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昨日、今日と快晴。アルプスの山脈がくっきりと見えます。さあ、今日も一日忙しいぞ!ここで、山岳のパノラマを見ることができます
2007.04.30
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もうすぐゴールデンウィーク。ということで、3、4と予約が入っています。しかも12人という多人数。ということで、風呂の更衣室の改装中。すべて無垢の杉板をつかって木の香りぷんぷんです。いつものように、ボランティアの大工さんとふたりで大仕事。忙しい、いそがしい…。みなさんのブログにもなかなか行く時間がとれません。あしからず。
2007.04.27
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間違えましたセツブンソウです。節分に咲くわけでもないのに…。
2007.04.26
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山荘から、上流に10分ほど車を走らせると中央アルプスの伏流水が湧き出ている場所があります。ミネラル分が多いことで知られています。この水を飲んで健康になったという人が口コミで伝わり、水を汲みに来る人が後を絶ちません。まりあのじいじさんもしょっちゅう訪れているようです。最近、どこかのテレビ局の番組の取材で、成分分析をしたらなんと軟水では日本で最も優れた内容だったと報じていました。ちなみに「あるある…」ではありません。そういうことで、仕事帰りの夜中に汲みに行ってきました。自分で飲むわけではありません。山荘に自噴している水もそれほど変わらないおいしさだからです。岩魚の稚魚もすくすくそだっています。所望の人があればメールくれれば送りますよ、タダで湧いているものですから。しかし重いからねー、できたら汲みに来てください。山荘に訪ねてくれば幾らでも案内しますから。これを飲んで、みんな健康になればいいんだけれど…。
2007.04.25
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山荘の近くにカタクリが咲いていました。
2007.04.24
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もう大勢の方々が書いるし旧聞に属するが、長崎市長選で長崎市民は賢明な選択をしたと言えよう。伊藤一長前市長の遺族にはお気の毒だが、遺族が喪服姿で街頭に立つなど、情に訴える世襲選挙に徹底したことが敗因になったのは明らかだ。それにつけても、約1万5000票もの無効票のうち伊藤一長票というのが大部分だったようだが、銃撃前に期日前投票していればそれも頷ける。従って、日程をずらして完全にやり直しとなっていたら結果は変わっていたかも知れない。伊藤市長の長女で横尾誠氏の妻優子さんの敗戦後の発言が、2ちゃんねるで炎上しているというが、気が動転していての発言だったのだろう。“目くそ鼻くそを嗤う”のたぐいで、それを一々袋だたきする者等こそ品性卑しき輩だと思う。それにしても、日本の国会議員は世襲議員が過半数を超えているのではないか。弔い合戦とやらで議員になった代表の小渕優子というのもいたな、バカな選挙区の有権者の顔を見たいものだ、と言いたいがわが地区も世襲議員なんだよな。賢明な選択といえば、四国の東洋町選挙もそうだった。原子力廃棄物処理地の誘致問題が争点となった選挙だが、反対派候補が大勝した。札束で横っ面をはたいて迷惑施設を押しつけてきたこれまでの国の政策に対して毅然としてノーと言った東洋町町民は偉い!
2007.04.23
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たんぽぽ
2007.04.22
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試食
2007.04.21
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吉雄777さん私より若い方に、私を見たり話を聞くと大人は楽しそうだっな!早く大人になりたい!と言われると嬉しいです。私を見ると、大人になりたくないな・・・と思われたくないな~って思います。歳を重ねることが嫌だなって想像させるそんな年上になりたくないですね。そして、自分も、未来に期待ができるようなそんな年上を見つけては、早く誕生日こないかなって思うのでした。以前、矢沢栄吉さんが珈琲のCMで20代の新入社員と卓球をしつつ年齢を聞かれて、「42歳、いいだろ」って言っていて「いいな~~~!42歳かっこいい」って思いました。サバをよんだり少しでも若く告知したりしないで今は今の歳を、「いいだろ」と言えるように生きて生きたい。 *「死生観」を考えてると、いやでも一体のものとしてある「生」「死」そして「性」についても考えることになる。「生きる」とは「死ぬ」ことへの道程であるから、生まれたら即ち約束された「死」に向かって歩き始めなければならない。だから、その道程をいかに過ごすかが大切になるのであろう。伊藤長崎市長の非業の死は悲しむべき出来事ではあったが、道程ということを考えると羨ましい一生でもあった。そして、生死の間にある重要で悩ましいものは「性」なのかも知れない。アメリカの銃乱射事件の男も、その性に翻弄され、狂気へと走ったのではないだろうか。不謹慎な見方かも知れないが、凶行のあったとき犯人の足にしがみついて離さなかった市長夫人の意識は、自分の生死を超えたところにあり「性」に通じるものではないかと僕は思った。にんげん誰もが、無意識にであっても「性」に悩んだり、楽しんだり、苦しんだり、翻弄されて生きている。男であるゆえに、女であるゆえに、今の生き方を選んでいるという人がほとんどであろう。もし、違う性であっても人生が変わらない、という人はまずいないのではないか。「性」や「性差」を自由にコントロールできるのはよほど(その程度具合は千差万別であろうが)枯れてきてからであろう。日本人の代表的な性表現で、その興奮の絶頂で「死ぬ」という言葉がある。また「往く」というのもある。その瞬間には本当に死んでいるのかも知れないし、生きる歓びに突き動かされているのかも知れない。僕が、ビジネスとしての買売春を肯定できないのは、世情道徳的な倫理観より、生きる道程に関しての一種の不真面目感にあるのだと思う。買ったほうのそれはともかく、売ったほうが「死ぬ」「往く」を本当に共有しているのだろうか。「死ぬ!」「往く!」という瞬間には、互いが死という約束の恐怖から逃れ、いま生きている歓びを、あるいはこのまま死んでもいいと、一瞬でも思える時間を共有することではないだろうか。それは自分が生きている意味を確認する原点ともいえる。以前に、小沢昭一が、理想的な死は「腹上死」だと語っていたことがあるが、これは笑い話や冗談ではなく、男にとっての真実であると密かに思っている。もっとも、往かれるほうはたまったものではないだろうが…。さて、この歳になってくると文章はともかく、実際には、死ぬの生きるのという喧噪からは遠ざかってゆく。ぼんやりと桜の散りゆくさまを眺めながら、他人事のように死生観に浸るのもまたいいではないか。今夜は散りゆく夜桜でも見に行こうか。 うるとびーずさんが、こんなシーンをお薦めです。★★FREE HUGS in JAPAN(Tokyo) part1(東京)
2007.04.20
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坂本龍馬は生前「斃れるときは前向きに倒れたい」と常々口にしていたという。長崎市の伊藤一長市長の死も永く歴史に刻まれることになるだろう。財を成して生き延びるより、死して名を残すというのも政治家にとってひとつの本望かも知れない。僕ら凡人は老醜を晒しながら生き延びるしかないだろうが、せめて生き方にはひとつの目標を持ちたいものだと思う。若者から「歳をとったら、あァいう老人になりたい」と憧れる老人である。先頃、豊田勇造さんの歌を聴いてつくづく思ったのだが、まもなく60になろうとしているのに精神は青年であった。形は違っても、あんな精神を持ち続けたいものだと思う。くれぐれも「あァいう老人にだけはなりたくない」と言われないように…。
2007.04.19
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長崎市長の伊藤一長さんが銃撃されたという事件は衝撃的だった。戦争の暴力が続くことを世界に向かって糾弾し続けてきた姿勢に敬意を抱いていた。また、僕も世話役としてお手伝いしている当市の平和市民団体とも交流があった方だった。お亡くなりになったということで、残念に思うと同時に卑劣な凶行に強い怒りを感じている。当地では、毎年8月6日に広島・長崎の悲劇を二度と繰り返させないために「伊那市民平和記念式典」と、それにともなう平和記念行事を20年以上続けてきている。市内のすべての主な団体、宗教関係者、行政、議会、市民に参加を呼びかけて設立された団体で、たぶんこれだけ立場が違う人たちが一同に名を連ねて行動するということは前例がないだろう。長崎市では奇しくも、本島前市長そして伊藤市長も銃口に晒されたことになったが、お二人とも当市の活動に関心を寄せてくれ、8月近くなると連帯のメッセージを送ってくれていた。おりしも、アメリカでは銃の乱射事件で32人もの人命が失われたという痛ましい事件も報じられていた。そのさなかに日本でもこのような事件が起きたことに、皆が武器をもつことや武装の意味を考えざるを得ない。アメリカで銃規制がいわれて長いが、はかばかしく進まないのは「自分の身を自分で守る自由がある」という大義名分がまかり通っているからだ。そのような大義名分に守られて犯罪予備軍やマニアックな連中が容易に銃を手に入れられるのだから、文字通り「キチガイにハモノ」(犯人のみに向けた言葉で他意はない)ということになる。長崎市長を殺した銃も、犯人の所属している世界では容易に手にすることができるのだろう。」ここまでは、個の事件である。世界の多くの国では「自衛のための」武器保有が拡大している。日本で安部総理の狙う改憲へのもくろみも、「武器による自衛」のために9条の中身を変えたいというのが本音であろう。核保有、集団的自衛権というアメリカ軍の下請けも「武器による自衛」への実現にむけた思想に基づくものにほかならない。平和への希求を強く世界へ求め続けていた長崎市長の死、アメリカの銃乱射事件を見て「ほら見ろ、やっぱり武器を持たなければ殺られる。」と考えるか「だから武器は持たない、持たせない社会を目指そう」と考えるのかの選択は、天地ほどに違う。 余談 何度もいうことだが、憲法を守るということは、日本をすっ裸にしようという主張ではない。不必要な武装化はやめよう。国民主権、武力にたよらない平和な理想社会を目指して努力を続けようということである。武器を持たなければ平和を守れないという思想は、現実的なようで幻想だということを、最も武器をもつアメリカ社会が実証している。
2007.04.18
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記念に残しておこう。
2007.04.17
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2007.04.16
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この日記はここからお読みください ♪生き急ぐことは無い 死に急ぐことも無い ♪やわらかいパキスタニが歩いてゆくこんな詩のリフレインがさざ波のように心の中に広がり浸みてきました。Dr.悠々さん のはからいで突然飛び込んだように実現した豊田勇造さんのミニライブ。本当は「ミニ」だったはずが、ミニが飛んでしまうような熱いライブになりました。豊田勇造さんとお会いしたのは市内の喫茶店です。飯田のライブを主催した20歳頃からのファンだという女性が伊那まで送ってくれたものです。僕の携帯の電池がうっかり切れていて(「猫に鈴」のようなものはあまり持ち歩かないからです)、ようやく繋がった電話で、最寄りの喫茶店にいるからと連絡があって慌てて駆けつけました。挨拶を交わすと、初対面なのに10年来の知り合いのようにフランクに会話が始まりました。これもDr.悠々さんという媒体があったからでしょう。時間がありましたから車で高遠城趾公園まで行き、満開の桜の園内をぶらっとひと歩きご案内してから山荘、そして温泉に浸かることにしました。会ったその日に、いきなりスッポンポンの裸のつきあいです。カミサンが「いいねー、男同士で」とちょっと羨ましそうです。豊田さんもいわゆる団塊の世代ですが、ヨガに似た運動で鍛えているということで立派な躰をしています。もちろんタオルで前を隠す必要もないほどにご立派(深い意味はないったら)。ゆっくりと露天風呂に浸かったり出たりしながら裸で積もる話しを…、と言うと初対面なのにそんなのあるかと思うでしょうが、不思議に自然に話題がつづくのです。ここで、豊田勇造という人の懐の深さを知ることになるのです。実は勇造さんは20数年以上前にコンサートで当地に来ておられたのです。その世話をしたという人の名前も覚えていて、それが僕の友人でもあるW君だったのです。もちろん彼も自分の店を臨時に閉めてミニライブに来ることになっていました。一期一会、20数年も前に袖ふれあっただけの人の名前をきちんと覚えている、そしてアジア各地のコンサートでのエピソードなども、もちろんDr.悠々さん主催のコンサートのみならずご家族一人ひとりの描写なども手にとるように詳しく…。そのようにして、つぎつぎと話してくれたのです。長風呂からあがり山荘に戻るとこのライブに共演してくれるえびはらよしえさんが来て、ご対面。よしえさんは伊那市在住のメッセージソングシンガーで、僕の主催でも何度か歌ってもらっています。澄んだ歌声は、勇造さんの歌とでも調和がとれるのではと声を掛けておいたものです。いや、勇造さんに長く歌って貰うわけにいかないという事情もあって、前座をつとめて貰おうと手配したものです。内心、嫌がられるのではとヒヤヒヤものではありましたが、お二人ともこの設定を快く受けていただけました。聴衆は十数人。目の前でこれだけの演奏を聴けるというのにちょっともったいない数でした。案内を出した人はこれまで山荘に来てくれた地元の人と友人でしたから、年配者も多く、名前も知らないライブには気が乗らなかったのでしょうか。しかし、楽天仲間のきむちゃんがかわいい娘さんと参加してくれたり、新聞で見たという地元の勇造ファンも駆けつけてくれ、嬉しかったですね。いや、飯田や諏訪の正式な勇造ライブが記事にならずに、こっそり開くはずのミニライブが紹介されてしまったのは、僕の友人にはおせっかいな(本当はありがたい)新聞記者が数人いるからなのですが、選挙期間中ということでみんな忙しくて参加できず残念。ということでコンサートが始まりました。つづきます
2007.04.15
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悠々さんから届いた花です少し前に戻りますが、Dr.悠々さんも、このミニライブのことを日記に書いてくれていますからクリックしてみてください。Dr.というように悠々さんはお医者さん。実は個人的にも親しく友人としてお付き合いしている医師は何人かおりますが、なぜかみんな人柄・生き方ともに素敵な方々です。この悠々さんもまたステキな生き方をされていることが日記にイキイキと書かれています。その悠々さんからなんと花束が届いているのです。こんな心遣いをする人なんですね悠々さん、ありがとう。そしてもうひとつ、見慣れないところから封書が届いていました。JASRAC(日本音楽著作権協会)からのものです。新聞に山荘のミニライブという記事が載ったため、著作権料の支払いを求めてきたものです。しかし、勇造さんが目ざとくその封書をみつけてJASRACに電話連絡して免除手続き一切をしてくれました。いや、しっかりしているものですね、勉強になりました。ライブ会場になる山荘には、売り出し中のプロの山岳カメラマン中山秀幸さんの南米の山や人々の写真がたくさん飾られています。彼はいま出版社からの依頼でボリビアへ撮影旅行に出かけていますが、預かってあげるという名目でずっと飾っているものです。実は次の日の諏訪でのライブ会場は、以前に彼が写真展を開いた場所でもあったのです。会場まで勇造さんを送って行ってわかったもので、縁の不思議を感じました。中山秀幸さんの写真とつづきます
2007.04.15
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ライブは予定通り、えびはらよしえさんから始まりました。勇造さんは真っ正面に正座して、じっと聴き入っています。そして印象を書き留めているのでしょうか、ときどきノートにメモを走らせています。しずかに澄んだ歌声が山荘の隅々まで染み渡ってゆき、会場の雰囲気もだんだんコンサートホールの様相を漂わせています。約30分のえびはらよしえさんの澄んだ歌声によるライブで、こころのなかから洗われたように身体がすっきりと音楽を受け入れる状態になったところでしばしの休憩、そしていよいよ勇造さんの出番です。そしてギターをもって勇造さんが立ち上がります。まずは用意したグラスの生ビールをグイっと飲み干します。歌うように語らうように自己紹介から始まりました。ここで歌うことになった経緯などもリズミカルに歌い語らいます。そしていよいよライブのスタート。ここで曲目を紹介したいのですが、なにぶんにも僕は歌詞からすぐに曲名が浮かぶほど勇造さんを聴きこんでいません。しかし、歌うほどに不思議な引力に引き込まれるように全身が歌のなかに浸かり込んでいくような気がします。ライブを通した感覚としては、アルプスから湧き出た泉が川となり、せせらぎをつくり、やがて急流や人々の生活の場を流れる川から大きな河へとなり、悠久の海へとつづいてゆくといった感じでしょうか。「ありがとうボブ・ディラン」や「花の都ペシャワール」など、彼の人生がそこに映し出されるように歌われてゆきます。たとえば「チャオプラヤ河に抱かれて」など、たゆとうたる大河の流れのなかに小舟を漕ぎ出しているような気分になり、音楽のなかにまだ見ぬはずのタイの風景や人々の息づかいが感じられるような気分になってゆくのでした。当初は5曲ほどということでしたが、勇造さんもだんだんアドレナリンが全身に回ってきたのでしょうか、聴き手と同様に昂揚してゆくように感じられます。アコスティック・ギターとハーモニカを巧みに操りながら、またときにギターを打楽器に変身させたりしながら、高く低く悠然たる景色ができあがってゆきます。そして、尼崎の列車事故をきっかけにつくられたという「列車を走らせる男達の歌」の途中では、激しくかき鳴らすギターの弦が切れとしまいます。しかし、残った弦だけで巧みに歌い上げてゆき、そして曲の終了近くでは6弦というのでしょうか、一番太い弦までプチンと切れてしまいました。残った4弦だけにもかかわらず、曲に不自然さがのこらずに歌い上げる、これぞプロの神髄をみた瞬間でした。弦を張り終えてからは、頭上に輝いていた太陽がやがて夕陽となって沈んでゆく情景を映すかのような曲へと移ってゆきます。 ♪生き急ぐことはない 死に急ぐこともない いきてりゃ十分という曲のときには、何かこみ上げてくるものがあったと聴きに来た若い青年が語っていました。ちなみにこのエピソードのA青年です。このように、豊田勇造さんの音楽には人生を共感させるエキスをいっぱい含んでいるように感じました。最後の曲を歌い終わり、アンコールしたいのをじっとガマンして時計を見たら、なんと1時間以上も歌ってくれていたではありませんか。いやー、ミニライブだったはずなのにえびはらよしえとジョイントの本格ライブのようになってしまったぞ、とほくそ笑む僕ではありました。当然のごとく、その後は田舎料理を囲みながらの懇親会となってゆくわけではありますが、話題が豊富だということもあり360度、さまざまな話題に話しが弾みますが、7時から始まったこの会がすでに夜の11時にもなったこともあり、参加者に帰っていただきました。そして勇造さんは、またまた僕やくだんの青年と人生から政治・社会にまで話し込んで、シンデレラ時間を超えてからお休みになりました。 まだつづきます
2007.04.15
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勇造さん日記の最後の部分です。 深夜にはときならぬ雷が鳴ったりした天気も、朝には青空が広がり気持ちのいい朝です。ところが勇造さんがなかなか起きてきません。あのエネルギッシュな勇造さんも朝には弱いとお聞きしましたから、できるだけ寝ていてもらうことにしました。しかし、10時になっても、10時半になっても起きてきません。11時にもまだ起きてきません。このまま起きてこなかったらどうしようと、さすが心配になります。そこで起こしに行ってみると、出来たばかりの風呂でシャワーを浴びているようです。「食事ができていますよ!」と声を掛けると、「はい、運動をしてから行きますから暫くお待ち下さい」といいます。後からお聞きすると、どうやらヨガのような柔軟体操で身体をほぐしているようなのです。たぶんプロシンガーとしての体調管理をしているのでしょう。11時半頃になってようやく出てきました。朝昼同時になった食事を摂っていただき、結局一緒に泊まり込んだA青年ともまたさまざまな話題で話しをします。ということで山荘を出発したのは1時過ぎでしょうか、途中でW君の店にも寄ってそこで中日新聞の記者等と話しをして、辰野町のミュージシャン三浦久さんの店にも立ち寄ったり(生憎留守)して、次のライブ会場ナーサリー・ライムまで送り届けたときは夕方の4時過ぎになっていました。 しかし、勇造さんとも多岐にわたってゆっくり話しをすることができ、とても有意義な2日間となりました。Dr.悠々さんありがとう。たぶん、来年は勇造さんの日程に当地もつけ加えられることになるのではないでしょうか。 山荘の中でおわり
2007.04.15
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この日記はここからお読みください ♪生き急ぐことは無い 死に急ぐことも無い ♪やわらかいパキスタニが歩いてゆくこんな詩のリフレインがさざ波のように心の中に広がり浸みてきました。Dr.悠々さん のはからいで突然飛び込んだように実現した豊田勇造さんのミニライブ。本当は「ミニ」だったはずが、ミニが飛んでしまうような熱いライブになりました。豊田勇造さんとお会いしたのは市内の喫茶店です。飯田のライブを主催した20歳頃からのファンだという女性が伊那まで送ってくれたものです。僕の携帯の電池がうっかり切れていて(「猫に鈴」のようなものはあまり持ち歩かないからです)、ようやく繋がった電話で、最寄りの喫茶店にいるからと連絡があって慌てて駆けつけました。挨拶を交わすと、初対面なのに10年来の知り合いのようにフランクに会話が始まりました。これもDr.悠々さんという媒体があったからでしょう。時間がありましたから車で高遠城趾公園まで行き、満開の桜の園内をぶらっとひと歩きご案内してから山荘、そして温泉に浸かることにしました。会ったその日に、いきなりスッポンポンの裸のつきあいです。カミサンが「いいねー、男同士で」とちょっと羨ましそうです。豊田さんもいわゆる団塊の世代ですが、ヨガに似た運動で鍛えているということで立派な躰をしています。もちろんタオルで前を隠す必要もないほどにご立派(深い意味はないったら)。ゆっくりと露天風呂に浸かったり出たりしながら裸で積もる話しを…、と言うと初対面なのにそんなのあるかと思うでしょうが、不思議に自然に話題がつづくのです。ここで、豊田勇造という人の懐の深さを知ることになるのです。実は勇造さんは20数年以上前にコンサートで当地に来ておられたのです。その世話をしたという人の名前も覚えていて、それが僕の友人でもあるW君だったのです。もちろん彼も自分の店を臨時に閉めてミニライブに来ることになっていました。一期一会、20数年も前に袖ふれあっただけの人の名前をきちんと覚えている、そしてアジア各地のコンサートでのエピソードなども、もちろんDr.悠々さん主催のコンサートのみならずご家族一人ひとりの描写なども手にとるように詳しく…。そのようにして、つぎつぎと話してくれたのです。長風呂からあがり山荘に戻るとこのライブに共演してくれるえびはらよしえさんが来て、ご対面。よしえさんは伊那市在住のメッセージソングシンガーで、僕の主催でも何度か歌ってもらっています。澄んだ歌声は、勇造さんの歌とでも調和がとれるのではと声を掛けておいたものです。いや、勇造さんに長く歌って貰うわけにいかないという事情もあって、前座をつとめて貰おうと手配したものです。内心、嫌がられるのではとヒヤヒヤものではありましたが、お二人ともこの設定を快く受けていただけました。聴衆は十数人。目の前でこれだけの演奏を聴けるというのにちょっともったいない数でした。案内を出した人はこれまで山荘に来てくれた地元の人と友人でしたから、年配者も多く、名前も知らないライブには気が乗らなかったのでしょうか。しかし、楽天仲間のきむちゃんがかわいい娘さんと参加してくれたり、新聞で見たという地元の勇造ファンも駆けつけてくれ、嬉しかったですね。いや、正式な勇造ライブが記事にならずに、こっそり開くミニライブが紹介されてしまったのは、僕の友人には各社の新聞記者が数人いるからなのですが、選挙期間中ということでみんな忙しくて残念。ということでコンサートが始まりました。つづきます
2007.04.14
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いよいよ、今日は勇三さんのミニライブの日です。地元アーティストのえびはらよしえさんも友情出演します。写真家の中山秀幸さんのダイナミックな山岳写真も見ものです。
2007.04.13
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ということで、今は忙しいのです。じっくりと更新できません。高遠の桜も満開のようですね。
2007.04.12
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「李下に冠を正さず」という諺は誰でも知っていると思うが念のために「りかにかんむりをたださず」と読む。すももの木の下で冠を直すそぶりをしただけですももを盗るのではないかと疑われるから、そういう行為はしないでおこう、という意味だが政治の世界では冠どころかすももをもぎ取ってもまだ知らぬ存ぜぬという輩ばかりのようだ。先の松岡某の「なんとか還元水」の話しではない。憲法改正の手続きを定める国民投票法案について、自民・公明の与党が12日の衆院憲法調査特別委員会で採決し、13日の衆院本会議で衆院通過させる方針を確認した、という。これなど、憲法という李にまさに手を伸ばそうとしている姿なんだろう。ここでずっこけるのが僕の悪癖なのだが、このテの人は世の中に実に多い。たとえばその男に好意を持っているわけでも、格段興味を抱いているわけでもないのだが、どう見ても媚びているように見えるタイプ。このタイプの特徴としては近眼、そして相談好きということがあげられよう。女優さんはたいてい近眼だという。うるんだような瞳で、相手に近づき見つめるようにするから、男はついくらっとなる。しかし、相手が女優ということで、ほとんどの男は理性を保つ。「まさかぁ、オレなんかにそんな気持ちをもつはずがない」しかし、相手がふつうの女だとそうはいかない。「ひょっとしたらひょっとして……」妄想は果てなく続くのである。おまけに困ったことに、誰かれとなくしなだれかかる女に限って相談好きときている。僕の知る範囲にも相談と称して、男をしょっちゅう呼び出している女がいる。僕はいつも考える。あの女たちは、果して本当に無邪気なのかしらん。単に冠を直しているだけなのかしらん。とっくに大人になった女が、あれほど無邪気ということはありえない。が、そうかといって、それほど深入りしたいと考えているとも思えない。あれは単に体質か性格なのであろうか。ここで元に戻すと、僕は憲法を変える必要はない派にいると思っているが、もし全権をゆだねてくれるなら変えてもいいと思っている。たぶん改憲を声高に言う人たちとは反対の意味になるだろうが…。世界秩序にとって不測の事態が起きるときは、法律の存在のあるなしにかかわらずおきるものだ。こちらは近眼だというだけで、相手からは惚れられていると思われてしまうことも、その逆もありうるのだ。法律があればすべてに万全ではないが、変えればより安全になるなどという考えはより近視眼といえる。 いよいよ豊田勇造さんが来る13日が近づいてきた。それに備えてということでもないがようやく山荘風呂が完成した。3、4人一緒に入っても余裕の風呂だ(ここで2人と書かないところが僕の奥ゆかしいところである)。といっても、脱衣所などの内装工事が残っているので、まだしばらく手が離せない。
2007.04.11
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2007.04.10
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2007.04.09
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2007.04.08
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僕が生まれ育ったのは田舎の山村だったため、小学校から中学まで同じ学校に通った同級生が50人ほどいる。先頃その同級会があって小学校の頃の思い出話をしたのだが、恐ろしいことに友人たちは僕が失念している出来事を幾つも覚えていて、語ってくれた。そのひとつが、僕が大きな桑ぐみの木に登り、枝が折れて真っ逆さまに頭から地面に落ちた状況のこと。これは十数針も縫う大けがだったので覚えている。あれが僕のその後の知的水準を狂わせたのかも知れない。もうひとつは、言われて突然想い出した出来事。小学校1年、2年と続いた担任はT先生という若い女性教師だった。T先生はいわゆる美人で優しかったため生徒みんなに人気があった。3月の卒業式も近いある日、ときならぬ雪が降り積もった。放課後、僕たちは雪合戦をした。僕は、寒いし標的になるのが嫌ですぐに校舎内に戻った。その時に教室からオルガンの音が聴こえて、音に導かれるように部屋に入った。火の気のない教室でT先生はオルガンで蛍の光を弾いていた。卒業式が近かったので伴奏の練習をしていたのかも知れない。白いセーターを着てオルガンを弾く姿が、いつもより一層輝いてみえた。僕が教室に入ってゆき側にいると、先生はオルガンの手を止め「Mちゃん、どうしたの…」と優しく声をかけてくれた。僕は「雪合戦して、冷たくなっちゃった」とこごえた手を差し出した。T先生は僕の手をとり、両手で包み揉むようにして「ハァー」と温かい息を吹きかけてくれた。その時に、僕の目の前にあった先生のセーターにある二つのふくらみが気になってしかたがなかった。僕は、突然そこに触れたい衝動にかられ、思わずセーターの上からペタッと両掌を押しあてた。T先生は、一瞬驚いたようなそぶりをしたが、暫くそのままでじっと動かずにいてくれた。どのくらいの時間が経ったのか定かでないが、「ガラガラッ」とドアが開き、同級生のガキたちが教室になだれ込んできた。先生はすくっと立ち上がり、僕はつっかえ棒がとれた案山子のようにその場で直立不動でいた。そこまでは、おぼろげながら密かに記憶している出来事ではあった。しかし、当時の同級生が語った話しでは、「たしか雪の降った日の放課後、MはT先生にこっぴどく叱られていたな。あれは何をして叱られたんだ」と聞く。僕は叱られてはいなかったはずだ。しかし、何をしていたかは言えない。しいて言えば手が冷たかっただけだと言うしかない。同郷生は重ねていう、「いやぁ、オレは覚えている。先生は真っ赤になって恐い顔をしていたから、お前は絶対叱られていた…」そんな昔のこと、どうして覚えているのか知らないが、僕の記憶では叱られた記憶はないが…、思いちがいだろうか。まだ小学校1年生だったから、もちろん性的な行動ではなかったはずだ。母の胸に触れるときの延長だったのかしらん。しかし、どうして先生に触れる気になったのか、それはまったく記憶にない。先生も単に冷たい手を温めてあげようと、じっとしていいくれたのだろう。でも、少しは何か感じていたのだろうか…。同級生の一言が想い出させてくれた、幼き日の懐かしい出来事。T先生はご健在ならもう70歳は超えているはず。僕の記憶のなかでは、若く美しいままだ。あの時、叱っていたのだろうか? なんとなく会って聞いてみたいような、会わないほうがいいような、風に揺れる桜の枝のような花冷えのこの頃…。
2007.04.07
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とくべつ書くこともないので雑談としたい。「~お帰りなさいませご主人様~」と店に迎え入れるメイド喫茶なるものが秋葉原付近で流行しているそうな。これはコミックマーケット(漫画同人誌)のなかのコスプレキャラクダーから派生した、オタク文化の集大成(?)とでもいえるものだろう。絶対服従の美少女ロリコンメイドが至れり尽くせりのサービスを提供してくれるという、現実には絶対にあり得ない女性(少女?)像をつくり商魂に利用するという、なんとももはやの世界である。新潟で、少女を誘拐し9年間も監禁していた男の事件。やはり監禁女性に自分のことを王子様と呼ばせ、なぶり死させた男。これらは社会のゆがみが生み出した奇形児であろうが、犯罪とは無縁なだけで、これも異質奇形な姿としか感じられない。これらは、昔でいう清純派というイメージとは少し違うように感じる。芸能界などでは「清純な乙女」が意図的に商品としてつくられる。清純派女優とかアイドル歌手とかがそれである。かつての天知真理や小柳ルミ子などは典型的であろう。天知真理のぶざまなヘアヌード写真、つい見てしまったが失望した。僕は今の吉永小百合のファンであるが、昔「吉永小百合の処女を守る会」というファンクラブがあったことを想い出す。彼女のファンは吉永小百合はオナラはもちろん排泄だってしないか、しても、ウサギのウンチのように丸くてコロコロした匂いのないものだと信じて(信じようとして)いたようだ。当然のことながら、吉永小百合や小柳ルミ子たち自身は、清純派と呼ばれることに息苦しさや窮屈に感じていたに違いない。梓みちよはアメリカンホップスから大人の匂いを漂わせる歌謡曲まで幅広いレパートリーを持つヒット歌手で、奔放な大人の女性という雰囲気を漂わせているが、「こんにちは赤ちゃん」を歌った頃は清純派そのものの印象であったし、その梓みちよの手引きで宝塚から歌手に転向した小柳ルミ子も「わたしの城下町」を歌っていた頃はなんと清純な歌手がでたものよ、と思ったものだ。ところが、いつしか恋多き女性のイメージができてゆき、10歳以上も歳年下の無名のダンサー大澄賢也と電撃結婚・離婚をしてからやはり大人の女というイメージに変わっていった。小柳ルミ子は「白蛇抄」で見せた迫真の演技により、日本アカデミー賞主演女優賞を受賞しているが、その映画を撮った伊藤俊也監督のパーティーで2年ほど前にご本人とお会いしたが、とても礼儀正しく感じの良い女性だった。樹木希林さんとも会ったが、ご本人はごく普通の上品なおばさんという感じだったし、芸能界という世界で生きるキャラクターというものは、みんなつくられたものだということを感じたものだ。男たちが描く「清純な乙女」や「貞潔な淑女」というイメージは、多分に幻想のなかに咲くあだ花のようなものであろうが、また松田聖子のように世界を股にかけて浮名を流すというイメージも幻想のひとつなのであろうか。どうでもいいことであるが…。 花冷えの陽気がつづいています。ようやく風呂工事も再開し、連休前に間に合いそうです。
2007.04.06
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友人の店に来ていた女の子、Iさんの娘さんだよ。
2007.04.05
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前にアトムおじさんの紹介にあった山本譲司著の『累犯障害者』を読んでの問題意識に触発されて、同じく同氏の『獄窓記』を読んだ。刑務所に収監された山本氏の回想録とでもいうものだ。模範囚として、他の収容者の世話をするための囚人ながら「指導補助」という役割を与えられた山本氏が、様々な障害をもった囚人たちの世話をする様子が、眈々としかも衝撃的な内容とともに書かれている。自分が何を犯したのかも理解していない囚人の、糞尿まみれの身体を拭き清めたり、時には痔疾囚人の大便を指でぬぐい薬を塗ってあげる。汚れた床を裸足で歩いたために、爪の間から雑菌が入り蜂か織炎という病気で歩行困難になり、障害囚人たちから労られるような事態にさえなっている。釈放を目前にし、互いに社会での再起を誓った収容者の突然の死。そのような過酷な刑務所内の生活のなかで、ひとつのホッとさせられるエピソードを書いている。僕は読みながら思わず落涙してしまった。全体を読んでこその内容で、その一部分だけではいかほども伝わらないかも知れないが、皆さんも『獄窓記』を読むきっかけになればと、紹介したい。 寮内工場には、ふたりの聾唖者がいた。 私は、寮内工場に配役されて以来、妻が差し入れしてくれた「手話辞典」を参考にしながら、少しずつ、手話の勉強を続けていたが、彼らふたりは、そんな私にとって、この上もない教師役となった。 特に、Sという名前の聾唖者は、筆談を交えながら、熱心に手話表現の要領を教えてくれた。 Sの年齢は、二十九歳で、寮内工場の中では、最も若い収容者だった。物怖じしているのか、他の収容者と交わることは、ほとんどない。 彼には、半年前に、初めての子供が誕生していた。 私の子供とほぼ同時期に生まれているのだ。 お互いに同じくらいの子供がいることが、私とSとの手話による会話を弾ませる要因となっていた。 Sの子供は、私と同じく男の子らしいが、まだ、一度も会ったことがないそうだ。それどころか、奥さんからの手紙がぱったりと途絶えてしまい、現在の子供の様子は、まったくわからないという。 Sは、私の子供の近況について、さかんに質問してきた。 私の場合は、幸いにして、ほぼ毎日のように、妻からの手紙が届いていた。 手紙には、息子の成長の様子が事細かく書かれている。 私は、できる限り、その内容をSに教えるようにしていた。 ――私の息子は、前歯が二本生えてきました。ビスケットを食べるようにもなりました。 親の支えがなくても上手に座れるようになったようです。 さらに、最近では、寝返りを打つようにして、ごろごろと回転しながら、部屋中を移動するようになったそうです。 きっと、Sさんのお子さんも、今頃、同じようなことをやっているのではないかと思います。 私がつたない手話で話しかけると、Sは、ひとつひとつの言葉に大きく領いて応えてくれた。 そして、話が終わると、陶然とした表情になる。 私の子供と自分の子供の姿を重ね合わせているのだろう。 しかし、Sには、我が子に対する大きな不安があった。 ――山本さんのお子さんは、親が健常者ですから、問題はないと思います。 でも、私の子供は違います。 親が聾唖者です。 私の母は、やはり、聾唖者でした。 そして、私の妻も聾唖者です。 ですから、子供の場合も、同じように、聾唖者になる可能性が高いと思います。 私は、そのことを非常に心配しています。 Sは、そう話った後、右手の指を顎にあて、すぐにその手を前に突き出した。「不幸」という意味の手話表現である。 彼の心配事は、子供の件だけではなかった。 ――妻からの手紙が来なくなったのは、彼女が、私との離婚を考えているからだと思います。 妻は、定職にも就かずに不安定な生活を送っている私のことを、不満に思っていました。 私は、いつも、彼女に、怒られていました。 そこにきて、今回の服役です。 私たち夫婦は、もう駄目かもしれません。どうしたらいいでしょうか。 私は、すぐに質問を返した。 当然、Sさんは、離婚はしたくないんですね。 ――もちろんです。 ――では、どうやって家族を食べさせていこうと考えているんですか。 Sは、何も答えずに、考え込んでしまった。 ――これから、Sさんがやろうと思っていることはなんですか。 やはり、この質問にも、Sは答えない。 ――やろうと思っていることがなければ、好きなことでも結構です。 何かありませんか。 ――好きなことと言えば、料理をつくることです。 テキ屋の屋台で、お好み焼きづくりを手伝ったこともあります。 ――それでは、飲食店で働くというのはどうですか。 ――まともな店で、私なんかを雇ってくれるところはありません。 ――自分で飲食店を経営したらどうですか。 Sは、一瞬、驚いた顔をして、自分を指差す。 ――私が経営者になるのですか。 ――そうです。今の時代、かなり大変なことかもしれませんが、いずれにしても、何か目標を持つことが必要だと思います。 目標を持って一生懸命にやれば、きっと、奥さんも協力してくれると思います。 この会話以来、Sは、図書目録の中から、調理師資格を取得するための参考書や料理関係の本を選び出し、手当たり次第に借りるようになった。 人が変わったようだった。 私も、そのひたむきな態度に触発され、彼への協力を借しまなかった。 店舗を構える際の融資制度や障害者への助成金制度などについて種々調べては、逐一、その内容をSに知らせた。 そんなある日のことだった。 Sが喜色満面の笑みを浮かべ、私に近づいてきた。 そして、手話で話しかけてくる。 ――妻からの手紙が届きました。イタリア料理の本も一緒に届きました。実は、先日、本の差し入れをお願いする手紙を書いて、妻に送ったのです。 Sが話したいことは、それだけではなかった。 ――妻の手紙に書いてありましたが、息子の耳は、正常に機能しているそうです。 検査の結果、わかったようです。 Sの目には、涙が溢れていた。 ――本当に、よかったですね。 そう伝えると、私は、自分の目頭を押さえた。 その日を境に、同因に接するSの態度が一変した。 自ら進んで、同囚たちに筆談を持ちかけるようになったのだ。 また、運動や入浴などで、工場から移動する時は、隣に座る全盲者の手を引くようにもなった。 全盲者も、Sの好意に応えた。 彼は、看守の号令や休憩を告げるチャイムが聞こえてくると、Sの肩を叩き、そのことを知らせるようになった。 聾者と盲者が、お互いのハンディキャップを補い合っているのだ。 私は、そんなふたりの姿を目にするたびに、心が洗われるような思いがした。 こうしたこともあり、仕事に対する満足感や遣り甲斐は、日が経つにつれて、私の中で増大していった。 休の動きも、軽やかになってきた。 ところが、九月の中頃、私の体は、突然のアクシデントに見舞われた。もちろん、この後もさまざまな出来事が続いてゆくのだが、それはご自分で読んで戴きたい。『累犯障害者』とともに、この本も自分の知らなかった世界、そしてあるいは誰もが何らかのきっかけで体験することもあり得るかも知れない世界が描かれていて、蕭然たる気分になる。社会のなかにあるさまざまなひずみの縮図がここには現れていて暗澹たる気持ちになるのだが、そのなかにどうすべきかのヒントもたくさん隠されていると僕は、そんな気持ちにさせられた。
2007.04.04
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待っても来ぬひとと 死んだひととはおなじこと さくらさくら はな吹雪 燃えて燃やした肌より白い花 浴びてわたしは夜桜お七この季節は坂本冬美の歌、夜桜お七が似合います。そして、黄砂とともにサクラ前線が北上中です。わが地方に訪れるのは10日前後になるでしょう。黄砂なのか曇っているのか、山が霞んでいます。サクラ前線というのは、ソメイヨシノが各地方での開花を示す等期日線ということですが、3月下旬の九州や四国から、5月中旬の北海道というように、気温の上昇とともに南から北へと上がり、この地点を結んだ線を「サクラ前線」と呼ばれているわけですね。信州では、南北もありますが高低もありますから、平地と山地では10日ほどずれることもあります。僕の居る事務所はもう1週間もすれば満開、山荘附近は10日くらい後でしょうか。だいたい100メートル上がるごとに、平地よりも一両日遅れるのが普通です。ところで開花予想の満開とは気象庁では、だいたい80パーセント開いたところを満開というのだそうです。女性で言ったら20歳台?30歳台?この地方はなんといっても江戸小彼岸桜が有名で、ソメイヨシノよりピンクが強く、女優でいったら伊東美咲か藤原紀香といった風情でしょうか。もちろん、それはそれで見応えがありますが、僕の好みは100パーセント咲ききって、ホロホロと花びらが散り始めた頃、そう黒木瞳か桃井かおりといった会話の弾みそうな大人の女性、そして葉桜の吉永小百合、十朱幸代などでもいいですねー、時と場合によっては、菅井きん、長岡輝子などの古木(笑)の風情も…、などと贅沢を言ってもどうにもならんよね。お二人はまだご健在でしょうか。 みなさんの地方の桜はいかがでしょうか、ところであなたは何分咲き?
2007.04.03
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土曜日には愛犬ハナの両親兄弟が訪ねてくれました。久しぶりに会った兄弟のクマくんはとっても逞しい体つきになっていました。我が家のハナは、甲斐犬と柴犬の血を50パーセントづつもっている雌です。甲斐犬はもともとは狩猟犬として育てられてきた犬なので、飼い主には従順でもそれ以外の人には警戒心が強く、熊や猪にも敢然と立ち向かう気性の荒さをもっているとされています。ところが、ハナは人が大好きで誰が来ても喜んで鼻をすり寄せてしまうのです。これでは番犬の役割を果たせない、と思っていたのですが、通常の入り口以外から敷地に入ろうとする人がいたり、猿が来たりすると吠えるのですね。教えたわけではないのに、このへんが本能というのか不思議なところです。冬期間は、山荘の池には憎き青サギが毎日のように襲来しましたが、最近は来る回数も減って、今はマガモの夫婦がのんびりと泳いでいます。魚を食べてしまう青サギと違って、マガモは主には草食でおとなしいので歓迎です。
2007.04.02
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今日から4月、エイプリルフールということだが、巷には嘘が溢れているので今日くらいは真面目に過ごそうと思う。Wikipediaによると、エイプリルフールは、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用した。これに反発した人々が、4月1日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎをはじめた。しかし、シャルル9世はこの事態に非常に憤慨し、町で「嘘の新年」を祝っていた人々を逮捕し、片っ端から処刑してしまう。処刑された人々の中には、まだ13歳だった少女までもが含まれていた。フランスの人々は、この事件に非常にショックを受け、フランス王への抗議と、この事件を忘れない為に、その後も毎年4月1日になると盛大に「嘘の新年」を祝うようになっていった。これがエイプリルフールの始まりである。というようなことだ。以前に、聞いて僕の中で“本当”なのかどうか記憶の定かでない話題があるが、皆さんに真偽~お聞きしてみたい。・金さん銀さんが生前にCMなどに出ていた頃、「出演料をどうします」と聞かれ、「老後のためにとっておく」と答えたという話。・不老不死とまでは言えないけれど、確実に3倍は寿命が延びるという試薬の被験者として、美輪明宏、森光子、中曽根康弘らが使っているという話。・犬語を人間の言葉に翻訳する機械が発明されたという話。・小泉元首相の言葉をその機械で逆翻訳したら、アメリカの犬の声に直訳されたという話。・安部首相の声で試してみたら、日本住血吸虫だったという話。こんな馬鹿なことばかり書いているから、嫌われるのよね。
2007.04.01
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