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慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名においてアッサラーム アライクム第13章(スーラト=ッ=ラ‘アドゥ)です。第13節「ユサッビフ=ッ=ラ‘アドゥ ビ=ハムディヒー ワ=ル=マラーイカトゥ ヒーファテヒー(雷はかれを称えて唱念し、また天使たちもかれを畏れて唱念する。)」にある語句が章名になりました。*雷鳴を聞いたときは、この上記のフレーズを言います。マディーナ時代の啓示と言われています。 雨は慈愛に満ちたアッラーの印のひとつと考えられます。アラビアではそれは概ね稲妻や雷鳴を伴います。慈雨はしばしば聖クル‘アーンに比せられ、それに伴う雷鳴は懲罰に関する警告と解釈できます。今日はその11節です。インナ=ッ=ラーハ ラー ユガイイル マー ビ=カウミン ハッター ユガイイル ― マー アンフシヒム(本当にアッラーは、人が自ら変えない限り、決して人びと(の運命)を変えられない。)「インナ(本当に)」の後の主語はマンスーブ(一般に語尾の母音が「ア」と発音されます)ですので「アッラーフ(アッラーは)」が「アッラーハ」となります。「ラー(しない)」は「ラー アン=ナーフィヤ(否定のラー)」です。「ユガイイル(変える)」は「ガーラ(妬む)」の第2型「ガッラ(変える)」の3人称男性単数未完了形です。「マー(何か)」は関係代名詞の「アッラディー」のような使われて方をしていると思われます。「ビ=カムミン(人々によって)」の前置詞「ビ(~によって)」の後なので、無定冠詞の「カウム(人々、部族、民)」の語尾の母音はカスラタイン(「イン」と発音します)です。コントローラーである「ハッター(~まで、~限り)」の後ろなので、3人称男性複数未完了形「ユガイイルーン(変える)」は、語尾の「ヌーン」がなくなったマンスーブの形になります。たとえば、「礼拝」などのムスリムがしなければならないイバーダ(崇拝行為)、「酒を飲む」などのハラーム(禁じられたこと)を避けることなど「アッラーがお決めになったことをどうしても守れない。そういう状況ではない。」場合、この節を思い出してください。 自分自身が変えようと思わない限りアッラーはその人の運命をお変えにならない・・・全能なるアッラーは、人の運命を変えようと思えば変えられるのですが、その当人が自ら「変えよう」とする気を持って奮闘努力するその姿を見たいのではないかと思います。そうやって、本人が奮闘努力をはじめると、アッラーがその奮闘努力ぶりをご覧になってご満悦になり、その努力する者をお助けになり、物事を易しくしてくださるのです。 「これは難しそうだなあ。しかし、アッラーの道のために、自分のできる範囲でやってみるか。とりあえず」と試しにやってみると「安ずるより産むが易し」の如く、思っていたより簡単にスムーズにできることがあります。 このような「小さな奇跡」は当人とアッラーしか知らないことであり、「小さな奇跡」の積み重ねによって更にアッラーのことを考えるようになり感謝するようになり、もう少しいいムスリムになりたいという気持ちが出てきます。それを私たちムスリムは「アッラーからの(ヒダイヤ)導き」「アッラーからのニ‘ウマ(恩恵)」と呼んでいます。優れた成績、知識、物質的に恵まれた生活など、それを得た本人の努力も全く無視できません。でも、アッラーがそう望まなければ、それは一瞬にしてなくなってしまうものではありますが。 何の努力もしないで、ひたすらアッラーにお縋りお願いするムスリム(ムタワーキル)への戒めでもあります。 まず己自身の怠ける心を克服し、努力をしましょう。「できない理由」を捜し、列挙し、何もしないのではなく、「できること」から始めましょう。少しずつでも構いません。なぜならアッラーは、「今のあなた」が「できること」「できないこと」を誰よりもご存知です。「怠け心のためにしない」のか「やりたくてもできない」のか、表にあらわれていない部分もよくご存知です。ユーザーよりもプログラマーやメーカーのほうがPCのさまざまな点についてよく知っているように、アッラーは、私たちをお創りになった御方ですから、私たちのことを私たち自身よりもご存知です。 アッラーを畏れましょう。そして日々アッラーのために奮闘努力しましょう。そしてアッラーにお縋りしましょう。アッラーに助けを請い、自分の中にあるさまざまの「負」や「悪」を悔い改め、罪の赦しを請い、ご加護を願いましょう。「アッラーを畏れ自分の義務を果してかれに近づくよう念願し、かれの道のために奮闘努力しなさい。あなたがたは恐らく成功するであろう。」(5:35)「信仰して善い行いに励む者に、アッラーは約束なされた。かれらには、御赦しと偉大な報奨がある。」(5:9)「悪事を行い、また自分の魂を損なっても、直ぐにアッラーの御赦しを請うならば、アッラーが寛容で慈悲深くあられることが分るであろう。」(4:110)「あなたがたは、何故善い事を差し置いて悪事に急ぐのですか。何故あなたがたは、アッラーの御赦しを請わないのですか。必ず御恵みにあずかるのに。」(27:46)この中で善きことがあれば、それはアッラーからのものであり、この中に誤りがあれば、それは私の未熟さゆえに起こったものです。アッラーフ アアラム(アッラーのみ知り給う)アッラーのご加護と祝福がありますようにワッサラーム
2004年05月29日
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名においてアッサラーム アライクム今日は第49章(スーラト=ル=フジュラート)です。ヒジュラ(聖遷)後まもなくマディーナで啓示されました。第4節「インナ=ッ=ラディーナ ユナードゥーナカ ミゥー ワラーイ=ル=フジュラーティ アクサルフム ラー ヤ‘ウキルーン(本当に部屋の外から大声であなたを呼ぶ者の多くは、思慮分別のない者である。)」にある語句が章名になりました。その第1節です。ヤー ハイユハ=ッ=ラディーナ アーマヌー ラー トゥッカディム バイナ ヤダイ=ッ=ラーヒ ワ ラスーリ(ヒ)(信仰する者よ、あなたがたはアッラーとその使徒を差し置いて勝手な振舞いをしてはならない。)「ヤー ハイユハ」は呼びかけのときに使われるもので、聖クル‘アーンではよくこのフレーズが出てきます。「ヤー」という呼ぶかけもあります。「ア=ッ=ラディーナ」は男性複数の場合の関係代名詞です。ここでは「アーマヌー(信仰する者)」のことです。「ア=ッ=ラディーナ」の「ア」は前に語句がくる場合は発音されません。ハムザト=ル=ワスルと言います。「ラー(~するな)」は禁止です。「トゥッカディムー」は「カダマ(到着する、来る)」の第2型「カッダマ(先んずる、先導する)の2人称複数形未完了形が前にある語句「ラー」(禁止を表す言葉)のために、マジュズーム(Jussive)の形になっています。「バイナ(間)」は前置詞です。「ヤド(手)」が後ろに来て「バイナ ヤダイ」になると「前に」と言う意味になります。「バイナ ヤダイ=ッ=ラーヒ ワ ラスーリヒ(アッラーと彼の使徒の前に)」と「アッラー」と「ラスールフ(彼の使徒)」が属格になっています。「ラスール(使徒は)」が「ラスーリ(使徒の)」と属格になり、最後がカスラ(母音の発音が「イ」)となったので、3人称男性単数代名詞「フ(彼を彼に彼の、それをそれにそれの)」も「ヒ」となります。「イスラーム」とはアッラーに帰依するという意味です。ムスリムとは「イスラーム」に帰依した者と言うことです。つまりアッラーの言葉「聖クル‘アーン」に書かれたこととアッラーの使徒である預言者ムハンマドさま(サッラッラーフアライヒ ワ サッラム)の言行に従うということです。「イスラーム」がアラブのヒジャース地方を中心にして、東はフィリピンやインドネシア、西はチェニジアやモロッコまで広がり、最近は大西洋の向こうアメリカ大陸も信者の数が増えています。とくに南米は第2次中東戦争あたりからレバノン人が移り住み、その国の代表や映画俳優や歌手といった著名人を生み出しています。 世界中にムスリムが住んでおり、その国の言葉を話し、その国の法律に従っています。またイスラームのマズハブ(法学)が数種あり、礼拝の仕方ひとつとっても、微妙に違っています。 礼拝はアッラーと信者との間には、何も介在するものはありません。アッラーだけが、その信者の表われている部分(ムスリマらしい服装)も隠れた部分(信仰心の篤さ)もご存知です。 「だから何もかも自分の判断でいい。戒律を守るのも守らないものその信者の自由だ。」という考えに陥ってしまうムスリムもいます。アル=ブハーリーのハディースにこうあります。アブー・アブドッラーフ・アンヌアマーンによるとアッラーのみ使い(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)はこう言われました。「ハラール(許されたこと)は明らかであり,ハラーム(禁じられたこと)もまた明瞭であるが,その中間には多くの人々が知りえないさまざまな疑わしい事柄がある。したがって疑わしい事柄を避ける者は,自分の宗教,名誉に関して〔過ちから〕免れるが,それに足を踏み入れる者は禁じられた行為を犯すことになる。」禁じられたことに対しては、議論の余地はなく、ムスリムは従うだけです。もしここに「自分の意見なるもの」を入れ込んでしまうと、その人は「アッラーのお決めになったこと」と「自分の考え」を同レベルにおいていることになり、アッラーが最も嫌われる「シルク(アッラー以外をアッラーと同位に並べること)」の道に踏み込んだことになるのではないでしょうか。アブー・フライラによるとアッラーのみ使い(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)はこう言われました。「真のムスリムとは、信者がその舌と手を恐れない者であり、真のムハージル(移住者)とは、アッラーが禁じたことを避ける者である。」「姦通するものはそれを犯すとき信仰者ではなく、酒を飲むものはそれを飲むとき信仰者ではなく、そして盗む者はそれを行なうとき信仰者ではない。」ムスリムのハディースにはこう書かれています。アブー・サイード・アル=フドリーによるとアッラーのみ使い(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)はこう言われました。「お前たちの誰でも,悪行を見かけたら自分の手でそれを変えるようにするがよい。それができなければ自分の舌で。それもできなければ心で。」アッラーに帰依した者は、アッラーがお決めになったことを軽くあしらわないでください。今あなた方ができる範囲で、真心を尽くし、アッラーの言葉に従いましょう。またムスリムでない方は、お知り合いの方に、「あれ、あの人って○○は飲んでいるし、○○はしないし、○○みたいなことはしているし、これっていいの?」というムスリムがいたら、「まだアッラーからのお導きや恩恵がきちんと届いていない気の毒な人なのだなあ」と同情して下さい。しかし、「けし粒のような信仰心」があるムスリムは、ある日突然「ジャックと豆の木」のお話のように、「けし粒」が発芽し、天まで届くほどにおおきくなる、つまり「人が変わったように敬虔になる人」がいます。本当にアッラーのなさることは人間には計りしえないものなのです。「アッラーに自分の真心を尽くして服従、帰依し、善行に勤しむ者は、主の御許から報奨を与えられる。かれらには恐れもなく憂いもないであろう。」(2:112)アッラーのご加護と祝福がありますようにワッサラーム
2004年05月26日
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名においてアッサラーム アライクム第31章(スーラト ルクマーン)です。ルクマーンとは当時アラビア人の間で尊信されていたエチオピアの賢者です。マッカ時代末期の啓示と言われています。神秘文字のアリフ・ラーム・ミームで始まります。アッラーがルクマーンに英知をお与えになり、彼は第13節から第19節まで息子に訓戒します。その訓戒の中の、一節である第18節です。ラー タムシ フィ=ル=アルディ マラハンインナ=ッ=ラーハ ラー ユヒッブ クッラ ムフターリン ファフール(横柄に地上を歩いてはならない。本当にアッラーは、自惚れの強い威張り屋を御好みになられない)「ラー(~してはいけない)」は禁止です。「ラー タムシ(歩いてはいけない)」の「タムシ」は「マサー(歩く)」の2人称「タムシー(TAMSHY)」が禁止の「ラー」の後ろなので、マジュズーム(Jussive)の形になっています。最後の文字「ヤー(Y)」がなく、「シーン(SH)」のタシキール(母音記号)がカスラ(「イ」と発音します)です。「フィ=ル=アルディ(地上を)」は前置詞「フィー(~の中に)」の後ろに定冠詞「アル」がついた「アル=アルドゥ(地上)」が来ています。前に語がある場合、定冠詞の「アル」の「ア」はハムザト=ル=ワスルのため発音されず、また前に前置詞があるため語尾の母音表示はカスラです。「マラハン(高慢に)」は「マリハ(元気である、上機嫌である)の派生語「マラハ」のマフ‘ウール(目的語)で、ここでは歩く状態(ハール)を表しています。「インナ=ッ=ラーハ(本当にアッラーは)」は「インナ」の後なのでムブタダ(名詞文の主語)である「アッラー(フ)」は「アッラーハ」とマンスーブ(普通は語尾の母音が「ア」になります)になります。「ラー ユヒッブ(彼はお好みにならない)」の「ラー」は否定です。「ユヒッブ」は「ハッバ(好む)」の3人称男性単数未完了形です。「クッラ(全てを)」は目的格です。「クッル」の後ろは「ムフターリン ファフーリン」と属格が来ます。「ムフタール」は「ハタラ(騙す)」の派生語、「ファフール(自慢の、誇るべき)」は「ファハラ(威張る)」の形容詞です。アブー=ブハーリーのハディースにはこうあります。ハーリサ・ブン・ワフブ・アル=フザーイーによると預言者さま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)はこう言われました。「お前たちに天国の人について教えようか。それは弱い者、へりくだった者、そしてアッラーに対して誓ったとき、叶えられる者である。また地獄の人々について言えば、それは粗暴な者、横柄な者、そして高慢な者である。」高慢な者や横柄な者はえてして自分の方から挨拶しません。仲たがいした場合などは特にそうです。アナス・ブン・マーリクによると預言者(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)はこう言われました。「汝ら、互いに憎んだり、妬んだり、争ったりせずに、アッラーの僕として兄弟であれ。また、ムスリム(イスラームの信者)はその兄弟から3日以上離れてはいけない」アブー・アイユーブ・アル=アンサーリーによると預言者(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)はこう言われました。「人はその兄弟から3日以上離れてはいけない。そして再び会うとき、最初に挨拶する方がよい。」ムスリムのとるべき道徳的態度と行為を要約して、預言者さま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)は次のように言われています。「主は私に9つの事を命じられた。1. 私生活においても、公的な場でも、常にアッラーを意識すること。2. 怒れるときも喜びのときも、常に正しい語を話すこと。3. 貧富を問わず、常に中庸を歩むこと。4. 私から離れた者との友情を回復すること。5. 私を拒んだ者に与えること。6. 私を迫害した者を赦すこと。7. 私の沈黙は瞑想であり、8. 私の視線は訓戒となり、9. 私はいつも正しい事のみ命じること。」(「イスラームの生き方」イスラミック・センター・ジャパン刊18p) 預言者さま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)は天使でも聖霊でも神でもなく、人間です。なぜなら夫であり、父であり、宗教指導者であり、政治家であり、軍人であり、調停者であり、裁判官でありと、さまざまなタイプの人間が目指す模範としてアッラーがお選びになったのです。 ですから上記のアッラーがお命じになった9つの事は彼だけに適用されるものではなく、人類全てができる限り(できる範囲内で)守るべきことであると思われます。アッラーフ アアラム(アッラーのみ知り給う)アッラーのご加護と祝福がありますようにワッサラーム
2004年05月19日
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名においてアッサラーム アライクム第4章(スーラト=ン=ニサーィ)です。既出です。その第148節です。ラー ユヒッブ=ッ=ラーフ=ル=ジャフラ ビ=ッ=スーーー・イ ミナ=ル=カウリ(アッラーは悪い言葉を、大声で叫ぶのを喜ばれない。)「ラー」は否定語「ユヒッブ=ッラーフ(アッラーは好まれる)」は「ハッバ(好む)」の3人称男性単数未完了形と主語にあたるアッラーです。「アル=ジャフラ」は語根が「ジャハラ(声をあげる、現れる)」の派生語で、名詞です。目的格なので、語尾はファトハ(母音を「ア」と発音します)「ビ(~で)」は前置詞「ア=ッ=スー・イ」は語根が「サー・ア(悪くなる)」の派生語で、名詞です。前置詞の後ろなので語尾の母音表記がカスラ(「イ」と発音します)です。「ミナ=ル=カウリ(言葉から)」は「カーラ(言う)」の名詞に定冠詞がついた「アル=カウル」が前置詞「ミン(~から)」の後ろに来て、語尾がカスラです。アッラーは人が隠すことを声を上げて言うことを好まれません。アル=ブハーリーのハディースにこうあります。アブー・フライラによるとアッラーのみ使い(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)は言われました。「私のウンマの者は全て、犯した罪を許されるが、しかし、それを公表した者らは除かれる。アッラーがお隠しになっていたにも関らず、夜行ったことを朝になって人々にしかじかのことを昨日行ったと、公表するしもべであり、また昼間行ったことを夜になってから人々に、アッラーがお隠しになっていたにも関らず、公表するしもべである。」たとえば中傷や陰口などはアッラーが固く禁じられています。「無用の詮索をしたり、また互いに陰口してはならない。死んだ兄弟の肉を,食べるのを誰が好もうか。」(49:12)陰口を言うことは、死んだ兄弟に肉を食べる行為と同じことなのです。ムスリムのハディースにもこうあります。フザイファもよるとアッラーのみ使い(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)は言われました。「悪い噂をいいふらす者(ナミーマ)は、天国に入れない」密かに言ってもそうであるが、ここでは大声で言うことを特に取り上げています。「本当に部屋の外から大声であなたを呼ぶ者の多くは,思慮分別のない者である。」(49:4)大声で語ることは醜悪であると考えられます。この節は、アブー・バクル・アル=スィッディークについて下されたとも言われます。ある男が彼を罵ったとき、預言者さま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)もその場にいらしていました。アブー・バクル・アル=スィッディークはずっと黙っていたが、それから男に言い返しました。すると預言者さま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)は立ち去られました。そこでアブー・バクルは言いました。「アッラーのみ使いよ、彼は私を侮辱したが、あなたは何も言われなかった。それから私が言い返すと、立ち上がられた。」すると、彼は「天使があなたに代わって応答していた。ところがあなたが彼に言い返すと、天使は去り、シャイターンが来たため、私は立ち去ったのである」と言われ、その時にこの節が下されたそうです。(タフスィール・アル=ジャラーライン第1巻・中田香織氏訳・日本サウディアラビア協会255p)アル=ブハーリーのハディースにはこうあります。アブー・フライラによるとアッラーのみ使い(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)はこう言われました。「アッラーと最後の<審判の>日を信じる者は、口をひらけばよき言葉を語り、さもなければ口をふさいでいるべきである。」アッラーのご加護と祝福がありますようにワッサラーム
2004年05月18日
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名においてアッサラーム アライクム第82章(スーラト=ル=インフィタール)です。第1節「イザ=ッ=サマーウ=ンファタラットゥ(天が、微塵に裂ける時、)」「ファタラ(裂ける)」の第7型「インファタラ」の動名詞「インフィタール」が章名になりました。「インファタラットゥ」は3人称女性単数完了形です。サマーゥ(空)は女性です。その第6節です。ヤーハイユハ=ル=インサーヌ マー ガッラカ ビ=ラッビカ=ル=カリーム人間よ、何があなたを恵み深い主から惑わせ(背かせ)たのか。「ヤーハイユハ」は呼びかけです。「ヤー」も「呼びかけ」として使われます。「インサーヌ(人間は)」は「インサーン」のマルフー‘ア(主格)です。「マー(何が)」という疑問詞です。「ガッラカ(あなたを惑わせる)」の「ガッラ(欺く、誤った方向に導く)」にここでは目的格に当たる2人称男性単数代名詞「カ」がくっついたものです。「ガッラ ビ」で「~から背く」と訳せます。「ビ=ラッビカ=ル=カリーム(恵み深い主から)」の「ビ」は前置詞。前置詞の後ろなので、「ラッブ(主)」の語尾はカスラ(「イ」の発音))になり、それに属格にあたる2人称男性単数代名詞「カ」がついています。「アル=カリーム」は「ラッブ(主)」のバダル(同格)です。定冠詞の「アル」の「ア」は前に語句が来ると発音されません。アッラーは「人間よ」と呼びかけています。信仰者だけにでなく、人間にです。アラファの日(マッカ郊外にある山と平地、ここでイスラームのヒジュラ暦の12月であるズール・ヒッジャ9日のズフル過ぎから10日のファジュル前までの間、一時期、過ごします)のウヌマーン(アラファ近くの涸川)でのことです。「あなたがたの主が、アーダムの子孫の腰からかれらの子孫を取り出され、かれらを自らの証人となされた時を思え。(その時かれは仰せられた。)『われは、あなたがたの主ではないか。』かれらは申し上げた。『はい、わたしたちは証言いたします。』これは復活の日にあなたがたに、『わたしたちは、このことを本当に注意しませんでした。』と言わせないためである。」(7:172)人類全て(アーダムの子孫)は、アーダムの背骨(腰)から次々と、ひとりがまたひとりを生むように、原子のようなもので引き出され、アッラーの御前で、「われらはあなたがわれらの主であり、あなたのほかにわれらには主がいないことを証言します。」と言い、お互いの証言の証人者となりました。アーダムは彼らを眺めると、金持ちもいれば貧しい者もいます。また姿の美しい者もいれば、そうでない者もいます。そこで彼はアッラーに尋ねました。「主よ、どうして彼らの間を同じになさらないのですか。」すると、アッラーはこう仰せられました。「われは感謝されることを好むのである。」アッラーは、人間たちが断言し、お互いの証人になった後、彼らの寿命と糧と不運をお書きになり、再びアーダムの腰にお戻しになりました。(アル=ハーズンの注釈『タフシール』より。タフスィール・アル=ジャラーライン第1巻・中田香織氏訳・日本サウディアラビア協会410p)ムスリムのハディースにはこうあります。アブー・フライラによるとアッラーの使徒(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)はこう言われました。「およそ子供は全てフィトラ(本来の姿・・・アッラーを唯一の神として崇めるムスリムとして生まれてくるということ)を持って生まれて来ないものはない。」ですので、第82章の第6節で、アッラーはお答えをご存知ながらも、アッラーの道を踏み外した者たち自身が、思い起こし、省みるために、お尋ねになっているのでしょう。私たちがまだ祖先の腰と繋がっていたとき、「ア ラスト ビ=ラッビクム(我はおまえたちの主ではないのか)」とアッラーがお尋ねになった時に「バラー(そうです。あなたこそが私たちの主です。)」と答えたことを、またそれぞれの証言の証人になったことを思い出せるといいですね。アッラーフンマ イフディナー ワ イフディーヒム(アッラーよ、私たちを導いてください。そして彼らを導いてください)アッラーのご加護と祝福がありますようにワッサラーム
2004年05月17日
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名においてアッサラーム アライクム今日は、第30章(スーラト=ッ=ルーム)です。第29章から第32章までは、アルフ・ラーム・ミームの神秘文字ではじまります。ヒジュラの数年前(西暦615~616年)マッカ時代に啓示されました。 西暦613年にペルシャ軍(当時ゾロアスター教を信奉)は、東ローマ帝国(キリスト教国)を破り、さらに追撃し、この章の啓示のころはコンスタンティノーブルもあわや陥落かと思われました。 マッカのクライシュ族は、唯一神を奉じる東ローマ帝国の敗北に歓喜し、同様に唯一神アッラーを奉じるアッラーのみ使い(サッラッラーフ アライヒ サッラム)の命運も同様であろうと嘲笑いました。しかし、第2節と第3節にはこうあります。「グリバティッルーム、フィー アドナ=ル=アルディ ワ フム ミンー バ‘アディ ガラビヒム サ=ヤグリブーン(ローマの民は打ち負かされた。近接する地において(打ち負かされた)。だがかれらは、(この)敗北の後直ぐに勝つであろう。)」この章の予言が現実となり、623年のバドルの戦役では、ムスリム軍が、マッカのクライシュ族に勝利し、東ローマ帝国も625年にペルシャ軍を敗北させました。その60節です。「ファ=スビル インナ ワ‘アダ=ッ=ラーヒ ハック、ワ ラー ヤスタヒッファンナカ ラー ユーキヌーン」(だから耐え忍ベ。本当にアッラーの約束は真実である。確<しっか>りした信心のない者たちのせいで、あなたまでが動揺してはならない。)「ファ(そして、それから)」は接続詞。「イスビル(耐え忍びなさい)」は「サバラ(耐える)」の命令形。「イスビル」の「イ」は前に語が来ると発音されません。「インナ(本当に)」の後にくるムブタダ(名詞文の主語)の語尾はマンスーブ(母音が「ア」になります)ですので、「ワ‘アド(ゥン)(約束)」は「ワ’アダ(ン)」となります。「ワ‘アダ=ッ=ラーヒ(アッラーの約束)」と後ろにムダーフ・イライヒ(修飾語)がきてますので、定冠詞の名詞と同様に、タンウィーン(ウン、アン、イン)にはなりません。ムダーフ・イライヒの語尾の母音は「イ」ですので、「アッラーヒ」となります。「ハック(ン)(真実である)」はハバル(名詞文の述部)です。語尾がダンマタイン(「ウン」と発音します)です。ここで休止する場合は、子音になります。「カーフ(Q)」の子音はカルカラと呼ばれ、休止する場合は、強く発音します。休止しないで続けて読む場合は「ハックゥー ワ」というように後ろの「ワ」の影響を受けます。イドガーム(同化)と言います。聖クル‘アーンのこの部分をよーく見ると、アーヤ(節)が書かれている上部に「アル=ワスル アウラー」マークがあります。このマークは、「休止してもよいが、続けて読んだほうがいい」という意味です。「ラー」は否定です。文の内容はなんだか禁止形みたいです。「ラー ヤスタヒッファンナカ(彼があなたを過小評価しない)」は「ハッファ(軽くなる、体重が減る)」の第10型「イスタハッファ(見下す、過小評価する)」の3人称男性単数未完了形にタウキード(強調)の「ヌーンシャッダ(ヌーンNが2つ)」に2人称男性単数代名詞「カ(あなたを)」がくっついたもの。「アッラディー」は先行詞が男性単数の関係代名詞。「アッラディー」の「ア」は前に語が来ると発音されません。「ラー ユーキヌーン(確信していないものたち)」の「ラー」は否定。「ユーキヌーン」は「ヤキナ(確かである)」の第4型「アイカナ(確かめる、確信している)」の3人称男性複数未完了形です。 啓典の民の中には「聖クル‘アーン」を前後のアーヤ(節)を無視して、ひとつのアーヤを抜き出して、「イスラームの神は戦いを好む」(「唯一の神」ですから、こういう言い方を一神教の人が言うのを見たり、聞いたりするのは悲しいです。)や、アラビア語の文法を無視して、「アッラーフ アクバル」の意味を歪曲したり、「タウラー(律法の書・・・旧約聖書の最初の五書)」や「インジール(福音・福音の書・・・’イーサー(イエス)の与えられた啓示または「福音の書」のこと)と内容が異なっている箇所を取り上げて、聖クル’アーンの無謬性を疑問視する者がいます。多神教徒や不信仰者の中にも同様なことをする者がいます。 ムスリム(イスラーム教徒)の中にも、正しくイスラームを紹介することを怠ったり、イスラーム知識が十分でないため、ムスリム自身が、間違いを犯してしまうこともあり、それがイスラームを誤解させてしまう大きな要因となっています。アスタグフィルッラー 正しく進みたいと思うムスリムも、こういった外的な要因や内的な要因からなるさまざまな障害や困難に動揺する場合があります。そういった状況の時に、このアーヤ(節)を思い出してください。またこのサイトが少しでもノン・ムスリムの方々のイスラーム理解に貢献できますように。アーミーンアッラーのご加護と祝福がありますようにワッサラーム
2004年05月13日
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名においてアッサラーム アライクム第65章(スーラト=ッ=タラーク)です。ジュズ・カドサミーといわれる第58章から第66章までの啓示は女性に関することが多いです。第65章は第1節「ヤー ハイユハ=ン=ナビーユ イザー タッラクトム=ン=ニサーア ファ=タッラリクーフンナ リ=’イッダティヒンナ ワ アフスー=ル=’イッダ(預言者よ、あなたがたが妻と離婚する時は、定められた期限に離別しその期間を(正確に)計算しなさい。)」に出てくる語句が章名となりました。この章は全般に「離婚」に関して述べられています。その第2節と第3節です。ワ マイー ヤッタキ=ッ=ラーハ ヤジュ’ア=ッ=ラフー マフラジャー、ワ ヤルズクフ ミン ハイス ラー ヤフタシブ(またアッラーを畏れる者には、かれは(解決の)出ロを備えられる かれが考えつかないところから、恵みを与えられる。)「マイー ヤッタキ=ッ=ラーハ(アッラーを畏れる者)」の「マン(~する者は誰でも)」は後ろに「ヤー(Y)」が来ると影響を受けて、「マイー」となります。「ヤッタキ」は「ワカー(保護する)」の第8型「イッタカー」(イッタカ=ッ=ラーハで「アッラーを畏れる」という意味です)の3人称男性単数未完了形が条件文を表す「マン」の後なので、語尾が子音(マジュズームです。)になります。その後ろの「アッラー(ALLAH)」の「ア」は語句が前に来ると発音されません。つまり「ラーム(L)」の子音で始まることになります。アラビア語では子音と子音が繋がらないように音を整えます。それで、「ヤッタク」の語尾の「カーフ(Q)」にカスラ(「イ」と発音します)をつけます。「ヤジュ’アル」は「ジャ’アラ(置く)」の3人称男性単数未完了形が条件文を表す「マン」があるため、語尾の「ラーム(L)」が子音になっています。この行為者はアッラーです。その後ろに「ラフ(彼に)」の「ラ(~に属する、~にために)」が来るので、「ラーム」の子音の次にまた「ラーム」が来るので、表示は「ラーム」のシャッダになっています。「ラフ」の「フ(彼)」は「アッラーを畏れる者」を指します。「マフラジャー(出口を)」は「ハラジャ(出る)」を語根とする名詞です。「ミーン(M)」は「場所」を表す場合が多いです。「マフラジャン」の語尾の「アン」はここで休止する場合は「アー」と発音します。タジュウィード(聖クル’アーンの読誦ルール)ではマッド=ル=’イワド(取り替え長音)と呼ばれます。「ヤルズクフ(彼は彼に恵を与える)」は「ラザカ(糧を与える)」の3人称男性単数未完了形(これもマジュズーム)に代名詞の「フ」がついています。「ヤルズク」の行為者はアッラーです。「フ(彼に)」は「アッラーを畏れる者」です。「ミン(~から)」「ハイス(場所)」「ラー ヤフタシブ(彼が考えつかない)」の「ラー」は否定形。「ヤフタシブ」は「ハサバ(数える、勘定する)」の第8型「イフタサブ(考慮する、勘定に入れる)」の3人称男性単数未完了形です。アブー・ダーウードのハディースにはこう書いてあります。イブン・’ウマルによるとアッラーのみ使い(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)はこう言われました。「合法的なものでアッラー最も嫌悪されるものは離婚である」「離婚」は禁じられていません。人間は完璧ではありませんし、心も変わるものですから、「離婚」ということも「認められています。」しかし、「アッラーの最も嫌悪されるもの」であるから、出来れば避けたほうがいいのです。「離婚」は存在するので、アッラーは「離婚」についても諸事を定めています。「言葉にするとそれが実現してしまう」から「考えない」という「日本的」な「言霊思想」とここが違う点でしょうか。離婚には’イッダ(待婚期間)と呼ばれる特定の期間を待たなければいけません。当事者に和解の期間を与えるための期間でもあります。離婚して、再婚するために待たなければならない期間は生理が3回くるまでです。女性によってそういうものがない場合は離婚後3ヶ月までです。懐妊している場合は、出産時までです。元妻が出産するまでの間、夫は、自分の収入に見あった住居などを、提供しなければならないとしています。出産にかかる費用や、授乳する元妻に報酬を与えることも定めています。もし元妻が授乳を拒否した場合は、元夫はだれか外の女性に子供の授乳を依頼することさえもこの第65章では言われています。 また、結婚のときに定めたマフル(結納金)にはマフル・ムワッジャルという離婚・死亡のときに支払ってもらうものもあります。 このように「離婚」に対しても、女性の権利がきちんと守られています。ただし、夫側の財力によって条件が異なることもアッラーは規定なさっています。「裕福な者には、その裕福さに応じて支払わせなさい。また資力の乏しい者には、アッラーがかれに与えたものの中から支払わせなさい。アッラーは、誰にもかれが与えられた以上のものを課されない。」(65:7) 聖クル’アーンが啓示されたのは約1400年前、日本では聖徳太子の時代です。残念ながら、ムスリムの中にはこのような「アッラーの掟」を守らない人がいるため、「イスラーム」に対して誤解されることもあります。ですので、聖クル’アーンの中でアッラーは「アッラーを畏れなさい」と何度も仰せになっています。「アッラーはかれらのために、厳しい懲罰を準備なされる。だから信仰し、思慮ある人びとよ、アッラーを畏れなさい。」(65:10)アッラーのご加護と祝福がありますようにワッサラーム
2004年05月08日
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名においてアッサラーム アライクム今日は第64章(スーラト=ッ=タガーブン)です。「ヤウマ=ッ=タガーブン」とは「審判の日」のことです。不信仰者にとっては、「イスラーム」を拒否し「教え」に従わずに犯した悪行について、また信仰者にとっては「イフサーン」において、完全に成さなかったことについて問われる日です。第9節「ヤウマ ヤジュマ’ウクム リ=ヤウミ=ル=ジュム’イ ザーリカ ヤウム=ル=タガーブン(かれがあなたがたを召集なされる集合の日は騙し合いの日である。)」に出てくる語句が章名となりました。マディーナ時代の初期の啓示とされています。その第11節です。マー アサーバ ミンー ムスィーバティン イッラー ビ=イズニ=ッラー、ワ マイー ユ・ミンー ビ=ッラーヒ ヤフディ カルバ(フ)(どんな災厄も、アッラーの御許しなく起きることはない。誰でもアッラーを信仰する者は、その心を導かれよう。)「マー・・・イッラー~」で「~を除き・・・はない」という「~」部分を強調する手法です。「アサーバ(起こる)」は「サーバ(的に当たる)」の第4型。「ミン(~から)」は前置詞。「ムスィーバティン(厄災)」は前置詞の後なので、語尾の母音がカスラタイン(「イ」と発音するカスラがふたつ)です。「イッラー ビ=イズニ=ッ=ラー(アッラーのお許し以外)」の「ビ(~よって)」は前置詞です。「アディナ(許可する)」の名詞「イズン(許可)」が前置詞の後ろに来るので、語尾の母音がカスラ(「イ」と発音します)です。「ビ=イズニ=ッラー(アッラーのお許しによって)」は「イン シャーア=ッラー(もしアッラーがお望みになれば)」と同様に未来のことを言及するときに、付け加える決まり文句です。「ワ(そして)」は前置詞。「マン(~は誰でも)」は条件文の始まりに使います。後ろに「ユ・ミン ビ・・(~を信じる者は)」が来ますので、その「ヤー(Y)」の音に影響を受けて「マイー」と発音します。タジュウィード(聖クル’アーンの読誦ルール)でイドガーム(同化)と呼ばれます。条件文なので、未完了形の動詞「ユ・ミン」はマジュズーム(Jussive)になりますので、語尾の最後の「ヌーン(N)」は子音です。そのうしろに「ビ(よって)」という前置詞が来ますので、タジュウィードでは「イクラーブ」というルールで、「ユ・ミン」の最後のヌーン(N)はミーム(M)(紙一重で口をあける方法と完全にMの形で発音する2つの方法があります)で発音し、2拍伸ばします。「ヤフディ(導く)」は「ハダー(導く)」の3人称男性単数未完了形でマジュズーム(Jussive)です。「ダー(d)」にカスラがついています。行為者は「アッラー」です。「カルバ(フ)(彼の心を)」はここで休止する場合は「フ(それ/彼)」は子音になりますから「ハー(h)」と溜息のような息を出します。この世に起こるさまざまな「厄災」も、アッラーの許可があってのこと。「どうして私にこんな困難なことが、辛いことが起こるの!」「いったい私がどんな悪いことしたって言うのかしら。」「世の中、不公平じゃないの。」「あ~ついていない。」「むちゃくちゃ凹んじゃうなあ。」「これじゃ神も仏もない!」と考え、マイナス思考でメソメソして、自分の不幸を嘆いてしまう。「自分の思い通りにならなければ面白くな~い。生きている現世でしか、その運・不運を勘定できない。」アッラーは「お金」を入れれば「願いごと」をかなえてくれる「自動販売機」ではありません。 たった一人のエキストラだけ見て、壮大な映画のストーリーはわかりません。かといって、エキストラは全体にとっては、ほんの端役ではありますが、必要です。 通暁なさっているアッラーしか、その壮大なストーリーはわからないのです。 不満だらけのエキストラと、自分が壮大なドラマの一翼を担っていると考え、前向きに取り組むエキストラと比べると、その違いは、監督の目から見ても一目瞭然でしょう。「アル=ハムド リ=ッ=ラー」と感謝し、アッラーを信頼する者の心には導きがあり、その導きによって、ますますその者の心は輝くのではないでしょうか。ムスリムのハディースにはこう書かれています。アッラーのみ使い(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)の妻ウンム・サラマーによるとみ使い(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)は次のように言われました。 もし、アッラーの下僕の誰かが災難に会ったら「インナー リ=ッ=ラーヒ ワ インナー イライヒ ラージ’ウーン、アッラーフンマ=アジュルニー フィー ムスィーバティー、ワ アフリフ リー ハイラン ミンハー(まことに、私達はアッラーのもの、その御方の御許に私達は帰り行くものある。(2:106)おお、アッラーどうか私の災難に償いを、そして(失ったものの)代わりにより良き物をお与え下さい」と祈願すれば、アッラーはその者の災難を償われ、(前のもの)より良きものをお与え下さるであろう。 彼女(ウンム・サラマー)は、アブー・サラマーが亡くなった時、「私はアッラーのみ使い(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)が私にお命じになったように唱えました。そうしますとアッラーは、私に前の夫より立派なアッラーのみ使い(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)を下されました」と言いました。ムスリムのハディースをもう一つ紹介します。スハイブによるとアッラーのみ使い(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)はこう言われました。「信仰とは、まことに不思議なものである!なぜなら、信仰者の全てに祝福がみられるからである。それらは、実際、信仰者以外にはだれにもみられることではない。たとえば、なにか喜ばしいことがあって、アッラーに感謝すれば、そのことで良いことが生じ、また、困難があっても忍耐すれば、そのことで良いことが生ずるのである。」アッラーのご加護と祝福がありますようにワッサラーム
2004年05月07日
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名においてアッサラーム アライクム今日は第59章(スーラト=ル=ハシュル)です。第2節「フワ=ッ=ラディー アフラジャ=ッ=ラーディーナ カファルー ミン アハリ=ル=キタービ ミンー ディヤーリヒム リ=アウワリ=ル=ハシュル (かれこそは、啓典の民の中の不信心な者を、その住まいから最初に追い出し放逐された方である。)」から集合章または放逐章と呼ばれています。ヒジュラ4年の啓示とされています。イスラームではだれかの誕生日を基に暦をつくるのではなく、その人の行なったこと、つまり業績を重視します。イスラームの暦とは、ヒジュラ暦と呼ばれ、預言者ムハンマド様(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)がマッカからマディーナ(当時はヤスリブと呼ばれていたが、預言者さまがお越しになったことから「マディーナ=ン=ナビー<預言者の町>」または「マディーナ=ッ=ラスール<使徒の町>」と呼ばれ始めました。ムスリムは「マディーナ・ムナウワラ<光り輝く町>と呼びます。)にお遷りになった622年をヒジュラ元年と呼びます。ヒジュラ(遷った)時点のマディーナではクライザ族、アンナディール族、カイヌカーウ族というユダヤ教徒3大氏族がいましたが、カイヌカーウ族は「マディーナ憲章」に背いて、勝手に戦争を行なった最初のユダヤ教徒氏族であり、カイヌカーウ族のユダヤ教徒が市場でムスリム女性をからかったことが原因でムスリムとユダヤ教徒の喧騒が起き、双方に死者が出るに至り、両者の関係が悪化します。 アッラーのみ使い(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)はカイヌカーウ氏族を彼らの市場にお集めになり、アッラーの報復を恐れ、イスラームへ入信するように警告なさったのですが、彼らは拒否します。彼らは、ムスリム軍に包囲されたため降伏し、マディーナを後にし、シリアのアズラアートへ向かいます。この章が啓示された時点ではもうマディーナにはいませんでした。ここでの放逐されたというのはアンナディール族のことです。アンナディール族とムスリムたちの間には平和協力条約が結ばれていましたが、ある時、アッラーのみ使い(サッラッラーフ アライヒ ワッサラム)と教友がアンナディール族の土地にいらしていたとき、彼らが使徒(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)を暗殺しようと謀り、使徒(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)がそれを察知なさり、マディーナにご帰還後、アンナディール氏族にあてて、使者をお送りになり、退去するように告げられ、10日間の猶予をお与えになりました。ムナーフィクーン(偽信者)の領袖アブドッラー・ブン・ウバイイが援軍を約束したので、アンナディール族は、ムスリム軍に反旗を翻し、出撃します。当てにしていた、ムナーフィクーンの領袖が約束した援軍は来なかったため、結局は降伏し、マディーナから追われる身となりました。(「嘘をつく」「信頼を裏切る」「約束を守らない」はムナーフィクーンの特徴ですね。)「マディーナ憲章」とはマディーナにおいて新しい共同体のあり方を、マディーナに居住するムハージルーン(マッカからの移住者)アンサール(マディーナでの援助者)ユダヤ教諸部族との間で締結したもの。およそ50条から成りますが、その中でも重要なものは1. ムスリムたちを単一の共同体(ウンマ)とする2. ユダヤ教徒は信教の自由、安全が保障される3. ムスリムとユダヤ教徒はマディーナの国家に包摂され、治安・防衛の責任をもつとともに、対外関係は協調して行なう。4. アッラーとムハンマド(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)の権威はムスリムに対しては無条件で、それ以外に対しては限定的5. 安全保障の提供は重視されるが、マディーナ国家の敵には安全保障しない6. 安寧を犯し犯罪を犯すものは処罰される7. 戦費はムスリムもユダヤ教徒も負担すると、ウンマの概念、少数宗派の保護と自治、イスラーム法の支配、法の属人主義、領土防衛の責任など、その後のイスラーム国家の原型を構築しています。(岩波イスラーム辞典「マディーナ憲章」(920P)小杉泰氏執筆項目より)第59章の後半部分は私のすきな部分です。とくに第21節。ラウ アンザルナー ハーザー=ル=クル’アーナ ’アラー ジャバリ=ッ=ラ=ライタフー ハーシアンー ムタサッディアンー ミン ハシヤティ=ッ=ラー 「もしもわれがこのクルアーンを山に下したならば、それはきっと遜って、アッラーを恐れて粉々に砕けるのを見るであろう。」「ラウ(もしも)」「アンザルナー(我々は啓示した)」は「ナザラ(降りる)」の第4型「アンザラ(啓示する、下す)」の2人称複数完了形です。「ハーザー(この)」は男性単数名詞の指示語「アル=クル’アーン」はその指示された男性単数名詞です。定冠詞の「アル」の「ア」は前に語句が来る場合、発音されません。「’アラー(~上に)」は前置詞です。「ジャバリン(山)」は前置詞の後ろで、無定冠詞なので、カスラタイン(「イ」と発音されるカスラがふたつ「イン」と読みます)です。「ラ=ライタフー(本当にあなたはそれを見た)」の「ラ」は助詞で、「本当に、確かに」と強調を表します。「ライタ」は「ラ・アー(彼は見た)」の2人称男性単数完了形に3人称男性単数代名詞「フ(それ/彼)」がついたものです。この「フ」は、「ジャバル(山)」のことです。マディーナ式のマスハフ(原書)ではその後に、小さいダンマ(ウと発音します)が続いています。マッド=ッ=スィラ(接続長音)と呼ばれ、タジュウィード(聖クル‘アーンの読誦ルール)では、2拍伸ばして読みます。スィラ・スグラー(小接続)とも呼ばれます。 「ハーシ’アン(謙遜、遜り)」は「ハシ’ア(遜る)」を語根とする名詞のマフ’ウール(目的格)です。「ムダサッディ’アン(粉々に割れる)」は「サダ’ア(壊れる胃、割れる)」の第5型「タサッダ’ア(粉々になる)」の能動分詞のマフ’ウール(目的格)です。「ミン(~から)」は前置詞です。「ハシヤティ=ッ=ラー(ヒ)(アッラーへの恐れ)」の「ハシヤ(トゥン)(恐れ)」は「ハシヤ(恐れる)」の名詞で、前置詞の後に来るので、語尾の母音がカスラ(「イ」と発音する)です。「ハシヤティ=ッ=ラー(ヒ)」の「ハシヤ」がムダーフ(被修飾語)で「アッラー」がムダーフ イライヒ(修飾語)です。ムダーフ イライヒは一般的に語尾の母音がカスラですが、ここで休止する場合は子音で終わります。「アッラー」の「ア」は前に語句があり場合は発音しません。「アッラー(ALLAH)」の最後の「ハー(h)」はここで休止する場合は「ハー」と溜息のような息だけを出します。「聖クル’アーン」はアッラーからのお言葉です。この世のあらゆるものはアッラーの素晴らしさを知っており、たえずアッラーを賛美しています。 そのひとつである「山」に聖クル’アーンを下したら、アッラーへの恐れのために山が遜って粉々になってしまうのをあなたは見るだろうというアーヤ(節)です。同様な内容のアーヤ(節)が他にもあります。「本当に岩の中には、川がその間から涌き出るものがあり、また割れてその中から水がほとばしり出るものもあり、またアッラーを畏れて、崩れ落ちるものもある。」(2:74)第59章の最後の3節について、ティルミズィとイマーム・アハマドのハディースにはこうあります。マアキル・ビン・ヤサールによるとアッラーのみ使い(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)はこう言われました。「朝、3回『ア’ウーズ ビ=ッ=ラーヒ=ッ=サミー’イ=ル=’アリーミ ミナ=ッ=シャイターニ=ッ=ラジーム(全聴にして全知なるアッラーに、呪われたシャイターンからの守護を求めます)』と言い、放逐章の最後の3節を読んだ者には、アッラーが彼の為に祝福する7万の天使を夕暮れまでに遣わし、その日に死ねば、殉教者として死んだことになる。夕方に最後の3章を読んだ者も同様である。」(ただし、アルバニーはこのハディースを「ダイーフ(弱い)」と判断しています。)アッラーフ アアラムアッラーのご加護と祝福がありますようにワッサラーム
2004年05月05日
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名においてアッサラーム アライクム第96章(スーラト=ル=’アラク)です。この章は第2節ハラカ=ル=インサーナ ミン ’アラク「(一凝血から、人間を創られた。)」 に出てくる語句が章名になっています。「象の年」(ハバシュ<エチオピアのこと>のナジャーシャ王がイエメンに派遣したクリスチャンの統治者アブラハが、象軍を率いてカアバ<サウジアラビアのマッカにある>に進軍した年)から数えて40年(ヒジュラ前13年)のラビーウ=ル=アウワル<3月>から預言者様(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)は、夢を見る時は決まって朝の光のようにはっきりした正夢を見られるようになり、それは6ヶ月間続きます。アル=ブハーリーのハディースにはこうあります。「正夢は預言者性(ヌブーワ)の46分の1です。」奇しくもこの預言者様の言葉は、ご自身の預言者性が死を迎えられるまでの23年間続く事実を予見されていたことを意味します。6ヶ月間の正夢が、使徒として使命を全うされた年月から、ちょうど46分の1の割合になるのは驚くべきことです。その後、ヒジュラ歴前12年ラマダーン月27日(西暦610年8月19日)「ライラト=ル=カドル(みいつの夜)」と呼ばれるその夜に、ヒラーの洞窟にて最初の啓示が下されました。ムスリムのハディースにはこうあります。アッラーのみ使い(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)は以下のようにお話になりました。私の処に天使が現れ、「読みなさい!」これに対し、私は「私は字が読めません」と答えました。すると天使は私をとらえ、やっと耐え得るほどきつく押えつけこう言われた。「読みなさい!」「私は字が読めません!」と答えると天使は再び私をとらえ、更に耐え難いほどきつく私を押えつけになり、そうして後「読みなさい!」と繰り返し言われたのです。これに対し、私は「文字が読めません」と同じ答えを述べたのです。すると天使は私をつかみ、三度目もきつく押えつけになった後、私を放し、次の聖句をお唱えになったのです。「読め、創造なされる御方、あなたの主の御名において。 一凝血から、人間を創られた。読め、あなたの主は、最高の尊貴であられ、 筆によって(書くことを)教えられた御方。 人間に未知なることを教えられた御方である。」 (第96章凝血章第1節から第5節)第1節めは「イカラ ビ=スミ ラッビカ=ッ=ラディー ハラカ」(読め、「創造なされる御方、あなたの主の御名において。)「イカラ(読め)」は「カラ・ア(声に出して読む)」の命令形です。「クル’アーン」も同じ語根を持ち「声に出して読まれるもの」という意味です。 ですので、「聖クル’アーン」を声に出して読むとその素晴らしさを実感できます。「ビ=スミ ラッビカ(あなたの主の名前において)」は前置詞「ビ(によって)」の後なので「イスム(名前)」の語尾の母音はカスラ(「イ」と発音)であり、また「ラッブ(主)」も語尾の母音がカスラです。2人称男性単数代名詞「カ」がそれにくっついています。「イスム(名前)」の「イ」は前に語句がくると発音されません。「ア=ッ=ラーディー」は男性単数先行詞の関係代名詞です。「ア」は前に語句が来ると発音されません。「ハラカ(創造する)」は3人称男性単数完了形で、行為者(主語)は「アッラー」です。第2節です。「ハラカ=ル=インサーナ ミン ’アラク」(一凝血から、人間を創られた。」 )「ハラカ(創造する)」の行為者はアッラーです。「アル=インサーナ(人間を)」は「インサーン(人間)」の目的格(与格)に定冠詞「アル」がついています。この「アル」の「ア」も前に語句がくると発音されません。「ミン(~から)」は前置詞です。「’アラク(凝血)」は前置詞のあとですから、語尾の母音はカスラ(「イ」と発音します)ですが、ここで休止する場合は子音の発音します。休止する場合「ク」は「カーフ(Q)」の子音ですので、強く発音します。これをタジュウィード(聖クル’アーンの読誦ルール)では「カルカラ」と言います。「’アラク」には1.凝血2.蛭(ヒル)、医薬用ヒルという意味があります。「’アリカ(ぶらさがった)」が語根です。子宮の中の胎児は外観とその嚢は、血の塊と似ていますし、 実際この段階での胎児の中の血液は第三週目が終わるまで循環しないそうです。そのため、この段階での胎児は外観もその内実も血の塊に大変似ています。 またその形は「ヒル」にも似ていて、栄養分を他の血から摂る「ヒル」と同じように母親の血液から栄養を摂っています。また子宮の中で「ぶら下がった状態」です。詳細は聖クルアーンの科学に関する奇跡でどうぞ。「聖クル’アーン(声に出して読まれるもの)」、それは「あなたの主の御名において、読む学ぶこと」です。「読む」のは何のためなのかとその意図がここで確認されています。アッラーの最初の啓示が「主の御名において読め」であるが故に、各スーラ(章)の始めににある「ビ=スミ=ッ=ラーヒ=ッラフマニ=ッ=ラヒーム(慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において)」はアッラーの最初の命令を常に喚起するものと言えます。この96章はその後に啓示されたアーヤ(節)を合わせ、全部で19節になります。「19」は第18節めにある「ザバーニヤ(看守の天使)」の数であり、また「「ビ=スミ=ッ=ラーヒ=ッラフマニ=ッ=ラヒーム(慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において)」の文字の数でもあります。「その上には19(の天使が看守る)。」(74:30) 「19」という数字は聖クル’アーンにおいては不思議な数字です。しかし、この「数」に拘りすぎて、アッラーの導きから外れてしまったグループもいますので、これ以上は追い求めないほうがいいでしょう。アッラーご自身も「かれらの数を限定したことは、不信心の者たちに対する一つの試みに過ぎない。(それにより)啓典を授けられた者たちを確信させ、また信じる者の信仰を深めるためである。また啓典を授けられた者や信者たちが、疑いを残さず、またその心に病の宿る者や、不信者たちに、『アッラーはこの比喩で、何を御望みになるのでしょうか。』と言わせるためである。このようにアッラーは、御自分の望みの者を迷わせ、また望みの者を導かれる。」(74:31)と仰せです。96章は19節の終わりに「サジダマーク」があり、この19節を読んだり、読誦されたのを聞いた時は、「スジュード(跪礼)」をします。<サジダの時に言うドゥアー>*サジャダ ワジュヒ=ッ=ラディー ハラカフワ シャッカ サム’アフ ワ バサラフビ=ハウリヒ ワ クウワティヒファ=タバーラカ=ッ=ラーフ アフサヌ=ル=ハーリキーン(権能とお力により、視力と聴力を創られそして齎された御方に、私は自分の顔をサジダしました。アッラーは賞賛されるべき御方であり、最高の創造者であります。)注:Words of Rememberance and Words of Reminder By Dr.Saalih ibn Ghaanim al-Sadlaan(46p)によりますとサジダマークのある節を読んだ場合は、タクビール(アッラーフアクバル)<タクビールを言う必要があるかどうかは学者によって意見が異なっています。>を言って、サジダし、上記のドゥアーを言うのが望ましいとされています。礼拝中であろうがなかろうが、行うべきで、礼拝中でない場合は、タハーラ(ウドゥーが有効の状態)である必要はないそうです。アッラーフ アアラムアッラーのご加護と祝福がありますようにワッサラーム
2004年05月04日
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名においてアッサラーム アライクム第101章(スーラト=ル=カーリ’ア)です。マッカ時代の初期の啓示です。第1節の「アル=カーリ’ア(恐れ戦く日<最後の審判>)」が章名になりました。 「カラ’ア(打つ)」の能動分詞で、その日(審判の日)「耳をつんざくばかりの叫び声」「すさまじいばかりのラッパの大音響」もしくは「強く叩く、ノックするような音」がして、それを聞いた者たちは「心臓が飛び出るほどの恐怖に陥ること」から「おそれおののく」という章名になったのでしょう。聖クル’アーンという、今でもアラブの大半であるムスリムが、始終、暗誦や読誦や会話などで口にする「キターブ(本、啓典の書)」があるため、アラビア語は、アンミーヤ(口語)においては時代の変遷が見られても、公の席でのスピーチ、金曜日のフトバ(説教)や、新聞において使われるフスハー(正則アラビア語)が、アラブ圏では共通語として使われています。アラブ圏のエスペラント語と考えてもらうといいかもしれません。「源氏物語」の時代と現在とでは日本語は全くかわっていますが、「源氏」とほぼ同時代の、容貌魁偉で知られた天才アル・ジャーヒズの文章のアラビア語は、現在でもそのまま通じるそうです。それも「聖クル’アーン」の力というところでしょうか。マーシャーアッラーしかしこの章の10節は現在では使われていない古典アラビア語の文法がありますので、ここに紹介します。まず9節です。ファ=ウンムフー ハーウィヤ(トゥン)(奈落が、かれの里であろう。)「ファ」は「ワ」と同じく接続語ですが、「ワ」よりも2つを結ぶ時間の経過が「すぐ」「続けて」というニュアンスがあり、そこに緊迫感が出てきます。「ウンムフー(彼の母は)」は「ウンム(母)」の解釈は「帰りところ」や「頭のてっぺん」とされています。マディーナ式のマスハフ(原書)ではその後に、小さいダンマ(ウと発音します)が続いています。マッド=ッ=スィラ(接続長音)と呼ばれ、タジュウィード(聖クル‘アーンの読誦ルール)では、2拍伸ばして読みます。スィラ・スグラー(小接続)とも呼ばれます。「ハーウィヤ(トゥン)」はリチャード・ベル氏によれば本来、「子供をなくした母親」を指す言葉だと言っています。「彼のお母さんは、子供をなくした母親である」が直訳です。子供が破滅することで母親は悲惨な境遇(ハーウィヤ)に陥ってしまいます。 後にこの章に、付加されたと考えられている第11節「ナール=ン=ハーミヤ(トゥン)(<それは>焦熱<地獄>の火。 」から意味が「彼は頭からまっさかさまにいく還りどころは悲惨な境遇」となったのでしょう。アッラーフ アアラム「ハーウィヤ(トゥン)」の語尾はター・マルブータのダンマタイン(「ウ」と発音するダンマが2つあります)ですが、ここで休止する場合は「ハー」と同じ扱いになり発音はせずに「はー」と溜息のような息だけ出します。この章はすべてこの「ハー」で押韻がそろっています。第10節です。「ワ マー アドラーカ マー ヒヤ」(それが何であるかを、あなたに理解させるものは何か。)「ワ(そして)」は接続詞「マー」は「何?」という疑問詞「アドラーカ(あなたに理解させる)」は「ダラー(知る)」の第4型「アドラー(理解させる)」に2人称男性単数代名詞の「カ」がついたものです。「ヒヤ(それ/彼女)」です。代名詞は「フ」「フム」がときに「ヒ」「ヒム」になることがあってもそれ以外は形が変わらないはずです。でもこの「ヒヤ」にはその後ろに「ハー(h)」がついていて、「どうしてかな?」「押韻のためだけか?」と思っていました。しかし、古典文法にあるハー=ル=ワクフ(休止のハー)またはハー=ッ=サクトゥ(静止のハー) と呼ばれる文法規則によるものだそうです。母音で終わる不変化の語、たとえば「カイファ(どのように)」や「スンマ(それから)」といったどんな位置でも格変化しない語、の休止形では、最終文字としてハー(h)が kaifa →kaifahthummma→thummmahさらにまれな例としてakramtuka→akramtukah(私がお前を寛大にした)yaa rajulu→yaa rajuluh(おい、お前)といった例もあるようです。Wright著A Grammar of the arabic languageよりこの古典文法に関する情報はアラビア語文法に詳しいブラザーATさんからいただいた私の質問に対する丁寧なご回答によるものです。ジャザーフ=ッ=ラーフ ハイランと今回はイスラームのダウワという目的から離れ、古典文法からアーヤ(節)を解説するややオタクな日記になってしまいました。しかし、預言者ムハンマドさま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)自身は詩を作った経験がなく、啓示を受けた頃は「文盲」だったことを考えると、古典文法やさまざまな修辞法を駆使し、また当時のアラブでは夢想だにしなかった科学的なことを独特の手法で述べている聖クル’アーンを、人が創ったと考えるのは、かなり無理があることをわかっていただけたら嬉しいです。アッラーのご加護と祝福がありますようにワッサラーム
2004年05月03日
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名においてアッサラーム アライクム今日は第53章(スーラト=ン=ナジュム)です。第1節の「ワ=ン=ナジュミ イザー ハワー(沈みゆく星にかけて<誓う>。)が章名になりました。 これもマッカ時代初期の啓示の特徴であるアル=カスム(誓い)で始まり、その後も誓言が続き、各アーヤ(節)が短く、リズミカルです。その45節ですインナフー ハラカ=ッ=ザウジャイニ=ッ=ザカラ ワ=ル=ウンサー(本当にかれは、男と女の組み合わせを創られた。) 「インナ(本当に)」に三人称男性単数の代名詞の「フ(彼/それ)」がつくと「本当に彼は」という意味になります。マディーナ式のマスハフ(原書)ではその後に、小さいダンマ(ウと発音します)が続いています。マッド=ッ=スィラ(接続長音)と呼ばれ、タジュウィード(聖クル‘アーンの読誦ルール)では、「インナ」のヌーンシャッダ(Nがふたつある)時も2拍伸ばしますので、併せると「インーナフー」と言うように2箇所を2拍伸ばして読みます。 「ハラカ(創造する)」は三人称単数完了形で、「フ(彼)」が行為者です。もちろん、これはアッラーのことです。 「ア=ッ=ザウジャイニ」は「ザウジ(組み合わせの片側)」の双数形です。双数形は所有格(属格)・目的格(与格)同形です。ここでは目的格です。 「ア=ッ=ザカラ ワ=ル=ウンサー(男と女を)」は「ア=ッ=ザイジャイニ」のバドル(同格)です。「ザカル(男、オス)」と「アヌサ(メスになる)」が語根の「ウンサー(女、メス)」に定冠詞がついた目的格(与格)です。 「両性生殖」を行う生物は、基本的には複数種が同じ場所にいても異種間で交雑が起きないし、細かい住み分けもできているそうです。ミジンコは、生育条件が良ければ単為生殖します。生育条件が悪化するとオスが生まれ、両性生殖で耐久卵(卵の殻が硬くなります。)を残します。クローン牛というのが、人間によって作り出されましたが、そうやって人為的に創られた牛は、突然死したり、または寿命が短かったりすると報告されています。悪い遺伝子を除き、優秀な遺伝子を残すという淘汰の点で「両性生殖」のほうが優れているようです。 イスラームでは真の人間社会の単位は家族であり、そのため、婚姻・結婚を非常に強調しています。「あなたがたの中独身の者、またあなたがたの奴隷の男と女で廉正な者は、結婚させなさい。かれらがもし貧しければ、アッラーは恩恵により裕福にされよう。アッラーは寛恩深知であられる。」(24:32)バイイキのハディースにこう書かれています。アナルによるとアッラーのみ使い(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)はこう言われました。「人は結婚によって宗教の半分は成就できる。それで残りの半分はアッラーを畏怖するようにしなさい。」アブー・ダーウードのハディースにもこう書かれています。ジャービルによるとアッラーのみ使い(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)はこう言われました。「結婚相手の女性を見出し、男性がその女性を扶養できるならば結婚しなさい。」「かの女らはあなたがたの衣であり,あなたがたはまたかの女らの衣である。」(2:187) 配偶者というものは、あなたにぴったり寄り添い、あなたの寒さを温め、寂しさを癒しくれるものなのです。 イスラームで合法的な婚姻以外の男女の交わりは認めていません。イスラームの法学者は、性的情熱が非常に強いと人は罪を犯す機会が多くなるものだが、結婚はそれを防いでくれるものだと考えています。個々の道徳と精神的安寧になり、それは家庭と社会道徳に貢献し、ひいては祝福された人生へと導かれます。 独身男性には斎戒(断食)が強く勧められています。イスラームでは、同性愛は忌み嫌われています。なぜならば、「人びとよ、あなたがたの主を畏れなさい。かれはひとつの魂からあなたがたを創り、またその魂から配偶者を創り、両人から、無数の男と女を増やし広められた方であられる。あなたがたはアッラーを畏れなさい。かれの御名においてお互いに頼みごとをする御方であられる。また近親の絆を(尊重しなさい)。本当にアッラーはあなたがたを絶えず見守られる。」(4:1) アッラーは、男女を核として、そこから家族が出来、種が殖え、繁栄することをお望みになったため、両性をお創りになったのではないでしょうか。 そしてアッラーが彼を私の「父」に、彼女を私の「母」に、あの人を私の「配偶者」に、この子を私の「子供」に定めらました。「かれこそは,水から人間を創り,血統による親族と婚姻の関係を定められた方。本当にあなたの主は全能であられる。」(25:54)アッラーのご加護と祝福がありますようにワッサラーム
2004年05月02日
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