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芋といえば日本人のだれもが一般的に、ヤマノイモ・サトイモ・サツマイモ・ジャガイモをあげる。その中でも最もポピュラーなのは、サツマイモであろうか。芋の付く食べ物だけでも、「―羊羹」・「―田楽」・「―飯」・「―けんぴ」・「―焼酎」など多くの食べ物飲み物がある。芋は土地を選ばず救荒作物としても利用され、安価な食料として庶民に広く利用されてきた。安価でどこでも手に入れることが可能なところから、蔑視される傾向もある。「イモ」は、「洗練されていない」という意味を込めて蔑む場合にも使われる。料理でも芋料理は、「田舎料理」の代表でもある。干菓子の一種に、「けんぴ」がある。土佐の郷土菓子で、漢字では堅干・健肥・犬皮とも書き表される。室町時代から土佐に伝わると言われているが、現在のけんぴとは材料が若干異なるらしい。小麦粉に砂糖・水を加えて硬めに捏ねた生地を伸ばしてまるめ、棒状にしてから切断したものを焼いて作る。堅く干して作られることから「堅干(けんぴ)」の文字を与えられたとされ、「茶の湯」で用いられることもあるが日常の茶うけ菓子である。小麦粉・白砂糖・クルミ・黒ごまなどを捏ね合わせて薄く伸ばして焼き、丸く巻いて小口切りにしたものが室町時代から作られていたという。一方では唐から渡来したまがりもち環餅(かんぴん)が「巻餅(けんぴん)」に変化したのが語源とする説もある。1601年(慶長6年)に土佐の「白髪素麺」や「麩」の製法を応用して作られた菓子を山内一豊に献上したのがけんぴの始まりだとする説もある。(ケンピの製造元西川屋)。それらの説より700年以上も前の930年(延長8年)に、米麦の粉に蜜、甘酒・鶏卵などを混ぜ小麦色に焼いた菓子を食べた紀貫之貫が、病弱な人でもこれを食べれば肥り健康が増進するとして「健肥(けんぴ)」と名前をつけたとする説や、犬皮語源説もあるがこちらは俄かには信じがたい。また砂糖を加えて練った小麦粉にゴマとクルミを入れ焼いた、「けんぴん」と呼ばれけんぴに類似した菓子が江戸時代の文献に記載がある。名称や発祥について多数の説が存在する中で、唐から渡来したとされる環餅由来説が最も説得力があるように思われる。サツマイモをスティック状に細切して砂糖・糖蜜等を塗して油で揚げた物ものがある。形状がけんぴに似ているところから、その名前を借りて芋けんぴと言われる。砂糖のコーティングにより表面は生の状態より硬い食感になっており、容易に折れ易いが歯応えがある。表面に、胡麻を付けるのが一般的である。製法形状ともフライドポテトに類似するがいもけんぴは専ら菓子として供され、料理の付け合わせや食材として利用されることはない。材料・製法ともけんぴとは全く異なり、類似するのは形状と堅さくらいである。羊羹とは全く異なるのに、芋羊羹の名前が付けられた食べ物と同じである。形状が似ているのに本質が全く異なるいわゆる似て非なる対象物については「梅―」「がんー」など多くが「擬(もどき)」といって区別される。クロウメモドキ・サフランモドキ(ゼフィランサス)・タチバナモドキ・ツルウメモドキなどの植物や、ササキリモドキ・コオニグモモドキ・カミキリモドキなどの動物の例がある。いも羊羹やいもけんぴの場合はその原材料名を頭に付けて、本来の物とは異質なものであることを表わしている。モドキ羊羹でもよさそうだが羊羹には栗蒸し羊羹・昆布羊羹・梅羊羹・柿羊羹・薄荷羊羹・イチジク羊羹・蕗羊羹など多くがあり、「芋」とその原材料名を冠しないとその実態が分からない。女性は芋好きと言われるが、家内も例外ではない。店頭で焼き芋が目に入れば、すぐに買う。干芋やいもけんぴなどの、芋菓子にも目が無い。お付き合いで摘まむうちに、結構いもけんぴを食べるようになってしまった。昔食べ始めると止まらないというエビ煎餅のコマーシャルが流行したが、いもけんぴも次々とつい手が出てしまう食べ物ではある。さつまいもは全国どこでも収穫される割には、けんぴと同じくいもけんぴも高知県が特産のようである。
2018年01月19日

「明日」に「あす」という訓が当てられているが、単字の「明」や「日」に「あす」の要素は無い。 漢語では「明」と「日」を修飾や被修飾の関係で組み合わせることで、新たな意味を作り出している。単字それぞれの字訓で読めば、「あくるひ」になる。これに対して二字に一訓を当てると、「あす」となる。このような漢字訓の用法は、熟字訓と呼ばれる。熟字訓はよく使われる言葉にある場合が多く、訓には和語ばかりでなく外来語も使われる。団扇は「うちわ」と読むが団には、うちわを示す意味は全くない。熟字訓も通常の訓読みと同様に、個人的な使用から生じてそれが定着したものである。この用例が定着しなかった例として、「閑話休題」と書いて江戸時代には「それはさておき」と読ませたが現代はほとんど使われていない。常用漢字表付表には、熟字訓のうちの116種(123表記)が呈示されている。日常生活に欠かせない便所は、古くは川で用を足した頃の名残で厠(かわや)と言われた。その他に樋殿 (ひどの) ・川屋・側屋・雪隠 (せっちん) ・東司 (とうす) ・西浄 (さいじょう) ・後架 (こうか) ・手水場 (ちょうずば) ・ご不浄・憚 (はばかり) などの呼び名がある。現在は、トイレ・お手洗い・化粧室が一般的である。江戸の長屋の共同トイレは「惣後架(そうこうか)」と呼ばれ、屎尿は肥料とするため近郊の農家が買い取り大家の収入となっていた。落語に法華長屋がある。法華宗の熱烈信者を自称する、長屋の大家がいた。店子は全て法華宗の者に限られ、他宗の者には家を貸さないと言う徹底ぶりであった。さらに路地の入口には「法華宗の者入るべからず」の札があって、行商でも何でも他宗の者は長屋の中へは入れなかった。 ある日店子の住人がやって来て、便所が一杯になっているので汲み取ってほしいと言う。今から出入りの汲み取り屋を呼びにやっても、直ぐには間に合わない。そこで流しの汲み取り屋を呼んで、汲み取らせる事になった。来る汲み取り屋の全てが、他宗派であった。昼時飯屋に集まったくみ取り屋の全員が呼ばれて行ったのに、宗派を聞かれ答えると塩をかけられ酷い目に会ったという。その中に法華宗の者だけ居なかったことから、大家は法華に違いない。俺は法華ではないが法華の振りをして、仕返しをして来ようと言う物好きが現れた。 その男は長屋へ行ってあること無いこと並べ立て、お祖師様へのお供えと言って大家に酒と鰻を出させしこたま飲んで酔っ払った。早く汲み取ってほしいとの大家の言葉に、酔っぱらったから大家が肥桶に汲み上げろといい出す始末。一杯になった肥桶を担いでよろめいて、つい「南無阿弥陀仏」と唱えてしまう。大家が血相変えて「お前は法華じゃないな」と詰め寄ると、「きたねえから念仏へ片づけた。」明治期の落語速記本「百花園」(明治二十七年七月二十日刊・十三巻 百二十六号)、四代目・橘家円喬日本書紀によると推古十四年(606)に聖徳太子が法華経を講じたとの記録があり、熱心な信者がいたことも想像できる。法華宗で用いる団扇太鼓を使った、「だんだん良くなる法華の太鼓」という言い回しがある。太鼓が「だんだん良く鳴る」と、物事が「段々良く成る」に掛けたもので物事が徐々によい方に向かっていくという意味である。円形の枠に1枚の皮を張った太鼓で、胴が付いていない。形状が団扇に似ているため、団扇太鼓と呼ばれる。バチで叩くと大きさの割に、残響のある太い音がする。大勢で、題目を唱えながら打ち鳴らすことが多い法具である。
2018年01月10日
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