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長建寺京都市伏見区東柳町京阪電気鉄道 京阪本線 中書島駅より徒歩3分中国風の山門が特徴的です。山号は東光山で、真言宗醍醐派に属しています。まあちゃん9541さんに教えていただいた、淡路島の弁天様のお寺、「智禅寺」もまた、真言宗のお寺だそうで、やはり中国風の山門があるようです。京阪・中書島駅北口を出たところに、「豊臣秀吉公 守本尊 辨財天御像 長建寺 是 北一丁」と書かれた石碑があります。長建寺のご本尊は「八臂弁財天」(鎌倉時代後期作)ですが、これが豊臣秀吉の守本尊なのかどうかはよく分かりません。しかし、豊臣秀吉は、開運の仏様として弁財天を深く信仰していたようです。山門の前の道は、かつての伏見城の外堀にあたる濠川(ほりかわ)に沿っています。赤い長建寺の塀が目立っています。江戸時代の元禄12年(1699年)、伏見奉行の建部(たつべ)内匠頭(たくみのかみ)政宇(まさのき)が、深草の即成就院(そくじょうじゅいん)の塔頭(たっちゅう)多聞院(たもんいん)を当地に移し、弁財天を祀ったのが始まりだといわれています。建部氏の長寿を願い、名前の一部をとって「長建寺」と命名したということです。弁財天を本尊にするお寺は、京都ではここだけだそうです。毎年7月の第4日曜日、「弁天祭」が行われます。昭和26年(1951年)までは盛大に舟渡御(ふなとぎょ)が行われていたそうです。伏見の名水のひとつ、閼伽水(あかすい)です。ここでは、仏様にお供えする水であり、参拝する人の清めの水でもあります。手洗石は、元のお寺(即成就院)から移したものだと書かれています。
2012年05月30日
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辨天橋京都市伏見区葭島矢倉町京阪電気鉄道 京阪本線 中書島駅より徒歩3分十石船の乗り場は、辨天橋の橋のたもとにあります。この橋には、上のような琵琶の絵が掲げられています。琵琶に絡みついているのは、ヘビのようですね。弁天様は、古代インドにおける川の神(水神)です。そしてインド古来の蛇や龍の信仰とも相まって、神使は「蛇」や「龍」だとされているそうです。この橋の名前が辨天橋なのは、近くにある「長建寺」のご本尊が弁財天だからです。これから長建寺に立ち寄ってみます。
2012年05月28日
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十石船の乗り場京都市伏見区本材木町京阪電気鉄道 京阪本線中書島駅より徒歩5分中書島駅の北東に、「十石船」の乗り場があります。文禄3年(1594年)、豊臣秀吉によって伏見城が築城されます。そのための建築資材を運ぶために、宇治川の流路改修工事によってつくられたのが伏見港です。宇治川派流は、伏見城の外堀りであった濠川につながっており、江戸時代には川沿いに、問屋、宿屋、酒蔵などが建てられました。米や薪炭、酒などを運ぶ小舟が往来していました。三十石船よりは小さいですが、十石船も物資を運んでいたようです。明治時代末期まで存続したということです。上の船は、観光用に建造されたもので、定員は20名。宇治川派流に沿って、見学を含めて約1時間のコースが楽しめます。十石船の乗り場は、辨天橋のたもとにあります。またこの付近は、辨天浜とも言われています。かつて材木を荷揚げしたことから、この付近には本材木町という町名が残っています。
2012年05月26日
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伏見みなと公園がどこまでの範囲なのかよく分からないのですが、体育館のある伏見港公園側から橋を渡った対岸には、上の写真のように、三十石船をモチーフにした船が置かれています。どうやらベンチのようですね。タイルを使って川の流れを表しています。広場の中央には、上のような絵が。酒造りの蔵が並ぶ川沿いを行く三十石船。まさに伏見のイメージです。はやく本物が見たくなりました。
2012年05月24日
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伏見港公園にて平成6年7月、伏見港公園一帯で「伏見開港400年祭」が盛大に行われたそうです。上の写真は、それを記念して補修された「三十石船」です。 幅2.5メートル、長さ17メートルの船で、米30石、乗客なら30人程度の積載能力があることから「三十石船」と呼ばれています。江戸時代から明治時代にかけて、伏見と大阪を結ぶ船として活躍しましたが、蒸気船(外輪船)や鉄道の発達によって姿を消しました。上の船は、伏見港のシンボルとして、故・野崎四郎氏(京都府伝統産業優秀技術者、平成7年死去)が平成3年度に復元したものだそうです。400年祭では、三栖閘門(みすこうもん)~寺田屋浜を運航して、いろいろなセレモニーが行われたそうです。訪れたときには、公園の片隅に留め置かれていました。いまは観光シーズンに入り、実際に三十石船や十石船に乗ることができます。あとでまた、その様子を紹介する予定です。
2012年05月22日
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京阪電気鉄道 京阪本線 中書島駅より徒歩4分体育館やプールのある伏見港公園に隣接する場所は、「伏見みなと公園」とよばれています。どこからどこまでが「伏見みなと公園」なのか正確には分かりませんが、川の流域一帯がきれいに整備されています。散策するのにちょうどいい、気持ちの良い場所です。向こう側には京阪8000系が橋を渡っているところが見えています。鉄道の開通が、伏見港の衰退を招いたということですから、皮肉なものです。この川は、宇治川本流ではないという意味で、「宇治川派流」と呼ばれています。もちろん、淀川水系の一部です。カモの集団ですが、どうやらメスは1羽だけのようです。気を引こうとオスが集まってきたのでしょうか?
2012年05月20日
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京阪本線 東高瀬川橋梁中書島駅の西 約600m東高瀬川を渡る京阪3000系です。京都市の繁華街、木屋町通を流れるのが高瀬川。かつては鴨川を越えて、宇治川までつながった1本の運河でした。昭和になって、治水のため鴨川が掘り下げられたことにより、高瀬川が分断され、北側は鴨川に注ぎ込み、南側は東高瀬川という新しい流れに変わりました。京阪本線の橋梁の北側に、「三栖橋」が架かっています。この辺りは、新高瀬川と呼ばれることもあります。旧の高瀬川は東側を流れる濠川(ほりかわ)に流入していましたが、現在はまっすぐ南下し、宇治川に直接流れ込んでいます。
2012年05月18日
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伏見港公園京都市伏見区葭島金井戸町京阪電気鉄道京阪本線 中書島駅より徒歩2分伏見港公園は、昭和42年(1967年)にオープンした施設で、当初は子供プールとテニスコートが作られました。昭和57年(1982年)には、温水プールと総合体育館がオープンしました。もともと、この場所には伏見港の舟溜りがあったところだそうです。訪れた日は雨で、テニスコートは寂しく雨に濡れていました。敷地の一画には、屋根の付いた土俵がありました。この日はブルーシートに覆われていました。伏見城が築かれた16世紀の終わり以降、この付近は「伏見の浜」と呼ばれ、舟の交通の要衝だったところです。とくに江戸時代には、「三十石舟」や「高瀬舟」などが行き交い、伏見は港町として大いに栄えました。明治以降も外輪船が運行されたりしましたが、鉄道の発達とともに淀川の水上交通は衰退していきました。
2012年05月16日
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中書島交番京都市伏見区桃山町金井戸島京阪電気鉄道京阪本線 中書島駅より徒歩2分中書島駅の南口のロータリーを出てすぐのところに中書島交番があります。ふと入口の上を見上げると、「KOBAN」と書かれた看板(?)に、なぜだか馬に乗った警察官と子どもが。調べてみると、平安騎馬隊がモデルになっているそうです。平安騎馬隊は、府民とのふれあいのため、平成6年(1994年)の「平安遷都1200年」を記念して創設されました。そのとき、記念にこの看板が作られ、市内30ヶ所に設置されたのだとか。京都府内各地で、パトロールや交通安全活動などを行っているんだそうです。時代祭りや葵祭りなどの先導もするそうです。騎馬隊は現在、日本では警視庁と京都府警しかないんだそうですね。
2012年05月14日
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中書島駅の4番線の淀屋橋寄りに、下りの階段があります。この階段を降りたところに南改札口があります。南改札口は平成16年(2004年)に新設されました。改札を出たところにバスターミナルがあります。南改札口と同時に設置されました。停まっているバスは近鉄大久保行きの京阪宇治バスです。中書島駅は地上駅ですが、南改札口は少し低い位置にあります。タクシー乗り場も見えています。
2012年05月12日
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中書島駅には2ヶ所に改札口があります。上の写真は北改札口で、1番線ホームの淀屋橋寄りにあります。2012年2月から改修工事を行っていましたが、5月からはリニューアルされています。入口には、坂本龍馬の肖像写真と、伏見の酒の菰樽が並べられていました。回送中、じゃなくて、改装中の北改札口です。(2012年3月撮影)訪ねた日は雨が降っていました。駅前には濡れた石畳に、武家屋敷を思わせる塀があって、なかなかよい雰囲気でした。大正3年(1914年)、京都電気鉄道(後の京都市電)伏見線が中書島まで延伸してきました。ちょうどこの石畳の辺りを市電が走っていたようです。
2012年05月10日
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中書島駅の3番線から宇治方面を見たところです。左側は京阪本線です。かつては三条・出町柳方面からやってきた列車が3番線に入り、折り返して宇治へと直通していました。現在は、宇治と中書島の間のみを往復しています。現在はほとんどが2600系ですが、この4月からは13000系が投入されています。いずれ2600系が淘汰されていく運命のようです。3番線の上り(三条、宇治方向)の、線路に設置された出発信号です。本線側はずっと赤のままです。
2012年05月08日
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中書島駅のホームをつなぐ跨線橋です。3枚目の写真は4番線です。地下通路は、4番線の手前で5段の階段があります。4番線は早朝のみ(平日2本、土日1本)で、それ以外は客扱いの列車の発着はありません。かつては宇治発の列車がここで折り返して三条方面へ直接乗り入れていましたが、2006年のダイヤ改定で直通運転は無くなりました。しかし、日中、このように大阪方面から4番線に入ってくる回送列車が見られます。もちろん4番線は8両編成には対応していませんから、ホームをはみ出した状態で停止します。競馬開催日など、淀始発の臨時列車が運転されます。かつては淀駅に大阪方面への始発ホームがあり、淀車庫から直接入れたのですが、橋上駅になってからはいったん中書島まで回送でやってきて、ここから折り返して出て行くことになりました。
2012年05月06日
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中書島駅京都市伏見区葭島矢倉町中書島駅は、3面4線の構造を持つ地上駅です。内側の2線が島式、両側が相対式になっています。上の写真は島式ホームの淀屋橋寄りから撮ったもので、島式ホームの左側が京阪本線下り2番線(淀屋橋方面)、右側が宇治線3番線です。また、左側に見えている相対式が京阪本線1番線(三条・出町柳方面)、停車中の列車で隠れているのが宇治線の4番線です。さらに淀屋橋寄りの踏切から撮ったのが上の写真です。左側に停車中の8000系と3000系は同じ8両編成ですが、停車位置がずれていることが分かります。上の写真は、京阪本線1番線(三条・出町柳方面)の端で撮ったものです。京都寄りのほうがずれの差が大きいように思います。1番線がカーブの内側にあることも影響しているのかもしれません。中書島駅は、明治43年(1910年)4月15日、京阪本線の開通と同時に開業しました。また、大正2年(1913年)6月1日には中書島を始発駅とする宇治線が開業しました。また、かつては京都市電も中書島まで来ていました。上の写真の駅標は4番ホームのもので、宇治線専用なので、観月橋だけが記されています。3面あるホームは、跨線橋と地下通路の両方で結ばれています。エレベーターも設置されており、バリアフリーもばっちりです。島式ホームの京都寄りには、「麺座」といううどん・そばの店があります。券売機で先に券を買うことになっています。メニューボタンには「うどん・そば」と書かれているのですが、そばを食べたい人はメニューボタンを押す前に「そば」を押すことになっており、そのままメニューボタンを押すと「〇〇うどん」と書かれた券が出てきます。もっとも、その券を差し出すと店の人が「うどんですか、そばですか」と聞いてくれるのでご心配は無用です。
2012年05月04日
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浄土宗松風山西運寺京都市伏見区桃山町泰長老京阪電気鉄道宇治線 観月橋駅より徒歩5分このお寺は、別名「たぬき寺」とも呼ばれています。私としては、たいへん親近感を感じる名前です(笑)。入口からも見えている大きなたぬきの置物です。江戸時代の末期、住職が裏山のたぬきを「八」と名付けてかわいがっていたそうです。これを聞いた人々が見物に来るようになり、陶芸家がたぬきの焼き物を寄贈したりして、いつしか「たぬき寺」と呼ばれるようになったそうです。このたぬきの「八」にまつわる話が伝わっています。当初、「八」はいろいろいたずらをしていたそうですが、見かねた住職が捕まえて説教をしたそうです。説教を聞いて感服したたぬきは、それ以来いたずらをやめたとか。いったいどんな説教だったのでしょうね。ところで、たぬきには八つの相があるといいます。笠: 下を見てくらし、時には天下を仰ぐ通帳: 無駄使いせず、信用第一丸八徳利: なにごとも八分目、徳と利を兼備腹: 小事にこだわらず太鼓腹で金袋: 大いに金を蓄え、自在に活用目: どんぐり目で偏見なく、正しく見定める尻尾: 先太りで、でっかく大成裸: 飾らず、偽らず、邪心を去って、丸裸いやはや、あやかりたいものです。
2012年05月02日
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