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春休み初日の5年生の娘。ヒマだったらしく、昨日(25日)は、新聞の公立学校教職員異動を読んだそうだ。自分の小学校に転入される先生を一番先に捜したのは当然だが、他にもいろいろ気が付いたようだ。今度離任する先生が一目で分かるように、異動する前の学校で「見出し」があるといいね。あの先生はどうなったかな、とわかるように、先生のあいうえお順とか。なるほど、それはそうだ。そういえば、昨日の朝に新聞を読みながら、通っている小学校の先生以外でもお世話になった先生の名前を私が見つけたので、教えてやったのだ。あ、あの先生今度校長先生だよ、と子ども達も喜んでいた。栄転を喜ぶというより、見つけた喜びだろうが。これスゴイよ。女川一の人が女川二で、女川二の人が女川四で、女川四の人が女川六で... 何でこんな近くでだけ動くんだろう。(親)女川はね、離島があって、島の学校との間で異動するということなんだよ。新田一とかたくさん出ているよ。(親)それはね、新田一小と新田二小を統合するんだ。異動先が、新田とあるが、これが新設校だ。登米管内には他にもなくなる小学校があるんだ。嵯峨立もそうだと思うが、小規模校なんだ。宮城一女がずらっと並んでいるよ。(親)宮城一高と名前が変わるから、先生のいる学校は変わらないけどみんな新しい学校に異動する形になるんだね。女子校が共学になるんだよ。などなど。異動の一覧を読むのも結構社会勉強になるものだ。
2008.03.26
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昨日(22日)は朝から一路盛岡をめざし、けんじワールドへ。昨秋に子ども達に好評で、今回は祖母も加わって朝10時の開園に滑り込む。疲れ知らずの子ども達は大喜び。温泉に浸かって午後6時に出て、夕食は東北道の紫波SA上り線のレストランに入った。何気なく注文した「盛岡冷麺」に下の娘がハマってしまった。「前売りの店って、普通マズいんだけど、これは美味しいよ。とくに、このスープ」小学2年のくせに、妙に前書きが世間ズレしているが、とにかく美味しかった。澄み切った美味しいスープ。別添えの辛みを好みで加えて食べる方式なので、辛みの苦手な子どもも大満足。いつもだと娘の残した分を私が平らげるというパターンだが、今回はスープも含めて完食。いや、実はちょっとだけ麺を残したのだが、それは妻が率先して平らげていた。
2008.03.23
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今日は開幕2戦目。田中でガッチリ勝ちましょう。思えば一昨日の試合、岩隈の力投に主力の安打、好プレーもアリで、ドミンゴの単調な攻めがなければ、本当に良い勝ち方だった。でも、ドミンゴを責める気はない。当然勝つ気でマウンドに上がった。リリーフの使われ方を自分ではどう思っているのかわからないが、全力を尽くす気持ちは間違いない。そもそも僕は、どういう投手がクローザーに向いているか論評できる知識がないのだけど、開幕戦を締めて上手く乗ってくれれば、最高の形だっただろう。まあ、負けてもたかが(鷹に)1敗だけ。今日勝って五分だ。開幕ダッシュはこれから。わが一家はTBCラジオの電波の届かない所に行くので、子どもたちとのラジオ応援はできないが、祈っておりますよ。予想 5回。山崎に1号3ラン、礒部とリックの連打などでビッグイニングの一挙6点。投げては田中が期待を上回る完封劇。6-0で快勝。見たか(み鷹)、ワハハのハ~
2008.03.22
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東奥日報の記事に出ていた。ウミネコの繁殖地で知られる八戸市鮫町の蕪島に、今年も「春の使者」が戻った、と。最近は仙台も4月か5月になったかのような暖かさだが、そうか、八戸の人はウミネコで春を知るのか。さて、蕪島とはなんて読むのだろう。カブ島か。そんなことを気にしながら地図を広げると、鮫町(鮫という八戸線の駅もある)からチョイと出っ張った島がそれのようだ。蕪島神社やキャンプ場もあって、地元の憩いの場なのだろうか。そして、読み方。やっぱりカブシマでした(八戸市サイト)。ウミネコ繁殖地として天然記念物に指定されている。昔は孤島だったのが埋め立てられて陸続きに。カブの名はかつてノラナタネが自生してカブの花と呼ばれたことに由来する、とのことです。近づいている(?)我が家の八戸・下北の旅に組み込むスポットが、また1つ決まった。
2008.03.17
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今朝窓を開けたら、暖かい早春の庭にいました。どうも名前がわかりません。どなたか御教示下さい。よろしくお願いします。
2008.03.13
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昨日(9日)は蔵王にスキーに出かけました。快晴で無風。本当に素晴らしい天気でした。紺碧の空に真っ白の樹氷。子ども達も感激でした。画像は山頂付近から北方を望んだもの。左が月山、右に葉山、そして小さくポッカリ浮かんで輝いているのが、何と鳥海山です。ここまで見えるのは珍しいそうです。画像は省略しますが、朝日は飯豊連峰、また栗駒山とおぼしき峰も見えました。つまりは山形県全土を見晴らした訳で、なんとも爽快でした。
2008.03.10
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東北学院大学が経済学部を改組して、新たに経営学部(定員310名)を設置する。経済学部は、経済学科(400名)に加えて、新たに共生社会経済学科(170名)を設置。現行の経済・経営両学科の夜間主コースは募集を停止する。この改組の実施は09年度。時代の変化を先取りして変革をする姿勢と言えるのではないだろうか。この変革がどのような意義を持つのか、いま私は評論できないが、東北学院が間違いなく果たしてきた仙台と東北の人材基盤の造成に対する最大の貢献度を踏まえると、この変革は大きな意味を持つはずだ。というより、持たねばならないのだ。私は学都仙台というとき、間違いなく東北学院が最大の貢献者だと思っている。ところで仙台がなぜ学都と呼ばれるか。高等教育機関の数や質なら、もちろん東京はじめ他の大都市に優るとは言い切れない。しかし、百万都市という規模と東北の産業集積を背景に考えれば、高等教育機関の存在価値が飛び出ている感じは確かにある。近代の夜明けを見れば、学都仙台の飛び抜けた様はもっとハッキリとわかる。旧制高校は東京に次いで仙台に設置され(旧制第二高等学校、1887年=明治20年)。また師範学校も東京に続いて仙台に二番目が作られ(宮城師範学校、1873年=明治6年)、その翌年には宮城外国語学校が全国に7つの外国語学校の一つとして設置。帝国大学は東京、京都に次いで東北帝国大学が置かれる(1907年=明治40年)。この頃には、官立の高等教育機関は、帝大、第二高校、仙台医専(現在の東北大学医学部)、高等工業(同工学部)。この4校体制は、東京の9校を除けば、京都(3校)をしのいで全国に例のない集積であった。さらに私学の伝統の厚さである。中でも東北学院は明治24年、東北学院大学の創立は、私塾「仙台神学校」が開設された1886年にさかのぼる。(以下東北学院のサイトによる説明)19世紀はキリスト教の各教派が競うようにアジア・アフリカに宣教師を派遣し、伝道活動を開始した時代。1879年にはドイツ改革派教会から日本へ最初の宣教師が派遣され、東京を中心にキリスト教の伝道が始まりました。そして1885年12月、教派三人目の宣教師としてW.E.ホーイが来日。一方、このころすでに日本にもプロテスタントのキリスト教が根を下ろし始める。横浜、熊本、札幌などに有力な伝道の拠点が形成され、日本のキリスト教伝道を担う人材が多数生み出される。その一人が、旧伊予松山藩士の押川方義。押川は1872年、キリスト教が未だ禁令のもとにある中で洗礼を受け、日本で最初のプロテスタント教会の一員に。その押川が活動の拠点を東北に移したのは1880年のこと。そして、押川が仙台を中心に熱心な伝道を続けていた時に、先述の宣教師・ホーイが来日。かねて宣教師の来援を願っていた押川は来日したばかりのホーイと出会い、協力の約束を取りつける。アメリカからやってきたホーイのもとには新しい知識を求める青年が集まる。そして1886年5月、6名の伝道者志望者を学生として、木町通りと北六番丁角の借家で私塾が開かれた。東北学院の第一歩となる「仙台神学校」の誕生である。また、この年二人の婦人宣教師が仙台に着任し、押川やホーイらの協力によって設立されたのが、仙台で最初の女子教育機関である宮城女学院(現在の宮城学院)。翌1887年末には、D.B.シュネーダー夫妻が来日。ここに、東北学院の「三校祖」と呼ばれる押川、ホーイ、シュネーダーの三人が顔を合わせる。1891年、仙台神学校は東北学院と改称され、伝道献身者以外にも普通・高等教育を施す。次々と教育制度を整えながら、南町通りの校地には赤れんが造りの校舎が新築。新進の詩人・島崎藤村が作文教師として着任したのもこの頃。東北伝道に力を尽くし、東北学院の礎を築いた押川とホーイが仙台を離れると、シュネーダーが第二代院長に就任し、東北学院発展の基盤をつくる学制刷新を次々と実行。東北学院大学は東北の私学で唯一の総合大学として、そのプレゼンスだけでなく輩出した人材の厚さでも、間違いなく学都仙台の支えだと、私は思っている。東北大学と並んでロースクールを設置した姿勢は、近未来にどう評価されるのかわからないが、学都のあり方を多様に彩るTGUの大きな存在意義を示したと私は感じている。いま手元には、「季刊教養学部」がある。さまざまな先生方がいろんな関心をもって研究している。チョムスキーなんて懐かしいな。私なんかでも再びキャンパスで学びたいと思ってしまう。そんな地域に根の生えた大学なのだ。私は決して東北学院の回し者ではないのですが、東北学院の発展が仙台・宮城・東北の発展につながる、とどこかで信じている。そう思う人は、同窓生や関係者以外でも、きっと多いはずだ。唯一の総合私学に対する誇りと期待は大きい。■参考 大内順『ジミ都市 仙台の本 杜の都へのナビゲーション』しののめ出版、2007年 978-4-434-10675-0 ほか
2008.03.03
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