全6件 (6件中 1-6件目)
1
さっきから色々、ネットでニュースを見てたら、ショックなニュースがあった。産経ニュースの記事から。「NHKは28日、ラジオ第1放送の番組「ラジオ名人寄席」で、TBSが過去に収録、放送した落語の音源を無断使用するミスがあったと発表した。番組のパーソナリティーを務める玉置宏・日本芸能実演家団体協議会理事の思い違いが原因といい、玉置氏は責任をとって降板。番組は打ち切りとなる」2月10日放送の、先代林家正蔵「大仏餅」が「これはTBSで放送された音源では?」と聴取者から指摘があって調べたら、昭和49年にTBSで放送された音源だったとのこと。他にも14回分が、TBSの音源だった可能性があるという話だけど…。ちゃんとチェックをせずに、オンエアしたのは確かに良くない話だが、毎週楽しみにしているリスナーを無視して、こうして一方的に番組を打ち切るのも、どうなんだろうか?玉置先生も、責任感の強い方だから、己の非をすぐに認めて身を退いた…ってことだろうけど、この番組が終わっちゃうのはホント、ガッカリ!お手軽に昭和の名人芸を楽しめる、数少ないラジオの良心的番組だったのに…。いちばん野暮なのは、指摘したリスナーだ。確かに、音を聴いただけで、あるいはマクラの振り方などで「ああ、これは昭和○年○月○日の鈴本演芸場だ」とか判っちゃうマニアがいるのは知っている。私も結構近いから(笑)。その人、ラジオを聴いてて「おっ?」と思って、「私はこれだけマニアです。だから間違いを指摘してお知らせしますよ~」ってな感じで、NHKに連絡したんだろう…。でも、その指摘した人、決して番組を終わらせるつもりで知らせたんじゃないと思いたい。だから、その指摘した人も、この一件で番組が打ち切られたことを、ガッカリしてると思う。NHKも玉置先生も、謝罪が済んで、気持ちが一段落したら、番組再開してもらえませんか?
2008年03月28日
コメント(0)
今日3月27日は、植木等御大の命日。あれから、もう1年経ってしまったのか…。本当に月日の流れは、アッという間という、当たり前のことを、呟かずにはいられない。今日のお昼に、日テレのみのもんたの番組で1周忌の特集を「今日は何の日」でやっていたようだが、仕事が休みだというのに、何故か見逃してしまって、凄いショックだった(笑)。それにしても、今まで生きてきて、あれほどショックを受けた訃報はなかった。「お別れの会」にも出かけることが出来たし、キチンとお別れを言えたのに、大ファンだった人がこの世からいなくなってしまった、という悲しさ・寂しさは、まだ100%癒えていない感じがする。背広もみんな真似して、私のスーツは、殆ど細身の3つボタンで、チェックかストライプか色が派手(笑)という、それほどまで影響を受けた人なのだ、私にとっては!だから私は、アニメやゲームのコスプレをして街を歩いたり、幕張あたりのコミケに行く人を、バカにすることが出来ない。自分のスーツ姿だって、植木御大のコスプレみたいなもんなんだから(笑)。話が完全に横道に行ったが、植木御大がこの世からいなくなったって、ファンをやめることはないし、これからもファンを続けていくつもりでいる。
2008年03月27日
コメント(0)
まずは昨日のこちらから。「立川談志ひとり会~冬春三夜~」(平成20年3月18日)会場…三宅坂・国立演芸場開演…18:30 終演…20:30立川談志 「浮世床」中入り立川談志 「居残り佐平次」先月に続いて、またまた出かけた家元の会。それにしても…私は今年に入って、生で家元を何回観たんだろうか(笑)?今年に入って生で聴いた中だと、先月末の赤坂での「天災」がとても結構だった。昨日の高座、前半の「浮世床」は、正直言ってあまりいい出来…とは言えなかった感じ。途中の「姉川の合戦」の件を一切カットして、手紙の件を長くする演出だった。まだ声の調子がよろしくなく、花粉症(?)にもなったらしくて、鼻を拭いたり、珍しくお茶を飲んだりと、良くない意味で「脱線」の比率が多かった感じがした。ところが、中入りを挟んでの「居残り~」は、なかなかの高座で、聴き応え満点だった!どうしても「幕末太陽傳」のフランキー堺をアタマに描きながら聴いてしまったが…。家元が描く佐平次は、それ以上に調子が良く、ずる賢い男で、ハードボイルドというか、「ニッポン無責任時代」の植木等を、もっと悪くした感じの男…だったかな?訳の分からない感嘆詞が、何故か噺の中で流行語みたいになってたのも可笑しかった。そして今日出かけたのは、こちら。「我らの高田笑学校しょの30・第一夜」(平成20年3月19日)会場…新宿・紀伊國屋サザンシアター開演…19:00 終演…21:00立川 志らら 「宮戸川」立川 志らく 「二階ぞめき」立川 藤志楼 「天災」中入り東京ボーイズ 「歌謡漫才」立川 志らく 「鉄拐」出演者全員 「大喜利トーク」第30回記念大会の第1夜、「ニセ親子孫三代の会」と銘打たれて催された特別篇。一昨年の末広亭の十日間以来、高田先生が久しぶりに高座に上がる…ということもあってか、客席は満員。比較的ノリの良いお客さんが多かったからか、全体の受けも良く、非常に濃い落語会だった。ニセではあるが、藤志楼・志らく・志ららの3人そろって、いつも通りの、時事ネタやブラックなギャグをふんだんに散りばめた爆笑落語で、盛り上がりが凄いものだった。しかし…正直に言ってしまうと、高田先生は「落語の腕が著しく落ちた」という感じで噺のテンポも、ギャグのキレも、非常に悪く感じた部分が多かった。でも、お客さんは爆笑だったし、私自身もとても満足したの言うまでもない。「アバタもえくぼ」というわけではないが、誰よりも落語が好きで好きでしょうがない、という気持ちが、高座から滲み出ていたから批判をする気にはならなかった。妙な例えだが、昭和歌謡を上手い演歌歌手が単に歌うのと、歌が下手でも歌謡曲ファンが畏敬の念をを込めて歌うのなら、100%後者を取る…というのに似ている感じ。あと驚いたのは、高田先生が高座に出る前の高座返し。何と、高田先生のお孫さんが出てきたのだ。たぶん4歳くらいだろうが、満員の客前なのに怖がりも上がりもせず、1人で堂々と出てきて、座布団ひっくり返して、黙って帰った(笑)。あと、二人になってしまったが、東京ボーイズもいつも通りの爆笑高座で良かった。「リーダー不在」で「演芸界の日銀」というクスグリには爆笑したな(笑)。フィナーレは松村邦洋・立川談春・林家ペー・山田雅人らも高座に登場して、爆笑トークを繰り広げて終了。志らく師匠にとっては、かなり精神的にキツイ会だったのでは?と、私は感じたのだが(笑)、私自身は、会社での嫌なことをキレイに忘れて、心底楽しめた素晴らしい会だった。
2008年03月19日
コメント(0)
昨晩は、会社の用事があって「ビッグショー」をオンタイムで見られず、今日になって見た。先週の岸洋子に続き、今週も家庭用VTRで録画したと思しき画質だったが、これもまた物凄い回で、見応え満点だった。「松尾和子 女ひとりの命をかけて」(昭和52年2月20日放送)ゲストが、オリジナルメンバーの「和田弘とマヒナスターズ」に、フランク永井という超豪華版!松尾和子も、心から楽しそうに、持ち歌からジャズから歌いまくっていた。フランク永井もそうだが、後年の私生活での不幸、そして不慮の死を思うと、見るのが辛い部分もあった。しかしながら、こうしてワンマンショーを見て、改めて、歌の巧い歌手だと認識をすることが出来たような気がする。個人的には、松尾・フランク・マヒナという3大歌手が揃い踏みで歌った「銀座ブルース」、そしてジャズの「久しぶりね」(フランクとのデュエット)が、もう最高だった!画質が悪くても、もうちょっと「蔵出し」の映像が見てみたい…と思ってしまったほど、濃厚な45分間。お見事だった!来週は休みで、4月以降は、放送時間が少々延びて、53年4月以降の「ビッグショー」を放送してくれるようだ。これからも期待しよう、期待を!
2008年03月18日
コメント(0)
BS2の「ビッグショー」の再放送、本放送順にオンエアしているのが基本だが、時たま秘蔵のVTRが見つかると、たとえ画質が悪くても、順を遡って放送してくれることがある。今日のは、まさにそんな蔵出しの回。当時、発売されたばかりの家庭用VTRで録ったと思しき、画質の悪さだったが、その画質の悪さが貴重さにターボをかけてる感じもあった(笑)。「岸洋子 女がひとり生きる時」(昭和49年11月10日放送)お馴染「夜明けのうた」で始まり、シャンソン・民謡・童謡・歌謡曲と、幅広い歌を歌い上げる45分だった。一生の大半を、病気と闘い続けた方だったが、この番組では、病気を抱えてるようには微塵も見せず、独特の美貌から、あの独特の美声を華やかに披露していた。シャンソンが結構だったのは言うまでもないが、個人的に「見事!」と感じたのは、岸洋子の生まれ故郷、山形民謡「最上川舟唄」!今回ゲストの作家・森敦氏(初回の森繁久彌の回でもゲストだった)のリクエストで歌ったのだが、これが絶品!いや、驚いた。森敦氏、森繁の回でも今回も、常にタバコをスカスカ吸ってて、その上「最上川舟唄」のレッスンを、すげえ声で頼んだりと、ちょっと傍若無人(笑)だったけども…。今週は「シャンソンの女王」だったけども、来週は「ムード歌謡の女王」松尾和子!これもまた、画質が悪そうだから、ここ最近に見つかった秘蔵映像に違いない。そして4月以降は、どういうようなプログラムになっていくのか、心から期待したい。
2008年03月10日
コメント(0)
今、歌謡界・音楽界で「女王」の称号が相応しい歌手は、皆無だろう。「歌謡界の女王」「歌謡界の大姉御」という言葉は、この人の頭の上に燦然と、いまだに輝いているような気がしてならない。亡くなって、だいぶ経ってると解っているが…。「淡谷のり子・歌に生きて」(昭和53年3月26日放送)流行歌・シャンソン・ジャズ…昭和の日本の大衆音楽の礎を築いた大御所の、文字通りのワンマンショーだった。NHKホールではなく、スタジオでの収録で、ゲストも黒柳徹子のみだったので、非常にシンプルな番組構成。それゆえ、歌に向かう淡谷先生の姿勢が凄く、歌の密度が、ホールでの収録より濃かった。何曲かおきに、淡谷先生と黒柳徹子のトークが挟まるので、「歌入り『徹子の部屋』」みたいな感じもあったけど…(笑)。歌謡曲より洋楽の比率が多く、夏や大晦日にNHKやテレ東で、「別れのブルース」しか歌わせてもらえないという鬱憤を(苦笑)、この番組で晴らしていたところもあったかも?フィナーレは「愛の讃歌」だったが、これがお馴染の岩谷時子の訳詞ではなく、井田誠一の訳詞だったので、実に新鮮で良かった。何曲も歌ったって、疲れを感じさせない声。やはり戦前デビューの歌手は、基礎歌唱力がダテじゃない!本当に凄いもんだった。ライブも勿論いいけど、スタジオ収録のほうが歌の力を、ダイレクトに感じることが出来た。来週は、また昭和49年の「ビッグショー」に遡って、岸洋子をやるらしい。画質が悪そうだけど、もしかするとNHKで録画したものではなく、視聴者からの提供のVTRかもしれない。これはこれで貴重だから、来週も期待しよう!
2008年03月03日
コメント(0)
全6件 (6件中 1-6件目)
1

![]()
![]()