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2007年1月3日放送の初回(正月特番)は、残念ながら見ていた覚えがないのだが、レギュラーとして始まって数か月後から、ずっと見ている身として…。今晩の10周年記念特番は、爆笑、感動、感慨深さなど、いろんな感情が頭の中にグルグルと渦巻くような(笑)、見応え満点の3時間半だった。冒頭は、第1回で訪れた北新宿を、現メンバーで軽~く巡っていたが(テレ東の社長が、氷屋さんの冷凍室でわざわざ表彰式を行ったのは笑った)やはりメーンは、4年ぶりの大江キャスター、半年ぶりの狩野アナの復活であろう。さまぁ~ずの2人も言っていたが、まさか『WBS』を連日やってる大江キャスターが、『モヤさま』というか「バラエティー番組」に帰ってくる(帰ってこられる)とは微塵も思わず、本当に驚いたのが正直なとこ。…狩野アナは、何かあったら、いつでもすぐに戻りそうな雰囲気があるが(笑)。--------------------------------------------------------まあ、見ていて最も感じたのは「大江キャスターを超えるアシスタントには、誰もなれないだろう」ということ。決して狩野アナ、福田アナのレベルが低いという意味ではなくて「オリジナルメンバーには勝てない」って意味ヨ。長野県の上田市で、最初に再会した場面は、緊張から来るぎこちなさを感じたが、ほんの数分だけ。それから後は、4年前と全く変わらぬフォーメーションが復活し、見ていて嬉しくなったものだ。三村氏が、前から大江キャスター贔屓(画面を見てる限り恋愛感情も多少あるような…??)なのは分かっていたが、大竹氏の顔つきも違っていたように思う(笑)。そして何より、大江キャスターの立居振舞いの素晴らしさ、立看板などの中身の「要約の巧さ」、アナウンサーとしての完璧なスキルがあるのと共に、ややオトボケの一面も見せて笑いを取る…。こんな人、そう簡単に出てこないと思うよ、私は。懐かしい『モヤさま』の空気が流れていて、感慨深さとともに、正直「狩野アナ・福田アナに悪いが『WBS』をほかの人に譲って、『モヤさま』に戻ってこないかな?」とまで思ってしまった(笑)。----------------------------------------------------------狩野アナ、福田アナが合流しての松本市での「5人行動」も豪華絢爛でありながら、結局いつもの空気が流れ続けている素晴らしさ(笑)。普通、よその局で「10周年記念特番」なぞ、やろうもんなら、豪華ゲスト呼んで、無駄に盛り沢山の内容にするんだろうが、それをやらないのが、この番組のエライとこ。ステーキハウスでの食事の際、福田アナが大江キャスターに言葉を掛けられて泣いていたが、どんな言葉だったんだろ?そこはちょっと気になったが…。----------------------------------------------------------いちばん爆笑したのは、フィナーレの狩野アナ作詞・作曲の『10周年』の歌だろうか。♪「モヤモヤさまぁ~ず、10周年」というメロディーライン、一発で覚えてしまった(苦笑)。テロップで「牧伸二先生のメロディーに似てる」みたいに出ていたが、私は聴いた瞬間、植木等御大の『ウンジャラゲ』の終わりを思い出した(笑)。♪「ランラランラランで一週間」のとこね(笑)。それで爆笑していた大江キャスターが、収録が終わったら「終わっちゃったぁ~!」とか言いながら、狩野アナと大泣きしていたのも、実にこの番組らしかった!また機会が合えば、キャスター業をうっちゃってでも(笑)『5人モヤさま』をやってほしいものだ。
2017年04月30日
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昨晩4月27日(木)に放送された、テレビ朝日『夜の巷を徘徊する』は、なかなかの見応えがある30分だった。普段は、マツコが夜の町を徘徊する「夜の散歩番組」だが、昨晩は木村拓哉と2人、テレ朝の社屋からスタートして…という内容だった。昭和47年生まれ、1年だけとはいいながら「同じ高校の同じクラス」だった2人。そして、マスコミの世界で共に(ジャンルは違えど)天下を取った2人……ということにもなるだろうか。私は、ハッキリ言って元々なんとも思わない人だったし…そして、昨年の騒動で印象も非常に悪くなり、キムタクは「半分は過去の人」「既に終わった人」というイメージになりつつあった。昨夜の番組も「映画の宣伝で大変だな~。これでコケたら目も当てられないもんねぇ!」てなもんよ、始まる前は。しかし、キムタクが見せた顔は、ほかと違っていた。SMAP時分に見たことがないような、肩の力が抜けた屈託のない喋りの中に光っている、確かな分析力。そして、マツコに対するさりげない気遣いの巧さ。「中居だけじゃなくて、キムタクも話の運びが巧え!」ってのが、正直な感想だった。他所じゃ話さない家族の話や、マツコに対し「テレビのスタッフが自分たちの言えないことを、全部マツコに背負わせてるのではないか?」との質問に「そこまでハッキリ言ったヤツぁいないよ!正直疲れてます!」とマツコが本音をぶちまけたのも、非常に良かった。「トークの魅力」ってのは、大したこと話さなくても、2人ないし3人の「ウマの合い方」に尽きると思う。つまり「呼吸(いき)」ってことね。漫才とかさ。それで言ったら、昨日のキムタク&マツコは、全盛時の「たけし&さんま」「たけし&高田文夫」「タモリ&さんま」とかに匹敵する絶妙さ…だったように感じた。次回は続編だそうで…。これ、結構期待できるかも…。---------------------------------------------------------そして、今晩放送された、毎度まいどのBSジャパン『武田鉄矢の昭和は輝いていた』。今晩は「ピン芸人特集」。なかなかアバンギャルドな企画を毎週やるもんだ(苦笑)。たったの1時間で、どういう流れでやるんだろう??と思っていたら、アタマでいきなりテレ東秘蔵映像の1つ、牧野周一先生の映像で始まった(笑)。昭和49年1月放送、亡くなる1年ちょっと前に出演した『人に歴史あり』の中から、漫談を演っているVTRが出たが、あれは平成5年放送『昭和を駆け抜けた101人』以来の蔵出しだと思う。だから前にも書いたが、平成5年10月に放送されたときに比べて、映像の保存状態が悪くなっていた。前に見たとき、あんなに画面が荒くなかったもの。ボン・サイト先生や、源氏太郎先生、ダーク大和先生の映像も久々に見たが…。その間にま~たまた我が師匠、白山雅一先生が出てきたのはビックリ!思わず「また先生が出た!」って叫んじゃった(笑)。…一昨年だか、この番組で見た映像と同じ物だったけど。あれしかテレ東の映像ないのかねぇ(苦笑)??今でも先生の姿と声を見ると、また電話かかってくんじゃないのか?と、期待と恐怖が入り混じった感覚になるのが悲しいような嬉しいような…。それだけ、年がら年中、長電話があったもんなぁ…(涙)。また先生の映像や音源を探してみようかしらん?
2017年04月28日
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今朝、新聞を開いて、訃報を知り絶叫してしまった。まさに「巨星墜つ」。冗談抜きで「死なない人」だと信じて疑わない節があったから、本当に驚いた。矢来町のときみたいに「これで落語が終わった」などとバカなことは決して言わないが「戦後落語黄金時代」は終わった…という気がする。もちろん、まだ金馬、米丸、笑三というお歴々がいるが、テレビ・ラジオ・映画と全てにおいて超人的な大活躍をされた最後の生き残りの噺家が、圓歌師匠だったと思う。落語家の枠を軽く飛び出して、全国区の大スターだった師匠だものね。享年88。一部報道で「享年85」と発表されたようだが、これは空襲で戸籍が焼け、後に改めて戸籍を作った際に昭和7年生まれになっちゃったから。ホントは昭和4年の生まれ(のはず)。圓菊師・金馬師と同い年のはずだ。…ちょっとサバぁ読んだのか(苦笑)?--------------------------------------------------------「昭和の爆笑王」という称号は、たけ平師の大師匠である林家三平師に付けられることが多いが、「真の爆笑王」は私は圓歌師だと思う。「授業中」「月給日」「浪曲社長」「中沢家の人々」…。私は生で「中沢家」と「御前落語」しか聴いていないけど、圓歌師匠がウケなかったところを見たことがない。どんなに重い客席(昼間の末廣亭とか)でも、圓歌師匠が高座で喋りはじめると、クスクス笑いが徐々に起きてきて、最終的には「天井が壊れるんじゃないか?」と思うほどの大爆笑になったのを何度も経験した。本当にカッコよかった。これは、ウチの母親がよく言っているのだが、歌奴時代に一世を風靡した新作落語の「授業中」。今日の訃報では「山のアナアナ」ばっかし言われていたが、母親曰く「『授業中』は、一席まるまる全部が流行語」と言ってもいいほどだったらしい。それが証拠に…最近、ハンバーガーのパンのことを「バンズ」と言うことが増えたが、この言葉が出ると我が家では…「バンズバンズ(まんずまんず)、座ってけれや」「おい、饅頭座って蹴飛ばせとよ!!」…という「授業中」のフレーズを必ず言う(笑)。ワインの「マンズワイン」ならば、もっと言う(笑)。あと「浪曲社長」の…「♪敵の爆弾、雨あられ、親父目掛けて、ガバと!!」「当たったのか!?」「♪弾がよ~けていきまし~た~」…てえのも、名フレーズであろう。65歳以上の日本人で、小さいころに、ある程度テレビやラジオで演芸番組を見ていた人なら、100%近く知ってるフレーズだと思う。歌奴時代は、神風タレントとしても大活躍をされた。ドラマにも出まくり、東宝の『落語野郎』シリーズには4作全部に出てるし、そのうち1本は主役だし!明治チョコのCMの「おれ、ゴリラ。社長の代理」ってのも一世を風靡した大流行語でもあったわけだし。------------------------------------------------------------しかし、最強に凄い功績は、上田敏が(上原敏じゃない!)訳詩した、カール・ブッセの『山のあなた』を、全国区にしたということであろう。「山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う…」というこの名訳詩を、虎造節で唸りたくなるのは、私だけではあるまい(苦笑)。8~9年前に、末廣亭で1度だけ聴いて腹ぁ抱えて笑ったエピソード(クスグリ)があった。ほかの高座では私は聴いたことがないクスグリ。まあ、圓歌師匠の言うことだからウソなんだろうけど(笑)昭和30年代~40年代、あるテストで「『山のあなた』の作者を書け」との問いに、70%の学生が「三遊亭歌奴」と書いたという(笑)。でも、これが事実であってもおかしくないほど流行った…ということを如実に表すクスグリだと思ったっけ。一度でいいから、寄席で生で「授業中」と「浪曲社長」を聴きたかった(涙)。------------------------------------------------------------私は何度となく「中沢家」で客席をひっくり返した場面に出くわしているが、最も印象的なのは、2012年6月29日の鈴本演芸場「第3回・鈴本囀の会」にゲスト出演したときの「中沢家」。三遊亭司・林家たけ平・柳家喬の字の三人会に、ゲストで出演された、このときの高座は忘れられない。孫弟子の司師も、たけ平師も「震えた」と後に言うほどの完成度&大爆笑で、若手相手でも決して手を抜かない姿勢に「藝人スピリッツ」を感じ、感動したものだ。…誰か録音してないかな?あの高座(笑)。-------------------------------------------------------------私は三平師の高座には間に合ってないが、圓歌師の高座はバッチリ間に合うことができた。何回か数え切れないほど、生で「中沢家」を聴き、次に何を言うか分かっているのに涙を流して、腹ぁ抱えて爆笑した。この十数年間。もう「中沢家」が生で聴けないのが、信じられない。正月の寄席の看板に(通常興行もだが)「圓歌」の名前が二度と出ないというのが、信じられない。圓蔵師匠のときも同じことを書いたが、今まで何度となく大爆笑させていただいた分、辛さと悲しさが半端じゃない。「『しばらくでしたぁ~中沢さん…』同級生だョ、俺の!」「『猪木が危ねえ!』、テメエのほうがよっぽど危ねえ」「可哀想なのは鳩だよ、豆ェくれるンだか、くれねンだか…」…このフレーズを書いただけで、もう涙が出てきてしまう。ここでも書いたが、一昨年の3月8日、三遊亭司の真打昇進披露パーティーの終宴時。勇気を振り絞って、圓歌師匠に挨拶させていただき、2ショット写真を撮っていただいた。談志師匠ももちろんだが、戦後の落語の歴史を語るときに欠くことのできない大重鎮と話せた、写真を撮ってもらったというのは、本当に私の中の財産である。圓歌師匠、本当に長い間、お疲れさまでした!噺家生活は72年…ということになりますでしょうか?心より、ご冥福をお祈り申し上げます。
2017年04月24日
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2006年1月から始めた、このブログ。11年かかったが、今日で、なんと1000件目の記事!!趣味以外はホントに飽きっぽい私が、よくぞここまで続いたもんだと思う。途中、体調不良とかで何度かの休み(数か月程度の)は取ったけど…。最初のころのブログを改めて読み返してみると、稚拙で過激で、文節も滅茶苦茶で、ホント恥ずかしい(苦笑)。だからって消したりすると、自分で忘れていることの記憶の確かめが出来なくなるから、消せないのヨ…。批判的なコメントとかも、当時はただの「荒らし」と思っていたが、今となっては、このブログの書き方を改めて見直すいいキッカケだったと思う。万人に喜ばれるブログなんて、書けっこないんだしね。私に対して批判的な人に認めてもらおうとし過ぎると、最初から好意的に捉えてくださっている方が、徐々に離れていってしまうことになるわけだから。別に、こんな私のセコブログだけでなく、批判する人は「その対象」がどう変わっていこうと、批判・攻撃はし続けるからね、間違いなく。------------------------------------------------------いろいろ枝葉を伸ばしてみたりしたが、本当に自分が書きたい文章を選択していって、中身を選っていった(演芸と『なつかしの歌声』)のは、正しかったのか分からないけども、良かったっちゃ良かったのかも…。というわけで、セコイ中身のブログではありますが(笑)今後とも、ご贔屓何とぞよろしくお願いいたします!
2017年04月23日
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大変長らくお待たせいたしました!昨年10月以来、実に8か月ぶりの開催となる吉例企画!初の2回連続公演!是非ともご来場くださいませ!!昭和歌広場・第10回記念大会「前線は歌う・銃後も歌う(前後編)」開催日…(前編)平成29年6月3日(土) (後編)平成29年6月17日(土) 会場…神保町らくごカフェ13時開場 13時30分開演 16時過ぎ終演(予定)入場料…(予約)2,300円 (当日)2,500円 (前後編通し券)4,000円司会…林田雄一解説…保田武宏(演芸評論家)ゲスト…林家たけ平(17日の後編のみ)オーディオコーディネート:高山承之内容のお問い合わせ・チケット予約はこちらまで4890mffs@jcom.zaq.ne.jp0ps388121401v2y@ezweb.ne.jp090-4183-2028ご予約の際「名前(フルネーム)」「連絡先(携帯電話等)」「必要枚数」「『前編・後編・通し』のいずれか」を必ずお伝えください。電話でのご予約・お問い合わせですが、月曜~水曜は20時~23時の間、木曜・金曜はメールのみ、土日・祝日は10時~17時の間でお願いいたします。それ以外の時間は、電話に出られない状況におりますのでご了承くださいませ。ちょっとご予約にお手間を取らせるかも分かりません。大変申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。----------------------------------------------------------今回は、昭和10年~20年までの「歌謡曲黄金時代」という大きな括りで、戦時歌謡・軍国歌謡を中心に、さまざまな名曲・珍曲の数々をお届けする予定です。前後編合わせて、計44曲かける予定ですので、是非ともご期待くださいませ!当方の都合で、少々料金が上がって申し訳ないのですが、その分は中身を充実させまして、ご満足いただける会になるよう努力いたします!たくさんのご予約&ご来場、心よりお待ち申し上げます!
2017年04月21日
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SPレコードのコレクションってなぁ不思議なもんで、長い間「真剣に欲しい盤」であればあるほど、なかなか手に入らないもの。神保町でも全く探せず、やっとネットで見つけても、落札時間ギリギリで、ほかの人に取られてしまったり。それで、真剣に欲しい盤ほど「その盤に興味なしの友人・知人が簡単に手に入れてしまっている」という法則がある(笑)。これホント。私が現時点で、いちばん欲しいSPレコードは…。…ここでバラすと、ネットオークションに出たときに値段がエラく吊り上がる(ほかの入札者に意地悪で吊り上げられてしまう)危険性が多分にあるのだが、書かなきゃブログが始まらない(苦笑)。順位と付けると、だいたいこんな感じか。下記の歌は「SP盤を一度も見たことがない」のが共通項ネ。1・『ゴジラさん』(昭和30年・青木はるみ)2・『男なら』(昭和12年・林伊佐緒ほか)3・『銀座尾張町』(昭和18年・東海林太郎)4・『ブラジルの太鼓』(昭和29年・伊藤久男)5・『ニコライの鐘』(昭和26年・藤山一郎)(4)(5)なんて、すぐに見つかりそうなもんなのに今まで一度も見たことない。(2)も有名な歌なのに。しかし(1)のSP盤は欲しい!音は持っているのだが、SP盤を見たことが全くない!でも(1)は友人が持っている。大して欲しい盤じゃなかったと聞いているから、非常に悔しい(苦笑)。-------------------------------------------------------それで、ここから本題だが、これの逆の経験ってのを一昨日初めてした。悔しがってる相手は、なんと我が師匠の演芸評論家&歌謡曲研究家の保田武宏先生(笑)。先日、このSP盤を手に入れた。小畑実さんが最後にコロムビアで吹き込んだ曲。昭和26年2月発売。小畑さんはコロムビア時代(昭和25年~26年)はヒットが殆どなく、あまりパッとしなかった。このあと、すぐにビクターに帰って、いきなり出した『高原の駅よ,さようなら』が空前の大当たり!…というわけで、この『お嬢さま踊りませう』という歌は全く売れなかったらしいのだが、この盤、保田先生いわく「何十年探しても見つからなかった大珍盤」らしいのだ。私はネットオークションで…ある程度は競ったものの、さほどの高額じゃなく落札したので、別に何とも思わず「こんな歌もあったのね」程度の感覚で(苦笑)。それを保田先生にメールで報告したら、エライ興奮した内容の返事が返ってきて「この歌、そんな珍盤なんだ」とあらためて認識した次第(笑)。戦後のコロムビアの小畑さんの歌で、もっとも珍しい歌なんだってさ!先生は、この歌が長年あんまりにも見つからなかったので「ホントに発売されてたのか?」なんて疑ったこともあったらしい(汗)。それで、一昨日「第10回・昭和歌広場」の打ち合わせをすべく、久しぶりに会ったのだが、あんなに大マジに「譲ってくれオーラ」を出しまくる先生を初めて見た。「じゃ、15万円なら…」っつったら怒ってたけど(笑)。-----------------------------------------------------これ、いろんな物事のチャンスと似てて、がっついて探したりアピールをしすぎると、かえって上手くいかずダメなのかもね。就職試験とかもそうだな。さりげなく…というか、変な言い方だが、興味が薄れたり忘れたりしたころに、フッと願いが叶って手に入ったりするんだろう。
2017年04月17日
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そりゃもう年がら年中、このブログで出るフレーズだから閉口している方も大量にいるだろうが、入口は「これ」で入りたい(笑)。『なつかしの歌声』は、かつてのテレビ東京の看板番組の金字塔ではあるが、放送期間は僅か6年。もちろん特番は別にしてだが。-----------------------------------------------------2007年の正月に、単発番組として始まった『モヤさま』。今年で目出度く、放送10周年。『なつかしの歌声』より4年も長く続いている(笑)。07年4月から深夜でレギュラーとなり、2010年4月から日曜日のゴールデン番組になった。いわゆる「お笑い芸人がやる街ブラ番組」の先駆けであり、巷の奇人・変人を大量に発掘し、『鑑定団』『アド街』と並ぶ「テレビ東京の大看板番組」に成長したのは、やはりさまぁ~ずと歴代アシスタントアナ(大江アナ・狩野アナ・福田アナ)との絶妙なやり取りが魅力だから…だろう。ゴールデン番組になって、下ネタやいかがわしさが薄れ、ただの観光番組になってしまった…という意見もある。その気持ちは、私もよく分かる。でも、もし深夜のままだったら、この番組はとっくの昔に終焉を迎えていたような気もする。-----------------------------------------------------3週間前の放送で「次回4月16日放送で、重大発表が!!」てな煽りが。私も非常に気になっていた。世間のモヤさまファンも、冗談抜きで「モヤモヤ」してたに違いない。予告を見た限り、ネガティブな重大発表ではないだろうとは思っていた。例えば「番組終了」とか「福田アナ降板」とか。私が予想していたのは、確実っぽい順でいくと…1・放送曜日&時間の移動(平日深夜に戻るとか)2・放送時間が縮小(元の19時スタートに戻る)3・10周年記念のイベント開催4・「放送10周年記念特別番組」が放送…このうち、どれかだと踏んでいた。まあ(1)と(2)はネガティブっちゃあ、ネガティブな予想だけど(苦笑)。そしたら…発表されたのは、モヤさまファンが狂喜乱舞する「放送10周年記念特別番組」の放送決定という報!しかも大江・狩野・福田の揃い踏み!いま現在『WBS』のキャスターになってしまった大江アナ、夕方の帯ニュースのキャスターになった狩野アナのスケジュールを、どうやって空けた(空ける)のかが不明だが(土日祝に撮った《撮る》のかネ?)。伊藤プロデューサーいわく「テレ東の社長に企画書を持って相談に行ったら『別にいいんじゃない?』と言われた」とか。なんて寛大な上層部なんだろうか(笑)。-----------------------------------------------------------とにかく、再来週が楽しみで仕方ない。あんまり過度に期待しすぎると、感想が「まあまあ、こんなもんか…」で終わってしまう危険性もあるから、さほど期待せず(笑)楽しみに待ちたい。それまでに天変地異やら大事件が起きないことも祈ろう。トランプ大統領!北朝鮮のウスラデブの首を斬り落とすつもりでしたら、4月30日以降でお願いしますよ(笑)。ホントは日本が直接攻撃して、ウスラバカチョンデブの首を日本刀で横一文字にスパン!と刎ねて「た~がや~~!!」と思いっきり叫びたいもんだが(笑)。-----------------------------------------------------------再来週の3時間半の特別番組、昔の『昭和歌謡』レベルの大騒ぎという感じか。近年だと、太川&蛭子コンビの、例の『ローカル路線バス』並の力の入りようじゃないかと思う。5人の街歩きは、福田アナにとって「かなりの試練」だと思うけども、いい意味での「化学反応」がホント楽しみだ。
2017年04月16日
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昨年あたりから「イケメン」や『昭和元禄落語心中』のくくりなんかで、また落語に脚光が当たっている。雑誌の特集もあり、また新たな出版本などが出ていて、私も大体目を通したが…。出来不出来はあらぁね(苦笑)。そんな中、今月発売されたムック本『落語ワンダーランド』(ぴあ株式会社発行・2,000円)は、最高の出来なんじゃないだろうか。ここまで「良い意味の中身」がギッチリと詰まった本は珍しい。大概「あれが抜けてる、これが書いてない!」なんていうイチャモンがマニアからあるもんだが、このムック本に関してだったら、誰も何も言わないんじゃないだろうか?----------------------------------------------------まず何が凄いって、冒頭の春風亭昇太師・春風亭一之輔師のインタビューも良いが、座談会(鼎談)のメンバー!青木伸広・長井好弘・広瀬和生というお三方…。広瀬さんは殆ど会話したことないが、あとの2人は本気で世話になり、私に「落語に携わる」という姿勢を、厳しくも温かい目線でイチから教えてくださった恩人である。保田武宏・稲田和浩・和田尚久というお歴々も勿論だけど。そりゃ、最大級の恩人は保田先生だけどさ(笑)。「噺の処方箋」ってページは、あんまり私には役に立たないページではあるけど(苦笑)結構、面白く読めた。----------------------------------------------------最も圧巻なのは、長井さんがチョイスした(んだと思うが)「噺家百傑・新鋭二十人」!ここはホント凄い!真打100人・二ツ目20人(四派満遍なく)を選びに選んで、短く解説を書いているのだが、これはマニアも楽しいし、初心者にも打ってつけの名ガイドだと思う。長井さんの、短いながらも無駄のない文章も好い。米丸・笑三・金馬・圓歌という大御所から、なんとなんとたけ平・夏丸という若手まで、くまなく載っている。あゝ我が親友・林家たけ平師のキャプションが凄い。「観客を味方につける才能」だとさ(笑)。まあ確かに、そういう点は若手のトップだろうよ。「達者なしゃべり、憎めない毒舌」とも書いてある(笑)。喋りが達者だから、夜中に電話がかかってくると、軽~く3時間になるんだよ(苦笑)。たけ平師の、あの高座には、もちろん大師匠・初代三平師のスピリッツも強く感じるが、ときたま眉間にシワを寄せてマクラを振るときに、私ゃ立川談志の匂いを感じるのよネ。「しかめっ面しながら腕組みして、マクラ振ったら?」とアドバイスしてみようかな(笑)?ますます家元に似るヨ。もうひとりの親友、夏丸さんのキャプションは「『昭和』が似合い過ぎ!」だってよ(苦笑)。私と同じじゃん。だから、たけ平・夏丸・私で「歌で綴る昭和の時代」をやってんだから!-------------------------------------------------------そういや、話は急に変わるが、この間の春風亭三朝師のパーティーのときに、主賓席に長井さんを見つけた。私は挨拶したあと、長井さんの首を絞めながら「なんで『歌で綴る~』、ただの一度も来ないのよ!?」と怒ったら、「なんで俺が、たけ平の下手クソな歌に、金ェ払わなきゃならないんだ!?」と言い返された(苦笑)。…私は何も言えなかった…(爆笑)。そして「7月14日に、ことぶ季亭で『たけ平・三朝二人会』やるから、それは来てね。真面目な会だから」と言ったら、「じゃ、お前は普段、歌の司会、真面目にやってないの?」だって!私は「キィーッ!!」と奇声あげて、また首ィ締めた(爆笑)。でも、黒門町のDVDを買った話をしたら「おお、買った?とにかく姿を見ないとね、黒門町は。音だけだとネ…」って、適切なアドバイス(?)もおっしゃってくださった。--------------------------------------------------------保田先生も、青木さんも、長井さんもだが、日本を代表する演芸関係のお歴々から直に薫陶を受けることができるのは、奇跡のようなもの。私は本当に幸せもんだ。上記のような、傍から見りゃ「喧嘩」にしか見えないようなキツイ会話ができる…というのは、東京人であることと共に「全身全霊で演芸を見てきた」ご褒美なのかもしれない。…とまあ、なんだか話が自己自慢に終始してしまったけども、とにかく「落語ワンダーランド」は買い!過去最強のムック本と言ってもいいかもしれない。値段は結構するけれど、これほど充実した中身はないヨ。
2017年04月14日
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今日の14時半すぎ、知人からメールが来て訃報を知った。同時にネットにも訃報が出たようだ。いや…もう、ホントに信じられない。ついこないだ、歌手協会の「歌謡祭」で歌ってる姿を見たばかりだし、BSジャパン『昭和は輝いていた』の3時間スペシャルで普通に話してるのを見てたし…。死因は肺炎とのこと。享年83。3月29日に舞台で普通に歌ってて、3月30日にブログを更新していて、それから2週間弱で…というのは…。よっぽど身体が弱っていたところへ、風邪でもひいてしまったんだろうか?「肺炎球菌ワクチン」を打ったりしてなかったのかねぇ?本当に残念で仕方がない。確かに、昨年あたりから急速に歳を取られたように見え、足元がおぼつかない感じを受けてはいたけども…。でも、歌声やトークは全く普通だったから。----------------------------------------------------バタヤンや、岡本っちゃんが亡くなったときより遥かに「戦後が遠くなった」という思いがする。なぜなら、ペギー会長(会長職を退いても、私やIさんはこう言っている)なんて「ややベテランの歌手」っていう認識だからだ、今の今まで。「死ぬ」ということと、最も縁遠い流行歌手の最右翼のお一人だったからだ。『南国土佐を後にして』『学生時代』なんて、私の中では「懐メロ」ではなく「普通の歌謡曲」のカテゴリーに入る歌だから。私の感覚が世間とズレまくっているのは百も承知だが…。----------------------------------------------------私がペギー葉山という名前を最初に認識したというのは、やはりフジ『ひらけ!ポンキッキ』で出てくるおばさん…というもの。確か「躾のおばさん」だった。交通ルールを守ろうとか、そういうのをカメラ目線で子供たちに訴えるという…。あと、再放送で知った知識だが『ウルトラマンタロウ』のウルトラの母。ネット上じゃ、ペギー会長の訃報が出たら「ウルトラの母が逝った」みたいなコメントばっかしだと聞いた。考えてみりゃ、亡き旦那さん(根上淳)は『帰ってきたウルトラマン』の伊吹隊長だったもんネ。特撮夫婦という側面(??)もあったのか、あの2人は。----------------------------------------------------とにかく、数え切れないほどペギー会長のステージを見られたというのは、財産である。「みたままつり」と「歌謡祭」だけだが…キチンと勘定をしていないけど、20回近くはステージを見ているはずだ。3年前に秋田に『東海林太郎音楽祭』を見に行ったとき、ゲストがペギー会長とボニージャックスで、楽屋口で軽くだけど挨拶したこともあったな。ちょっと怖そうで腰が引けてしまったのを覚えている。『ドミノ』『ケセラセラ』『ラ・ノビア』『南国土佐~』『学生時代』『爪』なんかは、生で聴いていると思う。でもまあ、圧倒的に生で聴けたのは『南国土佐~』!10回以上は軽く聴いているだろう。例の『よさこい節』にかかると、観客が大合唱するのが近年の「歌謡祭」のルーティンみたいになっていたし。『ソーラン節』の伊藤多喜雄とコラボしたのもあったな、一昨年くらいに。その前は、小林旭と一緒に歌ったのも見ている。今年の「歌謡祭」からは、もうご本人で『南国土佐』は聴けないのか…。こんな虚しいことはない。--------------------------------------------------------たかだか17年くらい前までは、二葉あき子・青葉笙子・塩まさる・田端義夫・菊池章子・岡本敦郎・久保幸江が普通に歌ってたんだよ、目の前で。歌ってなくても、小野巡が生きてたのよ!?ペギー会長や、お千代さんや、お恵ちゃんなんて、ごく当たり前に舞台に出てくる歌手だったんだよ!?なんで、全員いなくなっちゃうんだよ(涙)!?ますます「歌謡祭」に行く気持ちが失せそうだ…関係者には申し訳ないけど。---------------------------------------------------------病みやつれた姿を全く見せることなく、生涯現役を貫いてあの世にあっさりと逝った…というのは、見事のひと言に尽きる。芸人なら、こう逝かなきゃ!しかしね…、現世(こっち)に残された歌謡曲ファンや、ジャズファン・シャンソンファンは辛い。そして虚しい。NHKとテレ東は、追悼番組やンのかねぇ?『ドレミの歌』の功績だけでも、十二分に追悼特別番組が組まれておかしくない功績なんだけどさ。浅田真央選手が引退しただけで、いきなりゴールデンを特番に差し替えることができるんだったら、ペギー会長の追悼番組もやるべきだろう。こういうところに、日本のマスコミの文化程度の低さが出るんだよ。20年前のテレ東なら、明日の晩は間違いなく追悼特別番組だろう。玉置先生が司会で。---------------------------------------------------------ペギー会長!長い間、お疲れさまでございました。秋田でキチンと挨拶せず、大変申し訳ございません!心より、ご冥福をお祈り申し上げます。
2017年04月12日
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歯切れの良い関西弁、ガラが悪くとも決して下品ではなくある種の「品格」がある漫才師だった。東京人の私も、大好きな漫才コンビのひと組。芸能活動のスタートは女優として、その後は夫婦漫才「唄子・啓助」で一時代を築き、その後はまた女優で大活躍をされてきた、上方の至宝が逝った。享年89。年齢的には不足はないが、残念で仕方ない。09年に腰椎圧迫骨折をされたのが、表舞台から徐々に去っていくキッカケだったと思うが…あれさえなけりゃ、今でも十二分に大活躍されていたと思う。人生最後の7年ほどが闘病生活だけで終わってしまったというのは、本当に勿体無い。『渡る世間は鬼ばかり』の大活躍ばかりが、これから訃報でクローズアップされるんだろうが、個人的には漫才時代の映像を流してほしいもんだ。もちろん女優としての活躍も素晴らしいものだった。『渡る世間』は勿論のこと、2時間ドラマでの姑役はイヤミっぽいのから善人っぽいのまで、実に巧かった。------------------------------------------------------個人的に京唄子先生というと、テレビ東京の大晦日『年忘れにっぽんの歌』のサブ司会が忘れがたい。初登場は昭和55年の大晦日。後から調べた話なんで、明確には断言できないのだが、昭和61年までは確実に連続出演をされている。江戸前の玉置先生や、コロムビア・トップ先生を相手に「上方ムード」を歌舞伎座内に振りまいていた(笑)。サブ司会をされている姿は、最近になって、知人から放送当時の録画テープをダビングしてもらったので、それで見ることができたが、物凄いもの(笑)。------------------------------------------------------ただ、これは唄子先生だけじゃないのだが…歌の司会は関西芸人はしないほうがいいと思う。なぜなら「歌の途中、あるいは別の人の司会の途中に平気で乱入してくる」のが我慢ならないのだ(笑)。自分が一歩引いて、主役を立てるってことが基本的に頭の中にないのね(苦笑)。昭和55年大晦日、唄子先生は初めての『年忘れ』出演で張り切っていたのか知らないが、まあ出しゃばること!オブさんの『月の法善寺横町』の途中で踊りで乱入(笑)。そしてお千代さんの『東京だョおっ母さん』の途中でも乱入し、歌詞に感極まって勝手に泣くという(苦笑)。翌56年の大晦日は、フィナーレの直前に玉置宏・神崎愛の2人の間に乱入し「皆さん!聴きたいと思いませんか!?『青い山脈』!!」と叫び、玉置先生の司会の間を微妙に狂わすという…。あれは申し訳ないが、いただけない。トップ先生、普段どんだけ威張って横柄だったか知らんが、絶対に歌の邪魔をすることはしなかった。そこが東京芸人と関西芸人の違いかね。手元に『昭和歌謡大全集』第1弾がある方は、ミネ御大の『人生の並木路』を見てほしい。1番を歌ってる後ろでトップ・ライトの2人がサイレントコント(?)みたいなことをやってるが、決して歌の邪魔はしていない。また、私の手元に、小畑実や美ち奴の歌の間奏で軽~くトップ先生がコントめいたことを演って、観客大爆笑!というVがあるけれど、これを見ると「一歩引くことの大切さ」がよく分かる。-------------------------------------------------------てなわけで、歌の司会は難があったけど…唄子先生の話術は天下一品の名人藝。これは間違いない。『おもろい夫婦』には間に合ってないが、唄子・啓助の漫才は、小さいころに関テレの『花王名人劇場』とかでよく見ていた。腹ぁ抱えて笑っていたのを覚えている。近年は『ぴったんこ・カンカン』で、安住アナとピン子と3人でふざけまくっていたような覚えもあるな。上に書いたことと重複するが、腰椎圧迫骨折さえなきゃ、もっともっと大活躍できたはずなのに…。ホント惜しい。京唄子先生のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。長い間、本当にお疲れさまでございました。
2017年04月07日
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う~ん…こう言っちゃなんだが、なかなかの「滑り具合」と見受けられた(苦笑)。テレ朝の番組の中で、個人的に『タモリ倶楽部』と双璧だった看板番組『マツコ&有吉 怒り新党』が、先週で6年間の歴史に幕を下ろし…。今日から番組タイトルが『マツコ&有吉 かりそめ天国』に変わり、再スタート。天国を模したセットになり、進行係も青山愛アナから久保田直子アナに変更になった。まあ、あの2人だったら、誰とやっても大丈夫だろうとタカをくくり、期待していたのだが…。…だから、昔から「テレビ番組のリニューアル」ってのはロクなことがないんだよ(苦笑)!!----------------------------------------------------番組スタッフに大変申し訳ないが、進行の久保田アナやスタジオセットはこのままで構わないから、なるべく早急に『怒り新党』のフォーマットに戻すべきだろう。俳優の前野朋哉(auの一寸法師)のナレーションも…別に前野さんを見下したりとか、地方差別ではないが、岡山訛りの棒読み風のナレは、耳障りな気がする。ある程度の近いうちに、ナイツ塙に戻すか、ごく平凡な標準語のナレーションに変更すべきだと思う。それに結局2人とも、いろんなことで怒ってるし(笑)。まだ1回目だから、貶したところでしょうがない部分もあるのは解るが、この初回に関しては「リニューアルの意味が分からない」感じになってしまっていた。----------------------------------------------------上にも書いたが、ちょっと「番組終了」の嫌な予感がしてしまう再スタートだったように思う。20年くらい前の日テレ系のバラエティーでよくあったパターンの「番組のタイトルと内容が合致しなくなって、視聴率が悪くなり番組終焉」という「負のスパイラル」を思い出さずにゃいられない感じというか…。『マジカル頭脳パワー』とか『ショーバイ・ショーバイ』の最末期を思い出したところがあった。両番組とも最末期は番組の当初の趣旨と、全然関係ないクイズやらゲームやらやってたもんね。----------------------------------------------------年がら年中、ここで書いてるテレ東の『なつかしの歌声』は、昭和45年4月7日からレギュラー回がカラー放送になった際、「取り上げる歌の年代を繰り上げる」リニューアルをして評判が悪くなったときに、半年で内容を元に戻している。同じテレ東『なんでも鑑定団』も、フジの『火9ドラマ』がいっとき強かった際に、変テコな企画を毎週のようにやって数字が下がったことがあったが、そういう企画をすぐ止めて元に戻したからこそ、今日の繁栄があるんだと思う。最近は石坂浩二の降板やら、曜変天目茶碗の鑑定結果やらでちょっと看板に傷が付いた気もするが(苦笑)。話が逸れたけど、テレ朝の番組スタッフも「リニューアルをしくじったな!」と思っているのならば、たとえネットや週刊誌やらに叩かれても、勇気を持って「元に戻す」ことが大事なんじゃないだろうか??とにかく『かりそめ天国』の初回は、合格点ではなかったと私は感じた。----------------------------------------------------『かりそめ天国』……。「かりそめ」ね……。♪夜の~銀座~は~~七い~ろネ~オ~ン~……(苦笑)。
2017年04月05日
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偶数月の第一火曜の晩、西新宿にある演芸CDショップ「ミュージック・テイト」の吉例企画「夏丸演芸館」。昨晩ご来場のお客さま、本当にありがとうございます。毎度まいど、夏丸さんとのエンディングトークが長くなり申し訳ございませんです(笑)。----------------------------------------------------私が司会者として、初めて出演したのはいつなのか…全くもって記憶がない(苦笑)。もう、少なくとも4年半以上は出演していると思うが…夏丸さんに聞いてみないと分からないな。たぶん「10回台」からは、毎回出ていると思う(笑)。----------------------------------------------------回を重ねて、昨晩で33回目。そして、主役の夏丸さんから正式発表があったので、私のほうも情報を解禁するが…。次回、6月6日(火)の第34回大会で「夏丸演芸館」は最終回を迎えることになった。そろそろ真打昇進が射程圏内に入ってきたこともあり、ここらで一区切り…ということだろう。残念なような気もするが、今後の噺家人生を考えたら「ちょうどいい引き際」ってな感じもする。かつてはゲストが出ておられたが、いつの間にやら私がレギュラーゲストになってしまい「いいのかなぁ…?」と思い続けていたんだけど…(笑)。物凄く寂しいような、少しだけホッとしたような…。なんだか非常に複雑な心境である。夏丸さんの落語をここ数年マトモに聴いていなかったわけだし。----------------------------------------------------6月6日の最終回は、どのようなプログラムになるか。今から非常に楽しみだ。…いたって普通に終わりそうな気もするけど(笑)。
2017年04月04日
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いや~、素晴らしい番組だったなぁ(棒読み)。12チャンネル時代からの貴重な映像が、あれだけ大量に出てくるんだもんなぁ(棒読み)。『別れのブルース』なんか、ワンコーラスどころか歌の途中から始まるんだもんなぁ(棒読み)。昭和歌謡の番組、それもテレ東の番組なのに、東海林太郎・藤山一郎・渡辺はま子・霧島昇・灰田勝彦・岡晴夫とかが出てこないんだもんなぁ(棒読み)。でも、なぜかミネ御大ばかり(『夜霧の~』『雨の酒場で』『二人は若い』)出てきたのは何なんだろうなぁ(棒読み)。「芸人に年齢はない」のに、なぜ放送当時の年齢をいちいち出すんだろうなぁ(棒読み)。「歳をバラす」のが失礼だって思わないのかなぁ(棒読み)。どの局よりも貴重な「テレ東の歌番組映像の使い方」が、根本的に間違ってるって思うスタッフは、だ~~~~れもいなかったのかなぁ(棒読み)。「ワンコーラス100曲」より「フルコーラス50曲」のほうが「正しい音楽番組」「視聴者の心も満たされる」ってことが分からないスタッフばかりなのかなぁ(棒読み)。なんで司会の「ジャイアンツ親父」は歌ったんだろうなぁ(棒読み)。あの時間があれば、もうちょっと他の歌を放送できたんじゃないのかなぁ(棒読み)。---------------------------------------------------------ほかにも書きたいことはあるけど、一晩中かかりそうだからここまでにしよう。唯一褒められるのは、昭和55年7月『夏祭りにっぽんの歌』のディック・ミネ&菅原文太の『夜霧のブルース』だけか。
2017年04月02日
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