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ここ最近、頻繁に会うことが多い演芸界&歌謡ショー司会の大御所・青空たのし先生。いま現在は、ハーモニカ漫談で浅草東洋館にお出になったり、歌謡ショーの司会者として全国を飛び回るという、精力的な活動をされておられる。前にも書いたが…藝人に年齢はないけれど…私の4回り上の未年、昭和6年生まれ!!!しかしながら、全くそんな高齢に見えない若々しさ!!ハーモニカ漫談の高座も、全く淀みなく、現代風のギャグもバシバシ入るという物凄さ!歌謡曲ファン・演芸ファンの皆さん。たのし先生の舞台は必ず見ておいたほうがいい。月に数度は、必ず浅草東洋館に出るんだから。------------------------------------------------------------14日(土)も、実に濃厚な1日を過ごさせていただいた。胃痙攣を起こしそうなくらい濃厚だった(笑)。この日の晩、夕食を一緒にする約束をしていた私。歌謡仲間のOさんも、後で合流することになっていた。私は、どうしても先生の漫談の舞台が見たかったので、先生が楽屋入りする30分前から、東洋館の前に立って待っていた。…完全に「弟子入り」と間違われていたであろう(苦笑)。先生の口利きで客席に入れていただき、ハーモニカ漫談を心から堪能。先生が、霧島昇『旅の夜風』を吹き出したら、私の前に座っていたオヤジが、突然大声で歌いだしたのが印象に残った(笑)。先生と一緒に東洋館を出て、先生運転の車に乗り(奥様もご一緒)JR田町駅のそばにある先生が行きつけの中華屋で夕食を。ここは水餃子が絶品で、先生ご夫妻とOさんと4人で、いろんなものを食べながら、貴重エピソードを大量に伺うことができた。------------------------------------------------------------そこで、先生がお話ししてくださった数々のエピソードは、昭和の歌謡曲を、歌謡ショーを、そして東京12チャンネルの『なつかしの歌声』を、こよなく愛する我々(笑)にとって、もう信じがたいような話ばかり。勿論、四代目岡晴夫専属司会者であったから、話題の中心はオカッパルのことが殆どなのだが、亡くなる直前の楠木繁夫の司会をしたとか、東海林・藤山・淡谷・ミネ・市丸・勝太郎・小梅・伊藤・渡辺・霧島・灰田・二葉・田端・林・小畑・近江から、春日・村田・フランク・守屋・五月・三沢などの歌謡界のお歴々の話題が、次々に出てくるという贅沢。司会を全くしたことがない歌手は、上原敏(当たり前だ)・松平晃・藤原亮子・三橋美智也・美空ひばりくらいだとか。「名古屋のオヤジ」こと、あの桜井稔さんの司会もしたと言っていたのが凄かった!非常に言いやすい名前だったから、今でも覚えておられるそうな。あとテレ東の『年忘れ大行進』の生放送時に、何度かだけ青空一門全員が歌舞伎座に駆けつけて、中継が終わったら忘年会したとか、玉置宏先生の思い出話など…感動の嵐!!また、さりげなく教えてくださるステージマナーや司会術は「歌で綴る昭和の時代」や「昭和歌広場」を今後やる際には役立ちそうで、ありがたくって仕方がない!!------------------------------------------------------------会うたびに貸してくださる貴重VTRや音源も、正直言って「残っていたこと自体が奇跡」みたいなものばかり!先生が「オーディオマニア」だったからこそ、残ったものが大半だったわけで…本当に凄くて驚いた!いま現在、オカッパル関連の貴重な音源を借りている最中。これを返すため、また飲み会をセッティングせにゃ(笑)!立川談志・白山雅一・玉置宏・水谷良一・保田武宏といったお歴々と交流が持てた私に、新たに青空たのし先生との交流が始まるなんて、夢にも思わなかった。コロムビア・トップ先生の匂いが、そこかしこに感じられる話しぶりは、本当に時が経つのを忘れてしまう。…てなわけで、今日のブログは自慢オンリー(苦笑)!!!!不快に感じられた方、深くお詫び申し上げるしだいです。
2017年10月25日
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ここ最近、珍しくブログを書く気力…つうか、エネルギーが全く起きず、10日ぶりのブログになってしまった。政治的なことで、いろいろ書きたいことがあったのだが、左巻き反日キチガイから、コメント欄で因縁つけられると面倒くさいしねぇ(苦笑)。様々なところでの「左巻きのアンフェアぶり」は、本当に目に余るものがあるし、それを焚きつけるクズマスコミ連(特にTBSとテレ朝ね)の偏向報道大行進(苦笑)。いま、選挙速報を見ながら、このブログを書いているが、一部のドメクラ国民が「立憲民主党」とかなんとか言う「売国奴集団」に票を入れてしまったのは難だったけど、とりあえず自民が勝って安堵している。「立憲民主党」の国賊議員ども、近いうち大半の面々が「立件民主党」になってもらいたいものだ(笑)。下手なシャレだけど、こうも言いたくならぁね。何かで立件されそうなクズばっかいるじゃない、あの党は。「反日罪」とか「売国罪」とかあったら、いの一番に捕まって、公開処刑されるようなのばかりじゃん(笑)。-----------------------------------------------------------昨日に期日前投票を済ませ、今日は豪雨の中、落語会へ。9月3日の「謝楽祭」でお目にかかった方からお誘いを受け、白金高輪駅直結『港区立・高輪区民センター』で催された『港区落語地図』という会。今回は、落語ファン狂喜乱舞の、ゴージャスな会だった。 対談「落語の世界を味わう」 山本進(芸能史研究家) 保田武宏(演芸評論家) 中入 柳家小多け 「道具屋」 柳家小里ん 「五人廻し」謝楽祭でお会いした方は、この「芝落語会」を運営されてるお一人で、その際に貰ったチラシを見て驚いた!我が師、保田武宏の名前があるんだもの(笑)!「一応、弟子だと嘯いている手前、必ず行かなきゃ!」って感じで、豪雨の中を出かけたと、こういうワケ。山本進先生は、ご挨拶したことはないが、落語ファンなら誰でも知っている大巨匠(保田先生もそうだけど!)。行っておいて良かったよ、ホント大正解!貴重なお話が次々に聞ける、贅沢なトークショーだった。---------------------------------------------------------保田先生82歳、山本先生86歳。それ故、ときたまトークが噛み合わないとこもあったが(2人とも耳が遠く相手の声が聞こえないとこがあったようだ)、歴史を逆行するが如くの貴重エピソードが山盛り!田端(三代目三木助)の「芝浜」がこうだった…とか、湯浅喜久治(!)がああだった…とか、私からしたら歴史のような話を、目の前で体験している物凄さね!あと何が凄いって、いつも『昭和歌広場』は、私が聞き手で保田先生が好き勝手しゃべるという図式だが、今日の会は保田先生が聞き手で、山本先生に遠慮しているという…!こんな保田先生、滅多に見られるもんじゃない(爆笑)。しかも先生、スーツ着てネクタイしてやんの。『歌広場』のときぁ、あんな、いい加…もとい!ネクタイせずラフなのによ!何故なんだ(爆笑)!?でも、お二人とも元気で何よりだった。保田先生、11月の『歌で綴る昭和の時代』にも来てくれるので、打ち上げでまた、いろんな話を聞いておこう。--------------------------------------------------------今日の、あのトークが、どれだけ貴重で物凄いものなのか、どれだけのお客さんが解っていたんだろう…???今度、保田先生と「戦後落語黄金時代」をテーマにしたトークショー付き落語会、企画してやろうかな?『東横落語会・三越落語会・精選落語会の思い出』とか、いろんなテーマで区切って。「面倒くさいから嫌だ」って言われそうだけど(苦笑)。--------------------------------------------------------中入り後の落語も、結構の二字に尽きた。小多けさんの「道具屋」もなかなかだったし。メーンの小里ん師匠の「五人廻し」も絶品!感情過多でグイグイ押すタイプの落語が多い昨今、実にあっさりと江戸前の高座で震えた。良かったなぁ…。こういうディープな落語会は、落語初心者の方々にはキツイだろうけど、私みたいな擦れっ枯らしにゃ最高!今度は、自分でこういう会を企画しようっと(笑)!!
2017年10月22日
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のっけから、あちこちに敵をつくりそうなことを書くが、私は「落語を聴いて泣きたい・感動したい」という人の料簡が、まったく理解できない(笑)。私にとって「落語を聴く」という行為?は、ストレスの解消であり、笑いたいからであり「くだらねぇ!!」と心から思いたいからであって…。芸道もの(中村仲蔵、淀五郎など)だとか、甚五郎もの(竹の水仙、三井の大黒、ねずみ)なんかは好きだけど、いわゆる「泣かせ」にかかるような…「親子愛」だとか「人の優しさ・友情」とか「清々しさ」みたいなものぁ、私は落語で味わいたくない。最近、落語ファンになった人は「芝浜」「井戸の茶碗」「柳田格之進」「鼠穴」「子別れ(下)」なんか聴いて泣いてることが多いみたいだが…う~ん…。以前、テイトの「夏丸演芸館」のエンディングトークで、夏丸さんと2人で「好きな噺・嫌いな噺」を挙げたとき、私が「『井戸の茶碗』や『子別れ』が嫌い」と言ったら、何人かのお客さまに「えーっ!?」って言われたもの。「野ざらし」「湯屋番」「船徳」「粗忽長屋」「天災」「片棒」「酢豆腐」「鮑のし」「棒鱈」「二階ぞめき」「禁酒番屋」「蛙茶番」「蜘蛛駕籠」「肥瓶」「六尺棒」「時そば」「馬のす」「強情灸」「青菜」「浮世床」「羽織の遊び」「黄金の大黒」なんかは、私の好きな噺。他にも、たくさんあるけどネ。こういう噺が”落語”だと、私ゃ思う。--------------------------------------------------------------どうも最近、年配の人でも若い人でも、落語の聴き方が「私が思ってる聴き方と違う聴き方」になってきている風潮がある。「落語に対して求めているもの」が、明らかに違うのだ。私から見たら「ズレてる」ってえこと。毎度このブログでも書いちゃいるが、特定の噺家だけを追いかけるファンの、なんと多いことか。これ書くと「お前だって、司・たけ平・夏丸・三朝が中心じゃないか!」とか言われるかもしれないが(笑)、これは「打ち合わせなども兼ねて」会うから、必然的に聴く機会が増えるんであって、私が落語を聴く基本は寄席である。いろいろな人を一度にたくさん味わえるし、何の噺が聴けるか分からない博打感覚が、楽しい(笑)。トリの師匠に繋ぐまでのリレーを楽しむ、というのが本来の寄席の味わい方なのだが、これが出来ない人、分からない人が、近年非常に増えた気がしている。あと現代の人だけを追いかけるのもいいが、やっぱり落語に興味を持ったなら、昭和の名人をCD・DVDで聴いてもらいたいと、切に願う。
2017年10月13日
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『歌で綴る昭和の時代・第15回記念大会』開催日…11月26日(日)会場…お江戸日本橋亭http://www.ntgp.co.jp/engei/nihonbasi/index.html開場…18時 開演…18時30分 終演…20時45分頃?(予定)料金…(予約)2,500円 (当日)2,800円出演…林家たけ平、桂夏丸、神田真紅 (ゲスト)林家扇兵衛 (歌謡ショー司会&構成)林田雄一第1部…「落語・講談競演」第2部…「思い出のヒットパレード」予約先(メール)sink97@excite.co.jp (電話《留守電》)09072228704下記のメールアドレス・番号でもご予約・お問い合わせを承ります。 4890mffs@jcom.zaq.ne.jp 0ps388121401v2y@ezweb.ne.jp 090-4183-20282012年1月末に、第1回が「お江戸両国亭」で開催されて、5年10か月の歳月が流れ…ついに迎えた、第15回大会!!先だって、夏丸さんと『東京かわら版』編集部にお邪魔し、大宣伝を敢行してまいりました(笑)。そのときの写真、Twitterに上がっております(苦笑)。私は後ろ姿だけにしておきましたが…。そして、あれから殆どの歌唱曲目も決まり、構成作りに入りつつある状況であります!(噺家としては)初ゲストの林家扇兵衛さんの曲目ももちろん決定済み!戦前・戦中から昭和50年前後の歌まで、なつかしの歌を数多く取り揃えてお送りする豪華落語会!落語ファン・講談ファン・昭和歌謡ファン・『なつかしの歌声』ファンの皆さま方!是非、お友達をお誘いのうえ(笑)ご来場くださいませ!
2017年10月11日
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昨日の寒さがウソのように、スーツを着て外出するには相当ハードな暑さの中…(笑)。行ってきました、東京は原宿・東郷記念館!「東海林太郎歌謡芸術保存会」の年に一度の定例会に、Yさん・Oさんと知り合って、15年目にして初参加。まあ、もう、とにかく疲れた!いろんな意味で(笑)。行きは地下鉄の駅(明治神宮前)から、東郷記念館に向かうまでの人の多さに、まず疲れ果て…。着いたら着いたで、居並ぶお歴々の顔に恐れおののいて気疲れし…。久しぶりに会った、元タイヘイレコード専属歌手である、「名古屋のオヤジ」と私は呼んでいる、桜井稔さんの訳の分からない挨拶&意味不明の会話にブチ切れ(笑)。あまりに訳の分からないことばっかし言うから、最初は「大変ご無沙汰しております…」という口調だった私も、別れ際には「……うるせえ!!オヤジ!いい加減にしろ!!」とまで言ったヨ(爆笑)。…勿論ギャグよ。オヤジと私の間柄だから言えること。青空たのし先生や保田先生には言うわけないんだから。…いや、時と場合によっちゃ言うかもしれない(笑)。でも、相変わらず元気で(なんと御年92歳!到底見えない)アコーディオンを弾きまくり、エンドレストークのキレもよくて、本当に安心した。------------------------------------------------------そして、4時間という長丁場に…Yさん・Oさんには本当に申し訳ないのだが、精も根も尽き果てクッタクタ!!帰りは桜井さんを原宿駅まで送ったのだが、その帰り道も恐ろしい数の人出で、歩くだけでもヘロヘロになった。でも、貴重なお土産ももらったし、食事は豪華だったし、なかなか経験できないことを経験させてもらった!来年も機会が合えば、是非とも参加したいものである。
2017年10月08日
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以前も、このブログで書いたが「オリジナル歌手が死んでもその歌は歌い継がれる」てなことを、よく言われるけども、私はこの意見を強く否定する。現に、並木路子先生が亡くなった途端に『リンゴの唄』を、林伊佐緒先生が亡くなった途端に『ダンスパーティー』を、メディアで聴く機会はガクンと減った。藤山・淡谷・ミネ・市丸・近江・田端…みんなそうだ。結局、オリジナルシンガーが亡くなった時点で、その歌の「ある一定の寿命」も終わりを告げるっつうこった。戦前~戦中デビューの歌手は、いま現在「BSジャパン」以外では(笑)昭和歌謡の番組から、その存在すら完全に消されているに等しい状況である。「左派の安倍政権叩き」同様の「マスコミの偏向」により、昭和の流行歌手は、美空ひばり、石原裕次郎、テレサ・テン、ちあきなおみの4人だけ…みたいな状況になっている。やや妥協で、ここに島倉千代子、江利チエミ、三波春夫が入ってくるくらいだろうか。--------------------------------------------------------------本当に淋しいことだが、一世を風靡したムードコーラスの大横綱「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」も、昨日を持って「ある一定の寿命」は尽きた、ということになるのだろう…。イケメン、切なく甘い独特のファルセット、突き出したあの前髪(「ヒサシ頭」と言われた)でお馴染みだった、東京ロマンチカのボーカル、三條正人さんが亡くなった。享年74。2年くらい前から急速に痩せて(スーツがブカブカ)、人相が変わってしまったのをテレビで何度か見ていて「どうしちゃったんだろう?」と思っていたが…。悪性リンパ腫を患っていたとのこと。さぞかし最近は体調的に辛い舞台が多かったのだろう。心中察するにあまりある。ムードコーラスグループというのは、全員が一体になり完成しているもの。メンバーが1人欠けても、耳馴染みだったハーモニーは二度と聴けなくなってしまう。ましてメーンボーカルがいなくなってしまったら、どうしようもない…。三條さんがメンバーを抜けていた時代のボーカルだった浜名ヒロシさんも故人だし…今度は三條さん…。マヒナもロスプリも、みんな「遠いグループ」になってしまったというのは、残念以外の何物でもない。---------------------------------------------------------------------私は生の舞台は、数度見ている。初めて生の東京ロマンチカを見たのは、高校生のときNHK『第28回・思い出のメロディー』の収録で。このときが、久々に三條さんがボーカルに復帰した舞台で、満場の拍手の中、いつもの声で披露した『小樽のひとよ』の舞台は忘れられない。『小樽のひとよ』は、そりゃもう何度となく聴いてきた歌だけども、このときは(贔屓目じゃなく)結構調子のいい舞台だったように思う。---------------------------------------------------------------------リーダーの鶴岡さんが、80代半ばで、あの元気さなのに、リードボーカルに先立たれるのは、本当に辛いだろう。ショックで体調を崩さなければいいが…。奥さまの香山美子さんも勿論だが…。『小樽のひとよ』『旅路のひとよ』『君は心の妻だから』などの数々の名曲・ヒット曲は、これからは他の歌手がテレビで歌うことになるんだろうが…。あまりに、三條さんの声のインパクトが強すぎたから、どんなに上手い歌手が歌っても「なんか違う」という猛烈な違和感を感じ続けるだろうねぇ…。三條正人さんのご冥福を、心からお祈り申し上げます。
2017年10月06日
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今度の日曜日、初めて「東海林太郎歌謡芸術保存会」の集まりに参加することになった。今から非常に緊張している。我が盟友のYさん&Oさんが幹事であり、普段ぁ仕切る側の私が「ゲスト」として伺うというのは、どうにもこうにも怖いというか、ビクビクするというか…(苦笑)。余計なこと言わないように、静かにしていよう…(苦笑)。結果報告は、許可が下りたらこのブログでしようと思うんで、どうかお楽しみに。---------------------------------------------------------------今日は46回目の命日に当たる。東海林先生を覚えている世代は、どんなに若くても60歳前後、ドンピシャ世代は100オーバー!数々の大ヒット曲を継承していくのは、かなりキツイ状況になってきていると思わざるを得ない。だんだん「日本史」に組み込まれてくる域に達してきているわけで…。それでも今年は、正月に研ナオコがテレビでモノマネしたり、NHKの『日本人のおなまえ』という番組で「東海林」姓のルーツを探る際に登場したり、BS11で特集が組まれたり、どういうわけだかテレビの露出が(?)増えた気もする。BSジャパンの『昭和は輝いていた』が、その最たるものであったが(笑)。来年、生誕120年の人の露出が増えたって、なんだかよく分からない…(笑)。---------------------------------------------------------------晩年の画像ばっかしだが、この『なつかしの歌声』出演時の東海林先生の人気や扱いは、今の大御所歌手とは比べものにならないレベル。第一、歌舞伎座の大舞台に出てきたときの拍手の音量から違う(笑)。そりゃ、藤山・ミネ・伊藤・岡などなど、出てきたときの歓声が凄い人はいるが、とにかく「待ってました!」感がこんなにある歌手は珍しい(笑)。Yさんが「この当時の東海林先生は懐メロの象徴」という表現をしてたが、まさにそのとおりだと思う。青空たのし先生は、東海林先生の司会も数多くされたそうで、三味線の「杵屋定之丞」が言えなくて四苦八苦したとか(笑)、トップ先生ら「青空一門」で秋田から夜行列車で帰るときに、みんなで飲もうとしてた日本酒の一升瓶を、東海林先生が殆ど1人で飲んじゃったとか、いろんな話を伺った(笑)。「最高の人だった」とおっしゃっていたのが、印象的だった。岡さんと並んで、お世話になった歌手のトップだそうな。---------------------------------------------------------------藤山・灰田・岡などの歌から比べると、いま現在はちょっと歌の舞台(設定が)難しかったり、やや受け入れられない歌も多いとは思う。日本人の民度が低くなったからネ(笑)。それでも、変人だと言われようが、先人の残した歌は必ず歌い継いでいかなければならない。セコ演歌歌手のような「単に歌ってるだけのカヴァー」でなく、「某ビジネス懐メロ好きトリオ」のような「いい加減な歌唱」でもない、オリジナルを聴きまくった上で、キチンと先人をリスペクトした歌唱で歌い継ぐのが「義務」であろう。
2017年10月04日
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