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ジャム類とは・果実や野菜・花弁を砂糖類などとともに、ゼリー化するまで加熱したものである。ジャムの他マーマレード及びゼリーに分類され、このうちマーマレードはかんきつ類の果実を原料としかんきつ類の果皮が残っているもの、ゼリーは果実等の搾汁を原料としたもの、ジャムはマーマレード及びゼリー以外のものとされている。(ジャム類の日本農林規格)またジャムのうち使用した果実の形を保持しているものを、プレザーブスタイルと呼んでいる。ゼリーには、日本農林規格が定められていない。一見マーマレードにしか見えないのに、ジャムコーナーには「ゆず茶」の名称の瓶詰が並んでいる。李氏朝鮮時代の崇儒廃仏によって仏教的な文物の多くは破棄されており、この時期に喫茶の風習も途絶えていたといわれる。李氏朝鮮が中国明王朝の使節を迎える際に茶を用いた儀礼(茶禮)が行われていたことが確認されているが、儒教を国教として仏教の茶文化の茶礼(チャレ)は禁じられ、酒を奉げる献杯の「祭祀」を奨励した。韓国では柚子・コーン・ハト麦・麦・棗・花梨・ショウガ・蜂蜜・ニンジン・おこげ・決明子・五味子・桂皮・菊花・梅実・山茱萸・玄米など、多くの物を「…茶」と称して飲料する習慣が発達した。これらには茶葉は全く含まないが、お湯で割って飲むところから「伝統茶」と言われる。この中にある柚子茶は、韓国語では「ユジャ」とよばれる。砂糖やハチミツにユズの皮や果汁を入れて漬けこんだものが、柚子茶である。ジャムと柚子茶との違いは、砂糖を加えてから加熱工程の有る無しで異なる。また柚子茶は韓国ではお湯で割って飲料として利用するのに対して、同じ形態のマーマレードは主としてトーストに付けて食べ日常的に湯で割って飲用する習慣はない。勿論どちらも逆の利用をしても、それほどの違和感は無い。柑橘類の中ではレモンの4倍とされ、ビタミンCの含有率は柚子が最も多いとされる。しかしだからと言って風邪予防の効果を過大に期待して、ガブ飲みすると糖の摂取過多にもなり兼ねない。柚子茶は家庭でも、簡単に作ることができる。柚子の皮・果実に分け、皮を千切りにする。果実はレモン絞りで搾汁し、細かい目の漉し網で種を分離する。ボールに細切した皮と果汁・同量の砂糖を加えて混ぜ合わせ、瓶に移して冷蔵保存する。庭の隅にハナユズを植えて、ユズの代用として料理に利用している。スダチなどに近い品種で、ユズの名前で呼ぶ人も多い。昨年は大量に実を付けたので欲しい人に分けたり風呂に入れたりしたがとても使い切れず、1月末になってヒヨドリが啄き、全く知らない人が自転車で乗り付け家人の見ている前で盗っていくようにもなった。一言ことわれば気持ちよく差し上げるのに、見ている前での盗窃は許す気になれない。昨日は、バケツ2杯12kg以上の実を収穫した。例年マーマレードに加工するのだが皮を細切するのが面倒だったので、搾汁した果汁に重量の半量の砂糖を加えて火にかけ沸騰してから弱火で20分加熱した。酸っぱい、ジュースが出来上がった。酸っぱいジュースを飲用するには30mlに150mlほどの湯を加え、蜂蜜を加えて飲みやすくする。マーマレード・ゼリー・柚子茶でも無いユズジュースが、3ℓほども完成したので柚子茶の代わりに当分の間楽しむことができる。
2017年01月31日

青空のキャンパスを白い直線で切って浮かぶ飛行機雲は、秋から冬の空に良く映える。飛行機の航跡に生成される細長い線状の雲は、ジェット機のエンジンが出す排ガス中の水分と翼の低圧部が原因となって発生する二通りがある。雲と同じ性質のもので、航跡雲とも言われる。通常ジェット機の飛行高度1万mでは、地上の平均気温より約60℃も低いことになる。このような状態では、300~600℃とされる排ガス中の水分が急冷されて凍雲となる。航空機のジェットエンジンには、ケロシンが使われている。主成分は炭化水素で燃焼によって、二酸化炭素と水になり放出される。これが大気中の水分と合わさり、高々度の低温の下で氷結して飛行機雲となる。このため中緯度地域では、5,000m~13,000mの高度で生じることが多い。他の一つは排ガスと関係なく飛行機の翼上面では気圧が低くなり、大気は断熱膨張によって温度が下がっているため大気中の水蒸気が凝縮して水滴となり飛行機雲となる。飛行機雲の発生には飛行高度や上空の温度・湿度・気流などの条件が揃うことが必要となるので、飛行中の飛行機が常に飛行機雲を発生させるわけでは無い。飛行機の巡航速度は約時速約900km、秒速に換算すると約200m/秒で移動していることになる。さらに排ガス中の水分が凍って雲になるまでには少し時間がかかるので、地上から飛行機雲が見られる場合でも機上の人は普通飛行機雲を見ることはない。排気ガスにより生じた雲は大気中の水蒸気量そのものが増加するため、翼による気圧・温度変化によって生じる雲より長く安定して残る傾向にある。広い範囲で大きな高気圧が有る場合、飛行機雲は出来難くなる傾向になる。逆に飛行機雲が多く現れ、長時間消えない時は低気圧が近づいており一般的に天候が悪くなる兆しとされる。東京国際空港(羽田)・成田国際空港は基本的に24時間離発着が可能な空港で、騒音対策などで進入・出発経路の制限や離発着数の制限はあるが深夜や早朝には貨物便が運航されている。空港は24時間運用されているものの、騒音との関係で成田国際空港では午後11時から午前6時までは滑走路「利用時間が制限されておりこの時間帯には離着陸はできない。羽田空港は日本では数少ない24時間運用が可能な空港の1つであるが、深夜から未明の時間帯にかけては国際線や貨物便が発着するのみとなっている。山荘の上空の日の出前の空に、何本もの飛行機雲が現れる。飛行コースは必ず東から西へのルートで、南アルプスを超えて行く。長年空を見てきたが、逆の南アルプスを越えて東へ向かう飛行機を見たことは無い。午前6時40分過ぎは成田・羽田空港の始発便が、ちょうど上空に差し掛かる時間帯である。雲一つ無い青空に未だ山影から姿を見せない太陽の光を受けた機体が赤く燃え、エンジンの排ガスが飛行機雲となって画像の角度を変えればまるで上昇するロケットである。28日の彼誰の時間帯に、山荘の上空には8本もの航跡雲が並んだ。
2017年01月30日
元首相が演説の中で「テイマイ・モノミユウザン・ハンザツ・ミゾウユ・フシュウ・マエバ」と読んだ漢字は、それぞれ「低迷・物見遊山・頻繁・未曾有・踏襲・前場」であった。原稿の低迷をテイマイと読んだのは多分、迷子からの発想で有ろう。物見遊山・頻繁・未曾有・踏襲は読みも意味も知らなかったのではないだろうか。二つの語が連接するときに生じる音変化の一つに、連声 (れんじょう)がある。前の音節の末尾の子音が、あとの音節の頭母音(または半母音+母音)と合して別の音節を形成する。三位(サンミ)・因縁(インネン)・陰陽(オンミョウ)などがその例である。云は音読みで「ウン」だが、云々と連続した場合本来ウン ウン(un un)である読みが、un nunとなり「ウンヌン」と読まれる。云の訓読みは「い(う)」で、言うと同じ意。何々する由の「由」に當る。他人の言ったことを引いて述べる場合に使われる。云々は引用した文や語句の後を省略するときに、「以下略」の意で文や語句の末尾に添えて用いる。字源に依れば云は象形文字で、「息や空気が曲折してたちあがるさまからできた漢字。云は雲の古字。雲は雨をふらす、故に後に雨を加ふ、人言を発すれば気を出すこと雲に似たり、故に転じて曰の義とす」とある。1月24日の国会審議の場において民主党の蓮舫代表の質問に対する答弁で、安倍現首相が「でんでん」という言葉が威勢よく飛び出した。「でんでん」という言葉は太鼓に付けて「でんでん太鼓」と言ったりし、太鼓・鼓などの音を表す。また民営化前の電電公社を略して、電電と言ったりもした。しかし首相は「訂正でんでんというご指摘は、全くあたりません。」と発言したもので、前後の発言内容から類推して「云々」を間違って言ったものであることは明らかである。質問者の蓮舫議員も聞いていなかったのか分からなかったのか、何もアクションが無かった。その後議場がざわめいた風も無く、他の議員からもこの言葉に対して野次も出ず質疑が淡々と進んでいった。速記者は、速記録をどのように書き起こすのであろうか。控えていた官僚は優秀であるから気付いた人がいたと思われるが、この言葉を聞いて驚いた様子は見られなかった。初めて出会った文字の読みをうっかり間違えて覚えると、訂正されるまで自分が正しいと思い込んでしまう。自分も訂正されるまで長い間、抗うの読みを「あがらう」と思い込んでいた。云々は原稿にあった文字で無く、アドリブでの答弁だったのではないだろうか。元首相は言葉知らずの故の失言と思われるが、現首相も恐らく読み間違えでは無く自分では云々の読みを、デンデン(伝々)と思いこんでいたものであろう。今日は小中学校でも、話題にしたところが有るのではないか。聞いた子供は忘れても、大恥をかいた言った本人は終生忘れることは無いだろう。
2017年01月26日

「鶏鳴狗盗」という、熟語がある。鶏鳴は鶏の鳴き真似をすることを言い、犬のようにこそこそと僅かばかりの物を盗むことが狗盗である。「どんな人物でも何かひとつは取り柄がある」とするプラスの意味と、「つまらない能力しかない取るに足らない人物」を意味するマイナス面との2つの相反する意味を持つ熟語である。そこから「つまらない才能」あるいは、「つまらない特技」でも何かの役に立つという意味で使われる。中国元の時代に南宋の曾先之によって歴史読本として2巻にまとめられた、「十八史略」(1321年~1323年)が出典との説がある。実際には紀元前91年頃に成立したとされる史記が出典とされるべきで、史記の「孟嘗君伝」に鶏鳴狗盗が出ており曾先之はこの話を史記から採話したものである。十七条憲法(604年制定)の第10条に「田単伝」から採った「如環之無端」と出てくることから、その時代以前には史記が日本へ伝来していたと推測されている。一方十八史略は1321年~1323年に編まれ、室町時代(1336年~1573年)には日本へ伝わったとされる。その中に「靖郭君田嬰は、宣王の庶弟なり。薛に封ぜらる。子有り文と曰ふ。食客数千人。名声諸侯に聞こゆ。号して孟嘗君と為す。秦の昭王、其の賢を聞き、乃ち先づ質を斉に納れ、もって見んことを求む。至れば則ち止め囚へて之を殺さんと欲す。孟嘗君人をして昭王の幸姫に抵りて解かんことを求めしむ。姫曰く、「願はくは君の狐白裘を得ん」と。蓋し孟嘗君、嘗て以て昭王に献じ、他の裘無し。客に能く狗盗を為す者有り。秦の蔵中に入り、裘を取りて姫に献ず。姫為に言ひて釈さるるを得たり。即ち馳せ去り、姓名を変じて夜半に函谷関に至る。関の法、鶏鳴きて方に客を出だす。秦王の後に悔いて之を追はんことを恐る。客に能く鶏鳴を為す者有り。鶏尽く鳴く。遂に伝を発す。出でて食頃にして、追う者果たして至るも、及ばず。孟嘗君帰り、秦を怨み、韓魏と之を伐ち函谷関に入る。秦城を割き以て和す。」とある。これは史記に出てくる故事と同じ内容である。清少納言がこの故事を引いて詠んだ「夜をこめて 鳥の空音は謀るとも よに逢坂の関は許さじ」夜がまだ明けないうちに鶏の鳴き真似をして騙しても、決して「逢坂の関を通る(あなたが逢いに来る)ことは許さない」が、百人一首として親しまれている。清少納言は清原元輔(908年~990年)が58歳の、966年頃の出生と推定されている。十八史略は1321年~1323年に成立したとされておりさらに日本への伝来が室町時代と考えられていることから、50年以上も前に生まれた清少納言が鶏鳴狗盗の故事を十八史略から引いたことは絶対にあり得ない。清少納言は史記から函谷関と鶏鳴狗盗を想起し、この一首を詠んだものであろうことは容易に理解できる。逢坂関は山城国と近江国の国境となっていた関所で、相坂・合坂・会坂関などと書くこともある。清少納言も、この関所を通ったものであろうか。清少納言は枕草子で「関は逢坂、須磨の関… 逢坂などをさて思ひ返したらむは、わびしかりなむかし。」と書いている。この逢坂の関の場所を大津市大谷町としているが、大津市逢坂2丁目の長安寺付近とする記述が更級日記にある。「…逢坂の関を見るにも、昔越えしも冬ぞかしと思ひ出でらるるに、そのほどしも、いと荒う吹いたり逢坂の関の せき風吹く声は 昔聞きしに変わらざりけり関寺のいかめしう造られたるを見るにも、そのをり、荒造りの御顔ばかり見られしをり思ひ出でられて、年月の過ぎにけるもいとあはれなり…」また長安寺の寺歴に依れば、「長安寺の前の名称は関寺。関寺は、創建年代は不明であるが、逢坂の関の近くにあった大寺院である。」とある。8世紀の終わりには逢坂関が置かれ平安時代中期(9世紀~11世紀後半)には、東海道・東山道・北陸道の3つの主要街道が集中し京への入り口として交通の要であったとされる。逢坂山関跡碑は大津市京阪電車京津線大谷駅から、徒歩2分の場所に建つ。
2017年01月25日

骨董の董には「糺・治」「監督・見張る(董督)」「蓮根」「古い道具(骨董)」などの意味がある。骨董は中国語で、古董と表現する。小泉八雲の作品集に、古いはなし他11編を収載した「骨董」がある。日本各地に伝わる伝説や古い怪談噺などから採話され、明治35年(1902)に出版された。古い話を集めた作品集であるところから、「骨董」の名称を冠したものであろう。骨董と言う言葉の意味は美術的な価値や希少価値のある古美術品・古道具類の他に、古いだけで実際の役には立たなくなったものという正反対の意味にも使われる。フランス語で「アンティーク(Antique)」と呼ぶ場合は、希少価値のある古美術や古道具を指している。一方では日本語で「がらくた」という言葉は、古いだけで実際の役には立たない時代遅れのものの意味で自虐的に「骨董品」と呼ぶ。有価値としての骨董品の条件として求められる点は「古いこと」と「希少価値」であり、食器や文具といった日用品・玩具・貴金属や宝石を含む装飾品・衣類・家具などあらゆる物品であり特にジャンルは問わない。また道具やも、骨董やと同義語で使われる。落語に、道具やがある。火事場で拾った鋸・表紙だけの「唐詩選」の本・一本取れた二脚の三脚・首が抜けるお雛様・短刀に見せかけて木刀を、埃にまみれた笛の穴に指を入れて抜けなくなった客に高額で売りつけた。落語の「道具や」は、今で言う露店の骨董商のことである。骨董の語源由来は、「コトコト・ゴタゴタ、ガタクタ」等と同じ意味の擬声語であったという。骨董飯(五目飯)・骨董汁(雑多な具を入れた汁)・骨董箱(雑多な物を収めておく箱)のように使われていた。漢字源で「董」は芯になる大切なものとあり、「骨」は物事を組みたてる芯になるものと出ている。雑多なガラクタが時代と共に、希少価値のある古いものという意味も併せ持つように変化していったものであろう。今の骨董ブームは放送開始から23年目を迎えるテレビ東京の人気番組「開運!なんでも鑑定団」が火付け役になっている。お宝と思って購入した物が文字通りガラクタと評価されたり、大した価値を持たないと思っていた品が思わぬ評価をされたりで持ち主の悲喜交々の表情が面白い。このバラエティー番組によって骨董愛好家が増え埼玉・東京・千葉・神奈川関東4県52か所ほどで、定期的に骨董市が開催され何処も盛況である。自分自身も今ではすっかり、古い備前焼の魔力に取り憑かれてしまった。今では、50点近くも集めた。小田急小田原線と相鉄線が交わる大和駅を中心にした広場で平成10年4月に始まった「古民具骨董市」の出店数は、300店舗以上になったと実行委員会から発表されている。関東4県の東京・千葉・埼玉・神奈川で開催される52か所の骨董市では、世田谷ぼろ市に次いで第二位の出店規模である。21日は強い冬型気圧配置のため関東地方は晴天ながら、西からの強風が吹き荒れた。露店のテントや品物を吊るした金属のパイプ棚が風に煽られ、店主は飛ばされないように抑えるのに懸命になっていた。買わなくても、露店を冷やかして歩くだけでも楽しい。中にはすんでのところで客に逃げられ、冷やかし客に愚痴を言ってくる店主もいる。米軍厚木基地の名称だが、実際には飛行場は大和市と綾瀬市に跨って存在している。そのため大和骨董市では、米軍関係の家族連れも多く見られる。骨董市でも、決して安くは無い。見ないで買うリスクはあるが、上手に選べばネットで購入した方がはるかに安い。ただ好きな物があった時、店主と値引きの交渉をするのがまた実に楽しい。
2017年01月24日

ふきのとお 福寿草 福寿草日本に自生するフクジュソウは、4種が確認されている。正月用の寄せ植えでは蕾が膨らんだ開花直前の株や花の咲いた鉢が出回るが、自然環境で咲きだすのは2月になってからである。地面から直接花茎を伸ばしその先端に径3cmほどの丸い花を、1~数輪、真上に向いて開く。明るい黄色の花が基本で、園芸品種には紅花や白花などもがある。花後は切れ込みの入った羽状のニンジンに似た葉を伸ばして生長し、夏前には枯れて休眠に入る。花が浅い椀型をしているのは、太陽熱を集熱するためと考えられている。空気を温めることで受粉昆虫を誘引したり、虫の動きを活発にしているのではないかと言われる。カタバミやリンドウ・チューリップのように夜間花弁を閉じる花は多いが中でも福寿草は光に非常に敏感で、日中でも日が遮られると1~2分で花が凋み、再び日があたると花を開く。開花時期が寒い時期なので、花弁を開閉することによって花の中の温度を下げないようにしているのではと考えられている。福寿草の花芽分化は、10月頃である。正月用に園芸店で売られているものは花芽ができた後一か月ほど寒さに当てた福寿草を、ハウスに取り込んで温め正月頃に咲くように調整したものである。自然環境の路地で咲き出すのは、2月になってからである。旧暦の今年の1月1日は新暦1月28日だから、早いものではこの頃には咲きだすのであろう。福寿草という名前の由来は字面のとおり福と長寿で、花言葉には「永久の幸福」がある。しかし西洋では同じ種類の花に、「悲しき思い出」という正反対の花言葉がつけられている。学名のAdonis ramosaアドニスは、ギリシャ神話に出て来る美少年の名前である。美の女神ヴィーナスの気に入りの美少年アドニスが、狩りに行った森で猪の牙に突かれて命を落としてしまった。そのとき流れた血から咲いたのが、赤いフクジュソウの花とされている。別名も元日草・朔日草など、何れもめでたい名前が付いている。フグ毒はフグ科の学名Tetraodontidae+toxin(テトロドトキシン)・カビ毒Mycotoxinなど、生物が作り出す毒に対して、「…toxin」と使う。「綺麗な花には毒がある」の言葉とおり目出度い名前が付いた福寿草も、強い強心作用を及ぼす成分adonitoxin(アドニトキシン)を持ち少量で死に至る。現在は殆ど使用されないが生薬として有名な、強心配糖体ジギタリス(フォックスグローブ)の代用として使われたこともある。フクジュソウは、危険性の高さから「毒草」に分類されることが多い。全草に強心配糖体シマリン・アドニトキシン・ソマリンの他、多くの植物アルカロイドを含有している。アドニトキシンは水に易溶性なので干した根を煎じると、簡単に致死量のアドニトキシン溶液ができる。このため、取り扱いには十分注意しなければならない。因みにadonitoxinの致死量は、0.7mg/kgとされる。長年衛生学の講義を担当してきたが、植物食中毒の項で必ず引き合いに出されるのが福寿草である。食中毒の原因として食用山野草との誤食と、薬草としての誤用の二つが上げられる。誤食は蕗の薹と間違えて福寿草の芽を食べること、誤用は民間療法で福寿草の根を煎じて量を間違えて飲用することの二つが挙げられている。常に誤食について警告はされているが、福寿草を蕗の薹と間違えて食べ中毒を起こしたという例は見つからない。福寿草はジギタリスと同じように、自己流の民間療法では絶対に服用してはいけない。長い間心臓病と糖尿病を患っていた76歳の女性が、心臓病に効くと教えられ福寿草の根を煎じて180mlほど飲んだことによって死亡した誤用例がある。薬種商が薬理上危険な民間医療薬とされる福寿草根の販売にあたって、危険性の指示・警告義務を怠ったとして違反とされた。(大阪地判昭和41・5・20)年末12月初めには我が家の庭の蕗の薹が膨らみ始め、今月になって落ち葉の間から福寿草が芽を出した。当初フキと福寿草はかなり離れた場所に植えたのだが、植栽してから50年も経過する間に動かない福寿草の領域までフキが根を広げて、今では同じ場所に芽を出す。蕗の薹を摘んで佃煮を作るのは自分以外にいないし、福寿草が咲いても家内も長男も関心を示さない。現在は絶対に間違えることはあり得ないが、自分がいなくなった場合を考えて福寿草を別の場所に移す必要もあるのかなと考え中である。 莟太く 開かぬを愛す 福寿草 子規
2017年01月18日

日本列島は13日から、今冬一番の強い冬型気圧配置による寒気団にすっぽりと覆われたままである。豪雪地帯の肘折温泉では10日から降り続く雪で今日現在積雪量が250cmにもなり、昨日の京都駅伝は前が見えないほどの降雪の中で行われた。幸い関東平野には殆ど降・積雪が無く、毎日穏やかな冬の青空が広がっている。しかし春が近づき西高東低の気圧配置が緩み南岸低気圧が通るようになると、関東平野の降雪の季節となる。こんな寒さの中近くにある河津桜の蕾が今にも開きそうに膨らんで、先端の鮮やかな濃いピンク色が顔を覗かせ始めた。早咲きの河津桜で有名な静岡県賀茂郡河津町では、毎年恒例の河津桜まつりを今年は2月10日~3月10日に開催すると発表した。桜祭りは、今年で27回目になるという。河津の河津桜は毎年2月上旬から3月上旬までの約1か月もの間咲く早咲きの桜で、花はカンヒザクラとオオシマザクラの自然交配種だと考えられている。江戸時代に上駒込村染井で発見された桜に奈良吉野山の桜に因んで「染井吉野」と名付けたように、河津町で発見されたことから町の名前を取って河津桜と命名したものである。ソメイヨシノより花が大きくてピンク色が濃く、花期が一か月と長いことが大きな特徴でもある。昭和30年(1955)に発見され、その後河津川両岸に8000本が植栽された。開花時期は道路渋滞がひどく駐車場も限られているため、公共交通機関を利用した方が賢明である。河津町では昭和50年4月に、町の木として認定し今日に至っている。河津桜は近年街中や公園に植栽されるようになり、梅の花が終わった頃あちこちで開花しているのを見る。河津町や三浦郡には到底敵わないが、相模原市にも相模川自然の村公園に50本・橋本公園には20本の河津桜を見ることができる。この二か所の本数よりかなり多い300本の木が植えられているのが、相模湖林間公園である。相模湖林間公園は国道412号線阿津交差点の西500mの右側高台にあり、 プレジャーフォレストの隣に位置するスポーツ公園である。地元住民でつくる「河津桜植樹推進委員会」が15年前から毎年20〜30本の阿津桜の他、ミツバツツジや菜の花などを植えてきたのだという。国道412号線に阿津の名前が付いた交差点があるように近くを阿津川が流れており、「河津川」と字面が似ているところからこの地では勝手に「阿津桜」と読んでいるが実態は阿津川の畔にある河津桜が正しい。未だ樹齢20年未満の幼木だが、300本の桜はそれなりに見応えがある。公園内だけでなく阿津川沿いや阿津交差点から、相模湖林間公園にかけての国道沿いにも多くの河津桜が見られる。河津町より遅く例年3月下旬には、阿津さくらまつりが開かれる。普通車143台・大型バス2台・障がい者用3台が利用できる駐車スペースがあるので、花見お薦めの公園である。こんなに寒い日が続いていても、庭の紅梅や白梅は早くも春の到来を告げている。やがて河津桜が終わる頃には、百花繚乱の花の季節が確実に訪れる。
2017年01月16日

自家受粉した雌しべ我が家の金魚椿が、年末から花を咲かせ始めた。金魚椿とは花や木から付いた名前ではなく、葉の先端が3から5裂して金魚の尾のように見えるところから付けられたものである。ヤマツバキの花に似て赤花を筒咲きまたは平開するが、白花の金魚椿もある。ツバキの語源には、諸説ある。「厚葉木(葉が厚い)」・「艶葉木(葉に艶がある)」「光沢木(つやき)」「津葉木(つばき)」・「強葉木」などが語源とされる。古事記では「都婆岐」、日本書記には「海石榴」と書かれている。時代が下がって春に花を咲かせるところからつけられた椿の名前は、日本で作られた当て字だとされる。ツバキの実が石榴に似た形をしており、海を渡ってきたところからツバキを「海石榴」と書き表したとの説がある。しかしそれほどザクロに似ているようにも見えず、さらにヤブツバキは日本原産であるところからこの説には同意できない。サザンカのしべは放射状に広がるが、ツバキのしべの根元は筒状になってしべの根元が繋がっている。金魚椿の葉の変化は、帯化・綴化・石化現象の一つとされる。帯化現象の原因は昆虫や細菌によって生長点が傷付けられたことによって生じるもの、遺伝子が変異を起こした結果生じるものなど種々の原因がある。一般に椿の花には香りが無いが、金魚椿には芳香がある。「珍しいできごと、滅多にないこと、あるいは思いがけない重大なできごとを椿事」というが花の椿とは何のかかわりも無く、何故椿の文字が使われることになったのかについては諸説ある。荘子 逍遥遊第一(5)に、大椿という中国の伝説上の大木が出てくる。荘子 逍遥遊第一(5)奚 以 知 其 然 也 朝 菌 不 知 晦 朔 蟪 蛄 不 知 春 秋 此 小 年 也 楚 之 南 有 冥 靈 者 以 五 百 歳 為 春 五 百 歳 為 秋 上 古 有 大 椿 者 以 八 千 歳 為 春 八 千 歳 為 秋 而 彭 祖 乃 今 以 久 特 聞 衆 人 匹 之 不 亦 悲 乎どうしてそのことが分かるか。朝菌(朝生えて晩には枯れる茸)は朝から暮れまでの命で夜と明け方を知らず、蟪蛄(夏ぜみ)は夏だけの命で春と秋を知らない。これが短い寿命である。楚の国の南方には冥霊という木があって、五百年の間が生長繁茂する春で、また五百年の間が落葉の秋である。大昔には大椿(タイチン)という木があって、八千年が生長繁茂の春でまた八千年は落葉の秋であった。ところが彭祖はわずかに八百年を生きたというだけで、長寿者として大いに有名であり、世間の人々は長寿のことを話題にする場合は必ず彭祖をひきあいに出す。何と悲しいことではないか。この大椿は滅多に花を咲かせないから、椿事と書いて「滅多にない珍しい事」を指すようになったという説がある。椿の文字は春に花を咲かせる意味から日本で当てられた文字であり、荘子に出てくる大椿(タイチン)はツバキの大樹ではなくツバキとは関係無い別種の木であることが解かる。金魚椿の開花は普通3月末から4月に掛けてなので、言うなれば3か月も早い開花は椿事の一つに加えても良い出来事である。
2017年01月12日

Ambassador Dollsではない 町立葉山小学校に保存されている「青い目の人形メリーさん」が、昨年8月1日付けで葉山町の有形文化財に指定された。移民制限・排日暴動などで日に日に悪化していく日米関係改善のためとして昭和2年(1927)に、ギューリック博士の尽力によりアメリカから贈られた人形の中の一体である。宣教師のギューリック博士は、明治20年から(1888)から20年以上日本で過ごしたとされる親日家であった。昭和二年(1927)の雛祭りに間に合うようにそれぞれに名前とパスポートが付けられ、総数12,739体が贈られたとされる。これらは、Friendship Dolls(友情人形)あるいはAmbassador Dolls(人形使節)と言われた。経済界から既に十年前に引退していた渋沢栄一が、この人形の受け入れ窓口となって尽力した。折角ギューリック博士の努力とアメリカ国民の好意によって贈られた人形であったが、昭和16年の日米開戦により敵国アメリカから贈られた人形は敵の回し者とされその多くが破壊・焼却などにより廃棄されてしまった。現在全国に、334体の保存が確認されている。神奈川県内に贈られた166体の人形の内、12体が確認されている。(2016年5月現在)野口雨情作詞の童謡「青い目の人形」は、大正十年(1921)に雑誌「金の船」12月号に発表された。♪「青い目をしたアメリカ生まれのセルロイド…」と歌われる「青い目をした人形」の歌詞だが、贈られた人形はセルロイド製ではなく、紙粘土や大鋸屑を固めた材質であった。Friendship Dolls(友情人形)あるいはAmbassador Dolls(人形使節)としてアメリカから贈られた人形であったが、童謡「青い目の人形」とが結びついていつの間にか「青い目の人形」の名前で呼ばれるようになった。雨情はアメリカから人形が贈られる5年も前にこの詩を作っているので、この人形から着想を得て書いた詩で無いことは明白である。葉山小学校に保存されている「人形メリーさん」は有形文化財の指定を受けたが、これ以外に小学校・幼稚園・記念館その他に保存されている人形が自治体の文化財指定を受けた例は無いようである。
2017年01月11日

三浦郡葉山町は人口33,445人(平成28年12月1日現在)の町で、三浦郡には市・村が無く葉山町の一町のみが存する。将来葉山町が市に昇格することがあれば、三浦郡は消滅する。ただ地方自治法で市の要件として人口5万人以上と規定されているので、今後人口が倍近くに増加するか特例で認められるかしない限り現状では市へ昇格することはあり得ない。明治22年の町村制実施によって6か村が合併して葉山村が誕生し、大正14年1月1日に町になった。鎌倉幕府が置かれた鎌倉からは約10kmの距離しか離れていないが、700年もの長い間歴史の表舞台に立つことも無く半農半漁の寒村であった。ところが明治になって東京が首都になると、風光明媚な保養地として一躍脚光を浴びるようになった。明治22年6月には横須賀線が開通したことから、名士の別荘が続々と建てられ明治27年(1894)には明治天皇保養のための御用邸が建てられた。その後大正天皇も、しばしば葉山御用邸を訪れていた。大正天皇は1926年12月25日に御用邸で崩御され、翌日裕仁親王がせんそした。葉山御用邸は大正から昭和への時代の移り変わりの舞台となり、葉山の名前が一躍脚光を浴び知名度が上がった。御用邸のお陰で知名度は、逗子市よりも高く全国的に知られている。現在は著名人の別荘や俳優の名前を冠した灯台・マリーナがあって、ますます人気が高い。朝市や有名レストランは、しばしばテレビで取り上げられている。葉山町史に依れば、千年も前に葉山が発祥したとされる。源頼朝が鎌倉に幕府を創設すると、葉山は将軍や要人の行楽の地・保養地として幾度となこの地を訪れたことが文献で明らかになっている。妹の嫁ぎ先が町の中心部の堀之内森戸海岸にあり、子供が小さい頃は毎年海水浴に連れて行った。逗子や鎌倉の海岸に比べて砂浜は少ないが、富士山や江ノ島が望遠できそれなりに楽しめた。湘南・鎌倉・逗子と同じで、一時海が汚れ夏は道路が大渋滞をして大変であった。昭和の初めに建てられた広大な個人の別荘や会社の保養所は多くが閉鎖切り売りされ、小住宅が建つようになったが車のすれ違いができないような狭く曲がりくねった道路は50年前のそのままである。妹夫婦の案内で良くテレビの旅番組などでも紹介されている知り合いの漁師が開店した、海鮮食堂に案内してもらった。毎週日曜日に朝市が開催される葉山港近くで、この辺りは生シラス丼が有名である。残念ながら3月末までシラス漁は禁漁のため漁が行われていず、食べることはできなかった。50年前と比較にならないほど澄んだ海と江ノ島・富士山・裕次郎灯台を眺めながら、生ビールを飲みながらの海鮮丼は最高であった。正月早々すっかり、妹夫婦に散財させてしまった。
2017年01月10日

明治初年太政官が、官公庁の休日について決めた太政官布告を公布した。この布告は、明治19年(1886)公文式の制定により廃止されたが、年始の休日はそのままに残った。四日は、官公庁の仕事始めである。一月七日まで松の内と言われまだ正月だが、多くの会社は官公庁に倣って4日から仕事を始める。職場では新年の挨拶代わりに、「未だお屠蘇気分も抜けなくて」などという言葉も聞かれる。この場合のお屠蘇とは正月に飲む、清酒・ビール・焼酎・ワインなどアルコール飲料全般を指している。屠蘇とは「邪(風寒暑湿等の外因によって起こる疾の病原)を屠り身体を蘇らせる」の意味で、複数の薬草を配合した「屠蘇散」を酒や味醂に浸漬抽出した薬酒を屠蘇という。中国三国時代の華佗という伝説の名医が、肉桂・山椒・白朮・桔梗・防風などの生薬を配合した屠蘇散を考案処方したとされている。正月と屠蘇が結びついた習俗は、唐代(618年~907年)に大黄・虎杖・烏頭を加えた「八神散」を酒に浸けたものを飲むようになったのが始まりともされている。嵯峨天皇(786年~842年)の時代に、和唐使として来朝した唐の蘇明が絹袋に入った屠蘇白散を献上した。天皇は四方拝(元旦)の儀式の後、酒に屠蘇散を浸して用いたのが我が国での始まりとされる。これが国民の間に広がって、正月三が日に屠蘇を飲んで一年の無病息災・長寿を祈るようになった。(日本記 倭故事)屠蘇散を漬けないで、正月に飲む酒をお屠蘇と呼ぶ家庭もある。屠蘇散に配合される生薬は「保温・健胃・風邪の予防」に効果があるとされ、調合される薬草は7から10数種類で製造元により違いがある。華佗が考案した基本的な薬草にはそれぞれ、山椒(芳香・辛味・健胃・鎮痛)、白朮(健胃・利尿・鎮静)、防風(発汗・去痰・鎮痛)、桔梗(排膿・去痰)、肉桂(健胃・発汗)の薬効があるされる。屠蘇散の基本的な用い方は、日本酒に規定量を6時間ほど浸して屠蘇を作る。飲みやすくするためこれに10~20%の味醂を加えるか、味醂単味に漬ける方法もある。何れにしても屠蘇には癖があって、縁起物と言っても今の子供には好かれない味である。我が家でも永年の習わしで正月には必ず作ってきたが、孫たちには殊の外評判が悪いため今年から作るのを止めた。門松・初詣・初日の出・雑煮・事始めなど多くの正月三が日の行事も言葉だけ残って、年ごとに少なくなっていくことは寂しいがこれも時代の流れであろう。
2017年01月05日

ブタは人類の多くにとって、動物蛋白の供給源として重要な動物である。しかしブタが泥浴びをしたり、飼育場所が汚かったりすることから不潔・肥満のイメージがある。そのため肥満の代名詞として、あるいは人を馬鹿にするとき「豚」という蔑称が使われる。ユダヤ教やイスラム教では旧約聖書の「レビ記」により、不浄な動物としてブタを食べることを禁じている。その主な理由は、反芻を行わないためだという。要注意外来生物に指定されその花粉がアレルゲンとなって、花粉症起こすブタクサがある。この場合の「ブタ…」は侮蔑のブタでは無く、英語のhogweed(豚の雑草)が直訳されたものである。地中海沿岸地方原産で、明治末期に渡来したsow bread(雌豚のパン)という植物がある。英名を植物学者の大久保三郎(1857年6月14日~1914年5月23日)が日本語に訳して、豚の饅頭という和名を付けた。もともと放し飼いのブタがこの植物の球根を食べたところから、ブタのパンの名前が付けられたという。ブタの餌にしていたところから付けられたとの異説もあるが、シクラメンを餌として栽培いたとの記録は見当たらないことから野生の球根を食べていたものであろう。後に牧野富太郎(1862年5月22日~1957年1月18日)は、花の咲き上がった形から篝火草(カガリビバナ)の名前を付けた。当時名称登録の制度が無かった故か、前人が既に名前を付けた植物に新たに別の名前を付けることが勝手に許されたのであろうか。ただし豚の饅頭は球根の形から連想した英名の訳、篝火草は花姿の印象から付けられたものである。この植物はサクラソウ科の多年草で、学名はCyclamen persicum Mill.である。現在は和名の豚の饅頭や篝火草の名前で呼ぶ人は皆無に等しく、シクラメンが通り名となっている。シクラメンは冬の花であり、ポインセチアと同じように11月中旬からクリスマス前頃まで園芸店の店頭を賑わす。この時期を過ぎると、ダンピングして販売される。平成10年の統計では年間2,000万鉢が出荷され、売上金額も最高位を占めるようになっている。小椋佳が作曲作詞し布施明が歌った「シクラメンのかほり」は、1975年4月に発売され大ヒットした。♪「真綿色したシクラメンほど 清しいものはない 出逢いの時の 君のようです」ここで歌われる真綿色という色は、JIS規格の269色には無い。ここでは、「真綿のような色をした…」の意味で使われたものだろう。真綿色を強いてJIS規格の色に当てはめれば134番の象牙色か、257番のSnow Whiteに近い色であろうか。殆どは播種から育苗されるが、バイオテクノロジーにより改良や育種も行われている。当時は香りのあるシクラメンは出回っていなかったが、この歌がヒットしてから改良され現在は爽やかな香りを放つシクラメンも、作出販売されている。
2017年01月04日
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