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パイナップルはパインアップルともいわれ、熱帯アメリカが原産の多年草である。単にパインと呼ばれることもあり、日本では鳳梨と呼ばれた。パイナップルとは「松毬」のことで、この形に似ていることから18世紀ごろにこの植物の名前とされたという。昔は生のパインの流通は少なく、多くは缶詰であった。パインを輪切りにした砂糖漬けパインを食べ慣れた者には生パインは、皮を剥くことが面倒な上何とも酸っぱくて食べにくい果物であった。パイナップルの上の葉は王冠のような形にも見えることから、冠芽(かんが)といいその下から、小さな芽が二つ出る。これは吸芽(きゅうが)と嬰芽(えいが)と呼ばれる。殖やす場合は、吸芽を用いる。苗を植えて12~18カ月で開花し、結実後約6カ月で結実する。農園ではクローンである同一品種ばかりを植えるので、パインの自家不和合性によってほとんど果実に種子はできない。皮と果肉の境界部分に、偶に褐色の胡麻粒のような種子を見ることがある。これは近隣の他品種の花粉が、昆虫によって運ばれるなどして偶々授精したものである。日本では、1830年に小笠原諸島・父島に初めて植えられたという。現在流通のパイナップルには芳香があって、多汁でさわやかな酸味と甘味がある。この果汁中に含まれるタンパク質分解酵素ブロメラインは、肉類の消化を助ける。一方ではゼラチン(タンパク質の一種)を分解してしまうため、生のパイナップルを入れたゼラチンゼリーを作ることができない。未熟な果実には多量の酸やシュウ酸カルシウムの針状結晶を含むため、食べ過ぎると口内が荒れたりタンパク質が分解されることにより出血まで起こすことがある。近年人気の出ているパインに、パイナップルの皮ごと手でちぎって食べられることから、別名「スナックパイン」と呼ばれる沖縄県産のボゴールパインがある。台湾が原産地と言われ、日本では5年ほど前から沖縄で広く栽培されるようになったが、天候の影響を受け易い上収穫期間が短く1か月ほどで普通のパインに比較して高価である。従来のものに比べ酸味が少なく甘味が強いので人気があり、柔らかいので芯も食べることができる。葉には鋸のようにキザギザと小さな蕀のあるのが特長で、毟る際は気を付けないと怪我をすることがある。保存は冷蔵庫で横または葉の部分を下にして保存することで、全体に甘さが廻るといわれる。3年前に、米軍基地移設問題で揺れている名護の売店で買って食べてからスナックパインの味を忘れられず、沖縄を訪問する機会があった今回も手に入れようと国際通りから牧志公設市場辺りを探して歩いた。国際通りと牧志の青果店で一軒ずつ売っているのを見つけたが、どちらの店舗も前回購入値段の倍以上高く一玉が1500円であった。高価な理由として、露地栽培物の収穫時期でないことを上げていた。旬のものに比べて甘みが落ちると説明を受けたのだが、どうしても食べたくて購入し持ち帰って自宅で一週間追熟させて試食した。予想はしていたが、前回食べたものとは比較にならないほどの味でがっかりしてしまった。果実は矢張り旬を食べるべきだと改めて知ったところである。重くて高い授業料になったが、次回は産地から旬のものを取り寄せて味わってみたい。
2014年01月31日

金星は英語でVenusヴィーナスと呼ばれ、水星に次いで太陽に近い方から2番目の惑星であり公転軌道が地球から一番近い惑星である。地球型惑星で、最も地球に似た惑星であるためしばしば「地球の姉妹惑星」と表現されることがある。太陽系の惑星の中では、最も円に近い公転軌道で廻っている。金星は別名で明星と呼ばれ地球からは太陽・月に次いで明るく見え、明け方東の空に見えるのを「明けの明星」、夕方西の空に見えるのを「宵の明星」という。どちらも一つの星で、金星のことである。金星は自転軸がほぼ倒立しており唯一他の惑星と逆方向に自転しているので、他の惑星では太陽が東から昇り西に沈むが、金星では逆に西から昇って東に沈むことになる。金星がなぜ逆に自転しているのかについては、大きな星との衝突の結果ではないかとの説がある。地球から見て金星が太陽とほぼ同じ位置にある状態を合と言うが、地球・太陽・金星を外合、地球・金星・太陽と並んだ場合は内合といっている。地球と金星が会う周期は約1年7か月であり、内合から外合までの約9か月半は日の出より早く金星が東の空に昇るため「明けの明星」となる。明けの明星の見かけ上の明るさが最も明るくなるのは内合から約5週間後で、明るくなりかけた空に明るく輝いて見える。外合を過ぎると日没より遅く金星が西の空に沈むため「宵の明星」となり、やがて内合に戻る。清少納言は枕草子第254段で、「星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。」と書いている。平安時代には宵の明星を「夕づつ」と呼んでおり、よばひ星とは流星のことである。ロシア語で金星をベネラと言い、ロシアの金星探査計画のロケットの名前に使われている。1975年6月8日打ち上げられたベネラ9号では、着陸カプセルを切り離した後母船は金星周回軌道へ投入され、カプセルは10月22日に初めて金星の地表を撮影することに成功した。金星と水星は地球より内側の軌道を回っているので、地球から太陽の正反対になる真夜中の空には現れない。明け方太陽より早く東の空に昇るか、あるいは日没後西の空に残って輝くのを見ることができる。星の中でも最も明るく輝き、美の女神ビーナスの名前がついている。金星が地球から見て太陽の西側にある時は、太陽より先に現れるので明けの明星となり、太陽の東にある時は太陽より現れるのが遅れるため宵の明星になる。金星と地球の会合周期は584日でその5倍は、地球の公転周期の約8倍にあたるため理論上8年ごとにほとんど同じ状況で金星が見られることになり、その8年の間に、明けの明星と宵の明星は5回ずつ見られることになる。29日の早朝は明け方の空に移った金星に、夜明け前の南東の空で月齢27の細い三日月が接近した。幸い昨日の空には雲一つ無く空気が澄んでいて、星を見るには絶好の条件であった。薄暗い6時前から低い東の空に輝きながら並んで浮かぶ、2つの天体ショウを、じっくり眺めることができた。やがて朝の光が増すとともに、月も金星も碧空の中に溶け込んでいった。次回月との共演は、2月26日という。次はどんな天体ドラマを見せてくれるだろうか、楽しみである。夕星(ゆふづつ)も 通ふ天道(あまじ)を いつまでか 仰ぎて待たむ 月人壮人(おとこ) 万葉集巻10-2010
2014年01月30日

この木の葉がマテ貝に似ているところから、その名前を取って馬刀葉椎=マテバシイの名前になったとする説が多い。貝のマテは真手(両手のこと)で、殻の両側から足と水管を出しているのが左右の手(両手)のように見えるから、あるいは斬馬刀(マータオ)に似ているからとか、マタガイの白い殻の内部が人の肌を思わせ殻を左右に開いた姿が股に似ていることから、マタがマテに転化したなどの諸説がある。私には、この貝がマテバシイの葉に似ているようには少しも見えない。むしろ同じマテの名前が付く、イェルバ・マテの葉に酷似しているように見える。1970年代に「ミスターChin」の綽名を持つ元プロレスラーがマテ茶を売り出して失敗、それから40年近くも経った2012年に日本コカ・コーラによってマテ茶が販売されたことにより、一般にも知られるようになった。イェルバ・マテはイグアスの滝辺りが原産のモチノキ科の常緑喬木で、この植物の葉や小枝がマテ茶の原料とされる。これには僅かにカフェインと植物アルカロイドのマテインを含んでいる。マテバシイは本州・四国・九州・沖縄に自生もしているが、全て人工植栽によるものとされる。マテバシイのドングリの実は渋みの元のタンニンの含有が少なく、楢や椚と異なり煎ってそのまま食べられるので救荒食として各地に植栽されたとも言われる。葉が厚く、防風・防火の目的で植栽されたほか、薪炭用として植えられたものから丘陵地へ逸出し形成した林叢もある。今は海苔栽培には網を用いるが、以前は海苔の養殖にマテバシイの枝を使用していた。ドングリのなる木としても親しまれているが、大きく成長しすぎ日陰になるため庭にはあまり植えられない。現在は、街路樹・公園・団地・工場の植え込みとして植えられたものをよく目にする。5月の終わり頃から6月にかけ、穂状の花序を形成する。雌花の花序は纏まった1つの花軸に着き、ドングリも塊になって形成される。日本のブナ科植物は春から初夏に開花するものがほとんどであり、この種のように秋に花をつける例は他になく、前年の秋の実と今年の花が同居する面白い性質がある。材が硬く木目が美しいため、机などの家具材としても利用されている。千葉県では昭和62年頃から楢や椚のように椎茸栽培の原木として、またその鋸屑は菌床茸培の培地として利用可能な技術を確立している。 花言葉 勇気 力 長寿
2014年01月29日

全く梅と関係ないのに、梅の名前が付く植物がある。例えば黄梅や黄梅モドキ(ウンナンソケイ)、蝋梅などである。花の形が似ているためとか言われるが、何れも花色は黄色で花の形も梅の花とそれほどの相似性は無く、むしろ早春に梅と一緒に咲くところからついた名前と解釈した方がすんなりする。ロウバイは蝋梅と書き表されるロウバイ科の落葉低木で、12月から2月にかけて黄色の強い芳香のある花を咲かせる。名前に梅がついているが、バラ科の植物とは関係が無く別属である。唐の国から来たこともあり唐梅とも呼ばれ、中国名が蝋梅であったことが名称の由来とする説がある。一方本草綱目では花弁が蝋のような色であり、さらに臘月(旧暦12月)に咲くからこの名が付けられたともされる。中国原産で、17世紀頃に渡来したとされている。ロウバイには、素心蝋梅・満月蝋梅・唐蝋梅などの品種がある。何れも土壌を選ばず、半日陰でも良く育ち開花する丈夫な花木である。ほとんどの種は挿し木で増やすことが可能だが、実生で殖やすことも容易である。花の後できる実は壺型のユニークな形をしていて中に複数の種子を持ち、晩秋に焦げ茶色のサク果を作る。これを割って、小豆くらいの大きさのタネを取り出したら鉢に直ぐ播く。薄く覆土して、寒さに遭わせることで良く発芽するようになる。初冬に播いた種は、春分を過ぎるころになると芽を出す。この種子には有毒アルカロイドのカリカンチンを含んでいて、哺乳動物が摂取するとストリキニーネ中毒に似た症状を示す。花や蕾から抽出した蝋梅油は、生薬として使用される。開花前の花蕾を採集し陰干ししたものは蝋梅花と呼ばれ、これをゴマ油に漬け火傷の手当などに使う。子宮に対して興奮作用があり、解熱、鎮咳、鎮静薬としても利用される。開花時期は一般には12月~翌年2月頃だが、山荘のある北杜市では3月下旬にならないと開花しない。蝋梅は内側が少し赤っぽい色をしているのが基本種だが、良く目にするのは素心蝋梅で花の外側だけでなく内側も黄色いのが特徴である。 蝋梅や 雪うち透かす 枝のたけ 竜之介 1月27日の誕生花とされている。 花言葉 先導 先見
2014年01月28日

フキノトウ フクジュソウ福寿草はキンポウゲ科の植物の多くは有毒植物である。旧暦で今年の元日は1月31日で、このころになると元日草・朔日草ともいわれる福寿草が丁度芽を出す。我が家の庭の枯れ落ち葉の下に、今年も福寿草が2cmほどの芽を出した。この福寿草は可憐な花姿に似ず、全草に強心配糖体のシマリンや水溶性のアドニトキシンなどを含んでいて知る人ぞ知る毒草である。北海道から九州までの草地や林内に自生し、厳寒の中花開く目出度い花として栽培される多年草である。草丈は30cmほどになり、根茎は短く肥厚する。花期は2月から4月で、目の覚めるような大型の黄色の花を咲かせる。受粉の後の果実は、同じ毒草のキツネノボタンの果実と似ていて丸く金平糖状の突起を多数有した形状をしている。猛毒だが根茎を日干しにしたものは、生薬の福寿草根といって強心利尿剤に利用される。福寿草根に含有されるシマリンは強心利尿作用があるジギタリス配糖体と類似作用があり、心臓の拍動を強めるとともに緩徐にし血圧を僅かに上昇させる。毒性が極めて強く用量によっては心臓麻痺を起こして死亡する危険が大きいため、医師以外の素人が使用してはならない。致死量は約0.7mg/kgといわれ、40mgほどの量で人が死亡する。福寿草には心臓に作用する強心配糖体アドニトキシンの他、20種以上もの物質が知られている。そのうちアドニトキシンの含有量は、25%程度とされる。徳島県で長年心臓病と糖尿病を患っていた76歳の女性が、福寿草の根を煎じて飲めば心臓病に効くと聞き根を煎じて飲んだところ、嘔吐と激痛に襲われ発症から5時間後に心室性不整脈で死亡した。テレビ信州の7年前の3月の番組「情報ワイドゆうがたGet!」で、蕎麦屋で揚げて貰った福寿草の花の天婦羅を紹介し女性リポーター食べたことがあった。量が少なかったのか、リポーターの命には別条が無かったのだが、テレビは検証しないで時々とんでもないガセネタを流すことがあり特に健康番組では内容を鵜呑みにするのではなく批判的に見ることも必要である。福寿草の芽はそれと知らない人が見ると蕗の薹に似ていないこともなく、時々庭の福寿草の芽を蕗の薹と間違えて採取して食べてしまう事故が発生している。我が家でも、狭い庭に蕗と福寿草が植えられている。福寿草の繁殖は緩徐なのに比して、蕗は地下茎を八方に延ばして増える。元々はこの2種の植物はかなり離して植えられていたのだが、蕗の勢いが強く今では庭を席巻して福寿草を取り込んでしまった。私は両者を間違えるようなことは決してないが、家内や子供・孫たちは両者の区別がつかないと思われ事故が起きる前に福寿草を鉢上げして管理しなければと思っている。誕生日の花としては、1月1日・3日・16日・23日など出典によってマチマチである。 花言葉 幸福 幸せを招く 永久の幸福 回想など
2014年01月27日

ユズは漢字で「柚子」または「柚」と表わされ、中国でユズの木は「柚(ユウ)」、果実を「柚(ユ)の実(ズ)」と呼ぶことから「柚子」に転化したものという。他の説としてゆずは古来食酢として利用されてきたので「柚酢」といわれ、それが「柚子」に変化したともいう。韓国語で茶は、日本語と同じ「チャ」と発音する。柚子の皮を砂糖、蜂蜜と煮込んだものを茶碗に取って、湯を注いで飲む習慣がありこれを「ユジャチャ」という。完成したときに果実の原型が比較的保たれているものをプレザーブといい、このうちオレンジや夏ミカンなどの柑橘類を原料とし果皮が含まれているものは特にマーマレードという。ユジャチャはこのマーマレードと同じ形態をしていて、日本で「柚子ジャム」と言われるものとほぼ同じである。40年も前に家内のリクエストで庭の隅に植えた花柚子が、今では直径15cmを超えるほどの木に育ち毎年沢山の実を着ける。本柚子に比べて香りは劣るが、結構代用品として使うことができる。柚子も花柚子も5月~6月に白色の柑橘独特の芳香のある白い花を咲かせ、夏頃から果実が大きく膨らみ始める。青ユズの旬は9月~10月、黄色く色づいた黄ユズは11月~1月が旬である。特に風呂に入れたり・正月料理の柚子釜にしたり、湯豆腐などの香り付けとして料理に添えるため12月~1月にかけての利用が多い。親戚や知り合いに配り、自家用に使った残りの柚子が枝葉の間に見えるので、久しぶりに気温が上がった昨日毎年恒例となったジャム作りを行った。白秋が「からたちのとげはいたいよ。青い青い針のとげだよ。」と詠んだカラタチ(枳殻、枸橘)に似て、大きな棘を持っているので採取には注意が必要である。ジャムにする場合は、鋏を使わずに毟り取った方が後の処理が簡単である。花柚子と砂糖のみで、他の果実のようにペクチンやレモンの添加を必要としない。果実を横半分に切ってからレモン搾りで果汁を絞り、果肉の袋をスプーンで掻き出す。果肉は酸が強くアルミ鍋を腐食するのでステンレスかホウロウ鍋を使い、取り分けた果肉の袋と種をヒタヒタの水で20分ほど煮出してから濾す。果汁に砂糖と濾し汁を加えトロミが付くまで弱火で煮詰めて、熱いうちに保存瓶に入れて30分湯煎殺菌すれば完成である。今年は大小の瓶併せて、24本ものジャムが完成した。誕生花としての柚子は誰が定めたのか出典によりまちまちで、12月21日・22日・23日・31日などがあるが何れも12月であることが面白い。 花言葉 健康美 恋のため息
2014年01月26日

本部半島の最高峰の八重岳453m頂上付近の道路脇に、関東ではお目にかかることが無い仏炎苞の筒部が緑色の武蔵鐙の群落を見つけた。武蔵鐙(ムサシアブミ)はサトイモ科のテンナンショウのことで、昔武蔵国(東京都・埼玉県・川崎市・横浜市)辺りで作られていた鐙に似ていることからムサシアブミと名前が付いたという。サトイモ科テンナンショウ属は、80cmもの高さに育つ多年草で葉は2個つきそれぞれに菱状卵形をした葉柄30cmほどの3小葉がある。サトイモ科でテンナンショウ属に分類されるものは、日本にはムサシアブミの他25種類以上もある。テンナンショウの仲間は識別が難しいが、ムサシアブミは3枚の光沢のある葉と先端が巻き込む仏炎苞が特徴で、ウラシマソウは仏炎苞の先が長く糸状に伸びており、またマムシグサのグループには鳥足状複葉と茎斑模様があることで区別できる。テンナンショウは3出複葉(1枚の葉が3つの小さな葉に分かれた形)で、小葉の形は幅の広い卵形である。小葉の縁にぎざぎざ(鋸歯)はなく、先は鋭く尖る。葉が伸びきる前に葉柄の間から仏炎苞を出し、やがて10cmほどの花柄を伸ばす。緑色の筒部は7cmほどで、辺部は縮れて開出し両側を袋状に巻き込んでいる。関東以西から沖縄にかけて自生し、本州では花期が4~5月だが沖縄では12月から花を出し始める。関東ではあまり見かけないが、沖縄では路辺にも普通に見られる。仏炎苞の先端が内側に巻き込むという変わった花のため、一度見たら忘れることはないが花が葉と同色でその葉の下に隠れるように咲くため、異形をした花の割には野草に興味を持たない人には気づかれないことが多い。沖縄に自生するものは巻き込んだ先端が垂れ下がり、あまり垂れない本州の同種の花とは異なっている。根茎にはシュウ酸カルシウムやサポニン類似成分などの有毒成分の他、澱粉を多く含んでいる。テンナンショウをそのまま食べると有毒成分によって胃腸障害を起こすが、蒸したり蒸し焼きにして除毒処理した上で団子にして食べることが可能になる。ムサシアブミ・テンナンショウ・マムシグサ・ユキモチソウ・ウラシマソウなどの根茎を乾燥したものは、天南星(てんなんしょう)と呼んで生薬とされる。天南星は肺・肝・脾に作用し、去痰・消炎の効果がある。また痰を伴う咳・目眩・痺れなどに利用される。生の根茎を擂り潰した汁あるいは乾かして粉末にしたものは、解毒・腫れものに効果があるとされ化膿症や毒蛇の咬傷にも有効だそうである。 花言葉 威厳
2014年01月25日

アカシア(Acacia)は、マメ科アカシア属の総称でアカシャまたはアケイシャともいわれる。日本でニセアカシア(針槐=ハリエンジュ)のことを、アカシアまたはアカシヤと呼ぶことが多いのは、明治時代に輸入されたニセアカシアをアカシアと称していたことから現在も二つを混同しているのである。アカシア属には500以上もの種類があり、ほとんどは常緑性の高木となり多くは棘を持っている。日本でアカシア類をミモザと通称することが多いのは、フランス南部からイギリスに切花として輸入しているフサアカシアをミモサと呼んでいることに由来するものである。アカシアの花がオジギソウ属の花と類似し、ポンポン状の形態をしていることから誤ってミモザの名前で呼ばれたものという。植物学的にはマメ科のオジギソウ属がMimosaミモサであり、おしべは4~10本であるのにアカシア属には多数のおしべがあり二つは別種のものである。オジギソウは葉に刺激を与えると、パントマイムの動きの「ミモスMimosa」に似た動きをすることからこの名がついたと言われる。アカシア属の葉もオジギソウ属の葉に似てはいるが、触れても動かない。アカシアの花は黄色で球状に集まって咲き、主にオーストラリアに産し我が国では観賞用に栽培されるギンヨウアカシア(銀葉アカシア)が一般に知られている。アカシア属は、関東以北の寒地では育たない。現にギンヨウアカシアを山荘の庭に植えて秋までに2mを超える大きさにまで育ったのに、零下10度の冬の寒さによって枯死してしまった。クローバー・レンゲ・ニセアカシアは、香り・味とも上質な蜜を分泌することで知られている。アカシアの蜜として販売されている蜂蜜は、実は針槐(ニセアカシア)の蜜である。西田佐知子が1993年11月26日にリリースした♪「アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまいたい…」と歌ったのはどう考えても真黄色な花を咲かせるミモザのことでは無く、ニセアカシアの白い花のことだと思われる。ギンヨウアカシアは、葉が小ぶりで生花材料に良く使われる。花期は3月から4月にかけて、輝く黄色をした花を咲かせる。特に早春に、1cmに足らない小さな球状の花が房状になって黄色に咲く様は見事である。1月下旬の今のギンヨウアカシアの姿は、蕾が膨らんでいつでも開花可能な準備を整えているようにも見えるが、この寒さではやはり1か月後の2月末か3月に入らないと開花しないのかも知れない。ミモザの名前を冠したサラダがある。茹卵の黄身を飾ったサラダを、黄色の花を咲かせるミモザに見立てたもので「ミモザサラダ」という。 ミモザ咲き 海かけて靄 黄なりけり 秋桜子 花言葉 豊かな感受性 感じやすい心
2014年01月24日

山羊料理を沖縄で「ヒージャーグスイ(山羊薬)」といって、昔から滋養・強壮に効果があるとされ珍重されてきたといい、今でも精力剤的効果を信じている人もいる。沖縄言葉のヒージャーとは、「髭のあるもの=山羊」の意である。山羊は現在も沖縄の代表的な健康スタミナ料理として、よく食べられている。丁度1月19日には名護市長選があったが、この選挙でも紙を食べる(票を集める)動物の縁起を担いで多くの山羊が食べられたのではないだろうか。山羊肉には羊と同じ独特な獣臭があるが、ヒージャージョーグー(山羊肉に目がない人)と呼ばれるように、山羊の肉を一度食べるとこの臭いの虜になってしまう人がいるとも言われる。一番食べやすいのは皮つきの刺身で、皮のところがヌメッとしたコリコリ感があって殊のほか美味だと言われ、初めての人にも抵抗なく食べられると言う。最もポピュラーな「ヒージャー汁」は、山羊の肉と骨をぶつ切りにしたものと内臓を入れ丁寧にアクを抜きながら柔らかくなるまで煮込んだ汁で、羊肉のスープに似た香りがして初めての人にもお勧めだという。フーチバー(蓬の葉)を入れると臭いが気にならなくなるといわれ、フーチバーの香りがヒージャー汁の薬味としてよく合うというが、その他にも沖縄そば・豚料理、山羊料理、魚汁などの薬味として使われている。山羊は雑草だけでも飼えるため、どこの農家でも山羊を飼育して肉が珍重された。その名残もあって沖縄の町を歩くと、山羊肉専門の料理屋をよく見かける。ヨーロッパの山羊チーズは臭いで有名だが、山羊の乳や肉にも独特の獣臭があって特に繁殖期の雄山羊からは強烈な臭いがし、離れていても雄山羊がいることが分かるほどである。山羊肉はヤギ刺し、やぎ玉(雄の生殖器)、ヤギ炒め、ヤギのフーチバージューシィ(炊き込みご飯)などで食べられる。ヤギ刺しは、コリコリした弾力があって意外に癖が無く、初心者向きだという。やぎ玉は睾丸のことだが、子牛の胸腺(リードヴォー)のような食感だと言う。フーチバージューシー(炊き込みご飯)も臭いは強くなくて食べ易いという。本州の「モツ煮込み」と同じで、沖縄を歩けば必ず山羊汁の看板を目にすることができる。18日から来月2日までの17日間、本部八重岳のサクラ祭りがおこなわれている。沖縄には、本州のような花見の宴の風習は無く僅かな空き地に3店舗程の屋台が出ているのみであるが、この屋台で大鍋で煮込んだヒージャー汁が売られていた。案内をしてくれた沖縄県人の学友は、久しぶりだと言って早速ヒージャー汁をオーダーした。お椀程の発泡スチロールの器一杯800円と、かなり良い値段であった。彼はフーチバーとタップリのおろし生姜・マース(塩)で味を調え、骨以外を綺麗に平らげた。一口食べるように勧められたが、器に鼻を近づけた途端に獣臭がして試食を遠慮した。彼が食している間に、韓国人と思われる若い女性とフィリッピン人家族の女性の2人が同じテントの中でヒージャー汁を食べ始めた。察する所それらの国でも、山羊を同じように料理して食べているのであろう。明日24日には彼の別荘に三線の仲間10数名が集まって、ヒージャー汁と泡盛で新年会を行う計画だそうである。
2014年01月23日

古来「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と言われる大寒は、寒さが最も厳しくなる頃で寒(小寒と立春前日)の中日の一年で最も寒い時期と説明されるが、統計上では実際には1月26日ころから2月4日頃が最も寒いとされている。この一年中で最も寒いと言われる時期の桜祭りを見物したくて、祭りに合わせて沖縄を訪問した。ヤンバルの名前を冠したホオヒゲコウモリ、クイナ、テナガコガネなどの固有種が生息する、沖縄本島北部の山や森林など自然が多く残っている地域は山原と呼ばれている。この本部半島にはやんばるの三大桜祭りといわれる、「第52回名護さくら祭り・第7回今帰仁グスク桜まつり・第35回本部八重岳桜まつり」がある。ヤンバルの本部半島には本部町と名護市にまたがる標高453.3mの八重岳があり、頂上には米軍の通信施設、国土交通省那覇航空管制局レーダーサイト、FM本部送信所がある。今帰仁城跡は、世界遺産に登録され今盛んに史跡の発掘と補修がされている。今帰仁城と八重岳では1月18日から2月2日までの同時期に行われ、名護では約2万本の寒緋桜があるが暖かいため少し遅れて23日から祭りが始まる。八重岳、今帰仁ともにライトアップがされていて夜桜を見学することができる。カンヒザクラは低木で群落がないことから、本州スタイルのサクラの花の下での宴会は習慣となっておらず散策しながらの花見である。本部では八重岳の麓の海岸から山頂までの、4.2kmの道路の両側に植えられた寒緋桜の開花に合わせて36年前から日本一早い桜まつりが開催される。昨日現在約7千本と数えられる桜が、濃いピンクや白っぽく薄いピンク色の花を7~8分咲かせた。この早咲きの桜の名は、まだ寒い時期に咲く緋色の花から「ヒカンザクラ(緋寒桜)」と名付けられたものと言われている。その後この桜が本州に移入されるようになると、もともと本州にあったヒガンザクラ(彼岸桜)と名前が似ていて混乱するため、カンヒザクラ(寒緋桜)と呼ぶようになったものだが、今でも昔のままヒカンザクラと呼ぶ人も多い。別名で、元日桜ともいわれる。亜熱帯に自生するカンヒザクラも本州に咲くサクラと同じように、寒気に当たることによって花芽が休眠打破されるので、沖縄の桜前線は本州と異なり北部・高所から中・南部、低所へと移動する。実際の開花より、1か月も遅いが2月25日の誕生花とされる。20日と21日に訪れたが全体的には7分咲きとなっていて、山頂付近は8分咲きから既に見頃を迎えた木もあった。山腹に張り付いて曲がりくねった道路に沿って鮮やかに咲く桜は、見事である。今帰仁城跡にも向かったのだが、30年の歴史の開きはいかんともし難く、本数木の大きさ、蕾の数とも八重岳と比較して見劣りがするのはやむをえないところなのであろうか。花言葉の「あでやかな美人」は、花色のひときわ鮮やかで華やかな緋紅色の花を女性に譬えたものという。 花言葉 あでやか あでやかな美人 善行
2014年01月22日

ハトは古来より平和の象徴とされまた神の使いとして人々に親しまれてきたが、神には戦の神様もいて必ずしも平和とは直接結びつかない。戦後西洋からハトを平和の使者とする価値観が入ってきて、専売公社が発売する高級タバコのピースのデザインとして使用されたこともあって平和のシンボルとしてのイメージが定着した。童謡の鳩では、♪「ぽっぽっぽ 鳩ぽっぽ 豆がほしいかそらやるぞ みんなでなかよく食べに来い」と歌われ、滝廉太郎が作曲した鳩ポッポでは♪「鳩ぽっぽ 鳩ぽっぽ ぽっぽぽっぽと飛んで来い お寺の屋根から下りて来い 豆をやるからみなたべよ たべてもすぐにかへらずに ぽっぽぽっぽと鳴いて遊べ」と歌われ、スズメと同様に子供にも親しみのある鳥である。身近な鳥故に、ハトに纏わる様々な故事成句がある。仔鳩は親の恩を感じて親より三本下の枝に止まるという故事から、礼儀を重んじることを示す言葉として「鳩に三枝の礼あり」という言葉がある。突然の出来事であっけにとられた様子を表す言葉に「鳩に豆鉄砲」があり、些細なことに拘って肝心なことが疎かになる愚かしさや弊害を表すことを、「鳩を憎んで豆を作らぬ」という。1年前の2013年1月28日の「ひこじいさんのブログ」に、バードストライクについてをアップした。「…ムクドリ・カラス・ヒヨドリなどの群翔を、よく目にする。あんな不規則な飛行で、よくも鳥同士が衝突しないものだといつも感心している。鳥同士が衝突しないとは言え、実際には多くの鳥が構造物に衝突する事故が結構多い。…」毎年のように我が家の家の窓に突っ込んでいた鳥の衝突事故は、窓にカラーフィルムを貼って以来鳥の飛び込みは無くなったのだが、今年もまた同じ時期に今回は車の窓に突っ込んだ慌て者のハトがいる。車のドアウインドに手のひら大の泥の汚れがベッタリと付着しており、衝突の後這いまわったのであろうかボンネットの上にふわふわとした胸の羽毛が付着していた。証拠写真を撮るためにレンズを通してウインドウガラスを見て、初めて窓ガラスが鏡になって外の景色を映し込んでいることに気が付いた。1年前にも書いたのだが突っ込むのは殆どがキジバトであり、車のドアガラスの高さは精々1.5mしか無く、しかも座布団一枚より狭小の場所なのに飛び込んでいるのである。レンズを通して見ると、ウインドウガラスの向こうに映る景色は意外に奥に広がっている。思うにこの間抜けなハトは、見せかけの奥行きの深さに惑わされウインドウガラスに向かって飛び込んだものと思われる。ハトにしたら言葉通りの正しく「鳩に豆鉄砲」であり、突然出現した堅固なバリアに阻まれ非常に驚いたことだと思うのだが果たして驚く暇があったのだろうか。致命傷にはならず飛んで行ってしまったのか、或いはいつも我が家の庭に無断進入する野良猫の餌食となってしまったものだろうか。車の周囲に、死体は転がっていなかった。ハトの歩行する様を良く観察すると、首を前後に振りながら歩くことが知られている。この動作は、鶏やハト科以外の鳥にも見られる。暗闇の中やベルトコンベアを逆方向にハトを歩かせた実験では、この行動が現れなかったという。一方、スクリーンを周囲に張り巡らし動く風景を投射したところ、歩行しないのに首振り運動をしたという。このことから首を前後させるのは、視覚情報を安定して得るために行っているものとする説と、ハトの歩行は肢が交互に出るため首振りのタイミングは、体重を片脚で支えている間の重心が安定する位置に来るようになっていて「安定歩行のため」だとする説もある。同じ種類の鳥がバードストライクし易いのは、不注意や間抜けの所為では無くトリのこんな習性が引き金となって起こる悲しい定めなのかも知れない。
2014年01月17日

セイロンベンケイは、ベンケイソウ科リュウキュウベンケイ属の植物である。別名を灯籠草といい、こちらを標準和名とする説もある。落葉した葉から多くの芽を出すのでマザーリーフ、ハカラメ(葉から芽)、ミラクルリーフ、灯篭草、子宝草、幸福の葉、ハッピーリーフなど多くの呼び名で呼ばれる。全体に多肉質の多年生草本で茎は直立し、葉を対生につける。葉には短い柄があって葉身は楕円形から卵形、はじめは単葉だがよく育つと単羽状複葉となる。原産は南アフリカだが、現在では熱帯地方各地に帰化している。日本では、小笠原諸島に帰化している。沖縄にも繁殖していると言われ那覇空港の売店では葉をお土産として売っているが、自生して繁茂している姿を見たことはない。日当たりの良い場所を好み、ときには隆起珊瑚礁の岩の上などにも出現する。小笠原諸島では至るところに繁茂して在来植物の発育を阻害するほど繁茂しており、侵略的外来種として問題になっている。葉を取って壁にピンで止めておいたり、鉢土の上に置いたり、水を入れた浅い皿につけて置くだけで葉の鋸歯状の縁から芽が出てくるクローンの性質を持つ植物である。そのため「はからめ(葉から芽)」は、Good luck leafと言われる。植え付けは小さな芽が出てきたら、サボテン用の砂に庭土を少し混ぜたものの上に乗せて置くだけでよい。花弁は余り目立たない、グリーンか薄いピンクをした細長い蕾の頂部から4枚の花弁が僅かに外へ出る。花を咲かせるには乾燥気味にして、ある程度寒い環境に短期間当てる寒冷感乍が必要である。面白いことに、葉が赤く紅葉すると花が咲いたようにも見える。霜には弱いが、霜よけすれば0℃くらいまで室外でも越冬できる。施肥は過肥にならないよう注意しないと、枯れてしまうことがある。冬から初夏にかけて日が長くなると花芽を形成する植物を長日植物といい、逆に夏から秋にかけて日が短くなることで花芽がつくられる植物を短日植物という。ハカラメは短日植物なので花を咲かせるには夏から秋・冬への長日の後、短日になる日照条件が必要となる。我が家のハカラメは、開花後枯死してしまったが花の後に枯死する性質を持っているのかも知れない。 花言葉に言われるように、将に甦りの植物「フェニックス」である。 花言葉 不死鳥
2014年01月16日

昔から医者いらず、と言われる様々な物がある。アロエ・リンゴ・大根おろし・トマト・梅干し・ビワ・味噌などの食品の他腹八分目や温泉、薬草のゲンノショウコヤドクダミなどもその仲間に入れられている。医者いらずではないが、同じような用法に「柿が赤くなると医者が青くなる」の慣用句もある。この中でアロエは大昔から「医者いらず」の別称で呼ばれるように、様々な効能があるとされている植物である。アロエ属の多肉植物の総称で、500以上もの種類が知られている。アロエ属の原産地はアフリカ大陸南部、およびマダガスカルである。アロエは順応性が高い植物で、日本の気候に順応して定着した植物である。また、他の多肉植物と同じように乾燥に強い特徴を持っている。アロエの「ロエ」の当て字「蘆薈」を読み変え、古くは「ろかい」とよばれた。日本では主に太平洋側に多く自生しており、キダチアロエとアロエベラが多い。この何れの種も、同じ薬効があるとされている。日本で一般的に観賞用として栽培されるものは、キダチアロエである。「木立ち」の名の通り茎が伸びて立ち上がるところから「木立ち」の名前が付けられたものである。一方外国でアロエといえば、アロエベラのことを指している。アロエはアラビア語で「苦味」を意味し、ベラはラテン語で「真実」の意味であり、「これこそが、アロエ中のアロエ」の意味だという。暖地では露地でも育ち、冬に赤橙色の花を咲かせ多くの蜜を分泌する。今の季節にはあちこちの民家の庭に、赤く立ちあがったキダチアロエの蕾を見ることができる。葉の外皮は苦味が強いが、葉内部のゼリー質はアロエベラと変わらず苦味は少ない。主に食用とされるのはアロエベラで、外皮を剥いたゼリー質が使用されている。花は黄色で、葉は長く株の中心部の葉が成長し、外側の葉は成長に伴い枯死する。寒さには弱い。食用ではヨーグルトに入れられているほか、刺身などにして食べられる。アロエには薬用として使用される他に、観葉植物としても栽培されている。日本薬局方に基原植物(局法では起源のことを基原という。)として収載されているアロエは、アロエフェロックス及び、アロエアフリカーナ、またはアロエスピカータとの雑種と定められている。これらの葉の汁を濃縮乾燥させたものが、薬局方の生薬「アロエ」である。アロエの効能には健胃作用、緩下作用、抗潰瘍作用、皮膚組織回復作用、血糖値降下作用、抗菌作用、抗炎症作用、美肌効果、抗カビ作用、解毒作用があるといわれる。キダチアロエ・ケープアロエ以外の観葉植物として出回っているものには、薬効成分は含まれていないと言われるので誤った使用には注意が必要である。キダチアロエは昔から俗に「医者いらず」といわれてきたもので、葉肉の内服で健胃効果があるとされ含有するバルバロインの下剤効果により便秘にも効果がある。体質によっては胃炎を起こす場合があることや、継続摂取による大腸の色素沈着を起こすことが報告されている。外用としては傷や火傷に用いられる場合もあるが、逆に悪化させたとする例も報告されているので使用には注意が必要である。ドイツの薬用植物評価委員会によると、葉の中にあるゲル状柔組織に存在する粘性の物質には、痛みや火傷の回復に有効性が認められるとしている。専門機関の研究で子宮収縮作用があるとされ、長期間の多量摂取や12歳以下の小児の摂取、妊娠中・授乳中や月経時及び腸に疾患のある場合の摂取には注意を呼び掛けている。アロエを食べる量は大人がキダチアロエで1回につき約15g、アロエベラで約60gとされている。一年を通してよく日に当てると株が丈夫になり、耐寒性も増す。越冬温度は5℃前後といわれるが、断水すれば0℃~3℃程度まで耐える。
2014年01月15日

英語にmoney doesn't grow on trees.(金のなる木なんてないよ。)という諺がある。一方では英語で、dollar plant(金の植物)といわれる南アフリカ原産の植物がある。この植物の葉が、ドル硬貨に似ていることから付けられたのが名称の由来とされる。ベンケイソウ科クラッスラ属の、常緑多年草である。園芸では多肉植物として扱われ、暖地の露地栽培では3m以上にもなって将に木の姿に成長する。葉は多肉質の長円形で長さ3cm明るい緑色で金属樣の光沢があり、辺縁部は秋から冬に鮮やかな赤色になる。開花期は冬である。昭和初期に日本に輸入された際dollar plant(ドル貨幣の植物)という名称にヒントを得た業者が、穴開き硬貨を萌出したばかりの芽の先に通して固定し硬貨を付けたまま成長させた。こうすると一見枝先に硬貨がなったように見え、これを縁起物として「金のなる木」あるいは「成金草」の名前を付けて販売したところから「金のなる木」の俗称が一般化したものとされる。丈夫な植物で、観葉植物としてよく栽培されている。枝から千切りとった葉の1枚を土に挿しておけば根を生やすほど繁殖力が強く、繁殖は挿し木で行われる。真夏を除き、日光に十分当ててしっかりとした丈夫な株をつくり、夏以降は枝切りをしないようにする。さらに、真夏に1か月ほど断水することで冬に花が咲きやすくなる。花の着きやすい品種もあるが、一般に見られる品種では50cm~1mの大株にならないと着花しない。 日にはよく当てたほうがよいが日陰にも耐えるので、一年を通して室内で育てることも可能である。関東以南の暖地では霜除けをすれば0℃以上で露地植えでも、あるいは鉢を軒下に取り込むだけで冬越しできる。茎・葉とも水分を貯えることができるので、水やりを忘れても枯れることは少ない。むしろ過湿にすると根腐れを起こすので一年を通して乾かし気味に管理する。冬は休眠のため水を必要としないので、鉢土の表面が乾いて4~5日経ってから灌水するように心がける。川砂などの水はけの良い土を主として川砂2・赤玉土2・腐葉土1の割合の土を利用する。2~3年で株が大きくなり、鉢が小さくなるので4~6月、9月に一回り大きな鉢に植え替える。金のなる木と呼ばれる植物にはクラッスラ属の他に、花の色が綺麗で花後に付く莢も面白い合田草(ルナリア)がある。ヨーロッパ原産で、アブラナ科の植物である。枝に付いた丸い莢の中の実が乾燥した後、莢を振るとシャラシャラと音がして財布の小銭が鳴っているようにも聞こえ、あるいは丸い莢の形から大判小判を連想して地方によっては「カネのなる木」とか「大判草」と呼んでいる。花後にできる莢を見て日本人は、大判・小判や財布の中の小銭の音に感じたのに、原産地のヨーロッパでは月に見立てラテン語のルナ(月)を当てたものであり、この例だけ見れば侘び寂びが身上の日本人はむしろ即物的で、ヨーロッパ人の方が風流心を持っていたようにも感じられる。
2014年01月14日

太鼓は、強弱の打分けと遅速によって音を奏でる楽器である。縄文時代には既に、物を叩いて音を出しその音を情報伝達の手段として利用していたといわれる。日本の太鼓の歴史は、非常に古い。日本神話では天岩戸の前で、天宇受賣命が桶を伏せて踏み鳴らしたと伝えられている。茅野市の尖石遺跡からは、皮を張って太鼓として用いたといわれる土器が出土している。中世には田楽の発達によって、お囃子太鼓が隆盛した。戦国時代になって、戦士を鼓舞するための陣太鼓が出現した。近年までは、時刻を知らせる為に太鼓が使用されていた。現在日常で最も目にするのは盆踊りでの演奏であり、神社や寺院には呪具として置かれている。通常和太鼓と呼ばれる場合は、筒あるいは椀型のものに皮を張ったものを指していう。雅楽では楽太鼓と呼ばれ、舞台の正面に構えられる。楽節の終わりごとに太鼓の一撃が入り、太鼓の音は楽曲全体を統率する重要な要素である。神道では古くから太鼓が用いられ、神楽にその一端が見られる。江戸時代になって歌舞伎の隆盛と共に、下座音楽の効果音として取り入れられるようになった。細めの桴(バチ)で細かく叩くと雨の音、布を巻いた桴で弱く柔らかい音を低く響かせると雪の音、それらの合間に別の桴を水平に当てて、鼓面の震えを拾った「ビリビリ」という音が雷や雪崩の音を表現している。幽霊やお化けが出る場面での効果音として、表現する場合にも太鼓の音が用いられる。昭和になると音程がある楽器を基本的に使わない、組太鼓が誕生した。太鼓の胴は、一本の木をくりぬいたものが利用され長胴太鼓といわれる。社寺等に多く、ほとんどの太鼓の団体がこれを演奏する。一般的に、よく目にする形態のものである。これに対して縦に割られた板を寄せて円形にして胴をつくったものは、桶胴太鼓といわれる。低音が良く響き、音も大きい。檜やサワラなどで胴が作られ、比較的軽いのが特徴である。かつて北秋田市の上町に直径3.71m、長さ4.32m、重さ3トンの大太鼓がギネスブックに載ったと言うが、大月市の20号線沿いにある酒造メーカー笹一酒造入り口に、ギネスブック認定の世界一の大きさを誇る太鼓が展示されている。この太鼓はニューヨークまで、演奏のために運ばれたという。杉材の胴に牛革張り、直径4.8m、胴全長4.95mの胴仕上げで朱漆塗り。重量は約2トンという。賽銭箱に100円を入れると自由に打つことができたが、思ったほどの音はしなかった記憶がある。小田急線相模大野駅の近くに伊勢丹デパートがあり、毎年1月4日には新年を祝ってフロアーで太鼓演奏が披露される。演奏をするのは、相模原市太鼓連盟所属の「相州太鼓保存会」である。昭和50年に数名の若者が盆踊りの太鼓を契機に集まったことが切っ掛けとなって、「相州太鼓保存会」として発足したものという。今日13日は成人の日を祝う催しがあって、駅からデパートへ続く道はさながら縁日の賑わいであった。駅へのエスカレータの下では、上半身素肌の若者たち総勢7人が大太鼓6張り・掛け大太鼓1張り・小太鼓2張りの組大鼓での熱演をしていた。太鼓の音は心臓の鼓動に共鳴すると言われているが、今までに生で聞いた鬼太鼓・諏訪太鼓など、どの組太鼓よりも迫力があり圧倒される音の嵐に胸隔が共鳴しているような感覚を覚えた。ギャラリーの輪の一番前に出た一人の60代の男性は、背負っていたリュックを地面に置き防寒着を脱いで、インデアンかアフリカの原住民のように太鼓の音に合わせて無我の境地で踊り狂っていた。太鼓の演奏も見事だったが、狂ったように踊る老人も面白かったので1時間以上も北風の吹く中に佇んで見物していた。
2014年01月13日
一粒万倍日(いちりゅうまんばいび、いちりゅうまんばいにち)は、暦注の中で選日といわれるものの1つである。一粒万倍は、単に万倍ともいわれ一粒の籾が万粒になることを指して言う。実際には、米一粒は精々250倍にしかならない。これは、物事の大きさを誇大に表現した「白髪三千丈」、「一瀉千里」、「四万四千日」、「黄塵万丈」などと言われるものと同じで、極めて多いことを形容する言葉である。西欧にも、一粒を用いた言葉がある。こちらは昔の大学入試にも再々出題されていて、受験書で当時勉強した記憶がある。「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにてあらん、もし死なば、多くの実を結ぶべし。」イエス・キリスト 聖書「ヨハネによる福音書12章24節」一粒の種が主食がコメの日本では籾を、パンの国では麥であり興味深い。さらに、中国から誇大表現が渡った日本と異なり、その表現も穏やかなのは面白い。一粒万倍日は事を始めるには最も良い日とされ、特に仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに吉であるとされる。但し、借金をしたり人から物を借りたりすることは、苦労の種が万倍になるので凶とされる。一粒万倍日は、他の暦注(暦に記載される日時・方位などの吉凶、その日の運勢などの事項)と重なる場合がある。その場合、吉日と重なったら一粒万倍日の効果が倍増し、凶日と重なる場合はその効力が失われるという。一粒万倍日は宣明暦時代には記載されていたが、貞享暦以降は暦注から外された。その後新暦が普及するようになって、民間暦に掲載されるようになったものである。二十四節気では太陽黄経が30の倍数を中気、そうでないものを節気といい節気から次の節気の前日までの間を1か月とする。このような月の区切り方を節切りといい、その月を節月という。今でも気にする人がいるが暦には大安吉日といって、誰もが知っている大安がある。一粒万倍日も、大安と同じように縁起のよい吉日とされている。現代では余り聞きなれないこの一粒万倍日とは、この日に種を播くと一粒が万倍にも実るという意味である。そこから、この日に事を始めれば元手は僅かでもその果実は、何倍にもなって帰ってくるとされていて物事を始めるには吉日とされる。この縁起のいいとされる吉日は月に4~6回もあるので、大安・寅の日・天赦日など他の吉日と重なる事も多い。そのような縁起の良い日と重なる日は、一粒万倍日の効果が倍化すると言われている。逆に、仏滅などの凶日とされる日と重なったら効果が相殺されてしまうという。新しい事をスタートするのに最適とされるのは、開業・仕事始め・種蒔き・出資など・結婚・祝い事・預金口座の開設・宝くじの購入などであるという。これが真実であるとすれば、全ての人がこの日を選んで宝くじを買ったら果たしてどうなるのだろうか。因みに一粒万倍日は1月には4・5・8・17・20・29の6日あって、3月13日は寅の日と一粒万倍日及び゜天赦日の3つの吉日が重なる年に1度の大開運日だという。興味のある方は、この日に挑戦して見るのも面白いかもしれない。
2014年01月12日

蘭科でもないのにランの名前が付いた植物は、ざっと数えただけでも一般に良く知られたスズラン・クンシラン・ヤナギランなど16科33種にも及ぶ。ユッカラン(キミガヨラン)やリュウゼツランも例にもれず、全く蘭とは関係ないのにランの名前が付いている。ユッカランは茎先に1m以上にもなる円錐花序を出し、花径5~6センチの淡いクリーム色をした大振りな釣鐘形の花を多く付ける。東京近郊の民家の庭に、今では植栽自体が珍しくなったユッカランの花を見つけた。さしものユッカランもこの所の寒さで、心なしか草臥れた様子で花は全て下を向いていた。この花はユッカ属で種が同じリュウゼツランと、形態が非常に似通っている。この2種の違いは、ユッカランは常緑の多年生植物で多くは低木であるが、中には樹高10メートルを超すものもある。葉はロゼット状に付き多くの種では葉は硬く厚みがあり、形状は剣状で先が針のように硬く尖り、縁に鋭いノコギリ状の歯があり取り扱いには注意を要する。何十年か前までは公園や民家の庭にも多く植えられていたが、葉先の棘が危険なせいもあって今では幼児が遊ぶような場所からはその多くが排除された。葉の特徴から多くの種の通称に銃剣、短剣、剣、針等の名が付けられている。主な原産地はメキシコを含む北米である。日本にはこの花の花粉を運ぶ「ユッカ蛾」がいないため、結実をしない。「キミガヨラン」の名前の由来は、花の数が多くいつまでも咲き続けるところから「君が代」が連想され、「いつまでも栄える」というところから付けられたものという。ユッカの花はユッカ蛾が花に産卵する際に、花粉を運ぶことで受粉している。ユッカの種子しか食べない、ユッカガの幼虫の宿主となっている。しかし、ユッカの種子は大きいので殆どが食べ残される結果、ユッカは種子をユッカ蛾は子孫を残す共生関係にあるともいえる。日本にはこのユッカガが存在しないので、花が咲いても結実することはない。ユッカランとリュウゼツランのどちらも葉は放射状に生えるが、リュウゼツランの方がより肉厚で葉の先と葉の縁に鋸刃状の蕀があるのに対し、ユッカでは薄くて細く、葉は真っ直ぐで棘がないものもある。またユッカは成長に伴い幹を形成し高く成長するが、リュウゼツランはほとんど幹を形成しない。リュウゼツランの授粉はハチ、ガ、鳥、コウモリなどによる。リュウゼツランの大半は10年から数10年に一度しか開花せず結実後に枯れるが、ユッカではほぼ毎年開花し結実後も枯れず成長を続ける。原産地の先住民の間では、多くのユッカ属の果実・種・花・花茎・根が食用や薬用に利用されていた。また葉や茎から取った繊維は、衣料や日用品に加工されていた。樹液にはサポニンを含むので、洗剤として利用もされた。米国では近年、ユッカを原料としたシャンプーやコンディショナーが人気だという(→ 朝日新聞記事)。商品説明には、「抜け毛を防ぐのに役立つ」などと明記されている。米国では、食品添加物として認可されている。もう少し早くにこんなシャンプーがあったら、少しは頭髪が残ったのかも知れない。「高血圧や高脂血症の改善」、「骨関節症の痛み、こわばり、むくみなどの症状を改善」という報告があるが薬用としての有効性は証明されていない。離れて観賞するのには良い植物だが、海流で漂着したり植えられたりしたものが大繁殖して問題化しているところもある。志摩半島の南にある和具大島はハマユウなどの海浜植物が群生していて、全域が三重県の天然記念物に指定されている無人島である。ここにユッカランが大繁殖してハマユウなど在来植物への影響を与え始めており、全島でのユッカランの駆除作業が平成18年から行われている。 花言葉 勇壮
2014年01月11日

モチノキ・ソヨゴ・セイヨウヒイラギなどのモチノキ属やヤマグルマ、ガマズミの樹皮やヤドリギなどの粘性の果実からトリモチは作られるが、子供のころの遊びでは身近にあるモチノキ属の樹皮を用いた。モチノキから作ったものは白いので、「シロモチ」または「ホンモチ」と呼んだ。細かく砕いた樹皮を桶に入れて水で揉み洗いして流すと、底に水に溶けない粘着物質が残る。これが鳥黐で、こうして得られた鳥黐は少量の油を加えたり水に入れて保存する。鳥黐には、強力な粘着力がある。メジロなど観賞用の鳥の捕獲には、枝などに鳥黐を塗っておいて囮や鳥笛をつかっておびき寄せ、とまった鳥の足が鳥黐にくっ付いたところを捕らえる。鳥獣保護法がなかった時代には鳥黐を用いて小鳥を捕獲することも、捕まえた鳥を飼養することも禁じられていなかったので子供の格好の遊びであった。鳥黐は水につけると粘着性を失うため水で湿らせて保存したが、枝に塗る作業の際には口の中で噛んで唾液と混ぜていた。これを塗りつけた後、乾燥させると再び粘着性を示すようになる。モチノキという名前は鳥黐が採れるところから付いた名前であるが、この仲間に「クロガネモチ」という木がある。10mにも成長する高木で、明るいところを好む。葉は革質の楕円形をしておりやや波打つことが多く、深緑色をしていて表面に艶がある。若い枝には陵があり、紫色をしているところからクロガネ(黒鉄)の名前が付けられたという。常緑広葉樹の特徴で、4月に芽吹いてから古葉を落とす。ライターやローソクで葉の下から炙ると、黒く変色する死環現象が現れる。細胞が破壊されることによって、細胞内外の酵素が葉の中の水溶性のタンニンと結合し不溶性タンニンを作るためと言われている。死環現象は加熱だけでなく、冷却・加圧でも生じるので葉の表面が破れない程度の力で細胞を破壊するようにして文字や絵を書くと暫くして黒く浮き上がってくる。モチノキ科の植物には顕著に現れるが、この現象が現れないあるいは出現時間の早い遅いがあり植物を同定する際には有効な目安となる。花は地味だがその後に赤い果実をいっぱいに着けるので、庭園木や街路樹などに植栽して観賞される。雌雄異株なので、雄木には実が着かない。基本は赤実だが、キミノクロガネモチは黄実である。クロガネモチは「クロ(黒)・カネモチ(金持ち)」に通じるところから、庭に植えると縁起が良い樹とされる。アカハラ・シロハラ・ツグミ・ヒヨドリ・レンジャク等の野鳥が餌として食べ、糞と一緒に種を播くので思わぬ場所から芽生えてくることがある。赤い実の鑑賞木であるとともに、火災の延焼を防ぐために植えたともいう。花言葉 魅力 寛容 執着 仕掛け
2014年01月10日

コアラは漢字では子守熊と書かれ、カンガルーの仲間の有袋類でオーストラリア東部の森林地帯にのみ生息している。タンニンや油分を多く含んでいるユーカリの葉を、好んで食べる。ユーカリの葉はタンニンや油分を含んでいて消化が悪いので、他の動物の餌には適さない。ヒトでは無用の長物と化した盲腸だが、コアラの盲腸は長さが2mもあってここで食べたユーカリを発酵させることによって毒素を分解している。ユーカリは600種以上もあるといわれるが、コアラが食べるユーカリの種類は限られていて、その内の約40種類とされ、さらに生息する地域により食べる樹種は異なり14種類程度と言われる。葉から取れる精油には殺菌作用や抗炎症作用、鎮痛・鎮静作用があり、アボリジニは傷薬として葉を利用していた。現在はアロマテラピーにも利用されるほか、健康茶として飲用されてもいる。エッセンシャルオイルとして利用されるのは、タスマニアン・ブルーガムといわれる種類に限られるという。ユーカリの多量摂取は有毒・有害に作用するので長期の摂取や、過剰摂取には注意が必要である。ユーカリに含まれる精油成分にはシトロネラール、シネオール、ピネンなどが含有されている。民間薬として殺菌・解毒作用、筋肉痛・打撲の鎮痛作用のほか、集中力を高めたり花粉症の緩和に有効とされ利用されている。ユーカリで多く目にするのは柳の葉のように細身で尖った葉の種類が多いのだが、特異な形で枝につき美しい銀葉をしているところから好んで庭に植えられたり、観葉植物として鉢植えや生花材料としても用いられる種類にグニーユーカリがある。グニーユーカリは日当たりがあれば乾燥地にもよく育つが、過湿には注意が必要である。産地も種類も全く異なるのに北米東・南部を原産地とする蔓性草本の、スイカズラ科の突抜忍冬(ツキヌキニンドウ)の葉に良く似ている。ツキヌキニンドウは花序のすぐ下の葉の基部が合体して1つの長橢円形になり、この葉を突き抜けたように真中から花序が出ることから、突抜忍冬の名前がついた面白い植物である。ツキヌケニンドウは両側の葉が完全に癒合して継ぎ目も分からないのだが、グニーユーカリの場合は葉の基部のみが合体して上部はそれぞれが独立し蝶の羽に似ていなくもない。ユーカリは遠目に見ると合歓に似た小型のボンボン状をした原色の、赤朱色~黄色の美しい花を群れて咲かせる種類が多いのだが、グニーユーカリの花は薄いクリーム色または白色で余り目立たない。花言葉 慰め 記念 追憶 思い出
2014年01月09日

自然界には人の考えや想像を超えた、通常では有り得ないと思われる不思議な現象が現実にある。その内の一つに、太古の水を閉じ込めている様々な物がある。地下1000m以上から汲み上げられる、数千万年~数億年以上も前の海水がある。地殻変動によって地下深くの地層に海水が閉じ込められ、その後真水と混ざることが無かったもので「化石水」と呼ばれる。関東地方では、温泉水として利用されている。NHKの朝ドラにもその名前が出てきた琥珀は、かつて熱帯雨林系の樹木が栄えていて、海底が隆起した場所で海の近くという条件の地層から見つかる。日本では岩手県久慈、福島県いわき市、千葉県銚子市と太平洋側に集中している。琥珀は中に、数千万年~数億年前の昆虫や植物・小動物・空気・水などを閉じ込めている。「水と空気」を閉じ込めた琥珀は振ると、「水」の動く様子を見ることが出来る。座間市の妙法山星谷寺の七不思議の一つに、楠の化石がある。この化石は人頭大の黒褐色をしていて、中に水が封入されていて振ると水の音がする。かなり以前に水を封じ込んでいる、普通の石を見たことがある。どのように生成したのか、誠に不思議に思った記憶がある。タケノコは生長の過程で、大量の水を吸い上げている。その水は光合成や蒸散作用で空気中に放出され、竹の生長を促している。通常は成長過程で蒸散してしまうので水として溜まらないのだが、何らかの原因で節間に水が溜まることがありこの水を「竹水」といっている。こちらには社会に通用する竹水なる言葉があるので、それほど奇異な現象ではないと思われ現実に竹を伐採していて節の間から水が流れ出す場面にしばしば遭遇している。10年以上も前、娘からパラオ土産にホラガイを貰った。その後何年も飾り棚の上に放置したままになっていたのだが、定年後暇にまかせて「吹く法螺貝」に加工することにした。ホラ貝には、吹くための吹き口を付ける必要がある。尾端は尖って閉鎖しているので、4cmほど切断しなければならない。巻貝の仲間のホラ貝は螺旋状に捲いていて、尾端には殻の外も内も竹のような節がある。我が家に来てからでも4~5年も経っていたのに、切断の途中に5ml以上もの海水が出てきた。どのようにして海水が取り込まれたのか、興味のあるところである。辞書を引いても様々な物に閉じ込められた水を指して言う言葉が見つからないが、私はその状態から勝手に「封水」と名付けたい。我が家には、渡嘉敷島土産のホラガイがもう一つあるので、次に加工する際にはもう少し丁寧に観察して見たいと思っている。
2014年01月08日

福島県北部には昔から家庭で冬に作られ、酒の肴やおかずとして親しまれている郷土料理に「いかにんじん」がある。スルメとニンジンを細切りにし醤油・日本酒・味醂で味付けして漬け込んだ食べ物である。製法や味は、各家庭で異なる。材料としてスルメ・ニンジンの他に昆布や数の子を入れ松前漬と酷似したものもある。これは松前漬の影響を受けたものとされるが、伝統的にはニンジンとスルメだけで作られるものである。松前漬は昆布のヌメリに特徴があるが、こちらにはヌメリが無いのでサッパリしていてニンジンのサラダともいえる漬物である。江戸時代に伊達市梁川藩から、1821年に松前藩へ「いかにんじん」の製法が伝わり、これを松前で工夫して、特産の昆布と数の子を加え現在の松前漬けを作ったとの説が伝わっている。しかし一方では、余った数の子にスルメと昆布をあわせ塩で漬け込んだ郷土食が元から松前地方にあり、それが元になって現在の松前漬が発生したとする説もある。後に数の子が採れなくなったため、スルメ・昆布が主となり数の子抜きで作られるようになり味付けも塩味から醤油・味醂・酒を主体にしたタレへと変遷していった。函館山形屋が、昭和12年に元来塩漬けだったものを醤油漬けに代えたことで人々の味覚に合うようになり、松前漬の味が全国に知られるようになったものと言う。手間を惜しまなければ、作り方はいたって簡単である。スルメと昆布の表面を濡れ布巾で拭いてから縦半分に切りさらに横に鋏で細切りにする。塩抜きした数の子は、適当な大きさに千切っておく。人参は皮を剥いてから縦に短冊に切り、さらに千切りにする。これらの材料に酒2、醤油2、みりん3の割合で作った調味汁を具材がヒタヒタになるようにかけ、好みによって輪切り唐辛子を混ぜ合わせ1週間冷所で寝かせる。昆布のヌメリとスルメの旨み、スルメと数の子の食感が素晴らしく酒の肴やご飯の友にも良く合う。また重量46gで57kcalと比較的低カロリー食品でもある。メインのおせち料理は今年からデパートへ注文することにしたが、雑煮に必要な根菜の煮物・黒豆・栗きんとんなどは家内が手作りした。子供や孫が来て、手作り料理でもっとも評判が良かったのは私が作った松前漬であった。市販の物は昆布もスルメも針のように細く、食べても頼りない。自分で作ったものは具材が不揃いで見た目は悪いが、食感・味とも抜群である。調子に乗って、残りのスルメ3枚と数の子を使って正月明けにまた漬け込んで見た。一週間を待ちきれなくて、翌日から酒の肴に少しずつ抓んで味見をしている。
2014年01月07日

「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」一休禅師の狂歌で正月に立てるめでたい門松も、次第に死に近づく標示ともみられるということである。70歳を過ぎてから、この狂歌の意味をしみじみと感じるようになった。「大黒天」はインドの闇黒神であるが、中国に渡って仏法の守護神・厨房の神となり、さらに日本に入って神道の「大国主命」と習合して福神となった。「大黒」と「大国」はどちらも「だいこく」と読むことに起因して、習合したものとされている。仏教では「大黒天」を、神道では「大国主命」を祀る。出雲大社には神話に起因した兎のブロンズ像があり、大国主命が祀られている。近世になって「だいこくさま」は、福徳や豊穣、財宝を人々に与える福乃神として七福神の仲間入りをしている。この「大黒天」と「大国主命」の神使は「鼠」とされていて、その由来については諸説があり般的に「大黒天」は北方の神とされ、北は十二支では子(ネ)に相当するところから、大黒天の神使が鼠(=子(ネ)とされた。「大国主命」は薄の原で兄から火をかけられた時「鼠によって救われた」との神話から、大国主命の神使が鼠とされたことからどちらも「鼠」が神使となったという。神の使いとも言われる鼠だが、こそ泥を働くことを鼠や犬に擬えて「鼠窃狗盗(そせつくとう)」といい一般的に鼠に良いイメージは無い。鼠は非常に繁殖力が強いところから、鼠の名前を頭に付けた「ねずみ算」なるものがある。1627年に吉田光由が執筆した数学書「塵劫記」では、ねずみ算は以下の様に記されている。「正月にねずみ、父母いでて、子を十二ひきうむ、親ともに十四ひきに成也。此ねずみ二月には子も又子を十二匹ずつうむゆえに、親ともに九十八ひきに成。かくのごとく、月に一度ずつ、親も子も、まごもひこも月々に十二ひきずつうむとき、十二月の間になにほどに成ぞといふときに、二百七十六億八千二百五十七万四千四百二ひき。」鼠は実際にはねずみ算理論のように、それほどに繁殖することはあり得ないのだが、この考え方は人に対しても同じである。家内の兄弟は86歳を筆頭に、71歳まで2男4女の6人兄弟である。結婚して5組の夫婦が3人ずつ、1組が2人の子供を産んだのでその時点で29人となった。両親は既に亡くなったが、半世紀を過ぎてその子供が孫を産んで親2人が今では総勢80人にもなった。正月2日には両親が健在のころから全員実家に集合して顔を合わせ、年の初めを寿ぐのが50年以上もの習わしとなっている。家内の従妹の家で毎年100万円を拠出して、特賞2万円から大吉1万円・中吉5千円・小吉2千円の福引をするので、小さな子どもはこの福引を目当てにやってくる。我が家では今年は特賞に当たらなかったが次男一家は、一昨年3本も特賞を引いた。福引が終わると家内の従妹が準備した折詰寿司をつまみながら、次兄が用意した肉で日本間と洋間に分かれ4つの鍋を囲んですき焼きパーティーである。昨年家内が玄関の履物を数えたら、60足を超えていたと言う。60人を超えると、兄弟の孫の顔まで覚えるのは難しくなる。今年も恒例の初顔合わせが、昨年と同じ程の人数集まって賑やかに行われた。義姉はだんだん歳をとって60人もの賄いをするのが大変と言い、数年後には縮小されることになるかも知れない。
2014年01月06日

朝日新聞4日朝刊一般的に「駅伝」と言われる陸上競技は、「駅伝競走」が正式名称であり数人が長距離をリレー形式で走りタイムを競う日本発祥の競技である。国際陸上競技連盟ではRoad relayを国際名称としている。各走者は「中継所」まで走り、前の走者から受け継いだ「タスキ」を次の走者に渡していく。先頭通過から大きく遅れた場合には、前の区間の走者からタスキを受ける前に「繰り上げスタート」をするのでタスキは途切れて連続しないことになる。最初に行われた駅伝競走は、1917年の「東海道五十三次駅伝競走」であるといわれる。京都三条大橋から上野不忍池までの23区間508kmを3日間かけて走ったという。日本ではマラソンも駅伝も盛んで年間を通じて、各地で様々な競技が開催されている。駅伝は同じ長距離走でも、一人で走るマラソンとはまた異なった駆け引きが見られて面白い。新年の1月1日には、群馬県庁を発着点として行われる「全日本実業団対抗駅伝大会」があり、100kmを7区間5時間弱で走る。地方大会の通称箱根駅伝は、「東京箱根間往復大学駅伝競走」が正式名称で往路5区間108.0km、復路5区間109.9kmの計10区間217.9kmでの競技が2日間に分けて行われる。地方大会ではあるが、80を超える関東学連加盟大学のうち前年大会でシード権を獲得した10校と、予選会を通過した9校に学連選抜1チームを加えた合計20チームが出場して競われる学生長距離界最大の駅伝競走である。毎年1月2日往路、翌3日復路での競技が繰り広げられ、テレビ観戦や沿道での応援が国民的年中行事となっている。箱根駅伝は90年も前の1920年に、マラソンの父として知られる金栗四三らの努力によって初めて開催された。第1回大会は、早大・慶大・明大・東京高師(現筑波大)の間で行われたことから「四大校駅伝競走」の名前で呼ばれている。2014年第90回大会は記念大会として3校が増枠されシード校10、予選会勝ち抜き13チーム併せて23校となった。この大会の最優秀選手には、金栗四三の名前を冠した賞が贈られる。年末から年始にかけてテレビから流れる映像は、どのチャンネルも似たような色ものばかりでうんざりするが、唯一全日本実業団対抗駅伝大会と箱根駅伝だけが救いである。沿道まで応援に出て行く気力も体力も衰えてきた近年では、専らテレビに齧りついての観戦である。3日間で都合15時間もただ人が走る映像を見ている姿を子供たちは不思議がるが、駅伝で生まれる様々なドラマはテレビのバラエティー番組では決して味わえない興奮と感動を味わうことができる。今年も箱根駅伝から、多くの感動を味わうことができた。次は10日後の1月12日に、「皇后盃 全国都道府県対抗女子駅伝競走大会」が予定されており今から楽しみにしている。
2014年01月05日

元々は茶の湯または茶湯と言われていたものから、江戸中期に現在「茶道」と呼んでいる茶の湯が完成したとされる。茶の栽培・収穫方法と道具、たて方、飲み方、歴史などが記載された「茶経」は、初めて中国から体系的な茶の知識を日本に伝えたといわれ、唐の陸羽(804年没)によって著わされた書物である。茶を飲む習慣と茶の製法は、平安時代に遣唐使により伝わった。当時の中国茶は烏龍茶に似た発酵茶のようなもので、茶色の語源となっている。当時は茶は薬として用いられており、必要量を煎じて飲んだといわれている。当時は喫茶の習慣として根つくまでには至らなかった。抹茶は鎌倉時代に薬用として持ち込まれ、禅宗の広まりと共に精神修養的な意味合いを持つようになり、さらに茶の栽培の普及につれて茶を飲む習慣も一般に普及し始めた。現代の「わび茶」の創始者は、室町時代中期の茶人村田珠光とされる。わび茶は千利休によって、安土桃山時代に完成された。江戸初期までの茶の湯人口は、大名・豪商などのごく限られたものであったとされるが、中期になって町人階級が経済的に力を得ると飛躍的に増加していった。これらの町人階級を主とする大量の門弟をまとめるために、家元制度が確立したとされる。茶の湯の大衆化で遊芸化が進み、「侘び・寂び」に対する理解も次第に変質し、道具をわざと欠いたり割れ接ぎ茶碗を珍重するようなことが起き、庶民の間では茶人は「変人」の代名詞ともなっていった。明治時代になり、茶道は良家の女子が身につけるべき教養の一つとされるようになった。このため現在の茶道は和服に身を包んだ、わび茶とは別の華やかな茶会が当たり前になっている。茶は野だては別として、一般には茶室で振舞われる。有名な茶室は多いが、国宝に指定されている待庵・如庵・密庵が特に著名である。茶人織田長益(1618年)は織田信長の弟で有樂齋如庵と号し、京都建仁寺に茶室如庵を建造した。如庵は1936年に重要文化財(国宝)に指定され幾多の変遷を経た後1972年に、犬山市の有楽苑に移築されている。 家内の従妹の家で昨年3月から「如庵の写し」の茶室を移築・再建の工事を行っていて、現在茶室の画竜点睛と言われる「濡額・扁額」が掲げられれば素晴らしい茶室が完成するまでになっている。未だ家元しか入ったことが無い生まれ変わった茶室で、今日は家内と孫のために特別に茶が振る舞われた。孫も見よう見まねで茶を楽しみ、お茶を習いたいと言い出す始末。無骨な私には理解不能なのだが、子供でも茶の雰囲気と味が理解できるのであろうか。
2014年01月04日
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