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クモは家の中や家の周囲・公園・道端・野原・山林など陸地のあらゆる場所に棲んでおり、日本では約1,200種が確認されている。 クモといえば、タランチェラという大型の毒蜘蛛が良く知られている。タランチェラの脚はズングリとして短い。 クモは大顎に毒腺をもち、獲物に噛み付いて毒を注入することで動きを止めて補食する。クモの毒は昆虫や小動物を死に至らしめる程度の毒性だが、なかには人間に害を及ぼすほどの強い毒をもつクモもいる。 クモが出てくる小説は、芥川の「蜘蛛の糸」が有名である。 「釈迦は地獄の血の池に落とされた罪人が苦しんでいる中に、カンダタ(犍陀多)という男を見つけた。 カンダタは殺人や放火もした泥棒であったが、過去に蜘蛛を踏み殺しかけて止め命を助けたことがあった。 釈迦はカンダダを地獄から救ってやろうと蜘蛛の糸を下ろした。糸に縋ってよじ登るカンダダの下にぞろぞろと血の池の罪人が昇って来た。 カンダダは細い糸が切れてしまうと思い、「この糸は俺のだ。みんな手を離せと叫んだ。」途端に糸は手の真上の部分で切れ、カンダタは再び地獄の底に堕ちてしまった。 遠藤周作の怪談小説「蜘蛛」は、怪談会に義理で出席しなければならなくなった作家が、予期せぬ恐怖に遭遇するという筋だ。 クモには網を張って獲物を待ち構えているイメージがあるが、半数ほどは網によらないで獲物を狩ることが知られている。 クモはその生態から「造網性の蜘蛛」・「徘徊性の蜘蛛」・「地中性の蜘蛛」に大別することができる。 わが国で最大のクモとして知られるアシダカグモは、 人家などの建造物に棲息する大型のクモとしてよく知られている。 徘徊性で、網を張らず歩き回って獲物を捕らえる。肉食性で、成熟後は比較的大型の動物も捕食する。 ゴキブリなど家の中の衛生害虫の天敵としては益虫だが、姿を苦手とする人にとっては不快害虫でもある。 福島県以南の本州・四国・九州地方に分布している。 アシダカグモは夜行性で薄暗い所を好み、昼間は隙間などに隠れているが夜になると壁などに出てくる。 体長は雌で20~30mm、雄では10~25mmもあり、足まで入れると150mm以上にもなる。 日本に生息するクモでは最大で、南西諸島固有のオオハシリグモと同程度の大きさがある。 形はやや扁平で、長い脚を左右に大きく広げる。歩脚は前三脚が前を向き、最後の一脚もあまり後ろを向いていない。 歩脚の長さには、それほど差がない。体色は灰褐色で、多少まだらの模様がある。 雌の頭胸部の前縁に白い帯があり、雄では頭胸部の後半部分に黒っぽい斑紋がある。 原産地はインドと推定され、今では熱帯・亜熱帯・温帯に広く分布している。 日本では長崎県で、1878年に発見されたのが最初とされている。福島県以南の本州・四国・九州地方に生息するが、北海道・東北で確認された例もある。 年に2回(6~8月頃)、産卵を行う。 卵を糸で包んだ卵嚢を咥え、子グモが孵化するまで餌を食べずに持ち歩く。 孵化直前にこれを壁などに貼り付け、暫くの時間近くにいて見守る。 1年で成体の大きさになるがそれまでに雌10回、雄8回脱皮を繰り返す。 巨大な大きさから毒グモと勘違いされることがあるが、人間に影響を与えるような強毒ではなく咬傷を与えることも無い。 人が近寄ると素早く逃げ、走るのが速く捕まえるのは難しい。 捕食中に他の獲物を見つけると新しい獲物を捕食しようとする習性があり、短時間に多数の害虫を捕らえる能力を持つ。 アシダカグモが2・3匹いる家では、ゴキブリは半年で全滅するという。 日本には人体に害を与えるほどの毒をもつ、カバキコマチグモ・アシナガコマチグモ・セアカゴケグモの3種の毒蜘蛛が確認されている。 日本全土の野外で普通に見られる「カバキコマチグモ」の毒は、ハブやマムシ・オオスズメバチよりも強い毒だという。 強毒だが毒の量が非常に微量なため、もし噛まれても人が死亡することは無い。 しかしながら噛まれると患部に激しい疼痛や腫脹があり、ときには頭痛や発熱・嘔吐を発症することもある。 完治するまでに軽症で2~3日、重い場合は2週間ほどもかかる。 ススキなどの葉を巻いて巣を作り、脱皮や交尾・産卵も巣の中で行う。 孵化した子は母グモを餌として、その体液を吸う。母グモは生きたまま食べられ、30分ほどで絶命してしまう。 アシナガコマチグモは神経毒を有し、噛まれると激しい痛みと腫れに見まわる。 カバキコマチグモのように草の葉で、あるいは広葉樹の葉を集めて巣を作る。 カバキコマチグモと異なり、子グモが母クモを食べることは無い。 セアカゴケグモはオーストラリア原産のクモで日本では、1995年に大阪で発見されたのが初見である。 輸入貨物等に紛れて侵入したものと考えられている。現在一部の県では、すでに定着しているとされる。 家屋のトイレや倉庫・郵便箱など、暗くて乾燥した閉鎖空間を好む。 オーストラリアでは、年間2,000~10,000件ほどの咬傷事故が報告されている。 氷点下あるいは40℃の過酷な環境にも適応能力があり、一年間絶食しても生存できるという。 1956年に抗血清が開発されるまでは、死者も出ていた。 人体に無害なアシダカグモ属は、世界に180種確認されている。日本にはアシダカグモを含めて三種のみが知られるが、他の2種のトカラアシダカグモはトカラ列島中之島にホソミアシダカグモは西表島のみに生息しその分布が限られている。 森林の落ち葉や枯れ木の下にいるよく似たクモは、コアシダカグモという別種である。 コアシダカグモは自然環境の保たれた野外に生息し、室内性のアシダカグモとは棲み分けができているとされるが室内に見つかることもある。 孵化した子グモはしばらく卵嚢の周りの壁にたむろしているが、これに触れた瞬間に子グモは一斉に散らばる。 「蜘蛛の子を散らす」という慣用句は、ここからできたとされる。 先日通常うす暗いところを好むのに、猛暑で狂ったのか真昼間玄関脇の白壁にへばりついた巨大なアシダカグモを発見した。 手の平大のサイズで、今まで見た同種のクモの中では最大級であった。 良く見ると、左前三脚の三本目が無い。トカゲの尻尾と異なり欠損した部分が再生することはないから、これからずっと七本脚で生きて行くのだろう。
2018年07月31日

今年の梅雨は、6月29日に開けた。平年の梅雨明けは7月21日頃だから、22日も早い梅雨明けとなった。 平均的には今頃漸く梅雨が明ける頃なのに、東京は既に1か月も雨無し猛暑の連続である。 この早すぎる猛暑に、夏の昆虫のセミも例年よりかなり早く鳴き始めた印象がある。 この時期には早朝4時頃車を運転して月に3~4回山荘に通うのだが、7月3日の早朝山間部ではすでに間断なくニイニイゼミの声が聞こえた。 今年の東京ではすでにアブラゼミ・ニイニイゼミ・ヒグラシ・ツクツクボウシが、けたたましく鳴いている。 7月中旬というこの時期山形でその声を聞くことが可能なセミは、エゾハルゼミ・ニイニイゼミ・ヒグラシ・アブラゼミ等である。 エゾハルゼミは「ミョーキン・ミョーキン・ケケケケ…」と鳴き、ヒグラシは早朝または夕方に、「カナカナカナ…」と鳴く。 アブラゼミは、鳴き声が油を熱したときに撥ねる音に似ているとされ五月蠅くけたたましい。 ニイニイゼミは、「チー…ジー…」の繰り返しで鳴く。 芭蕉が新暦の7月13日に立石寺を訪れた際岩にしみ入ると詠んだセミは、ニイニイゼミだという。 蟬という漢字は、「虫」+ 音符「單」の会意形声文字である。單は「ぶるぶる震える」などの意味である。雄セミの腹が伸び縮みして震え、音を出す様子が目に浮かぶ。 セミはほとんど臭いを出さないので、作物の有害害虫でもあり触ると猛烈な臭気を発するカメムシの仲間と聞くと不思議である。 平安時代前期の歌人で逢坂の関に庵を結び、そこから往還する人々を見て「これやこの 行くも帰るもわかれては 知るも知らぬも逢坂の関」と詠んだ人がいる。 セミを冠した「蝉丸」は平安時代前期の歌人で、百人一首にも出てくるので広く知られている。 昆虫は卵から孵化すると、幼虫と呼ばれる形態となる。 幼虫が、生殖能力を有する成虫になる過程で変態を行う。変態とは、動物が孵化して幼生の形になった後の変化のみに対して用いられる言葉である。 変態では生き残りと成長のために最適化された幼生と、生殖機能を備えた成体の間でその形態が大きく変わることが多い。 昆虫の場合卵から孵化し、幼虫となる。 昆虫類が完全変態を行うようになったのは、古生代の気候の悪化へ対応するため蛹となって寒冷期を乗り切るように進化したためではないかとの説がある。 チョウ・ハチ・ハエ・甲虫などのように、卵→幼虫→蛹→成虫 という段階を経るものを完全変態という。 セミ・カマキリ・トンボ・バッタ・ゴキブリなどは幼虫が直接成虫に変態するので、不完全変態といわれる。 不完全変態は古く,完全変態の方が新しいとされている。 不完全変態をする種では若虫と成虫の形態がよく似ており、数回の脱皮を繰り返して成虫に変態することが多い。 バッタやゴキブリでは若虫と成虫の外見上の違いは、体の大きさ以外ほとんどない。ただし翅は若齢の若虫には見られず、成虫になると一気に完全な翅になる。 セミ・トンボ・チョウなどの羽化は大抵、夜間に行われる。 セミの場合ほとんどの幼虫は夕方地上に出てきて、夜の8時頃から羽化を始める。 天敵に襲われるのを回避するため、夜に脱皮を行うようになったとされる。 空が暗くなった午後8時頃から背中が割れて羽化が始まり、脱皮が終了する午後10時頃には羽が伸びる。 先日午後3時頃外出の途路セオリーに反して日が高いのにもかかわらず、桜の幹をよじ登るニイニイゼミの幼虫を発見した。 かなりのスピードで幹を移動しており暫らく様子を見ていたが用事もあって、その場を離れた。 2時間後に同じ木の下を通りかかって、幼虫がいた辺りを探してみたが見当たらなかった。 フライングで地上へ出てしまったのだが、未だ日が高く脱皮までどのようにして時間を潰そうかと思案していたのかも知れない。 あのセミは無事に羽化して、飛び立って行くことができただろうか。
2018年07月21日

梅雨が明けると、お盆の季節が近づく。 我が家では、家内が東京人であることもあって、実家の例に倣って7月13~16日に盆飾りをする。 この時期には、お中元・藪入・夏解など様々な行事が集中している。 今では単にお盆と呼ばれることの方が多いが、盂蘭盆会・盂蘭盆ともいわれる。 盂蘭盆会の起源は釈迦の十大弟子の一人である「目連尊者」が、釈迦の教えに従って祭壇を設けて母の供養したとする伝説にあるとされる。 三宝(悟りを開いた人・仏の説いた教え・仏の教えに従い成仏を目指す出家者=仏・法・僧)に供養し、餓鬼道に落ちた母を苦しみから救ったと「盂蘭盆経」に説かれているという。 日本には昔から自然や動物・先祖を敬い死者の霊を祀る風習があり魂棚・霊棚・精霊棚を設けて死者や先祖の霊を祀った霊祭りが永く行われていたという。 霊棚に先祖霊を迎えるための容器は昔の言葉で「ボニ」と呼ばれ、それが訛って「ぼん=盆」になったとする説もある。 いずれにしても仏教と日本古来の風習が習合して、今のお盆の風習ができ上がったと考えられている。 推古天皇は毎年4月8日と7月15日に斎(精進料理を捧げる)を設けたとあり、この時代から盂蘭盆会に近い行事が行われていたと思われる。 また推古天皇の時代から約100年後には斉明天皇が飛鳥寺の西に盂蘭盆会を設けたと記されているので、この頃には盆の行事が定着していったものであろう。 盆は旧暦7月15日が中心で、統一的に行われていた行事であった。 これが明治5年の改暦にともない新暦に変わった際地域により対応が分かれたことから、「新暦へ移行・旧暦のままあるいは新暦の月遅れ」と地域・地方によってその時期はマチマチとなった。 また7月15日をお中元と呼ぶが、道教の三元(上元1月15日・中元7月15日・下元10月15日)にその起源がある。 江戸時代に中元の7月15日に先祖への供物と共に商い先や世話になった人に贈り物をするようになり、この習慣を特に中元と呼ぶようになったものである。 盆には火を焚いて先祖の霊を自宅に迎え入れ、送る行事がある。 盆の入りは旧暦の7月13日で、7月16日が送り火である。 東京都内では多くが新暦で行われているので7月13日の午後迎え火を焚き、7月16日の夕方送り火を焚く。 祖先の霊にはなるべく早く迎えて帰りはゆっくり送りだすことが良いとされ、13日の午後早めに迎え火、15日は夕方遅く送り火を焚く。 1977年4月5日に発売された千昌夫の「北国の春」では、 ♪白樺 青空 南風 こぶし咲くあの丘 北国の…と歌われている。 作詞者のいではくは、標高1000mの長野県南牧村の情景を描いたという。作曲者の遠藤実は、少年時代を過ごした疎開先の新潟県をイメージして作曲したと伝わっている。 歌の冒頭に出てくる白樺は正式にはシラカンバといわれる、カバノキ科の樹種の1種である。樹皮が白いことからこの名があり、シラカバの別名を持ちこちらの方が一般的となっている。 福井県、静岡県から北海道までの落葉広葉樹林帯に自生する。 我が国の高原を代表する、木の1つである。 明るい場所を好み生長が速いが寿命は樹木の中では比較的短く、耐腐性が弱い。 そのため、柵の材などには不適である。 先駆植物であり適地であれば落ちた種子は一斉に発芽して、白樺林を作る。 不適地の場合、地中で休眠したまま数年耐えうる。 休眠の種子は山火事の熱で休眠打破されて発芽し、湿原に落ちた種子は湿原が乾燥し陸地化した後に発芽するなどがある。 迎え火は一般的に7月13日に先祖が眠る墓の前あるいは家の門口で、皮を剥いだ麻の茎を乾燥させた麻殻、麦や稲藁・松明・白樺の干した皮などが燃やされる。 長野県の北信地方では、お盆の迎え火は白樺の皮を用いる。その時期になると雑貨店やスーパーで、シラカバの樹皮が売られる。 適地に自生する白樺の寿命は70年程度とされるが、低地に植栽した場合幹の中に俗に鉄砲虫というカミキリムシの幼虫が大きな孔を穿ち枯死させてしまう。 そのため山地に自生する本種より短く、精々30年ほどの寿命しかない。 白樺の林の山荘に憧れていたこともあって標高630mにある用地を購入した際、不動産業者のサービスで2mほどの12本の白樺の幼苗12本を植えて貰った。 3年目で数本の根元から鉄砲虫が入り、1/3が枯れてしまった。 残った木も毎年穿孔されるので、その穴にスミチオンの原液を注入し根元にはオルトラン粒剤を散布して予防していた。 そんなに気を使って予防したのに植栽後18年経って、残ったのはたった3本だけとなってしまった。 このうち敷地入り口の角の一本はシンボル的に、一本だけ幹回り60cm双幹で高さ25mほどにも大きく育った。 この白樺だが春先は緑の葉を広げたのに、7月に入って見事に茶色に変色して枯死してしまった。 恐らく無数の鉄砲虫が入って、導管が切断されてしまったものと思われる。 今は菜園に多くの野菜が育っていて倒すことは不可能なので、野菜の収穫が終わって冬を迎える前には伐採してストーブの薪として供養しなければと考えている。 南信州の生家では迎え火に麦藁を使っていたのだが、麦の栽培を止めて久しいので今何を燃しているのか知らない。 我が家は東京式で麻殻を購入してきて迎え火をたくので、白樺の皮を使ったことは無い。
2018年07月09日
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