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7年間の外国滞在を経て、私が日本で再就職したのは、昨年4月のこと。そこから、1年2ヶ月も経った今、「特別地方税」なるものが、初めて徴収されました。私の場合は、「特別区民税・都民税」という名称の税金になります。この特別地方税というのは、ちょっとヘンな税金で、今年度ではなく、昨年度の所得に対して徴収されます。極端な話、今年の所得がゼロでも、昨年、所得がいくらかでもあれば、支払わなくてはならないのです。私はかつて日本で、失業生活を二度ほど経験したので、「地方税が後から追いかけてくる」ことを、経験で知っていました。失業保険をもらう時、「来年、地方税を払わなくちゃならないから、それだけのお金は、最低限残しておくように」と、クギを刺されたものです。ですがその当時は、地方税の税率は低く、せいぜい、月数千円のオーダーだったので、大した負担ではありませんでした。ところが、私の海外滞在中に、小泉政権の「三位一体の改革」が行われ、国税から地方税への税源移譲が行われました。その結果で、地方税は月数千円ではなく、所得にもよりますが、通常、月2万円以上かかるようになったのです。かくして私は、日本へ帰国後、1年2ヶ月経って、はじめて、自分の額面の給料から、何%の税金や社会保険料が差し引かれるのかを、知ることになったのです。私の場合、「ちょうど20%くらい」が、天引きされる計算になります。これを高いとみるか、低いとみるかは、個人の価値観や経験にもよるのでしょう。私はかつて、いろんな国で働いたので、その経験からすると、20%という天引きは、決して高くないと思います。オーストラリアで働いていた頃の天引きは、最低30%、最高33%でした。中国で働いていた頃も、確か20%以上、差し引かれていました(でも中国政府のTax Returnで、大分戻ってきたので、実効税率は、20%いきませんでした)。でも、税額が低いに越したことはないので、節税の方法を、いろいろ考えようと思います。いっそ、ペーパーカンパニーでもつくろうか?(そんな所得ないけど・・・)News! 東陽町が住みやすくなる!!東陽町の北口にある複合施設、Tokyo East 21に、「クイーンズ伊勢丹」とタイ料理の名店「ゲウチャイ」がオープンしました。「クイーンズ伊勢丹」は、国内外のプレミアム食材、チーズ、ワインなどの輸入食材を多く扱う食品スーパーです。東陽町では、OKスーパー、タイヨー、西友など、激安系のスーパーは非常に充実していますが、その種の店で手に入りにくい高級・輸入食材は、これまで、錦糸町まで行かないと揃いませんでした。それが、地元・東陽町で揃うようになった意義は大きい!また、「ゲウチャイ」は、日本でのビジネスに成功し、錦糸町に自社ビルまで建てたタイ人一族が経営するレストラン。「下町のリトル・バンコク」と呼ばれる錦糸町で、舌の肥えた客に鍛えられた味は本物。東京のタイ料理店のなかでも、間違いなく五本の指に入るでしょう。これが東陽町に進出したことによって、我が家の外食シーンも豊かになること請け合い。とっても便利な柏の駅前で育ち、買い物の利便性に関しては要求水準の非常に高い私にとっても、最近の東陽町は満足いく街になりつつあります。これで、外食のバラエティが門前仲町、西葛西並みに増えたら、本当にいい街になるんだけどな。
2008年06月30日
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私の住む、東陽町は1970年代以降につくられた街、きれいに区画整理された清潔感ある街ですが、歴史がまだ浅く、お祭りの類はほとんどありません。その東陽町から、地下鉄東西線で都心寄りに1駅行った「木場」では、もうすでに、夏祭りの前哨戦といった雰囲気があります。そう、木場と、隣りの門前仲町は、昔から「深川」と呼ばれる由緒ある街。その歴史は、江戸の歴史と同じだけ古く、江戸屈指の古刹「富岡八幡宮」、「深川不動尊」を中心に、400年も、都市としての生命を持ち続けた土地なのです。その「富岡八幡宮」を中心に毎年執り行われる夏祭りは、それはそれは盛大なものです。特に今年は、4年に1度の「例大祭」が行われる年。神輿も山車も、例年にないくらいたくさん出て、隅田川を越えて江戸市中に繰り出します。そんななか、「神輿の担ぎ手、募集中 木場五丁目町内会」みたいな貼り紙が、木場の街中に出ています。都心から至近距離の木場地区では、マンションがたくさん建ち、人口は増えているはずなのですが、その多くは地縁のない新住民(私自身も含めて)。一方、旧住民中心の町内会は高齢化し、神輿の担ぎ手が足りないという現象が起こっているものと思われます。言葉を換えれば、お祭りの輪に、新住民を取り込め切れていないという現実があるのでしょう。私は、この街に住んでまだ1年ちょっと。地縁もなく、かつ賃貸暮らしなので、いつまで住むか分かりませんが、せっかく、深川は富岡八幡宮のお膝元で暮らしているのだから、年1回のお神輿くらいは担ぎたい、という気持ちが、心の底にはあります。たぶん、高層マンションに住む新住民のなかにも、私と同じことを考えている者は、結構多いのではないでょうか?今日のご飯時、家族と話してみました。「今年のお祭りは、神輿を担いでみたい」と。そうしたら、娘ソフィア(2歳10ヶ月)は大賛成。妻は、「柏の実家からおじいちゃん、おばあちゃんを呼べれば、一緒に見に行く!」と言っていました。だもんで、近いうちに、お神輿担ぎ手を募集している町会の門を叩いてみます。受け入れてくれるかな?
2008年06月29日
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私は大学を卒業した後、まず日本で6年間働きました。そのあと外国(オーストラリアと中国)で7年間働いて、昨年、帰国して日本で再就職しました。ですので社会人経験は14年、内訳は日本が7年、外国が7年となります。上記3ヶ国のうち、中国では年金制度に加入しませんでしたが、日本では厚生年金、オーストラリアではSuperannuationという、確定拠出型の年金制度に加入しています。さて日本の年金ですが、全員加入の建前にもかかわらず、掛金不払いのケースが結構多いと聞きます。その中には、経済的に困難で、本当に掛け金が負担できない人もいれば、掛け金を払っても、老後に受け取れる年金の額はどうせ雀の涙だからという理由で、意図的に不払いを続けている人もいるそうです。私は、日本で働く限り、不払いはしません。日本の年金には世代間の扶養という、社会政策的な意味がありますし、また老齢年金だけでなく、遺族年金、障害年金もカバーし、私の身に万が一が起こった時に、十分ではないにしろ、ある程度の保障を、遺された家族にしてあげることができるからです。あと、サラリーマンをやっている限り、掛け金の半分は職場が払ってくれるので、月数万円天引きされても、そう悪い話ではないとも思います。ですが、日本国の年金運用の実態を見る限り、不払いを決め込む者が出るのも無理はないのかな、というほどのお粗末さだと思います。まず、国民・厚生年金の予定利率(日本国が国民に約束した運用利回りは、ここ20年、低下の一途、年5.5%だったのが、今では3.2%(※2004年以降の年金積立金に対する予定利率)になっています。それに伴い、老齢年金の給付額も、生まれた歳が遅いほど、減額されてしまっています。マネーの運用という面で見ると、年3.2%というのは、世界的にみて、あまりにも低い。特に外国暮らしが長い私は、全然満足できません。例えばオーストラリアでは、普通に定期預金していても年7%くらいつくし、インドだと8~9%いきます。それらの国に比べて、成長率の低い日本でさえ、私は不動産を中心に年8%以上の投資収益を上げています。価格・賃料の減価率を辛口に見積もっても、7%はまず間違いなく出ます。そんな時に、年3.2%なんて、いくら手堅いお役所仕事とはいえ、ショボすぎる、というのが私の正直な実感です。さらに、わが国はその年3.2%でさえも、満足に運用できない状況だそうです。その最大の理由は、150兆円に及ぶ国民・厚生年金の3分の2を、年利回りわずか1.5%という日本国債で運用してしまっているからです。これでは、運用益が出ないのも当たり前。充足できない分(年数兆~10兆円程度)はいずれ増税として、国民が負担することになるでしょう。アホかこいつらは・・・せめて俺に運用させろー!!日本国家権力を向こうに回して、ど素人投資家の私が、こう叫びたくなるほどのお粗末さ。やや時代遅れの言葉をつかえば、ありえない・・・(絶句)本当に、国民の大事な財産の運用としては、「ありえない」状況だと思いますよ。年金の運用が国債消化に使われるのは、成長率や利率の高かったバブル期まではメリットがあったけれども、その後20年近くにわたるデフレと低成長の時代を迎えても、根本的にメスを入れられることなく、未だに温存されています。もちろん、巨額な運用損失を出して、国民にツケを回しているのは言うまでもありません。余談ですが、オーストラリアの年金(Superannuation)は、海外(英米)の世界的な運用会社の手によって、年10%以上の運用益をあげていました。私の滞在期間(2000~05年)は、豪州経済が絶好調だったこともありますが、それにしても頼もしい数字です。それ以上に嬉しかったのは、毎年、私が積み立てた額と、本年度の運用益と、老後に受け取れるであろう年金額が、きちんと報告されてくることです。これこそが、普通の資本主義国と、役所が独善的に国民の資産を運用する国との違いなのだと思いました。こんな事情もありますので、私や家族の老後資金は、今のところ1.自分が世界各国で行う投資2.オーストラリアの年金3.日本の年金という優先順位で、賄おうと考えております。今後、日本の年金運用に抜本的改革がなされるならば、優先順位2位にしても構いません。
2008年06月27日
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ケータイも、インターネットも、パソコンもWii-FITもない時代・・・私の子供時代、娯楽といえば、TVをおいて他ありませんでした。今ほど娯楽が多様化してないこともあって、当時、TVの人気番組は、クラスの誰もが見ていたものでした。私が小学校低学年の頃、40人のクラスなら40人全員が見ていた番組といえば、8時だヨ、全員集合でした。これは、TBSで土曜日夜8時から放映された、お笑い系バラエティ番組で、16年間も続いた長寿番組です。特に「ドリフターズ」(ドリフ)のコントが強烈だったので、上記番組は「ドリフ」と呼ばれていました。たとえば、「ドリフばっかり見てないで、少しは勉強しなさい!」みたいな言葉が、全国津々浦々で聞こえたものです。当時は、男の子なら「マジンガーZ」とか「タイムボカンシリーズ」、「仮面ライダーシリーズ」みたいなアニメ、特撮もの、女の子なら「魔女っ子メグ」、「魔法使いサリー」、「花の子ルンルン」みたいな魔女ものの番組が人気でしたが、「ドリフ」だけは男女問わずも、誰もが当たり前に見ていました。視聴率はピーク時で40~50%に達する、すごい番組。当時、「ドリフ」のメンバーで、一番人気のあったのは志村けんと加藤茶(それ以前、ハナ肇とクレイジーキャッツがメインだった時代があったようですが、私の生まれる前でした)。そして、1976年に志村けんがリメークした「東村山音頭」は、全国の子供たちに大ヒットしました。♪東村山音頭♪1. 東村山 庭先きゃ 多摩湖 狭山 茶所 情けが厚い 東村山4丁目 東村山4丁目2. 東村山3丁目 ちょいとちょっくらちょいとちょっと来てね 一度はおいでよ3丁目 一度はおいでよ3丁目3. ワーオ 東村山1丁目 ワーオ 1丁目、1丁目 ワーオ、 1丁目、1丁目 ワーオ、 ヒ!ガ!シ!ワオ村山1丁目ワーオ 当時は、誰もがドリフを見ていましたから、全国から子供たちが東村山を訪れて、交番で「東村山4丁目はどこですか?」などと聞きまわったものです。ですが実際には、東村山4丁目という地名は存在しません。東村山駅前にある「志村けんの木」(あいーんケヤキ)に、当時の面影をとどめるのみ。この東村山音頭、娘(もうすぐ3歳)に教えてあげたら、とても気に入ってくれたようで、「パパ、東村山 歌って♪」などとせがまれる始末。どの時代も、子供に愛され、世代を超えて歌いつがれる東村山音頭、ただものではありません。東村山を含む北多摩地域は、東京都心からアクセスが良いので、ベッドタウンになっています。全体的な印象として、「可もなく不可もなく」、特に大きな欠点はないけど、話題性も特にない、平々凡々とした東京郊外住宅地の風景が広がっているところです。ですが、この地域を縦横無尽に走る、西武国分寺線、多摩湖線、西武園線など、全長3kmくらいしかないミニ路線と小さくて可愛らしい駅が、単調な風景に彩りを添えています。この一帯の駅は、たいていホーム一つしかなくて、駅前もミニ商店街があったり、気取らない定食屋があったりと、なかなか感じが良い。欧米でいうVillage styleというやつですね。私が特に好きな駅が、武蔵大和駅(西武多摩湖線、東村山市)この小さな美しい駅に降り立つたびに、私はオーストラリア・ケアンズ郊外にある小さな鉄道駅・Redlynchを思い出してしまいます。
2008年06月25日
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所謂「シャッター通り商店街」が、社会問題になったのは、何年も前のことです。いまや日本の各地で、郊外型の大型店舗が攻勢をかけ、既存の商店街を衰退に追い込んでいると指摘されています。その時代背景のなかで、高齢者がクルマを運転しなくても、日常の買い物や通院が無理なくできるような、中心市街地の活性化、コンパクトシティの整備が、求められています。この問題は、古くは1988年の、大店法(大規模小売店舗法)改正論議にさかのぼります(施行は2000年)。大店法は、もともと百貨店・量販店といった大規模店舗の出店を調整することにより、地域小売業者の事業機会を保護しようとするものでした。が、実際は既存商店街による、大規模店舗への立地反対など、既得権保護に使われる面が大きく、大規模流通業界や米国の猛反対を受け、結局、廃止に追い込まれました。大店法改正論議が盛んなりし頃、「大規模店舗が進出すると、既存商店街が寂れる」という議論がありましたが、私には、その理屈が理解できませんでした。私の生まれ育った柏という街は、大規模百貨店がワンサカ進出していますが、地元の商店街もよく踏ん張って、共存共栄の関係を築いていたからです。ですが柏の周囲を見渡すと、大規模店舗の進出により、既存の商店街が衰退した例が、星の数ほどあります。その多くは、昔から先祖代々続く商店街で、店主が時代の変化に合わせて業態や品揃えを変えようともせず、「昔は、うちの店でたくさん買ってくれたのに、今はスーパーとやらに行って、見向きもしない。恩知らずめ!」と、客にガンを飛ばすような店が多かったのです。消費者の立場からすれば、お客様にガンを飛ばすような商店街は、つぶれて当然。この資本主義社会のなかで、存在価値がないことを、自ら主張しているようなものです。衰退するのは自業自得。ですが、その街に暮らす住民にとってみれば、地元の商店街は、街の共有財産のようなものです。地元の商店街が元気であれば、徒歩圏で生活に必要なものを揃えられるし、外来者にも活気のある街だと好感を持たれるので、自宅の資産価値も守りやすい。逆に、それが衰退してしまったら、不便になるばかりか、街の印象が悪くなるし、シャッターに落書きでもされたら、治安の問題さえ出てくる。つまり、街が生命を保ち続けるためには、地元の商店街を、地域住民に支持されるような状態に、常に保っておく必要があるのです。地元の根強い支持を受ければ、商店街も利益が出るので、末永く、商売を続けることができます。ここで課題になるのは、時代の変化についていけなくなった商店主を、いかに商店街から退出させて、新しいプレイヤー(商売人)に交代させていくかという、「商店街新陳代謝の設計」です。日本の多くの既存商店街では、商店主が地権者であるケースがほとんどです。地権者は、商売が儲からなくなっても、その地に居座り続けたがる。ビジネスをやりたい人に、軒を貸すことも嫌えば、再開発の話には、徹頭徹尾、反対する・・・という傾向が強い。その結果、既存の商店街は、いつまでも旧態依然とした、寂れたままの姿をさらすことになる。これでは、誰のためにもなりません。突き詰めて考えれば、いまの日本では「地権」が強すぎることに、根本的な問題があるのでは・・・日本では往々にして、土地を占有する権利が、土地を利用する権利と同一の意味になってしまう。土地を占有する者(例えば商店街の店主)が、その土地を利用する上で一番最適な者とは限らないのに、彼らは地権にしがみついて、排他的な土地利用権を持ってしまう。その結果、いつまで経っても、街の新陳代謝が図られない・・・これが、日本各地にシャッター通りを生み出す温床になっているのではないかと思います。これが英米社会であれば、ずいぶん事情が違ってきます。かの国では、地権にこだわる発想がなく、多くの商店主が、「ビジネスの価値を上げて、高く売り払う」ことを目的にしていますから、小規模商店の新陳代謝は非常に盛んです。その結果、その地で商売を営む上で最適な人が経営することになるので、効率も概して高い。もっとも日本では、全く文化風土が違うので、英米モデルの導入は難しいでしょう。日本は稲作農耕を基盤にした社会。自分が占有を認められた土地で、一所懸命、丹精こめて作物を育てる、それを何千年も営んできた社会です。また奈良時代に制定された墾田永年私財法以来、この国の政治権力は、排他的な土地所有権を人々に保障することを前提に、成り立ってきました。土地所有という概念が、日本人の頭から抜け難いのであれば、せめて、所有権を利用権と分けて考えて、最適な土地利用者が所有者に最大の利益をもたらす、というビジネスモデルを考えてはどうだろうか?たとえば、商店街が、意欲ある新規参入者に「軒貸し」して、地代または配当を得るというモデルとか・・・見ず知らずの者に軒貸しするのが不安だと言うのなら、自治体が間を取り持つのも良いでしょうし、「もし、オーナーが商売の再開を希望するなら、2年前通告で返還する」みたいな契約を結んでも良いでしょう。あるいは、ガバナンスの面に着目して、「商店街の会頭は、60歳になったら定年する」という規約を作ってもいいかもしれません。商店街の脳みそとエネルギーを、常に若返った状態にすることを、この条項で担保できるからです。そういった工夫によって、地元の商店街が「最適な利用者」によって経営されるようになれば、今よりもっと活性化するでしょうし、街も生き返ってきます。個性ある商店が競い合うようになれば、大規模店舗の進出なんて怖くない。なお、上に書いた工夫は、商店街だけでなく、郊外住宅地の分譲にも適用できると思います。この場合は地権者が農家になるわけですが、地権者が土地を細切れに切り売りするのではなく、一番、利益をもたらす者(例.優秀なディベロッパー)に開発を一任して、大きな配当収入を得る、というモデルです。こうすれば街並みもきれいになり、土地の価値も上がるし、地主さんは儲かるし、良いことづくめだと思いますよ。一人でも多くの日本人が地権の呪縛から解放されることを。そして、我が東葛地域から、寂れた商店街と、統一性のない分譲住宅地が根絶される日が来ることを、夢見ています。
2008年06月23日
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読者の皆様の多くは、狭山茶(さやまちゃ)をご存知のことと思います。狭山茶は、東京の西の近郊、埼玉県入間市をはじめ、所沢市、狭山市、飯能市、そして東京都北多摩地域を産地とするお茶です。古くは鎌倉時代から、栽培の歴史があり、日本中に広く知られるようになったのは江戸時代。「色の静岡、香りの宇治、味の狭山」といわれるように、厚みのある茶葉と、甘くて濃厚な味を特徴としています。狭山茶(Wikipedia)狭山茶の主産地は、東京の新宿から、西武電車わずか1時間ほどの通勤圏に位置しますので、東京に通勤するサラリーマンの住宅地と、茶畑が混在する風景が見られます。とはいえ、埼玉県入間市にある「狭山台」という台地には、広々とした緑の茶畑が広がり、人の目を和ませます。10年ほど前、埼玉県が発行した、「21世紀に残したい埼玉の風景」という写真集で、見事ナンバーワンに輝いたのもここです。私がこうやって、狭山茶を宣伝するのは、美味しいからです。昨年の夏、狭山路を歩いて、茶畑の広がる「狭山台」の最寄り駅、JR八高線の金子駅前にある、閑古鳥が鳴くような売店で、ヨボヨボのおばあさんから600円の狭山茶パックを買い、家で淹れてみたら驚くほど美味しい!実家に持っていったら、私の母が、「こんな美味しいお茶、何年ぶりだろう!」と、感動していました。600円じゃなくて、1200円くらい出しても買いたいくらいの、クオリティでした。狭山茶のふるさとは、日本の茶産地のなかで、最も都市化が進んでいます。要は、東京のベッドタウンとなっています。ですが、最近の日本は人口減少時代に入り、この一帯は「斜陽のベッドタウン」化の危機に瀕しています。1970年代頃に、この地域に移住した層が高齢化し、その子供たちは地元に残らないために、少子高齢化が、猛スピードで進んでいます。この辺は東京通勤圏としては、遠い部類に入るうえに、西武鉄道も当地域の交通アクセス改善に力を入れてこなかったために、長い通勤時間が、若い世代から敬遠されているのです。狭山市や入間市では、一部の例外を除き、魅力的な市街地が形成されておらず、都市インフラも、周辺市に比べて未整備が目立ち、このまま放置すれば、近い将来、「高齢化率50%、スーパーはおろか、コンビニや病院さえない、カラスも通わぬ新"山村"」になるかもしれません。狭山市はすでに、同県春日部市や茨城県取手市などと並び、東京郊外としては最速の人口減少を記録しています。衰退を防ぐべく、地元では総工費280億円をかけた、中心駅「狭山市駅」周辺の大規模再開発を打ち出しています。狭山市駅西口地区整備事業この計画は、既存市街地の再開発と、新市街地の整備が打ち出されていますが、280億円もかけて、衰退からの起死回生を図りたいのなら、東京郊外のどこにでもあるような街になってしまっては意味がない。斬新な発想で、いかにして、価値ある市街地のコンテンツ(中身)を創りだせるかが、問われていると思います。そのコンテンツは、もちろん、言わずとも分かるでしょう。「狭山茶を軸とする、飲食文化の中心地」を目指すのです。これ以外、考えられません。800年もの間、先人たちが創りあげ、磨き上げてきた狭山茶の伝統と、日本中に聞こえた名声。それを活かさない方法はない!お茶は、世界中で最も愛されている飲料の一つです。古今東西、いろいろな文化、民族に受け入れられ、その地域風土にあった、飲み方、食べ方、使い方が開発されてきました。「お茶」という素材は、それ自体、日本を超えて、世界と直結しうるパワーを持つために、狭山から、世界に通じるビジネスモデルを造ることだって可能です。お茶は、製法によって緑茶にも紅茶にも、ウーロン茶にもなりますし、その飲み方、食べ方は、他の食材とあわせれば、それこそ無限のバリエーションがあります。お茶菓子、抹茶アイス、茶そばなど、緑茶をベースとした日本的な活かし方の他、韓国には柚子茶、生姜茶、朝鮮人参茶など、バラエティ豊かな飲み方がある。中国には飲茶(お茶を味わうより、食べる方が中心だけど)文化がありますし、また「擂茶」といって、お茶に胡麻と黄粉を混ぜて、すり鉢で擦って食べる方法もあります。ブロック型の磚茶を、ミルクティにするのは、アジア各地の山岳民族、遊牧民族の間に見られる習慣です。西洋に行けば、スコーンと紅茶を優雅にいただく、「デボンシアティー」という習慣がある。お茶を主要な題材として、日本に限らず世界の茶文化を紹介する、テーマ的な飲食店が建ち並ぶ「狭山茶ストリート」を、狭山の地でつくれないものか?せっかく大規模再開発をやるのなら、「狭山茶ストリート」を、新市街地の目玉にできないものか?昨年、狭山路を歩いてみて、お茶をテーマにした飲食店が非常に少ないことに気がつきました。西日本の代表的な茶産地である宇治では、宇治川の清流のほとりで、風流な甘味処が並び、抹茶、あんみつ、ぜんざいなどを出し、観光客で賑わっていました。でも狭山茶の産地には、それに相当するものが見られない。逆にいえば、現時点ではライバルが居ないという意味で、「狭山茶ストリート」を立ち上げる、またとないチャンスだと思います。妄想はさらに続きます。狭山市駅の西側は、入間川に向かって緩やかに傾斜する地形になっています。そこに、東京下町の親水公園を参考にして、人工の清流をつくって、その両側に宴席をつくって、狭山名物のお茶菓子で涼めるようにしたらどうだろう?この傾斜地には、緑も豊富に残っているので、借景としても悪くない。いわば、京都名物「貴船の川床」の関東版を、狭山につくるという構想です。「狭山茶ストリート」、「狭山の川床」・・・これらの構想が立ち上がったとして、その成功で最も恩恵を受けるのは、たぶん西武鉄道でしょう。いま西武新宿線では、新宿と本川越の間で「特急小江戸号」を走らせていますが、人気はいまひとつ。それもそのはず、主要観光地である川越には、西武だけでなく、東武東上線が池袋と直結していますし(しかも距離的にはずっと短い)、JRなら埼京線、りんかい線経由で、大宮、池袋、新宿、渋谷から新木場まで直通する快速も走っています。わざわざ特急料金を払って、小江戸号で川越に行きたいと思う人が、果たしてどれだけいるのか?ですが、もし狭山が、「狭山茶ストリート」でブレークできるなら、状況が全く変わってきます。小江戸号の行き先に、狭山、川越という、二つの目玉観光地ができるのであれば、客足も全然違ってくるでしょう。そう考えると、狭山茶文化の振興には、西武鉄道が一番貢献するべきとも思います。私の主張の根底にあるのは、こういうことです。狭山地方が、東京のベッドタウンという枠組みで、勝負しようとしても勝ち目は少ない。狭山市と入間市が力を合わせても、たとえば所沢市に勝てる見込みがあるのか?都心への距離、アクセス、商業集積・・・どれをとっても、勝負にならないでしょう。ですが発想を変えて、狭山茶というコンテンツで勝負して、お茶文化を軸とした観光都市を目指したらどうなるか?勝率はかなり増すのではないでしょうか?東京近郊で、お茶の主産地はここしかないし、また上に述べたように、狭山茶を売り物にした観光地はまだ存在しないから、ライバルもいない。首都圏3500万人マーケットに、アピールする要素は、羨ましいくらい揃っているのです。さらに、お茶は世界につながる飲み物ですから、全世界に向けたお茶文化を提唱するステージにもなりうる。SAYAMAという、人類の誰にも発音しやすい地名を冠したブランド茶が、将来、上海やパリのレストランで、振舞われるようになったら、この地域にはどんな未来が待っているのか?考えただけでも、楽しくなります。最後に、私見ですが、狭山市と入間市は、合併すべきだと思います。合併後の市名は、ずばり狭山茶市本邦初はもちろん、世界初(たぶん・・・)、茶を市名に冠したケースとなるでしょう。お茶観光・狭山を売り込む、最高の名前だと思います。こちらもご覧ください:2007年8月「狭山路紀行」
2008年06月22日
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人間と「ニオイ」(臭い)の関係には、興味深いものがあります。他人が発する臭いを嗅ぐのは、確かに不快なものだけれど、自分が発する臭いを他人に嗅がれるのは、さらに大きな心理的打撃になりうる。早い話が、誰だって自分が他人から「臭い奴」だと思われたら辛い、ってことです。父親という立場でいえば、今まだ2歳の娘が、15歳くらいの年頃の娘になった時、「パパ臭い!あっち行って」なんて言われたらどうしよう・・・・と、漠然とした不安を覚えることがあります。世の中に、「加齢臭」という言葉がありますよね。人間(特に男性)は、50歳くらいになれば、どんなに気をつけていても、加齢に伴う特有の臭いを発してしまい、周囲に不快感を与えることがあるそうな。とはいえ、臭いの感じ方には、個人差があるんでしょうけどね。私などは、50歳くらいの男性とよく会うけど、加齢臭なんて感じたことはないわけで・・・・だからちょっと不思議な気がするのです。加齢臭が、生物としての人間が発する自然な臭いであるならば、なぜ世の中、気にする人が多いのかと。私の子供の頃なんか、「加齢臭」なんて言葉自体、なかったわけですし。とはいえ、娘が15歳くらいになれば、私は50歳前後になっているわけで、そうなった時、娘がパパの加齢臭(もしあれば・・・)を、気にしないで欲しいなと、ひそかに祈っているのです。今、まだ娘は小さいので、パパが腕立て伏せする時、背中に乗ってキャッキャとはしゃいでくれるし、会社から帰ってきたら、「パパ、おかえり」と言って、抱きついてくれるし・・・こういうスキンシップは、いつまで続くのか?娘はいつまでも幼児ではありません。今後、成長して女性らしくなっていくわけですから、パパとのスキンシップも、次第になくなっていくのでしょう。それでもまあ、いつまでも近しい父娘の関係であり続けて欲しいと、心から願っています。
2008年06月20日
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午後10時10分。東京江東区扇橋2丁目。私は最近、健康とメタボ対策のために、ほぼ毎晩、仕事帰りに、都営新宿線の住吉駅で下りて、そこから約3km、早足で歩いて30~40分の道のりを、我が家まで歩いて帰っています。その道中、小名木川を渡る橋のたもとで、ふと見上げる地名表示板、「扇橋2丁目4」と書いてある。いかにも、日本としか言い様のない住所表示に、ふと、「俺はなぜ、いま日本に居るんだろう?」と、不思議な気分になります。日本で生まれ、育っていても、海外(オーストラリアと中国)で過ごした7年の歳月は、私のものの見方、感じ方に、大きな影響を与えているようです。日本の地名を見ただけで、不思議な気分になることも、多々あります。そんな時、6年ぶりに日本で出勤した、2006年6月26日の日記を読み返してみる。今から、ちょうど2年前のことです。「そういえば、東京でサラリーマンやるのって、6年ぶりなんだよなあ。東京で最後に出社したのは、2000年の3月。シドニー・オリンピックがまだ始まってない頃の話でした」「あと、職場で主に日本語を使うのも、よく考えれば6年ぶりなんですよねえ。」周囲で日本語だけが飛び交っていることに、不自然さと新鮮さを覚えたあの日のことを、今でも鮮明に思い出します。私はなぜ、いま日本にいるんだろう?きっかけは偶然でした。中国・大連で働いていた時代、日本でプロジェクトが立ち上がり、「鈴木さんに、是非来て欲しい」と頼まれて、6年ぶりに、故国の土を踏んだのです。その時点で、日本にUターン移住する気は、ほとんどありませんでした。あれから2年。私はすでに、生活の拠点を日本に移し、外国で生まれた妻と娘とともに、東京に住んでいます。なぜ、こんなことになったのか?理由は、特にないのでしょうね。我が人生において、自分にとって気持ちの良い生き方を追求した結果、たまたま今、日本にいるという、ただそれだけの話なのでしょう。ですが不思議なことに、日本に暮らすうちに、ある種の使命感のようなものが、俄かに頭をもたげてきました。これは、私が見かけによらず齢を重ね、いつしか40歳近くになったことも影響しているのでしょう(気持ち的には、20代後半くらいだけどね・・)。私は日本を、そして故郷の柏を良くしたい、明るくしたい。そのために、いま日本に居るのではないかと、時々思うのです。そんな時、宮崎県知事となった、そのまんま東こと、東国原英夫氏の著書「宮崎発~日本を変えんといかん」を読んで、じーんと来る。ちょっと引用しますと・・・僕は、故郷を出て30年間、東京で暮らしました。芸人という生活の基盤もおおむね東京です。そういったいわば、これまでの人生の土台を全て打ち捨てて、宮崎に骨を埋めようと考え宮崎を故郷に持つ人間として、私は宮崎の現状をこのままほっとくわけには行かない。宮崎のために私ができることを、とにかく全てやりたい。私の持っている全てのエネルギーやマンパワー、ネットワークをフル活用し、この豊かな宮崎を日本国中、世界中に全力でPRしていくことで、宮崎再建・宮崎自立に尽くしたいここに出てくる「宮崎」という言葉を、「日本」あるいは「柏」に置き換えれば、いまの私の気持ちとぴったりきます。先日、私は「かしわハート大使」の名刺をつくり、職場で何枚か配りました。「これは、会社のじゃなくて、プライベートの名刺なんですが・・・うちの地元の柏を自慢するための名刺です!」と言いつつ、何人かに手渡しました。そこで、ひとつ面白いことに気づきました。自分の生まれ育った柏を自慢することは、移住先として選んだオーストラリアを自慢するよりも、ずっと気持ちが良いと。もちろん、これは個人の感じ方なんでしょうけど・・・。先日、近所の図書館で、「日本がだめなら、ニュージーランドがあるさ」という本を読みました。これは、日本のバブルが崩壊して、「失われた10年」の真っ只中に書かれた本で、そこには、活力・魅力がなくなった日本と対比して、行財政改革に成功し、移民流入を背景に、順調な経済成長を遂げるニュージーランドを賛美しつつ、日本人が財産を持って同国に移住・投資することのメリットを説いています。でもまあ、どうなんでしょう。これは個人の価値観の問題だけれど、私はどうしても、「ダメな日本を捨てて外国へ行こう」と、提唱する気分になれません。私は日本のメシを食って、大きくなった人間。家族親戚も、みな日本に住んでいます。日本をダメだ、先行きが暗いと言う前に、この国のために、人々のために、自分が出来ることをやりたい。私は日本を、そんなにホープレスな国だと思わないし、まだまだ、捲土重来を期す力は十分残っていると思う。問題は、自分の国や社会に対する、日本人の自己評価が異常に低いことではないでしょうか?自分が大事だと信じるものは、絶対に安売りしてはいけない、これは人生の鉄則です。たとえば、年収700万円もらえる市場価値のある人が、「私は大した者ではないから、年収300万円いただければ、それで十分です」みたいなことは、絶対に言いませんよね。しかしその対象が、社会とか制度とか、定量化できないものになると、自己評価が途端に危うくなる。特に今みたいな沈滞ムードの時代になると、「人口は減る、所得は減る。こんな日本に、投資してくれる人がいるのだろうか?」「日本が移民を受け入れても、門戸を叩いてくれる外国人が、果たしているだろうか?」私はこれまでいろんな国に暮らした経験から、日本には十分なポテンシャルや魅力があると思うのですが、日本を出たことない人には、それが見えないのかなあ?柏だって、同じこと。住民の所得水準からいえば、東京の山の手側の、多摩地域の中の上くらいのレベルなのに、自己評価が低いせいで、住宅地の安売りばっかりしてしまう。自分の土地を、大した価値のあるものだと思わず、せいぜい足立葛飾の下くらいだと思っているから、地権者も平気で、安く切り売りしてしまう。本来、そんな安い土地ではないはずですよ。まずは、自信を持つこと。やればできると信じること。そして、頭を使って力を合わせれば、もっと良い国になれる。世界一になれる。再び、輝くことができる・・・そういう発想で、新しい国づくり、地域づくりに邁進していかなくてはならない。私を育んでくれた社会のために、微力ながら、その一助になりたい・・・それが、いまの私にとって、一番気持ちの良い生き方なのだと思っています。
2008年06月19日
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人口減少時代に入った日本で、ついに、移民政策が動き出そうとしています。その発信源は、時の政権与党である自民党。幹事長・中川秀直氏率いる外国人材交流推進議員連盟(議連)は、「今後50年間で1000万人(総人口の10%)の移民受け入れ」を打ち出し、報告書素案をまもなく福田首相に提出する予定です。日本の政界ではこれまでも、バブル期の人手不足などを背景に、移民受け入れに関する議論が散発的に行われてきましたが、その都度、迷宮入りになり、本格的な政策論議に発展することはありませんでした。今回の自民党の動きが、これまでと違って、本格的・具体的な政策構想になりうる予感がするのは、政権与党の幹事長をはじめ、有力議員80名が軒並み名を連ね、来年度の法案提出を目指していること。またその思想も、安価な単純労働力の導入ではなく、高スキル労働者の、家族を連れての定住を前提に、それにふさわしい社会システムの再構築、言葉を換えれば「多民族・多文化国家への移行」をうたっていることです。これまでの自民党と比べると、危機感、本気度が違う、という印象を受けます。移民の大量受け入れは日本にとって未経験、かつ政治的にセンシティブな問題なだけに、今後、どの時期に、どのようなかたちの政策構想にまとまるかは、予測がつきません。中間報告が出ても、その後、党内調整、衆参両院での論議、各省庁との調整を経るわけで、その家庭で、骨抜きになる可能性も十分ありうるでしょう。私の意見は、移民政策は政治家の強いリーダーシップで、断固進めるべきだと思います。日本国の少子高齢化と、経済社会の活力減退は、もはや待ったなしの状態です。マイナーチェンジをやっている時間的余裕はなく、人口構造を変えるための抜本的な外科手術(社会システムの作り変え)は不可欠。今後、日本が活力を保ち続け、豊かで夢のある社会になっていくためには、1)少子化対策(出生率向上)2)女性、高齢者の労働参加促進3)移民の受け入れ(高スキル労働者と、その家族が中心)上記3つの政策は、いずれも欠かせません。仮に1)が成功したとしても、その効果が現れるまでに最低20年かかります。その間は、2)と3)を同時進行で進めなくてはならない。国民のコンセンサスを、待っていてはだめです。移民受け入れの国民コンセンサスなど、どんな先進的な移民国でも得られないのですから・・・今こそ、政治家が立ち上がり、強いリーダーシップで、国民を説得し、かつ、外国に対して、「開かれた日本社会」をアピールしなければならない。移民受け入れは、日本各地の地域コミュニティに、大きな変化を迫るものです。雇用、住居、教育、社会福祉、医療など、あらゆる種類の社会問題に直面するでしょうし、場合によっては、大きな軋轢も生むでしょう。日本の社会は、それを乗り越えなくてはならない。その延長線上に、豊かで夢があり、オープンで包容力のある、新しい日本社会が現出するのだと思いますとはいえ、私の立場からすると、「ちょっと待った!」と言いたい。移民受け入れの前哨戦として、戦略的に取り組むべきテーマが、一つあると思う。それが、海外移住した日本人の帰国・定住促進です。かくいう私も、7年間にわたる、海外での暮らしを経て、日本にUターン帰国してきた一人です。言語、文化、習慣を異にする外国人を、日本社会に適応させるのは、実際問題、難易度がかなり高いし、本人や地域社会の多大な労力も必要です。一方、日本で生まれ育ち、海外暮らしを経て、日本にUターン帰国するのであれば、上記よりはるかに少ない労力で、日本社会になじませることができます。そんな「Uターン帰国者」を、日本社会がどれだけ外に開かれているかの、リトマス試験紙として使うことはできないのか?あるいは、彼らの声を、いかにして外国人に「移住してもらうか?」の、政策立案に生かすことはできないのか?「やらない理由はない」と、思いますけどねえ。そうだ、自民党の議連に、メールしてみよう!私の意見を、聞いてくれるかもしれない。ま、それはともかくとして、私は、日本社会が多文化・多民族社会に生まれ変わろうとする、その転換期に、日本にUターン移住したことは、正解だったと思います。かつ、移住のタイミングが、30代後半という、働き盛りの時期だったことを、神に感謝せずにはいられません。なぜ、そう思うのか?それは、いま日本社会が、かつてないほど、海外生活を経験した私のような人材を、切実に必要としているからです。私が身を置く、日本のIT業界の現場は、もはや日本人ITエンジニアだけでは回りません。「日本人を連れてきて欲しい」という、お客さんの声を受けつつも、私の手元に届く履歴書は、日本に住む外国人エンジニアばかり(中国人、韓国人が中心)。インドのIT企業という事情もあり、我が職場は、日本語、英語、中国語が日々飛び交っています。したがって、いろんな国籍、バックグラウンドを持つメンバーで構成されるチームを運営することが、我が職場の必須のスキルになりつつあります。そこで、オーストラリアや中国で、現地のエンジニアと同じ釜の飯を食ってきた、私の経験が大いに生きることになる・・・。それだけではありません。外国、特に西洋文化圏のオーストラリアで身につけてきた、Assertive(言いたいことを、筋道立ててはっきり主張する)という技能が、日本の職場を良くするために、大いに役立っています。今の職場で、私は外注という立場ですので、一部の社員の方から、時にはひどいことを言われたり、不条理な扱いを受けることもあります。そんな時、自分を押し殺して我慢することなく、「いくらお客様でも、悪いことは悪い」と、Assertiveに主張することによって、私は自分の身を守ってきましたし、また、チームメンバーにも推奨してきました。このことが、職場の風通しを良くすることに、貢献してきたと思います。私が感じたことは、「最近の日本のビジネスマンは、ちゃんと主張すれば、聞く耳を持ってくれる」ことです。組織上の立場やしがらみ、情念に縛られるよりも、理念、ロジックの世界で物事が動くようになってきた・・・日本の企業社会も、静かに変わりつつあるようです。仕事だけではありません。日本で暮らすことは、老後に向けた資産形成の上でも、非常に好都合だということに、私は気づきました。巷では、預金しても金利がつかないとか、年金制度が破綻するとか、狂乱物価で家計が破綻するとか、景気のよくない話ばかり、飛び交っています。しかし、違った視点で物事を見るとどうでしょう?私が特にすごいと思ったのは、「シドニーの都心近くで、小さい中古マンション1軒買うお金があれば、日本の地方都市や首都圏近郊で、単身者用の中古マンションを10軒買える」ということです。一生に1軒しか買わないのなら、日本で不動産買うのは確かに損かもしれませんが、10軒買えるのであれば、いろんな都市圏、沿線で、築年数、間取りにバラエティをもたせて、分散投資をすることができる。またそれにより、経年劣化や地震のリスクを抑えることもできるのです。年に1軒づつ買い足して、家賃収入を得ながら、複利、複利で運用していけば、10年後どうなるか・・・。私はこれまで、好景気に沸くオーストラリア、中国で過ごしてきましたが、あるいは日本にいた方が、40代でRetire rich(財産や固定収入を十分残して現役引退)するチャンスが大きいのかもしれないと、時々思ったりします。ま、もっとも、私は40代の若さで引退するつもりは毛頭ありませんけどね。それでも、「お金のために働かなくて済む」ようになるのは、大きな魅力ではあります。もちろん、日本での暮らしは、良いことづくめではありません。オーストラリア、あるいは中国の暮らしを、懐かしく、好ましく思うことも多々あります。ですが少なくとも、日本は私にとって、「思ったよりずっと住みやすくて、ずっと面白くて、チャンスに溢れた国」であることは、自信を持っていえます。日本から海外移住した皆様、海外暮らしで培った能力や生き方を、いつの日か、母国・日本で活かしてみませんか?日本の社会は、これから、新しく生まれ変わります。その過程で、あなたの参画を、是非とも必要としています。外国の空気を吸ってきたあなたこそ、日本の社会に、新風を吹き込むことができる。あなたの能力と経験は、日本各地の職場で、家庭で、地域社会で、あらゆる面で、活かされるはずです。そして私は、Uターン移住しようとする方々を、どこまでも応援します。
2008年06月18日
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今日は野暮用があり、朝早くから柏へ行っておりました。用事が済むと、JR常磐線快速に飛び乗って、日暮里経由で、新宿の職場へ出勤しました。久しぶりに乗る常磐線と、車窓からの景色。懐かしかった・・・私は高校時代の3年間と、社会人になってからの2年間、ずっとこの景色を眺めてきました。柏・松戸の、新緑のまぶしい一戸建て中心の住宅地から、江戸川を越えると、時折り工場のみられる、マンションと密集家屋が混じる下町の風景に変わります。日暮里に近づくほど、密集度も増してきて、柏から約25分間の旅が終わります。マンションは多少増えましたが、相変わらず垢抜けない景色だなあと、思いつつも、私にとっては、かけがえのない故郷の風景であることには変わりありません。しかし、私の大事な故郷・常磐沿線を含め、東京下町、千葉県・埼玉県の郊外都市は、昔も今も、東京の都心部や西側に暮らす、所謂「山の手住民」の差別、偏見の目にさらされてきました。一昔前は、「汚い」、「貧乏」、「治安が心配」、「煙モクモクのイメージ」・・・昨今では、「負け組沿線」、「パ・リーグ地域」、「価値のない土地」などという言説が、幅をきかせています。上のようなことを言う人間は、ほぼ決まって、我が地域をよく知らない。たとえば、東京下町と千葉県郊外とでは、実際、生活環境も住民層もライフスタイルもずいぶん違うのですが、多くの場合、一緒くたにされる。実際、東京の西側に住んでいると、その違いに気づくのは難しいし、また心無いことを言う人間ほど、下町や千葉埼玉のことなど、はなから知る価値もないと思っている。ひどい場合には、ほとんど足を踏み入れたこともないのに、否定的なコメントをする者もいる(参考;私の西高東低論)。ま、奴らには好き勝手言わせておけばいいさ、という考えもあるでしょう。でも、次のことを考えたとき、私たちは果たして安穏としていられるでしょうか?首都圏のほぼ全ての地域は、東京に通勤する住民と富の争奪戦を繰り広げている首都圏のほぼ全ての地域は、東京都市圏が必要とする迷惑施設の押し付け合いをしているたとえばの話、なぜ、政財界人、セレブな人々、スーパーリッチな人々など、お金と影響力のある人々は、東京の都心や山の手に住むのでしょう?。なぜ、東京の清掃工場やし尿処理場は、麻布とか表参道じゃなくて、下町や湾岸地域につくられるのでしょう?都心や山の手に住む、お金と影響力を持った人たちが、ふと、下町や千葉埼玉に対する偏見を漏らすとき、それはマスメディアや広告に乗って、大変な影響力を持ってしまいます。たとえそれが、無知に発する偏見であったとしても、彼らの言説は都市イメージにも影響して、住民争奪戦や不動産価値、自治体の財政状況にも影響を与えてしまうのです。さらに、下町、千葉埼玉に対するマイナスイメージは、セレブや有名人に迎合するお調子者の手によって、どんどん、増幅してしまいます。「負け組」とか「パリーグ地域」とか、最近できた言葉ですよね?上に見るように、都市イメージの点では、「持たざる側」に置かれている。強者からの、いわれない差別偏見にさらされ、いつでも不利益を被る。この冷酷な現実を、東京下町、千葉埼玉の人間は、肝に命じなければならないのです。そういえば一昨年、東京足立区を題材にした「ルポ下層社会」という、ショッキングなレポートがありましたね。あの文章は、子供の頃から足立の風景に親しんだ私にとって、痛ましいものでした。上記は、「文芸春秋」でノンフィクション作家・佐野眞一氏が、綿密な現地調査をもとに書いたルポです。格差社会を告発した点で、社会派ルポとして高い評価を得ているようです。一方、一方的に「下層社会」呼ばわりされた足立区は猛反発し、抗議文を公表するなど、とにかく賛否両論が分かれる文章です。私は、あの文章を何度も読み返しました。確かに、力作であること、読み物としてのクオリティがそれなりにあることは認めます。ですが、足立の地べたに、足をつけて生活している人々のことを思うと、とてもじゃないが、あれを高く評価する気にはなりません。まず第一に、たとえ格差社会を告発するためとはいえ、64万もの人々が暮らす足立区を名指しで、下層社会とレッテルを貼り、「文芸春秋」というメディアに載せて、全国に発信することによって、地域イメージを著しく損ね、地域の人々の心を傷つけたことに対する反省や後ろめたさが、感じられないことです。貧困問題は、一部地域を除いて、東京のどこにでもあるわけで、いくらリアリティを重んじるルポとはいえ、足立区だけを名指しする必要があったのかどうか?「東京某所」でも良かったし、複数の区を題材するのでもよかったのではないか?格差を告発する目的のために、特定の区名を絨毯爆撃するのは、例えは悪いけど「誰でもよかった殺人」のような、後味の悪さがあります。また第二に、足立の地で、貧困問題の解決や、地域のイメージアップに向けた行政の努力を、佐野氏が「格差を隠蔽するための意匠すなわち虚飾に過ぎない」と論断したこと。確かに、足立区の現状も行政も、イケてない面は多々あるでしょう。でも、行政も住民も、足立に住んでいるという、その現実から出発しなくてはならないし、重苦しい現実を目の前に、一所懸命努力しています。それを、あんな書き方をされたら、地域の人々はどう思うでしょう?仮に、佐野氏が足立区に住んでいたとしたら、果たしてあのルポを書いただろうか、または、文芸春秋の編集長が足立区在住だったら、あれを全国に発信しただろうか・・・それを考えるにつけ、都市イメージを「持たざる地域」に置かれた悲哀を感じざるを得ません。足立は持たざる地域だからこそ、佐野氏の商売のネタに利用されて、大きなダメージを被ったのです。差別偏見を、どうするのか?残念ながら、人類から差別偏見をなくすことは、不可能でしょう。私にだって、少なからぬ差別偏見はあるし、一生、ゼロにはできないと思っています。かといって、我が愛する地域が、一生、蔑まれて終わるわけにはいかない。差別偏見を受けているという事実から目をそむけたら最後、住民争奪戦・富の争奪戦という「首都圏ゲーム」のなかで、さらに不利益を被るだけだからです。つまるところ、馬鹿にされないだけの実力をつけるしかないと思うのです。東京の東側であっても、浦安や幕張は、すでにイメージ向上に成功し、柏とその周辺地域は、それに続こうと、いま頑張っています。そう、やればできるのです。大東京は、敗者復活が可能な都市なのです。私の夢は、「首都圏における柏の地位、常磐線の地位を向上させること、都心・山の手側からも、一目おかれる存在にすること」です。私は、常磐沿線に育ったおかげで、パワーエリートや、「持てる者」に対する強烈な対抗意識を持ち、今日に至っています。「いつか、奴らを見返してやる!」という情念が、私に絶えず、エネルギーを注ぎ込んでいます。「いつか、必ず・・・」、常磐線が江戸川を渡るとき、「とんがり帽子の取水塔」を眺めがら、私は、決意を新たにするのでした。
2008年06月16日
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うちの奥さんは、西洋文化圏で育ったからなのか、子供の頃からコーラが大好き。ペプシ、スプライト、サイダー、ファンタ・・・世の中に、清涼飲料水はたくさんあれど、やっぱりコーラが最高だと、彼女は思っているようです。世界のどの国に行っても、ダイエットコーク、チェリーコーク、レモンコーク、コークZEROを欠かさず飲み、長年、コカコーラ社の良い顧客であり続けています。世界中でコーラを飲むものだから、コーラについてのヘンな薀蓄、造詣もついてきました。たとえば、「台湾では、缶コーラより、ペットボトル詰めのコーラの方が美味しい」「日本では逆に、ペットボトル詰めより、缶コーラの方が美味しい」だから私も、事あるごとに、「缶コーラ買ってきて」と頼まれるわけですが、この缶コーラ、今年に入ってから、とみに手に入りにくくなったと感じます。去年まで、缶入りのダイエットコークは、我が家の目の前にあるコンビニ「サンクス」に行けば、ほぼ間違いなく手に入るものでした。ところが今年に入る頃から、缶入りのコーラが、ほぼ全て、ペットボトル詰めに置き換わってしまいました。今や缶コーラは、ここ東陽町近辺では、「スーパータイヨー」、「西友」からも姿を消し、「OKマート南砂団地店」でしか、手に入らないものになってしまったようです。それでも我が家は、夏場は缶コーラを絶対に飲むので、こないだOKマート」、何ダースもまとめ買いしてしまいました。まるで、石油ショック直後みたいな消費行動。これは、もしかして世界食料危機の前兆なのでしょうか?でも、「2リットル入りのペットボトル詰めコーラ」は、たいていのコンビニに置いてあるので、コーラが不足するよりは、メーカーが缶容器を使わなくなったのかもしれませんね。
2008年06月15日
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今回はずいぶん、大げさな日記のタイトルですねえ・・・これもご愛嬌ということで。私も、先日晴れて、「かしわハート大使」になることができました。会員番号は、89番。専用の名刺もできました。これから思い切り、こっぱずかしくなる位、柏を日本全国、世界中に自慢いたしますので、よろしくお願いいたします。ところで、今回の日記のテーマは、都市文明。これは、不動産コンサルタント山崎隆氏の著書「東京のどこに住むのが幸せか?」に、大いに触発を受けたものです。彼の持論は、「不動産価値の源泉は都市文明の魅力度・成熟度である」・・・この点は私も同じ意見です。難しい言葉なので、彼の著書から、都市文明や、それに関連する記述を引用してみます。~「どう学び、どう職務スキルを磨き、どんな人脈を築き、どんな家庭を育み、どんな友と語らい、どんな財産を形成し、どんな喜怒哀楽を感じ、そして最終的には、どう死んでいくか」・・・そこに多様なステージを提供してくれるのが、都市文明である~~「稼げる 暮らせる 学べる 癒せる 遊べる 治せる 出産できる 子育てできる」などの諸条件、すなわち総合的な都市のインフラを完璧に満たした街こそが最強である~~転入者に対してコミュニティが開かれていることは、非常に重要な要素である・・・女性や子供、老人、障害者などにも優しい街は、誰にでも開かれた街であり、異質な人々の才能を伸ばす町である・・・ハードだけでなくソフトの上でもバリアフリーが進んでいる街は、モラルの高い街であり、社会参加意識が高い。こうした文化レベルや民度の高い都市文明は、一朝一夕には作り出せるものではない~私の言葉で要約すれば、人生の多様なニーズを満たせるハード面の条件(都市機能、各種インフラ)と、それを育むソフト(開かれたコミュニティー、伝統文化、歴史、成熟、モラル、公正、高い精神性、自己変革の能力など)の両方が揃い、バランス良く調和しつつ、時代に適応しつつ変わり続けられることが、魅力ある都市文明の姿だと、山崎氏は考えているようです。都市文明は、一朝一夕にはできません。大きな商業施設をつくっても、都市文明が成熟するわけではない。つくばエクスプレス沿線の新都市や、千葉県で一番成功した住宅地といわれる新浦安、舞浜、幕張ベイタウンが、これから都市文明として成功できるかどうかは、現時点では全く未知数です。江戸開府以来、400年にわたって繁栄し続けている街もあれば、多くの郊外ニュータウンのように、30年で衰退する都市も山ほどある・・・首都圏のなかで、街が繁栄し続けるのは、決して容易なことではありません。彼の視点から、柏という街の都市文明を評価してみるとどうなるか?私の意見では、柏は小さいながらも、成熟した、かなり良質な都市文明を持っていると思います。まず、ハード面についてはどうか?・・・柏はまあ、首都圏近郊の平均的な中心都市(立川、町田、大宮、船橋など)とほぼ同等でしょう。一応、老若男女が暮らしやすい程度には都市機能が集積していますが、もちろん、都心部とは比較になりません。それなりに「暮らせる 癒せる 治せる 遊べる 出産できる 子育てできる」街ではあっても、「稼げる 学べる」という面ではまだ弱い。少なくとも、パワーエリートやアッパーミドルクラスにとって、稼げる、学べる街ではないし、今後も、そうなる可能性は高くないでしょう。一方、ソフトの面でみるとどうか?・・・柏という街は、この面では意外に強靭な足腰を持っているような気がします。たとえば、「東京郊外都市としては異例なほど、新住民の間で地元愛が強い」「商店も住民も、よそ者を拒まない、開放的な気風がある」「ストリートブレイカーズ、裏カシ、アートラインに象徴されるような、街から都市文化を創造・発信する能力がある」これらの点に関しては、柏が東京郊外都市のなかでは、大変健闘している印象があります。もちろん、都心部や横浜と比べれば、まだまだ力不足ですけれど・・・これは、柏が商業都市として100年の歴史を持ち、世代交代と新陳代謝を続け、時間をかけて成熟してきたことと、大いに関連あるのでしょう。とはいえ、都市文明も、その時代の経済力によって支えられる面があります。東京の北東側郊外に位置し、パワーエリート層にとって職住接近が成立しない柏は、住宅地の価値を上げる政策によって、戦略的にアッパーミドル層を引き入れることと、地元で新産業を興して、戦略的に人口増加、内需拡大を図っていくことが、柏の都市文明を守り、発展させるためにも、これから重要になってくるのでしょう。最後に、日本における都市文明と聞いて、私が真っ先に思い浮かべるのが、「福岡・博多」です。奴国の金印以来、2000年の歴史を持ち、そのうち1300年以上、商都として繁栄し続けたこの都市こそ、日本最古かつ最強の都市文明だという気がします。地域色豊かな食文化、お祭り、レベルの高い音楽・芸能文化、元気な商業、求心力のある中心市街地、強い郷土愛、誰でも受け入れるコスモポリタンな気風・・・その全てがこの街に、巨大なエネルギーを注ぎ込む。将来、万が一東京が衰退し、日本経済全体がダメになることがあっても、福岡・博多だけは、たくましく生き残りそうな気さえする・・・日本一長い歴史的試練に耐えてきた、実績ある都市だからです。
2008年06月13日
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不動産は、一生の買い物といわれます。特にサラリーマンにとっては、20年、30年の長期にわたる住宅ローンを払い続けて、初めて手に入る高額商品。だから誰だって、賢い買い物をしたいと思っているはず。たとえば、通勤や買い物に便利で、住環境が良く、学校や医療機関も揃っている地域で、広くて快適な家を手に入れたいはず。そして資産価値の面からも、長期にわたって、値崩れしない家を欲しているはず・・・です。が、フタを開けてみれば、念願のマイホームを手に入れたはいいが、30年後、ローンを払い終えた時点で、二束三文の激安中古物件に成り下がってしまう例が、後を絶ちません。そんな人々を横目に、同じく30年後、マイホームが資産価値を保ってくれたおかげで、裕福な暮らしを謳歌している人も、大勢います。金額にすると、軽く何千万円の差が出てしまうのです。この差は、どこから来るのか?その答えを探している人に、是非お勧めしたいのが、この本山崎隆 「東京のどこに住むのが幸せか」(講談社セオリーブックス)これは私が知る限り、日本の不動産に関する書籍のなかで、最も良質な読み物のひとつです。特に首都圏で家を買いたい人にとっては、この本は絶対に読むべきでしょう。「不動産を買う前に立地を買い、立地を買う前に街を買う」「急成長している街を選ぶと、自動的に衰退する街を選ぶことになる」「街が誕生したら、少なくとも100年くらいのスタンスで予見する必要がある」「よそ者をジロジロ睨み付けるような住民の住む街の寿命は、すでに終わっている」等々、数々の金言があふれ、読み物としても楽しい。また、物件の売買価格や賃貸価格の経年変化に着目し、その減価率から将来の資産価値を推論するアプローチは、大変説得力があります。素晴らしい本です。彼の薦める「買うべき」(値下がりしにくい)立地とは、大きく言うと「都心>郊外」、「(都心の)南西側>北東側」。特に、東急線や中央線の沿線にあって、「明るい雰囲気の下町」(たとえば武蔵小山)を、特に推奨しています。ところで、私の出身地は、「都の北東側で、しかも郊外」という、資産価値の面では「一番ヤバい」方角にあります。私にとって身近な、愛する街が、山崎氏の鋭い舌鋒とロジックでバッタバッタとなぎ倒されるのは、読んでいて辛いものがあります。でも悔しいけど、彼の言うことは、正しいと思います。ですが、さしもの山崎氏も、おそらく気づいておられない点が一つあると思います。それは、新築ではなく、築10~15年の中古マンションを買って貸すモデルであれば、北東側の郊外でもそれなりに「美味しい」この命題は、ほかならぬ私の実体験から、実証できます。私は、千葉県柏市の出身。地元の中心駅、柏駅から徒歩5分という駅前立地で、築13年の中古ファミリーマンション(3LDK)を、今から10年前、1998年に購入しました。当時、私の年収は、今の半分程度でしたから、柏のような郊外で中古マンション買うのが、精一杯でした。ただ家を買う前から、「郊外で新築マンションを買うのは絶対に損だ!」ということは、経験から知っていました。柏周辺の新築ファミリーマンションは、通常、3000万円以上しますが、築10年を迎える頃には物凄く値が下がってしまいます。築30年とかになると、買った値段から6割程度も減価してしまい、1000万円強で売れれば御の字みたいな世界、まさに二束三文に成り下がってしまうのが常です。これは柏だけでなく、町田、立川、埼玉県のような首都圏郊外なら、どこも似たようなものでしょう。マイホーム買った挙句、2000万(利子を入れると約3000万)円も損するなんて、世は非情なものです。が、築10年を超えたあたりから、値下がりのスピードが緩やかになることも、私は経験的に知っていました。そういうタイミングで買えば、すでに値段が安いから、値下がりリスクも大きくありません。なおかつ、柏駅前という立地なら、間貸ししても住みたい人はたくさんおり、築が古くなっても賃料収入は大崩れしません。上に言ったことを図で分かりやすく示すと、要は、こういうことです。私は、上の物件には、2年足らずしか住みませんでした。その後、海外移住とかいろいろあって、つごう8年余り、貸し続けているのですが、今のところ、持ち出しはほとんどありません。8年通算で空室率は8%以下、賃料の下落率は年平均1%以下、売買価格の推定減価率も低い。上の著書のデータと見比べると、なんと東京世田谷区、目黒区の東横沿線並みのパフォーマンスなのです。要するに、千葉県の郊外都市という、不動産評論家から「負け組沿線」とか「死んだ土地」とか、クソミソにけなされる地域でさえも、良いタイミングと立地を選べば、東京南西部の優良住宅地に準じた資産価値パフォーマンスが出る、ということなのです。気がつけば、柏のマンションのローンも、あと9年弱で完済です。これまで、賃料でローン(元本&利子)と管理費、修繕積立金、公租公課のほとんどを賄ってきたから、負担感もほとんどありません。40代でめでたくローン完済して、その後も売らずに貸し続けますから、子供の教育費がかかる時期、自分の老後資金が必要な時期も、このマンションからあがる賃料収入が、家計を助けてくれることでしょう。私は中古マンションを正しく買ったことにより、ハッピーになったのです。より裕福になり、家計やライフスタイルの選択肢が広がったのです。その立地が、港区、渋谷区、世田谷区みたいな所謂「勝ち組地域」ではなく、千葉県の柏であっても、それが十分可能なのだということを、私はわが身をもって証明したと言えましょう。築10~15年というタイミングで、20年程度のローン組んで、郊外中古マンションを仕込むことは、もう一つ大きなメリットがあります。築30年強という、建物の耐用期限を十分残した時点でローン完済できるので、貸すもよし売るもよし、つまり出口戦略が立てやすい、という点です。もっとも、売るという出口戦略を取るには、良い立地でなければなりません。柏エリアでいえば、バス便エリアなど、不便な立地であれば、良い値段で売り抜けるのは不可能に近い。一方、柏の駅前であれば、売っても買い手がつくのです。つまり、首都圏全体では、「都心>郊外」、「南西部>北東部」柏エリアでは、「柏駅前>周辺駅の駅近>バス便エリア」という方程式に、厳格に支配される世界なのです。ところで、上に述べたことは、「単なる例外」なのでしょうか?資産価値の面でいえば、郊外は総じてダメだけど、中心駅の駅前であれば例外的に大丈夫だという・・・だから柏でなくても、町田、立川、所沢みたいな駅前で中古マンションを買えば、大丈夫なのか?私はどうも、そうではないような気がします。柏を含む、千葉県東葛地域の不動産は、欧米先進国でよく使われるAffordabilityという指標でも、首都圏のなかで突出した強さを示している「お値打ち地域」だからです。このことは、次回以降、詳しくお話ししようと思います。
2008年06月11日
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日本に永住・長期滞在する外国人のなかでも、「インド人IT技術者」は、ある意味、かなり特殊なグループかもしれません。日本において、在住外国人は長らく、ブルーワーカー、ないしは個人事業主のイメージがありました。古くは、戦前から日本に来て住みついた韓国・朝鮮人に始まり、続いて中国人、バブル期に大挙してやって来た、所謂「外国人労働者」(パキスタン、イラン、フィリピン人等)、そして、中南米から「Uターン移住」してきた日系人などを含めて・・・。ところが、今世紀に入ってから突如出現した「インド人IT技術者とその家族」は、これまでとは全く異色のカテゴリーの外国人といえましょう。彼らは、ほとんど全員が高等教育を受け、流暢な英語とITテクノロジーを身につけ、東京都心の、名の知られた金融機関で、大規模な勘定系システムを構築している、スーツ姿の頭脳労働者・・・というイメージがあります。彼らの平均収入も、おそらく東京に勤める日本人サラリーマンの平均より上だと思われます。その彼らは、果たしてどんな生活を送っているのか・・・私は職業柄、結構よく知っています。インドから日本にやってきた、若いIT技術者(ほとんどが男性)は、まだ20代後半。彼らの多くは、まず東西線沿線、行政区画でいえば千葉県市川市にある、妙典、行徳、原木中山・・・といった地域の、単身者用アパートに住み、日本暮らしをスタートします。そんな彼らが30代になり、もう少しキャリアアップしてくると、もう少し都心側に住みたくなるのか、江戸川を越えて、東京都江戸川区西葛西や、江東区大島といった、「東京23区の東はずれ」地域に移住します。年齢的なこともあり、インドの親元に紹介された娘(もちろんインド人、同じ州出身の、同カーストの女性)と結婚式を挙げ、やがて1人、2人と、子供を授かります。その頃には、さすがに日本語も流暢になっています。35歳、日本在住8年、子供が3歳と1歳・・・といった境地に達したインド人IT技術者ファミリーの、東京における典型的なライフスタイルは・・・住まいは西葛西駅から徒歩10~15分にある清新町UR住宅、ファミリー向けの3LDK(70~75平米)、家賃は月12万円程度。クルマは一家に一台。平日、ダンナの残業は結構多く、仕事帰りはメタボ対策のために、西葛西スポーツセンターで汗を流す。週末には子供連れて、自宅前のサイクリングロードを葛西臨海公園へGO!日本で不動産を持つ予定はないけれど、インドですでに物件を買っており、価値がすでに2倍になっている。インドSENSEXの株をたくさん買っていて、値上がりが楽しみ♪インドで行われるクリケットの試合は、インターネットでしっかりフォローしている・・・。セレブな生活、というわけではないけれど、都心近くの緑豊かな住宅地で、堅実な中産階級の暮らしをエンジョイし、一見、何ひとつ不自由ないように見えるインド人ITファミリー。しかし彼らにも、母国インドへの帰国を真剣に考える時がやってきます。それは、子供が4歳になった時です。4歳ともなれば、インドの中上流階層の子供たちは、もう学校の勉強を始めます。数学などは、かなり難しい文章題も解いてしまうほど・・・そんな母国の子供たちを横目に、日本に住む我が子は、勉強の「べ」の字もしたことがない・・・こんな調子で、インドの熾烈な競争についていけるんだろうか?かつ、インドで高等教育を受けた親は、子供にも英語教育を熱望するものですが、日本に住むわが子は、英語をちゃんと覚えられるのか?彼らの悩みは、深まります。悩んだ末、彼らの多くが行き着く結論は、「インドへの帰国・永住」です。日本での暮らし、仕事に未練を残しながらも、子供たちの将来のために、彼らは決断するのです。そして、緑多く閑静な東京の住宅地を離れてあ、インドの喧騒と混沌のなか、11億分の1のインド人として、第二の人生を再出発するのです。もっとも、最近は状況が少し変わってきています。「子供にインド式の教育を与えたい」という、父母の強い要望を受けて、江東区森下と、江戸川区瑞江に、インド人子弟向けの学校ができています。今年後半には横浜市青葉区に、大きなインド人学校がオープンする予定です。日本を離れることなく、インド式の教育を受ける機会は、徐々に増えてきているようです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーかくいう私も、もうすぐ、娘が3歳になります。学齢に近づけば近づくほど、この子をどの国で、どの言語で、どんな教育を与えるかという、難しい選択を迫られます。同僚のインド人の動向や選択に、興味津々になるのも無理からぬことです。とはいえ、私たちの状況が彼らと違うのは、「特定の国民として育てる」とか、「英語教育にこだわる」必然性がないことです。私自身、娘を日本人として、あるいはオーストラリア人として育てるという気持ちは、希薄です。日本人であれオーストラリア人であれ、中国人であれ、国民アイデンティティは、いくつ持っても良い。但し、その一つとして、「日本人」というアイデンティティは持って欲しいし、「日本語」も必ず、身につけて欲しいと思います。どの社会で育つにせよ、私の子供である以上、日本語は必須。また妻にしてみれば、英語は必須ということになるのでしょう。私の目標は、「(娘が)22歳までに日本語、中国語、英語を全てビジネスレベル以上にする」ことですが、その過程で、日本語、英語、中国語、いずれの言葉で教育を与えても良い。それが母国語として確立し、高等教育にたえうる語彙力、理解力、表現力を身につけられさえすれば・・。あとの二つの言語は、後付けで、外国語として身につけ、最終的にビジネスレベルまでもっていければ良いと、考えています。私が家庭で、娘にしてあげられることは、この3つの言語に、日常的に触れさせ、表現する機会を常に与えることです。娘が将来、どの言語を覚えるにせよ、家庭での普段の会話が、生きた言語体験として、役立つようになって欲しいと思います。あとは漢字かな。日本や中国で育てば問題ないんだろうけど、もし英語圏で育った場合、漢字力をキープするために、長年にわたって、相当な努力をしなければならないのでしょう。でも、日本語、中国語、英語を全てビジネスレベルにするには、どう考えても、漢字は必須になりますね。
2008年06月10日
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この週末は、風邪で寝込んでおり、ブログ更新ができませんでした。今日も病み上がりなので、軽いものを一つ。こないだ、札幌旅行から帰ってきたばかりですが、うちの奥さんと、次の旅行はどこ行こうか、話しあっています。彼女は、タイのバンコクに行きたいそうです。東京に住む私たちにとって、バンコクというのは、それなりに気軽に行けるところですが、ただ国内旅行と同じわけには行かないので、いつのタイミングで行こうか、かえって迷ってしまいます。行き先が国内なら→週末に、1日か2日、有給をつけることで、簡単にプランニングできます行き先がヨーロッパや北米とかなら→旅行期間は、最低でも10日くらい欲しいので、プロジェクトの合間、長期休暇が取れた際に行くしかありません。ですが、バンコクという行き先は、両者の中間的存在で、「週末+有給1~2日」でいくには遠すぎるし、またプロジェクトの合間に行くにはちょっと勿体無さすぎる(せっかくだから、ニューヨークとか行きたい)し、難しいんですね。可能性があるとすれば、年末年始かなあ。あるいは、今度インド出張が入ったら、タイ航空にしてもらって、出張の帰りに1週間近い休暇とって、行こうかなあ。などと、いろいろ考えています。
2008年06月09日
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つい3年前まで、私と家族が住んでいた国・オーストラリア。そのオーストラリアと、日本との関係が、年を追うごとに疎遠になり、心理的距離も遠くなりつつあるような気がします。オーストラリアからみて、日本はどんどん影が薄くなり、またその逆も然り・・・というように。その背景には、中国という巨大な存在が、にわかに台頭してきたことがあるのでしょう。今日、それを象徴するようなニュースに出会いました。豪カンタス航空、日本路線を大幅縮小へこの記事を読んで、ハッとさせられました。国同士の関係のみならず、我が家と豪州との関係も、いつの間にか疎遠になっていたことに、気づかされたのです・・・。つい3ヶ月前であれば、上のニュースは我が家にとって、一大事だったはずです。当時は妻がカンタス航空に在籍しており、社員割引チケットを使って、豪州ケアンズへ里帰りしていました。ところが、東京―ケアンズ便はジェットスターに移管するこれは、「社員割引チケットを使って、カンタス直行便でケアンズに飛べなくなる」ことを意味していたのです!※厳密にいえば、他社便でも社員割引を使えないこともないんですけど・・・その代わり、手続きはかなり面倒になります。ですが、妻はすでに、同航空会社を退職しました。今では、カンタス以外の格安航空会社を使って、豪州から日本へ、一年オープンチケットで往復するようになったので、カンタスの日本路線が減っても、ほとんど影響を受けなくなったのです。そういえば、今から3ヶ月ほど前、こんなニュースもありました。豪州政策金利7.25%に上昇(2008/3/4)このニュースも、かつては我が家にとって、一大事でした。私は豪州で買った家のローンをまだ残していて、その金利は、豪ドルで払っていたからです。もし豪州の政策金利が0.25%でも上がれば、それは住宅ローンの金利が上昇して、月々の返済額が、数十ドル(数千円)単位で上がることを意味していました。ですが私は今年3月から、豪ドルの住宅ローンを日本円に借り換えています(これです)。日本の低い金利でローンの返済を行うので、たとえ豪州の金利が上がっても、直接の影響を受けなくなったのです。※とはいえ別の意味で、影響がありますけどね。もし豪ドルの金利が上がって、日本の金利が上がらなければ、両国間の金利差が広がって、多くの場合、豪ドルが円に対して上昇します。私のローンは円建てになってるから、豪ドル高が進めば進むほど、私は為替差益を手にするのです(逆に円高になれば損するけど・・・)。カンタス航空を例に取るまでもなく、日本に拠点を移した私たち家族にとって、オーストラリアはいつの間にか、暮らしの上でも意識の上でも、遠い彼方に行ってしまったようです。今後、オーストラリアへの再移住がありえるのか?将来のことは分かりませんが、今のところ、そういう計画はありません。特に私は、当面、日本を離れる気は全くありません。今の日本には、夢もチャンスも、溢れていると思うからです。いろんな意味で、曲がり角、岐路に立つ日本。この社会は変化を切実に求めています。それだけに、海外暮らしでもまれてきた、私のような人材の活躍の場は、いくらでもある。言い換えれば、日本の社会が、ちょうど私の参画を必要としている絶妙のタイミングで、この国に帰ってきたとも思うのです。いまの日本、住みにくいとか、嫌だとか言う人はたくさんいるけど、私は大好きですよ。こんなエキサイティングな時代に、30代後半という、油の乗りきった時期に、母国に戻って思い切り活躍できることに、心から感謝しています。ですが今後は、どうなるか分かりません。特に、娘ソフィア(2歳9ヶ月)が小学校に上がる頃に、大きな転機を迎えるんでしょうね。この子をどの国で、どの言語で教育するかという、選択を迫られますから・・・今のところは、日本で育てようと思っていますけど、オーストラリアも、もちろん選択肢の一つです。その頃になれば、オーストラリアのことを、今よりも少しだけ、身近に感じるようになるのかもしれませんね。
2008年06月05日
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大変お待たせしました!先週末の札幌旅行は、ほぼ100%、「美味しいものを食べる」ことが目的でした。行く前から期待値はとても高かったのですが、さすがに日本屈指のフードシティと呼ばれる札幌の食は、期待以上の素晴らしさでした。まずはスープカレー。札幌きってのおしゃれな街、円山で、いただきました。美味しすぎる!一度食べただけで、すでに「スープカレーなしでは生きていけない身体」になってしまいました。スープカレーの食べ方は、「ご飯にカレーをかける」人もいれば、「カレーにご飯を入れる」人もいるそうです。私は、カレーにご飯を入れて、雑炊みたいにして食べる方が、美味しいと感じました。こんな大きな骨付き肉が、ゴロッと入ってるのが良いですね♪札幌では、やはり「魚」を食べなくてはいけません。芸能人が選ぶ、「日本で魚の美味しい街」アンケートで見事1位に輝いた街なのですから・・・。まずは、札幌場外市場で食べた、ウニ入り海鮮丼。豪華絢爛!そして、見た目以上に旨い!!寒い日だったので、身体を温めようと、海鮮ラーメンもいただきました。カニが豪快に入ってるのが、ポイント高い♪最後の日は小樽まで足を伸ばしました。この街では、いろんな会社が、自家焙煎のコーヒーを出していて、とても美味しかった。写真は、フルーツワッフル。この内容、このボリュームでで500円は嬉しい!私にとって、札幌に行くことは、食いまくってメタボを増進することに他なりません。でも、こんな美味しいもの食べて太るのなら、人生、本望だと思います。
2008年06月04日
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美味しいもの好きの読者の皆様、「札幌爆食日記」は、もう少し待ってくださいね。ごめんなさい。ところで、今回の札幌旅行の目玉の一つだった、「不動産投資」に関してですが、いろいろ考えた末、結局、札幌で投資するのは止めました。札幌は、素晴らしい街です。街並みは美しくおしゃれだし、観光価値は高いし、食べ物が抜群に旨い・・・一生に一度は、住んでみたい街の一つです。が、投資という観点から言うと、力不足は否めない。福岡と比べて、街に活気がなく、人通りも少ない。人口や経済の面で、力強さを欠いている。加えて、地元の不動産仲介業者さんの力不足も、マイナスポイントでした。私からみて、札幌は遠方なので、信頼できる業者さんを見つけて遠隔操作しなければ、投資目的の達成は望めません。でも私のコンタクトした限りで言うと、皆さん投資家慣れしていないようで、「のんびり」と「勉強不足」が目立ち、彼らでは投資のパートナーになりえないと考えました。というわけで、札幌は諦めたわけですが、今年中にもう一つ、投資用不動産を仕込みたいという気持ちは、以前にもまして強まっています。それは、私が身を置くIT業界を取り巻く、大環境の変化にも関わっています。いまの職場が、いつまでも安泰とは限らない。だからこそ、元気で働ける今のうちに、収入の途を確保しておきたいのです。こんなふうに書くと、「いつも追い立てられてるように生きている、余裕のない奴」と思われるかも知れませんが、私にとって、不動産投資は、半分以上が趣味ですので、ご安心あれ。どこで投資するか・・・私の目は札幌から、首都圏に転じてきています。なかでも、いま一番注目しているのが、首都圏南西部郊外の「まちさが」(町田・相模原)エリア。特に、「オダサガ」(小田急相模原)に注目しています。正式駅名は、小田急相模原。でも、「おだきゅう・さがみはら」なんて、フルネームで呼ぶ人はいないでしょう。東京の三軒茶屋を「さんちゃ」、大阪の天神橋筋六丁目を「てんろく」などと、何でも略したがる日本人のこと、小田急相模原も、昔から通称「オダサガ」と呼ばれてきました。「オダサガ」は通称かと思いきや、昨年末にオープンした、駅直結型の大規模商業施設が、「ラクアル・オダサガ」(Rac-al Odasaga)と名づけられました。今や「オダサガ」は、公認の正式名称になった感があります。神奈川県の相模原市・座間市の境にあり、新宿から小田急電車で45分。距離にして35kmも離れ、首都郊外というには、ちょっと離れすぎかなとも思う。この駅には普通電車しか止まらず、隣駅は相模大野、さらに隣は町田と続く、大きな駅の影に隠れた地味な駅。ここに、私が注目するのはなぜか?1.物件価格が、とにかく安い!!オダサガ駅徒歩圏の、ワンルーム物件の安さは、ハンパじゃありません。築15年くらいで、300万円そこそこの物件がゴロゴロ出てくる。利回りも外形で13~15%などが当たり前で、これは福岡・札幌並みの数字。特に隣駅の相模大野と比べると、安さが際立ちます。その首都圏離れした低価格、高利回りには私も昨年から注目していて、「オダサガって一体、何者なんだ?」と、いつも不思議に思っていました。それで、オダサガを研究しようと思ったのです。2.都内並みの高密度&順調な人口増加町田、相模大野、オダサガ・・・と続く一帯は、郊外ではありますが、人口密度は平方キロあたり約1万人と、東京23区並みに密集しているのも、注目に値します。首都30kmの郊外で、これだけの密度がある地域は、他に「さいたま市浦和・大宮」くらいしかないでしょう。ワンルーム投資は結局、「人口密度商売」なので、この高密度は大変興味深い。かつ、この地域の人口は、今後10年、20年のスパンで見ても、順調に増加していくと予想されています。労働力人口(15~64歳)の将来推計をみても、オダサガの位置する相模原市は、首都圏の他都市が軒並み減少するなか、「独り勝ち」すると予想されています。労働力人口が20年後も増えるとされる地域は、全国広しといえども、この相模原市と、福岡市くらいしか見当たりません。また、オダサガの近辺には、北里大と女子美大があり、ワンルームには独身サラリーマンだけでなく、大学生需要もある程度期待できるのも、ポイント高い。3.再開発ラッシュ人口密度1万人という、分厚い購買力に支えられて、この地域の商業施設は、充実の一途をたどっているようです。町田には、首都圏郊外有数の大繁華街があり(たいていの県庁所在地より、町田の方が栄えている)、相模大野にも、駅ビル、百貨店を中心とした大きな商業集積があります。より遠方の海老名も然り。そして「オダサガ」駅近辺では、大きな再開発が進んでいます。まず北口では、地上20階、地下4階を誇る複合施設「ラクアル・オダサガ」が突如、出現したわけですが、これに続いて南側では、地上30階の施設が建設中と、再開発ラッシュの様相を呈しています。これまで、オダサガ駅は駅舎しかない地味な駅だったので、小田急沿線で最も変貌著しい駅になることは間違いない。再開発の影響で、ブリリアをはじめ、中高層のマンションもどんどん建っている模様。4.下町チックな商店街オダサガは、各停しか止まらないとはいえ、日平均5万人以上の乗降客数を誇り、かつ、全長1kmにわたって、多様なジャンルの商店が切れ目なく続く「サウザンロード商店街」を持つなど、街の地力は、十分あるようです。サウザンロードは下町を思わせる、ちょっと懐かしい商店街で、こだわりの店も多いという・・・この雰囲気を好んで、この街に長く暮らす人も多いようです。5.風俗はあるけれど・・・オダサガといえば、神奈川県央地域ではちょっと名の知られた、風俗街を持ちます。その関係で、周辺駅と比べて、ややガラ悪いイメージがあるようです。風俗は、人類にとって必要悪とはいえ、住宅地の評判には確かにマイナスです。が、オダサガ風俗も、近年寂れつつあるという話も聞きます。首都圏の他の街にみるように、再開発が成功して、街全体の雰囲気が上向きになると、風俗も衰退して、より「健全な」街になる傾向があります(逆に、街が衰退すれば、風俗が増殖することが多い)。オダサガは今後どうなるのか?少なくとも、今までより良くなることはあれ、悪くなる確率は低いような気がします。オダサガ・・・歩いたことはないけれど、調べれば調べるほど、興味をそそられる街です。商業地としても住宅地としても、今後、さらに魅力を増す可能性が大きい。だとすれば、今のうち「仕込んで」おきたい。Dreaming with rising Odasagaとなるのかどうか、これからじっくり見極めようと思います。最後に、魅力あふれる(?)オダサガの世界を、じっくりご堪能ください!おださがの歩き方食い倒れ放浪記~オダサガという街ラクアル・オダサガでお買い物
2008年06月02日
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北海道旅行から帰ってきました。本来なら、「札幌爆食日記」を書くべきなんでしょうけど、札幌から東京までの機内で、格好のブログネタに出会ったので、こちらについて書きますね。今回、私たちの乗った座席は、「Jシート」といいます。これは、ファーストクラスでもビジネスクラスでもありませんが、通常のエコノミークラスから1000円プラスするだけで、格段にゆったりした、リクライニングチェアに座れます。しかも、エコノミー席より前に位置するので、ちょっとしたビジネスクラス気分が味わえます(その代わり、食事などのサービスは、エコノミークラスと全く同じ)。本来なら、楽しい空の旅になるはずでした。ところが・・・通路を挟んだ向こう側の「Jシート」に座っている小柄な中年男が、離陸前から、スチュワーデスを怒鳴り散らしているではありませんか!快適な空の旅も、これで、一気に興ざめになりました。私は最初、「バカな奴は無視するに限る」と割り切って、自分と娘だけの世界に没頭しようとしました。でも妻が、「あの男の人が何言ってるのか、通訳して!」とせがむので、怒鳴り声(日本語)に聞き耳をたてつつ、中国語に訳して、妻に伝えました。どうやら、中年男は、スチュワーデスの口の聞き方に、腹を立てているようでした。発端は、些細なことです。離陸直前に、スチュワーデスが手荷物の上げ下げについて、安全の見地から指示したところ、その言い方が気に入らなかったらしい。ま、事の起こりはどうあれ、中年男が、2回りくらい年齢が下の、若い女性乗務員を汚い言葉で罵っているのは、ハタから見て、見苦しいったらありゃしない。「お前ら、お客様に乗っていただいてますという態度じゃなくて、乗せてやってるという態度だからダメなんだ」「これまで10年間、世界の航空会社に乗ったけど、こんなダメなサービスは初めてだぞ!」「お前らの航空会社は、つぶれた方がいいんだ!」(※ちなみに、つい最近まで「鶴」のロゴをつけてた日系航空会社です)東京・羽田に着陸するまでの約1時間、いろんなスチュワーデスを相手に、ネチネチと際限なく文句が続く。余程、虫の居所が悪かったのか、あるいは、余程フラストレーションが溜まっているのか・・・私も通訳しながら、呆れてものが言えませんでした。「いい歳して、こんな態度を取る人間は、仕事でも絶対に成功しないよね!」というのが、私と妻の共通認識になり、いつしか、中年男のニックネームが「没出息」(メイチューシ、中国語で「うだつの上がらない奴」という意味)になりました。「没出息」くんの罵詈雑言は、しかし、カスタマーサービスを考える上での、格好の題材になりました。特に妻は、かつて10年間、スチュワーデスをやりましたので、彼女の胸に、去来するシーンがいろいろあったに違いありません。彼女自身、思い出すのは、中国からオーストラリアへの便で、「女の言うことなんか、聞けるか!」と言った、中国人男性観光客のこと。その時は、男性乗務員が仲裁に入り、場を丸くおさめたそうです。あと、彼女自身が乗務したフライトではありませんが、以前、こんなこともあったそうです。日本人の中年夫婦が隣り合わせに座っていた席で、スチュワーデスが水を配っていた時、機内が揺れて、奥さんの膝に水をこぼしてしまいました。もちろん、スチュワーデスはすぐ謝り、水を拭き取りました。奥さんは、それで満足したようです。ところが、隣に座っていた夫の方は、これで納得いかなかったようで、日本語の通じるスチュワーデスを呼んで、文句を言い始めました。女性、男性含めて、いろんな客室乗務員が、彼の文句を聞きました。それでも埒があかない。挙句の果てに、「あのスチュワーデスに水をかけなきゃ、気がすまない!」と言い出したそうです。この件が、どう決着したのか、妻も知りません。でも、こんな客が目の前に現れたとき、どう対処するのが一番良いか、ちょっと話しました。私は、こんな風に言うのが一番良いと思います。「スチュワーデスに水をかけたければ、どうぞ、かけてください。その代わり、到着した空港で、警官を待機させます。あなたの氏名、住所、勤務先も、先方に全て伝えます。さあ、どうしますか?」
2008年06月01日
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