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今日は皮膚科を受診、やけどとは別件の診察で先週「来週また来てね」と言われて受診したのだが当然のようにやけどの傷の話にもなって。はじめみていただけるのはありがたいと思ったけど、なんだか話がおかしい。以前、目の周りの発赤について、ここもお湯がかかってやけどしたのかと相談したときには、やけどとは関係ないだろうと言っていたけど「その後、日焼けのあとみたいに黒くなり皮がポロポロとれてきた」と言ったらうーんどうだろうなあ、やけどだったのかなとかなんとか…あの時はやけどとは別の薬出しといて、なにそれかなり適当じゃん(汗おまけに「こういうやけども他の深い傷と同じく紫外線の心配をしたほうがいいものでしょうか」と聞いたら「そうだね、同じだね、帽子とかで日光は避けたほうがいい」ってアナタ、あんときやけどと関係ないって言うから、(あのときそういう質問もできないで)特に気にしないでフツーにしてたじゃんよー!んもー!頼りないったらない。いいかげなんじゃないのと正直ムカッとしたがこちらもあのとき有効な質問もできずに(やけどと違うと言われても食い下がれずに)うのみにしてしまったのがすべての間違いでした。「やけどのあとに湿疹が出てるね」とかなんとか言って、ニキビ用の薬を処方されました…それ、ほんとうに効くんですか??ほんとに適応あります?と疑心暗鬼、不信感もてつだって、もらっても塗らなかったんだけど、夜おふろで洗って翌日には湿疹も随分減ってましたが…?うーん…要するに重複受診になってるわけで、それがマズイと言われればそれまでだけど、やけどのあともついでにみるよって言われちゃ、いらないやめてよとも言えないし…こっちについては結構ですと言うべきだったのかなあ。しかも2週間したらまた来てって言われたけど、何を見るんでしょうか、何を。センセーの御高診は、とりあえず傷の治りにまったく関係してないようなんですが。まあ、きれいに治るためになにか少しでも必要な情報を下さるならと期待をこめて2週間後に参りますとも。ええ。そうは言っても、こちらの皮膚科のドクターにはこれまでおもにメールでの一般的でちまちまとした相談に丁寧に乗っていただいたと思います。その安心感はものすごく価値のあるものだった、というのは確かでいろんなドクターにお世話になってるなあ、ということは言うまでもありません。医者へのかかりかたというものもありますね、これは当然の話、やはり病院でのコミュニケーション力ってことに意識的になったほうがいい、たいていフツーにできてることなんだろうけど、私にはどうも足りないようで場慣れだなあ、白衣緊張というか、とにかく医者の前では焦らずリラックスリラックス…。
Jan 30, 2008
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どんどん良くなる娘のやけど傷だがでもすごく気になることが出てきた。顎の広範囲の負傷部位のうち、中央部分が3~4センチ、スジ状に白く残っている。受傷直後はもっと白い範囲が広くて、その部分をはりついたガーゼで皮膚をはがしたりの傷害行為をしていたのだが(救急で処置後の1日間と再診し何も知らなかった1日と)どうも周りの傷より陥没している気がする。その周りの傷自体も、赤みがまだまだある。すべすべなのはそのとおりだが、いつになったらもとどおりになるんだろう…ややもりあがってさえいないか。ここんとこ私自身の気持ちも順調に回復に向かっていたと思ったがふと気が緩んだのか、また大きな不安が襲ってきて娘の前で泣いてしまった。なにか治ったあと傷跡をまったく残さないためにいい方法はと調べていると美容外科?的なものを見つけた。ビタミンか何かが入ったローションを塗るとか何とか…少しでも効果があるならと心が動く。しかしあたまではもうわかっていること、皮膚は排泄器官、外側から栄養やら何か特別な液体を塗ったところでどれだけの効果があるものか、それは疑わしいとしか言いようがないと思う。でも、治療実績があるというのならぜひ試してみたいしこの傷のためにまだできることがあるんじゃないかという気持ちは押さえようがない。本当に、あとは皮膚自体の再生力に賭けるしかないのか。っていうか、それで必要十分か。それが皮膚ってもんか。でも…。問い合わせ可ということなので、とりあえずメールをしてみた。症状と経緯をざっと書いて送ったが、帰ってきたお返事は多分テンプレで当院の治療方針&診察しますのでいらしてみてください、という文章。個別の質問や相談には一切ふれていない。ガッカリしたような想像してたとおりだったような湿潤療法の先生方が、「メールを読んだ限りですが」とことわりつつ娘の傷の状態について見解を詳しく書き送ってくださったのとは大違いだ。療法に対する質問に答えて下ったのとは大違いだ。でも、返信があっただけいいのかな。そのクリニック、もういちどよくHPを見てみたら、しっかり消毒治療をしているみたい。ちょっと心配。消毒アリでも健全な皮膚の再生ってできるのかしら。できるかもしれないけど。「患者さんの喜ぶ顔が見たくて」とうたってたしたくさんの症例も紹介されてあったけど、整形外科のドクターでも皮膚表面にお詳しいものかしら、いや別にご専門はなんだっていいんだけどその治療でどれだけの効果があるのか、実は何もしなくても同じ経過をたどったんだったりして?とかうわー、正直わからなくなってきてしまいました…そもそも生物学的に、皮膚自体が外側から何かを吸収するってありなんでしょーか。いやありうるのかもしれないんだけど。うーん、いまいち心がぶれてしまった。不安になると手当たりしだいに手を出してみたくなるが、よく考えれば気付けるものもあるだろう、何がホンモノで何が怪しいものなのか患者側も勉強する必要があるんだよなあ、と自分を見て思う。知識を得る、ということに関してたとえ限界があるにしても。「もっと他に、傷のためにできることがあるんじゃないか、私が知らないだけじゃないのかほんとうに再生力に任せるしかないのか」と焦る自分がいることもこの期に及んで事実ではある。こういう自分自身との格闘も、今後なんどもすることになるだろう。月日がたって、本当に元通りになるまで、この焦燥感は続くだろう。うろうろしながらも本物を見極めていこう、向き合って行こう。
Jan 28, 2008
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湿潤療法について、一般向けに、おもに文章で説明されている1冊。(写真メインの本も出版されている)本書を入手する前は、HPの情報のみを手がかりにしていたがやはり手元で気になった時に読めるという点で本という形は便利だなあと思った。この本はHPに掲載されていた論文がふんだんに含まれているのでさらにありがたく親しみやすい。HPでは「無断転載OK」となっているが、出版物の場合そうはいかないんだろうな。自分でよく咀嚼して自分の言葉で今後も内容を記録していけたらと思う。もくじ1 こんなにきれいに傷が治る2 常識を疑おう3 傷はどのようにして治るのか4 傷は湿潤にして保とう5 家庭でできる怪我、火傷の治療法6 消毒しないと傷は化膿するのか7 傷はなぜ化膿するのか8 消毒薬ってなんだ?9 痛い治療、痛くない治療10 手術前の消毒をやめれば術後感染が減る11 傷に塗っていいのは何か12 なぜ「消毒とガーゼ」がスタンダードになったのか13 皮膚と皮膚常在菌14 善悪二元論を超えて小見出しもすべて書きたかったけど、その数130にも及ぶので断念。我ながら根性ないなあ。どれほど盛りだくさんな内容になっているか、こちらを目にしてくださった方々に少しでも詳細にご紹介したかったのだけれど。
Jan 27, 2008
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傷の色は、まだ赤みが強いものの、だいぶツルツルになってきた。消毒をかさねつつ浸出液がたくさん出ている時期にガーゼを使って傷口をはがしながら治療していたら、こうはいかなかっただろう。なにせ、あっちの治療法はかさぶたを作ってナンボだから、当然治療期間も長めになりでこぼこともっと痛々しかったろう。跡もこんなに自然にはいかなかったろう。(何人もの医療機関の方々が、その治療法の比較を〔消毒法と湿潤法の〕自らの体を使って人体実験されている例を、HPでいくつも見た)さらにかさぶたを間違ってはがしてしまったりしたら、また感染の危険が!さあ消毒!という展開になるんだろうけど(そうやっていつまでも傷をいじめるなんて、治り自体をさまたげてさえいると思うんだけど)なるほどあっちの治療法でも、最終的にはなんとか傷も乾き、傷も痛まなくなったろうし要するに、治らないというわけではないんだし?なんて言われたとしてももう消毒+ガーゼの世界には戻れないです。本当のことを知ってしまったからには。さて、傷の治り方自体は順調だが、おもに傷周囲に湿疹が出てきた。あせもか何か?これはワセリンをきっちり洗い流せていなかったせいか、ワセリンとなじませたオリーブオイルを落としきれていなかったせいかもうラップしなくてもいいのに念のためと貼り続けていたせいか(本当は上皮ができた時点でラップをしなくていいものらしい、そのタイミングは前回受診時に微妙だったのかも)ホームケアの盲点、これはどんな治療法だからということに限らずシロウトの限界とでも言うものだろう。そーいや受傷翌日の、形成外科の初診時「次回は1週間後に来てね」と当然のように言われ、ものすごく不安になったのを思い出す。心配な点を電話で問い合わせしても、ドクターやせめてナースが電話に出てくれるでもなく事務の方が受診時の説明を繰り返すだけ、いてもたってもいられないほど心細かった。話はそれるけど、最近レセプト点数の算定方法が改定され自宅でできる処置(まさに傷の手当て的なものはこの範疇)については病院側が請求できる診療報酬の点数がかなり減ってしまったらしく(要するにお国サイドは外傷に医療費を使うのはもったいないということなのか)良心的な医療機関でもない限り「念のため明日もみて見ましょうか」とはいかなくなったということか。(湿潤療法の外科ドクターは、翌日もみようかと言ってくださったなあ)要するにオカネにならないから医療機関は創処置をめんどくさがる、こっちは忙しいんだから自宅でやんなさい、ということ?にしても、打撲や慢性の痛みの場所などにシップを貼るという明らかに簡単な処置とやけど後のジュクジュクしてる創面の処置がどちらも「軽い処置」として同列にしているとは恐れ入った。そーいや「今日からおうちでやるんだからよく見ておきなさい」とナースが言っててまたそんなご冗談をと思ったが、たしかにドクターにも「じゃ、来週ね」と言い放たれてビビった。大きい病院はコレだからなー、なんだかなー。(もちろん大きい方が設備などいろんなメリットはある、そんなの当然の話としても)でも、私も消毒法をやってみて(ほんの1日だったけど)大いに不安になったのは家庭でちゃんとした消毒など適切にできるのかということ。消毒法では、傷は菌が1個も残らないほどキッチリ消毒しないと感染して化膿するからとことん消毒!っていう理屈なんでしょ、その理論から言ったら、まだ傷の乾かない受傷直後の急性期、1週間もの長きにわたってシロウトが処置するなんてありえなくない?言うまでもなく消毒不足はありうるし、危険きわまりないですよね?傷にはきっちり消毒すべき、というのと大いに矛盾してると思うんですけど?「家庭でもできる」なんて国が推進し始めてしまっているのに(ありえないくらい乱暴な決定でしかないが)肝心の医療界が創傷は消毒しかないとしがみついていたんでは、何も変わらないではないか。細かいところはよくわからなくても、矛盾と治療放棄の無責任感が否めない。湿潤法は、家庭で無菌操作をせずにケアできると言っている。プロの管理のもと、素人でもできる治療法だと言っている。さて、湿疹。失敗したなあと思ったけど、熱傷自体が化膿したりプツプツいっているわけでもないし相談して指示を仰ごう。とりあえず明日は石鹸で皮脂汚れを落としてみよう。トラブルなくすっきり治って欲しかったけど、皮膚機能の未熟な幼児の当然の反応だ、ここはもう少し我慢、そのうちもとどおりの肌に治ればそれでよしとしよう。がんばれ、娘の皮膚。
Jan 26, 2008
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言うまでもないが、注意点がまったくない魔法の治療法などあるはずがないわけで(傷に消毒&ガーゼは普遍的万能療法と信じられているわけだが?)マスコミなどで話題になっても遅々として普及していない湿潤治療について「この治療はこれほどまでに問題点がある極悪な治療法だ」という論文を探そうと思ったが一生懸命探してるのになかなか見つけ当てることができない。とりあえず、パイオニアの先生の書かれているものの中からかいつまんで注意点を記録しておきたいと思う。私が特に記憶に残った注意点は2つ。「まず、創面は徹底的に洗い流さないといけない。この洗浄が不十分だと、傷を閉鎖することによって逆に異物や壊死組織や血液が菌の温床となり、化膿の原因になる場合が出てくる」洗浄といえばデブリードマンなどが記憶にあるが、やはり汚れた創面ややけどの水ぶくれの洗浄自体については、ドクターに任せるべきでそんなことは言うまでもないと思う。そこまでは一緒、そのあと消毒するなり浸潤療法をするなり…道は分かれる。「乳幼児のやけどは、その皮膚機能の未熟さから化膿(蜂窩織炎や敗血症なども含め)する場合が起こったりするので、とにかく徹底的な洗浄が大前提である」ということは、やはり新しい治療法など避けておいたほうが無難かなと思いがちだが必要なのは創面の菌を消毒しつくすことではなく、異物を除去すること、裏を返せばどんなに消毒を一生懸命やっても洗浄が不十分だと化膿する可能性はあるということ、なぜならもともと皮膚には常在菌の1個もない状態などありえないから。どういう場合が不適応になるのかは、特に言及されていなかったと思うのでつまるところ乳幼児の適応については、プロの医学知識と療法への理解力に頼るしかない部分があるということか。少なくともドクターに見せずに素人判断をするのは危険である。子どもの大怪我に、医者に見せない親はいないとおもうけど。それにしても説明あとの一言がふるっている。「乳幼児の熱傷を化膿させないために必要なこと、それはやけどをさせないことである」読んで脱力…ホントその通りだ…。事前の事故予防が十分できるのだから、と書かれていた…つくづくそう思う…。さて「浸潤療法をしてはいけない場合」としてすでに化膿している傷動物や人に噛まれた傷異物が傷の中に残っている場合とされておりさらに「病院に行ったほうがいい怪我」として動物咬傷歯にぶつかってできた傷骨折・腱損傷・神経損傷などが疑われる傷骨や腱のような組織が露出している傷指が動かなかったり感覚が鈍い場合真っ赤に腫れている・痛みを伴うなど、既に化膿している傷表面に傷はないが真っ赤に腫れ上がっている場合出血が止まらない場合傷口がパックリと開いている傷大きな水疱ができているやけど電気アンカなどによる低温やけど意識障害を伴う怪我…って、こういう状況を目の当たりにして、病院に行かない人などいないと思いますが!てか、フツーの判断なら即刻救急車だと思いますが!ところでざっと項目を読んでみて低温やけどは想像以上に怖いものなんだなあと思ったのと、歯にぶつかってできた傷もあなどれないものなんだなあということ、軽く考えてはいけないんだな、と再確認。ざっと書いてみたが、要するにドクターに見せてからホームケアで治療し適宜ドクターに創傷管理していただくのがベストだろう。やはりあたりまえの医療技術として導入されればいいだけの話としか言いようがない。素人がおっかなびっくり行うのも限度があると思う。でも最近では幼稚園やPTAで「家庭でできる傷の治療法」として保護者に紹介してる機関もあるということだから本業の医療機関のほうが遅れているということははっきり言えると思う。最初の消毒がなんというか無駄でもったいない時間というか。手や足に傷を作ってしまい、マキロンなんかで消毒するのと同じノリでとりあえず家庭からでも浸潤療法が普及していけばついには医療機関も動きが見られて…と草の根に期待するしかないのかな。言うまでもないが、薬品を使わない(少なくとも消毒薬は)と言っても明らかに民間療法とは種類がまったく違うのだから、治療のプロの方々にも早くその有用性に気が付いて欲しいものだなあとつくづく思う。今日たまたま、娘がおもちゃのシールばんそうこうを私の指に巻きながら「もーだいじょーぶ」と言ってくれた。ガーゼ関係の創傷治療材料が、おもちゃでしかなくなる日が早くきてくれればいいのにと思った。
Jan 26, 2008
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転医して3回目の受診。今日おもに担当してくださったナースは、またはじめてお会いする方でもしかしたらドクターの奥さん?と直感したのだが(ドクターとのやりとり・年齢的に・なんとなくお似合いな気がした、そのあたりから想像)そのナースが開口一番、「やけどよねー、このくらいの子にはよくある話よねー、ちょろちょろ動くしねー、ウチの子もやったわよー、あ、あと私も!私自身もやけどしたことあるのよー!」と独特の包容力ある語調でお話してくださった。もう、お世話になるナース片っ端から「私はダメな母親です、それどころかこともあろうにあわてて傷を悪化させてしまって」と半べそかきまくっていて今日こそは「やけどは100%親の不注意ですよね、ちょっと気をつけていれば防げたのに」とどうしても言いたい、「そんなことないわよ」ではなく「そうよね、親の責任よ、気をつけなくちゃね」とちょっと暗め?に言ってもらいたいと自分勝手なストーリーを期待して処置室に入ったがこのとおり出鼻をくじかれる?格好になった。しかし言うまでもなく善意と思いやりの中に、受け入れていただいたということだろう。こんな小さな子の軟らかくすべすべな皮膚に、大きく焼けただれ赤くむき出しになった傷があるのを見てなんてかわいそうなんだ、まったく保護者の不注意のきわみだ、と思わない人がいるだろうか。でも、実際のところ、負傷の原因をその場でどうのこうの言っても仕方がない。医療現場では、現時点でどう対処していくかということに、もっとも注意が集まらなくてはならない。この目の前にいるダメ母を諭したところで、それこそナースの自己満足感だけが残る。それで患者の傷が治る足しになるわけではない。そんなことをするくらいなら、しっかりと励ましてフォローして、少しでも気持ちをほぐして家庭でのセルフケアを前向きにがんばらせるほうが、どれだけ生産的な作業であることか。心から誠心誠意反省していくつもりだ、という気持ちをなんとか表現したいと思ったけど、他人の思いやりに素直に感謝していくことのほうが私のすべきことだった。やみくもに「なんとか償いをしたい、どなたか私を罰してください」と言われても、誰がその適役だというのか。私は性格的に、良くも悪くも内側に気持ちが向かってしまう人間だと思う。ぶつぶつと自問してしまうのだ。でも今後はもっと世の中でいきているんだという気持ちを持とうと思う。自分の気持ちだけではなく、他人の気持ちをもっと慮りたい。それがたとえ「力いっぱい反省したい」という一見誠実な思いからの言動であってもその感情は他人の目にどう映っていくものなのか考えなくてはというところだ。そして、ゆくゆくは適時に照れずに他人を励ますことのできる人間になりたい。そのためにはもらった思いやりをきちんと受け止めること。いつかそれを他の人にお渡しするために。人は、もらった愛、持っている愛、経験した愛情でなければけっして他人にあらゆる愛を表現することはできないからだ。道徳の授業でもあるまいに、青臭いことを書いてしまった。でも今のこの気持ちを忘れずにいたいと思う。
Jan 26, 2008
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何度も書いていることで、また繰り返しになるけど浸潤療法はなにもキテレツな治療法ではない。欧米の常識日本の非常識、ということだけである。しかしやはり傷に消毒ナシと言われて納得する日本人はそうそう多くないと思う。皮膚には常在菌がいる、それはたぶん常識だろう。でももし一旦皮膚が破れてそれらの菌たちが体内に入り込んだら、菌が体中をまわって大変なことになるのではないか、そのへんは安全なのか、私もそう思った人間の一人だった。滅菌してないただの水道水などを傷口につけたら、そこから化膿でもしやしないかと思ったりもする。かくいう私も、断片知識としてではあるがこの療法を理解しているつもりだが、夏井先生のHPや入手した先生の本でどんなに詳しく説明されても、その微生物の世界でどんなことが起こっているのか、承服しきっているわけではない。申し訳ないがシロウトなら仕方がないと思う。負傷後最初の1回ぐらいは徹底的に消毒をしてほしいものかも、ぐらいに思っていてでもそれでは逆に、不可解な矛盾だけが残るではないか。だいたい、なんだ最初の1回って。でもそれがよくある心情だとお許しいただきたい…シロウトの悲しさから、理性とは違う部分で別の感情が残らなくもないのだ。でも、科学が常識になる時に、情に支配された常識は、邪魔者になることが多い。ところでもし、浸潤療法が、痛みなく治療できることのみメリットでその安全性がけっして実証されてないものだったらどうだろう。誰がその方法を選択したいと願うものか。たとえば、例えとしては不適切かもしれないが、末期症状のある患者でモルヒネなどの麻薬に頼らなくてはならない状況で混迷などの副作用以上に痛みを取る処置をして欲しいと願う場合もあるだろう、意識という面以外にも、麻薬の連続投与は全身状態に大きな影響を及ぼす、それでも、使うことが多いということがあると思う。しかし一方、傷の痛みとはそういった種類のものではなく耐える気になれば耐えられるもの、一過性のもの、そして傷を負ったら処置の痛みに耐えならが治すのが常識でもある。しかしもし、痛みも伴わないし直りも早いし傷口もきれいに治ってそして何よりしっかりとした安全性が確認されてる治療法が世の中にあるとしたらどうだろう。なぜ一般的な治療法にならないのか、何ものかが意図的に広まらないように圧力をかけているのかと思わずにいられないではないか。でも、もしかしたら、反対派のエライ立場のドクター方々にも医学的にもっともらしい言い分はあるのだろうと思う。それは確かなことだろう。そうでなくてはあまりにも悲しすぎる。今まで、まずこの療法自体を知ることに時間を使ってきたので、懐疑的意見は偶然見つけたやはり推進派の先生のHP内の1文のみだったので、(わざわざ防衛的表現を入れておかなければならないのには理由がある、とこちらの問い合わせに丁寧に答えてくださった)そろそろ敵のことも知るべきかもしれないので、反対派の理論立った意見なるものがあるかどうかも調べてみようと思う。もっとも、娘は順調に回復している事実があり、そろそろ治療自体が終了になるので今更どんなことを目にしても動揺はしないつもりだ。(一度は最大限に疑い焦った私だった)実は今までも一生懸命ネット上で反論を調べてみたつもりだが、検索の方法が悪いのか、まったくそれらしい論文にヒットしない。どんな意見でも、片方だけの説をひたすら見ているだけではやはり不十分である。もう少し気合を入れ直して調べ、きっと探し出して読んでみたいと思っている。
Jan 26, 2008
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今回、ERにお世話になった。迅速な処置をしてくださったと思う。でも、世話になっててこんなこと言うのはなんだけど、インフォームドコンセント、「こういう処置をします」的な説明は一切なかった。そして事後も詳しい説明など一切されなかったと思う。ERってそういうショクバなのかしら。そりゃ一刻を争う現場で、いちいちコレしますアレしますは言ってられないけど事故の状況説明をする時間とか「処置しますからおかあさん外で待っててください」という言葉がけをしていただく時間はあったわけだからひとことふたこと「これからこういう処置をするつもりですから」ぐらいの説明は欲しかったとは思う。娘の泣き声が聞こえてきて、最初は「いやよー、いやよー、」と言ってたのが「やめてよー」と大泣きに変わり、何されてるんだろう、水ぶくれもあったし創洗浄がそうとう痛むんだ…と想像したけどあのときどんな薬を塗っていたのかどの程度消毒したのか、今となると気になる。処置が終わって、できることはしました、とか、お子さん小さいからまだ手術なども先になると思う、と若いドクターに言われて「手術、ですか?!」と聞き返したのを覚えている。横にいた指導ドクター?が何かフォローしたような…ここでもしつこく「あの、跡がのこったりしませんか」と聞いたら「そうだねえ、傷自体は深くはないからね、ただ、人によって残りやすい体質ってもんもあるから、はっきりしたことはなんともいえないんだけどね」とかなんとか言われたと思う。包帯をぐるぐるまきにされた姿が痛々しくて、泣き疲れて目にいっぱい涙をためている娘を一刻も早く抱っこしてあげたいと思うと同時に、なんとしてもきれいに治してあげられるよう、最大限の努力をするから、と誓ったのを覚えている。もし、あのとき浸潤療法の知識があったら、何か申し出ることはできていたか。とにかくしっかり洗浄をお願いします、消毒と軟膏はナシでお願いできませんか、と。けっして「このようにして」と指示するのではなく、娘の傷の程度に対して、そういうやり方は適応しませんかと相談する余地もなかったか。でも不審がられたりシロウトのくせにナマイキなとおもわれたりしたら善意的に処置していただけなくなったりして?!なんて心配になって結局はなにも言えなかっただろう。実際はそんなプライド大事大事ERドクターがいたらイヤだけど。いや、実際はそんな直情型のERドクターなんていないと信じたいけど。どっちにしても、相談であっても、治療に口出しなどしようものなら「必要ですから消毒します、イヤならヨソに行ってください」ぐらいのことは言われて御機嫌を害してしまったかもしれないし、シロウトが専門家にあーだこーだ注文つけるのはおかしな話かもしれない。特にまだまだ医療界にあっては。患者の立場って、つくづく弱いなあ。ドクターの手に、一人の人間のいのちそのものがかかっている場合も多いのに、すべてお任せするしかない、まな板の鯉状態。それでも、新しい治療法があることを自分で発見して、その方法を試してみたい賭けてみたいという場合は転医して治療再出発という選択もあるかもしれない。より腕のいいドクターや見立てのいいドクターに頼ろうとすることもアリだろう。でも、ERでなされる処置に、新旧があるとしたらどうだろう。その緊急の場でなされることに、待ったはかけられない。つまり「状況」というものだけに限ったって、ERにおいては患者関係者が何か言える余地などそうそうあるわけないのは確かだと思う。外傷の処置とは、直接命に影響を及ぼすわけではない場合が多いだろうし、(かなり乱暴な言い方でけっして正確な意見なんかではないとあえて断っておく)従来のものをやっとけば何も疑問の余地もなく正当な処置以外の何ものでもない。でも、なんというか、QOLというものがある。処置自体はスタンダードであっても、その後の経過で患者に苦痛は与えないか少しでもいい経過を取れるものであるか常に進歩する医療界において、その可能性を常に模索して海外などによく目を向け症例を研究をしていただくわけにはいかないものか。でも、いわゆる「すりきず」的な外傷の治療などは、医学部では積極的に教えないとかいうから(簡単すぎるから医者がする医療とはいえないとでもいうのか)皮膚などの治療についても、ありふれた決まりきったものと考えず意識的に研究することでもない限り進んだ知識を得る余地すらないということか。消毒+ガーゼという19世紀末の治療法に何の疑問もなく欧米などの常識はどうなんだと照らし合わせることもなくただいつもの処置を行うしか他にありえないということか。私のお世話になった浸潤療法には処置に痛みが伴わない上に、傷の治りが早い・きれいに治るなどのメリットがある。というか、消毒とガーゼのほうが、もういいかげんやめてしかるべき処置法だというだけでもし、ERで消毒ナシでやってもらえていたならば、もっと治りが早く無駄な時間、むしろただ単に慣例でしかない消毒で皮膚をいじめてせっかく再生しようとしている細胞を片っ端からやっつけるだけの処置など受けないで済んだのに、と思う。それ以上に、やはりなんといってもガーゼはがしの激痛…もし治るためにどうしても必要であるなら、ひたすら仕方ないと耐えるだけだし乳幼児への適応はそれなりに慎重を要すると言えなくもないらしく(その薄さと対応力の未熟さから、皮膚にとびひができたりの危険がまれにあるそうだがきちんと管理されていれば最大限防げることだし、同じ原理から、消毒によるトラブルだって起こりうるわけで言うまでもなく何の問題もなく順調に治った多くの症例もきちんとあるわけで、いや、うちの娘の例も確実にその一例)他の方法があるのにそれを知らずに知ろうともせずに、古来の方法を取るしかないドクターはいらっしゃいませんか?しかも消毒治療に使われたソフラチュールという抗菌剤入りのガーゼは、数年も前に製造中止になっているというではないか。どこかの国から輸入で仕入れられているというが、これはどういうことなのだろう。さらに、医者がおかしな操作(治療)を続けることで、2度の熱傷が3度に深くなることすらあるというではないか。それを読んだとき、衝撃で目を疑った。医者はそんな恐ろしいことをしている気などまったくないはずだ。患者はなおのこと、医者のせいで大変なことになってしまったなんて、思いもよらないだろう。医者は科学者でもある。もし「ほんとうのこと」だと確証が得られたなら、積極的に研究して臨床に採用して欲しい。信用に足るだけのデータと生物学などの理論をきちんと検証してのちそのすべての労力を目の前の患者に恩恵として施して欲しい。もし、消毒しないことで不審がる患者がいたとして、この非常識に思われる操作こそ最新の医療であるときちんと説明してもらえるようなそんな科学者であってほしい。消毒というものは一害もなく百益のみ、という一般的なイメージをはねつけ、どんな場合は徹底的に消毒すべきで、どんな場合は本来消毒すべきでないのだと、噛み砕いてシロウトでもわかるように説明するくらいであって欲しい。それほどまでに、生命を預かっていることに対してプロであってほしい。浸潤療法が、ERでもあたりまえに行われる処置になるにはあとどれくらいかかるのだろう。何が足りないのか。何が余計なのか。まさかとは思うが、万が一にも患者の痛みやQOLより製薬会社や医療材料の会社の利益の方が重要であると言われては困る。さらに、せっかくの新技術をほかならぬ自らの経験や治療実績が邪魔をしてしまい触れることすら阻むようであってはならないと思う。創傷治療は、華々しい分野の医療と比べたらもしかしたら、失礼ながら地味かもしれない。しかし身近でありふれたように見えるこういった治療の分野でこそ最新の医療技術は活躍して欲しい。最新と言っても50年も前からある技術、西洋医学の歴史からみたらその長さを取っても症例の数や合理性など実証の説得力に不足はないのではないか。しばらく前の話らしいが、形成外科学会全体で湿潤療法を採用しているドクターは1%ほどではないかと言われていたそうだ。何年もたって、テレビなどのメディアでも取り上げられ一般人の注目も集めるようになって、気にしだしたドクターがどれくらい増加したかは分からないが、まだまだぜんぜん少数だと思う。医学部で授業になるのがまだまだ無理というのなら、せめて医局で紹介し伝授する指導医がたくさん出てきたっていい。でなければ、草の根で開業医が独自に研究し、広がっていくしかない。まさに現状がそうだろう。パイオニアであられる夏井先生によると、数十年経っても創傷消毒をしつこくやり続けるのは大学病院や大病院に限られていくことだろうとのこと。設備の整った最新技術がウリの医療機関が「まだあんな古い方法を採用してるなんてね」と嘲笑されることになるだろうと。組織が大きくなると小回りがきかなくなるのはどこの世界でも一緒というただそれだけのことなのだろう。でも患者のための医療であるべきだという、その一点を阻む事柄についてはどんな事情でも弁解の余地はないのではないかと思う。ところどころ、極端な書き方をしてしまった。まったくの個人的な印象で書いたことゆえ、不適切な内容があったならお詫びを申し上げたい。興味をお持ちになった方には、是非ご自分の目で調べ確かめていただけますよう。
Jan 25, 2008
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宗教が大嫌いな私だが、10代のときから環境的に聖書に触れた日々があった。必要以上に、かなりの知識を詰め込んだと思う。その量は、そこらへんの信者サンには絶対に負けないと思う(何の自慢だ(笑)旧約聖書の中に、確か「ナウマン」という王様が出てきて、皮膚の病気だか何だかを病んで預言者の誰だかに、人をやって相談に行くというくだりがある。その預言者は「ただ川に7たび体を沈めなさい」と使者を通じて指示する。しかし王さまは「この患部の上でその預言者が手を動かして何かしてくれるだとか、ありがたい呪文を唱えてくれるだとかしてくれると思っていたのに、川に浸れだと?私を誰だと思っているんだ!ふざけるなそんなことをしてもこの病気は治るはずがない」しかし王さまはいい従者をもったことが幸運だったようで従者いわく「王さま、あなたは簡単なことだから実行できないとでもいうのですかもっともっと難しいことだったら、すぐにやろうとでもいうのですかあなたに必要なのは何をこの病にするかではなく、ただ預言者に従うことです」そして預言者の言うように7たび川に体を浸すと、病気はすっかりなおり王の肌は幼子のような肌に回復した。…とかなんとか。(多分記憶違いがあると思うのでつっこまないように(汗)私がその恩恵にあずかった浸潤療法にどこか似ている。「傷は、ただ水道水で洗えばいい」といわれても、「イヤイヤ、何かありがたい消毒薬を使って治療しなければこの傷は治らない」と言いたくなる。でも、ただ信じてその方法を実行するなら、その療法の正しさははっきりとわかりもし自分の信念?に従って従来の方法を選ぶなら、本来不要なガーゼはがしの大苦痛をGETするだけだ。もちろん実行すると言っても自己流にというのではなく実際に傷を管理してくれる、この療法の知識や臨床経験の豊富なドクターのもとで、治療にかかるべきだというのは大前提。くだんの預言者も、確かそのスジではたしか人を生き返らせるぐらいの、相当な実績を積んでいた人である、ということを王も聞き及んでいたわけだから従来の方法(当時は医療は魔術だったから、呪文とかが必要だったのだろう)とちがうなあと思っても、さっさとやっちゃえば、一日でも早く治ったのにねと思う。「傷はシャワーで十分に洗い流し、浴槽にできるだけ浸かりなさい」と受傷後3日の、傷がまだ痛むであろう時期に指示されたときは、正直うたがった。ほんとに、ほんとに風呂に浸からせるんですか?と何度も聞いた。しかし、信じて実行するしかなかった。そしてその日から傷は痛まなくなり、上皮組織の活発な再生が始まった。開始8日目にして、ほぼきれいに出来上がってきているからもうほとんど治療終了だよ、と言われた。療法を信じることそのものではなく、実際に実行するのに勇気が必要で常識との葛藤もそうだけど、本当に私に確実な操作ができるのかとビクついたがおかげさまですべてうまくいって、ひとつの山は越えたと言ってもいい状態だと思う。傷もだいぶきれいになってきた。あとはこのまま新陳代謝でどんどん新しい肌が出てきてくれればと思う。信じるものは救われる?いや、むしろかなり半信半疑でも、検証データなどを先入観を排除して判断し実行にうつす者は救われる。いくらかの勇気を従者にしつつ。
Jan 25, 2008
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睡眠は体内リズムに影響すると聞いたことがありますが、強烈に乱れた睡眠時間って、どのように修正されていくものなのでしょうか。先週は、1睡もできなかった日から始まって、翌日は明け方1時間ほど寝たような寝ないような、そのまた翌日は2~3時間の睡眠でそのあと何日か一日3時間睡眠が続いて、徐々に昼間に眠くなるようになって午後に5分ぐらいフッと意識がなくなる感じの睡眠を2回ぐらいして、自分のいびきで目が覚めてちょっと前から、4時間睡眠に延びてきて、3時とか4時とかの早朝に目が覚めて、今朝は5時間は寝たけど、ぜんぜん寝たりなくてクリニックの待ち合い室で何度もコックリコックリしてしまった。ごほんよんでーという娘に、ねむいからーねむいからーと泣きつきながらモゴモゴ言い訳する私。帰宅後40分ぐらい昼寝できて、昼寝から起きてから深夜までかあるいは寝かしつけて一緒に寝てしまい、目が覚める未明から早朝までが絶好調タイム、夫と子どもが寝ている間に記録して記憶の整理…。言うまでもなく、PCの前にいること自体がまずいと思います。脳が休まらず、興奮状態のままだから、ぜんぜん足りない休養時間。リズムがガタガタしててもそれほど問題ない期間とか、限度はあるのでしょうか。このままこの状態が続くとさすがに内臓にもいい影響がなさそうだなと心配になってきました。精神面では、まだまだアドレナリンとドーパミンが放出し放題だと思うので一旦覚醒するとギンギンいいながら文字を入力していきます…そだ、甲状腺ホルモンとか、そっち方面は大丈夫かなあ、そういったホルモン異常って、継続して心がストレスにさらされ続けることが引き金になることも多いというし。寝たりないのは十分ストレスではないのかなあ。とは言っても、記憶を風化させるわけにはいかないので今後もちまちまと記録していこうと思います。コレはやるべこことだと思ったら、納得いくまでやりきらないと気持ちの悪いものです。まあがんばれ、自分の体力!
Jan 25, 2008
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昨日、母親から電話が来たようだ。留守電に声が残っていた。以前に書いたように、まだやけどのことは言っていない。電話口で言おうか。それとも会ったとき直接言おうか。驚くかな、怒るかな、案外仕方がないわよなんて言うのかな、多分に気分屋なので、いまいち反応が予測できない。それも語調が極端に激しいので、お互いに地雷を踏まないようにたびたび気を使う。過去、衝突することは少なくなかったし、ありえないほどの不快を経験していらぬ衝突は自分にも損と学習し、気持ちをわかってもらいたいなんて考えるのはやめて、話が険しい方向に向かうと、私も露骨に話題転換をして、事なきを得ることもしばしばだった。母との関係は、親子っぽくない。物心ついた頃から、私が精神的な母親代わりをしてきたくらいの感覚を持っている。反発したり疎遠にしたりの時期も長く、娘がうまれてもそれほど「自分の母の愛もやはりすばらしかったんだ」などと殊勝な考えを持ったことはほとんどない。育児に煮詰まって、とりあえず子どもから一時解放されたいと思っても「育児ノイローゼ予防のためには」なんてことが書いてある新聞の切抜きを無言で置いてさっさと外出してしまうような母だった。あのときはさすがにキレた。私が1歳半の時には、母がちょっと目を離したすきに、自宅の2階から転落している。手すり枠などのない履き出し窓を開け放って、母は掃除機をかけていたそうだ。そのときの状況は何度も聞かされ「あんときはもうしんじゃったかとおもったよ」と懐かしい昔話にして話す母、やはりこの危険予測の不備は、遺伝なんだろうか。月末に、帰省することにしていたので、やはり近いうち連絡を入れなくてはならない。「やけどだけはダメだよ、一生残るからね」そう何度も言われていて「そうだよね、私もそう思う」と珍しく意気投合した話題だったが実はね…といずれ言わなければならない。母はどんな反応をするんだろう。どっちでもいいや。母にとっても大事な孫なのに、怪我させちゃったんだもん、どんな語調や態度でも受け止めるしかないな。心の準備をしてその場に臨もう。でも案外、話の流れが穏やかに進んで「親って本当はありがたいもんだな」と感じられるひとときになるかもしれないじゃない?
Jan 25, 2008
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お正月、家族でスキー場へ旅行した。その日はかなり天候が悪く、ふもともふぶいていて、そりで遊ぶにも寒さとの戦いでなにやら必死の形相で、そり斜面をのぼったりすべったりする娘。こりゃあ、ただ疲れさせるだけだったかなあ、他にもっと優雅なお出かけ場所があったはずだよなあ、何も2歳の子に雪山体験だなんて、だいぶ早すぎたかと思ったが、案外痛烈に、楽しい思い出として記憶に残ったようでテレビでも雪の場面が出てくると「しゅーって、したぉねー」スキーのパンフレットを見ると「しゅー、ねー、あした、いこぉねー」と大興奮する。この様子に気をよくした私は実家が雪国なもので、この冬はしばらく帰省してそり遊び三昧の日々にしてあげようと思っていたがこの怪我で立ち消えになってしまった。やけどに紫外線は厳禁。色素沈着が起きてしまう恐れがある。雪山で雪焼けさせるわけには行かないので、スキー場なんてとんでもない。この冬、ぴかぴかのスキーウェアを新調し、また着ようねじいじばあばに見せてあげようねと盛り上がっていた矢先の怪我だった。ほんとにがっかり、一緒にいっぱいすべりたかったのになあ…でも、大丈夫、大き目のものを買ったから、来年だって着られるよ。今年はちょっと無理だけど、来年には絶対。楽しみにしていようね。また、いっぱいいっぱい雪山であそぼうね。
Jan 25, 2008
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やけどを負わせてしまってから、1週間が過ぎこちらもケアの仕方に若干慣れてきたせいか、お風呂場でも楽しい時間を過ごせるようになってきた。浴槽でたくさんあそんで(いま大ウケなのは、ただのおはじき)、ゆっくりあったまって腕枕で睡眠へ…例によって、「好きよ、ありがとね、明日も一緒に遊ぼうね」を呪文のように繰り返していつものように眠りに入るかなと思ったあたりにふと思い立って、娘に質問してみた。「ねえねえ、まーちゃんさあ、かかのおなかにいたとき…、どぉーだったぁー?」(このどぉーだったぁー?の、のんびりした疑問系は、最近のブーム)「んとねぇ…」こんな質問、まだ早いかなと思ったが、意外にもはっきり話し出してくれた。でもきっと「ぼっばったい(わかんない)」が続くだろうなと思った瞬間、「きもちぉかった…」ぼそっと、はずかしそうにあるいは真剣に、どこかを注視しながら思い出すようにつぶやいた。ひゃー!気持ち良かったって言ってくれたの?すごくはっきり発語してるんですけど!てか、気持ちよかったなんて言葉、今まで言ってるの聞いたことがないよ。偶然かなあと思ったりして、さらに質問、「おなかにいたときさあ…、どんなふうにしてたの?」「(足を曲げて膝をおなかにくっつけるようにして)こーんなふうー」はっきりと表現してくれた。これはなにかの偶然が重なったのか、本当に記憶として脳裏にあるから答えてくれたのか後者であることを信じたいが実はこれらの前に軽く言ってみた質問があって「まーちゃんさあ、かかのところにくるときさあ、まーちゃんが『あのママのところに行きます!』って言ったの?それとも誰かに『イヤだろうけど、行ってきなさい!』って言われたの?」そう質問したところ、「うん。うん。」と言っただけだった。まだ心のどこかに「私のところにきたばっかりに、大やけどなんか…」という気持ちがあったから、そんな質問が出てきていた。だから、「気持ちよかった」という答えは本当に嬉しかったし、もっともっとおなかにいたときのお話を聞きたいと思ったが例によって興奮してしまった私がベラベラと話ししてしまい、質問自体はそれでおしまいになった。胎内記憶のある子どもは全体の3割だったか6割だったか、ちょうど筋道立った言葉を話し始める頃に一番語りやすくなっていてもっとお話が上手になる頃(何歳だったか詳しくは忘れたが)にはすっかり忘れて話さなくなってしまうものだと言うから今後折を見て、またいろいろ聞いてみたいと思う。まれに、胎内記憶が芳しいものでなかった場合、ひとことも話さず逆に不機嫌になることもあるというから娘の場合はきっとそれなりに快適に過ごせていたんだよねと想像してホッとした。しかしまあ、よく覚えているもんだなあ。ほんと、もう十分に幼児サンな2歳児の娘だが、実はまだまだどっぷり赤ちゃんであっちの世界から片足が抜け切ってないってことかな。そう考えると、やっぱりまた「こんなにも小さい子に、私の落ち度でこんな大怪我…」としつこく落ち込む陰気な私、しかし、胎内記憶を聞かせてもらったからこそ、大事な一つの魂を授かっているということをもう一度思い巡らすことができたし育児ライフをさらに前進させていきたいなあと思った。自分の手でどうにでもしていい存在ではないこと、それは分かってたつもりだけど少なくとも最低限まごころをこめて育てていく義務があるということ、今回ありえない大失敗をした母を、ひたすら許してくれている娘今後わたしはどれだけの愛情で、そのやさしさに応えて行ったらいいのか。いやあそれにしても、ほんとに、私のところに来てくれてありがとね。及ばずながら、大切に育てるよ。という気持ちをあらたにした。
Jan 25, 2008
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もう2年くらい前になるか、ブログがきっかけで知るようになった事件、(ニュースに大きく取り上げられ、現在はご存知の方も多いと思う)ブラジル人のひき逃げ犯が、自国に逃亡、2歳の女の子(被害者)の遺族に一切の謝罪も贖罪もせず、罪に問われることさえなく今ものうのうと生き延びている自分も人の子の母親という立場のこの犯人をなんとか日本で裁判にかけられるよう犯罪者引渡しという願いをかなえられないか、そんな悲痛な遺族の思いを記録するHPだった。私はそのとき、0歳の娘をあやしながらHPを開いていたが、ひき逃げされてしまった「りとたん」という愛称の女の子のママの「りとたんへの手紙」という項目を読んで、涙が止まらなかった。親が子どもに対して抱く、独特のいとおしい気持ち、突然奪われたその命に対峙しなくてはならない悲痛を想像して泣いた。何にもかえがたい、かけがえのない最愛のわが子を失った悲しみ、喪失感、そして深い深い自責の念。2年ほど経って、なぜか今年の年明けすぐに、りとたんのことを思い出しお気に入りに登録していたのだが今回のことが起きてもう一度、ママの手紙のところを読み返してみた。先を読みすすめることがなかなかできない。でもどうしても最後まで読まなくちゃいけないと、3回目ぐらいでやっと読み終わったが私にとって、とても辛い作業だった。自分のせいで。自分がほんの少し気をつけていさえすれば。子どもはこんなことにならないで済んだかもしれないのに。りとたんのママは、その日たまたま、りとたんをチャイルドシートに乗せていなかった。近くまでだし、おとなしくしてるしという理由で。わざわざ言うまでもない、ママはその点を悔やんで悔やんで、自分は取り返しのつかない失敗をしてしまったと極限まで苦しみ続ける。そのHPの掲示板がまだ稼動していたころ、冷酷な傍観者が、訳知り顔に、その点を執拗にえぐり続けていた。「外国人の引渡しを求めるより、自分の落ち度を反省したらどうですか」「そもそも自分が悪いんでしょう、私は署名なんてしませんから」そういうコメントが書き込まれるたび、りとたんのママは一人一人に丁寧におっしゃるとおりです、わたしが悪かったのだと思っています、と回答していた。一言も反論などしていなかった。私はいたたまれなくなって、りとたん宛てに手紙を書き込んだ。(そもそもその掲示板は、HPや遺族に対しての感想用ではなく、天国にいるりとたんに宛てて何かお願いします、というタイトルと説明文が付けられていた)その後、どんなお返事コメントが書かれたのか覚えていない。心無い人たちの、この心優しい誠実なママへの中傷コメントが、どうしても人間のすることとは思えず、それ以上一文字も目に触れたくなくて結局見に行かずじまいだったかもしれない。「この掲示板は過失のうんぬんを興味本位に論じるところではなくあくまでりとたんへの手紙ということで設置してます」第三者にあたるHP開設者がたびたびコメントを入れるが「それではHPを公開している意味がないと思います、善悪を論じてこそ意味があります」と譲らない。どこまで非情な人間なのか。顔が見えない匿名掲示板だからか。もし自分にとって近いところに、大きな失敗をしてしまった友人がいたとしてあんたの目の前で苦しみ続けるその隣人にも同じ言葉を吐けるのか。ひき逃げは、シートベルト未装着より罪が軽いとでもいうのか。我が子を不憫に思う気持ちから、せめてもの償いに検挙を求めたいという気持ちがまったく想像もできないのか。ママの悲痛な叫びを書いた文章にの中にもはっきり書いてあるではないか。率直に気持ちが悪くなったのを覚えている。でももちろん、そんなのは全体のごくごく少数で、多くは「バナーを貼りました」「署名しました」「逮捕まで応援してます」「どうか今後も前を向いて、りとたんのためにもがんばって下さい」というあたたかいコメントばかりだったと思う。2年前に、りとたんのHPを初めて見たときのことを思い出すままに書いてみた。いま、娘は2歳、ほんとうにかわいいさかりの女の子、りとたんが天国に行ってしまったのが2歳10ヶ月、もしかしたら今年の年明けに、ふと、りとたんのHPを思い出したのはおばちゃん注意してあげてね、というりとたんからのメッセージだったのかもしれない。娘の傷は小さいものではなく、抉り取られるように洗浄された円形の傷はあまりに痛々しいものだが命にまったく別状なく、負傷の当夜に入院もせず特に注意事項もないですよと言われて帰宅した程だったから私が感じた気持ちと命を落とした子のママの気持ちはまったく別物なのは言うまでもないこときもちがわかるなんて言うつもりはない、2年前の、出産後ほどない頃のほうが、ひょっとしたら思いは近いくらいかもしれない、その前提にあって親がどんなにか子どもの命を案ずるか、もう亡くなってしまっても、元気で楽しく遊んでいるかとか、ひもじい思いをしていないかとかママと突然別れ別れになってしまって淋しくて泣いていないかとか現在の環境を案じる。いつまでも、心配する。愛しい人へ。偶然みつけたこの「テーマ」がぴったりだと思った。思いのままに書いてみた。
Jan 24, 2008
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娘を寝かしつけながら、一緒に寝てしまった。夫はPCでも見ていたのかな、そのあたりの記憶など起きるまでまったくなかったし夢も覚えていない。しかし今朝、どうやら夫が布団に入るときに、私は寝言を言ったというのだ。「急がないでよぉ、そんなに急がないでよぉ」俺は別になんも急いじゃいないんだけどなぁ?と思いつつさては私と娘の布団を直したのが気になったのかな、悪かったかな、と思ったらしい。布団に入ると、やおら私の手が伸びてきてごそごそと夫の手を捜し、ぎゅっとにぎってほどなく手は自分のところに帰っていったという。まったく覚えていない。それでも、手を握ろうと探したこと自体は…うっすらと断片的に憶えがあるような気もするがそのときの気持ち、手を握ろうと思い立った気持ちはについてはまったく記憶にない。言うまでもなく、事後、まだまだ興奮状態にある。急がないでというのは、急ぎすぎている自分自身に対する言葉だったのか。はやくよくなれはやくよくなれと、あまりに焦りすぎていたのか。夫の手を握ろうとしたのは、やはり安心感を得たかったからだろう。心のふかいところの思いが、無意識の行動を起こさせたんだと思う。結婚前は「人は結局はひとり、一人でなんでもやらなければならない、人生誰にも頼れないものだ」と思っていたが結婚後、夫と暮らし始めて、それが少しずつ変わってきている。今回のこともそう。一人では絶対に対処できなかった。結婚してよかった、この人が夫でよかった、ほんとうにありがとう。そして、娘を助けてくれた多くの方々の手があった。善意の手に支えていただきました。娘は元気にがんばっています。ゆっくりでも確実に、治癒に至ってくれればいいと思っています。焦らず、行きたいと思います。
Jan 24, 2008
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サムシンググレイトを信じている。人智を超えた存在と、その宇宙意思とも言われるもの。人間そのものがかみさまの使い、それぞれがそれぞれに影響を及ぼしながらそれぞれが持って生まれた修行を確実に実行していく、それが人生というものそんな思想に触れたのは2年ほど前、飯田史彦氏の著書を読んだとき。衝撃的だった。はたして上記のことを主旨としていたかどうか、そんなことほんとに書いてあったのか実はあまりはっきりとは覚えていなのだけどまあ自分なりの解釈もふまえつつ、「袖刷りあうも多生(他生)の縁」といったところが古来からあるごくありふれた人生観だったとしても、私にとってはとても新鮮だった。互いに影響を及ぼす、その営みの中で特別に大きな影響力を持つ人物という方はいる。多くの人がその動向を注目し、死後しばらくしても歴史に名が残り、世界中に大きな影響を及ぼす人。世界宗教家のような聖人?に限らず、天命として、自分の任務をまっとうした人々。例えばプロジェクトXに取り上げられた人たちのような?その影響力の大きさはもちろんすばらしいが自分の役割と命を活かしきったこと自体に、大きな尊敬の気持ちをもつ。私は何をするためにこの世に生まれてきたんだろうかみさまは私を使ってなにをしようとしておられるかそんなふうに、思春期に考えていた。その時期特有の迷いや憂い、そして若さを持て余し逸るきもち。今、30代も半ばになって、この私がかみさま的な存在に使ってもらうなんて困難を極め、いくらかみさまでも頭を悩ますのではと思う。使いようがないのではないか。まだまだ弱くて迷ってばかりで、失敗も多くて臆病で、でも、「私はかみさまにとって、世の中に対して、ちょっと使いものにならない人間だ」と分かっただけ、自分なりの何かを為す、スタートラインには立ててるように思う。とは言っても、事を成す人間になんてとうていなれそうもない。しかしもしこんなちっぽけな自分であっても、家族や友人や一期一会の人たちに対してでも自分のなすべきことを生き生きと愛をもって行い、そこに喜びがあるのならそれが天命なのではないか。それが、「私を使ってしようとしておられること」の核心ではないのか。浸潤療法のパイオニアの先生方は、ご自覚されているいないに関わらず間違いなく天命としてその道を走っておられると思う。世の中のいろいろなものと戦いながら、時に喜びを得ながらご自分の信念を死守し、世の中に「ほんとうのこと」を知らしめる活動をされている。誰が、利益を得るか。その活動の恩恵を受けるか。それはありふれた一患者であり、創傷治療の苦しみから少しでも逃れたいと思う人たち。皮膚を害する怪我や皮膚の特別な再生が必要な傷は、どんな人にでも起こりうるのではないだろうか。事故により手術により、明日はわが身と言っても過言ではない。その時、どんな処置法を取るかでよりよい医療を享受できるかどうかが決まってくる。より人道的で理にかなった医療を。大学病院や大病院でしかできないと言ういうような、閉鎖的なものではない、逆に本当におどろくほど当たり前な原理原則に基づく医療とも言えるかもしれない。しかし、これからあたりまえの処置になるために、どれほど高い障壁があることか。ご苦労はしごく途方もないもので、きっと骨が折れる仕事であるはずなのに先生方は今日もご自分の信念のもとに邁進されておられる。本当に、頭が下がる。感謝の気持ちをどう表現したらいいのだろう。大それたことに、この処置法の普及のために私にもできることは本当に何もないんだろうかと思うようになってきた。実際、何もない。一患者が何もできるわけがない。そんな簡単な話ではない。ばかいっちゃ困る。天命なんかじゃない。でも、もしこのように、目の前でありありと驚くばかりのスピードで、痛がらずそして安全に娘の傷が着々と治り、完治に向かっていることを表現することが許されるなら、今後もこの思いを文字にして綴って行きたいと思う。
Jan 24, 2008
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日に日に傷跡はよくなって、ワセリンをつけたラップ剤を貼るのも大分慣れてきたと思う。テープで固定するのは夫の仕事。ちょっと不十分な箇所があって、補修をしつつ長くなって切ったテープの切れ端を娘に渡す。「貼っていいよ、どこにでも好きなところにね」と言ったがいまいちもじもじしている。「じゃあさ、かか(私)に貼って。どこに貼る?」まだもじもじ。ふっと思いついて、娘と同じ側のほっぺに自分で貼ってみる。「ほら、おんなじおんなじ」娘の顔がぱあっと明るくなる。楽しくなって、切れ端を作って、貼ってもらう。「いっちょ、だね、いっちょいっちょ」にわかにはしゃぎだした。今まで、娘の痛みをどうにかして軽減したい、できることならすべてこちらに渡して欲しいそう思ってきたけどこんな方法で共有することができるなんて、思っても見なかった。母親が自分と同じ状態になっている、それだけでどんなにか心がホッとするのだろう、ああ、もっともっと早く気が付いていれば良かった。外出時にもガーゼなどくっつけて(傷がない場所なので(笑)、貼り続けてみようか。今も貼ったままだが、これがまた相当じゃまくさい。かゆくなったりもする。よく動く顔のぶぶんなだけに、いちいち気になる。娘はここ1週間、何箇所も、広い範囲でコレが張り付いたままだったのだ。しかもこの先、たぶん相当な長い間、何ヶ月も。それなのに、けなげに元気に振舞ってくれて。本当に良かったです、思いついて自分にも貼ることができて。なんの足しにもならないけど、せめてほんの少しでも同じ思いをしていくことができて。昨夜のお風呂もまた、慣れてきたせいかワセリン流しもきっちりできた。白くべったりと張り付き、ポロポロ落ちた黒っぽい皮膚も傷口にくっついていてこのままでは良くないんじゃないかなあと思いつつも、オリーブオイルをなじませても、まだまだ触れるのが怖い気持ちが先立ってしまいなかなか上手にはがすことができなくて。でも昨夜はちょっと強めに指の腹を十分に使ってゴシゴシこすって、ついにペロンと白い皮状のワセリンを取り去ることができた。正直、上手にできたかゴシゴシして悪影響はなかったか気になったけど新しいワセリンを傷に付けることができ、皮膚の新陳代謝はさらに順調に進むと確信できる。今日もがんばるぞ。あんなに恐かったお風呂タイムが楽しみだ。また新しい発見ができるかもしれない。23日でちょうど受傷後1週間が経った。
Jan 24, 2008
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2年5ヶ月ほど前。陣痛が本当に痛かった。なんかおかしいなあ?収縮している感じがするけど、予定日はまだ何日か先だし?と、わけのわからないことを考えていた、出産当日の未明。17時間ほどの陣痛のうち、極期は12時間ほど。ハハハなに言ってんのまだまだそんなの軽い軽い、3日間ぶっとおしで痛みに耐えたママだって珍しくないんだからね!と言われるならイヤ、それはそうなんだけど、私も私なりに苦しい思いをして無事出産まで至ったわけで産みの苦しみは想像以上だったなあと思う。陣痛の痛みはいろいろと表現されるが、私が思ったのはおなかのなかを、鋭利な刃物とかミキサーのようなものでグルグルグルグルかき回される感じ子どもは大丈夫なんだろうかと思ったほど。陣痛には波があり、痛みは間欠的なものなので、まったく痛くない1~3分間は談笑できるほどででもその落差も精神的に辛かったなあ。どんどん強くなる痛み、その5分間ずつの時間中でのた打ち回りながら思ったこと、「今までやってきたすべての悪行の数々、心から謝りますから、誠心誠意あやまりますから、どうかこの痛みをなんとかしてくださいすぐになんとかしてください、お願いします」今回、娘にやけどをさせてしまったことで、あの感覚を思い出した。何も不安要因のない時間は、普通に振舞い、ちょっとハイテンションかもという程度なのにひとたび何かショックな情報に触れたり、自己嫌悪の念に翻弄されるとありえない勢いで落ち込み、振るえ、嗚咽し、感情のコントロールがきかなくなり口から何か熱せられたものが飛び出しかけているような、焦燥感に押しつぶされていく。これは自分の過去の所業がよっぽど悪いからこそなんだと想像したりした…すごくネガティブな思考回路だなあとも思うけど、これはもう考え方の癖だと思う。一方、もっと単純に考えるなら、苦しいときのなんとやらで救ってくださいとかみさまふうなものに語りかけるのは、日本では一般的な感情で、また、今の苦しみが過去の業だという思想は、案外仏教風土に生きている証拠、ということなのでしょうか。子どもの身代わりになりたい、という感情は、親なら当然だけど、私の場合まっさきにはそれが浮かばなかった。ソウルメイト的な人生観があるからか。「私について、何が間違っているのか教えてください、改めますから、いままでのあやまちをすべてについて一つ残らず謝罪しますからどうか子どもを助けてください」どっちかっていうと、唯一神への問いかけか。結局、かみさまからの声は何も聞こえなかったけど今回のことで一新された思考回路もあってああ、人生は修行なんだなあ、まだまだだなあ、この世での一切の生命活動が終わるその時までわたし用の課題を、粛々とこなして行きたいものだなあと思った。にしても、自分のせいで子どもになにかあるってのは、ここまで辛いことだったのか。こんな思いは、もういやだ。でもそれ以上に、なにより子どもが最高に辛い思いをする。ほんとうに、気をつけて行こうと思う。育児は先が長いけど、気を引き締める分野にあっては絶対に気を抜かない。絶対に。
Jan 23, 2008
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やがて皮膚がきっちりと覆われて、上皮化したあとは紫外線を極力さけなければならない。せっかくきれいに治っても、負傷箇所自体が小さいものではないしその広範囲にシミやアザを残すようなことになっては娘に対して申し訳なく、死んでも死に切れない。長い道になる。3ヶ月、いや半年は用心すべきだという説もある。でも薬局で「今はまだ冬ですから」と励まされたことを思い出す。比較的紫外線量の少ないこの時期、夏よりハラハラしなくて済むかもしれない。胸は厚い服で覆われているから構わなくていいかな、首のところは防寒もかねてスカーフのようなもので目隠ししつつなんとかなるか、でも問題はあごの下の大きな傷。どうやって保護したらいいんだろう。たくさんの子が集まる児童館は、あまり露骨だとちょっと視線を集めてしまいそうだし屋外の公園などは、被覆が十分にできてなかったらと躊躇してしまう。狭くない範囲だから、絆創膏というわけにもいかないかも…どうしてもシール面があごにかかってしまうだろうし、よく動く場所だから、しなやかな素材のほうがいいか、いろいろやって一番合った方法を探していくしかないか。娘には本当に面倒をかけることになるなあ。常にバンソウコウを貼っている状態が長期間続くなんてかわいそうでかわいそうで…言葉がわかってきている娘が、お兄ちゃんお姉ちゃんたちの「これ、なに?」とか、もしかして「へんなのー」とかいう無邪気な言葉や、例えば遠巻きに好奇の目で見られたりとか「どうして自分だけそんなこと言われるんだろう、ジロジロ見られるんだろう」と劣等感を持ったりしないかなあと心配になったり…いつまでもバンソウコウな自分の顔のイメージが、心の奥底に暗い影を落としやしないかとか…じいじばあば宅とか育児サークルなどに遊びに行って写真を撮ったときはほっぺの下のところにいつも何か張り付いている状態になってしまうのか…でも、仕方ない、なんとか乗り越えて行くしかない、フォローは十分するから、全力でするから、かあさんと一緒にがんばろう。がんばってくれるかな。あなたならがんばれるよね、きっとだいじょうぶだよね。
Jan 23, 2008
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この療法については、今後よく勉強をしてから後日に詳しく自分なりに理解したものを書き込みたいと思っている。一傷に限らず、医療界の内外を大きく揺るがす手法であることは確かだと素人目にも思う。しかし、やってみてはじめて良さが分かる。とにかく痛みが付きまとわない。消毒という異物刺激で、せっかくできてきた皮膚細胞を消滅させる方法など単純に考えたらおかしい。よくちまたで言われること、悪性腫瘍などの治療時、放射線療法などでがん細胞を叩くことは治療の大前提だががん細胞は死にました、同時に患者も死にました、では何のためにする治療なのかわからない。創傷治療に関し、消毒以外に他に違う方法はないものかと考えてくれた研究者たち、最初はどんなにか異端児扱いをされたことだろう。パイオニアは信念と志しを持って、自分の目指す方向を突き進む。でも、「患者を触るときには手をきちんと洗ってからにすべきだ」という現代にあってはごく当たり前の操作ですら圧倒的に否定された時代があってその提唱者は排斥され、狂気の末に亡くなってしまったというから世の中の常識というものを覆すのはどんなに大変なことかは、容易に想像できる。わけても医学界はどうやらその傾向が強いらしく、依然「白い巨塔」に見られるような序列社会があって組織が大きくなればなるほど従来からのものに固執してどんなに明らかに進歩したものであっても、変化を受け入れることは困難を極める。上の人間の鶴の一言で、それ以外の人間の提案は却下されその結果は絶対に覆らない。また、担当医師が日替わりの大病院では、誰か一人が良心的にであったとしても、新しい方法を採用してしまっては翌日には従来のものしか知らない医師が診察し、もとの操作にもどり患者に混乱を与えるだけ。とにかく足並みが乱れることは許されない。だから、自分のしたいように医療をしたい医師は、どうしても開業医のような個人に傾く傾向があるということだろう。世の中、何か大きな体調の心配のあるときは、いきなり大病院に行きたくなるのが心情だし設備の整った、エキスパートなイメージの「教授」に診てもらえそうな大学病院にかかるのがベストと思いがちだが教授はもっぱら研究に熱心で、臨床にはほとんど関わらないドクターだって多い。腕のいいかかりつけ医をもつこと、そのほうがどれだけ自分の体にとって安心で実益があるか分からない。これは昔『ぼくが医者をやめた理由』の著者、永井明氏が言っていたことだ。さて、タイトルの浸潤療法が医学常識にならないわけ、だが医学界のこういった事情の他にも『医療材料の会社や製薬会社との兼ね合い』『世間の常識との戦い』があるのではないかと思う。一素人がつれづれに考えるには限度があるし十分稚拙になるのはわかっている。が、浸潤療法が一般的な療法になったら、ガーゼや消毒薬の会社が収益難になるのは目に見えている。医療界とそれらの会社との間にどんな関係がもたれているのかわからないが全国の創傷治療のために、一日どれだけのガーゼと消毒薬が使われているかその量は想像以上だと思う。医療材料などの会社を巻き込んで、浸潤療法をすすめるためには、その会社が十分にもうかるような、ガーゼと消毒薬に代わるものを製品化しなくてはなかなか進まないだろう。到底受け入れられないだろう。確かにそのような会社にお勤めの方のことを考えれば、急激な変化はそれらの方々が、生活を維持できなくなることにさえ関わるだろう。だが、何とか各方面から知恵を絞って、この問題を解決できないものだろうか。ちょうど、寝たきりの方などの褥創にあっては、やはり一昔前は創部をドライヤーで乾かすのが医療常識だったが専用の被覆材が開発されて、医療材料の企業が逆に収益に繋がると考えたのかわからないがそれが処置法変革のハードルを乗り越えさせたのかはわからないがいまでは完全に、褥創は乾かしてはいけないということが常識になっている。褥創だけなら、ある一つの領域に限ったことと言えなくもないだろう。でも創処置全体に範囲をひろげると、術後経過観察をする外科界全体などを確実に巻き込んで相当大きな話になってしまう。それ以上に、「清潔と不潔」の概念を揺るがす問題と考えられなくもないならもう収集もつかないほどである。これはとても、おいそれと動きだせるものではないだろうと素人でも分かる。そして、もう一つの面、世間の常識との戦いというものがある。テレビ番組などのメディアで科学的な検証が行われ、へえ、そんな方法が理にかなってるんだ、そのほうがメリットが大きいんだと感心し一時的に話題になったり興味を持つ人が増えたとしても実際自分が負傷した時に「消毒はしないでください」と言える患者がどれだけいるか。怪しまれるか一笑に付されるだけだろうしなによりテレビでやっていたからそうしてみようと思える人など、そうそういないだろう。そういう私ももちろんそうだった。「傷は水でよく流して、汚れはきっちり取ってラップでぐるぐる巻きにするのがいいんだって」テレビでやってたよと人から聞いたことはあったが、自分が負傷した場合、間違いなく従来の方法で消毒もきっちりやってもらうのが当然で創感染はあってはならないし、だから消毒しなくてはという気持ちばかりでそんな方法を願い出るなどとんでもないことありえないこと自分には無関係だと思っていた。そんな、日の浅い処置法なんて信用できるもんか、と。でも、娘にやけどを負わせ、創処置が大きな大きな現実問題になったとき私はその方法に頼らざるを得なかった。藁にもすがる思いで検索をし、運良く、本当に運良くこの治療法に出会えてメリットだらけのこの治療法で、娘の傷の完治を待つことになった。(もちろんつきつめればメリットだけの魔法の治療法ではないのか知らないが、本当に理にかなってるし、少なくとも消毒法とは比較できないほどの有用性があるし臨床例もいくらでもあるらしい)もっと以前から知っていれば、ERで消毒をされてしまっても翌日にでもすぐに浸潤療法を行っているクリニックにかかることもできたろう。それでも、受傷後2日後に、比較的自宅から近い場所にこの治療法を採用しているクリニックを見つけられたのはやはり運が良かったのだと思う。ちなみに傷を乾燥させて治すというのは、実は日本にどす黒く横たわる迷信チックな治療法らしい。お国柄それぞれだからというにはあまりに負の影響の大きい日本の常識、私もまったく全世界の普遍的常識だと思っていた。それを知ることができた私はいいが、今日もまたどこかで不慮のやけどで子どもたちが負傷しているかもしれない、毎日のガーゼ交換でいらぬ激痛を味わい、その親は気が狂わんばかりに苦しみでも病院に任せるしかないからとひたすら耐えているかもしれない。同じ思いをした人間として、いたたまれない。各方面のいろいろな問題も孕むだろうが、どうか少しでも早い時期にこの手法が創処置の常識となって欲しいと思う。
Jan 23, 2008
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最大限に痛い痛いガーゼ剥がしだが、治療にどうしても必要なものであれば感情であれこれ言ってはいられない、継続するしかないそれ以上に苦痛を伴う治療も、世の中には残念ながらまだたくさんあるだろう。しかし、もっと他の方法があるばかりか、そちらのほうが丁寧な治癒の経過をたどるのがあきらかであれば急速に治療のスタンダードになってしかるべきなのにどうして…どうしてこんなに遅々として進まないのか。21世紀の世の中で、未だ19世紀の治療法がまかり通っているのか。新しい治療法と言っても、50年ほど前には確立し医療先進国に数えられる国々では当たり前に「傷は乾燥させず水で洗い流し消毒しない」というのは常識で、納得させられるだけの臨床例もこんなにたくさんあるというのに。ソフラチュールを処方してくださった病院の、ベテランと思しきナースだって「今はね、昔と違って傷口は乾かしちゃいけないの、怖いかもしれないけどがんばってシャワーで洗ってね」とはっきり言っていた。でも、処方されたソフラチュールは、油状の薬がしみこんでいるとはいえ、ガーゼはガーゼで貼付後いくらもしないうちに、せっかくの浸出液をいくらでも吸い取って傷を乾燥させそれでも足りずに傷口にめりこんで絡めとり交換時に組織をはがし、神経に触れ、激痛をもたらすハメになる。そのことと、「傷は乾かしてはいけない」という説明はどう考えても矛盾しているではないか。湿疹でかかった皮膚科のドクターが、やけどの傷についても問診してくださって「ラップ治療ですか、昔は傷は乾燥させるものでしたが、今は皮膚の再生には湿らせとくのは不可欠ですからね、いいとおもいますよ、でも化膿には気をつけてください、化膿したらすぐガーゼに切り替えたほうがいいです」ガーゼ、ガーゼ、ガーゼ…ドクターはある意味もっともなことを話してくださったのだと思うが傷にガーゼ、もう考えたくもない。医療界で、確実に常識となってきていると思われる、「皮膚の再生には、乾燥ではなく湿潤環境が必要」という概念もいまいち中途半端で180度変革するにはいたっていないように思う。それでは何も変わらない。患者は知識として聞かされ、医療者側も理にかなっていることと確信して「昔はこう、今はこう、先進医療のことを私は言うことができる」と知識を披露されても、患者の利益にならなくては何も意味がないではないか。言うまでもないことだが、皆さんとても良心的に治療にあたってくださっていたと思う。親切な言葉はもちろんだが、厳しい言葉もこちらを思ってくれているからこそと信じられるし患者のために害になることを、あえて採用しようとする医療者などいるわけがないはずだ。そう信じたい。しかし、いかんせん「中途半端」な感が否めない。そこまで知っていて、どうして。どうして従来の方法を変えようとしないのか?実は、意味がよくわかっていないから、それに十分に沿った方法を取れないのではないか。もちろん問題があまりに大きいものだから、てこ入れは相当難しいのは想像できる。草の根ででも、確実に浸透していくしかないのか。それともカリスマな人物が大号令を発すれば一気に解決するのか。早く夜明けが来て欲しい。患者は、苦しい。痛い。心も体も。最大限、その場でできるそのドクターの持つ最高の医療を提供していただきたい、医療の進歩に敏感に反応し、ご自身の研鑽を臨床医になっても積み続けていただきたいのです。何も分からない人間が生意気言ってすみません。おねがいです。ほんとうにおねがいします。
Jan 23, 2008
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先生は、翌日すぐにご返信くださった。「敗血症の一節を書いたのにはわけがあり、ラップ療法をなんとか闇に葬りたい立場の人間が数例の、当療法との因果関係もハッキリしない不幸な例を引き合いにし執拗に攻撃を加えて、すべてをなきものとしようと画策してくるのでどうしても過剰に防衛的な記述にならざるを得ないという事情がある経過の様子を読んだ分には、娘さんの傷は99%大丈夫どうか傷を実際に診察している担当医の先生に、率直に相談してみてくださるよう」そうだったのか、と思った。助かった、と最大限思った。昨夜は生きた心地がしなかった。否定派の論調であるなら何も気にしない。どんなに進歩した治療法であっても、自分達の利益のためかプライドのようなもののためか知らんが、どこにでも、横槍を入れて新しい道を進む人の足を引っ張りたがる連中はいる。珍しいことではない。あわてることではない。しかし、パイオニアでおられる先生が、強調しながら忠告しているのであれば意味合いは正反対の印象になる。創部の消毒をしないことで、雑菌が血液中に入り込んでしまうなどとまことしやかで素人でもイメージしやすいワナを作りよってこの療法は大変に不安であると煽り立てる卑劣さ、なんでそんなに必死なんだ?自分達が正しいことをやっているのなら、泰然自若としていたらいい、今までどおりをそのままやっていればそれでいい患者のためとでもいうのか、自分で実際に、あまたある症例を研究でもしたのか、新しい説、治療法が、本当に正しいのか正しくないのか真摯に取り組むこともせず(しっかり向き合うなら、有用性が明らかになってしまうはずだと思う)門前払いに一生懸命な一部のエライエライドクターたち…だいたいねえ、「不適切な処置」をしたら、従来の消毒法だって、生命の危険にさらすことになるのは同じでしょうが!消毒法なら、たとえ「不適切な処置」をしても生命の危険はない、とでも言うんですか?!あくまでも「不適切」なんですよねえ?どうなんですか?!腹が立ってきたが、全力でさんざんに疑った私は、ものすごく恥ずかしい。「走れメロス」ではないが、私を殴ってくれ、でないとこの治療法を継続させていただく資格がないと叫びたくなる。確かに新しい治療法にはリスクや心配は伴うかもしれない。でもそれは、長年の医療常識であった「傷口は濡らしてはいけない」という常識が正反対に転換した際のリスク状況と何が違うというんだろう。その提唱者はやはり執拗な攻撃を受けたのだろうか。しかし、いまや何の疑いもない医療常識となり、当然のこととしてその恩恵にあずかっている患者は数え切れない。傷の処置法の、この前進にブレーキをかけているのは患者のためを思ってという前提でもなんでもなく加療者の側のエゴや怠慢、はたまた経済的な事情が大部分絡んでいるように思えてならない。あなたは何を賭して医師をされておられますか。足引っ張りで妬みに燃えるエライドクターサマには是非そうお聞きしてみたい。
Jan 23, 2008
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熱傷についてブラブラとPCを開き知識を深めようと検索していくうちに、やはりラップ療法のパイオニアでおられる先生のHPを見つけ納得しながら読んでいたが、あまりに恐ろしい見解の一説が目に入った。「初期の熱傷には、ラップ療法は行うべきではない間違った方法により、敗血症などを併発し死亡した事例がある(ただし因果関係ははっきりしていない)」…え?こんな、こと、知らない。死亡って?今更言われても、どうして、どうして、…ってことは、ダメだったの?やるべきではなかったの?今からでも引き返せば間に合うの?敗血症の危険に、まださらされているってこと?死亡って何、そんな記述、今までどこにもみあたらなかったじゃない、命に関わりのあることに比べたら、傷が痛まないことなんかどうでもいいよ、そんな生命の危険があるなんて一言も書いてなかっただいたい処置してくれた外科ドクターも、そんなこと一言も言ってなかった、いいことばかり書いてあって、もしかして私はとんでもない選択をしてしまったのか、と言葉にならない恐怖感がグルグルしはじめる。深夜、嗚咽しながらどうしようどうしようとうろたえながらとりあえずこの先生に直接問い合わせてみるしかないと思い立つ。
Jan 22, 2008
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心配だった目の周りの発赤と黒ずみ、思い切って皮膚科に相談に行くことにした。外科ではなぜか取り合ってもらえず、気にしすぎという感じで一笑され(症状が他の負傷部位と違ってごくごく弱いせいか)でもやはり気になるので、メール相談の後、以前一度行ったことのある皮膚科クリニックに受診することにした。症状をお話すると、ドクターは皮膚を見るなり「あ、これ、おかあさん、湿疹ですよ湿疹」わー、そうなんだ、よかったー!やけどと無関係だったんだー!とホッとするやら喜ぶやら治りを早くするため弱いステロイド軟膏(プレドニン)を処方していただき帰宅した。でも、また少し時間が経ってよく考えてみると、やっぱりなにかおかしい。湿疹?にはいろいろな種類があるのだろうが、ポロポロと落屑の始まっている皮膚が「湿疹」…?あるエリアだけ限定的に赤くなり、次第に黒くなり、皮膚が新陳代謝するのと一緒にポロポロしてくるのは浸潤療法をしている他の熱傷部位の様子と一緒。程度こそ違えど同じ経過をたどってるように思えるのだが…?ましてやその範囲はくっきりと限られていて、なにか外からの物理的な影響で症状がでてるように思えるのだが…。まあ、ドクターが二人、やけどではないだろうと言うのなら、間違いないはずと思いたいがやはりどうしても気になる。目というのもとても心配になる。なにせ、お湯がかかったその瞬間をよく見ていないし、数分後数時間後の様子さえ「たしかちょっと赤みがでてきていたと思う」ぐらいにしか記憶がないしここは改めて、何か異常が起こってないか診ていただくしかないように思った。何もなくて当然、なにかあってたまるかという気持ちが正直なところで来週にでも念のため眼科を受診しようと思う。小児眼科を標榜しているクリニックを探して、相談に伺おうと思う。
Jan 22, 2008
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ここのところ、本当にすぐパニクってしまう私はHPやメールでしつこいぐらいに専門家にくらいついてしまう。深夜、やけどについていろいろ調べている中で「植皮」「跡はまず残る」の文字を目にして娘は該当するのではないかと、いてもたってもいられず写真を添付して、ダメモトでもいい、ずうずうしくも診断をお願いした。その先生は、ご親切にも翌日すぐに回答を送ってくださった。「これは上皮がめくれているのではない、湿潤にするためのワセリン剤が固着したもの上皮は既にできているか、出来上がる寸前の状態だろうからこの療法を続けて心配ないでしょう」そうだったんだ、治りには直接関係してないんだと思って傷を見ると確かに昨夜の白い皮はなくなっていて、透明な液体になっているのがわかった。ワセリンは温度によって簡単に形態を変える。助かった、と思った。そんな昨夜はまた打ちひしがれて嗚咽してすごしていた。今後も、完治への過程で、こんなジェットコースターのような感情の起伏を経験することがあるのかもしれないがそれでいい、体当たりで行くしかない。メールでアドバイスしてくださった先生方には、どうやって恩返しをしたらいいか分からない。上皮ができたということは、傷がふさがったということそれをお聞きできて、傷に触る勇気がやっと出てきたのだと思う。傷に固着したワセリンを洗い流してよりよい状態にするためにはオリーブオイルを傷に塗って、ワセリンとなじませて洗い流すのが効果的だと担当ドクターにも聞いていた。今日こそきちんとしたケアを実行できそうだと思った。最初は、そうは言っても真っ赤に晴れ上がった傷に触るなんて本当にできるんだろうかと思い無理に平常心を装いつつも、楽しい雰囲気で浴室に入りテープをピリピリはがす時点で、いたいいたいと言い出す娘に「痛くない!痛くない!もうしみてないでしょー!」と声を張り上げながら勢いで傷にオリーブオイルをぬることができた。きちんと洗い流せたかどうかは疑問だが、1日1日、少しずつ良くなることを期待して明日もまたお風呂タイムを娘にできるだけ苦痛がないように、しかし確実にケアしつつ少しでもいい時間にしていきたいと思う。
Jan 22, 2008
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事後、初めて夫に鬱陶しいと言われた。悪かった悪かったと言いすぎると。『言ってる本人はそれで気が紛れるかもしれないが聞かされてる方はたまったもんじゃない、こちらに何と言って欲しいというのか、四六時中同じ内容の言葉で娘だって、もう何でもわかるんだから、負担に思ってるかもしれない親が、ごめん、ごめんと悲しんでいると、自分のせいでそんなこと言うのかと思うものだろう悪いと思うならやみくもに口に出さず、心の奥で深く思っていればいい、それに俺はお前が悪いんだなんて、いままで一言も言っていない』普段、温厚で、怒る事などほとんどない夫がなじるように言った。自己満足で謝り続け、家族に負担を強いていたのか。確かに謝っていないと辛い。なんとか今の気持ちを十分に表現し、できればたまに反応も欲しい。肯定否定、どちらの反応でも、軽く軽く、何かを返して欲しい。あれ以来ずっとハイテンションで、喜ぶにも落ち込むにも急勾配の躁鬱状態に付き合わされる家族はたまらないだろう。でも、この気持ちをどうやってコントロールしたらいいのか。湧き出てくる悪かったという気持ちを、表に出さずに付き合う方法はあるのか。私は極度の口下手だと思う。会話をして何かを発散するのは苦手なほうだと思う。自分の意に添わないことを言われると、その場はなんでもないように装うがあとからしつこくモヤモヤが湧き出てしまう。多分思いやりの言葉であっても、違う、それは違うんだと思うともうずっと辛い。自分が、本心でないことを口走ってしまった場合もあの時何故あんなことを言ってしまったかと、しつこいぐらいに悩む。今回、そんな状態がこの精神状態に重なるとさすがにしんどいと思ってまだ誰にも娘のことを話していない。親にもしていない。いつものように歯に衣着せぬ会話の応酬になってしまうのであれば、発散の逆に、深く傷つくのが怖い。友人たちにはメールで連絡した。ちょうど、しばらくメールが来ていなかった友人からたまたま火傷の翌日に近況のメールが届いたり週末に、久しぶりに遊びに行く約束をしていた友人と、連絡を取り合っている最中だったりでやんわり書き送った人、はっきり書いた人急なキャンセルの連絡をしないわけにはいかないから、一大事をにおわせながら表現し送信した人もいた。10年来の友だちの、先輩ママでもある親友は、自分の息子に過去負わせてしまった怪我のことについてその時の気持ちのことなどを詳細に書いて励ましてくれた。長い友達だが、疎遠になっていた時期もあったりで、初めて聞く話だった。ふたこと目には、自分が死んで解決するならとばっかり書く私に的確な文字で慰め励ましてくれた。ああ、子どもに対してあんなに寛容に愛情たっぷりで、なぜこれほどまでに思いやりを持ちながら育児できるんだろうと常々思っっていたその背景にはそんな過去のできごとも無関係ではなかったのかもしれない。「話してくれるのが大丈夫になったら、いつでも電話かけてきて、手紙だって何だっていい、待ってるからどうか忘れないで」そんな返信をもらって、早くその日がくるように、そうなるようにしなくてはと思った。言葉で表現して発散するのがヘタで、逆に負担になるタイプの私はじっと心で念じて、自責の念と付き合おうと思う。心で思うその場所には、大きな思いやりをもって待っていてくれる友人の存在だって同席してくれているはずだから。
Jan 22, 2008
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娘をやけどさせた時の状況。ガステーブルに鍋を二つかけていて、さらに魚焼きのグリルも使っていて自分の真正面(シンク脇の調理する台)に置いていた急須が魚をひっくり返すため私の体が少し横にずれ、注意が魚に向かった瞬間かけよってきた娘が手をのばし、急須にふれてしまい熱さにびっくりしててをひっこめた際、ひっかけてひっくりかえしてしまった、というものだった。大怪我をした翌日、無邪気にまたキッチンに入ってくる娘に大声で「だめ!あっちち!だよ!こっちきちゃ!だめ!」と涙ながらにどなりつけたところそれ以来、一切キッチンに入ってくることはなくなった。台所の入り口で、話をするにも何かを要求するにもじっと待つ。多少ぐずって駄々をこねても、その線から中には絶対足を踏み入れない。こんなに聞き分けがいいんだから、言えば分かるんだから何故今まできっちりと言い聞かせてこなかったんだろう。いろんなことに興味を示し、なんでも一緒にやろうとねだる娘に対してまあ、何事も経験だし、分別もついてきたし、自分も注意してるから、とかなんとか無責任に考えて、幼児をキッチンに入れるということがどういうことなのか最低限の責任を怠った。いや、そういうことではなくて、2歳児がどういう動きをするのか捉える感覚が普通ではなかったんだと思う。例えば、何でも口にする時期には、小さい物はすべて片付けるとか立ち始めの頃は、頭などを打たないように、親がすぐ手を伸ばせるようにしておくとかでも2歳になって、会話もできるようになって、だいぶ幼児らしくなってきて、もっと大きい子のように思っていたのかもしれない。でも、そうであっても、お湯を入れた急須をたとえ自分のおなかのすぐ前あたりであったとしても手前側に置いておくということ自体が、子どもがいる家庭にあってそのそもの大間違い、普通はやらないこと、だったと思う。危険なものは、子どもの手が届かないところに置く、ただそれだけで多分、20センチ程度でも奥に置くことさえできていればそれだけで十分に防ぐことができたやけどだった。たったそれだけのことを実行しなかっただけで余計な苦しみをあの小さい体と心に負わせてしまった。本当に本当に、十二分に防げる大過失だった。
Jan 22, 2008
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傷部を洗い流したあと、はじめて傷口の写真をとる。直接見るのと写真で見るのとはずいぶんと違っていてあらためてなんということをしてしまったのかと客観的にまた別の感覚から自責の念が沸いた。顎の部分に、上皮が下から半分ぐらいできた時点でやぶれてめくれてしまっている。ああ、こういうのは化膿の原因になることがあるんじゃなかったかなあ、明日クリニックに電話してみなくちゃ、ぐらいに思っていたがいろいろHPで検索するうちとんでもないことが書かれてあるのを目にしてしまった。『深い2度以上で2~3センチ以上の熱傷は、上皮がつながりにくくもちろん傷の周囲からも皮膚が出ては来るが長い期間が経っても覆いきれない場合、植皮が必要となる、あまりだらだらと様子を見るより、早い時点で決断が必要である、植皮は自分自身の体の目立たない部分の皮膚を切り取って行われ植皮後も元通りになるということではなくひきつれたり色素が残ったりすることが多い』愕然とした。どうしよう。ERの若いドクターが「まあ小さいから今すぐ手術ということにはならないとは思いますが」と言っていたのを思い出す。手術?!何言ってるの?とその時は思ったが上皮がきちんと覆われない場合を想定しての言葉だったのか。2度という診断は聞いたが、2度の浅い方か深いほうかははっきりとはわからない、どうしよう、どうしよう、それまでの、治療がうまくいっていることをよかったなあと思う気持ちは完全に消えて今すぐ何かをしなくては、だれかたすけて、どうしたらいいのか教えてと体が震えだした。昨日、ワセリンを洗い流すためにはオリーブオイルとなじませるといいよと言われその夜さっそく夫に実践してもらったのだがそのときに上皮を破ってしまったのか。私のシャワーの当て方が強かったり角度が悪くてデリケートな出来立ての上皮がやぶれてしまったのか。どうしよう、どうしよう。傷の下のほうからは新しい皮膚になりそうな白いエリアがまた見えてきた。だけど、中途半端に上皮ができている下のほうにもう一度、きちんとした上皮は形成されてくれるんだろうか。夏井先生のHPでは熱湯油をかぶった子でも、創部はほとんど2度の浅い方の熱傷で浸潤療法を始めてから数日で、かなり広範囲の受傷もきれいに上皮化されていた。ただ一部、深い部分は若干あとがのこってしまったと書かれていた。植皮はまったくしていない。娘の場合、どうなんだろう。心配で心配でじっとしていられず、やおら立ったり座ったり部屋の中をちょっと歩いてみたり体を縮めてぶるぶる震えてみたりあーとか、うーとか言いながらやっとPCを落とし、布団に入った。今朝起きて、パニクってもいられないと思いだした。クリニックへの電話確認を含めて、正確に情報を集め対処していくしかない。昨夜は娘は何度も何度も目を覚まし、私を呼んだ。父親との入浴がよっぽど怖かったのだろう。やめて、いたい、と泣きながら、私を呼び続けだっこをせがんでいた。母さんは立ち止まってなどいられない、絶対に元通りになるよう何があってもどんなことでもするからねとものすごい剣幕だったが今朝先に起きていた夫に、上皮がはがれたかもしれないという話をすると一喜一憂してる場合じゃない、昨日きちんとドクターに見せたはずだろう、と言われる。あまりに慌てすぎていた。少し冷静になった。
Jan 22, 2008
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「順調だねえ、まあ、今後は毎日見せに来なくてもいい…かな?」あまりに取り乱していた初診時の様子を気にかけてくださっていたのか来たいなら来てもいいが、という含みを持たせながら顔を覗き込むようにドクターが言った。そうですね、と明るい顔でうなずくと「1週間くらいあけても平気だと思うけど、週末にでも見てみようか?」はい、と答え時間の指定をした。実際、どのくらいよくなっているのかわからないがあいだをあけてもいいということは今のままの操作で行ってもいいということと解釈した。しかし、夜にお風呂上りせっかくできた皮がめくれてしまって下のところでだんごになっているような部分に気が付いた。かなり大きい範囲。これはなんとかしておかないといけないんじゃないのか。何よりも創感染して化膿してしまうのが怖い。明日にでも問い合わせることにする。白くなった部分がそのまま皮膚になってくれるものだと思っていた。まずい処置で、トラブルをつくってしまったのか。一進一退の感も強いが、まじめに処置していくしかない。子どもは治りが早いと言われて期待していたが、どうもそうでもないのかでもそんなのまったく本題には関係ない、娘が苦痛を感じない方法で時間が多少長くかかっても、元通りにきれいになりさえすれば何も不足はない。明日も一歩ずつ完治に向かっているに違いないのは確かだ。毎日、それだけを確信していく。
Jan 21, 2008
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ほぼ毎朝、見た夢を覚えている私だがここ数日、まったく記憶がない。確かに3時間程度の睡眠では深く眠っておかなくちゃしんどいので体が見る夢を短時間化させているのだろうか。今朝は、しばらくぶりに夢をみた。2回覚えている。不思議だったので、できるだけ詳しくメモした。全体的に黄色っぽい背景。圧倒的な太陽よりいっぱいの光量の中で雷のようなものが自分の頭上を飛んでいる。点滅しながら、片方から片方へ見ていると、ことばのような形をした何かの象徴のようなものが乱れ飛び知っているような知らないような大音量の音だか音楽だかがギンギンと鳴り響きこれはうるさいと思いながら目が覚めた。もう一つは、どこか病院のような作り何かを探すように階段を上っていくと、小窓があり宅配の方が、第一検査室へ届けることになっているからと言って巻物が入った筒のようなものを渡した。白い壁が続く廊下を歩いていくと体育館のようなホールで何人かが体操のようなことをしている。そのホールの中から数人が出てきてすれ違った。もっと複雑だったかもしれない。こんな象徴的な夢はあまり見ない。寝てないから何かが乱れているのか治療の目途がついてホッとして今までの心の圧迫を解消するために見たのか。私にとってはずいぶん珍しい夢だと思った。
Jan 21, 2008
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受傷時、真冬の気温の中、突然シャワーを何分もかけられ泣き叫ぶ娘、でも泣きながらひたすら私のだっこを求めていた。今まで味わったことがないほどの、熱い、痛い、冷たい、それ以上に心の苦痛はどれほどだったことだろう。何をされているのか分からない、何が起こっているのかわからない頼りにしてたはずの母親は、わけがわからなくなって自分に水をかけ続け、いつまでも冷たい思いをさせている。やめてとは言わなかった。だっこ、だっこ、としか言わなかった。どうして?どうして?私のこと、嫌いになったの?拒絶される不安。それが最大の苦痛。なんとか母親に受け入れられていることを確認しようと娘は私に、だっこ、だっこ、と叫び続けた。私はあなたを傷つけた張本人だ。そんな相手に何かをしてもらおうと思う人はいない。でも、小さな子には、それしか方法がないのだ。身を守れる場所であるはずの母親が、自分への加害者だったとしても諦めずに母親のもとに受け入れてもらおうとする。虐待の現場を思い出す。母親は彼氏と旅行に行き、幼児が一人、部屋に残されテーブルにはパンが1枚あるだけだったという。コンロをいじったか何かで、部屋は火事になった。炎の中で、その子は、ひたすら「ママ、ママ」と叫び続けていたという。同じじゃないか。私は娘の信頼を裏切った。救急車の中でストレッチャーに乗せられ水泡をつくった傷が痛む中でも私にだっこを求めていた。ガーゼ剥がしの場面でもそう。母親がくればなんとかしてくれるだろうと全幅の信頼を寄せひたすら助けを母親に求める。受け入れてくれるのを期待する。そんな痛い状態にしたのは私なんだよ?そういったことは普通の母親なら肌で感じて本能的に我が子を保護するための行動がとれているはずだ。イライラしていじわるなことを言ってしまうことがあったとしてもけっして抜けてはいけないところを最低限はずさない母親。私はそんな平均的な母親だと思っていた。でもそうではなかった。償いたい。できることなら。怪我をさせたこと自体、そして心が深く傷ついたことに。誰にでも失敗はある、そんな言葉もあるが私についてはまだまだまったくあてはまらない。
Jan 21, 2008
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初診で話していただいたナースの詳しい説明のとおりに浸潤療法2日目でもう、傷に何も覆わなくても入浴時の痛みを訴えなくなった。ガーゼと消毒の方法だったら、傷は防水が必要だったろうし何より剥がすときの痛みでこの時期に湯船に入っておもちゃで遊ぶなんてとても考えられないことだったろう。もしあのまま、夏井先生のHPに出会わなかったらメンタルの弱い私は、毎夜毎夜の叫び声に、本当に気が狂っていたかもしれない。いやそんなことはどうでもいい、狂うようなら狂えばいい、2歳の娘の心に、深い部分に、大きな生傷を残し人生を歩む上で影響していたかもしれない、そのことが何より恐ろしい。今でも信じられない。傷を消毒しないなんて。ガーゼを使わないなんて。でも、理屈やイメージや、自分が常識としてきたことがどうであっても目の前にいる娘がもう痛がらなくて済んでいる。これがすべてだ。説明をしてくださったナースも、この方法では治りが早いばかりでなく跡もきれいになって治りますよと話してくださった。その言葉を信じよう。楽しそうに湯船で遊ぶ娘が、本当に何の不安もなく遊べるようになる日は遠くないと信じている。まだ固定テープをはがす時に痛がる。もう少しだからね、お願いだから、もう少しだけがんばってね。
Jan 21, 2008
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事後、夫にやってもらったことはたくさんある。一番肩代わりしてもらったのは創にガッチリとくっついたガーゼはがしワセリンとなじませながらオリーブオイル塗布本当に私にはどうしようもなく、自分の勇気のなさを思い知らされた。ガーゼはがしは鬼の心がないとできない。こんなにちっちゃいわが子が、泣き叫び全身で痛みを表現する中でメリメリと神経のむき出しになった創部の皮膚をはがす。わたしはすぐ挫折した。また震えが来た。情けない。本当に親なのか。夫は、これをやらないとよくならないから仕方ないよと腹をくくってその行為を引き受けてくれた。翌日から、娘は父親と浴室に入る時点で号泣するようになった。ワセリンをよく洗い落とすために、オリーブオイルを塗ってみてとドクターに言われ傷を触るのは怖いけどがんばりますと言ってみたもののいざやろうと思うとまったく手が動かない。もう痛み自体はないようで、湯船にも平気で浸かっているがそれが分かっていても私にはできなかった。風呂場から私を呼ぶ娘の叫び声。入る前からずっと、途切れることなく10分以上その絶叫は続いていた。娘は、ガーゼを剥がされたときの記憶のために父親とは一緒にその場にいること自体が苦痛でもしかしたら私が塗るのであれば、そこまで泣き叫ばないのかもしれない。そんな最低限のことさえやってあげられない母親ってもう母親とよべないんじゃないのか。傷と関係ないところを洗うため、夫と交換して、やっと娘はなきやんで笑顔さえみせた。「もぉなかないぉー、うーってここでないた、ごめんねぇ」もう言葉がない。あしたこそは何が何でも、たとえ恐怖で気が触れたとしても私がやらなくては。気が触れる…そんな心配などしてる余地があるものか。普通の親ならやって当然。風呂あがり、脱衣所では嫌がらずに父親に体を拭かれている。着替えをして処置が済むと、「読んでぉー」と父親に絵本を読むのをせがんだりさえしていた。夫が娘に語りかける。「ねえねえ…コレ取れてさあ、もとにもどったらさあ、また一緒にお風呂入ってくれる?」娘、うん、いいぉーと返事。でもさ、最初は3人でだろうね、二人で入れるようになるのはいつ頃だろうねと夫。やけどをする前は、夫と娘は毎日のように一緒に入っていた。お風呂ではいろいろな歌を覚えたし、数字だって覚えた。風呂上りには、こんなことやったあんなことやったと教えてくれていた。しばらくあの楽しい時間は来なくなってしまった。夫はもっとショックだった。我が子との入浴が楽しみでない父親なんて、どれくらいいるだろう。私はそんなふれあいの時間をも奪ってしまった。早く回復して、もう一度普通の日々が再開できるよう、できる限りのことをする。きっとそんなに遠くないはずだから。それまで娘にも夫にも、堪忍ね。
Jan 21, 2008
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何回も更新しているから、ジャンル内の見た目として私のタイトルがかさんで、ウルサクなっていないかなと、ちらっと思う。近いうち何とかしなくては。子どもの「病気」というより、怪我、事件であるから、そもそも場所が違うんじゃないのとふと思ったもので…こちらで書き込みはじめてしまったので、もう少しこちらでUpさせてください。「病気」の内容で参加されたり閲覧されている方、長くおられる方など、すみません。
Jan 21, 2008
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今日は通院も買い物もなかったので、用事のあった夫が外出してから家の中で娘と二人で遊んだ。幼児用雑誌、ミニチュアのお人形、ボールや絵本、全身全霊、心を込めて思いっきり遊んだ。ここのところの日々の、興奮状態のままに、数時間、語りかけまくった。せめて一生懸命遊んであげなくちゃという気持ちと声を発してないと、ちょっと精神的にきつかったというのもある。娘はそんな気持ちを知ってかしらずか、ものすごくノリノリで、最高に楽しい時間を過ごした。今まで、遊んで欲しいと寄ってこられても、めんどくさいと思うことが多かったし一人で遊んでくれたらなあ、こっちは用事がたくさんあるのにと(その用事はどうでもいいようなこと、PC検索などその場の欲求を満たすためだけのものばかり)あっちいってよと突き飛ばしたことさえあった。本当にごめんね。あなたを産み育てるために、しっかりと向き合いたいと思って勝手に仕事をやめたくせに育児ってものが想像してたのとはぜんぜん違って煮詰まったり退屈に感じたのは、娘のせいなんかじゃなく自分の適性のせいだったのに「こんなこと(専業ママ)してる場合じゃない、人生間違えた、『子どもを産み育てることをまっとうするためには仕事などしててはいけないのだ』なんて思ったばっかりに、取り返しのつかない選択をしてしまった、育休もたっぷり取れる環境の整ったいい職場だったのにもうなにもかも遅い、仕事をしているわけでもないのに、家事育児が中途半端な自分はひたすら消費するだけで何も生み出さない価値のない存在だ、仕事をしている自分の方が、本来の自分のあるべき姿でどんなに忙しくてもいきいきしていたはずだ」などと、もう随分長い間、ウツウツとくすぶらせていた。それでいて、それならしかるべきところに子どもを預けて働くことを決意できるわけでもなく親のエゴや独占欲をコントロールできない性格を野放しにして欲求のままに鬱積した思いをぶつけ、子どもを邪険にしていたことがあった。明らかに、私は間違っていた。母親として以前に人間として。もっと早く気付いて、人並みの感情を持てるよう努力できればまだまだ小さい子に対してそんな乱暴で冷酷な態度をたまにであっても取ることを肯定的に考えることなどできなかったはずだ。なぜなら「自分の子しか目になく独占欲丸出しで溺愛する親」にだけはなりたくないと今から突き放した態度を取るぐらいでちょうどいいんだと思っていたのだから。でも、「独占欲」と「しっかり向き合う」ということは似ているようでまったく別のものそんなことすら、自分のことしか頭になく、わからなかった。また、神経質に育てるよりはおおらかでズボラな育児なくらいがちょうどいいんだという考えにとりつかれ元来の性格も影響して、注意をすべきところで十分な注意をしていなかった。おおらかな育児と危険排除不足の育児・要所はきっちり押さえる育児はまったく違う。完全に履き違えていた。この日、全力で関わったこの時間、最高に嬉しそうな生き生きとした姿の娘を見て何故今までそんなことに気付かずにいたんだろうとどんなにもったいない時間を過ごし、無駄にしてしまっていたんだろうかと愕然とした。「何歳になっても親の愛情は、形を変えて必要量以上に必要なものだ、わけても乳幼児時代の関わりは重要だ」そんな思いから退職を決意した私だったが、何も実践できていなかった。逆に、仕事を持っていたほうが、必要に応じて子どもの世界と自分の世界を容易に区別したりくっつけたりができていたかもしれないし少なくとも邪険にする時間量は、むしろ少なかったかもしれない。まして、いい距離を保てていれば、キッチンには寄せ付けないきまりをつくってやけどを負わせることなどなかったかもしれない。しかし、こんな大それた失敗を通してでも、「やっと大事なことに気付くことができて怪我の功名だったんだよね」と後から思えるためには今後、本当の意味で育児を楽しむ日々にしていくしかない。のどもとすぎればまた逆戻りであってはならない。今回のことを決して忘れない。これから娘と、ずーっとたっぷりと、楽しい時間を共有していけるんだ。なけなしの愛情でも、いっぱいいっぱい積み重ねていくんだ。今後とも、どうぞよろしくね。かあさんが変わっていく姿をそばで見ていてね。
Jan 20, 2008
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当日は、ちょっと赤いかな程度だった右目の周りが日がたつにつれてスジのような線や黒っぽいあざのようなものが見られてきた。受診や買い物で家にいなかった時間も多く、比較的天気のいい日が続いていたので色素沈着、紫外線、という面が心配になってきた。やけどでダメージを受けた皮膚に紫外線があたって跡を残すということはあるんだろうか。目の周りというのは、上下まぶたの、目から5ミリくらいの周囲、もっと近い部分は変わりないのだから、やはりお湯がかかってしまったことによるものか。目頭の直径1センチ程度の部分に黒いしみのようなもの、また、目じりから耳にかかけて広く赤くなっている。もしこの部分に熱湯があたってしまったのなら眼球のことも心配になる。なにせ肝心の右側には、水をかけて冷やしていないのだから。直後はそれほどでもなく後日どんどん赤くなっている、という不気味さがすごく気になる。何故なんだろう。何が起こっているんだろう。赤くなっただけなら、表情筋には関係してないと考えられるそうだが自然に治るものであったとしても、念のため一度専門科に診てもらおうと思う。神経質すぎますよ、と一笑されるくらいでいい。そうであってほしい。
Jan 20, 2008
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今回、よかれと思ってやったことが、実は傷をさらに悪化させる結果にしてしまった。本当に、恐ろしいことだと思う。一般論として、やけどの時はとにかく流水で冷やし続ける。それは知っていた。しかし、それは概ね手や足などに多くあてはまり顔や体幹では必ずしも長時間の流水をあてることが絶対的に選択すべきこととは限らない。特に小さい子や高齢者は、数分流水で冷やしたらそれでやめるべきで必要以上に冷やすことは、実は全身状態に関わるトラブルを引き起こすこともあるらしい。娘も10分くらい水をかけられて、低体温状態になってしまった。そんなの知らなかったでは済まされない。もし重篤なショック症状があらわれていたら…!手元にある子どもの病気の本を開いてみた。応急手当についてはたったの10ページ、やけどの項目では「水道水で20分以上冷やす」ママに抱っこされたあかちゃんが流水で手を冷やしている写真に添えられている一文。「やけどをしたときには、とにかく水道の水を出しっぱなしにして20分以上冷やします」から始まる30字程度の説明文。わたしはどんな場合にもそれが必要なのだと解釈してしまった。娘の震えがひどくなっているのを見ても、シャワーをあて続けたこと自体は間違ってなかったと思ったしまだまだ足りなかったはずだとさえ思っていた。しかし、それは正確には正しい処置ではなかった。少なくとも、かけている最中に、震えが来たり、変化がみられた場合には即やめるべきだったのではと思う。さらに「下着や靴下が皮膚に張り付いていることがあるので、脱がさずに20分以上シャワーで水をかけます」下着や靴下が張り付くほどのやけど…熱湯などではなくカレーとか油とか温度の高い液体の場合だろうか、下着と書いてある以上、体幹であっても、真冬であっても、20分以上かけるのが原則…?「赤くなったところは消毒をして、乾燥させます」娘の熱傷は水泡をつくった2度のものだったので、まったくこれはあてはまらない。創部を洗浄したのちは、けっして乾燥させてはいけない。それは最初の病院でも言われたし、転院した先のドクターにも言われた。赤くなるだけの1度熱傷の場合、あてはまるということなのだろうか。わたしは専門家ではないし、熱傷についての文献調査はこれからしようと思っているが、まだまったくしてないので、どうこうと詳しくは書くことはできないが、これらは本当に正しいのだろうか。何が言いたいのかというと、応急処置、それも同じ怪我でも軽いものから重いものまで、状態にあった処置法がまったく異なることがあるのではないかということ、中途半端な知識で取り掛かると、思いもよらず裏目に出てしまうこともあるということ、私の場合、まさにそれだったので、耳知識の怖さと、状況はさまざまなのに、あまりに一般論的に書かれている応急処置のページに怖いなあと思ったのだった。でも紙面の関係もあり、詳細に書くには限度があるのは当然のこと。結論としては、文献の知識は参考程度にして、実際におきたその場ではやはりプロに即時にアドバイスを受けるべきということだろう。そんなの当たり前のこと、わざわざ強調するようなことではないが冷静な判断を欠いてしまう状況に置かれることもあるだろう、何よりそのことだけはしっかりできるようにしておいた方がいいと思った。繰り返しになるが、あくまで私の感想で、素人がどうこう言えることではない。ただ、今回のことを通して私はそう思った、ということだけ書き留めておく。
Jan 20, 2008
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ストレッチャーと椅子。3人の隊員さん。 やけどしちゃったんだねー、痛かったねー必要以上にのんびりした口調。いうまでもなくこれは鉄則。こちらを落ち着かせるためのもの。サチュレーションを足に装着。足を触るとものすごく冷たくなっている。 どんな状況だったのー?何こぼしたー?半泣き状態でわめきたてる。運転士さんが おかあさん、かかりつけの病院あるかなあー?支離滅裂な回答。 じゃ、名前と住所ねーとぎれとぎれに回答。 おかあさんさぁ、おちついて、おちついて、おこさん心配しちゃうよ、もうだいじょうぶだからー冷静にならなくちゃと思いつつ、早く、早く、病院に運んでよとそればかり思う。サチュレーションからの体温・脈が測れない。娘の震えが激しくなってきた。救急指定病院に電話をしている。話は保温のことになっている。アルミフィルムで体全体をくるむ。でも、やけどに対しては何もせず。冷やすとかしないの?どうして?何かしてよ!と思ったが今思うと低体温の方がよっぽど深刻だった。ほどなく眠ってしまう娘。 あー、34度までしか上がらんわー、脈もさー、触診しろって言ってもコレ無理無理、小さいしさあ何言ってんのこの人、ちゃんとやってよ!お門違いな不満がわいてくる。でもそれは事情を知らない人間だから思ってしまうこと。今まで関係者として救急車に乗ったことは一度もなかったからイメージだけで、救急車さえきてくれればあらゆる処置を完璧におこなってくれて劇的に改善された状態でERに運んでくれると思っていた。心マで蘇生するイメージなんだろうか。でも救急車は、あくまで確実にERに搬送するための輸送と連絡がメインの仕事なのだ。「流水で数分冷やした」と言ったら、少なくとも第一段階の処置は済んでいると判断されるだろう。水泡ができているのに、何かをあてたりしたら、水泡をつぶしてしまい感染の危険やら、さらに悪化させてしまったかもしれない。でもせめてどこを負傷しているかよく見て欲しかったとは思う。いや、私がパニクっていた間に、しっかり見てはくれていたはずだ。その上での「傷には何もしない」という判断だったのだろう。そして、いい加減にも思えたバイタルの測定不能のことについても、裏を返せばそれほど全身状態が深刻な状況ではなかったからだろう。 あー、2度ね2度、あっ、出た出た、118の96ね記録と連絡担当の隊員と会話していた。2度というのは熱傷の深度。数字は血圧か。その中でも浅いものと深いものがあるが、その場ではそこまでの視診。 あの、跡は残りますか一番気になることを聞く。搬送中、何度か聞く。 んー、まあそんな深くはないようだからねえと言われても、ああ気落ちさせないために言ってくれてるんだろうなあ、こんなに取り乱してるからなあほんとのところはどうなんだろうなあと叫びたい気持ちになる。今思えば、やはり状況的に重篤とは言えない状態だったわけで(意識清明、バイタル安定、低体温が一番危険要因だったのだが)その視診は間違っていなかったはずだと思う。絶対にそう思う。 まあ、ね、せんせいにみてもらおう?、ねなだめるように言われ、それでもさらに知人にケロイドの跡が、背中や首や足に残っている人が何人かいるとか訴える。あの時点で他にできることはなかったはずだ。厄介な患者関係者だったろう。隊員さん、いままでどんなに大変な状況の方々を搬送して来られたことだろう。ほどなく病院が決まり、発車した。途中、踏み切りで停車したが、スムーズに10分ほどで大きな病院に到着した。 おかあさん、荷物は持つからお子さん抱っこして降りて、あわてないで救急車を誘導されていた警備の方とERスタッフが見えてマスクをした若い女性のドクター?が駆け寄ってきた。 担当の○○です、お名前を確認させてくださいはい、と言って少し経って、あ、今ここで名前を言えということか、と思い、言ってる途中処置室の前にいたナースが ○○ちゃん、奥のほうにどうぞ誘導されて診察ベッドに座らせる。ここでやっと顎の部分に黒い大きな水疱があるのに気が付く。え…?ここ冷やしてない…何という間違いをしてしまったんだ。 あの、跡、残りませんかまた聞く。本当に、今考えると命に別状があったらそれどころではなかったはずだ。そんなことばかり心配して、加害者の張本人が! 今の時点ではなんとも言えません、上の者とも相談して処置をしていきますから室外に出るように言われ、事務の方に住所氏名の記録と保険証提示などをして長い長い処置の時間を、廊下の長いすで待った。
Jan 20, 2008
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事を起こしてしまい、瞬間、私はわけのわからない言葉を叫びながら娘を風呂場に連れて行って、肩からシャワーで水をかけた。このとき、被傷部位の確認をしていない。2分もたったあとだろうか、119をよばなくちゃと思いなぜかヒモ電話から架電。このとき携帯でしていれば、状況はかわっていたかもしれない。なぜなら動転してやみくもにまったく関係のないところを冷やしていたのだから。交換台のかたに「どうしたらいいですか」とひとこと言えればアドバイスに従い確実に冷やすことができたはずだ。プロに聞きながらやっているんだからと冷静になれてもっと的確な処置ができたのかもしれない。 119です、火事ですか救急ですか あの…!こどもが熱湯をかぶってしまいまして…!必要以上に大声で叫んでいた。 救急車向かわせます 住所を言ってください ええと、… … … では冷やしていてくださいねここで電話を切ってしまった。昔テレビで、救急車が来るまでの時間に交換士さんのアドバイスに従って心肺停止の急病人を蘇生することに成功したり指示によりいい結果を導き出せた方の番組を見たことがある。よく知らないのでいい加減なことは言えないが交換士さんは入電した回線を切らなくても要請署に連絡ができるのではないか。あるいは他の職員にかわるとか電話が切られなければずっと救急車は来ない、ということはないのではないか。そのへんはどうなんだろう。一度切って、もう一度かけなおす事だってアリではないのか。とにかく緊急時は自己判断や一人ですべてやってしまおうなどと思わずできるだけプロの手にたどりつけるよう連絡を付け、助けてもらうべきだと思う。でももちろん、環境的にそれがかなわず何とか一人で対応しなくてはいけないこともあるだろう。今回の場合に限っては個人的には人の手(アドバイス)を求め頼るべきだった、という感想を持った。長い数分間が過ぎ、娘が震えだした。バスタオルにくるみ、保険証やオムツや着替えを持って外に出るとちょうど救急隊の方がこちらに向かって来ていた。「おかあさん、あわてないで」走るのをやめて歩いて救急車に向かい、乗り込んだ。
Jan 20, 2008
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予約した時間の10分前にクリニックに到着しナースの方々に案内され処置室へ行きしばしセルフケアのことや娘をあやしたり褒めて下さったりののち創部が露出されたところにドクター入室。ボソッとドクターがつぶやいた。「ふーん、もう上皮組織が出てきているねえ」一瞬息が詰まり、ふーっとため息するのがやっと。転医が間違ってなかったと思っていいですか。こんな言い方はすごく失礼だけど、この治療法を完全に納得できていたわけではなかった。創部をまったく消毒しないなんて。でも、治療1日目で効果が現され、また一歩、完治へ前進した!化膿の危険を引き起こすケアをしないよう、詳しく注意を受け「心配だろうから月曜も来るかい?」と言われる。前の病院では、初回終えて次回は1週間後に再診と言われた。ガーゼがベッタリ張り付いて、きちんと剥がせるだろうか心配になって電話した時も受診時の説明を繰り返すだけだった。この、肉が露出した状態のケアを自分達だけでするなんてほんとうにできるんだろうかと怖かった。でも今回、絶対、がんばれる。絶対に治る。そう思えた。一人で向き合うわけではなくなったんだ。そう思った。でもまだ始まったばかり、直近の目標は上皮がきっちりできて傷が乾くこと。気を引き締めて行こうと思う。
Jan 19, 2008
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貼るとき剥がすとき、痛がらない。それだけでも治療法変更に踏み切ったかいがあったと思う。もうあの叫び声は聞きたくない。1分だって聞きたくない。我が子の惨事にサルだってはらわたが絶たれたのになぜ私の腸はずたずたにならないんだろう。せいぜい震えるだけ。こんなにこんなに悶絶しているというのにそれだけ自分の中にある愛情が相当少ないということが暴露されたんだ…きっとそうだ。大好きだった入浴を怖がる娘、大きな大きな範囲にわたって、皮膚を剥がすようにガーゼを取らなくてはいけなかった激痛、私は堪えられなくなって、ほんの数ミリ剥がしたところで夫にその行為をかわってもらったせいであんなに好きだった父親との入浴のひとときを、泣き叫びながら全力で拒絶するようになった。この心の痛みは癒えるんだろうか。夫にもごめん。
Jan 19, 2008
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励まして下さった方々、友人・医療関係者の方々・コメント下さったママ方々、ほんとうにありがとうございます、すみません。あれやこれやと頭で考えが巡って、泣き呻きながら震えながら早朝まで眠れない夜を過ごし「わたしも子どもにやけどをさせたことがあるよ、あまり思い詰めないで」「子どもって、そうやって大きくなって行くもんだよ、親もね」という言葉も思い出しどんなにか思いやってくれてありがとうと繰り返しつつも「違うんです、私の場合あきらかに根底にこのまま育児をして行ったら大変なことになっていた、という程の大きな何かが膨らんでいたんです」うやむやにしてはいけない。徹底的に洗い出す必要がある。今回、自分がやってしまった数々の間違いや恐ろしい思い違い、大元にある慢心、育児ってことへの適当さ、子どもへの普段の態度の中に、虐待にも数えられるような言動はなかったかなどつぶさに思い出し記録し記憶しておかなくてはいけない。あのとき、夫への携帯が、なぜか珍しく繋がらず、何度目かの留守電に私の叫び声と子どもの泣き声が残った留守電、消して欲しいと言わなければ良かった。取っておいてもらえばよかった。どれだけ経っても風化させてはいけない。あくまでも私の場合に限っては。早く笑い話になんてさせてはいけない。ぶちまけてしまった急須に入っていたお茶が染み込んで洗っても色が落ちない娘のTシャツや部屋着エンギでもないから早く捨ててしまおうと一瞬考えたがいつまでも取っておく事にする。いずれ子どもに、昔こんなことがあったんだよと、深刻にならずに話す時が来てもその時のこと治癒までの日々、感情の動きなど、できるだけリアルに忘れないでいる。「育児ってそういうもんだよね」と自分が結論付けてしまう以上に親をやっている事実を通して自分の心(魂)の深い部分に関係する何かを人生の命題に絡む何かを今回のことを通しても我が物にして、直視していかなくてはならない。
Jan 19, 2008
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病院帰りにショッピングセンターに行き、傷に負担のない前開きの下着や、包帯めかくし?のかわいい帽子やら必要なものを買い物した。今日はやたら子どもが多い。いや、目に付いてしまう。娘と同じくらいの子、年上の特に女の子、ベビーカーに乗ったあかちゃん、みんなやたらかわいい。この世に生まれてきてくれてありがとう、ここまで育ってくれてありがとう、見ず知らずの子にも言いたくなる衝動があった。どうかやけどなどに遭わずに大きくなってね、と、どの子にも思う。そして、保護者の方には「あなたは少なくとも私より幾倍も育児上手でエライんですからね、悩むことがあっても元気にがんばってくださいね」と余計なお世話の励ましを心に念じる。実際、もしかしたら過去、過失を起こしてしまったことがあるパパママもいたかもしれないがそんなのまったく関係ないよ、ああ、でもそんなにお子さんをどなりつけないで、邪険にしないで、憎憎しげに言葉を投げつけないで、何かがあってから、これまでの、子どもへの向き合い方を反省し悔やむことがあるとしたら親として本当に辛いし、あってはならないことだし、やはり遠回りだし、そして、何より子どもが今までどれだけ傷ついていたかと振り返るのは、あまりに遅い。今の私のように。それでも、子どもたち。みんな、どの子も、パパママ周りの大人たちから目に見えるところ、見えないところ、さまざまな守りを受けて大きくなっていくんだからね。親の心、子知らず。でもそれで本望なんだろうな、親たちは。うちの場合は絶対に「親はなくても(ないほうが?)子は育つ」だからなおさら当たり前のように当たり前の保護、さまざまなあたたかい保護の手をもらいながら元気に大きくなっていってほしい。うちの子もよその子も。
Jan 19, 2008
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2歳前後から、いっぱいことばがでてきたむすめ、どこかでいちど聞いただけなのではということばも多々。問いかけに、意味の通った返事もできるようになってきた。今日はクリニックで「最後の」ガーゼはがし、泣く、泣く、泣く…待合室に戻るなり気絶するように眠ってしまった。帰りの道で、「ごめんね、かか(私)が悪いんだよ、痛かったね偉かったね」などとくどくど言うと「かか悪くない、もういた(く)ない」え、そんなお返事いつのまにできるようになったの?いくらあやまり続けても、逆に気を使わせるだけだ、でも言わずにいられないので言ってしまう。「いたいときはねぇー、いたいって言ってねぇー」と言うと「いたない、いたない、もういたーくなーいぉー」はじめて、こちらの言ったことを自分なりに打ち消すという意味の言葉を話した。反対になる言葉はどうやって構成されているか「悪い」「悪くない」、「いたい」「いたくない」初めて覚えた「ない」を付けて作る言葉は、母親を気遣う言葉だった。でもそんな優しい心の子を傷つけてしまった。最高限度の激痛を、わたしだって1回でも耐えられるか分からないほどの苦痛を何度も与えるような味わわせるような傷を負わせてしまった。避けられたのに。100%回避できたのに。最悪な処置で、そんなことをしたせいで、何もしなかった時より多くの深い傷を増やしてしまった。こんなにちっちゃな体でどれだけの苦しみを引き受けたのか。肉がむき出しになった傷、直視するのが怖いとさえ思っている私。けして目をそらしてはいけない。せめてもの誠意なはずだ。すべすべの軟らかい肌に乱暴な形の傷跡、広い赤い深い傷跡。それらが発する言を通して、自分は何をしてしまったのか思い知らなければいけない。じっくりと時間をかけて心の奥に刻まなければならない。ちょうど生傷をゆっくり切り裂くように。
Jan 18, 2008
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娘の熱傷の回復記として、とりとめなく書き溜めていくつもりです。その中でたまたま目に留めて開いて読んでくださる方って、どんな方なんだろう。貧困な想像力を駆使して雑駁な分類。1・自分も親なのでなんとなく開けてしまい、状況が想像できたので読んでしまった2・この最悪の親には腹が立つが、かわいそうな負傷児のその後が気になる3・興味本位4・自分自身もあやまって怪我をさせてしまったことがあるので1の方々、お子さんには気をつけてあげてください、今後も引き続き是非。 この記録をたたき台や反面教師としてくだされば幸いです。2の方々、腹立たしいのはもっともですが、どうか今は堪えていただけますよう… ちょっと対応できそうにないので。完治した際には是非コメントください。お願いします。3の方々、ROM歓迎します。今後、何かの折にふっと思い出してもらえれば。 創傷面の画像も今後撮影を検討し、UPしようかとも思っています。 完治した折りには浸潤療法の宣伝もしたい気持ちがありますので、実例として公開したいです。4の方々、私が自分を責める独白を書いてしまってますが、その中で 万一にも自分になぞらえて傷つくようなことがありませんよう… (ありえないかな?考えすぎかな?) 自分で言うのもアレですが、おもいっきり暗いしけっこうくどいと思いますので そうなりそうな場合、先は読まないで下さい。あくまで自分の内面への語りかけをしています。と想像してみたのは、特に4の方々のことが頭に浮かんだからです。早いうちにエクスキューズをしておきたいと思ったのでした。まったくの取り越し苦労だといいのですが、一人でもそんな思いをする方がおられたら心底辛いです。でも。備忘録を読んでくださって、過去にお子さんに負傷させてしまったかたからの励ましメッセージさえいただいたくらいなのに人の感情をネガティブに考えすぎてるのかなあ。こんなふうに加害妄想すること自体が普通の精神状態じゃないことを現すか。まだまだテンパッてるもので、いろんな感情にあって必要以上に感情が増幅してしまっています。一種の躁鬱状態なのでしょうか。
Jan 18, 2008
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浸潤療法。ソフラチュール以外の処置法がないかPCで調べていたところ夏井先生のHP「新しい創傷治療」に出会う。被覆材(家庭用ラップを含む)で傷口を覆い、消毒・油由来などの軟膏・ガーゼ等をまったく使用しないで自然治癒力再生力を最大限に活用させ皮膚を回復させるというもの。確かちょっと昔、テレビでやっていて話題になった記憶がある。でも、本当に熱傷に適応した方法なのかどうか。特に2歳の幼児にも十分に合った方法なのか。皮膚再生の細胞増殖によしとされているが感染症さえ引き起こすさまざまな菌も増殖する可能性のある創傷面など実は想像もしたくなかった。でも…ガーゼを剥がすときの激痛、泣き叫び声、娘の何の罪の対する罰だというのかもう絶対二度と聞きたくなくて自己中心な弱い弱い心のままに藁をもすがる思いで検索した結果見つけた治療法だった。その治療法を実践している医療機関が紹介されており自宅から一番近いクリニックのHPを見たところ内容に納得できたのでさっそく翌日かかろうと思い立つ。夫には事後報告になってしまった。相談したら絶対疑問をもつだろう、でも行くなと言われても行くだろうという気持ちと、受診の初回は経緯を説明して、適応の相談だけできればと思っていたから。でも、いざみてもらうと、あれよあれよと話は進み試す価値はあるかもしれないと思うことができた上で、主治医変更のはこびになった。ちなみに今までかかってた病院への連絡は無し、これはルール違反だろうかとちらっと思ったが予約した来週木曜日までにその辺は考えることにした。早朝、最寄り駅から、本日診療しているか問い合わせTELをすると症状をざっと問診されたのち、予約制をとっていると言われ11時台に空きを見ながらの初診になるとのこと。電車を乗り継いで小一時間、下車後、道に迷いながらクリニック到着待合室で何人かのお年寄りが、娘に向かって顔をゆがめながらその包帯どうしたのかな?と無邪気に問いかけていたが聞こえてるはずの私は曖昧な返事しかできない。もし誰かに聞かれるようなことがあったら、自分の反省を増すためにも言ってしまおうとさえ思っていたくらいなのに声が出てこない。11時半、呼ばれる。ドクターは第一印象がイワキコウイチ似の浅黒く40過ぎという感じの男性で、小学生の子がいるらしい。外科医のイメージピッタリ、無骨なぶっきらぼうにさえ思える受け答えがメインだったがお子さんのことなどプライベートもさりげなく織り交ぜ爽やかな思いやりの言葉が際立つ職人医師という感じ。私の、何度も同じ質問&チマチマと的外れな質問に丁寧に答えてくださったあと創傷の洗浄。昨日以上の激痛、叫び、泣き声が最大限に響く。ナースがもう一人呼ばれ、押さえつけられながら処置が進む。ひたすら固まる私。体は細かく振るえ硬直し、一点を見つめて感情を耐えた。一般的な処置なのだから、普通は母親などが手を押さえるなどするものかもしれない。完全にパニクっていた。処置後、セルフケアの方法を説明していただき、翌日の予約をさせていただき待合室へ。不自然に視線をはずす満員の患者の方々。ショックを逃すためなのか、急に寝息を立てはじめる娘。ほどなくナースから詳しい説明があり、聞き漏らさないようにしつつこまごまくどくどと質問。このひとときが最高に安心と慰めをいただけた時間だった。駅で夫に連絡、転院に驚いていたがそこそこ冷静なお返事。そーいや駅まで行くバスに乗る前に、携帯の電源が切れそうになり近くの方にボールペンを借していただき携帯に記録していたクリニックの電話番号を書き留めていてよかった。電話問い合わせができなかったらたどりつけていたかどうか。初診が予約制とは知らなかったので、予約もできなかったはずだ。携帯の電源は既に切れていたので夫にも公衆電話から通話した。急展開した一日。もうこうなったら新しい治療法に賭けてみるしかないと思いつつもスタンダードなものに戻った方が、ほんとうは無難なんじゃないかとちらっと思っていた。明日の診察に期待する。うまくいっていてほしい。
Jan 18, 2008
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-備忘録-18時過ぎ 夕飯の支度時にキッチンに用意していた急須に手を入れひっくりかえしやけどをさせてしまった服を脱がせ(ほんとうは脱がせてはいけない)流水をかけ(体幹の場合は数分程度でかけるのをやめたほうがいい場合も多い)18時17分 11918時25分頃 救急車収容、流水をかけたせいで低体温と震え18時40分頃 搬送18時50分頃 ER到着熱傷2度、首とあごと胸に全体表の1%程負傷、水泡あり、意識清明、創部洗浄19時30分頃 帰宅翌日同病院形成外科受診あごの皮膚、デブリードマン後、肉芽露出、右側直径5cm大の円形胸の皮膚、右側水泡2箇所と乱雑な形の創傷が7センチ四方大にわたり負傷首の皮膚、首の後ろから右手前方に線状に5ミリから1センチ幅で2~4センチ程の長さで3箇所創部セルフケアの仕方を指導される投薬 ソフラチュール(抗生剤入りガーゼ)・ジアミトール(消毒薬)医療材料購入 包帯、ガーゼ、ピンセット、弱酸性石鹸ビオレ、泡立てネット、サージカルテープ夜、シャワー傷に直接あてているソフラチュールとガーゼを剥がす際、激痛で泣き続ける皮もはがれるシャワーをかけながら剥がすようにと指導されたが、それでは何も改善されないように思え再度問い合わせることにガーゼの当て方や包交の方法と時期を確認しようと思うまた病院にて処置してもらうわけにはいかないか打診
Jan 17, 2008
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一瞬のできごと、急須のお湯をひっくりかえし娘2歳やけど…確実に跡が残らないのと引き換えにしてやるから、オマエ死ねやとだれか言ってくれないかなと思った。でもこの子が幸せになるのを、少しでも支えられる余地があるかぎりは生きていなければならないんだろうなと思った。やけどの跡は一生残る、子どもが生まれてからやけどだけはと声を荒げて叱ってきたが肝心の時にまったく保護できてない母親失格。どころの話ではない。なんて言って、浸ってんな。泣く余地をもらえる立場じゃない。ぐるぐる巻かれた包帯以外はいつもと変わらない娘。日々のケアが待っている。泣いて逃げてはいけない。死んで逃げてはいけない。
Jan 17, 2008
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