まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2026.03.31
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つげ義春が亡くなりましたが…

カルト漫画作家が90才近くで死去したニュースなど、
小さな死亡記事が出て終わりかと思ったら、
大手紙の扱いが予想以上に大きいので驚きました。

奇しくも、ここ数年で、
国際的な評価が高まってたわけですが、
その反映なのかしら??

2018年 ごく少数の例外を除いて長年拒否し続けてきた海外翻訳出版を「断るのが億劫になった」ことを理由に許可するようになり、韓国、スペイン、イタリア、スイス、アメリカ、フランスなどの出版社と契約する。
2020年 欧州最大の漫画の祭典である第47回アングレーム国際漫画祭で特別栄誉賞を受賞。フランスで授賞式に臨み「漫画界のゴダール」と紹介される。また同地では本格的な原画展もあわせて初開催された。雑誌『芸術新潮』2020年4月号にて「つげ義春、フランスを行く」が特集。
2022年 文部科学大臣が発令する日本芸術院の新設分野「マンガ」の新会員として選出。推薦理由は「人間存在の不条理や世界からの疎外を垣間見せる『文学的な』表現によって、自己表現としてマンガを捉える青年たちに絶大な影響を与えた」「美術と文学の世界からも高い評価を集め、その作品を読み解く試みを誘発してマンガ評論の発展にも影響を及ぼした」。

https://ja.wikipedia.org/wiki/つげ義春




わたしは、

以下の記事からずっと探ってきたのだけど、
https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202208290000/

たまたま今回の報道が、
朝ドラ「ばけばけ」終了のタイミングだったせいで、
小泉八雲→水木しげる→つげ義春
…みたいな縦軸の系譜にも興味を抱きました。

しかし、ネットを検索してみても、
全共闘=アングラ演劇=関西フォーク=ガロ

…みたいな横軸の話ばかりで、
縦軸の系譜を考えようとする人は皆無です。

実際、団塊世代の文化は、
やはり同時代の横軸で語られがちだし、
わたしには実感として共有するのが難しい。

わたしの関心に結びつく要素があるとすれば、
寺山修司と初期ニューミュージックの関わりとか、
最近の葛飾応為のブームが、
ガロ系の林誠一・杉浦日向子などに発してるとか、
そのあたりの話に限定されてしまう。






水木とつげの作品は「再話漫画」じゃないか?
…って気もするのよね。

つまり、
語る側と聴く側との関係において、
解釈や記述がおこなわれる形式のことです。


水木がのんのんばあの語りを聴いたように、
つげは水木の語りを聴いた可能性があるから。

1966年、『少年マガジン』で連載を始め人手が要った水木のアシスタントをすることになり、調布に転居。日当2千円という破格の報酬であり、『ゲゲゲの鬼太郎』のネームに苦しんだ水木に呼ばれ2人でオチを考えたこともあったという。
水木作品の中にはつげがストーリーを考えたものや、水木が大まかに物語の構想を語り、登場人物たちのセリフはつげが考えたりしたものも多く、アシスタントの中でもそれを行ったのはつげだけだった。高野慎三があるとき、「どうしてそんなことができるんですか?」と聞いたところ、つげは「だって、僕は水木さんなんだから」と答えたという。戦記物の兵隊らのやり取りもつげが書いていた。
水木とは仲が良く、一緒に古本買いに行ったり古文書を探しに行ったりした。この頃『今昔物語』『日本霊異記』や中国の古典(『聊斎志異』『唐代伝奇集』)をよく読む。
水木がこの頃、妖怪文化に熱中しはじめたきっかけについて、つげ義春が2019年にインタビューに答えている。水木プロでアシスタントをしていた1966年ごろ、つげが貸した「藤沢衛彦の民間信仰の研究書」に水木が大感激。以降、水木は妖怪文化に没入することになったという。

https://ja.wikipedia.org/wiki/つげ義春

つまり、
境港での妖怪体験についても、
ラバウルでの戦場体験についても、
つげによって解釈・記述された面がある。

戦争についていえば、
つげ自身も空襲・疎開・戦後社会の体験者ですが。



八雲・水木・つげには、
身体的欠損というテーマがあります。

八雲は少年時代に左目を失明。
松江では一畑薬師に祈願して、
旅館の女中お信の眼病を回復させたけど、
彼自身の左目の視力は回復しえません。

一方、
水木にとって一畑薬師は身近であり、
たとえば鬼太郎は生後すぐに左目を失うものの、
それは父親が目玉おやじとして蘇ることで回復します。
しかしながら、
水木自身が失ったのは左目ではなく左腕なので、
これも一畑薬師や目玉おやじによっては回復しえない。

そして、つげの『ねじ式』の、
「メメクラゲ (××クラゲ?眼眼クラゲ?) 」のエピソードでは、
主人公がクラゲによって左腕の静脈を損傷するものの、
あたりには目医者しかないために左腕が回復しないのです。

回復しない身体的欠損についての象徴表現が、
「八雲→水木」「水木→つげ」の系譜のなかで受け継がれる。


以下はChatGPTの見解。
(わたしの意見ではありません)


妖怪にせよ、戦争にせよ、
八雲・水木・つげの作品に共通するのは、
日常と異界が同居する感覚であり、
そこでは必然的に、
恐怖がユーモアと共存するってことです。

様式的には、
ひとつの画面のなかに劇画と漫画が同居し、
子供向けのファンタジーのなかに、
大人向けのリアリズムが紛れ込んでしまう、
…ってことでもある。

恐怖とユーモアが、
大人にも子供にも平等に開かれて、
そこでの不安定な日常感覚が、
シュールで奇妙な笑いを生み出すことになる。

石子順造は "存在論的反マンガ" と呼び「自然と人間が同じ位相にあり、つげは日常のただなかにある奈落を見ている。つげの漫画は狂猥な現代の文明状況の中で生まれ死ぬしかないぼくらの生の痛みと深くつながっている」とし、つげ作品を読むことは「恍惚とした恐怖の体験をすること」だとした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/つげ義春

幼稚と成熟の同居?



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最終更新日  2026.03.31 15:06:39


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