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今年は未だ、ウグイスの藪鳴きも耳にしない。ウグイスは、一番初めに春を告げる鳥とされている。しかし、春に最も敏感な鳥はシジュウカラだといわれている。非繁殖期の秋季から冬季には数羽から数十羽の群れとなり、シジュウカラ科の他種も含めた混群を形成することの多い鳥である。暫らく前まで、他の「カラ類」と集団を作って庭先にも飛来して来ていたのだが、この三日ほどのうららかな日差しに群れを解消したのか電線や庭木の頂きで、「ツッピン ツッピン」あるいは「ツィピーツィピーツィピー」と甲高い声で縄張り宣言の囀りを盛んに始めた。「カラ類」とはシジュウカラを始めとするヒガラ、ゴジュウカラ、コガラ、ヤマガラなどの山野の小鳥類の総称である。シジュウカラの大きさは、スズメより少し小さめで全長14.5cm、体重は14g程度である。梢の間を忙しなく動き回って餌を探す。他のカラ類は平地から山地の林に営巣するが、シジュウカラは市街地でも目にすることの多い鳥である。自然には木の穴やブロックなどの穴に営巣するが、人が掛けた巣箱にもよく入る。四十の雀と書いてシジュウカラと読ませる。平安時代には「シジュゥカラメ」と呼ばれていたものが、室町時代になってメが無くなって簡略化され、「シジュウカラ」と呼ばれるようになったとされる。名前の由来はたくさん群れるからという説や、40羽のスズメと交換したためと言う話がもっともらしく伝わっているが、本当のところは鳴き声(地鳴き)に由来すると言われる。シジュウカラの地鳴きは、「チ・チジュクジュク」の繰り返しで、「チ(シ)・ジュウ」は鳴き声を表現したもの言われる。それに小鳥を意味する「カラ」がついたもので、シ・ジューと鳴く小鳥(カラ)をいったものである。 雑食性で果実、種子、昆虫などを食べる。地表でも樹上でも採食を行う。オスが作ったテリトリーの中で巣作りに適した場所をメスに教え、樹洞やケラ類の開けた穴にメスがコケを主に使用した椀状の巣を作り4から7月に卵を産む。 シジュウカラを誘致する目的で巣箱を掛ける場合、巣箱の高さは2~2.5メートルが良いとの報告がある。(日本野鳥の会) 巣箱の穴は3cmの大きさではスズメが入ってしまうので、直径2.8cmにするのが最適である。 時々小学校の校庭の植え木の全てに巣箱が掛けてあるのを見かけるが、シジュウカラのテリトリーは1haとされているので、むやみに巣箱を掛けても無意味である。白州にあるウィスキーメーカーのバードサンクチャリ―にも、学校の自然観察授業で作った巣箱が樹木毎に無数に掛けてある。これは、無駄なことである。 我が家の山小屋のシンボルツリーは槲(かしわ)の木だが、2年前その木に掛けた発泡スチロールの箱にシジュウカラが営巣した。雛が孵ってから、何とも可愛くて飽きもせず毎日観察していたのだが、買い物に行って帰ったら巣箱はすっかり蛻(もぬけ)の空になっていた。スズメ、カラス、ヘビなどから雛と巣を守ってやった心算なのに、挨拶もなしに飛んで行ってしまったのだ。巣箱を掃除してやらなかったせいか、昨年は帰ってこなかった。今年は早目に巣箱を掃除して、シジュウカラの帰りを待ちたい。むずかしや どれが四十雀 五十雀 一茶 --------------------------------------------------------------------------------
2013年01月31日
今年は十二支の内6番目の巳年である。巳には動物のヘビが当てられている。巳年も、正月気分が抜けたと思ったらもう12分の1が過ぎようとしている。光陰は矢よりも早い、ロケットとでも言うべきか。今年の干支の動物、ヘビについて調べて見た。日本には、4科19属39種(14亜種)のヘビが棲息しているとされる。そのほとんどは無毒であるが、時に命を奪うような強力な毒を持つヘビがいる。日本に棲息する毒蛇の代表的なものは、マムシ・ハブ・ヤマカガシの三種である。そのどれもが田畑、野原、山林、水辺、家屋の周辺を棲息場所としている。厚生労働省の人口動態調査から、ヘビに咬まれる人は一年間にハブに100人、マムシでは1,000人程度と推定されている。1997年から2004年の間に、毒ヘビに咬まれて死亡した人は平均年約10人ほどとなってる。その内ハブによるものは、1から2件であり思ったより少ない。マムシは南西諸島を除く日本の各地に分布し、毎年3000人ほどが咬傷被害に遭ってそのうち10名ほどの死亡者がでており死亡率は0.3%~0.4%とされている。一般に恐れられているマムシの毒は、他のヘビよりかなり弱い。受傷の部位にもよるが、中枢から離れた部位の場合は重篤になることは稀である。抗毒素血清があるがその使用には注意しないとアナフィラキシーショックを起こす場合がある。ある研究によると、タマサキツヅラフジの抽出物質、セファランチンでの治療成績と同程度の効果しかないとする論文もある。ハブは、沖縄諸島と奄美諸島に生息するマムシと同じクサリヘビ科の毒ヘビである。ハブ咬傷被害の約30%が民家敷地内で発生している。最も多いのが農作業中の事故で、全体の50%となっている。第三の毒蛇にアオダイショウやシマヘビの仲間のナミヘビ科のヤマカガシがある。このヘビは長い間無毒種と考えられていたが、1972年に中学生が噛まれて死亡する事故が起きたことから、毒蛇として認識されるようになった。上あごの奥歯(後牙)と首筋の2箇所から毒液を分泌する。カエルが主食で水田や川、渓流近くに生息するヘビの毒には、クサリヘビ科に代表される「出血毒」と、コブラ科に代表される「神経毒」がある。マムシやハブの毒は、出血毒である。タンパク質を溶かし血管組織を破壊するので、咬まれると激痛があり、内出血が広がる。出血のため患部は腫張し、場合によっては循環障害のため筋肉細胞が壊死を起こす。毒量によっては循環器全体や腎臓にも障害が広がり、死の転機を取る場合がある。死亡のリスクは神経毒のほうが高く、逆に出血毒の死亡リスクは低いものの細胞壊死による後遺症が残り易い。ヤマカガシの毒は出血毒だが、マムシやハブの毒とは異なり「溶血毒」と呼ばれる。溶血毒はおもに血小板に作用するため、激しい痛みや腫れはあまりないが、血小板の破壊により全身の皮下出血、内臓出血がおこり重篤な場合は腎機能障害や脳内出血を引き起こし死に至る.ヤマカガシは、やまかがち(蟒蛇)の転化したものである。かがちは眼が赤いところから、ホオズキの古名(酸漿=カガチ)に擬えたものである。かがちから転化した「かがし」は、蛇の異名である。別に、ヤマカガシを「山にいるかがし(ヘビ)」とする説もある。南西諸島、小笠原諸島および北海道には分布しない。毒の強さは LD50=5.3μgと、ハブの10倍、マムシの3倍にも相当する強力なものである。ヤマカガシの毒に対する血清は、我が国で唯一ジャパンスネークセンター(群馬県太田市の藪塚温泉)で製造保管されている。頸部にも、牙とは別種の毒を出す頸腺を持つ。危険が迫るとコブラのように頭を持ち上げ、頸部を平たくして頭を揺すり威嚇する。頸腺から毒液を飛ばすこともあり、これが目に入ると結膜炎や角膜混濁、角膜知覚麻痺、瞳孔反応の遅延、虹彩炎などの症状の他、最悪の場合失明する場合がある。頸腺の毒は、餌であるヒキガエルの持つ毒を利用して使っていることが証明されている。牡鹿半島の沖合にある、周囲わずか26の小さな島金華山にはヒキガエルが生息しないので、ここに住むヤマカガシは頸腺に毒を持たない。これにヒキガエルを与えると、毒を分泌するようになる。1972年に中学生が噛まれて死亡する事故が起きるまで、無毒のヘビとされていた。その後死亡4例、重症例30以上の報告がある。ヤマカガシは手を出したりしない限り積極的に攻撃することはない。毒牙が口の奥にあるので、悪戯して指をさしこんだりしない限りヤマカガシから襲うようなことは無い。北杜市の山荘周辺には、放置された別荘地もあり、夏場は多くの個体を見る。いくら大人しい毒ヘビだとは言え、黄色・黒・赤の模様を見るだけで気持ち悪い。こどものアオダイショウは、背中側がマムシの銭形に似た模様をしておりマムシと誤認することがある。都心の行政機関の窓口へのマムシの相談に現地調査した全てが、アオダイショウのこどもであった。今年の畑仕事では、何とかヘビに遭遇しないように今から願っている。
2013年01月30日
38年間公衆衛生部門の地方行政に携わった。「医者は人を選べ…」と言う言葉をよく聞いた。当然のことであるが医療は、医師の的確な診断と治療で早期に治癒したり、判断と治療が的確でないために治療が長引いて、場合によっては命を落とすことにもつながると言うのだ。医療は、現在では多くの高度精密検査機器が開発されたことで、検査結果は格段に正確となり個人の技量によって、検査数値に誤差の生ずることが少なくなった。とは言え、その結果を判断し治療に結びつけるのは医師個人の能力と技量なのである。人の健康を害する多くの疾患が判明して治療方法も開発されたが、専門科が細分化したことによりむしろ、医師が病名判断を誤る場合すらある。病名の判断を間違えると、的確な治療に結びつかない。生命に関わるような重篤な疾病では、特に判断の正確さが求められる。こんな意味でも普段から信頼の置けるかかりつけ医を決め、運悪く病気になった場合には主治医以外の意見も求めるためにセカンドオピニオンを持つことも必要だ。医師は、国家試験によって個人の持っている知識・技能が一定水準を満たしていることを免許によって証明され、それにより名称と業務を独占している。しかし、その技術知識・判断力は一様ではない。資格や免許と言われるものは、その資格に必要とされる知識・技能・能力が、最低水準に達していることの認定だからであり、これは医師免許についても同じである。医療が診療科目の細分化・専門化した結果、専門科以外に関心がない医師も増えてきたと言われる。現役時代、イギリスで脳梗塞と診断された女性から、帰国後某医大の脳神経外科に通院し投薬された薬の服用を続けているのだが、「周期性のある身体的、精神的症状が続き一向に病態が改善しない。」と窓口相談を受けたことがある。話を聞くうちに、脳梗塞が引き金となったPМSの兆候があるように思われたこともあって、次回の受診の際に婦人科の受診を勧めたことがある。何日かして、体調が悪くなる原因が分かったと喜んで晴れ晴れとした顔でお礼に見えた。総合病院の大学病院であっても、自分の専門分野で完結してしまい他科に回してもらえないこともあるのだ。あまりにも専門化・細分化しすぎた現代医療を、全人的に人間を捉え、特定の臓器・疾患に限定せず多角的に診療を行い、外来初診の患者にも迅速かつ適切に「診断」をつける診療科として、総合診療科が設置された大学病院も増えてきている。 総合診療科は高齢化社会にとって、その存在意義が大きいとされる。。自分自身の経験では、以前開業医の採血ミスにより採血後大量に血液が漏出し、腕が紫色に膨れ上がって発熱と悪寒に襲われたことがある。この診療所の診断・治療については度々、あまり芳しくない噂も聞こえてくる。医療を受ける立場からは、常日頃から医療機関や医師についての情報を集めて置くことも重要なことである。
2013年01月29日
ムクドリ・カラス・ヒヨドリなどの群翔を、よく目にする。あんな不規則な飛行で、よくも鳥同士が衝突しないものだといつも感心している。鳥同士が衝突しないとは言え、実際には多くの鳥が構造物に衝突する事故が結構多い。これをバードストライク(Bird Strike)と言っている。バードストライクが一番問題になるのは、航空機との衝突である。航空機におけるバードストライクは離着陸動作中の速度が比較的遅く、高度が低い時にジェットエンジンの空気吸入口に吸いこまれる事故が起こりやすい。ヘリコプターでは、ローターにまきこまれることがある。このほかには、鉄道・自動車・風力発電の風車・送電線・ビルなどの建物や灯台などでも起きる。小型の鳥であっても、高速で飛行する航空機にとっては衝突時のエネルギーは大きなものとなり最悪の場合、墜落に至るケースもある。風防ガラス破損の予防策として、旅客機の風防は5層構造になっており鳥が衝突した時の衝撃を吸収できるようになっている。航空機のバードストライクは日本国内において2006年には1233件の事故報告がされている。バードストライクが原因の、エンジンの損傷や航空機の空港への引き返しなどによる損失は、毎年数億円程度あるといわれる。エンジンの目玉装飾やハヤブサによる追い払い作戦も効果なく、バードストライクの防止には現在も有効策が見つかっていない。消極的方法として、空砲や花火の音による威嚇、鳥の苦しむ鳴き声をテープで流す、犬を使って鳥を追い立てるといった予防策も試みられている。新幹線においてもかなりのバードストライクが発生しており、新幹線の先頭車両に衝突跡が残っている場合がある。渡り鳥が、夜間灯台へ衝突することがある。灯台の明かりを、太陽と誤認することが衝突の原因ではないかといわれている。ビルや建物へのバードストライクは、鏡になって外の景色を映した窓ガラスにハト・カラスなどが衝突することがある。近年、ビル全体が鏡面仕様になっているビルが増えたたこともあり、ビルに写った空を本物と誤認した鳥が衝突したり、反射する太陽に反応して衝突する事故が増加している。車でもバードストライクが発生する。道路上の動物轢死体に集まるカラス、トビなどにより起きる。大形の鳥であるため動きが遅く、車との接触事故を起こす。原発事故の影響から、クリーンで安全なエネルギー源として風力発電施設の設置が推進されている。風力発電のローターの回転は、毎分数十回転である。この回転翼に猛禽類や渡り鳥が衝突する事故が多い。 我が家は、木造の二階建であるが建設当時から4回のバードストライクがあった。階段に明かり取り用のヒックスの丸窓があるのだが、その窓にキジバトが3回、オナガが1回衝突した。窓にゴムボールを力任せに投げつけたような、かなりの衝撃音がする。 雪の翌日の晴天の朝、信州の実家の一階の窓ガラスにも何回かキジバトが突っ込んだことがある。キジバトは飛翔速度が可なり早いこともあって、衝突の衝撃でほとんど絶命してしまう。飛行機にしろ風車、自動車、新幹線と動く物との衝突だが、我が家は全く動かない。衝突するのはキジバトが多いのだが、他の鳥に比べて注意力が散漫なのか阿呆なのか…。 ある時は、道路で「ギャーギャー…。」と騒がしいので外へ出て見ると、翼が折れたオナガに猫がじゃれついていたこともあった。丸窓を見上げると、泥の跡がくっきり付いて衝突の現場であることが確認出来た。 苦肉の策として、プリントフィルムを貼って「ステンドグラス」モドキの窓に改造した。それが奏功したのか、それ以来鳥が我が家の窓に突っ込んで自殺することは無くなった。
2013年01月28日
標高の高低は、様々に人の生活に関わってくる。大気の成分は、窒素78% 、酸素21%、二酸化炭素0.04%である。 この比率は地表から80km位までほとんど一定であるとされる。しかし、標高が高くなると空気が希薄になることから、大気中の酸素濃度は高度に反比例して低くなる。標高0メートル、気温15度、1気圧の時の酸素濃度指数100とした時、1000メートルでは大気中の酸素濃度は88しかない。酸素濃度が低くなることによって、高山病が起きることはよく知られている。また、標高が上がると気圧が下がる。気圧が下がると水の沸点が下がる。沸点の低い状態でご飯を炊くと「シン」のあるご飯になってしまう。この場合は、圧力釜を利用すれば解決する。人の高山病と同じで、酸素濃度が低くなると石油ストーブもうまく燃焼しなくなる。 北杜市の山荘は、南アルプス甲斐駒ケ岳の麓の標高630メートルの場所にあるのだが、冬は零下10度以下になることもある厳寒の地である。冬季の暖房は、暖炉で取る。外は厳寒の冷気なのに暖炉を焚くと、家の中全体が常夏状態になる。炎の色を眺めながら、シャツ一枚になって飲むビールの味は格別なのだ。暖かいだけでなく、部屋の隅で燃える暖炉の炎を見ていると何とも言えない癒された気持ちにもなる。そんな暖炉なのだが、現在は燃料の薪が高騰している上に手に入りにくくもなってきた。また、一旦薪に火を着けると、防火の意味もあって燃え尽きるまで家を空けることができない。このため、暖炉のピンチヒッターとして自宅で使用していたファンヒーターを併用することにした。ところがこのストーブに点火しても、数分で警報音が鳴り「換気」のマークが点いて火が消えてしまう。自宅では何の故障も無く使っていたのに、何回やり直しても消えてしまうので不思議に思っていた。先頃現地のホームセンターに行ったついでに、新しいストーブが必要に成るかもと思い付属の説明書を見たところ、「標高500メートルを超える場所では酸素不足により黄火燃焼(赤火)になる場合があります…。」と注意事項が付けられており漸く疑問が解けた。最近のファンヒーターは、コンピューター制御されていて、換気のためのセンサーが酸素不足の状態を、換気が必要な状態と誤判断し消火装置が働いてしまったものである。今の石油ファンスヒーターには、高地での仕様として空気取り入れと燃焼の調節機能が付いているらしいが、我が家のものは古い形のストーブのため調整機能は付いていない。故障ではないが結局、山荘での使用は不可能であることが分かった。当然ながら、高地であってもセンサーの付いていない開放型の石油ストーブでは消えてしまうようなことはないが、不完全燃焼の心配はある。今の石油ファンヒーターは、点火と消火の際に発生する独特の臭気を少なくする工夫がされているが、少々の臭気でも苦手だ。それらの心配ごとを防ぐ点からも、強制吸排気のFFファンヒーターにすべきかと悩んでいる。
2013年01月27日
紫外線には、細菌のDNAを破壊することによる殺菌効果があることはよく知られている。昔は骨軟化症予防のために、乳児に紫外線を浴びさせるよう勧めた育児書があったし、保健衛生関係の書物でもそのように解説がされていた。近年になって、紫外線の有用さよりむしろ、過度に紫外線の暴露を受けることで皮膚ガンの発生が増加することが判明した。もともと、栄養状態が良くなった現代では、食物から摂取する量でビタミンDは足りており、通常の生活での日光暴露で十分で、敢えて日光浴を必要とするようなことは無い。太陽からはさまざまな光が放射されているが、「X線・ガンマ線」などはオゾン層に吸収され地上までは届かない。オゾン層を突き抜けて地球に降り注いでいるのは、赤外線52%・可視光線42%・紫外線6%の3種類の太陽光である。1mmの1000分の1をナノメートルと言うが、赤外線は760ナノメートル以上、可視光線は400から760ナノメートル、紫外線は400から200ナノメートルの波長の光線である。紫外線は、波長が短いほど人体に対する有害作用が強い。皮膚ガンや白内障・角膜炎などの原因となり、長期に波長の長い紫外線に暴露すると皺の原因となる。一方、健康線(ドルノ線)と言われ有益な紫外線は、290ナノメートルの紫外線である。太陽光線を浴びて暖かいと感じるのは、赤外線の働きによるものである。赤外線は可視光線の赤色より長いのでこの名前がある。可視光線の波長の両端より紫外線は短く、赤外線は長い。太陽はガンマ線から電波に至るまであらゆる波長の電磁波を放射している。その中で波長が770ナノメートルより長い波長のものが、遠赤外線といわれている。遠赤外線は熱ではなく、相手の分子に自己発熱を起こさせる電磁波である。この波長を温度に換算して見ると450度からマイナス270度となる。比較的低温の放射体が発する電磁波が遠赤外線である。冬の寒い夜に、昼間干したほかほかの布団に入って、仄かな太陽の匂いと微かな温みに包まれると何とも言えない幸福感に浸るのはなぜだろうか。布団を太陽に干すと気持ちが良くなるのは、布団に紫外線と赤外線の恩恵を受けるからである。紫外線の殺菌作用で清潔に成り、赤外線と風によって体から吸湿した水分が飛んで乾燥した爽やかな状態になるのである。ただし紫外線は、布団の表面で反射されて中や裏側までは届かない。したがって、途中で裏返すことも必要である。布団干しは、朝の10頃から午後2時ぐらいの間に2時間ほど干せば十分である。この所一級の寒波が日本列島を直撃していて、関東も最高気温が7度程度だが我が家は開口部が真南と南西に向いているので、12月位から3月初めまでは日光が部屋の奥の壁まで差し込んでくる。太陽さえ出ていれば、日中は暖房が必要ないほどである。今日は東の空に黒い冬の雲が掛かっているが、有難いことに太陽光は燦々と降り注いでいる。真冬に無償の太陽の恵みを受けるために、昨日に続いて今日もまた布団を干したところである。
2013年01月26日
厚く積もった雪の中に、一際目を引くものに南天の実がある。雪と南天を見ると、未だほんの小さい子供の頃長男が作った雪うさぎの目に、南天の赤い実を、耳に南天の葉をつけていた事を鮮明に思い出す。家を建てる際縁起を担いで、大工職人が一番気にするのは方位である。丑寅(北東)の方角を鬼門と言い、反対の未申(南西)の方角を裏鬼門というがどちらも忌み嫌われ、玄関やトイレ、台所などの配置が問題となる。鬼門は古代中国の書物「山海経」に、「東海の中にある度朔山の頂きに、3000里にもわたって渦を巻くように曲がりくねった桃の木があり、その枝の間の東北が鬼の出入り口になっている。」とある。そのため黄帝が礼の決まりを作って、この場所のお祓いをすることで「凶悪な物の精鬼」の侵入を防いだとされている。このことから、北西を「天門」、南西を「人門」、南東を「風門」、北東を「鬼門」としたことが日本に伝わり、家相でいう「鬼門」方位となったという。陰陽道においては北と西は陰、東と南が陽とされ、北東と南西は陰陽の境になるので、不安定になるため鬼が出入りする方角であるとして、万事に忌むべき方角としている。逆に神々が通り抜ける方角または太陽が生まれる方位であるために、清浄の気を保たねばならないのだとする考え方もある。「難転」あるいは「成天(ナルテン)」に通じることから、南天を古くから厄除けの縁起木として鬼門や便所の前の庭に植え、実の付いた枝は正月飾りなどに使われてきた。※南信州の実家では、実際ナルテンと呼び習わしていた。福寿草とセットにして、「災い転じて福となす」とも言う。南天の名前は、「南天燭(赤い灯に似ている)」あるいは「南天竹(茎が竹の節に似ている)」と言う名前と共に、薬用や魔除けとして中国から入って来て南天がそのまま和名となった。 江戸時代から好んで栽培されたため、園芸品種も多い。普通茎周は1センチ未満のことが多いが、稀に10センチメートルにも太く育ったものは床柱に使われることがあり、例として金閣寺の茶室や柴又帝釈天の大客殿などが知られている。また縁起を担いで、食中り(あたり)を防ぎ長寿を願うという意味で箸にも利用される。南天の実は、生薬名をナンテンジツと言い日本薬局方外の薬用植物である。南天の実にはアルカロイドのドメスチンを含み、鎮咳薬の製造原料に用いられている。民間療法では、咳止めの目的で煎じて服用する。南天の実は非常に薬理作用が強いので、服用には注意が必要である。一般的な使用量は一日5から10gとされる。白実と赤実があるが、どちらも薬効に差は無い。葉には微量の腐敗を防ぐ成分が含まれている。昔から赤飯に南天の葉を乗せるのは、難を転ずると言う呪(マジナイ)いの他、防腐効果も期待したものである。我が家の南天は、植栽後数十年にもなる株だが何回か結実しただけで、今年もまた全く実を付けなかった。近くの民家の庭先では、今年も真っ赤な実をたわわに付けている。南天が実を付けないのは、花の時期が雨期に重なって「雨で花粉が流される」、「日照が足りない」、「肥料の過少」などが原因だとする説があるが、そのいずれに気を付けても結果は同じである。結実しないのは、他に原因があるように思われる。 千葉県市川市の大野地区には、南天に因んだ「平将門と南天」の民話が伝承されている。承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうの乱)の折り、朝廷から将門追討の命をうけた藤原秀郷(俵の藤太)、平貞盛等が将門追討の護摩を焚いて祈ったのが成田山新勝寺であった。平将門は逃亡先の隠れ家で、敵の回しものの桔梗の前という女の企みにより、女が汲んだ水で顔を洗っていたところを、南天の木の陰に隠れていた藤原秀郷が射た成田山新勝寺の御神矢によって射殺された。したがって、この町一帯では、庭に南天と桔梗を植えても咲かせてもいけないし、成田山に詣でてもいけないと言う伝承があって大野地区ではこれを守っている。 南天に 雪吹きつけて 雀鳴く 正岡子規
2013年01月25日
我が国の稲作農耕文化の発祥は、3千年も前の縄文時代末期とされるが、その頃から我々の祖先が繰り返してきた農耕儀礼が今も一部に伝わっている。対象とされる作物によって時期や方法は様々だが稲作では、田植え後の「おさなぶり」と収穫後の「新嘗祭」がある。信州伊那谷には、昔から各家に柿の木が植えられていて、砂糖が貴重品であった頃は干し柿が唯一の甘い「おやつ」であった。10月の初霜が下りる頃になると、夕方柿取りをして夜なべにナイフで柿の皮を剥き、翌朝に縄に吊るして軒下に干す。渋かった柿が、十日ほどで飴色に変わってトロリとした甘さを持つようになる。一か月もすると、乾燥した柿の表面にグルコースなどの白色の結晶が白い粉となって析出し、甘美な味の干し柿となる。昔は自家消費するだけであったのだが、50年ほど前から「市田柿」のブランドで店頭に並ぶようになった。市田柿が他に類を見ない甘美な干し柿となるのは、一説には天竜川の朝霧が干し柿を育てるとも言われ、今では気軽に口に入らない高級食品になってしまった。全国各地に「コロ柿」などの名前で干し柿があるが、それらの中では市田柿が最も上品で美味ではないかと思っている。しかし、砂糖を目一杯使った甘いカラフルな色彩の生菓子に慣れた現代の子供や孫たちは、干し柿には見向きもしない。干し柿は長寿祈願の歯固めのための食べ物で、正月の縁起物として欠かせない食品の一つであり、干し柿が貴重であったことから柿の豊作祈願のための儀礼が古くから行われてきた。小正月15日には、「モグラ打ち」、「鳥追い」に合わせて「成り木責め」の行事が行われていたと、60年も前に明治生まれの父親に教えて貰ったことがある。成り木責めは、親子や兄弟、祖父と孫などの二人が一組になって行い、一人が「今年は成るか、成らぬか、成らぬならお前をチョン切るぞ」と言いながら鉈で幹を叩く。もう一人が「成ります、成ります」と答えると言う行事だ。これを思い出すと、コメディアンの坂上二郎のギャグ「トビマス、トビマス」を連想してついニヤリとしてしまう。成り木責めの対象として柿の木が選ばれたのは、柿の実が豊作の年は他の果実も豊作になるためだとされる。これらの行事は戦前までは普通に行われていたのだが、いつの頃からか実施する家もなくなり今ではすっかり途絶えてしまった。伊那谷のある市では、市の農業課の肝入りで行事の復活に取り組んでおり今年も15日に実施された。リンゴ、ミカン、柿などの果樹は、「隔年結果」の習性があって成り年、不作年(陰の年)を一年おきに繰り返す。果樹の隔年結果の原因として、不成り年には花の数が極端に少ないのだという。成り年は沢山の果実に栄養が回らないので実が小さく品質も低下するが、陰の年は実が少ない分大きく品質は良い。その対策として晩秋の施肥、枝の剪定、摘果などの栽培管理をすることで隔年結果を回避できると言われている。50年ほど前に我が家の庭に植えた富有柿は、一昨年の不成りの反動で昨年は枝が折れるほどに実が着いた。しかし、この5年ほどヘタ虫被害により青い実のまま落下したり、甘くなって食べられるようになる前にグジュグジュになって落ちてしまうようになった。その上、果実の身に糸状菌が原因と思われる白く硬い部位が発生するようになった。物の本によれば、季節ごとの殺虫剤と殺菌剤散布が必要だとしている。とても、大きな木の全てに消毒を施すことは不可能なので、成り木責めではないが思い切って強剪定をし、さらに病害虫が潜むと思われる樹皮を削り取った。枝が全くなったので今年の収穫は望むべくも無いが、剪定と害虫や菌の潜む樹皮を削ったことで来年以降病害虫を減らすことが出来ればと思っている。
2013年01月24日
1月15日頃から、諏訪湖は全面結氷の前兆があり、16日時点で見た諏訪湖は殆ど全面が結氷していた。降雪後、寒気が居座ったこともあって期待通り、昨年に続いて今年も1月22日に諏訪湖に御神渡りが出現したことが報告された。寒さが続く年には諏訪湖に結氷した氷の上に出来た亀裂に沿って、湖岸から湖岸に数キロメートルにもわたって割れた氷が、50センチも盛りあがる不思議な光景を見ることができる。これを御神渡りと言っている。湖水が結氷すると膨張し、気温の下降によって再び収縮することで、引っ張られて氷に亀裂ができその隙間に水が入って新たな氷を作る。御神渡りは、氷の厚さが10センチメートルを越え、最低気温がマイナス10度以下の日が数日続く間に氷が膨張と収縮を繰り返し、ついには亀裂の隙間に張った薄い氷が押されてせりあがると言う複雑なメカニズムによって起きる自然現象である。昨年の出現は、1月21日だったので、今年もほぼ同じ日に出現したことになる。今年は特に寒く感じるのだが、同じ時期に出現したことで昨年も同じような気温だったことがわかる。今から半世紀ほど前には、毎年御神渡りが出現していたのだが、近年気候温暖化のせいで湖水が全面結氷しない年があり、2004年から2013年までの10年間では半分の5回しか御神渡りが出現していない。御神渡りがあったかどうかについては、八剣神社の神官が認定して決める。それを拝観式と言っている。拝観式は、氷の割れ目の状態からその年の天候や農作物の豊凶、世の中の吉凶を占うものである。その結果については、諏訪大社大祝に報告するのが習わしとなっている。八剣神社は、JR上諏訪駅から500mの町中にある。御神渡りが起きない年は「明けの海」と呼ばれる。明けの海であった場合は、「注進奉告式」で神前に知らされる。御神渡りには、ロマンチックな伝承がある。諏訪大社上社の男神・建御名方命(タケミナカタノカミ)が対岸の下社の女神・八坂刀売命(ヤサカトメノカミ)の許へ通う恋の道だと言うのだ。北海道の屈斜路湖、釧路湿原3大海跡湖のシラルトロ湖・達古武湖・塘路湖にも同じ現象が現れるが、本州で本格的に見られるのは諏訪湖だけとされる。屈斜路湖の御神渡りは雄大で、全面凍結する淡水湖の中でそのスケールは日本最大級とされ、もっとも寒さが厳しくなる2月から3月初めごろ轟音とともに氷が盛りあがり、その長さ10km、高さ2メートルにも及ぶ氷の壁が出来上がると言われる。屈斜路湖でもこの現象を御神渡りと言うのだが、諏訪湖の御神渡りの名前から取ったものであろう。 今年の拝観式の占いの結果、日本経済の行く末が凶と出たのか吉と出たのか気に掛るところだ。
2013年01月23日
莟とは 汝も知らずよ 蕗の薹 (蕪村) 莟=つぼみ。 汝=なれ。今年の冬は、例年になく寒い日が続いている。14日には、何年か振りで大雪が降った。漸く雪融けした庭の陽だまりに、今年も蕗の薹が顔を出した。フキは蕗、苳、款冬、菜蕗とも書き表すキク科フキ属の多年草である。蕗の薹の「薹」は、野菜などが花を咲かせるために花軸を延ばしたものを言い、そのような状態になることを「薹が立つ」と言う。使い方は、ホウレン草や人参・大根に薹が立つというように用いる。一般には、野菜に薹が立つと硬くなって食味が悪くなり食用には不向きとなる。また、未婚の女性が年齢を重ねた場合にも同じような意味合いで使われる。蕗の薹は早春に一番初めに春を運んでくる食べ物で、独特のほろ苦さと香りがある蕗の薹を食べると春の近いことが感じられる。昔から親しまれている山菜だが、肝臓に対して毒性があるピロリジジンアルカロイドが含まれているのでアク抜きをしてから食べる。蕗の薹は蕾の状態で採取するが、その最もポピュラーな食べ方としては天婦羅がある。天ぷらにすると、アクが抜ける。その他、蕗味噌や、味噌汁に入れて食べる。独特のほろ苦さと春の香りを、鼻と口で感じることができる。虚子も次のような俳句を詠んでいる。 蕗の薹の 舌を逃げゆく にがさかな 高浜虚子 蕾が香りもあって最高だが、花が咲いてしまった蕗の薹でも蕗味噌や佃煮として利用することが可能である。伸びてしまった蕗の薹は、葉や花を取り除き茎の部分をアク抜きして、肉や白滝と一緒に煮れば蕗の茎よりも柔らかく筋もないので美味しく食べられる。同じキク科の植物に、多年草のツワブキがある。石蕗とも書き葉は常緑の深緑色で、厚みと艶があるほか黄色の花が秋から冬にかけて咲くなど生物学的には違いが大きいが、葉茎の外見は蕗に似ている。福島県、石川県以西の沖縄県まで分布しており、蕗と同じように食用になる。ツワブキを宝香と書く。宝香とは防虫剤や香料にする竜脳香のことだが、香りが似ているためツワブキのことを宝香と呼ぶ。またツワブキに良く似た仲間に雌宝香と雄宝香がある。このうち雄宝香とは丸葉岳蕗を指す。マルバタケフキは、亜高山帯に群生し花が咲く前は一見蕗に見え、登山途中で採取する人を見かけるが、これを食べたと言う人の話を聞かないので食用にはならないと思われる。茎の高さは40-120cmにもなる。根出葉には長い葉柄があり、葉は蕗に似た腎円形で径30-40cmにもなり葉縁は鋸歯状になる。茎につく葉の葉柄の基部は、広く膨らんで茎を抱いているので蕗との見分けは容易である。蕗の薹を福寿草の花芽と誤って採取して食べ、食中毒を発症する場合がある。(1月19日のブログ「これも毒草」参照)両者は明らかに異なっているので、日ごろ良く観察してさえしていれば決して混同するようなことは無い。何年か前の5月、北海道旅行の際阿寒湖のホテルに一泊した。朝ホテルの庭を見ると、鹿の群れが行く雪の中に、蕗の薹が一面に顔を出していた。ビニールの袋一杯採取して、自宅に帰って早速佃煮を作ったのだが、香り味とも期待したものとは異なり、食べることができなかった。バスガイドに聞いたら、北海道では蕗の薹など摘む人はいないと話していたので、もしかしたら本州の蕗の薹と異なり、食用にしてもあまり美味くないのかも知れない。
2013年01月22日
十返舎一九の原作とされる上方落語に、ふぐ汁と言うのがある。あらすじはこうだ。河豚を貰ったので鍋にして食べることになる。出入りの男を呼んで食べさせるが中毒が怖くて手をつけない。「お前はんも食べんのかいな。」「へえ。まず、旦那はんから食べとくんなはれ。」「いや、わしもなあ。・・・」鍋を前に二人が途方にくれていると、折よく物貰いがやってきた。「そんならあいつに食べさせて具合見てやれ。」「そらよろしいな。」と少しだけ与える。様子を見にやると何ともない。まず大丈夫だろうと二人で鍋を平らげる。と、そこへ物貰いがやって来て「旦那さんがたが大丈夫ならゆっくり頂きます。」八代目坂東三津五郎は、「食い放題」と言うエッセイを出版するほどの食通で、「役者はどの店に行けば、どんな美味いものがあるかということを知っていなくちゃいけない」といつも言っていたが、1975年に京都の割烹で四人分とも言われるトラフグの肝を食べたことによりふぐ毒に中って急死した。トラフグの肝臓は、猛毒のテトロドトキシンを含んでいる。テトロドトキシンとは、ビブリオ属やシュードモナス属の細菌によって生産されるアルカロイドである。フグの毒として知られるが、アカハライモリ・ツムギハゼ・ヒョウモンダコ・スベスベマンジュウガニなどもこの毒をもっている。テトロドトキシンは、習慣性がないため鎮痛剤として医療に用いられている。テトロドトキシンの語源はフグ科の学名(Tetraodontidae)と毒 (toxin)の合成語である。300℃以上に加熱しても、無毒とはならない。ヒトの経口摂取では青酸カリの850倍の毒性がある。呼吸筋の麻痺による窒息死だが、麻痺症状が現れたときに素早く人工呼吸を実施し、テトロドトキシンが排出されて神経伝達の遮断(麻痺)がなくなるまで人工呼吸を続けることで、蘇生させることができる。現実には、麻痺が出たときに間髪入れずに人工呼吸を施すことは非常に難しいことである。この毒素は、細菌が生産した毒が餌のヒトデ類、貝類を通して生物濃縮され、体内に蓄積されたものである。したがって、養殖で無毒の餌を与えることでふぐを無毒化することが可能である。フグやアカハライモリなどはテトロドトキシンに対し、強い耐性を持っているため自身が中毒死することはない。しかし人為的に高濃度のテトロドトキシンを与えれば中毒する。テトロドトキシンを貯め込む理由として、フグは卵巣に毒が多いことから卵を捕食されることを防ぐ目的があるとする説がある。また、産卵期のメスはテトロドトキシンでオスを誘引するとされている。ヒョウモンダコは餌を捕るために餌のカニを毒で麻痺させて捕えている。2001年からの10年間で、フグによるヒトの中毒発生件数336件、患者数485人、死者数23人となっている。釣ったフグを、自分で調理して食べたことによる事故が多い。民間俗信の中で最も有名なのが、フグ中毒で唇が痺れてきたら庭に穴を掘って首だけ出して土の中へ埋めておけば回復すると言う話があるが、この毒素に中ったら穴に埋めても決して回復することは無い。こんな恐ろしい猛毒を持ったフグの卵巣であるが、塩漬と糠漬にして2年以上発酵・熟成させて無毒にした珍味が石川県にある。この方法でフグの卵巣を無毒化するのは世界的に珍しく、「奇跡の食品」として紹介されている。卵巣を塩漬けにする際、塩の浸透圧で脂質が分離し水分とともに外部に析出するが、このとき毒素が希釈されるのではないかと考えられている。フグほど多くの名前がある魚は無い。昔は「ふくと」、「ふくべ」、「ふく」と呼ばれていたが、江戸時代に「く」が「ぐ」になった。「ふく」は、ふぐの姿がヒョウタン(ふくべ)に似ているところから付いた名前と言われるが、その他にも「しぶく(渋)」、「ふど(斑魚)」、「ぶす(毒)」、また餌のゴカイなどを捕る時、吸い込んだ海水を吹きつけて海底の砂を舞上げて捕まえるので「吹く」からきたとも言われている。大阪で、フグを「鉄砲」というのは当たると死ぬという洒落。また、「とみ」と呼ぶのは「富籤」はめったに当たらないところから付いた名前である。 東京都にはフグの取扱について、全国で最も厳しい規制条例があったのだが近年生産地で有毒部位を除去した「身欠き」の状態や、様々な形態の加工品が流通するようになったことにより規制が緩和され、平成24年10月1日から一定の条件を満たせばふぐ調理師以外でも取り扱いが可能となった。 ふぐ食わぬ 奴にはみせな 富士の山 一茶 俳諧の ために河豚食う 男かな 虚子 河豚汁や 鯛もあるのに 無分別 芭蕉 あら何ともなや よべのふぐ 芭蕉
2013年01月21日
中学校2学年の国語の教科書に、スイセンとギリシア神話ナルキッソスの話があった。花のスイセンの学名は、ギリシア神話に登場する美少年ナルキッソスに由来する。ナルキッソスは、その美しさ故に多くの乙女から言い寄られたのだが、その全てをはねつけた結果恨みを買った。そんな彼への呪いを聞き入れた復讐の女神ネメシスが、水に映った自分自身を恋するように変えてしまう。水面に映った像は、ナルキッソスの想いに応えてくれないまま、彼はいつまでも岸辺を離れることができずやがて憔悴して死ぬ。そして、その体は水辺でうつむきがちに咲くスイセンに変わった。だからスイセンは水辺でまるで自分の姿を覗き込むように俯き加減に咲くと言うのである。そんなことから、花言葉は「うぬぼれ」「自己愛」「エゴイズム」である。スイセンという名は、中国での呼び名「水仙」を音読みしたもので、「仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙」という中国の古典に由来し、水辺で咲く姿を仙人にたとえたものである。日本においては、ニホンズイセンが古くに中国を経由して渡来したといわれている。分布は、本州以南の比較的暖かい海岸近くで野生化していて、越前海岸の群落が最も有名であり、福井県の県花ともなっている。ヒガンバナ科の植物には、リコリンと言う有毒な植物アルカロイドを含有する。スイセンも例外では無く全草が有毒だが、鱗茎には特に毒成分が多い。葉がニラとよく似ているため、間違えて食べ中毒症状を起こすという事件が毎年報告される。ニラとの大きな違いは次の通りである。ニラにはニラ独特の強い臭いがあり、ひげ根で鱗茎を持たない。スイセンには強い催嘔作用があるので摂取したほとんどが吐き出され、症状が重篤になることは稀である。千葉県安房郡鋸南町にも、ニホンスイセンの群生地がある。かつては、ここからニホンスイセンの花が、刺身の飾り用(ツマ)として東京都の市場を通して出荷されていた。昭和の末期、札幌市在住の夫婦が、刺身のパックを購入しツマとして付いていた花を天婦羅にして食べて食中毒を発症した。この事件を契機として、東京都ではスイセンの花の刺身のツマとしての販売・使用を禁止し、誤食しないよう注意を喚起した。 ところで、この歳になっても「スイセン」の発音が良く分からない。単独では、「セ」にアクセントを置くのだが、「ニホンスイセン」・「ラッパスイセン」となると、「水洗トイレ」の発音と同じに「ス」にアクセントを置いた発音になってしまう。現役時代に有毒植物の啓発用ビデオを作った際、そのナレーションを担当して貰った部下と論争したことあるが未だ結着が付いていない。 初雪や 水仙の葉の たわむまで 松尾芭蕉
2013年01月20日
春先に開花し夏まで葉をつけた後地上部が枯れて、次の春まで地下で過ごす植物を春植物(スプリング・エフェメラル)と言うが、これを直訳すれば「春の儚いもの」「春の短い命」というような意味である。元日に咲いてめでたいとされる花に、キンポウゲ科の福寿草がある。別名は、「元日草」「朔日草」とも言われる。福寿草と言う和名も、いかにも新春を祝う花らしい名前である。1月1日の誕生花でもある。花言葉は「永久の幸福」、「思い出」、「幸福を招く」、「祝福」だそうだ。この花は、多くのキンポウゲ科の植物がそうであるように、有毒アルカロイドを含んでいて毒草に分類される。福寿草の根にはジギタリスと似た強心、利尿作用があり民間薬として使われることがある。しかし、毒性(副作用)が強く死亡例もあり素人判断での利用は厳に慎むべきである。漢方では浸剤、チンキ剤として強心、利尿薬に使用される。地面から芽を出したばかりの頃は、フキノトウと間違えて食べ、中毒を起こすことがある。北海道から九州にかけての山林に自生する。花期は初春であり、3-4cmの鮮やかな黄色い花を咲かせる。当初は茎が伸びず、包に包まれた短い茎の上に花だけが着くが、次第に茎や葉が伸びさらにいくつかの花を咲かせる。花の花弁がパラボラアンテナのように広がって、日光を花の中心に集めその熱で虫を誘引している。この花は竜胆と同じで、太陽光が当たると開き光のない所では閉じる。葉は羽毛のような形で深い切れ込みがあり、人参の葉に似ているので間違えて食べないように注意が必要である。根は太く直根で、多数の根を持っている。正月の寄せ植えとして古くから親しまれている花なので、正月頃に花を咲かせる植物と思われがちだが自然の環境下では2月~3月頃に花を咲かせる。正月用に市販されている鉢植えの開花株は、晩秋に出来た花芽を寒さに当てた後、温室などで保温して咲かせたものである。本来の花色は黄色だが、品種改良が古く江戸時代から行われた結果、緋色や緑色、白やオレンジ色の花を咲かせる園芸品種もある。花型では、八重咲き、菊咲き、三段咲きの品種も作出されている。福寿草はタネからも、株分けでも増やすことができる。タネから育てる場合は、金平糖に似たタネを採取してすぐにまく。乾燥させると、発芽率が低下するので採りまきが基本である。株分けは植え替えと同時に行う。あまり細かく分けすぎると、生育が衰えたり枯れたりしてしまうので、1株に5~6芽が付くように分けると良い。 我が家の庭でも、寒風の中頑張って芽を出した。この株は、45年も前に正月用の鉢植えを購入して、開花後地面に下ろしたものだ。あまり株は増えないのだが、毎年頑張って咲いてくれる。 光琳の 屏風に咲くや 福寿草 漱石何もなき 床に置きけり 福寿草 虚子
2013年01月19日
ノミとシラミはともに人間に寄生して吸血し、痒みを与えるためによく一緒に扱われる。ノミは蛹を経る完全変態であるのに対して、シラミは蛹を経ない不完全変態の昆虫で系統的には大いに異なっている。ノミの幼虫は部屋の埃の中などで育つのに対して、シラミは一生を宿主上で暮らす。そのため、入浴や着替えを頻繁に行えばシラミは寄生できなくなるが、ノミはそうはいかず棲息し続ける。「シラミは貧乏人に、ノミは金持ちにたかる」といわれる所以である。シラミの名前の語源は、白虫の転訛であるという説が有力である。古名は、虱と言う字から半風子とも呼ばれる。戦後の大発生期にはホワイトチイチイと呼ばれていた。外部寄生する動物や動物に付着する植物に、「……ジラミ」の名の付いているものがある。別名南京虫とも呼ばれるトコジラミは、カメムシ科の吸血昆虫である。ウオジラミは、淡水魚類の吸血昆虫である。鯨に付着する小動物を、クジラジラミと言う。セリ科の植物にヤブジラミがあるが、種子が衣服や動物に付いて運ばれる「ひっつき虫」であるところから付いた名前である。戦後20年を過ぎる頃から、ヒトノミ・ヒトシラミとも激減しヒトノミは既に駆逐された過去の害虫になった感がある。しかし、一方のシラミはアタマジラミが幼稚園・保育園や小学生の間で、時として集団感染することがある。また、ホームレスの間で流行しているともいわれている。ケジラミの場合は、密かに医療機関を受診する人がかなりいると聞いた。現役時代のある役所の早朝、30歳半ば過ぎの女性がその子供と窓口相談に来所した。生憎担当係の係長以下出払っていて、他の係の事務係員が対応した。離れた席から、聞くともなく聞いていると頻りに「ケジラミ…、ケジラミ…。」と言っているのが聞こえる。何やら込み入った話のようで、対応した者が困惑しているので自分が対応すべく話を引き継いだ。話の内容はこうだ。東南アジアへ単身赴任している夫の所へ、3月の学期末休みに娘と訪ねて帰国したらケジラミに感染したらしいというのだ。「痒くて仕方ない。ケジラミに寄生されているようなので調べて欲しい。」と言うのが、相談の内容であった。「ここで調べるのですか。」と聞くと、そのために来た今直ぐに見て欲しいと言う。それでピンと来たのだが、感染していたのは一緒に来た子供の方でしかもアタマジラミにだったのだ。場合によっては、ケジラミ感染が離婚の原因にもなると聞く。女性がしきりに「ケジラミ」を連発するので、てっきり母親の事かと勘違いしていたのだ。アタマジラミで、事なきを得たわけだ。人に寄生するシラミには、2種類ある。1つはヒトジラミで、アタマジラミとコロモジラミの2亜種がある。コロモジラミは文字通り、衣に付いていて吸血する。コロモジラミによって媒介される感染症に発疹チフスがあるが、日本では1955年以降の発生がない。アタマジラミは、頭髪に付いていて頭皮から吸血する。痒みが主な被害である。他の1つがケジラミである。ケジラミは体毛に寄生する。感染の機会が最も多いのは性交渉時であり、その意味では性病ともいえる。駆除するには、シラミの成虫から卵にいたるまで完全に除去することが重要である。コロモジラミは衣服を熱湯消毒することで駆除が可能である。アタマジラミやケジラミを物理的に駆除する方法としては、洗髪と櫛による方法があるが、一般にこれらの方法で100%の駆除効果は期待できないためピレスロイド系の殺虫剤(スミスリンパウダー)を含むシャンプーが使用される。またアタマジラミ、ケジラミは毛に付着しているため、頭髪や体毛を剃り落として除去する。 卵の除去には、目の細かい櫛でよく梳くとよい。これらの衛生害虫も、早く過去の昆虫になって欲しいものだ。
2013年01月18日
用事があって、天井が落下した昨年の12月2日以来初めて笹子トンネルを通った。迂回路としては、20号線と高速道河口湖線があるのだが、トンネル手前2キロの渋滞との事だったのでそのままトンネルを通ることにした。大月インターまでは順調だった。トンネル内は下り車線を使っての対面通行である。笹一酒造の上辺りで一車線になり合流する。通行車線を渋滞で停車している車両の脇をすり抜けて行って、先端部分で強引に合流車線に横入りするための渋滞で尺取り虫状態。トンネルの中は40キロメートル規制だが、トンネルの中ほどからは60キロメートルほどの速度で、渋滞区間は凡そ20分で通過することが出来た。トンネル内部の天井は、釣り天井を外した跡が生々しい。上り線の天井撤去の工事が昼夜兼行で11日から始まり、昨日の朝日の朝刊によると天井撤去と補修を終えて2月下旬には開通される見通しとのことだ。拙速にならず十分に安全性を確認してから、開通させてほしい。それにしても、点検結果では上り線だけでも崩落の危険のある箇所が、1,200を上回るとの発表には背筋の寒くなる思いだ。事故直前の10月に実施した点検では、結局何を見ていたのだろうか。十分な報酬を受けて、杜撰な点検を行った会社と作業員の責任は免れないと感じるのは自分だけなのであろうか。原発事故に伴う汚染個所の、手抜き除染が社会問題となっているが、結局目に見えないところでは「…の振りをする。」ことで楽をしようとする。作業マニュアルにある除染で、どれだけの効果があるのかもハッキリしない。そんなところにも、今回の問題の芽があるような気がする。このような甘い考え方を矯正するには、個人のモラルに期待するだけで正すことはできない。きちんとした「タスク・マニュアル」の策定と、作業内容を熟知したトップの、場合によっては罰も考慮した強い指導力が必要である。現在のところ人身に被害が無いとは言え、機体の35%が準日本製の最新鋭旅客機787の機体トラブルが頻発している。飛行前に実施した、機体の安全確認が不十分だったのかどうか分からないが、2年の運航で初期不良が出てきているわけだから、再度徹底した機体と装備のチェックを実施するべきである。ハイテク技術により一見快適に見える社会生活は、安全性が確保されなければ意味のないものだ。人命はいつの時代でも、貨幣価値より重い。経済優先にならないで、言葉だけでなく安全安心の社会を確保するための努力が求められる。
2013年01月17日
1月11日は、鏡開きである。この呼び名とは別に、お供え開き・お供えくずしなどと呼ぶ場合がある。鏡餅は、昔の銅鏡に似ている所からその名前が付いたといわれる。丸い形に模ったのはヒトの心臓の形からとも言われている。銅鏡は神事で用いられ、八咫鏡を模したものとされる。鏡餅には、「年神様」の依り代の意味がある。「依り代」とは正月に迎えた年神様の居場所であり、新たな年の幸せや恵み、生きる力を与えてくれる魂の象徴でそれが鏡餅であるとされる。鏡餅が、その年の魂となる「年魂」であり、年の初めに年魂の象徴としての餅の玉を、家長が家族に「御年魂」「御年玉」として分け与えたのがお年玉のルーツとされ、玉は魂のことを指している。年神様から毎年分け与えられる魂は、胎内に生命を宿した時すでに魂があるので誕生時は1歳で、その後は元旦が巡ぐって来る度びに歳が増えると考えたもので、これが「数え年」の起源とされる。鏡開きとは、年神や仏に供えた鏡餅を下げて、神仏に感謝しまたその供えられたものを分けて頂いて無病息災などを祈って雑煮・汁粉などにして食べる習わしのことである。刃物で切るのは切腹を連想させるので手や木鎚で割り、「切る」「割る」という言葉を避けて「開く」という言葉を使用する。鏡は長寿と幸せを、開くことは末広がりを意味する。また、硬くなった鏡餅を食べることは、「歯固め」の儀式の一つともされる。祝宴などで、菰を巻き付けた酒樽(菰樽)の蓋を木槌で割ることも鏡開きという。昔武士が出陣の時に酒樽を割って、武運を祈ったのが由来だと言う。酒樽の丸さと銅鏡の形をなぞらえ、酒樽の上蓋はその形から鏡と呼ばれていて、酒樽の蓋を割ることも鏡開きと言う。この場合も鏡餅の鏡開きと同じ意味で忌み言葉として「割り」「切り」と言う言葉は使わない。結婚式などで酒樽を開けることには、長寿と幸せの祈願と末広がりのお目出度い意味を込めていて鏡開きと同じ意味がある。近年は歯が弱くなったこともあり、今では硬くなった餅に到底歯が立たない。その上、気密性の住居になってからは、13日ほどの間に青カビ・赤カビ・黄カビなどの黴が生えるのだ。そんなこともあって、我が家ではいつの頃からか鏡餅を飾る風習が途絶えてしまった。折角準備した木槌も、今や鏡開きでの出番がなくなって無用の長物となってしまっている。鏡開きの餅は汁粉か雑煮で食べるのが習わしだが、今朝は鏡餅の代わりにのし餅を雑煮にして食べ、昔の風習を偲んだ。
2013年01月12日
致命率が非常に高い食中毒に、ボツリヌス菌食中毒がある。この中毒は、菌自体を摂食することによって起きるのではなく、黄色ブドウ球菌と同じように食品の中で菌が増殖する際に出す毒素を摂取することで発症するものである。2000年から2012年10月末までに、ボツリヌス菌による食中毒が4件発生している。昨年3月26日には市販の、ぜんざいの餅の代わりに平打ちしたうどんを用いた岩手県の郷土料理「あずきばっとう」を食べた、鳥取県米子市内の60歳代の夫婦が意識不明の重体となった。レトルトパックの「あずきばっとう」からは、ボツリヌス菌が検出された。ボツリヌス菌が食中毒の原因菌と判明したのは近年で、1951年5月北海道岩内町で自家製の「鰊いずし」によって14名が発病し、4名が死亡した事件が最初の報告である。1984年には関東以西で、36名が発症し11名が死亡した辛子蓮根よる大規模食中毒が発生した。この事件では、材料の輸入辛子粉からボツリヌス菌が検出された。辛子蓮根は、370年以上の歴史がある熊本県の特産で、麦味噌の中に和がらし粉を混ぜたものを蓮根の穴に詰め、小麦粉、空豆粉、卵の黄身を混ぜ合わせた衣をつけて食用油で揚げた惣菜のことである。ボツリヌス菌はクロストリジウム属の細菌で、空気中では増殖できないので偏性嫌気性菌と言われる。菌はA~G型に分類され、そのうちA・B・E型がヒトに中毒を起こす。A、B型は芽胞の形で土壌中に、E型は海底や湖沼の泥中に分布する。芽胞を作る細菌が、栄養や温度などの環境が悪い状態に置かれたり、その細菌に対して毒性を示す化合物と接触したりすると、細菌細胞内部に芽胞が形成される。芽胞は極めて高い耐久性の細胞構造を持っており、さらに環境が悪化して通常の細菌が死滅する状況になっても生き残ることが可能である。しかし、芽胞の状態では細菌は新たに分裂増殖することはできず、その代謝も限られている。このため芽胞は、休眠型と呼ばれる。植物の休眠と同じである。芽胞は、普通の細菌と比較して高温に耐性があり、100℃で30分の煮沸によっても完全に不活化できない。芽胞を完全に不活化するには、高圧下で121℃15分以上の加熱が必要である。また、消毒薬にも強い抵抗性を示す。生き残った芽胞が、再びその細菌の増殖に適した環境に置かれると、芽胞は発芽して、通常の増殖・代謝能を有する菌体が作られる。これを、増殖型と呼ぶ。ボツリヌスとはラテン語でソーセージのことであり、19世紀のヨーロッパでソーセージやハムを食べた人の間に起こる食中毒であったためこの名がついた。ハムやソーセージに発色剤として添加される硝酸塩は、発色作用よりもボツリヌス菌の繁殖を抑える目的で使用されている。ボツリヌス毒素は、計算上では0.5kgあれば全人類を滅ぼす事が出来るほど毒性が強く、自然界に存在する毒素としては最も強力である。乳児に特有な乳児ボツリヌス症は、通常のボツリヌス症と異なりボツリヌス菌の芽胞を摂取することにより起こる。芽胞は乳児の体内で発芽し、ボツリヌス毒素を作り出す。便秘などの消化器症状に続き、全身脱力が起きて首の据わりが悪くなる。乳児ボツリヌス症は、蜂蜜が原因となることわかっている。1歳未満の乳児に蜂蜜を与えてはならないとの厚生省通達が1987年に出され、蜂蜜の瓶詰には乳児に与えないよう表示がされている。乳児は成人に比べ腸内細菌が未発達であることや消化管が短いことから、成人の消化管では死滅するボツリヌス菌が乳児では腸管まで届いてしまうためと考えられる。ボツリヌス毒素は主に四肢の麻痺を引き起こす。重篤な場合は呼吸筋を麻痺させ死に至る。その他、複視・構音障害・排尿障害・発汗障害・喉の渇きがみられる。一方、発熱はほとんどなく、意識も鮮明のままである。ボツリヌス菌の芽胞は高温耐性があるが、毒素は100℃で1~2分の加熱で不活化される。このため、ボツリヌス菌による食中毒を防ぐには、食べる直前に食品を加熱することが効果的である。 土壌中に常在しているので、魚介や野菜と共に家の中に持ち込まれる恐れがある。また、空気のある所では増殖できない細菌なので、従来はいずしなどの発酵食品、缶・瓶詰やソーセージ、ハムなどで中毒が発生していたのだが、近年「辛子蓮根」や「あずきばっとう」に見られるように、レトルトパックなど真空包装された食品が多くなっており、包装のピンホールの有無やガス発生による膨張、腐敗の進行などには注意が必要である。
2013年01月11日
植物の生活環で、成長活動が一時的に停止する期間の事を休眠と言う。多くの植物や種(たね)は、冬季や乾期などの生育に適さない外界に適応するため、休眠をする。植物は周囲の環境変化を感知し、休眠に入る時期を決定していると考えられている。植物の休眠への入り方には、二通りがある。多くの植物は短日になり気温が低下することで不利な環境の到来を予測し、厳しい環境に遭う前に休眠に入る。もう一つは、植物が不利な環境に置かれた後に休眠に入る場合であり、これは環境の変化が激しい地域でみられる。植物が、成長や活動を停止した芽のことを休眠芽という。季節により日長の変化を感じ、短日になると成長が阻害され休眠芽を形成する。冬季に休眠状態にある芽を冬芽と言う。一方、ヒガンバナのように夏には鱗茎内で休眠して秋に伸びるようなものを夏芽という。フクジュソウやカタクリのように、早春から春にかけてのわずかな期間地上に現れる植物の芽は冬芽でありかつ夏芽でもある。ハリエンジュ(ニセアカシア)の冬芽は、葉の基部の膨らみの中に隠れていて、隠芽と呼ばれる。ユリノキやブラタナスでは、葉柄の基部が鞘状になっていて葉が落ちると葉の痕に冬芽が現れる。葉柄内芽と言われる。植物の種子では、発芽に適した条件下でも発芽しないことがある。このような現象が種子休眠である。発芽した芽が冬の寒さで枯死するのを防ぐために、本来春発芽する種子では環境の似た秋には発芽しない現象である。種子休眠には二つのタイプがある。一つは、種皮によって固く覆われているために、胚発生のために必要となる水や酸素の供給が行われず、結果として発芽できないタイプの休眠である。他は、内的な要因により胚発生が停止し、発芽に至らないタイプである。休眠が解除されない限り種子は発芽しないが、休眠打破の引き金となる要因は植物種によって光・温度・水など様々である。また、種子の休眠の維持には植物ホルモンのアブシシン酸が関係し、これにジベレリンが拮抗し休眠を打破して発芽を促進する働きがある。乾燥種子は環境の変化などに強く、長期間休眠状態を維持したまま発芽を待つことが可能である。例として、東大検見川総合運動場の落合遺跡で発見された種子から発芽した、2000年以上前のものと推定される「大賀ハス」がある。芽の休眠が打破されるには、長日になり気温が上がることだけでなく、多くの植物ではその前に、0℃から10℃の低温に芽が直接さらされる必要がある。十分な低温に合わなくて休眠が打破されなかった植物は、ほとんどが枯死するといわれている。一方で、長日条件だけで容易に休眠が打破される植物としてカバノキやカエデが知られている。桜は、夏頃に翌春咲く花芽を形成し休眠に入る。休眠した花芽は、1日の平均気温が3~9℃程度の日が2週間ほど続くことで「休眠打破」される。休眠打破の後、気温の上昇とともに成長し開花する。したがって、開花の時期が早いか遅くなるかは、休眠打破後の気温に影響される。植物の休眠と休眠打破の条件を巧みに利用して、本来と異なる時期に開花や結実をさせることが可能である。正月にウメ・桜・木瓜の花を咲かせたり、11月頃から温室で実を生らせるイチゴなどがその例である。今年は例年より寒気が強い上に、晴天の日が少ない。晴天なら、外気温が低くても部屋の中に差し込む陽光で日中は暖房が必要ないのだが、今年は暖房を切ることが出来ない。植物の冬芽と同じように、目下のところ年末以来炬燵で休眠中である。今までに十分な寒さに当たって休眠打破された筈なので、早く暖かくなって活動の時期が来て欲しいものだ。
2013年01月10日
大きく誇張された奇想天外な内容を持つほら話、あるいはそうした話で人を楽しませるほら吹きが活躍する話、またほら吹き同士がほら合戦をする話などは世界各国の民話に類例があり、日本には、落語に「鉄砲勇助」と言う話がある。内容はこうだ。木曽への旅に出たところ、女に男たちが悪さをしようとしているところに行き当たった。そこで牛ほどもある大きな岩をちぎって投げつけて追い払ってやった。これで一安心かと思っていたところへ、オスの大きな猪が向かってきたので、女を岩穴に逃がして自分は木の上に。すると今度は、猪が木に向かって突進して来たので、男は木から落ちて丁度猪の上に馬乗りに。猪の股間の急所を握りつぶしたところ、猪は岩にぶつかり裂けた腹から猪の仔が飛び出してきたと言う話だ。オス猪の腹から、仔が出てくるというでたらめの話である。さらに、鴨取りに連れられて行ってみると、鴨が田んぼに植わっている。夜中に鴨が田んぼで餌を食べているうちに氷が張って、氷ついてしまったという他愛も無い話だ。外国にも、『ほらふき男爵の冒険』と言うほら話がある。この本に出てくる主人公のミュンヒハウゼン男爵は、18世紀に実在したドイツの貴族である。本の内容の一つに、ベーコンを付けた一本の紐で鴨の群れを一網打尽にした男爵が、その鴨に掴まって大空を飛び帰宅する話がある。民間伝承ともいえるような笑い話の類だが、男爵がその豊富な経験からこの種の話の名人であったために、話に彼の名前が冠せられたものらしい。中国の漢詩にも、大げさなものが多い。李白の詩には、白髪三千丈と言う文言がある。ほら話とは、大げさな作り話のことで、「ほら」は法螺貝を指している。法螺貝は吹くと大きな音を出すことから、小さい話を大げさにして嘘をつくという意味で「法螺を吹く」「ほら吹き」という言い方がされるようになった。どこかの政党は、様々に与太話やウソで固めた選挙公約を発表し、国民はそれにまんまと騙されてしまった。未曾有の大震災があったとは言え、未熟な政党の3年半の政権運営で、すっかり疲弊してしまった日本の経済を立て直すには、どれだけの時間がかかることだろうか。法螺話が許されるのは、聞き手がほらとして受け取って、クスリと笑えるようなものでなくてはならない。ところで本物の法螺貝は、フジツガイ科の日本で採れる最大の巻貝である。サンゴを食害するオニヒトデの天敵で、これを食べるとされるが大発生したオニヒトデを退治するほどの効果は無いと思われる。この貝の身は、刺身で食用とされる。貝殻の尻尾を4-5センチ切り取って加工した吹奏楽器が日本、東南アジア、オセアニアの各地に見られる。戦国時代には、合戦の合図や戦意高揚のために用いられた。関東以北には、この貝は産しないため代用品として竹が用いられることもあり、これを「竹ぼら」と呼ぶ。音は法螺貝に似るが、重厚さにかける。修験道においては、立螺作法(りゅうらさほう)と呼ばれる奏法が修行される。立螺作法は、当山派・本山派などの修験道各派によって流儀があり、吹奏の音色は微妙に異なる。法螺貝の音には、おおまかに低音の乙と、高音の甲(カン)がある。その他調べ、半音、当り、揺り、止め(極高音)などの技法を用いた様々な音の出し方がある。山伏はこれらの技法を組み合わせて、悪魔払いや山中での修験者同士の意思疎通を図る法具として用いている。東大寺二月堂の「お水取り」では、堂内から鬼を追い払うために法螺貝が吹き鳴らされる。法螺貝は大いなる力・権力・威信の象徴とされ、インドの英雄達はみな白い法螺貝を持っていた。英雄が白い法螺貝を鳴らすとき、敵軍は恐怖に慄きそれは戦いの始まりを意味した。チベットには、インドから伝わったと考えられる平和と神聖の象徴を意味する、「トゥンカル」と言う宗教楽器がある。それは、「白い法螺貝」を意味する。我が家には、法螺貝が3つある。一つは骨董商から購入したもので、何時の時代のものかもどんな人が持っていたのかその由来は不明だが、歌口に「三つ葉葵の紋」が付いている。かなり大きな貝で、重厚な音がでるそのほかに娘から、パラオと沖縄からの土産として貰った幾分小ぶりの貝が二つである。このうちの一つを自分で加工したが、旨く音が出ずに京都福知山の専門店で調整して貰った。貝が小さい分、音が出やすく高い音がでる。プロフィールの写真は、昨年5月末に南アルプスの雨乞い岳(標高2037メートル、山梨百名山)に登山した際に、頂上で法螺貝を吹いた時のものである。人一人いない山頂で、無心になって吹く法螺貝の音がボーボーと南アルプスの山々に響き、心に染みわたるようであった。しかし、本を見ながらの独学の吹奏のため未だ甲音が出せない。 家内にはウルサイと言われ、今では人に本物の「法螺吹き」になったと言われている。
2013年01月09日
今年の1月は、曜日の配列の関係で7日が実質的な仕事初めになった人もいたと思われる。愈々、正月も7日で松飾りが取れ、今年1年また頑張ろうと決意を新たにしている人も多いことだろう。正月の松飾りは、6日の夕方か7日の朝に外すのが習わしだ。これを、都会では個人で処分する方法も無く清掃工場に依頼する他ない。門松・注連飾りを集めて、焚きあげる左義長と呼ばれる「火祭り」の行事がある。左義長とは、三毬杖とも書き全国的に行われた行事である。歳徳神を祭る慣わしのあった地域ではとんど、どんど、どんど焼き、とんど(歳徳)焼き、どんと焼きとも言われるが、これは出雲地方の風習が発祥と言われていて、歳の神を迎え宿った松の木を燃やして、再び送るための行事ともされる。お盆にも火を焚いて、先祖を迎えたり送ったりする習俗があるが、こちらは仏教と結びついたものである。起源には諸説あるが、平安時代の貴族の毬杖(ぎっちょう)と言う杖で毬を打つ正月遊びからとするのが有力である。この毬杖3本と青竹を束ねて立て、その上に扇子や短冊を載せて陰陽師が謡い囃しながら燃やしてその年の吉凶を占ったとされる。毬杖(ぎっちょう)3本を結ぶことから「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれ、これが民間に伝わり現在の形になったとされる。 信州天竜川沿いの伊那谷では、この行事は「ほんやり」と呼ばれる。地域によって、おんべとか三九郎とも言われることもあるが、テレビなどの影響か近年は「どんど焼き」と呼ばれることが多くなった。 小中学生の子供たちは、6日の朝から地区の集会所に集合し、年長者は午前中に中芯にするための直径30センチもある松の木の丸太を共有地の山から切り出し、実施する場所に建てる。女子や年少の子供は、番傘の紙を綺麗に剥ぎとって洗い、代わりに色紙を張り付け傘の骨の先には、紙風船など様々な飾り物を付ける。この飾り傘は、松の柱に結わえつけた5メートルを越える青竹の天辺に括りつけるのだ。 7日の早朝5時頃、泊まり込んだ集会所から出発し「ほーほ ほーほ ほんやりほーほ 餅持って飛んで来い」と歌いながら集落の各家を回って、松飾りを外して集めて歩く。これは、男子全員の役割だ。集めてきた飾り物を、松の柱に括りつけ終わり、一段と囃子言葉が大きくなった6時30分頃に火を点ける。囃し声と竹の燃える音で、三々五々と大人や就学前の幼児たちが集まってくる。バチバチ、パンパンと勢いよく燃える火に、持ち寄った書き初めを投げ込み、火の付いた紙が炎の勢いで高く揚がれば字が上達すると言われた。この火で餅を焼いて食べると、一年を無病息災で過ごすことができるとされる。竹の先を二つに割って、燃えさしの熾き火を挿んで家に持ち帰り窯の種火にし、この火で七草粥を炊く。 昔は、15歳から7歳位の小中学生が地区に30人以上もいて様々な行事が続けられてきたのだが、地方は今や少子化の影響で60年前の10分の1にも満たない子供の数になってしまい、様々な懐かしい行事は途切れてしまったところが多い。このほんやりも、森林保護とかで松飾り自体を止める家や、ダイオキシンの発生説があったり、実施場所が無くなったこともあって行われる地域は限られ、実施の主体は大人になってしまった。 7歳も年上の人に混じって集会所に何日も泊まり込むことで、決して親兄弟は教えてくれない様々な事柄を教えられた。こんな習わしが、昔の若衆宿の様な役割をしていたように思う。自分の子供時代は、今のように電子ゲーム機の遊び道具は無かったが、非常に有意義な時代を過ごせたと思っている。世の中には、長幼に序が有ることも自然に学べた。孤独に遊ぶ現代の子供たちには、そんな機会も無くなってしまった。ほんやりも、何れは保存会などが行うだけの行事になってしまうのだろう。
2013年01月08日
君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ 光孝天皇(15番) 『古今集』春・21今日は、人日の節句にあたる。この日には、昔から七草粥を食べる風習がある。日本には、古くから「子の日の遊び」と言って若菜摘みの風習があった。正月最初の子の日に、野原で若菜を摘む行事のことである。枕草子125段にも、「七日の若菜を人の六日にもて騒ぎ……」とある。平安時代に、中国の年中行事である「人日」に作られる七種菜羹(7種類の菜が入った熱い吸い物)の影響を受けて、7種類の穀物で使った塩味の「七種粥」が食べられようになったと言われている。その後、「七種粥」は「若菜摘み」と結びつき、7種類の若菜を入れた「七草粥」に変化した。江戸時代に、幕府が公式行事として「人日」を祝日にしたことで、「七草粥」を食べる風習が庶民の間に定着していった。草を入れた七草粥は正月7日の粥になり、穀物の米・粟・黍・稗・みの(イネ科で燕麦に似て食べられる穀類)・胡麻・小豆を入れた七種粥は小正月15日に食べる粥に変化した。春の七草は、「セリ・ナズナ・オギョウ・ハコベ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ」の7種類の野菜と野草のことを言う。この七種の草は、囃子言葉を唄いながら刻む。信州伊那谷の実家の祖母は、台所のまな板の前に孫たちを座らせて、包丁2本を使用して「七草なずな、唐土の鳥が、日本の国に、渡らぬ先に、合わせてバタバタ」と唱えながら何回も叩いて刻んでいた。この呪詞(まじないことば)には、地域によって様々な言い方があるが何れも「唐土の鳥が」の文言は変わらない。ここで言う「唐土」は中国の事で、鳥は伝説の「鬼車鳥」を指す。南宋時代の書『斉東野語』によると、鬼車は10個の頭のうちの一つを犬に噛み切られ、人家に血を滴らせて害をなすという。そのために鬼車の鳴き声を聞いた者は家の灯りを消し、犬を吠えさせることで追い払ったという。また、この鬼車の羽毛が人家に落ちれば、外部から不吉を運ぶと考えられていた。この鳥が、中国から渡ってくるのが丁度七草の頃なのだという。最後の、「バタバタ」、「トントントン」、「バタクサバタクサ」などの囃子言葉は明らかに鳥追いの掛け声であろう。七草粥は、邪気を払い万病を除くものという呪い(まじない)のほか、お節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能があるそうだ。近年は、渡り鳥が新たなウイルス感染症を運んでくることでパニックになることもある。古の人も、渡り鳥が悪い病を運んでくることを経験上知っていたのかも知れない。 本来、昨夜七草の準備をしておき今朝粥にして食べるのが正式なのだが、今朝は弁当のための白飯を炊いたので、あり合わせの野菜を入れた変則七草粥は夜に持ち越しである。
2013年01月07日
♪名前を知らない花だから… 植物のうち、草本は種類によって生活環が一年・二年で終えるものと、多年にわたって生き続けるものがある。その植物の生活環を知って栽培しないと、折角の栽培をフイにしてしまうことにもなる。植物の生活史のことを、生活環といっている。種子から発芽して一年以内に成長・開花・結実して、種子を残して枯死する植物を一年生草本といい、一年草・一年生作物・一年生ともいう。アサガオ・カボチャ・トマト・トウモロコシ・ヒマワリ、キンセンカ、センニチコウ、ニゲラ、ネモフィラ、ロベリア、ヤグルマギクなど多くの植物がある。1年目に茎や葉、根などの栄養器官を形成しそのまま休眠して越冬し、2年目の春または夏に開花し種子を作って枯れ、生活環を終えるものを二年草植物と言う。一年草や多年草に比較して非常に少ない。二年生植物の多くは、1年目は茎が短く葉はロゼット状で越冬する。2年目に茎が伸長し、薹が立つ。二年生植物の開花には、春化と言って通常低温期間を経験することが必要である。パセリ・テンサイ・フダンソウ・アメリカナデシコ・ジギタリスなどがそれにあたる。厳しい気候条件下では、二年生植物の生活環は3-4ヶ月で終わることもある。そのため地域によっては、二年生植物が一年生植物の生活環と同じように生育していることもある。二年生植物から、種子あるいは果実を収穫したい場合は二年間生育させなくてはならないが、葉や根を収穫する目的の栽培では一年間だけ生育させて開花する前に収穫する。テンサイ・キャベツ・レタス・パセリ・ニンジンなどがその例である。生育条件が悪いと、本来二年生である植物が越冬しないで1年で生活環を終える場合がある。逆に生育環境が良かった場合には、本来一年生の植物が、二年草あるいは多年草のような生活環をとることもある。植物の本来の性質として一年生植物である場合と、本来は原産地では多年生植物であるが生育地の気候条件によって一年生植物になる場合がある。後者は、「園芸上は一年生植物」などと表示されていることがある。秋に発芽して越冬し、翌年に開花・結実して枯れる植物を、冬を越すことから二年生植物と間違える人がいる。しかしこれは、冬型一年草又は越年草といわれ、二年生植物とは言わない。例としてアブラナ・ヒメジオン・ハハコグサ・カンパニュラ、ジギタリス、スカビオサ、ツルムラサキなどがある。日本では越冬が困難なものに、トウガラシ・イネ・コリュース・ニチニチソウがある。また暑さに弱く越夏出来ない植物としては、ヒナギク・パンジーなどがある。生育・開花・結実の後も枯死せず、このサイクルを多年にわたり繰り返す草本類のことを多年草言う。冬の寒さなどで一時期地上部が枯れるものもあるが、地下の根は生きており、条件が整えばまた芽を出して生育する。アキレア、オダマキ、キキョウ、ゲラニウム、ゼラニウム、ブライダルベール、ミヤコワスレ、ヤブランなどがその例である。 一昨年、懇意にしている葡萄園の倉庫の壁の前に、長径3センチほどの透き通った薄い莢を鈴生りに付けた名称不詳の植物を見つけた。莢の中の丸い種子が透けて見えてなんとも趣があり、ドライフラワーに最適なのだ。10個ほど莢を貰ってきて、昨年の春プランターで苗を作り、6月に路地に移植した。ところが、夏が来ても秋が来ても一向に茎を伸ばさず、とうとう開花せずに年を越してしまった。今朝確認すると、かなり育っていて今年こそは開花してくれるのではと期待している。多分、越年草だったのだろう。それにしても、昨夏の暑さと今冬の寒さにめげず現在も健気に頑張っている。知人の「白州の爺や」さんにも苗を差し上げたのだが、船頭小唄ではないが「花の咲かない苗」で、差し上げた際の説明不足を申し訳なく思っている。
2013年01月06日
一月カレンダー正月三が日とは、元日1月1日・1月2日・1月3日の3日間を言う。単に三が日とも呼ばれる。元旦は、年・月・日の3つの元(はじめ)であることから元三日と言われており、これが後に正月3日間の意味に使われるようになったとする説がある。三が日が終わると、4日から仕事初めだ。今年は、4日一日勤務してまた連休になる。年々日日の立つのが早く感じられるが今年も、早くもカレンダーの一段目が終わる。年金生活を送るようになってから、正月気分に浸ることはもともと無くなっていたのだが、正月に孫たちが大挙して押し寄せ大騒ぎをして引き上げて、今日からはまた年寄り二人の静かな普段の生活に戻った。普段は何気なく見ているカレンダーの数字だが、一般に黒で表示された日にちは平日と言われる日である。平日には、官公庁は特別のことが無い限り執務を行う。ところが、年末年始の6日間は国民の祝日の元日を除いて、平日表示にも関わらず執務を行わない。官公庁が年末年始の6日間を休日扱いにしているのは、官吏について年末年始6日間を休暇日に定めた太政官布告が起源となっている。明治2年、明治維新政府に最高官庁としての太政官が設置された。この太政官制度は、明治18年に内閣制度が発足するまで続いた。その太政官から、明治六年一月七日太政官布告第二号が公布され、官吏の休暇日が定められた。その中で、12月29日から1月3日までを休日に定めたのが始まりである。その習慣が、連綿として現在まで続いているのだ。現在は、官公庁の職員が勤務を要しない日については、法律・条例・規則で日曜日及び土曜日、国民の祝日に関する法律に規定する休日、及び年末年始の1月1日から3日と12月29日から31日と定められており、サービス業を除く多くの民間企業もこれに倣って休みにしている。国民の祝日は年間15日で、その意義がそれぞれ次のようにうたわれている。元日は1月1日で、年の初めを祝う。成人の日は1月の第2月曜日で、おとなに成ったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます。建国記念の日は政令で定める日で、今年は11日。建国をしのび、国を愛する心を養う。春分の日は春分日で今年は20日。自然をたたえ、生物をいつくしむ。昭和の日は4月29日で、激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。憲法記念日は5月3日で、日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する。みどりの日は5月4日で、自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。子供の日は5月5日で、こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。海の日は7月の第3月曜日で、海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う。敬老の日は9月の第3月曜日で、多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。秋分の日は秋分日で、祖先をうやまい、無くなった人々をしのぶ。体育の日は10月の第2月曜日で、スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう。文化の日は11月3日で、自由と平和を愛し、文化をすすめる。勤労感謝の日11月23日勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう。天皇誕生日12月23日天皇の誕生日を祝う。 万年休日の現在の身にとっては、休日・祝日は相手との関係だけになってしまった。休日が連続して「ゴールデンウイーク」と言われる連休になっても、かえって交通渋滞などあり、あまり嬉しくも無くなってしまった。
2013年01月05日
正月2日を「すり初め」という。2日には「こと始め」といって、「・・・(なになに)初(ぞ)め」と呼ばれるものが多い。この日は「すり初め」をはじめとして、「焚き初め」・「売り初め」・「書き初め」・「作り初め」・「伐り初め」・「掃き初め」など、以前はデパートをはじめとしてどこの商店も初売りの日であった。正月2日にとろろ飯を食べる風習は、広く行われているようである。炊き初めで白飯を炊き、すり初めで「とろろ芋」をすって、ご飯にかけて食べる。とろろ芋をする事で、その年の幸福を家の中にすり込むとも、長く伸びるところから長生き祈願の意味があるとも言われている。地域によっては2日でなく、3日にとろろご飯またはとろろ汁を食べる風習があり、それを「3日とろろ」と呼ぶ。とろろ汁を正月に食べるのは、主に東北地方に伝わった習慣だと言われているが、北関東・信州・濃尾地方でも多く行われているようだ。我が家では毎年2日に、すり下ろした山芋に、鰹節・昆布・煮干しで取った醤油だし汁を加えて、とろろ汁にしてご飯にかけて食べる。一般に山芋と呼ばれる芋には、沢山の種類がある。ナガイモ群…円柱状の芋を持つ。芋の粘り気は少なく、きめが粗い。ツクネイモ群…芋は丸みを帯びる。粘り、きめの細かさが最も強い。イチョウイモ群…いわゆる大和芋。芋は扁形で、下に広がる(イチョウ形)。ヤマトイモという呼び名もあるが地域によって意味が異なり、多くはツクネイモまたはイチョウイモのことをを指して言う。ツクネイモは、山芋より粘りが強いが手が痒くなることもあって、我が家では専ら長芋を食べている。山芋に含まれるデンプンは非加熱状態でアルファ化しているため生食可能で、すりおろしてとろろにする調理法が主な食べ方である。ヤマイモには多くの薬理作用があって、皮を剥いて乾燥させたものは山薬(さんやく)と言って滋養強壮、止瀉、止渇作用があり八味地黄丸、六味丸の漢方薬に配合されて使われている。芥川龍之介が、1916年25歳の時に発表した小説「芋粥」の物語は、仁和の始めのころ正月2日から始まる。いつもいじめの対象にされている、風采の上がらない某(なにがし)という五位の哀れな物語だ。「芋粥を飽きるほど食べたい」と口を滑らせたために、切り口10センチ、長さ1.5メートルもの大きさの山芋2~3千本で作った芋粥を食べさせられる話だ。見渡す限りの芋汁を目の前にして、すっかり食欲が失せてしまい「ずっと芋粥を食べたい」との欲望のあった頃を、しみじみと幸せだったと思い返すのだ。山芋とろろは、多少食べ過ぎても翌日まで影響の出るようなことは殆ど無く、良く消化・吸収される。我が家では、幸福と長生きを祈願しながら、2日に「すり初め」の正月行事が無事に終わった。※アマズラ文献によりまちまちで、ウリ科・クワ科・ブドウ科・アマチャヅル科の植物とも。これの樹液を採集し、煮詰めて甘味料にしたと言う。ここで言う「芋粥」は、薄く切った山芋と薩摩芋に、アマズラを加えて煮た粥状のものなので、今のとろろ汁とは全く異なった食べ物のことである。
2013年01月04日
平成の時代になってから、遊びの文化の多くが消えて行った。唱歌「お正月」で歌われた凧揚げ、こま回し、まりつき、追い羽根は何れも正月の風景から消えてしまった。現在の子供の遊びの中心は、電子ゲーム機を使った家の中での一人で行う遊びになってしまった。街の駄菓子屋や文房具店では、年中凧・こま・まり・羽子板が売られていたものだが、現在では扱っている店も無く、探して歩かないと中々購入することが難しい世の中となってしまった。1970年代に、伝統の和凧に代わって洋凧の「カイト」が流行し、空き地や河川敷などの空き地で盛んに行われ、感電事故防止のコマーシャルがテレビから流されていたほどだ。凧揚げは、かつては冬の風物詩でもあったのだが、少子化や空き地の減少などで現在では競技や祭りの場以外で目にすることは殆ど無くなった。昭和末より、次第にコマ遊びはすたれ始めた。コマ回しが消えて行った理由も凧揚げと同じように子供が外で遊ばなくなり、また、戸外でコマを回す環境がなくなったことも原因と思われる。駄菓子屋でコマが山をなした風景は現在では見ることができない。主に女子が行う羽根突きの遊び方には、追羽根と揚羽根の2種類がある。追い羽根は、2人が向かい合って羽子板で羽根を打ち合う、現代のバトミントンのようなものだ。打ちそこなった場合には罰として顔に墨を付けたりした。揚げ羽根は、1人で羽子板を用いて羽根を打ち上げその回数を競い合うものを言う。羽根突きの羽子板から変化したものに、「江戸押絵羽子板」がある。この羽子板は重くて、追い羽根用には使用できない飾り物の羽子板である。非常に高価で、1万円程度のものから30万円もするものまである。江戸末期頃、羽子板に歌舞伎役者を貼りつけたことから女性に人気を集め、徐々に羽子板の市が増え「羽子板市」として定着した。明治以降は羽子板の技術も発展し、「江戸押絵羽子板」として昭和60年に東京都の伝統工芸品に指定された。追い羽根が害虫を食べるトンボに似ているので虫が付かないとか、追い羽根の頭に使うムクロジが豆に似ていて「魔滅」に通じるとして、江戸後期の頃より女子の誕生した家に羽子板を贈る風習が出来これが現在も続いて、縁起物として飾られる。正月用の市から発展したこの羽子板を売るための市が浅草にあり、東京を代表する冬の風物詩として「浅草寺の羽子板市」として定着している。 我が家の孫たちも、凧揚げや羽根突きはやったことが無いし恐らく興味も無いことだろう。「お正月」の歌は残っても、やがて謳われている詩の内容の理解が出来なくなってしまうに違いない。遊び文化の歴史の証として、これらの品々を正月飾りにだけでも残して行きたいものだと思っている。 もういくつねるとお正月お正月には 凧あげてこまをまわして 遊びましょうはやくこいこいお正月もういくつねるとお正月お正月には まりついておいばねついて 遊びましょうはやくこいこいお正月 作詞 東くめ(1877-1969)、作曲 滝廉太郎(1879-1903)
2013年01月03日
我が家のお節 新年明けましておめでとうございます。 生を受けて以来、72年間に蓄えた僅かばかりの知識を残したいと思い立ち、書きとめた文をブログにアップすることにしました。 昨年10月12日から、82回のアップに対して2047回のアクセスがあり多くの方に読んで頂きました。ブログに訪問して頂いた多くの方から、共感と励ましの言葉も頂きました。今年も、可能な限り続けたいと思いますのでよろしくお願い致します。 今年の年明けは、朝焼けの雲間からの初日の出となりました。明るく照らす初日の出が象徴するような、経済回復であって欲しいと切に願うところです。
2013年01月01日
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