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前回ここに書いてから、また2週間もブランクが…。実をいうと、会社の仕事内容が12月から全取っ替え(ポーカーだね)になり、殆どの日を残業しながら新しい仕事を全部覚えつつ、様々な業務を片っ端からこなしていくという毎日。家にも仕事を持ち帰って、新しいシステムの流れを頭に叩き込んでいて…。「脳ミソが割れる!脳ミソが爆発する!!」ってな感じで、肉体的にも精神的にも六本木…いや、疲労がピークなのが、今現在!くっだらない駄洒落が出てしまうほど、精神面でやられてしまっている(苦笑)。今日は比較的暇だったので、久々に書こう。月曜日のBS2「ビッグショー」は、さほど興味の無い歌手の回が続いていて、そもそもテレビ自体があまり面白くない…と感じる毎日が続いている。そんな中、昨日放送の「笑っていいとも!」久々に、生番組におけるハプニング的な楽しさを、十二分に魅せてくれたと思う。昨日の「テレフォンショッキング」、マンネリ化したこの番組(とコーナー)に、大きな風が吹いたと思わずにはいられなかった。月曜日は、SMAPの中居がレギュラーなのに映画の宣伝で出演。レギュラーが「テレフォン」に出るのも、番組初期の頃にあったと、話には聞いている(25年以上前?)。そして中居が紹介したのが、何と!隣の局、TBSの安住アナウンサー!他局のアナが、この「いいとも」に出演したのは、昭和58年に、日テレの徳光和夫・小林完吾両アナ(当時)が出て以来、25年ぶりだという。そういった期待も、お客さんに多々あったのか、やんやの大喝采で登場した安住アナ。かなり…というか、ガチガチに緊張していたように見受けられた。しかし、安住アナとタモリとの様々なやり取りをじっくり観て、私は心底唸った。言葉のチョイス、抑制の効いた声、会話の間合い、そしてタモリに対する、ツッコミとボケ。正直、どれも完璧であった。見事のひと言!学歴とか全く関係なく、現在日本で活躍している男性アナの中で、桁違いに「いちばん巧いアナ」なのかもしれないと、改めて考えさせられた。あれだけ、フリートークで爆笑を取れる局アナはどこ探したっていないんじゃなかろうか?勿論、受け手のタモリ氏が、聴き手として抜群に上手いというのもあるだろうが、それ抜きにしても安住アナは、抜群の話術だったと思う。明石家さんまじゃないけれど、テレビの会話はスポーツに例えられる。団体で喋るのがサッカーだとするならば、2人の会話は、さしずめテニスか卓球…かな。それで例えると、昨日の2人の20分弱の会話は「新旧『言葉の達人』」の、見事なラリーだったと言えるだろう。久々に、バラエティーで「いいものを観た!」と嬉しい気持ちになった。
2008年11月26日
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久々に「当たった」感じの落語会だった。「春風亭昇太プロデュース・あの頃の噺」(市馬・昇太・談春 前座噺の会)2008年11月4日(火)会場…下北沢・本多劇場開演…19:00 終演…21:10談春 「真田小僧」市馬 「手紙無筆」昇太 「雑俳」鼎談…という名の、前座時代の写真をスライドで映しながら、3人の写真をいじりまくるという爆笑スライドショー(笑)。中入り昇太 「狸の札」談春 「たらちね」市馬 「道具屋」
2008年11月04日
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約1ヵ月半のご無沙汰でございました!今日から通常営業で、このコラムを再開いたします!これからも御贔屓・御引立の程、宜しくお願い申し上げます!ここから、ですます調を止めて…。私の母親だが、ここに最後に書いた9月18日以降、冗談みたいな回復力を見せて、入院から1ヶ月目の10月11日に無事退院することができた。まだ、毎日薬を飲んではいるものの、至って普通の生活に戻っているので、とにかくホッとしている。それにしても、この1ヵ月半の間、世間ではあまりに多くの出来事がありすぎて、何から書けばいいのか見当がつかない。緒形拳・峰岸徹という2人の大事な役者を失い、様々な食品問題が、後から後から出てくるし、泰葉は頭がおかしくなるし(苦笑)。そんな中、根っからの歌謡曲ファンにとって、我が身を切られるほど辛い訃報を今朝聞いた。スキャンダルから23年、「低音の魅力」は再び我々の前に戻ることなく、吉田正先生や歌手仲間の待つ天国へと旅立ってしまった。フランク永井氏、死去。享年76。あの自殺未遂で、脳に重大な後遺症を負って、「二度と歌のマイクを持つことは出来ない」と、日本中の歌謡曲ファンは思っていただろう。でも、心の中では「そのうち医学が進歩したら、ひょっとしたら、どうにかなるかも」という、仄かな期待や望みも、少しはあっただろう。もちろん私も、その1人だった。フランクさんは、ジャズを愛し、歌謡曲を愛し、酒と煙草を愛し、そして落語を愛した人。話に聞いているだけだが、NHKの番組で、まるまる1席、演ったことがあるという。いわゆる「ライブ録音」のLPやCDを聴くと、絶対「小咄」をやっているし、曲間のトークの間合いが完全に「落語口調」であった。八代目三笑亭可楽師匠が好きで、家の留守電のBGが、出囃子の「勧進帳」だったそうな(笑)。ヒット曲の多さも、春日・三橋と並んでいるし、未だに(ジェロとか若い歌手に)カバーされたりしているのだから、本当に凄い。アイビー調のスーツに、お決まりの細身のネクタイ。正直、小柄でずんぐりむっくりの体形なのに(笑)、本当に決まってて、ステージが格好よかった。私が細いネクタイしか締めないのも、実を言うとフランク永井の影響なのだ(笑)。とにかく辛い訃報だったが、フランクさん当人は、本当に楽になっただろうし、何より20年以上キツイ介護を続けてこられたお姉さんには、心から「お疲れさまでした!」と申し上げたい。今頃、あの世で吉田先生にも会ってるだろうし、全盛時の「紅白」の仲間だった、春日・三橋・村田・三波といった人たちとも、再会しているに違いない。植木御大もいるかな?心から、ご冥福をお祈り致します。
2008年11月02日
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