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私より帰国日が1日早かった娘は父親のお通夜にもお葬式にも間に合って、沖縄から来た兄貴と一緒に火葬にも立ち会うことが出来て本当によかった。 そしてなんとなんと驚いたことに、お葬式に来てくれたお坊さんは30年前私の父のお葬式の時に来てくれたお坊さんの息子さんだったのだそうだ!! 私の父の先祖は愛知県の16世紀から続く浄土真宗のお寺で私の曽祖父まで代々住職だったが祖父の代からお寺を出て別の職業につき、そこのお寺とのお付き合いもなくなっていた。 父は晩年病気がちだったため、当時住んでいた千葉県から母と共に練馬区内の私の家の近くに仮住まいをし、結局そこで亡くなった。そして葬儀屋さんがうちの宗旨を聞いて近くのお寺からお坊さんを呼んでくれた。 母とそのお坊さんがいろいろな話をするうち、その方の先代がなんと父の先祖のお寺で生まれた人(後にまた従兄弟と判明)と分かってそこにいたみんなが驚いた。 それが30年後元夫のお葬式が行なわれた世田谷へ、また練馬区の同じお寺から当時のお坊さんの息子さんが来てくれたというのはいったいどういうご縁なのだろう。 元夫の実家の宗旨は真言宗なのに、奥さんの家が浄土真宗なのでそのお寺になったわけ。浄土真宗のお寺は少ないからと言うことらしいが、こんな不思議なことがあるだろうか。ちなみに父の命日は11月22日。そして元夫は11月23日(私の本当の誕生日)だ。 元夫は緊急入院から10日で亡くなったわけだが、晩年は奥さんと二人穏やかで幸せな暮しをしていたと聞いて安心した。これをきっかけに子どもたちとその奥さんとの交流が生れるともっといい。 彼は人と付き合うのがあまり好きではなく、親戚とも全く付き合わないし友人もほとんどいなかった。私はその正反対。人が大好きだし大勢の人とつながって生きて行きたいほうだ。どちらがいいとか悪いではなく、一緒にいてはどちらかが犠牲になるしかない。それぞれの生き方を全うするためには別れるしかなかったのだ。 そして彼は彼らしく生きて逝き、私は私らしい幸せな人生を送っている。これでよかったのだ。 それにしても死は偉大だ。死は最大の浄化だと思う。死ぬことで全てが許されてしまうからだ。「死人に口なし」。何を言われようと何も言い返せない、実にか弱いその存在に人はもう何も言うことは出来ない。ただ愛を送るだけだ。
2007年11月28日
ホノルルに着いたのは23日の夕方。いつものコンドミニアムが取れなかったのでインターネットで予約したロイヤルクヒオにチェックイン。 ホノルルに戻られた山根さんご夫妻と5時半からのハレクラニのフラを見に行くことになっているので急いで着替えをして娘とY青年と一緒に出かける。 海を背にしたステージの真ん前にはすでにご夫妻がいらしていて、席を取っておいてくださっていた。 ハレクラニはワイキキの中でも超がつくくらいの高級ホテルの一つ。踊り手もホテルの格に合った人が出るのでサンセットの残照の中で素晴らしいフラを堪能した。 帰りにDFS(免税店)に寄ると丁度ノブコさんが受付のカウンターにいらしたので再会を喜び合う。彼女とは8年ほど前に知り合い、当時高校生だった娘さんが我が家に泊まりに来たり、彼女自身も東京の麻奈の家に泊まったりの仲。もとユネスコでお仕事をされていたがDFSでの勤務ももうかなり長くなる。しっかりした考えを持つ素敵な女性だ。 翌日は11時から4人の方たちとトランスフォーメーションゲーム。その間7時間近く娘たちはロスへ掘り出し物を見つけに出かけて行った。 カウアイ島からの飛行機の中で「地球交響曲第3番」に登場したナイノア・トンプソン率いるホクレア号が日本まで航海した時の記事が載った機内誌を見つけたので持ち帰ったのだが、それに乗った唯一の日本人女性のカナコさんが参加者の中にいらしたのでびっくり。 写真家である彼女は近いうちにその3ヶ月の航海の体験を本にまとめるそうなのでとても楽しみだ。 夜は毎年ここで会うヒトミちゃんとみんなでダウンタウンのキューバンレストランで食事。ウエディングのオルガニストとして忙しい彼女がこの夜だけあいていたのだ。彼女は息子の元彼女。彼とは一緒に暮らしていた時期もあったがその後ブラックアメリカンのミュージシャンと結婚。(でも最近離婚してしまった)今はシュタイナースクールに通う高校生の娘と小学生の息子と共に相変わらず明るく元気に毎日を楽しんでいる。彼女はいつもこういう。「音楽も人生も体力とパッションよ!」 初めてのハワイ体験だけでも強烈なのに、Y青年は次々年上の個性的で自立した女性たちに会うことになって目をまわしている。最後の締めがヒトミちゃんというのもすごい。彼の女性観が大きく変わったのではないだろうか。 そして翌日娘たちは日本へ帰って行き、私はハワイカイのマンションに住むヒプノセラピストまさこさんの家に移ることになっていたが、午前中時間があったのでワイキキビーチの端にある四つの岩の所まで散歩。 これは昔タヒチから来た4人のカフナがそれぞれのパワーを残して行った岩だが、最近はかなり知られるようになったので次々日本人の若いカップルが来て写真を撮って行く。 まさこさん宅ではまた4人の方と午後いっぱいかけてゲーム。夕食は皆さんが持ち寄ったものでちょっとしたパーティーのようになった。 ホノルルでのゲームは一昨年に次いで2回目だが、昨年は私のお話会というのを開いて頂いたので、そこでフィンドホーンの話をしたら来年も是非ということになり、1年越しのお約束だったのだ。 来年はセイクレットダンスや身体を使ったゲームとまたお話をということで、もう日にちまで決まってしまった。 参加者の皆さんの中にはこの日を1年前から待っていたと涙を浮かべて感激してくださる方や、前述のカナコさん以外にも不動産業や公認会計士、気功の先生などで活躍なさっている方たち、子育て中の若いママさんなど素敵な女性ばかりで皆さんとお知り合いになれてとても嬉しかった。 その晩はそのままそこに泊めて頂き、26日は素敵なニューオータニのテラスでまさこさんにブランチをご馳走になってそのまま空港まで送って頂いた。 ホノルルでお会いしたみなさん、ありがとうございました。また来年を楽しみにしています。
2007年11月28日
ハワイ時間の11月23日朝、まだチェックアウトまで1時間ほどあるのでパソコンをしまう前に最後のメールチェックをしたらいきなり訃報が飛び込んで来た。子どもたちの父親、つまり私の夫だった人が心筋梗塞で亡くなったのだ。実は次女がカウアイ島へ着いて2日目頃息子から、父親が緊急入院をして手術を受けたというメールが届いていた。肺炎も起こしていて人工呼吸器をつけているという知らせに次女は大きなショックを受け、しばらくひとりで部屋にこもって泣き続けていた。すぐに帰国するべきかどうか悩んでいたが、「自分が死んでも子どもたちには知らせるな」と言っていたと聞き、容態もしばらくは変化がなさそうと聞いて、予定通り帰ることに決め、連絡をくれた叔母と毎日電話で話していた。彼の母方の親戚は皆同じ病気で亡くなっており、本人も以前心臓の発作を起こしたことがあると聞いていたので、私の中では「来るべき時が来た」という思いしかなく再婚した奥さんが付き添っていることだしと動揺はなかったのだが、亡くなったとの報はさすがに違う。身体中の皮膚がビリビリと震えるような感覚があり、一瞬何とも言えない全身が引き締まるような厳粛な気持ちになった。亡くなった時刻は日本時間の11月23日の夕方5時半とのこと。何と奇しくもそれは私がこの世に生まれ出た日時だ。私の誕生日は親の都合で翌年の3月23日になっているが、星占いなどの時は正しい日時を用いるので私に中では特別な日になっている。いったいこれはどういうことなのだろうか。娘の涙が止まり、気持が治まるのを待ってチェックアウトし空港へ向かった。これから3日間はホノルル泊りだがインターネットが出来る環境ではないので、ギリギリ知らせが間に合ってよかった。その後の電話でお葬式は友引にぶつかって1日延び、娘が帰国する翌日になったことが分かってこのタイミングに感謝。沖縄の息子もその日に合わせて上京することになった。フランスにいる長女はクリスマス休暇を日本で過ごすため12月初めには家族で来ることになっていたので、これも丁度よかった。夫とは別れる時にも何の話し合いもなく、1年半の別居期間に何度も話し合いをしたいと連絡を取ったが時間を作ってもらえず離婚届けは郵送したものを送り返してもらっただけで30年近くが経ってしまった。私としてはなぜ息子や娘が家を出て行ったのか、なぜ私が離婚を決心したのかを聞いて欲しかったし、ほかにも子どもたちのことで話したいこともあったので、丁度1年前「お互いに命のある間に1時間でもいいから時間を作ってほしい」という手紙を出したのだがナシのつぶて。とうとうこの時が来てしまった。「死んでも子どもに知らせるな」の本心はいったい何だったのだろう。自分から去って行った妻や子は生涯許さないというプライドなのか、ただのやせ我慢なのか、今や単純が大好きな私としてはややこしくて理解に苦しむ。来年モンロー研究所へ行くつもりなので、ヘミシンクを使って彼に会いに行ってみようと思う。彼の性格からすると恐らくフォーカス27辺りにうろうろしているような気がするから。
2007年11月26日
明日はホノルルへ移動するのでカウアイは今日が最後。丁度サンクスギヴィングデーとあって、人々は会う人ごとにHappy Thanksgiving!と笑顔であいさつを交わしている。日本はすでに23日になってやはり休日を楽しんでいることだろう。 そのお休みを利用して昨日はロスアンジェルスからタカコさんがやって来た。ほとんど毎年ここで会うのを楽しみにしている昔からの友人だ。友人とは言っても彼女はン十年前娘が小学校4年生の時の担任の先生だった人。 当時から個性的な女性で、日本の公立の小学校では彼女の教育理念は発揮出来なかったためアメリカへ行ってしまったのだが、私とは歳も離れているのに考え方が似ているのでずっと文通や、最近ではメールでのお付き合いが続いている。20歳は若く見えるほんとに素敵な女性だ。 彼女もここのタイムシェアを1年おきに1週間持っていて、その間の年はレンタルして毎年来ている。 この間の山火事はつい1ブロック先まで来たそうだけど幸いお家は焼けずに済んだそうだ。 今は私立の高校とカレッジで日本語の先生をしているのだが、社会での成功は金持ちになることみたいなスノッブなアメリカ社会にほとほと嫌気がさして来ているとのこと。どこかの離島に移住する日も近いかもしれない。 さて、先日の写真撮影はプリント値段を見てひっくり返りそうになった。なんと12c×15cくらいのが1枚30ドル!!撮影代は無料とは言え何という商売?! なんとか3枚だけ選んで注文したが、思わぬ出費となってしまった。
2007年11月23日
この間のホイケの時1枚2ドルでくじを売っていたので10枚買ったらそのうち1枚が当たった。受け取った封筒の中身は「無料で家族写真を撮ります」というもの。家族と言っても今は次女と二人だけだけど、いつもスナップばかりだからちゃんとした写真を撮ってもらうのもいいか、ということになり、日時を予約した。 そしていよいよ当日、二人でムームーを着ておめかしをして待っていると写真屋さんがカメラかついでやって来た。人の良さそうな小柄なフィリピン人のおじさんで、準備をしながら昔ネイヴィーで日本にもいたことがあるとか、コロラドからカウアイへ遊びに来てそのまま帰りたくなくなってここに住み着いたとか、奥さんは韓国人で孫が3人いるとか早口でよくしゃべる。 最初は部屋のソファに二人並んでの撮影。次に立っている所を一緒に、そして今度は一人ずつ。これで娘は見合い写真、私は葬式用の写真が出来たと満足し、それで終わりと思ったら外へ行こうと言う。 プールサイドの植え込みの前でプールに注ぐ小さな滝をバックに撮ると言う。手を前で組んで左足を前にとか、目線はもう少し上とかいろいろ指示をされ、そこでも一緒だったり一人ずつだったりまるでモデルになった気分だ。 そこで終わりと思ったら今度はビーチへ行くことになった。丁度サンセットの時間だったのでそれをバックにまた何枚も撮る。1ポーズ2,3枚は撮っていたから全部で200ショットくらい撮ったと思う。だんだん疲れて来て最後の頃はもうどうでもよくなって来てしまった。 結局明日コンピューターで画像を見れるようにしておくからその中から気に入ったのを選べばプリントするとのこと。それは有料だから沢山撮ればそれだけ注文も増えるということなのだ。つまり撮影代だけが無料ということ。何となく韓国や台湾の人たちの家族写真のような画像が出来上がりそうで、楽しみのような不安のような気持だ。 さて、夜はくにこさんたちとBBQをすることになっているので急いでおにぎりを作り、肉や野菜、果物などを持って隣のCoral棟へ行く。みんな一緒の食事は楽しい。子どもたちも大はしゃぎでモリモリとよく食べる。 食事の後お部屋に行ってくにこさんのご主人のてっちさんの撮られた写真の数々をコンピューターのBGM付きで見せて頂く。てっちさんはプロのカメラマンだからどの映像も素晴らしく、そこに詩情が漂っている。 水中カメラでの沢山の魚の映像もあり、シュノーケリングをした気分。その後遅くまでラナイでのおしゃべりを楽しんだ。
2007年11月22日
ここのところ毎朝のようにモンク・シール(坊主?アザラシ)が目の前のビーチにやって来る。まわりに人がいても平気で砂浜にゴロンと横になり、お昼近くまで気持よさそうに昼寝をしている。コンドのセキュリティーが気がつくと「接近禁止」の黄色いロープを張るのだが、今日は日曜日でお休みなのか何もしない。野生生物に触ってはいけないのは皆が知っているからあまり近くまでは行かないが、100フィート(約3メートル)以内に近寄ると逮捕されて1万ドルの罰金か1年以下の懲役なのだそうだ。でもそれくらいで済むなら人生に退屈したり厭世的になっている人にはちょっとした刑務所体験が出来ていいかもネ。11時からは今回の滞在の中でも大きな目的の一つ、カウアイ島在住のクムフラ(フラの師匠)ヘアラニ・ユンのホイケ(発表会)がリフェ空港近くのコンベンションホールであるのでみんなで出かける。会場にはこのためにわざわざロングステイ中のホノルルから3泊でカウアイへいらした山根さんご夫妻もすでにいらしていた。ご夫妻も東京から北軽井沢へ移られた方で畑は隣同士、奥様は私たちのフラの先生だ。ヘアラニさんは日本にも定期的に教えに来ているそうでお弟子さんらしい日本人の女性たちが大勢来ていた。むっちゃんも今年横浜で彼女のレッスンを受け、それでこの日の情報を得て私たちのチケットの手配もしてくれたのだ。先にブランチの列に並び食事を済ませてからホイケの会場へ。数百人は入りそうな広い会場はほぼ満席。くにこさんたちと私たち一行は大人9人子ども3人がずらりと並んで座って開演を待つ。ハワイアンタイムで定刻より大分遅れて始まったホイケは先ず男女のカヒコ(古典フラ)からで、有名な歌手のテレサ・ブライトやロバート・カジメロらの応援出演もあって盛り沢山だった。2006年のメリモナクの大会男性部門の優勝者によるパワフルなカヒコはさすがに圧巻。また3人の白髪のおばあちゃんたちのフラにもやんやの喝采と声援がとんだ。ジャズのライブでも拍子も取らず口笛もとばないおとなしい日本人とは違って、何しろ客席の盛り上がり方が全然違う。舞台の司会者も笑わせるけど客席もそれを大いに受けて実に活気がある。最後は勿論スタンディングオーベーション。でも前の方の席に陣取った日本からの女性たちは全然立とうとしない。この時代もっともっと国際的になってもいいのになあ。5時間半にも及ぶホイケはヘアラニさんのソロも含めいったい何曲あっただろう。すっかり堪能して、山根さんご夫妻とはホノルルでの再会を約してそれぞれの宿泊先へ引き上げる。夕食後TFG(トランスフォーメーションゲーム)をしたいというむっちゃんの要請に応えて娘とYくんを加えて3人、フルタイムではなく2時間半ほどのミニゲームをした。しかしさすがTFG,たったそれだけの時間でも皆にかなりの気付きがあったようだ。翌朝早く帰るむっちゃんにとっては最後の夜が静かに更けて行った。
2007年11月20日
こちらへ来てあっという間に1週間が過ぎ、16日朝早くブリンカホフ夫妻がサンディエゴへ帰り、続いて一緒に来たOさん母娘とSさんもチェックアウト。 そして入れ替わりにマイミクのくにこさんといずみさんの一家が到着した。チェックインにはまだ早いのでみんなでポイプビーチへ行くことにする。ここは全米一になったこともある美しいビーチで広い芝生の先には波が来ないように岩で囲んだ子ども用のビーチもあるので安全だ。 両家の5,6,7歳の子どもたちは早速水着に着替え浮き輪を持って海へ。岩場には色とりどりの魚も沢山いるのできっと楽しめるはず。 レイラニさんのフラのレッスンを受けに行っていたむっちゃんも合流してピクニックテーブルでランチにする。 カウアイ名物の野生のニワトリたちが可愛いヒヨコを連れてまわりを歩き回り、昼だと言うのにあちこちで時を告げる声がする。 そろそろチェックインタイムになったのでコンドに戻ると間もなく次女とY青年が到着。むっちゃんも含めてみんなフィンドホーンつながりだ。 ハワイ初めてのYくんは会社の人に、最初がいきなりカウアイとは渋いね、と言われたそうだけど、部屋へ入るなり外の景色を見て「すごいですねえ、素晴らしいですねえ」を連発。 今週の部屋はexchageで予約したので先週の4階の真下の2階になったので眺めは大分落ちるのだけれど、それでも彼は大満足。これだけ感激してもらえると私としてはとても嬉しい。 素直でピュアーな彼は祖母と母と姉と一緒にいる気分かもしれないのに心から喜んでくれてジャクジーに入っても、サンセットを眺めても全てを楽しんでくれている。 今朝は午前中いっぱいむっちゃんによるフラレッスン。Yくんはイプを叩くのがとても気に入って一生懸命練習し、ビーチで叩きたいと今「母」と「姉」と出かけて行った。みんなでランチはピザのお店に行くことになっているので私もそろそろ出かけよう。
2007年11月18日
北軽で親しくしているYさんが、以前ハワイ島でのワークショップで知り合いになった寺口由美さんという方がカウアイ島に住んでいるので、行ったら連絡をとってみてということだったのでお電話をしたらハナレイに住んでおられるとのこと。丁度カナダから日本人のお友達が遊びに来ているので一緒に行きます、と昨日の午後いらっしゃった。 いろいろお話ししていたらそのカナダのお友達羽賀ようこさんは逗子のMAMIちゃんや葉山の南帆さんをご存知で、更にお二人とも桐島ノエルさんや16日から家族でここのコンドにいらっしゃるくにこさんともお友達と聞いてまたまた世間は狭いということを実感した。みんな私のマイミクさんだ。 共通の世界に住んでいると年齢も知り合った期間も関係なくすぐ友達になってしまうのが面白い。 そこへハワイ島でのフラのコンペにお弟子さんを大勢引率して来て大役を終わらせた宮崎のむっちゃんが到着。さっそく話の輪の仲間入り。 由美さんがフラを習っているという話からすぐ今習っている曲の講習会が始まった。大先生のむっちゃんも謙虚に教えてもらっている。 この日の夜は毎週グランドハイヤット・カウアイでレイラニさんのハラウのケイキ(子ども)フラショウがあるのでみんなで見に行くことになった。行く前に軽く食事をして行こうと言うことになったがあいにく何も用意がない。 みんなでお冷ご飯にお茶漬けのりだけのお茶漬け。初対面の方にこんな食事なんて普通は考えられないのにみんな平気。別棟に来ているOさんやSさん、ブリンカホフ夫妻など全員で出かける。 11年前から全く変わらないホテルの海をバックにしたステージで、これも全く変わらぬスタイルでレイラニさんがギターを弾きながら歌っている。出演する子どもたちは年々大きくなるが、そのほかは全然変わらないので何だかタイムスリップしたようだ。 カフェフルールにいらっしゃるお客様が「ここへ来ると軽井沢へ来たって気がしてホッとする」とおっしゃるのもきっと同じ気分なのだと思う。そういうお客様のためにも可能な限りお店は続けて行かなくては、と改めて思ったことだった。
2007年11月15日
現地の人が庭で採れた果物や畑の野菜などを売るファーマーズマーケットは毎日どこかしらで開かれているが、この近くのKoloaでは毎週月曜日の正午にオープンする。 私と同じ日に別の棟にチェックインした日本からの友人たちと一緒にここでしか食べられない果物を仕入れに出かける。光景は私が初めて来た12年前と変わらないが値段はずい分高くなっている。1ドルで2~3個は買えたパパイヤが今年は1個1ドルになっていてびっくり。(それでも通関済みの空港で売っているお土産用に比べれば10分の一?) オレンジが5個1ドル、バナナが大きな房で2~3ドル、パイナップル3ドルなど。高くなっているとは言えやはりまだまだ安いし、完熟しているから美味しい。 先週はずっと雨だったそうだが、今は毎日快晴でサンセットが美しい。昨日はビーチまで降りて行ったけど今日はラナイ(テラス)から見物。 昨夜も一昨日も夕食を友人たちにご馳走になったので今日は私が炊き込みご飯を用意した。友人の娘さんがビーチの岩からはがして取って来たしじみに似た小さな貝を煮た汁でインスタントの味噌汁を溶いたら素晴らしくおいしかった。 お米は日本のものと味は全く変わらず値段は4分の一。炊飯器も借りられるから自炊が中心でレストランにはめったに行かない。 こちらへ来てから読み始めた「2012人類大転換」(ハート出版)を読み終わった。元ソニーの社員だった坂本政道さんのヘミシンク体験シリーズの最新刊だ。 私は昨年2月に彼の主催するワンデーセミナーに参加しただけだが、これを読んで来年のモンロー研究所ツアーにはぜひ参加したいと心が弾んで来た。 4月と9月にあるのだが、4月はイタリアのポンペイへもう一度、今度は孫娘たちと行くことを約束しているので9月のに申し込もうと思う。 時代は確実に変わって来ている。意識の飛翔は今や銀河系すら通り越してプレアデスやアンドロメダまで行くことが出来るようになったのだ。修行や瞑想で行ける人もいるのかもしれないが私にはヘミシンクのほうが合っている気がする。 モンローの言うIT(I/There)に出会いたいし、その集団であるITクラスターやそのまた集団であるスーパークラスターなどという概念は今の科学にも宗教にもないから、読んでいるだけでワクワクする。 人間て何?どこから来てどこへ行くの? 自分の前世が集団でいたり、まださまよっているのもいてそれを救出するなんて壮大なことを考えただけでこの世の瑣末なことなんてどうでもよくなってしまう。 久々に魂が燃え上がるような情熱がふつふつと心のうちに湧き上がって来て、ラナイから海を眺めながら踊り出したいような嬉しさに包まれている。
2007年11月13日
なんでハワイなのにいきなりこのタイトルかというと、私が到着した11月9日にこの第一巻ジャック・ケルアックの「オンザロード」(青山 南訳)が発売になったからだ。世界文学全集というとスタンダールとかドストエフスキーとか古典の大御所の名前が思い浮かび、誰もが青春時代にそのうちの何冊かは読んでいるはず。今回のは河出書房新社が団塊の世代の大量定年退職を当て込んで企画したとのことだが、案に相違して若い人たちからの予約が殺到していると聞いて、活字離れ、マンガ世代などと言われていてもまだまだ日本には読書好きの若者が多いことを知って安心した。そして今度の全集の特徴は選者が作家の池澤夏樹氏ひとりということ。mixiには沢山コミュニティーがあって、その中に「池澤夏樹」というのもあり、私もそこに入っていて時々のぞいてみるのだが、そこに彼が昨年の暮に新聞に発表した宣言が載っていたのでそれをご紹介する。世界文学全集 宣言 人が一人では生きていけないように、文学は一冊では成立しない。 一冊の本の背後にはたくさんの本がある。本を読むというのは、実はそれまでに読んだ本を思い出す行為だ。新鮮でいて懐かしい。 そのために、「文学全集」と呼ばれる教養のシステムがかつてあった。それをもう一度作ろうとぼくは考えた。 三か月で消えるベストセラーではなく、心の中に十年二十年残る読書体験。 その一方で、それは明日につながる世界文学の見本市、作家を目指す若い人々のための支援キットでなければならない。敢えて古典を外し、もっぱら二十世紀後半から名作を選んだのはそのためだ。 世界はこんなに広いし、人間の思いはこんなに遠くまで飛翔する。 それを体験して欲しい。 池澤夏樹 このコミュニティーはいわばファンクラブみたいなものだから彼の文章が好きな人が多いわけで、これもいかにも池澤さんらしい文章ということで紹介されていた。ずらりと並んだ全集の作品の中に私が知っている作家はあまりいないのに、息子は全部知っていて、しかもかなりのものを読んでいると言うので驚いた。私も本は大好きだが、ここのところノンフィクションが多くてあまり「文学」を読んでいないことを反省させられた。でも家を離れてここへ来るとゆっくりと本が読めるので嬉しい。さあ、また続きを読もうかな。
2007年11月11日
11月9日夜9時のノースウエスト機で成田を経ち、同じ日付けの朝の9時にホノルル着。飛行機はシートが2+4+2のちょっと小型だが真新しくて気持ちよかった。ノースは時々古くてひどいのがあり、読書灯がつかなかったりイヤホーンが聞こえなかったりで、こんなポンコツ機で大丈夫なの?とヒヤヒヤしたこともあったので一安心。 しかも隣りが空席で2座席独り占めだったので横になって眠ることが出来た。時間を逆戻りはするけど夜発って朝着くのでよく寝ておけば時差ぼけせずに済む。 映画は昨日観たばかりなのにまた「ヘアスプレー」を選んでしまった。 あのビッグママがトラボルタとは知らずに観たので改めてそのつもりで観直したのだが、今度は彼の本当の顔が思い浮かばない。デッカイけどなかなか可愛らしいママだった。トレイシー役の女の子は何度見ても明るくて可愛くて健康的で楽しい。 コンドミニアムのLawai Beach Resortに着くとフロントのパッツイー(60歳くらいのおばちゃん)が、顔を覚えていてくれてWelcome home!とニッコリ。「ブリンカホフさんが待ってるわよー」と部屋番号を教えてくれたので、さっそくおみやげのどら焼きとようかんを持ってご挨拶に行く。 11年前私がここのタイムシェアを買うきっかけを作ってくれた人だ。ご夫婦とももう78歳でご主人はかなり目が悪くなり、大好きな本が読めなくなったと嘆く。車の運転もやっとなのだそうだ。ここへ来れなくなる日も遠くないかも知れない。 管理費を3週間分払うのも大変なので2ベッドルームの1週間を誰かに借りてほしいとのことで、今年はマイミクさん2家族が来てくださることになった。来年も多分同じことを言われると思うのでご希望の方はどうぞ。
2007年11月10日
10月半ばからずっとおとなしく家で静養して、昨日久しぶりに上京した。東京駅も品川駅もどうしてこんなに人がいるの?と、自分もその中の一人であることは棚に上げて、それだけでかなり疲れてしまった。 10月に再開してから2度目の読書会。いつも1ヶ月はあっという間に経ってしまうのに、この1ヶ月はあまりにもいろいろなことがあったのでとても長く感じた。 先月同様18:15に高輪口の歩道橋の下で待っていたが現れたのは横浜のMさん一人だけ。今日は二人だけなのかなあ、とともかく会場のターミナルラウンジへ行くとすでにお二人いらしていて、その後またお二人で今回は6人だった。特にご連絡はしなかったので私の具合が悪いと聞いて中止と思われてしまったらしい。 アチューンメントをしてスタート。そして呼吸法と瞑想の後エンジェルカードを引いてシェアリング。 「心の扉を開く」の11月7日と8日のページを読んでまたシェアをする。テーマは「自分の居場所をみつけ、それぞれの使命を果たす」と「神の波長に合わせよう」。それぞれの貴重なお話が聞けてよかった。 帰りは先月同様居酒屋で2次会。 12月はまた第一水曜日5日の同じ時間。(必ず私は歩道橋の下のポストの所で待ってます) そして翌日6日は逗子のまみさんが企画してくれた「フィンドホーンミニミニ体験 with 尚さん」というのに行かせて頂く。セイクレトダンスやテーゼ、体験週間でするゲームなどを蘆花記念公園でするので、ぜひ大勢ご参加を! 詳しくは→http://mixi.jp/view_diary.pl?id=613239723&owner_id=326388 今日は午前中ビックカメラへ新しいデジカメを買いに行き、ついでに「ヘアスプレー」を観て来た。ナマのステージは見損なったけれど映画でも充分楽しめた。 懐かしい60年代のサウンドとダンス。ツイストにマッシュポテトにモンキーダンス。コロコロ体型の主役の女の子が何とも可愛くて底抜けに明るいし、ボーイフレンドはチョーハンサムでヨン様なんかよりずっとカッコイイ! ママ役は絶対ゲイの人だと思うけどみんな軽やかなステップで感心してしまう。 当時は人種差別がまだまだひどくて白人と黒人のミックスダンスなんてとんでもなかった時代。それを果敢に砕いていく若者たちがなんとも痛快だった。 午後は10年ほど前からの若い友人S子ちゃんが1歳9ヶ月のお嬢ちゃんを連れてやって来た。彼女は私の友人の息子のお嫁さん。私の最初のフィンドホーンツアーにも参加したり、ひと夏お店を手伝ってもらったこともある。久しぶりに会う彼女は子育てを余裕を持って楽しんでいる感じ。次女の家でゆっくりおしゃべりが出来てよかった。
2007年11月08日
11月に入ってまだ1週間足らずなのに嬉しいことがいくつもあった。先ず1日に病院に行って念押しのMRI検査の結果は特に異常なし。これからは過労にならぬよう気をつけて血圧のコントロールだけすればよいということで無罪放免。これで安心して予定通り9日からのカウアイ島に行けることになった。翌日の2日。朝刊で紫綬褒章受賞者の中に身内の名前を見つけた。ご本人はおそらく恬淡としていると思うけどやはり嬉しいことだ。彼を選んだ審査員の目は高い、と内心で拍手。同じ受賞者の中に級友の甥御さんの音楽家もいて、これもまた他人事ながら嬉しい。同じ日に息子が帰り、その日の日記にも書いたように心からの愛をお互いに感じ合うことが出来たことも本当に嬉しかった。そして今日。念願だった庭続きの土地300坪が手に入ったのだ!以前から願ってはいたけれど12年前に今の所150坪を全財産はたいて買った時の値段を思うととうてい無理と思っていたのだが、実際は当時より大分下がっていたのだ。最近知り合いが二人ほどこの近くに土地をお買いになったことからそれが分かり、先月の新月のお願いに「お隣の土地が買えますように」と初めて書いたところだった。その2日後に突然の入院騒ぎ。たまたま来ていた息子と次女は、いつも元気な母親も考えてみればいいトシになっていることに改めて気付いて、これからのことを真剣に話し合ったらしい。そしていつか誰かがここに来なければということになったと聞いて、私も本気で考えた。今のままの家では狭くて誰かを迎え入れることは不可能。と言ってもう増築の余地はない。敷地さえあれば・・・と真剣に思ったとたんコトは動いたのだ。まさに今話題の「ザ・シークレット」の世界。勿論目的は我が家のことだけではない。以前から30人くらいの人が宿泊出来てワークショップなども出来るような場所をこの北軽井沢に作りたいというのが私の夢だった。そのための土地だけは私が用意しようと決心し、それにはバス停に近い所がいいと一度候補に挙がった土地もある。しかしそこは売主が売らないということになって流れてしまった。それはわずか数ヶ月前のこと。その時から天は動き始めていたのかもしれない。でもそこがここと同じエネルギーの所だったかどうかは疑問なので、結局はバス停に特に近くはないけれど最適な場所が得られたと言うことではないだろうか。私が倒れたことがきっかけで急転直下、このようなことになるとは誰も想像していなかった。さあ、あとは建物だけど、こればかりは私一人の力ではどうにもならない。ここを誰にでも開放できる三つのR,つまりrefreshment, relaxation, recoveryの場所にしたいという私の思いに賛同してくれる人または団体が現れることを願うばかりだが、これもこれからの新月の度に書き続けようと思う。17年前に横浜で「オリーブハウス」という自然食品の店を開いた時も、11年前にこの地に住むことを決め「カフェフルール」を始めた時も、丁度今と同じような展開だった。何だか背中を誰かに押されているような感じ、とでも言おうか。私の気持よりもコトがどんどん進んで行ってしまう。宇宙からOKをもらったような感じとでも言えばいいかな。 うん、大丈夫。この直感は正しい。いつかきっとこの夢は実現する、とあくまでもポジティブでノーテンキな私だ。(これでまた貯金はゼロ、はおろか借金が増えちゃったというのに・・・なんくるないさあー)
2007年11月06日
今日息子が沖縄へ帰って行った。昨日のダメ押しのMRI検査の結果を見届けるまでいてくれたのだ。久しぶりにうちに来て2日目に私が倒れたので飛行機をキャンセルして3週間もずっとそばにいてくれた。 ふとんの上げ下ろしから3度の食事の支度、後片付け、洗濯、部屋の掃除、床磨き、庭仕事と1日中働いている。お陰で普段あまり(てゆーか、全然?)やってない食器棚や流しの下、冷蔵庫の中、食品戸棚の中などどこもかしこもピッカピカ。 冷凍したまま忘れていた食品、賞味期限が切れたものなどすっかり整理して家中がすっきりして気持がいい。 前に「私がそのように育てたから」なんて書いたけど、どうしてどうして、ここまでやれるとは完全に脱帽だ。 本人は「モチベーション次第だよ」と笑っていたが、そうだよね。子どもだからという義務感だけではここまで出来ないよね。そこに純粋な愛情、まごころがこめられていることがよーく分かっていたよ。 ありがとう。ほんとうにありがとう 一人で先に帰ったヨメさんの由紀ちゃんには済まないことをしたと思っていたのだが、彼女からも「たまには私にも一人でいる時間が必要だから心配しないで、マサキに充分甘えてください」という優しいメールが届いた。 ありがとう。迷惑をかけたけど今日の夜には帰りますからね。これからも彼をよろしくね。 11年前一人でここへ越して来たのは、何を隠そう最悪だった息子との関係に絶望してのことだった。3人の子どもの中で一人だけの男の子。いちばん私を困らせ、悲しませた息子が今本来の優しさと善良さを取り戻している。感無量で胸がいっぱいだ。 我が家のテリブルな歴史を知っている人は皆この私の気持を理解してくれると思う。 軽井沢駅まで送ってお互いにしっかりハグをして、握手もして別れたが、帰りの車を運転しながら涙が止まらなかった。
2007年11月02日
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