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今年の8月は夏らしい暑さが連続せず、特に関東地方では40年振りに8月1日から21日まで雨の日が連続し記録を作った。菌類の発育・増殖の三大要素として温度・湿度・栄養が上げられるが、今年は8月の長雨がその条件を満たしたようである。8月のうちから其処此処に、多様なキノコが発生を始めた。キノコの王様はマツタケだが昭和16年には1万2千2百22tであった収穫量が、2013年では36tと驚くほど減ってしまった。マツタケも他の雑茸と同じように、今年は何年か振りの豊作になりそうだとの予想が出ている。キノコはその販売を生業としている人でもうっかりすると、毒茸を食用茸と間違えることがある。食用か毒茸か不明な場合には採取しないことが肝要であり、さらに毒茸は比較的種類が少ないのでその種類を覚えることで食中毒を回避することができる。一般に茸の形をしたシイタケやマツタケなど多くのキノコは、担子菌類に分類される。担子菌類のマツタケ目ハラタケ(原茸)科には有用食用茸が多いが、有毒キノコも多い。恐らく最大規模の大きさであろう白色のオオシロカラカサタケ(大白唐傘茸)も、ハラタケ科の有毒キノコである。オオシロカラカサタケは本来熱帯地方に産するキノコで、近年まで日本には存在していなかった。1980年以前の日本では、沖縄県・小笠原地方でしか見られなかったキノコである。本州でも35年前ころからオオシロカラカサタケの発生が確認されるようになった。日本列島へは東南アジや沖縄や小笠原からの、物流物資と共に入り込んだ可能性が高い。近年の温暖化により本州の気候が熱帯地方の気象環境に近づいて、本種キノコの発育可能な環境になったとも考えられている。オオシロカラカサタケの発生は西日本・東海地方に限局されていたが、1980年に大阪・1991年に千葉県・2010年には宮城県で発生が確認されている。オオシロカラカサタケは夏から秋にかけて、芝生や庭などの人工的な環境の草地に群生あるいは単独で発生する毒キノコである。傘の大きさは25cm以上にもなり表面は白いが、多くは傘の頂上には幼茸の名残の茶色の破片が残る。しかし中には茶色の剥片が取れてしまい、白い茸もある。傘を開く前の襞は白いが、成熟するにつれて灰緑色を呈する。20cmほどもある茎は白あるいは淡い汚褐色で、上部に二重の鍔を持つ。名前のとおり、白くて傘が大きい。発生したときは壺型の表面は茶色をしているが、成長と共に茶色の皮を落として白色になり傘を開く。内部も白色だが、傷つけると茶色に変化し腐臭を放つようになる。同属のドクカラカサタケは成熟すると襞がオリーブ色になるが、本種は変色しない。オオシロカラカサタケの有毒成分として、モリブドフィリシンやステロイド類(細胞毒)などが同定されている。強毒性茸に属し、ごく少量でも摂食後1~3時間で腹痛・下痢・嘔吐などの消化系の症状を引き起こす。一部の中毒者には、幻覚症状が現れたといわれる。胃腸症状に続いて、発熱・悪寒・頭痛・痙攣が起こる。平成元年~22年に、14件27名の中毒者が記録されている。これはハラタケ科による中毒例では、最も多い数である。一番新しい事例では本年8月20日に名古屋市港区の公園でバーベキューをしていた30代の男性3人が、公園に生えていたオオシロカラカサタケを採取し焼いて食べたという。喫食後、嘔吐・下痢などの食中毒症状を発症し2名は救急搬送され入院した。愛知県三河三谷の海岸通りの芝生の中に、真っ白なバレーボールより大きめの茸を見つけてその特徴から直ぐオオシロカラカサタケと分かった。子供のころから山に入って多くの茸を見てきたが、オオシロカラカサタケを実際に見たのは初めてであった。この茸を見ても食指を動かされることはなかったが、一見巨大な白いマッシュルームに見えなくも無かった。例年キンモクセイが咲くころに南信州の実家の山へマツタケ狩りに行くのだが、今年は9月初旬からマツタケ発生のニュースもあり大いに期待されるところだ。毒茸のオオシロカラカサタケはその植性から、山林に発生することはないため今まで見ることがなかったのであろう。
2017年09月29日

海紅豆 海紅豆 デイゴ沖縄を5月ころに訪れると街路樹として植栽された3mほどのほとんど葉の無いデイゴと呼ばれる樹木が、真っ赤な穂状花を枝の先に多数咲かせているのを目にする。デイゴ(梯梧)はマメ科の落葉木で、独特な形の蝶形花を見ればマメ科であることがはっきり分かる。20年前に比べると木や花の数が、極端に少なくなったような感じがする。デイゴヒメコバチがデイゴ属の若い葉や茎に産卵し、孵化した幼虫が虫癭(虫こぶ)を作る。花の減少や樹木の枯死は、デイゴヒメコバチの寄生が要因であるとされている。デイゴとカタカナで表記するといかにも欧米から渡来した名前かと勘違いするが、実は漢名表記の「梯梧」をデイゴと音読みして和名にしたものである。デイゴは、学名の「ユリスリナ」で呼ばれる場合もある。ユリスリナとは、ギリシア語で赤を意味している。沖縄を歌った反戦歌は多いが心に染みる哀調が万人に受け入れられた「島歌」でも、デイゴの花が歌われている。♪でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来たでいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来たくり返す悲しみは 島渡る波のようウージの森であなたと出会いウージの下で千代にさよなら島唄よ 風に乗り鳥とともに 海を渡れ島唄よ 風に乗り届けておくれ 私の涙昔からでデイゴの花は、台風など大きな災いを呼ぶといわれてきた。この歌詞にある風と嵐は、米軍の侵攻と爆撃を意味しているという。デイゴの花に隠された伝承を知らないと、島歌の歌詞の意味を理解できない。デイゴは根本や根からも芽を吹きそのため屋敷内に植えると家の土台を持ちあげて家を壊わす(やしきこーさー)と言われ、一般的には庭木として植栽されない。インドやマレー半島が原産で、沖縄県が北限とされ沖縄の県花に指定されている。本花と同属で似た花を咲かせる、アメリカデイゴと呼ばれる花木がある。アメリカデイゴという名前はデイゴと花が似ていて、デイゴが東南アジア原産であるのに対して南アメリカ原産であるところから単に頭にアメリカと付けたものである。しかもほとんどの人は知らないが別名は、今流行のダジャレクイズに似て海を渡ってきた紅色の豆の意味から海紅豆(かいこうず)とつけられている。海紅豆とデイゴを同じ植物の別名と混同している場合があるが、別種であり海紅豆の原産地は南アメリカである。デイゴの北限は沖縄だが、アメリカデイゴは比較的寒さに抵抗力があり成木では零度以上あれば路地植えで冬を越すことが可能で都心では庭植えにされることもある。こちらは花ではなくなぜか木が、鹿児島県の県木に指定されている。樹高はデイゴより大きくなり高さ8mになる落葉木で、江戸末期に南アメリカから渡来した。新梢の枝先に、50~70cmの長さもある花序に深紅色で長さ5cmもある穂状花序の蝶形花を咲かせる。デイゴは初夏だけに花を咲かせるが、カイコウズは初夏から秋までの長期間咲き続ける。沖縄のデイゴは剪定されないが公園や海岸沿いに植栽された海紅豆は、今年伸びた新梢の枝元から綺麗に切り落とされているのを見かける。花は春に芽吹いた新梢の先に着くので、丸坊主にしても翌年もまた花を見ることができる。狭隘な庭には不向きだが、増やす場合は新梢を挿し木すれば簡単に発根する。10月末ころ落葉してから30cmほどに切断して、ビニール袋に密閉して庭に埋めて置く。3月に入ってから鉢土に挿して、保温と防霜のためビニール袋を被せ乾燥しないように管理すれば、五月には発根する。かつてのバブル時代には賑わったであろう三河三谷温泉は、大きなホテルに人影も疎らでかつての熱海温泉の盛衰を見るようである。宿泊した巨大なホテルは、剥きだしの鉄筋が赤く錆ついて補修は最早不可能なほど劣化が進んでいた。そのホテルの眼下の海岸通りに数日前に来襲した台風に傷めつけられた数本の海紅豆が、最後の花を咲かせていた。 花言葉 夢 童心
2017年09月26日

トウガラシ・コショウ・カラシは世界三大香辛料とされ、主役にはなりえないが料理にとってなくてはならない名脇役である。日本には鷹の爪(タカノツメ)と呼ばれる、トウガラシの代表的品種がある。上向きに実を付けるのが、特徴である。トウガラシはカプサイシンというアルカロイド物質を含有し、これが辛味を感じさせる成分である。カプサイシンとは、トウガラシ属の学名Capsicum から採られた名称である。トウガラシに多く含まれるカプサイシンは食欲増進や血行促進、発汗作用による脂肪燃焼効果などがあるとされている。また殺菌・防虫効果もあり、古くから薬用・防虫の目的でも使われている。米の中に入れておくと防虫効果を発揮するほか、金魚や熱帯魚などの観賞魚が罹患する病気の1つである白点病の初期~中期段階までの症状に効果があるとされる。メキシコあるいはアンデス地方が原産とされているトウガラシは、トマトやジャガイモと同じナス科に属する。トウガラシは「唐辛子」であり「唐=外国」の意味であって、我が国への伝播経路が中国を経由したという事実はない。かつて日本には50種類以上の唐辛子があって盛んに輸出されていたが、出入逆転して現在は輸入の方が多くなっている。料理や漬物の薬味として幅広く使われており、そば屋には七味唐辛子や一味唐辛子が必ず置かれている。沖縄にはキダチトウガラシを泡盛に漬けた「コーレーグス」が、沖縄ソバの香辛料として使われる。幅広く使われる香辛料だが国民一人当たりの消費量としては、それほど多いものでは無い。タカノツメといわれる我が国の代表的トウガラシは、全長6cmほどの大きさで先が尖ってやや曲がった紡錘形をしている。この果実の形から猛禽類の鷹の爪を連想し、鷹の爪の名前が付けられたとされる。ただ今年我が家で栽培したタカノツメは、鷹の爪状に曲がらず真っすぐなものがほとんどである。完熟すると、鮮やかな赤色に変わる。赤くなった果実は乾燥させて丸のまま、あるいは輪切りや粉末にして香辛料として使う。粉末にした鷹の爪は、一味唐辛子と呼ばれる。芥子・陳皮(乾燥した温州ミカンの皮)・胡麻・山椒・麻の実・紫蘇・海苔・生姜などを加えて調合したものは七味唐辛子と呼ばれる。種子が非常に辛いと言われるが、実際に辛いのは種子を包むワタの「胎座」と呼ばれる部分である。生の鷹の爪から胎座を取り除いた種子や果肉には、辛いと感じるほど多量のカプサイシンは含有されていない。しかし乾燥させると、乾燥の過程で辛味成分が胎座から種子や果実に移行するので全体に辛みがまわる。唐辛子の辛さは「スコヴィル値」で表わし、辛さが強いほどこのスコヴィル値が高く辛さが強いことを示す。タカノツメのスコヴィル値はおよそ40,000~50,000だが、超激辛唐辛子として有名なハバネロのスコヴィル値は100,000~350,000で如何に辛いかが想像できる。因みに世界一辛い唐辛子キャロライナ・リーパーはスコヴィル値3,000,000といわれ、目に入ると失明の危険があるという。2013年に世界で最も辛い唐辛子として認定され、ギネスブックに載った。タカノツメは開花後1か月ほどすると、青い未熟な実ができる。4~5cmほどの大きさになったら収穫し、柚子胡椒やトウガラシ味噌を作る。開花後2か月ほどで実が赤く色づいたら、収穫する。収穫方法には株を丸ごと引き抜くか、色付いたものから一つずつ順次摘み取るかの二通りの方法がある。株ごと引き抜いた場合は逆さにして雨や夜露に当たらない場所に吊るし、実がカラカラになるまで天日干しする。摘み取って収穫したものは笊や網に入れて、風通しが良く夜露に当たらない場所で表面にシワができ振ってカラカラと音がするようになるまで乾燥させる。乾燥させた実は密封容器に乾燥材と一緒に入れ、保管する。関西の種苗店から取り寄せたタカノツメの種を、3月彼岸前から育苗箱に蒔いて育て晩霜の心配が無くなった5月10日に定植した。今年の5月から6月は少雨・強風で、夏野菜の苗の多くが捩れ風に吹き飛ばされて枯死した。それでも10数本が生き残り、8月頃から急激に成長してきた。青柚子の皮と未熟なタカノツメに塩を加えて煎った柚子胡椒はあまり使わないので、採取した青トウガラシの全てで唐辛子味噌を作ってみた。以前青唐辛子を包丁で縦に割って素手で種を取り除いたことがあったのだが、手が燃えるように痛くなりその手で顔を触ったため目が開けられないほど痛くなったことがある。無粋な話だが、トイレで用足しするにも難儀した。今年は種を取り除かず、丸のままフードプロセッサにかける方法を選んだ。流石に文明の利器だけのことはあって、ほとんど手や目に痛みを感じることは無かった。唐辛子味噌の作り方は至極簡単でフードプロセッサで粉砕した青実のタカノツメと信州味噌の等量に、味醂と砂糖をそれぞれタカノツメの1/3量、胡麻油を適量加え弱火で煮詰めて完成である。ご飯のおかずやおにぎりの具としても利用でき、食欲が進む。瓶に詰めて冷蔵保存すれば、一年間は保存可能である。先日アメリカからラインで、完成品の唐辛子味噌を欲しいと連絡があった。
2017年09月14日

7月初め 9月現在里芋は最初に植えた親芋の周りに子芋・孫芋、場合によっては曾孫芋が発生する。このようにイモが付くことから、子孫繁栄の象徴とされ正月のお節料理には欠かせない食材となっている。里芋の旬は秋から冬の期間だが乾燥させないことと低温に当てないようにすれば、収穫から翌年4月位までの長期貯蔵が可能である。ただ収穫直後は簡単に剥くことができた皮が月日の経過とともに堅くなり、包丁で剥かないと擦ったくらいでは剥けなくなる。一般的に流通しているサトイモの多くは、「土垂」という品種である。粘質で、ねっとりとして旨いが、粘り気を嫌い粉質の八つ頭を好む人もいる。山野に自生していた芋はヤマイモと呼ばれ、里で栽培されることからサトイモという名が付けられたとされている。サトイモの栽培品種には、2倍体のものと 3倍体のものがある。2倍体品種は開花し着果するが、同じテンナンショウ属のウラシマソウやマムシグサの種子に比較してかなり小さい。サトイモは熱帯アジアの主食とされているタロイモ類のうちでは、北限が最も北の地域で栽培されている。栽培は比較的容易であり、湿潤な土壌で日当たり良く温暖であれば特に土質も選ばず栽培可能である。一般に畑で育てるが奄美諸島以南では、水田で育てる。湛水状態で育てた場合、畑で育てるより収穫量が2.5倍も多くなるとされる。日本への伝播はイネよりも早く、縄文後期には伝わっていたと考えられている蓮葉はかくこそもあれ おきまろが いえなるものは 宇毛之葉にあらし(長意吉麻呂)「蓮の葉は、このような葉の事をいうのだろう。我が家にあるものは、どうもサトイモの葉のようだ」※古語ではイモは「宇毛」と言われていた。…万葉集 巻16-3826和名抄(平安時代 辞典)には里芋が葉柄とともに食用になることが記されており、「延喜式」にはサトイモの栽培方法が記載されている。江戸時代までは「いも」といえば里芋を指していたが、甘藷や馬鈴薯などが新たに伝わるとイモは里芋だけを指す言葉ではなくなった。この三種のイモは、それぞれ植え付け方法が異なる。サツマイモは親イモからふいた蔓を切り取って土に挿して、ジャガイモはイモを切り分けて植える。サトイモの場合は傷が付くと腐敗するので病菌に侵されていなくて、傷の無いイモそのものを植え付ける。煮物の材料として極一般的な存在で、芋煮会・芋焚きの主食材である。澱粉が主成分で、低カロリーで食物繊維も豊富である。独特の「ぬめり」は、マンナン・ガラクタンで、マンナンは便秘予防・ムチン様物質には消化促進・ガラクタンには免疫力向上作用があるとされる。ある種のタンパク質が結合したシュウ酸の針状結晶が多数あるため、強烈なエグ味と渋味があり生食は不可能である。加熱でタンパク質が変性して、エグ味と渋味は無くなる。古くから親しまれてきた身近な作物であり、身近な食品でもあるため各地にさまざまな伝説が残っている。田子の木集落には葱・葦草・里芋・胡麻・蓮等を植えてはならないことと、井戸を掘ってはいけない・天窓を設けてはいけないという七つの忌事がある。昔、田子の木集落にある栗の大木の洞の中で、呻き声を上げている病気の山伏を見つけて家に連れ帰り看病した。全快した山伏が村を去るお礼に村に悪病が入らないために、七つの禁物を示した。山伏の言いつけを守ったところ悪病が入って来なかったことから、今もこの七つの戒を守っているという。 (仙北郡北協和村上淀川 蓮西寺発行)西馬音内では里芋畠の芋にすべって転んだため里芋を植えなかったといわれている。(雄勝郡羽後町教育委員会)千屋字大屋敷の某家に旅の僧が来て畑の里芋を分けて欲しいと言ったが、家婦は家の芋は石芋なので煮ても焼いても食べられないと言って追い返した。里芋を収穫したところ、石芋になっていて食べることができなかった。翌年以降もまた石芋になってしまったという。僧は弘法大師であったと伝わっている。(仙北郡北協和村上淀川 蓮西寺)目久尻川の流れで芋を洗っている老婆に、通り掛かった弘法大師が「サトイモを恵んでほし」と言ったのに対して、「これは水芋だから食えないよ」と言って見向きもしなかった。 その晩煮た里芋は本当の水芋で、固くて食べることができなかった。その時、捨てた残りの芋が水辺に自生するようになったのが亀島の水芋だと言い伝わっている。(海老名市)弘法大師が一軒の裕福そうな家の前を通りかかるとその家の軒下には、収穫したばかりの里芋が山のように積まれていた。 軒先にいた若者に、「これは、美味しそうな里芋ですね。一つ、わけて頂けませんか?」と訊ねると若者は、 「これは、里芋ではない。石だ。石だから、食べられないよ」 それを聞いた大師様は、「石なら、仕方がありません」こう言い残して立ち去りました。弘法大師が立ち去ったあと里芋はすべて石に変わっていたのでした。(室戸岬にある24番札所最御崎寺) 沓掛温泉は温泉尻で冬季でも水温が高いという好条件に恵まれて、縄文時代からの野生サトイモが絶えることなく今に生き残っており、青木村では野生里芋を石芋又は弘法芋の名前で呼んでいる。昔、旅で沓掛村を訪れた弘法大師が、川で美味しそうな里芋を洗っているお婆さんに出会いました。お腹を空かしていた弘法大師がお婆さんに「2、3個恵んでください」と頼んだところ、お婆さんは「この里芋は、石のようにかたくて食べられない」と断わりました。 お婆さんが家に帰り夕食に食べようとしたところ、里芋は本当の石のようにかたくなり食べることができなくなっていました。それからこの里芋は石芋・弘法芋とも呼ばれています。(小県郡青木村)サトイモの栽培には、土地の乾燥が何よりも影響する。7月から8月の成長期に日照りが続くと、成長が止まったりときには葉茎が茶色に変色し枯死してしまうこともある。今年の関東地方は7月に夏の太陽が数日出たが、8月は連日降雨が続いて日照時間は平年の4割以下しかなかった。日照不足によって、キュウリやトマト・ナスなどの夏野菜の出来が悪かったという。しかしこんな天候が逆に幸いして、今年はどこの畑でも株が大きくなったサトイモの茎葉が青々と大きく育っている。我が家ではサトイモ栽培を20年以上続けているが菜園に植えた63株のサトイモの株と茎葉が、今までにない大きさに成長している。茎は2m近くになり、葉の大きさは大人が両手で作った輪より巨大である。恐らく10月末の収穫期には曾孫芋までが着いて大豊作になり、あちこちから芋煮鍋の話題が聞こえてくるのであろう。
2017年09月12日

鰻の蒲焼は日本の食文化の中で、寿司と同じくらい知名度の高い食べ物である。「蒲焼」の語源については諸説あるが、「蒲の穂」に由来するという説が最も説得力がある。今の蒲焼の調理方法が確立する以前の鰻は丸のままブッ切りにして縦に串刺しにし、醤油と酒で調味し焼いていたと伝わっている。この焼き上がった状態が、蒲の穂に似ていたことが蒲焼の語源由来と説明されている。現在のように割いて骨を抜きタレを付けて焼く調理法は、1700年代の江戸中期になって確立されたといわれる。江戸が開発された当時大量に捕獲できた鰻を、屋台で安く労働者に提供したのが蒲焼が庶民の間に広まった始まりとされる。同じ割き方で焼いても醤油タレをつけないものは、白焼と呼ばれている。長野県との県境に位置する山梨県北杜市に、うなぎ専門料理店「井筒屋」がある。90年の歳月を経た、趣のある古い建物である。この店舗は1927に建築され「井筒屋」の名前で和菓子店を営んいたのだが、戦争のため廃業したのだという。東京には古くは江戸・安永年間から100年以上も続く鰻老舗の名店が、10指以上存在する。今ネット上で人気沸騰中の小淵沢うなぎ「井筒屋」は、菓子店当時の屋号をそのままに1996に「鰻屋」として再出発し漸く21年を経過したところである。鰻屋で開店前3~40分前に30人以上も並ぶ店は、山梨県内には恐らくこの井筒屋以外にはないのではないかと思われる。「丁寧な仕事と確かな味」だとして、人気が高い。国産うなぎを使っていて店頭にその日の産地表示がされるが、実際のところ産地によってどのように味が異なるのかその差を明確には説明できない。ウナギ(鰻)は、世界中の熱帯から温帯にかけて分布する。ニホンウナギ・オオウナギ・ヨーロッパウナギ・アメリカウナギなど世界で19種類が確認されているが、そのうち食用とされるのはニホンウナギ・ヨーロッパウナギ・ビカーナ種・ロストラータ種・タスマニアウナギの5種類である。日本では主としてニホンウナギが、蒲焼や鰻丼などに用いられている。日本では奈良時代の「万葉集」にすでに「武奈伎」とあるが、これがウナギの古称である。平安時代末の11世紀後半から鎌倉幕府成立期以降には、ムナギが「ウナギ」となり定着した。うなぎの語源にも、諸説ある。天然ウナギの胸の色が黄色いところから、「胸黄(むなぎ)」と呼ばれていたものが、やがて鰻に変化したという説があり一番もっともらしい。江戸小咄の「薬缶」には、「鵜が飲み込むのに難儀したから鵜難儀→うなんぎ→うなぎ」とある。一方落語ではウナギを食べる習慣がなかった頃の話として、小料理屋でウナギ料理を出したところ美味だったので「お内儀もうひとつくれ、おないぎ→おなぎ→うなぎ」になったというのもある。平賀源内の丑の日と鰻の話は巷間に広く流布されているが、源内の活躍した1700年よりずっと以前の万葉の時代にすでに大伴家持が夏バテに鰻を捕って食べるように勧める歌を詠んでいる。痩人をあざける歌二首石麻呂に 吾もの申す夏やせに よしといふ物そむなぎ取り食せ(3853)痩す痩すも 生けらば在らむをはたやはた むなぎを捕ると川に流るな(3854)今年の6月井筒屋の主人が大けがで入院したことから、帳場が手薄になったことと一年の間で最も鰻の需要が増える時期とが重なった上余りにも店の名前が有名になったこともあって夏休みの間は井筒屋の予約を取ることが不可能であった。8月末になって漸く電話が通じて、席の予約ができた。井筒屋は同じ市内にあって山荘からは24kmの距離で、20分ほどあれば行くことができる。11時の開店前には外の縁台に、30人ほどが並んだ。20台ほど入る駐車場には、関東地方のナンバーを付けた車が多く入っていた。隣で並んでいた若い夫婦は、子供を学校に出してから鰻を食べるだけを目的に小金井から飛ばして来たと話していた。幸い予約してあったので2番目に名前を呼ばれたが、注文を取ってから割き・焼くためにさらに40分ほど待たされる。キンキンに冷えた竹筒に入った「筒酒」の冷酒を楽しみながら、焼き上がりを待つ時間はそれほど長く感じられなかった。店頭には席に付いてからの待ち時間が待てない人と、騒ぐ子供の入店を控えてくださいとの看板があった。待ち1時間40分で食事は30分、それでも家内はまた来たいと言っていた。
2017年09月07日

マンゴー(檬果・芒果)は、ウルシ科に属する果樹である。死語に近いが、別名に菴羅(あんら)または菴摩羅(あんまら)がある。マンゴーはすでに4000年以上前からインドで栽培が始まったとされており、仏教経典に「聖なる樹」としてその名が見られる。ヒンドゥー教では、万物を支配する神の化身がマンゴーだといわれている。原産地はインド~インドシナ半島周辺とされ、現在インド・メキシコ・フィリピン・タイ・オーストラリア・台湾が主な生産国である。日本での栽培は、沖縄県・宮崎県・鹿児島県・和歌山県・熊本県が主産地である。品種改良もあって世界では、500以上もの品種が栽培されるようになっている。マンゴーは常緑高木の果樹で自然放置の場合、樹高は40メートル以上に達する。枝の先端に、薄黄色の複総状花序を多数付ける。マンゴーの花は、強烈な腐敗臭を放つ。フルーツの王様といわれるドリアンは果実そのものが強烈な腐臭を発し、インドネシアやシンガポールの店頭で山積みされたドリアンにはキンバエがたかっている。虫媒花のマンゴーだが栽培地沖縄では年間を通じて気温が高く、受粉を助けるミツバチの飼育が困難である。したがって、この臭気に集まるクロバエ科のキンバエを利用している。ハエはミツバチと異なり集団営巣生活をしないため、バケツなどの容器に魚の腸などのアラを入れたものをマンゴー栽培ハウスの裾に30cm四方ほどの開口部を設け入れて置くだけでよい。魚の腐臭に引き寄せられたハエは、ハウスの中に入るとマンゴーの花を渡り歩いて受粉に寄与する。果実は系統によって、長さ大きさ・形に大きな違いがある。果皮は緑色・黄色・桃紅色など種類によって様々だが、果肉は何れも黄色から橙紅色で多汁である。キウイのように未熟果は強い酸味があって食べることができないが、完熟すると濃厚な甘みに変わり独得の芳香を発するようになる。マンゴーはウルシに似たかぶれを、引き起こすことがある。ウルシのかふれは樹液に含まれるウルシオールが原因となるが、マンゴーのかぶれは果実や果皮に含まれるマンゴールによる。マンゴーを食べてから1~2日後に口唇・手指や頬・耳などに水泡や紅斑や丘疹などの症状が出現し、ときには胸部・陰部・頸部・喉の周囲が痒くなる場合もある。ごく稀にアナフィラキシーショックや、気管支喘息の発作を起こす場合もあるので注意が必要である。稀にこんな症状を現すマンゴーだが、食品アレルギー表示27品目の中には入っていない。普通はマンゴーと聞くと、赤くて卵型をしたアップルマンゴーが思い浮かぶ。沖縄には県民でさえもなかなか口に入らない、「幻のマンゴー」の名前で呼ばれることもある緑色をした2kgもの大きさになるキーツマンゴーKeitt mangoがある。キーツマンゴーの生産者は非常に少なく、生産地の沖縄でも入手困難であるため「幻のマンゴー」と呼ばれる。 幻のマンゴーだから、その実物を目にしたことのある人は極めて少ない。 アップルマンゴーの3~4個分もの大さがあり、皮が緑色なのが特徴である。追熟しなければ食べられないが、追熟してもほとんど緑色なのでアップルマンゴーを見なれた人には甘くなさそうに見える。実際には完熟のキーツマンゴーはアップルマンゴーより繊維質が少ない分、濃厚なプリンのような舌触りがあって甘味が強い。 アップルマンゴーが終わる時期の、8月から 9月の半月ほどが旬である。 国内生産マンゴーの9割以上はアップルマンゴーでキーツマンゴーは沖縄県以外に流通していないため、手に入れるには収穫時期に予約して通販によって求める以外に方法はない。キーツマンゴーの栽培は比較的容易とされるが、1本の木からの収量が少ないためあまり栽培されず生産量も少ない。アップルマンゴーは一つずつ網を掛け、熟して網の中へ落下したものを収穫する。キーツマンゴーは枝から収穫し、2週間ほど日光を避けて室温で追熟しないと食べられない。追熟しても果皮はほぼ緑色のままなので、食べ頃の見極めが難しい果実とされる。追熟が進むと収穫したばかりのキーツマンゴーに付着しているブルーム(果皮表面の白い粉状の蝋物質)がなくなり、表面につやが出マンゴー独特の甘い香りが強くなる。さらに果実がしっとりとして、柔らかくなれば食べごろである。今年は沖縄の学友から8月始めにアップルマンゴーが、さらに9月に入ってすぐ完熟キーツマンゴーが冷蔵便で送られてきた。沖縄県に住んでいてもなかなか口に入らない貴重なマンゴーを、ありがたくご馳走になった。送料まで入れると一個5000円にもなる1kgほどもある大きさのマンゴーのため、家内と二人ではマンゴーだけで満腹となってしまった。マンゴーをゲップが出るほど食べてみたいという人もいるが、文字とおりでマンゴーで満腹とはまことに勿体ないほどの贅沢さではある。
2017年09月03日
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