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去年の冬は雪が降ってもあまり積もらずほとんど雪かきをした覚えがないのだが、今年はけっこう積もる。そんな中えさを見つけられないリスが餌台によく来るのだが、私がさぼっていて空になっていることがよくある。小鳥は遠目が効くらしくて餌台まで来なくても分かるらしいのだが、リスには分からないらしくわざわざやって来てはがっかりして帰って行く様子が可哀想で、ヨッコラショとこたつから抜け出してひまわりの種をたっぷりと置いてやった。 しばらくすると目ざとく見つけた小鳥たちがさっそくやって来たが、リスが現れると敬意を表して去って行く。彼らの中にもヒエラルキーがあるらしく小さい鳥は大きな鳥が食べ終わるまで近くの枝で待っているし、大きな鳥もリスには席を譲る。 鳥たちを追い立てて餌台を陣取ったリスはよほどおなかが空いていたらしく、いつもなら警戒心が強くてちょっと人影がしてもさっと逃げてしまうのに、今日はすぐ近くまで行っても動かず夢中で食べ続けている。お陰でゆっくりと写真に撮ることが出来た。 追い立てて雪の上を走る姿も撮りたかったのだが、全然動こうとしないので今日は断念。充分におなかをいっぱいにさせて上げることにした。
2007年12月29日
子猫ちゃんならぬ私の携帯電話が行方不明なことに気付いたは今日の午後のこと。 家の電話でかけてみると音は鳴っているのに家のどこからも聞こえて来ない。 子機で車の中でもかけてみたがそこにもない。 どこかに忘れたとしたらいちばん可能性があるのは一昨日のクリスマス会の会場となったカフェ「海のマリー」さんなのでお聞きしてみたけれど忘れ物はないとのこと。昨日行ったホテル1130の脱衣場のロッカーも念のため見せてもらったけどそこにもない。 音は鳴っているのにどこかに一人寂しくいるのかなあ、と思うと我が子が迷子になったようで可哀想でならない。自宅にいる時はあまり使わないが、家を離れた時は電話もメールも便利に使っているし、公衆電話などほとんどないこの辺りではやはり必要なものなのだ。 仕方がない2,3日うちに新しいのを買いに行かねばと思っている時「海のマリー」のサブローさんから電話。 「駐車場にあったよー!雪の下に埋もれていた」 よかったあ!ほんとに迷子になった我が子がみつかったように嬉しい。 そしてさっそく夜道を車で届けに来てくださった。 「ありがとうございました!」と思わず最敬礼。 おそらく車に乗る時にバッグから滑り落ちたのだと思うけど、雪の上だったので音がしなくて気がつかず、そのままその夜の雪で見えなくなっていたのだ。よくぞ踏み潰されずにいたものだ。 冷え切っているケイタイちゃんを思わず両手で暖めながら「ごめんね。可哀想に2日間も雪の中に放っておいて」と本気であやまった。 留守電が入っていたので再生してみるとザクザクと雪を踏む足音、ガサゴソと雪を掻き分ける音に次いで「あったぞー!」というサブローさんの声。そして奥様の弾んだ可愛らしい声も入っている。 「草の根を分けてというのはあるけど、こりゃ雪の根を分けてだな」などという声が入っていて思わず胸が熱くなる。 パジャマの上にグリーンのジャンパーを羽織ったサブローさんはまさに今夜のサンタクロース。思いがけないクリスマスイブの嬉しい贈り物だった。
2007年12月24日
朝起きたら外は一面の銀世界。数日前にも降ったのだけれど今回のほうが多く積雪13センチ。夜の間中ずっと降っていて朝止んだ直後の裸木の林は枝という枝が真っ白で何度見ても溜息が出るほど美しい。 太陽が出て来るとすぐ枝の雪は溶けてしまうので、この瞬間をみんなに見せて上げたいなあといつも思う。 昨日が冬至だったから今日からはまた昼間が少しずつ延びて行く。私の一番好きな日だ。本格的な冬はこれからだけどトンネルの外へ出たような明るい気持ちになる。 2年前に玄関から駐車場まで行ける屋根付きの廊下を作ったので今は屋根から落ちて出来る雪の山にも悩まされることなく外へ出られるのでとても助かる。車に積もった雪もパウダースノーで軽いからささっと落とし、2,3分で行けるホテル1130の温泉へ朝風呂に入りに行った。3日前にはとんぼの湯のゆず湯に行ったし、冬は自宅のお風呂場はあまり使うことがない。 さて、昨夜はフラの仲間のクリスマス会。集まったのはそれぞれのご主人方や近所の方たち。みなさん東京や横浜からの移住組か別荘の方。中には神戸から移住して16年というご夫婦もいる。 皆さん夏はテニスやゴルフや畑仕事、花作りを楽しみ、冬はスキーやバンド活動と人生を楽しんでおられる方たちばかりだ。北軽井沢の自然が好きという共通項もあって都会では味わえない親しさもある。 先生のソロの間に私たちもみんな交替でありったけのレパートリーを踊り、オヤジバンドはギター、キーボード、ウクレレとボーカルの往年のイケメンたち4人の演奏に合わせてみんなで歌を歌ったり、ハーモニカの演奏、福引もあって楽しい会だった。 私とサブローさんのワルツはけっこう評判がよく皆さんから褒めて頂いた。 「感動しましたよ」なんて言ってくださるオジサマもいて赤面の至り。練習の時は常にダメ出しされて多分サブローさんも諦めていたと思うのだけれど、学校時代にずっと演劇部で本番に強いことでは自信があった私はきっと何とかなると思っていたのだ。 やれやれ、これで年内の大きなことは全て終わったのでこれからはゆっくり出来る。うれしいな。
2007年12月23日
ネパールのカトマンズに20年前から住んで鍼灸の治療院をなさっている畑 美奈栄さんという女性がいる。初めてお会いしたのは2004年の春。山川亜希子さんやうちの娘など数人でトレッキングのためカトマンズ入りをした時だった。 それより3年前21世紀の初日の出をヒマラヤで見ようと娘と初めてトレッキングした時に見たシャクナゲの林に、その花盛りの時にもう一度来よう、というのが動機だったのだが、出発の3日前室内でダンボールにぶつかって転んで痛めたウエストまわりの筋肉がカトマンズへ着いた時から激痛となり、私だけはホテルで1週間待つはめとなってしまった。 娘の友人の紹介で訪れたのが畑さんの治療院。そこへ毎日通って彼女が育てたネパール人の鍼灸師の治療を受けることとなった。痛みは少しずつ消えたが結局全治までに5週間もかかってしまった。 しかしそれがご縁となって畑さんからは時々「よもぎだより」という近況報告がネパール独特の和紙に似た紙に印刷されて送られて来るようになった。 私がいた時もバンダと呼ばれる交通ストがひんぱんにあって、その度市民は何キロも何十キロも歩かなくてはならなくなる。そんな中畑さんは自分が卒業した日本の専門学校の卒業生たちと一緒にポカラへ無料の治療行脚に出かけ、何時間もかけて大きな荷物を持って空港から徒歩で帰って来たりしていた。 彼女はネパールに豊富に自生しているよもぎに目をつけ、それを採集し乾燥させてお灸に使うもぐさや、その過程で出来るよもぎオイルを利用した化粧品などを作る工場を作り、毎日のようにある停電に苦しめられながらもネパールの人々の自立の支援もしている。 医療設備の乏しいネパールに鍼灸治療を普及するだけでなく、近所に住む貧しい未亡人の子どもたちに食べ物を上げたり、学校の費用を援助したりしている様子がその「よもぎだより」から伝わって来て、私はいつも同封されている振込用紙を持って郵便局に行かないではいられない気持になってしまう。 ほんのわずかな金額だけど私にはとても真似の出来ない愛の業を少しでも応援したくなってしまうのだ。 「よもぎの会」にはサイトがあるので読んで見て頂きたい。 http://www.yomoginokai.jp さて、後日談。私が見られなかったシャクナゲの花盛りはその2ヵ月後に行ったフィンドホーンで思いがけずたっぷりと見ることが出来、予想外の宇宙からのプレゼントに感激したものだった。
2007年12月18日
昨日久しぶりに我が家へ帰って来た。 11月初めに上京→ハワイで、月末に2日間だけ家に戻っただけなのでほぼ1ヶ月半ほど留守にしていたことになるのだが、ありがたいことに家の中はカラリと乾いていて昼間の陽射しのぬくもりで暖かい。 今回は長くなるので車を使わずバスで往復したのでバス停までみっこちゃんが迎えに来てくれた。そして家に着くなりさっさとパーマの準備。私はスーツケースもそのままですぐ椅子に座りカットが始まる。なんせ彼女は売れっ子で忙しいのだ。 そこへ近所のカフェ「海のマリー」さんのご主人サブローさんから電話。 「22日のフラのクリスマス会でね、僕と広瀬さんとでワルツを踊ることになったからよろしくね。もうプログラムに書いちゃったから、ハ、ハ、ハ」 エエーッ?聞いてないよー(古い!) というわけで今日早速練習に行って来た。曲は私の大好きな「テネシーワルツ」。 当日のプログラムももう刷り上っていて、私たちのフラは勿論のこと、サブローさんたちのオヤジバンド「イージーズ」の演奏やらハーモニカ、社交ダンスも確かに入っている。みんな別荘の人や都会から移住して来た人たちばかりだ。 サブローさんの入っているサークルでいつも組む方の都合が悪くて私が駆り出されたわけ。(もう何十年もやってないのに、ブツブツ・・) 久しぶりの練習で腰が痛くなってしまったけれど、サブローさんは踊りたくて仕方がないのだから何とか頑張らねば。と、明日もまた練習に行くことになった。 「イージーズ」の由来は勿論easyから来ているのだけれど「いいじい(さん)ズ」の意味もあるとか。ギターとウクレレとキーボードでサブローさんはボーカルだ。私も何か歌っちゃおうかな。 最後は来場者もみんな一緒に「メレカリキマカ」(ハワイ語でメリークリスマス)を踊り、「聖しこの夜」の合唱で締めくくることになっている。 私にとっては「北軽で遊び隊」とはまた違うカラーの楽しい仲間の集まりだ。
2007年12月15日
先日水の結晶写真で有名なIHM社の「月刊HADO」でいつも読んでいた波動アストレアの診断をようやく受けることが出来た。 小型のノートパソコンにつながっているヘッドホンを耳に当てると画面に次々臓器の映像が映し出される。オペレーターの方がクリックするとピ、ピ、ピーと軽やかな音を立てながら臓器全体に小さな三角や四角のマークが散りばめられる。 黄色い○は1と2、ピンクの△▽が3と4、ブルーの◇は5で黒い■は6という数字が入っており、数字が大きいほどエネルギーの低下を表している。 ピンクならまあ合格ということでブルーや黒が多い所には「良い言葉」を入力し、それがピ、ピ、ピーとピンクか黄色に変ればその言霊がその臓器には良いということになる。 例えば私の場合先ず出て来たのが十二指腸で「自然」という言霊で49%の改善が見られ、肺は「愛・感謝」で68%、大腸・小腸や肝臓は「解放」で71%、子宮は「創造性」だと24%なのに「育む」だと41%改善されるので面白い。 最後にボトルに入った蒸留水をヘッドホンではさんで効果のあった言葉を転写する。その水を1000倍に薄めて1日3回飲むことで各臓器のエネルギーが改善され、肉体に形として現れる前に消えてしまうということなのだ。 全ては見えない世界で先に起きたことがやがて目に見える世界に現れて来るわけだから病気も同じこと。がんなども肉体に症状として現れるかなり前からエネルギーレベルでは発生しているわけなので、その段階で消してしまえばいいということになる。 だから1年に1回くらいこの波動チェックを受けておくといいかもしれない。(費用は90分で15,750円→会員価格かも? ) このアストレアが発明される以前はMRAという器械が使われていて、改善には数字のコードが入力されていた。それが今は「言霊」になり、診断や改善も自動的に行なえるようになったのだそうだ。 全て目に見えないエネルギーの世界のことだから信じる信じないは個人の自由。興味のある方は下記へどうぞ。 (03)3863-0216
2007年12月13日
2000年のフィンドホーン「体験週間」に参加した時以来の親友(心友)逗子のまみさんがお世話をしてくださって、12月6日に「フィンドホーンミニミニ体験」というのをした。 場所は蘆花記念公園の中にあるとてもレトロな建物で、まわりを折しも紅葉真っ盛りのもみじの大木に囲まれた素晴らしい眺めの所。 初めにフィンドホーンはどんな所かという説明から私がそこへ行くようになったきっかけを少しお話ししてからエンジェルメディテーションと自己紹介、セイクレッドダンスを4曲ほどみんなで踊り、グループディスカバリーというゲームをいくつか、そしてテーゼを2曲ほど歌ってから全員でシェアリングをした。 フィンドホーンのことをあまりご存知ない方はいきなりダンスをしたり、知らない人とハグをする鬼ごっこをしたりで戸惑うことも多かったと思うけれど、考えたり照れたりする余地を与えないそれがかえってよかったようで、久しぶりに子ども時代に戻ったようで楽しかったという声が多く嬉しかった。 フィンドホーンはどういう所ですか?何のために行くのですか?とよく聞かれるのだけど答えに困ってしまう。 何かを教える所でもないし、修行をする所でも、ましてや宗教団体でもない。 楽しく遊んで働く所?いつの間にか心がオープンになって、心の中に固まっていたものが溶けて行く所?人の優しさや愛を感じられる所? 受け取るものは人それぞれだと思うが、行ってよかった、人生が変わった、生きるのがラクになったという人が多いのは事実。私もなぜだかいつの間にか通訳さん同行で「体験週間」に参加するツアーのお世話をしたり、30年前にそこで生れたトランスフォーメーションゲームや今回のような集まりのファシリテーターをしたり、創立者の一人であるアイリーン・キャディーの「心の扉を開く」の読書会をしたりするようになってしまった。 そういうことをしている時がいちばん楽しいし、まわりに応援のエンジェルが大勢来てくれているのを感じて、これこそが私がこの世ですべきこと、天命だと確信してしまうのだ。 フィンドホーンに長く住んでいた方や関係の深い方はリソースパースンと呼ばれて日本にも何人かいらっしゃるのだけれど、私はそのリソースパースンでもなんでもない。 フィンドホーンに頼まれたわけでもないのに勝手にやっていることだけど、私の魂が私にスイッチを入れるのだから止めようがない。 1月19日(土)は浜松で同じようなことをすることになっているが、会場の関係でダンスやゲームは無理かもしれない。主催は2005年の「体験週間」グループの方たち、会場は昨年トランスフォーメーションゲームを受けて下さった方が経営するオーガニックレストランだ。 詳しくは→http://www.bija.jp メールは→arinko06hy@ybb.ne.jp もしお近くの方はどうぞ。ご一緒に楽しい時を過ごしましょう。
2007年12月08日
今日噂の預言カフェに行って来た。 早大通りのけやき並木に面した店の中は満席で、外にも10人ほどの人が待っている。紙に名前を書いて順番に呼ばれるのを待つこと40分。 聞いていた通りにコーヒーとクッキーと「預言」を注文する。運ばれて来たコーヒーはとても美味しかったし、クッキーに添えられた一つまみのローズマリーが良い香り。 やがて順番が来てエプロン姿の女性が小型の録音機を手に前に座った。あらかじめ「預言は占いでもチャネリングでもありません。神様のみ言葉ですから人生で役立てて頂くものです」とのお断りがあっていよいよ録音機のスイッチが入れられる。 そしていきなりものすごい早口でまさに立て板に水のスピード。私の聴力が追いつかないくらいの速さで、ものの2,3分で終了。テープを頂くと46分テープのほんの2ミリ分くらいだ。もっと短いテープもあるのにもったいないなあ、なんて余計なことを考えてしまった。 娘の家に戻ってさっそく再生してみる。以下はその内容。 「主は言われます。わが娘よ、私はあなたを愛しています。あなたがしている一つ一つのこと、それをあなたは小さなことであると思っていても、あなたが持っているものを他の人に分け与えたりあなたの居場所を広げてあげたり、人の益になることをしてあげたり、自分を犠牲にして他の人に対して行なったりしていることを一つ一つ私は見ています。 あなたの中にある憐れみの心、コンパッション、それはあなたの人生の中であなたから切り離すことの出来ないものです。人を助けてあげたい、支えてあげたいという強い思いがあなたの中にありますが、それは私があなたに与えている心です、と主は言われています。 あなたにはものを増やす力があります。それはビジネスというようなオフィシャルなものだけではなく、何かものを増やしてそれを人に与えるという不思議な力があります。と主は言われています。 あなたの心はとても豊かです。あなたは自分で思っているよりも多くのものを持っています。あなたは多くのものを与えています。ですから自分は足りないとか欠けているところがあるとか思うのはやめなさい、と主は言われています。 あなたは多くの人の手を温めて来ました。あなたは孤独な人や寂しい人、あるいは慕って来る人たちのためにほんとうに多くのものを与えて来ました。ですからこれからはあなたにもっともっと多くの良いもの、力とか助けが豊かに与えられますよ、と主は言われています。 これからは与えるという季節に来ています。これまでは与えると言うとモノを上げるというようなことが多かったですが、これからはあなたが学んだこと、あなたが人生の中で得て来た知恵とかやり方をまわりの人たちに教えてあげる、渡してあげることになります。 これからは3代にわたって、つまりあなたの子どもや孫との世代間の中であなたはもっともっと輝く、と主は言われています。ですから新しい始まり、新しい出会いを喜んでください。」 あっという間に終わったけれど、こうして文字にしてみるとけっこうな分量がある。内容はフムフムと思うこともあれば、フーンと感心してみたり、ヘェーと思ったり、最後のところはちょっと意味不明だったりだが、あのスピードは確かにあの女性が自分で考えながら言ったことでないことだけは確かだ。 それにしてもそこへ行ったのは、丁度私があること(それはこの預言の内容とも一致している)を始めようと行動を起こした帰りのことだったので、神様からゴーサインをもらったようで嬉しかった。それなのにお代はコーヒーとクッキーの500円のみ。テープまで頂いて何だか申し訳ないみたいだ。
2007年12月04日
月末に3週間ぶりに自宅に戻った。木々の葉は落ちてすっかり冬木立。庭はからまつの落ち葉で茶色のじゅうたんを敷き詰めたようだ。部屋いっぱいに太陽の光が差し込んで暖かい。 成田から送ったスーツケースを受け取り1ヶ月ぶりに病院で検診を受け、ほかにいくつか用事を済ませて再び東京へとんぼ帰り。 今日は中高一緒だった級友のシャンソンの発表会で京王プラザまで行って来た。長く続けている彼女の歌はなかなかのものだったが、何人目かの方が歌った「フルフル」から私の思いは遠い追憶の世界に入って行ってしまった。 「フルフル」はダニー・ロバン主演の同名のフランス映画の主題歌。スカートの衣擦れの音を表す言葉だ。 先日亡くなった元夫とは同じ大学で彼は4年制の英米文学科、私は女子短大の英文科。共に所属していたESSが合同で文化祭に上演した英語劇に出たことで知り合った。 私の方が先に卒業したが、彼の卒業を待って21歳と23歳で結婚。今の時代考えられないことだが、お互いが初めての異性だった。 1年半後に長女が生まれ、その2年後に長男が生まれた。丁度「Always3丁目の夕日」の時代だ。テレビ局が次々に開局したが番組制作が追いつかず、アメリカからのドラマや映画が大量に入って来た。その台本の翻訳が夫の仕事となり、私も手伝うようになった。 ほとんどが吹き替えのため、翻訳したセリフをテープに合わせてしゃべってみて長さを調節しなければならない。毎週の放送だからレギュラーを3本持つと1日おきに締め切りが来る。毎日が仕事仕事で徹夜が続き、子育てしながらの無我夢中の10年間だった。 3人目の子どもが生れる頃から仕事はテレビから書籍の翻訳へと変わり締め切りに追われることはなくなったが日曜も休日もないのは同じ。2人で机を並べての共同作業は相変わらずだった。 ストレスで気難しくなると子どもに当たるので、夫の機嫌を伺いながら少しでも家の中を明るくしようと自分を殺して頑張っていたが、高校生だった息子と大学生だった長女が父親の支配に耐え切れず相次いで家を出て行ったのをきっかけに、私にも我慢の限界が来てしまった。 まだ新婚で二人だけだった頃、休日ごとに私たちは映画を見に行った。「フルフル」もその頃一緒に見た映画の一つ。発表会で次々歌われるシャンソンやカンツオーネを聞くうち、それが直接二人の思い出と結びつく歌ではないのになぜか若かった頃の彼の笑顔が浮かんで来て離れない。楽しかったことだけが次々思い出される。 最後までその笑顔が消えなかったのは、もしかしたら彼もその場に来ていたのかもしれない。 いつから二人の中がずれて行ってしまったのだろう。それぞれの家庭に抱くイメージがどんどん離れて行き、いくら彼に合わせても合わせても気に入ってもらえない。 どんどん本来の自分から離れて行く自分に私の奥の魂がストップをかけ別れを決断させたのだと、今だからそう思える。 彼はその後私とは多分タイプの違う女性と再婚し、子どもは持たず、実の子どもたちとも付き合うことなく二人だけの日々を幸せに暮らしたらしい。 最後の日々が穏やかで満足したものであってよかったと心から思う。私では出来なかったことだから。 彼の日々の幸せを分かち合ってくださった奥さんに、私と子どもたちから深く深く感謝を捧げたい。 ほんとうにありがとうございました。
2007年12月02日
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