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『écriture 新人作家・杉浦李奈の推論 Ⅳ』の「あとがき」に 本著のことが記されていたことから興味を持ち、今回読んでみることに。 しかし、本著を手にした途端、そのボリュームと価格に驚かされました。 ハードカバー492頁、本体3,800円+税……ずっしりと、重たい…… *** したがって、マスコミが報ずる盗作疑惑や、ネットで騒がれるパクリ疑惑のほとんどは、 ある程度以上の分量を丸々写しているとか極端な場合以外、 法廷で争われたとしても著作権侵害にはおそらく問われないだろう という推測が成り立つ。(p.16)これは、「まえがき」の『「盗作」と「著作権侵害」』に記された一文。『écriture 新人作家・杉浦李奈の推論 Ⅳ』でも、このことに触れていましたね。 著作権法第32条の規定によれば「引用」するのに許可は要らない。 つまり「引用」は無断で行使するのが本来である。 したがって「無断引用」なる言葉はナンセンスだ。(中略) すなわち、「無断引用」という言葉もまた、著作権法とは独立した、 マスコミ独自の専門用語、ジャーゴンなのだ。 文芸批評や美術批評などにおける「引用」がそうであるように。(p.16)これも、「まえがき」の『「無断引用」というジャーゴン』に記された一文で、「盗作」「盗用」「無断引用」「借用」「無断借用」等が、これに該当する言葉。著者は、「新聞や雑誌は、事件における『作家のモラル』の逸脱度を測る自社の(恣意的な)基準に基づき、これらを使い分けている」としています。 歴史的事実、日常的な事実を描く場合に、 他者の先行著作物で記述された事実と内容において共通する事項を取り上げたとしても、 その事実を、いわば基礎的な素材として、換骨奪胎して利用することは、 ある程度広く許容されるものと解するのが妥当である。(p.227)これは、第3章「オリジナルという”データ”」の「『大地の子』裁判は山崎の全面勝訴」に記された2001年3月の判決文。この点については、第4章「素材と創作のあいだ」の「『私残記』という書物」でも、次のような記述が見られます。 ここで森荘巳池の名を出さなかったことについて、 網淵は、「単に正確な歴史的事実を跡づけるために参考にした資料名は、 とくにこれを列挙する必要はない」という通念にしたがい、 他にいくつもあった参考文献と同様、森名義の『私残記』も挙げなかったと説明している。 歴史的事実は公共財と言う認識である。 したがって、問題になるとしても「礼儀」や「エチケット」という次元の話であって、 著作権法を盾に取り「無断借用」とか「モラル」を非難するのは筋違いもはなはだしい、 というのが網淵の主張であった。 妥当な見解といっていいだろう。(p.255)歴史的事実、日常的な事実については、先行著作物から共通する事項を取り上げる際、参考文献として挙げる必要はなく、著作権法には抵触しないという認識でしょう。また、第6章「異メディア間における盗作疑惑」の「山口玲子『女優貞奴』とNHK大河ドラマ『春の波涛』」には、次のように記されています。 『春の波涛』事件、『江差追分』事件いずれも、 盗用されたと訴えた原告の作品はノンフィクションだった。 これまで見てきたノンフィクションからの盗用疑惑の数々同様、 事実の書かれた資料として使ったつもりが、原作者の意識としては創作物だった、 というすれ違いが問題の発生源となっているといっていいだろう。(p.343)ノンフィクション作家からすると、そこに記されたのは単なる歴史的事実ではなく、自己表現による創作物だから、「盗用」となるという認識でしょう。これについては、同じく第6章「異メディア間における盗作疑惑」の「NHK弁護団のウルトラC」に、次のように記されています。 著作権法は、著作物の表現を保護するものであり、 思想や感情、アイディアを保護するものではない。 「表現形式」と「内容」というふうに区別されることが多いが、 「表現形式」はさらに「外面的表現形式(外面形式)」と 「内面的表現形式(内面形式)」に分割できるとされる。(p.359)この後、著者は「外面的表現形式」を、小説なら文章、マンガなら絵、映画なら映像、「内面的表現形式」を、ストーリーやプロット、人物の配置や個性の持たせ方など、原作付きのマンガの原作部分みたいなものとしたうえで、「複製」と「翻訳」を定義し、「翻訳権侵害」について述べていきます。 さて「複製」と「翻訳」だが、この区分にしたがえば、 「外面形式」が再現されていれば「複製」であり、 「内面形式」が再現されていれば「翻訳」である、ということになる。 したがって、翻訳権が侵害されているかどうかを判断するには、 内面形式が再現されているか否かを検討すればよいということになるわけだが、 翻訳権の侵害が正面切って争われたのはこの裁判がはじめてのことであり、 いま見たように、裁判官さえ、内面形式が再現されているとはどういう事態であるか 判断する基準を持たなかったのである。(p.360) ***これまでに、こんなにもたくさんの盗作疑惑が発生していたことに、正直驚きました。また、その中には大変有名な作品や作家さんたちが、相当数含まれていることも意外でした。しかも、それらの事件の背景には、マスコミや文壇のドロドロとした部分が……本著を通じ、盗作か否かの線引きには、とても難しいものがあるということが分かりました。読書前は、本著の見た目の圧倒的存在感ゆえ、身構えるところもあったのですが、読み始めてみると、法律に関わる部分や概念的記述が続く部分は苦労したものの、全体としては読みやすい文章で、想像以上にスイスイと読み進めることが出来ました。価格が手頃なら、もっと多くの人に読まれたかもしれないのにと、強く思いました。
2022.06.26
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今巻は、『序章』前に添えられた作者自らの言葉通り、 「前巻からの続き」+「これまでの振り返り」のお話から成る一冊。 『序章』は、円生が預かっていた瓶を『柿右衛門様式のマイセン』と葵が鑑定、 さらに絵を描くことを勧める葵に、円生が2年前の行為を謝罪するというお話。 第1章『天の川と青い星々』は、清貴と葵、清貴の先輩・日野が永観堂を訪れ、 日野が想いを寄せる女性にプロポーズすることを決意するというお話。第2章『月夜の宴』は、清貴が修業をしていた大丸京都店の店長や営業推進部の面々が、清貴と葵の婚約を祝って先斗町のお茶屋でお祝いをしてくれたというお話。第3章『似て非なるもの』は、前巻の掌編『宮下香織の憂鬱』の後日譚。香織と店長・家頭武史の、2人の関係の進展と終息が描かれます。掌編『家頭誠司の憂鬱』は、7巻の第2章『砂上の楼閣』の後日譚。葵に別れを告げた後の清貴の姿を、オーナー・家頭誠司が振り返ります。第4章『円生の独白』は、90頁余の紙幅を費やした今巻の中核となる部分。これまでの全話を通じて円生が絡む部分を、円生自身が振り返ります。第5章『あの頃の想い』は、第1巻の序章『ホームズと白隠禅師』を清貴目線で描き直したもので、第6.5巻でも見られたパターン。『あとがき』の後の掌編『北山デート』は、京都府立植物園や北山通りを歩きながら、清貴と葵が、かつてそこを訪れた頃の二人を振り返るというお話です。 ***今巻の目玉は何と言っても、第4章『円生の独白』。これまでの中でも最高クラスの出来映えのお話で、圧巻です。ところで、第4章を読み終えた後、何気なく本作のアニメ(第1話)を初めて見ました。そして、その後第5章を読み始めてビックリ。さっき動画で見たばかりのお話が、まさにそこで再現されていました!(アニメ第1話では、第2巻の序章『夏の終わりに』のシーンも描かれていました)
2022.06.18
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副題は「シンデレラはどこに」。 今回は、あの『シンデレラ』の原典探しを軸に、物語が展開していきます。 *** お話は、再考ゲラの修正を巡るトラブルを、李奈が解決するところからスタート。 その一件がネットニュースに掲載されると、 李奈のもとには、様々な作家からの相談が舞い込むことに。 その中には、RENという作家との揉め事がありました。2年ほど前に現れたRENは、年間20冊以上の新作を刊行し、そのいずれもがベストセラー。ところが半年ほど前に、その小説は全て他の作家の盗用だとする声がネット上で拡散し、以後、そのブームは失速し始め、20人以上の作家から訴えられるという裁判沙汰に。しかし、同一表現はないために、著作権侵害を問うことは困難な状況でした。一方、李奈のもとには、佐田千重子を名乗る人物から、1週間以内に『シンデレラ』の原典を解明しなければ、身内か親しい人に禍がもたらされるとの脅迫メールが届きます。李奈は誰にも相談できない状況の中で、一人動き始めるのでした。以後、著作権をめぐる問題と『シンデレラ』の原典探しが並行してお話は進んでいきます。特に『シンデレラ』の原典探しについては、かなりの紙幅を費やして記述されており、最終的には「文学テキストマイニングツール」による分析を試みるという展開に。「著作権侵害」と「原典探し」が次第に絡み合っていく様は、実に見事です。 ***前巻は、クローズド・サークルをテーマにした作品でしたが、今巻は、1巻や2巻とも違った新たな展開で、十分に楽しむことが出来ました。私は「テキストマイニング」については、全く知りませんでしたが、色んなことに応用できそうで、とても興味深いものですね。「著作権侵害」については、「あとがき」の中に出てきた『<盗作>の文学史 市場・メディア・著作権』を読んでみようと思っています。
2022.06.17
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古書店・虚貝堂の店主・杉尾康明が亡くなり、本好きの彼の千冊に及ぶ蔵書は、 別れた妻との間に生まれた一人息子・樋口恭一郎が相続するはずでした。 しかし、康明の父・正臣は、その蔵書を古書即売会で売りに出そうと…… 恭一郎の母・佳穂が、その相談に栞子を訪ねてきたところからお話はスタート。 恭一郎は、母に内緒で、古書即売会のアルバイトを3日間することを祖父と約束。 そこでは、彼の通うことになる稲村高校の先輩・扉子も手伝いをしていました。 そして、別の仕事で不在の栞子に代わり大輔が、康明の蔵書売却の件を正臣に話します。 しかし、正臣は恭一郎本人からも同意を得ていると、売却の意思を曲げません。 そして、その3日間に、映画パンフレット『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』や樋口一葉の『通俗書簡文』、夢野久作の『ドグラ・マグラ』に関わる事件が次々に発生。それらを扉子が、そして3日目には姿を見せた栞子が解決していきます。さらに、虚貝堂には、栞子の母・智恵子も姿を現して……智恵子は、後継者に何をさせようとしているのでしょう?恭一郎は、どうなってしまうのでしょう?そして、扉子は?そんな二人を、そして母を、栞子は守ることが出来るのでしょうか? ***前巻発行が、2020年7月。随分待たされましたが、興味尽きない展開と安定の筆力に今回も脱帽!今巻登場した『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』は、映画館で観ました。パンフレットは……購入したかもしれませんが、現在手元にないことは確かです。
2022.06.17
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ロシアのウクライナ侵攻が始まる少し前に本著を読み始めました。 その時には、こんなことが起こるとは夢にも思っていませんでした。 そして先日、随分時間がかかりましたが、ようやく本著を読み終えました。 しかし、ロシアによる侵攻は、まだ収束が見えてきません。 本著は、女優・中谷美紀さんの2020年5月1日から7月24日までの日記です。 ドイツ出身で、ウィーン国立歌劇場管弦楽団とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で ビオラ奏者を務めるティロ・フェヒナーと、2016年秋に国際結婚したことから、 近年は、1年の約半分をオーストリアのウィーンとハンブルグで過ごされています。文庫本で460頁余りに及ぶ本著には、オーストリアでの生活が赤裸々に綴られています。住まいとする山荘での庭造りや、日々の食卓やヨーロッパで流行の食事法、夫が前のパートナーとの間に授かった幼少の娘さんとの関り、夫やその周辺の音楽家たちの演奏活動や日々の生活の様子について等々。さらには、オンラインクラスを受講しながら進めるドイツ語学習や、自身の女優としての活動や身体のケアに励む様子には、そのストイックさに感心しきり。そして、人々の気質、考え方、姿勢についてや、日欧それぞれの文化に関する記述には、「なるほど」と唸らされる箇所がとても多かったです。中でも、今現在の社会情勢の中で、とても印象に残ったのが次の一文。 旅をするほど、未知の文化に触れるほど、 自分の価値観のみが正しい訳ではないということに気付かされる。 かつてのインド旅行で学んだことも、 「誰かにとっての正義が他の誰かにとっての正義とは限らない」 ということだった。(p.133)さらに、ドイツ映画「帰ってきたヒトラー」についての次の記述には、色々なことを、深く考えさせられることになりました。 コメディーでありながら今日の右傾化する世の現実をシビアに映し出し、 かつてのナチによる侵略や大虐殺もヒットラーひとりでは決してなし得ず、 民衆が求めたからこそヒットラーがヒットラーたり得たことを 痛烈に描いている。(p.325)
2022.06.12
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今巻は、清貴と葵が、葵の20歳の誕生日記念旅行に出かけた際のお話。 『プロローグ』の前頁には、次のような一文が。 これまで本作品には、 作中に登場する社寺や施設などを実名で紹介してきましたが、 今巻においては、第2章から登場する乗り物や施設の一部を、 実在するものをモデルに名前を少し変えさせていただいております。 公式に掲載許可のお願いをしたところ、 『名前を少し変えていただいて、あくまでもうちはモデルとしての登場に』 という先方のご意向によるものです。というわけで、「あとがき」にも記されている通り、今巻のお話は、JR九州の『ななつ星in九州』をモデルとした豪華寝台列車『七つの星』や『天空の森』をモデルとした『天空の鳥』、博多駅のラウンジ『金星』をモデルとした『VENUS』等を舞台に展開していきます。さらに、プロローグの前の一文には、次のような記述も。 また今巻は、物語の展開上、 どうしてもこれまで以上に恋愛色が強くなっております。 あらかじめ、ご了承ください。物語開始前から、テンション上がります。こういった仕掛けが、望月さんは本当に上手いですね。そして『プロローグ』では、米山の『枝垂れ桜と鶯』と『鼠』の2作品盗難事件について、清貴が独自に調査を進めることになった経緯が描かれます。続く第1章『京の三弘法と蓮月の想い』では、葵と共に『京の三弘法詣り』に出かけた清貴が、有名女優が二人の娘に遺した『蓮月焼』の茶器に込められた想いを解き明かします。掌編『宮下香織の決意』では、明日20歳になる香織が、誕生日に自分の想いを店長に伝えようと決意する姿が描かれます。第2章『二人の旅立ちと不穏な再会』では、清貴と葵が『七つの星』車中で雨宮史郎に再会。そして、史郎が所持していた『枝垂れ桜と鶯』と『鼠』を取り戻すべく、彼に同伴していたイーリンが在籍する大学で起こった事件の真相を解き明かす展開に。しかし、それが出来なければ、葵は自身の髪を史郎に差し出さねばならなくなり……第3章『瞳に映るもの』では、車中で清貴に振られた女性の仕組んだ葵への嫌がらせを、清貴がものの見事に見破り、翌日は『天空の鳥』で二人の時間を過ごします。掌編『宮下香織の憂鬱』では、香織が店長に想いを伝えた際の様子と、その後、小日向とカフェで会うことになった経緯が描かれます。そして『エピローグ』では、清貴にイーリンから『枝垂れ桜と鶯』と『鼠』が届きますが、葵には円生から真っ赤な花のアレンジメントとメッセージカードが届きます。掌編『秋人は見た~一触即発の夜~』では、旅行から戻った清貴を多くの人が出迎えます。清貴の部屋では、何と円生が待ち受けており、一触即発の修羅場が展開することに。それにしても、今後も、葵を巡って清貴と円生のバトルが、さらに繰り広げられることになるのでしょうか?
2022.06.12
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女児を出産した梨世は、桜田に名前をつけてやって欲しいと言う。 自分は、どうせ5日間しか一緒にいられないから、と。 そして退院の日、女児を残したまま、新たな人生を極秘の諜報機関で歩み始める。 桜田に託した母子手帳には、名前の候補が記されていた。 2年後、与党総裁選でトップ当選間違いなしとされていた九滋元官房長官が惨敗。 廣瀬は、九滋が大陸の新指導部後継最有力者・曹国良と強い繋がりを持つことが原因と発言。 さらに、プティシャトンと極秋会の関りや、大陸での人身売買・臓器売買にも言及する。 その頃、崇は自分に会いに来た九滋を放置し続けていた。そして、戦闘が続く大陸某国で、琢磨と環は日々人命救助に当たっていた。琢磨は、秋光正の未査読の論文『仮設設定における拒絶反応考察』中に記された「臓器提供者の感情を消し去れば、完璧な拒絶反応の抑制が可能になるのではないか」という記述から、環出生の真相を知ることに。一方、曹国良は2年前、大人・陳東輝に腎移植を提供することで党籍回復に成功していた。しかし、お忍びで訪れていた東京で爆発事故に巻き込まれてしまう。その頃、北京ではガンが全身に転移した陳東輝が、曹国良の息の根を止めろと命令。長期保存されていた愛怜の腎臓を自分に移植し、意図的に発病させたとの疑念から。曹国良が目を覚ますと、そこに院長の崇が現れ、爆破は天廻功によるテロだったと告げる。自身の双方の腎臓が破裂したことを知った曹は、環の腎臓を移植することを思い立つ。そして、今日も戦闘が続く大陸某国。その混乱の中、環は自らに銃口を向けるリュウに遭遇する。 ***巻末広告ページには、次巻が今年秋に発売予定との告知が。そして、「臓器売買ミステリーの金字塔 堂々完結-!!」の文字が。「えっ、終わるの?」という思いと共に、「これ以上続けるのも、難しいか……」という思いも。しかし、どんな風にお話が締めくくられるのか、私には全く見当が付きません。
2022.06.09
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副題は「愛着心と危機感が生む変革のマネジメント」。 著者は、今年4月にパナソニック コネクト株式会社代表取締役 執行役員 社長・CEOに就任した樋口泰行さん。 1980年に松下電産に入社し、ハーバード・ビジネス・スクールを修了すると、 その後は、ボストンコンサルティンググループ、アップルコンピュータを経て、 日本ヒューレット・パッカード、ダイエー、日本マイクロソフトで社長を務め、 2017年に古巣であるパナソニックに復帰したという方。本著は、復帰後にパナソニックで進めてきた変革についてまとめたもの。第1章には、その最初のステップである「大きな絵」を描くこと、何で戦っていくのか、本当に勝ち抜ける領域を見定めること、即ち、事業を行う立地を見定めることについてが記されています。第2章には、個人と組織のパフォーマンスを最大化すべく、カルチャーとマインドを変えていくことについてが記されています。フォーマリティー(形式的な手続き)を排除すべく、フリーアドレスのオフィスづくりをし、ドレスコードを廃止した様子が分かります。第3章には、これまでのハード単品売りから脱却し、新たなビジネスモデルを作り直していった様子が描かれています。コネクトでは、コモディティ化するハードウェアから離れ、ソリューションシフト、ソフトウェアシフト、持続性のある収益構造へのシフトに取り組んでいるとのこと。第4章には、事業立地を整えるべく、選択と集中を実践した経緯、商品×地域×業界でポートフォリオマネジメントを推進した様子が描かれています。利益は出るか、一過性ではないかを基準にして、撤退や閉鎖を進めた様子や、ブルーヨンダーへのM&Aを進めた様子が詳細に分かります。 ***『ソニー再生』が、たいへん読み進めやすい文章で書かれていたのに比べると、本著は、書かれている内容がすんなりとは頭に入って来てくれない感じがしました。その理由は明らかで、カタカナで書かれた言葉があちこちで頻繁に登場するからです。国際化が進むビジネスシーンに、自分はついていけていないなと反省させられました。
2022.06.05
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