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おはようございます、ひなこです。1984年3月18日、日曜日。無事、成田に帰ってきました。帰りも香港で日本行きの飛行機に乗り換えましたが、日本の前に行った台湾の台北から成田に向かう途中で、すっごく揺れて、自分のテーブルにあったオレンジジュースをもろにかぶりすっかり濡れ、ジェットコースターみたいなので、吐きそうでつらかったです。というのは、覚えているのですが、成田での記憶が欠落しています。友達がお迎えに来てくれたんだったのか、全く何も覚えていません。多分(というか絶対)、羽田にリムジン・バスで移動して、羽田から千歳行きの飛行機に乗ったはずです。北海道じゃなくて湖水地方。でも、そこの記憶は、本当にぽっかりと抜けていて、突如記憶が戻るのが、千歳空港に着いたら、バイト先が一緒だった人に偶然会ったことです。「あ、ふゆのさん!久しぶり~。どこ行って来たの?」「はい、ちょっとイギリスに1か月行ってました」「ええええ?!」みたいな会話をして、南千歳の駅まで荷物を持ってくれました。バイト中は、話したこともほとんどない人だったし、学年は一緒だけど年上の人だったし、恐縮して断ったのですが、「いいから、いいから。疲れてるでしょ」とわざわざ南千歳の駅まで来てくれたんですよね。あの懐かしの駅までの通路を歩いて。誰かのお迎えに来てたんじゃないのかな、空港に。だって到着ロビーで会ったんだし。その人とは会えたんだろうか。悪いことしたなあと思ったけど、とってもジェントルマンな人だったんだあとも思いました。で、そこから実家へ夜行寝台列車に乗って帰りました。これも今はもうないです。が!この寝台列車でも眠れず、ロンドンのノヴォテル・ホテル、機内、寝台列車と3日間、数時間しか寝ていない超睡眠不足状態で、ふらふらと家に帰りました。「ただいま~」と玄関を開けると、母に、「いやーこの子は本当に地球の裏側に行って帰って来たんだねえ」と言われました。母にしたら、月から帰って来た人みたいな気分だったんでしょうね。そして、「何が食べたい?」と聞かれたので、「豆腐とわかめとねぎの味噌汁と納豆とご飯」をリクエストして、3日間ほどそれを食べ続けました。納豆ご飯とみそ汁の朝食で、やれやれと思っていると、突然高校の同級生から電話がかかってきて、「今晩クラス会だから来い!」と言われました。で、昼寝もせずにその日の夕方から、着たきり雀(服は札幌の自分の部屋にある)で、帰国時のままの服装でクラス会に行きました。あ、ロンドン最終夜、クラッシュのギグ会場で購入したTシャツ(帰りがけに買ったんだろうな。立ち見でびょんびょん飛び跳ねて腕振り回して見てたから、手荷物なんて持っていられん状況じゃったけんのお)着てたのかも、長袖の下には。寝たのが、夜の12時くらいだったのかなあ。(若いからタフ。今、絶対無理)一度もトイレにも起きず、あれほど深く眠ったことはないというぐらい熟睡しました。目が覚めたら、時計は5時を指していたのですが、それが朝なのか夜なのかもわかりませんでした。頭はすっきりしていましたが、それほど長く寝たという感覚はなくて、今は朝の5時で5時間後なのかなと思っていたら、母が晩御飯の支度をしている音が階下から聞こえてきて、「おっと、夕方の5時か。ということは・・・・、17時間寝てしまったのかよ」と驚愕しました。未だに、あれが私の人生で一番長く寝た日ですね。親もびっくりしただろうな。疲れてるんだろうとは思いつつ、死んでないだろうなと途中で何度か様子を見に来たんじゃないだろうか。私は死んだように寝ていたから知らないけど。ポール・セローの旅行記の『鉄道大バザール』と『ゴースト・トレインは東の空へ』みたいに、私も、来年の2月と3月にかけて、34年後になりますが、34年前と同じルートを旅するなんて企画を実行したらすごく面白いだろうなとこれを書いているうちに思いました。が、もうそんな気力も体力も残っていないひなこでした。今年、日本に帰る飛行機の搭乗をシドニー空港で待っていた時、まだ十代という感じのオーストラリア人の若い娘二人(一人はドピンクの髪で、一人はド紫の髪)を見かけました。速攻、直行、日本に着いたら、即、秋葉原へGO!みたいな二人組で、日本のアニメとか漫画とかきゃりーぱみゅぱみゅとか、大好きなんだろうなと思わせる姿でした。その二人を見ていたら、19歳でイギリスに行った自分のことが重なって、日本で楽しい時を過ごしてくれたまえ、という優しい気持ちになりましたよ、おばさんは。イギリスでの1か月はそれはそれは思い出深いものとなりましたが、日本で日本のごはんを食べ、お風呂に入り(もう1週間に1回しかシャワーしないなどという生活は許されません!)、村上春樹さんの本を読んでいると、「ああ、日本人に生まれてきて良かった」という気持ちになりました。そして、シリア人マネージャーさんに親切にしてもらったので、本屋で『アラビア語会話入門』なんて本も買ったのですが、すっかり本棚の飾りとなりました・・・。再度のイギリス行きを目論んでいましたが、ヴィザが取りやすかったオーストラリアにその2年後やって来て、現在に至るひなこでありました。長々と思い出話に付き合ってもらって、申し訳ないです。年寄りは、昔話しか、できんようになるんだね。「むかーし、むかし、あるところに、ひなこというイギリス好きの女の子がおってのお」完
2017年05月16日
おはようございます、ひなこです。1984年3月17日、土曜日。睡眠不足で筋肉痛。どんだけ、騒いだんでしょうか、前夜。通算19泊したロンドンから飛行機に乗って日本に帰る日がやってきました。懐かしの航空券。Eチケットなんてない時代です。「ああ、まだイギリスにいたいよ~」と後ろ髪をひかれながら、飛行機に乗り込みました。今みたいに、空港からブリッジでまっすぐ乗る時代ではありませんよ。バスで飛行機の近くまで行って、タラップを上るのですよ。一歩一歩上へ上りながら、「あー、まだいたい~。また来るぞ~」と声に出して言っていました。絶対また来ようと思って、この時残ったイギリスポンド紙幣は結構何年も持っていたのですが、その後オーストラリアで両替しました・・・。前夜、睡眠不足でしたが、飛行機の中でもよく寝れませんでした。こんなに連日睡眠不足なんて、私にはとても珍しいことです。ひなこ、子供の頃から現在に至るまで、「寝る子は育つ」な人ですから。続く。
2017年05月15日
おはようございます、ひなこです。今日は、母の日ですね。ひなこは、日本にいる時、近所のローソンに行ったついでに、母の日ギフトを頼みました。なんか、年々、母の日父の日ギフトの申し込みが早くなってる気がします。1984年3月16日、土曜日。ロンドン最終日です。翌日の飛行機で日本に帰ります。ということで、最終日は、泊まるホテルが込みで入っているため、長らく15泊した安宿をチェック・アウトして、移動します。15泊もしたので、すっかり安宿に慣れてしまって、ここを出る時、皆とお別れするのはちょっと悲しかったです。「日本に帰って写真を現像したら、郵送するけんねえ!!」などと言ってお別れしました。涙。そして、地下鉄に乗って、ハンマースミスへ行きました。ハンマースミスと言ったら、クラッシュにホワイト・マン・イン・ハンマースミスなんて歌もあって、ほほ~、ここがハンマースミスかと思いつつ、今夜泊まるノヴォテル・ホテルへと向かいます。3月17日は出発日として記入されています。ロンドン初日に同室だった方は、親族で不幸があったとかで、予定より早く帰国してしまったそうで、この日、私はツインの部屋をシングルユースしました。さて、今夜は、ロンドン最終夜。はい、クラッシュのギグの日です。ハンマースミスから地下鉄でブリクストンへと向かいました。カムデンマーケットで買った赤いレザーの帽子をかぶっていたら、黒人の女の人が後ろから追いかけてきて、「ちょっと!その帽子どこで買ったの?!」と聞かれました。地元ロンドンっ子にそんなこと聞かれるなんて!とちょっと感激。でも、こういうのって泥棒が気をそらすために使う手口でもありそうですね。ひなこは、日本にいた時からそういう傾向がありましたが、ロンドンでも、多くの人々に「すみません、どこそこに行くのはどうやって行くんですか」とよく道を聞かれました。いや、私に聞かれてもね。多分、怖そうな人に見えないんだと思います。前座のバンドがステージから消えて、いよいよクラッシュ登場です。ミック・ジョーンズとドラムのトッパー・ヒードンは既に脱退していて、ミックはいなかったんだけど。あれ、ポール(シムノン)もいなかったんだっけ?いや、いたはずだよな。ジョーしか見てなかったから覚えてないという・・・。ジョーは金髪のモヒカン頭になっていた!すっごく楽しかったですけど、なんというか、本当に手を伸ばしたら触れてしまえそうなくらい近くにあの憧れのジョー・ストラマーがいたんですけど(立ち見)、「なんだ、ジョーも普通の人間だったんだ」みたいに覚めて思っている自分もいました。終了後、今何時だよと腕時計を見たら時計がなかった・・・。それで、這いつくばって時計を探しました。他にも這いつくばって何かを探している人々がいたけど、落ちてる小銭を集めている人もいた。もう見つからないと思ってあきらめて帰ろうとした時に、ふっと見つけましたけど、その腕時計。会場は地下鉄の駅のすぐそばだったので、地下鉄に乗ってホテルまで帰りました。でも、興奮しているので、ほとんど寝れませんでした。余談ですが、ジョーはこの18年後、2002年12月22日に心臓発作で自宅で亡くなりました。50歳でした。私、ちょうど日本に帰って、実家に着いて、道新をペラペラめくっていたら、ジョー・ストラマー死亡の記事を発見して、とてもびっくりしました。続く。
2017年05月14日
おはようございます、ひなこです。1984年3月11日、日曜日から、3月15日、木曜日。と、急に端折ってますが、同じところに泊まり、同じ街・ロンドンにいたので、写真も撮ってないし、段々と旅行者じゃなくて、居住者のようになってきて、この日にこれをしたというのが判別できなくなってしまっているためです。非日常から日常へと変わってきちゃったんですね。お世話になったマネージャーさんと、ひなこと、お世話してあげた従兄弟のおじさん。シリア人。まさか、33年後に、この人たちの祖国がこんな惨状に陥るとは誰が想像できたでしょう。大英博物館の後、ナショナル・ギャラリー、テート・ギャラリー、ヴィクトリア&アルバート・ミュージアムなどに行ったので、この間に行ったのかな。それまで芸術に触れる機会のなかったひなこですが、このようにあちこちめぐっていると、段々、ひなこ、この絵好きだなーとか、ターナーの水彩画良いなあとか、ちょっと思うようになりました。あとよく覚えているのは、上記のどこかの食堂でお昼を食べたんですが、ひなこはお子様っぽくサンドイッチと牛乳みたいな、給食から抜けきっていないものをモグモグ食べていたのですが、そこに、多分そこで働いている女性が一人、おひとり様のひなこの席に「ここ、座ってもよろしくって?」とやって来て、同席したんですが、彼女はスープとパンを食べていて、なんだろうな、おにぎり文化のひなことは、全く違う大人の女性という感じでかっちょよかったのと、でもやっぱりひなこはおにぎりの方が好きだぜみたいに思ったことが強く印象に残っています。🍙あと、私がロンドンにいる間に、ロンドンでリビアがらみの爆弾テロがあって、1日ホテルでぶらぶらしていた日がありました。ホテルの皆に、「何やってるの?」と言われ、「だってテロ怖いもん」と言ったら、「君は観光客なんだから、ホテルでぶらぶらしてちゃダメだろ」なんて言われたっけなあ。で、そのテロの影響でハロッズに行くのを止めたんですよね。ケンジントンの高級住宅地をちょっとお散歩してはみたのですが、ハロッズへは行きませんでした。最終夜に、唯一の夜の外出であるクラッシュのギグに行くので、その時着ようと思って黒いシャツを購入しました。赤いレザーの帽子をすでに買ったので、赤いレザーのベルトも買ったし。買い物はほとんどしていないつもりでも、やはり出てきたときより荷物が増え、コヴェントガーデンの雑貨屋さんで、そんなに大きくはないけどピンクと黒のアタッシュケースみたいな、スーツケースの赤ちゃんみたいなのも買いました。ロンドンで、ウィンピーのハンバーガーとフィッシュアンドチップスばかり食べていましたが、2度ほど違うものを食べました。ご飯が食べたくて、宿の近くのインド人の店で、一度カレーを食べました。生田斗真か?とお馴染みの突っ込み。ひなこ、辛い物が苦手なので、フルーツカレーなどという甘いのを選択しましたが、日本のカレーとは全くの別物だし、米は細長いバスマティライスかジャスミンライスでぱさぱさしてるし、日本の白いご飯が食べたいよ~!!!と欲求不満で帰ってきました。もう1回は、スパゲッティが食べたい!と思って(麺類に飢えている)、店の外にあったメニューにスパゲッティと書いてあったカジュアルな感じの店に入ってスパゲッティを食べました。イタリアンなのかと勝手に思って入ったのですが、食べている最中に、メキシカンと書いてあるのに気づきました。これも、ひなこが思うスパゲッティとはちょっと違って、欲求不満になりました。15泊した安宿で、シャワー(共同)をしたのは2回くらいのような気がします。日本で週に1回しか風呂に入らないなどということは、間違っても絶対ありませんが、多分湿度が低いからなのかな、イギリスでは臭くもならず、段々と不潔になっていきました・・・。恐ろしや。この安宿にひなこ滞在中に、イギリスの田舎の中学生だか高校生の修学旅行客が泊まったことがありました。あん時は、ホテルがすっごくうるさかった。まあ、ひなこは友達扱いされてましたけどね。続く。
2017年05月13日
おはようございます、ひなこです。1984年3月10日、土曜日。この日は、マダム・タッソー蝋人形館へ行きました。プラネタリムとレシートに書いてありますが、そんなものを見た記憶は一切ありません。寝てたのか?!でも、お金を払っているんだから見たんでしょうね。うーむ。何も覚えていない・・・。日記でもつけておけばよかったな。ここも、1日中時間をつぶせるようなところではないので、多分この後、週末だし、どこかの路上マーケットにでも繰り出したのではないかと思います。続く。
2017年05月12日
おはようございます、ひなこです。1984年3月9日、金曜日。この日は、一人で、前の日に見損なったバッキンガム宮殿の兵隊さんの交代を見に行きました。バッキンガム宮殿。Wellington Barracksにて整列中の皆さん。あれ?この人達、赤い服着てるはずでは?なんと冬季間は、このグレイのコートを着ているのです~。ちょっと損し気もするけど、いつもと違うレアなものを見れて良かったのか?行進中。最後尾。もう後ろに車が迫って来てます。通行止め早く終われ~!!と思っているでしょうね。この後、どこかへ行ったんでしょうが、今となっては覚えていません。多分、美術館かな?続く。
2017年05月11日
おはようございます、ひなこです。先日、「強い子のミロ」について書いた後、スーパーで一番小さいミロを買ってみました。ノスタルジー。私が子供の頃のミロって、結構でかい顆粒状で溶けにくかったのですが、いつの間にやら、サラサラパウダー状になっていたんですね。でも、子供の頃の思い出があるので、「ミロ、違う。こんなんじゃない」などと思いましたが、私が比較しているのは40年も昔の話ですね。♪回る 回るよ 時代は回る~本とか音楽もそうだけど、もう新しいものを読んだり聞いたりするより、昔のを懐かしがる傾向が最近顕著なんですが(そんなこと言ったらこの英国旅行日誌だってそうだぜ)、ミロも同じ分類でしょうかね。1984年3月8日、木曜日。朝ごはんを食べて、安宿B&Bマネージャーの従兄弟と観光に出かけました。この人(シリア人)は英語が全く話せず、意思の疎通は図れません。なので、この日は、カルチャー・バスという観光客向けの1日乗り放題、観光地を回るバスで観光することに私の独断で決定しました。行ったのは、バッキンガム宮殿、セント・ポール寺院、ロンドン塔など、ベタな観光地です。いやー、痩せてるなあ、自分。と19歳の自分の写真を見て思う。バッキンガム宮殿の所で、通りがかりのイギリス人のおじさんに、「すみません、シャッター押してもらえますか」と頼んで二人の写真を撮ってもらったのですが、そうしたら、そのおじさんが「君は何人?日本人?そしてあなたは?シリア人?へえ、ちょっとお茶でもしませんか」と言われて、一人だったら絶対そんな誘いには乗りませんが、同伴のマネージャーの従兄弟が、「行きましょう、行きましょう」とついて行ったので、なぜか3人でお茶する羽目になりました。そうしたら、この男性、日本語も片言話せるし、アラビア語も片言話せるんです。一体、この人は何者?!と怪しんでいたら、エホバの証人だったかな、いきなり日本語のパンフレットを渡されそうになったので、ひなこは「私は興味ありません」と受け取らなかったのですが、従兄弟君は、アラビア語のパンフレットを大事に受け取ってました。で、ひなこは、それを機に「では、先を急ぐので」とその場から立ち去ったので、従兄弟君も私についてきました。このせいで、我々は、有名なバッキンガム宮殿の兵隊さんの交代を見損なってしまいました・・・。いつもは、絶対日が暮れる前に宿に戻っていたひなこですが、この日は、フルにあっちこっち行ったので宿に戻った時は既に暗くなっていて、マネージャーさんが心配して待っていました。これを機に、マネージャーさんから家族の写真やシリアの写真などを見せてもらったり、ある時は「シリアのお菓子があるからラウンジで一緒にお茶でも」と誘われたりしました。他の宿では、自分の部屋にこもっていたけど、ここでは、いつも下のラウンジでスタッフの誰かと話したりしてました。工事中のビッグ・ベン。国会議事堂?ロンドン橋落ちる~♪から撮ったタワー・ブリッジロンドン塔から撮ったタワー・ブリッジロンドン塔名物の大ガラス、TOWER RAVEN。ひなこ、動物好き。この日の夜、BBC1のTOP OF THE POPSに出たバナナラマが、Robert De Niro's Waitingを歌っているところ。しかし、テレビが超レトロ。ソニーとパナソニックの国から来たひなこは、驚愕しました。続く。
2017年05月10日
おはようございます、ひなこです。1984年3月7日、水曜日。ロンドンでは、同じ宿に15泊したので、ホテルの従業員スタッフと仲良くなりました。マネージャーは、シリア人の男性でした。今でこそ、毎日シリア情勢をニュースでやっていますが、当時のひなこは、シリアと言われても、一体どこにあるのかも知りませんでした。このマネージャーは大変親切にしてくれて、私の部屋も最初の部屋からもっと良い部屋に、追加料金などはなしで変更してくれたりしました。私が文句をぶーたら言ったわけではなく、完全に彼のご厚意で良い部屋にアップグレードしてくれたのです。なので、私の記憶の中では、良い部屋のことしか覚えていません。白いご飯にたらこをのせて、ムハムハ食べている夢を見て目が覚め、「ああ、美味しかったなあ」とベッドの中でしばらく呆然としていたのもあの良い部屋でした。で、そのマネージャーが「大英博物館に絶対行け!自分は最初にロンドンに来た時、1週間通い詰めたぞ!」と力説するので、あんまり博物館などに興味のなかったひなこも、「そんなに勧めるなら、ちょっと行ってみるかい」という気になって、行ってきました、大英博物館。このあたりになると、どの日付だったのかは、もうはっきり覚えていないので、この日にしました。はい、大変面白かったです、大英博物館。古代エジプトのミイラとかたくさんあったのと、日本のものもすごくたくさんあったのをよく覚えています。世界中から、かすめ取って来た感はいなめませんでしたが。で、この博物館が予想外に面白かったので、急遽、ロンドンに沢山ある美術館や博物館めぐりをすることに決定しました。でですね、このマネージャーさんの従兄弟がシリアからやって来て、二人で訳の分からない言葉で話しているので「何語で話しているんですか」と聞いたら、「アラビア語」と言われ、博物館の売店で『ペルシャの美術』という本ににょろにょろとした文字が書いてあったのでそれを買ってきて、「これがあなた達の話している言葉でしょう」と自信を持って見せたら、全然違った、ということもありました。ああ、馬鹿なひなこ。で、毎日、あちらこちらに出かけているひなこに、マネージャーさんが言いました。「従兄弟を観光に連れて行ってあげたいが、俺は仕事が忙しくて無理。申し訳ないが、1日でいいからこいつを一緒に連れてロンドン見物をしてくれないか」というわけで、次の日、英語の全く話せない従兄弟(おじさんです)を観光に連れて行ってくれと頼まれ、一緒に出かけることになりました。これぞ、珍道中ですよね。続く。
2017年05月09日
おはようございます、ひなこです。未だ人参が残っていたので今度はサーモンスライス缶で人参しりしりを作ってみました。私はスモークサーモンは買うけど、缶詰(日本のみたいにブツ切りの骨まで食べれるやつとかじゃないし)の鮭は買いませんが、これも夫が私が日本に行っている間に買ったようなので、これを投入。美味しい!昨日書いたスムージーにも人参ちょっと入れたんだったな。1984年3月6日、火曜日。この日は、夕方からミュージカル、「キャッツ」を観に行きました。昼間は、コヴェント・ガーデンとか、ロンドン内のどこかをうろちょろしていたと思います。このチケットは、日本でオプショナルとしてお金を払って申し込み、現地でチケットをもらいました。ひなこ、ミュージカルを見たのなんで、これが最初で最後です。♪めーもりーってやつですよ。あんまり内容とか覚えてないんですが、唯一鮮明に覚えていることがあって、それは、私の周りには、アメリカ人の観光客しかいなくて、皆さん、アイスクリームをぺろぺろ食べながら、「いやね、あたしゃあケンタッキーから来てるんですけどもね、そちらさんはどちらから?」「え、あっしですか。あっしはミズリーの端っこの方から」「あたしは、フロリダざます」みたいな会話が大声でなされていた、ということだけです・・・。続く。
2017年05月08日
おはようございます、ひなこです。人参のとなりにひっそりとイタリアン・パセリも残っていたので、それは家にあったリンゴとオレンジのしぼり汁とスムージー・マシーン(夫が買った)に入れて、スムージーにして飲みました。美味しい。1984年3月5日、月曜日。この日は、ロンドン動物園にパンダを見に行きました。ひなこ、今現在に至るまで生パンダを見たのはこの時だけです。神経症的に歩き回るダチョウ。フタコブラクダ。動物園近くのカムデン・マーケットにも行ったんですが、この日だったのかは覚えていません。あの路上マーケットは週末だけだったのかも?イギリスのバンドのライヴを誰かが録音して、それをダビングして売っているという違法なライヴ音源のカセットテープを数本買いました。でも、カムデンで、赤いレザーの帽子を買ったんだよなあ。ロンドンっぽいと思って。あれはこの日だったのかなあ。続く。
2017年05月07日
おはようございます、ひなこです。冷蔵庫の中に人参が残っていたのを発見し、今朝は久々にツナ缶入りの人参しりしりを作って食べました。(オーストラリア風に発音すると、トュゥナみたいな、チューナみたいな感じ。)今日のしりしりはとても美味しくできました。なぜか?それは、お高いツナ缶を使ったからです。おほほ。いつも安いツナ缶をなおかつセールの時に買うひなこですが、私が日本にいる間に夫がすっごく高いツナ缶を購入していて、そうしたら味が全然違うというですね。やっぱり値段を反映してるのね。うまいよ。1984年3月4日、日曜日。この日は、キングス・クロス駅から列車に乗って、ケンブリッジへ行きました。”いつかここで学びたい!”などという高い志を持っていた訳では全くなくて、なんとなくミーハーに「ほほう、ここが天下のケンブリッジかあ」と思っただけですが・・・。ここは、ケンブリッジのクイーンズ・カレッジだそうです。アルバムにそう書いてありました。ケンブリッジで覚えているのは、川があって、学生達がカヌーを漕いでいたことですかねえ。それだけかーい!?すみません、それだけです。申し訳ないので、全然関係ない話を続けます。皆さん、♪強い子のミロ♪ってオーストラリア・オリジンだってご存じでしたか?ひなこは、全くの初耳でした!https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/reservation/?d_date=20170506&d_seq=66895ひなこ、子供の頃からミロが大好きで、お風呂上りにはミロを溶かした冷たい牛乳をぐびぐび飲んでいたものなのです。これから日本は、夏真っ盛りですが、こちらは季節が逆なので、段々冬になります。日本が真冬だった頃のこちらの前回の夏、すっかり夏バテしたので、日本帰国時、大塚製薬の高麗人参サプリ(アメリカ製)を入手したりしました。(来年用)本当は、アリナミンでも買おうかと思ったのですが、母が、「私、アリナミン飲んで胃を悪くして死んだばあさん知っているよ」と言うので止めました。本当にアリナミンが原因なのかは眉唾だろうとは思ったのですが、親の言うことを聞くのも親孝行かと思ったりして。夏には、28年ぶりに、(2回も)膀胱炎になりましたが、前回膀胱炎になったのは産後だったので、それと同等のダメージがあったのかと思い、産後の疲れにも効くと書いてあったアリナミンでビタミンB補給したらいいかなと思ったんですけどね。それで、昔飲んでいたミロも麦芽飲料だからビタミンBが摂取できそうだなとミロのHPを見てみたら、オーストラリア発祥と書いてあったのです!知らなかったなあ。続く。(2021/10/25追記)実家からこんなん出てきた。何も覚えてない。
2017年05月06日
おはようございます、ひなこです。1984年3月3日、土曜日。日本ではひな祭り、桃の節句ですが、ひなこはシェークスピアの生まれ故郷へ行きました。という今日は、端午の節句ですね。シェイクスピアの生家。入場券。今ググったら、ロンドンのメリルボーン駅から列車が出ると書いてありましたが、私の記憶では、そんな駅に行ったのは覚えていなくて、宿の近くのパディントン駅に、「ぎゃあ、乗り遅れる!」みたいな感じで走って行って、乗った気がするんですけど・・・。途中でオックスフォード駅に止まって、「ふむふむ。ここが天下のオックスフォードだ」と思いました。ストラトフォード・アポン・エイヴォンでは、駅から降りて、川があってそこを結構ちんたらと歩いて、シェークスピアの生家へ行ったはずです。最後の出口のところに、ノートがあって名前とか感想とか記帳できるようになっていて、「ひなこ参上!」と一筆書こうかと思ったけど止めたはずです。で、また、ちんたらとお散歩して駅に戻って、ロンドンへ帰りました。続く。
2017年05月05日
おはようございます、ひなこです。1984年3月2日、金曜日。多分、2週間のブリット・レイル・パスを購入したからだと思うのですが、ここから3日間は、ロンドンから近郊に列車の旅をしました。(2月20日から、3月4日まで、うるう年ですから14日間ですよね)この日は、ブライトンへ行きました。なんでブライトンかというと、元ポリスのスティングが出ていたイギリスのモッズ映画『さらば青春の光』(原題は Quadrophenia=4重人格)の舞台だったからです。私の記憶では中学生の時見たことになっていますが、1979年9月初公開だそうですから、日本ではそれより遅い公開だっただろうから、高1の時に見たのかな?中学の友達と一緒に見たから、中学の時見たという記憶になっているのか?ブライトンには、ヴィクトリア駅から列車に乗って行ったようです。(今ググった)ブライトン駅からまっすぐ歩いて海を見て帰って来たことしか覚えていません。あ、なんか変な親父にナンパされた!当然、追い払いましたが。いつも子供に間違われるので、徐々に化粧が濃くなっていて、この頃の写真を見ると、化粧がかなりケバイです。目の周りぐるぐる黒いみたいなね。今となっては、「その頃、毎日化粧してたんだあ~」みたいな感慨すらありますが。続く。
2017年05月04日
おはようございます、ひなこです。1984年3月1日、木曜日。徒歩で、新しいホテルに移動します。荷物を部屋に置いて、早速パディントン駅から、電話をかけます。「はろー、あのわたし、クラッシュのギグに行きたいんですけど・・・」そうしたら、相手の女性が、嵐のようにドドーっと何かを猛烈に話し出しましたが、全く意味不明でした。ぎゃあ!と叫びたくなりましたが、それをぐっとこらえて、「すみません、ここはちょっとうるさくてですね、よく聞き取れないんですが」などと、体裁の良いことを言ったら、再度、何かを早口で言っています。ぐぐぐ。もう恥も外聞もありません。「どうやったらチケットが手に入るんですかあああ?!」と絶叫したら、多分相手が、”こいつ、英語しゃべれないんだ”と悟ったらしく、「ここに買いに来い」と端的に教えてくれました。「ここって会場のことだよね?」「そうそう」「ブリクストンに行けばいいんだね?」「そうそう」そこで、地下鉄に乗って、ブリクストンに行きました。ブリクストンと言ったら、クラッシュに”ガンズ・オブ・ブリクストン”なんて歌もあって、ひなこは、”ほほう、これがあのブリクストンかあ”ぐらいにしか思っていなかったんですが、ロンドンをよく知る人に、後になってから、「そんな危ないところによく一人で行ったわね」と言われました。地下鉄の駅を一つ手前で降りてしまったので、長い通りを結局地下鉄の駅一つ分歩いたのですが、確かに白人の姿は一人も見かけませんでした。誇張じゃなくて、本当にたった一人も白人は見ませんでした。全部黒人でした。でも、まあ私も白人じゃないしな、という気分で、ひなこは全く怖くなかったのですが、実は無事で帰って来たのはラッキーだったらしいです。向こうにしたら、なんだこの子供のチャイナ・ガール、何やってんだ?!という感じだったのかしら。で、めでたくゲットしたチケットがこちら!!!じゃん!実は、私はロンドンに行く前に、ジョー・ストラマーに「2月19日から3月17日までロンドンに行きます!」とお手紙(ファンレター)を書いたので、今でも、このコンサートは私のためにジョーが開いてくれたんだと、勝手に思い込んでいます。いいの、いいの、自己満足で。ははは。続く。
2017年05月03日
おはようございます、ひなこです。1984年2月29日、水曜日。うるう年だった1984年。この日から、朝食は田舎のような豪華なものではなくなって、ただパンとジャムとバターと紅茶だけになりました。セルフ・サービスで、自分で容器に入ったジャムとバター、そしてパンを取って、紅茶もティーバッグで自分でいれるのです。というわけで、やっと前の日に湖水地方で聞き取ったオレンジ・ジュースじゃない方のジュース、グレープフルーツ・ジュースには結局ありつけなかったのです・・・。朝食を食べて、パディントン駅に行きました。まずは、実家に電話。日本を出てきて、早11日。それも、実家から出てきたわけではなくて、札幌から出てきたわけですから、親は大変心配していたと思います。一切連絡がないんですから!きっと怒られるだろうなと思って、「田舎をまわっていたから日本に電話がかけられなかった」とでも言い訳するかなどと考えていたのですが、「お母さん?ひなこです。今ロンドンから電話をかけてるんだけど」と言ったら、母はこう言いました。「いやー。そんな世界の裏側から電話をかけて、どうして話ができるんだろうねえ」「知らないよお。そんなこと言ったら、どうしてテレビが映るのか、ラジオが聞けるのかも説明できないでしょ」全く予想外の話の展開となりました。そして、「19日の朝に帰るからね」と言って、電話を切りました。そして、この日、残り15日間、ロンドンで泊まる宿を探さなけらばなりませんでした。パディントン駅の近くに安宿が並ぶ通りがあったので、片っ端から「明日から15日間泊まりたいんですけど」と言ってまわり、WESTPOINT HOTELというところに泊まることになりました。前金を払い予約しました。その住所を今グーグル・マップに入力してみたら、現在もそこは名前の違うホテルでしたが、なんと1泊一万円以上するようです!私が泊まった時は、連泊するから値引きもしてくれたんだろうけど、15泊で95ポンドと領収書に書いてあります。(翌日、この日払った前金を差し引いた金額を前払いで15日分全額を払い、もらった領収書↓)当時、1ポンド=350円くらいだったので、一晩7ポンドで計算しても、2450円だったのにねえ。まあ、33年前はシャワーもトイレも共同だったし、今は改装工事をして、全く別物になっているんでしょうが。さて、翌日からの残りのロンドン滞在場所も決まり、前日歩きまくって疲れていたので、安心して安宿に戻り、部屋でNMEを読んでいたひなこ。なんと、そこにこんな広告が載っていました。”ザ・クラッシュのギグ、ソールド・アウトのお知らせ。おかげさまをもちまして、全て完売となりました。つきましては、追加公演を3回行うことが決定しました!”な、な、なんだと?!はい、わたくし、ひなこ、中学生の頃から、クラッシュの大ファンだったのです。で、その追加公演の最初の晩が、ひなこロンドン最後の夜だったのです。これは、行くしかねえよな!と思ったのですが、小さな字で、”小切手か郵便為替、そして切手を貼った返信用封筒を同封の上ここに送ってください”などとごにょごにょ書いてある意味がよくわかりません。そこで、NMEを持ってフロントへ行き、そこにいたあんちゃんに「これはどういう意味だ?」と聞いたら、ほんの一瞬ちらっとそれを見てから、「ここに電話番号が書いてあるから電話して聞いてみろよ」と言われました。やる気のない奴。電話では、相手の言っていることがわからないのは、既に経験済みでしたが、もうこれは、クラッシュを見たい一心で、翌日、またパディントン駅に行って、公衆電話から電話してみたのでした。続く。
2017年05月02日
おはようございます、ひなこです。1984年2月28日、火曜日。この前夜、一緒に観光した方が、ロンドンへと列車で旅立ちました。その後は、ヨーロッパへ渡る予定とのこと。一方、ひなこは、彼を見送るため、ウィンダミアの駅に行くついでに、自分も湖近くのB&Bから、駅近くのB&Bに移りました。そして、この日、リヴァープールへ行くつもりでいました。ビートルズの出身地だから、行ってみようかと思ったのです。昨夜移動し、宿泊したお宿がこちら。カードが今までで一番かわいい。ところがですねえ、朝ごはんを食べている時に、ここの宿主のおじさんが、「これからどこ行くの?」なんて世間話をし始めて(ちなみにこの朝ごはんの時、初めて、オレンジ・ジュースとグレープフルーツ・ジュースと言っていることを聴きとりました。よし、これからは、グレープフルーツ・ジュース飲んでやるぞ!と思ったんですが、ロンドンの安宿では、そんなジュースはもう出てきませんでした・・・)私が「リヴァープール行くの」と言ったら、「リヴァープールは今、街全体がストライキ中で、すごく危険だよ。軍まで投入されてるんだよ。絶対行っちゃだめ!」と止めるのです。「なんだって、リヴァープールになんて行くんだよ?」「だってビートルズの出身地でしょ」「でも、ビートルズ、今現在はリヴァープールに住んでないでしょ?意味ないよ」なんて言われて。出鼻を挫かれ、列車に乗った後も、「どうしよう、どうしよう」と悩んでいるうちに、ロンドンに着いてしまいました。ロンドンの多分、ユーストン駅だったのかな?列車を降りましたけど、田舎から出てきて、突然すごい人の波を目にし、グラスゴーで味わった気分の100倍ぐらいの「ど、ど、どうしよう?!」感。この世にひとりぼっち、というとんでもない孤独感に襲われました。そこで、ロンドンを発つ時に渡された電話番号に電話をしたと思います。それで、「ロンドンに戻りました。元気です」などと少し話して、体制を立て直し、まず、駅の本屋で買ったのが、『ロンドンAtoZ』というロンドンの詳細な地図と、音楽新聞『NME』でした。さて、これからどうするか。まずは、今夜の宿を探さねばなりません。田舎だったら、駅前のツーリスト・インフォメーションで助けてもらっていましたが、生き馬の目を抜くロンドン。(本当にそういう気分だった)そういえば、日本からロンドンに着いた初日に、空港にお迎えに来てくれた人から、色々な割引券とかもらったよなあ。あの中に、安宿の割引券もあったっけ。と、そのチラシを頼りに、そこまで歩くことにしました。頼みの綱はA-Z。ロンドンの地下鉄だのバスだのには、乗る勇気がなかったのです。でも、飛び込みじゃなくて、駅の公衆電話から一応電話はかけたのかな。2泊空き部屋ありますか?って。そうじゃないと無謀ですよね。かなり歩いて、満室じゃあねえ。そうなんです。すっごい長い距離を歩いたんです。でも、まあ、観光客ですからね。街を歩くというのも、良い経験です。そして、たどりついたのが、こちら。ここには2泊しました。では、ご機嫌よう!
2017年05月01日
おはようございます、ひなこです。1984年2月27日、月曜日。この日は、前日、同じ列車に乗っていた、神戸の芦屋在住の大学生の方と、レンタカーをシェアして湖水地方を観光しました。当時、私は車の免許をまだ持っていなくて(という今もペイパー・ドライヴァーですが)、その方も、一人でレンタカーを借りるのはちょっと高いなあと思っていらっしゃったので、じゃあ、ひなこが半分出すから運転してくださいということになったのです。「湖水地方は、車でまわらないと良さがわからないよ」って地元の人に言われたりもしたんだと思います。神戸の芦屋と言ったら、村上春樹さんを連想して、気分はほとんど村上春樹さんとドライヴみたいな気分のひなこでした。この車を借りました。羊さんたち。ひなこが、写真を撮っていたら・・・。「あんた、うちの旦那に何の用?!」と奥さんが出てきた・・・みたいな。綺麗、綺麗。途中で、ヒッチハイクしていた現地の子供(中学生くらい?)を乗せてあげたりもしました。まさか日本人の車に乗るとは思っていなくて、緊張してましたけど。そして、工事のため閉鎖中だったポッター・ハウス。(たまたま通りかかっただけで、そういうものがあると知っていたわけではないんですが)4月になったら開くと大工さんに言われました。これは、やはりチケット売り場か何かだったのかなぁ。楽しい一日でした!そしてこの日の夜、車の運転を担当してくれた方はロンドンへと発ち、ひなこは宿を駅前に移動しました。続く。
2017年04月30日
おはようございます、ひなこです。1984年2月26日、日曜日。グラスゴーから、湖水地方のウィンダミアに移動しました。グラスゴーでは、何も良い思い出がないと昨日書きましたが、この日の早朝にホテルを出て、駅まで歩いている途中で、中学生くらいの女の子達が募金を集めているのに遭遇しました。私にも、「募金をお願いしまーす!」と声をかけてくれたのですが、何のための募金なのか、とかよくわからなかったので、知らんぷりして歩いていた私に(グラスゴーで心がやさぐれていた)、一人の女の子が、本当は募金したら貼ってもらえるステッカーを私のGジャンにペタっと貼って、ニッコリ笑って去って行きました。彼女の笑顔に救われたし、私ったらなんて嫌な対応をしたのかしらと反省もしました。これで、ちょっと心を立て直して、グラスゴーからウィンダミアへと向かいました。ウィンダミア駅で降りると、またここで、違う日本の大学生男子1名が同じ列車に乗っていたと知り、2人でツーリスト・インフォメーションに行き、宿を取ってもらいました。この宿は、湖の近くで、駅からちょっと歩きました。そして、次の日は駅の近くに移動して1泊して、ウィンダミア駅からロンドンへ戻ったはずです。この日は、移動日でしたので、宿から近くの湖でボートに乗ったりして、おしまいだった気がします。鴨がいたと思う。湖水地方出身で、湖水地方をこよなく愛した詩人、ウィリアム・ワーズワースのことを教えてくれたのも、この同行の神戸の大学生の方ではなかったでしょうか。ひなこ何も知りませんでしたから。『嵐が丘』(ブロンテ姉妹)の話とかも聞いた気がする・・・。教養のないひなこであった。翌日は、二人でレンタカーを借りて、湖水地方を観光しました!続く。
2017年04月29日
おはようございます、ひなこです。1984年2月25日、土曜日。インヴァネスから列車に乗って、グラスゴーで降りました。グラスゴーでは、観光するつもりとかなくて、次に行く湖水地方へのつなぎの移動日でした。ここでは、SMITH'S HOTELというところに泊まったようです。これも、駅前のツーリスト・インフォメーションで取ってもらったんだと思います。今までは、こじんまりとした田舎のベッド・アンド・ブレックファーストという感じの宿でのほほんとしてましたが、ここは、大都会の大きなホテルでした。この写真は、領収書なのですが、書かれている名前が全然私の名前じゃないんですが!根が田舎者なので、インヴァネスにはすっかり馴染んでも、インヴァネスの後のグラスゴーでは、ひょー、大都会!とビビりまくり。ホテルもそっけないし、グラスゴーでは、ちょっと落ち込んでホテルの部屋でごろごろしてました。なので、グラスゴーには、良い印象がありません。すみません。自分の部屋の窓から、緑の芝生が見えて、私の記憶ではグラスゴー大学の近くだったことになっています。グーグルマップで見てみたら、ホテルの向こう側に大きな公園が川をはさむようにあって、その向こうにグラスゴー大学があるようです。帰国後、ロイド・コール・アンド・ザ・コモーションズを聞くようになり、ロイド・コールがグラスゴー大学卒の人だったので、聞きながらいつもこのホテルの窓から見ていた景色を思い出していました。アズテック・カメラ(バンド名)も、最初はグラスゴーで活動していたバンドだったんじゃなかったっけ。そういえば、Faces of Strummer that fell from the wallなんて歌詞があったっけなあ。ウォーク・アウト・トゥー・ウィンターです。この歌詞について、当の本人、ジョー・ストラマー(私のアイドル)にインタビューしていたことあったけど。ああ、懐かしい。続く。
2017年04月28日
おはようございます、ひなこです。1984年2月24日、金曜日。本当は、前日の午後に、同じ列車に乗っていた日本人の大学生2名と3人で、バスに乗ってネス湖へ行ったと思うのですが、そうすると24日は一人で何やってたんだろうと、不明なので(洗濯をして昼寝?)、24日に行ったことに記憶を変更します!(ATARU風に、「アップデートしました!」)ネス湖行きバスのバス券。19歳のひなこ、ネス湖にて。バスの中からの景色は、ほぼ北海道でした。大学生の2人組男子は、東京から来ていたので、「わああ!すごい!綺麗!」と大感動していましたが、ひなこは、「うーむ。地球の裏側に来ているのに、気分は北海道って、なんだかなあ」な感じでした。で、お二人に、「それはですね、ひなこさんが大自然豊富な北海道に住んでいるから、普段から恵まれているから感動しないんですよ!」と力説されました。はあ、そうですか。確かに、ニュージーランドに行った高校の同級生も、「北海道みたいなところだよ。地球の裏側まで行って北海道に戻ってきたみたいな感じ」という感想を述べていたことがあります。ネス湖では、たくさん写真を撮りまくりましたが、ネッシーには遭遇しませんでした。無念。大ボラなのか、なんなのか知りませんが、このネッシーのためだけに、このスコットランドの奥地まで観光に行ったわけですから、PR効果はばっちり大成功だと思います。日本だったら、「名物ネッシー饅頭」とかネッシーのぬいぐるみとかありそうですが、インヴァネスでは何も買いませんでした。まあ、貧乏旅行だから、あんまりお金を使わない方向で旅をしていたのですけどね。続く。
2017年04月27日
おはようございます、ひなこです。1984年2月23日、木曜日。泊まっていたB&Bのめちゃくちゃ近所で火事になるという、とんでもない経験をしながら、チェック・アウトして、バスでエジンバラ駅に向かいました。本日は、エジンバラから、さらにスコットランドを北上してインヴァネスへと移動します。ネス湖に行くためですよ!ネッシーに会えるかなー。途中で海岸線の景色を右手に見ながら、やってきました、インヴァネス!インヴァネスで降りると、同じ列車に、日本人の大学生男子2名が乗っていて、同じ駅で降りていたのが判明し、3人で、ツーリスト・インフォメーションへ行って、宿を紹介してもらいました。本日の宿。多分、私は、ここには2泊したのだろうと思います。(日本人の大学生は1泊だったのかな?)玄関を入ったところに、カーリングのストーンがあったのを、今でも覚えています。初めて本物のカーリングのストーンを見たので、「本物~」みたいに思ったんです。あと、部屋の鍵を持たずに、オートロックのドアを閉めて、自分の部屋に戻れなくなったのを覚えています。(日本人、よくあるある)オーナーの女性に、「鍵を部屋に置いてきてしまった~」と言ったら、合鍵で開けてくれました。で、私の記憶では、この日、3人でバスに乗って、ネス湖に行ったと思うのですが、そうすると、次の日一人で何やってたんだろ?疲れて寝てたのか?洗濯して乾かしてたのか?とよく覚えてないので、便宜上、ネス湖には、次の日行ったことにしたいと思います。この日の夜、3人で、インヴァネスのウィンピーに晩御飯のため行ったのですが、ウィンピーってファーストフード店じゃないですか。でも、インヴァネスでは、ちゃんとしたお食事処になっていて、レストランみたいに席に案内されて、着席している私たちのところにウェイターさんだったかウェイトレスさんがオーダーを取りに来て、ちゃんとしたナイフやフォークがテーブルにセッティングされていて、都会の手づかみでムシャムシャ食べるハンバーガーとは全く別物だったのが印象的でした。でも、私のことだから、きっと手づかみでハンバーガーとホット・チップスを食べたんだと思いますが。ナイフとフォークでどうやって食べろと言うんですか?みたいな。それとも、フィッシュアンドチップスを食べたのかな。(←これもかなり食べた。これにも酢をかけるんですよー。すっごい寒い日に、新聞にくるまれた熱々フィッシュアンドチップスに酢をぶっかけて食べる。イギリスだねえ)フィッシュアンドチップスなら、ナイフとフォークでいけたかな?スコットランドの夜は、このようにして更けていくのであった。インヴァネスは、とっても静かな、人の少ない町でした。続く。
2017年04月26日
おはようございます、ひなこです。今日は、オーストラリアはアンザック・デイでお休みです。スーパーも午後1時から開店です。https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/public/?d_date=20170425&d_seq=01984年2月22日、水曜日、エジンバラ3日目は、お買い物デイです。成田で見送ってくれた友人の一人に、「スコットランドの民族衣装を着ているお人形が欲しい!」と頼まれていたのです。(「キャンディー・キャンディー」の影響かと思われます!)なので、バスに乗って、エジンバラ駅方面へ行き、そこでお人形を買いました。駅の近くのちょっと高台の公園から撮った風景(だと思う)。地面が白いのは雪です。でも、道産子ひなこは、Gジャン一枚で平気でした。自分には、マザー・グースのナーザリー・ライムズの絵本だとか、子供向けの本を数冊購入しました。英文科っぽい!あと、また食べる物の話ですが、ポテチにヴィネガー味というのがあるのは、英国植民地オーストラリアでも定番なので今となってはもう驚きませんが、エジンバラでヴィネガー味のポテチを買って、で、なおかつもっと酢の味を求める人のために、粉の酢フレーヴァーが入った小袋がパッケージの中に入っていて、好みでこれを振りかけて食べんしゃいと書いてあったのがカルチャー・ショックでした。ジェレミー・オリヴァーのロースト・ポテトのレシピにおいても酢が振りかけてあったし、まあ、英国定番の味なんでしょうねえ。この日、隣のB&Bに移動しました。そうしたら、翌朝、近所で火事がありましてねえ。煙の臭いと消防車のサイレンの音で目が覚めて、最初は自分のいる所が燃えているのか?!と一瞬ビビりましたが、自分の泊まっているところではありませんでした。証拠写真。自分の部屋の窓から撮影。続く。
2017年04月25日
おはようございます、ひなこです。1984年2月21日火曜日、エジンバラ2日目、実質観光初日になります!まずは、1階のダイニングで朝食です!席に着くと、「オレンジ・ジュースかほにゃららジュース(聞き取れないひなこ)、どちらにしますか」と聞かれます。ひなこは、選択の余地なくオレンジ・ジュースをチョイス。そして、コーン・フレークスに牛乳をかけて食べ、薄いカリカリトースト(ああ、英国風)にバターとジャムを塗り、そしてその他に、メイン・プレートとして、ベーコンやらソーセージやらを焼いたものや、目玉焼き、トマト焼きの乗ったどでかいお皿もキッチンからほっかほかでやってきます。朝からナイフとフォークでお食事するも、異国情緒があり、いとをかし。そして、ミルク・ティー!(ひなこがコーヒーを飲まないので、コーヒーとの選択の余地があったのか覚えていません)豪華だなあ!そして、この日はエジンバラ城へ行きました。確か、宿から歩いて行ったと思います。St Margaret's Chapel ,The Palace of Holyrood Houseなどとアルバムには書いてありますが、あまり記憶に残っていません。(入場券は、お子様券だし・・・。何歳だと思われていたんでしょうね・・・。出発前に、北大で国際学生証を作ったんだけど、使った記憶がほとんどなし)私が今でもよく覚えているのは、エジンバラ城から歩いて宿のある通りに戻って、こじんまりとしたレストランで、昼兼夕食のような感じで、ピザを食べ、そしてホット・チョコレートを飲んだことです。頭は忘れても、胃が忘れないひなこであった。ピザとホット・チョコレートって組み合わせ悪いですけど、スコットランドは寒かったので、ホット・チョコレートを飲んで、文字通り(?)ほっと一息ついたわけです。ああ、面白くない。おばさんが言ってもおやじギャグって言うのかな?続く。
2017年04月24日
おはようございます、ひなこです。1984年2月20日月曜日の朝。エジンバラに向けて旅立とうする私のことを、本当に皆さん心配してくださって、同室だった女性は、「これが私のロンドン滞在先の電話番号よ。何かあったら必ず連絡するように」と言って下さり、あと、もう一人ロンドン駐在のご親戚の家に滞在することになっていた女性からも、「何かあったら連絡してね」と連絡先をいただきました。ありがたや、人の情け。いざ、行かん、スコットランド!ひなこ、まじめにハリーポッターを見たことありませんが、度々テレビで再放送しているので、ちらっと観たことはあります。ハリーポッターが中途半端なプラットフォームから列車に乗るシーンを見ると、自分がスコットランドへ旅立った日を思い出します。もしかして、あれ、キングスクロス駅なのかしら?車内で食べようと思って、サンドイッチなど食料を買って、乗るべき列車に乗ります。頼りの綱は、ブリットレイルパスと、トーマスクック発行の時刻表です。自由席に行くと、日本のように全部進行方向に椅子が向いているのではなくて、4人が、2人2人で向き合う形になっていて、真ん中にはテーブルがありました。そこでトランプもできます。というわけで、ひなこも強制的に英語で話さなければならない状況となりました。現場主義の女、ひなこ。本領発揮なるか。皆さん、ミルクティー入りのポットを家から持参で旅していたりして、ひなこも「まあ、ご一緒にどうぞ」と一緒にミルクティーをいただきながら、つたない英語でお話していました。(ちなみに、ひなこは中学生くらいの子供だと思われています。19歳ですと言うと、驚きの声が!)ベタですが、子供には、折り紙を折ってあげたりして。で、エジンバラに行くと言ったら、皆さん、「ヨークに行くといいよ、ヨークはすっごく街並みがきれいなのよ」とヨークを勧めます。一瞬、本当にヨークの駅で降りようかと思いましたが、「いや、いかん。ここで予定変更したら、”ぎゃー、私は誰、ここはどこ状態”になっちゃうよ」と思いとどまりました。なんで、エジンバラなのか?というと、ほら昔、BCR(ベイ・シティー・ローラーズ)死ぬほど好きだったから!やっぱり、行っておかなきゃねと思って。初志貫徹みたいな。ちょっと違うか。私が好きだったレスリーは、前年の夏休みに、雑誌フォーカスに日本人妻との写真が載りましたが。いとこのお兄ちゃんに「お前、こいつのこと好きだったよな」と写真週刊誌を見せられ、思わず「レスリーと結婚するのは私のはずだったのに!」と口走ってしまった私でした。そういえば、ひなこは2週間のブリット・レイル・パスを日本で購入して、それで列車の旅をしていたのですが、本当は、ロンドンの駅で列車に乗る前に、今日から使い始めますという日付のスタンプを押してもらわなければならなかったのだそうです。そのように、列車の中で改札係の人に言われました。「ええ?!どうしましょ?!」とパニくるひなこに、「大丈夫、大丈夫。エジンバラに着いたら、すぐスタンプ押してもらってね」とのことでした。(子供に見えるから皆優しくしてくれる)エジンバラ駅で列車を降り、まずそのスタンプを押してもらいました。「す、す、す、す、すみません。ロンドンでスタンプを押してもらわずに列車に乗ってしまいました!!あいむそーりー!」とひたすら恐縮するひなこに、「ああ、大丈夫ですよ」とあっさりスタンプを押してくれました。そして、公衆電話からユースホステルに電話をかけてみたのですが(チャレンジャーひなこ。身の程知らず)、相手の言っていることが全く何も理解できなくて、「サンキュー」と言って切りました。何がサンキューなんだか。で、「あかん、顔みて話さないと意味不明」と思って、駅にあったツーリストインフォメーションに行きました。(スコットランドの英語はちょっと訛っています。乗り物のバスはブスなんて言う)インフォメーションには、とっても明るい愛想の良い若くてかわいいお姉さんがいて(もしかしたら同じくらいの年だったのか)、「あなた、日本人ね?ほら、見て!(と、折り鶴を指さす)これ、日本の人にもらったのよ」などと気さくにお話してくれて、無謀な電話での英会話で心が折れてしまったひなこを元気づけてくれました。エジンバラには3泊するつもりだったので、3泊の宿(B&B)を紹介して欲しいとお願いしました。安宿希望なので、トイレは共同です。でも、日本から来たばかりなので、「自分の部屋にシャワーがある部屋がいい」とわがままを言ったら、ちゃんとそういう所を見つけてくれました!(これが、日に日に、どうでもよくなっていく)が、最終日は、そこが予約で満室なので、隣の宿を取ってくれました。宿には、バスで行くようになるのですが、バスの乗り場、何番のバスに乗ればいいかを教えてもらい、バスの運転手に「ここに行きたいから、降りる場所がきたら教えてね」と言いなさいなどと親切に手取り足取り教えてもらいました。エジンバラの印象が、グーンと良くなったのは、ひとえにこの女の子のおかげです!グッジョブ!ロンドンのバスは2階建てで赤いけど、エジンバラのバスは緑の2階建てだった記憶が。当然2階席に座りました。33年前のエジンバラのバスのチケット。かわいい!この日は、完全に移動日で、ロンドンからエジンバラに行って、宿を見つけて終了しました。B&Bには、朝食しかついてませんけど、夕食には何を食べたんだろうなあ。駅で買ったリンゴとかでしょうか?どこかに食べに出かけた記憶はないので、多分部屋でリンゴとポテチとかそんなだったんだろうな。若い時は、健康に気を使ったりしませんでしたからねえ。ひたすら、ウィンピーを愛用してたしな。でもそのくせ、ビタミンCのサプリを日本から持って行っていて、毎日飲んでいました!(ちょっと健康志向?)続く。
2017年04月23日
おはようございます、ひなこです。気づけば、くだらんことを毎日書き続け、早1年。そんなにプレッシャーはありませんでした。読み書きそろばん好きの元寺子屋キッズのひなこだからでしょうか。これが、毎日編み物しろとか(実家でかぎ針でニット帽作ったんですよ)、毎日掃除しろとかだと、3日で挫折したと思います。大学を卒業する前に、ある教授が「卒業してから、何かを1年、1日も休むことなく続けたら先生の所に報告に来なさい。プレゼントをあげます」って言ってたんですけど、あの約束今も有効かしら?!1984年ってオリンピックの年だから、うるう年だったんだなー。何オリンピックだったんだろう。ロス?(ググったら合っていた)昨日の続きです。成田を出発して、無事、台北経由で香港に着きました。ここで、ロンドン行きの飛行機に乗り換えます。でも、格安航空券ですから、直行ではなくて、バハレーン→ロンドンでした。初めての海外なので、出てくる機内食を意地になってせっせと食べていた記憶があります。あとは、私の前の席に座っていた香港から乗って来た英国人女性が赤ちゃんを連れていて、カワイイもんだから、「写真撮ってもいいですかあ?」と聞いて、二人の写真を撮った記憶が。これです!↓この赤ちゃん、現在は、頭の禿げた30過ぎのおっさんとかになったのかしら。(すみません)どこのどなたか知りませんが、もしお渡しできるならこの写真をお渡ししたいですわ。この頃は、あれですよね。自分の席の前に自分の画面があって・・・なんて時代ではなくて、大きな画面でみんな同じ映画を見た時代です。赤ちゃんの横にあるパネルをひっくり返すと大画面になるんじゃないかしら。それから、当時、イラン・イラク戦争続行中でしたから、そんな戦争やっている国の近くを飛行機が飛んで大丈夫なんだろうか、とちょっと不安にもなりました。日本で暮らしている時は、イランとイラクの戦争のことなんて、考えたこともなかったのですが。あとは、あれですね、途中で降りたバハレーン。いきなりですね、アラビアン・ナイトの世界になったもので、頭の中が「ロンドン一色」だったひなこは、ちょっとカウンター・パンチをくらったような感じでした。当時のひなこの世界地図というのは、日本があって、海を渡ると韓国、中国、インドとかあって、その向こうはヨーロッパ!という非常にいびつな形をしていたのです。空港内には、真っ白のターバンに真っ白の長衣の男性が沢山いて、ひなこは非常に写真を撮りたかったのですが、腰から昔の侍のように剣がぶら下がっていて、あれはアクセサリー?それとも真剣?いや、でも剣下げて飛行機乗れないんじゃないの?といまいち確信が持てず、写真を撮って切られたらロンドンに到達できないと思って、撮影を自粛しました。ラクダを連れて歩いていたらぴったりな服装なんだけど、皆さん、どなたも非常に高価な生地(多分日本製)でできているたらったらの衣装(いや、俳優じゃないからさあ)で、はいていらっしゃるサンダルや手にお持ちのアタッシュケースはすっごく高級品な感じでした。(オイル・マネー)どなたも、トップ・ビジネスマンという雰囲気です。ひなこ的には、「いや、地球の上にこんな場所もあったんだ」という世界でした。で、そこから、イッキにロンドンへ向かいました。ロンドンの空港といったら、ヒースロー空港のはずだったのに、ギャトウィック空港に飛行機は着きました。「どうして、ヒースローじゃないの?!」と、まずそこでくじけたひなこでした。飛行機を降りたら、入国審査です。1984年2月19日、日曜日の朝です。同じグループの人々は、ほとんどの方が、以前英国に来たことがあって、今回はロンドンからヨーロッパに行く予定でした。ひなこは、1か月英国内に留まる予定でしたが、入国審査で滞在予定期間を聞かれたら、短めに言っておく方がいいよとアドバイスされていたので、列に並んでいる間、ぶつぶつと「ワン・ウィーク・フォー・サイト・スィーイング」と練習に余念のないひなこ。さあ、私の順番がきました。すると係の男性がわけのわからないことを言ってきました。ぎゃ!本場の英語はわからんのか?何も聞き取れないぞ!焦って、「あいべっぐよーぱーどん?」と言うと、またわけのわからないことを繰り返されます。ひなこ、完全パニック状態です。パニくっている私に彼は言いました。「ごめん、日本人だと思ったもんだからさあ」あ。何て言ったか、わかった!「イエス、イエス、アイアムジャパニーズ!」「でしょー。だから、オハヨゴザマスって言ってるのにさ」はい?その人、日本語で「おはようございます」って言ってたんです。ふざけんじゃねえぞ!(心の声)というドタバタを乗り越えて、夢の英国に入国です。一日がかりではるばる来たぜ、ロンドン!です。ロンドンのスタッフの方に「お疲れさまでした」と迎えてもらって、バスでホテルに移動します。たしか、キングス・クロス駅のすぐ近くだったと思います。私のルーム・メートは、今まで英国に何度も来たことのある方でした。お部屋についてごしごし顔を洗って、歯を磨いて、部屋についていた電気ケトルでお湯をわかして茶でも飲むか(ティーバッグが部屋に置いてあった)と思ったら、やかんの中が汚いので、ナニコレ?と思って、洗おうとしたら、彼女に、「この国の水は日本の水と違うから、石灰がやかんに着くのよ」と言われました。おお、カルチャーショック。夜には、彼女のお友達でロンドンに住んでいる方がミュージシャンの彼氏をつれて遊びにきて、私はもうなんていうんでしょう、「おおおお、すげえ」という気分でした。圧倒された感。私が「クラッシュ好きなんです」と言ったら、「先週の土曜日、ポートベロ・マーケットでミック・ジョーンズを見かけた」などとさらりと言われて、更に、「すげええ!」みたいなねえ。テレビでは、リチャード・ギアの「ヤンクス」を放送していました。(とってもよく覚えている)見るもの、聞くもの、「おおおお!」という感じの私でしたが、翌日はキングスクロス駅から一路、スコットランドのエジンバラへと向かう予定でした。続く。
2017年04月22日
おはようございます、ひなこです。日本の実家に英国旅行の古びた写真が未だに残っていたのを発見し持って帰ってきたので、英国旅行の話を書くことにしました。って、33年前なので、思い出すの大変ですけど。(いつの間に、33年も過ぎたんだろう)小学校の卒業文集に「将来の夢:外国行くぞ!特に英国!」と書いたひなこですから、いつかはイギリスに行くぞというのは、心の奥底にいつもあって、高校に入る前にバイトした書店でイギリスのガイドブックを買って、自分の部屋にはロンドンとイギリスの地図を貼ったりもしていました。↓当時の写真。で、短大生になって、せっせとバイトをして、お金を貯めて、2年生になる前の春休みに1か月念願のイギリスへと初海外旅行に行きました。当時、リクルートさんが、大学生向けに安いパッケージを組んでいたので、それを利用しました。行きと帰りの飛行機往復と、初日のロンドンと最終日のロンドンのホテル(二人部屋)が1泊ずつついているだけで、その中間の1か月は自由行動。添乗員さんもいません。利用航空会社は、香港のキャセイ・パシフィック、南回りのロンドン行きでした。本当は、女友達と二人で行こうと思っていたのですが、友達の都合が悪くなったので一人で参加しました。一人っ子なので、一人でも全く平気な私。買い物なんかも、若い時から大体一人で行ってましたね。感性の鋭い十代のうちに行きたいって、なんか思ってたんですよねえ。当時、札幌に住んでいたので、道庁で初のパスポートを作りました。未成年だったので、親のハンコも必要で、実家に書類を送って、送り返してもらってと面倒でしたけれども。札幌でリクルートの説明会があった時、参加したのですが、女子大に通っていたので、いつのまにか女の園の生活にすっかりなじんでいたようで、説明者の方が何か冗談を言って参加していた皆が「ワハハ!」と笑ったら、声のトーンが低くて、「ひえ~!」と驚愕したのを今でも覚えています。高校の時は、文系のクラスだったけど、男子が女子の倍いたんですよ。人間って、こんな短期間にすぐ新しい環境に順応するのね、なんて感慨深かったものです。その説明会では、とにかく外国は治安が悪くて危ない、日本のようにのほほんとしてちゃだめだよというのをすっごく言われました。定番の「だるまになった日本人旅行者」の話で、慄いたりして。そこで、ひなこは、お手製の腹に巻く貴重品袋を作って、パスポートとトラベラーズ・チェックはずっと腹巻貴重品袋に入れて旅行していたんですよ。おかげで、パスポートもトラベラーズチェックも、ちょっとふにょふにょになりましたけど、泥棒には遭いませんでした!そういえば、高校の同級生で、クイズで香港旅行が当たって、香港にいる間すっごく気を付けていたのに、日本に帰ってきてほっとして気を抜いたら東京でカメラ盗まれちゃったという人がいたけど。荷物は、高校の修学旅行の時買ったスポーツ・バッグ1個で行きました。身軽な方が移動も楽だし、プラクティカルですからね。服は、もうあれですよ、着替えを上下1着ずつ持っただけで、洗濯して交互に2着あればいいっしょみたいな、もうおしゃれとか無縁な考え方です。足りなきゃ、現地調達でいいべという。(今もほとんど、考え方に変わりはないです。所詮、同じ人ですから)後期の試験が終わって、そのまま札幌から東京へ行きました。1984年2月18日土曜日のようです。(黴臭いアルバム情報による)成田を夜発つ日の朝一の千歳→羽田の飛行機を取りました。(スカイメートが使えたあの頃・・・。遠い目)そうしたらですね、忘れもしません。その前日に関東一体で大雪が降りましてね。2月17日の金曜日だったんだ。https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/draft/?d_date=20170321&d_seq=14178948成田もキャンセル続出とニュースで見まして、「あ、あれ?あたし、大丈夫なの?」と一抹の不安がよぎりました。その日は、札幌はとっても良いお天気でした。で、翌日、2月18日土曜日はかなりの早起きをしたのですが、えー、札幌、吹雪でした・・・。https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/draft/?d_date=20170321&d_seq=14178948まだ、早朝で除雪車も入ってない状態ですから、もう、膝までずぼずぼっと道なき道を歩いて札幌駅まで行きました。(札幌駅に歩いて行ける距離に住んでいた)心の中では、こりゃ、ロンドンどころか、ひなこ、千歳空港に着いておしまいかもよ?つーか、千歳空港も危なかったりして?と95%くらい思ってましたね。これじゃあ、羽田行きは欠航だろうって。で、まあ、なんとか千歳空港につきまして(あの頃の千歳空港って南千歳の駅から歩いて行くようになってたんだよな。遠い目)、千歳は雪が降っていなかったので、なんとか羽田へ行くことができました。高校時代の友達が二人羽田でお迎えしてくれて、成田までお見送りということで、一緒に来てくれました。成田に着く前に、バスの中で身分証明書のチェックとかされたのが、物々しくて衝撃的でした。(まあ、2年前にもまだ同じことされましたけど、今は物々しさ消えましたよね)で、友達が「さあ、日本を出る前に最後に何食べたい?ひなこが決めていいよ」と言うので、「うーんと、カレーライス」とカレーを食べました。「お前は、生田斗真か!」とツッコみ。食い意地が張っているので、33年過ぎても、食べた物はしっかり覚えているひなこであった。集合場所に行くと、リクルートの方から航空券をもらい、「君たち、ラッキーだったねえ。昨日出発だったら行けなかったもんねえ」と言われました。参加しているメンバーは、皆さん、卒業旅行の方々で、私が一番年下でした。(そして、どなたも海外旅行は既に経験済み)私は初海外ということで(そして多分なおかつ北海道から出てきた田舎娘ということで)、「大丈夫なのお?!」と一同から大心配されました。申し訳ございません!!!多分、成田の時点で、既に「お上りさん」の雰囲気を醸し出していたんだと思います。てへっ♡(19歳ですからね、ちょっとかわいこぶってもまだ許されます)リクルートの方に、「ロンドンの空港にうちのスタッフいますから。気を付けてね!」と見送られ出国です。で、やはり集団で行動するにはリーダーが必要ですから、誰が言い出したという訳でもないのですが、大学4年生のある男子がなんとなく、このグループのリーダーという感じになって、彼がロンドンまで仕切る形になりました。まだ前日の残雪残る成田の滑走路、いざ香港まで・・・、いや、違った、その前に台湾に行ったんだった。搭乗の列に並んでいる時、前にいたおばさんが「あなた、どこまで行くの?」って日本語で話しかけてきて、当然日本人のおばさんだと思って、「ロンドンですう!!!どこまでですか?」って聞いたら、「私は台北に帰るのよ」と言われ、「え?日本語すっごい上手ですね」と言ったら、「だって、ほら私達世代は、学校で日本語で教育受けたでしょ」と言われ、ひなこは全く歴史知らずなので、「なぜ?」という顔をしていたら、「昔台湾はね、日本の植民地だったのよ」と歴史の説明を受けました。おばさんの手には、日本で購入した炊飯器がありました。というわけで、台北経由で、まずは香港を目指します。続く。
2017年04月21日
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