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今日の写真:「向かい風/蓼科高原」161031-DSC_0422-10dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 『過去とは所有者の贅沢である。 どこに私の過去をしまっておこうか。過去はポケットの中に入れられない。過去を整頓しておくためには一軒の家を持つことが必要である。私は自分の体しか持たない。まったく孤独で自分の体だけよりほかにはなにも持たない男に、思い出をとどめておくことはできない。思い出はこの男を斜めに通り抜ける。私は不平をいうべきではなかっただろう。なぜなら自由であることだけを私は欲したのだから。』(「嘔吐」ジャンポール・サルトル) これはそのまま私の想いである。私がこのことに気づいたのはすでに40歳を過ぎた頃だった。過去というもの、個人的には「思い出」、は心の中やポケットの中にしまっておけるようなものではないということに私は突然気づいたのだった。 思い出にまつわるモノやコトを整頓してきちんとしまっておく場所が必要なのだ。個人的アルバム、卒業写真集、子供の頃に作った工作や絵、運動会の賞品、ボール、ギターなどなど。それらを保存しておく場所が必要なのだ。それが確保できないならば、いずれそれらは処分されるほかない。 大きな庄屋(しょうや)にあるような大きな蔵(くら)は思い出の宝庫であろう。それは「歴史」をしまっておくための場所であって、断じて単なるもの入れあるいは納屋などではない。富裕なものは思い出に関しても「富裕」なのだ。 しかしそれは自由であることとは相反する立場に立つということでもある。私にはそれができなかった。私は自由であることを何よりも欲した。だから私の所有する思い出は(過去は)、私の心の中、記憶の中にあるもののみである。 『彼は社会的に重要な人間ではない。正真正銘の一個人である。』(「教会」ルイ=フェルディナン・ゼーヌ) これこそが私の生きるスタンスである。 うちあけ話になるが、しかしさらに年齢を重ねたいま、過去の記憶がしだいに曖昧になってくると、物証としてのあるいは寄る辺としてのあるいは思い出す切っ掛けとしてのそうした「モノ」が無いということをいささか残念に思うようになったのもまた事実ではある。 December 31, 2016・記 from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.31
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今日の写真:「Blue Winter/蓼科高原」 161224-DSC_1495-10dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- ちょこっと思い出話を書いてみたけれどなんだか恥ずかしくなってきたので中断。 いずれ再開しますが。。。 それはさておき、毎日ブログを書くと言うことを決めて書き始めたのが1994年7月のことで、本当に毎日何があっても書き続けました。でもね、14年間続けたあとでふと思ったのです。なんだかむなしいなあと。 そこにある種の自己満足があったことに気づいたことと、こんなに苦労して努力して書いてもそれはなにも生み出さなかったのでは無いかといった否定的な実感。 思い返せばそれらの文章は自分自身に向けて書かれたもののような気もしますし、特定の誰かに向けて書いたつもりでもやはりその中に自分が対象として含まれていたような。 結局のところそれらの言葉は自分を中心に自分の内なる世界を一歩も出ていなかった。まあ、出るつもりもなかったのだけれどね。 「それでいいのだ!」とバカボンのパパなら言ってくれると思うのだけれど。それが唯一の救いと言えば救いかな。 わたしはバカボンのパパと少年アシベの父ちゃんが大好きで、こころから敬愛している。 これ、カミングアウトです。 夜の間に雪が降って20センチほど積雪しました。とても気持ちの良いパウダースノーです。それなりに雪景色に鳴ってゲレンデも雪が積もって、キーンと冷え切って最低気温は氷点下16℃、最高気温も氷点下9℃で快晴の陽射しは遠赤外線ヒーターのように温かい。 明日も明後日(12/31も1/1)もせいて員天気予報が出ています。登山にもスノーシューにもスキーやスノーボードにも最低な環境になりました。 以上、蓼科高原観光情報として記しておきます。・・・ 2016年12月30日(金) from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.30
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今日の写真:「frozen flowers/蓼科高原」161226-DSC_1555-6dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 承前(前回の記事より続く) そしてすべての校舎や体育館の背後には 鬱蒼とした森が迫っていた。 左に目を移すと 道路から5mほど下った位置に 何台ものパークベンチが設置された 奥行き5mほどのスペースが まるで港の埠頭公園みたいにしつらえてある。 さらに5mほど下った位置には フルサイズのサッカーコート兼ラグビーコートが1面、 ハンドボールコートが数面、 屋外バスケットボールコート数面、 バックネット付の野球のグラウンド、 その向こうに陸上部の200mトラックを配した 広大な校庭がある。 その校庭に降りるには石造りの幅10mの正面階段を下りるか、 その左右に取り付けられた 幅2mほどの同様の作りの階段を下ることになる。 その向こうには丘陵に展開する閑静な住宅地が パノラマのように展開している。 僕はこの眺めがとても好きだった。 from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.27
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今日の写真:「sunset/蓼科高原」161225-DSC_1534-8dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 横浜と郊外の新興住宅地を結ぶひなびた私鉄があった。 一部単線区間のあるその沿線に僕らの高校はあった。 最寄り駅から学校へと続く細く長い道を思い出す。 坂を二つ越えて丘陵地帯の住宅地を抜けると 丘の上の森の中に広大な敷地を占有した学校がある。 鬱蒼としたメタセコイアの森の中を校門からS字状に延びる 長い急な坂を上りきると唐突に視界が開ける。 右手にかまぼこ型の体育館があり、 それと平行して古びた二階建ての木造校舎が 3本のカステラみたいに立ちならんでいる。 道に沿ってコンクリート打ち放しの上にすのこを敷いた 屋根付きの渡り廊下が校舎間を結び、 正面左には教職員室や校長室、 そして美術室などのある2階建ての建物があった。 そしてすべての校舎や体育館の背後には 鬱蒼とした森が迫っていた。 from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.26
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今日の写真:「sunset/蓼科高原」161224-DSC_1513-5dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 寒い日が続きます。日中も気温があまり上がらず、日が暮れるとまるで赤外線ヒーターを切ったみたいにさらにぐぐっと冷え込みます。 おおむね最低気温マイナス10℃、最高気温マイナス1といったところなのですが、平年以上に寒く感じるのが不思議です。ものすごく寒く感じるのですよね。 平年ならこの時期は最低気温マイナス16℃、最高気温マイナス4℃が普通なのです…それなのにそれ以上に寒く感じるのです。 考えてみると、風という要素が大きいのかも知れません。ご承知のように同じ気温でも風速によって体感気温は10数度も違ってきます。 ちなみに今日の気温は、最低気温マイナス10℃、最高気温0℃でした。天気は曇り時々晴れ。 from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.25
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今日の写真:「Blue Winter/蓼科高原」161224-DSC_1503-9dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- ※12月23日のブログは休載しました。 さて、 毎日夜の間に小雪が舞う。朝のうちは雪雲が居座るのだが、標高1700mの我が家周辺では本降りにはならない日が多い。 気温は平均して氷点下10℃前後まで冷え込むのだが最高気温は氷点下6℃程度。平年並みと言えばそうなのだが、やはり温暖化を感じる。 以前ならこの時節は最低気温が氷点下16℃以下がふつうだったように記憶している。 いずれにしても冬は本当に空が青い。青すぎじっと見つめているとて眼がチカチカしてくるほどだ。 来週は連続して雪マークが並んでいるので、年末年始のゲレンデには十分な積雪が期待できそう。 小田和正さんの主催する「クリスマスの約束」を観た。メインゲスト的に宇多田ヒカルさんが出演した。すっかり大人の女性(そして母)になった彼女の歌を聴いているうちになぜか涙が出てきた。 それはデビュー曲「オートマティック」がまったく異なった曲に聞こえるほどに人生経験を積んだ宇多田ヒカルさんの姿に深い感銘を受けたからだと思う。 とにかく続けること生き抜くこと…その果実を目の当たりにした思いがする。 from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.24
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今日の写真:「Blue Winter/蓼科高原」161222-DSC_1475-Edit-5dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 22年間にわたるWEB日記(後にそれはブログと呼ばれるようになったが)を消去してなにもなかったことにしてしまうことは簡単だ。そうするべきなのかもしれない。 時代は変わったのだ。そして、僕も変わった、変わらざるを得なかった。 米国が蔓延させた「市場原理主義」を核とする「グローバリズム」という名のウイルスは世界を一変させてしまった。 米国は民衆を不幸にした自らの失政を世界に蔓延させることによってチャラにしようとしているかのようだ。 「そうだよ、これがふつうなのだ」と。金持ちはチャンスをものにし、ひとの何倍も努力したから金持ちなのだ。君たちにだってチャンスはあったのだよ、怠惰な貧乏人諸君。・・・そういう論理でしょ? それは違う。 金持ちは権力を手にし、権力利用してますます蓄財に励んだのだし、その既存権益を守り通してきた。成り上がったものはほんの一握りに過ぎない。 これはお寒いレトリックでしかない。 「地主と貧民」という有名なトランプゲームをやってみるがいい、すべてがそこに集約されている。 「グローバリズム」とは少数の特権階級が支配するゆがんだ社会を正当化するためのプロパガンダに過ぎない。 新たな「貴族と奴隷」という図式の社会を構築するためのロードマップに過ぎない。 既成の事実として語られることはあっても「グローバリズムのもたらした幸福」について誰か語ったことがあったろうか。 ゆがめられたプロパガンダとしてではなく、真実としてもたらされた幸福について。 僕は寡聞にして知らない。 from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.22
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今日の写真:「a shape of winter/蓼科高原」161220-DSC_1462-3dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- このブログでもペンション・サンセットのホームページでも、決して使うまいと決めた言葉があります。それは「お得」と「安い」という2つの言葉とその派生語です。 ものごとを「損か得か」という基準で判断するのはもうやめようよ、と思ったのです。 もちろん買い物などの局地的な部分ではべつに良いと思うのですが、それが人生のあらゆる場面で適用される風潮になってくると、「それは違う!」と思うのですよね。 かつて「価格破壊」というセンセーショナルな用語が流行りだしたところから、いまの日本の不幸な格差社会化は始まったと思っています。簡単な原理で、「価格破壊」は最終的に「賃金破壊」に帰結するからです。 そんなことは最初から明々白々の事実でした。 それでも僕らは踊らされてしまった。 自分たちだけは「価格破壊」の美味しい部分だけを享受して、自分の賃金破壊には結びつかないと思ってしまった。 商品やサービスの原価にもっとも大きな比率を占めるのは「人件費」つまり「賃金」であると言うことを忘れてしまっていたのですね。 しかし、経済活動は「論理的」ですから、きちんと落とし前をつけなければならない時代がやってきたと言うことなのでしょうね。 ここでわれわれが意識変革をして、流れを変えなければ、本当の「悲惨な格差社会」がやってきます。 99.9%の貧民と、0.1%の富豪とで構成される「彼らの理想社会」がやってきます。 とどのつまり米国の標榜する「グローバリズム」とはそのような「不幸な社会」を力づくで輸出することによって自国の利益を最大化するシステムなのだと思います。 市場経済、新自由主義、マネー経済、どれをとっても「彼ら」の目指すところは結局マネーそのものでしかありません。 すくなくともそれは「叡智ある人類」が進むべき道、つくるべき世界とはほど遠いものです。 実態としての「グローバリゼーション」と米国が標榜する「グローバリズム」というイデオロギーとはまったく似て非なるものなのです。 そんなことを書いたのはいまから10年程前のことだ。 当時はまったくといっていいほど支持を得られずに唖然としたことを憶えているけれど、さて今ならどうだろう? from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.21
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今日の写真:「閉じていく空/蓼科高原」161220-DSC_1429dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 一番好きな映画はなにかと問われたら、以前なら「フィールド・オブ・ドリームズ」と答えたかも知れない。しかし、いま思い浮かぶのはフランシス・コッポラの「地獄の黙示録・完全版」なのだ。 一方、もっとも影響を受けた映画はなにかと問われれば、やはりスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」とアンドレイ・タルコフスキーの「惑星ソラリス」を挙げることになるだろう。 そして座右の書はなにかと問われたなら、即座にジャンポール・サルトルの「存在と無」と答えるしかない。しかしその書物をぼくはいまだに読破していない。 デカルトが登場すれば「方法序説」を読み、ヘーゲルが登場すれば「精神現象学」を読み、ハイデッガーが出てくれば「存在と時間」を読み、「現象学」が出てくればエドムント・フッサールの著書を読む、といった具合に読み進めざるを得なかったからだ。 そもそもぼくをそのような省察的な思考へと導いたのは、S.I.HAYAKAWAによる「思考と行動における言語」という「一般意味論(GENERAL SEMANTICS)」への啓蒙的著書だった。 たまたまそのとき英語の講義で「統辞論(Syntax)」を習っていて、それを鳥羽口にソシュールの構造主義言語学やチョムスキーの理論に首をつっこむことになった。 しかし「意味論」こそぼくにもっとも衝撃を与えたものだった。「この意味はなにか」ということではなく、そもそも「意味とはなにか」と問いかけるのだから。 この著作によってぼくはものを体系的に考える礎(いしずえ)を得たといっても過言ではない。 その後、ミシェル・フーコーの「言葉と物」やドゥルーズ/ガタリの「千のプラトー」を読了する頃にはこれまでの読書と思考の果実とでもいうべきものを多少なりとも週k弱できるようになっていた。 それは自分が望んだ未来を構成するためのひとつの成果だったといえないこともない。 from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.20
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今日の写真:「NOSTALGIA/蓼科高原」161217-DSC_1395-6dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- NOSTALGIA(ノスタルジア)というアンドレイ・タルコフスキーの名作がありますが、とても好きな映画です。見るたびに精神の核心部分をわしづかみにされるような気持ちになります。それはタルコフスキーのどの作品にも言えることなのですが、この作品はわたしにとって別格なのです。 ノスタルジア…「郷愁」。異国の地にいるわけではないのですが、わたしはつねにひしひしと郷愁を感じながら生きてきたように思います。それは自分の成り立ちがこの現実に対して異教徒としてあるいは異国人として扱われ続けたからかも知れません。社会性の欠如というひともいたし、適応力が無いという者もいた。 そこには例外なくパワーハラスメントがあったし、実質的な不利益がともなったように思います。しかしわたしはあきれかえるほどふつうの日本人の家庭に生まれふつうに成長しふつうに社会に出てふつうに働き現在に至っています。どこが違ったのかといわれれば、それは自分にとって納得のいかないことに対して(怖いけれど、不安だけれど)歯を食いしばって「No!」と意思表示するからかも知れません。 言うまでも無いことですが、「No!」と意思表示することと「反社会性」あるいは「非社交的」ということとは全く異なります。わたしはわたしでありたいだけなのです。ただ声の大きい人たちや、虎の威を借りて大きな顔をしている連中に小突き回されたくないだけなのです。 意味も無くマウンティングしてくる輩にうっちゃりをかけてきただけなのです。わたしは誰に対してもマウンティングしないし、誰にもマウンティングさせない。それが現在のわたしの個人的ルールです。例外はありません。 from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.19
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今日の写真:「Autumn Leaves/蓼科高原」161120-DSC_0921-2dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 今日載せた写真は昨日の写真に引き続き今日もまたFacebookの写真・アートのインターナショナルグループであるところの Minimalism さんにシェアされたものです。 Minimalismさんはもともと”Minimal Art Photography”という名のグループだったのですが、なんらかの理由で現在の"Minimalism"と言う名前に変えたたようです。おそらくコンセプトをより広くしたかったのでは無いかと推察しています。 このグループのタイムラインにシェア掲載された作品を見ると、モチーフをアートに限定しない写真が増えてきたことからもそのことが推し量られます。 わたし自身写真においてなにがアートであり、なにがそうではないのかよくわかりません。しかし、芸術性の高い写真とそうではない写真との違いはわかります。もちろん芸術性を目指さない写真も存在するわけですが、それもまた写真という表現手段の懐の深さだと考えています。 個人的には写真が好きなら撮れば良いじゃんといったところです。難しいことは機会があるときに考えても良いかも…といった程度でして… いまだにカメラ好きなのか写真好きなのかよくわからないんですよね、自分でも。^^; from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.18
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今日の写真:「夕暮れの情景/蓼科高原」161217-DSC_1400-4dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 今日載せた写真はFacebookの写真・アートのインターナショナルグループであるところの Minimalism さんにシェアされたものです。 今夕撮影して深夜アップして即タイムラインにシェアされました。おそらく選者の方々に何かを感じてもらえたのだと思います。 これでこの2年間で20回ほどシェアされたことになります。 「だからなんなのよ」と言うことはないのですが、やはりなんらかの形で思いが伝わったことはうれしいです。 きょうも氷点下のラウンジでエクササイズをこなしたのですが、本当に寒かった。 それでも総グラスエリアになっている吹き抜けのラウンジでヨガマットの上に仰向けで横たわったとき目に写る光景は何物にも代えがたいのですよ。 明るい月に照らされて空はうっすらと蒼く光り白い雲の流れるのが見えるのです。静寂の中で瞑想的なエクササイズに浸りきることができるのです。 まさに至福のひとときです。 表現しようがないほど寒いのだけれど。 from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.17
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今日の写真:「明るい月夜に天窓/蓼科高原」161213-DSC_1313-6dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 月の明るい夜はまさに「月が照る」のだ。 煌々と照る月の下、 自宅の吹き抜けラウンジは月の青白い光に満たされる。 外気温は氷点下17℃。 暖房を入れていない室温は氷点下3℃。 そのラウンジにヨガマットを敷いてトレーニングに励んでいる。 ヨガのアーサナとストレッチングとジムのトレーニングとエアロビクスエクササイズ。 こちらに移住するまでは毎日ジムトレーニングやMTBで運動していたので十分な知識はある。 当時のメニューをもとに、現在の自分の年齢と体力・筋力に合った1時間半のメニューを作ってたんたんとこなしている。 個人的にはコンピュータによる心拍数コントロールプログラムによるエアロバイクの運動は大変効果的だった。 そして(なつかしい)「ボディブレード」によるインナーマッスルのトレーニングも。 2週間で血圧が下がり(もともと異常は無かったのだけれど)、体重が2キロ減った。 ウエストが3センチ減じて、体幹がしっかりしてきた。 頭がクリアーになり、こころが晴れやかになった。 なによりもカメラを手にしたとき、様々なモノやコトがよりはっきりと鮮明に見えるようになった。 2キロを越える重いカメラも苦にならなくなった。 自分がなにを撮りたいのかが少しずつ見えてきたような気がする。 やはり写真撮影というのは頭だけではなく心と身体との協調作業なのだと確信した。 その両者が健全であってこそ初めて見えてくるものがあり撮ることの出来るものがあるのだと。 事物の現れは精神だけではなく身体的な体験でもあるのだと思う、たぶん。 from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.16
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今日の写真:「CRYSTAL SILENCE/諏訪湖」20160418-DSC01324dSONY α7R, Leica Elmarit R35mm F2.8 --- 最近手に入れた BOSE Acoustic Wave System 2 というCD プレイヤー付ラジオ でバッハを聴いていると、まだ午後3時なのにピラタスの森があまりにも静かで、耳の奥からキーンという音が聞こえてきます。 そしていま、午前3時。 森はしんと静まりかえっています。この世の音という音が雪に吸い取られてしまったかのような静寂です。あるいはもう世界は終わってしまったのかも知れないと思ってしまうほど。 いのちの気配がないということではなくて、雪の気配に息を潜めているといった感じなのです。雪が降りそうだとなぜ息を潜めるのかはわからないけれど、でも、そうなのですよね。 だからレイチェル・カーソンの「沈黙の春」に描かれたぞっとするような静寂ではないのです。あるいは、僕の気分が沈み込んでいるわけでもなく、知らないうちに世界が終わってしまったわけでもなさそうです。 この静寂こそ、この柔らかに音を伝える大気こそが、標高1700mの亜高山帯の森に居を構えた僕の本当の理由かも知れません。 from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.15
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今日の写真:「CRYSTAL SILENCE/諏訪湖」20160418-DSC01307dSONY α7R, Leica Elmarit R35mm F2.8 --- 写真の蓼科山を始め、北横岳も・・・八ヶ岳はすっかり冠雪しました。森の樹木がすっかり葉を落として春・夏・秋とは全く異なった風景になりました。じつに異質の世界です。 この季節になると、どうも物思いに耽りがちになります。いったい時間が進んでいるのか逆戻りしているのか分からなくなる。山岳部は静寂が支配して空の変化と気温の変化以外これといった動きが無くなるせいかも知れない。 あるいは、もう世界は終わっているのに、ここだかにはまだそのことが伝えられていないのかも知れない。 村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」という長編小説の「世界の終わり」に出てくる城壁で囲まれた街の住人になったような気持ちになることが多くなる。 あの世界は個人的にはとても好きな世界。自分にとっての「世界の終わり」があのような静謐(せいひつ)に満ちた街であればいいな。 まあ、ひとそれぞれ、いろんな思いがあると思うのですが、個人的にはあの街が僕の死後の世界には相応しいような気がします。 from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.14
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今日の写真:「啓示的な夕空/諏訪湖」161130-DSC_1139-9dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 村上春樹について書く。 村上春樹の作品、とりわけその長編はストーリーをさらっと読んだだけではものすごくもったいない。 ストーリーももちろん楽しめる,いささか難解と感じるかも知れないけれど。 しかし村上春樹の真意は物語の中に含まれる数々の回想シーンや聴き語りの伝説や歴史や作中人物の言葉の中に含まれている。 なぜそのように回りくどいことをするのか? それらが語り得ないものだからだ。 ウィトゲンシュタインがたどり着いた結論のように、われわれは語り得ないモノやコトを思考することができない。 それはわれわれの言語の持つ限界なのだ。 それは語り得ない、指し示すことしかできない。 黙示録は、だから、そのようなモノやコトについて指し示している。 ヨハネの黙示録もそうだし、フランシス・コッポラの映画地獄の黙示録における【黙示録(アポカリプス)】の意味も同様だ。 それは語りえない、だから、指し示すほかないのだ。 村上春樹の作品は,特にその長編小説は、黙示録として成立しているということを忘れてはならないと、個人的にはそう思って読み返している。 最新作1Q84が村上春樹自身の書いた「空気さなぎ」であると以前書いたのは.そのような意味においてである。 ふかえりの「空気さなぎ」、天吾の書いた「空気さなぎ(青豆の物語)」、作者自身にとっての「空気さなぎ(!Q84)」。そしてそれらが指し示しているもの=「リトルピープル」。 リトルピープルとはオーウェルの1984のビッグブラザーがそうであったように、もちろんメタファーである。 リトルピープルとは何かを注意深く見極めること、それは語り得ないが指し示すことはできる。 リトルピープルに細心の注意を払うこと、時間の流れが切り替わってしまわないように。 それがこの黙示録としての作品が指し示すものだ。 と わたしは独断と偏見で語ってみる。 from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.13
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今日の写真:「窓外の樹木/蓼科高原」161206-DSC_1217dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか 前回記事で書いたニーチェのこの言葉は村上春樹の最初の長編「風の歌を聴け」に引用されていた。原文は代表作「ツァラツストラかく語りき」にあり原文直訳は「世界は深い、昼が考えたより深い」というものだそうだ。 いずれにしても昼の明るい光の中にしか生きたことのない人間に闇夜の暗さ、その深さはわかりはしない。闇の深さを知ったものだけが昼の光の本当の明るさを知る。そんなふうに思う。 だから僕は挫折を知らない人間を信用しない。育ちの良すぎる人間を信頼しない。もちろんこれは個人的な「偏見」なのかもしれないけれど。 from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.12
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今日の写真:「氷点下10℃の花/蓼科高原」161208-DSC_1220-6dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 2016/12/11 日曜日 今日の蓼科高原は晴れ。 最低気温:氷点下15℃ 最高気温:氷点下6℃ 昨日ピラタス蓼科スノーリゾートがオープンしました。 (^_^)b 晴れの夜にはとぐぐっと冷え込みます。「放射冷却」という現象だそうです。 雪や曇りの夜にはそれほど冷え込みません。 それでも氷点下10℃以下にはなりますが。(=_=) さあ、雪遊びシーズンの始まりです。 みなさんお越し下さいね〜!(*^-^*) from 蓼科高原ピラタスの丘ペンション・サンセット 標高1700m 蓼科高原観光情報: すっかり冬景色に様変わりした蓼科高原ですが、服装/装備さえ整えれば温かく安全に楽しむことができます。 今後は道路に積雪はすることが多いので、不意の降雪・積雪に備えてタイヤチェーンの傾向をお奨めします。 写真撮影が目的ならば、蓼科高原は季節を選びません。 この季節もじつに様々に美しい風景と出会うことができます。 皆様のお越しをお待ちしています。(*^-^*) from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.11
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今日の写真:「frozen flowers/蓼科高原」161127-DSC_0995-9dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 2016/12/10 土曜日 今日の蓼科高原は小雪のち晴れ。 最低気温:氷点下13℃ 最高気温:氷点下4℃ ピラタス蓼科スノーリゾートが本日オープンしました。 (^_^)b みなさんお越し下さいね〜!(*^-^*) from 蓼科高原ピラタスの丘ペンション・サンセットのラウンジからの眺め 標高1700m 161210-DSC_1250-8d 蓼科高原観光情報: すっかり冬景色に様変わりした蓼科高原ですが、服装/装備さえ整えれば温かく安全に楽しむことができます。 今後は道路に積雪はすることが多いので、不意の降雪・積雪に備えてタイヤチェーンの傾向をお奨めします。 写真撮影が目的ならば、蓼科高原は季節を選びません。 この季節もじつに様々に美しい風景と出会うことができます。 皆様のお越しをお待ちしています。(*^-^*) from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.10
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今日の写真:「Today/蓼科高原」161209-DSC_1235-5dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 2016/12/09 金曜日 今日の蓼科高原は曇り時々雪。 最低気温:氷点下10℃ 最高気温:氷点下5℃ 昨夜から小雪が舞っていたようですが、この標高ではあまり積もりませんでした。 北八ヶ岳などの山頂から標高2000mあたりまでは積もったと思われます。 スキー場のゲレンデにも恵みの雪です。 気温もとても低いので人工降雪機による雪撒きも順調です… オープン日にはみなさんお越し下さいね〜!(*^-^*) @蓼科高原ピラタスの丘ペンション・サンセット 標高1700m 蓼科高原観光情報: すっかり冬景色に様変わりした蓼科高原ですが、服装/装備さえ整えれば温かく安全に楽しむことができます。 今後は道路に積雪はすることが多いので、不意の降雪・積雪に備えてタイヤチェーンの傾向をお奨めします。 写真撮影が目的ならば、蓼科高原は季節を選びません。 この季節もじつに様々に美しい風景と出会うことができます。 皆様のお越しをお待ちしています。(*^-^*) from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.09
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今日の写真:「徴(しるし)/蓼科高原」161206-DSC_1195-4dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 2016/12/08 木曜日 昨夜というか午前0時過ぎから降り始めたとみられる雪がうっすらと積もりました。朝ラウンジから窓外を見ると一面の銀世界。 その後陽射しが戻ると舗装道路はほぼ乾燥路面になりましたが、草野上や森の中土の上の雪はそのまま残って陽光や月光に白く光っています。 風があったので実際の気温よりずっと寒く感じました。とはいえ朝の最低気温は氷点下12℃だったのですが。ちなみに今日の最高気温はちょうど0℃。 この文だと蓼科高原の各スキー場はほぼ予定通りオープンしそうです。ご予定のある方は直接各スキー場に確認してからお出かけ下さい。 わたしの営むペンション・サンセットも皆様のご利用をお待ちしています。 蓼科高原観光情報: 平年より進行が遅かったのでカラマツの紅葉の見頃が続いています。 すっかり初冬の景色に様変わりした蓼科高原の山岳部ですが、服装さえ整えていればとても温かく楽しむことができます。 現在道路に積雪はありませんが、不意の降雪・積雪に備えてタイヤチェーンの傾向をお奨めします。 写真撮影が目的ならば、蓼科高原は季節を選びません。 この季節もじつに様々に美しい風景と出会うことができます。 皆様のお越しをお待ちしています。(*^-^*) from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.08
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今日の写真:「Beginning/蓼科高原」161206-DSC_1202-4dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 2016/12/07 水曜日 昨年は大変な雪不足に見舞われましたが、今年は平年並みのタイミングで雪が降っています。気温も低くて人工降雪機も順調に稼働しています。各スキー場のゲレンデは予定通りのオープンに向けて大わらわの毎日です。 今日の写真は「ツララの赤ちゃん」です。これを見たとき、ああいよいよ冬が始まるのだなあと感慨深かった。厳しい気候だけれど、心洗われる美しい冬の到来です。蓼科の冬景色はほんとうに美しい。 冬が来るたびにそう思います。わたしが蓼科に移り住んでペンション・サンセットを開業してから今日でちょうど23年になりました。長いようでいてあっという間のような気もします。 ご利用いただいたお客様に心から感謝申し上げます。 ほんとうにありがとうございました。 蓼科高原観光情報: 平年より進行が遅かったのでカラマツの紅葉の見頃が続いています。 すっかり初冬の景色に様変わりした蓼科高原の山岳部ですが、服装さえ整えていればとても温かく楽しむことができます。 現在道路に積雪はありませんが、不意の降雪・積雪に備えてタイヤチェーンの傾向をお奨めします。 写真撮影が目的ならば、蓼科高原は季節を選びません。 この季節もじつに様々に美しい風景と出会うことができます。 皆様のお越しをお待ちしています。(*^-^*) from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.07
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今日の写真:「月夜の凍結花/蓼科高原」161205-DSC_1171-8dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 2016/12/06 火曜日 静かに夜が明ける その直前の闇がもっとも深い しかし 空が白み始めると 一瞬にして光が世界を支配していく 雨音はしないが 雨が降っている 落葉した広葉樹の枝の上で 透明な雨滴が ガラス玉のように 周囲の景色を映し込んでいる その景色には いまもなお濃い緑に茂る 常緑針葉樹たちが 鮮やかに映り込んでいる そんな情景を僕は思い浮かべる この秋の感動的な風景の記憶 しかし12月に入ったいま 降るとすれば雪であるはず 天気概況ではどうだったろうか 僕はあえて外を見ない もし雪が降っているならば 体内感覚として やがてそのことを知るからだ 野鳥も野生動物たちも いっせいに息を潜める瞬間だ もうすぐ 夜明けと呼ばれる 決定的な転換点がやってくる たしかに 明けない夜はない しかし 目覚めなければ 夜明けの光を見ることは できないのだけれど 蓼科高原観光情報: 平年より進行が遅かったのでカラマツの紅葉の見頃が続いています。 すっかり初冬の景色に様変わりした蓼科高原の山岳部ですが、服装さえ整えていればとても温かく楽しむことができます。 現在道路に積雪はありませんが、不意の降雪・積雪に備えてタイヤチェーンの傾向をお奨めします。 写真撮影が目的ならば、蓼科高原は季節を選びません。 この季節もじつに様々に美しい風景と出会うことができます。 皆様のお越しをお待ちしています。(*^-^*) from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.06
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今日の写真:「NOSTALGIA/諏訪湖」161130-DSC_1090-9dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 2016/12/05 月曜日 モーツアルトの後期の交響曲 たとえば、39番、40番、41番なんかを聴いていると 自然と美しい風景が見えてくる 自動的に映像化されていく しかし その風景はどこか日本的ではない 僕は というかほとんどのひとは TVなどでさんざん見ているから それがヨーロッパの風景だ ということがわかるけれど 思えば不思議なことだ 音によって風景を描くことができるなんて モーツアルトにはそんなつもりはなかったのかも知れない でも 僕はその「風景」を見る 蓼科という美しい自然がそうさせるのか 僕という個人の成り立ちによるものなのか わからない しかし 写真で音楽を奏でることができたなら 観る人のこころの中にそれぞれの風景を描くことができたなら それはとてつもなく素晴らしいことだと思う 蓼科高原観光情報: 平年より進行が遅かったのでカラマツの紅葉の見頃が続いています。 すっかり初冬の景色に様変わりした蓼科高原の山岳部ですが、服装さえ整えていればとても温かく楽しむことができます。 現在道路に積雪はありませんが、不意の降雪・積雪に備えてタイヤチェーンの傾向をお奨めします。 写真撮影が目的ならば、蓼科高原は季節を選びません。 この季節もじつに様々に美しい風景と出会うことができます。 皆様のお越しをお待ちしています。(*^-^*) from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.05
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今日の写真:「水面(みなも)/諏訪湖」161130-DSC_1105-4dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 2016/12/04 日曜日 今日もいいお天気でした。 キーンと冷え切った大気を突き通して、 柔らかな陽射しが薄いベールのようにふわりと舞い降りてきます。 寄せては返す波のようにそれは打ち寄せます。 風もないのでピラタスの丘の森は動くものひとつ無くしんと静まりかえっています。 まるで時間が止まってしまったかのようです。 ときおり姿を見せる野鳥がじつは世界はたゆまなく前進していることを教えてくれます。 しかし時間は流れない、時間は単なる精神的活動に於ける座標に過ぎない。 確かに世界は休むことなく変化し続けている。 われわれだって常に変化し続けている。 少なくともそう見える。 それでも、時間は流れない。 世界とわれわれは時空間なるものの内にあって移動し続けているわけではない。 世界もわれわれも変化し続けるが、時空間のどこかへ向かって移動してはいない。 時空間のほうが移動しているのだ。 ウィトゲンシュタインの言う「私が私の世界である」とはそのようなことだ。 あるいはデカルトの「我思うゆえに我あり」とはそのようなことだ。 微動だにしない深い森の中で、いま改めてそのことを確信します。 蓼科高原観光情報: 平年より進行が遅かったのでカラマツの紅葉の見頃が続いています。 すっかり初冬の景色に様変わりした蓼科高原の山岳部ですが、服装さえ整えていればとても温かく楽しむことができます。 現在道路に積雪はありませんが、不意の降雪・積雪に備えてタイヤチェーンの傾向をお奨めします。 写真撮影が目的ならば、蓼科高原は季節を選びません。 この季節もじつに様々に美しい風景と出会うことができます。 皆様のお越しをお待ちしています。(*^-^*) from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.04
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今日の写真:「凪(なぎ)/諏訪湖」161130-DSC_1094-11dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 2016/12/03 土曜日 (承前) 記憶はじつに不確かなものだ。 脳はあらゆる記憶を勝手に書き換えていく。 わたしが大切な想い出もその例外ではない。 ★★★ 僕はこの文章が誰かに理解されることを ほとんど期待していない。 別に拗ねて(すねて)いるわけではない。 これは僕のために想起され書き綴られる物語だからだ。 そう、この世界は僕の為に存在する鏡の中の物語なのだ。 僕のためだけに存在し そこには僕のために泣いてくれる誰かがいる。 僕と世界とを隔てる浸透膜のこちら側にあるもう一つの世界。 こころという不可思議な薄明の世界。 僕は広大な海を思い浮かべる。 現実のこの世界の海ではなく スタニスラフ・レムの小説を アンドレイ・タルコフスキーが映画化した 「惑星ソラリス」に登場する知的生命体としての 巨大な海を。 そこでは僕はその海によって生み出された イノセントな戯れとしてのひとつの「意識」だ。 僕はその小説をここ蓼科を旅しながら読んだ。 夏の終わりに蓼科を訪れるのは すでに数年来の僕の習慣になっていた。 しかしそれは「彼女」と会うことができなくなってから 数年後のことでもあった。 僕はすでに社会人になっており 休日にはとりつかれたようにモーターサイクルで旅するのが 日常になっていた。 彼女と会えないということがこれほど辛いことだとは・・・ いや、これほどむなしいことだとは。 そう思うたびに僕はたまらなく切ない気持ちになった。 僕という存在が足元から瓦解してゆくのを 実感として認識することができた。 「喪失」という言葉の概念を 肉体的感覚として生まれて初めて知った。 僕は失ってしまったのだ。 そしてそれはもう二度と決して戻ってくることはない。 彼女は鏡の向こう側に去ってしまったのだ。 さよならも言わず 一度も振り返ることなく。 蓼科高原観光情報: 平年より進行が遅かったのでカラマツの紅葉の見頃が続いています。 すっかり初冬の景色に様変わりした蓼科高原の山岳部ですが、服装さえ整えていればとても温かく楽しむことができます。 現在道路に積雪はありませんが、不意の降雪・積雪に備えてタイヤチェーンの傾向をお奨めします。 写真撮影が目的ならば、蓼科高原は季節を選びません。 この季節もじつに様々に美しい風景と出会うことができます。 皆様のお越しをお待ちしています。(*^-^*) from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.03
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今日の写真:「影・image/諏訪湖」161130-DSC_1102-3dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 2016/12/02 金曜日 (承前) 記憶はじつに不確かなものだ。 脳はあらゆる記憶を勝手に書き換えていく。 わたしが大切な想い出もその例外ではない。 ★★★ 僕はいまでは知っている。 どんな愛情も そのときその場所でしか真実ではあり得ない ということを。 それはうたかたの夢であることを。 永遠の愛なんて 良くできたメタファーにすぎないのだ と言うことを。 いまの僕は知っている。 それでもなお僕は君の名を呼ぶ。 君は僕の名を呼ぶ。 互いの心の奥深い場所で。 失ったもの失われたもの。 たとえすべてを失ったとしても 僕にはこの想いがある。 この想いを胸に秘めてやがて僕は 此岸(しがん)から彼岸(かがん)へと向かう。 すべては恩讐の彼方へと消えてゆく。 激情が消え静かな諦念が支配する世界。 いま僕はここにいる。 避暑地の夏、高原の森に蝉時雨を聴く。 それは再び様々な想い出を喚起する。 が、それもまた夢の彼方。 僕の長すぎた夢ももうすぐ終わろうとしている。 物語はいつか終わらなければならないのだ。 たとえそれが新たな物語のはじまりだとしても。 蓼科高原観光情報: 平年より進行が遅かったのでカラマツの紅葉の見頃が続いています。 すっかり初冬の景色に様変わりした蓼科高原の山岳部ですが、服装さえ整えていればとても温かく楽しむことができます。 現在道路に積雪はありませんが、不意の降雪・積雪に備えてタイヤチェーンの傾向をお奨めします。 写真撮影が目的ならば、蓼科高原は季節を選びません。 この季節もじつに様々に美しい風景と出会うことができます。 皆様のお越しをお待ちしています。(*^-^*) from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.02
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今日の写真:「夕景/蓼科高原ピラタスの丘」161129-DSC_1047-8dNIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR --- 2016/12/01 木曜日 (承前) 記憶はじつに不確かなものだということにやがてあなたも気づくときが来るだろう。 わたしたちの脳はあらゆる記憶を勝手により確かな整合性の整ったものに書き換えていく。 わたしが大切にしていた不確かな記憶もまたその例外ではない。 ★★★ 夢の中で、「彼女」はいまでも僕のことを「あなた」と呼ぶ。 そのたおやかな声に幾度僕は鼓舞されたことだろう。 生き抜く力を与えられたことだろう。 夢と覚醒の狭間の薄明の中で僕は思わず君の名を呼ぶ。 君の名を叫ぶ。 失われてしまった世界の彼方に向かって いまここで僕は獣のような雄叫びを上げる。 想いはうたかたのように消えてしまう。 いまの僕にはそれを留め置く力はすでに無い。 その映像は、その音声は旧いビデオテープのように奇妙にゆがんでしまう。 ときおり鮮明に見えたかと思うと ホワイトノイズのかなたに霧消してしまう。 「あなた」と彼女は呼びかける。 「うん」と僕。 「あなた」と再び彼女は呼びかける。 そして君は僕の名を呼ぶ。 「好きよ」、と。 それこそが僕がこの世に生を受けた価値のすべてだ。 僕の全人生の意味だ。 蓼科高原観光情報: 平年より進行が遅かったのでカラマツの紅葉の見頃が続いています。 すっかり初冬の景色に様変わりした蓼科高原の山岳部ですが、服装さえ整えていればとても温かく楽しむことができます。 現在道路に積雪はありませんが、不意の降雪・積雪に備えてタイヤチェーンの傾向をお奨めします。 写真撮影が目的ならば、蓼科高原は季節を選びません。 この季節もじつに様々に美しい風景と出会うことができます。 皆様のお越しをお待ちしています。(*^-^*) from 蓼科高原ペンション・サンセット
2016.12.01
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