2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全4件 (4件中 1-4件目)
1
1月28日に家を出てから3週間と3日ぶりに家に帰って来た。 北海道も地域によっては毎日大雪で通行止めになったり電車が不通になったりしていたが、札幌は比較的お天気の日が多くて雪が降っても長く続くことはなかった。 ようやく娘が帰って来たので私のお役目も終了。 孫たちとこんなに長く一緒にいたことはなかったので、家に帰れる嬉しさと同時にちょっぴりの寂しさもあったけれど、家で待っている山のような用事を思えばそんな感傷に浸っているひまはない。 軽井沢駅へ降り立ち、さっそくそこで用事を一つ済ませてから迎えに来てくれたユミさんの車で家に帰った。 前以て工務店さんが水道を開け暖房のスイッチを入れてくれていたので家の中は暖かい。明日新潟へ帰るみっこちゃんが待ち構えていてすぐカットとパーマが始まる。 ユミさんが用意してくれた夕食を3人で食べて食後はフェイシャルエステ。 終わったのは10時過ぎですぐにバタンキューだった。 翌朝は朝食中にもうみっこちゃんがやって来てカラーが始まる。 お風呂に入ってシャンプーしている間に彼女もアパートへ戻って帰り支度。 ドライヤーで髪を整えてもらって一緒に昼食をし、彼女は新潟へ、私は月例の短歌会へ車を飛ばす。 3時間後家に戻ると近所のEさんが注文していたものを届けに来て待っていてくれた。二人でお茶を飲んでいると今度はタイマッサージのよしさん来訪。 ようやくゆったりとした至福の時間が訪れる。 夜は郵便物の整理。返事やお礼状を書いたり、送るものの荷造りやらメール書きなど手落ちのないように細かい事務仕事に精を出す。 元来机の上でする仕事は好きなほうなのであまり面倒とは思わず、次々片付いていくのはとても快感。 もう一つ青色申告という大物が残っているが、これはまだ少し時間があるので先延ばしだ。 そして今日は美味しいパンをご持参で来てくださったNさんと早めのお昼を共にして一緒に編み物教室へ行く。 札幌にいる時に途中まで進んだセーターのわからないところを教えていただくが、家に帰ってくるとどこまで出来るか・・・なんとか今年の冬の間に着たいものだけれど・・・。
2012年02月23日
高校生と中学生の孫たちが学校から帰って来るなり口にするのは「今夜のごはんは何?」 何十年ぶりに耳にする懐かしい言葉。 東京の石神井で5人家族で暮らしていた頃にタイムスリップする。 当時は翻訳業の夫と終日机を並べて年中締切に追われる生活だったから、三度三度の食事の支度にキッチンに立つのは大変というよりむしろ夫と仕事から解放される気分転換の時間だった。 週に2回は自転車の前と後ろの籠に満載の食料品の買い出しに出かけ、食べ盛りの子どもたちの胃袋を満たすのに懸命だったあの頃。 忙しい時間の合間を縫って味噌は30キロラッキョウは10キロ漬けてたし、パンも毎日焼いて、めんつゆも天つゆも全部手作りだった。 それに比べて今は便利な世の中になったせいで大分堕落してしまっている。 それなのに一人でいるとろくなものは作らないので、料理というのは食べてくれる人がいて初めて意欲が湧いてくるものなのだとつくづく思う。 自宅にいると半年は畑とお店で忙しいし、冬の間も大した仕事はしていないのにやはり「専業主婦」の気分は味わえない。 それが娘の家に来てしまえばすることは洗濯と食事の支度だけだからたっぷりと時間がある。 苦手な掃除は通いの家政婦さんがやってくれるし、マンションだと外周りのこともしないでいいのでたまに買い物に出かける以外は全部自分の時間。 夫がサラリーマンの生活も専業主婦の経験も一度もないので、今初めてその気分を味わっている。
2012年02月13日
2月3日から札幌へ来ている。長女夫婦がしばらく不在になり孫娘二人だけになるので留守番兼おさんどんに来たのだが、二人とももう中学生と高校生なので手はかからない。まだおむつをしていた頃から頼まれれば東京でも沖縄でもフランスやスコットランドでもどこへでも行っていたからその頃にくらべればラクなもの。「私はお弁当は下手だからね」と釘を刺してあるので、高校生の子は最初からあてにせず自分で作って持って行くし、皿洗いは中学生の子と決まっているのでとても助かる。自宅にいるといろいろと雑用が多いけど、ここでは昼間二人が学校へ行った後はたっぷり時間があるのでゆっくり新聞や本を読んだり、パソコンしたりテレビを見ながら編み物したり(ただ今セーター製作中)とけっこうのんびり楽しんでいる。折しも札幌は今雪まつりの真っ最中。前から一度は見たいと思っていたので絶好のタイミングだ。今日はお天気が良いので一人で行ってみることにした。知らない街を一人で歩いていると外国へ来たようだが、周りは日本人ばかりでどこでも日本語が通じるのだから安心。(当たり前だけど)先ずは地下鉄で「大通り」駅まで行って1丁目の「氷の広場」から見始め、11丁目まで全部見て歩いた。昨日の暖かさで崩れかけた雪像もあり、製作者らしき市民が懸命に補修していたが自衛隊や大きな団体が作った巨大なものはビクともせずに立っている。沢山の屋台(と言ってもさすがに小屋式)が出ていて、屋台大好きな私としては買わずにはいられない。焼きホタテ、じんぎすかん、焼きそば、白いんげんと牛乳で作った白いお汁粉などいろいろ買い込んでは途中で食べたりしたが、北海道のものはすごく味が濃いので全部は食べられない。一部は持ち帰って明日のお弁当のおかずにすることにした。11丁目まで来たらさすがに寒くなってしまい(マイナス5℃)、そこからはまた地下鉄で帰って来た。写真を載せたいところだけど携帯で撮ったので画面が光ってしまって全然見えないので適当にシャッターを押したからあまり良い出来ではないので断念する。
2012年02月08日
その人の名前を聞いただけでスラスラとその人へのメッセージを筆文字でアートのように書く人が佐賀県の嬉野から来ると聞いて、四谷の「エイトスター」木曜会でのイベントに行って来た。 エイトスターの社長の田村さんが書いてもらった言葉を機関誌で見て、その内容からの印象では少し年配の小林静観さん(故人)のような方を想像していたのだが、実際は大違い。まだ30歳の爽やかな笑顔の好青年だった。 頭をバンダナで覆った作務衣姿がよく似合う。 田村さんとの掛け合いのような形でこれまでの人生や書下ろしを始めた経緯などを語ってくれたが、それによると大学を出てからヒッチハイクで日本を2周し、ピースボートで地球を一周する旅をした後、人々がいちばん優しかった沖縄に腰を落ち着け、そこの路上で書下ろしを始めたのだそうだ。 彼が最初に惹かれたのは「てんつくまん」の名前で有名なかの吉本の芸人さん。 彼は以前原宿の路上で通行人に詩などを即興で書いていた人だ。(うちにも書いていただいたものがある) 西山さんが「てんつくまん」から言われた三つの言葉がある。 それは「感謝をこめて書くこと」「誇りをこめて書くこと」「祈りをこめて書くこと」だそうだ。 彼はその後阿蘇の白川水源で師と仰ぐ人に出会い、そこでしばらく修業した後現在の嬉野に移って「書下ろし館」というのを始めたのだそうだ。 人前ではめったに話をしないという彼だが、田村さんの軽妙な司会と彼の純粋で正直な語りと笑顔のお蔭で会場は終始笑い声に満ちた楽しいものとなった。 その場で4人の方が書いていただいたが、若者らしく音楽をかけながら初対面のその人の目をチラッと見ただけでささっと文字を書き上げる。 それを読んで涙を浮かべる人もいた。きっと心に響くものがあったのだろう。 相手のことを何も知らなくても言葉は自然に湧いてくるのだそうだ。 今日から3日間は1日10人限定で書いてくれるそうだがもう予約はいっぱい。 私は残念ながら今日からまた札幌行きなのでそのうちネットでお願いしようと思っている。 興味のある方はこちらで見事な芸術的文字をご覧あれ。 http://ameblo.jp/yoshiyan-diary/
2012年02月03日
全4件 (4件中 1-4件目)
1
![]()

