日本の親が亡くなったらやること 0
(多分)最後の帰省2024夏編 0
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おはようございます、ひなこです。1986年、昭和61年です。ここにきて、この企画、頭打ち。この年、ひなこはオーストラリアにいたので、日本のことがわかりません。そこで、オーストラリアの1986年のベストヒットをまとめたものを探してみました。トップ100発見!https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/draft/?d_date=20180728&d_seq=14976497おお、懐かしい。紫色で名前が書いてあるのが、オーストラリアのバンドや歌手です。日本のように、日本の歌のランキング、外国の歌のランキングと別れてないです。まあ、英語の国ですからねえ、日本とは違います。オーストラリアのバンドのWA WA NEE見に行ったなあ。弱冠21,2歳のジャパニーズガールですから、ステージの上からメンバーがほほ笑んでくれたりするんですよ。って、これじゃあマイケル・ジャクソンを一番前の席で見た友達が「マイケルが私に微笑んだ!」と言っていたのと変わらないなあ。このシリーズ、もうこれ以上続けてもあまり意味がなくなってきました。日本を出たら、皆さんと想い出がかけ離れてますし、結婚して子供ができたら子育てで忙しくて世間で何が流行ったとか何も覚えてないですし。日本に帰った時のことを思い出して書くという手があるけど、大体、おかあさんといっしょだのポンキッキーズだのテレビからしてそんなの見てたしなあ。なので続くか不明。ご機嫌よう!
2018年08月27日
おはようございます、ひなこです。1985年、昭和60年!やっと昭和60年代に突入です。この年、ひなこは札幌の短大を卒業して、東京で就職しました。(卒業式には貸衣装の袴を着た!これも美容院の化粧が気に入らす、家に帰ってやり直しました)しかし、職場は東京とはいえ、住んでいたのは、嵐の相葉ちゃんの実家のあたり。(会社が”あなたはここに住むのよ”と勝手に決めた物件)でもまあ、当時相葉ちゃん、まだ幼児ですから、今から思えばって話ですけどね。相葉ちゃんのご両親のお店にもたまに会社の人々と中華を食べに行っていたものです。これも、今から思えばあれが相葉ちゃんのご両親だったのかって話ですけども。この年、日本航空機が墜落しました。朝、仕事に出かける時に見た、朝刊の第一面の記事、衝撃的でした。あとは、聖子ちゃんと神田正輝さんが結婚しましたね。この頃は、眉を太くするメイクが流行っていました。でもひなこ、働くようになったら全然化粧をしなくなって。なぜかと言うと、通勤に時間がかかるから、朝とっても早く起きて化粧をするよりはとってもぎりぎりまで寝ていたい派だったのです。一度ちゃんと化粧をして出勤したら上司が「どうした、ふゆの。好きな人でもできたか?!」と言うので、「いやー、今朝早く目が覚めて」と答えたら、うなだれてましたけども。仕事がなまら忙しくて(1か月に90時間残業したりしてた)本も読まなくなりました。勤務時間は、午前9時から午後6時、一か月の休みは5日だったので、オーストラリアで働くようになったら、9時5時のナイントゥーファイヴだし、土日は休みだし、残業なんて全くないし、労働者の権利が守られてる国だよな~と感動しました。なんで残業がないかというと、残業代は通常賃金の2倍を払わないとダメなので損するから雇用者が残業させないんだそうだ。この年の流行歌ベスト10は、チェッカーズが3曲、明菜ちゃんが3曲、残りの4つが聖子ちゃんと安全地帯と小林明子とCCBです。個人的に印象に残っているのは、キョンキョンの♪なんてったってアーイドール♪とAHAのTAKE ON MEです。そんなわけで、映画もドラマもアニメも何にも見てないです~。働きづめてました~。続く。
2018年08月26日
おはようございます、ひなこです。えー、昨日、オーストラリアの首相が変わりました~。日本のニュースではモリソンになってますけど、発音はモリスンの方が近いかな~。リベラル党内の党首挿げ替え騒動による結果です。なんか一般市民はすっきりしないですけれどもねえ。政治家が勝手にドタバタやってるだけで。今日は、1984年、昭和59年です。1Q84ではありませんよ。まだ昭和50年代なんだー。ひなこ、二十歳になった年です。冬休みに地元でバイトをしていたまだ19歳の頃、着物の貸衣装をやっている美容室に予約を入れて、振袖を着て写真を撮りました。(親が言ったんじゃなくて、自分で希望)札幌って成人式がまだ19歳の時だったはずだと、私の怪しい記憶ではそうなっています。成人式なんてものに出席しようという考えはこれっぽちもありませんでしたが、馬子にも衣装でちょっと晴れ着で写真撮っておこう!と思い立ったわけです。この成人式の写真って、後の人生において、お見合い写真で使われてるものだったらしいですね。ひなこは、当時そのような認識は全くなかったのですが。まあ、お見合いすることも結局なかったので使われることはありませんでした。美容室の人にされた化粧が気に食わなくて、ちょっと個人的には残念な写真ですが、まあ若いことは若いです。(当然)息子に、「ほれほれ、見てみ。ママ若いでしょ」などと見せては、鬱陶しがられたりしました。冬休みが終わり、札幌に戻って、春休みに英国に行く準備を始めました。説明会に行ったり、道庁でパスポート作ったり。航空券の手配、トラベラーズチェック作成、などなど。このために、せっせと働いたんですからね。人間、目的があると頑張れます。そして、2月の中旬から3月中旬まで、イギリスに行ってきました。https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/draft/?d_date=20180825&d_seq=14969332日本に帰って来て、髪は刈り上げるわ、ピアスの穴を耳に開けるわ、少し暴走しましたが(従兄に説教された。お前はアンアンの読み過ぎだ!って)、ちゃんと秋には就職先も決まりました。この年、お札が新しくなったんですね。そうか、聖徳太子の1万円札、19歳まで使ってたのかあ。この年のファッションの流行に、女性がメンズものを着ることとありました。確かに、ファッション関連には疎い私も、父が若い頃来てたツイードのジャケットを箪笥の奥底から掘り出して着たりしてたな。今となっては嘘のようですが、父は結婚前は給料を全部服飾関連につぎ込むような人だったらしいです。信じられん。札幌の古着屋で買った男物のオーヴァーコート(肩が抜けそうなほど重い)も冬に来てたし。昔の人・母は、「あんた、少し頭おかしいんじゃないの。なんて男の服着るのよ!あんた女でしょ!」とかなり抗議してましたが、中学高校と自分を無視していた娘が、いきなり自分の昔の服を着るようになって、父はちょっと嬉しかったようでした。あ、女性の刈り上げもブームって書いてある。そうか、私が刈り上げたのも流行にのせられただけだったのか。でも、私が通っていた女子大はお嬢様学校だったので、私は浮いてました!学園祭で英語劇をやった時も(英文科)、私はうんのすんの言う間もなく、男役で出演することに決まっていました・・・。で、リハーサルの日、他の男役の人は、監督に「当日はもっと汚い恰好で来てくださいね」なんて言われてたのに、私だけは、「あ、ふゆのさん、それ衣装?え、私服?普段着?あなたは当日はそのままでお願いします」なんて言われてました・・・。ヒット曲の1位は、わらべの『もしも明日が』。2位は、安全地帯の『ワインレッドの心』。私、一度札幌でザ・ベストテン見てたら、安全地帯が私の地元から中継ということがあって、私の実家からすっごい近くだったので、「うわ、安全地帯、見に行こう!」と立ち上がり、「あ、しまった。自分、今札幌にいるっす」と気づいて一人笑ってしまったことがありました。3位は聖子ちゃんの『ロックンルージュ』。聖子ちゃんは今も活躍しているので、明菜ちゃんより聖子ちゃんの方が人気があったような気がしてたんですが、この年のベスト10に聖子ちゃんはこの曲しか入ってないけど、明菜ちゃんは3曲も入っています。話題作りとか、忘れられないようにうまくマネージメントするのも大事なんでしょうねえ。そして、チェッカーズも3曲入っています。チェッカーズ人気あったよねえ。フミヤ君よりリーダーがカッコいいと私は思ってましたけど。4位『涙のリクエスト』、5位『哀しくてジェラシー』、8位『星屑のストーリー』。6位は明菜ちゃんの『十戒』、7位芦谷雁之助『娘よ』。ん?9位『北ウィング』、10位『サザン・ウィンド』。今年日本にいる時、ラジオでサザンウィンドを聞いて、いい歌だなあと思ったっけ。マイケル・ジャクソンのスリラーが年間アルバム1位だそうです。確かに、どこに行ってもマイケルが流れてた気がする。↓これも1曲目がスリラー。https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/reservation/?d_date=20180825&d_seq=426986おお、カジャグーグーだって。いたな、そんなの。あとは、カルチャー・クラブとかデュラン・デュランとか流行ってましたよね。私はあんまりアメリカものは聞かなかったけど、シンディー・ローパーのはじけぶりが好きでした。日本のものでは、戸川純とか爆風スランプとか聞いてました。ドラマの高視聴率には入っていないけど、『無邪気な関係』というドラマの三上博史と戸川純の関係性に萌えていた私。やっぱり、モーリー・フーパ―好き要素がここにも表れているよなあ。そうえいば、この頃、毎月筒井康隆の全集を1冊ずつ購入して、全部揃えました。続く。
2018年08月25日
おはようございます、ひなこです。「吉田く~ん!」金足農業高校野球部が秋田に戻ると、女子達の黄色い声が響いた。その声で、ひなこも一気に自分が十代の頃の気持ちを思い出すこととなった。しかし、そんなアホな心持を思い出していた頃、キャンベラでは首相交代劇のドロドロが行われていたのであった。今日は1983年、昭和58年です。大学受験が終わって、しばらく本を読むことから遠ざかって受験勉強をしていたので、「本、読むぞお!」と書店に行って購入したのが、『羊をめぐる冒険 上下』と『だいじょうぶマイフレンド』でした。全部、単行本!多分お年玉を使わずにいてお金を持っていたのでしょう。そして、それまで村上龍さん一押しだったのに、一気に村上春樹派になりました。そして、ひなこは高校を卒業して短大生になって、4月から札幌に住むようになりました。でも、バイトばっかりしてましたけども~。学校は体を休めるところというか、寝てばっかりいたな。最初にしたバイトが結構ハードだったので、急に体育系の部活を始めたような感じになって、筋肉がついて、でも体重は3キロ減って、魅惑の40キロ代となり、Sの服が着れました。今となっては、大嘘をこいているように聞こえますけど、事実です!このバイト先では、お客様として芸能人の皆さんもいらっしゃって下さっていたので、芸能人を結構見たなあ。でも、ギャーギャーわめいたりサインもらったりとか、そういうことをしては絶対いけません!と社員からきつく教育されてましたけど。私が休みの日に、一風堂の土屋さんとJAPANのスティーヴ・ジャンセンが来た!というのを後で聞いて、どうして私その日休みだったんだべと悔しかったです。ちなみに、中学の時の同級生は、宿泊ホテルで張っていたら、スティーヴが日本語で「寒いね」と言ってくれたそうだ。なんか、笑える。さすが北海道みたいな。この年流行ったものは、NHKの朝ドラの「おしん」だそうです。これは海外でも放送して、海外でもかなり流行りました。流行歌ベストテンの1位は、大川栄策の『山茶花の宿』。2位は、細川たかしの『矢切の私』じゃなくて『矢切の渡し』。5位に『氷雨』も入ってるし、演歌、大健闘。3位は、わらべの『めだかの兄弟』。欽ちゃんの番組でやっていたような。4位は、薬師丸ひろ子さんの『探偵物語/すこしだけやさしく』。思わず彼女だけ”さん付け”で呼んじゃいましたが、当時の薬師丸ひろ子さんは、他のアイドルとはちょっと違うんだぞという感じを全面に出していたような感じでした。6位『キャッツ・アイ』杏里。アニメの主題歌だったよね。7位は聖子ちゃんの『ガラスの林檎/ SWEET MEMORIES』。ペンギンのCMを思い出す。8位は明菜ちゃんで『セカンド・ラヴ』9位はアイリーン・キャラの『フラッシュ・ダンス』。私もこの映画、映画館で見た気がする・・・。10位はラッツ&スターの『め組のひと』。ベストテンには入っていないけど、この年の個人的BGMは、早見優ちゃんの♪風が吹くたび気分も揺れる~っていう『夏色のナンスィー』、俊ちゃんの♪シャワーしたいね(『シャワーな気分』というそうだ)とか、聖子ちゃんの『天国のキッス』とか思い出します。バイト先でジンギスカン(おお、北海道)の匂いが体に染みついて、どれだけ風呂に入っても、どれだけシャワーしても、常になんとな~く自分が羊臭い感じだったので、せっせとシャワーして服を洗濯してという自分のバックに流れているのが↑これらの曲という感じです。邦画の3位に『汚れた英雄』が入っている。どうでしょうで、洋ちゃんに教えてもらった♪ラニン・ハーイ ラニン、ハーイ。大泉先生は私の9歳年下ですから、9歳か10歳の時見たんだね。確かお兄ちゃんと結構年が離れてるから、お兄ちゃんと見に行ったのかな~。10位には『伊賀野カバ丸』。私、高校生の時、別マでカバ丸大好きでしたけど、映画になってたんだ。後に(ここ数年の話です)、作者の亜月裕さんが東大卒だと知って大変びっくりしました。別に東大卒で漫画家でも良いと思いますが、親とか怒り狂ったんじゃないだろうか、なんて想像したりして。現在もカバ丸の続編みたいな漫画を描かれているようです。洋画の1位はこの年も『E.T.』。2位が『スターウォーズ ジュダイの復讐』で3位が『フラッシュダンス』。6位に入っている『愛と青春の旅立ち』(原題は”AN OFFICER AND A GENTLEMAN. どうして邦題はこうなった?!外人と話する時意味不明になるのよね、こういうの、原題知らないと)。ひなこ、リチャード・ギアにハマって、DVDなんてない時代だから、映画館に10回近く見に行きました。その後、彼の昔の作品とかも、映画館で見たんですけど、デビュー作の『天国の日々』(これは原題がDAYS OF HEAVENだからそのままだな)、これが好きだったなあ。とても映画通の友達が、「『天国の日々』で水の中に落としたグラスの周りを魚がくるっと泳ぐシーンがあっただろう、あれが素晴らしかった」と語ったことがありまして。そうだよね、魚に演技指導できないものね。その友達は私が『天国の日々』を知っていたことに驚いていましたが、私はただ単にリチャード・ギア目当てで観ただけであって、彼女のように「あの監督はヨーロッパの誰某監督の影響をすごく受けていて」などと熱弁をふるう映画ファンではありません。ドラマの『不揃いの林檎たち』、観ていた気がする。アニメ『みゆき』、観ていた気がする。H2Oの『思い出がいっぱい』ってこのアニメだよね。秋口からは、着物を着て、観光客にカニ料理を運び、新製品の生理用品を街角や学校前で配るバイト(時給良かった)もやりました。そして、この年の締めも(冬休み、北海道は長いのだ)地元に帰って、せっせといつものデパートでバイトをしました。大学生になったら、新館に移って、婦人洋品売り場で、プレゼント用の手袋の箱を包んだりしていた。BGMは、前にも書いたけど、バーブラストライザンドの♪オーヴァーランオーヴァーラゲーン(ウーマン・イン・ラヴ)と、ドナサマーのワンダラー(The Wanderer。$1.00ではありません)をエンドレスで聞いていたものであった。あれって有線だったのかなあ。https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/draft/?d_date=20180824&d_seq=14874784https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/draft/?d_date=20180824&d_seq=14874784デパートのバイトをしてつくづく思ったことは、絶対学校を卒業した後は、事務仕事するぞってことです。一日中(勤務時間は午前10時から午後6時)立ちっぱなしなので、足はむくむし痛いし。夜寝る時は、足を高くして寝ていたものでした。このように、せっせとバイトをして、翌年2月~3月に英国一周旅行に旅立ったわけです。続く。
2018年08月24日
おはようございます、ひなこです。今日は、1982年、昭和57年です。高2の冬休みも、地元のデパートでバイト。この年は玩具売り場にいました。誰が撮ったのか忘れちゃったけどその時の写真が残っていて、髪型とかとっても聖子ちゃんが入っていて笑えます。(初めてパーマをかけた直後)当時の聖子ちゃんはどっちかというと私系の顔立ちだったしねえ。今は全然別物になっちゃいましたけど。この時、学年の皆の憧れの的という感じの男子がふらっと通り過ぎて、「お、ふゆのひなこ、こんなところでバイトしてんのか」なんて声をかけられて、私が「うぎゃああ!」と興奮していると、社員の人々に「何?彼氏?」と聞かれ、「いいえ、滅相もない。恐れ多くも、彼は皆のアイドルです」と答えた記憶が。「確かに、カッコよかったね」と社員の皆さんも納得。彼はかっこいいだけではなくて、性格もすんごく良かったので、男子も一目置くお人でした。そして2月に同じクラスの大好きだった人にチョコレートをあげたりして盛り上がっていたなあ。バイト代があって懐が温かかったから、プレゼントも奮発して絵本の『100万回生きた猫』を買い、良い絵本だなと思って自分の分も買いました。春休みに同じクラスの男子から「暇だ~。用事ないけど暇だから電話した」って電話がかかってきて、これは使える!と思って、私もチョコレートをあげた人の家に同じことを言って電話してみたりもしました。その日が1982年の3月31日で、ワイドショーで「ピンクレディー解散から早1年」とやっていたのを今でも覚えてます。「俺も暇だからうちに遊びに来れば」と言われて、鼻血が出そうになりましたが、小心者なので行けませんでした・・・。ちなみに、この頃は携帯電話なんてないですから、固定電話に電話して親が出て「○○君いますか~」の世界ですよ。懐かしいなあ。この年、500円硬貨が発行されたそうです。そうか、高2まで500円札使ってたのか。なるほど。昭和の人だねえ。笑っていいとも!が放送開始。その前に笑ってる場合ですよっていうのもあったなあ。そしてヒット曲はといえば。1位はあみんの『待つわ』。日本の女はまだ待ってなあかんかったんやな。友だち二人が、ハモってカラオケで歌ってたなあ。2位 薬師丸ひろ子さんの『セーラー服と機関銃』。♪さよならは別れの言葉じゃなくって~。ひなこが♪都会は病気じゃあ 身の慌ただしさ、だとずっと思っていた歌。3位 岩崎宏美さんの『聖母たちのララバイ』岩崎宏美さんの歌で背後に恐ろしい声が入っているというのは、これではなかったか。(いいえ、それは『万華鏡』でした。高校の放送室で皆で声を潜めて確認して「ぎええええ!」と怖がったひなこであった)https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/draft/?d_date=20180823&d_seq=148747834位は、「半分、青い。」のおじいちゃん、中村雅俊の『心の色』。5位は細川たかしさんの『北酒場』。6位は中島みゆきさんの『悪女』。うん、この歌高2の終わりの頃よくカラオケで歌ってた。8位はサザンの『チャコの海岸物語』。紅白で、桑田さんが三波春夫になってこの歌を歌っていたのをよく覚えています。7位、9位、10位はマッチです・・・。というわけで、映画も1位は『セーラー服と機関銃』で、2位はマッチの『ハイティーンブギ』。なんだかな。7位に「なめたらあかんぜよ」の『鬼龍院花子の生涯』が入ってます。夏目雅子さん、綺麗でしたよねえ。美人薄命の言葉そのままに若くして亡くなられましたけれども。洋画の1位はぶっちぎりで『E.T.』。私も土曜日に授業を自主早退して(笑)友達と見に行きました。今まで不思議に思ったこともなかったのですが、E.T.とは:Extra&Terrestrialの略で地球外(生命体)の意味だそうです。2位は『ブッシュマン』。これ面白かったよな。シドニーの映画館でも再度見ました。この年大流行したものでとっても印象に残っているのは、「恋コロン 髪にもコロン ヘアコロンシャンプー」という長い名前のシャンプーが発売されて、フルーツの香りとフラワーの香りがあったんですけど、「私はフルーツ派」「私はフラワー派」「私はどっちも買った!」と、クラス中皆このシャンプーになったことです。男子まで買ってたもの。すっごく静かな全然喋んない男子が隣の席になって、その人まで「俺はこっち」と言っていたのが印象的でした!あれ資生堂だったんだ。あの長いネーミングがまた高校生の心を鷲掴みにしたんだろうなあ。「恋コロン」なんて、17,8歳にはピッタリくるもの!私が高校生の頃は、今の高校生のように化粧とかしてなかった代わりに、シャンプーが大事だったんでしょうかねえ。もうちょっと後だけど、♪ティモテ ティモテ ティモテ~(CMに影響されてるなあ)も使ってたな。続く。
2018年08月23日
おはようございます、ひなこです。久々のこのシリーズ。今日は1981年、昭和56年です。ひなこは高2になりました。でも、3月までは高1。この年の年明けである高1の時は、地元で一番大きいデパートの書籍売り場でバイトしてました。高校受験が終わった後に、中学の友達と二人で本屋でバイトしてたんですけど(本屋だと親が許可を出す)、そことは違う本屋さんです。北海道の長い冬休みはひたすらフルに働いてコンタクトレンズを買いました!一式7万円!自腹!この時立ち仕事で足はむくむし痛いし、大人になったら絶対座っていられる事務仕事するぞと心に誓いました。この年、緑のエッセンシャルシャンプーに、クリームタイプのオレンジシリーズが登場。緑のエッセンシャルシャンプ―の匂いを今嗅いだら、タイムスリップできますね。あれ大流行したよなあ。そして歯磨き粉は、青と白のアクアフレッシュが発売されました。アクアフレッシュといったら3色(赤青白)を思い浮かべますが、最初は2色だったんです。CMソングも♪白とブルーのストライプでしたからね。そして、当時大流行していたのが貸しレコード屋です。ひなこも大変お世話になりました。レコードを借りて家でカセットテープに録音して、レコードは返して家でカセットを聞くんです。レコードは1枚2500円くらいでしたけど、1晩借りて翌日返せば、はっきり覚えていないけど200円とかそんな感じで安上がりでした。でも著作権とか色々問題ありそうな感じしますけどもねえ、今思えば。田中康夫さんの『なんとなく、クリスタル』が流行って、私も単行本持っていたし、映画まで見ました。主役の由利役は、かとうかず子さんでした。流行歌堂々の第一位は、寺尾聡さんの『ルビーの指輪』。♪曇りガラスの向こうは見えません~2位 奥飛騨慕情3位 スニーカーぶる~す マッチ4位 ハイスクール・ララバイ イモ欣トリオ5位 長い夜 千春 6位 大阪しぐれ 都はるみ7位 街角トワイライト シャネルズ8位 恋人よ 五輪真弓9位 チェリー・ブラッサム 聖子ちゃん10位 守ってあげたい ユーミンザ・ベストテンの世界だな~。個人的には、ツイストの解散前の最後のアルバム『Hipp!!』を、それこそ貸しレコード屋さんで借りてすごく聞いてました。あれ、良かったんだよなあ。千春は、全国区になった頃には、北海道ではオワコンでしたねえ。北海道では、千春と言ったら『旅立ち』ですねえ、『長い夜』ではなくて。シーナ・イーストンとかもこの頃ですよね。こっちのテレビで昔の007とかよく放映してますけど、シーナも♪For your eyes only~なんて主題歌歌ってました。高2の時には、京都・奈良・東京の修学旅行に行ったなあ。遠かったですよ。この頃、本も沢山読んでました。時間はたっぷりあるし、目も疲れないし、1日1冊毎日違う本も読めました。続く。
2018年08月22日
おはようございます、ひなこです。TBSの特別ドラマ、洋ちゃんが「寅さんになった気分だった」という『あにいもうと』見ました。なんというか昔のホームドラマの典型という感じで、私世代には懐かしくもありましたが、若い人は古臭く感じるのかなあ。でも、まあ、今若い人少ないからねえ。『山田家の人々』を作った大泉先生も、こういうの実は好きなんじゃないかなあ。春4月から高校生になりました。新しい制服!と言っても中学と同じブレザー型で、ひなこセーラー服って着たことないんですけど。今まで、徒歩数分で登校していましたが、バス2本乗り継いでのバス通学。高校生活と言ったら、まずバスが浮かぶくらいです。それで、なんかすごく日に焼けました。(顔が赤くなった)今まで、登下校の時間が短すぎて日にあたることもなかったんでしょうか。聖子ちゃんのデビューと重なるのは、聖子ちゃんが私達より3歳年上で、高校卒業してのデビューだったからでしょう。私は日本の歌謡曲とか全然聞いてませんでしたが、それでも自然と耳には入ってくるので、高校時代と言ったら、やっぱりまずは聖子ちゃんの歌がいつも背景にあった感じがします。高校に入ってすぐは、『裸足の季節』のサビのところがCMソングになっていた(♪エクボの~)その名もズバリ”エクボ”で洗顔というのが定番。ビオレじゃないですよ。今調べたら、あれ資生堂だったんだ。あのエクボの匂い。今嗅いだら、ああああああ、高1時代!という感じにタイムスリップすると思う。エクボで洗顔、ニキビにはクレアラシル、靴下にはソックタッチ、制汗剤にはエイトフォー、リップはキスミーシャインリップみたいなね。そういえば、中学の頃、眠くなったら眼のふちに塗る眠気覚ましのミントのクリームみたいのあったよな。私は使ったことないけど、同級生が使った感想を言っていた気がする。ルービックキューブが大流行。私も買った!1つ上の先輩でぱぱっとできる人がいたなあ。北大行きましたけど。百恵・友和結婚。蒼い時は文庫で買って読んだかも。この年のヒット曲第1位は、ダンシングオールナイト、もんた&ブラザーズ。半分、青い。でも、流れてたっけ。2位に異邦人。あれ、異邦人ってこの年?3位、クリスタルキングの大都会。♪あ、あ~!果てしない~4位、シャネルズ、ランナウェイ。シャネルズっちゅうのは、後のラッツアンドスターのことやな。5位、順子。私の苦手な長渕剛さん。♪おお、真子って替え歌して歌ってたよねえ。別れたけども。6位は海援隊の贈る言葉。7位、五木ひろしさん、お前と二人。8位、別れても好きな人。ロス・インディオスアンドシルヴィア。9位、さよなら、オフコース。10位、哀愁デート、俊ちゃん。今でこそ、中居君とか言ってるけど、当時の私は、マッチとか俊ちゃんとか、ジャニーズ事務所の人はほとんど憎んでいたものであった。バカじゃないのって。聖子ちゃんも、高1の時に、一度お昼の校内放送で流れて、ブチって教室のスイッチ切ったことあるんだよな、私。とんでもないな。でも、誰も文句言いませんでした。私が怖かったんじゃなくて、私が仲良くしていた人(パンクバンドのドラマーとか~)が怖くて誰も何も言えなかったそうですが・・・。オフコース、人気ありましたよねえ。私が洋楽ばかり聞いているので、オフコースファンの同級生が「すごくいいから聞いて」と押し付けて貸してくれましたが、パンク・ニューウェイヴにハマっていたので、「♪愛は~、とかしか歌うことねえのかよおおお」と思いました。洋画の青い珊瑚礁、映画館で観たと思う。ブルック・シールズのやつ。でも1つ上の先輩と見た気がするんだけど。だから高2の時?そうか、田舎だから映画公開が遅かったのか!そして年末は、地元のデパート内書籍売り場でせっせとバイトで暮れていきました!続く。
2018年06月27日
おはようございます、ひなこです。HTBで、ドラマ作るんだ~。それも自社がモデルの『チャンネルはそのまま!』。佐々木倫子さんの漫画は、大好きな『動物のお医者さん』を大人買いしたことがありますが、これは読んでないです。ちなみに『動物のお医者さん』も字が小さく感じられるようになり、日本語を勉強している人にあげました。藤やんとうれしーが関わるようですが、大泉先生はちらっとでも出演されるのでしょうか。すっかり日本を代表する俳優となった今でも、どうでしょうでは未だに一番下っ端なので、業務命令が出て無理やり出さされるかも。「今のお前があるのも、HTBのおかげだろ」とか言われて。安田さんにも無茶ぶりして出てもらうのかな。でもお二人共、超多忙ですからねえ。鈴井さんが出るのかなあ。https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/reservation/?d_date=20180626&d_seq=3855871980年代にやっと突入!昭和55年!ひなこは高校生になった年です。中3の生活と高校生活は一変したのでちょっと区切ってみました。1980年、一生懸命受験勉強をしていたはずなんだけど、いきなりクラッシュに目覚め、お年玉でクラッシュのアルバムを買いました!(で、母に「高校に受かったらパナソニックのステレオセットを買っとくれ」とお願いしたら、2月に買ってくれて、落ちるという選択をなくされました・・・。あれー)確か、ミュージックライフに載っていたペニー・スミスという女性写真家が撮った白黒の写真が超クールで、「いや、ちょっとめっちゃかっこいいんですけど」と音楽を聴いてみたくなったのです。パンクだぜえ!発見!この号です!表紙に、フォトドキュメント、クラッシュって書いてあるのがおわかりいただけるだろうか。https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/public/?d_date=20180626&d_seq=0この頃は、学校から帰ってきたら夕飯まで数時間昼寝をして、晩御飯を食べて、ラジオを聴きながら1時くらいまで勉強してました。オールナイトニッポンは聞いてなかったと思います。(千春がタモリの後第2部をやっていたころは3時から聞いてたけど!)その前の番組、北海道ローカルのアタヤン(アタック・ヤングの略)までしか聞いてなかったと思う。って勉強してたんだかラジオ聞いてたんだかわかりませんねえ。母にもよく言われてました。「あんたは勉強してるんじゃなくてラジオ聞いてるんでしょ」って。だってラジオつけとかないと眠くなるんだもの。そういえば、まだデビューする直前くらいの聖子ちゃんがラジオでアシスタントみたいのやってて、はがき読まれたことあったな。ちょっと自慢!(あれ、勉強しないではがき書いてたのかよ)そして、北海道だから自分の部屋にも石油ストーブがあったので、ストーブの上のやかんでいつも熱湯が沸いていたのをいいことに、従姉にお歳暮でもらった紅茶詰め合わせセットを一人で飲み干していました。ダージリンティー、ウバティー、アッサムティーの3種類のティーバッグが入っていて、ダージリンが一番好きでした。超几帳面できれい好きの母は、私が夜2階で飲んだカップを朝流しにもってきたりするのがとてもだらしないと、すっごく許せなかったと思うんですが、まあ受験生ということでぐっと我慢してくれていたんだと思います。そして、うちの親は、今も昔も早寝早起きの人なので、私のこういう夜型の生活にはとても批判的でしたが、私も試験前に「入試があるのは朝からだから、ちょっとこれ直しとかないとまずいかも」と自覚して、入試前1週間くらい前からこの生活パターンを止めました。そして、希望校になんとか無事合格し、高校生になる前の春休みには、中学の同級生と二人で本屋でせっせとバイトをし、4月からは新生活となったのでした!バイト中、本屋の向かいのレコード屋さんから、ユーミンの『エスパー』がよく聞こえてきてた記憶があるので調べたら、1980年3月20日発売のシングルだった!続く。
2018年06月26日
おはようございます、ひなこです。日本、負けると思ったけど、セネガルに2-2で引き分けでした。よく頑張った!こちらの午前1時から3時までの放送だったので、一回寝て起きて試合を見てしまったので、負けなくて良かった。もし負けてたら、ああ、寝てれば良かったよと思ったはず。しかし、年には勝てず、目の下にクマができ、ゴルゴ線もできた。4年後のワールドカップ、もうこういう若いもんの真似はできんかもしれん。既にイエロー・カード状態。1979年、未だ70年代なのか!昭和54年です。ひなこは15歳になりました。中3です。修学旅行に行ったな。修学旅行の時のBGMは、甲斐バンドと秀樹のYMCAが記憶に残っている。修学旅行の委員だったので、旅行のしおりとか作るはめになって、チープトリックとかキッスのイラストを描いて載せたバカは私です。ベストセラーブックに入っている見延典子さんの『もう頬杖はつかない』、持ってたなあ、単行本で。ヒット曲ベスト10は、演歌が4曲もランクイン。どうしたんでしょう。まず1位が渥美二郎さんの夢追い酒。3位が小林幸子さんのおもいで酒。5位が千昌夫さんの北国の春。そして9位が牧村三枝子さんのみちづれ。ピンクレディーは、カメレオン・アーミーが10位に入っているだけで、ブームは去ったという感じ?残りの5曲は、2位がジュディーオングさんの魅せられて。4位がさだまさしさんの関白宣言。6位がゴダイゴのガンダーラ!高校の友達好きだった、ゴダイゴ。7位秀樹のYMCA。8位アリスのチャンピオン。以上です。ゴダイゴのガンダーラと言ったら、マチャアキの西遊記のテーマ曲でしたが、あれオーストラリアでも英語吹替で放送されて大人気を博したそうです。でも英語吹替が中国人風になっているから、中国のドラマだと思っている人がほとんどだったようですが。西田敏行を見て、「ピグズィー!」とか言われて、人違いかと思ったら、西遊記の猪八戒役で知っていたと言われました。ベスト10には入ってないけど、久保田早紀さんの『異邦人』好きだった!異国情緒たっぷりな感じも良かった。中3と言ったら高校受験ということで、大人気番組ザ・ベストテンを見ると高校に落ちるという訳のわからない噂が学校で広まり、私も見なくなりました。でも、世良さんが再度私の町に来てくれたので又もや見に行ったけど。まあ、受験勉強一筋というわけではなかったという証拠ですかね。ドラマの金八先生が始まって見てました。十五歳の母は、杉田かおるさんでした。NHKの人形劇、プリンプリン物語も見てたなー。映画のグリースは映画館に見に行ったなあ。続く。
2018年06月25日
おはようございます、ひなこです。今晩深夜の日本のサッカーの試合、ラジオ放送だけだと思っていたのですが、テレビ放送シドニーでもあるようです。ニュースで、オプタス(通信会社)でワールドカップを全試合見れる有料のものの調子が悪くて苦情が殺到し、SBSがこれから48時間全試合テレビで放送でするようにするとかやってたあの懸案のせいなんでしょうか。寝不足になっちゃうけど、見ようかなー。今度は負けそうかもしれないけど。この年の初め、私が中1の2月に、風邪で学級閉鎖になりました。私のクラスの欠席者が多かったので、体温計を配られて教室で体温を測らされました。熱の高い生徒が多かったら学級閉鎖と聞いて、もう皆で体温計をごしごしこすったり、ストーブの近くに座っている人はストーブであぶったりして学級閉鎖に持ち込みました!しかし、そのためにバレンタインデーは学校に行けず、皆が下校する時、憧れてた3年生の先輩が友だちと帰宅するのをじとっと窓から(それとも外でか?)見てました。私の家、中学から近いから歩いている所が見えたんです~。今ならストーカー行為と言われそう。というわけで本日は1978年、昭和53年です。キャンディーズが解散して、ひなこは中2になりました。中学は3年間クラス替えがなかった。中二病ってよく聞くけど、意味がよくわかっていません。松山千春と世良さんと洋楽の日々だったような。洋楽はクイーンとかキッスとかよく聞いてたかな。雑誌もロックショウからミュージックライフに変わった頃?それからジャムって雑誌に移り、高校生になってロッキングオンになりましたが。ベストセラーに中沢けいさんの『海を感じる時』が入っています。私も単行本で持ってました。ヒット曲ベスト10は、ピンクレディーとキャンディーズで半分占められでいます。レコード大賞もピンクレディーのUFOだ!残りの5曲は、堀内孝雄さんの♪君の瞳は一万ボルト、平尾昌晃・畑中葉子のデュエット『カナダからの手紙』♪ラブレターフロムカナーダーと、サーカスの♪ミスターサマーターイムと、永ちゃんの♪時間よ止まれ~と、みゆきの『わかれうた』です。んー、渡辺真知子さんとか原田真二さんとかこの頃じゃなかったかな。八神純子さんとか。ヤマハのポプコンの歌で♪白いペイジの中に~って歌好きだったなあ。柴田まゆみさんでした。https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/draft/?d_date=20180624&d_seq=14874779あと佐々木幸男さんのセプテンバーバレンタインとか。北海道でラジオ番組持ってたから聞いてた、私。https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/draft/?d_date=20180624&d_seq=14874779映画はサタデーナイトフィーバーと野生の証明。アニメははいからさんが通る。コミックを友達と手分けして買って全巻読みました。エースをねらえも友達のお姉ちゃんから借りて全部読んだな。続く。
2018年06月24日
おはようございます、ひなこです。1977年、昭和52年。この年は、ベイシティーローラーズで明けました。私はボーカルのレスリーのファンでした。お年玉で、彼らのアルバムを買い占め、タータンチェックのマフラーやらハンカチやら、スカートのポケットのワンポイントアクセントにタータンチェックがついているものとか、せっせと買ってましたねえ。1月はまだ小6でしたけれども。あとは、雑誌も。音楽専科やミュージックライフの別冊ベイシティーローラーズ特集とか、ロックショーの臨時増刊号とか、明星や平凡にもポスターとか付録付いてたし、お年玉を有効に使いましたよー。図体がでかかったので、当時中学生だと思われることをいいことに、一人で勝手にバスに乗ってお出かけして買い物してました。バスの運転手さんに「中学生は大人料金だ!」と文句を言われ、「まだ小学生です!」と言い合いをしたりしながら。そして、4月から中学生になり、いきなり太りました。というのは、学校が家から目の前になったため、食べる量が変わらないのに運動量がガクンと減ったからです。あわてて、ご飯のおかわりをやめ、痩せました。1学期の中間試験だったかなー、ちょうどローラーズのイッツアゲームというニューアルバムが出る時だったので「試験で頑張ったらアルバムを買ってくれ」と母にねだり、「そうねえ、学年で20番以内にでも入ったら考えてもいいけど」と言われ、一生懸命勉強して一桁台になってお金をもらいました!でも、さすが私の母です。「ちょっと考えたんだけど、あんたが勉強するのって自分のためでしょう。良い点数を取ったから私がご褒美をあげるというのはおかしい!今後このような協定はなし!」と宣言されました。とほほ。あんまりベイシティーローラーズの歌ばっかり大音量で聞いていたので、しまいには父が「お父さんはこの年になって、うちのバカ娘のおかげで初めて英語で歌が歌えるようになった。ちょっと聞いてみろ!」とロックンロールラブレターを歌いました。私自身も、意味はわかってなかったですが、子供だったから耳がよくて、ばっちり英語が聞き取れてましたねえ、あの頃。Remeber all the little things we used to sayの複数のSだって、ちゃんと聞き取ってそう歌ってました。今になって、鼻歌歌うと、おっとそういう意味だったのね、なんて思ったりします。相変わらず、ピンクレディーは大活躍をし、キャンディーズが解散宣言をしたり、さだまさしさんが♪あの人にも一度会わせて頂戴ませませと歌っていたり、ジグソーがスカイハイを歌っていたり、そんな年でした。いきなり3年生のかっこいい先輩に目覚めたりもした。(レスリー、どこ行ったんだよ)角川映画の人間の証明、横溝正史の八つ墓村、悪魔の手毬唄など金田一耕助シリーズの映画もありました。夜、ラジオを聞き出したのもこの年からだと思います。続く。
2018年06月05日
おはようございます、ひなこです。本日は、1976年、昭和51年です。この年ひなこは、小6になりました。そして、洋楽を聞くようになりました~。4年生の時、2つ年上のお姉ちゃんがいる友達が、「最近お姉ちゃん、スリーディグリーズとかいう外人の歌聞くようになってさあ」なんて言ってたけど、小6ってちょっとホルモンのバランスとかも変わって(関係ない?)洋楽に目覚める時期なんでしょうか。私は兄弟がいないので、ベタにベイシティーローラーズにはまったけど、お兄ちゃんがいた高校時代の友(女)は当時、レッドツェッペリンとか聞いてたりして、ベイシティーローラーズなんてアホだと思っていたそうだ。中学の時の友達も、お兄ちゃんがいたのでフリートフッドマックとか聞いてたよなー、お兄ちゃんの影響で。ベストセラーブックに、村上龍さんの「限りなく透明に近いブルー」が入っている。ひなこ、高校時代文庫で読みました。流行歌第1位は、堂々の「およげたいやきくん」。2位は、「ビューティフルサンデー」。3位は、「北の宿から」で、5位は「岸壁の母」。旧勢力と新勢力のせめぎあいがすごいです。名曲、「木綿のハンカチーフ」が4位。太田裕美の舌ったらずな歌い方が良かったです。10位にユーミンの「あの日に帰りたい」が入っています。ランクには入っていないけど、この頃、すでにキャンディーズとピンクレディーがいたはずです。振り付けをまねて踊ったりしてましたよね、女子は。邦画では、『犬神家の一族』がランクイン。角川の時代ですねえ。そして、アニメは、母を訪ねて三千里。でも、実はひなこ、NHKで放送していたアメリカドラマ『大草原の小さな家』をのめりこんでみていた気がします。続く。
2018年06月04日
おはようございます、ひなこです。オーストラリアは日本のように「四季」というはっきりした区分があるとは思えないのですが、どうしても親分である英国風にしたいようで、小学校では「6月から8月が冬」と教えます。なので、6月1日からは正式に冬になったらしいです。そうしたら、ちょっと本当に寒いです。♪皆寒いだろうね こんな夜はと、布団の中で千春が再生されましたよ、ひなこ。でも、まあ千春の寒さは北海道の寒さだよな。♪眠ってしまおーう こんな夜は~↓懐かしいなあ、この語り口!千春のラジオ。https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/reservation/?d_date=20180603&d_seq=361918今日は、1975年、昭和50年です。やっと昭和50年代になったよー。ひなこは、5年生になりました。再びクラス替えがあって、またもや女の先生が担任になりました。この頃には、すでになかよしとかりぼんとか、少女漫画雑誌を買っていた気がします。全員プレゼントに応募するのが楽しみだったなー。あとは、雑誌は、明星と平凡ですかね。歌本もついてくるやつ。自分の部屋に、アグネスチャンとか付録のポスター貼ってたよ。流行語に、「あんた、あの子のなんなのさ」が入っています。ひなこ、学校から帰ると北海道ローカルのラジオ番組、デーブマンのベスト10北海道を聞いていたのですが、♪港のヨーコ横浜横須賀~もよく流れてたものでした。がきデカの「死刑!」も流行ってたんだ。これも従兄のお兄ちゃんの漫画を読んでいた。そうか、ひなこ、一人っ子と言いつつ、従兄のお兄ちゃんのものを結構盗み読みしてたのね。ランクに入ってないけど、ひなこ、ずうとるびの江藤君好きだったなー。ずうとるびのシングルレコードも持っていた。桜田淳子ちゃんとか岩崎宏美さんとか、シングルレコードを持ってました。そうなの。中3トリオ(森昌子さん、山口百恵さん、桜田淳子さん)の中では、ひなこは淳子ちゃんが好きだったのです。写真集まで持っていたぞ。コンサートにも行った。この年に公開された「花の高2トリオ 初恋時代」って映画、見た気がする。そういやあ、フィンガー5の映画も見に行った気がする。風の22歳の別れもこの年の曲だったんだ。小坂恭子さんの思い出枕とか。でも、この年の1位は、「昭和枯れすすき」です。わー、暗い。これ「時間ですよ・昭和元年」の劇中歌でしたね。そしてアニメは、フランダースの犬に一休さんに、日本昔話。真剣に見ていたものだった。遊ぶのは、人生ゲームとトランプが定番。ブロックでも、一人でよく遊んでいた気がする。今でもブロックで遊べる気がするので、ボケ防止にはレゴ遊びでしょうか!あと、お正月には、母の実家で百人一首やるのが定番でした。北海道の、下の句だけ読む、取り札は木製のやつ。ひなこは小さい頃からひらがなが読めたので、ひらがなの木札だけ担当してましたが、もう5年生にもなれば漢字も担当できたのではないだろうか。中学の必修クラブでも一度百人一首クラブに入って、昔取った杵柄で、札読みしてました。一族でやる時は、読むのは声のいいうちの父が専属でしたけれども。続く。
2018年06月03日
おはようございます、ひなこです。6月7日発売の文藝界に村上春樹さんの新作短編が3作載るらしい。村上さん、お仕事頑張ってるなあ。今日は、1974年、昭和49年です。ひなこ、やっと10歳の4年生。今となっては10年なんてあっという間に過ぎますが、子供の頃の10年は今とは濃さが違いましたね。この年から、学校のクラスの集合写真がカラー写真になりました。ははは。ノストラダムスの大予言が流行り、超能力ブームの年だったそうです。ひなこも、ユリゲラーの番組を見て、壊れた腕時計を動かしたものでした。映画は、エクソシスト。なにやら、怖いもの、オカルトっぽいものに溢れかえっていた年のようですねえ。長嶋さんが巨人軍を引退。もっと後のような気がしてましたけど、この年だったのか。あんまりプロ野球に興味はありませんでしたけど、「永久に不滅です」が流行語になりましたよね。北海道では、愛国駅から幸福行きの切符が流行しました。ひなこも切符の入ったキーホルダー持ってたな。あとはモンチッチというサルの人形が流行った。ひなこのは、モンチッチもどきだった気がするけど、何かサルの人形持ってたよな。ベストセラーブックに、あのねのねの本が入っています。高校生だった従兄のお兄ちゃんの持っていたあのねのねの本を私、読んでたな。多分漢字の少ない本だったんでしょう。流行歌第1位は、殿様キングス。なんというか、旧勢力と新勢力のせめぎあいというか、でも旧勢力が勝ってたんだな。歌詞が、もう耐える女、捨てられる女みたいなのばっかりで、ひなこが日本を出たのもよくわかるみたいな気がします。なんだかなー。2位は、小坂明子さんの「あなた」。この歌好きだったなあ。お歌の上手な布施明さんもランクインしてますが、個人的には、フィンガー5の出現と秀樹の方がインパクトがありました。フィンガー5は、もう社会現象化してました。ひなこ、映画も見に行ったし、アルバムも聞いてました。(友達から借りたんだけど)近所の友達とフィンガー5ごっこをして遊ぶ時は、年上の人から晃役、妙子役を選ぶので、年下のひなこは中々良い役がもらえませんでした・・・。フィンガー5、よかったよなあ。数年前までアメリカだった沖縄出身だった彼らは、とてもバタ臭くて、後で知ったことだけどアメリカのジャクソン5のパクリだったし、殿様キングスとは別世界でした。そして西城秀樹さんは、郷ひろみさんと野口五郎さんと並んで新御三家と呼ばれていたのですが、ひなこは断然秀樹派でした!先日の訃報はショックでした。♪君が望むなら(秀樹!)命をあげてもいい!(秀樹!)すごい歌、歌ってたんだなあ。ひなこが一番好きなのは、バラードの『ブルースカイブルー』です。あとは、ちびまるこちゃんでおなじみの「走れ、お調子者」。♪交差点で100円拾ったよ 今すぐこれ交番届けよう秀樹、歌上手いよなあ。そして、アニメは、アルプスの少女ハイジにどっぷり浸かっておりました。続く。
2018年06月02日
おはようございます、ひなこです。春巻きの皮を買いに中国人のお店へ行ったら、ないので、店の人に英語で尋ねたら誰も英語を話せないという。そこで、ボールペンで「春巻」と書いたら、皮と書く前に理解してくれて、「あー、ほにゃらら」と探してくれたのですが、やっぱりありませんでした。でも、一生懸命探してくれたので「しぇいしぇい」と言って帰ってきました。で、違う店に行って買いました。オーストラリア、中国語必須?まだ、春巻きだから書けたけど、もっと難しい漢字だったら書けなかったよなあ。本日の昔話は、1973年、昭和48年です。ひなこは、3年生になったのか。クラス替えがあったんだよな。幼稚園、小1、小2とずっと女の先生だったけど、担任の先生が初の男の先生になりました。世の中は、石油ショックにトイレットペーパーや洗剤の買いだめにと大変だったようですが、子供だったので、覚えていません。ジーンズが大流行。私の父までジーパン履いてましたからね。今思うと嘘みたいですが!流行語に、刑事コロンボの「うちのかみさんがね」が入っていますが、私も見てました。流行歌は、1位、2位をぴんからトリオが独占・・・。でも、そこから先は、ガロ、チューリップなどのフォーク・ニューミュージック系と、歌の上手なジュリーこと沢田研二さんやちあきなおみさん、そしてアイドルの天地真理さんや浅田美代子さんという感じです。浅田美代子さんといえば、『時間ですよ』のお手伝いさん役でしたね。その後も『寺内貫太郎一家』『時間ですよ・昭和元年』にも出演されてました。ひなこもこのドラマ見てました。普段は8時、遅くとも9時には布団に入っていなければならなかったけど、このドラマの日だけは、10時に寝てました。日本の映画は、今見ると信じられないですが、ほぼヤクザ映画のオンパレード。アニメ。ドラえもんってこの年だったんだ。なんか昔からあった気がします。ドロロンえん魔くん、そんなのあったなあ。でも、印象に残っているのは、キューティーハニーとエースをねらえ!かなー。でっかいオセロゲームを買ってもらったのはこの頃かな。ひなこ、オセロ得意だったんですよ。大人とやっても負けなかったもの。あと、モナ・リザの超巨大ジグソーパズルをせっせとやって完成させたこともあったな。あれって、水疱瘡の時、暇つぶしに始めたんだったかな。ちゃんと糊で固めて部屋に飾った!続く。
2018年06月01日
おはようございます、ひなこです。本日は、1972年、昭和だと、えーっと、昭和47年です。この年で一番印象に残っているのは、札幌で行われた冬季オリンピックですねえ。小学2年生でしたけれども、教室のテレビでオリオンピック見てましたよ。小学生の時って道徳の授業でもテレビ見てました。♪口笛吹いて~空地へ行った夏季のオリンピックはミュンヘンだったんだ。コマネチが活躍した年かな。あとは、上野動物園でパンダが公開になった!リンリンとランラン、じゃなくて、カンカンとランランだったか。ベストセラーブックに、この年も「二十歳の原点」入ってる。そして、庄司薫さんの「狼なんかこわくない」。私、高校の時、読みました。なんかハマって、次々と続編を読みました。ヒット曲。小柳ルミ子さんの「瀬戸の花嫁」が2位。7位にも小柳ルミ子さん入ってます、「京のにわか雨」。1位はぴんからトリオの「女の道」。あー、とっても昭和の香り。そんな中、拓郎とかペドロアンドカプリシャスとか青い三角定規とか、フォークや後のニューミュージック系へとつながるようなのも入ってきている様子。青い三角定規と言えば、青春ドラマのテーマソングでしたね。♪君は何を今見つめているの「太陽がくれた季節」。このドラマだったか、同じような系列の青春ドラマだったか定かではないですが、北海道にロケに来たことがあって、従兄のお兄ちゃんが中学生だったのかなー、出演者のサインをもらってきてそれを見せびらかされて、「いいなあ」と子供心に思ったものでした。6位には、天地真理さんが入ってます。「ひとりじゃないの」。おっと9位も真理ちゃんだった。「ちいさな恋」。ひなこ、この歌知らないな。天地真理の物真似したりして遊んでたんだけど、ひなこ。あの頃、色んなアイドル歌手いましたよねえ。麻丘めぐみさんとかアグネスチャンさんとか。私の従兄は南沙織さんの大ファンでした。しかし!この年のひなこの一押しは、岡崎友紀さんの主演ドラマ「小さな恋のものがたり」の主題歌だった、♪遠い雲を眺めながら~ 海の話をするあなた~って歌ですねえ。ブランコに乗っていつも歌ってました、私。今調べたら、「ファーストラブ」というタイトルだったんだ。もし、私が親だったら、行く末を心配したな。だって小2でませてないかって。岡崎友紀さんは、このドラマの前にも、「おくさまは18歳」とか「なんたって18歳」とかドラマがあって、ひなこはどれも大好きで見てましたねえ。懐かしいなあ。アニメは、正義が悪い奴をやっつけるものが並んでいます。月光仮面、ガッチャマン、デビルマン、マジンガーZとか。ガッチャマンを一番真剣に見ていた気がする。赤胴鈴之助も見てたな。アメリカン・クラッカーに続き、今度はヨーヨーが流行。コカ・コーラがヨーヨーチャンピオンを連れてくるというガセネタが流れ、噂で流れていた場所にその時間に行ったけど誰もいなかったということもありました。一体誰がああいう嘘の噂を流して喜んでいたんだろう。続く。
2018年05月31日
おはようございます、ひなこです。今日は、1971年、昭和46年です。ひなこ、小学校に入学。新築の真新しい鉄筋コンクリートの小学校の第1期生でした。(なので、入学前の健康診断には他の小学校に行った)ボイラー暖房だし(北海道ではとっても大事)、水洗トイレだったし、とっても良い思いをさせてもらいましたが、その反動というか、中学、高校と上に進むにつれて、木造モルタル校舎で、石炭ストーブで、汲み取りトイレで、とどんどん状況が劣化していきましたが・・・。この年の新商品、ヒット商品を見ると、「あなにもチェルシーあげたい」の明治のチェルシーやら、ナビスコリッツやら、キャラメルコーンやらあって、「こういうの食べて虫歯になったんだなー」なんて思いますわー。この年のヒット曲第1位は、小柳ルミ子さんの「私の城下町」。まだ純情路線だった頃ですねえ。3位は、尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」。♪その時 心 罠に顔ではなくて、「その時心は何かを」が正解。五木ひろしさんの、♪横浜 黄昏も入ってますが、10週勝ち抜きのコンテストに優勝して五木ひろしとしてデビューしたはずです。そのテレビ番組を毎週見ていた気がする。そして、書籍。高野悦子さんの『二十歳の原点』。私、高校生になってから、単行本買って、ひっそり愛読してました。洋画も、この年流行ったらしい、『小さな恋のメロディ』とか、『ある愛の詩(うた)』とか、テレビの再放送で中学生の頃見たと思います。小さな恋のメロディといったら、みつはしちかこさんの、「小さな恋のものがたり」を連想しますが、あれとは別物です。アニメは、国松様のお通りだい、天才バカボン、ルパン三世と、どれも見てました。やっぱり、テレビ世代なのよねー。そして、アメリカン・クラッカーをカチカチいわせていたのはこの頃なのだろうか。今でも耳に残っているくらい、飽きずにカチカチやってたよなー。続く。
2018年05月24日
おはようございます、ひなこです。本日は、1970年です。やっと70年代に突入ですが、昭和で言えば、まだ昭和45年と40年代です。ひなこは、6歳になった年ですから、幼稚園児でした。幼稚園に上がる前の1か月ほど、母が胃潰瘍で入院したので、母の実家に預けられて、おばあちゃんと寝ていました。ボーリングがブームだったそう。中山律子さんの時代ですね。ヒット曲の第1位は、黒ネコのタンゴ。あったなー、そんな歌。皆川おさむ君という子供が歌っていました。道産子・藤圭子さんも、ベスト10に2曲入ってます。今の人には、宇多田ヒカルさんの母と言わないと誰かわかってもらえないかしら。ヒデとロザンナとか、懐かしいなあ。ロザンナさんは、一体どういう経緯で日本に来て歌手になるような人生になったんでしょうねえ。と思ってウィキペディアを見たら、おじさんが日本でミュージシャンをしていてそれで17歳で来日したんだそうだ。ふーん。イタリアに残っていたら、全く別の人生だったよねえ。なんて私は懐かしがってるけど、これも今の若い人は、「ヒデって中田英寿っすよね。ロザンナって誰っすか」なんて言われそうだな。アニメは、みなしごハッチ、のらくろ、いなかっぺ大将、見てましたねえ。にゃんこ空中三回転のにゃんこ先生ですよー。みなしごハッチは、ハッチがお母さんを探す旅をしていて、かなり気合を入れて、感情移入して見てました。主題歌も、今でもちゃんと歌えます。続く。
2018年05月23日
おはようございます、ひなこです。今日は、1969年・昭和44年です。この年、ひなこの一番の大事件は、引っ越ししたことかなー。赤ちゃんの時は、市内中心部に住んでいたそうですが、それは全く記憶がなく、3歳の頃住んでいた所からしか覚えてないですが、この5歳の冬に今現在実家がある場所へ引っ越しました。11月だったのに、雪が降っている日で、母の一番下の妹である叔母と2人でバスで新居へ行き、ガランとした何もない家の中で追いかけっこしたりして遊んでいたのを覚えています。今思うとあれですね、私が引っ越し作業の邪魔だから、母が妹に子守り応援要請を出し、おばちゃんは私と遊んでいたんですね。その間、両親は引っ越し荷物をまとめて運んだのでしょうが、私はその部分の記憶はまったくありません。この叔母には、ゴジラの映画に連れて行ってもらったこともあるなー。顔が似てるので、知り合いに会って「え?子供いたの?!」なんてびっくりされて、「いえいえ、姪です!姉の子です!」なんて叔母さんは焦っていたけどもねえ。サザエさんの放送が開始された年だそうです。そうなんだー。アニメは、ほかにも「ムーミン」「ひみつのアッコちゃん」「タイガーマスク」「ハクション大魔王」「アタックNO1」などがあったそうです。うーむ、私はやっぱり再放送で小学生の頃に見てたんだなー。洋画に「カラマーゾフの兄弟」があった。「アンナ・カレーニナ」も映画になっていたようだし、この頃ロシア文学の映画ってポピュラーだったのかしら。冷戦時代育ちのひなことしては、ちょっとびっくりな感じがしなくもないです。流行語も、結構覚えてますねえ。脳みそが発達してきた感があるなあ。続く。
2018年05月21日
おはようございます、ひなこです。本日は、1968年です。ひなこ、4歳の昭和43年です。ひなこ、今でも読書が大好きですが、3歳で既に読書に目覚めていました。母にかるたを買ってもらい、「これは何と読むの?」と一通り尋ねて、一度で覚えたらしい。絶対、今より賢いよなあ。ディズニーの子供用の雑誌の付録についてきたシンデレラ城を作って冷蔵庫の上に飾っていたなあ。流行歌を見ると、グループサウンズが入ってますねえ。タイガースの「花の首飾り」とテンプターズの「エメラルドの伝説」。でも、ひなこが一番印象に残っているのは、いしだあゆみさんの、♪街の明かりがとてもきれいね横浜 ブルーライト横浜~ですねえ。小学生の頃、大変お世話になった人生ゲームもこの年に出たのね。洋画の1位は『卒業』。ダスティン・ホフマンですね。テレビで中学生くらいの頃見た記憶が。そして、テレビアニメに、「ゲゲゲの鬼太郎」や「妖怪人間ベム」がありました。ひなこは、再放送で小学生になってから見ていたのかなー。ちょっと怖いけど、ビビりつつ見ていた記憶があります。続く。
2018年05月19日
おはようございます、ひなこです。ひなこが3歳になった1967年、昭和42年です。このあたりから記憶があります。3歳のお正月に撮った着物姿の母と私のカラー写真もあります。1967年に流行した歌のベスト10も全曲知っているものでした。去年の流行歌ベスト10なんて何も知らないですから、まあ海外在住というのもあるけど、3歳の頃の自分の方が賢かった気がします。グループサウンズが流行した年だそうで、10歳年上の従姉のお姉ちゃんもタイガースにはまってたものでした。これも英語だと、タイガーズになると思いますが、「ス」のようです。この年のヒット曲の第1位は、♪森トンカツ 泉ニンニクの替え歌でおなじみの、ジャッキー吉川とブルーコメッツが歌う『ブルーシャトー』。レコード大賞もこの歌だったそうですよ。ザ・ピーナツもランクインしてますし、映画でクレイジーキャッツも入っていて、そうそう、ひなこも毎週見てたよなあ、シャボン玉ホリデーと思い出しました。そして、アニメの「黄金バット」。ちょっと怖いけど見てました。♪蝙蝠だけが知っている続く。
2018年05月16日
おはようございます、ひなこです。村上春樹さんのの「蜂蜜パイ」を寝る前に読んで、初めて”あ、これってこういう話だったんだ”と、熊のお話が比喩的に使われていることに気づきました。遅すぎですね・・・。https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/public/?d_date=20180511&d_seq=0今日は1966年、ひなこが2歳になった年です。私は、今も鈍いですが、小さい頃からちょっとすっとぼけていたようで、予防接種の注射を打たれても、皆のようにぎゃん泣きするわけでもなく、「あら、どうした、何が起こった」と泣きもせず、「偉いねえ」と褒められていたそうです。もしかしたら、あまりのパニック度に泣くこともできなかったのか?!(うちの猫が獣医さんに行くと、逃げるとか暴れるとかしないのですが、臆病者なので固まっておしっこジャーなんておもらししてたけど、私もそっち系だったのか)そして、ワクチンを飲まされると、もっとくれ!と口を開けて要求し、「これでおしまいなのよ」と言われ、母は非常に恥ずかしい思いをしたそうだ。まるで、ちゃんと食べさせてない腹を空かせた子供という感じだったから。近所の人がバナナを食べさせたら(当時バナナは高級品で大変高価だった)、その時も「もっとくれ!」と大口を開けて要求したらしいけど。三つ子の魂百までというけど、すでに食欲旺盛だったわけだ。でも、まだ、そんな記憶はない1966年。メインイベントは、やっぱりビートルズ来日ではないでしょうか。この年、日本の人口は1億を超え、メートル法が完全施行されたそうです。ビートルズの前座は、スパイダースかなんかかと思ったら、ドリフターズだったそうだ。スパイダースが、オファーを断って、ドリフになったとか。スパイダースは、ビートルズのコピーバンドとして有名だったけど、だからこそ本家の前で演奏するのは失礼と思って断ったとか。英語の発音だと、スパイダーズになると思いますが、このバンド名は「ス」なんですよね。今年日本にいる時、例によってNHKラジオを聴いていたら、かまやつひろしさんについての番組があって、そこでスパイダースもかかって、「おお、いいねえ」と思ったひなこであった。1966年のヒットチャート9位に、スパイダース入ってますよ。『夕陽が泣いてる』あと、流行語にケロヨンの「バハハーイ」が入っていました。ひなこ、この言葉は覚えています。ネットでケロヨンの写真を見てみましたが、ちょっと気持ち悪い。これでは、村上春樹さんの『かえるくん』を連想してしまいます。https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/draft/?d_date=20180501&d_seq=14855945白黒テレビだから、気持ち悪いと思わないで見てたのかなー。ド根性ガエルも、子供の頃はなんとも思ってなかったけど、今思えば気持ち悪い設定だよなー。続く。
2018年05月11日
おはようございます、ひなこです。♪落ち葉の舞い散る停車場に~ よく似た女が降りてくる深い意味はないですが、こちらが秋なので、ふと頭に浮かびました。でも調べたら、歌詞、間違ってましたねえ。「落ち葉の舞い散る停車場は 悲しい女の吹き溜まり」これが、出だしで、後の方に、「最終列車が着くたびに よく似た女が降りてくる」とありました。奥村チヨさんの『終着駅』、1971年12月25日発売だったそうな。今日は、1965年についてです。戦後20年。20年なんて、あっという間に過ぎますよね。私って、戦争のすぐ後に生まれたんだな、と今振り返るとそう思います。とはいえ、相変わらず記憶のない1965年なんですが。この年のお正月に、母の実家で撮った白黒写真があって、赤子の私の姿が残っています。この年に流行ったものを見ると、オロナミンCがありました。あと、ツイスター!ツイッターじゃないですよ。あれ、アメリカ発祥だと思いますけど、「右手を赤に!」「左足を青に!」なんて感じで、全身運動になって面白かったよな。そして、スーパーボール。あったな、そんなの。アメリカのスーパーボウルではないですよ。流行歌のベスト10、堂々の第1位は、若大将こと加山雄三さんの「君といつまでも」。結婚式の定番でした。「幸せだなー ぼかあ 君と一緒にいる時が一番幸せなんだ」などと途中でセリフが入ります。ベストテンに入っている歌で知っている曲も、前年より多い感じです。2位は都はるみさんの、涙の連絡船。3位はマヒナスターズの、涙くんさようなら。マヒナスターズは、6位にも、愛して愛して愛しちゃったのよが入ってます。こちらは、田代美代子、和田弘とマヒナスターズになっております。スターズはStarsなんだろうけど、マヒナって何?と思ったら、ハワイの言葉で月のことだそうです。ふーん。私の父が、このシングルレコード持ってた気がする。そして、4位は、サブちゃんの兄弟仁義。♪親の血をひく 兄弟よりーも~これもお父さん持ってたな。父は、若い頃に、まだ北海道で流しをしてた北島三郎さんの歌を拝聴して、「なんて歌のうまい人なんだろう!」とえらく感激したそうです。この人ならすごいプロの歌手になる!って。で、その後、それが現実となり、それにえらく感化された父は(歌のうまい人。昔はのど自慢荒らしだったとか、声がいいからと坊さんにスカウトされたとか逸話のある人)、「俺も東京に行って歌手になる!」と宣言したらしいですが、親に大反対されてあえなくその夢は散ったそうです。5位には、吉永小百合さん、9位には石原裕次郎さんがランクイン。この頃は、まだ、映画スターのいた時代だったんですね。8位には、菅原洋一さんの、知りたくないのが入っています。♪あなたの過去など 知りたくないのー日本レコード大賞は、美空ひばりさんの「柔」だった模様。そういやあ、ひなこは、1歳と3か月でおしめが取れたそうだ。えらい、私!(いや、母は、トイレットトレーニングをした自分をほめるか)なんでも、昔の言い伝えで、赤ちゃんが100日の時にトイレに連れて行って、その時おしっこをしたらおしめが早く取れると、ひなこばあちゃんが言っていたそうだ。で、おばあちゃんが100日目にトイレに連れて行ったら、私は見事用を足し、「この子は、はよーにおしめが取れるじゃろう」と祖母が言っていたそうだ。まあ、あれです。使い捨てのおむつなんてない時代で、古い浴衣をほどいておしめにしたなんて頃ですから、母がおしめの洗濯から早く解放されたい一心で躾けたのかもしれません。では、ご機嫌よう!
2018年05月06日
おはようございます、ひなこです。大袈裟な題名の新シリーズ始めました。が、生まれてから3年位は記憶もないし、最初は盛り上がらないと思いますけども~。ひなこが生まれた、1964年。この年のメイン・イベントといえば、東京オリンピックでしょう。今の人には、「へっ?東京オリンピックは2020年。まだだよ」と言われそうですが。ひなこが今話題にしているのは、第1次東京オリンピックの話だよ、そこの若いの。オリンピックに関連してでしょうが、新幹線や東京のモノレールも開通した模様。と言いながら、赤子であった私も、当然東京五輪の記憶なんてえのは、ないんですけれどもね。三波春夫さんが歌う「東京五輪音頭」は、なんとなく知ってますけど。♪オリンピックの顔と顔ってやつ。しかし、あれですね。戦争に負けてから、たったの19年しか経ってなかったんだ。国中、焼け野原にされたのに、頑張ったな、日本人。ちなみに、この年の流行歌第1位は、坂本九ちゃんの「明日があるさ」だったようです。国民一丸となって、どん底から、今日より良い明日を信じて、まい進していた時代だったのでしょうね。ちなみに、ベスト10に入っていた歌で、歌えるのは、坂本九さんの「幸せなら手をたたこう」と、都はるみさんの「アンコ椿は恋の花」くらいだな。赤子の時に覚えたわけではないでしょう。大きくなってから、聞いて覚えたんだと思います。続く。
2018年04月29日
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