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居たたまれなくなって、能季は釣殿の板張りの上をしばらく行ったり来たりしていたが、こうしていたところで埒(らち)があかない。 とにかく頼通の要件が何なのかそれとなく探ってみよう。 だが、いきなり何の用もなく来客中の父を訪ねるのも気が引ける。 一体どうしたら良いだろう。 能季は思案しながら、釣殿を出て東の対へ戻ってきたのだが、自分の部屋へ入ろうとしたとたん、簀子へ出てきた真砂と鉢合わせした。 真砂は手に何かを奉げ持っている。よく見ると、それは錦の袋に包まれた笛のようだった。 能季が父から稽古をするようにと渡されて、そのまま厨子の戸棚の奥にしまっておいたものだ。雲龍という銘のついた、藤原氏秘蔵の名笛の一つである。 真砂は能季の顔を見ると、申しわけなさそうに言った。「勝手に持ち出して申しわけありませぬ」「その笛をどうするのだ」「さあ、存じませぬ。とにかく、大殿が今すぐ急いでこの笛を寝殿へ持ってくるようにとおっしゃっておられるそうなので、ようやく探し出して持って参るところでございました」 頼通と何か関わりがあるのだろうか。 いや、なかったとしても、父を訪ねる良い口実になる。 能季は真砂の手の中からその笛を取り上げると、にっこりと笑って言った。「気にすることはない。この笛は元々父上からお借りしているだけなのだから。ちょうど父上の所に用があるから、私が持って行ってやろう」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2015年03月18日
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能季は脇息に寄り掛かっていた身を起こすと、立ち上がって釣殿の端に出た。 いつの間にか、雨はまた激しくなっている。 例の渡殿の下を見やると、さすがに雨が降り込んできたのか、そこには既に人影はなくなっていた。 あの幼い恋人たちにはどんな未来が待っているのだろう。 能季は釣殿の欄干(らんかん)に腰を下ろし、また心の中にしまってある斉子女王の面影を取り出して物想いに耽(ふけ)ろうとしたが、ふいにその渡殿の上を渡ってくる人影を見止めると、思わずぞっとして欄干の手すりを握り締めた。 それは、師実の父である関白頼通のようだった。 頼通と能季の父の頼宗は、年齢もたった一つ違い。それぞれ鷹司殿と高松殿の長子であり、若い頃はどちらが摂関家の当主となるに相応(ふさわ)しいかと相当に張り合った仲だ。 今は既に氏の長者は頼通と定まり、互いに老成して表立って対立することはないが、それほど仲が良いというわけでもない。高陽院とこの堀河殿はさほど離れてはいないが、今まで互いに親しく行き来するという間柄ではなかった。 それなのに、宮中で仕事があるはずの午前中に、しかもこんな土砂降りの雨の中、わざわざ父を訪ねてくるなんて。 もしかして、師実に何かあったのかも。 能季は背中にぞわりと悪寒が走った気がした。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2015年03月11日
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あまりの苦しさに、能季はもうどうにかなってしまいそうだった。 仕事が手につかず、夜もあまり眠れない。 能季はとうとうそれ以上耐え続けることができなくなってしまった。 そして、やがてこう思うようになった。 どうせ追い払えない面影なら、ただ絶望と共にじっと心の内に抱いている方が良い。 能季はそれから小一条院に行くのを自分に許し、かりそめの逢瀬(おうせ)や気晴らしの夜歩きはすっかり止めてしまった。 他の女になど、大して興味はない。 いずれは誰かと結婚しなければなるまいが、それは父や周りの人間のお膳(ぜん)立てに任せておけば良いのだ。 たとえ妻を迎えて始終通わなくてはならなくなったとしても、上手く振る舞えば他人である妻に心の中まで見透かされるわけではあるまい。 心だけは、いつまでも斉子女王に奉げたままでいよう。 能季はあれからずっと、そう思ってきたのである。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2015年03月09日
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あの夕べから昨日までの長い間、能季は一度も斉子女王に会うことはおろか、その声一つ、気配一つ感じることができなかった。 おそらく、斉子女王から避けられていたのだと思う。 斉子女王の言った通り、これ以上会っても哀しい想いが募るだけだ。 藤原氏の傍流の五男坊に過ぎない能季には、太上天皇に準じるような方の娘を娶(めと)ることなど許されるはずもないのだから。 能季はもう斉子女王のことなど忘れてしまおうと、必死になって試みた。 小一条院に行くのを止め、気を紛らわすためにことさら宮中での仕事に励んだ。 斉子女王の面影を振り払うために、好きでもない宮廷女房の誘いに乗って一夜を過ごしたこともある。 だが、そうすればするほど、能季の心の中の面影は、より美しく慕わしくなるばかりだった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2015年03月06日
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斉子女王は顔を上げて能季の方を見た。 黒々とした澄んだ瞳が、能季の心を刺すような寂しげな光を帯びて、能季を見つめている。 気がつくと、能季は階(きざはし)を駆け昇り、両の腕で斉子女王を抱き締めていた。そして、背に流れる黒髪の冷たい感触にわななきながら、その震える唇に口づけした。 斉子女王は思わず身体を強張(こわば)らせ、唇の震えは激しくなったが、能季を押しのけようとはしなかった。 どれくらい時間が過ぎたのだろう。 おそらくほんの僅かの時間だったのかもしれない。だが、黄昏の色がさっきより少し弱まり、辺りが仄(ほの)かに薄暗くなっているのに気づいて、能季はようやく斉子女王から手を離した。 斉子女王は打ちひしがれたように項垂(うなだ)れ、能季から顔を背けている。顔を覆った袖の陰から、かすかな嗚咽(おえつ)の声がした。 もしかしたら、傷つけてしまったのではないか。 驚いて、思わずその袖を捕らえようとした能季の手を、斉子女王はそっと制して押しやった。 そして、もう一度能季の顔をじっと見つめた。 その時の、暮れなずむ黄昏の光を受けた斉子女王の美しさを、能季は一生忘れることができないだろう。 後光を頂くように輝く黒髪の艶やかさも、露を帯びた長い睫(まつげ)の眼差しも……少し青ざめた唇の儚(はかな)ささえ。 能季は押さえ切れずに、もう一度斉子女王に手を伸ばした。 だが、斉子女王は能季の腕をすり抜けるようにして身をかわすと、さっと背後の御簾の内に入ってしまった。 そして、冷たい夕暮れの風が吹き始めた階の上で、もはや能季は斉子女王の消えた御簾の奥をいつまでも見つめ続けることしかできなかったのである。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2015年03月04日
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能季は胸が高鳴り、息が苦しくなってきた。 能季は思わず辺りを見回す。 庭にも側の渡殿にも人影はなく、斉子女王の側にも誰もいない。 この機会を逃したら、もう二度と直接対面して話をすることなどできないだろう。 気がつくと、能季は透垣の端を回って、斉子女王の前まで進み出てしまっていた。 斉子女王は急に目の前に現れた人影に驚いて声を上げかけたが、それが能季だとわかると袖口で唇を押さえて目を見張った。 そのまま二人は何も言わずに見つめ合っていた。まるで、ほんの僅かでも物音を発すれば何もかも壊れてしまうとでもいうかのように。 やがて、斉子女王は震える声で呟いた。「どうしてここへ」「犬を探しに参りました。瑠璃女御の膝元から逃げ出しましたので」「そうでしたの」 斉子女王はすっと簀子に腰を下ろし、足元にまとわりついている子犬を招き寄せた。そして、膝に乗って甘えている子犬の頭を撫でながら、俯(うつむ)いたままずっと黙っている。 その白い頬にも艶やかな黒髪にも、黄昏の光が照り映えて心を焦がすほどに美しい。 能季は切なさと沈黙に耐え切れなくなり、やがて声を絞り出すような気持ちで訊ねた。「近頃は、私が瑠璃女御のところへ伺っても、ちっともお出ましくださいませんね。私のことなど、もうすっかりお忘れになってしまわれたのでしょうか」「まさか、そんなこと」「では、どうして」「お会いしても、ただ哀しくなるだけですもの」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2015年03月03日
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