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ところが、昨年の秋のこと、能季は思いがけず斉子女王に再会したのである。 三年前の正月に小一条院が亡くなり、能季の姉の院の上も瑠璃女御も出家して、忌日の法要も大方済んでしまうと、御所の様子は大そう寂しくなった。 父の頼宗は院の上の無聊(ぶりょう)を慰めるため、時折小一条院を訪れるようになった。その折に、瑠璃女御の話し相手にでもなってやれと、能季もよく共に連れて行くようになったのである。 ある日、能季は例のごとく瑠璃女御の御前に行き、いつものようにその昔語りに耳を傾けていた。 斉子女王は御簾内にはいなかった。 以前は時々同席してほんの少し声を聞かせてくれることもあったけれど、近頃は滅多にお出ましになることはない。 能季は失望に唇を噛みながら瑠璃女御の相手をしていたのだが、その時ちょっとした騒ぎが持ち上がった。 瑠璃女御が飼っている狆(ちん)の子犬が、首につけていた紐を噛み切って庭に出てしまったのだ。 すぐそこの草叢(くさむら)で遊んでいるのだが、庭には時折野犬が入っていることもあるので心配だという。 それで、その辺りならわざわざ人を呼ぶまでもないと、能季はすぐに庭に降りて子犬を捕まえに行った。 ところが、子犬は意外とすばしっこく、遊んでもらっていると勘違いしたのか、そこら中を跳び回ってなかなか捕まらない。そのうちぱっと駆け出して、御所の奥へ逃げ込んでしまった。 乗りかかった舟なので、能季は庭を通って子犬を探しに行った。 すると、透垣(すいがい)の向こうから微かな声がした。「まあ、小麻呂、どこから来たの」 能季は透垣の隙間からそっと覗いてみた。 透垣の向こうは、西の対の北庇に面した小さな壺庭になっている。黄昏の淡い光が射し込み、壺庭の秋草も庇の半蔀(はじとみ)も仄(ほの)かな黄金に輝いていた。 対の屋の簀子(すのこ)から壺庭に降りる階(きざはし)の上に、誰かが立っている。 紫苑(しおん)の袿をゆったりとまとったその人は、斉子女王だった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2015年02月27日
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だが、十三歳になってまもなく元服するのが決まった時、能季はふいに胸に手を突っ込まれて心の臓をぐいっと捻られるような強い痛みを覚えた。 元服して大人の男になったら、もう子供時代のように斉子女王には会えなくなるのだ。 能季はそのことに気づいてうろたえた。 だが、そうだからといって能季に何ができるだろう。男はいつか元服しなければならないし、その日取りも烏帽子親も父に既に決められていた。今更、子供に戻れるわけもない。 能季が重苦しい心を抱いたまま、小一条院へ元服が決まったという挨拶に行った時、斉子女王は几帳の陰に隠れてなかなか出てこなかった。 瑠璃女御に、能季殿にはもうお会いできなくなるのだからと促されて、ようやく能季の前に進み出た斉子女王は、ちょっとの間能季の顔を見つめていたが、そのまま両手で顔を覆って向こうへ行ってしまった。 あれは、どういう意味だったのだろう。 私との別れを、斉子女王も惜しんでくれたのだろうか。 能季は斉子女王の気持ちが知りたかった。 だが、能季はそのまま間もなく元服し、斉子女王とはそれきり対面することはできなくなってしまったのだった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2015年02月24日
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そう言えば、私と斉子女王もあんな風に渡殿の下に隠れたことがあったっけ。 あれはまだ能季が十歳になるかならないかくらいの頃だったろうか。 父に連れられて小一条院へ行った能季は、いつものように瑠璃女御のところへ呼ばれ、宮たちと一緒にかくれんぼをしようということになった。 鬼は斉子女王の兄宮。能季と斉子女王は一緒に御所の塗籠や屏風の陰に隠れたが、目ざとい兄宮はすぐに見つけ出してしまう。 口惜しく思った能季は、ふいに斉子女王の手を掴んで庭に降り、渡殿の下に隠れた。ここなら絶対に見つかるまいと思ったのだ。 案の定、兄宮は渡殿の上を何度も通るものの、まさか下に隠れているとは思いもよらずに通り過ぎるばかり。 能季と斉子女王は声を殺してくすくす笑いながら、兄宮が戸惑って探し回るのを楽しんでいた。 その時、能季はふとまだ斉子女王の手を取ったままだったということに気づいた。 斉子女王の手は小さくて、指先が少し冷たかった。 能季はその指先を温めようとするかのようにぎゅっと握り締める。 斉子女王もやがてそっと握り返してくれた。 その小さな指先の儚(はかな)い感触……その時から、能季の心から斉子女王の面影が離れなくなった気がする。 その時には淡くただ暖かいだけだった想いは、年を追うごとに次第に熱く胸を焦がすようになっていった。 といっても、能季自身は迂闊(うかつ)にもその心の高まりに気がついてはいなかったのだけれど。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2015年02月19日
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雨は少し小降りになってきたようだ。 池の水面には、ぽつりぽつりと小さな波紋が広がっている。 赤い唐橋の辺りには、いつの間にか大きな傘をさした小舎人童(こどねりわらわ)が立っていた。雨がまたひどくならないうちに、いつものように池の魚に餌でもやろうとしているのだろう。 だが、小舎人童はふと寝殿の方へ目を向けると、急に池に背を向けて走り出した。 能季が寝殿の方を見やると、西の対から寝殿へと掛けられた渡殿の上を、紅の細長(注)を着た女童が通っている。 小舎人童は渡殿に駆け寄ると、女童に何やら話し掛けているようだ。 最初、女童は小舎人童を無視して通り過ぎようとしたが、必死に手を伸ばす小舎人童に袖を引かれると、まんざらでもなさそうな様子で振り返った。 小舎人童は手招きをし、女童はそれに従って側の階(きざはし)を降り、渡殿の下へ一緒に潜り込む。 太鼓橋のように真ん中が膨らんでいる渡殿の下なら、床下のように狭くないし人目にもつかない。 二人は遠くから眺めている能季には全く気づかないようで、地面の濡れていない隅の柱の根元に腰を下ろすと、熱心におしゃべりを始めたようだった。*注……ほそなが。成人前の少女や若い女性の正装。(ちょっと変わった形の衣装です。イメージとしては、十二単の唐衣と裳が合体した?ような感じ。写真の持ち合わせがないので、興味のある方はネットで検索してみてくださいね)↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m↓こちらが、平安時代の大貴族の邸宅の模型。池に突き出している細長い建物の先端が釣殿。寝殿は真ん中の一番大きな建物です。
2015年02月09日
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それに、一体どう言って斉子女王に手助けを頼むというのだ。 尊い皇族の身で、しかもか弱い女性が、そのような恐ろしい役目をお引き受けになるわけがない。 いくら師実の命がかかっているといっても、斉子女王にとっては師実などさほど身近な人間ではないのだ。 むしろ、父君に煮え湯を飲ませた摂関家の嫡子。 到底、斉子女王は承服なさらないだろう。 そう思って、能季は自分を納得させようとする。 それは斉子女王を想う能季にとってはほっと胸を撫で下ろすような考えだった。 だが、すぐに能季の脳裏には師実の顔が浮かぶ。 あの青黒く膨れた哀れな顔。今頃はもっと恐ろしい有様になっているのではないか。 いや、もしかしたらその命さえ風前の灯かもしれない。 そう思うと、能季は居ても立ってもいられなくなった。 何とかしなければ。 そうわかっていながら、いくら考えても結論が出ない。 能季は昨夜から一睡もせずに考え続けているのであったが、未だにただ頭を捻(ひね)り続けることしかできなかったのである。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2015年02月06日
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雨が降っている。 どんよりとした厚い雲が空を覆い、雨脚で池の水面は煙るように霞んでいた。 釣殿の軒を伝う雨音を聞きながら、能季はぼんやりと庭の景色を眺めていた。 昨夜からずっと考え続け、何度も結論を出しかけてはやはり駄目だと思い直してきた一つの考えが、能季の心を締め付け苦しめる……斉子女王を囮(おとり)にすれば、もしかしたら道雅をおびき出せるのではないか。 愛情の絶頂で無残に引き離された恋人。しかも、その後二度と逢うことは叶わず、美しい面影だけを残してその恋人は他界しているのだ。 もし私だったなら……もし能季が道雅で、当子内親王が斉子女王だったなら、きっと能季は終生斉子女王を忘れられず、その面影に苦しめられ続けられるに違いない。 あれほどまでに執着を見せたからには、きっと道雅にとって当子内親王は特別な存在だったのではないか。 能季にはどうしてもそう思えてならなかった。 だが、私に果たして斉子女王を犠牲にすることなどできようか。 能季は思わず身震いして、組んだ腕に力を込めた。 とてもできない。 もし、ほんの少しでも斉子女王が傷つけられでもしたら。 万が一命を落すことにでもなったら。 いや、それ以前に、斉子女王を他の男の側に近づけるのさえ嫌だ。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2015年02月04日
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「斉子女王は当子内親王に似ているのか」「はい、それはもう。でも当たり前でございますわね。お父君の小一条院と当子様は同母の御兄妹。叔母、姪の間柄でいらっしゃるのですから」 能季は黙ったまま、今、斉子女王が姿を消していった小柴垣を見つめていた。 老尼はまた涙ぐみながら呟いた。「当子様が亡くなられてから、わたくしはずっと寂しい想いをしてまいりました。もう一度あの方にお仕えしたい。でも、それはかなわぬことと諦めておりました。斉子様にめぐり合った時、わたくしがどれほど慰められたか。今のわたくしには斉子様だけが支え。あの方のお幸せだけを、最期までお祈りしてまいります」 能季の脳裏に、ふいにある考えが沸き起こってきた。 それをこの老尼が知ったら、一体何と言うだろうか。 老尼はそんな能季の心も知らず、優しく微笑みながら話を続ける。「斉子様は当子内親王様のお話が大のお気に入りで、ここへいらっしゃるといつもそのお話をおねだりになるのですよ。わたくしも当子様のことをお話するのが嬉しくて。そうそう、斉子様にも道雅殿の歌をお見せしたことがございましたっけ。もちろん、道雅様の不埒(ふらち)な御振る舞いのことなどはお話しませんでしたが。でも、斉子様は大そう心を動かされたようで……」 能季の心の中で、斉子女王と師実の顔がぐるぐると渦巻いている。 能季の頭は混乱し、もはや老尼の言葉を聞き続けることはできなかった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2015年02月03日
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老尼は能季に詫(わ)びるように言った。「あの方は、瑠璃女御の姫宮の斉子女王でございますよ。時折あのようにして、ふいに庭先からお出でになるのです。いつもここにはわたくし一人でおりますからね。知らない殿方がいらっしゃったので、きっとびっくりなさったのでしょう」「……知らないわけではない」「まあ、そうなのですか」「瑠璃女御は昔、私の母と親しかったので、姉の院の上を訪ねる度にこちらへもご挨拶に。まだ子供だった頃には、宮様方ともよく一緒に遊んだものだった」「それならば、斉子様も少しご挨拶なされば良いものを」「いや、あの方は少し恥ずかしがりだしね。それとも、もう私のことなど忘れてしまったのかな」「まさか。あのお方は幼馴染の方を忘れたりなさいませんよ。それはお優しくていらっしゃるのですから。わたくしのような老いて何の役にも立たぬ者でも、いつも気にかけてくださいます。時折、あのように花や菓子を持ってきてくれるし、年寄りの長話も辛抱強く聞いてくださいます。斉子様といると、まるで当子様が生き返ってきてくださったような心持ちがするのですよ。あのお美しさもお優しさも、まるで当子様に瓜二つ……」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2015年02月02日
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