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京阪本線の丹波橋駅の京都寄りの風景です。待避線から本線に入るところには、安全側線が設けられています。安全側線の先を見ると、このような駐輪場が線路沿いに設けられています。駐輪場の先を見ると、近鉄京都線の線路が見えてきます。おそらくここが、京阪本線から近鉄京都線(当初は奈良電気鉄道)へと乗り入れていた渡り線の跡だと思われます。今でもその気になれば渡り線を敷設できそうな雰囲気です。たまたま通りかかったのは、京都市営地下鉄烏丸線用の10系です。かつては京阪の車両が乗り入れていたところを、現在は京都市地下鉄が通っているわけですね。そうすると、京都国際会館まで乗り入れて、なんてことも考えられるわけで(ありえないかな)。京阪8000系特急が近鉄京都線の上を越えているところです。渡り線跡の自転車置き場が右側に見えます。奥のほうに、近鉄丹波橋駅のホームが小さく見えています。第二次世界大戦後の昭和20年(1945年)12月、奈良電気鉄道(現、近鉄京都線)が京阪本線の丹波橋駅に乗り入れます。単なる乗り入れではなく、奈良電気鉄道の堀内駅(現、近鉄丹波橋駅)を廃止して、京阪の丹波橋駅を使うことになりました。(なお、乗り入れ開始時は京阪は戦時体制の「京阪神急行」でした)その結果、奈良電は京阪三条駅へ、京阪は京都駅へ乗り入れることになりました。奈良電は大和西大寺駅で近鉄にも乗り入れていましたから、3社乗り入れだったわけですね。奈良電が近鉄に吸収されたのち、昭和43年(1968年)に乗り入れが終了します。丹波橋駅の南側にも、渡り線の跡があるのですが、今回は確認しませんでした。地図で見ると、住宅が並んでいる様子がわかります。当時の渡り線跡であると思います。
2012年11月25日
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近畿日本鉄道 京都線 近鉄丹波橋駅京都府京都市伏見区桃山筒井伊賀東町連絡通路を進むと、近鉄丹波橋駅が見えてきます。こちらも改札機が並んでいます。「近鉄丹波橋駅」が正式な名称で、近鉄の「丹波橋駅」ではありませんので、ねんのため。連絡橋の片隅に出口があります。京阪との間を通る道路に出ることができます。案内には、「羽柴秀吉 筒井伊賀町 井伊掃部町方面」と書かれています。武将の名前が並んでいますね。いずれも地元の地名です。いかに伏見城の存在が大きかったかを示しているようです。近鉄丹波橋駅のホームです。相対式2面2線の地上駅です。昭和3年(1928年)、京都~桃山御陵前間に奈良電気鉄道が開通したときに、堀内駅として開業しました。昭和20年(1945年)、奈良電気鉄道が京阪電気鉄道の丹波橋駅に乗り入れ、相互直通運転を始めたため、堀内駅は廃止されました。昭和38年(1963年)には、奈良電気鉄道が近畿日本鉄道に吸収され、近鉄の京都線となります。このとき、近鉄と京阪の間で奈良電気鉄道の争奪戦があったようですが、近鉄になってからも乗り入れは継続します。しかし、平面交差がネックとなり列車増発が困難なこと、近鉄側が1500Vに昇圧すること、などの理由で、昭和42年(1967年)に近鉄の旧堀内駅に専用ホームを設置し連絡通路を設けました。そして昭和43年(1968年)に乗り入れは廃止されました。乗り入れ廃止と同時に専用ホームを「近畿日本丹波橋駅」に名称変更。昭和45年(1970年)に現在の「近鉄丹波橋駅」と改称しました。もし、奈良電気鉄道が京阪に吸収されていたら、京阪は今でも京都駅に直通していたかもしれません。丹波橋駅での乗り換え風景も見られなかったかもしれませんね。
2012年11月23日
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京阪本線 丹波橋駅の南改札口から近鉄丹波橋駅へと向かう連絡通路です。通勤時間帯には、双方向に向かう人の流れが途切れなく続きます。外から見た通路です。民家の間に割り込むように設置されています。あまり目立ちませんが、道路に面して入口が設けられています。近鉄丹波橋駅とは反対側にも入口があります。昭和47年(1972年)に設けられたそうです。
2012年11月21日
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京阪の丹波橋駅南改札口は橋上にあります。ホームからは階段2ヶ所のほか、エスカレーターとエレベーターが設置されています。とくに通勤時間帯は多くの乗客で込み合います。近鉄線との乗り換えに多くの乗客が利用するので、橋上駅舎はかなり大きく、ホームにのしかかるような雰囲気です。ホームから上がると、駅舎の構内には、「水嶋書房」や「ジューサーバー」、銀行のATMなどが置かれています。そば・うどん店の「麺座」は、ラチ内外どちらからでも入れます。南改札口(ラチ内)南改札口(ラチ外)改札機が並んでいる様子は壮観です。平成19年(2007年)に設置された「けいはんインフォステーション」です。平成9年(1997年)にコンコースが拡張され、その後、ラチ外にもコンビニ「アンスリー」、ドラッグストア「マツモトキヨシ」、ベーカリーや洋菓子などの店舗ができました。宝くじ売り場もあります。平成12年(2000年)には特急が終日停車するようになりました。
2012年11月19日
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北改札口 西側入口北改札口 東側入口この辺りが、8両編成に対応するために延伸されたホームです。かつてはここに構内踏切があったのでしょう。右端に写っているのは警手がいた小屋のようです。特急8000系が通過中です。一番手前の線路は、下りの待避線です。その先、なぜだか、踏切が途中から狭くなっています。
2012年11月17日
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京阪・丹波橋駅には、北口と南口の2ヶ所に改札口があります。まずは北口へ行ってみましょう。地上のホームから降りたところに北口の改札口があります。かつては地上にあって、構内踏切も存在したそうです。昭和62年(1987年)、8両編成に対応するためホームを延長するときに廃止されました。シンプルな改札口です。ラチの外側は自由通路になっていて、線路の両側に出られます。
2012年11月15日
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京阪電気鉄道 京阪本線 丹波橋駅京都市伏見区桃山筒井伊賀西町京阪電気鉄道・京阪本線の丹波橋駅は、島式2面4線のホームを持つ地上駅です。近鉄との乗換駅で、特急をはじめ、全列車が停車します。中書島駅方面です。左端の待避線から本線に入るポイントは15キロの制限がかかっています。こちらは京都方面です。かつては近鉄線に乗り入れるための渡り線があったそうです。あとでその跡を探してみようと思いますが、その前に、駅の様子をもう少し見てみたいと思います。
2012年11月13日
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けやき通いちょう通さくら通枚方市の香里団地を通りかかったら、街路樹がすっかり秋になっていました。思わずカメラを向けてしまいました。
2012年11月11日
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明石海峡を臨む山上の回転展望閣は、昭和33年(1958年)に開業したもので、3階建ての建物の3階部分は床が360度回転します。1回転の所要時間は45分だそうです。展望閣から先にはリフトがあり、子ども向けの小さな遊園地があります。
2012年11月10日
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カーレーターロープウェイを降りて、頂上の展望閣の前まで運んでくれるのが「カーレーター」と言われる乗り物です。二人乗りのゴンドラをベルトコンベアで運ぶ装置です。25度の勾配があり、所要時間は約3分。全長は91メートルです。昭和41年(1966年)に設置されました。それまではロープウェイから展望閣まで坂道を歩いていました。まあ、歩いてもいいのですけどね、今日は久々だったので乗ってみました。(ちなみに、ロープウェイ、カーレーター、展望閣までの往復で1000円の割引切符があります)はっきり言いましょう。乗り心地は悪い! ベルトコンベアの下にあるローラーを通るたびにゴトン、ゴトンと震動がまともに伝わってきます。須磨浦山上遊園のHPにも、<「乗り心地の悪さ」が評判です>などと自虐的に書かれています。エスカレーターでも良かったのに、と思ってしまうのですが。当時としては画期的だったのでしょうか。Wikipediaによると、カーレーターが設置されたのは、この須磨浦山上遊園と、滋賀県のサンケイバレイ(現・びわ湖バレイ)の2ヶ所だけだそうです。後者のはすでに廃止されたということですから、須磨浦山上遊園のカーレーターは、世界唯一のカーレーターだということになるようです。
2012年11月09日
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須磨浦ロープウェイは、毎秒2.5メートルの速度、所要時間3分15秒で鉢伏山上駅まで運んでくれます。東側には神戸の街並みが見えます。手前の砂浜は、須磨海水浴場です。夏になると大勢の海水浴客でにぎわいます。あいにく、この日は少しもやがかかっていて、遠くは霞んでいました。よく晴れた日には、大阪湾が一望でき、関西国際空港や紀伊半島まで見えます。残念ながら、神戸空港もよく見えないようです。右手前に見えているのは須磨海づり公園。昭和51年(1976年)に営業を始めたそうで、沖合400メートルまである施設そのものが漁礁になっています。廃止された神戸市電も漁礁として利用したそうですよ。
2012年11月08日
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須磨浦ロープウェイ山陽電気鉄道本線 須磨浦公園駅に隣接何を思ったのか、すごく久しぶりに須磨浦山上遊園に行ってきました。標高は200メートルちょっと。最上部の展望台で250メートル程度ですから、健脚でなくても歩いて登ることができますが、この日はロープウェイに乗ってみました。この一帯は、山陽電気鉄道のグループ会社「須磨浦遊園(株)」が山陽電気鉄道より委託されて管理しています。ロープウェイが営業を始めたのは昭和32年(1957年)。現在のゴンドラは3代目で、平成19年(2007年)に新造されました。白いゴンドラが「うみひこ」、赤いほうが「やまひこ」と呼ばれています。「鉢伏山上駅」側から降りてくるのが「やまひこ」です。定員30人の2台のゴンドラが行き来して運行しています。両方の駅の間は464メートル、水平距離424メートル、標高差は180メートルほどです。所要時間3分15秒です。まだ山は色付き始めたところでした。
2012年11月07日
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御香宮神社といえば、忘れてはならないのが戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見の戦いです。大政奉還の後、大坂城に退いた徳川慶喜ですが、慶応4年正月3日(1868年1月27日)、鳥羽と伏見の2方向に分かれて京都に進軍します。伏見の守備についた薩摩藩800人は御香宮を中心に守りを固め、伏見奉行所などに入った会津藩中心の幕府軍1500人と向かい合います。この石碑は昭和43年(1968年)建立といいますから、明治維新100年に当たりますね。内閣総理大臣佐藤栄作の書だそうです。
2012年11月05日
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御香宮神社の境内の一画に、神社がありました。桃山天満宮といいます。学問の神様、菅原道真公がまつられています。室町時代の1390年ごろ、寺で修行していた僧が夢をみました。中国風の姿をした男性が現れ「勉学を見守ってあげよう」と言ったそうです。そして数年後、同門の僧から贈られた菅原道真公の肖像画を見て、夢の中の男性にそっくりだったのでたいへん驚いたそうです。寺の庵主はそれを聞いて寺の守護神として大切にまつったのが、桃山天満宮のはじまりだということです。場所は伏見城があった木幡山の中腹だったようです。中国風の姿をした菅原道真。大宰府に左遷されたあと、中国に渡ったという説もあるそうです。豊臣秀吉が伏見城を建てると、その周辺には多くの大名屋敷も建ちました。前田利家は、この桃山天満宮のそばに屋敷を構えたということです。ところで、戦国時代の武将で加賀百万石の祖である前田利家は、自身は菅原道真の末裔だと名乗っていたそうですね。加賀前田氏の家紋は梅鉢です。伏見城が廃城になり、天満宮も荒廃します。しかし、地元の住職などの尽力で、天保年間(1830~1844年)に、現在の近鉄桃山御陵前駅近くに移設されます。さらに、昭和44年(1969年)に現在の場所に移されました。傍らには、牛の像。台座に描かれているのは梅でしょうか。絵馬が掛っています。そういえば、受験のシーズンが近づいてきましたね。
2012年11月03日
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御香宮神社の境内で、ちょっと面白いものを見つけました。傍らの説明文によると、「京都旧東塩小路(ひがししおこうじ)村の竹田口から竹田村を経て伏見を結ぶ竹田街道(竹田車道)の棒鼻(ぼうばな)付近に敷き詰められた石の一部」だそうです。車石(くるまいし)と呼ばれるそうです。竹田街道は、JR京都駅付近から、府道115号に沿って(途中、国道24号)南へ向かう道です。この上を、荷物を積んだ牛車が往来していたのでしょう。ただ、「単線のため、午前中は上り、午後は下りと一方通行になっていた」そうです。ちなみに、この溝がはじめから付けられていたのか、牛車の通行によってできたのか、はっきりしていないようです。
2012年11月01日
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