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ファンファン大佐の訃報のショックが冷めないうちに、今度は映画監督の今村昌平氏が亡くなった。また同じくして、相撲の先代の井筒親方(元鶴ヶ嶺)もこの世を去ってしまった。こんなに大きい訃報が続くのも珍しい。それも各人が「時代」を作った方々であるゆえに、その喪失感も私のなかで、非常に大きい。今村監督の映画は、私は確か「豚と軍艦」を見ているはずだ。勿論テレビで、だけれど…。あんまり深く語れるほど、この監督の映画は観ていない。でも、いわゆる「映画人」っていう言葉がしっくりくる世代の人が、またいなくなってしまったという感じが強くする。「映画人」と言える生き残りは、もう市川崑監督と、新藤兼人監督くらいなもんではないだろうか?2人とも90歳過ぎてるけど…まあ、とにかく長生きしていただきたい。話は変わるが、今日はまた、親殺しが2件も立て続けに起きるし、ロクな事件がないから、ホント、ニュースを見たくない。見りゃ、機嫌悪くなるだけだからね…。別に、偉ぶって言う訳でもないし、粋がってる訳でもないのだが、最近周りを見渡すと(電車とかでね)、ホント、バカばっかりだと、心底思う。マナーはなってないし、態度も酷いし。…また、いつもの内容に戻ってしまった(苦笑)。また次回は、映画ネタか、落語ネタでも書いて、気分を落ち着かせるほうがいいな、こりゃ。
2006年05月31日
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映画ネタを書こうとして、PC立ち上げたら…。「俳優の岡田眞澄さん死去」の文字が…。また心臓が止まりそうなくらい、驚いてしまった。確かに、ここしばらく、テレビであんまり姿を見ていなかったから、「そんなにガンが進んでいたのか」と思った。まだ、これからだという年齢なのに…。確か、再婚した奥さんとの間に、まだ小学生(?)の娘さんがいるんじゃなかったっけか?さぞかし、ご本人も、無念だっただろうと思う。今年は、妙に(自分にとっても)ショックが大きい訃報が、やたら続いているような気がしてならない。ファンファン大佐もそうだが、伊福部昭、久世光彦、宮川泰、松山恵子、田村高廣、ローカル岡、そして三遊亭圓彌師匠も…。こう見てみると、お恵ちゃんのときも全く同じことを書いたが、「テレビに出てるのが当然」という感じの、「いるのが当たり前」的なポジションの人が、急に亡くなってしまう、というケースが多い気がする。だからこっちは、覚悟も出来ていない訳だから、ショックも非常に大きくなってしまう…。岡田眞澄といえば、私が真っ先に思い出すのは、上にも少し書いてるが、やっぱり「とんねるずのみなさんのおかげです」内の「仮面ノリダー」における「ファンファン大佐」だ。「ダンディーな大人」がバカをやるってのも、非常に新鮮だったし、何より当人が楽しそうにコントをしておられた。それが今でも強く印象に残っている。見た目がスターリンにソックリ(笑)だったのも、印象深かった。だからかもしれないが、どんなにふざけていても「ダンディー」だったのは凄かった。あれを観ていたのが、私が小学校高学年のときだったからなあ…。何せ「チビノリダー」が「電車男」になっちゃうほどだから、私も齢を重ねたという事か(涙)。最近だと、日本テレビの「サルヂエ」で、藤井隆とサルの着ぐるみを着て、なぞなぞを出題していた姿が、いちばん印象に残っている。「サルヂエ」が、ゴールデンに移る、というときにガンになってしまわれて、番組を降板したのは知っていたが…そのうち必ず戻ってくると思っていたのに。もっとも「サルヂエ」、ゴールデンに移ってから、全然面白くなくなったけども…。夜中のときはすごい面白かったのに。話が逸れたが、若い時の姿だと、日活の傑作映画の「幕末太陽傳」の、ギャグのようなチョンマゲ姿かな、印象にあるのは。何か、ホントに、ファンでなくても、知ってる人と言うか、小さい時から当たり前のように見ていた人がいなくなる、というのは本当に淋しく、悲しい事だ。ファンファン大佐の冥福を、心から祈りたい。
2006年05月29日
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映画の事を書こう、と決めてから、妙にここに書く内容が、たくさん思い浮かぶようになってきた。やっぱり今まで、時事ネタ追いすぎて、知らないうちに無理してたのかもしれない(笑)。そういう訳で、今日も好き勝手書かせて貰います。「ザ・ヒットパレード」つながりという訳でもないが、今日は、植木等の「日本一シリーズ」にスポットを当てようと思う。昭和38年の「日本一の色男」に始まり、昭和47年の正月映画(クレージーものの最終作)である「日本一のショック男」まで、合計10本作られた。個人的な感想だと、私は、いわゆるクレージーのメンバー7人全員が揃って活躍する「作戦もの」よりは、こっちの方が好きだ。やっぱし坪島孝監督の演出より、鬼才・古澤憲吾監督の演出にシビれているというのが理由になるだろう。ただ、このシリーズも、こないだ書いた「駅前」同様に各作品の出来不出来が激しい。と言うか、後期の作品である「裏切り男」と「ヤクザ男」、「ショック男」の3本を、未だに観た事が無いってのが大問題だと思う(笑)。それ以外の7作は、ちゃんと観てるが、その中でもダントツで大好きなのが、今回取り上げる第4作目の「日本一のゴリガン男」である。「日本一シリーズ」は、それまで単に「無責任男」だった主人公を「有言実行のスーパーマン」にスライドさせた作品という風に認識されている。この作品の何が素晴らしいか。それは何と言っても、普段は脇役の人見明が、植木等と互角と言っていいほど大活躍しているところ。それと、主人公の日本等(ひのもとひとし)に、何だか薄気味悪さが漂っているところ。この2点に尽きる。この「ゴリガン男」も、確かに有言実行男ではあるのだが、それまでの「色男」「ホラ吹き男」「ゴマすり男」以上に正体がよく解らない。そこがそれまでの3作以上に、作品全体の面白さを何倍も増幅させていると思う。古澤監督の突撃演出も爆発していて、初めから終わりまで全く飽きることがない。他の作品以上に「切れ目が無い」感じがする。船橋ヘルスセンターやら、オバQやら、時代を感じさせるアイテムもいくつか出てくるが、作品全体の笑いは、今でも全く古臭くなっていない。特に人見明の素晴らしさ。古澤監督の大のお気に入りの俳優さんだけに、細かい芝居も、毎度御馴染の「バカ」もいつも以上に光っている。「シビレ節」「おてもやん」「軍艦マーチ」の3本立レビューシーンも、クレージー映画の中でもピカイチの演出だと思う。おもちゃ屋の若旦那役の故・ルーキー新一も、関西風の妙な味わいがあって良い。DVDも発売されたばかりだし、観て絶対損は無い作品だと思うので、興味のない人も、是非観て頂きたい。
2006年05月28日
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フジテレビで昨日・今日と放送された、渡辺晋の一代記「ザ・ヒットパレード」を観た。全体的に観れば、非常に面白く、戦後の世相もたくさん織り込まれて、若い人でも観やすい作りになっていたと思う。私が気になったのは、やっぱし神様・植木等を演じる陣内孝則。もちろん私だけでなく、全国の熱烈なクレージーファンだって、気になったに違いない。で、その感想だが、私は、思っていたよりは、かなり良い芝居をしていたと思う。「スーダラ節」の振りが、力が入りすぎて、まるで違っていたのが難点だったが、そういう揚げ足を取ってたら、キリがないし…。あと、谷啓以外のクレージーのメンバーがことごとく似てなかったのも、若干気になった(苦笑)。ただ、最大のドラマの難点を言うと…これは正直な感想ということにもなってしまうのだが、かなりナベシン社長が「聖人」になっていたような感じが強くした。もっとも「企画制作・渡辺プロダクション」のドラマだし、悪く描けないのは当然なんだけども…。例えば、70年代後半に起きた、「歌のオーディション番組」を作る際、あの「ゲバゲバ90分」の生みの親、日本テレビの井原高忠プロデューサーに言った一言で、ナベプロ凋落が始まってしまった件とかに、全く触れていなかったり…なんてのも不自然だと思ったし。あと、これはウチの両親の意見だが、昭和34年当時は、あんなに他人の家に上がって大勢でテレビを見るって事は、もう無かったらしい。「この時は、いい加減、各家庭にテレビはあったはずだし、あの演出はおかしい」と言っていた。また「大体、『おとなの漫画』は、平日(月~金)の12時55分からの番組なのに、なんであんなに大勢集まってテレビを見てんだ?」とも言っていた。でもまあ、かなりヨイショはあったし、事実と相当違う部分もあったけど、1つのドラマとしてみたら、結構面白かった。
2006年05月27日
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では、昨日の続き。どんなシリーズものでもそうなのだが、やはり初期から中期に移行するくらいの作品が、いちばん面白く、また「シリーズ代表作」と言われるものが多い。「駅前」も、全くその通りで、後期に行けば行くほどパワーダウンして、つまらなくなっていっている。昨日の採点表(?)をご覧になればお判りかと思う。もっとも、これは私の独断と偏見なので、人によっては私が×を付けてる作品でも「面白い」と感じるかもしれないし、◎を私がつけてても、「つまんない」と思う人だって多々いるだろう。個人的に駅前シリーズで最高だと思っているのが、第1作「駅前旅館」、第3作の「駅前弁当」、第7作の「駅前女将」の3本。その次くらいに面白いのが、第9作~第11作の3本、といったところ。それ以外は…観ても正直「ああ、こんなもんか」と言う程度の作品だと思う。ちなみに…ワーストは「駅前漫画」と、末期作の第23作と第24作の3本。これらは本当に、どうにもこうにも、つまらない作品だった。「駅前漫画」なんかは、アニメのオバQと伴淳三郎が共演!みたいな謳い文句だったから、てっきりディズニーの「メリーポピンズ」とか「ディック・トレイシー」とか、ああいうのを想像していて、初めて見たとき、見事に裏切られた覚えがある(笑)。逆に、最高傑作だと思う3本の中だと、私は断然、第7作の「駅前女将」を推したい。佐伯幸三監督初登板のこの作品、出演メンバーの顔ぶれも最強だし、おそらくアドリブだろうと思われる、細かいギャグがシビれるほど素晴らしい。今のドラマや映画と違って、「演技の実力者」しか出ていないから、そりゃもう見事としか言いようがない感じがする。森繁・フランキー・伴淳・のり平・加東・山茶花の男性陣に対し、淡島・淡路・森・沢村・池内・大空・京塚・乙羽という最強の女優軍団が迎え撃つんだから、面白くないわけがない。今、何だか空前の「昭和30年代ブーム」らしいから、こういう映画をもっと今の人は観た方がいいと思う……ブームじゃなくても観るべきだな。今のドラマや映画が、どんなに金かけて内容が濃くても、このシリーズの凄さには、どうやってみたって太刀打ち出来ない、と私は思っている。
2006年05月26日
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どうも最近このブログ、ネタ切れになることが多くて、我ながら困っていた。冷静に理由を考えてみたら、時事ネタばっかし追っかけていたから、こういうことになったみたいだ(笑)。そういうわけなので、新企画を始動させようと思う。これならネタは豊富にあるし、思いついたら書けばいいわけだから。とは言っても、相当偏った映画しか観ていないから、万人受けするものではないけれど…。さあ、始まりました!新企画始動!私の好きな映画!!第1回は「駅前シリーズ」!!!拍手~!!森繁久彌・フランキー堺・伴淳三郎のトリオ主演で制作された、このシリーズは、全部で24本ある。第1作は昭和33年の「駅前旅館」。井伏鱒二原作で名匠・豊田四郎監督によるこの文芸喜劇作品は大ヒットして、未だに名作と謳われている。第1作の「駅前旅館」は、3年前だったか、池袋の新文芸坐で催された「森繁久彌映画祭」で、初めてスクリーンで観たのだが、そのとき改めて唸った。森繁のカッコよさが素晴らしく、特に最後のシーンの良さと言ったらなかった。それから3年経って、新たなドル箱企画を考えていた東京映画は、「駅前旅館」のトリオに目を付けて、昭和36年に「喜劇・駅前団地」が制作された。これがまた大好評で、これ以降シリーズとして、昭和44年の「喜劇・駅前桟橋」まで24本制作されることになった。初めのころは、必ず「泣かせ」の場面があって、いわゆる「人情喜劇」だったのだが、だんだんシリーズとして人気が出てくると、観光映画の色あいが強くなっていった(特に後期)。当時の東宝喜劇は、都会的でモダンで洒落た感じだったが、「駅前シリーズ」は、むしろ松竹風な泥臭い感じがする作品が多かった。このシリーズ、私は大好きで全作品観ている。某英会話教室の「駅前留学」という文字を見ても、「森繁が英会話の先生で…」とか、勝手に物語を妄想してしまうほどだ(笑)。このシリーズ、出来不出来は作品によってまちまちで、面白いのは本当に見事な作品だが、つまらない作品は、どうしようもないほどつまらない(笑)。一応、4段階に分けて評価してみる。まだご覧になったことのない方も大勢いるだろうと思うので、大まかな参考になれば…。◎…素晴らしく面白い○…まあ面白い△…普通×…どうしようもなく、つまらない「駅前旅館」(昭和33年)…◎「喜劇・駅前団地」(昭和36年)…△「喜劇・駅前弁当」(昭和36年)…◎「喜劇・駅前温泉」(昭和37年)…△「喜劇・駅前飯店」(昭和37年)…○「喜劇・駅前茶釜」(昭和38年)…△「喜劇・駅前女将」(昭和39年)…◎「喜劇・駅前怪談」(昭和39年)…×「喜劇・駅前音頭」(昭和39年)…◎「喜劇・駅前天神」(昭和39年)…◎「喜劇・駅前医院」(昭和40年)…◎「喜劇・駅前金融」(昭和40年)…△「喜劇・駅前大学」(昭和40年)…○「喜劇・駅前弁天」(昭和41年)…○「喜劇・駅前漫画」(昭和41年)…×「喜劇・駅前番頭」(昭和41年)…○「喜劇・駅前競馬」(昭和41年)…○「喜劇・駅前満貫」(昭和42年)…○「喜劇・駅前学園」(昭和42年)…△「喜劇・駅前探検」(昭和42年)…△「喜劇・駅前百年」(昭和42年)…○「喜劇・駅前開運」(昭和43年)…○「喜劇・駅前火山」(昭和43年)…×「喜劇・駅前桟橋」(昭和44年)…×やはり、こうして見ると、監督が久松静児監督から佐伯幸三監督にバトンタッチされたころの作品が、いちばん脂が乗ってて面白いようだ。これ以上書くと、読むのが大変だと思うので、細かい話は、また次回ということに…。
2006年05月25日
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昨日とはうって変わって、今日は明るい(?)話題。今日は夜勤だったので、さっき帰宅して、録画した新生の「笑点」を、今さっき見終えた。いや~結構結構!ここまで昇太師が「大喜利」に溶け込んでいたとは思わなかった。たい平師だって、こないだの特番のこん平師匠の手紙じゃないが、「だいぶ慣れたかな」と感じたのが、今年に入ってから(苦笑)だっただけに。やはり番組サイドも、即戦力になる噺家を選ぶのにかなり苦労…することもなかったのかな?だが、ここまですぐに溶け込めるというのは、やはりそれだけパワーのある噺家だということなんだろう。その昇太師、いきなり挨拶で噛んでいて、テレビの前でコケたが(笑)、あとは合格点をあげられる感じではなかったろうか?ただ、当人は満足していないかもしれない。いつも寄席でも独演会でも、客席をひっくり返している噺家だけに、「ウケる」ツボが普通と違うと感じていると思うし…。そういう点では、「笑点」を引っ張っていくポジションになるには、あと半年くらいかかるかもしれない。でも、大喜利自体にも、立川談志・三波伸介時代のテンポが復活したような感じがするし、メンバーも生き生きしているし、これからの「笑点」が、ますます楽しみになった。あとは…40分番組に戻してくれれば最高なんだが…。
2006年05月21日
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意味不明なタイトルだと、皆さんお思いでしょう。一見ふざけたタイトルですが、今日の内容はかなり真面目で深刻なので、そこを汲み取ってお読みください。今週いちばんのニュースは、やはり秋田の男児殺害事件だろうと思う。4月に水死した女の子の2軒隣の家の男児が、わずかひと月後に、また殺害されるとは…ドラマより怖ろしい事件が現実に起きることがあるんだ、と強く感じた。学校の同級生も、その秋田の町も、こちらが想像する何百倍も、重苦しく、また毎日強い憤りと不安にさいなまれていることだろう。4月の事件での、地元の警察の態度もかなりバカだった(女児の遺族に対して、相当冷たい事言った)らしいが、今朝の新聞を読んで呆れたのは、その殺された男児の通ってた学校に派遣された、スクールカウンセラーだ。その殺された男児の机の上には、遺影も花も何にも飾られることがなかったんだそうだ。その理由が、そのスクールカウンセラーとやらが、「遺影を置いたり、花をあげたりするのは、子供の心にとってあまり良くない」と抜かしたんだという。バッカじゃねえのか?このカウンセラーは!?死んじゃった子を悼む気持ちを育ませないで、何が「スクールカウンセラー」だ!そういうウスラバカの意見を鵜呑みにしちゃう学校も学校だ。こういう対応を、死んだ同級生に向かってするのは、「死んじゃった子は、ハナっから、いなかったことにしよう」としてるとしか、私には思えない。今の子供が、命の大切さがわからないから、すぐにナイフで人を刺したり、動物を殺したり、という事件をよく聞く。でも、こういう考えのスクールカウンセラーが全国の小学校や中学校にいるのなら、逆に、そういう「命の大切さがわからない」「人の気持ちを汲めない」ガキを量産してるようなもんだ。そりゃ同級生にしたら、こんな事件はトラウマになるに違いない。一生、心の傷になるかもしれない。でも、キチンと亡くなった子を弔う事は、たとえ子供がトラウマになったとしたって、すごく大事なことだろう。それを「何もなかったことにしちゃおう」というような考えは、どう考えても、おかしい。テレビゲームでゲームオーバーになったから、リセットしようっていう考えと同じだ。嫌なことから目を背けさせて、何が「カウンセラー」だと言いたい。だから今の教師はロクでもないのばかりなんだと思う。日の丸・君が代を否定する「非○○」教師が多いって話だしねえ(○○○だからね)。電車の中での態度を見れば、日本人のモラル、レベルが酷いのがよくわかる。とにかく、私が言えた義理じゃないが、どうしようもない日本人が増えた。だから、今こうして支那や朝鮮(あえてこう書く)にナメられるのだ。それの大きな原因は、親の躾がかなり大きいのだろうが、学校にも、かなりの責任があるような気がする。
2006年05月20日
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BS2でさっきやっていた、お恵ちゃんの追悼番組を見た。2月末に渋谷のNHKで収録された、文字通りの「絶唱」になってしまった番組を再編集したものだった。過去のVTRもあったが、その2つのVTRが、私が松山恵子という歌手を最初に知った、平成元年大晦日の「第40回紅白歌合戦」、そして前にも書いたが、初めて生で本人を観た「第28回思い出のメロディー」の映像だったので、強く印象に残った。さて、その2月末のお恵ちゃんの姿だが…観た時に正直、ハッと息をのむほど痩せていて、「これは…」と思わざるを得ない、非常に痛々しい姿だった。声も…全盛期の、というか、いつもの声とは程遠い声で観てて胸がつぶれそうだった。顔に死相が出てたと言っても、言い過ぎではないだろう。しかし、「ステージ」は、変わらなかった。声や姿は痛々しくとも、ステージ上ではいつものままで、ファンも、いつも以上に声をかけていた。「お別れ公衆電話」の途中で泣いていたが、それもきっと「2度とステージには戻れないかもしれない」という思いが、脳裏をよぎったからだろう。ファンの人だって、多かれ少なかれ、そういう思いが心のどっかに、あったに違いない。肝臓を病むと、体がとてもだるくなると聞いている。まして肝臓ガンだったら、そのしんどさは凄まじいものだろう。それでも最後まで(アンコールまで!)歌いきったのは精神力と気力だろう。これぞプロ根性だと思う。これだけの歌を歌いきったというのには敬服してしまう。とにかく、今はただ、冥福を祈るばかりである。
2006年05月15日
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私がいちばん、人様に見られたくないのは「泣いてる顔」。ただでさえ、みっともない顔してるんだから、涙流す顔はましてや見られたくない(苦笑)。恥ずかしいし。もともと私は泣き虫ではないから、あんまり泣くことは今までなかったんだけど…。なのに、今日はテレビ見て2回も泣いてしまった。これってもしかして「年を取った」ってことなのだろうか…。初めは、お昼にやってたフジテレビの「ウチくる!?」。今日のゲストは、我らが谷啓大先生。もうすぐ、フジテレビで渡辺晋一代記をやるから、それの宣伝も兼ねてのキャスティングだったんだろう。最初のうちは、ファンには御馴染のクレージーの思い出話や小松政夫、小野ヤスシが語るエピソードなどで、大笑いしていたんだが…。最後に、神様(植木等)が登場し、思い出話の後、谷先生に感謝の手紙を読まれた。それを聞いて、完全に目の土手が決壊してしまった(笑)。神様が、あまり体の調子が良くないのは知っているが、かなり年を取ってしまわれたな…というのと、手紙の中で「仲間が3人亡くなった」という件があったこと。感動も勿論したが、それ以上に胸がつぶれる思いがした。とにかく、神様には長生きして頂きたい。小学校低学年からファンやってる身としたら、言う事はこれに尽きる。とにかく、お元気でいて頂きたい。その次は、日テレ「笑点40周年スペシャル」。今日で圓楽師匠が降板し、こん平師匠も正式ではないが、たい平にレギュラーを譲る、という歴史に残る回。今日の圓楽師匠は、非常に辛そうに見えた。高座に上がるときに、あんなに杖をついて上がるほど、だったとは知らなかった。やっぱし出口も悪いし…。それもそうだが、いちばん私が胸を打たれたのは、最後にこん平師匠からの手紙を、歌丸師匠が読まれていたときに、たい平師匠はともかく、画面のいちばん端で、山田君が泣いていたこと。こん平師匠も、談志師匠が番組を始めたときからの出演者なのに、記念すべき40周年にいられないのは、本当に無念だっただろうと思う。その気持ちが、痛いほどわかるのは、もしかするとたい平師匠より、山田君だったのかもしれない。初めの挨拶の場所も隣だったわけだから、親近感も他の師匠よりあったのかもしれないし…。そう思ったら、また涙でテレビの画面が…(笑)。こん平師匠も「笑点」生え抜きのスターだが、山田君も「ちびっ子大喜利」から「ずうとるび」を経て、現在の座布団運びに至る、「笑点」生え抜きのスターだからね。実を言うと、5月4日に鈴本に行ったとき、こん平師匠を私は目撃している。夜席を観るので並んでいたら、昼席の主任だった正蔵が海老名ファミリーと一緒に出てきた。夕方4時の時点で、300人(!)くらい並んでいたので、正蔵はお客さんに「ありがとうございます」と頭を下げつつこっちに向かって歩いていた。その中に、こん平師匠がいたのである!それも高座着で!だから、もしかしたら、高座に出たのかもしれない。心持ち痩せていて、足元が若干危なくて、香葉子さんと弟子に手を取ってもらって歩いていた。かと言って、あんまり体調不良にも見えなかったが…。話が逸れたが、今日の手紙の中で「復帰にはもう少し時間が」云々とあったが、私もそのとき見た限り、元に戻るには相当の時間がかかるのでは…?と思った。とにかく、1日にテレビ見て2回も泣いたというのは、神様の感動的な手紙を聞いたり、長年ファンだった人の、番組での最後の姿を見たりしたからなんだが…。それにしたって、何故だか急に、涙もろくなった自分にいちばん驚いた(笑)。
2006年05月14日
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今日は仕事休みだったので、家でテレビ見ていた。テレビのニュース及びワイドショーは、殆ど、松山恵子の訃報を取り上げていなかった。平塚の事件なんかは、しょうがないか…とは思うが、少しは時間を割いて、この訃報を取り上げるだろうと私は思っていた。それだけに、非常に憤りを感じている。だいたい「演歌歌手の松山恵子さん」って書いてる時点で、記者がバカだというのがよくわかる。こういう時は普通は単に「歌手」、そうじゃなきゃ「流行歌手」なんじゃないの?昔の歌(歌手)だというだけで「演歌(歌手)」とくくる人間は、バカだと決め付けていい。そりゃ日本人が全員、歌謡曲が好きというわけではないが、一言も触れない、というのはやっぱりおかしい。昭和30年代の女性スター歌手では、美空ひばりや江利チエミ、島倉千代子らと共に支えた大黒柱なのだ、お恵ちゃんは。知名度からいけば、その人たちより若干は落ちるかもしれないが、格は同格だと思う。美空ひばりが死んだ時は、あれだけ大騒ぎになったのに、今回は、どこの局でも、ほっとんど触れていないのは、どうかしているとしか思えない。追悼特番もなさそうな気がするし…。大してファンでもない私でさえ、こう感じたんだから、熱烈な松山ファンの人たちは、もっと憤っているのではないだろうか?何か最近、どこの局でも「昭和40年代以前の歌謡曲」を急に排除してるような気がしてならない。前にも書いたが、テレ東の「昭和歌謡大全集」も、もう手の付けられない程、内容が酷くなっているし、他の局は「昭和歌謡」と銘打っても、昭和40年代以降の歌しか取り上げようとしない。戦前~昭和30年代の歌を、知らない世代がだんだん少なくなってると、テレビ局側が勝手に思い込んでいるだけなのだ。リアルタイムで知らなくとも、その年代の好きな昭和歌謡のファンが大勢いるのを、局側が全くわかってない。だまされたと思って、もっと昔の流行歌の特番を定期的に放送すべきだと思うんだが…。話が逸れたが、さっきやってた「NHK歌謡コンサート」でお恵ちゃんと同い年で、同期デビューのお千代さんが、昭和32年の大ヒット「東京だョおっ母さん」を歌ってた。珍しく、歌の途中で、お千代さんが泣いていた。あれはきっと(推察だが)、歌詞やリクエスト葉書に感極まって泣いたのではない。同期のお恵ちゃんのことを思っての涙に違いない。普通だったら、歌ってて「泣きそう」にはなっても、あの人は泣かない人だから。やはりファンの人だけでなく、同世代の人にも、今回の訃報は非常にショックが大きいものだったんだろう。
2006年05月09日
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今日の午後、職場で松山恵子(お恵ちゃん)の訃報を知った。確か、3月くらいだったと思うが、「肝臓ガンで闘病中」だというのは、テレビで聞いていたことは聞いていた。だが、こうもあっさりとあの世に行ってしまうとは思ってもみなかった、というのが正直な感想。職場で周囲の人間は「松山恵子って誰?」ってリアクションだったけど…。テレ東の「年忘れにっぽんの歌」、「夏祭りにっぽんの歌」、「昭和歌謡大全集」そしてNHKの「思い出のメロディー」、この4番組に欠くことなく、毎回毎回顔を見せていて、「出てるのが当たり前」「いるのが当然」だった人が、いなくなってしまうというのは、非常に喪失感が大きい。私は3回くらい、生のステージを観ている。初めて見たのは、「第28回NHK思い出のメロディー」の観覧募集に当たって、NHKホールに行ったときだった。「お別れ公衆電話」を歌ったのだが、直径5メートルはあろうかというグリーンの落下傘スカートで、場内大歓声だったのを、今も強烈に覚えてる。スカートの中にスポッと入る挨拶を、歌い終わって帰るときに何度もしていて、司会の宮本アナに「人間スプリンクラー」と形容され、会場大爆笑になったのが強烈だった(笑)。最後に生を観たのは、昨年秋の「日本歌手協会・歌謡祭」。「だから言ったじゃないの」を、いつもどおりに歌って、いつもどおりのステージだったんだが…あの時はすでに、体調が悪かったんだろう。私個人は、決して好きな歌手ではなかったが、この人の歌を聴かないと、どうにも「ナツメロ番組」を観ている気になれなかった。それくらい歌謡番組には必要不可欠のスターだったと思う。「十九の浮草」「未練の波止場」「だから言ったじゃないの」「お別れ公衆電話」「アンコ悲しや」「別れの入場券」などなど、大ヒットも数多いし。ド派手なフランス人形のような、豪華絢爛なドレスで華やかに登場し、「お恵ちゃ~~ん!」というファンからの強烈な掛け声に、「ハ~イ!」とハンカチを握った手で応え、良く言えば大衆的、悪く言えば下品という言い方になってしまうが、あのアクの強い歌い方で強烈なインパクトを、観る者に残すプロ中のプロ。あのステージはホントに見事。下品とは言っても、悪い意味ではなく、今の歌手連中(小汚い女性ね)のような「醜い下品」ではなく、「大衆性」と言ったほうがしっくりくる感じの…。今の歌手連中は、男女問わず、ホントに下品だからなあ。また今日の今日まで、私生活が全然わからないのも見事なことだと思う。「昔のスター」のままで、今日まで第一線に居続けたのだ。私生活を切り売りする芸能人が多い中で、これは本当に素晴らしいことだ。お葬式は「密葬」にするそうだが、これもベストの選択だと思う。病みやつれた顔を、昔からのファンには見られたくないのが当然だろう…。ファンのために休むことなく歌い続けて、それで寿命を縮めてしまったのかもしれない。それにしても、あの名人芸を、2度と生でもテレビでも観られない、というのが信じられない。「いるのが当然」の歌謡番組にも、これから、もう2度と出てこられないのが、ウソみたいだ。今頃は、あの世で、東海林・藤山・淡谷・ミネといった歌謡界の大先輩に挨拶でもしているところだろうか。そして、ファンの人たちに向かって、こう言ってるに違いない。「あんた、泣いてんのネ」と。ただただ、一歌謡曲ファンとして、冥福を祈りたい。
2006年05月08日
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いや~、暑い!いくら5月になったからって、いきなり、こんな暑さになるたあ…やっぱし地球温暖化かねえ?今、これを書いてる部屋はエアコン入れてる。冷房じゃ流石に大げさだから、「ドライ」にしてるが。しかしまあ、月日の流れは速い。もう5月!あと2ヶ月チョイもすれば、最高気温38度なんて日が続く事になるんだなあ…私は心臓があんまり良くないから寒いのもダメだけど、暑いのもダメなんだよなあ…。でも、暑いのと寒いのと、どっちか取れと言われたら、迷わず暑いのを取る。理由はカンタン、薄着で楽だから(笑)。汗まみれになるのが嫌だけど、湯に入れば気持ちいいし、冷たい飲み物は旨くなるし…いい時期だ。もう書くことねえや(笑)。今日はこれでお終い。
2006年05月01日
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