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2019.06.23
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テーマ: たわごと(26634)
カテゴリ: 戦中戦後
副題:1945(昭和20)年8月15日

祖父母と並んで、正午にラジオで玉音放送を聴いた。
今日までの『生きる姿勢』の原点になった日なのに、その日の記憶は、
異次元に飛んでしまったのか、風化されてしまったのか、断片でしか思い出せない。
何故か空襲が途絶えていた。
「おばあちゃん。空襲ないねえ。アメリカは逃げたのかなぁ」
家の前の道で、晴れた夏空を見上げながら呟いた記憶。

『田舎』が好きだった。浦和に越した時からだ。祖母が近隣の農家から
買い集めた野菜を届けてくれる祖父の自転車で連れ帰ってもらっていた。

春の田んぼのレンゲ畑。道端のすみれやれんげ。小川のおたまじゃくし・
いとことかいぼり。クワガタ・カブトムシ。


そして何よりも近くの里山にさく大輪のヤマユリ。

祖父は仕事場で、日差しを背中に浴びながら、角材に鉋を掻けている。
薄く削られて、鉋から舞い上がった鉋屑の木目の濃淡を日光にかざし木目の美しさに
魅せられた。
一番興味を持ったのは墨付けだった。墨壷のカルコを角材の一方に刺し、
後退りすると壷車がカラカラと素早く回り、墨糸が引き出されていく。角材の反対側の
端までピント張った糸をつまんでパッと離すと、見事に細い黒い線が引かれ、
墨は一点も飛び散っていなかった。

祖母は。お洒落と言う訳ではないが、着物の襟をきちんと合わせ、
髪は乱れていた事はなく優しい人だと思ったことはなかった。
笑顔を思い出せない。抱きよせられた記憶もない。しかし 3 年生になって、
学校に何か食料になる物を持参するように言われた時、毎週ドングリを
袋一杯拾っ ておいて持たせてくれた。才覚のある人だったらしく、
父の得意先へのお歳暮の見立てが好評で以後定番になったそうだ。


早めに昼食を済ませた。東向きの家は、真夏の陽射しが差し込むこともなく、
裏の竹やぶから吹き込む風は涼しかった。
当時は、「天皇陛下」と口にするときは、初めに「畏れ多くも」と枕詞のように
言わなければならなかったし、言った人も、聞いた人も、立っていれば
「気をつけ」の姿勢をとり、座っていれば正座に直った。だから、このときも
当然のように、祖父母と並んでラジオに向かって正座した。

正午。甲高く、浮世離れのした口調で『玉音』が流れ始めた。
聞き終わっても、何が話されたのか、どんな内容だったのか、少しも分らなかった。
『堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ヒ難キヲ忍ヒ』だけ分ったので、これからもこの状態を
続けていって欲しいと言うのだと思った。天皇陛下が、自ら国民に呼びかけたのだから、
生半可な我慢では済まされないことになったのだと思った。

「太平ヲ開カムト欲ス』と続いていたことは、後に知った。よく聞き取れなかったし、
聞き取れていたとしても、その言葉の意味が、戦争を止めることだとは、4年生の私の理解の域を越えていただろう。

https://ironna.jp/article/1855 口語訳付


8月も15日を過ぎると、夕方は涼風が立つ。父がやってきた。
祖父母は、昼間の放送は何だったのかと、真っ先に訊いた。
「日本は戦争に負けたんです。戦争は終わったんです」 淡々と 言った。
「とにかく、もう空襲はないですから、今夜から明るく電気をつけても大丈夫ですよ」
祖父母が納得したところで、私に「そろそろ帰ろうか」と言った。自転車の荷台で、
父の背に掴まりながら、心の中の『田舎』が遠ざかっていく気がした。
この日、父37才、母33才。叔母23才、私10才、弟5才、末弟3才であった。

衝撃を受けたのは、二学期が始まってから、
大人たちの態度の変わり様を知った時だった。

次回で終了です。






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最終更新日  2019.06.24 10:10:49
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