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一般に浮子(ウキ)と聞くと、釣り糸に付ける「ウキ」を思い浮かべる。この場合には錘と合わせて使うことで釣り針を意図した深さに保ち、ウキが沈み込むことで魚が掛ったことが分かる。釣り糸に付けるウキは、浮き・浮け・浮かしなどの名前でも呼ばれる。釣り糸に付ける以外に網漁の際網具の上辺に取り付けて、漁具の形状を保ち水面に浮かせて置くために用いる道具も浮きと呼ばれる。浮きに必要な条件として浮力が大きく吸水による浮力の減少がないこと、水圧や波あるいは経年劣化による破損や腐食がされにくく加工が容易な材質であることが求められる。これらの条件に近いものとして過去には、竹や木などの天然素材が用いられてきた。日本における漁業用浮き玉は従来木製で、明治大正時代のニシン漁の際などに活用していたという。時代と共により利用しやすい材質としてガラス玉・ゴム球・鉄製浮子などが出現したが、現在はおもに合成樹脂や合成ゴム製のものに取って代わられている。浮きにはそれぞれの漁具の目的に応じて形態や構造があり、平形・円球形・楕円形でロープ止め用の取っ手のあるものあるいは中央に貫通孔のあるものなどが作られている。このうちガラス製の浮き玉は、瓶でできているところからビン玉と呼ばれることもある。ガラス製の浮き玉はノルウェーが発祥とされ1840年頃に初めて作られ、その後世界各国に広まり日本でも盛んに作られるようになった。日本でガラス製のものが初めて作られたのは明治30年(1897)頃とされ、明治43年には水産試験場からガラスの吹き玉が盛んな小樽の硝子製造所が依頼を受けて製造開始し普及していったとされる。当時浮き玉の国産メーカーは北洋ガラスと川口ガラスが大手であり、それぞれ「北」・「川口」の刻印がある。その他に小規模メーカー製では、無銘のものも多くある。かつてガラス玉が大量に使われていたのは北洋漁業だが、現在はプラスチック製の浮き玉となり、漁業用には生産されなくなった。数年前から装飾用として、再び小樽の浅原硝子がガラス玉の製造をはじめたという。インテリア・ディスプレイなどに使用するほか、穴あきタイプなので貝殻や砂・ランプ・植物等を入れることが出来るという。浅原硝子の新品浮き玉は直径24.2cmと小振りだが、税別で11,500円と高価である。現在は室内装飾に利用しあるいは、浮き玉の吹き口を開けて電球を入れ照明器具として利用されたりしている。海鮮居酒屋などでは、浮玉を利用した照明が置かれていることがある。また径1cmほどと小さな浮き玉にストラップを付けて、浮き玉が沈まないことから「沈まない」として受験や商売の呪に販売されている。義兄や沖縄の友人の別荘に行く度に飾り棚に置かれた古い浮き玉が部屋にマッチしているのを見て、長い間探していたのだがなかなか見つからなかった。先日骨董市で望んでいた、直径36cmの大きな浮き玉を見つけた。浮き玉を包む一本縄で編まれた紐にも時代が現れており、若干高価だったが即購入した。当初は山荘のベランダに吊るす予定だったのだが、考えてみると無人の日が多く持っていかれる恐れがある。当分は自宅のインテリアとして、テーブルの上に置いてある。ガラス浮玉は一つ一つが手作りのため、それぞれ違う輝きと表情を持っている。備前焼の景色にも似ている。長年海水に耐えてきたロープとガラスに無数に入っている気泡を見ていると、海水に立ち昇る水泡を想像させる。
2017年02月28日

横浜の今日の日の出は6時13分で、日の入りは17時36分となっている。昨年の12月1日頃に比較して、1時間以上も昼の時間が長くなっている。今冬の南関東では、雪掻きを必要とするほどの積雪はなく晴天の日が多かった。二月には強風の春一番とそれに匹敵するほどの嵐が続いて2回も吹き荒れたが、そのたびに4月から五月の気温と言われる日が現れた。こんな春の日差しに誘われて、早くも庭の雲南素馨が華やかな黄色の花を咲かせ始めた。季節の動きは未だ三寒一温と遅いが、陽の光や庭に咲く花に近づく春の足音を感じるようになった。ウンナンソケイは中国西南部が原産地とされ、日本へは130年も前の明治初期に渡来した。漢字では、「雲南素馨」と標記する。「素馨」はジャスミンのことでジャスミンと同じモクセイ科に属するが、モクセイやジャスミンと異なり花に香りは無い。ウンナンオウバイ(雲南黄梅)・オウバイソケイ(黄梅素馨)・オウバイモドキ(黄梅擬)の別名で呼ばれることもある。オウバイよりかなり大きい花径4~5cmの花を咲かせる。花冠は、先が6~8裂する。二段の八重咲きが、多く植栽されている。八重に見える花は、上段の5弁ほどの花冠を引くとすっぽり抜ける。雄しべ2本と雌しべ1本の両性花だが、種子は実らない。葉は1枚の葉が3つの小さな葉に分かれた3出複葉で、対生する。小葉の形は長い楕円形である。3mほど立ち上がって、枝を地面まで下垂する。花冠は6~8つに分かれるが、花の中心から旗弁がでるものもある。ジヤスミンは白花だが、二段に咲く姿はそっくりである。同じように蔓性で、枝を下垂して似た花を咲かせるオウバイがある。ウンナンソケイは常緑だがオウバイは落葉であり、花はウンナンソケイよりはるかに小ぶりな同じ黄色の高坏形の径1cmほどの花である。枝垂れて、枝が土に着いた場所から容易に発根する。発根した枝を切り取って植えれば容易に増やすことができるが、挿し木・採り木でも増やすことが可能である。樹勢が強く茂りすぎることが難点で、一年に二回ほど刈り込みをしないと藪のようになってしまう。130年も前に日本へ伝来ししかも簡単に増やせるのに、住宅街にこの花を見かけることは殆ど無い。花好きな人でも、この花の名前を知らない人も多い。欲しい人にはタダで幾らでも分けて上げるのに、通販では送料込みで980円という案外高い値段で売られている。時折通り掛りの人から「綺麗で良い花ですね。」と声を掛けられるが、未だ枝を欲しいと言われたことは無い。
2017年02月27日

沖縄県の北部本部町八重岳は日本一早くさくら祭りが行われ、さらに良質タンカンの産地としても知られる。吉野桜の淡いピンクと異なり、赤く咲くカンヒザクラの沿道脇からたわわに実ったタンカン畑が見られる。沖縄であればパイナップルやタンカンが全島で栽培可能と思われがちだが、本島南部の土壌は栽培不適で北部の酸性・赤土土壌が適しているとされる。タンカンは中国広東省が原産地とされ、1789年に台湾北部に導入された。その後1896年(明治39年)に、台湾から奄美大島を始めとする南西諸島へ移入されたとされる。約30年後の昭和9年(1929)頃に至って、これらの地で本格的な栽培が始まった。本部町にも約50年前に移植され、栽培が始まり現在に至っている。特に八重岳伊豆味で栽培されたものが、「伊豆味タンカン」として良く知られるようになった。タンカンはポンカンとネーブルオレンジの自然交配種で、タンゴールの一種である。主にマンダリン・タンジェリンとオレンジの交雑種を、タンゴール(tangor)と呼ぶ。タンゴールの語源はタンジェリンのtangerineの「tang」とオレンジのorangeの「or」を組み合わせて「tangor」としたものである。タンゴールにはタンカンの他に、伊予柑・愛媛果試第28号 ・清見・デコポン・師恩の恵・せとか・せとみ・タンカン・津之輝・はるみ・マーコット・麗紅など多くの品種がある。タンカンは高温を好む亜熱帯性柑橘類で、夏期多湿で年平均気温19~22℃が適温とされる。花期は4月頃、晩柑で収穫時期は1月~2月で冬の果物である。タンカンに「桶柑」の漢字が当てられているのは、中国で行商人が木桶にタンカンを入れて売り歩いたことが由来とされている。日本における2010年の収穫量5,222tの8割は鹿児島県、沖縄県約2割でその他宮崎県でも僅かに生産されている。 平成22年(2010)農水省特産果樹生産動態等調査タンカンは重量150g前後で、球形をしている。表皮は熟すと、明るいオレンジ色になる。欠点として屋外栽培のため風などによる擦れ傷が付き易く、都会地では敬遠されがちな見た目の悪い果実が非常に多い。皮は厚みがあり、ゴツゴツと堅く、力が弱い女性や子供では皮を手で剥くことが難しい。そのため果実発送の際、皮の表面に浅く切り込みを入れるプラスチック製の専用カッターをサービスで添付する店舗もある。ネーブルを親に持つだけあって皮と果肉が離れにくいがポンカンやネーブルオレンジと同じく、オレンジ色の果肉を包む瓤嚢(じょうのう)の膜は柔らかいので薄皮のまま食べても口中に残らず違和感は無い。柑橘類の中でもトップクラスの糖度を持ち、果汁も多い。さらに柑橘特有の酸味とのバランスもよく、濃厚な味わいである。温州ミカンより、日持ちがする。毎年1月下旬から2週間ほど開催される日本一早いさくら祭りを見物に行っていたのだが、今年は都合で行かなかった。そのため沖縄北部の今帰仁村に広大な別荘を持つ学生時代からの友人から、本部産のタンカンが届いた。早速ありがたく頂いたが、今年の「伊豆味産タンカン」は粒揃いでシミも少なく見栄えも味も良かった。先日本部産より若干大粒な奄美産の綺麗なタンカンを、小田急江ノ島線大和駅前の大きな骨董市で山積み販売しており、人が群がって買い求めていた。関東地方のスーパーでは扱っていなくて、未だ珍しい柑橘である。
2017年02月22日

味覚を生理学的に分類すれば、甘・酸・塩・苦・旨味が五原味といわれる。渋味は苦味と生理学的には同一の味覚とされるが渋味を加えて、第六の味とすることもある。動物は本来苦味を感じさせる化合物に対して、拒否反応がある。これは、毒性化合物の摂取を避けるための反応だと説明されている。苦味のある化合物への感受性は、種によっても個体によっても異なる。甘味・塩味・旨味は栄養として感じ、酸味は腐敗を苦味は毒として危険性を感じとっているのだとされる。多くの動物は苦味に敏感で、猫は強く嫌う。春の山菜・野菜は、独特の苦味を有している。これらの持つ苦味成分には抗酸化作用のあるポリフェノールや、新陳代謝を促進する物質が含まれているとされる。ヨモギ・菜の花・タラノメ・ツクシ・フキノトウには、独特の苦味がある。昔から「春には苦みを盛れ」といわれており、山菜や野菜の苦味で春の訪れを実感する。ツクシはvitaminB破壊酵素を含有し、蕗の薹には植物アルカロイドで肝毒性が強いペタシテニン(Petasitenine)を含有すると言われる。しかしこれらは日常的に大量に食べるわけでもなく、一度茹でこぼして灰汁抜きすれば安全である。ホップの球花には黄色の粒子ルプリンが存在し、ビールの香りや苦味物質はこの中に含まれている。コーヒー・さんま・ビール・茶などの適度な苦味は、多くの人に好まれている。人によって、好まれる苦さの程度は異なる。ビールや蕗の薹は、子供の頃には苦くて口にできなかった。成長して大人になるにつれ、子供の頃「毒」として感じていたこの苦味が美味しく感じられるように変化してくるのは不思議である。50年も前に東京下町の妻の実家からと信州の実家から移植した山フキが、庭一面に増殖し毎年この時期には蕗の薹が顔を出す。義母の生前佃煮の作り方を教わり、以来50年以上作り続けている。風も無く春の陽光が降り注ぐ15日に、笊一杯の蕗の薹を摘んだ。泥を洗い落としてから沸騰したたっぷりの湯で、5分ほど湯がいてから笊に取る。苦味が気になる場合は流水に漬けるが、苦味を楽しむ場合は堅く絞るだけでいい。細かく刻んだ蕗の薹を鍋に入れ、一緒に削り節を適量入れる。削り節は出汁になるし、増量にもなる。調味料は日本酒・味醂・蕎麦つゆ同量で味付けし、ヒタヒタになるように水を加える。途中味加減を見て、醤油を加えて味を調える。調味液が煮詰まれば、完成である。熱いうちに殺菌した瓶に入れ、冷蔵庫で2週間は保存可能である。酒のつまみに良し、白飯に載せて食べても良い。
2017年02月20日

赤富士は主に晩夏から初秋にかけて早朝に富士山が朝日に染まって起こる現象と定義されている。富士山が、陽光で朱色に染まることが語源である。赤富士は古くから絵の題材とされ、多くの画家が数々の作品を残している。葛飾北斎が天保元年(1830)~天保5年(1834)に刊行した富嶽三十六景「凱風快晴」に、有名な赤富士が描かれている。北斎の凱風快晴の富士はかなりデフォルメされていて駿河国側か、甲斐国側からの裏富士を描いたものであるのかは判断がつかない。赤富士は、縁起が良いとされている。主に晩夏から初秋にかけての早朝に、富士山が朝日に染まって起こる現象と定義されているが夏の季語である。赤富士が目出度い現象とされるようになったのは「一富士・二鷹・三茄子」といって、富士山の初夢が縁起良いとされていたことが起源との説を唱える人もある。もともと富士山は日本一の山なので普段でも富士を見られると、「幸い来たる」「希望達成」「金運に恵まれる」とか言われている。占いの世界でも赤富士は一瞬にしか見られないので、特別に縁起がいいものとされている。赤富士が縁起の良いとされたのは、富士山に朝陽が当たり始め山容を赤く染めて次第に明らかになっていく様に吉兆を感じたのであろう。一方では昼に「真っ赤」に染まった富士は、不吉の前兆との言い伝えもある。出産間近の女性が陣痛中に赤富士の絵を描いて、出産を望む女性に贈ると子宝に恵まれるとの迷信もあるがこの謂れの由来は不明である。甲斐駒ケ岳は南アルプス国立公園内の赤石山脈北端にあり、山梨県北杜市と長野県伊那市にまたがる標高2、967 mの独立峰に近い山である。その麓にある山荘からは前衛の山に遮られ富士山は見えないが、車で5分も移動すれば南東の方角に富士が顔を出す。しかし、ここからは逆光になるので赤富士を見たことは無い。山荘の真西に位置する甲斐駒ケ岳は朝陽を真正面に受けるので、晴れた12月から2月にかけての日の出前には白銀を染める見事な赤甲斐駒を見ることができる。凡そ日の出前10分頃からモノトーンの甲斐駒ケ岳の頂上が染まり始め、やがて左下の摩利支天・アサヨ峰をも朱色に包みこむが太陽が山を割って昇る頃には急激に色が褪せる。山荘を訪れた折にはひとも動物も活動を始める前の未だ暗い中に起きだし、シンとした零下7℃の静寂の中で僅か10分足らずの崇高な自然のドラマに酔いしれる。
2017年02月16日

10日から3日間ほど鳥取市を中心に32年ぶりという90cmを超える大雪が降り、係留船舶の転覆や道路・電車の交通マヒが起きた。幸い関東地方は南岸低気圧が列島を離れて通ったことに加えて、寒気が思ったほど南下しなかったことから樹木や屋根にうっすら積もった程度で大した降雪量にはならなかった。11日はどうしても山荘に出かけなくてはならず、予てから予定を組んでいたが道路の積雪が無かったこともあって9時に自宅を出た。約10分ほど走って相模川沿いに出ると突然道路以外が見事な雪化粧で、まるで一足飛びに雪国に来た感じになった。子供の頃を伊那谷で過ごしたので、毎年何度か30cmほどの積雪は経験していた。しかしこんなに見事な着雪を見たのは恐らく初めてではないかと思う。降雪量はある一定の時間内に降り積もった雪の深さをいい、積雪量は自然な状態で降り積もった「ある時点」での雪の深さを表す。この二つの言葉とは別に、雪が電線や樹木などに付着する現象を着雪といっている。湿った雪が付着し送電線や船体などに被害が起こる可能性がある時には、「着雪注意報」が発表される。降雪や積雪とは異なり計測するものではないため、「着雪量」が発表されることはない。付着した物体が電線のときは電線着雪・列車であれば列車着雪と呼ばれ、ともに雪害の一つである。1986年(昭和61年)3月23日、発達した低気圧の通過に伴う強風と電線着雪により神奈川県県央部の相模川沿いを中心に送電線の支持物が11基損壊(倒壊8基、折損3基)、送電線の断線が31径間に及ぶ着雪被害により停電戸数は133万戸となった。我が家でも片屋根式の車庫が落ちて、車の屋根を押し潰した。着雪は強風下で気温が0℃~1℃ぐらいで降る、湿性の雪のときに起こりやすい。雪が湿っていると、水の表面張力が働くからである。着雪注意報は著しい着雪により通信網や送電線、船体などへの災害が発生するおそれがあると予想したときに気象庁から発表される。気温が0℃以下であっても強い吹雪のような強風時には、乾雪の場合でも着雪が発生する。その着雪メカニズムとして雪片の運動エネルギーが構造物に衝突する時に、雪の内部エネルギーに変換され構造物との接触部分で雪の一部が融解し付着すると説明されている。一般に風速が大きく気温が高い場合に降る雪ほど着雪しやすく、着雪量も増加するのが観測されている。構造物への着雪様式には湿型着雪と、乾型着雪の二通りがある。湿型着雪では風速3~4m/sの場合に起きるのに対して、乾型着雪は5m/s以上の強風で吹きつけられる時に起こる。一方電線では10m/sを超えると吹き飛ばされるのに対して、道路標識などの板状構造物では着雪が起きる。「雪の明日は裸虫の洗濯」という諺がある。雪の降った翌日は晴天になることが多く、「裸虫(貧しくて着る物がろくにない貧乏人)」も雪が降った翌日は天気が良くなるので、着ていた物を脱いで洗濯するほど暖かくなるという意味である。中央道笹子トンネルまでの間、諺通りすっきりと晴れた冬の青空と白い花が咲いたように着雪した木々の枝が美しく映え目の保養をしながらのドライブであった。
2017年02月14日

2月に入ってすぐ、庭の福寿草が二輪咲いた。フクジュソウは、花を開閉する植物であることが良く知られている。陽の光が当たると10分もしないうちに大きく開花するが、陽が当たらなくなると開花の5倍ほどの早さであっという間に閉じてしまう。リンネはすべての生物を、植物と動物に分けた。現在はこの分類で植物に含められない、褐藻や真菌類も植物に分類されていた。やがて微生物が発見されると「光合成をする。」「細胞壁をもち、多細胞のものは先端成長をする。」「非運動性などの植物的特徴を多く持つもの」は植物に、そうではないものは動物に分類された。リンネ以前の、「代謝と生殖はするが移動せず感覚はないもの」を植物と定義したアリストテレスの分類は素人には分かりやすい。現代における分類では、植物の特性は非運動性である。しかし植物には葉や花などの器官が昼間に開き、夜に閉じる就眠運動を行うものがある。これらの運動は光・温度・機械的刺激を感じて動くものであり、時にはそれが夜と昼に動く「癖」になっているものもある。光の強さが刺激になって起こる運動を「傾光性」といい、温度変化によるものを「傾熱性」といっている。ネムの木はネブリノキ(眠之木)が語源とされ、夜には葉を閉じる性質がある。チューリップやクロッカスの花も朝開き夕方閉じるが、これは光ではなく温度を感じて開閉している。太陽が昇って温度がある温度を超えると開くが、夕方温度が下がると閉じる。切り取ったチューリップは暖かい部屋では、夜になっても閉じない。オジギソウは機械的な刺激を受けると、見ている間に葉を閉じる。モウセンゴケが昆虫を捕らえるのも、同じ仕組みである。触った刺激が電気信号となって、葉の付け根にある運動器官の「主葉枕」に伝わることで起こる現象である。動物の神経伝達の電気信号とよく似た、信号を出していることが付きとめられている。インゲンマメやダイズの二葉は、昼開き夜閉じる。これを暗いところに入れても、しばらくの間は朝になると葉を開き夕方に閉じる運動を繰り返す。これは植物の持つ体内時計が、開閉のリズムを作っているからだと説明されている。マツバボタン・クロッカス・チューリップ・タンポポ・キンポウゲ・カタバミなどの花の開閉運動は、温度の変化が主因でそれに植物ホルモンのオーキシンなどの作用も加わって起こる。このうちクロッカス・タンポポ・カタバミなどは低温状態に長く置くと花びらが閉じたままで花が開かないで終わってしまう。リンドウの仲間は日光の光を受けて花を開き、曇天や雨天には閉じている。雨水によって、花粉の劣化を防ぐためではないかと考えられている。リンドウは15℃~25℃で開花し、光はあまり関係しないことが分かっている。フクジュソウの花の開閉運動も、傾熱性に基づくものであることが証明されている。フクジュソウの開花に必要な最低温度は8℃~10℃の間に存在し、チュ-リップの10℃~13℃より低い。フクジュソウは日光ではなく、温度を感知して花の開閉を決めている。ある決まった温度がスイッチになっており、その温度を超えるとすばやく開きその温度を下回ると大急ぎで閉じる。フクジュソウの開花と温度は、送粉昆虫の行動に関係しているとされる。一定温度以上でなければ、昆虫は活動しない。フクジュソウは昆虫が活動できないほど寒い時は、寒さからシベを守るため花を閉じるのだと考えられる。さらにフクジュソウの花弁は太陽の方を向いて咲くので、パラボナアンテナ状の花の中は外気温より10℃近くも高くなる。温度が高ければ、飛来した送粉昆虫の活動が一層活発になる。種を保存し生き残るために、気の遠くなるような長い年月を掛けて進化した結果である。
2017年02月09日
春の海 ひねもすのたり のたりかな 蕪村句意は「温かな春の日差しを受けゆるやかにうねる春の海の波が、一日中のたりのたりと寄せては返している。」で、理屈抜きで穏やかな春の景色が心に浮かぶ句である。作者の与謝蕪村は日本各地を放浪して旅を続けた俳人だが京の丹後与謝に居を定めたことからこの句は、丹後与謝の海を詠んだともいわれている。与謝の海とは、宮津湾奥にある阿蘇海のことである。与謝の海は昔から多くの歌に詠まれており和泉式部集には、「与佐の海に 浪の夜昼眺めつゝ 思し事をいふ身ともがな」がある。 4日は立春だが未だ寒の最中でとても、「終日のたり」の春を実感できるほどの温かさでは無い。東京の11月末から12月上旬の日没は16時28分で1月上旬の日の出は6時51 分日なのに対して立春の2月4日の日の出は6時40分で日没は17時12分である。一陽来福の言葉とおり、確実に日照時間は延びている。単調に繰り返される自然の動きと温かさで、人は眠気という現象に誘われる。眠気に伴なって、多くの場合欠伸が出る。欠伸は不随意に起き口を大きく開け深く息を吸い込む呼吸運動で、あくびが出やすいのは覚醒と睡眠の境界から覚醒に向かうときである。眠たいとき・過度に疲れているとき・退屈なとき・極度の緊張状態 ・寝起きなどの他、近くの人があくびをするとつられて欠伸をする場合も多い。あくびはヒトに限られた現象では無く哺乳類・爬虫類・鳥類などでも観察でき、脳の働きが鈍くなると脳を活性化させるために不随意に起きる生理現象だと説明されている。あくびの発生原因や生物学的意義は、解明されていない。呼吸によって酸素と二酸化炭素交換を高める、顔面のストレッチや内耳の圧力を外気と調整するためなどの説の他、脳の活動で体温が上昇し働きが鈍くなると新鮮な外気を取り込んで体温を下げることで脳を活性化しているのだとの説もある。欠伸が人に感染するメカニズムについても分かっていないが、親しいほどあくびがうつる。あくびは「魂が人の体から抜け出ようとしているときに起こる」と古代ギリシャでは信じられていたことから、「魂を逃がさないように」あくびをするとき口に手を当てようになったとの説が伝わっている。「あくび」は古語動詞「欠(あく)ぶ」の連用形が名詞に転じたものであるが、その語源には諸説ある。漢字で欠伸と書いて、あくびと読ませる。「欠」は象形文字で、口を大きく開ける動きを表している。欠の部首はあくび・かけるで、欠が付いた「歌・吹・飲・歓・歎・欲」などいずれも口をあけるに関係した意味を持つ。欠一文字であくびだがその動作の際伸びをする様子から、あくびに「欠+伸」という漢字を当てたものである。失礼になるような大事な会議などで欠伸が催してきた際相手に気づかれないように止めるには、上唇を舌で舐めたり舌で前歯の裏側を押しつけるなどの方法で抑えることができる。与謝蕪村が所在無げに「のたりのたり」とした海の波を眺めながら、両腕を上に欠伸をした姿が想像できる陽気になるのは未だ1か月以上も先のことになるのだろう。
2017年02月02日

安土桃山時代に信長・秀吉や各地の戦国大名などにより城下町など支配地の市場で行われた経済政策を楽市令といい、市は「楽市楽座」の名前で呼ばれる。座商人の特権や市場税を廃止し、城下町の繁栄を計かったのである。楽市の「楽」は規制が緩和されて、自由な状態という意味を持つ。当時は「座」という商人たちの組合のようなものがあり、新しく商売をしたい人がいてもなかなか新規参入が難しかった。そこで座を廃止することで自由に商売ができるようにし、税金も安くすることで城下町に人が集まってきて結果的に城下町が潤うようにする政策である。楽市楽座は言わば、現代版の「規制緩和」と「減税」のことである。全国各地域の産地小売卸業者や窯元生産者などによって構成され佐賀県に本部がある「全国大陶器市振興組合」は、年に20回ほど日本各地の都市公園を中心に陶器市を開催している。この団体は公園や広場に仮設テントを設置し、営業を行う。組合の惹句では楽市楽座の再現だというが、組合組織が仕切っていて当日自由に参加することはできなさそうである。陶器市と銘打っているだけに陶磁器を扱う店が多いが、異色なところでは黒檀・紫檀・タガヤサン・カリン等の材を使用した唐木家具・箸・漆器・金物・九州のうまいもの食品を扱う店もある。陶磁器では日展・伝統工芸・人間国宝作家などの、骨董美術品を扱っている店もある。昨年は笠間焼を売るテントで、備前の骨董大壺を購入した。以来備前焼に取り憑かれ、一年の間に人間国宝の作品を始めとして工芸作家などの作品を約40点も集めてしまった。1月第4週から始まった陶器市の初日に、ヒヤカシに出かけた。昨年見て素晴らしいと思った総欅作りのダイニングテーブルが、今年も展示されていた。家内は前々から30年も前に購入した総皮張りのソファーに代えて、椅子とテーブルにしたいと言っていた。本命の陶器探しはソコソコにして、家具を並べたテントに入りこんだ。テーブルはかなり高額だが、我が家のリビングに入れたら引き立つだろうと考えていると実直そうな店主が寄ってきたので値引きの交渉をしてみた。お目当てのテーブルは埼玉のデパートでは、正札より10万円高い値段が付いているのだと言う。正札よりどれだけ値引くのかと尋ねると、あっさり10万円引くと言う。「その値段でも良いかな」と思いながら色違い・形違いのテーブルを見ていると、未だ不服と映ったらしくさらに税金・送料全て無料にしたうえ更に15万円を割り引くという。結局デパートの値段より、35万円も安くなったわけである。陶器市に行って家具を購入してしまったのだが、我が家のリビングにピッタリで良く映える。衝動買いにしてはちょっと高額だったが、良い買い物だったと思っている。配達に来た時聞いた話では今年は4台も同じテーブルが出たといい、製造工場の四国徳島から急遽運ばせたのだと言う。デパートの値段に基準が有ってそこから値引きさせると何故か儲かった気がするのだが、これをデパートで購入した人は随分と高い買い物をしたことになるのだろう。
2017年02月01日
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