日本の親が亡くなったらやること 0
(多分)最後の帰省2024夏編 0
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おはようございます、ひなこです。キンドルで、キャサリン•マンスフィールドの全コレクションを格安で購入したまま放置されているので、老後の楽しみにしようと思っていた彼女の作品翻訳を始める第一歩として、とりあえずノートを買いました。パソコンで打つ前に、字を書こうかなと思って。だって字を書くことって、あんまりないんで。英語の単語はすっかり出てこなくなり、漢字は書けず。良いとこねえぞ!みたいな。さぁ、ここから前に進むのでしょうか。ご機嫌よう!
2022年03月10日
おはようございます、ひなこです。昨日の続きです。「誓って!これはまだ温かいぞ!」父が驚きの声を上げた。「なんて素晴らしいリンゴだ!極上品だ!驚くべきことだ!」と父は繰り返した。父は、両手の上でリンゴ2つを転がした。「見てごらん!」父は言った。「欠点なし、傷1つなし!」そして父は、果樹園の中を歩き出した。ボギーと私は、つまずきよろめきながら後についていった。ワトルの茂みの下の木の切り株へと。私達は、父の両脇にそれぞれ腰かけた。父は、リンゴの1つを下に置き、パールペンナイフを開き、もう1つのリンゴをきれいに半分に切った。「誓って!見てごらんよ!」父は大声で言った。「お父さん!」私達は叫んだ。忠実にでも熱狂的にもなっていた。愛らしい赤色が、リンゴの白い果肉に混ざり合いピンク色になっていて、輝く黒い種がうろこのあるさやの中に公平に収まっていた。リンゴはワインの中に漬けたように見えた。「今までみたことがない」と父は言った。「こんなリンゴは容易に見つけられないよ!」父はそれを鼻につけると、聞きなれない言葉を発音した。「ブーケ(芳香)!なんというブーケだ!」それから父は、半分にした1つをボギーに、そしてもう1つを私に手渡した。「丸飲みするんじゃないぞ!」と父は言った。それほど多くを手渡したことが苦痛だったのだ。私には分かっていた。私が自分の分を恭しく受け取り、ボギーも恭しく自分の分を受け取った時に。それから父は、2つ目のリンゴを同じようにパールナイフで綺麗に分け切った。私はボギーをじっと見つめ続け、2人同時にリンゴにかじりついた。私達の口の中は、粉状のもの、硬いちょっと苦い皮、乾いた何かのひどい味で一杯になった。「どうかね?」と父は尋ねた。とても陽気に。父は2つに切った自分のリンゴを更に切って4個にした。そして小さなさやを取り除いた。「どうだね?」ボギーと私はお互いをじっと見ていた。絶望的にくちゃくちゃと口を動かしながら。あの噛んで呑み込む瞬間と二人の間に交わされた無言の会話、そして奇妙な意味深長な笑顔。私達は飲み込んだ。私達は父の横で父に触れながら、両脇にいた。「完璧です!」私達は嘘をついた。「完璧です、お父さん!只々、素晴らしいです!」しかし、そんな嘘は何の役にも立たなかった。父は、自分のりんごを吐き出し、リンゴの木の近くには決して二度と再び近づくことはなかった。おしまい。いかがだったでしょうか。キャサリン・マンスフィールドの全作品を集めた本にもこの話は入っていないようだったので、訳してみました。中学三年生の国語(英語)の課題としてこの文章が載っていたんですけども。イギリスからオーストラリアに一旗揚げようとやってきたお父さんの気持ちは、私もオーストラリア在住、そして開拓者の子孫の道産子なので、ちょっと理解できます。そして、日常のどうってことない話なのに、やはり筆者の上手さが感じられます。さすが、短編の名手!(私の翻訳では感じられないかもしれませんが)では、ご機嫌よう!
2020年03月12日
おはようございます、ひなこです。現実逃避をして、訳してみました。「リンゴの木」その古い家には、果樹園が2つあった。私達が”野生”果樹園と呼んでいた方は、野菜畑の向こう側にあった。そこには、苦いサクランボや西洋スモモや、透けるような黄色いプラムが植えられていた。何故かそれは嫌悪されていた。私達は、決してそこでは遊ばなかったし、落ちた果物を拾おうともしなかった。そして毎週月曜日の朝、召使の少女と洗濯女が濡れたリネンを ー祖母の寝間着や父のストライプ柄のシャツ、雇い男の綿のズボンや召使の少女の恐ろしく下品で、嫌悪すべき親密さでひらひら動くサーモンピンクのフランネルのズロース等々ー そこの真ん中の開けた場所に運んだ。だが、家から遠く離れて隠れていたもう一方の果樹園は、小さな丘のふもとにあって、眩しい太陽に照らされ揺れる黄色いワトルの藪や、小さい鎌形の葉がそよぐユーカリの木があるパドックの端まで続いていた。そこでは、果物の木の下に草がとても厚く荒く茂っていて、歩くとそれが靴にからまって歩けないほどだった。そして、一番暑い日でさえ、立ち止まって庭に落ちたもの探すためにあっちこっちと草を分けるために触ってみると、それは湿っていた。鳥のくちばしの型のついたリンゴ、2つに生った傷のある梨、ひとつまみの塩と一緒に食べるととても美味しい花梨。でも、あまりに美味しいので齧りついた時に香りを楽しむことを忘れてしまうのだが・・・。ある年、その果樹園は、その禁断の木を持つこととなった。それは日曜の午後に夕食の後にうろついていた父と友人によって発見されたリンゴの木だった。「こりゃ、驚いた!」と友人は言った。全くもって感嘆し、驚愕したという様子で。「これは、あれじゃないのかね」木の上の名も知らぬ鳥のように、その豊かな素晴らしい名が降り立った。「ああ、私もそうだと思うね」と父は軽く言った。父は、果物の木の名前など何も知らなかった。「ああ、これは凄いよ!」と友人は又言った。「素晴らしいリンゴだ。こんなのは見たことない。極上の収穫が見込めるよ、君。驚くべきリンゴだ!粗末にできないぞ!」「もちろんさ。とても良い、とても良いよ」父はたいして注意も払わず言ったが、改めてその木を興味を持って見てみた。「これはとても稀だ。とても稀なんだよ。近頃、イングランドで見かけたことはないね。」と訪問者は言った。そして、父の喜びを確かなものにした。父はたたき上げの人だったので、自分であらゆるものに対して支払い、それは巨額で大きな痛みを伴うものだった。ゆえに、自分が買ったものを賞賛されるのを聞くことはこの上なく甘美なことであった。父は、まだ若く繊細でもあった。自分の金に見合ったものを得たのか、その時まだ心の奥底で納得していなかったのだ。父は何時間も月あかりの下をあちこち歩き回り、忌々しい毎日の事務所への突撃を止め、これを最後にきっぱりと片づけようと半ば決断することがあった。そんなところに、今、果樹園の価値あるリンゴの木の登場となったわけだ。イングランドからやって来たこの男が、明らかに羨ましがっているこの1本のリンゴの木だ。「あの木に触れてはならんぞ!わかったかね、子供達よ!」父は言った。客が去った後に、全く別の声と態度で。無感情で、断固として。「お前たちのどちらかが、あのリンゴの木に触れているのを私が見つけたら、ベッドに行かされるだけじゃなく、2人共鞭で打たれる非常に心地よい音を聞くことになる」それはただ単に、その重要さを付け加えたまでのことだった。毎週日曜の教会の後、父は花壇の間を散歩した。私達ー私とボギーだーはその後ろをついて行った。レースバークの木(オーストラリアの木)を通り過ぎ、白薔薇と紫のライラックの藪を通り過ぎ、果樹園に向かって丘を下りる。リンゴの木は、聖母マリア様のようにその高貴な気高さを奇跡のように警告されているようだった。他の仲間たちから離れて立ち、その豊かな房は少し垂れ下がり、磨きのかかった葉ははためき、父の畏怖の念を持つ目には重要で非常に美しいものに映った。父の心は高鳴っていた。-私達は彼の心が高鳴っているのを知っていた。父は、両手を背後に置き、よくするようにぎゅっと目を閉じた。そこにそれは立っていた。偶然の代物、値切り交渉の時には誰も気づいていなかった物が。気づかれてもいなかったし、それにお金を払ったとも思われていなかった。もし、その時、家が全焼していたとしても、父にとっては木の破滅より意味がないことだっただろう。そして、私とボギーは、父の真似をして遊んだ。ボギーは、ひっかき傷のある両膝をくっつけて、両手を背後に、”H.M.S.(Her Mafesty's Shipの略。イギリス海軍艇の艦船の接頭辞)サンダーボルト号”(雷鳴号”と一面に渡りプリントされた丸い帽子もかぶった。リンゴは、薄緑色から黄色に変わった。それから、濃いピンクの縞が現れ、そのピンクが黄色全体に溶け込み赤くなり、はっきりとした深紅色へと広がっていった。遂にその日がやってきた。父が、ベストのポケットから小さなパールペンナイフを取り出した。父は手を伸ばし、とてもゆっくりと、とても注意深く、大枝になっているリンゴを2つもいだ。続く。
2020年03月11日
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