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ちょっと節目に感じたことがあったのでブログを更新。長らくYouTubeではNBAやMLBでの日本人の活躍を見るのが日課だった。NBAなら八村塁と渡邊雄太、MLBは大谷翔平といったところ。そして、昨日の渡邊雄太のインスタライブでその一角が崩れた。日本に帰国してBリーグで戦うとのことである。NBAという日本人がとても到達できない世界で頑張って成績を残していることが見る側にとては醍醐味であったので、少し残念な感はある。しかし、彼が帰国するとなると、どのBリーグのチームに入るのかも興味が沸くし、アメリカで戦っていた彼を日本で生で見られるというのも楽しみなことだろう。昨年のワールドカップでの日本の躍進でBリーグは活気が増したが、渡邊雄太の帰国で活気はさらに増すだろう。そして、今年の夏はパリオリンピックがある。渡邊雄太は直前の合宿も強化試合もフルで参加できる。願わくば、八村塁が加わってくれれば目標のベスト8に近づくのではないだろか。これから果たして彼らに続くNBA選手がでてくるだろうか。富永啓生がそれに近いのかもしれない。ちょっとサイズが足りないかもしれないが。去る者あれば新たに加わるものもあり。これからもNBAでの日本人の活躍が見れるといいなと思う。
Apr 21, 2024
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およそ半年ぶりのブログの更新である。前回は昨年末で、母親が腰椎の圧迫骨折になってしまったことを書いた。全治3カ月とのことだった。今ではかなり状態は良くなり、元気である。と、思ったら、今度は自分の身に災いが舞い込んだ。歩いて30分ほどの車のディーラーに車検で車を預け、いったん自宅まで歩いて帰ってきたところ、腰が痛くなった。久しぶりに30分も歩き続けたせいかとも思ったが、その程度で腰の痛みなんてでる訳がない。いやな予感がした。案の定、その腰の痛みはとれず5日経ったところで整形外科を受診した。レントゲンを撮ってそれを医者と一緒に見ながら言われたのは「腰椎椎間板症」という症状だった。腰椎と腰椎の間の椎間板が一部なくなってしまっていて、上部の腰椎が傾斜している。治らないと言われた。症状を楽にするのかどうか分からないが、「腰痛体操」という紙を渡された。会社へ行く日以外は朝晩励行している。藁にも縋るといったところか。症状と言っても普通の姿勢で座ったりしているぶんには痛いことはない。立って上半身を前かがみの状態にすると痛い。通勤も前のように速くは歩けないが大丈夫である。ただ、「治らない」というのは精神的にきつい。日常生活はほぼ問題ないとはいえ、荷物を持ち上げたり負荷がかかる作業は無理である。仕事で会社に行くというのは別だが、休みの日にちょっと車ででかけるといったことが気分が沈み億劫に感じるようになった。車は故障した箇所を直せば元に戻るが、こればっかりはそういう訳にはいかない。大げさだがこれで自分の健康寿命は尽きたということだろうか。癌で闘病している人からすると怒られるかもしれないが。昨年、一昨年、そのまた一年前のトピックスは新型コロナとそれに伴う在宅勤務だったが、今年のトピックスは、よっぽど酷いことがなければこの腰椎椎間板症となりそうである。悲しいかな、今後も良いトピックスが現れることはなさそうだ。
Jun 4, 2023
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もともとしばらく前から母親が腕が上がらないとのことで家事に難儀していた。先月末ごろ整形外科を受診したところ、肩の腱が細くなっているという。手術が必要とのことであった。肩専門の整形外科のある大きい病院を受診して、やはり入院手術が必要とのことであった。その日に結論を出さず、来年1月6日までに家族と相談して手術をするかしないか決めて受診することになっていた。しかし、今月なかば、母親が腰が痛く立つのに難儀するようになった。かなりしんどそうである。また整形外科を受診したところ、腰の骨(背骨か)が折れている(完全にではないと思うが)とのことで、肩の手術どころではなくなった。腰を固定するギプスをつけてなるべく安静に生活することになった。全治3カ月とのことだった。父親と私とで母親の家事をサポートすることになった。今までは母親は至って健康で、父親と私はほぼ母親に頼り切っていた。それが、急に母親がそのような状態になってしまった。また、悪いことに大掃除の時期である。今年は例年通りにはできないと家族で妥協することになった。今までのように疲れて遠くまで歩けなくなったのまでは良かったが、いよいよ老化での骨にまで影響がでるようになってきた。癌になったり痴呆になったりするよりはましだが、うまく治って無理せず健康に生活できるようなって欲しいものである。
Dec 31, 2022
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ブログを書くのは5月ぶりである。約6か月も更新が空いてしまった。この間、何があったか。やはりコロナの第7波だろう。身近にも確実に感染者が発生するようになった。そして今は第8波に入ろうとしている。コロナに罹っていない方が少数派になってしまうのではなかろうか。何とか逃げ切りたいものである。高齢両親と同居なだけに。第7波の在宅勤務生活でかなり体力が疲弊した。今は月水金出社、火木在宅でも体力的に厳しい。今の会社がホンダやツイッター社のように週5勤務強制でなくて助かっている。確実にうつの易疲労性が顕著に表れているからなんだと思う。勤労感謝の日の前の月火が会社の有給休暇推奨日で、両親と湯河原に車で温泉旅館に行ってきた。緊張が継続する車の運転はかなり疲れる。土日月火水と休みだったが、湯河原に行ったのは月火で、日水は休養日としている。1泊で車で旅行に行くときはその前後の日は休養に当てないとしんどい。4日の連休がないと遠出の1泊旅行には行けないのである。もちろん加齢からくるのもあるのだけれど。このまま年々衰弱していくのだろうか。コロナのせいで早まったとはいえ。何となくこの内容も前に書いたかなぁ。衰弱しているのは体力だけじゃないかもしれないな。。
Nov 27, 2022
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ここしばらくは精神疾患に関する鬱々とした内容のブログを書いていないなぁと思う。精神的にしんどいと、それを文字としてブログに表現してきた。つらい状態が続く時はブログの更新が多かった。しかし、ここしばらくは2~3か月に1度程度しか更新していない。気が付くと時が経っていて、そろそろ更新しなきゃなぁという感じだ。ツイッターにも同じことが言えて、つぶやくことが思いつかない。1日に1回つぶやくかどうかというところだ。ツイッターは精神的苦痛の格好の吐き出し場所だった。最近はそれがない。これは良い傾向なのだろうか。多分良い傾向なんだろう。経済的な余裕があるのも理由だろう。概ね見通しが立っている。100歳以上生きない限り。。年金が破綻するのは想定していないが。あと7年と7か月で定年である。長いようで意外と短いのかもしれない。しかし、妻子もなく生きがいもない虚しいリタイヤ生活が続く。余計なお金がかからない生活だとは思うが。まぁ、MLBやNBAの日本人選手の活躍に一喜一憂したり、坂道などのアイドルにのめりこんだりというのも悪くはないが。何かと楽しいことは見つかるだろう。生きていればそれを欲するのだから。
May 29, 2022
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気が向いた訳ではないけれど、あまりにも更新の間隔が空いてしまったのでブログを書いてみる。振り返ると前回のブログ後、オミクロン株による第六波が始まりあれよあれよと感染者数が激増して、また在宅勤務が続くという状態になった。引きこもり状態になり終業後は歩いたりして体を動かしたいところだが、冬で、しかも例年にない寒さで外出して歩くという気にもならなかった。だから体力が弱った感がある。その第六波もなだらかに収束の兆しを見せている。先月末には第三回目のワクチンも打った。まん延防止も延長しないようである。1~2か月後ぐらいには収束するといいなと思う。そんな引きこもり生活の中、心躍らせてくれたのは北京の冬季オリンピックである。中国の国の威信をかけた大会ということで競技環境はすごく良かったのではないかと思う。個人的には銀が続いてなかなか金に手が届かなかったが最後のレースで金をとることができたスピードスケートの高木美帆選手に感動した。そして、オリンピック後に起こってしまったのがロシアによるウクライナイへの侵攻である。連日ニュースの中心はこの戦争である。YouTubeでもこのニュースばかり見ているが、あまりにも情報が多すぎるといった感がある。ロシアは実質的に中国やその他数か国を除く世界の主要国を敵に回した。経済制裁はし烈なもので、ロシアのルーブルの価値は下落しておりロシア国債はジャンク債の中でも最低の水準にあってデフォルトは避けられないように思われる。ハイパーインフレが起こるかもしれない。それでもプーチンが失脚しないというのがロシアなのかもしれないが。プーチンが失脚しない、ウクライナ軍は士気が高く欧米の武器供与もあって善戦し続けるとなると、長期化は避けされないだろう。ウクライナがロシアに打ち勝つゲームチェンジャーが欲しいところだが。そういったことに比べるとスケールの小さい話だが、我が家にも変化があった。といっても人に関わることではなくて、設備的なことだがトイレなどの水回りを軽くリフォームした。それから、10年前に購入したプラズマテレビのパネルに不具合がでるようになったので新しい液晶テレビに買い替えた。使い慣れていたとはいえ古いものを新しいものに替えるのはいいものである。コロナが収束に向かうきざしは見せているが、個人的には鬱陶しいマスクをしなくてもいい世の中になってほしいものである。
Mar 13, 2022
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2022年ということで今年の春からは昨年の姪に引き続き甥が社会人となる。自分が育てた訳ではないけれど、成長を見守ってきただけにその節目には感慨深いものがある。正月には大阪に配属になった姪と会うことができた。元気な様子なので仕事にも慣れてきているんだろう。話は変わって、昨年の年始に車のコーティングをしたので、これから数年年始にはコーティングのメンテナンスをするのが恒例となる。昨日、その初回のメンテナンスをしたところである。ダイヤモンドキーパーというコーティングで、車の塗装の上にガラスの被膜を塗布しその上にレジンという被膜を塗布する2層構造になっている。外部からの汚れはレジンが防ぎ、ガラスは艶と輝きをだす。メンテナンスでは弱ったレジンの被膜を塗り替えることでコーティング施工直後の性能に戻す。ダイヤモンドキーパーはメンテナンスをしないと3年耐久だが、メンテナンスをすると5年耐久になる。コーティングを施工したのが車を購入してから5年目、あと5年乗って10年で買い替えという算段である。しかし、これからの車がどうなっていくのか見当がつかない。電気自動車が本当に普及していくのかどうか。意外と水素だって可能性はある。いずれにしろ高価ではあると思うのでそう簡単に買える金額ではないのだろうけれど。あと5年でハイブリッド車に買い替えてそれを10年乗ると15年。その頃には世間の様子も様変わりしてるんだろうと思う。それから年末年始の節目といえば大河ドラマ。自分の生活と密着して考えていて、大河ドラマが終わると今年1年何とか生きてこられたなと感じる。「青天を衝け」はなかなか良かった。渋沢栄一が長生きだったので幕末から昭和までと時代の流れが早くダイナミックに感じられた。維新後から昭和までが今までの大河ドラマではあまり描かれなかった期間で濃く描かれていたのも良かったと思った。昨日は「鎌倉殿の13人」を見た。今度は時代がかなりさかのぼって平安時代から鎌倉時代、歴史上の人物の名前は分かっても「青天を衝け」と比べると伝承される情報が限られる世界だ。まぁそれだけ脚本家は自由に描けるのだろう。初回を見て何となく軽薄な印象を受けた。少し演出が喜劇っぽくなっているからだろうなと思う。それでも物語の展開は面白く、初回放送の1時間はあっという間に経ってしまった。これから毎週の日曜の夜が楽しみである。また1年通して見て2022年も無事に過ごせたというところを実感できればいいなと思う。
Jan 10, 2022
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今年についてはオリンピックとか大谷翔平の活躍とか色々とあったけれど、何といってもコロナの第5波の影響が大きかった。周りの誰かが感染したとかそういう訳ではないけれど、長期の在宅勤務になって(それまでも断続的に緊急事態宣言になって在宅勤務はあったが)それが常態化して特別なことではなく通常化してしまった感がある。ホームオフィス制度も定着してきた。仕事をするのはほとんど自宅で会社にはたまに出張でくるという形態である。自分もこの制度に近い。会社でしかできないことがあった場合に出社する。ホームオフィス制度の人よりも頻度が多く、週に2日程度出社するという感じだ。コロナの影響が出始めた頃は、収束すればまた前の状態に戻るのだろうと考えていたが、どうもそうではないようである。2年に渡るコロナ禍は今までの常識を変えてしまった。TEAMSを使えばどこにいても気軽にチャットで連絡がとれるしビデオ通話や会議ができる。もはやパソコンを持ち歩きネットにつながりさえすればどこでも仕事ができる。また、忘年会・新年会・歓送迎会などの会社の夜の懇親会なども消滅した(オンライン飲み会はあるか・・)。このへんは数年すれば復活するかもしれないが、コミュ障の自分にとってはありがたい限りである。コロナ禍は続いていく。オミクロン株が蔓延してきたり3回目のワクチン接種がこれからあるとか。とにかく去年のトピックは「コロナ・在宅勤務」今年も「コロナ・在宅勤務」である。はたして来年も「コロナ・在宅勤務」になるのだろうか?それともそれが当たり前でトピックにすらならなくなってくるのだろうか?しかし、せめてマスクは外せるようになって欲しい。自宅だとしないで済むが会社だとしなければならず、根を詰めるパソコン作業をするにはマスクで息苦しいのは閉口する。政府が大号令でもださないと真面目な日本人はマスクを外すことはしないのだろうか?そして、来年の今頃はコロナ禍はどうなっているだろうか?第5波からの急激な感染減もあり楽観的な空気感があるが、どうなるだろうか?
Dec 26, 2021
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昨日、両親と伯母の家を訪ねた。伯母は91歳、伯父はもう亡くなって5年が経つが独りで気丈に暮らしている。母親が車に積まないと持ち帰れない布団を伯母から譲り受けるため、車を運転する自分がかり出された。独りで寂しい伯母のところへ皆で行こうという母親の考えもあった。伯母が91歳、父親が87歳、母親が81歳ということで52歳の自分は会話の蚊帳の外感があった。行く前からそうなるであろうことは分かっていたけれど。こういう時は決まって子供や孫の話になる。伯母には長男と次男がいて、長男(といってももう65歳だが)の娘の子供(伯母にとってはひ孫)の写真などを見せてもらった。父方の親戚は(伯母は父親の姉)いとこが4人、そして自分の兄を合わせると5人となるが、皆結婚していて、1人を除いて皆子供がいる。自分だけが独り身で肩身が狭い。唯一の救いは離婚したが一応結婚をした経験があるというところか。気を使ってくれたのか、伯母からは再婚はしないのかというつっこみはなかった。ちなみに自分が精神疾患だということは両親は親戚にあえて話していない。夕飯をご馳走になってしばし会話をしてから失礼することになったが、帰り際伯母からお小遣いをもらった。91歳の伯母からのお小遣いは何だか不思議な感覚だった。何歳になっても伯母にとって自分は甥なんだということを感じた。自分も姪と甥がいるので、その好意をお小遣いをあげることで表すということがよくわかる。姪は今年社会人で大阪勤務、甥は今年就活で来年に社会人になる。なので来年の正月(来ると思うが)甥にあげるお年玉が最後になる。同時に就職祝いもあげるつもりだ。甥には就職祝いにはお金だけではなくて祝い品もあげるつもりだ。姪にはパーカーの名入りボールペンをあげた。甥にはコーチの名刺入れをあげるつもりである。お金だけでなく品物をあげるのは伯母の影響である。自分が大学に入学したときか社会人になったときかはよく覚えてないけれど、伯母から財布をいただいたのをよく覚えていて、印象深かったため自分の姪と甥にも品物をあげようというこだわりをもつことになった。独り身の自分は後々には姪か甥に世話になる可能性が高いので、その布石という意味もあるが。
Dec 12, 2021
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コロナのオミクロン株が発現して保有している株が下がった。最初のコロナショックの時もガクッと下がってからV字回復してコロナバブルとなったが、今回はどうなるだろうか。とはいえ、保有資産のうち株や投資信託が占める割合は2割を切る。下がったといっても影響は軽微だ。この程度の割合でいいのかということも考える。機会損失になるのではないか。たぶん機会損失になるんだろう。かといって、例えば全世界株式などのインデックスファンドなどをまとまった金額で一気買いするというのも勇気が出ない。買うタイミングが割高でかえって損失をだす可能性だってある。そんな感じで動きが定まらずにいたずらに時間を費やす。もしかしたら今買っていれば後々にリターンが生まれるのかもしれないのに。あと8年経ったら定年である。そう考えるとリスクをとることに尻込みする。20代や30代だったら挽回できるが、50代を過ぎたらそうはいかない。だから尻込みする。まとまったお金は元本割れしないようにしておきたい。インフレで目減りしてしまうとしても。リーマンショックで大損失した時に損切りして保有している株を売ってしまった。そのあとにアベノミクスがあるなんてことを知らずに。振り返ると結果的に長期保有するのが正解であった。そして、損失をだすということの恐怖感が植え付けられた。高配当で割安、ファンダメンタル的にも悪くない銘柄を見つけても今は買う気がでない。まずは下がってしまうのではないかという恐怖心が前へ進むのを阻止する。しかし、リーマンショックで植え付けられた恐怖心が投資のリスクに抗う安全弁の役割を果たしていて、例え機会損失なのだったとしても身の丈に合うリターンが得られればそれでいいと思う。悪い方へ向かうという考えは、うつ傾向だというのもあるだろうとも思う。
Dec 5, 2021
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ブログを書いたらネット接続が切れて、本文が消えてしまって悲しい。。書く気が失せた。iPhoneのテザリングは不安定だ。。
Nov 21, 2021
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久方ぶりの更新。在宅勤務が主になってから外出の機会が少なくなり、夏は暑くて終業後に歩く気にもならないのでエアコンが効いた部屋で引きこもり生活ですこぶる怠い。 それに拍車をかけて新型コロナ第5波の真っ只中。なるべく人の居るところに行きたくないため、引きこもりとなる。 昨年と違うのはオリンピックがあったというところか。すこぶる暇つぶしとなった。 個人的には男子バスケに注目していたのだが、残念ながら予選で3敗に終わった。世界上位の国との差が際立った感じだった。 誤算だったのは女子の活躍で、女子バスケのレベルが高いことを知らなかった。予選から注目していたらかなり楽しめただろう。決勝のアメリカ戦しか見れなかった。 1ヶ月前ぐらいはオリンピックなんてとんでもないと思っていたが、やるとなると楽しんでしまうもので、目立ったクラスターもなく成功した大会だったのではないだろうか。 それが終わると待っていたのはいまだかつてない新型コロナの感染爆発(第5波)である。都内の感染者は5千人を超え、今も全国での感染者は2万人を超えている。駅前のデパートのスタバでは感染者がでて店が閉鎖されているのを見かけると身近に迫っているのを感じる。 今年の夏はオリンピックとデルタ株の第5波の新型コロナ感染爆発に尽きる。 来年はどんな夏だろう? 新型コロナとは縁が切れないんだろうな。
Aug 29, 2021
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先月に緊急事態宣言になって約1ヶ月が経つというところだろうか。一昨日には再延長が決まって6月20日までとなった。自粛とワクチンの両面でなんとかしていということのようである。 仮に感染を抑えられる割合が国民の6割なんだとしても、それを達成できるのは順調でも年内一杯はかかるだろう。そもそもワクチンを打ちたくないという人も多いのかもしれないが。 当面期待されるのは高齢者が感染して重症化するのを防ぐことだろう。医療関係者、高齢者とワクチン接種は順調にすすんでいる。我が家の老親も無事予約がとれて、来月の2日と11日に接種する。 ワクチン接種が受けられれば本人たちも一安心だろう。親はほぼ引きこもっているが、私は仕事などで外に出るので感染のリスクがある。特に変異種だと感染経路が分からないケースが多いとのことである。家庭には持ち込みたくないから外出には緊張を強いる。そこから解放されるのは大きい。 話は変わり、車のこと。無事2回目の車検が先週終わった。ディーラー車検なので高いかなと思っていたが、それほどでもなかった。でも、今年になってから車のコーティング、タイヤの交換そして今回の車検と総合すると25万ぐらいかかっている。車の維持費は高いものである。 見通しとしては次の車検も受けてあと4年は乗ろうかなと思っている。次はダウンサイズしてコンパクトカーにしようかなとか妄想しているが、4年後なんてどうなっているだろうか。今のところEVのつなぎでハイブリッドをなんて考えてはいるが。 あとはファイナンシャルなこと。最近、ポツポツと株を買い増している。今のところ資産全体の割合は株・投資信託が15%、ネット銀行の定期が25%、日本国債が50%、現金預金が10%とかなりディフェンシブである。まぁ年齢的にもあまりリスクはとれないというのもあるが。 にしても、リスク資産がやはり少ないということで割合を増やそうとしている。今のところやっているのは投資信託の積み立てと日本株の購入である。 イケイケのソニーや任天堂の株とか欲しいが、いかんせん青天井である。将来的に結局買っておけば良かったなんてなるかもしれないがどうも手をだす気にはならない。 ということで重視するのは割安であるということと高配当ということである。そして安心感のある時価総額がそれなりの大型株であるということ。まぁそれにはまるのはなかなかない。 米国株などやっている人も多いようだが、私はそこまで頭がまわらないのでやる気はない。でも、積み立てている投資信託は米国株中心の外国株式のインデックスファンドなので、まぁ同じようなことかなと思っている。 車のことにしろお金のことにしろ本当に将来は未知数。一寸先は闇である。立ち止まっていても、例えばお金のことなら保守的だとインフレにやられる。何が正解なのか分からない。でも、やはり何事も自分の判断で決めること。残念な結果になっても仕方ないと思える。もらい事故だけは避けたいが。。。
May 30, 2021
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さて、今日はもう春は終わったかのような陽気。私はパーカーを着ているが、周りはロンティーとかはたまた半袖のTシャツといった出立ちの人が多い。 ブログはだいたい自宅から1時間ぐらい車で走ったコメダ珈琲で書いているが、今日来ているお店は途中に桜のアーケードのような道があって、毎年眺めるのを楽しみにしている。というわけで今日はそこのコメダ珈琲に来ている。 最初の緊急事態宣言が発令されて1年程だろうか。今年の入社式はオンラインだった。テレビのニュースを見ると意外と対面のところも多かったようではあるが。 今年の新入社員は入社式はオンライン。研修はオンラインと対面のハイブリッド型である(コロナの状況によっては全面的にオンラインになるが)。 自分はというと、やはり出社と在宅勤務のハイブリッド型である。緊急事態宣言時より出社が多くなってくるという感じか。 もともと「働き方改革」ということで在宅勤務が試行錯誤されている中でコロナ禍が始まったという感じなので、その試行錯誤が一気に定着したという感じである。 話は変わって、前回のブログで「節目休暇」という2週間の休暇を3月に取得したことを書いた。何となく車のことについて考える時間が多かった。 休み中にタイヤを新品に交換した。今年が2回目の車検で5年が経つので、距離はぜんぜん走っていないので溝はたっぷり残ってはいるのだが経年劣化を考えて交換した。 というわけで、あと5年程度は今の車に乗り続けようかと思っている。問題はその次である。 休み中に「脱炭素化」や「EV」に関する雑誌などを読んだ。日本のメーカーには大胆なEV化の兆しはないが、中国や欧州のメーカーは近い将来、生産する車は全てEV化する勢いである。今、車は大変革期にある。5年後にどうなっているかは見通せない。 しかし、車が全面的にEV化されるといっても、それを賄う充電インフラが不十分と言わざるを得ない。また、充電というのは時間がかかる。それを考えると5年前後はまだまだハイブリッドとガソリン車が主体ではあるのかなと思う。 今の車を5年乗って、ダウンサイジングしたハイブリッド車を10年乗って、さすがにその次はEVなんだろう。その頃には65歳。健常ならまだまだ元気だろうが、そこは精神障害者。気力体力ともポンコツで、とても車の運転なんてできないのかもしれないけど。 願わくば15年後のEVを運転したいものだ。
Apr 3, 2021
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今日は節目休暇の2日目である。私の会社には節目休暇というのがあって、年度の始まり時点で30歳、40歳、50歳の時に取得できる。もちろん勤続何年以上という条件もあったかとは思う。10日休暇がもらえるので、2週に分けて5日づつ取得すれば16日間連続で休むことができる。GWや夏休みとくっつけて3週間とるひともいる。 今年度中の取得であったが、休んでも何もすることがないので別にとらなくてもいいかと思って頭になかったが、先月同期の人にどうするのか聞かれて、思い出してせっかくならとるかと考え直した。そして昨日から休み始めている。 きっと平常時かつ軽躁だったら海外旅行にでも行っていたのだろう。しかし、コロナ禍で緊急事態宣言は延長、軽躁だったら相当鬱憤がたまっただろう。しかし、悲しいかな軽うつで活動的ではないのでまぁ良かった?かもしれない。 気ままに過ごそうかなと思っている。意外と親の病院への車での送迎があって、ウォーキングしたり読書したりそんなことでつらつら時間を消費することになりそうだ。 海は眺めに行きたいなと思っている。さいたまからだと距離的には湘南の海が(東京湾は別として)近い。しかし、車で行くと首都高で東京を縦断したり、現地についたら渋滞が激しいので電車で行こうと思っている。あとは秩父方面にドライブに行くぐらいか。 本当は何か意義のある活動(ボランティアとか)のための休みというのが建前である。しかし、精神障害者としてはなかなか難しい。リタイアを見越しての第二の人生のための布石になる何かを探すのなんてのもあるだろう。このへんは意識が低いのでリタイア対策といってもお金を貯めることぐらいしか思い浮かぶことはない。 長期休暇ということにこれといって特別感はない。健全なものでは新婚旅行なんてのもあったが、何といっても精神疾患になって1年半、3年と闘病とはいえ超長期の休みをとっているのでそれに比べればかわいいものである。 さて、明日はというと夕方に親の病院への送迎がある。午前中はウォーキングでもして午後イチはiPadのKindleで読書といったところか。つくづく不毛な休みである。
Mar 7, 2021
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このブログもすっかり約1ヶ月に1回程度の更新、短文でも毎日ブログを更新している人はすごいなぁと思う次第である。でも、なんだかんだでブログを始めたのは2006年からなので15年続いているからまぁ良しとするか。くだらないブログを細々と続けている寂しい境遇でもあるかなと思いつつ。さて、カーコーティングの話。今乗っている車(ホンダ・ヴェゼル)を購入してから約4年半が経った。購入時にホンダ純正のガラスコーティングを施工していてその効果は約5年程度だと記憶していた。そして、昨年の年末にはいつも洗車をしてもらっているガソリンスタンドからコーティングがもう残っていないとの指摘を受け、新たにガラスコーティングを施工することを勧められた。その前から今年の春頃には新たにコーティングをしなくてはなと思っていて、YouTubeで見たキーパーコーティングが良さそうだなと思っていた。しかし、前段の通り年末には施工を勧められたので年始の1月4日に施工をしてもらった。ガソリンスタンドでも良かったのだが、KeePerLABOという直営店(なのかな?)で施工してもらった。ダイヤモンドキーパーというノーメンテナンスで3年効果が持続するメニューにした(1年に1回メンテナンスすると5年持続する)。施工時間は5、6時間程だった。ガラスコーティングは通常、車の塗装面を研磨してコーティング剤を塗布するのだが、キーパーコーティングの場合は研磨の工程がない。ガラスコーティング剤に秘密があるらしい。そしてレジンという皮膜の二重構造になっていて環境耐性が強い。青空駐車なのでこういうところが嬉しい。施工後に気になってこのブランドのサービスを行なっているキーパー技研という会社の株価を調べてみると、今年度の経常利益の見通しが前年度の倍になっていて、昨年の8月頃に1株800円程度の株価が2,400円程度と3倍に急伸していた。もっと目の付け所が早ければなぁと悔やんだ。でも、それだけキーパーコーティングは好評ということなのだろうか。そうだとしたらこれを施工したのは正解だったのかなと思う。しかし、安くはない。ダイヤモンドキーパーの施工費用は約6万円である。さらに今年は車検である。合わせると20万程度の出費。タイヤを交換すればもっと費用は上がるだろう。車は金のかかる代物である。駅近に住んでいるので無くても困らないのだが、老いた親の足の確保ということを考えるとある方が安心である。これからどうなっていくかは分からないが直近ではダイヤモンドキーパーが持続する5年後を目処に今の車より小さいコンパクトカーに買い換えようかなと思っている(今はヴェゼルだからフィットというイメージ)。その先はどうなるか分からない。親が先立ち、自分の体も衰え、2人乗りのEVといったところだろうか。間違っても7人乗りのファミリーカーということはないであろう。
Feb 12, 2021
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遅ればせながら録画してあった新春スペシャルの逃げ恥を見た。4年前の時は放映中のものは話題になってからの最終話しか見ず、その後DVDを買って全話飽きるほど見た。ラブコメディなんてまず見ないのでまさかDVDを買って見るなんて思わなかったが、はまってしまい恥ずかしながら自分も恋愛をできるのではないかという妄想を抱いた。しかし、今のところは結果は言わずもがなである。 前回は出会いからカップルになるまでで、その状況や展開に心踊らされる感があり、その面白さに社会現象にまでなった。今回は妊娠・出産・育児という話の展開でコロナの状況下での苦悩なんて時事的な状況もある。前回の登場人物やあらすじを知っていれば楽しめる内容になっていたかと思う。 妊娠・出産・育児を経験するというのは自分の周りの状況を考えるに多数派だと思われるのでそれなりに自分の経験を思い返しながら見た人は多かったのであろう。しかし、出会いからカップルになるのに比べて妊娠から育児というのは多数派でも限定されていて自分に置き換えては見れなかった人も少なくないのではないかとも思う。 自分も結婚はしたが離婚してしまった。しかし、妻の妊娠というのは経験したので、それを聞いたときの驚きと戸惑いというのを思い返した。しかし流産してしまったので出産・育児というのは経験していない。そいうい意味では話のほとんどは他人事かなと思う。若い人ではカップルのその後という目線で楽しめた人もいるのかもしれないが。 しかし、逃げ恥のいいところはその多様性にある。普通の夫婦もいれば高齢の独身女性、独身男性、シングルマザー、同性カップルなどなど色んなタイプの人達が登場する。前回登場したその人たちがその後どうなっているかなんてことも興味の対象であり、その人達と同じタイプの視聴者も楽しめる。だからヒットしたのだろう。 4年経って何か変化があったかといえば、疲れやすくなったということぐらいか。外部的にはコロナだろう。振り返ると今日は昨日の繰り返しというのが延々と続いてきた感がある。ときめくようなことは起こらない。これからの人生、諦めはしないが期待はしないというところだろうか。
Jan 10, 2021
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今日は快晴。両親と大宮の花の丘公園に行った。両親と来るのは2年半ぶりだった。その時は春で桜がきれいだった。今日はコスモスとサルビアが満開。少しだけ風が吹いていたが快適で花もきれいに撮影できた。 コスモス サルビア 今日は朝早く起きてガソリンスタンドで 車を洗車してもらい、自宅に帰ってすぐに車で公園にきたので余計に気分は爽やかだった。 車がきれいになると乗りたくなるものである。公園から自宅に帰ってきてからすぐまた車ででかけてコメダ珈琲でブログを書いている。 ブログも1ヵ月に1回書くかどうかというところだが、今年はコロナ禍と長雨もあってブログを書くようなネタが無く放置状態だった感がある。 しかし、昨日ネタになる出来事があった。おそらく一生に2回あるであろう出来事の1回である。それは就職祝いだ。 僕には姪と甥がいる(兄の子)。だからこの2人の人生におけるたった一回の出来事、就職は2回ある(転職は別として)。 大学の入学祝いにはハンコをあげた。今となっては無用の長物となりつつある感があるが、はたして使ってもらえたかどうかは分からない。 就職祝いは名刺入れをあげようと思っていた。来年就職するのは姪の方である。 デパートで物色したりネットで探したりと、ブランドはどこにするか色はどうするか悩んでいたが、ふっと果たして姪の好みはどうだろうかと考えたときにこれは確認しておかないとと兄に連絡をとった。 帰ってきた応えは自分で好きなものを選びたいらしく、名刺入れの購入費用をあげればいいんじゃないのかということだった。 もともと名刺入れとは別に現金で就職祝いはあげるつもりでいたのでそれはそれで要件を満たしていて、自分としては何かしらの記念品をあげたかった。 名刺入れがだめでどうするかと考えて思いついたのは定番だが高級ボールペンだった。しかも名入れすればいい記念になる。 というわけで地元のロフトでパーカーのボールペンを購入した。名入れはすぐにでもできるものだと思っていたが、意外と長くかかり、メーカー作業で1ヵ月とのことだった。 姪にはあと一回最後のお祝いがある。結婚祝いだ。(出産祝いはどうするかというのはあるが)たぶん10万程はだすことになるだろう。 姪と甥にお祝いをしてあげることは親(兄と義姉)もよろこぶ。本人ももちろん喜ぶ。そして自分は独身で子供がいない。 いやらしい話、老後は何かあったら兄夫婦か姪と甥に頼るしかないので彼らの人生の節目のお祝いは欠かせないのである。
Oct 25, 2020
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昨日は音楽の日2020を見た。昼過ぎの14時から途中の23時までの長丁場で見疲れた。普段これほど長くテレビを見続けることはないので、今日は疲れでダウンしている。 この疲れはやはり精神障害者特有のものだろうか。脳が疲れるというか。ベッドに横にならないと回復してこない。 幸い昨晩は眠ることができた。しかし生活リズムが乱れ、例えば会社の飲み会で帰りが23時頃になったりすると寝床に入るのが深夜になり眠れなくなったりする。 健常者ならバタンキューと眠ってしまうところだろう。精神障害者はそうはならなかったりする。 普段、長丁場の音楽番組を見ることはまずないのだが、今回見たのは理由があった。 欅坂46が出演するからだった。 2日前の木曜日、欅坂46は無観客のオンラインライブを行った。そして、事前の告知で重要な発表をすることになっていた。 ライブ終盤で発表したのは、欅坂46としての活動を10月で終わらせ、新たな名前に改名して再始動していくということだった。メンバーの決意の強さを感じるメッセージだった。 一度リセットして再始動していくのは色々と理由があるのだろう。メンバーの卒業や脱退も相次いだ。 何よりも強いのは全ての表題曲でセンターだった平手友梨奈の存在だろう。欅坂46のパフォーマンスの中心は平手友梨奈だった。彼女は「卒業」ではなく「脱退」した。 これからも欅坂46として誰かが代理でセンターをし続ける限り平手の亡霊はつきまとう。1期生はいいかもしれないが、2期生や新2期生に背負わせ続けるのは酷である。 そういう意味では改名再始動というのは仕方がないかもしれない。でも、一度ゼロに戻して今までとは違う世界観を作っていくのは長い道のりかもしれないけれど良いのではないかと思う。 一歩先に脱退して欅坂46と決別した平手友梨奈は既にそれを予察していたような気がしないでもない。 彼女たちは一度リセットしてそれでも前へ進む決断をした。 新しい坂を注目していきたいと思う。
Jul 19, 2020
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コロナの前から働き方改革として在宅勤務を意識的に取り入れていくという努力目標はあったが、形式的なものに過ぎず定着はしていなかった。しかし、今回のコロナの件で否応なくその働き方の形態にせざるをえなくった。幸か不幸か、在宅勤務の取り組みが布石となっていたのか、ビジネスチャットとリモート会議ができる環境にあり、Face to Faceというほどではないにしろ、それに近い感覚の環境で仕事が回っていたのではないかと思う。ビジネスチャット(使っているのはMicrosoftのTeams)はLINEのような感じだが、メールと比べるとリモートでの意思疎通がやりやすいと感じる。これがあれば誰がどこにいてもつながってさえいれば仕事はスムーズにこなせるのではないかと思う。メールとの棲み分けが難しいところではあるけれども。しかし、仕事空間という意味でどうしても在宅勤務は違和感を感じざるを得なかった。1つは表現しにくいけれど、会社の自分が座って仕事をしている空間が仕事から離れてリラックスするはずの自宅にやってくるという違和感。刑務所の牢獄というものがそのまま自宅にやってくるという感覚。これがいやだった。やはり障害者として働いている苦痛が会社だけでなく自宅に存在するというのが初めはいやだった。そのうち慣れてはきたが。それから、やはり同じ空間を共有するという意義が在宅勤務になってくると感じざるを得ず、空気を読むというかそんなことが在宅勤務でパソコンの画面を通して離れて仕事をしていると感じにくい。よく無駄なことだと言われるけれど、通勤も歩くのがエクササイズになっているし、電車に乗っている時間も会社にいるのと自宅にいるのとはまた違った空間で、行きは会社に着くまでの心の準備を整える時間。帰りは会社を離れて拘束時間から解き放たれるという至福の時間となっている。今月はまだ在宅勤務中心ということで、1週間ずっと在宅だったり、週に2日会社に出勤したりという感じだったが、来月からは基本的に出社で場合によって在宅勤務をするという形態に変わる。でも、それは日常に戻るということであって、精神障害者としてはいいことである。精神障害者は変化が敵である。否応なく普段の日常から在宅勤務になるという変化はやはり苦痛であった。もちろん、会社に行くということは苦痛に変わりはないのだけれど、20年以上続けていることなので、当たり前に存在する苦痛である。苦痛への対処が分かっている。あと約10年で定年である。そうすると今までの日常ががらりと変わる。そのことが脅威だと思っている。
Jun 28, 2020
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5月末目処だった新型コロナウィルスの緊急事態宣言の解除は前倒しされ、今週の月曜日に解除された。特に翌日に出社するという訳でもなく、原則在宅勤務は今月いっぱい続き、6月からは在宅勤務中心で出社率を50%とするようである。コロナ以前の状態にはもう戻らないということか。 世の中の雰囲気もコロナとともに生活していくという意識である。これが新しい日常ということか。窮屈極まりないものである。ワクチンができたら解消されるものなのであろうか。天然痘のように撲滅できるといいのだが。 さて、一昨日と昨日と夜の8時から1時間、YouTubeで放送された欅共和国2017を鑑賞した。不協和音がリリースされた年でグループとしては絶頂期なのだったろう。それから紅白での過呼吸事件があり、平手友梨奈が不在がちになる。私が欅坂46の(ライトな)ファンになったのはこの頃だった。 欅坂46というと、どうしてもサイレントマジョリティーや不協和音のイメージがつきまとい、さわやかとは言い難い何かに反発しているような雰囲気でクールで踊りも激しいイメージだが、欅共和国を鑑賞しているとその2曲以外はとても可愛らしい曲が多く、なごませてくれる。 とはいえやはり、欅坂46といえばクールで激しく、悪くいえば鬱屈したメッセージ性があるのが特徴で、その中心にいたのが平手友梨奈だった。1stから8thシングルまで一貫してセンターは平手友梨奈だった。そして、それが欅坂46の世界観だった。 しかし、平手友梨奈は欅坂46を脱退した。欅坂46の象徴だった彼女はいなくなったのである。そして今は残った1期生と2期生と新2期生とメンバーは変わってきている。 平手とともに道を歩んだ1期生、その後半を共有した2期生、そして最近新2期生が入ってきた。どの世代も平手友梨奈の世界観の欅坂から離れることはできないと思うのだが、平手友梨奈が脱退した今、新たな道を歩き出してほしいと思う。 プロデュースする側も、新生欅坂46としてしっかりコンセプトを練りにねって、乃木坂にも日向坂にもない新しいものを9thシングルとして彼女たちと作り上げてもらいたい。 昔の黄金期に敵わなくてもいい、彼女たちが楽しく活動しているのであればファンもついてくるだろう。
May 31, 2020
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前回のブログからかなりの日々が経過した。前回の時にはまだ新型コロナウィルスは中国で猛威を奮っていたが、いまは中国はひと段落し、感染爆発の中心は欧米となっている。今はアメリカで感染者と死亡者が一番多くなっている。 日本は欧米と比べると緩やかだが感染者が増え続けている。それとともに危機感が醸成され約2週間前には総理大臣から緊急事態宣言が発令され、本格的に外出自粛という空気が漂いはじめた。しかし、あくまでも自粛で外出禁止という都市封鎖までは至っていない。なので、こうしてコメダ珈琲でブログが書ける。 志村けんさんや岡江久美子さんなど有名人が亡くなったことで今回のウィルスの怖さが広まり、今は深刻な事態なんだということを認識せざるをえないという空気になった。医療崩壊の瀬戸際にもある。 東京都の感染者数は毎日100人を超し収束の気配が見えない。今のままでは東京都と周辺の神奈川、埼玉、千葉は自粛を緩めることはできないだろう。 前回のブログの時にはまだテレワークの環境が整っていなく、実質自宅待機状態だった。しかし、緊急事態宣言の少し前に会社のパソコンのセキュリティ対策をしてもらいテレワークの環境になった。 テレワークになって少しいやだと感じたことは、くつろぐはずの自宅に会社のパソコンが入り込むということだった。普段なら通勤して会社という自宅とは別の場所に移動して仕事をすること。そのことに慣れているので通勤という時間で会社に行く心づもりができた。しかし、テレワークだとそれがないのが違和感があった。でも、今は慣れてきている。 仕事のやりとりにはMicrosoftのTeamsを使っている。ビジネスチャットには良さもあるが、しかしメールはどうしても必要になる場合がある。しかし、メールと共有ファイルをやりとりするファイルサーバーにアクセスするにはVPNを経由しないといけない。だが、今回の件で在宅勤務者が急増してVPNのキャパが追いついてなく、ほぼアクセスできないのが難点である。 外出を自粛して事態が鎮静化すればまた元どおりの日常が回復されるというのは間違いなんだろう。鎮静化をしてもある程度自粛は必要で、経済活動は徐々に始まるものの、3密を避けるという行動は続けなければならないんだろう。 新型コロナウィルスの出現で私たちの生活はがらっと変わってしまった。これからは新型コロナと共存していかなければいけないんだろう。治療薬とワクチンが完備されれば状況としては良くなるだろうが。 来週からはゴールデンウィークである。帰省も旅行も自粛して自宅に居なければならないのは残念なことだ。自分としては毎年ゴールデンウィークはどちらかというと鬱々と過ごしているのでこうなっても大差はないけれど。 次回ブログを更新するときはどうなっているだろうか。それなりに事態は鎮静化しているだろうか。会社に出社する日々に戻っているだろうか。 自分は50で独り身で精神障害者でコミュ障だから、こんな状況になってもどうってことないけど、これから青春を謳歌する若者たちは不憫である。大勢で騒いで飲み会なんてできないだろう。 これからのWithコロナの時代、我々は振り返ると昔はこんな時代だったと懐かしむのだろうか。
Apr 25, 2020
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1月から始まった中国武漢での新型コロナウィルス肺炎は瞬く間に感染が広がり、中国では7万人以上が感染し全世界に広がっている。まだ感染者は少ないものの、中国に近い日本は欧米の国に警戒されている。 そして、日本では感染元が特定できない感染者が現れ、集団感染なども発生し、自分も通勤で満員電車に乗る時は感染のストレスにさらされていたが、幸いなことに昨日から3月15日まで会社の指令で在宅勤務となった。昨日は首相から全国の小中高校で来週の月曜から春休みまで休学とする指示があった。 子供を学校に行かせて日中は仕事をしている親御さんは困惑してるようだが、政府はかなり危機感をもって決定を下したことがうかがえる。 しかし、街中では多くの人はマスクをしてはいるが、さしせまった危機感というものは微塵も感じない。しごく普段通りといった感じである。 YouTubeで中国での生活の様子をレポートした動画を見ると、街中はまるでゴーストタウンと化し、マンションに隔離され、何日かに1回食材を買い出しに強固なマスクとゴーグルをつけて外出するといった具合で、その様はまるで政府に監禁されているという感じ だった。監視社会の中国ならではのなせる技かもしれない。日本ではこうはいかないだろう。 しかし、強固に管理された状態におかれないということは感染が広がりやすいということだから、中国の対応を見ると日本はいったいどうなってしまうのかという恐怖を感じる。 在宅勤務になったのは自分のためによかったというよりも、自分が感染して自宅にウィルスを持ち込まないという意味でよかった。自宅には高齢の親がいるからである。会社に通っていた時は退勤して帰ってくる私を警戒していたので親にもそのストレスが無くなった。 さて、これからどうなっていくんだろう。日本でも武漢のように街が閉鎖されたり、外出禁止状態になるんだろうか。 休み始めてから朝起きて午前中は歩いて少し離れた喫茶店に行き、ツイッターやニュースなどをチェックしている。昨日は午後は自室で電子書籍を読んだ。今日は車で1時間ほどのコメダ珈琲に来てブログを書いている。 基本的に家にこもっているとうつっぽくなってくるのである。日内変動があるから調子の悪い午前中はなるべく外出するという具合である。(ちなみに会社に行かないとできない雑用がほとんどなので、在宅勤務は実質自宅待機で何をしていようが自由である。毎朝体温を測ってその数値を報告しているが) もし強制的に自宅隔離状態におかれたら、うつうつとしてよろしくないと思う。もし全ての飲食店が休業になったら行き場もないのだが。 まるで真綿で首を絞められているようだが、しょせんは真綿で綿飴がとけるようにあっけなく終わるのか、それとも真綿は強固になり窒息するまで首を絞め続けるのか。どちらになるのか知りたいところである。何となく長期戦になるのではないかとは思う。オリンピックの開催は難しいのかもしれない。
Feb 28, 2020
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いつも車を運転している時は、iPhoneをカーナビにつなげて音楽を聴いている。昔から聴いている懐かしい音楽がながれてくる。 一時、ももクロにはまった頃があって、盛んに動画を見たり音楽を聴いたりしていた。車に乗っていてその頃の曲がながれてくるとノスタルジックな感覚になる。 そのノスタルジックな感覚が思いもよらない曲を聴いてなぜか感じてしまった。欅坂46の「不協和音」である。 どう考えてもももクロよりは現在進行形の曲なはずなのだが、やはり平手友梨奈が脱退したことにより彼女がセンターで彼女の「僕は嫌だ」がもう聴けないという現実がノスタルジック感を漂わせたのだろうと思う。 平手友梨奈の脱退が発表されてから、メンバーの小池美波は出演するラジオ番組で「不協和音」をながした。それはもう平手友梨奈が脱退して成立しない彼女がセンターの「不協和音」を懐かしむような、それでいてこれを一区切りとして新しい欅坂46をつくっていくという決意の現れという感じがした。 もう平手友梨奈が発する鬱屈として人を引き込む世界観を欅坂46はだすことができない。そうなると、楽しげで踊りもキレが必要な「風に吹かれても」のような路線でいくのか。間違っても乃木坂や日向坂路線には行ってはいけないと思う。そういう意味ではダンスが上手い鈴本の卒業は痛いのだが。 平手友梨奈の個性を引き出したのも脱退という結果になってしまったのも責任は秋元康のプロデュースにある。欅坂46を泥舟とせず再構築していくために秋元康とTAKAHIRO氏には是非知恵を絞って欲しいものである。
Feb 9, 2020
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平手友梨奈の脱退については本当に突然のことで驚いた。iPadでYouTubeを見ている時にYahooからの通知がでて「えっ」と絶句した。その後にSchool of Lockで本人からの肉声で脱退することを聞いた。 反射的にツイッターの通名にある欅坂の文字を消した。なぜだかそうした。それはやはり欅坂箱推しということは平手友梨奈を推していることだからなんだろうなと思う。 2017年の紅白の過呼吸事件の後から興味を持ち、欅坂のことを知っていくうちにその世界観に惹かれた。そしてその世界観イコール平手友梨奈なんだなと痛感した。そして、その平手友梨奈が脱退するとはどういうことなのか。 「けやかけ」はほぼ欠かさず見ていたので、それぞれのメンバーが個性的で面白のは分かる。でも、MVやライブでパフォーマンスするには平手友梨奈抜きでは烏合の衆感は否めない。 平手友梨奈にしても欅坂の世界観を作る圧倒的な存在感があったにせよ、なんだかんだで周りのメンバーあってこその面はあり、一人でアーティストとしてやっていくほどの実力があるとは思えない。 たぶん欅坂がこの後アイドルグループとして活躍していくのは難しいと思うし、平手友梨奈がソロとして活躍するかどうかは怪しいと思わざるを得ない。 だから、平手友梨奈が欅坂を脱退するということは欅坂46が終わったに等しいことではないかと思う。 平手友梨奈の個性と秋元康の仕掛けとTKAHIRO氏の振付が相まって化学変化を起こし、サイレントマジョリティーや不協和音といった見る人が引き込まれるような楽曲が生まれた。そのストーリーは終わった。そして新しいストーリーが始まる。 否定的なことを書いたが今後もどうなるかは注目していきたい。特に欅坂46については二期生も入っていることだし発奮を期待したい。
Jan 26, 2020
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先週は即位礼正殿の儀で今年限りの祝日の火曜日となったので、月曜日を休みにして4連休にして両親と栃木の那須塩原の温泉ホテルへ車で行った。 今年のゴールデンウィークは神奈川県の湯河原の温泉宿に両親と車で行ったので、今年は2回も両親を温泉宿へ車で連れて行くことができた。 恐らく年に2回も両親を温泉宿へ車で連れて行くことはもうできないのではないかと思う。 まず、条件として4連休がどうしても必要である。1日目は会社の疲れをとり、2〜3日目で旅行へ行き、4日目に旅行の疲れをとり翌日からの仕事に備える必要がある。 それができるのは、年末年始の連休かゴールデンウィークの連休か夏休みの連休かのどれかしかない。年末年始と夏休みは正月とお盆に重なり、諸事があるので旅行へは行けず、旅行に行くチャンスはゴールデンウィークに限られる。 だから通常は年に1回しか旅行のチャンスはないのだが、今年に限って即位の儀があったので2回行けたという訳である。 年に1回しか車で旅行へは行かない。ということは往復で2〜300km程度車で走るという機会は年に1回しかない。あとは今日みたいにわざわざ片道1時間程車で走って喫茶店に来てブログを書くというのが車の使い道である。 自分としては必要性はかなり薄いのだが、年に1回両親を温泉宿へ連れて行くのと、何かあったらということで車はあったほうがいいと親が思っているので自宅の敷地に車が鎮座しているという感じである。 車はホンダのヴェゼルで今年が初回の車検だった。その前はミッションのフィットだったが、やはり渋滞でも山道でもミッションはつらいのと、フィットより余裕と安定感があるオートマのヴェゼルにした。コンパクトSUVは視線が高めで運転も楽である。小回りも効く。次に乗り換えるのもヴェゼルかどうか分からないがコンパクトSUV一択である。 でも、それもどうなるか分からない。両親の具合によっては福祉車両を考慮しなければいけないかもしれない。親の亡き後の自分の老後は多少荷物を積める2シーターの電動カーになるだろうか。 姪は免許はとったものの車には乗らず、甥は免許をとる必要性を感じていないらしい。 終身雇用、持ち家、マイカーは過去のものになりつつある。 あと30年もしたら、車のあり様はがらりと変化していることだろう。
Oct 27, 2019
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いつもiPhoneのアプリでブログを書いているのだが、OSをアップデートして以前と変わったところがあってなかなか入力が上手くいかず少しあきらめかけていたところ、なんとか事なきを得て書けるようになった。 さて、続、礼服ということだが、前回のブログは会社の方が急逝してお通夜に行く機会があり、それを機に礼服を新調したものの着る機会がいつ訪れるやらという内容だった。 そうしたら奇しくも会社の上司に結婚式に来てくれないかと誘われたのである。 上司は僕より20歳程度若い人で、入籍したらしいということは知っていた。今の若い人だから結婚式などやらないか、やっても身内だけかなと思っていた。だから礼服を新調したときはまさかそのパターンがあるとは思っても見なかった。 すっかり礼服を着るのは親の代の親類の弔事か姪や甥の慶事しか思いつかなかった。まさか会社関係で結婚式に呼ばれるとは思わなかった。精神の障害者雇用で影が薄く人目を忍ぶように働いている身である。 この病気だから慶事などの場に出席するのは苦手だ。以前(かなり昔だが)、会社をうつで休職していたときにかなり親しい友人から結婚式の誘いがあったが、行くことができなかった。 なので、上司から誘いを受けたときには、まず頭に浮かんだのはお祝いだけ渡して結婚式の出席は断ってしまおうということだった。上司から呼ばれる他の会社関係の人たちとの関係も微妙である。というか話さないのでいぶかしがられている。 しかし、その後考えが変わってせっかく礼服を新調したのもこの機だったと考え、行ってしまえばなんとかなる。行って、お祝いを渡してその場を凌いで逃げるように帰ってくればいいではないかと思うようになった。上司ということで近しいのだから形だけでも出席したということに出来れば角は立つまい。そう考えるようになった。 早速、礼服の出番が来たとはいえかなり憂鬱で頭が痛い。無事に乗り切れるだろうか。。。
Oct 6, 2019
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久しぶりのブログの更新である。前回から1ヶ月以上空いてしまった。その時は毎週日曜日には更新しようと思っていたのだが、そういうのを決めるとなかなか続かないもので、やはり思い立った時に1ヶ月に1回か2回程度が関の山かなと思う次第である。 さて本題。先日会社の同僚の方が脳出血で手術をし、暫くして亡くなったとの報せが入り、一昨日がお通夜だった。ちなみに挨拶と、ほとんどないが二言三言言葉を交わす程度の方だった。 お通夜には濃紺のスーツに黒のネクタイで参列した。礼服はもちろん無い訳ではないのだが、若い頃に作った(その頃はそれが普通だったのかもしれないが)ダブルのダボダボのスーツしか無いのである。 前回の弔事は3年前で叔父の通夜と葬儀で、その時は仕方なくダブルのダボダボのスーツを着て参列した。それから新しく礼服を買わないといけないなと思いつつずるずると時が過ぎ今回の弔事となった。 そして、これがいい機会だと思い、翌日(昨日)にネクタイをはずした格好でお店に行き礼服を新調した。ひとまずモヤモヤ感は無くなった。 しかし、ずるずると礼服を新調するのをためらっていたというのは理由があって、3年前に亡くなった叔父は別として他の親の代の親類はまだまだ元気に長生きをするだろうなと思っていた。 また、甥と姪が大学を卒業して社会人になるのもそろそろという頃になり、二人の結婚というのも視野に入ってくるので、弔事のように突然発生する場合は困るが慶事であれば数ヶ月前には式が分かっているので予め礼服が作れるかなという思いがあった。 なので、それまで作らなくてもいいかなと思いつつずるずるときたのだが、今回の弔事でやはり作っておこうとなった次第である。 できればまだ親が元気で出かけられる頃に、姪あたりが結婚をしてくれて、その式に参列するときに礼服の袖を通せればいいなと思っている。 体型が維持できていればいいのだが。。。
Sep 23, 2019
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今日のワイドナショーでの松本人志は「あちゃー、やってもうたー」という感じの顔をしていた。 あまりワイドショーなどは見ないが、吉本騒動一色だったのだろうか。先週のワイドナショーの生放送で松本人志と東野幸治が吉本興業の会長と社長と話しをして、その翌々日に行った岡本社長の記者会見が物議をかもす結果となった。 火をつけた宮迫とロンブー亮のことなんてどこ吹く風というぐらい白熱しているようである。まぁ奇しくも吉本の膿をだすいい機会となったのかもしれない。 そうなんだなぁと思ったのは、松本人志が吉本興業のトップを動かす存在だということ。会長も社長もダウンタウンのマネージャーだったということなんだからもっともなことかなと。 関西ローカルでは「4時ですよ〜だ」で一躍有名になったダウンタウン。自分が初めて知ることになったのは「夢で逢えたら」という深夜番組。ウッチャンナンチャンや野沢直子や清水ミチコがでていた。ちょうどそれが大学生の頃で、友達とよく話題にしていた。「ごっつええ感じ」の頃には社会人になっていて、忙しさでお笑いは見なくなった。 やはり小中高大学の頃にリアルに見ていたお笑い番組が強烈に印象に残っているもので、やはり「おれたちひょうきん族」から「夢で逢えたら」ぐらいがストライクゾーンだ。きっと若かったらMー1なんか熱心にみたんだろうけれど、今はリアルではお笑いを見る気がしない。 ダウンタウンの面白さを再認識したのは2007年頃だった。ちょうどYouTubeがアーリーアダプターから広まってきた頃で、今はすぐに消されてしまうが過去に放送されたテレビ映像が当時は見放題で、「ダウンタウン」で検索するとアホなぐらいたくさんアーカイブが見れた。その頃、休職していたのでとにかく見まくってはまった。ダウンタウンはこんなに面白かったのかと。 「夢で逢えたら」から「ごっつええ感じ」や「ガキの使い」と東京を拠点にダウンタウンというお笑いのトップスターが引っ張って、それに続けと雨後の筍のごとく若い芸人で溢れかえり、お笑いといったら吉本という地位を確立した吉本興業。 普通の会社と違うから生み出せた何かがあったのかもしれないが、普通の会社のようにガバナンスを効かせるようになったらどうなるのだろうか?
Jul 28, 2019
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土日は、土曜日は平日の疲れを取るために休養。日曜日は余裕があれば車で外出してブログを書くなんて日々が続いていた。 しかし、先週は土曜日に両親に頼まれて車で外出した。いつも土曜は休養していたから心配だったが意外と大丈夫だった。なのだが、翌日に酷い疲れがでた。そしてそれを引きずって月曜も休んでしまった。 そんな感じだったので先週はブログは書かなかった。 今週はというと、しっかり土曜日は疲れをとった。そして今日。活動できると思っていたが、なんとも言えず怠く鬱々と家にいる。梅雨本番で雨と低気圧のせいではないかと思っている。いつもは外出して茶店でブログを書くのだが、今日は仕方なく自宅で書いている。 ところで最近はYouTubeで見る面白い動画ネタが増えた。 今までは欅坂46、日向坂46を主に見ることが多かったのだが、最近はドラフト一巡でNBA入を果たした八村塁の動画。それから今熱い日韓関係についてだ。 日韓関係となると、ネットでは「ネトウヨ」だから保守系で日本の外交姿勢を正当化し、韓国の過剰な反応を揶揄する。不思議なのは地上波で、韓国を擁護して日本が自制すべきなんて論調がでる。いわゆるリベラル派で「ネトウヨ」の反対で「パヨク」なんて呼ばれたりする。 今回は半導体などの製造に使う素材3品目の輸出規制を強化するということになった訳だが、韓国はいわゆる徴用工訴訟の報復ととらえて大騒ぎしたのだが、日本政府としては徴用工訴訟の問題ではなく輸出管理における安全保障上の問題で不適切な事案があったとのことだ。 この不適切な事案について、韓国は製品を北朝鮮への横流しをしたことと捉えてその事実はないと反論したところだが、日本政府側は北朝鮮への横流しのことではないと切り返したということになっている。 今回の問題はいわゆる慰安婦問題や徴用工の問題とは一線を画する問題とはいえリンクしていなくはないと言える。 日韓基本条約では日本が賠償金を支払うことで、韓国内での個人賠償に関する問題は韓国政府がこれの問題解決にあたるとしている。慰安婦問題や徴用工の問題はこれにあたる。つまり韓国政府に賠償責任があり、日本にそれを求めるのはお門違いということになる。 それなのに問題を放置し、矛先を日本に向ける韓国政府に対して日本は相当の不信感が募っている。その遠因として今回の輸出規制があると言えなくもないと思う。 韓国はアメリカに仲裁を申し出たが却下されたようである。 これからまだまだ長く続く問題のようである。目が離せない。
Jul 14, 2019
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普段、夕食後のくつろぎの時間にYouTubeを見るのだが、大概見ているのは欅坂46や日向坂46の動画が多い。そして飽きてくると気ままに特に決め打ちせず興味の湧いた動画を見ている。 とはいっても気になってキーワードで検索した動画。最近では時計のことなどが多かったりするのだけれど何故か分からないのだけれどバスケの動画を目にした。それが八村塁の動画だった。今から2〜3週間前だろうか。 黒人とのハーフとはいえアメリカの大学でこんなに活躍している選手がいるなんて信じられなかった。それから八村塁の動画を見まくった。そして6月20日にNBAのドラフト会議があり、八村塁が一巡目で指名されるだろうと言われていることを知った。 そして一昨日にそれは起こって、会社で何もすることがない僕はひたすらネットニュースにかじりついた。歴史的な瞬間だと思った。日本のニュースの取り上げ方でも分かる。 僕は中学校の部活は初めはバスケ部に所属していた。しかし、3ヶ月程して小学校時代からの仲間に誘われて吹奏楽部に入った。だからバスケは大好きである。うろ覚えだけれど、当時はレイカーズのマジック・ジョンソンなどの試合をよく見ていたように思う。 マイケル・ジョーダンの試合はリアルタイムではそれほど見ていなくって、テニスサークルに入っていたのでテレビではテニスの試合ばかりを見ていた。今はYouTubeで好きな時に見れる。見るたびに興奮する。 8年前に会社を1年間休職した時はもともと持っていたバスケットボールを持ち出して、平日の閑散とした日中にバスケットゴールのある公園に行き一人で黙々とバスケに没頭したなんてこともあった。今は土日などは中高生の集団で占拠されていて楽しむことができない。 今年の夏にはバスケットボールのW杯もあるので、そこでもし出場したら八村塁のプレーが見れるのが楽しみである。 八村塁のNBAデビュー、おそらく東京オリンピックへの出場はこれから少子高齢化で東京オリンピックに沸いてから確実に縮退していく日本にとって心踊るニュースである。 彼のピークが24〜28歳として、それは2022年から2026年と少子高齢化の社会問題がより身近になっていることだろう。そんな中、アメリカから八村塁の活躍のニュースが入ってくる。なんて素晴らしいことだろうか!
Jun 23, 2019
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先月ぐらいまではブログは更新しても月にせいぜい1、2回程度だったが、これからなるべく週に1回の日曜日には更新していこうかなと思っている。 平日の5連勤の疲れで土曜日は動けない可能性が高く、翌日の日曜なら車にでも乗って郊外の喫茶店に行きのんびりブログを書く。まぁすぐに挫折するかもしれないけれど。 前は何か書こうかなということがあった時に書いていた。だから月に1、2回のペースだった。毎週と決めるとそういうわけにもいかない。意外と何を書こうかなと考えるのもストレスだ。 しかし、今まで惰性で何とか続けてきた。昔はブログでの交流というのはあったけど今はない。交流はツイッターだ。そのツイッターも交流がなくなりつつある。 しばらくは惰性でブログを更新し、惰性でツイッターでたまにつぶやいたりいいねをしてタイムラインを眺めるんだろう。そういったログが止まる時がいつかは来るのだろうか。 さて、合理性とか惰性とかということで、ブログやツイッターは合理性はなく、もはや単なる惰性である。 バイクを売ってiPhoneSEをiPhoneXSにしたのは惰性を見切って合理性を得ることができた。バイクは仕事の疲れでなかなか乗ることができなくなっていて、バイクが動かなくならないように何とか乗っているという体たらくだった。 iPhoneはやはり高くても最新機種にしておきたかった。(今思うとiPhone8でもよかったかもしれないけれど)どうやらiOS13はiPhoneSEは対象機種から外れる可能性が高く、そういう意味で合理的であったとは思っている。 とはいえLINEをする友達もいない私はスマホですることといったらツイッターとスマートニュースを見るぐらいで高級機種のiPhoneXSを持て余しているのは合理的ではないかなと考える。写真を撮ったり音楽を聴くからそこまで卑下することもないかな。そうそう、ブログもiPhoneXSで書いている。 最近はふと時計が欲しくなりYouTubeで動画を見たりする。今はオンとオフで機械式の腕時計とクオーツの腕時計と2つを分けて使っている。オンとオフで時計を替えると気分が変わる。使う頻度が多い仕事用の時計を機械式にして、そうではない方をクオーツにすることは合理性がある。そこにもう一つの時計が加わる余地がないので欲しくても買うことはない。 時計はパソコンやスマホといったガジェットと違って長く使い続けることができる。機械式の時計なら4、5年に1回のオーバーホールを続けていけば死ぬまで使える。惰性の最たるものであろう。万が一どこかの機構が故障したらスイスの高級腕時計を買いたいと思ってはいる。 合理性を追求すると惰性が伴うのかもしれない。とはいえ振り返ってみると意外と新陳代謝していて変化をしていたりするのだが。 そういう変化があったときにふとブログを書いている訳なので、月に1、2回の更新頻度だったということはいかに惰性で生きているのかということが分かる。 何か楽しみが増えて、ふとブログを更新したくなるようになればいいのだが。
May 26, 2019
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明日が車検である。ホンダの顧客囲い込みは有無を言わさずで他を検討する余裕すらなかったのだが、初回の車検ということやハイブリッドで精密機械化していて、メーカー系ディーラーの方が安心して任せられるなんて自分に言い聞かせている。たぶんディーラーの車検が一番値段が高いと思いつつ。 要するに面倒くさいのである。安いところを検討するにはネットで調べて数社見積もりをとってディーラーと比べてと時間がかかる。どうせ1〜2万の違いだろうと思って易きに傾く。そこで面倒くさいことに労力をいとわない人と差が出るのかもしれない。 まぁ、見積もりが安いところもふたを開けると何かと消耗品などを有無を言わさず交換してそこで儲けてたりするかもしれないが。ディーラーなら(他の業者もあるかもしれないけれど)クレジットカード払いできるからポイントがつく。 そう考えるとそれなりの出費をした時にそれをどう活かすかが重要だなと気づく。そろそろ通勤用の6ヶ月定期がきれる。もちろん会社から支給されるが8万の出費がある。ここでも少し検討すれば得をすることができる。 今は現金で券売機で購入しているが、VIEW スイカにすればクレジット払いにできるのでポイントがつく。ポイントはスイカの電子マネーに充当できる。定期代は会社から支給されてポイントがつくのはかなりおトクだと思う。そうしている人は多いのだろうなと思う。 でも、日々のスイカへのチャージをクレジットからするのに(たぶん)専用のATMでしかできないのは面倒くさい。セブン銀行のATMなら会社のテナントビルの1階にあるので暇な時にふらっと1階に行けばチャージできる。 VIEWカードは年会費がかかるので、もし仮に日々のチャージは現金のみで定期の購入だけクレジットとすると年間でせいぜい3千円程度の得にしかならない。(これをどう捉えるかだが)それに、新たにそのためだけにクレジットカードを作って管理しなければならない労力を考えると本当に面倒くさい。 これも同じだが面倒くささを厭わないひとがいて得をしていて、そういう人と細かく金銭面での差がついていくのだろう。 そう考えると自分は面倒くさがりの銭失いだと思う。
May 18, 2019
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早いもので来週の日曜日が車検である。3年なんてあっという間だ。基本、時間と余力があればバイクに乗っていたので車に乗る時間は少なかった。約6千キロしか乗っていない。 今までの車遍歴は、日産サニー→ホンダシビック→フォルクスワーゲンゴルフ→スバルレガシー→ホンダフィット→ホンダヴェゼルといった感じである。 サニー、シビック、ゴルフ、フィットはミッション車で、レガシーとヴェゼル(現行車)はオートマである。バイクに乗っていたので車も運転が楽しい方がいいと思ってフィット(RS)はミッションにしたのだが、やはりめんどくさくなってオートマのヴェゼルに乗り換えた。 大学の頃に乗っていたのがシビックで、兄の車だったが、兄が社会人であまり乗れなかったので遊び放題だった当時はテニスにスキーに何かと大活躍したものであった。 自分名義で初めて買った車がレガシーである。(グランドワゴンというタイプで今のアウトバックの大元にあたる)釣りとかスキーとかアウトドア派だったのでこのタイプにした。人生につまずかなかったらきっと家族でアウトドアライフを送っていただろうなと思う。この車は18年乗った。その間、健常者から障害者になった。 この間のゴールデンウィークは老親を乗せて湯河原の温泉旅館に行ってきた。今や車が活躍するのは年に1回か2回ぐらいの老親との旅行ぐらいか。でも、昨年にバイクは売ってしまったので車に乗る機会は増えつつある。 ヴェゼルは文句のつけようがない。走りはなかなか力強い。コンパクトSUVの特長で目線が高いので運転しやすく、コンパクトなので取り回しが良く、狭いところにも入っていける。助手席や後席もゆったりしていて乗り心地は悪くなさそうである。 次に乗り換えるのも大きく事情が変わらなければヴェゼルにしようと思っている。 なんだかんだで今時の若い世代と違い、一応手元に車は持っていたい世代である。免許を返納するまでは。
May 12, 2019
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今年のゴールデンウィークはプラス1日の有給休暇を付加して11連休だった。平成から令和への代替わりは親との湯河原の温泉旅行で迎えた。今日は11連休の最終日で明日から会社が始まるせいなのか、なんとなく焦燥感があってベッドに伏せったり起きても何も手につかず、とりあえずブログは書こうと思って近所のドトールに来ている。 前回、平成は振り返ったので一応先のことも書いてみようかなと思っている。でも、あまり気は進まない。悪いことを書けばそうなりそうだし、良いことを書いてもきっとそうはならない気がするからだ。 でも、令和になっておそらく必ず起こるのが確定していることがある。親との死別だ。これは避けられない大きな変化だ。 私は今まで単身で生活したことがない。大学は自宅通いだったし結婚してもだいたい嫁さんに家事はやってもらっていて、離婚すると病気のこともあり実家に戻ったので親と死別すると老年にして単身生活を余儀なくされる。 しかも障害特有のもので地域社会への参加交流が不得手というのもある。そうなると社会的にも孤立して考えるだけでぞっとする未来が待ち構えていると思わざるを得ない。 運良く相方ができるといいのだけれど、なかなかそれは難しいだろう。SNSでネット上の社会的つながりは多少あるにしろ少し寂しさを和らげてくれる程度だろう。 でも、過去のことは変えられないけれども先のことは時代が変わったことを契機にどんなサプライズが起こるかは分からない。 悪いことばかり考えず、ポジティブな妄想をしながら日々暮らすのが健全だと思う。結果として社会的に孤立した下流老人になってしまったにせよ。
May 6, 2019
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昭和天皇の崩御の報せは予備校で聞いたのをなんとなく憶えている。左翼崩れの予備校の日本史の教師が天皇制についてボロクソに言っていたのもなんとなく憶えている。今思えばそれが平成の始まりで、そのちょっと後に一浪しての大学受験の合格という出来事があった。 平成になって、大学に入って会社に入って結婚してうつ病になって離婚して躁うつ病になって障害者雇用で会社を転籍して現在に至る。 うつ病になって離婚してまではまだ良かった。ある程度回復してそれなりに仕事もこなせるようになった。しかし回復を突き抜けてがむしゃらに働くようになった。それが躁の始まりで、人生が奈落の底に落ちた瞬間だった。精神障害者であることを自覚せざるをえなかった。 それなりの大学に入った。それなりの会社に入った。それなりの女性と結婚した。しかし今となっては全く意味をなさないものとなった。まだそれなりの会社の子会社で働けているので全く意味をなさないというのも言い過ぎかもしれないけれど、限りなくそれに近い。 大学生活は友達に囲まれ楽しかった。会社は最初は苦しかったが結果をだすことができて充実していた。結婚生活も楽しかった。しかしそれはただ経験しただけで何ら今につながっていない。平成というキャンバスからはそれらの思い出が塗りつぶされ、精神障害者という厳然たる事実だけが色濃く残ったというのが正直なところだ。 だから、平成というのは自分にとっては精神障害者としての自分に孤独に向き合ったというのが正直なところかもしれない。これは令和になっても続いていく。 でもまあ自分にもそれなりのITリテラシーがあったので完全に孤独にという訳でもなかったかもしれない。掲示板、ブログ、ツイッターと時代の流れに合わせてパソコンやスマホを通して悩みを共有できる人たちがいた。そして現実世界では親の支援があった。それが無かったらどうなっていただろうかと思う。自分のそんな活動の中でもし他の人を助けられていたとするならそれほど良いことはないなと思う。 このブログはある会社の株主総会にでて、経営者に質問をぶつけたことをまとめた記事から始まっている。躁でなければとてもできないことだ。だから、このブログは精神障害者となった自分の日々を綴ったものである。その時々で自分が思ったこと、感じたことが詰まっている。 平成を区切りにして有料でもいいのでAIで何かしら分析ができると面白いかなと思うのだが。
Apr 28, 2019
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先週のことだが、父親がどうしてもスマホを買いたいということで一緒にドコモショップへ連れて行かされた。ガラケーを新しくするのにも混乱するのに、スマホにするなんて親はちんぷんかんぷんである。 3、4時間はドコモショップの店員とのやりとりに付き合わされ、私は頭がつかれてしまい、翌日まで疲れが残って何もやる気にならなかったのには閉口した。(このへんは自分の病気が影響しているのだと思う) らくらくスマホだから大丈夫と思ったのだろうが、初めにスマホを買いたいと話をした時にはどうせ使えないだろうからと反対したのだが、父親の意思は固かった。案の定、マニュアルを見て色々と触ってはいるものの上手く使えているとは思えない。 らくらくスマホと言っても中身はAndroidのスマホである。年寄りに使い易く作り込まれてはいるものの、それがかえって使いにくい。助けを求められて自分で操作しようとするもののはっきりいって操作するのにいらつくのである。 親にとってはimodeのガラケーが限界だろう。パソコンが使えないのだから携帯できるパソコンであるスマホを上手く使えるはずもない。AmazonのFireTVさえも使おうとはしない。使い方が分からない。 クレジットカードのポイントが貯まり、父親がそごうで買い物をするのでnanacoに交換して父親にあげたのだがnanacoにチャージするのもできるのかどうか怪しい感じである。 個人差があるのかもしれないけれど、慣れていないものに対しては生理的に拒否感を感じてしまうのだろう。そして、何とか消化して理解しようとするもののなかなか難しい。 それは自動車に乗れない犬に似ていると思う。子供の頃から車に乗っている犬は成犬になっても車には大人しく乗っていられるが、子供の頃に慣れずにいきなり車に乗せられた成犬はパニックで暴れてしまう。そして車に慣れるということはできない。 きっと親ではなく自分にも若者には理解できても生理的に理解できない何かがきっとあるのだろう。それが何なのかは分からないが。
Apr 21, 2019
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一昨日の晩に公式ブログで長濱ねるが卒業することを発表した。 感じとしてはしばらく前から仕事で表に出なくなり、ねるがメインパーソナリティの「こち星」にも出なくなっていてその予感は感じられていたので「電撃」という訳ではなかったとも思う。それでもやはり世間では驚きに受け取られた。 親の反対を押し通してもアイドルになったねるだから相当悩んだのだろう。それと同時に欅坂46での活動での自分のあり方にも悩んでいたのだろう。このままでいいのか感はあったのではないかと思う。 ねるの卒業を後押ししたのは、一足先に欅坂46を卒業した米谷奈々未(よねさん)の存在があるのではないかと思う。 よねさんが卒業をブログで発表した時、ねるはよねさんのことを「グループの中で唯一心の内を話せる」とブログで書いたほど親密な間柄である。 よねさんはやりたいことができる大学に入ることができて、学業に専念するために欅坂46の卒業と芸能界からの引退をきっぱりと決めた。 よねさんが卒業する前、こち星でよねさんが出ていた時にねるはよねさんが生き生きと大学生活を送っていることをすごく羨ましがっていた。 だからねるも自分のやりたいこと。これから見つけていくことかもしれないが、その道に向かうための第一歩として欅坂46の卒業を決めたのだろう。 欅坂46という坂を登ることを止めて、自分のやりたいことを目指す坂を登っていくよねさんの後ろ姿をねるは見て自分も同じく欅坂46という坂を登ることを止める決心をしたのではないだろうか。 ねるが卒業することでねるを推していたファンが離れることは否めないが、欅坂46の世界観が変わることはない。もし欅坂46が解散するとしたら、その世界観を象徴する平手友梨奈が卒業するときだろう。二期生の中に平手に匹敵する存在の子が現れたらもしかしたら続いていくのかもしれないが。 奇しくもねるが発端になって結成されたけひらがなけやきが日向坂46と改名してシングルデビューする。メンバーの士気は高く勢いがあって、きっと人気が爆発するのではないだろうか。 きっと鬱屈とした雰囲気の漢字欅から明るく晴れ晴れとした日向坂46にファンが移っていく波は起こるだろう。 秋元康の掌で両者で行ったり来たりというのが癪にさわるが。
Mar 9, 2019
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若い人は腕時計というのは全く必要性のないものと思うんだろう。肌身離さずスマホを携帯していてスマホで時間の確認ができる。(若くない人であってもそうか。。。)自分も携帯を持ち始めた時はそうだった(もちろんネットができない通話のみのもの)。でも、外出する時に腕時計がないとなんとなく不安で、していると落ち着くのである。やはり、スマホをいちいち出すより手首をさっと見る方が早いしアナログの文字盤の方が時間感覚が掴みやすい(何時まであと何分とか)。それからアクセサリーをつけている感覚だろう。どんな時計をしているかによって優越感を感じられる。(ロレックスとか)自分は優越感を持つための先立つ物はないので(正確にはあるがそれに使う気はしない)、あまり高いものは使っていない。今日、使っている2本のうちの1本がオーバーホールが完了したので受け取りに行ってきた。腕時計には自動巻とクォーツと2種類ある。自動巻は(今回オーバーホールにだしたもの)腕を動かすことでゼンマイが巻かれて針を動かす。クォーツは電池駆動だ。私は1本づつ持っていて、平日は自動巻、休日はクォーツを使っている。自動巻は放っておくと1日ぐらいで止まってしまう。なので、平日使い続けて土日はウォッチワインダー(時計を動かして止まらないようにする機械)に保管する。クォーツは放っておいても電池だから動き続けるのでウォッチワインダーに保管する必要はない。平日も土日も自動巻を使い続けてもいいのだけれど、オンとオフは気分を切り替えたいのでそうしている。巷で売ってる高級腕時計はほぼ自動巻である。(ロレックスとかオメガとかブライトリングとか)値段はピンからキリだが数十万か。私がもっているTISSOT(ティソ)という腕時計は自動巻の腕時計では最安の部類だろう。でも、10年使っているがなんの故障もないので品質は悪くないと思う。金の価値を銀の価格でというスローガンがあるようだ。人は皆自動巻の時計に心惹かれる。3〜4年ごとにオーバーホールをすれば40年でも50年でも使い続けることができる。スマホなら2〜3年、長くても4年もしたら新しいものに買い替える。40年といったら10回になる。(そこまでスマホが存在するかどうかはわからないが。。。)自動巻の時計は機械式の時計とも言うけれど、そのシンプルさと永遠に時を刻み続けるというロマンがある。進化するスマホなどを追いかけ続けているのもいいけれど、お気に入りのブランドの機械式腕時計を手に入れて一生愛でるのも悪くないと思う。
Jan 26, 2019
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どこのテレビ局でも平成の30年間を振り返るテーマが多い。今年は同じ年齢の友人への年賀状には、「今年は平成最後で50歳とメモリアルな年ですね」と一言添えた。昔は人生50年と言われたぐらいなので人生終盤といったところか、片や人生百年時代とも言われているので折り返し地点なのか。 平成元年というのも自分にとっては節目の年で、一浪して大学受験に受かった年だった。昭和天皇崩御の報は予備校で知った。高校受験の頃からおぼろげに目標としていた、レベルの高い大学に入り、一流企業に就職するという路線を外れることなく進んでいた。そして、まだバブルの余韻のある中、目標は達成された。 人生は確実に右肩上がりの上昇カーブを描いていた。しかし、平成13年に奈落の底に突き落とされた。うつ病である。今となっては双極性障害のうつ症状というべきか。それから約18年、人生を迷走してきてあっという間に50歳になる年になってしまった。 病気になってしまった原因は仕事での行き詰まりと同じ会社だった嫁からの精神的パワハラにあるので、結局は目標としていたことが違っていたら回避できたのかもしれない。 無理に高みなんて目指さず、自分の身の丈にあったレベルの路線で人生を過ごしていけたらよかったのではないかなと思ったりする。 ここで心機一転、時代が変わるし挽回と言いたいところだが、悲しいかな精神障害者なので気力体力コミュ力がない。どうやら時代が変わっても迷走は続きそうである。 やはり人との出会いが人生に化学変化を起こすと思う。それを考えるにコミュ力が低いのは人生を打開するには致命傷だと思う。 平成から新しい時代に変わるが、迷走している人生の単なる通過点であるような気がする。もしくは精神崩壊して無職になるというメモリアルな年となるのか。 もしそうなら、もう人生が右肩上がりすることはないと思われるのでいっそ損切りしたい。例えば、これから少子化で高齢者を支える余裕もなくなってくるのだし、医療費も膨らむばかりで、独居老人の孤独死も増えるだろうから安楽死を合法化するべきであると思う。 人生何が起こるか分からないとも言うが、一般論であって、コミュ障の精神障害者には当てはまらないと思う。18年という年月がそれを証明している。 これをプラス思考の人が読んだらマイナスに考えすぎだと思うのだろうが、僕だってもともとは目標を持って達成してきたどちらかといえばプラス思考の人間である。しかしそんな人間でも道を踏み外すと泥沼人生の生ける屍となってしまうのである。 年末年始の休暇も9日目となるとろくなことを考えない。だからこんな鬱屈したブログを書いてしまうのだろう。明日からは会社である。なんだかんだで色々と余裕がなくなると余計なことを考えないで時が過ぎて行く。苦しいが鬱屈した考えに染まらずに済む。 自分で自分を不幸に貶めていると思われるんだろうし、自分でも薄々自覚してはいる。事態を打開できない時点で人生は50年で十分だと思う。
Jan 6, 2019
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欅坂46は日曜の深夜に冠番組を持っている。今年のいつ頃かは分からないが、翌日の月曜に会社から帰って食事をしてからYouTubeにあがっているその番組を見るのが習慣になっていた。そして約1年が過ぎた。 アイドルの冠番組なんて見る質ではないので、見るようになったのは欅坂46に興味を持ってから色々とYouTubeで動画を見てはまったせいだろうか。 歌番組での出演はその時間に見たり、録画して見たり、YouTubeにあがっているのを見たり。もちろんMVはYouTubeで飽きるほど見た。 歌番組ではセンターが目立ってその他はどうしてもバックダンサー的になってしまうが、冠番組ではそのバックダンサーのメンバーが生き生きと活躍しているのが印象的だ。 欅坂46で世間的に知られているメンバーは平手友梨奈と長濱ねるだと思うが、他にもラジオのパーソナリティーやモデルなどで活躍しているメンバーもいる。 ラジオのパーソナリティーは小池美波や菅井友香など。モデルは渡邉理佐などである。 自分が冠番組を見続けて一番印象に残ったのが米谷奈々未である。彼女は平手友梨奈と仲が良く、長濱ねるとも卒業した高校が一緒で仲が良く、小池美波とは同じ関西出身で仲がいい。そして、温厚でなごやかな雰囲気を醸し出している。それが冠番組では良く伝わってくる。 今年1年で欅坂46について印象に残っていることは2つ。7月の平手友梨奈の歌番組での復活と9月の米谷奈々未の卒業の発表であった。 自分が欅坂46に興味を持ったのが昨年の紅白の過呼吸事件。この時に倒れたのが平手友梨奈(他2名)で、そこからYouTubeでMVを見て虜になった。 しかし、今年になってから平手友梨奈は欅坂46での活動を自粛し、ラジオのパーソナリティーの活動のみで、自分としては平手友梨奈のパフォーマンスが歌番組などで見れないもやもやとした気分が続き時間は過ぎていった。そしてやっとパフォーマンスを見せてくれたのが7月だった。 「ガラスを割れ」を披露したが、初めてテレビ番組で見る平手友梨奈センターのパフォーマンスに鳥肌がたった。 しかし、ご存知の通り平手友梨奈は怪我をしてしまい今年の年末の歌番組には出ることができないのが残念だ。再度の復活を願いたい。 米谷奈々未は今日が欅坂46としての活動の最終日である(大阪での全国握手会)。米谷奈々未はアイドルとして活動していくより、自分の好きな方面の科目を学べる大学での学業に専念する道を選んだ。18歳で垢抜けてきてアイドルとしてもまだまだこれからという時の潔い卒業というのにも好感が持てる。 平手友梨奈の怪我や米谷奈々未の卒業と、1年の終わりには残念となってしまったけれど、来年から本格的に活動する二期生の活躍も期待して欅坂46を見続けたいと思う。
Dec 22, 2018
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今まで趣味と言えるものはテニスとスキーと釣りとバイクぐらいだろうか。 テニスは10年ぐらいラケットは握っていない。最後に握った時は会社を3年休職した後で体力は明らかに落ちていて、大学時代の友人を誘ってみたのだが周りの体力に追いつくことができず、もうテニスをすることは断念した。スキーは言わずもがな。 釣りも、10年は経っていないかもしれないが最後に行ってから相当な年月が経つ。具体的には北関東の管理釣り場でトラウトを狙うルアーフィッシングをやっていた。早朝の4時ぐらいに家をでて高速で走って現地に7時頃には着くという強行軍。そんなことが無理になるのは当たり前だった。ロッドは埃を被り、リールはどこかに眠っている。 バイクという趣味ができたのは予想外だった。たまたま会うようになった小中学校の友人が趣味がバイクでそれにつられて自分もバイクを買って乗るようになった。友人とはすぐに仲違いしてしまったのだが、バイクは乗り続けた。しかし、維持する手間もかかり、体力的にきつくなり今年にバイクは手放した訳である。 バイクのことを考えるに、きっと新しく趣味を始めるには外部からの働きかけが無いと難しいのかもしれない。そう考えると精神障害者の人付き合い下手ではきっかけが起こる可能性は明らかに低く、新たにバイクのような趣味を始めるのは難しいかなと思う。 それに重ねてどちらかというと鬱傾向であるので、ふと何か熱中するものが見つかるかというとそれも難しい。基本的に無気力であり、何かを嗜もうという気が起こらない。アウトドア派なので、文化的な趣味に興味が沸かない。 今日のようにたまに好きな音楽を聴きながらドライブをして喫茶店に行きブログを書くというなんてことが趣味になるのだろうかと思う。 そんなブログも無理やり書いていて、なかなかネタが見つからないのだが。。。
Dec 15, 2018
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今日はとうとう欅坂46の全国握手会に行ってしまった。 もともとアイドルなんて興味がない人間である。それがアイドルの握手会に行くなんて。。。(最初で最後だと思う) まんまと秋元商法に乗っかってしまった。『アンビバレント』という7枚目のシングルのCDの初回限定版を買うと、もれなく1人ないしは2人のメンバーと握手ができる「握手券」がついてくる。 まずはそのことを知って、もう発売から時間が経っているし、もう手に入らないものなのかなと思って地元のHMVに行ったら入り口すぐの一番目立つ所にたくさん積まれていた。 今思えば、この握手会に合わせてCDを売らんがためにHMVもその戦略に乗っかっていたのだろう。秋元商法恐るべし。 YouTubeで事前に全国握手会のことを調べて、特に今日行った千葉の幕張での握手会は相当混雑するとのことで、覚悟して赴いた。 現地には11時頃に着いて列に並んだ。開場が13時なので2時間の辛抱。並んだのは外の広場で、炎天下ひたすら待った。待っている間暇なのでiPadを持って行って読書をしていたのだが、あまりの暑さにiPadは高温で動作しなくなり辟易した。 12時半頃には列が動き出し、13時半頃には会場に入り、握手ができたのは14時半頃だった。到着してから3時間半。まぁそれなりにかかるものだなと。炎天下にいたのは1時間半だったので何とかなったのかもしれない。 きっかけは米谷奈々未(よねさん)の卒業発表だった。彼女に労いの声をかけたいという気持ちがあった。 よねさんのレーン(握手をするメンバーの待ち行列)は、よねさんと小池美波(みいちゃん)の2人だった。ちなみに地元が関西のコンビである。 手前で荷物を預けて、係員に握手券を渡してメンバーと握手する。事前に言葉を考えていたのだが想像以上に握手する時間は短かった。一言二言やりとりができるものかと思っていたが甘かった。1人1秒といったところである。 最初がよねさんで、握手しながら「よねさんの...」という話始めで剥がされた(握手会では強制的にメンバーから離させる「剥がし屋」がいる)。次にみいちゃん。少しだけよねさんより時間があったのか、「握手してくれてありがとう」と言うと、通じたようで笑顔で頷いてくれた。 3時間半待ってメンバーと目を合わせて握手するのはたったの3秒といったところである。ちなみに全国握手会と個別握手会とがあって、個別握手会は抽選だがメンバーと多少会話のやりとりができるようである。 熱心なファンにとっては一瞬でもメンバー(特に推しのメンバー)と息を感じるほどの距離で目を合わせて握手できるのが嬉しく楽しいのだろう。 できれば、みんなスマホをもっているのだから、メンバーとのツーショット写真ぐらい撮らせてくれてもいいのではないかなと思った次第である。記念になるしね。
Oct 7, 2018
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人生に諦めていると自然と孤独な老後のことを考える。家庭があれば自分の年なら目の前のこと。子供の教育のことであったり、家族を食わせていかなければならないし、生き甲斐なんかでもあるだろう仕事の事を考えて、老後のことに考えなんて及ばなかったことだろう。 孤独ということも避けられないだろう。この年で精神障害者で低収入では結婚なんてできない。精神障害者でコミュ障だから地域のコミュニティに参加することも難しい。町内会なんて酒を飲んで騒ぐために集まる寄り合いのようなものである。そんな所は自分とは最も縁遠い場所である。今は親が健在だからいいが、近い将来にはひとりぼっちになる。 病気で会社を休職しているときは、強く死にたいという感情を抱いていた。病状が安定して、会社を辞めてもこれといってすることがないので、暇つぶしのため障害者雇用で雑用をこなす毎日。今は生きたくもないし死にたくもないという感じである。要するにこれが人生を諦めている状態なんだろう。淡々と毎日が過ぎていく。この先の老後への視界が良好なのである。 しかし、暇つぶしとは言っても会社に行くことは意味があって、コミュ障でも最低限のコミュニケーションは発生する。声を出して会話をするということは大切で、社会参加していることを実感する。ゴールデンウィークや夏季休暇など長期休暇になると親との最低限な会話で過ごすため、休暇明けに会社にでると上手く声がでなかったりする。そんな時に退職して孤独な無期限休暇になったらいったいどうなる、と考える。話ができなくなってしまうのではないだろうか。 前から期待しているのはAmazon echoなどのスマートスピーカーで、声を出して双方向でコミュニケーションできる。 今は天気予報を教えてもらったり音声でLINEで誰かにメッセージを送ったりという程度だが、20年ぐらい経ったらどうなるだろう。 自分が実現してもらいたいことは、スマートスピーカーが自分専用の人工知能になって欲しいということ。その人工知能は全てではないがある程度の自分について知っている。何をもって自分専用の人工知能になるのかというと、10年程度続けてきたブログやツイッターなどの蓄積されたデータを学習させることで実現できるのではないかと思っている。 そしてそれは様々なキーワードの集合体となり、Webの膨大な情報と組み合わさって自分の嗜好を知っている人工知能がおもむろに話しかけてくれる。そしてそれはきっと楽しい会話の成立になるのではないかと思っている。その会話の蓄積でさらに自分専用の人工知能は学習していく。そんな未来がきたらいいなと思っている。 楽天やTwitter社がデータを提供してくれるのかどうかという問題はあるが。もし実現できるならある程度の出費をしても構わない。 そもそも、そんなスマートスピーカを望む孤独なコミュ障老人は稀かもしれないけど。
Jun 23, 2018
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気が向いたら更新とはいえしばらく更新に間が空いた。 最近の傾向として、自分から何かを発信することが億劫になっている。ツイッターもほぼロム専用と化している。 まぁ、何も書くようなことがないから仕方ないけど。 本や新聞を読んだりというのも億劫だ。というよりほぼしていない。インプットがないからアウトプットがないというのもあるかもしれない。 そういった意味ではやはり軽度のうつなんだろう。基本的にあまりお金は使わない。軽躁になると情報収集に貪欲になり、発信も増える。お金も出て行く。軽うつでいいことはお金を使わないから貯まっていくことぐらいだ。 さて、前回はニューバランスのスニーカーを買ったことを書いたが、その辺りは会社でのある変化がある。ドレスコードが廃止されたのである。(要するに簡単に言うとスーツではなくて会社に私服で来てもいいということ(もちろん華美ではない常識の範囲内で)) しかし、靴や服はいいがバッグをどうするかという問題があった。 今は営業時代に買ったビジネスバッグをそのまま使っている。内勤なのでそこまでしっかりしたビジネスバッグは必要ないのだが、使い勝手がいい。 外側にマウスを入れるポケットや、定期を入れるようなスリットがある。今はマウス用のポケットに定期(名刺入れに入れている)、スリットにはストラップ付きのセキュリティカードケースを入れている。これが絶妙な位置に付いていて使い勝手がいい。重たいのに閉口して何度も軽いバッグを検討するも、購入に至らずにいた。 私服で会社に来る上でこの辺の要件プラス、会社帰りに通院するときに使う自立支援の医療費記載ノートが入るサイズである必要があった。 この要件が満たされるものはまずないだろうと思っていたが、昨日、新宿マルイのメンズ館をうろうろしているとそれにバッチリはまるバッグを見つけた。しかも3千円とリーズナブル。伊勢丹のメンズ館を見てからにしようかとも思ったが、即決で買うことにした。FILAのバッグである。 全面がメッシュの大きいジッパー付きのポケットになっていて、ここに定期もセキュリティカードも入れられる。出し入れもスムーズだ。(入れてしまうとFILAのロゴマークが見えなくなってしまうが 。。。)自立支援の医療費記載ノートにもジャストサイズである。何よりも軽いのがいい。 これで会社にカジュアルな格好で通勤する準備が整った。しかし、今は学生向けの会社説明会の時期。対応はスーツ着用でなければならない。でも会社説明会は毎日あるわけではないので、来週ぐらいから暖かくなってくるので、実行に移したいところだ。
Mar 11, 2018
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と、スニーカーを購入するという話なのだが、ブログを書くのを地元のミスドにしようと足を運んだところ、昨年末に閉店していてショックを受ける。 お昼頃、東京に行って上野のドトールでミラノサンドしか食べてなかったので地元に帰ってミスドでドーナッツを食べながらブログを書くという計画がもろくも崩れた。 それより、このブログはなんだかんだで2006年から続けているが、たぶんその三分の一は閉店したミスドで書いたのではないかと思う。カフェオレのお代わりができて長居できる貴重な場所を失ったのは残念でならない。 ドーナツ屋の経営は成り立ちづらいのだろうか。。。 さて、本題。 きっかけは先週に早くも春物の服を銀座で物色しようとしたところから。 銀座SIXに行ってみようと足を運んだ。 JR有楽町駅で降りて有楽町マリオンを抜けようとすると、右側に阪急のメンズ館ができていることに気付く。銀座SIXに行った後寄ることにした。 結論から言うとどちらも冬物のセールのみで春物の洋服は陳列していなかった。 イメージしていたのはボトムスを買うこと。色は白でスキニーなイメージ。 まぁ、阪急のメンズ館ができていることを知ったのは収穫だなと思いながら地元に帰り、店をうろついているとユニクロに春物の展示を発見。イメージ通りのスキニーのホワイトジーンズを購入した。 自宅に帰り、あれやこれや手持ちの服や靴に合わせるのを妄想したのだが、スニカーがなんともまぁ昔に買ったものばかりでくたびれて色褪せており、新しい真っ白なボトムスとは合わない。ということでスニーカーを新しく買うことを決断した。 最初はアディダスのスタンスミスあたりをイメージしていたのだが、白のボトムスに白のスニーカーというのもなぁとうだうだ考えていた。 いつもの買い物パターンで品揃えの多い上野のアメ横でも半日うろついて決めようかと考えていた。 でも、歩き回るのも億劫だよなぁと思い、ネットで色んなメーカーのスニーカーを物色すると、ニューバランスでピンとくるものが見つかった。 さて、ではアメ横で探して回るかと考えていたが、まてよ、直営店があるではないかと思ってネットで探して今日足を運んだのがニューバランスの銀座の直営店である。 昨年にできたようで、まだ真新しい。しかし、立地が良くない。銀座通りではなく昭和通り(松屋の裏の方)なので人通りが少ない。良く言えば穴場ではある。専門店で在庫も多い。 2つのモデルをピックアップしていた。M1500UKGとM1700GRA。たぶんABCマートでは置いていない。あるとしたらアメ横の店か直営店かと思った。 銀座の直営店に行くと、M1700GRAを発見。早速試し履きした。M1500UKGはないのかどうか聞いたのだが(こっっちの方が安い)原宿店にあるようだけれど、大きいサイズしかないようであったので、M1700GRAを買うことにした。しかし、リーガルの靴より高い。。。しかし、気に入ったものは度が過ぎているほど高いというわけでもなければ買ってしまうものである。 後はのんびり急がず阪急のメンズ館あたりで良さそうなシャツでも買おうかなと考えている。 今週月曜の降雪から始まった記録的な寒波は固まってこびりついた雪を残した。それが消える頃には春めいてきて新調した服と靴で気分良く出かけられるだろう。 その時、左側に可愛い子がいたら。。。 というのは100%妄想で終わってしまうのである。
Jan 27, 2018
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今日は正月二日目。心機一転、何かを買い換えようと考えた。昨年末に眼鏡を変えて気分が変わったのと同じ効果を期待してのことだ。何にしようかなかなか考えつかなかったのだが、手袋を買い換えようという考えに落ち着いた。 失恋や離婚を経験した人は、その相方からプレゼントされたものはどうしているだろうか。全て廃棄して記憶から消し去るか。それとも、もったいないから気にせず使い続けるか。僕は後者である。その一つが手袋だった。離婚前にイタリア旅行をした嫁さんの土産物で、革製の手に馴染むなかなかいいものであった。 毎年冬になると苦い記憶が蘇るものの、使い勝手がいいので気にせず使い続けてきた。でも、愛用するものだけにそれに負のオーラがもし憑いているとすると、と考えると。。。と思うことがたまにある。極端な話、元嫁の怨念が憑いているのではなかろうか。自分の境遇に影響を与えているのではないか。そんなことを妄想することがある。極端だけど。でも、元嫁の生霊が憑いてるとしたら、一度お祓いをしてから使い続けるというのも一考かとも思う。そんなのめんどくさいから捨てるか。。。 基本的には気にはしないので、今まで使い続けてきた。まだまだ使い続けることはできるものではある。しかし、かなりの年月が経っているし、洗うこともないので不衛生だし、何より上記の経緯がある曰く付きな品物であるので、いちるの望みでもし買い換えたらこれ以上悪くはなりようもない境遇に一筋の光が見えたらと思ったりなんかしている。まぁ、そんなことでいい方向へ向かうこともないんだろうけど。 昨年の後半は会社での疲れで休みの日が侵食されていてひたすらテーブルにうずくまって疲れがとれるのを待つという状態だったが、今日、久しぶりに快晴の中ウォーキングをして気分にいい影響があった。何かに自分の不遇を転嫁するよりは、運動をして陽の光を浴びるという方がよっぽど自分の境遇を好転させるきっかけになるのではないかと思った。
Jan 2, 2018
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今年最後のやや高い買い物。眼鏡を買った。 実は今年は眼鏡の購入に失敗していた。逃げ恥の津崎やコードブルーの藤川先生のような太めのフレームの眼鏡が欲しくなって、それらしきものをZoffで買ったのだが、今までしていたチタンフレームの軽量な眼鏡とあまりにも重さが違って、太いフレームの眼鏡をかけるとあまりにも違和感があり、結局ほとんど装着することはなく引き出しにしまいこんでいた。 この失敗を踏まえ、装着に負担の少ない軽いチタンフレームの眼鏡で、今までしていたものは丸いフレームだったので、顔の印象を変えるために四角いフレームにした。巷での流行りはボストン型といった丸いタイプのようではあるが。 それから、Zoffのようなアパレル業界ではユニクロ的なブランドではなく、値段は高くても質のいい眼鏡を扱い、接客や検眼が丁寧で、アフターフォローもしっかりしている信頼できるお店を選んだ。(Zoffなどがそうではないと言っているわけではないのだがなんとなく) 元々は眼科医院から始まっていて、その眼鏡部が独立して眼鏡屋になったようである。本店が東京にあって、支店は2ヶ所しかない。眼鏡も国産の良質なメーカーのものなどをセレクトしている。 眼鏡はする人間にとっては身体の一部のようなものだから、お店選びは重要なのだと思う。 量販店的な店が悪いと言っている訳でもないし、安いからといって気軽に何種類も買ってTPOで使い分けるのも悪くはないが、高くても体に馴染む一点ものを買うにしくはないと思ったりする。 そんなことを言いながら、せっかく買った高い眼鏡が身体に馴染まなかったら悲しいけれど。
Dec 29, 2017
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前回の記事は先月の7日で、それから今日まで色々とあった。前回の記事では、もしも会社を辞めた場合のことを考えての調べ物をしたりしていたのだが、結局は今の会社で働き続けるしかないなという結論になった。そんな堂々巡りをすることは今までも何度もあったのだけれど。 その少し前に、一人暮らしをすることを思い立っていた。理由は一度独立したいということ。今は家事は全面的に親に頼っているが、いつかは親も故人となる。そのことを考えての予行演習のつもりで一度独立してみる。そんな考えから思い立った。 そして、前回のブログの記事に書いた通り、結局は苦しくても働いていかざるを得ないということを再認識し、であれば思い切って一人暮らしを実行に移すことにして、まずは物件探しから始めた。 高齢の親がいることや、なるべく勝手知った慣れ親しんだ街がいいと思い、自宅近辺の物件を探し、最初は1LDKで探したが、いい物件がないのと収入的に厳しいので1LDKは断念した。仕切り直し、1Kで自宅の近所の物件を当たったところ、灯台下暗しで自宅の本当にすぐそばであるが、いい物件があり、契約に至った。それが先月の10日。だが、未だにそこで生活するには至っていない。 物件を決めて契約するのは大した労力はかからないが、一人暮らしを経験したことのない人間が部屋を借りて一から生活をするための準備を整えて行くにはやることがてんこ盛りだなと思い知った。それに加えて父が急性胆嚢炎で入退院したり、平日の疲れや、ふっと湧き上がってくる一人暮らしをすることの不安からくる抑うつ感に苛まれ、準備は遅々として進まない。このままだと来月になんとかなるかなという感じだが、病気もあるんだし焦らず準備していこうかなと思っている。 今のところ家電や家具といった大物は揃った。昨日は朝に胃腸科の病院に行き、衆議院選の期日前投票に行き、ビックカメラや東急ハンズを下見して自宅に帰ってきたら平日の会社の疲れがでて、ベッドに伏せった。しばらくして疲れがとれたところで借りた部屋に行きニトリの家具類を組み立てた。これが意外と難儀で悪戦苦闘する。そしてまた疲れてしまう。3個組み立てるところ、2個で断念した。 今日は明日が父が手術するため、午前は車で父と母と病院へ向かう。入院手続きやら手術前の準備やらで午前中いっぱいかかる。病院を後にし、母と近くの大型ショッピングモールで食事と買い物をしたが、台風接近中の大雨にも関わらずショッピングモールは人でごったがえし、レストランの待ち時間やその人混みに疲れてしまう。ショッピングモールを後にして、採寸してオーダーしていたカーテンを受け取り自宅に帰ると3時になっていた。もう一人暮らしの準備に着手する気にもならない。まして外は台風接近中の豪雨。中途半端な時間が余ってこのブログを書いている。 結局、今週末できたことはニトリの家具を2個組み立てることだけだった。まだまだ準備しないといけないことは沢山ある。しかし、準備するのは簡単である。問題は家事が出来るかだ。洗濯、炊事、掃除。専業主夫ではない、働きながらである。不安感は拭えない。バツイチなので全面的に未経験というわけではないが、ほぼ嫁さん任せだったので初チャレンジ感満杯である。 新入社員は研修が終わると会社が用意した部屋に入って一人暮らしの環境を整えつつ配属後の忙しい会社生活を送りながら家事をこなさないといけないのだが、これってものすごく大変なことだと思う。でも、20代前半という若さで何とか乗り切れるんだろう。私には無理だと思う。実家に居ながらのんびり一人暮らしの準備を整えて行くだけでこんなに大変なのだから。
Oct 22, 2017
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逃げ恥で新垣結衣にひかれ、新垣結衣つながりでAmazon fireTVで検索したところ、「くちびるに歌を」という映画が表示された。2015年と、結構最近の作品である(Amazonプライム会員なら無料で見れる)。長崎の五島列島のとある島の中学校に訳ありのプロのピアニストである美人音楽教師が赴任し、合唱部の顧問になり生徒との人間模様を描いている。話のモチーフになっていて、合唱部が出場する県大会の課題曲になっているのが、アンジェラ・アキの「手紙〜拝啓、15の君へ」である。いい映画だった。 新垣結衣が演じる美人音楽教師は事故でフィアンセを失い、ピアノが弾けなくなる。学校に赴任してからも過去を引きずり相変わらずピアノを弾けないのであるが、様々な(決して幸福ではない)生徒の素直さ、頑張る姿に接し、凍った心を溶かされピアノが弾けるようになっていくというのがストーリーのある一面だ。 また、「手紙」を歌う上で歌詞の意味を理解させるために、先生は生徒に15年後の自分に向けた手紙を書くという課題をだす。これをまじめに書いた生徒が一人いた。偶然、先生はその手紙を見る。 その生徒は自閉症の兄が居て、心に引け目があって、周りとの交流に積極的になれないところがあった。手紙には足かせになっているはずの兄への感謝が綴られていて、15年後もきっと兄に寄り添っているだろうと書かれていた。それが自分の生きる意味であると。その素直な生徒の心に接し、先生は自分の心を動かされていく。 15歳から30歳というと、何度も死んでは生き返るぐらい、めまぐるしく人生が変わる時期だろう。30歳から45歳というのは足場が固まって人生が成熟していく時期だろうか。 僕にとっての15年(32歳から47歳)は足場が崩れ、再建することもままならず、やっと足がかりがつかめたところでさらに奈落の底へ落とされた感じだろうか。最初に足場がが崩れたのはうつ病と離婚。奈落の底に落とされたのは双極性障害である。結局今は富士山で言えば五合目をうろちょろしている。八合目から頂上あたりで活躍している健常者の中で障害者として五合目から上を眺めて生きている。孤独に。八合目から白い目で見られながら。もしくは見て見ないふりをされながら。 あまりこれからの15年のことは考えたくない。全面的に諦めたくはないが、明るい未来は描きにくい。もしもまだ20代ぐらいだったら、五合目から上に這い上がることも可能性としてはあっただろう。しかし、もう40代の後半。社会で這い上がるというのは難しい。現状維持がやっとである。 「逃げ恥」や「くちびるに歌を」を見て、一時現実逃避してはまた苦しい現実に戻る。今はそんな感じだ。両作品も飽きてきたのでこれからどうしようか悩ましい。孤独を癒してくれる何かを見つけなければと思う。
Apr 22, 2017
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