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すごい一発だった。測定したら推定143メートルだ、とのこと。今日は朝井に10勝目かな、という試合運びが同点に追いつかれる。この時仕事帰りの車中。小山が打たれるが、家に着く直前にホセの同点弾。SkyAをつけたら、セギノールのどでかい一発。外野ライト席に入場するスロープにある樹に当たったそうだ。それからは連打のお祭り。佐竹や川岸がキッチリと役割を果たしたのが大きいと思う。大差で迎えた最終イニングのマウンドに、私が予想したとおり、野村監督は一場を上げた。3人で締めて笑顔でマウンドを降りる映像に、なにかホッとする気分になる。今週は仕事がどうしても終わらず足が向かなかった。明日は田中。行くぞ、今度こそ。
2008.09.30
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昨日は山の初冠雪について記したが、今日(29日)は、岩手県の薮川でついにこの秋初めて氷点下の気温を記録したという。氷点下1度1分。この秋一番の冷え込みだそうで、そう言えば朝子ども達も起きるのがスローになった。ところで、薮川は今は盛岡市(玉山区)だが、岩手県生まれの私には、真冬にはマイナス10度や20度は平気で出す寒い所という印象が強い。気象庁のホームページで検索機能があったので調べたら(コレ)、最低がマイナス27.6度(88年2月17日)。ちなみに仙台では、1945年のマイナス11.7度でした。意外と低くないとも思うが、実際にそんな朝が来たらやっぱり震え上がるだろう。
2008.09.29
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昨日や今日はメッキリ涼しく感じます。もうすぐ10月、秋も深まります。各地で初冠雪も報じられています。昨日(27日)は、月山(1,984m)の初冠雪を観測。明治22年観測開始以来、最も早かった昭和51年(9月23日)に次いで2番目の早さ。平年より18日早く、昨年より25日も早いそうだ。(山形新聞による)岩手山(2,038m)でも例年より半月も早く初冠雪が観測。1953年からの観測史上3番目の早さ。(河北新報による)青森市の八甲田山系でも田茂萢(たもやち)岳(1,324m)に降雪。青森地方気象台から目視観測できなかったため気象データとして初冠雪とはならなかったが、八甲田ロープウエー山頂駅で約1センチの降雪を確認。(河北新報による)蔵王連峰では、刈田岳(1,758m)や五色岳(1,674m)などで今季初の降雪。ここも仙台管区気象台(宮城野区)から目視で観測できず、初冠雪にはならないが、観測を始めた1940年以降、蔵王の初冠雪は93年の10月5日が最も早く、9月に観測されたことはないという。(河北新報による)鳥海山は28日午後、雪に覆われた山頂部をのぞかせ、山形地方気象台酒田測候所は同日、初冠雪を観測。平年より11日、昨年より15日早かった。秋田県側山頂部の雪は26日夜に降ったとみられる。(さきがけ新報による)福島県と山形県にまたがる飯豊山は、28日に初冠雪を観測。昨年より25日早く、平年より19日早い。福島地方気象台若松測候所では、27日から28日朝にかけて山頂付近で降雪したと見ている。(NHK福島から)----------という訳で、世の中色々ありますが季節は着実に動いている。ちょっと早いですけど。画像は2年前の秋に旅した鳥海山です。06年7月31日に撮影(その際の日記)。
2008.09.28
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仕事の後に、おばんでガす作戦でKスタに寄るつもりだったが、結局行かなかった。出たのがもう8時過ぎで、その時点で7回まで来ていたし。6時台には、こんなにバンバン打ちまくっているし、試合時間も長くなるだろうから、おばんですチケットでじっくり田中の力投と打線の花火を堪能しようか、と思っていたが、あれよあれよと後半はペースが速かったようだ。結局電車に乗っているうちに試合も終わってしまった。それにしても、勢い、ですね。埼玉西武の地元胴上げを、寸前でホセの満塁弾で粉砕した、あの勢いです。優勝に数字上の可能性だけ残っていたオリックスを大差で撃退し、敵地で敗れた西武に優勝させる、という小憎らしいほどの今やリーグの支配者。おまけに自らも5位浮上。そうとう厳しいけれど、残り11試合で何とか4位に漕ぎ着けたい。昨年同様の4位で、そして昨年を上回る勝ち数になって、初めて「越えた!」と言えると思います。頑張れイーグルス! 明日の片山は来季につながる力投を期待します。日曜は一場でしょうか。私は明日は用事があるので、日曜にはできれば駆けつけたい。日曜は無理でも、月(岩隈)、火(朝井)は行きますよ
2008.09.26
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今朝の河北ウイークリーせんだい。丸森町の筆甫(ひっぽ)に暮らす4人の若者を取り上げて、筆甫の自然と彼らの生き生きとした暮らし方を紹介しています。私、宮城県人でありますが県内未踏の地の1つが、七ヶ宿町の稲子地区や、この筆甫です。テレビなどで見るたびに、いつか行きたいとは思っていたのですが。不動尊公園までは2度ほど行きました。その先は、まさしく筆甫に行くためでないと、行かない所。いいですね。こんな特集を組んだ河北ウイークリーの眼にも、敬服。
2008.09.25
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すごい試合でした。昔の近鉄を思い出すような、大砲をぶっ放ち合う壮絶な試合。モールのテレビコーナーで眺めていた時はまだ3-2でした。家に帰ってBSで見ると、何と8回裏に逆転されて、ライオンズは異様な盛り上がり。それにしてもグウィン心配だな。子ども達も、ライオンズの選手達もう勝ったつもりだね、などとチャンネルを教育テレビに変えてしまう。まあ、一応9回表も見てみようと子に頼んで、「2画面」にして見ていたら、あれよあれよと満塁。代打藤井が四球押し出し。次の初球が勝負だよ、と話していたら、ズバリ行ったね。我が家もみんなで大バンザイ。長い連戦を巨大花火で締めくくりました。ホームが随分残っています。全部勝つつもりで良い試合を。まずは5位浮上、そして前年同様4位の目標がありますから。越えろ!
2008.09.24
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昨夕は麻生新総裁の会見を聞いた。1年間無役で全国を遊説し不景気を実感した。民主党に勝利するのが天命だ。補正予算成立を目指すが、民主が審議に応じないとすれば常識に反しよう。何でも反対の古典的反対政党の民主党とは違い民主的手続で自民は総裁を選んだ、などの言葉が印象に残った。オリンピック出場という経験も異色だが、マンガ好きや放言?なども、毛並みの良い出自を隠す意図だとも指摘される。人気が高いことは事実だ。消費税論議は早速棚上げするようだが、有権者は目先の心地よさより中長期的な国の立て直しのビジョンを明示することを求めている。小沢民主党の打ち出した政策を批判して、選挙対策のバラマキで財源の道筋がない、と言うが、その点は重要なことだ。痛みを回避する姿勢に終始して、与野党とも単視眼な国民迎合をしてはならない。先を見据えて、しかも実現可能性のある政策を打ち出して欲しい。消費税論議、国家財政の不効率の一掃、地方行財政の改革、これらをベースに国民生活を描いて欲しい。ともかく国のトップに就く人だ。大いに期待したい。ところで。今朝の河北新報では、麻生氏の家系図が出ていて、改めて名門ぶりに感嘆する。ご夫人は鈴木善幸元総理のご令嬢。妹は三笠宮妃。弟の夫人は武見太郎氏のご令嬢。そして、太郎氏の祖父は元首相の吉田茂だが、そのご夫人(太郎氏の母方の祖母)については、父君が大久保利通の子の牧野伸顕元内大臣。母堂は三島通庸の娘、だそうだ。つまり、太郎氏は、吉田元総理の孫であるとともに、大久保利通と三島通庸を4世の祖(高祖父)に持つということのようだ。三島の孫の孫になるとは、初めて知った。三島通庸(みちつね)は、薩摩藩武士で戊辰の戦いにも参加。明治7年に実力者大久保利通に手腕を見いだされ、酒田県令として、ワッパ騒動渦中の庄内の統治に当たった。その後明治9年に3県合併で誕生した山形県の初代県令。県都山形市の建設や道路整備に腕を振るう。明治15年には松方正義の命で福島県令に着任。会津三方道路の整備を強行するなどしたが、福島では自由民権運動抑圧のイメージが強い。その後栃木県令も兼任。中央政府の土木局長、最後は警視総監に就き子爵の位を得る。明治21年に51歳で没。那須ケ原には三島神社として祀られるほど、土木行政では業績を残した。(三島通庸について、高橋克彦編『東北(みちのく)歴史推理行』(徳間文庫、1993年)から。この文庫本は、NHKで放映したテーマをもとにした熊谷印刷出版部1987年刊行の『高橋克彦の歴史ズームイン』を増補改題したもの。)麻生太郎氏。鈴木善幸氏の娘婿というだけでなく、明治の東北開発に大きな役割を果たした大久保卿と三島通庸の血を引く人物だ。なるほど一種のスケールを感じるのもそのためか。安倍総理の際も奥州安倍一族の末裔などという論調もあったことを、かすかに思い出すが、麻生氏の方は正真正銘だ。明治の国づくりの気概を持って、混迷の現代に光を掲げて欲しい。
2008.09.23
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山形新聞の記事に出ていた(21日)。山形銀行(やまぎん情報開発研究所)の調査によると、山形県から県外の大学・短大学生(約1万6千人と推計)に、平均年間仕送り額約97万2700円(学費除く)を乗じて、県外への仕送りの流出は約159億円に上る。他方で、他県から本県へ進学は約7600人で、年間約74億円が流入と推計。差し引きで、年間約85億円の流出超過になる。記事によると、次のように推計したようだ。県内高校生の昨年度卒業生1万2831人のうち、大学・短大に進学者は前年比2.6%増の6078人。県外進学が75%程度を占める。全国大学生協連などの調査によると、学生の1か月生活費平均額約12万円のうち、7割近くが仕送り。アルバイト収入は増加傾向にあるものの依然として生活費の多くは親からの援助に依存。仕送り負担が親世帯の消費マインドに負の影響を与え、老後の資産形成にも影響。学生が奨学金、学資ローン、アルバイトなどを利用する傾向が強まっているが、これは県内消費にも好影響を及ぼす、と分析しているのだそうだ。同研究所の調査報告書を拝見した。ラフな推計だが、着眼点は大変興味深いと感じた。別居学生への仕送りは相当な額が動いているし、政策的にも何らかの方途が考えられそうだ。もっとも、そこで何を目標(誘導すべき状態)とみるか議論はあるだろうが。思い出すのは、山形銀行にも在職された齋藤知事の所論。年金を題材に地方から首都圏への資金還流について記していた。(当ジャーナルの記事 地方金融市場と山形県の産業集積を考える(06年4月11日)を参照下さい。)
2008.09.23
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秋の雨がそぼ降る朝。何となく気も重い。画像は下の子の夏休みの工作。2年くらい前のものですが、なぜか最近引っ張り出して窓に飾っています。もりの動物たち、という題だそうです。
2008.09.22
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昨日(20日)は盛岡へ。夜は一家で冷麺を食べた。インター近く46号線沿いの三千里さんだ。正しくは、盛岡冷麺三千里 ドライブイン三千里店 となるようで、行政区域上は雫石町。ある人に聞いたら一番美味いということで、訪れる。4人とも冷麺を注文。妻はメニューを眺めては、セットメニューの値段設定が安いと感嘆していた。肉も注文する勢いだったが、諌めて冷麺だけにさせた。周りを見ると、なるほど皆さんご家族やグループで結構焼き肉を食べていた。さて、冷麺だが、確かに美味かった。私を見習って、下の娘もスープを飲んでいた。200キロのドライブで帰宅後、親子で水を飲みまくった。■関連する過去の記事 紫波SAの盛岡冷麺(08年3月23日)
2008.09.21
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痛ましい事故だ。横断歩道を渡っていた。信号がないとは言え、場所は横断歩道だ。25歳の会社員が現行犯逮捕されたが、横断歩道で止まろうとしない車が多いことに、私は普段から問題意識を抱いていた。宮城県の特徴なのだろうか、歩道を渡ろうとしているのに止まらない車が多い。ひどい場合は、渡るなとクラクションを鳴らす。もっとも、この場合は歩行者を眼にしているのだから、まだ良い方かも知れない。今回の石巻高校の女子生徒が亡くなった事故では、おそらく横断歩道も何もお構いなしで堂々海沿いの道を突っ走っていたのではないだろうか。信号をつけるべき、という議論はあるだろう。それにしても、運転者のマナー、いやマナー以前の人間としての感覚が薄れているのではないか。宮城県のドライバーたちは、強く自覚すべきことでないか。
2008.09.20
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『杜の都の名木・古木』(仙台市建設局緑政部緑政課、1996年)を眺めているが、青空を背景に様々な表情を見せてくれる古木たち。何とも心が和む。これらは、仙台市の杜の都の環境をつくる条例に基づいて保存樹木として指定されているものだ。指定の基準としては、健全で樹容が美観上特に優れていること、高さが12メートル以上、などの基準がある。仙台市以外の市町村でも、古木や名木を保存する動きはあるようだ(宮城県資料)。この本はちょっと古くて、現在は181本ある保存樹木を紹介する新しい冊子が、1000円で市役所の1階などで買えるそうだ(仙台市HPの説明)。できれば、サイトできれいな画像を閲覧できると良いのに、などと願望をいだきながらも、とりあえずこの平成8年の冊子のきれいな写真を眺めている。ところで、推定樹齢の最も古いものは、という観点でみてみると、柳生のかや(指定番号130)樹種 カヤ(イチイ科)所在地 太白区柳生二丁目所有者 阿部さん他樹高 13.0m 幹周 4.0m 推定樹齢 1300年1200年だと「銀杏町のいちょう」などもあるが、1300年とは古い。解説には、----------阿部家は江戸時代以来からこの地に住む旧家で地元では関根と呼ばれる。昔このカヤの根本から薬師如来が発見され、阿部家を中心とした隣組「関根組」がお堂を建てて祀ったことから。里の人はカヤから生まれた仏様と称している。源頼朝が平泉攻めの際に陣を構え、馬をこの木につないだとも伝えられている。----------由緒がありますね。googleのストリートビューで見たら、マンションの敷地の一角、市道に面したところに、お堂といっしょに残されているようだった。■関連する過去の記事 東北の巨樹・巨木(07年11月19日) 宮城県の古木の樹齢(06年11月23日)
2008.09.18
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仙台・宮城デスティネーションキャンペーンでいよいよ盛り上がる宮城の観光ですが、その一環でJRが出したパンフレット。県内のさまざまな旅のメニューがあり、見ているだけでも楽しいです。主催者も、公私さまざま。以前ブログで拝見したこだわり社長さんの仙台バスさんも出ています。杜の都ナイトツアー、大人の旅ですね。伊達の歳時記ツアーも出ています。好評だということで、がんばれ、仙バスさん。全国の観光客に仙台の魅力を、お願いします。ところで、主催者(問い合わせ先)の表示に注目すると、市町村があったり、企業組合があったり、タクシー協会があったり、まさしく県を挙げての取り組みですが、南三陸のエリアでは、○ とっておき♪南三陸ワゴンの旅○ 志津川湾クルージングの2つがラインナップされており、問い合わせ先は「南三陸時間旅行サポートセンター」となっています。時間旅行って何?南三陸町観光協会HPを訪れると、さあ南三陸時間旅行へ! というキャッチフレーズで、海時間、山時間、寛ぎ時間、ご馳走時間、など南三陸時間の紹介がある。なるほど、南三陸ならではの時間をタップリ楽しむ旅、ということですか。サポートセンターは、役場内の観光協会のことのようだ。南三陸ならではの時間割。ひころの里、さんさん館、自然環境活用センターなどもあるし、海の幸もすばらしい。10月2日には企画列車タコDC号も運行されるそうで。県内あっちこっちで色んな旅の形で盛り上がるとすばらしいと思います。
2008.09.17
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明治天皇の御料馬として名馬と讃えられた金華山号は鬼首の産だが、当地はかつて仙台藩の隠し牧場で、それも慶長遣欧使節の支倉常長が連れ帰った外国馬が発端だとの伝説がある。■関連する過去の記事 鬼首の名馬金華山号(07年12月26日)今回は、高橋克彦さんの企画からまとめてみたい。■出典 高橋克彦編『東北(みちのく)歴史推理行』(徳間文庫、1993年) この文庫本は、NHKで放映したテーマをもとにした熊谷印刷出版部1987年刊行の『高橋克彦の歴史ズームイン』を増補改題したもの----------金華山号は他の日本の馬と異なり、外国の血が混じっているとの説があるが、明治初期しかも山深い鬼首になぜ外国馬の血が混じった馬がいたのか。金華山号は明治2年鬼首村の高橋七右衛門に産まれ、後に馬の育成地水沢の家畜商佐野善兵衛の手に落ち、大林寺なる寺で飼われたという。明治9年東北巡幸の際に付き人が目をつけて御料場として買い上げた。(佐野の子孫の話)親から聞いた話として、四肢の構造が当時の日本馬と異なり、乾燥した立派な四肢だったこと、また、大柄な馬であったこと。(馬事研究家の村井秀夫さんの話)残っている金華山号の写真からすると、母親は南部馬、父親は明らかにアラブ系である。南部馬は首、背中、腰の線が直線的だが、金華山号は父親似で首が立って、形も大きい。 資料からも裏付けられる。最近、江戸時代の川渡の御湯守藤嶋吉郎右衛門の後裔の藤嶋孝雄さん(真癒の湯)宅で見つかった古文書。明治5年の租税真高調べで、アラビア飼料と書いている。アラビア馬の飼養者が川渡で15人、馬が30頭いたことがわかった。 これは藩政時代を通じて当地が伊達の秘牧場になっていたと考えられる。(郷土史家の只野義男さんの話)鬼首は、鳴子、花山、横堀(秋田県)、最上(山形県)とはそれぞれ峠があって看視されていたから、馬生産には最も環境が良い。盗人滝(ぬすっとたき)という滝がある。他藩の者が夜陰に乗じて鬼首の名馬を盗み、沢の流れを利用して逃げようとしてこの滝に出くわしたのではないか。水沢の郷右近家には、常長が持ち帰ったとされる銅版画が残っている。その上、郷右近家には、常長が馬を持ち帰って鬼首に隠したとの話まで残っている。(紫桃正隆さんの話)サン・ファン・バプチスタ号なら馬の10頭や20頭は船倉に積めただろう。記録にはないが、馬を持ち帰った可能性はあると思う。政宗の時代は馬に乗れる資格は今の将校クラスで貴重だった。だから、宣教師の口から欧州には名馬がいると聞いただろうし、支倉派遣の裏には、馬の改良や馬術などの調査研究も含まれていたと言われている。 支倉一行はスペインを横断して往復したが、バルセロナから船でフランス領地中海を航海してイタリアに行く。その辺が馬の産地。またバルセロナまでは陸路を馬で行った可能性があり、常長には立派な馬が驚異的に映ったのだと思う。是非とも故国に持ち帰りたいとの願望が、武士として当然の判断だったのでないか。 そもそも下級武士の常長を派遣したのは、天下制覇の野望を抱く政宗の賭け。失敗する可能性の強い賭けで、失敗の際どうするかの含みを彼は読んでいた。常長自身も主君に迷惑をかけないよう覚悟はできていただろう。常長の晩年は謎に包まれている。伝えでは帰国して2年後52歳で没したとされ仙台の光明寺に墓がある。しかし、墓は他にも4カ所有り、どこに葬られたかは謎だ。(松島円通院住職天野明道さんの話)円通院は政宗の孫の光宗をまつってあるが、欧州の図案を日本建築にマッチさせようとの工夫がうかがえる。葵の紋だとしてスペードをカモフラージュして入れるとか。御禁制時代だからいかに申し開きができるか全部考えて描いてあるわけである。ガーベラ、葡萄や十字架も図案化され、伊達藩はここを秘物と称して立ち入り禁止にして全然見せなかった。(紫桃さんの話)キリシタン禁制下だから、持ってきた請来品は全部仙台藩の評定所の蔵に納めて、日の目を見ずに来た。文化年間に大槻玄沢がこれを調べて「金城秘オン」にまとめている。 馬や製鉄なども同じで、人目のつかない所に隠していた。製鉄は登米郡や東磐井郡の山の中に秘かに設けた。 馬に外国の血が入っているかどうかは一目で分かるから、絶対に見つかってはいけなかっただろう。(村井さんの話)文久3年にナポレオン三世が家茂にアラブ馬二十数頭を送っており、付き添いの者が六年で2万5千頭、8年で4万頭にすると豪語している。とすると、常長が持ってきた20頭から、六、七年で日本有数の騎馬軍団を作れる可能性も、あった。高橋克彦さんは、政宗の野望が文献ではなくして馬の血に秘められていた、金華山号はその生きた証だ、と結んでいる。(おだずまジャーナル注:上記では各ゲストの話として整理しましたが、司会者の対話の中で説明されており司会者の発言部分も含めて整理している。)----------円通院の霊廟三慧殿(国重文)は、昨秋に編集長も夜のライトアップを見物にお邪魔した際に一枚撮らせてもらった。常長が持ち帰ったバラが描かれている。ちょいと画像がブレていますが。■関連する過去の記事 松島円通院のライトアップ(07年11月15日)
2008.09.16
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編集長は今日一日何をしていたかというと、午前中に子ども達の用事をしたこと、午後にSkyAで楽天の応援をしたこと(Goodな勝ち方だと思って8回で消したのでしたが)、それ以外は、実にPCと格闘したのでした。事の発端は先月の上旬にSP3をインストールしてしまったこと。ネットにつながらない、正常終了はしないで、結局SP3を削除して何とか復旧。ちょうど沖縄に発つ日の朝でした。SP3は特にインストールするほどでもないと聞いてはいたのだが、いちいち更新を促されるのが面倒くさいので、ついつい入れてしまったのだった。反省。ところで、SP3とは直接関係ないことなのだが、ここ数ヶ月PCの動きがとても重くなった。特に画像を処理する時にほとんど止まってしまうことも。ここ数日は、ついに仮想メモリを拡張しなさい、とのメッセージも頂戴した。主原因は画像や動画が増えたことだと思う。30ギガのCドライブも8割が使われている。何とかせねばと思っていたが、ヒマが無いと言い訳をしてきた。一時ファイルの削除やCドライブのデフラグくらいはやったけど、あまり効果はない。この連休くらいはじっくりやってみようか。実は編集長、何を隠そう少々PCフォビアで、腰が重かったのでありました。ハイ。ネットで情報を仕入れて、まずは不要のアプリケーションの削除。6年前に買った時に付いてきたアプリや、何かの時にインストールしてしまったもの、いいぞいいぞ、ドンドン削れ、という感じで削除した。次に、仮想メモリをDドライブに移す。Dも30ギガもあって使っていないから、データを持って行っても良いのかも知れないが、知識のなさで、とりあえずネットで解説のある方法として仮想メモリをDに。これで結構処理は速くなった。ついでに、タスクマネージャの見方も知った。なるほど、コミットチャージを見ればいいのね。ところが問題が生じてしまいました。iTunesを起動してみたら、QuickTimeを要求されてしまい開けない。そうです、私はQuickTimeが画面の右下にアイコンで常駐しているのが起動を遅くする原因だと思って削除したのでした。娘にiPodの説明書を持ってこさせて、アップルのサイトからiTunesの新しい版とQuickTimeをダウンロード。ほっと一息ついたが、まだおかしい。起動時に新しいハードディスクがあるとかのウィザードが出て、ソフトを検索してもみつからない。マルチメディアオーディオコントローラがないのだ。これも勢いで削除してしまったように思う。確かに今まで画面右下に出ていたスピーカの絵のアイコンが消えているし、そもそもサウンドが出ない。アチャー。どうしようか。一応PC購入時に同梱のリカバリ用ROMは大事に持っているが、全部やり直しは面倒だ。去年買った320ギガの外付HDDにPCまるごとバックアップしてから、このROMで初期状態にする、ということなのだろうが、やりたくないですナ。一応ウィザードで、このリカバリROMからソフトを検索させてみたが、引っ掛からない。困った。もう夜になって子ども達も寝た。ネットで見ると、メーカーでデバイスマネージャをダウンロードさせてくれる場合があるそうだ。メーカーのサイトを開いてみる。この型番で、サウンドマネージャがある。YAMAHAの何とかで、そういえばこんな名前のソフトを昼間に削除したような、苦い思い出がよみがえる。ダウンロードして、解凍ファイルをデバイスマネージャとして組み込む。あ、何かうまくいきそう。再起動したら、ちゃんと音も出た。ああ、良かった。よく分からないのだが、メーカーのサイトに掲げてあったのもマイナーな更新があったからであって、そうでもなければ簡単に入手できなかったのかも知れない。ラッキーでした。そんな訳で、夜の12時から編集長は一人で汗流しの祝杯。沖縄で買ってきた、古酒の「瑞泉」です。40度ですが、スンナリ飲めて大変おいしい。ちなみに、これも空港のおみやげ屋さんではそれなりの値段がしたのですが、名護市内のスーパーで買ったのでした。あとは、次回の課題として、画像データをどうするか。外付けHDDにバックアップしているが、PC本体に入れない方法を考えるべきなのだろう。CDに落とすか、あるいはHDDにドンドン落としてもいいのだろうが。この辺は、実は320ギガのHDDを買ったものの、バックアップについてよく解っていないので、バックアップの仕方とあわせて、勉強します。今日は沖縄気分で連休の最終夜を閉じたいと思います。ああ疲れた。■関連する過去の記事 沖縄そばを食べる(08年8月23日) 沖縄と宮城(その3)(08年8月21日) 沖縄と宮城(その2)(08年8月20日) 沖縄と宮城(その1)(08年8月19日)
2008.09.15
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昨日(14日)は芭蕉が涙を流した壺の碑を子ども達に見せようと出かけた。思いがけず、観光ボランティアガイドさんに丁寧に説明していただいた。親の私が言い聞かせるより、こどもたちにとっては、ずっと良かっただろう。大化の改新の意味は、単に蘇我入鹿を討っただけではなく、律令の政治を及ぼしたこと。全員の戸籍を作った。この多賀城も単に蝦夷征伐の拠点とかつては考えられたが、今では律令政治の統治拠点(遠の朝廷)と考えられている。ちょうど多賀城碑のある辺りは、外郭の南門があったが大変立派なもので、また外郭はすべて瓦の屋根で、しかも基礎工事には土管のような高度な排水技術が施されていた。ここから政庁に至る直線道路は一般人は通れない。などと、子ども達にわかりやすく説明していただいた。編集長も質問した。城内の政庁以外には人が住んでいたのですか。いいえ、外郭の内部は政庁のほか役所があり、人々は仙石線の方に住んでいました。もう1つ。碑のあるここの土の盛り上がりは最近のでしょう。いいえ、これこそ当時の外郭なのです。エーッそうですか。これは驚きました。そんな訳で私も大変勉強になりました。そして、碑を見学。日本三古碑の一つだが、その大きさと形状は比類がない。約400年土中に眠っていたために風化を避けて文字が読める。などの説明をいただいた。碑の上に西の文字があるが、意味は不明。また、奈良時代の1里は5百メートルくらい、靺鞨の国界を去ること三千里の靺鞨とは沿海州のことで、当時は秋田を経由して交易があった、など。編集長の質問。この石材はこの辺の産だとわかっているのですか。そうです、この辺の石。太古は海だったので、貝が付着した名残があるのですよ。ということで、碑の裏側(東側)にある二つの穴を教えて頂いた。これは面白い。それにしても、素朴な疑問にわかりやすく的確に答えていただいた、観光ボランティアさん、本当にありがとうございました。編集長もちょっとした修学旅行気分。最後の画像は碑の付近から望む政庁方向。今回思い立ったのは、先週おくのほそ道の写真と俳句から成る紀行書を読んだから(植田正治 黒田杏子『「おくのほそ道」をゆく』小学館、1997年)。芭蕉は、この碑を眼前にして、古人の心を閲し、行脚の一徳、存命の悦び、旅の労を忘れて泪も落つるばかりに感激した。それにしても、多賀城は古代の東北経営の拠点だけでなく、歌枕に詠まれて日との京人の憧れとなり、芭蕉が涙し、かと思えば太古の海の名残も。悠久の歴史を感じます。■関連する過去の記事 船形山神社の仏像と多賀城(07年8月30日) 加瀬沼から多賀城六月坂地区へ(07年4月16日) 多賀城跡の風景(07年2月19日) 多賀城の基礎知識(後編)(06年8月8日) 多賀城の基礎知識(前編)(06年8月7日) 岩切の寺社をめぐる(06年1月3日) 平泉への道(06年1月11日) 芭蕉が感激した「おくのほそ道」岩切・多賀城(06年1月25日) 古代東北の理解(06年5月31日)
2008.09.15
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大湯環状列石は昭和7年に発見されて、大きな反響を呼んだ。諸説ある中で、大湯郷土研究会会長で元大湯町長の諏訪富多さんは、十和田文化圏なる古代文明の存在を提起し、東北がかつては文化の中心であったと論じた。諏訪さんは発掘当初から、私財を投じてストーンサークルに身を捧げた。記紀による奈良や京都中心の歴史ではなく、東北には何があったのかをどこまでも追求しようとした。発見された列石を作った人間達は、この地で何をしてどういう国家を築いたか、そしてなぜ消えていったのか。このことは、高橋克彦編『東北(みちのく)歴史推理行』(徳間文庫、1993年)に書いていた。この文庫本は、NHKで放映したテーマをもとにした熊谷印刷出版部1987年刊行の『高橋克彦の歴史ズームイン』を増補改題したもの。諏訪さんが98歳で亡くなってから5年後の放映で、孫の方がTVに出演されたそうだ。東北とは何かを知ろうとした強い心だろうか。膨大な量の原稿が残された。諏訪さんは知識人であり地元の経済人でもあったそうだ。■関連する過去の記事 大湯環状列石(ストーンサークル)(08年1月25日)
2008.09.14
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8歳の娘が何で知ったか、得意げに、世界で一番小さい国知ってる? バチカンだよ、と。そして、もし一人だけの国ってあったらどうなるの、と素朴な質問。まあ、1人だけでは国は成り立たないね。経済が成立しないし、第一、2人以上いなければ社会や政治の必要がないしね。バチカンは、キリスト教の本部があるから、世界中からたくさんの人が集まって、お金を置いていくから経済が成り立つのだよ。住んでいる人は協会関係の人たちで、資産がいくらあるか未だに謎だけど。食糧や飲み水とかが全部その国だけで回っているというのとは違って、お金が集まるから独立している、というようなもの。言ってみれば、たとえが違うが、ありゃテーマパークみたいなものだ。ディズニーランドとかリナワールドみたいな、ね。これで子どもは分かったのだろうか。ふと私はイギリスの洋上に浮かぶ人工島の軍事要塞を占拠して勝手に独立を名乗っているシーランド公国を思い出した。インターネットで不法な収益を得ているというから、やっぱり経済はそれなりに成り立っているのだ。
2008.09.13
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今は東北本線の踏切に名前を残している。宮城刑務所と河原町を結ぶ道路で、新幹線は高架だが、在来の東北本線は平面の踏切になっている。朝夕の渋滞が問題視され、よく仙台市議会で話題にされるところだ。ところで、この踏切の西側に、道路に面して行人塚と称する小塚があり、古城神社になっている。その昔、広瀬川は大水の度に河原町から七郷村を横切り東方に奔流して深沼で海に注いだことがあった。洪水の度に流域や河床が変わるので住民は苦しんだ。その頃、行人塚の南に続く五つ谷に一人の行人(山伏)がおり、村人を水害から救おうと大本願を立て、人々が押し止めるのを振り切って人柱に立った。行人は、私の振る鈴の音が二十一日の間、土中から聞こえてきたなら必ず大願は成就すると語って生き埋めになった。その日から村人は、竹の節を抜いて土中に差し込み、涙ながらに懸命に毎日行人の鈴の音に耳を傾けた。日に日にかすかになりながらも遂に二十一日の間音は絶えなかった。この年の秋また洪水があったが、河道はすっかり変わり閖上の方へ注ぐようになり、七郷の村は見渡す限り沃野と化し、爾来水害は後を絶ったという。深沼海岸近くにある長沼や大沼は、当時の洪水が残した河跡湖だという。村人達は行人の恩を長く忘れないよう塚を気づいて祀ったのが、行人塚である。■菊地勝之助『修正増補 仙台地名考』宝文堂、1994年復刻(1971年発行) から■仙台市ホームページ内の説明
2008.09.12
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JRの小さな旅のパンフレットを読んでいます。秋の版で、各地に魅力的な旅が満載。この中に、左沢駅を発着点とした「日本の棚田百選 椹平の棚田 散策」があります。神様がくれた落とし物。扇状に広がった杭がけの棚田を散策します、という解説。日本の棚田百選、ですか。東北には他にもあるのだろうか。調べてみました。日本の棚田百選のサイトから。町村名は合併前のものがあります。◎山形県 椹平(くぬぎだいら)の棚田(山形県朝日町)( 山形県の公式HPにも説明があります。美しいですね。町全体をエコミュージアムと位置づけて保全活動を進めているのだそうです。) 大蕨(山辺町) 四ヶ村(大蔵村)◎宮城県 沢尻(丸森町) 西山(栗駒町)◎岩手県 山吹(大東町)
2008.09.11
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私は地方行政に国が時代遅れの関与をしている最たる事例が、文部科学省と厚生労働省(旧厚生省)だと思ってきた。これらの役所は、およそ都道府県を出先機関と考えているらしく、浮ついた机上の綺麗事を地方に押しつけては国策を実行している気取りで、呑気なものだ。その実、地方ではロクに財源の手当もなく(実際に超過負担が問題となっている)、一片の通知で統制しようとする。こんな時代遅れの上意下達を象徴する2つの事例が最近あった。まず1つは国の地方厚生局の存在意義に関して。地方分権改革推進委員会の丹羽委員長らが8日、仙台市で国の出先機関を視察した。出先機関の必要性を説く国側の説明は苦しかったようだが、特におかしいのが、東北厚生局だ。医師確保などの課題には都道府県の対応では偏りが生じるから、中立的な厚生局の関与が必要だ、などと応じたらしい。各県の地域医療担当課からすれば、怒り心頭だろう。そもそも医師数は過剰だと言い続けたのが厚生労働省だ。しかも地方厚生局が地方のために何をしたというのか。補助金の要望にしても本省裁定で、経由機関ですらない。都道府県からすれば厚生局は無用の長物というところだ。国立病院の管理など、まさしく国の管理機構の出先という意味では多少の存在意義はあるのだろうが、こうも正々堂々と地方行政の為に存在しているなどと言われては、自治体はもう笑うしかないだろう。今まで邪魔ではあっても役に立っていると思っている県はないと思われる。情報公開の制度はあるが旧態依然、住民訴訟もなく是正されることもない。表に出ないが、ただ単に余剰人員の受け皿のような出先機関。ともすれば自分たちの仕事を作るためだけに地方に事務を押しつける。言い過ぎかも知れないが、そんな印象と実態が大きくはずれないだろう。一応都道府県も正面から無用とは言えないのだろうが、こんな機関こそ地方分権推進委員会が正して欲しい。もう1つ。学力テストをめぐる文部科学省の対応。秋田県の寺田知事が市町村別の結果を公表する意向を示したところ、鈴木文科相は、無用な競争を煽るとして、実施要領を守るよう牽制したという。実施要領には、市町村教育委員会が自らの結果を公表することは認めるが、都道府県教委が県内の市町村別の結果を一律に公表することは認めない、としているようだ。これは明らかにおかしい。私は、高校別の進学状況もそうだが、学力テストの結果のような客観データこそ万人に明らかにして、学校教育の実情と課題を公に論ずべきと思う。百歩譲って、それこそ教育的配慮で公表しないことに利があるとしても、都道府県の判断を国が規制することはおかしい。そうすべきか否かは教育行政の責任を担う地方の判断に委ねるべきだ。宮城県でも今日、宮教組が県教委に対して全国一斉テストの学校ごとや市町村ごとの結果を公表しないよう求めたという。子どもに負担がかかる、という論法のようだが、本当に子どもの教育を考えるなら、公表すべきだ。たしかに、一つの尺度だけで右往左往する懸念はわかるが、何らの客観データもなくして教育を論じることの方がむしろ危険だ。例えば宮城県の高校の進学状況の劣悪さは、当ジャーナルでも指摘してきたが、ともすれば進学が全てではないなどという、知ったかぶりの論調に消されてしまう。しかし、生徒が望むことは何だろう。進学校が進学できる学校でなくて、何なのか。少なくとも進学状況の客観データを示して、その上で、それ以外の部活動なり、人格教育なり、教育全般を論じていくべきだ。宮教組の論法は、真面目に教育現場の混乱を慮るつもりだろうが、実のところ教育の根幹に目をそらしているのだ。これに気づかないと、いつまでも宮城の教育現場は遅れたままだ。小中学校だから競争主義を全面に出したくないというのはわかる。しかし、テストが全てなのではない。客観的なデータを元にしながらも、テスト以外の諸要素を含めて教育のあり方を論じることこそ教育者ではないか。また、かりにテストに何らかの問題があるというなら、具体的にそこを論じて欲しい。なぜに文部科学省がこのような態度に出るのか不可解だ。中央レベルで何らかの政治的妥協があったのかどうか知らないが、少なくとも教育を司る市町村や都道府県の主体性に配慮がないというのは、呑気な国の机上教育政策そのもの。何か事件があるとすぐさま通知を出して、国ではこう対処しています、などと姿勢を示しては面倒なことを地方に押しつける。補助金制度を作っては地方超過負担を生ぜしめる。そう言えば、この点でも2省は共通している。個別の部門や職員には熱心な人がいるだろうが、問題はこの構造そのものだ。思うに、これら2省は一度解体した方が良いのではないだろうか。
2008.09.10
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間もなく会津地方へ修学旅行に行く我が家の小学生。事前の勉強で張り切っている。班編制はどうだとか、持ち物がどうとか、準備にも余念がない。ところで、地図を見るとあちこちにソースカツ丼の店があるんだよ、と話している。そうか、会津はソースカツ丼の町なのか。伝統のソースカツ丼について紹介する福島県(会津地方振興局)の説明もあった。修学旅行にはたぶん組み込まれないだろうが、地元の伝統、守って下さい。我が家もいつか食べてみたい。
2008.09.09
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現段階の政治日程は、9月22日自民総裁選出、24日臨時国会招集、首班指名、25日組閣と認証式、とされている。その後だが、29日の所信表明演説の後に一気に解散するか、あるいは10月1日から3日に想定される代表質問を終えてから解散するか、と報道されている。本来ならば、与党が国民向けに示した補正予算は最低限通してから解散、というのが政権政党のスジだとも思えるのだが、自民としても補正予算審議を通じて民主に攻勢に出られるよりも新内閣の斬新さをPRして、補正予算を提案した直後の総選挙に雪崩れ込んだ方が得策だとの判断もあるようだ。民主の政局優先を批判しながら、自らの行動原理もそんな程度か、とも感じる。今日は小沢代表が無投票で三選された。自民党からは、民主党はもう少し自由闊達な政党かと思ったがそうでもない(町村官房長官)とか、国会議員が小沢氏にひれ伏した小沢私党だ(菅義偉氏)とか反応しているが、そんな評論している場合ではなかろう。もちろん、民主の側からすれば、総裁選挙で露出度アップで地方組織の意気も上がる自民党に比べて埋没する懸念はあるだろうが、堂々と政策勝負で出ればいい。否、出るべきなのだ。国民が期待するのは、自民党はダメだとしても、迷わずに本当に安心して任せられる政党に投票させてくれ、ということなのだから。今こそ、既存の政官の癒着を断ち切り、財源面でも現実味があって、一時のウケ狙いではなく本当に国民のためになる政策を掲げる「一大チャンス」なのだ。民主党は。言い方を変えれば、今回政策を提示できなければ、また10年はチャンスはない。敵失でめぐった好機にすら国民の心に訴えることができなければ万年野党に過ぎない。逆に、今回国民の心に響けば、仮に政権を獲れなくても、政治体制としては相当前進する。自民党の新総裁は、総選挙を戦う政策に相当苦労するだろう。目新しさや個人の人気というメッキの奥に真実を国民は見据えるからだ。民主も、本気にならなければならない。今度こそ、有権者の選択が本当の意味でできるように。その民主の政策だが、小沢代表の代表選公約「新しい政権の基本政策案」(骨子)によると、 ・年金・医療制度をそれぞれ一元化 ・月2万6千円の子ども手当 ・最低賃金の引き上げ ・農業・漁業の戸別所得補償、林業の自立を支援し100万人を目標に雇用拡大 ・高速道路を無料化、ガソリン暫定税率を廃止 ・特殊法人、独立行政法人、特別会計を原則廃止、役人の天下りを全面禁止 ・国の補助金を全廃、地方に自主財源として一括交付 ・与党議員を100人以上、副大臣、政務官などとして政府に入れる ・温室効果ガス排出量の半減 ・国連の平和活動に積極参加となっている(朝日新聞から)。一見荒唐無稽に思えるものもあるが、絵に描いた餅に終わらせると結局民主の信頼を失い、代替政党を望む国民の期待も裏切る。是非、実現可能性を示して欲しい。おそらく、ポイントは財源捻出の具体的な内容と手法だ。これまで民主の議員が熱心に主張したものも含まれるようだから、党を挙げてまとめて欲しい。朝日の8日朝刊に元新党さきがけの代表を務めた武村氏が書いているが、今こそ、90年代に国の基本政策について明確な主張をした「政策の小沢」を発揮すべき時だ。今回の選挙は小沢総理を選ぶか否か、ということになる。選挙に勝つだけの党内求心力ではなく、政権に寄せる国民の求心力を得られるよう、選挙の前に太いスジを示して欲しい。国民は医療や年金問題、また消費税論議などについても冷静で将来に責任をもった議論を望んでいる。ここで国民から逃げないで、つまり一時的な選挙ウケに堕することなく、国民の要望に訴える政策を出せるかどうか、なのだ。私は今回の総選挙の意義は、政治体制の面では、国民にとって政権選択可能な政治体制を我が国が確立できるか。この点は小沢氏がそもそも人一倍思い入れが強かったはずだ。そして、政策の大きな流れの面では、「官僚政治の打破」に道筋を付けられるかどうか、が今回の総選挙の意義だと言えるのでないか。特定財源や特別会計問題、年金問題、地方分権問題などに見るように、官僚主導で政治家が随行受益する政治のあり方を、根本からたたき直さねばならない。それも単に政治改革法や天下り規制法では困る。抜本的に行わねばならない。小泉劇場政治で族議員の打破など、有る程度見るべき点はあった。しかし自民党の利益誘導体質にはどうしても限界がある。構造改革路線の限界だなどと知ったようなことを言ってはせっせと利益誘導する政治屋が残っている。有能な政治リーダーが多少いたとしても、この体質はそう変われるものではない。やはり、政権交代というダイナミズムでこそ、変えるべきものだろう。心ある与党議員なら、真の国益のためにその意味はわかるだろう、と思いたい。民主党には、ここで近視眼的な国民ウケに擦り寄って、大局を見誤らないで欲しい。補助金廃止で地方の自由度拡大、などの耳障りだけをねらったり、あるいは一時の公務員バッシングで姿勢を示すだけ、などでは困る。本当に地方に財源を付与する、あるいは公務員の削減に本気で取り組むこと。そのためにはどこから財源を生むのか(消費税はどうするのか)、国の出先機関の職員は減らしてどこに就職させるのか、など実現可能な策を出すことだ。何度も言うが、民主は大きなチャンス、有権者には大きな転機、大げさに言えば日本政治にとって脱皮の好機、だと思う。たとえ政権交代がなくても、そのような政策の論議ができれば。そういう議論ができる政治家かどうか、そんな目で政治を選択できる時代に、なりますかどうか。
2008.09.08
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という報道だ。補正予算に対する民主の姿勢次第では解散が早まる、とか。新首相の指名と組閣は今月24日の見込みだから、新内閣は1か月で信を問うことになる。自民の姿勢もよくわからないが、民主はどう対応すべきか。帰宅後の夜に記したい。
2008.09.08
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岩手県の観光キャンペーンのキャラクターの「わんこきょうだい」君達は、漆のお椀なのですが(9月6日の日記)、その漆は岩手県が生産全国一。現在漆器に用いられるウルシは98%が中国からの輸入。国内産のうち6割は浄法寺漆で岩手産。金色堂など国宝の改修にもこの漆が用いられるのだそうだ。平泉の黄金文化も漆によって支えられた。漆がなければ金箔も張れない。金色堂は漆工芸の頂点で世界に誇れるもの。清衡誕生も実は金と漆が縁。父経清が都から配分された金と漆の調達を安倍氏に依頼したのが縁で、安倍氏の娘と結婚し清衡が生まれた。(岩手日日新聞記事、大矢教授のお話)日本の伝統工芸でも漆は欠かせない(東北経済産業局の伝統的工芸品の説明)。それで思い出したのだが、以前ラジオで聞いた盛岡に漆の美術館があるとの話。岩山漆芸美術館である。サイトを見るだけで、漆の素晴らしさと伝統工芸の技に目を見張る。是非一度訪れてみたい。ラジオの話で印象に残ること。弦楽器などで素材に木を用いるが、最も良いのは白木の状態。しかし乾燥などで変形するため何らかのラッカー処理をするのだが、漆を使うのが最も白木に近い良い音を出せるのだそうだ。漆芸美術館では漆のギターを製作したのだそうだ。
2008.09.07
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いわて・平泉観光キャンペーンが7月から9月まで行われています。岩手の観光の全てがわかるホームページ「いわての旅」の中にも、キャンペーンが詳しく紹介されています。ガイドブックはさすがに岩手県の魅力を総合的にPRするだけあって、ついつい読み耽ってしまいます。内容はキリがないので、ここではキャラクターについて記しましょう。いわて・平泉観光キャンペーンキャラクター わんこきょうだい何か無理があると思いますが、よく考えたものだとも言えます。国内最大の産地であることから、漆の器なのだそうです。もてなしを象徴する「そばっち」がメインキャラクターだそうで、これを含めて県内5エリアをイメージしながら食材をもとにして、こくっち、とふっち、おもっち、うにっち。我が家の子ども達は早速クイズのようにして出し合っていました。正直どれほどの人がこの5つの名前を言えるのか浸透はしないでしょうが(失礼)、面白いとは思いました。まさか着ぐるみにはならないでしょうが、ホームページやガイドブックの中で大活躍、のようです。
2008.09.06
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3日のNHKニュースでちょっと驚いた。六ヶ所村に、外国人研究者の子弟のためのインターナショナルスクールを、青森県と村とが共同で設立するのだそうだ。六ヶ所村に忽然とインターナショナルスクールとのイメージも斬新だが、それは海外研究者が実際に相当数いるからなのだろう。驚いたのは、県が設置する、という点だ。村の2月議会の答弁としてこんな趣旨の村長の発言があった。(村HPから)「ITER関連施設研究者の受け入れには、子弟の教育環境の整備も重要と認識している。EUからも同様の要望があり、県も協議会を作りインターナショナルスクールの検討を行なっている。私も教育長とともにインターナショナルスクールを視察してきた。」今年3月の県の担当局長(エネルギー総合対策局長)の議会答弁(県議会HPから要約)「国際研究拠点にふさわしい教育環境について、検討委員会を設置し検討。この間、現地入りした外国人研究者の子供は六ヶ所村内の公立学校に受け入れたが、EU側から一刻も早く国際的な教育環境の確保の強い要望があった。このため、県としては、国内のインターナショナルスクールに委託できるか調査を進めるとともに、国際通用性のある教育について調査・検討、また外国人教員を配置しての英語指導を実施している。今後国際通用性ある教育環境を早急に整備する必要があり、県としては、平成20年度において実績のある国内のインターナショナルスクールに委託し、4月から8月までは今年度に引き続き外国人教員を配置しての英語指導を行うほか、世界標準のカリキュラムの開発調整を行い、9月からは、そのカリキュラムに基づき英語を使用言語とした教育サービスを開始する。」なるほど、そんな経緯があったのか。1 六ヶ所村の海外研究者について そもそも六ヶ所村の開発の経緯について(県HPの説明、村公式サイトなどから)。 昭和44年、新全総の大規模開発プロジェクトとしてむつ小川原開発が位置づけられた。昭和54年、国家石油備蓄基地の立地を決定(60年完成)。昭和52年重要港湾指定。 原子燃料サイクル施設については、昭和59年電気事業連合会から申入れがあり、60年知事と村長が受入れを回答、平成4年ウラン濃縮工場操業開始。同年低レベル放射性廃棄物埋設センター操業開始、平成7年高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター操業開始。平成19年再処理工場操業開始。さらに現在、MOX燃料加工施設を建設中。以上の原燃サイクル施設は、日本原燃株式会社が建設及び運営の主体。 風力発電は、エコ・パワー株式会社。22基、総出力3万3千kWの国内最大級の風力発電施設で、平成15年から商業運転を開始。 国際熱核融合実験炉(ITER)については、平成7年に、むつ小川原開発地域に誘致することを村、県が表明。平成14年候補地を閣議決定。平成17年フランスのカダラッシュに建設することが合意されたが、日本ではITERと並行して取り組む研究開発(幅広いアプローチ)が実施され、六ヶ所村では、「国際核融合エネルギー研究センター」(ITER遠隔実験センター、核融合計算センター、原型炉設計・研究開発調整センターで構成)と国際核融合材料照射施設の工学設計活動が計画されている。 青森県及び村では、核融合研究開発の新たな国際拠点を目指している。2 インターナショナルスクールとは何か もともと明確な定義はないだろうが、本邦に滞在する外国人(特に欧米)の子弟向けの教育を外国語(英語など)で行う教育施設ということになろう。本邦の法制上の位置づけは各種学校となるか、あるいは無認可である。ポイントは、本国のカリキュラムと何らかの形で連動させており、本国に帰った際にも同等の義務教育や中等教育内容として評価されることになる。 実際にはこれら本来のインターナショナルスクールとは別に、単なる英会話学校や、英語を取り入れた教育施設も、この語を冠することがあるようだ。3 インターナショナルスクールをめぐる経緯と問題(主に仙台の場合) 東北には、東北インターナショナルスクール(TIS)がある。WACS認定は東北唯一。仙台市泉区館だが、東北高校を設置する学校法人南光学園が設置している各種学校の位置づけ。 幼稚科(2年)定員24名 小学科(5年)65名 中学科(3年)39名 高等科(4年)52名早くから仙台にもインターナショナルスクール開設の動きがあり、南光学園が意欲的に動いたというのが経緯だと思う(未確認)。 仙台市議会の今年3月の答弁をみると、都市間競争のためにもインターナショナルスクールの振興が大切なこと、100万円程度の市補助金が支払われていること、などが発言されている。議員は、仙台周辺の企業立地の動きも踏まえてニーズ把握の必要を説いている。市長も知事と共に検討する趣旨の回答だ。 深く考えていくと、海外の研究者や企業人を呼び込む都市間競争の際に、教育環境が重要なことは言うまでもない。国内の企業の移転でさえ仙台の教育環境が心配されるのだから。 ところで、仙台でインターナショナルスクールというと、あの問題が記憶に新しい。NPO法人が設立した「仙台インターナショナルスクール」で、資金不足や施設の不備などずさんな実態が報道され、さらに法人の理事に仙台市役所の元幹部OBがいるという話しだった。4 展望 ~東北の明日に向かって~ 今日(4日)は各紙で報道があった。3日開設したとの報道。なお、東奥は「国際学校」、読売は「英語スクール」と見出しをつけたが、それはちょっと不適切じゃないか。河北は「国際スクール」、微妙だがまだ良い方か。別に「インターナショナルスクール」で良いのだろうが、概念があやふやなことと字数の節約か。デーリー東北だけは、ちゃんと表記していた。 3日に開設式典が村立第一中学校で行われた。外国人研究者の子弟は、昨年から村内の小学校で授業を受けてきたが、学習カリキュラムの充実のため県が「京都インターナショナルスクール」(京都市)に運営を委託し、「京都インターナショナルスクール青森キャンパス」として開設。教師4人が常駐し、第1~9学年までの授業を英語で行う。専用の校舎が完成する来年末まで、当面は第一中学校内に設置。現在の生徒は5人で、体育の授業や運動会などは尾駮小と合同で行う予定。 この日は三村知事があいさつ。中学校の生徒が、琴の演奏で外国人研究者の子どもたちを歓迎した。 県が設置、しかも京都インターナショナルスクール(IBとWASC認定)が運営というから、本格的なインターナショナルスクールなのだろう。通常は大都会にあるインターナショナルスクールがある町、いや村として、六ヶ所村はすばらしい国際交流の町、いや村と言える。堂々と間違いなく言える。 ちょっと大げさなことになるかも知れないが、東北の明日を切り開く光の筋の1つのような気がした。 下北半島の大規模開発や六ヶ所村の原燃サイクル施設などには様々な思いを持つ人がいるだろう。地元で地道に農業や漁業をする人たちにとっても混乱があっただろう。いきなり場違いな施設が建設されて、なぜかヨーロッパ人が多く来て、自分たちの発意によるまちづくりとは別次元の方向に地域が流されている、などと感じる向きもあるのかも知れない。 しかし、だ。とにもかくにもエネルギー関連が地域の方向になっている現実がある。歴史の流れは常に中からわき起こるとも限らない。外在的な要因による変化、あるいは外部から来た人達が、地域の歴史のポイントになることも少なくなかろう。 となれば六ヶ所村にインターナショナルスクールができたなんて事は、大いに歓迎したいことだ。外国人家族は直接的には研究の地として村に来ただけだろうが、村からすれば施設のお陰で、労せずして交流の機会を得られる。東京や青森市を経由しない、ダイレクトの交流が。 そして、この外国人の方々もラッキーなのだ。六ヶ所村は世界にここしかない。そこを訪れることができるのだから。禅問答のようだけど、そうなのだ。おそらくTVや雑誌では絶対にふれられない日本は下北半島の六ヶ所なる地の魅力を、結果として知ることになるのだ。 そんな施設を県が設立するというのも、異例だろうけれど、何か大きな意義があるようにも感ぜられる。 六ヶ所村ならではの、他にマネのできない地域づくり。そう言う意味で、すばらしい光が差し込もうとしているのではないか。逆境の地とされた東北の、何かヒントのような気がして。■関連する過去の記事(むつ小川原、下北、八戸 関係) 市町村合併と東通村(07年12月2日) 小川原湖と市町村界を考える(07年11月8日) 斗南藩と青森(07年11月4日) 「むつ」の語源(07年8月27日) 壮大な下北運河計画(07年7月21日) 東北の「放浪宿」(07年7月18日) 種差海岸(07年6月13日) 壮大なる八戸キャニオン(07年4月15日) 風で倒れた風車(07年1月12日) 下北半島、大間に行きたい(06年3月30日) 面白いですね!B-1グランプリin八戸(06年2月21日) 八戸ナンバー「Y」の謎を解け(05年11月15日) 次は恐山・大間の旅を(05年11月13日)
2008.09.04
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読売新聞の記事(宮城県版、8月28日)によると、07年の県内宿泊客は、香港便就航などで外国人客が対前年3割増加し、国内外の全体の宿泊客数も10年ぶりに800万人を超えた。宮城県の平成19年観光統計概要によると、昨年10月から12月のプレ・デスティネーションキャンペーン期間中は、前年同期比で観光客入り込み数で6.4%、宿泊観光客数で3.6%増加している。この効果も大きかったようだ。少し個別に見てみる。(1)外国人宿泊観光客数 ○148,517人(対前年30.4%増) ○地域別には、仙台市91,620人(42.2%増)、松島・塩竈22,028人(2.0%減)、蔵王18,030人(32.7%増)など。 秋保の5,163人が101.3%増と倍増以上の伸び。 ○旅行者の地域別では、台湾33,988人(10.1%減)、香港30,437人(126.8%)、米国17,943人(88.4%増)、韓国16,573人(7.9%増)、中国8,934人(33.4%増)、フランス4,807人(13.2%増)など。 香港の倍増以上の伸びが突出しているが、米国も大幅に伸びている。 ○先日記した記事で、JNTOの調査(06-07)によれば、東北地方は台湾と韓国からの旅行客が伸び、香港は減っているということだが、まだまだ全体の絶対数が少ないから、国際定期便の設定の有無で大きく左右されてしまうのだろう。(2)圏域(地区)別観光客入込み数○全県 57,876,741人(対前年3.8%増)○蔵王 4,019,275人(0.5%増)○旧仙台市 10,493,294人(3.5%増)○松島 6,217,250人(0.5%増)○鳴子温泉郷 2,156,300人(1.7%減)○栗原圏域 1,910,876人(12.1%増)最も伸びが大きい。読売の記事では細倉住宅跡の人気と分析されていた。○登米圏域 2,125,374人(3.0%減)○石巻圏域 4,615,074人(3.4%増)○南三陸・気仙沼圏域 3,576,287人(0.4%増)(3)圏域(地区)別観光宿泊客数○全県 8,226,706人(対前年2.8%増)○蔵王 650,604人(2.1%減)○旧仙台市 3,121,332人(5.6%増)○松島 735,276人(0.6%増)○二口峡谷(秋保温泉や作並温泉を含む) 1,210,242人(2.0%減)○鳴子温泉郷 801,000人(0.1%減)○栗原圏域 160,218人(0.3%減)○登米圏域 36,362人(6.4%減)○石巻圏域 379,928人(1.0%増)○南三陸・気仙沼圏域 491,824人(0.2%減)栗原は登米より入込み全体は少ないが宿泊は多いことになる。気仙沼と石巻の関係もそうだ。(4)居住地別宿泊観光客数 旅行者の居住地別のデータだが、「県外」からの宿泊客の比率と、そのうち代表例として「関東」の比率を見てみる。○全県 県外39.0% 関東18.4○蔵王 県外35.8% 関東18.9○旧仙台市 県外43.5% 関東20.9○松島 県外4.1% 関東1.9○二口峡谷 県外49.6% 関東22.8○鳴子温泉郷 県外29.4% 関東16.2○栗原圏域 県外33.4% 関東14.4○登米圏域 県外51.0% 関東24.9○石巻圏域 県外39.5% 関東16.0○南三陸・気仙沼圏域 県外55.7% 関東23.0これだと日本三景松島が全く県外から来ないようにも思えるが、実は「不明」が92.2%もある。地元の観光協会やホテルの調べ方の問題だろう。「不明」の僅少な栗原、登米、石巻、気仙沼をみると、絶対数は少ないものの、宿泊者には一定の県外層があることがわかる。(5)主要観光地点入り込み数絶対数の多いところを中心に拾う。○遠刈田温泉 836,388人(1.7%増)○仙台城址、瑞鳳殿、博物館等 1,000,730人(5.5%増)○クリネックススタジアム宮城 1,087,690(20.1%増)○仙台七夕まつり 2,030,000(5.1%減)○SENDAI光のページェント 2,570,000(1.2%減)○松島海岸 3,685,000(0.7%減)○塩竈神社 858,630(3.2%増)○秋保温泉 1,197,893(0.9%減)○定義如来 1,073,766(16.8%増)○竹駒神社 1,641,000(0.5%増)○宮城県総合運動公園 1,044,870(68.6%増)○鳴子温泉 1,115,900(1.7%増)○あ・ら・伊達な道の駅 3,422,423(18.1%増)○いわかがみ平・栗駒山 755,800(7.3%増)(6)市町村別観光客入込み数増減の顕著な市町村をみると、○柴田町 46.7%減○多賀城市 21.5%増○利府町 35.6%増○富谷町 64.8%減などとなっている。■関連する過去の日記 東北を訪れる国際観光客(08年8月29日) 東北の映画ロケ地(07年10月28日)
2008.09.02
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夜に一報を聞いてから、知り合いの報道関係者や学者に連絡してみたが、やはり突発の出来事と誰もが評しているようだ。自宅に帰ってからTVの報道を見まくったが、結局は投げだし、と評されても仕方がない。就任の際も、周りの待望論は一定程度あったとは言え、本人の意欲はさほど感じなかった。しかし与党のトップには変わりない。自主性を発揮できないから後進に託す、という説明にいかほどの納得性があろうか。こうなれば、さもありなんと思う人は少なくないとしても、これほど情けない責任政党なのか、と感じる人が多数だろう。インタビューでは、もっとも影響の少ないこの時点を考えた、とか、小沢代表がもっと胸襟を開けば、とか、更には健康問題で辞するのではないから安倍さんとは違うとか。一体何を国民に伝えたいお考えなのか。次は麻生総裁だろうが、相当厳しい。政治に信頼を得られないなら、辞める。そんな連鎖を、誰かが切って欲しい。みなそう思っている。与党か野党か、それよりも大事なことだ、と。
2008.09.01
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