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ワーキングホリデーだろうか、河口湖でけなげに働くオーストラリアからの方。母が言った。「死んでから極楽行ったってしかたないね。生きているうちにじゃないと。あ~極楽だね。」下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月29日
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今日は、今年100歳になった伯母を見舞った。私の両親のことも、そして私のことも思い出せないでいる。でも拝むように訪れたことには涙を流して喜んでくれた。複雑な気持ちだった。帰って、母の料理を楽しんだ。芋焼酎もやや飲みすぎた。いつか両親も私を見て「あんた、だ~れ?」という日がくるのだろうか。それよりも、あまり長く日本にいて、オランダ系の連れ合いにそう言われないようにしないとならない。この方が先決だ。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月27日
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基本的には私の人生、「来るものは拒まず、ごく一部を除いては去るものは追わず」だ。ただし、今回は来るものを拒みたい。二号さんとかの話ではなく、台風二十号の話。まるで私の帰国時期に合わせて進路まで変えて迫ってきている。用事があり今日埼玉県所沢に出向いたら、横から雨が降ってきた。それに寒い。散々だ。という訳で、今回は来るものは目いっぱい拒みたいところだが、台風一過の晴天に期待して頭を下げ通り過ぎるのを待っている。あさってから両親と3人で河口湖温泉に行くことになっている。雨が降っていては3人でお湯に浸かりながら富士山が見えないことになる。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月26日
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オランダ人は、酢漬けの生魚を食べる。和食に通じる。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月26日
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昨日、無事日本入りした。機内で赤ワイン飲み過ぎてやや気分を悪くした他はそれほど問題もなく帰国できた。真ん中席の反対側にいたオーストラリア人、分厚い聖書を読んでおられ、着陸時にはお祈りをされていて、そのお陰でソフトランディング。成田エクスプレスを待っているときに、ベンチで座っている人を眺め回したらやはり皆さん口をへの字にした怒り顔100%。間違いなく、素直に日本帰国が実感できて嬉しい。全然売れていないタコ社長本を、しっかり売ってくるようにという言葉で送り出してくれたオランダ系の連れ合い。「あなたが売らなければ誰が売るの?」「はい、頑張ります。」そのためには、まず私が有名人にならないことには何も始まらないのが現実。ひとつ、六本木あたりには沢山落ちていると裁判で証言している元芸能人の言葉を信じて行ってみて白い粉を拾い有名人になるか、などと血迷ったことも考えないではないが、これとても有名人がやるからことが重大になる筈。東村山やメルボルンの田舎者が足掻いても何の足しにもならない前途多難が息巻いている。先日メルボルンでお話させていただいた方も、日本に帰ったら持っているという友達から借り手よむわ、とにこやかに言われていたので思わず、「ありがとうございます。」と言ってしまった。読んでいただけるで感激ではあるが。着くなり鮭の焼いたのとヒジキ、切り干し大根料理などが待っていた。最近はあんまり手の混んだ料理ができなくなったと言いながら包丁を放さない母親健在で安心。父は耳も遠くなり、共に柿の種をぼりぼりさせながら大声で会話。「間違っても、又本を出すなんてこと考えちゃだめだよ。」と母が同じ言葉を3度は繰り返した。時差がなくなったことで日本のかたがたとはリアルタイムに交われるが、オーストラリアは2時間先になった。これもちょっと厄介だ。ということで、今日は後輩の東京杉並区長が同窓会長をしているという高校同窓会に行ってくる。10年ぶりだ。連れ合いの顔がちらつく。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月25日
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髪染めも入れたし、帰国準備完了。今年二度目の帰国は、両親と二度の旅行が楽しみだ。これからの世の中の動きを勘案して、五匹目のドジョウを探しに行く。できるだけ多くの方々とお会いしてお話させていただきたい。山芋と納豆は毎日食べたいが肉は控える。家では芋焼酎、外では赤ワイン。出るときは、肉離れ再発に備えテープとサポーター持参。こちらと違って、知らない人に微笑みかけたりはしないようにする。挨拶は頭を下げるだけ。腹筋とスクワットは毎日慣行。それでは、次回の日記アップまで失礼します。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月23日
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「いらっしゃいませ。何にしますか。」白いシャツに黒のスカートに着替えたMは、ニコリともしないでそういいながら水を置いた。さっきまで他の喫茶店で一緒にお茶を飲んでいた彼女は、時間がきたので最近始めたバイトのレストランで仕事に就いていた。私は冷やかし半分で、少し遅れて店に入った。狭い階段を上がると二階席になっていて、Mはもう何年もそこで働いているようにテキパキと仕事をこなしていた。1970年12月のことだった。私たちは、国立にある高校の3年生になっていた。大学紛争の煽りをくって高校でも大きなうねりが起きていて、教育改革の一環として3年生の授業に大幅な選択制がしかれた。そのため、ある者は予備校通いにはしり、ある者はバイトなどをしていた。大学の受験体制が変わらないままの高校の教育改革とは何なのか行き場を失っていった。国分寺の北口からまっすぐ出て5分くらいの所にこのレストランはあった。Mはこのレストランのことをファミリーレストランといっていた。店の名前は「スカイラーク」といった。このレストランは同年7月に国立に一号店を出し、そしてこの国分寺店が二号店だった。駐車場もない狭いレストランはいつもがらんとしていた。Mも大学受験もあり、あまり長くバイトはしなかったようだった。私は結局2年間Mに片思いのままだった。彼女には過激な学生運動家のかっこいい彼氏がいた。国立や国分寺の喫茶店でタバコをふかしながら二人でお茶を飲んでいても、決して彼女は私には心は許してくれなかった。私は大学受験に失敗して予備校生となった。Mは教師養成大学に現役で入学した。卒業後、小学校の教師となり、風の便りでは今は校長先生になっているという。もう20年も会っていない。彼女のバイトをしていた「スカイラーク」はその後名前をひらがなにして大いに業績を伸ばしたが、この国分寺の二号店は大失敗に終わったという。そして、今この「すかいらーく」がその歴史を閉じようとしている、というニュースが流れていた。明日、今年2度目の日本に向かう。すでに、気持ちは日本モードに切り替えられようとしている。以前よく両親を連れて行った「バーミアン」はまだあるのだろうか。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月22日
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「どうしてタコ社長っていうんですか。」先日、若い女性の方にそう訊かれた。今までに5万回くらい訊かれているので反射的に即説明した。「映画のフーテンの寅さんの隣の家のうだつのあがらない工場の社長がいるでしょう、あの人の名前をもらいましてね。いつかは本当の社長になりたい、っていう思いがこもっているんですよ。」「フーテンの寅さん?」「映画見たことあるでしょう、ギネスブックにも載ってますよねシリーズ48作は世界一ですよね。」ここら辺から話が見えなくなってきた。若い方々は、寅さん映画を知らないのだ。「その頃の女性だって、あんまり寅さん映画って観ていないんじゃないですか。だいたい、男の人が観てるんでしょう。」「いや、女性もたくさん観ていたよ。学生時代に私も彼女と観たし、、、、、」単純に、私が年を取ったということなのだろう。ビートルズを知らない世代が増えているともいうし。そんなのは、「当たり前田のクラッカー」と思っていた私の認識を改めるいい機会にはなった。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月21日
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前回は、苗からスタートして失敗。今回は、球根(芋)を購入してスタート。今のところ、順調に推移している。日本名で菊芋。英語名はJerusalem artichoke. 前回も書いたが、エルサレムともアートチョークともまったく関係ない。まるで、タコ社長をアラン・ドロンと呼ぶようなもの。菊芋の効用は山とあるが糖尿病にいいという。戦争中、日本でもヨーロッパでも食べられていたらしい。世話が要らなく勝手にどんどん増殖するのが戦時に向いていたのだろう。間もなくまた人気が出る時期になる。問題は、腹部膨満を来す可能性があるといことだ。サツマイモを食べ過ぎると起こるあの現象だ。日記を書いていると、いろいろと新しい語彙に出会えて嬉しい。食糧危機のことを思えばこんなことは屁のカッパ。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月19日
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加藤和彦さんが亡くなった。今日You tube で一緒に歌たった。一緒に歌いながら涙が止まらない。自分の歌は自分を救えなかったのだろうか。残されたお母様のことを思うとどうにもやり切れない。人生どんなことも中途半端で終わるという。これが加藤さんの中途半端の示し方だったのだろうか。私もギターを少し弾く。でも中途半端のままだ。一応、すぐ弾ける所にいつも置いてはあるが滅多に弾かない。弾くときはいつも決まっている。「戦争を知らない子供たち」、「あなたのすべてを」そして「あの素晴らしい愛をもう一度」だ。中学時代、高校時代、大学時代、そしてサラリーマンになってから。「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌ってきた。そのつど、思いを巡らす人は違っていた。変わらなかったのは歌だけだ。馬鹿でかい声で歌うことで、どんなに救われたか。歌っているだけでその悲しみとは裏腹になんだか癒された。そんな力をいつももらった。これからもずっと歌っていく歌は同じうただろう。そして、その都度少しずつ癒しをもらっていける。歌だけはいつまでも生きている。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月18日
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私の乳離れは遅かったという。それが祟ってか親離れも遅く33歳まで家にいることになった。元来、経済観念がなく金もないので金離れはいい方だ。他人からは、いろいろと人間離れしていると喜ばれたり、蔑まれたりしている。離れていいものと悪いものがある。昨日にも増して今日はとんでもない日になった。早朝ウォーキングに出て、大通りを渡ろうとしていたとき、右足ふくらはぎの内側にぴーんと張り詰めて切り込むような痛みがはしった。横断歩道を歩いている時だったので、そのタイミングの悪さには参った。つったのかと思いしばらく歩いていても一向に痛みが取れず、バス停に腰掛けて休んで様子をみていた。しかし、歩けない。こんなことは初めてだった。家から早足で20分ほど歩いた所だった。いつまでもそうしているわけにいかず歩いて帰ることにした。とそのとき幸いにタクシーが通りかかり乗せてもらった。家に帰るとオランダ系の連れ合いはまだ寝ていた。肉離れだった。今まで、他人事として聞いていた言葉が、あっという間に私の愛用語となった。本日予定のパーティーにも行けず、連れ合いが一人で出向いた。庭仕事もキャンセル。連れ合いは早めに帰ってきた。少しお腹が空いているというので、私の分と連れ合いの分の晩御飯を簡単に私が作った。連れ合いは、基本的には非常に優しい人だが、人を甘やかすことは絶対にない。まったく理に適っているし、私も文句は一切ない。肉離れもテーピングとサポーターでしっかりと固定しているし。連れ合いと私、お互い離れはしっかりできているようだ。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月17日
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「おーえす、おーえす!」運動会の綱引きは団体ゲームの骨頂だ。綱引きでは、誰が弱くて負けたとかあまり関係ないのがいい。何となくやっている者もいるだろう。ところで、「おーえす」とはフランス語とのこと。私たちは、フランス語で綱を引いていたのだ。今度フランス人に会ったら言ってみたい。「おーえす」といえば、昨日事務所で突然私のラップトップが動かなくなった。まったく仕事にならない。飲んで帰って夜中にOSのリロード、床についたのは2時近くだった。今日は会社で、いろいろなソフトを入れて一日が過ぎてしまった。ITエンジニアとして会社の要の一人だったN君は今年の2月に退職した。分からない者がやると時間が半端じゃなくかかるのがコンピューターだ。やっと一段落して書いている。なんだか、ぽかんと大きな穴が空いたような一日だった。ところが、初めは困ったという気持ちが先行していたが、そのうちCドライブはきれいに整然となりすっきりし、ネットアクセスもままならないことで、反って下界のことが分かり辛くなり少し心に余裕ができたようにさえ感じられたのだ。寺山修司は、「書を捨てて町にでよう」といった。書は捨てても気が変われば拾ってきて又読める。コンピューターは捨てると壊れて使えなくなる、などという話ではないが、一ヶ月くらいコンピューターから無縁の生活が目の前にあったらどうだろうかと想像してみてしまった。少なくとも、楽天ブログは閑古鳥。コンピューター捨てずに閉じて庭仕事週末は二つのパーティーと庭仕事といったところだろうか。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月16日
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定番ギリシャのデザート。 これだけ喰えば、とうぶんいらない。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月15日
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こちらの新聞にオーストラリア人が最も信頼する国リストが出ていた。順位ではなく%だった。アメリカ 83%日本 81%インド 61%中国 59%とあった。アメリカは、オバマ効果で数値が上がっているという。本当にアメリカは、この大変な時期にいい人を得たものだ。イメージだけはアップしたようだ。アメリカの現実を上手い具合にオブラートで包んでしまっている。アメリカの実態が分かればこの統計の結果は大きく変わるだろう。この調査は信頼度だから、好きとか嫌い、という観点ではない。中国、韓国、日本でそれぞれ「好きな国、嫌いな国」調査をしている。中国と韓国が嫌いな国に挙げるのは間違いなく日本。しかし、これらの国は好きな国にも日本を挙げるらしい。正に、Love and hate, 愛憎相半ばする関係といえるだろう。問題は、日本人が好きな国に挙げるのは全て西洋の国らしいということだ。考えてみれば、明治維新後、日本は見た目には中国のように西洋列国の植民地になることは避けられた。しかし、実質はそんなに変わらないといえる。見えないようにやられていたのだろう。その歪みが今一気に噴出し始めている。日本はいつまでも西洋を見ていては足元をすくわれる。アジアの国々は、お互いがあまり仲良くならないように分割統治されてきている。イギリス帝国がインドなどを分断分割統治してきた歴史を見れば一目瞭然だ。アメリカ、イギリス、フランス、これらの国は裏が深すぎて地球の反対側まで抜き出てしまいそうだ。これらを牛耳っている資本家たちは度し難い人種だ。オーストラリア、ニュージーランドを含めアジアの国々が、もう一歩進んだ関係になる時期にきているように思える。少なくとも、日豪の関係が良好に推移している今はいい機会だと思う。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月14日
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電話が掛けられず、クリーム色の電話機を見つめながら部屋の中をうろうろしていた。青色の木造の小さなコテッジに数日間滞在していた。家主は82歳になるピーターソンさんというお婆さんだ。小柄で痩せていて目をショボショボさせながら、スエーデン訛りの強い英語で話す。私は、日本に住んでいる彼女の息子さんご一家と、大学の夏休みを利用してアメリカ旅行に来ていた。一週間ほど、私はこのコテッジに1人で厄介になっていた。シアトルのタコマ湾にあるスエーデン系ルター派教会のキャンプ場にピーターソンさんは住んでいた。教会が運営するキャンプ場だから、何かあったときにはしっかりと面倒みてくれるということで、この中に家を購入して住んでいたのだろう。私が電話しようとしていたのは、このおばあさんの孫にあたるマーラだった。実は、この家から崖の上に建っている白い大きな木造のマーラの家が見えるのだ。直線距離にしたら200メートルくらいだろうか。私が日本から一緒にきた息子さんのお兄さんご一家の家にあたる。「もしもし、マーラさんをお願いします。」受話器に出たのはマーラのお母さんだった。前に1度お会いしていた。「あら、タコなの?何しているの?今から家に遊びにいらっしゃい。私が車で迎えに行くから。マーラもサリーも家にいるのよ。」18歳のマーラと15歳のサリーも夏休みで家にいた。30分も電話できずにハラハラドキドキしていた甲斐があったというものだ。喜んで遊びに行くことになった。家に入るとマーラとサリーはレコードを聴いていた。2人ともTシャツにホットパンツ姿だった。シアトルは真夏でもそれほど暑くならない。カナダのバンクーバーも近い所で本当に過ごしやすい夏だった。でも若い女の子たちは思いっきり肌を出す。東村山から来た22歳に成り立ての私には、金髪産毛の4本足が眩しかった。「タコ、このレコード知ってる?去年飛行機事故で亡くなったジム・クローチって言ってねアメリカで大ヒットしているのよ。」2人の娘ではなくお母さんがそう言いながらレコードのジャケットを見せてくれた。目も鼻も全てが大作りなジムの大写しのヒゲ面写真のジャケットの表紙だった。この歌が大好きなの。そういってお母さんが曲を選んでかけてくれた。胸をかきむしるようにギターの伴奏が流れる。♪ Every time I tried to tell you The words just came out wrongSo I'll have to say I love you In a song ♪♪ 言おうとすると いつも違ったことを言っちゃうだから歌にたくして 愛してるっていわなくちゃ ♪題名は、I'll Have To Say I Love You In A Song という曲だった。後で知った日本名は「歌にたくして」だった。「タコ、アメリカ人の女の子、みんながみんなワイルドだと思っているのだったらそれはまったく違うわ。」数日後の夜、タコマ湾を眺めながらマーラと2人で話しているときに、彼女は私の心を見透かすようにそう言った。18歳の女の子に、先手を打たれて諭された形となった。自分には臆面がないのだろうか。I'll Have To Say I Love You In A Song アメリカ人にこんな歌にあるような奥ゆかしい人がいるなんてまったく信じられない。だから逆に歌になったのだろうが。しかしその晩、私はこの歌のことを思い出して、闇夜に乗じてマーラの腰に手なんか回そうとして自分を大いに反省した。もしかしたらマーラのお母さん、ここまで予想して私に何度も同じ曲を聴かせてくれたのかもしれない。まっ、そんな訳はないだろうけど。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月13日
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「こらっ!」と言われたので「ふんだ」と言ってやった。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月12日
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狂乱の時代を迎えておりますが、今週も元気にやってまいりましょう。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月12日
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日本から家族とそのお友達が訪れてくれた。早速、ワインで有名なヤラバリーへドライブ。今日は天気は最高でこれ以上の日和はないくらいの日。思わず、頬もほころぶ。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月10日
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♪ And the waitress is practicing politicsAs the businessmen slowly get stonedYes, they're sharing a drink they call lonelinessBut it's better than drinkin' alone ♪ビリー・ジェエルの「ピアノマン」を黒人の専属歌手がピアノの弾き語りで歌っている。ビリーの歌の中ではこの曲が一番好きだ。♪ 孤独という飲み物を分かち合っている でも1人で飲んでいるよりはずっといいさ ♪移住を求めてシドニーのキングスクロスの安宿に投宿していたときに、ステーキハウスの中にあるバーで飲んでいた。1985年の6月のことだった。誰とも話しをしない日もあった。きっといつか永住権を取るという意気込みとは別に、得体の知れない恐怖感にも襲われる。「どこから来たの?私ニッキー。」弾き語りを聞いていたら、隣の金髪女性が話しかけてきた。アメリカ人だった。やはりこの国に永住を希望しているとのことだった。「タコといいます。今月来たばかりだけど、これからバスでオーストラリア中を回ってこの国を見てみたんです。」ニッキーは若作りだけど年は私より3つほど上だとわかった。いろいろとやりながら、シドニーに流れ着いた人の1人だった。「きっと永住権が取れるといいわね。私ここに時々来るの。来たら、いろいろな人と話もできるわ。タコもまた来たら?」「ピアノマン」の歌をそのまま地で行くように人々が集まってくる。先の見えない孤独を暖める小さな空間だった。私は、それから間もなくアズキ色の大きなバックパックを買って旅に出かけた。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月10日
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何とも形容し難い夕餉となった。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月08日
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こと洋書に関しては買うことに意義がある、みたいなところが昔からある。こちらの本屋はいつも新宿紀伊国屋書店の6階に上がった時ようにどこを向いても洋書ばかり。ペラペラとめくっているうちに、読みたくなる本も結構あるにはある。そして時々買う。しかし、読まない。オランダ系の連れ合いは、「今度は何買ったの?」とやや斜に構えて聞いてくる。私は、買ったことで安心しきって、「いつか読むよ。」といいながら本を見せる。連れ合いには、なんで図書館で借りないのかいつも叱られる。図書館なんかで借りたら、何度延長に行ったらいいのかわからないし、その内延長を断られてしまうだろう。「タコ、まだ読んでないのか。」隣のリタイヤしているクリスさんが話しに来て呆れていた。1年くらい前に買った本を貸す貸すといいながらなかなか貸さないので、クリスさんは業を煮やして自分で買ってもう読んでしまったという。さすが英語母国語の方。この本の題名は「The Bone Man of Kokoda 」という本で、ニューギニア戦線で生き残った元日本兵の人が、戦後事業を興しあるとき思い立って家族を捨てニューギニアに戻り、戦友の遺骨収集に半生を捧げた、という伝記だ。書いたのはオーストラリア人。今、このKokodaを約10日間歩いて昔の激戦地をめぐるツアーに人気がある。しかし、可也の強行軍で最近亡くなる人が続いていて問題になっている。親など親類が日本兵と戦っていて、そこを訪れたいと行く人が結構いるようだ。実は、このクリスさんもこのツアーに参加したことがある。その話を聞いて私も行ってみたいと思ったこともあるが、二の足を踏んでいる。そんな訳で、まずは本を読もうと思ったわけだ。本は体力は要らないが気力が要る。実は、秋田生まれの今年83歳になった母には南方で戦死した兄があった。当然、私は会ったことはないが、その伯父が戦死したのは南方のどこかということしか分からないらしい。もしかしたらニューギニアだったかもしれない。遺骨収集。本来なら日本政府の仕事だろう。厚生労働省が僅かにはやっているようだが、個人に委ねられているのが現状のようだ。硫黄島で戦死したアメリカ兵の遺骨はアメリカ政府が全て収集したときく。この本の主人公の人は、日本政府があてにならないので1人で全てを投げ打ってニューギニアに戻ったらしい。話好きのクリスさんに随分と内容を聞いてしまったが、「日本人のタコだから、日本人の心境が分かるはず。読むといいよ。」と言われた。内容が重いこともあって、今は時々表紙を眺めているだけにとどまっている。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月07日
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以前から飲んだ後にはよく行っているグリークカフェのオーナーの娘ナターシャだ。もうすぐ21歳の誕生日だという。こちらは20歳ではなく21歳を盛大に祝う。このカフェ、以前はいつ来ても混んでいたのだが、今はいつ来てもガラガラで次はないのではないかと心配になる。「前はね、喫煙と禁煙の部屋をガラスドアで区切っていて、喫煙の大部屋が人気だったの。でも条例が変わって店内禁煙になって店も改造したんだけど。」メルボルンのグリークカフェで最後までタバコを吸える店として流行っていたようだ。時代の流れに押し流されてしまうのだろうか。「私の誕生日が近いんだからカクテルでおごって!」Noと言えない設定だった。なかなか抜け目ない。「私がオーナーになったら全く別のコンセプトの店に変えるわ!」ナターシャはそう笑顔で言い切った。ということで記念撮影。早く代替わりをした方がこの店のためにはいいのかもしれない。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月06日
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世界は、戦争の危機、経済危機など騒然としてきている。メルボルンの二大紙の昨日のトップ記事は、ゴルファーのグレッグ・ノーマンの二度目の結婚の破局記事だった。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月05日
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今日からオーストラリア,サマータイム。実施しない州もあるので国内旅行は気をつけないとならなくなる。いつもは、10月末から3月末までの間がサマータームとなっていたのだが、昨年から変わってきていて長くなってきている。日曜の午前2時に1時間時計が早まる。1時間だからそんなに大差はない、と思えるのだが、日本との時差が2時間になる。日本の9時から見たい番組などがあったら11時からになる。こんなのは大した問題ではないが。日本からの友人の電話が夜中の12時になったりすることも出てくる。日本も同じ時期に同じようにやってくれればいいのだが、日本では何度も俎上に上がっているようだが実施には至っていない。賛否両論でコンセンサスが取れないのだろう。これからの民主党の向かう道と一緒のようなので、サマータイム、日本では今後永遠に無理だろう。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月04日
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学生時代、プロテスタントの教会へ行っていた。行っていたというより、メインの会員として日曜学校の教師などもしていた。15歳からやく10年間くらいだった。大学生のときに、福山君という私より少し若い人が来るようになった。長髪でひげをはやし、太い黒縁の眼鏡をかけていて眼光が鋭い人だった。しかし、非常に陽気で大きな声で冗談をいう快活な人で私も親しく話しをさせてもらった。「タコさん、俺、彼女に振られて辛いっすよ。あなたの目が嫌い、って言われてね。どうしようもないじゃないですか、そんなこと言われても。親からもたったものだし。でも、辛いっすよ。」あるときそう告白されて慰める側に立つことになったが、慰めの言葉も見つからずたいしたことは言えなかった。「タコさんね、浮気したことありますか?」ドキッとした。教会で話すことではなかった。私は、一応これでもクリスチャンだった。真面目の前に「生」がつくくらいの頃だった。「例えば浮気をしていて、その現場に彼女に乗り込まれたとしますよね。『その人誰?何してんの?』なんて聞かれたとしますね。どうしますか?『えっ、誰だよこれ!知らないよ俺!!!』くらいのことを言ってしらばっくれる器量がないとダメですよ。このくらいの根性がなければ絶対に浮気なんかしてはダメですよ。」何で、私に意見するようにこんなに真剣に言い出したのだろうかと訝ってしまった。私は、見るからに浮気しそうな男に見えたのだろうか。私はポーカーフェイスが苦手だ。浮気の現場になんか踏み込まれたら、あっちこっち縮まってしまい、聞かれもしなくてもその相手の住所や出身地、祖父さんの名前なんかまで言ってしまいそうだ。だから、隠し事ができない。するしないとかいうことではなく、浮気の資格は全くないといえる人間だ。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月02日
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日本に帰国した元のスタッフご一家が、久しぶりに訪れてくれた。こんな嬉しいこともない。そしてお土産をいただいた。思いが伝わってきて即食べてしまった。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月02日
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「チンチン、、、、」オランダ系の連れ合いの父親が私の顔を見てそう言う。そういえば、とか思い当たることもない。「日本のテレビのことをこちらでやっていてね、なんでもチンチンぷーとかいうんだよ。」益々わからない。「英語でいうと、アダブカダブラで手品なんかのときにいうだろう。日本語では?」20秒くらい考えて分かった。「ちちんぷいぷい」だった。もう何十年も使ったことのない日本語の語彙だった。すごく懐かしくて何度も口に出して言ってしまった。父親も、そうだそうだといいながら、何度も言っていた。ちんちんでなくて良かった。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月02日
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「タコさんね、男は病気のことなんか家に置いてくるものよ。グダグタいうもんじゃないのよ。」思わず箸を止めてしまった。銀座の有名な店で日本食をご馳走になるというので喜んででむいた。3年ほど前の日本帰国の際の話だ。いろいろと体に変調を来たしていたときで、思わず話していたら、すごい剣幕である女性にそう怒られた。「私たちみな中高年で病気の両親を抱えて、自分も病の二つや三つは皆持ってるわ。だからそんな話なんか聞きたくないの。」最もなことだ。猫や犬などは、痛いとか苦しいとか言わずに死んでいく。確かに、私の年代の人が集まると病気の話に花が咲く。まるで病気の自慢をしているように。私は大いに反省した。そんな話をしながら食事したって美味しくない。ということでちと風邪をひいてしまった。咳が止まらない。なんて言わずにおくことにする。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年10月02日
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