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月橋院の山門前に、おそらく忠魂と書かれた碑でしょうが、下半分が無い状態で置かれています。2007年7月3日付の京都新聞によると、第二次大戦後、GHQが撤去するよう指令を出したが、これを三つに割って自宅へ運んだ人がいるようです。その後、上の部分だけが月橋院に置かれています。なぜ上だけがここで供養されているのか、記事を読んでも明確には分からなかったのですが、平和を願う心はいつまでも生き続けてほしいものです。
2012年04月30日
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月橋院(月橋禅院)京都市伏見区桃山町泰長老京阪電気鉄道宇治線 観月橋駅より徒歩7分月橋院(げっきょういん)は、指月山と号する曹洞宗のお寺です。指月山というと、山口の萩城を思う方もいらっしゃるでしょうが、そちらとの関係はよくわかりません。室町時代、この場所に「般舟三昧院」という寺院が建てられましたが、その後、伏見城築城のための資材置き場となるために、お寺は西陣へ移転しました。やがて跡地には、真言宗円覚寺が建てられます。豊臣秀吉が当地を訪れ、この寺で月や橋の景色を眺めたことにちなんで「月橋院」と名を改めました。豊臣秀吉と親交のあった僧(越前の金剛院にいた「亀州宗鶴禅師」)を招いて住まわせて以降、曹洞宗になりました。豊臣秀吉が月を愛でたと言われていますが、観月橋といい、指月という地名といい、さぞかし月が美しかったのでしょうね。ちなみに指月(しづき)には「4つの月」の意味があるそうです。すなわち、空の月、川の月、池の月、盃の月の4つを一度に見ることができるからだとか。なかなかの風流ですね。
2012年04月28日
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京都市伏見区桃山町泰長老京阪電気鉄道宇治線 観月橋駅より徒歩8分観月橋から東側、丘陵状になった一帯を泰長老(たいちょうろう)と呼びます。上の写真は、その由来が書かれた案内板です。伏見桃山時代、豊臣秀吉の外交を担当していた「西笑(せいしょう)」(諱は承兌(しょうたい))の邸宅があったと伝えられています。ポルトガルや朝鮮の使節とも交渉したそうです。西笑は相国寺の僧で、長老として尊ばれ、「泰長老」とも呼ばれていたそうです。宇治川沿いの道に「江戸町」という交差点があります。かつて桃山町三河には徳川家康の上屋敷があり、向島にあった下屋敷へ通う道だったことから付いた名前のようです。この付近、「桃山町〇〇〇」という地名を見てみると、「松平筑前」、「駿河」、「美濃」、「板倉周防」、「島津」、「毛利長門」、「鍋島」、「羽柴長吉」、「福島太夫」、「伊賀」、「本多上野」など、いやあ、面白いですねえ。
2012年04月26日
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愚庵終焉之地京都市伏見区桃山町泰長老JR奈良線 桃山駅より徒歩6分京阪電気鉄道宇治線 観月橋駅より徒歩10分「愚庵終焉之地」と書かれた石碑が、道路脇に建っていました。「愚庵(ぐあん)」は、明治維新の激動期を生きた人です。福島県の武士の家に生まれ、本名を天田五郎といいます。戊辰戦争で行方不明になった両親・妹を探して長く諸国を歩きました。山岡鉄舟と出会い、清水次郎長を紹介されます。一時は次郎長の養子にもなったそうです。清水次郎長は講談や浪曲で語られて有名になりましたが、その元となったのが天田五郎(愚庵)が書いた「東海遊侠伝」です。その後、明治20年(1887年)、京都で得度して禅僧となり、鉄眼、その後、愚庵と名乗ります。明治34年(1901年)、この地に草庵を結び、明治37年(1904年)に没しました。享年51歳(満49歳)でした。禅の道を極め、歌人としても名を残しています。各界の名士と広く交流したそうです。
2012年04月24日
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大光明寺陵京都市?伏見区?桃山町泰長老JR奈良線 桃山駅より徒歩3分京阪電気鉄道 宇治線 観月橋駅より徒歩12分JR桃山駅の近く、住宅街の一画に、「大光明寺陵」の入口があります。この付近には、後伏見天皇の皇后・藤原寧子の発願で建立された「大光明寺」があったそうですが、伏見城を築城するときに移設されたそうです。現在は、崇光天皇・光明天皇の陵なのだそうです。入口から200メートルほどの砂利道を歩くと、正面に鳥居が見えてきます。両側に並んだ石碑には、「光明天皇大光明寺陵」「崇光天皇大光明寺陵」と書かれています。
2012年04月22日
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伏水製作所跡京都市伏見区向島中之町京阪電気鉄道 宇治線 観月橋駅より徒歩5分見落としそうな場所に、「明治天皇御駐輦所製工場阯」と書かれた石碑があります。明治10年(1877年)、明治天皇がこの地を行幸され、この場所で休憩されたそうです。かつてここには「伏水製作所」という工場がありました。明治6年(1873年)、京都府の支援で建てられ、水車を動力源とする京都府初の近代的な工場で、鉄製機械などを製造していました。
2012年04月20日
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観月橋京都市伏見区京阪電気鉄道 宇治線 観月橋駅よりすぐ現在の橋は鉄筋コンクリート製で、昭和11年(1936年)に完成しました。昭和50年(1975年)には、車両専用の高架橋が架けられました。観月橋は、豊臣秀吉の時代、文禄5年(1596年)に架けられました。その当時は、この辺りで淀川三川(木津川、宇治川、桂川)が合流していたようです。かつては「月見橋」と呼ばれていたようで、いつしか「観月橋」と呼ばれるようになったそうです。眺める月がきれいだったのでしょうね。「明治天皇御駐輦所観月橋」と書かれています。明治10年(1877年)、明治天皇の関西行幸の際に、この地で休憩されたことを示しています。橋の上から上流方向を眺めた写真です。
2012年04月18日
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近鉄澱川橋梁近畿日本鉄道京都線 桃山御陵前駅~向島駅間京都市伏見区このトラス橋は、昭和3年(1928年)に建設されたもので、中間に橋桁の無い構造をしています。単純トラス橋としては日本最長の164.6mです。完成してから80年以上が経つ今もバリバリの現役です。2001年には、国の登録有形文化財として登録されました。頭の上を近鉄特急30000系が通過していきます。ビデオに収める人、自転車に乗って振り返って見ている人。やはり特急車両には華があるということでしょうか。ここは宇治川のハズですが、鉄橋の名前は「澱川橋梁」となっています。「澱川」=「淀川」です。宇治川は淀川の本流であり、「淀川」が正式な名前なんだそうです。ところで、橋の建設時には陸軍がすでにこの場所を演習場として使用していました。川の中に橋脚を建てると演習に支障が出るとの理由で許可が出なかったそうです。やむなく、中間の橋脚を無くしたトラス橋にしたため、相当な費用がかかったということです。
2012年04月16日
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中書島駅~観月橋駅間の立体交差 京都市伏見区平戸町付近観月駅を出発した宇治線の列車は、京都外環状線(京都市道188号観月橋横大路線=上の写真右側の高架道路)の下をくぐり、さらに近鉄京都線(上の写真左奥)の下をくぐって、中書島駅に着きます。民家と川と、そして高架道路との間を縫うようにして通る宇治線です。ここを通り過ぎれば、中書島駅まであとわずかです。
2012年04月14日
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「観月橋北詰」交差点に接する位置に、観月橋駅の改札口があります。国道24号の高架橋をくぐって、ホームに入っていきます。宇治方面ホームの改札口(ラチ内)です。同じ改札口を外から見た様子です。こちらは中書島方面ホームの改札口です。踏切には、開閉に連動した信号機が設置されています。したがって、信号が青なら一旦停止は必要ありません。
2012年04月12日
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京阪電気鉄道 宇治線 観月橋駅京都市伏見区豊後橋町観月橋駅は、大正2年(1913年)、宇治線の開通と同時に開業しました。名前はもちろん、駅のすぐ南側、宇治川に架けられた観月橋に由来します。2面2線の相対式ホームで地上駅です。上の写真、左側が中書島方面ホーム、右側が宇治方面ホームです。ホームの左側を宇治川が流れています。線路を横切っている高架橋は国道24号で、観月橋北詰交差点を跨いでいます。写真の左端、高架橋の下に観月橋が見えています。高架橋に接近したのが上の写真です。ちょうど高架橋辺りに改札口があります。ホームごとに改札口があり、ラチ内でホームを行き来することはできません。観月橋北詰の踏切からホームを撮ってみました。高架橋が頭の上にのしかかるようで、威圧感があります。
2012年04月10日
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JR奈良線 桃山駅京都市伏見区桃山町鍋島京阪本線・伏見桃山駅/宇治線・観月橋駅より徒歩9分JR奈良線の桃山駅は住宅地の一画にあります。幹線道路と接しておらず、うっかり通り過ぎてしまうところでした。桃山駅は、島式と2線と単式の1線、合わせて3線の地上駅です。単式ホームに駅舎と改札があり、島式のホームへは跨線橋を渡らなければなりません。いまは小さな駅ですが、かつては明治天皇陵である伏見桃山陵の最寄駅として、かなりの規模だったようです。明治天皇の柩は列車に乗せられ、桃山駅まで運ばれたそうです。京都市内の駅ですから、市内制が適用されます。奈良線のラインカラー、茶色が使われています。上の写真の左側、ホームの無い線路が見えていますが、かつてはこの辺りにもホームがあったそうです。さらにその左側には改札口もあり、伏見桃山陵へ参拝する人で賑わったということです。大きな屋根があり、かなり立派なホームです。
2012年04月08日
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乃木橋京都市伏見区桃山町伊賀JR桃山駅より徒歩10分 乃木神社の南側を、JR奈良線が通っています。その上を通る道に設けられたのが「乃木橋」です。特筆すべきことはとくに無いのですが、線路を見下ろすロケーションがよくて、写真に収めてみました。いまも健在の103系です。奈良線の103系はすべて4両編成です。
2012年04月06日
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ここは乃木神社の境内です。中央に「忠魂」の碑、右側には慰霊碑、左側には日露戦争の日本海海戦に参加した軍艦「吾妻」の主錨のモニュメントが置かれています。日露戦争での旅順攻略などで功を上げた乃木ですが、この戦争では二人の息子を亡くしています。そのこともあって、戦地から帰国した乃木は大歓迎で迎えられます。しかし、歓迎会などはすべて断ったそうです。乃木自身は多数の将兵を死なせてしまったことへの自責の念が強かったといいます。明治天皇への復命の報告でもそのことを述べ、死んで詫びたいと言ったそうです。天皇は乃木の気持ちを理解しつつも、「いまはその時ではない、どうしてもというのであれば朕が世を去ったあとにせよ」と諭したそうです。そして、大正元年(1912年)9月13日、明治天皇の「大喪儀」が行われたその日の午後8時ころ、夫婦とも自刃して亡くなったということです。境内には、乃木希典の幼少時代の長府(山口県)の実家が復元されています。妹にも泣かされるような気弱で温厚な性格だったようです。「乃木将軍」というと軍人の雄々しいイメージを思い描いてしまいますが、優しさをもった実直な人柄から、多くの人に好かれていたそうです。乃木神社は、山口県、東京都、栃木県、北海道などにもあります。東京の乃木神社は乃木坂にありますが、この乃木坂も、乃木希典の死後に付けられた地名です。
2012年04月04日
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乃木神社京都市伏見区桃山町板倉周防京阪電気鉄道宇治線 桃山南口駅より徒歩12分JR奈良線 桃山駅より徒歩8分京阪・桃山南口駅から桃山御陵参道を1kmほど進んだ交差点の左側に鳥居があります。乃木(のぎ)神社の鳥居です。明治天皇が崩御し、大喪の礼の日に後を追って殉死した乃木将軍(乃木希典、のぎまれすけ)が祀られています。道路脇には、「臺灣獻木」(台湾献木)と書かれた碑がありました。裏側には「臺灣總督府」(台湾総督府)と書かれています。冒頭の写真の門(神門というそうです)は、樹齢3千年、幹の直径2m以上といわれる台湾の檜1本で造られたということです。乃木希典は、第3代台湾総督として赴任しました。官吏の綱紀粛正に努め自ら範を示したと言われており、現地の人々にも慕われたという記述も残っています。乃木神社建立においても台湾現地から協力が得られたようです。乃木神社は、大正5年(1916年)。乃木希典の殉職に感銘した有志の手で創建されました。正面の拝殿の手前には、狛犬ではなく、馬が2頭います。拝殿に向かって右側が「璞号(あらたまごう)」、左側が「壽号(すごう)」という、乃木将軍の愛馬だそうです。本殿を横から見たところです。
2012年04月02日
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