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植物には藤のように茎が他物に巻き付く性質をもつ物と、茎は直立するが葉や枝・根などが変化した巻き髭で他物に絡みついて固定する植物とがある。蔓の巻き付く方向の左右性は無秩序ではなく、植物の生育条件や生育環境・気候に関係なく種によって遺伝的に右か左巻きかに決まっている。蔓に沿って進んだとき右回り(時計回り)に前進する巻き方を右巻き、その反対を左巻きと定義するのが一般的になっている。ヒルガオ科の植物はアサガオと同じく、左回りに蔓を巻いてゆく。マメ科の植物には両方の巻き方があり、山藤・葛・インゲンマメはアサガオと同じ左回りだが野田藤・夏藤は右回りである。草本のヤマノイモ・ヘチマ・カラスウリは左右どちらかに回り、その方向は同じ種でも一定ではない。植物細胞がまっすぐに伸びるのは、微小管細胞骨格の並び方が厳密にコントロールされているからに他ならない。コントロールが少しでも狂うと、細胞は右または左に傾いて伸びることになる。根や茎などの細胞は生まれたときは立方体に近い形をしているが、伸びるに従い細長い円柱状の細胞になりまっすぐに伸びると考えられている。蔓などの捩れて伸びる器官では本来まっすぐに伸びるはずの細胞が左右どちらかに傾いて伸びることにより、右巻きや左巻きの蔓になる。植物細胞はセルロース繊維などで構成される、堅い細胞壁に囲まれている。セルロース繊維は、細胞の外側にある細胞壁に作られる。伸長している植物細胞では細胞膜の内面ついている表層微小管が、細胞壁のセルロース繊維の細胞の伸長方向を決めているのであろうと推察されるようになった。蔓性植物は進化の過程で元来備わっている微小管コントロールの仕組みを変化させることにより一定方向に傾いて蔓を伸ばすようになり、支柱に巻き付きやすくなる性質を獲得したと考えられている。巻き髭は、枝・葉身・葉柄・小葉・托葉・根などが変形したものである。マメ科やウリ科植物に見られる巻き髭は葉が変化したもので、左右両方の巻きがある。巻髭の先端が伸びて他のものに触れるとその刺激が巻ひげの根元に伝わり、バネのように巻きはじめる。先端と基部の中間あたりから、巻き方が左右逆転することが多い。巻く向きが変わっている場所を「反旋点」といい、巻き髭がより丈夫になる仕組みとされる。巻ひげの先端が他のものとぶつかったという情報をどのように巻きひげの根元の方に伝え、どのように巻きはじめるのかについての仕組みはいまだ解明されていない。巻き髭には縦に走る2層の繊維がありその一方が、乾燥して「木化」現象が起こる。そうすると巻き髭の片面の細胞だけが縮むことによって、巻きひげに湾曲が生まれ捩れを生ずる。しかし茎と先端で髭の両端が固定されているため両端から逆向きの力がぶつかることで「反旋点」が生じ、反対方向に巻くバネが作られると考えられている。バネの場合引っ張ると巻きが解除されるがキュウリの巻き髭を左右に引っ張っても巻きが解けなく、逆に巻き数が増える。その仕組みのため、キュウリの巻き髭は解け難い構造となっている。キュウリの巻き髭を良く観察すると必ずしも植物学の成書にあるように、巻き髭の先端が何かに触れることが巻き付く引き金にはなっていないことが分かる。支柱に触れても巻き始めないで、直線的に伸びたままの髭も多くある。さらにヘチマやカラスウリと同じで、同じ一袋の種から成長したキュウリであっても巻き方が必ずしも一定ではない。3月中旬に種を蒔いて育苗してきた節成りキュウリを、居間から見える場所に8本植えた。すでに雌花が咲いて、果実が10cmを超えるほどの大きさになったものもある。日ごろキュウリの巻き髭について深く観察したこともないが、じっくり近くで観察することで植物の不思議な性質に気づく。
2017年05月29日

親が死んでから十八年間墓参りを欠かした事がない男が、お上から褒美をもらうことになった。役人が男に何か欲しい物はないかと訊ねたが、無欲な男は提示した褒美のすべてを辞退した。重ねて「どんな無理難題でも叶えてやるので、何なりと申せ」というと、「それなら親に一目会わせてほしい」という。思案の上鏡を一つ持ってこさせ、顔が親によく似ているという男に渡した。男は覗いた鏡の中に、父親が映っているのを見て大いに感激した。領主は箱に「子は親に 似たるものをぞ 亡き人の 恋しきときは 鏡をぞ見よ」と、書いて「人には見せるな」と言って渡した。男は葛籠の中に鏡を入れ、女房にも秘密にして朝夕覗き込んでは挨拶をしていた。そんな亭主の様子を女房が不審に思い、亭主の留守に葛籠をそっと覗いて見るとそこには見たこともない女がいた。鏡に映った自分を、亭主が囲っている愛人と勘違いして夫婦で大喧嘩になってしまう。その時通りかかった尼さんが、仲裁に入った。二人の言い分を聞いて鏡を覗いて見たところ、頭を丸めて尼になって行いを詫びている女がいた。…古典落語 松山鏡現代では、どこの家庭にもあって鏡は必需品である。鏡に映った自分と、親を間違えることは絶対にあり得ない。池沼や器に張られた水に映す「水鏡」が、最初の鏡ではなかったのかと考えられている。その後文化や技術の発達により、石や金属を磨いたものが鏡として使用されるようになっていった。鏡の語源は、「影・見」が変化したものとする説が大勢を占めている。しかし人名の「影山」も「影絵」も、影を「かが」とは読まないことから、「かがみ」は「影・見」が語源ではないとする説もある。道具として用いるようになった鏡は光り輝いており、「輝・見」こそが語源ではないかという説を唱える人もある。鏡は鑑とも書き、おこないを正しくし人の模範となること、またはその人の意味を持つ。わが国には水鏡(前660~850年)・大鏡(850~1025年)・今鏡(1025~1170年)・増鏡(1183~1333年)の 、いわゆる四鏡といわれる歴史物語がある。大鏡が最初に成立し「明らけき鏡にあへば過ぎにしも 今行く末の事も見えけり」「すべらぎのあとも次ぎ次ぎ隠れなく 新たに見ゆるふる鏡かも」の歌から、後世になって大鏡の名前が付けられたとされている。この物語が「歴史を明らかに映し出す優れた鏡である」との意味で、鏡の標題が付けられたとされる。大鏡が最初に成立し水鏡は最も古い時代の物語を扱ってはいるが成立順では今鏡の後、鎌倉時代初期(1195年頃)に鏡物の3番目として成立したと推定されており文学的価値は最も低いと評価されている。本来の「水鏡」という言葉は水面に物の影が映って見える様子をいうが、大鏡や今鏡という題名の影響を受けて水鏡と付けられたものであろう。 太宰治の中期の名作に「女生徒」という作品があり、その文章の中で水鏡という言葉が使われている。「・・小さい並木路を下るときには、振り仰いで新緑の枝々を眺め、まあ、と小さい叫びを挙げてみて、土橋を渡るときには、しばらく小川をのぞいて、水鏡に顔をうつして、ワンワンと、犬の真似して吠えてみたり、遠くの畠を見るときは、目を小さくして、うっとりした風をして、いいわねえ、と呟いて溜息。…」山荘周辺の標高630mを超える地帯一帯の水田では、5月の半ばを過ぎると田植えの準備が進められる。水が張られた水田の西の方角には甲斐駒ケ岳が、東の方角には甲武信岳や金峰山が映り込む。この時期日が昇ると風が吹き始めるので、写真を撮るなら日の出前後がシャッターチャンスである。文字とおり鏡のような水面に、朝焼けの空と僅かに残雪を纏い異風堂々とした甲斐駒ケ岳がアサヨ峰を従えて逆さに映る。一年間のうちで早苗が植えられる前の僅か2~3日しか見られない、素晴らしい景色である。
2017年05月25日

多くの人がアカシアと呼んでいる植物の本当の名前は、「ニセアカシア」または「針槐(ハリエンジュ)」と呼ぶのが正しい。養蜂業者は針槐のことを指して「アカシア」と呼び、この花から採取された蜜をアカシア蜂蜜と言っている。偽アカシア蜂蜜では、蜂蜜が偽物のようで具合が悪いこともあってのことだろうと思われる。学問上実際にアカシアの名前で呼ばれる樹は、ギンヨウアカシアやミモザのことである。ニセアカシアは北アメリカ原産で5月頃藤の花が終わったころ、藤の花に似た白い房を垂らして無数に咲く。木の下には、独特の強く甘い香りが漂う。花言葉には、頼られる人・死に勝る愛情などがある。木が腐りにくく丈夫なことから「頼られる人」が、果実や葉・皮に毒が含まれていることが由来となって「死に勝る愛情」という花言葉が付けられたのだという。自生するニセアカシアの花は白だが、園芸種にはピンクや濃い紅色の品種が作出されている。昭和の時代には街路樹や公園にも植えられたが、現在は人工的に植樹されることはほとんどなくなった。樹高は25m以上にもなり、枝に藤の花房に似た白い小花をたくさん咲かせる。パイオニア植物ともいわれるように極めて繁殖力が旺盛で、ヒコバエや種子でいくらでも増殖する。河原や原野などの撹乱を受けた場所ににいち早く進出する。実際に大きな河川や原野荒れた山林には、驚くほど大きなニセアカシアの群落がある。ニセアカシアは明治6年(1873)に、日本へ移入された。アカシアと呼ばれ2月頃黄色の盛り上がった花を群生して開花するミモザとよく似ているが、夏に花を咲かせるなど異なる性質をもつ別属であることから「ニセアカシア」と命名されたという。しかし日本への伝来はニセアカシアの方が先だったとされ、不名誉なことに先に来た方に偽の冠が付けられてしまったのだとの説がある。また別属の槐(エンジュ)とよく似ているのに、槐には無い葉っぱの付け根に棘が有ることから、針のある槐の意味でハリエンジュという和名が付けられた。ミツバチは、菜の花・蓮華草・アカシアの蜜を良く集める。これらの花から取れた蜜は、それぞれの花の名前を付けて呼ばれている。藤・葛と同じように花房を天婦羅で食べることができるが、それ以外の葉・茎・果・皮・実等には有毒物質のロビンまたはロビチンを含有しており、樹皮を食べた馬の中毒例が報告されている。ヒトでも子供が樹皮を噛んで、中毒になったという事例も報告されている。中毒症状は疝痛・腸管運動の低下・便秘などの消化器系の異常と興奮と沈欝の反復・散瞳・全身の筋肉の痙攣・頻脈・舌麻痺による嚥下障害などの神経症状とされている。同じニセアカシアの園芸種ロビニア・マルガレッタ(Robinia margaretta)は、マメ科ハリエンジュ属の落葉小高木で高さは5~8mとニセアカシヤの1/3と比較的低い 。北米が原産地で、ニセアカシアとハナエンジュ の交雑種とされる。花期はニセアカシアと同じころである。総状花序を作り、ピンク色(紫紅色)の芳香のある花を沢山垂れ下げて咲かせる。今の時期5mを超える樹の全体を覆う紫紅色の花は、遠目にはサザンカあるいは寒椿にも似て華やかである。通販では樹高1mの苗木を、3500円ほどで販売している。
2017年05月22日

昆虫や蛇が成長に伴って、脱皮することはよく知られている。樹木では、昆虫や蛇のように表皮が一斉に剥離して落ちる現象は一般的ではない。鹿の食害などによって強制的に剝皮されると、枯死してしまう樹種が多い。しかし注意深く観察していると、植物でも幹の肥大に伴い外樹皮と呼ばれる一番外側の樹皮が生理的に剥がれ落ちる樹木がある。白樺や岳樺などのカバノキの仲間・プラタナス・ユーカリ・サルスベリ・ナツツバキ・リョウブ・カリン・ヤマボウシなどに自然剝皮の現象が見られる。これらの樹木の肌には、独特の模様があるのも特徴の一つである。剝皮する樹では表皮が落ちると、木肌が滑らかになりスベスベになる。一方コルク形成層が顕著なコナラ属では、剝皮しないので厚い樹皮で覆われるようになる。またアオギリやウリハダカエデでは、クチクラ層の影響で剥離現象が起きない。組織的に見てみると幼弱な樹木の幹や枝の一番外側は表皮で覆われ、その下には皮層がある。樹木は形成層の活動によって内側に木部、外側に篩部を形成して肥大成長を続ける。表皮はそのまま肥大しない結果、表皮と皮層組織が裂けて樹幹から剥離脱落する。したがって幼弱木本植物の幹や枝以外では、表皮は存在しない。表皮の代わりにコルク組織が形成され、樹幹を保護している。幹の形成層の内側に根で吸収した水の輸送を担う木部があり、外側に光同化産物の輸送を担う篩部を持っている。広義の樹皮とは、形成層の外側の部分を指している。若い幹の一番外側には、幹を保護する表皮がある。木部の形成が進んで幹が太くなると、表皮は幹の肥大に耐えられず死んでしまう。表皮が死ぬと内側の細胞が分裂を始め、コルク形成層が形成される。狭義でいう樹皮とは、死んだ篩部とコルク層を含む部分を指している。コルク形成層とコルク形成層によって作られた部分は、表皮に代わって幹の保護の役目を果たし周皮といわれる。周皮にできる皮目は空気の通り道として、内側と外側とのガス交換に寄与している。皮目の端は幹の外側に隆起しており、幹の外側から確認する事ができる。この皮目の位置、分布は樹種によって異なっている。周皮の外側細胞の細胞壁は肥厚し、細胞は死んで固い外樹皮と呼ばれる組織になる。周皮の内側の生きた篩部の部分は内樹皮である。この部分は光合成産物などを運ぶ篩管といわれ、鹿の食害に代表されるように外的に障害を受けると枯死してしまうなど樹木は大きなダメージを受ける。コルク形成層はやがて機能を失い外樹皮の一部になり、新しいコルク形成層が篩部内にできて機能するようになる。外樹皮は通常何層もの古いコルク組織と、死んだ古い篩部とから構成されている。幹の肥大成長に伴って、外樹皮に亀裂が入りやがて脱落する。種によって、脱落のパターンにはそれぞれ特徴がある。サルスベリやカリンの木肌が滑々しているのは、コルク層に富んだ外樹皮の発達がわるいためであると考えられている。体の一部が本体から離れることを、器官脱離という。器官脱離で良く知られている現象に、落葉がある。生理的落葉の機序は葉柄の基部に離層が形成され離層に接する細胞が離層側に細胞壁を分解する酵素を分泌する事によって、離層の細胞の細胞壁を弱くすることで起きる。 樹皮の脱離は幹の肥大と樹皮の乾燥による収縮など物理的作用により脱離が起きるのであり、葉のような生理的なメカニズムはない。縁起樹として庭に良く植える樹木に、樫と花梨がある。語呂合わせで樫は「貸し」、花梨は「借りん」に通じるところから家の前と後ろに植える。県立高校のPTA会長をしていた時、長女の卒業記念に高校と自宅の庭にカリンの苗を植えた。高校に植えた方は15年後位に伐採されてしまったが、自宅に植えた方は30年を過ぎて2階の屋根をはるかに凌ぐほどに成長して多い年は700個以上も実を着けるほどになった。地際の直径も20cmを超えるほどになり、毎年皮層剥離をする。カリンの幹の表皮には大小不規則な亀甲模様があり、その模様に沿って剥離する。遠目には、アミメキリンの網目模様に似ていなくもない。今ちょうどカリンの樹皮が、盛んに剥離している。
2017年05月18日

北杜市白州町にて現存する最古の歴史書古事記は、上巻は天地・万物の生成、天皇支配の起源と正当性などを説明している。中巻では応神天皇ら英雄的な人物の伝説を中心に、王権の拡大強化と皇統譜の展開を跡づけている。下巻では聖帝仁徳の王統が暴君武烈に至って、絶えるまでの内紛を叙述している。古事記には性的な表現があちこちに散りばめられ、性が大らかに叙述されている。「国産み神産み」国づくり神話では、男神伊邪那岐命が妹の女神伊耶那美を妻として天地・万物を生成したと語られる。問其妹伊邪那美命曰「汝身者、如何成」答曰「吾身者、成成不成合處一處在」爾伊邪那岐命詔「我身者、成成而成餘處一處在 故以此吾身成餘處 刺塞汝身不成合處而 以爲生成國土 生奈何」訓生云宇牟 下效此 伊邪那美命答曰「然善」(ここにその妹伊耶那美の命に問ひたまひしく、「汝が身はいかに成れる」と問ひたまへば、答へたまはく、「吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一處あり」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「我が身は成り成りて、成り餘れるところ一處あり。故この吾が身の成り餘れる處を、汝が身の成り合はぬ處に刺し塞ぎて、國土生み成さむと思ほすはいかに」とのりたまへば、伊耶那美の命答へたまはく、「しか善けむ」とまをしたまひき。)兄妹の近親婚は本能的に動物でさえ避ける行為であるが、神話だからこそ許されるものであろう。小学生向けの神話でも取り上げられる「天の石屋戸」神話では、「天宇受売命、天の香山の天の日影を手次に繋けて、天の真拆をかづらと為て、天の香山の小竹葉を手草に結ひて、天の石屋戸にうけ伏せて蹈みとどろこし、神懸り為て、胸乳を掛き出で裳緒をほとに忍し垂れき。爾に高天原動みて八百万の神共に咲ひき。」とあり、天宇受売命の裸踊りが描かれている。さらに藤の花を小道具に使って結婚に成功した、「藤の花衣の伝説」が出てくる。伊豆志袁登売という美しい女神に多くの男神が求婚したが、伊豆志袁登売のお眼鏡にかなわず誰一人として想いを遂げることはかなわなかった。「ここにその弟、兄の言ひしが如く、具にその母に白せば、すなはちその母、ふぢ葛を取りて、一宿の間に、衣・褌また襪・沓を織り縫ひ、また弓矢を作りて、その衣・褌等を服せ、その弓矢を取らしめて、その嬢子の家に遣はせば、その衣服また弓矢悉に藤の花になりぬ。ここにその春山之霞壮夫、その弓矢を嬢子の厠に繋けき。ここに伊豆志袁登売その花を異しと思ひて、将ち来る時に、その嬢子の後に立ちてその屋に入る即ち婚ひしつ。かれ、一の子を生みき。ここにその兄に白して曰はく、「吾は伊豆志袁登売を得つ」といひき。」(弟は兄のいったことを詳細に母に伝えたのでした。すると母は藤の蔓で、一晩の間に「衣」・「袴」・「靴」を織って作った。また弓矢を作って、「衣」・「袴」・「靴」を着せ弓矢を持たせ伊豆志袁登売の家に行かせた。 するとその衣服や弓は、見る間に藤の花になった。 春山之霞壮夫は、弓矢を厠の戸に立てかけて置いた。伊豆志袁登売は弓矢に咲いた藤の花を不思議に思い、藤の花を持って家に入った。 そのとき春山之霞壮夫は伊豆志袁登売の後に続いて家に入り、直ちに結ばれた。やがて、一人の子を産んだ。 弟春山之霞壮夫は兄秋山之下氷壮夫に、 「わたしは伊豆志袁登売を妻にした」 と言った。)竹取の翁の物語では「かぐや姫」が貴族からの結婚の申し込みに、「仏の御石の鉢」・「蓬莱山の根は銀・茎は金実は白珠の木の一枝」・「唐土にある火鼠の皮衣」・「龍の頸にある五色に光る珠」・「燕の持っている子安貝」を持ってくるようにとの極めて難しい注文を出している。竹取の翁の物語より「伊豆志袁登売」はかなり条件が緩く、それまでかたくなに男を袖にしてきたのに藤の花ですっかり心を許し結婚に至ったのだという。藤の花は万葉集に26首も詠まれていることからもわかるように、大和人にとっては極めて美しく上品な花として愛でられていたに相違ない。関東一円の藤の名所では、すでに花の時期が終わった。しかしこの時期標高の高い場所をドライブすると、山が紫色に煙っている個所が至る所で目に入る。他の物に絡みついて高所へ這い上り時には絞め殺したり日光を横取りしてしまうため、樹木にとっては極めて迷惑な植物の山藤の花が今まさに満開に近い。標高630mの山荘周辺路傍や山裾の至る所に咲いているが、満開の藤の花を悪戯する者は誰一人としていない。 いささかに思ひ来しを 多古の浦に咲ける藤見て 一夜経ぬべし (万葉集19-4201)
2017年05月15日

4月の終わりに、山荘のタラノメを採取した。庭先に植えてあるのだが、年々収量が少なくなり、今年は漸くレジ袋一つの量を採ることができた。天婦羅にしてビールの肴にすれば、春の香りが口中に広がりホクホクとした食感は春の到来を口から感じることができる。タラノメは山菜の王様とも呼ばれ、タラノキの芽のことである。タラノキは漢字で、楤木・桵木とも書き表されるウコギ科の落葉木である。タラノメが一般的な呼び名だが、地方によってはタランボの別名でも呼ばれる。日本の他、東南アジアに自生するウコギ科の植物である。あまりに有名になって、自然野生のものは手に入りにくくなった。東北地方では切り取ったタラの木を豆類などのモヤシと同じようにビニールハウスなどで温度管理して芽を吹かせ食用に販売している。ウコギ科には、ウコギのような木本・ウドのような草本およびキヅタのような蔓性植物約60属900種がある。多くは、散形花序を作ることで知られている。このうちウド・タラノキ・コシアブラ・タカノツメ(別名イモノキ)・ウコギなどは山菜として食用にされる。同じ仲間のヤツデ・カクレミノ・キヅタ・シェフレラなどは庭木や観葉植物として利用される。また朝鮮ニンジンは、薬用にされ高価である。土を割って芽を出したウドの若芽は、タラノメによく似ている。ウドという名前について、牧野富太郎は「新日本植物図鑑」において、語源不明と書いている。ウドは漢字で独活と書き表わすが、新井白石の「東雅」には「倭名抄には本草を引きて、独活、一名、独揺草。ツチダラといふ、並びに不詳。そのツチダラといふもの、タラノ木といふものの葉に似たるが故に、かくいひにしにや。猶、不詳。」と記している。後人の解釈では育って背が高くなったウドだけが、僅かな風でゆらりと揺れることからこの漢字が用いられるようになったともいわれる。ウドと並び、代表的な山菜に数えられるものにタラノメがある。山野に生える落葉低木で、幹は直立し高さ4mくらいに達する。タラノキは山火事や樹木の伐採が行われて人為的に撹乱された日当たりの良い場所に、いち早く入り込むパイオニア植物である。山地では、林道が沢と交差する付近に多く自生する。幹の分枝は少なく多くは一本立ちで、葉は先端だけに集中する。幹には多数の大きな棘を持っている。栽培用に改良された棘をほとんど持たない品種があって、葉裏に毛が多くて白くないものをメダラといわれる。通常頂芽のみを、採集の対象にする。頂芽の下の幹に幾つかの側芽を着けるが、これらを全て採取してしまうとその木は枯れてしまう。新芽の根元で容易にむしることができるが、鎌等の道具を用いることもある。高いところにある芽は、幹を折らないように寄せて芽の根本から丁寧に折りとり、絶対に幹を切らないようにすることが必要である。幹を切ると、簡単に木が枯れてしまう。ソメイヨシノの満開直前ころが、タラの芽の採取時期の目安とされる。3月になるとパックに詰められたタラの芽を店頭で見ることが多くなるが、昨年伸びた枝を切り取って敷き詰めたオガクズや水の入ったバケツに挿し温度管理をして芽吹かせたスプライトである。天然自然のものより、かなり味・香りが劣る。天然ものでは天婦羅が冷えてもしっかりしているが、促成のタラの芽は冷えると萎んでしまう15年も前山荘の庭に棘のある自然のものと旧愚酔庵主から頂いたメダラを植えて、知り合いに分けたり天婦羅やおひたしにして毎年賞味してきた。所が昨年ころから2~3月の間に、タラノキの頭から30cmほどを切り取られてしまうことが多くなった。隣家の農家の主は、別荘族が増えてきた10数年前からこのようなことが随所で起きているのだという。地元の人間は他人の敷地にまで入り込んで山菜を採り、ましてや刃物で頭を刈り取るなどの行為はしないという。どうも移住してきた新住民か、あるいは別荘族の所業だろうと分析している。我が家の庭はタラノキの多くが枯死して、白骨林のようになってしまっている。暇を見て枯死した木を抜き取らなくてはならない。
2017年05月04日

八重桜の花が終わりに近づいて、各地からフジの開花情報が届くようになった。関東近郊の藤の名所として亀戸天神(江東区)・國領神社(調布市)・神代植物公園(調布市)・旧芝離宮恩賜庭園(港区)・大久野フジ(日の出町)・横須賀しょうぶ園(横須賀市)・鶴岡八幡宮(鎌倉市)・牛島の藤(春日部市)・加須 玉敷神社(加須市)・骨波田の藤(本庄市)・妙福寺(房総市)・あしかがフラワーパーク(足利市)・小田原城趾公園(小田原市) など多くの名所があげられ、昔からこの花が愛でられていたことが分かる。ただ義父は花の咲く様子から、庭に植えると「なり下がる」と言って庭へは植えなかった。フジがマメ科であることは、その花を見れば一目瞭然である。これから咲くニセアカシアや、秋に咲くクズ・萩などの花と同じ花形をしている。フジには蔓が右巻きと左巻きの、二種類がある。右巻きはフジまたはノダフジと呼ばれ、左巻きはヤマフジまたはノフジと呼ばれている。ふじの蔓は堅く強いので、藤椅子などの材料とされる。フジは桜が終わった4月下旬から5月上旬にかけて、長い穂状の花序を垂れ下げて咲く。万葉集には長歌を含めて26首が読まれており、昔から多くの人に好まれてきたように観賞価値の高い花である。愛好家も多く、多くの園芸品種が作出され世界各地に植えられている。狭義で「フジ」と言えば、ノダフジのことである。ノダフジの名は、摂津国野田(現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部)の藤之宮(大阪市西成区付近)にこのフジの名所があったことによると伝わっている。フジは移植など植え替えのときに根を切断すると吸水が十分に行われず乾燥しやすくなるため、根を傷めないように丁寧に細根まで掘り上げる必要がある。好日性植物で、直射日光を好む。花序は20cmから、100cm以上にも達する。藤色という色名は、この花の色に由来している。他のマメ科植物同様、夜間は葉を閉じる。花は花穂の元の方から、先に向かって咲き進む。日本固有種のフジは、本州・四国・九州の温帯から暖帯の低い山地・平地の林に普通に分布している。強い日当たりを好むため、公園や庭園などの日光を遮るもののない場所に棚を設置し木陰作りに利用する場合が多い。ニセアカシア・クズの花と同じように、花を天婦羅にして食べることができる。「藤」の文字は「艸+滕」からできた会意兼形声文字で、「つるが上によじ登る草」を意味している。我が家に50年も前に来た二鉢の藤が、今年も律儀に花房を垂らした。一鉢は花房の長さが100cmを超える通称三尺藤といわれるもので、他はヤマフジの園芸品種のだるま藤である。購入した当初何年かは根詰まりを心配して毎年植え替えていたのだが、植え替えで根傷みするとてき面に花数が少なくなる。そこで鉢中に根が回ったまま植え替えを止めて見たら、案外数多くの花を咲かせるようになった。 瓶にさす 藤の花ぶさみじかければ 畳の上に とどかざりけり 子規子規は脊椎カリエスで療養していたが仰向けで寝る事ができなかったことから丸まって布団の中に居た。そのため机の上の花瓶に挿した藤の花房からたおやかな香りはするけれども、視線の先に花を捉えることができない様子を詠んだ歌である。 花の花言葉 優しさ 歓迎 決して離れない 恋に酔う
2017年05月02日
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