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洋花のシバザクラ・パンジー・ビオラ・アメリカフヨウ・マリーゴールドなどは同じ場所でも毎年花を咲かせるが、アスター・サルビア・ニチニチソウなどは連作すると極端に樹勢が衰え花着きが悪くなったりする。家庭菜園で野菜を栽培している人はナス科・ウリ科・マメ科・サトイモ・ヤマイモなど多くの野菜が連作禁忌であることを知っている。このような現象を連作障害といい多くの植物に見られる現象であるが、水稲にはこの現象がほとんど見られない。連作障害とは毎年同じ作物を同一場所に作ることによって、次第に生育不良となっていく現象である。別に、いやち(忌地・厭地・いや地)とも表わされる。連作障害の原因には幾つかがあり、複合的に作用して発生する。微量要素の過剰や欠乏・特定の肥料成分が作物に吸収される結果、吸収されないで土壌中に残った成分が塩類となって起こる塩害。特定の細菌やウイルスなどの病原体や害虫が、土壌中に増加・定着することなどによって連作障害が起こる。セイタカアワダチソウやヒメジョオンなどの植物は、アレロパシーを根から放出し他の植物の成長を抑制することが知られている。通常は植物自身が影響を受けることは少ないが、この物質の濃度が高まることによりアレロパシーを出す植物自体も影響を受ける場合がある。連作障害予防の方法としては作物の生育に応じた必要な施肥により、生理病の発生を抑制する。堆肥の投入入や緑肥の鋤き込みで土壌の微生物相が多様化することで、病虫害の発生を抑制する。マリーゴールドはネグサレセンチュウ防止に、キュウリの蔓割れ病には葉ネギを一緒に植えることがが有効である。病害虫の発生増殖防止を目的に栽培される植物は、コンパニオンプランツと呼ばれる。連作障害が陸稲にあって水稲に見られないのは、水張りにより病原体や害虫の密度が低下しさらに水溶性の塩類や余剰肥料成分が流出することで塩害発生が軽減されていると説明されている。一時的には客土・深耕も有効だが、その後の管理によっては再び連作障害を引き起こすことがある。土壌病害起因の連作障害について接ぎ木苗を用いることによってほとんど回避できるが、土壌病害以外の原因に対しての効果は低い。最も普通に行われている輪作が、連作障害の全ての原因に対して有効とされる。大根やキャベツ・ブロッコリーなどのアブラナ科の植物には、それほど連作障害があるようには見えない。実際にはキャベツ・大根・小松菜・カブなど多くのアブラナ科の植物は、連作を嫌う。今の時期美しい花を咲かせるアブラナ科のルナリア(合田草)は、20世紀初めにフランスから合田清が日本に持ち帰ったので和名はゴウダソウ(合田草)と呼ばる。一部では莢の中の隔膜の形から、大判草とも呼ばれる。ルナリアは花を見る他、花後にドライフラワーとして利用される。 晩春に径2cm・アブラナ科特有の、十字形の花弁の花を咲かせる。花後に、楕円形小判形の平たい莢をつける。中には数個の平たいタネがあり熟してタネがこぼれた後、膜のような隔膜が枝に残る。膜は艶やかな光沢があり、ドライフラワーに利用される。 二年草で花が咲くまでの期間が長いためもあって、あまり普及していない。栽培して種子が自然落下すると晩秋には芽を出すが、開花は翌々春である。種を採取して春に蒔けば、翌春花を見ることができる。我が家のルナリアは、甲斐一宮の懇意にしているブドウ園の片隅から種をもらい受けたものである。本家のブドウ園では同じ場所で自然に任せたままで咲き誇っていたのだが、7年目になった昨年は見る影もないほどの惨めな花姿になってしまっていた。我が家の庭で連作によって衰退あるいは消滅した草花には、エビネラン・ホトトギス・キク等数多い。ルナリアは零れ種で翌年あるいは翌々年には自然開花するが、毎年秋には異なる場所に種を蒔いて連作障害で消えてしまわないように注意している。
2017年04月24日

庭の一角に、突然アミガサタケが発生した。アミガサタケは日本には、10種ほどが知られている。マツタケに代表されるようにキノコと言えば秋のものと思われがちだが、3月~5月にも有毒のものも含めれば知られているものだけでも30種近くも発生する。アミガサタケはソメイヨシノが咲くころ林内や庭あるいは路傍などに突然発生する、凡そキノコらしくない春のキノコである。卵形の頭部と柄とで構成された子実体は成長すれば10cm以上の大きさになり、頭部は赤褐色の肋脈に囲まれた多数の蜂の巣状となる。本草図譜第七巻(岩崎常正が文政11年(1829年)に著した植物図鑑)に、「和名あみがさたけ、漢名仙人帽」と記載されている。あみがさたけは「編笠茸」の意味で、多数のくぼみを備えるとともに褐色の頭部を深編み笠にみたてたものと考えられる。ただしその後に編纂された「菌譜」(天保6(1835)年坂本浩然)には、漢名の仙人帽はキヌガサタケだとしている。アミガサタケもキヌガサタケもどちらも「…カサ」の名前で呼ばれるが、カサは片や「笠」他方は「傘」で別種別目のキノコである。キヌガサタケ(絹傘茸)はアミガサタケ(編笠茸)より発生は遅く、梅雨時期と秋に竹林に好発することで知られまれに広葉樹林内にも発生することもある。アミガサタケは淡黄褐色で表面がザラザラした円筒状の柄を有し、頭部・柄共に中空で肉は薄くて触ると崩れるほど脆い。傷つけても変色せず、ほとんど無味無臭である。アミガサタケは、腐生生活と外生菌根を形成することが明らかにされている。腐生生活を営む場合、枯れ葉や小枝・木材なども栄養源として利用する能力の有ることが明らかにされている。多くのマツ科の樹種には外生菌根を形成し、トクサ・ネギ・タンポポなどの草本植物の根にも侵入するとされている。日本には、10種ほどが知られている。食品のうま味成分のグアニル酸とアデニル酸とが含有されており、特に後者の割合が多いという。有用食用キノコであるが還元剤としてロケット燃料などに用いられる有毒物のヒドラジンを微量に含むため、生食することは避けるべきであるとされる。ドイツではアルコールとの食べ合わせにより、嘔吐・嘔気・眩暈・ふらつき・縮瞳などの中毒症状を呈した事例が報告されている。加熱調理したものでも大量に摂食した場合に、極軽度の眩暈・ふらつき・縮瞳などを起こした例が報告されている。(臨床中毒学46; 259-260。)生クリームやバターなどとの相性がよいとされ、海外ではグラタンやシチュー・ピザ・フライ・スープ・オムレツなどの素材によく使われる。日本ではこのキノコを食用にした歴史がほとんどないが、現在では高級食材として上記の他「辛子和え」や「炒め物」などに用いられている。通信販売では乾燥アミガサタケ100gが10,080円と、高級キノコとして扱われている。しかし庭先にこのキノコを見つけても春のキノコであることに加え、子供のころから食用にした経験もなく少しも食指が動かない。
2017年04月19日

「家物語六 紅葉」にも引用されて出てくる、白楽天の七言律詩がある。有名な「王十八の山に歸るを送り、仙遊寺に寄題す」の、「林間暖酒燒紅葉」( 林間に酒を暖めて紅葉を燒き)」の一節である。酒は寒い時期には熱燗で飲んで良いが、花見の頃にこれを飲むのも乙なものである。ただ酒を温めて飲むだけでなく熱燗にして、鰭酒・骨酒で楽しむのも飲兵衛にはまた楽しい。落ちアユや小ぶりなイワナ・ヤマメなどをこんがり焼いて熱燗に浸したものが骨酒で、フグやタイなどの鰭を炙り焼いて燗酒に入れて飲むものが鰭酒である。鰭酒の中では、フグの鰭を入れたものが最も良く知られている。トラふぐの生の鰭が手に入ったら、自分で鰭酒用の干し鰭を簡単に作ることができる。きれいに水洗いした後、カサカサになるまで良く天日乾燥させる。十分に乾燥した鰭は、ビニール袋に密封して冷蔵保存すれば3か月は保存可能である。良く乾燥した鰭を遠火で、少し焦げ色がつき飴色になるまでじっくり炙る。ふぐ料理屋などではこれを湯飲みやコップに入れ、75℃ほどに熱した日本酒を注ぎ入れ蓋をして3分ほど静置する。アルコールが苦手の人は蓋を撮ると同時にマッチやライターの火を碗やコップの口に近付けて、蒸散するアルコールを燃やしてから飲む場合が多い。酒飲みの一部に根強い人気がある鰭酒だが、流行ったのは第二次世界大戦後とされている。戦後の米不足の時に競って作られた酒が、「三倍増醸酒あるいは三増酒」と言われた品質の悪い清酒であった。このようにして作られた安くてまずい清酒を美味しくする手段として、ヒレ酒が考案されたといわれている。米と米麹で作ったもろみに対して清酒程度に水で希釈した醸造アルコールを加え、これにぶどう糖・水飴や乳酸・コハク酸など・グルタミン酸ソーダなどを添加して味を調整し約3倍に増量される。そのため、「三倍増醸酒または三増酒」と呼ばれた。かつてこのような品質の悪い酒が日本酒としてまかり通っていた時代に、鰭を入れると「二級酒が特級酒の味に変わる」とされ安い酒を美味しく飲む手段として発達し定着した。日本酒の品質が向上した現在も、鰭酒は独特の色合いとコク・風味があることから隠れた人気がある。ふぐを食べることができるようになったのは、山口県出身の初代総理大臣伊藤博文が明治21年下関で河豚食を解禁したのが嚆矢とされる。以来ふぐを料理店で提供可能になって全国にふぐ料理が広がったが、ふぐには猛毒のテトロドトキシンが含まれることから家庭や料理店での誤った調理法によって毎年ふぐ毒による死者が発生している。ふぐの種類によっては皮や鰭にもテトロドトキシンが含有されているとされるが、皮を食用にできるトラふぐの鰭にはテトロドトキシンが含まれていない。熱燗は通常60℃程度だが、鰭酒は75~80℃とかなり熱くする。アミノ酸などの旨み成分を酒に溶出させ独得の風味と味を出すためで、60℃以下の人肌といわれる比較的低温では生臭さが出てしまうためである。1合の酒には、3cm角くらいのもの2枚がちょうど良い量である。鰭は焦げ色が着くまでじっくり炙るが、こうすることで魚独特の生臭さが取れる。ヒレ酒には純米酒や本醸造などの特定清酒より、普通酒の方がより味が引き立つ。純米酒の場合にはコクが出過ぎて味がくどくなり、本醸造ではアルコール添加が多いため匂いが鼻について鰭酒の風味を損なうことになる。かつて築地の魚河岸の取り締まりを担当していたころには、ふぐの除毒所から幾らでも生のトラふぐの鰭が手に入った。これの身の部分を除いて洗浄した後、日光が良く当たる窓に張り付けて一週間もすれば乾燥できる。今では乾物屋などで乾燥した10枚ほどの鰭が、千円ほどで手に入る。こんがり焼いた鰭を2枚湯飲みに入れて8分目まで酒を注いでラップを掛け電子レンジに入れ、900wで2分温める。アルコールが苦手の家内は全く口にしないので、まだ薄明るいうちから自分で準備して庭の花を眺めながら一人鰭酒をチビチビ啜るのも楽しいひと時ではある。
2017年04月16日

海外から多くの香草が入ってきてハーブとして利用される草・花木の数は、今では100種類を超える。これらの植物は料理の他、薬・香料・防虫などさまざまな分野で利用されている。日本では香草・香辛料として古来、ショウガ・ミョウガ・ワサビやサンショウなどが広く利用されてきた。全国的に最も広く利用されてきたのが、サンショウであろう。サンショウは若芽も実も利用でき、蒲焼にはサンショウの粉が欠かせない。春先に出る新芽は特に「木の芽」と呼ばれ、茶碗蒸し・和えもの・吸い物・刺身のつまなどに利用される。サンショウの夏前の青い実は実山椒・青山椒と呼ばれ、果実の中の種も柔らかいのであく抜きして食べることができる。秋になって熟すと、中から黒い種が弾けて出てくる。これを採集して乾燥させて保管しておき、使用時に擂り潰つぶして使用する。サンショウは驚くほど、新芽の伸長が早い。葉芽の外皮が割れると、3~4日で1cmほどにもなる。宮崎県民謡としてうたわれる歌に、ひえつき節がある。ひえつきは「稗搗き」のことで、この歌の発祥地椎葉は可住面積わずかに4%という山間の痩せ地で稗しか採れない貧しい土地柄であったため、採れた稗を石臼で搗く時に歌われた労働歌として知られている。ひえつき節は三橋美智也が歌って大いに広まったが、彼が歌って今も一般に良く歌われる節は正調ではない。♪ 庭の山椒(さんしゅう)の木 鳴る鈴かけてヨーホイ 鈴の鳴る時ゃ 出ておじゃれヨー歌詞は山椒だが歌う場合「さんしゅう」と歌うから多くの人は鈴を掛けた木を、春早く黄色の小さな手毬状の花をつけるサンシュユ(山茱萸)と間違えている場合が多い。南九州地方には山椒の木が神の依り代と見なされ、山椒の木に鈴を掛け祈る風習があったという。源平合戦は1185年までの6年間続き、栄華を誇ったさしもの平家も現在の下関に当たる壇ノ浦の合戦によって源氏に滅ぼされることとなった。壇ノ浦の戦いに破れた平家は、宮崎県の 北西部にある椎葉の地へ落ち延びたと伝わっている。頼朝から平家の残党討伐を命ぜられた那須与一の弟大八郎は、椎葉でひっそりと暮らす平家一門の姿を見て哀れに思い平家を見逃したという。その後大八郎は椎葉に留まり平清盛の末裔の鶴富姫と会うことになる。そしていつしか、二人は愛し合う仲になる。やがて大八郎に「都へ帰れ」という命令が下り、二人は別れ々になってしまったという伝説が伝わっている。ひえつき節の歌詞は、大八郎と鶴富姫の悲しい恋の物語を歌っているのである。今のように携帯も呼び鈴もない時代、サンショウの木に掛けた鈴を鳴らして逢いに来たことを知らせる工夫をしたというのだ。サンショウは驚くほど、新芽の伸長が早い。葉芽の外皮が割れると3~4日で、1cmほどにもなる。今年は東京のソメイヨシノは3月21日に開花してから寒さがぶり返したため、満開になったのは4月2日であつた。我が家のサンショウの木の芽も4月5日には2cmにもなり、摘み頃となった。若芽はタケノコや煮物のツマにする他、我が家では一年分の木の芽味噌を作るのが習わしとなっている。サンショウの枝には短く鋭い棘が生えているので、うっかりすると掻き傷や刺し傷を負うことがあり注意しなければならない。我が家伝来の、木の芽味噌の作り方は次のとおりである。ゴミなどが入らないように注意して摘みとった若芽500gはさっと洗い、笊にとって水気をきっておく。擂り鉢で芽の原型が無くなってペースト状になるまで擂るのだが、フードプロセッサを使えばより簡単にできる。次いでボールに分けた木の芽とクルミを大きめの鍋に移し、信州味噌2kg・酒・みりん各150ml・蜂蜜100g・上白糖1kgを加え焦げ付かないようにしながら極弱火で加熱する。途中味を見て砂糖を加えて、好みの味に調整する。我が家ではこの木の芽味噌を主に五平餅に付けて利用するが、夏場には採りたてのキュウリに付けたりふろふき大根に付けて食べても美味しい。サンショウの葉も時期を失すると硬く風味も落ちてしまう上、それほど大量に使うものではない。自宅にサンショウの木が無くても、近くの家に植えられていたら分けてもらうとよい。
2017年04月10日

二十四節季では立春(2月4日ころ)から、穀雨(4月20日頃)までが「春」に当たる。しかし春を実感できるのは、実際には春分 (3月21日ころ)を過ぎてからであろうか。この立春過ぎ頃の春浅い信州安曇野の早春の情景を詠んだ歌として有名な歌に、「早春賦」♪「春は名のみの風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず 時にあらずと声も立てず」がある。北アルプスの麓安曇野市役所の標高は547.61mだから、南アルプスの麓のひこじいの山荘より100m弱低いが気候はぼ似たようなものだと思われる。立春過ぎの季節はまさに早春賦の詩の文句の通りで、まだ風は冷たく冬のままで春の気配も見えない。春告げ鳥の異名を持つ鶯も、実際に初鳴きが聞かれるのは3月上旬になってからが多い。啓蟄は立春後(3月5あるいは6日)に始まり、春分(3月20日または21日) の前日までの約15日間が啓蟄の期間である。この頃になると関東地方では、モンシロチョウなどの昆虫の飛翔を目にするようになる。山荘の辺りでは4月に入っても、連日零下の最低気温を記録する。野天に駐車している車には真っ白に霜が凍りついて、視界を奪われて8時すぎないと車を動かすことができない。4月1日は大陸から真冬並みの寒気が南下して、北陸・関東甲信の山沿い地方に降雪をもたらせた。早朝4時に山荘へ向けて出発したのだが道路に積雪は無いものの相模湖から笹子トンネルまでは真っ白に積雪があり銀世界であったのに、小説「雪国」の描写とは真反対のトンネルの先の甲府盆地は茶色一色であった。小淵沢から先がチェーン規制になっていたが、下りるインターがその手前だったため渋滞も無く中央道を走ることができた。山荘に近づくにつれて再び、視界の先が白く変わった。山荘に着いた6時30分の外気温は、零下3℃と東京の真冬以下であつた。陽が昇るとともに気温も上昇し昼前には6℃になったが、午後2時過ぎには再び南アルプスの山容はすっぽり雪雲に覆われてしまった。翌朝はベランダの柱に取り付けた温度計が零下5℃を示していたが、日中は12℃まで上昇し春らしい陽光となった。前日道路の凍結防止のため散布していた散布車から、大量に塩カルを吹き付けられたので洗車した。ホースを繋ぐ時水道の脇に溜まった落ち葉の中から、茶色のニホンアマガエルが一匹這いだしてきたのに気が付いた。このカエルの仲間はシュリーゲルアオガエル・モリアオガエルとニホンアマガエルの3種類があるが、ニホンアマガエルは鼻筋から目・耳にかけて褐色の太い帯が通っているので簡単に識別することができる。前足は4本後足に5本の指を持ち、指先にはどれも丸い吸盤がある。この吸盤を使って枝から枝へ飛び移ったり、窓ガラスにも張りつくことができる。通常の体色は腹側が白色背中側が黄緑色だが、背中側を黒っぽい斑模様の灰褐色にも変えることができニホンアマガエル・モリアオガエル・シュレーゲルアオガエルの3種類は保護色のカエルとしても知られている。色を変化させるメカニズムは周りの環境・温度・湿度・明るさなどに応じてホルモンを分泌し、皮膚の色素細胞を拡張・伸縮させることによることがわかっている。周りの色だけに反応して色を変えるている訳では無く、同じ場所に居ても昼と夜で色が違っていることもあり個体差もある。体色を変えず、ずっと緑あるいは茶色のままのものもいる。皮膚粘膜からは粘液が分泌されヌルリとしているが、粘液には体を細菌などから守るため抗菌ペプチド・抗菌性ヒストンなどといったタンパク質が含まれている。傷口や目に粘液が入ると痛みを感じ、目に入れば失明に至ることもあると言われるので素手で触る場合には注意が必要である。ニホンアマガエルは体色を白・灰・茶・緑に変化させることが可能だが、皮膚が黄色・紅色・黒色細胞の三層構造になっているので、その反射・吸収により体色を変化させる仕組みになっていることが解明されている。変色には温度・湿度・光その時のアマガエルの状態などに左右され、目から入った刺激でホルモンが分泌され変化する。ただ鶯は盛んに鳴いているが、ニホンアマガエルは日中の温かさに這いだしては見たものの「歌は思えど 時にあらずと声も立てず」のように勿論未だ鳴くことはない。やがて緑が芽吹く頃には、このカエルも緑色に変色していることであろう。残雪が残り夜間夜明け前の零下5℃というあまりの寒さに、這いだしては見たものの再び茶色のまま枯れ葉の中に戻るつもりであろうか。
2017年04月05日
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