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変化の年と言われた2012年もいよいよ今日で終わり。 この年の瀬を思いがけず東京で過ごすことになり、毎日銀座辺りに出かけています。 銀座1丁目にあった西武系の映画館が、また昔の「テアトル銀座」に戻っていて私を一気にタイムスリップさせました。 この映画館の横の道を真っ直ぐ1キロ行った隅田川の河口近くに私の実家はありました。本当は中野だったのですが、空襲で焼かれてしまったので父の事務所だった所に住みついたのです。 やはり映画好きだった両親と3人で(私は兄弟がありません)よくこの映画館まで歩いて来たことを思い出します。 父はそこで大学時代の親友と二人で「自由評論社」という出版社を始めました。二人とも法学部出身だったので、出した本は「医事法規集」とか「海事法規集」というような堅い本ばかり。 今で言うダイレクトメールでその業界に直接販売して順調だったのに、突然その親友が売上金を全部持って姿を消してしまいました。 親友の裏切りと借金だけ残された父は完全に打ちのめされて酒浸りの毎日になり、まったく働く意欲をなくしてしまいました。 本気で一家心中を考えていたそうです。 そんな時女は強いです。母はその事務所の片隅で小さなお菓子屋を始めました。私が中学2年生の時です。 その日から私と母とで働きました。学校へ行く時間以外はずっと店番です。途中から母は大借金をして店を広げ、職人さんを雇ってパンとケーキの店にしました。 私もたとえ翌日がテストの日でも火鉢一つの寒い吹きさらしの店で英語の単語を暗記しながら店番をしたものです。休みの日には仕入れにも行き、結婚するまでずっと母と二人でお店をやっていました。 (そして今そのことに助けられています) 父がプライドを捨てて店を手伝い始めたのは私が結婚していなくなってからです。やがて大手のパン工場があちこちに出来るようになってから は店は閉じて人に貸し、両親は別の所に移転しました。 当時は都電がありましたので、私の通学はすべて都電。 いつも日比谷の交差点で乗り換えていました。だから私の中の「東京」は日比谷、有楽町、銀座なのです。 渋谷などはすっかり変わって、今はあまり品のよくない町になってしまってがっかりですが、銀座はまだ昔の雰囲気を留めているので、銀座を歩いていると故郷へ帰って来たようにほっとします。 2012年最後の日、昔を懐かしみながら今日も「銀ブラ」に出かけようと思います
2012年12月31日
今日は今年最後の満月。 古い時代が終わって新しいエネルギーが流れ始めた12月22日辺りからこの満月にかけて、気分がブルーになったり体調を崩したりする人が私の周りでは多く、私自身も久しぶりに落ち込んで食欲をなくし丸3日間何も食べられませんでした。 500ccの水を飲むのに2日間かかっていたのが、今日突然うそのように元気になったのです。昨日から少しずつ消化のよいものを食べていたのですが、今日友人と会って久しぶりにちゃんとした食事をしました。 とっても美味しかったです。 前から一緒に行っているMRTで仙骨のバイブレーションを上げる「治良」をこの満月の日に受けたこともよかったのだと思いますが、その時お話した男性の先生の言葉も胸に響きました。 そしてその後で観た映画の感動が確実に私の心の深い所を浄化してくれたような気がします。 実は息子とちょっといろいろあって私は一昨日から東京に来ています。 初めてウイークリーマンションというのを借りて一人でいます。 都心にいるのでどこへ行くにも便利です。 友人と別れて渋谷に出たのが2時半頃でした。 何か映画でも観ようと適当に映画館に行ったら観たいと思っていた「レ・ミゼラブル」をやっていたのですが、時間が合わないのでBunkamuraへ行ってみました。 丁度あと20分ほどで始まるのがあったのでどんな映画か題名もろくに見ずに入ったら待っているのはほとんど女性ばかり、子どももけっこういるのでホラーやアクションではなさそう。 「ファーストポジション」という映画でした。 感動しました。泣きました。 9歳から14歳までのプロのバレエダンサーを目指す世界中の5000人から選ばれた300人の少年少女が奨学金を得るためにしのぎを削る「ユースアメリカグランプリ」のドキュメンタリーでした。 最後は自分の胸の筋肉がぶるぶると震えてもう少しで嗚咽になりそうなのを必死でこらえました。 私も10代の頃クラシックバレエをやっていたので彼らの精進のすさまじさ、その技量の高さがよくわかります。だから泣いたのです。 今日一日のいろいろなことが私を急速に変容させたのを感じています。 変容は心のステージを突然別のステージへとシフトさせることを言います。それをトランスフォーメーションゲームでいつもお手伝いしている私にまさに今日起きたのです。 そしてとても素直な気持ちでいたら、ずっと待っていたある方からの嬉しいメールが入って来ました。それが嬉しくてまた泣いてしまいました。 ずっと難しくてなかなか出来なかったホ・オ・ポノポノが急に出来るようになりました。 今は心から言えます。 ごめんなさい。許してください。ありがとう。愛しています。 今いちばん言いたいのは、わが息子にです。 ごめんなさい。 許してください。 ありがとう。 愛しています。
2012年12月28日
本日受け取ったフィンドホーンからのメールによりますと、マヤの暦が終わるのは12月21日なので22日は新しい時代が始まる最初の日ということで、この新しい時代の誕生を祝う瞑想が11:30から1時間ユニバーサルホールで行われるそうです。 そして同じ時刻に世界中の国々の人々と一緒に瞑想をしましょうという呼びかけがありました。 その時に心に描くことはフィンドホーンの三つのキーワード。 「内なる声に耳を傾ける} 「すべての生命とつながる」 「直感による行動」 今イギリスと日本の時差は冬時間で9時間。 つまり22日11:30は日本では夜の8:30になります。 8:30から9:30までの1時間、出来れば灯りを消してキャンドルを灯し、心静かに瞑想をご一緒しませんか?
2012年12月20日
なんだかゾンビが次々よみがえって来た感じの今回の選挙。 ゾンビたちがバンザイをし、大ニコニコのTV画面にうんざりする。 せっかく長年の念願だった政権交代を果たしながらすぐ奪回されてしまった民主党の情けなさは何よりも人材不足が原因だ。 最後の頃は「在庫一掃、思い出作り」などと揶揄されるまでになってしまったほどの内閣改造に至ってはため息しか出ないけど、ほんとはもう一期は頑張ってほしかった。 自民党がやって来たことの尻拭いで終わってしまったのは残念無念。 不運だったのは菅さん。長年原発反対を訴え続けてきた人が首相の時に、よりによって震災による原発事故が起きるなんてほんとに気の毒。 あの狂気とも思えるほどの菅さん降ろしの大合唱は大飯原発再稼働の伏線だったことを私たちは後になって知ることとなった。 デモの先頭に立っていた山本太郎さんも悲壮な討死を遂げた感がある。石原伸晃と同じ選挙区では最初からわかっていたと思うけど、やむにやまれなかったのだと思う。 それでも自分の意思を表明した彼に拍手を送りたいと思う。 戦争したくてたまらない人たちが政治の表舞台に立って、これからいったい日本はどうなって行くのだろう。 日本の上層部は決して国民のことは大事にはしてくれないことを戦争中から骨身に浸みて知っているから、そのつもりでいないと背負い投げを食らわせられる。 最終的には一般の国民は見捨てられることを覚悟して生きて行くのは悲しいけれど、この時代にこの国を選んで生まれて来たのは自分だから、その落とし前は自分でつけるしかないね。
2012年12月17日
8日にハワイから家に帰って来てから13日の朝再び上京するまでの丸4日間の何と忙しかったこと! 9日はまだ食欲がもどらないので1日中コタツの中で郵便物の整理に追われ、その後3日の間にいったいいくつ仕事をこなしただろう。 みっこちゃんによるパーマやカラーの合間に頼まれた郵便物や宅急便の発送、スーパーへの買い出し、応援する候補者への推薦文を書いてプリントし、その方の選挙区にいる友人たち十数人に発送、メガネ屋さんでゆるんだメガネの調整、期日前投票のために役場へ行き、留守中の記帳に銀行へ、いろいろな問い合わせや連絡で何か所も電話をかけ、息子が取っておいてくれた新聞の連載小説(池澤夏樹の「アトミックボックス」毎日新聞ーめちゃくちゃ面白い)を一気に読みetc.etc. 種類の違ういろいろな用事を短期間の間にぬかりなくし終えるにはすべて紙に書いて消していくのがいちばん。 なんとかそれをし終えて13日は横浜の大桟橋に停泊中のピースボート 「オーシャンドリーム号」を見学に行く。そして逗子の「ワイオラ」でまみさんのマッサージを受けそのまま泊めていただく。 翌日は再び大桟橋へ。トランプ仲間3人の出航を見送りに行った。 3か月の船旅、私も3年後にはまた乗りたい。Bon Voyage! そしてそのまま仙台へ。 昨夜は2年ぶりにお会いするくにこ&てっちご一家とそのお友達3人との楽しい夕食。 古民家を移築した素敵なお店でジャズの生演奏付き。 そして今日無事トランスフォーメーションゲーム第一日目終了。 劇的な展開だった。前回東京での時よりはるかに変容されている主催のKさん。更なる変容が楽しみだ。 そして明日明後日と3日連続は初めてだけれど、いつもゲームディーバからパワーをいただくので全く疲れることはない。 あと二日、豊かなゲームが出来ますように。
2012年12月15日
昨日のNHKのニュースでウイーンに初めてウイーン少年合唱団の専属劇場が出来たというニュースをごらんになった方も多かったと思いますが、その中に日本人の少年がいたことにお気づきだったでしょうか? 彼の名前はマリオくん。 今年の9月に入団したばかりの10歳の少年です。 4歳の時にご両親と参加したフィンドホーンのFamily Experience Weekの後、北軽井沢のキャンプ場で行われたそのミニ版「フィンドホーン親子キャンプ」にも参加しました。(これは今年の8月にも行ないます) シュタイナーの幼稚園の後公立の小学校に入学し、そこの合唱部に入ったのが今年の3月。参考になればと、6月にご両親が連れて行ったウイーン少年合唱団のコンサートで即「ぼくはここに入りたい」と言ったそうです。 その場で関係者の方に聞いて後日オーディデョンを受けることになり、見事合格。 夏休み中の体験合宿にも参加して9月にはもうウイーンへ飛んで入学していたとのこと。 この合唱団自体が中学校になっていて、マリオくんは1年生として入学し、毎日2時間の練習以外は朝から夕方までドイツ語での授業を受けているそうです。 日常会話は英語が多いそうですが、一人っ子で育った彼が親元を離れ、慣れない外国語の中にいきなり一人で入って行ったその勇気と行動力は素晴らしいと思います。 悩まれた末に我が子が選んだ道を応援しサポートすることを選ばれたご両親にも大拍手です。 おかあさまはフラワーエッセンスなどもなさっていらっしゃるもの静かな方。時々フィンドホーンの集まりなどでお目にかかりますし、我が家にもご一家で泊まりに来てくださいました。 合唱団はシューベルト組、モーツアルト組、ハイドン組、ブルックナー組の四つに分れていてマリオくんはモーツアルト組。 軽井沢の大賀ホールでは毎年5月のGWにウイーン少年合唱団のコンサートが開かれているので、来年はぜひ行ってみたいと思っています。 ニュース見損なった方はこちらからどうぞ。 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121210/k10014070081000.htmlウィーン少年合唱団に専用劇場 NHKニュースwww3.nhk.or.jp
2012年12月11日
まず最初はハワイ出発の朝珍しく空港へのシャトルが10分も遅れたこと。飛行機には十分間に合う時間で頼んでいるのだから焦ることはないのにやはり焦ってしまう。早朝の寒い外で待っているのが辛い。やがて女性ドライバーの車が到着。朝の国道は空いているから20分で空港に到着。その後問題なくリフエ→ホノルル→成田と乗り換えや待ち時間も含めて約12時間の移動も順調だった。 異変はターンテーブルから重いスーツケースを取り出すのにいつもより時間がかかって余分な体力を使った時から始まった。 直行で軽井沢まで帰るつもりだったので、いつもは宅急便で送るス ーツケースを引っ張ってほかにけっこう重い手荷物を二つ持ってNEXのホ-ムへ急ぐ。(この時にどんどん血圧が上がっていたのだと思う) 東京行きは2号車だったのでいちばん先のほうまでかなり歩く。 東京駅ではその夜から2泊で京都へ行く娘と落ち合い、彼女の忘れものを手渡すことになっていた。それに充分間に合う電車に乗れたのになぜか気持ちが落ち着かない。 座席に座ってからも「気」が上がったままなので深呼吸しては「丹田」を意識するのだが、全然下がって行かない。 携帯電話を取り出し、軽井沢駅まで迎えに来てくれることになっている息子に到着時間をメールし、娘にも予定のNEXに乗れたことをメール。 電車がゆれるのでうまくメールが打てない。また焦る。この辺からどんどん気分が悪くなって来た。 用心のために、たまたまバッグに入っていたビニールの小袋を用意する。 一生懸命深呼吸を続けるがまったく効果なし。少し吐き気が始まった所で「間もなく東京駅」のアナウンス。到着1分前に席を立って入口に向かう。ところがそこで電車が長いこと止まってしまったのだ。 後でそれが直前に起きた大きな地震のためだったことがわかったが、その間立ったまま待っていた時のつらかったこと。 席に戻ろうと振り向いたら後ろには大勢人が並んでいて無理。どんどん気持ちが悪くなって来る。 早く着いてくれないかなあ、とここでまた焦る。そのうち突然ビニール袋が間に合わないほどのものが来てしまった。 幸い床は汚さなかったけど、着ていたものやバッグなどを少し汚してしまった。やっと駅に到着。ホームに降りるなりへたりこんでしまった。そこへ娘が駆けつけてくれて私の様子を見るなり、とっさにその夜はホテルに一緒に泊まる必要を感じて京都に電話し、息子にも連絡。 駅員さんに頼んで救護所に車椅子で運んでもらうよう頼んでくれた。そこでやっと横になれて少し楽になる。 血圧を測ると205/118という恐ろしいほどの数字。 6年前にめまいで倒れた時以来のことだ。 娘はいつもお世話になっている親しい看護師さんに電話して指示を仰いでいる。そして私が休んでいる間に丸の内のホテルを取ってくれてそこから地下道伝いにエレベーターまで車椅子のまま連れて行ってくれた。ダウンは羽織ったけれど寒くてたまらない。 急いで暖かいお風呂につかってほっとする。やたらにのどが渇くので水ばかり飲んで、そのまま朝までぐっすり。(その間に娘は私の汚したものを洗って干してくれていた) 娘は朝早く京都に発ち、10時過ぎには息子が迎えに来てくれた。まだ食欲は戻らないけどなんとか無事に我が家へ到着。 というお粗末の一巻。いろいろなことが誘因となって思いがけないことになってしまったが、つくづく子どもたちの行き届いた行動に感心すると同時に感謝でいっぱいの気持ちだ。ほんとうにありがとう。 気持は元気なつもりでもやはりトシには勝てないとつくづく思った。 精神的な緊張と焦りを消すフラワーエッセンスを誰かに調合してもらわなくては。
2012年12月09日
今朝も変わらず7時半には起きてラナイで水平線を眺めながら気功をする。続けて順番デタラメのラジオ体操、スクワット150回。 ついでに肩こりと猫背予防のゲッタマン体操と三木良介のロングブレス。(オタクやっててもこれだけの運動はしてます) スクワットは森光子さんのが有名だけど、私のはスポーツトレーナーから以前教わった方法でひざから下は固定したままお尻を突き出して股関節だけを屈折させるやり方。これだとひざを痛めないのだそうだ。 最初は20回やっては10秒止めるというのを繰り返していたのだが面倒になって一気に100回連続してから10秒止めるのに変更。 いつかうちに泊まった私より15歳も年下のゴルフをしょっちゅうやっている女性が10回でダウンしたのを見てびっくりしてしまった。 (もしかして私ってけっこうスゴイ??) さて、いよいよカウアイ島での休日も今日でおしまい。 この1週間ネットのニュースばかり見ていたお蔭でネット漬けの若者たちのことをほんの少しだけ理解出来たような気がする。 「ナマポ」とか「リア充」とか「キョロぼっち」なんてネットスラングまで覚えてしまったけど、恋人までバーチャルな世界に作ってしまう彼らにとって生身の人間との交流の仕方とかコミュニケーションや距離感の取り方がとても難しいのかもしれない。 だからリアル、つまり現実が充実している「リア充」の連中なんて、とちょっと軽蔑的に言って異人種扱いしてみたりして本心の底に隠れている羨望ややっかみをごまかしているんじゃないかと思う。 なんだかちょっと可哀そうになってしまった。 ま、よけいなお世話と言われそうですけどね。 6日はフィンドホーンで午前10時にメインサンクチュアリーにリソースパースンたちが集まり、私たち母娘をRPとして正式に受け入れる瞑想をしてくださるそうだ。 私たちもそれぞれの場所で参加をと言われたが日本時間は夕方の6時だからいいとしても、ハワイ時間では夜中の1時。 明日早朝にエアポートシャトルが迎えに来る私にとっては多分夢の中の時間なので、2時間ほど早めに20分間の瞑想をしてから寝ることにしよう。 Mahalo for everyone and everything!
2012年12月06日
娘が帰ってからの4日間部屋から一歩も出ずにずっとオタクをやっていた。本とDVDとパソコンがあれば退屈知らずで、部屋からは椅子に座ったままでも海が見えるし、ラナイに出ればサンセットも見れるのであまり外へ行きたいと思わなくなる。 誰にも邪魔されず好きな時に好きなことが出来る自由さはほんとうに捨てがたい。 でもけっこう規則正しい生活はしていて、夜は12時頃寝て朝8時頃に起きるのは家にいる時と同じ。フルーツジュースにパパイヤとアップルバナナとぶどう、コーヒーそれにクラッカー1枚の朝食。 お昼は残りご飯でお茶漬けかチャーハンかラーメン、リゾットなど。 夕食はご飯を炊いて持ってきたインスタントみそ汁や缶詰、残り野菜を入れた卵焼きなど、帰る時に残るものがないように工夫しながらけっこううまくやっている。(さすがベテラン主婦!) この1週間は車がないから買い物に行かないで済むようにしたのだが、単三の電池がどうしても必要になり、今日4日ぶりに外へ出たわけ。 3年ほど前に、歩いて15分の所にKukui Ulaというちょっと高級なショッピングモールが出来てその中にはNatural Food MarketもあるけれどGeneral Shopはないので、そこから更に5分ほど歩いた所にある小さなスーパーへ行ってみた。 ここはなんだかちょっと暗くて地味な感じなのでいつも車で通り越して一度も入ったことがなかったのだが、行ってみてびっくり。 半分がオーガニックショップだったのだ。 17年も来ているというのに全然知らなかったよー。 いつもわざわざKapa'aまで行っていた。 目的の電池は単四しかなくてだめだったけど、来年の楽しみが出来たので満足。 往復約50分のウオーキングで汗びっしょりになったのでシャワーを浴び、冷たいジュースとアイスクリームでほっと一息。 これで消費カロリーはプラスマイナスゼロ。
2012年12月05日
うちではなかなか本を読む時間が取れないので何冊か持って来て今日読み終わったのが池澤夏樹著の「カデナ」。 2年くらい前に新聞の広告で見た時このタイトルは人の名前とばかり思っていたが、実は「嘉手納」のことだった。つまり沖縄の基地の名前。 本の帯に「たった4人で100万人の命を救う方法」とあるのでどういうことかな、と思っていたが読んでみて納得。なるほど、こういうことだったのね。 この4人のうちの3人(アメリカとフィリピンの混血女性でアメリカ空軍の軍曹、沖縄生まれでサイパンに暮らしていた中年男性そして若いロックミュージシャン)がそれぞれ誰かに語りかける手法で(こういうのをオーラルヒストリーと言うのだそうだ)替わりばんこに物語を紡いで行く。 この手法を池澤さんは「花を運ぶ妹」や朝日新聞に連載された「静かな大地」で使っているがとても読みやすい。 そしてこの3人にもう一人重要人物の男性が加わって帯に書かれていることを行うわけだが、時は1968年から1975までの間、舞台はまだアメリカの占領下にあった沖縄。ベトナム戦争、アポロ11号、大阪万博の時代だ。 そのどれも知らない世代が今はもうすっかり中年の年齢になっている昔、昔の話だけれど、未だにアメリカは飽きもせず戦争を続けている。 それが商売だからやめようがないのかもしれないけれど、前線で戦う兵士たちの恐怖や苦悩などには私たちはふだん考えが及ばない。 時々クローズアップされる彼らの非人間的な行動や暴力がどこから来るのかさえあまり考えず非難だけしているような気がする。 中には日本にも時々いる「誰でもいいから人殺しをしたかった」的なバカモノもいるかもしれないが、実際に敵の弾丸が自分に向かって飛んでくる中にいたらそんな思いは振り捨てて一目散に逃げるのではないだろうか。 いつの時代にも自分は安全な場所にいて戦争の指揮だけ取っている連中がいる一方で、心から平和を願い、そのためには自らを危険にさらすことも厭わない勇敢で善良な市民もいるということだ。 ハラハラドキドキの場面もあれば思わず笑ってしまうようなお色気シーンもあって本当に面白かった。新潮文庫で750円也。 おすすめです。
2012年12月03日
1週間があっという間に過ぎて娘は今朝の飛行機でホノルルへ発って行った。そこで友人の家に1泊して日曜日に自宅に戻る。この1週間、何と中身の濃い日々だったことだろう。ドライブやカヤック、ショッピングなど動きまわったこともあるし、二人共通の知人の急死の知らせが届いてショックに呆然としたりしたこともあったけれど、何と言ってもびっくりしたのはフィンドホーン財団の理事の一人で「フィンドホーンへのいざない」「がんは消えた」などの著者として有名なT氏からの私たち二人への突然のメール。 氏が先日のフィンドホーン50回目の誕生日にフィンドホーンを訪れた際、新しくリソースパースンの担当となったクリスティーンに私たちをリソースパースンにするよう進言してくださったのだと言う。 帰国後も彼女とひんぱんにメールのやり取りをしたから、きっと彼女からメールが行くでしょう、とのこと。 来ました、来ました、何回もとても熱心に。 私たちのことを知りたいとのことなので、まず2000年に私が初めて「体験週間」に参加したことをきっかけにその後長女一家をはじめ次女も長男もみんな「体験週間」を受けたこと、次女はその後ツアーのオーガナイズを始め、息子はネイチャーサンクチュアリーで結婚式を挙げたことなどを書いて送ったら, さっそく申請書が送られて来た。 そこにこれまでのフィンドホーンとの関りを書く欄があったので、これまでに受けた三つのプログラムのことや、ツアーのオーガナイズを9回やったこと、トランスフォーメーションゲームをこの12年間に日本やハワイで何百回となくやったこと、お話し会やワークショップ、そして8年前から続けている「心の扉を開く」の読書会のことなどを書いていたら、いかに自分がフィンドホーンが好きでそうしたことをすべてなんの苦もなく喜んでやっているかが分かり、そこからむしろ大きなエネルギーをもらっていることにも気付いた。でもフィンドホーンには住んだこともないし、英語も完璧ではないからRPになることなど一度も望んだことはなかったけれど、有難くご厚意を受けることにした。と、同時にあらためて責任感に身の引き締まる思いがする。これはきっとフィンドホーンのエンジェルとハワイのエンジェルが示し合わせて私たち母娘が二人並んでパソコンをする時間がたっぷりある今を選んで早めのクリスマスプレゼントを運んで来てくれたのだと思う。すごいタイミング! (日本ではこんな時間絶対あり得ない) 留守中息子がお店の大改造をしているはずだし、1月からはCafe Fleurのホームページもすっかり新しくなって娘のMANAHOUSEのサイトとリンクすることになっている。 12月22日を目前にますます変化の波が大きなうねりとなってやって来ていることを実感する日々である
2012年12月01日
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