤ後は東南アジアで、とかの話が賑やかなようだが、治安などのカントリーリスクも考えないとならない。オーストラリアで4年間英語を学んでいた60歳をずっと過ぎていたKさんがタイのチェンマイに行ってから久しい。独身だったKさんにはいろいろと思惑もあったろう。確かに、日本の年金でこちらで生活するのは厳しくなってきている。しかし、贅沢しなければ治安などのことを考えに合わせると無理なことではない。日本の一番の解決法は、食料自給率を上げることだろう。江戸時代は90%が百姓だったのが日本だ。素養はある筈だ。怖い話だがこの日本の食料自給率は、今ではもっと下がっているのではないだろうか。ちょっと前に書いた「菊芋」の初収穫が我が家でもあった。まだ食べてはいない。我が家の食料自給率が数字になり始める第一歩だ。オーストラリアといえども、油断はできない。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月26日
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日曜の朝は、得意のクーポンでブランチ。一つ頼むと一つ只。美味さは倍増。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月25日
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土曜日の日本食の夜会は無事に終わった。若い一組のカップルが現れたときはビックリした。ご主人のブルーノさんはオランダ人で見上げるほどの長身。2メートルを超えている。私は、185センチくらいあるので、普段自分より背の高い人に会うことはそれほどない。だから、そういう人に出会うと「なんとデカイ奴なんだ。」とビックリしてしまう。「オランダでは若い女性の平均身長は185センチに近いです。」流暢な英語で彼はそういった。ということは、私が、女性の平均となる。オランダは、世界でもっともノッポの国といわれている。家の造りが違ってきているらし。料理台の高さ、流しの高さ、トイレなど全てが高くなる。そういえば、東京オリンピック柔道無差別級で神永を破ったのはあのオランダのアントン・ヘーシンクだった。でかかった。「俺ね、専務に言ったんだよ。デリーのトイレの朝顔にとどきましたかってね。」サラリーマン時代の部長が、背のあまり高くない専務に冗談を飛ばしたという。私もデリーの飛行場のトイレに入ったとき、朝顔の高さに驚いた。私でやっとだった。まだオランダには行ったことがない。行く頃には、私の身長も今よりは縮まっているだろう。男子用トイレで朝顔にとどかず、子供用とかになるのではと心配だ。若いときの勢いは既になくなっているし。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月25日
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今日は、久しぶりに日本食ディナーパーティーだ!下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月23日
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1985年6月、オーストラリア移住を目指してシドニー入りした。公園を歩いていたら、トイレの壁に何やら書いてあった。JAP INVADERS OUTとあった。バブルに突入しようとしていた日本経済の全盛期。オーストラリアのリゾートなどを買い漁っていた頃のことだ。この壁の写真を撮っていたら、70歳がらみの赤いコートを着たおばあさんがつかつかと寄ってきていった。「私たちは、こういうことはしないよ。」落書きを書いたのは私たちのような人間ではない、と言ってニコッと笑った。その頃、やや身構えて生活を始めていた私は、このおばあさんの態度も何だか胡散臭いように思えてしまった。後で考えたら申し訳ないような気になった。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月22日
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2009年05月21日
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ニューデリーのアショカホテルで、技術部の菊谷さんと現地駐在サービス員の高山さん等と夕食をとっていた。レストランは照明を抑えて薄暗い感じがした。私の座った斜め右前のテーブルに、グリーンの薄手のワンピースで栗毛色の長い髪を素直に伸ばした30絡みの白人女性が1人で静かに、そしてゆっくりと食事をしていた。1983年の11月、私はインドに新製品の導入キャンペーンに営業として日本の本社から出向いていた。食事中、何回か彼女と目が合った。見つめもされないし、無視もされないニュートラルな眼差しだった。彼女は先に食事を終えて席を立って出て行った。「タコさん、今夜は面白い所に遊びに連れていってくれるんでしょうね。」菊谷さんがニタニタしながらそう言った。営業は、仕事が終わっても日本からの同行者の方々の面倒をみないとならない。「了解です。お連れいたしますよ。」現地駐在の方から事前に情報を入手していた私は、笑顔でそうこたえた。食事を終えて廊下に出てレセプションの方に1人で歩くと、先ほどの女性が長椅子に1人で座っていた。横を通るときに目が合った。「さっき、レストランでお会いしましたね。」間髪を入れずに私は言葉を発していた。こういうことを、「火事場の馬鹿力」とは言わないだろうが、なんだか自分でもビックリするほどの行動力だった。私は、長椅子に彼女とやや離れて座り、話し始めた。自然だった。「私は、アメリカ人でドナといいます。仏教徒です。こちらのアシュラムに行って修行します。来週からですけど。日本人ですか? 日本は仏教の国ときいています。」話している間、愛くるしいほどの笑顔が続く。「私、日本人と話すのは初めてです。日本のこともいろいろ知りたいです。いつか、きっと日本にも行きたいんです。」短時間に、もう何年も前からの友達のように心が打ち解けているのを感じた。ドナと話しているときに、菊谷さんが歩いて私たちの前を通り過ぎ、又戻って、来た方向に歩いていった。私の顔は見ない。でも、私は菊谷さんの用件は分かっていた。この夜が最後のニューデリーの夜だった。私は、このままずっとドナと話していたかった。心も体も温まっていくような会話が続いていた。10分くらいして、今度は高山さんが来た。そして、時間ですよと私に言った。私はドナを置いてデリーの夜の街に出た。大きく後ろ髪を引かれてタクシーに乗った。「済みません、今日は女の子が風邪を引いてしまって2人しかいないんです。」宿のオヤジが言った。話が違うと私は怒ったが仕方がない。3人の先輩を連れて入った宿に、2人の女性しかいない。営業は男芸者とはよく言ったもんだと思う。こんなポン引きみたいなことまでしないとならない。一人の先輩は、前の人が終わるまで待っていないとならない。何ともしまらないだらっとした夜になってしまった。ドナのことにしても、この宿のことにしても東京での日常とあまりにかけ離れていて現実味がない。何かが起こるようでもあり、また何も起こらないようでもある。私は31歳になっていた。自分は、流れに任せて生きる根無し草のようになっていた。全ては中途半端で自分がない。翌年、私は9年弱勤めた会社を辞めた。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月21日
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大変なことになった。23日の土曜日、私が日本食を作るディナーパーティーだという。二組のカップルを招待する。ニュージーランド人のご主人とロシア人の奥さんの組。オランダ人のご主人とニュージーランド人の奥さんの組。国際的だ。大根の煮付け、切り干し大根、ほうれん草のお浸し、マカロニサラダ、から揚げ、混ぜご飯、巻き寿司もどき、豚のしょうが焼き、などを考えている。日本食家庭料理の夕べだ。皆さんの自慢の家庭料理を教えてください。しかも、簡単にできるものを。今から緊張がはしっている。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月21日
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今朝のウォーキング、可也の霧だった。霧の思い出が蘇ってきた。昔、サラリーマンをしていたとき2ヶ月に1度くらいの割りでゴルフコンペがあった。前の日から泊り込んだ富士のゴルフコース、夜明けに大変な霧。ゴルフは、雪以外は続行するのが慣わし。でも霧もきつい。何しろ、グリーンが見えないのだ。パー3のショートホール。私は吉牟田さんというゴルフのプロのような人の前の組。このショートホール、さんざん苦労してグリーンをとらえ、次の組を打たせて待つ。吉牟田さん、ティーから全くグリーンが見えないのにピンそば1メートルにつけた。歓声が起きたが残念なことに吉牟田さんには見えなかった。人のゴルフの腕を褒めるゴルフは続いている。霧で思い出したが、30年前静岡県の富士宮にあった「貿易研修センター」という所で3ヶ月の研修を受けていた。朝霧高原という所に近く、ここの牛乳が美味しかった。しかし、ここは富士山も近く、この名前の通り毎日のように朝濃い霧が発生する。朝、窓をあけると霧が部屋の隅々まで入ってくる。幻想的な夜明けだ。困ったことにこの霧のお陰で洋服にカビが生えたりする。それほどの所だった。霧といえば、昨夜夢を見た。行ったこともないパリにいる。誰と一緒にいるのかは定かではない。濃霧で人の顔が見えない。体とか足は見える。歩いている人の顔が見えない。遠くに黒くエッフェル塔が浮かんでいる。私は、おもむろにデジカメを取り出し、その黒い塔を撮る。度し難い。こんなときにまで私は写真を撮っているのだ。呆れるというより病気に近い。どなたか夢判断をされるかたがおられたらお願いしたい。霧の話をしていると、きりがなくなる。今日は、随分と引っ張ってしまった。ということで、今日も明るく元気で!下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月21日
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このワイン、可也よかった定番ディップ今夜のサガナキは一味上品だった絶対に外せないタコ料理下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月20日
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近くに映画館がある。昔の東京は練馬の近所にあった映画館に似ている。長谷川一夫時代劇3本立て、なんて感じの映画館だった。この近くの映画館には中に4つの上映ルームがある。小さいのは30人くらいしか入らない。ここの経営は家族経営で4人で運営しているらしい。家庭的である筈だ。ひとつの映画だけを上映しているのではなく、複数を同時にしている。チャドストンという南半球一大きいと自分たちでいっているショッピングセンターには、20を超える上映ルームのある巨大な映画館がある。ここはすごい。しかし、家庭的な雰囲気のある近所の映画館の方が落ち着く。ここで上映するのはほとんど新しいもの。ちょっと前だが、クリント・イーストウッドの「グラントリノ」をみた。日本でも4月に上映となっている。子どもの頃の人気TV番組「ローハイド」のロディー役が彼だった。白黒TVだった。この業界に長い人だ。「The Reader」もここで観た。日本語の原作は「朗読者」という本で、映画は「愛を読む人」というタイトルで日本では6月の上映となるらしい。この映画については、隣の家のクリスさんと解釈が分かれた。私は切ない恋愛ものとしてみたが、クリスさんは男性の一生を台無しにした年上の身勝手な女性の物語と言っていた。そう見れば見られなくもない。20歳年上の女性に翻弄された16歳の童貞の少年。その後、まともな恋ができなくなった。そんな解釈をクリスさんはしていた。「水曜日の8時から映画行くから間に合うように帰ってきてね。」「グラントリノ」を見るときに、オランダ系の連れ合いが平日水曜日の夜に映画を見ようというのだ。どうして水曜の夜なのだろうか、なんて聞く必要はない。きっとその日が安いのだろうと想像できた。そして、当たりだった。水曜の夜は2人で1人分。1人分4ドル60セント。日本円にすると400円しない。更には、無料コーヒーまでついてくる。まったく経済的な夜だ。こうしてタコ社長、連れ合いのお陰で映画、しかも新作を安心して見ることができる環境になっている。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月20日
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最近、揚げ物はちょっと重く感じるようになってきた。目刺しとかがいい。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月20日
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オランダ系の連れ合いのタイ人の学生テレサさんと3人で餃子屋に行く。私が勝手に餃子屋といっているだけで、実際は場末の中華料理屋だ。「これからずっとオーストラリアにいたら、オージーの男性と結婚するかもしれないね。」と冗談っぽくきくと、それまでニコニコしていたテレサさんの顔が急に怖く固まった。オージーの男なんかとんでもない、という顔だった。今までに、何度かアジア系の女性からこういう態度を受けたことがある。実際に付き合ってみればこういう考えも変わっていくだろう。日本人男性の中にも、金髪女性はどうもね、というのが結構多い。これも食わず嫌いの域を出ていないものだと思う。「私も、オージーの男は駄目ね。」私のことを指差しながら、連れ合いがそういってテレサさんに助け舟を出していた。和食が好きな人もいれば、イタリア料理が好きな人もいる、程度のことでいいのかもしれない。または、たまたま出あった人がカムチャッカの漁師の娘だった、なんてことでいいのだろう。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月19日
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ウクライナ出身のヤーナさんと、ご主人のキースさんと会食した。ヤーナさんは、オランダ系の連れ合いの同僚の英語教師だ。ご主人はニュージーランド人の会計士。連れ合いの話では、学校の英語教師の中にオーストラリア生まれでない、即ちネイティブでない人が増えているという。日本の日本語学校で教えている教師が、外国生まれの外国人ということはままあるのだろうか。学生の立場からすればやはりネイティブに教えてもらいたいと思うだろう。このお2人とは初対面だったが、ヤーナさんの機関銃の如く発せられる英語に面食らった。早くて、止め処なく話す。聞くと、学生時代に英語をほぼ完璧に身につけたという。但し、ロシア語訛りは隠しようがない。あんなに淀みなく話せたら、という思いが過ぎった。ただ、私の場合は、日本語がスローだから急に英語になったら立板に水なんてことはありえないだろう。早く話す利点はある。英語で早く話そうとすれば、いちいち文法の間違いとか発音とか気にしてられない。そして、早く話せば日本語に訳して考える時間もない。もう英語で考えて話すしかない。日本語教師をしているときに、私自身が学生にこう言っていた。「例えばみなさん。『おはようございます。』というときに、いちいち英語で『Good morning』と考えながら言っていますか?そうじゃないでしょう。もう反射的に言っている筈です。そうです、日本語で考えているんです。そういう文章を沢山覚え、できるだけ長く言えるようにすればいいんです。そうすれば、日本語で考えながら日本語で話せるようになるのです。」自分の英語が上達しないことを棚にあげて、偉そうにいっていたもんだ。学生は、真面目な顔で納得して頷いていた。タコ社長、今では日本語もすらすら出てこない、況や英語をやだ。本当に、おや、おやだ。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月18日
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2009年05月18日
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「マサチューセッツにしよう。」中学三年のときにバンドを組んでいて、3学期の謝恩会のときに出演することになった。私は楽器は駄目だったのでボーカルを務めることになった。今考えても、校長先生を初め先生方な父兄どを前にしてよくやったもんだと感心する。当時この歌をヒットさせたビージーズが、オーストラリアのバンドだとは知らなかった。アメリカのバンドだと思っていた。非常に怪しい英語の発音を音楽で打ち消してもらいながら歌った。しかし、バンドで歌ったなんて後にも先にもこの時だけだった。不幸にしてか幸いにして、どこからもスカウトの声はともかく、なんの反応もなかった。あったら人生が変わっていたかも知れない。今ごろ場末のキャバレーなんかで流しをして歌っていたことだろう。Iという学友の家にはエレキギターもドラムもあって、私もよく遊びにいっていた。家も新築の二階家で大きく、住んでいた二間の警察官住宅には比べようがないくらい豪華だった。「お袋な、若いとき芸人でさアメリカなんかに行って公演してたんだぞ。」Iはそういった。彼は、そういう家庭に育って自然に芸事に長けていたようだ。Iとはそれぞれ別な高校に行った後も時々会っていた。「タコ、今年のクリスマス会は家でやるかから来いよ。久しぶりにバンドでやろうぜ。」高校1年の12月、Iの家に集まって久しぶりに歌った。数人の若い女性もきていた。「コーラ、飲む?」同じ年の良子という女子高生にボトルのコーラをすすめられた。同じボトルから飲む。生まれて初めてのことだ。こんなことで、ものすごく気持ちが動転する。16歳のタコ少年。当然、良子を好きになる。本当に分かりやすい性格。今もこの性格、行動の仕方は変わらず、オランダ系の連れ合いから英語でいつもこういわれる。You are so predictable!因みに、良子には何度か電話したが、これも極々当然のように肩透かしをうけた。コーラの間接キスくらいでのぼせてしまっては、始まる話も始まらない。このクリスマス会で、久しぶりに「マサチューセッツ」を歌った。甲高いビージーズの歌を歌えなくなっていた。バンドで歌ったのはこの夜が最後になり、その後はソロに転向して今に至っている。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月18日
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土曜日にオランダ系の同僚の家に呼ばれた。最近、呼ばれることが多い。呼ばれたら、呼ぶのが礼儀。今年は呼ぶことも多くなりそうだ。私たちには子がない。子がない友人と会うことが多くなる。そして、子がある友人もその子達が育って身動きが取れるようになってきている。来週は、大根の煮付け、鳥のから揚げ、しゃぶしゃぶで友人を呼ぶことになっている。カメラに向かって歯が出せるようになりたい。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月17日
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「3年近くこちらで勉強していましたが、日本に帰ることになりました。」先日、学生さんが挨拶に来られた。彼女は、こちらに残る選択肢もあったのだが、日本で自立して頑張ってみると決断したようだった。2人で日本食レストランに昼食をとりに行った。「父は昔、結婚するならやっぱり日本人にして欲しいといっていました。」海外に留学するということは、もしかしたらそこで結婚相手も見つかる、という可能性もある。留学する学生を子にもつご両親には、必ずそうお伝えしている。彼女のお父さんは、日本人との結婚を希望しておられたという。「ところがタコさん、最近は父も変わってきて、もう私の自由にするようになんて言っていたんです。でも、一つだけまだ言っていることがあります。」そういいながら、彼女は昼ごはんの寿司の特大セット食べる手を止めた。「父がね、言うんです。『服を着た人にしてくれな。』って。」私は、最初意味が分からなかった。「ほら、いるじゃないですか、世界には服を着ないで生活している人が。」私は、何か注文をつけたい娘を持つ親の心境を、ちょっと甘すぎる野菜蕎麦のつゆを飲み干そうとしながら考えてみた。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月15日
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2009年05月15日
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「タコさんさ、やっぱりお尻なんだよね。」私よりも二回り近くもお若い日本人女性Hさんと話していたときのことで、お尻にデキモノでもできたのか、などとは思いようもなかったが、ちょっと身を引き締めた。Hさんは白人男性一筋で、その理由を問い質していたときの彼女の回答だった。正座、着物文化で培われてきたアジア人としての日本人の体型は、西洋梨とは一味違っているのは確かだろう。どちらがいい悪いの問題でもないだろうが、Hさんにも早く、ウォンバットのようなダンナさんが見つかるといい。「87歳の母親がね、この間Hip replacementをしてね。」友人のデミヤンがお母さんのことを話してくれた。ずいぶん前だが、この言葉を最初に聞いたとき、一体全体「ヒップリプレイスメント」とはどんなものなのか想像して悩んだことがある。まさかお尻の全取替え、とかではないだろうが英語のニュアンスからどうもあらぬことを想像してしまった。実際には、関節部分の骨を人工関節に代える手術のことらしい。日本語では何というのだろうか。余談だが、こちらにはBreast reductionといって大きな乳を小さくするもったいない手術もけっこうあるという。慢性肩凝りなど日常生活に支障を来たすからだろうか。昔、麻酔科医の友人ジョンの妹さんがこの手術をしたらしいが、目印の位置がずれてしまわないようにするのが大変だとか言っていた。人生60年近くやっていると、「三つの願い事」なんかをいただいたら、いろいろとReplacementしたいところは山ほどでてきて三つじゃ間に合わない。脳とかは真っ先にやりたいところだ。将来、医療が格段に進歩して前立腺の全取替えなどが自由にできるころまで長生きしてみたいと思う。もっともその頃にはお役御免になっていることは間違いなく、まったく無意味なReplacementになってしまうことは想像に難くないが。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月15日
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2009年05月14日
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オーストラリア版「定額給付金」を頂いた。こちらでは、Stimulus Package と呼ばれている。私はこちらに24年目だが、政府からこのようなものをもらったのは初めてのような気がする。移民は、一定の時間無料で英語学習をすることができる。また、失業中は失業保険が期限なくもらえる。こういうことから一切身を引いていた。英語はもっと勉強しておくべきだったと、連れ合いに英語の間違いを指摘される度に後悔しているし、失業していたときも結構あるので、もらっておけばパンツの一枚も余分に買えていただろうと地団太踏む。来た当初は、変な見栄とか気負いがあった。ということで、900ドルの支給を受けた。円換算すると、去年だったら9万円、今年の2月あたりだったら5万5千円、今だったら7万円くらいだろうか。交換レートが変わりまくって、まったく換算が面倒だ。これだけで、得した気分になったり損した気持ちになる。日本の給付金は一律2万円だろうか。東村山の両親はまだもらっていない、とこの間電話でやや怒っていた。ところでこちらは、給料によって支給額が変わる。給料の高い人は支給金額が少なくなる。私は満額もらっているのだから、社長としては手放しで喜んではいられないのが本当のところだろうが、嬉しいに越したことはないし、オランダ系の連れ合いも異存はない筈だ。さてこの金を何に使おうか。赤ワインを飲みまくるのも芸がない。20ドルくらいは花とか買うのに使えそうだ。靴下も買おう。夢は膨らむばかりだ。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月13日
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月曜の夜から夕食に呼ばれた。奥さんはタイ人の料理人、ご主人はイタリア人でビザの店をやっている。どっちの料理になるのかな、と思っていたらイタリア料理だった。ホクホク土曜から会食が続いていて肉攻めにあっている奥さんのニンジンの細工の元気がいいこれはギリシャのデザートだった下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月12日
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「タコさんは、大手の材木屋みたいですね。キが多いを通り越してますね。」20代後半あたりに言われたことがある。なかなか旨いことをいうな、なんて感心したものだ。それほど、仕事以外のことに燃えていた時期だったのだろうか。「私、この人に会うために生まれたのだと想う人がいるの。」サラリーマン時代に惚れて付き合い始めた静岡出身の同期の女性がそういった。しかし、その人好きな人には婚約者がいるときいて、自分の気持ちの持って行き場を失って切なくハンカチを握りしめたものだった。私も彼女に見習った訳ではないが、人妻に叶わぬ恋をしたことがある。28歳のときだった。ところで、妻のある人のことをどうして人夫「ひとおっと」といわないのだろうか。人妻は差別用語に当たるのだろうか。考えてみると、人夫では書き言葉では「にんぷ」とかいう別の意味にとり違えられる可能性がある。いわゆる、人足だ。女性が、人足に恋をしたのと、妻のいる人に恋をしたのでは意味が異なるし、はたまたこの人足に妻がいたりしたら、もうのぼせてしまいそうになる。人夫を「ひとおっと」と言わずに、人足の意味の「にんぷ」と読んだら更に混乱に拍車がかかる。「私は、今、にんぷに恋をしている。」という言葉にであったら、人足なのか、人の夫なのか、はたまた妊娠している女性になのか、もう話の先が見えなくなってしまう。ということで、人妻と対をなす人夫という言葉はない方が混乱を来たさないでいいように思えるがどうだろうか。本題に入る前に、今日は息切れしてしまった。続きはまた日をあらためて。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月12日
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「人生、いろいろと大変なこともあるだろうが、『止まない雨はない。』ということばもあるし、元気を出してやっていってください。」永住権を求めて暗闇を駆け抜けようとしていた頃、ある方からアドバイスを受けたことがある。嬉しいアドバイスだった。ところが、止まない雨もある。サラリーマンをしていたころ担当はインドとパプアニューギニアだった。北米、ヨーロッパ、豪州などの担当から比べて、どうして俺はこの二カ国なのか、とまったく思わなかったといったら嘘になる。「タコさんね、パプアニューギニアのオクテディ金鉱山のあたりはね、一年中雨が降っているんですよ。300日以上が雨降りなんですよ。」仕事で100台を越す建設機械をこの金鉱山に導入した。そのサービスに1年間現地派遣されたOさんがそう言っていた。止むほうが珍しい雨もあると知った。永住権を求めてオーストラリア入りした1985年頃、私は自分の人生を称して「ジェットコースター人生」と言っていた。上がったり下がったり。そして、上がるときは遅く、下るときは突然猛烈な勢いで下る。更に怖いのは、もう下りの底かなと思っても、もっと深い底があったりすることだった。あれから随分と経ってしまったが、ジェットコースターを降りるわけにはいかない。慣れとは恐ろしいもので、人生の下りにも免疫ができてしまった。「ジェットコースター、みんなで乗れば怖くない」などと言ったりしている。但し、本物のジェットコースターは今も苦手で、下りでの下半身の収縮は快感には程遠いのがげんじょうだ。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月11日
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「何本くらいあるのですか。」昨夜よばれたロッドさんのお宅のワインセラーを拝見させていただいた。1000本以上だという。特に高級なものはクーラーの中に入れてある。「この部屋がこの家で一番高いんです。保険もばっちりです。」この中から数本を頂かせてもらった。途中からは味が分からなくなってしまったが。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月10日
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メルボルンのタイ料理の老舗で夕食会。翌日までニンニク臭が元気でオランダ系の連れ合いが閉口。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月08日
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「10キロも太っちゃったよ。2キロくらい落とさないと。」今年83歳になった東村山の母が電話でそういった。ちょうど2年前、胃癌の手術で入院したいたときには、47キロまで体重が落ちた。幸い、初期癌で今は完治して食欲があり太ったようだ。母は、私が小学生の頃は実は体重が70キロを超えて「肝っ玉かあさん」とか言われていたほどだった。「お前の兄貴がね、ちょっと早い母の日に来てね綺麗なブラウスを買ってくれたよ。でも着たら小さすぎてね、取り替えてきてくれたんだよ。二日続けて来てくれることになっちゃんたんだけどね。」電話口で嬉しそうな母の声が弾んだ。いつもは私の方から電話するのだが、今回は母からだった。「それが嬉しいから電話したの?」「うん。」ちょっと間があって母が言った。「あっ、俺からの母の日のプレゼントは10月になるからね。待っててね。」「そうかい?」何も送っていない私は、つい10月と口から出て言ってしまった。私の次回の帰国は、これでほぼ10月と決まったもようだ。ランキングに参加しています。下の箱をクリックお願いいたします
2009年05月06日
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トマトにバジルとオリブオイルは続いている。納豆、そして七味と醤油をかけた大根おろし。飲み物はすったたっぷりの生姜を入れた生姜湯。これで病気になったら病気に申し訳なく、顔むけできない。ランキングに参加しています。下の箱をクリックお願いいたします
2009年05月04日
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「私、ちょっときついから、下で待ってるわ。」オランダ人のアデールはそういいながら、登ってきたエアーズロックを下り始めた。私は、自慢じゃないが山の山頂を極めたのは東京八王子の高尾山くらいなもので、富士山は2回登頂に失敗してる。エアーズロックは、たかだか300メートルの高さだが、最初の100メートルは可也きつい。鎖があってそれを助けに登る。アデールとは、メルボルンからのバスの旅で途中のアデレードを過ぎたあたりから知り合って一緒の旅を続けた。オランダの訛りの強い英語を話す、私と同じ年の33歳だった。「じゃ、僕1人で登るから下で待ってて。」そういって私は続けて登っていった。エアーズロックは、あんなにバカでかいが一枚岩として知られている。しかし、周りに何もなくものすごい風が吹いて人が吹き飛ばされ死ぬケースもある。何しろ、つかむ所がない。私も結構、苦労して山頂までたどり着いた。その山頂には、コンクリートでできたモニュメントがあり、そこに郵便ポストの口のようなものがあった。そして、その中にノートが置いてあった。いわゆる、訪問者ノートだった。しかし、何人かの登頂者に聞いたことがあるが、そんなノートはなかったと言われた。ここにその映像がある。立っているのも大変なくらいの強風の中、一緒に頂上にいたヨーロッパ系の男性が全身を使ってノートを押さえながら書いている。こんな調子だからノートは吹き飛ばされてしまったのかもしない。「母さん、あの24年前のノート、どこに行ったんでしょうね?」7月はこちらな冬だが、アリススプリングは暑い。でも、山頂は寒かった。渡豪前に、新宿の伊勢丹で買った布製のジャンパーを着ている。伊勢丹の男物館には大きめ物が結構あって私も行っていた。数年前に、それを思い出しながら行ったのだが、とんでもなく高級品志向の館になっていて、エレベーターで上まで上がってそのまま下りてきた。昔は、私のように東村山辺りから来た青年にも優しい館だったのだが。真新しい濃紺のジャンパーが、旅を続けていくうちにどんどん薄汚れていく。旅の最後のころには、結構思い切って買ったそのジャンパーがみすぼらしくなってしまい着なくなってしまった。この写真の頃はまだまだ伊勢丹だったが。聖地としてこのエアーズロックには登らないで欲しいとアボリジニーの人たちは言っている。もう私も登ることはないだろう。ところで、誰がこの写真を撮ってくれたのかまったく記憶がないのだが、髪が豊かだった頃のいい思い出になっている。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月04日
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キャンバウエルのサンデーマーケットはすごい人出だった。先週とうって変わって抜けるような青空。オランダ系の連れ合いは結構いい服を見つけて購入していた。メルボルンを訪れる人には、是非ここにお連れしたい。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月03日
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2009年05月01日
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パンツは誰が買う?最近、パンツを自分で買った記憶がない。畢竟、数が少なくなってくる。我が家の洗濯は基本的には一週間に一回のまとめ洗い。日本に帰ると、年老いた母はいまでも毎日洗濯をする。日本は毎日の国。毎日洗濯、毎日お使い。日々の活動が細かくリピートして進んでいく。東村山の実家の隣の家は、毎日布団干しをして、そして毎日午後叩く。これは珍しい。両親は家の中では文句は言うが直接は言わない。因みに、その家、最近引っ越して行ったとのことで実家の抱える問題が一つ解決した。一週間に一度の洗濯がやや滞ると、たちまち履くパンツがなくなる。買わないとならないと半年くらい思いつつも買わないでいた。ブリーフ型のパンツがなくなったので、あまり好きでない座りのよくないボックス型をつける。一日中、落ち着かない。そして、それもなくなりそうになる。「じゃ、私の履いたら?ピンクとか。」オランダ系の連れ合いが、まったく冗談とも思えないトーンでそう言った。昔からそういう趣味はない。「ハミパン?」馴染んでいるカレーパンとかの他に新しいパンができたのか、などとは思わなかったが初めて聞いた言葉だった。連れ合いのパンツの話をスタッフとの会食会という相応しい場でしたときにこの言葉が出た。ブルーマから下着がはみ出ることを「ハミパン」というとのこと。元日本語教師のタコ社長、日本語語彙の自信が揺らぐ。だいたい、私の頃はもっこりブルーマの時代。いわゆる「ちょうちんブルーマ」の時代だった。ハミパンなんていうのは全く記憶にない。そういうことは衝撃と共に一生の記憶に残るもの。とすると、この言葉はずっと後にできたことになる。ちょうちんからショーツ型に変わってからの現象のようだ。連れ合いのパンツを履いて、「タコ社長、ハミパン!」とか言われなくて本当に良かった。もっとも、そんな場の設定はどう転んでもありそうにない今日この頃ではあるが。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年05月01日
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