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なんか、ここ2~3日「アッと驚く芸能ニュース」が多すぎやしないか?めでたいことから悲しいことまで。いろんな情報がビシバシ飛び交い、脳みその中が全く整理できぬまま、次のニュースが入ってくるような…。それにしても、今日の「福山雅治結婚」には驚いた。しかも、お相手が女優の吹石一恵だとは…。福山ファンの女性の悲鳴や嘆きが聞こえてくるようだ。多いからねぇ、福山ファンは!明日、会社休んだりするOLさんとか多そうな気もする(苦笑)。日本だけでなく、支那にもファン多いんだよね、確か。向こうは向こうでショック受けてるんだろうか…。あと『笑点』の大喜利で、小遊三師匠が何か言いそうで楽しみだ(笑)。千原ジュニアも結婚されたというが、ニュースが蔭に隠れてしまって可哀想…いや、芸人的にはオイシイか。…悲しい知らせとしては、料理記者の岸朝子先生の訃報。享年91。年齢的に全く不足のない大往生であるけれど、あの「おいしゅうございました」という、料理人に対する感謝の言葉の美しい響きが聞けなくなるのは寂しい。芸能ニュースもいいけれど、もうすぐ10月!9日(金)の晩は、何とぞ予定をおあけください!そして「お江戸日本橋亭」にお越しくださいませ!『第11回・歌で綴る昭和の時代』開催日…10月9日(金)会場…お江戸日本橋亭http://www.ntgp.co.jp/engei/nihonbasi/index.html開場…18時30分 開演…19時 終演…21時(予定)料金…(予約)2,000円 (当日)2,500円出演…林家たけ平、桂夏丸、神田真紅 (歌謡ショー司会&構成)林田雄一予約先(メール)sink97@excite.co.jp (電話)09072228704また、下記のメールアドレスでもご予約・お問い合わせを受け付けます。CBC01742@nifty.comたけ平さん、夏丸さんの歌唱曲目は決定しました!歌唱力に関しては責任持てません(苦笑)!たくさんのご来場、心よりお待ち申し上げます!!
2015年09月28日
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水曜日の晩に、7年ぶりくらい?に風邪ひいてしまい、今朝まで寝込んでいた。いま現在も咳が止まんなくて非常に辛い。木曜日の晩は早く寝てしまったので、この方の訃報を知ったのは、金曜日の朝イチだった。…今月7日のあるイベントに登場した際、人相が完全に変わってしまった、あの激ヤセぶりを見たときに正直「こりゃ年内もつのだろうか?」と思ったが…。まさか、2週間少しで逝ってしまうとは…。今井雅之さんと同様の、大きなショックだった。享年54。肝内胆管ガンだったという。私がこの人を初めて知ったのは、世間のかなりの人が同じかもしれないが『お笑いマンガ道場』であった。名古屋ではゴールデンタイムにやっていた番組だったと聞いている。東京では、確か木曜か金曜の夕方5時からの放送で、学校から帰ってきて必ず見ていた。鈴木義司・富永一朗両先生の「歌丸・小圓遊」レベルの罵倒合戦が名物の番組。富永一朗先生が描く「土管の中に入った、乞食姿の鈴木義司先生の絵」を今でも思い出す。その中でこの方の存在は、ある種のクッションのような存在でキレイだったし、絵も非常に上手かった。エンディングの「だん吉・なお美のおまけコーナー」での車だん吉との軽妙なやり取りも懐かしい。ところが、確か『水戸黄門』の撮影中のバス事故だかで大怪我をされて、そのまんまフェードアウトでこの番組を降板されたのだ。その後…。ドラマ『失楽園』で、女優として確固たる地位を築いたのはご記憶の方も多いだろうが、この前後のいろいろな番組での「私は女優なのよ」的な勘違い発言で、私の中でこの方の評価が、一気にガタ落ちしたのだ。それは「『お笑いマンガ道場』に出ていたことは、履歴から削除してほしい」的な発言が目立ったから(苦笑)。そのときは、そういう時期だっただろうけど…。特に、とんねるずの「食わず嫌い」に出たとき、高飛車な言動が目立ち、石橋が『マンガ道場』の話を振ったときに「だん吉さん、お会いしたいわ~。どうしてるのかしら?」みたいなことを言ったのだ。恩義ある先輩をバカにするような、見下した言い方で。私は画面に向かって…「恩を仇で返しやがった、このバカ女!」…と言ったのを思い出す(苦笑)。糟糠の妻を捨てたというか…とにかく「勘違いしやがって」といろいろ思ったのは正直なところ。かの有名な「私の血はワインで出来ているの」発言なんぞその最たるもん。その後も舞台にドラマに大活躍されていたが、なんとなくいい印象は抱かずにいた、長い間。その印象がガラリと変わったのは、パティシエの鎧塚さんと結婚した後だった。「どうせ、すぐに別れんだろ」みたいに最初は思っていたが、旦那さんが目の病気になったとき、徹底的に尽くしたという話を聞いて「この人は、意外に古風な人だったんだ…」と思い、見る目がガラリと変わったのを覚えている。…今になって冷静に考えると、自分の人生の設計図通りに生きてきた人って感じがする。「女子大生タレント」から「女優」へのステップアップなんか特に。「自分のセルフプロデュース能力に物凄く長けていた」とも言えるだろうか。ワインや食べ物を始め、様々なことに対する好奇心や学習意欲は物凄かったと聞いている。その上昇志向の高さを、不快に感じる人が山ほどいたとしても、「川島なお美が川島なお美であるために、最もいい魅せ方」ってのを熟知していた気がしてならない。凄くクレバーな人だし。ひょっとしたらガンの告知を受けたときも、お医者さんがどこまで告知したか知らないが、「最も川島なお美らしい最期を迎えるには、どうしたらいいか?」ということすら考えていたかもしれない…。7日の夫婦揃ってのイベント出演も、勿論覚悟のうえの出演だっただろう。ガリガリに痩せた姿を見せたのも、「容姿が変わろうが何だろうが、私は川島なお美だ!」という強い信念があったからに違いない。よく普段通りに振る舞えたなぁ…と今更ながらに思う。かなり辛かっただろうに。女優としてのプロ根性、周囲や旦那さんへの気配り…テレビ各局の訃報で流れた話は、長年私が抱いていたイメージとは丸っきり違うものばっかりだった。自分の見る目のなさを、ホント痛感させられた(涙)。そういえば川島さん、なんとなく人生設計の仕方が立川談志家元に通じるような感じもする。そういえば『ドラキュラが狙ってる』で、川島さんが写真集を出したとき、一緒のゲストが家元で、くだらないやり取りしてたのを思い出した!家元に五分で渡り合ってたもんな、そういや。亡くなる直前まで周囲に気を配り、旦那に気を配り…普通はできないよ、こんなこと。とにかく、凄い人を亡くしたという一言に尽きる。川島さん、本当にお疲れさまでした。長い間、偏見の目で見続けて申し訳ございません。心からご冥福をお祈りいたします。あと最後に…。誰か、とにかくこれから鎧塚さんをサポートしていっていただきたい。葬儀とかが終わって一段落したときに、鎧塚さんが体調を崩さなければいいが…。
2015年09月26日
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2週間のご無沙汰でした。ちょっと10月から、生活サイクルが変わることになり、それの支度やら何やらで、ブログ書けませんでした。申し訳ございません。今日から、また普通にブログ再開いたします。さて…毎週楽しみに見ているテレビ番組に、テレビ東京系・BSジャパンでの『武田鉄矢の昭和は輝いていた』という番組がある。毎週ひとつのテーマで、そのテーマに関する思い出話をゲストがしつつ、その歴史を紐解く番組で、貴重な映像・音源が大量に出てくるので(笑)、毎週録画している。歌謡曲関係のテーマだと、『なつかしの歌声』の映像が比較的多く出てくるのが嬉しい(笑)。それで、今日のテーマは「ものまね」だった。ゲストは堺すすむとコロッケ。いわゆるパロディー系のものまね芸の先駆者2人。ご承知のとおり、私は小さいころからモノマネ好きなので、結構真剣に見始めた。…ゲスト2人の後ろに、昭和のモノマネ(声帯模写)の歴史を作った方の写真がパネルになって飾ってあった。そしたら…。ちょうどコロッケと堺すすむの間に、大きなモノクロ写真で見覚えのある顔が。「ああっ!?先生だ!!」…若いときの写真であったが、桜井長一郎・木下華声の2人を差し置いて、中央にドカーン!と据えてあった写真は…。我が師、白山雅一先生の写真であった。おまけに、白山先生の(比較的若いときの)映像まで流れるという暴挙…いや快挙(苦笑)!!いいぞ、BSジャパン!!ありがとう、テレ東!!テレビ東京の『爆笑ひょうたん寄席』に昭和63年6月8日に出演したときの映像は、私は初見だったので感動、感動!…この番組、小学生のころ毎週見てたんだが、先生が出たの全く覚えていないんだよな(苦笑)。まあ、当時は白山先生知らなかったし、懐メロに興味ィ持つ直前だったから、記憶から抜け落ちていたのかな?んでもって流れたのは、十八番・灰田勝彦『鈴懸の径』と淡谷のり子『別れのブルース』。…私がさんざっぱら、電話で練習させられた2曲(笑)。しかしながら、私と知り合ったときは、既に白山先生は声の衰えから淡谷のり子先生の真似はしてなかったので、動画としては初見。音では持っているが。まだ60代前半のときの高座…というのもあって、2曲とも物凄い完成度であった。オーバーでなく、久々に先生の姿を見て涙が出た。「胸が詰まって」が半分、「有難さ」が半分の涙かな。こうして考えると…訃報の際にも、このブログで書いたが「人間国宝的な存在・声帯模写の草分け的存在」の人に、2週間に1度(くらいの頻度)で電話をもらってさ…。それも、思い出話をしてくれるだけでなく、自らの売り物である声帯模写の稽古を山ほどしてくださった、というのは感謝してもしきれない。大河内傳次郎・榎本健一・中村歌右衛門・小西得郎・三遊亭圓生という声色。そして東海林・藤山・淡谷・灰田・霧島・岡・小畑・田端といった流行歌手の真似。現代人に全く通じないモノマネばっかりだけど(苦笑)、これをマンツーマンで教えてもらったのは、多分だけど丸山おさむ先生と私だけじゃなかろうか?そういえば、前に保田先生に「モノマネを白山さんはお前にどうやって教えたの?」と聞かれたことがある。これは私だけがそう教わったのか、或いは弟子入りすると誰でもこう教わるのかは分からない。しかし、私が白山先生に付けてもらった練習方法は…1・自己流でまずやってみる2・先生がアドバイスをくれる3・アドバイスに従って何回もやる4・OKをもらう…というやり方であった。当たり前だけどネ。先代勘三郎、歌右衛門なんかは、何回も何回も電話口でやらされて…いや!稽古してもらって(笑)、なんとかできるようになった。ただ、自分で聞いても中村屋・成駒屋は「似てない」と思うのだが(苦笑)、白山先生からOKが出てるから、まあいいかぁと思っている(笑)。逆に、ほぼ一発で「ああ、出来てるな。それなら少しだけ矯正すれば大丈夫」と、お墨付きをもらったのは何故かエノケンだった。やったこたぁなかったんだけど。圓生師匠と小西得郎もさんざん練習したし…。あと、大河内傳次郎を「桜井長一郎型」でやるのではなく、リアルな感じでやれるようにアドバイスももらった。…結局、習得できなかったけど(笑)。でも、あるとき言っちゃったんだよねぇ、私は。禁断のひと言を先生に。「先生、売り物のモノマネを教えていただけるのはありがたいのですが、ネタがあまりにも古すぎて、飲み会じゃ披露できないんですけど…」と!先生は「バカ!何言ってんだ!」まあ、ここまではいい。問題はそのあと。「俺だって、元ネタ知らない人の前でやってんだぞ!!」だって(笑)。私は電話口でコケたのを覚えている。堺すすむ辺りから始まった、現代のモノマネの主流である「カリカチュアタイプの物真似」を白山先生は、すんごく嫌っていた。先生は、私によく言っていたもの。「いいか、誰でもカツラ被ったり衣装つけたりしたらな、似てなくても、なんとな~く声が似て聴こえるように錯覚するんだ。そんな誤魔化すようなことは絶対ダメだ」。「声帯模写は、自分自身の顔で舞台に出るんだ。だから、お前も人前に出るときは、キレイなスーツで上がって、声帯模写だけで勝負するんだ」と。私が『歌で綴る昭和の時代』で司会をする際、毎回毎回髪の毛をバチッと固めて、キチンとスーツ姿で出るのは、白山先生の教えを忠実に守っているからなんである。古くさいと言われようが何だろうが(笑)!!ただ、どうも世間的に白山先生の知名度は低い。桜井長一郎先生の、琴の口真似のあとに「おばあちゃん、アタシがやってるんですよ」みたいな大当たりフレーズがウチの白山先生にはなかった。それが、桜井先生や片岡鶴八先生に比べて、ちょっと低い最大の要因ではないかと思う。あまりに舞台がキレイ過ぎたのかもしれないな。でも、あの白山雅一に稽古つけてもらったというのは、生涯の誇りのひとつであることに変わりはない。なんてったって、戦後最高の声帯模写芸人なんだから。今日、久々に白山先生の動く姿を見られて嬉しかった。白山先生、改めてありがとうございました(涙)。
2015年09月23日
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どうだい、この落語ファンの人の波!3年間というブランクを経て、久しぶりに開催された落語協会のイベント「謝楽祭」!本当に楽しかった~!行ってよかった、ホントに!それにしても…疲れた…ホントに疲れた…。私は11時40分に湯島天神に着き、16時のお開きまでず~っと境内に居続けたからなんだろうが…。噺家・芸人の皆さんも、さぞかしお疲れだと思うのだが、我々一般人(完全な一般人じゃないが)の疲れも凄い。ドージンの井上さんと御神酒徳利で行動し続けたけど…友人・知人に声をかけられまくり、逆にこちらからも挨拶しまくり…。あんなに落語仲間に会ったのは、ホント久々で。間抜けな顔をしている暇が、全くなかったのは辛かった。いつどこで誰に会うか、見当つかないんだもの(笑)。昨日書いたとおりで、大幹部連の師匠にサインや写真をお願いしたいなと思っていたら…。さん喬・権太楼・雲助というお歴々には、サイン&写真の長蛇の列!とてもお願いできる状況じゃなかった。それが、ちょっとガッカリだったけど…。近所に住んでいながら、最近なかなか会うチャンスのなかった司にも会えたし、小傳次師匠にも会えたし、久々に奇術の花島世津子先生や、春風亭朝之助さんに挨拶できたのもよかった。朝之助さんには、サインもらったし(笑)。写真なんぞ撮る暇がなかった中、写真を撮った芸人は唯一この人だけ…。ご当人に許可もらったので、写真を載せます。足立区在住の草野武史さん!来年真打になるらしい…。どうだろうね、この顔は。こういう顔する余裕があるなら、早く10月9日の歌唱曲目を決めてくれョ(笑)!…というわけで、最後に10月9日の宣伝を改めて。『第11回・歌で綴る昭和の時代』開催日…10月9日(金)会場…お江戸日本橋亭http://www.ntgp.co.jp/engei/nihonbasi/index.html開場…18時30分 開演…19時 終演…21時(予定)料金…(予約)2,000円 (当日)2,500円出演…林家たけ平、桂夏丸、神田真紅 (歌謡ショー司会&構成)林田雄一予約先(メール)sink97@excite.co.jp (電話)09072228704市馬&加藤浩コンビの歌謡ショーに、規模は負けても中身は全く引けを取りません(笑)!!また、下記のメールアドレスでもご予約・お問い合わせを受け付けます。CBC01742@nifty.comたくさんのご来場、心よりお待ち申し上げます!!
2015年09月06日
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明日は、落語協会の久々のお祭り「謝楽祭」に行くつもり。谷中の「圓朝まつり」以来、3年ぶりの大イベント。湯島天神だと、我が家からは比較的行きやすくなるので、久々に足を運んで、ドージン落語の井上さんと場内を歩いてあちこち冷やかそうと思っている(苦笑)。井上さんや私なんかは、比較的普段から芸人さんと触れ合う機会が多い。落語会やイベントのプロデュースもしてるし。そうじゃなくても、ディープな落語ファンになると、まあ必然的にそうなってしまうのだが(苦笑)、明日に関しては「芸人さんと普段喋りたくても喋れない落語ファン」の方を優先させないといけない。再三ここで書いているが、私が最も親しくさせていただいた噺家は、立川談志家元である。”元”落語協会所属の(笑)。昭和40年代初頭の演芸ブーム時代から、2011年の3月まで第一線で活躍し続け、「落語の歴史を変えた」偉大な噺家と仲良く喋ったり、懐メロを一緒に歌ったりできたというのは、私の生涯の誇りである。サシで演ってもらった『談志・円鏡歌謡合戦』、2人きりの内緒話の形で語ってくれた演芸論&ダイラケの漫才…。本当に落語好きで良かったと思わずにはいられない。ところがね…。個人的に「話が出来て本当に感動して泣きそうになった」のは家元じゃないのョ(笑)。家元(および談志信者)が聞いたら大激怒すると思うのだが、私が今までで声をかけてもらって、いちばん嬉しかったのは林家木久扇師匠なんである(笑)!それは、やっぱり「落語自体に興味を持つ前から好きだった『笑点』の人」というのが大きかったからだと思う。今から8年くらい前だったと思うが、市馬師匠に用があって鈴本演芸場に行ったとき、代バネが木久扇師匠だった。確か、川柳師匠の代バネだったはずだ。それで終演後に楽屋を訪ね、入口で市馬師匠と話してたら次の仕事に向かわれる木久扇師匠が出てこられた。私は「あっ、お騒がせして申し訳ありません」みたいなことを言ったら、木久扇師匠が私に向かって…「いやいや、大丈夫ですよ。今日は来てくれてありがとう。これからも寄席を楽しんでいってくださいね」…と、おっしゃってくださったのだ。4歳ぐらいのときから「いやんばか~ん」をマネしてた私。幼いときからテレビで見ていた「あの林家木久扇師匠」に声をかけてもらえた、この感激!この喜び!もし気が緩んでたら、私は絶対感動で泣いていた(苦笑)。家元は、前に書いたが「『艶歌』のマスターの紹介」でキチンと挨拶があったうえで話したから、私の心の中に「感激こそすれど、感極まって泣かない程度の」耐性が出来ていたと思う。突発的に、憧れていた噺家さんに声をかけてもらえるのは本当に感動するもんだ。落語マニア特有の気持ちなんだろうけど(笑)。明日「謝楽祭」に行かれる落語ファンの方は「好きな噺家と話せる感動を味わいたいから行く」という方も、まあ比較的多いんじゃないかと思う。私は若手の噺家さんとは、普段かなりディープな付き合いをしているので、あした話せても、さほど感動はしないと思うが(いろんな人に殺されるな…)、いわゆる大幹部の師匠方と喋れたら感動するだろうな~、なんて思っている(笑)。結果報告は、また明晩に。
2015年09月05日
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そもそも、2020年のオリンピックが東京に決まった理由のひとつに、絶対「世界における日本の信用度合」ってもんがあったと思う。何パーセントかは。「期日までにキッチリと全てを決める」「独創性あふれる様々なサービスを提供してくれる」ってなふうに、日本を見てくれたから、選ばれたんじゃなかろうか。…新国立競技場のゴタゴタだけだって、かなり信用度を落としただろうと思うところへ、エンブレム盗作問題がこのザマよ。本当に日本人もダメになったもんだ。世界中に恥ィ晒しまくりじゃないの!これじゃ朝鮮人や支那人にもバカにされるではないか。まあ大体、デザイナーの佐野研二郎氏のエラの張った細い目の「ヨボセヨ顔」に、これは朝鮮人(三国人)の日本を陥れる陰謀では?なんて穿った見方もしたくなる、ホントにさ。何かの景品のトートバッグのデザイン盗用、エンブレムの使用見本画像も盗用…。仮に「エンブレム」が完全なオリジナルだったとしても、まず信用してもらえないやネ。「オオカミ少年」状態。佐野氏の「パクリ癖」を見抜けなかった組織委員会にも大いに責任はある。どうせまた、例の競技場と同じように責任転嫁合戦になるんだろうけど。誰か…イヤな言い方だけど「独裁的」に計画を断行する、あるいは「俺が責任を取る!」と言い切る人がいないからいろんな事がグチャグチャになるんだよネ。これは私の個人的な意見だが、私はパクリどうこう以前にあのエンブレムは「好きではなかった」。むしろ招致のときに使用していた…このデザインが大変に素晴らしいと思っていた。だから、あのパクリエンブレム(笑)を見たときに「なんか地味な色合いのダサいのになっちゃったな」と思ったのだ。これから、改めてデザインを公募するようだが…変にプロのデザイナーから募集するより、むしろ小学生とか中学生から募集したほうが、いいデザインが来そうな気もする。それより「昭和39年の上り調子の日本よ、もう一度!」の考えで、全部の五輪関係のデザインは昭和39年のものを復刻させたほうがいいかもね(笑)。…これの「1964」を「2020」にするほうが、よっぽどカッコイイと思うのは、私が懐古趣味だからだろうか?あっ、そうだ、言い忘れてた。新たなデザインを考える方、是非とも「旭日旗」をデザインに組み込んでくださいませ。どこかの国だけ怒るからさ(笑)。ボイコットしてくれりゃ御の字だもの、日本にとっちゃ。
2015年09月01日
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