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昨日のブログで広島県海田町で行われた大会で優勝をしたことを紹介しましたが、2回に分けてその様子を紹介します。 1回戦は昔から交流の深い高松の事務所。今年は例の台風12号のために予定していた交流試合や合同練習ができずとても残念だったのですが、いつも対戦することを楽しみにしているんです。 大阪の事務所の先発はA13君、キャッチャーはU10君の昨年の優勝バッテリー。1回表にいきなり高松の先頭TN21さんにライトへ三塁打を打たれてピンチを迎えます。その後四球を出すも何とか二死までこぎつけたものの、やや難しい当たりのピッチャーゴロをA13君がはじいてしまって、嫌な形で先制点を取られてしまいました。 高松の先発はいつもはキャッチャーをされているY2さんで、去年の交流試合の時にもピッチャーをされていましたが、やや変則的なモーションと速いテンポで投げていました。 早く追いつきたい大阪は先頭のO3君は四球で出塁してすかさず盗塁。一死後U10君が死球で出塁、相手バッテリーのミスもあってそれぞれランナーが進んだところで4番のY1君がタイムリーヒットですぐさま同点に追いつきました。 2回裏にも私とT26君が連続して振り逃げで出塁し、相手守備陣のミスをついて逆転に成功して4-1となりました。 A13君はテンポ良く投げ込んでいましたが、4回表にT7さんにタイムリーを打たれて4-2となりますが、その裏に四球で出塁したTD21君をU10君がタイムリーを放って、5-2と追加点をあげました。 しかし5回表にこの試合最大のピンチが。一死後M17さん、K20さんと連続ヒットがでて何とか二死までこぎつけたものの、M22さんに2点タイムリーを打たれて5-4。なおもI8さんの放った打球がサードの私のグラブをはじいて5-5の同点、さらにはディレードスチールを決められて6-5と逆転されてしまいました。 以前の大阪なら終盤にこんなまずいプレーの連続だったら意気消沈、となるところでしたが、ここから踏ん張れるのが少しチーム力が上がったのかも知れません。すなわち、6回裏にTD21君が死球で出塁したのをU10君がこの試合二本目の左中間へのタイムリーで同点、続くYS1君も左中間にタイムリーを放ち、3番と4番で再逆転に成功しました。 最終回に二死から打撃好調のY2さんに左中間へ三塁打を打たれるも、超ベテランのS1さんが打ったセンターへ抜けそうな当たりを、セカンドのO3君がよく追いついてファーストで刺して7-6で勝利しました。 手に汗握るというか、守っていてもドキドキする展開でしたが、監督のT8さん曰く「この高松との試合がこの大会のポイント」と言っていたので、勝てて良かったと思いました。 さて、私の成績はというと、打つ方は振り逃げと四球で出塁した際にすかさず盗塁を決めました。普段は鈍足で足も痛めている私ですが、そんなことお構いなしに監督からは盗塁のサインがでていました・・・。 守る方では前出のとおりエラーがあって、「守備の人」を自認しているのに何とも情けない話です・・・。 〔この試合の成績〕 1打席目 振り逃げ(+盗塁) 2打席目 ピッチャーゴロ 3打席目 四球(+盗塁) 4打席目 サードゴロ
2011年10月31日
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私の職場の野球部では毎年広島と高松の3つの職場対抗の軟式野球の試合を行っていることはこのブログでも取り上げたことがありますが、今年は10月29日に広島県海田町の海田総合運動公園野球場で行われました。 試合の展開は後日紹介したいと思いますが、なんと私の職場は昨年に引き続き優勝して2連覇となりました。大阪の職場が2連覇を果たすのは1976年と1977年に連覇して以来ということになります。 私は例によって車で行っていたので、試合後の懇親会では一切アルコールを取ることができず、また数人のメンバーを大阪まで乗せて帰りましたので自宅のある奈良へ戻ってきたのは今日の朝4時前でした・・・。 この日は朝早くから起きて準備していたし、前日はメンバーと飲みに行ってあまりぐっすりと寝ていない状況で、しかも2試合フル出場(元々のポジションであるサードでした)だったので怪我や事故しなくてよかったです。 ところで、この球場名の筆者は現役時代は東映フライヤーズと広島東洋カープで活躍し、現役引退後は広島東洋カープで「鬼軍曹」といわれた元ヘッドコーチの大下剛史さんだそうです。 表紙の写真は、広島と高松の試合の様子で、投げているのは高松のチームのM14さんです。私のチームの写真は集合写真があるのですが、マネージャーのカメラで撮ってもらったので手元にはありません。この写真は私どものチームが昼食の際に対戦が行われていた試合を撮影したものです。
2011年10月30日
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大学"BIG3"の一人は最速157キロ右腕は「原監督のおい」という枕詞抜きでも、実力は今ドラフト筆頭格。本来なら競合必至の選手だが、昨年の沢村(中大)に続いて、相思相愛の巨人が一本釣りすると思われたが、日本ハムが"強奪"した形となった。 直球は常時140キロ後半をマークし、勝負どころでは150キロ超を連発することもできる。スピードだけではなく、空振りを取れる制球力も素晴らしい。外角低めにきっちり決めるコントロールは秀逸で、うなりをあげるカットボール、切れ味鋭いスライダーだけでなく、110キロ前後でタイミングをずらすカーブも武器の1つ。フィールディングも上々で、プロ入り前から"出来上がっている"投手と言っても差し支えない。 東海大相模高時代は甲子園に縁がなく、球速も目をみはるほどではなかった。大学でウエートトレーニングを積み重ね、体重を増やすと球速も20キロ近くアップ。3年生の時点で来年のドラ1という評価を得た。今秋は首都大学リーグ新記録の通算14完封を樹立。4年間でリーグ戦で37勝4敗、防御率0・57を記録。 おじも80年のドラフトで4球団が競合するほどの目玉選手で、それに違わぬ現役生活を送った。菅野は偉大なおじを超えられるか。「原監督って、菅野のおじさんなんだって」と野球ファンに言ってもらうのが、22歳の右腕投手の夢である。 ▼日本ハム1位・菅野投手(東海大)巨人への特別な思いはもちろんあった。夢が現実になる日を思い描いていたが、何と言っていいか分からない。日本ハムはすごくいい投手がいる。(交渉するかどうか)まだ考えていない。【スポニチアネックスから引用】 今年もプロ野球のドラフトの時期がきましたね。どのチームも不足している戦力を補強するための新戦力を求めているわけですが、かつては江川事件や荒川事件などいろんなことがありましたし、私と同い年の清原や桑田の時にも一騒動がありました。そのようなことから、「ドラフトは職業選択の自由に違反しているのではないか」「選手が希望しているところに行かすべきだ」等々意見をいうヤツがでてきます。そのために、少し前には逆指名とか自由獲得枠といった変な制度もありました。 これもそれも、全てどっかの自称「球界の盟主」とかいうナベツネだかバカツネだか知らないけど、そいつがオーナーをやっているチームのごり押しで始まったり、事件や騒動の中心だったわけです。 そして、今年ももしかしたらそのようになるかもしれなかったようですね。巨人・原監督の甥っ子の菅野投手を早くから囲い込んで実質ドラフト指名できないような雰囲気を作っていたのですがドラフトですからね、そんなの関係ないわけで日本ハムが抽選の結果、交渉権獲得となりました。なにしろ抽選ですからね、外れるおそれもあったわけですが、恐るべしくじ運の持ち主です。 それにしても、ドラフトという制度でどこにもルールを逸脱しているわけでもないのに、このスポニチの記事には「日本ハムが強奪!」って失礼じゃないですか? 日本ハムの選手編成を考えた場合に不足しているのが即戦力の投手である、そう考えた結果が菅の投手を指名しようということだったんでしょ。決して巨人に嫌がらせをしているわけじゃない。 また、職業選択の自由なんていうけど、プロ野球という大きな組織の中に入るわけだし、プロ野球への志願届けも出しているわけでしょ。特定の球団に志願届けを出しているわけではないんだから。 菅野投手にしてみたら、意中の球団ではなかったので複雑な気持ちだろうと思いますが、そんなに世の中思い通りに行くわけじゃないのです。もちろん自分の人生だから、拒否して浪人するなり、社会人へ行くなりすればいいと思いますよ。ただ、浪人や社会人に行って再び高評価でドラフトされるかどうかわかりませんし、怪我するかもしれない。それなら、今ではFAという制度もあるんだから、しっかりと実績を積んで権利行使するほうがいいと思いますけどね。 その他の球団は、なかなかいい補強ができたようですね。阪神なんかは意気のよさそうな伊藤選手を獲得したそうですから、口の悪い人が言う「レフトラッキーゾーン」「動かしてはいけない祠」なんて揶揄される人に引導を渡せるのではないですかねぇ。また、広島も即戦力の野村投手を獲得できましたから、少しでも投手力があがったらいいですね。 チームの新戦力が決まる影で、今後さらに戦力外になる選手もいるわけです。それはかつてのドラフト上位の選手といえども例外ではないという、とても厳しい世界なんですね。
2011年10月27日
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下の子どもががんばっているスイミング、今日、テストに合格して5級になったとのこと。去年から始めたスイミングですが、1年でクロール、背泳ぎ、平泳ぎが完璧にできており、バタフライの足もできたとのことで、かなり太い体形だけどよくがんばっています。下の子どもよりも早くスイミングを始めていたお友だちについに追いついてしまいました。 ここから先はなかなか昇級するのは大変だそうですけど、ここまできたらバタフライも完璧に泳げるようになってほしいです。 でも、なかなか痩せないんですよね・・・。 まぁ、5級になったということはスイミングの「上級クラス」になるそうですから、これまで以上に泳ぐことになるようなので、もう少し痩せてくれるかな・・・。
2011年10月26日
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先日、名古屋へ行った翌日は休みをいただいて、中部国際空港へ行ってきました。5年前にも行っていますが、航空ファンではないもののなかなかよその空港へ行くことはありませんからね。 離発着の状況や駐機場にある航空機をみていましたが、如何せん航空機の機種名がわかりません・・・。日本航空が現在のデザインから昔の「鶴まる」にもどるらしいですから、その前に現行のデザインを収められたのはよかったかなぁ。↑ あまりの空のきれいさにパチリ この日は何人かの航空ファンらしき人もいましたが、何か珍しい航空機が来たんですかねぇ。そういうこともわかりませんでした・・・。ただ、天気がとてもよくて空も雲一つ無い快晴でした。↑ スカイデッキです。とても長い~ そういえば、これらの写真はスカイデッキとよばれるところから撮影しましたが、そこを警備する警備員さんは「セグウェイ」に乗ってパトロールされていました。セグウェイの実物を見たのは実は初めてだったのですが、乗っているところを写真で撮るのはまずいかなということで、こんな写真になってしまいました・・・。↑ セグウェイです。初めてみました ところで、仕事などで関西国際空港や神戸空港、大阪空港にも行ったことがありますが、個人的に好きなのはこぢんまりとしている神戸空港かな。その分、物販のスペースも少ないけど。関空は未だに把握しきれないし、大阪空港もなかなかわかりづらい。中部空港は新しい分そういうところができているように感じました。とはいっても、ここを利用することは全くないんだけど。 まぁ、飛行機を利用することなんて滅多にないから、空港の様子をなかなか覚えられないということもあるんですけどね。↑ 離陸した直後の全日空機
2011年10月25日
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長かったペナントレースがそろそろ終わり、セパともCSシリーズに突入しようとしています。CSシリーズに出場できなかったチームにあっては、来期に向けてチームの建て直しのための動きがでてきていますけど、その動きはよく分からないものがありますね。〔横浜ベイスターズの親会社がTBSからDeNAへ・・・〕 このブログでもふれましたが、ついにTBSがベイスターズから手を引くとのこと。ホント、このやる気のない親会社はとっとと手放せばよかったのにねぇ。 でも、その譲渡先がモバゲーを運営するDeNAとはねぇ。急成長してきたゲーム運営会社がプロ野球球団を持てるくらい余裕があるのかどうかわかりませんけど、長らく球団を持ってくれるのかどうか私は怪しいなぁって感じています。 また、球団名は「横浜モバゲー・ベイスターズ」だそうです。ははは、それはちょっとどうなんやろうね・・・。親会社が変わるわけだし、別に横浜にこだわる必要はないと思うんですけどね。思い切って横浜以外のところに移ってもいいんじゃないかってね。一説には、DeNAの創業者が新潟出身ということで、新潟への移転も考えているとか。新潟にはサッカーのチームもあるし、どのくらい浸透してくれるかどうかわかりませんけどね。 それにしても、私が子どもの頃からファンだった大洋ホエールズは川崎~横浜と移転してきて(川崎の前は下関だったんですけど)、親会社も大洋漁業からやる気のないTBSに代わり、今度はゲーム運営会社ですか・・・。なんだかなぁ~〔阪神タイガースの監督問題・・・〕 関西では阪神タイガースのあの虎のマークが入っていないとスポーツ誌が売れないと言われていますが、今年のシーズンオフは特にゴタゴタとしそうです。成績不振(というより監督の采配ミス?)により真弓監督が解任されましたが、その後任が真弓監督と共に今年の阪神タイガースを支えていた打撃コーチの和田氏が昇格するとのこと。あれだけのいい選手をそろえながらもBクラスに終わった責任は首脳陣にもあるはずだと思いますが、和田氏もその一人ではないのかなってね・・・。そこはいいのかな? それとチームの功労者として長らく主軸として活躍していた金本選手をどうするのか、というところは避けて通れないと思うのですが、和田氏になっても今年と状況はあまり変わらないのではないのかなってね。すなわち、口の悪い人に言わせれば「レフトラッキーゾーン」「レフトの置物」「動かしてはいけない祠」などと散々言われているのですけど、今年はその守備もさることながらそれが影響したのか肝心の打撃も湿りがちでしたが、その結果がこのチーム成績につながっているのではないかと。 加えて、マートン選手がメジャー復帰を考えているとか鳥谷選手がFA移籍の資格があるとか、新監督としていきなり大きな問題を抱えるわけですが、彼らにしてみたら今年とあまり代わり映えのしない状況に愛想をつかさないか、ファンでなくても気になるところです。 昔から阪神タイガースの「お家騒動」はストーブリーグの風物詩ですが、今年はちょっときついかもしれませんね・・・。
2011年10月24日
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今日は久宝寺緑地で試合がありました。この試合は、クラブ野球選手権2011秋トーナメントの試合で大阪閃光さんというチームが相手でした。今日もキャッチャーでH12さんとバッテリーを組みました。 ちなみに、昨日は雨が降っていた関西地方、グラウンド状態はあまりよくなく、特にバッターボックスやキャッチャーのところはドロドロでした・・・。 試合はH12さんの立ち上がりになかなかストライクが入らない(審判の判定がちょっと厳しすぎ)ということもあって、初回に1点を失ってしまいました。相手投手はそんなに打ちにくいことはなかったんですけど、打線がうまくつながりませんでした。それでも、3回にM23さんのタイムリーで同点に追いつきましたが、終盤にエラーなどから1点を追加されて結局2-1で負けました。 私の成績はヒットは出ませんでした。今度の土曜日に職場の野球部で試合があるのですが、その前哨戦と思っていたんですけどね・・・。いい当たりはしていてもアウトになれば一緒ですからね。また、チームの事情で元々の守備位置であるサードではなかったから、当日はぶっつけ本番になってしまうけど、大丈夫かな・・・。【今日の成績】 1打席目 ショートゴロ 2打席目 ショートゴロ 3打席目 ライトフライ 42打数8安打9打点6三振15四死球 打率 .190
2011年10月23日
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先日、和歌山県海南市下津町(旧海草郡下津町)へ仕事で行きました。下津は私の親戚が住んでいるところでもあります。下津にはかつて丸善石油(現・コスモ石油)の石油精油工場があって、下津駅には貨車のタンク車が留置されていまして時折工場内へ入っていくのをみたことがあります。今では、コスモ石油ルブリカンツという会社が潤滑油を生産しているのですが、かつて石油精製事業があった頃と比べると街自体もさみしくなっているような・・・。 実は私は32年前の1979年の8月に下津に住む親戚の家に遊びに行ったことがあるんです。当時運転されていた紀勢本線直通の快速でこの下津へ来て、海で泳いだりして2泊しました。そして、やはり当時運転されていた客車列車で下津を後にしたのでした。 それ以来行く機会がなくて、今回32年ぶりに下津駅に降り立ちました。wikipediaによると1990年に現在の駅舎になっているようですが、当時の駅はどんなんだったか覚えていないのです・・・。駅構内もかつては貨車が留置されていた線路が撤去されていました。 駅周辺もすっかり寂しくなっていまして、32年前がどうだったか覚えていないのですけど、小さいながらもタクシー乗り場もあったと思うんですけどね。 写真の右側に詰所みたいなところがタクシーの詰所のようでした。
2011年10月22日
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国債や借入金、政府短期証券の残高を合計した「国の借金」の2011年度末の残高見込みが1000兆円を突破する見通しとなったことが21日、わかった。東日本大震災の復興財源を賄うため、11年度第3次補正予算案で復興債を11兆5500億円発行することなどが影響する。 国の借金は6月末時点で943兆8096億円と過去最大額に膨らんでいる。財務省は11年度末の残高を995兆9232億円(2次補正予算ベース)と見込んでいたが、3次補正編成に伴い一層の拡大が避けられない状況となった。【時事通信ネット版から引用】 確か民主党が政権詐取した選挙の時に、「埋蔵金がある」なんていうことをさかんに行っていたルーピーとかいうヤツがいたけど、あれどうなったんかいねぇ~ 行財政の無駄を省けばいくらでもでてくる、なんて言っていたように記憶しているけど、さすが詐欺師ですね。そんなの、あるわけないのに有権者を騙して政権詐取。その結果がこれですか~ 東日本大震災を差し引いても、過去最大額は避けられなかったと思います。 それは、子ども手当てや中国や韓国への資金援助等々身の程知らずで大盤振る舞いするからこうなったわけでしょ。農家への戸別保障なんていうのもありましたっけ。 そりゃこんなことをしていたら、こうなるわな~ しかも事業仕分けなんて大層なお題目を掲げながらレンホーのパフォーマンスだけで終わったし、国会議員の歳費なども全く見直さないわけですから。 ついでに消費税は上げないことも公約に入っていたはずなのに、最近では東日本大震災があったにせよ10%にあげるなんていうことを言っているし。 自民党政権時にも無駄な事業などで財政はすでに借金まみれになっていたのを、少しでも減らしてくれるだろうと期待して投票した有権者も少なからずいるはずなのに、逆に増えてしまったこの状況。詐欺正統はどうするつもりなんですかねぇ。 中国や韓国に資金援助なんかで貢いでいる場合じゃねぇぞ、売国政権が! むしろ、現状では日本以上に経済大国なんだから、その二国から逆に復興資金をふんだくるくらいでないとあかんやろ。 いずれにしても、この詐欺政党では余計に国の借金が増えますよ~、勘弁してくれよ~
2011年10月21日
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JR東海は20日、新幹線の初代「のぞみ」として活躍した300系車両が、来春引退すると発表した。 高速化で大幅な時間短縮を実現したが、省エネ性能やカーブでの高速運転に優れるN700系の投入が進み、デビューから20年で姿を消すことになった。同社は引退を記念した「さよなら運転」を計画している。 アルミ合金を使った車体の軽量化で最高時速を「ひかり」より50キロ速い270キロとしたことで、東京-新大阪間の所要時間を約20分短縮し、利用者拡大につなげた。先端部分から運転席まで段差のないシャープな外観も人気だった。【読売新聞ネット版から引用】 300系というと「のぞみ」、「のぞみ」といえば300系ですね。 この300系が登場して新幹線のスピードアップが進みましたね。軽量化された車体のためにできたのですけど、270km/h運転という驚きのスピードによって東京~新大阪間も短くなりました。(逆に軽量化された車体ゆえに揺れもひどくなったとか。私は気にならなかったけど) スタイルも0系や100系を見慣れていた私にとって、全く異なるスタイルにも驚きました。スピードを追求すればこうなるか、ってね。でも、まだ許容の範囲でしたけど。(500系の衝撃の方が大きかった!) 「のぞみ」というネーミングもこの300系からでしたが、東海道・山陽新幹線といえば「ひかり」が一番速い列車と思っていたのに、さらにその上を行くネーミングが登場し、現在では運転本数でも「のぞみ」>「ひかり」になってしまって、「ひかり」世代の私には少々寂しく感じたものでした。 そういえば、この「のぞみ」が登場した当初は、名古屋を通過するという考えられないダイヤでしたね。また「のぞみで行くからね♪」というCMもありました。 私にとって東京への出張で一番多く乗ったのは、考えてみるとこの300系かもしれません。新幹線の利用ポイントを貯めたり、「ぷらっとこだま」のきっぷを利用してグリーン車にも乗った事があったのもこの300系でした。 そんな300系も登場から20年あまりで引退とのこと。登場したのが1990年ですから、日本のバブル期あたりに登場した車両だったわけですが、毎日1000km以上の運行と軽量車体ゆえの老朽化もあったんでしょうし、さらに省エネや改善された乗り心地など高性能な車両の登場もあったんでしょうね。 300系の前に主力だった100系は山陽新幹線の区間で「こだま」としてわずかに運転されていますが、この300系はそういう転用もなく引退するとのこと。山陽区間では500系もありますし、700系レイルスターの転用もあるそうですからね。 さて、300系の引退は来年春とのこと。機会があれば乗ってみたいけど、当分上京する用事はないからなぁ・・・。
2011年10月20日
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先月の初めに受診した健康診断の結果が返ってきました。予想していたとはいえ、その結果は去年と比べて変わっていないところもあったのですが、とても気になることが・・・。 私の職場の野球部の連中においては、尿酸値が極めて高いといった状況のヤツがいるのですが、私はその辺は全然問題ない値でしたし、ガンマGTPや総コレステトール、HDLやLDLも全然大丈夫でした。 ダメなのが体重。前回より3kgも増えていたしそれにつれてウエストも増大!! これではいけませんわな~ 足が痛いときがあるのもこれが原因かも。 決して晩酌を毎日しているわけでないし、適当な運動をしているんだけどな~ ということで、実はここ数日は昼食を抜いて生活しています。まぁ、お金がないというのもあるのですが、この程度でどのくらいマシになるのかわかりません。食べる量も減らしています。一日で取る量を大体これくらいと決めておいて、それを超えないように気をつけようというものです。これとていつまで続くかわかりませんけどね・・・。 とりあえず、例えば昨日の名古屋においても、せっかくだから味噌カツでも、なんて思ったけどダメダメっていうことでグッと我慢でしたよ。 こんなことをするのは20数年ぶりです。あの当時はまだあ20代そこそこで、車を買って燃料代などを捻出するために切り詰めていたのですが、20数年後にもまた目的は別ですがこのようなことをするとは思いませんでした。 おそらく体にはよくないことかもしれないのですけど、とりあえずは特別なことがない限り続けてみたいと思います。
2011年10月19日
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昨日と今日、名古屋へ出張していました。名古屋へは5年ぶりの訪問となりましたが、「見所がない」なんていう人もいますが、私はそうは思いません。私があまり知らないせいもあるのですけど、おもしろそうなところがたくさんありますよ。最近オープンしたJR東海の博物館なんてなかなかよさそうですし、中部国際空港もめったに行くことがないですからね。 さて、名古屋の食べ物といえばきしめん、みそかつ、手羽先、ういろう等々たくさんありますが、就職して務めるまでは名古屋のこうした食べ物は食べたことがなかったのです。務めてからも名古屋へ行く用事がなかなか少なくて、名古屋の食べものも依然としてなじみがありませんでした。 それでも、行く用事が増えると名古屋の食べ物も食べる機会が増えてきて、名古屋へ行くのも楽しみになって来ました。 中でも手羽先は、元々好きじゃなかったのです。私の知っていた手羽先は脂が多くてどうしても馴染めず、おいしい鶏専門店へ行っても手羽先は手をつけませんでした。 でも、名古屋へ行って名古屋の職場の人に連れて行ってもらった「世界の山ちゃん」で食べた手羽先はカラッと揚がっていてスパイシーでおいしかったのです。脂は全然気にならないレベルだし、スパイシーであるがゆえにビールがすすみました。よって、名古屋へ行く時の楽しみとしていました。 前置きが長くなりましたが、今回も行ってみました。泊まったホテルが栄近くだったので、「世界の山ちゃん」の本店へ行ってみました。ここならカウンターの席もあるとのことだったので。さすがに一人でカウンターで飲んでいる人はいませんでしたけど、どうしても手羽先とビールを取りたかったのですわ~ これですわ~ 2人前の10本です。スパイシーでビールがどんどん進みました。 写メを上の子どもに送ると、「一人でそんなに食べる? ずるい~」とメールがきました。ちなみに、ここの手羽先は大阪阿部野橋駅(近鉄南大阪線)の構内に持ち帰り用のお店があって買って帰ったことはありまして、上の子どもは大喜びで食べていたのですが「出来立ての熱々が食べたい」って言っていたからでしょうね・・・。 そんな上の子どもも喜びそうなニュースが、私の座ったカウンター席のところに貼ってあったかわら版に書いてありましたのですが、来る11月10日に大阪の千日前にお店ができるとのこと。関西では京都と姫路に続く3店目だそうです。 スパイシーな手羽先とビールで満足でホテルへもどりました。
2011年10月18日
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先日の久美浜への出張時に乗り換えた豊岡駅構内でちょっと懐かしいものをみつけました。かつての国鉄の駅ではこのような駅名標をみかけたものですが、JRになってからはほとんどみかけなくなりました。 どうです、私と同じくらいの年代の方なら懐かしく思い出されるのではないでしょうかねぇ。いたってシンプルなもので、その駅の所在地として例えば、「兵庫県豊岡市」なんて書かれていましたね。 JRになってからは、会社によっては会社のカラー(JR北海道なら黄緑色、JR四国なら水色)が配色された駅名標になっていたり、JR西日本ではアーバンネットワークエリアではそれらのラインカラーを配色していたりしています。分かりやすくなってはいますが、個人的には無骨でシンプルなこのようなスタイルがなんとなく好きですね。 そういえば今は新線になっていますが、福知山線の宝塚~三田の間には「生瀬」、「武田尾」、「道場」の3駅がありますが、国鉄当時の駅名標の所在地をみていると「生瀬=兵庫県西宮市」、「武田尾=兵庫県宝塚市」、「道場=兵庫県神戸市」とめまぐるしく変わっていたのを覚えています。まぁ、これはその昔六甲山をめぐって一騒動があった名残だそうですが・・・。 話を戻して、この駅名標のある場所は駅のホームの端っこのところで、偶然残されているのか、それともわざと残しているのかわかりませんでした。豊岡駅自体もきれいに改装されていましたし、この駅名標もいつまで残されるか分かりませんけど、とりあえずは見つけることができてよかったです。
2011年10月16日
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今回の出張先は京丹後市久美浜町だったことは昨日のブログにも書きましたが、実はここは私が小学5年生だった時に家族旅行で行ったことがあるんです。それ以来、仕事や遊びでは通過したことはあるのですが、宿泊するのはその家族旅行で行った1978年以来33年ぶりだったのです。 その33年前の時は夏休みでしたから、表紙の写真の小天橋(しょうてんきょう)海水浴場で泳ぎました。ちなみに、私の親戚は和歌山に多くが住んでいますが、「海で泳ぐ」といえばやはり和歌山の海でした。和歌山には白良浜に代表される砂浜のきれいなところもありますが、私のよく行った海水浴場は急激に深くなるし、波は高いしというところが多かったので「海とはそういうもの」って思っていました。でも、この小天橋海水浴場はどこまで行っても遠浅、砂浜もどこまでも長くて広く、びっくりしたものです。 33年後に再びここへやってきましたが、夕方だったので、こんな感じの様子・・・。人影はなく、ごみも打ち上げられており(ハングルの入ったペットボトルもあったし)、ちょっと残念だったかな~ 出張先の方にお話を聞くと、最近は海水浴客はかなり減ってきているとのこと。久美浜は高速道路を降りてからかなり遠いことから、高速が延伸された若狭方面と比べると落ち込みが大きいとか・・・。これからの時期はカニのシーズンだそうですが、カニのお客さんももやや減少傾向とか・・・。 ところで、33年前に泊まった旅館を思い出しました。少し古めの旅館だったのですが、泊まった部屋が旅館の本館とは別に離れのようになった部屋で、窓からは久美浜湾が見えるようなところでした。ただ、それに当てはまるような場所がわからなかったので、出張先の方に聞くと、現在、湊漁業協同組合や岸壁のあるあたりが埋めたてられているとのことでした。そういうところから考えると、今では改築されていますが「旅館小天橋」がそれに該当すると思います。今回は泊まることはできませんでしたが・・・。確か、実家に部屋から撮った久美浜湾と部屋で食事する小学生時代の私の写真があったと思います。 話を戻して、シーズンオフの時期ではありましたが、33年ぶりに久美浜を訪れて家族旅行のこととなど懐かしく思い出したりしました。
2011年10月15日
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昨日と今日、京丹後市久美浜町へ出張して来ました。その様子はまた後日紹介するとして、今日は今回乗車した特急「こうのとり」についてです。 特急「こうのとり」といってもピンと来ないかもしれませんが、今年3月のダイヤ改正までは「北近畿」とよばれていました。改正にあわせて「こうのとり」という名称に変わりました。車両も287系という新型車両が導入されてきていますが、依然として古い車両、すなわちこのブログでも取り上げたことのある183系(485系改造)も活躍しています。そして、今回は往復ともこの183系に乗車することができました。 表紙の写真は豊岡駅での特急「こうのとり」同士の行き違いですが、偶然にも両方とも国鉄メイク(正確には少し異なっているのですが)の183系です。このような風景が見られるのもあとわずかかもしれません。 一般的には新しい車両がいいんでしょうけど、私にとっては国鉄からのモーター音を聞きながら移動することができたから満足です。こういうことが味わえるのも今のうちだけですからね。
2011年10月14日
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民主党政権の"国民イジメ"が、あらわになった。厚労省が11日、厚生年金の支給開始年齢の引き上げについて複数案を示したが「68-70歳程度」という案まで提示されたのだ。民主党は2009年衆院選マニフェストで、年金関係の公約を複数並べたが崩壊状態。一方、触れていない「対象年齢の引き上げ」に邁進している。高齢者の生活の糧を奪うたくらみ。これを裏切りと言わずに何というのか。 衝撃の引き上げ案は、厚労省から社会保障審議会年金部会に提示され、議論された。 25年度(女性は30年度)までかけて、3年に1歳ずつ厚生年金の支給開始年齢を65歳まで引き上げる現行計画を、2年に1歳ずつに早めて4年前倒しする案。さらに、基礎年金(原則65歳開始)も含め開始を68歳へ段階的に引き上げ、28年度か35年度に実現する案などが示された。 政府・与党が6月にまとめた「社会保障と税の一体改革」案に盛り込まれた内容で、増大する社会保障費の伸びを抑制することで、消費税増税への環境整備を進めることが狙いなのだ。 つまり、「金がないから支給先送り」「金がないから増税」という発想。長引く不況で雇用環境が日に日に悪化するなか「年金70歳支給」など、国民の老後を軽視した提案といえる。 そもそも、民主党が政権交代を実現できた背景には「消えた年金」問題など、国民目線の真摯な取り組みがあった。 09年衆院選マニフェストでも、「国民年金、厚生年金、共済年金の一元化し、月額7万円の最低保障年金実現」「消えた年金問題の解決に、2年間、集中的に取り組む」「年金通帳の交付」「社会保険庁と国税庁を統合して歳入庁を創設する」など、年金関係の公約をズラリと並べた。ところが、政権交代から2年過ぎたが、年金一元化は具体案すら見えず、「消えた年金」も約5000万件の未統合記録のうち、回復は1584万件(6月時点)。年金通帳は意識調査の段階で、歳入庁に至ってはまったく進んでいない。 年金マニフェスト崩壊という状況で、マニフェストにはない「支給年齢の引き上げ」に突き進んでいる。これも、野田佳彦首相を手駒のように使う財務省の思惑なのか。 政治評論家の小林吉弥氏は「これは野田内閣の致命傷になりかねない。いまの経済・社会情勢のなかで、こうした提案をする感覚が信じられない。マニフェストの裏切りも含めて、国民の怒りに火がつきかねない。強引に進めれば支持率は急落する。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加問題もあり、野田内閣は年末に大きな曲がり角が来るのではないか」と語っている。【ZAKZAKから引用】 例えば60歳定年で職場を辞めたとしても、65歳までの5年間どうやって暮らそうかって思うのに、さらに5年延長して70歳って国民をなめとるんか、この詐欺政党は! 詐欺フェストには「年金問題に取り組みます」って書いてなかったか? 本文にもありましたが、年金問題はうやむやでほったらかし。大した成果も上がっていないのに、消費税増税などで国民から金を巻き上げ、年金は支給開始年齢を引き上げて支払わない。ヤクザなことしますなぁ、さすが詐欺政党! 別に詐欺政党には期待することなんてないのですが、とりあえず詐欺フェストと違うことをするのであれば、国民に信を問うのが筋っていうもんです。そりゃそうでしょ、この詐欺フェストを信じて(騙されて?)投票した有権者もいるわけですから。 TPPにしてもそうですし、年金にしても放射性物質を放出し続けている福島第一原発にしても、この詐欺政党に任せておいたらろくでもない結果になりそうな気がします。 ちなみに、こんなろくでもない状況にした張本人のスッカラ菅はのんきにお遍路か、国会議員って暇な職業なんですね。まずはこいつら役に立っていないんだから、議員歳費と定数を削減することから始めろ! 全てはそこから始まるはずですわ~
2011年10月12日
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昨日は私の職場の野球部の久しぶりの練習試合がありました。6月に練習試合をして以来2試合目で、今月末には毎年恒例の大会にのぞむという無謀な状況であります。9月の初めに合宿ができていたらよかったのですが、例の台風のために中止になってしまったのが残念です。 さて、試合相手は私が所属している草野球チームのガゼルス。以前にも服部緑地で対戦していますがその時も負けています。リベンジを果たしたいところですが、この日は私の職場チームの参加者が7人、しかも1人(監督ですが)は腰を痛めて動くのはきついということで、ガゼルスから交代で3人を借り受けて守ってもらいました。 今日の先発はエースのAS13君。彼しかいないのですけどね・・・。そして、人数が少ないということで私がキャッチャーでした。空いているポジション(サード、ショートレフト)にはガゼルスのメンバーが交代で守ってくれました。 試合の方は初回に2点、2回にも1点を奪われる苦しい展開でしたが、5回に反撃して2点を返したものの、終盤に再び2点を追加されて5-2で負けました。 私の成績はショートゴロ×2、三振×2、死球×1とヒットは出ず。こっちは6人で打っているので何回も打席には立てたのですがさっぱりで、監督の前でアピールできずに終わりました。 また、チーム事情から本来のサードにはつけなかったし、練習も少ないから大会では大丈夫かなって思ってしまいます。ガゼルスでも最近はキャッチャーのことが多いですからね。 とりあえず、私の職場のメンバーにしてみたら、久しぶりに試合勘を取り戻せたと思っていますのでそれはそれでよかったかなと思っています。 ガゼルスのみなさん、ありがとうございました。
2011年10月11日
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文部科学省が体育の日に合わせて公表した「体力・運動能力調査」では、20~64歳の成年について、学校時代の運動部での活動経験と体力・運動能力との関連も分析した。中学・高校で運動部での活動を経験した人は、経験しなかった人に比べて最大で20歳ほど若い人と同じ程度の体力があることが分かった。 体力テストの合計点(60点満点)の平均値は、男子は40~44歳の中学・高校の運動部経験者(35.85)が、25~29歳の未経験者(35.43)を上回った。また、女子も45~49歳の中学・高校の運動部経験者(36.17)が20~24歳の未経験者(34.67)より高かった。 文科省は「継続的な学校時代の運動部での経験が、その後の運動・スポーツ習慣につながり、生涯にわたって高い水準の体力を維持するためには重要だ」と分析している。【毎日新聞ネット版から引用】 昨日のブログでも少し触れましたが、私は中学と高校の途中まで陸上部に在籍していました。種目は中学の時は短距離、高校の時は槍投げをしていました。中学の時は今より20kg近くやせていたので、動きやすかったんですね。 ちなみに短距離は希望したわけではなく、ただなんとなくやっていたわけですが、それでも3年間続けることができました。そうはいっても短距離は陸上の華、私なんかよりも速い人はたくさんいるわけで、結局私は3年間ほぼ補欠、控え選手でチームとしては「その他大勢」の一人でした。それでも3年間続けることができたのは、友達もたくさんいたのもあっただけでなく、顧問の先生も控え選手に対しても分け隔てなく接してくれたのです。最後の試合はオープン競技(正式競技ではない)に出場して、最後の最後で自己新記録(といっても大したことはありませんが)を出しましたよ。 ただ、高校に入る時に20kg近く太ってしまい、陸上部に入ったものの監督とのそりが合わずに2年生の途中でやめてしまいました・・・。 それでも、元々走るのが大嫌いだった私が陸上部に入って「走る楽しさ」を得ることができたのは大きいわけで、それは今でも持っております。野球をするにしても、走ることは基本ですからね。だから、運動会などでみんなが走っているのをみると「元陸上部」ととしての気持ちがウズウズしてくるものなんです。とても陸上をやっていた時のように走れるわけではないのですけどね・・・。 本文にあった「学生時代の運動部経験」ということは、私のようなものもその一つになるのでしょうか。確かに学生時代の練習って、夏の炎天下も真冬の寒い時期も走っていましたし、短距離だったからスタートダッシュの練習や「2プラス1」という200mダッシュと100mのジョギング、再び100mのダッシュをするという練習などもやりました。やっているときはとても苦しかったけど、そういう練習をしてきたから全く運動経験のない方と比べると多少は体力に自信があるかな・・・。そういう練習をしてきたから、今でも野球ができるのかなって思っています。 話がそれて申し訳ありません。 子どもの体力も先生方のがんばりがあってか、ようやく歯止めがかかったみたいです。勉強も大事だけど、やはり体力がないとこの世の中渡っていけないと思っています。だから、こういうニュースは運動をやっていて、未だに野球をやっている私にとってはうれしいなぁと思いました。 私の上の子どもも剣道をやっていますし、このまま続けていってほしいと思います。
2011年10月10日
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今日は私の住む町の秋の恒例行事、町民体育大会がありました。去年は雨で流れたので2年ぶりの開催となります。このところ、私の住む集落では高齢化と若い人の参加不足(塾や部活など)で出場可能な人が少なくなってきているので、選手集めが大変なのです。 また、今回は私の上の子どもが風邪でダウンしてしまったこともあって、参加している人をやりくりして棄権がないようにするため役員の方は奔走されていました。ちなみに、私も今年と来年の二年間は役員のお手伝いなんですけどね・・・。 私は特に出場するものはなかったのですが、そんなこともあって綱引きとムカデ競争に他の人の代わりとして参加することになりました。ただ、元陸上部として私より若い人が懸命に走っている姿をみると走りたいのですけど、過去に4×200mリレーを走ってレース後に救急車で運ばれたことがあるので(体調最悪で脱水症状を起こしていたのもあるんですが) ところで、この体育大会では勝ち負けよりも集落の懇親を深めようということも目的の一つにあると思います。だから、普段顔を合わして挨拶する程度であったものが、一緒に食事したりレースに出場したりして話をすることでより分かり合えるというのかな。古い集落なので年配同士は問題なくても、私なんかは元々よそ者ですからね。 そんな中で、町会の副会長をされておられるUさんとは私が数年前まで町会の役員をしていたときにもよく顔をあわせていたのですけど、今日久しぶりにお話をしていた中で、この体育大会の昔の話をしてくれました。昔はもっと若い人がたくさんいたこともあったのでしょうけど、本格的な陸上競技大会のような感じだったとのこと。直線の100m走や円盤投げ、砲丸投げ、走り高跳びなどもあったそうです。またその話とは別にUさん自身もかつて学校へ行っていた時は陸上部に所属しておられ、棒高跳びの選手だったとか・・・。昔の棒高跳びの棒は竹製だったのでなかなかしならないので苦労した等々の話をしていました。こういう年配の人の話をこうして聞けるのも、この大会ならではかもしれませんね。 話をもどして、私の上の子どもは前出のとおり出場できなかったものの、下の子どもはやはり他の人の代わりとしてリレーを走ったりしてよくがんばっていました。
2011年10月09日
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表紙の写真の車両もなかなかユニークな顔をしていますね。これはJR紀勢本線の御坊~紀伊田辺間を運行されている113系の2連(クモハ113+クモハ112)です。変顔といっても、かなり以前にここで紹介しましたが福知山線の113系3800番台(既に廃車)に比べると、スマートに見えますし車内もよく整備されています。 紀勢本線は先頃の台風12号により鉄橋流出など大きな被害を受けていますが、電化開業されたのは1978年の10月1日と以外と遅いんです。その当時の普通列車は、天王寺から紀伊田辺までの直通運転の快速(和歌山以南は各駅停車ですが)が113系6両編成で運転されていました。その後、紀勢本線直通の快速が朝晩を除いて廃止されて、紀勢本線を走る普通列車も編成が6両から4両に減り、その普通列車も和歌山~御坊間と御坊~紀伊田辺間に分断され(一部を除く)、御坊~紀伊田辺間はこの113系2両編成が運転されているというものです。 このクモハ113+クモハ112は元々は113系の中間車両モハ113+モハ112に運転台を取り付けたものですが、その運転台の形状が何となく現在も阪和線などで運転されている103系に似ているなぁと思っています。車内も元々は固定のセミクロスシートだったのですが、改造時に改装されて転換シートとなっておりまして乗り心地はさほどよくないものの、よく整備されています。 この写真を撮ったのは1年以上前ですが、今も元気に走っていると思います。
2011年10月08日
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マツダは7日、ロータリーエンジン搭載車『RX-8』の生産を2012年6月に終了すると発表した。ただし、ロータリーエンジンの研究・開発は継続するとしている。 山内孝代表取締役会長社長兼CEOは、「ロータリーエンジンを搭載した『マツダ 787B』がルマン24時間レースで優勝して20周年となる今年、ルマン・サルトサーキットや国内各地で『787B』のデモンストレーション走行や車両展示を実施しました。優勝した当時を知る方からそのお子さままで、多くの方々が『787B』のロータリーサウンドに耳を傾け、雄姿に見入ってくださいました」。 「ロータリーエンジンが多くの方々に愛されている事を強く実感しています。『RX-8』の生産は終了しますが、ロータリーエンジンがマツダの魂のひとつであることに変わりはありません。マツダは今後もロータリーエンジンの研究・開発を継続していきます」とコメントしている。 同社は、RX-8生産終了の公表とあわせて、最後の特別仕様車「SPIRIT R」を11月24日に発売すると発表、販売計画台数は1000台を予定している。価格は6MT車が325万円、6速AT車が312万円。【レスポンスから引用】 私はマツダ党ではありませんが、「マツダ」=「ロータリー」と思っておりまして、オイルショックを乗り越えて世界唯一ロータリーエンジンの自動車を作り続けているというところは、すばらしいと感じておりました。 ロータリーエンジンといえば、一般的な自動車のエンジンである往復運動の「レシプロ」ではなく、回転運動ですから作り出されるエネルギーを余すことなく使うことができるという利用的なエンジンなのですが、燃費が悪いのが玉に瑕でした・・・。 一時期、マツダの車種のほぼ全てでロータリーエンジン車がラインアップされていたように記憶していまして、サバンナだけでなくファミリア、カペラ、ルーチェ、コスモはもちろんのこと、軽四のシャンテにも搭載する計画があったとか・・・。 私はロータリーエンジン車(RE車)には乗った事がないのですが、私の周りには何人かオーナードライバーだった人がおられます。同じ職場で10歳以上年上の先輩職員は免許をとったときに中古のファミリアロータリークーペを購入、飛ばしまくっていたそうです。そのファミリアロータリークーペは新車当時には「速い・安い・止まらない」の三拍子そろった車だったとか・・・。「速い・安い」はいいとして「止まらない」のはエンジンの性能に対してブレーキの性能があまりにもチープだったそうですが、ホントかな・・・。 また、1つ上の先輩職員はセリカやピアッツァといった2ドアの車ばかり乗り継いできた中でRX-7の中古を購入しました。MTは高かったのでATだったのですが、とにかく速くて楽しいけど燃費の悪さにもおどろいたとか・・・。 まぁ、それでもレシプロのエンジンにはない「モーターのように回るエンジン」(回転運動なのだから当たり前といえばそうですが)は大きな魅力だったとのことでした。 そんな生産中止前に、1000台の特別仕様車を販売するとのこと。もちろんMTもあるのでうれしいですね、とても買えませんけど。 ところで、水素エンジンの試作車は確かREをベースにしていたと思いますし、RE技術の開発は引き続き行っていくとのことですので、今度は別の形でREが見られるかもしれませんね。だから、一時撤退ということなのかもしれませんが、周りを見ればハイブリッドだ、電気自動車だって、なんだか車に魅力を感じなくなってきていました。たとえ買えなくても、例えばREのような魅力ある車があるから憧れを抱こうというものだと思うんですけどね。 こんなことしていたら、ますます車離れが続くと思うんですわ~ 時代がだんだんエコエコに進んできているのはわかるんですけど、なんだかねぇ~
2011年10月07日
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日本でも人気が高い韓国の5人組ユニット、BIGBANGのリーダー、G-DRAGON(23)が、5月の日本ツアーの際に大麻を吸引し、麻薬管理法違反の疑いでソウル中央地検に摘発されていたことが5日、分かった。韓国メディアによると、7月の毛髪検査で陽性反応が出た。本人も認めており、検察当局は初犯で吸引量が少ないことなどから起訴猶予処分とした。 聯合ニュースなど韓国メディアによると、G-DRAGONは5月中旬に大麻を吸引、7月に検察で毛髪検査を受けた結果、陽性反応が出た。G-DRAGONも、ツアーのために日本を訪れた際、クラブで大麻を吸引したことを認めている。 調べに対し、「日本のクラブで、名前を知らない日本人からもらったたばこを吸った。臭いが普通のたばこと違っていたため、大麻ではないかと思ったが、そのまま少し吸った」と説明。当局はG-DRAGONが反省しており、常習性がなく初犯の上、吸引量も微量で大学生という点や取り調べに素直に応じていたことなどから起訴猶予処分を下している。【サンケイスポーツネット版から引用】 K-POPか何だか知らないけど、「人気が高い」かぁ? 少なくとも私の周りではそんな話し聞かないけどな。むしろ、「また誰やねん?」っていう方が多いんだけど。 それはさておき、見ず知らずの人からたばこ勧められて吸うかねぇ。「ファンです」って言われてもどこの誰だか、ホントにファンかわからないのにそんなことするとは思えないんだけど。だって、毒物仕込んでいるかもしれないでしょ。無防備すぎるし、「日本人」って限定できるのかもわからない。日本だったから日本人かも知れないけど、違うかも知れないでしょ。 しかも「大麻ではないか」ってなんでわかるねん? 大麻ってそんなに味でわかるのか? っていうことは常習性が疑われるやんか。 何でも日本人のせいにすればいいというものではなく、無防備で調子に乗って見ず知らずのヤツからたばこもらったヤツが悪いねん。特に、自分の国じゃないんだからそう言う点では慎重にならないといけないはずでしょ。 結局のところ、「てめぇが悪いんだよ!」っていうことでOK? それにしても、日本の芸能界でも大麻や覚醒剤といった薬物による検挙者が今も昔もありまして、ほとぼりが冷めたところで「禊ぎは済んだ」とばかりに再び復帰していますね。 あるいは薬物の使用が疑われながら事務所の力で押さえ込まれているのか明るみにでないケースもあるのかもしれません。 若い世代に人気のある人たちなんだから、逆に「薬物に手を出したらこんなことになる」見せしめとして芸能界から永久追放するくらいのことをすれば、世の中そんなに甘くないことがよくわかっていいと思うんですけどね。 まぁ、先日の紳介の騒動をみるまでもなく、芸能界とそういう怪しい団体とはつながっているといわれていますから、そんなことはできないんでしょうけどね。
2011年10月06日
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俳優・高倉健(80)が6年ぶりに主演する映画「あなたへ」(来秋公開)の撮影が4日、岐阜県高山市で行われ、高倉は27年ぶりの共演となるビートたけし(64)と息の合ったところを披露した。2人は合間を縫って取材に応じ、たけしがJR高山駅に2日深夜に着いた時、高倉が1人で駅まで出迎えたことが明かされると、たけしは「顔を伏せた人が近づいてきて、地元のヤクザかと思ったら健さんでした」などとサプライズ歓迎を受けたことを爆笑エピソードを交えて明らかにした。 高倉は待ちに待った"盟友"の到着を待つことができなかった。 たけしは2日に東京都内で行われた落語家林家三平(40)の結婚式に出席し、撮影現場となる高山に到着したのは同日深夜。高地とあり、気温は約10度だった。高倉はたった1人、JR高山駅でたけしを出迎えた。「あまりに懐かしくて...。ホテルで待ってるつもりだったんですが、思わず駅まで行ってしまいました」と渋い顔を照れ笑いに変えながら告白した。「夜叉」(85年)での共演以降、時折食事をする間柄とはいえ、あふれる思いが先走った。 うれしい"先制パンチ"を食らったたけしは「駅を降りたら顔を伏せた人が近づいてきて『たけちゃんどうも』って握手してくるんで、地元のやくざかと思った。こんなとこ写真に撮られたらやばいと思ったら健さんでした」と周囲の笑いを誘った。 初共演時には高倉が雪の中で花束を抱え「ぼくの映画にありがとう」と出迎えたが、それに勝るとも劣らないサプライズにうれしさは隠し切れなかった。 四半世紀以上のブランクがあるにもかかわらず2人の息はぴったり。この日は湖畔で旅や詩人の種田山頭火について語り合うシーンが撮影された。2人はまるで長年のコンビのように、ほとんどNGを出すことはなかった。待ち時間も笑顔で歓談するなど、高倉もリラックスしている様子だった。 高倉が演じるのは亡くなった妻の遺骨を散骨するために富山から九州に旅する刑務官。たけしは途中で出会う自称元中学教師という役どころだ。高倉はたけしについて「他人(三平)の結婚式に出ても一番目立つ人ですからね。(たけしが)一番おいしい役です。パッと出てきて全部持って行くっていう。本当にかないませんよ」と存在感を絶賛した。【デイリースポーツネット版から引用】 やっぱ、高倉健さん、かっこいい~! 写真をみたけど、とても80歳には見えない! 確かに髪の毛は歳相応になっているけど、腰が曲がっていないしシャンとしているのは驚きです。 古い映画ファンの方には「網走番外地」などヤクザ映画での熱演が印象に残っている(映画館を出ると、みんなが健さんになっていたというエピソードもありましたね)と思いますが、私には「幸福の黄色いハンカチ」の元受刑者で夕張に帰る炭坑夫の役や「駅-STATION」の刑事役、「鉄道員」の駅長役が特に印象に残っていまして、今でも時々DVDを見ることがあります。中でも「幸せの黄色いハンカチ」は特にお気に入りなので、別の機会に紹介できればと思いますが、台詞が無くても十分存在感を感じられる役者さんだと思います。 高倉健さんといえば、「自分は不器用ですから」という台詞も有名ですね。自分で不器用というのも何ですが、要するに変に飾り立てすることもなく自分の気持ちに真っ直ぐ、というところを「不器用」って言っているのかもしれませんね。そう考えると、変に自分にプレッシャーかけて背伸びしていることって意外とあるかもしれないけど、そんな無理することもないんじゃないかってね。もちろん、がんばらないといけないときはがんばらないといけないけど。 さて、本文にあったビートたけしさんを気温の低い深夜の駅で待っていたという高倉健さん。普通に考えたら、芸能界でも映画界でも大先輩が駅で待っているなんていうことはありえないと思うのですが、こういうところが高倉健さんの偉大なところです。以前「鉄道員」において志村けんさんが出演に難色を示していたとき(志村さん自身お笑い一本としていたそうですが)、自ら電話をかけて出演依頼をしたというエピソードがあるそうですが、こういう気配りができるのですから決して「不器用」ではないと思いますけどね。 今回の映画はどんな感じなのかまだチェックしていませんが、ちょっと楽しみですわ~
2011年10月05日
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ドイツ人は故障の修理を始めた。フランス人は島に女性がいないか探し始めた。日本人は漂着後にどうすべきか本社に問い合わせた。中国人は島の領有権を主張し始め、本国に空母の出動を要請した。【NEWSポストセブンから引用】 これをみて、ちょっと笑ってしまいました。誰がいったジョークかわからないけど。 それにしても、ドイツ人っていつの時も真面目なんですね。フランス人は何というか、いつでもどんな時でも恋に走るというか・・・。 それに引き換え、日本人は「本社に問い合わせる」ですか。本社というよりも正確には、「上司(社長や部長でも可)にお伺いを立てる」のかなってね。こんなかんじですけど、とりあえずどうしましょうかってか? 緊急時でもとりあえずは一報を入れるという、その点ではドイツ人並みに真面目なのか。逆に言うと個人で判断できない(勝手な判断は後できついお叱りを受ける?)という困った面が見えますけどね・・・。 残る中国か。まぁ多分そんなことするんだろうなって、これも妙に納得してしまいました。言ったもん勝ちみたいなところはそのままでしょ、これまでの最近の事件なんかみていても。 まぁ、これらは誰が言ったかジョークですが、他の国のバージョンもあるのかな?
2011年10月04日
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着工からわずか1カ月で建設凍結が決まった埼玉県朝霞市の国家公務員宿舎建設。復興増税を訴える一方で公務員優遇を続けることへの批判を受け、野田佳彦首相はやむなく判断したようだが、自らが財務相時代に着工を指示しただけに「マッチ・ポンプ」のそしりは免れない。しかもわずか10分間の現場視察で「腹を固める」という臆面もない政治パフォーマンスは首相の評価を急落させた。 「現場の進捗状況を自分の目で見たいとの思いでやってきた。自分の腹は固めたつもりだ...」 3日午前、宿舎建設現場で首相は珍しく記者団の取材に応じ、こう切り出した。だが、現場で責任者らから説明を受けたのはわずか10分間。わざわざ視察する理由は見当たらない。 「3・11以降ということも考え合わせ再考することになった」 藤村修官房長官は3日の記者会見で東日本大震災の発生を凍結理由に挙げた。 だが、これは墓穴を掘ったに等しい。首相は9月15日の衆院本会議の代表質問で「真に必要な宿舎として朝霞住宅の事業再開を決定した」と答弁。26日の衆院予算委では「(宿舎着工を)変更するつもりはない」と明言しており、震災には一切触れていない。 そんな首相が豹変したのは、復興増税への逆風が予想以上に強く、これ以上宿舎建設を継続すれば増税そのものが不可能となりかねないと考えたからだ。 首相は現場視察直後に「凍結指示」することで自らへの批判を最小限にとどめ、逆に指導力をアピールしようと考えたようだ。「財務省の代弁者」というイメージを一掃する狙いもあったに違いない。 だが、そんな思惑は見透かされている。建設凍結を訴えてきたみんなの党の渡辺喜美代表は「『真に必要なもの』が5年間凍結できちゃうのか。いいかげんだ。こういうブレまくりの政権は過去2代の民主党政権にもよくあった」と痛烈に批判。自民党の山本一太参院政審会長も「世論の受けが悪いと思って、自らの主導で凍結を打ち出そうという計算があからさまだ」と冷笑した。 逆に首相に好意的だった霞が関の官僚には不信感が芽生えた。財務省では「老朽化した公務員宿舎を朝霞に集約すれば10億円は浮くはずだ」「違約金などで40億円はかかる」などと不満が渦巻く。「官僚頼り」の内閣だけに今回の凍結パフォーマンスは今後の政権運営に暗い影を落とした。【ZAKZAKから引用】 誰が財務大臣の時に建設凍結解除しておいて、誰がまた建設凍結するんですかねぇ。 って、この「財務大臣」と凍結する考えを示した「首相」ってまさか同じ人じゃないでしょうね! 方針が一貫しない政党、民主党ですか。さすが期待を裏切りませんな~ さて、東日本大震災の復興財源のために、自分たちの身銭(議員歳費削減とか定数削減など)は切らずに増税するというセンスのなさに呆れるところですが、一度建設凍結した公務員宿舎を再度解除するなんてどういうセンスしているんだ? この問題って、自民党政権時代に建設する方針が立てられたものの、例の事業仕分けで建設凍結されたのに、時の財務大臣が建設凍結解除を行ったことに端を発しているんですよね。しかも、事業仕分けで建設凍結という決定がなされたのをレンホーとかいう勘違い女がその解除を容認して建設凍結解除になったとか・・・。そして今回、首相が建設凍結という判断をするというものです。 これを簡単に表すと、 自民党が建設の方針を立てる ↓ 事業仕分けで建設凍結 (レンホー) ↓ 時の財務大臣が建設凍結解除 (野田財務大臣) ↓ 建設凍結解除を容認(レンホー) ↓ 首相が建設凍結(野田首相) あれれ~? レンホーと野田って、真逆な判断をそれぞれしていますけど、マッチポンプですか? ホント、まとまりがないというか確固たる信念もないんですね、この詐欺政党は。こんな状況で増税だ復興だって、チャンチャラおかしいっちゅうねん! まだこの内閣への支持率って50%近くもあるそうで、良識ある有権者のみなさんはこの詐欺政党のペテン師ぶりをよくご理解されていると思うのですが、支持されている方もこういうところももっと知ってほしいと思います。
2011年10月03日
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今年の3月に福井へ出張した際に、JR福井駅で購入した水のペットボトルの写真をとっていました。「おいしいふくいの水」と書かれていますが、広告欄(?)のようなところに『福井市都市ガス100周年』の文字にも「おっ!」って思いましたが、このペットボトルを製造しているのが「福井市企業局」、すなわち行政庁がつくっているんですね。 福井市企業局のHPによると、この水は福井市の水道の原水である九頭竜川の原水を使っているそうで、2007年2月から発売されているとのこと。福井県は岐阜県や石川県と接していますから、山沿いを中心に冬場は積雪が多いところですので、雪が溶けて自然のミネラル分を含んだ水が湧いているんでしょうね。 ちなみに、福井市企業局は水道事業のみならずガス事業も行っており、いわゆる「市営(公営)ガス事業」を行っているんですね。最近では公営ガス事業を行っているところは、民間のガス事業者へ譲渡していることもあるようですが。 福井市のガス事業は1912年に開始されたということなので、ちょうど来年が100周年。それを記念したペットボトルのデザインになっているんですね。 このような記念ペットボトルって、何気に店頭に置かれていたりするわけですが、この時も何の脈略も狙いもなく、「ちょっと変わったデザインのペットボトルがあるし、水って書いてあるし」程度で購入したのですが、よくよくみるとちょっと珍しかったので写メとっていました。
2011年10月02日
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昨日の昼から雨が降っていた奈良地方でしたが、昨日の夜にはあがったようで今日はいい天気でした。今日は下の子どもの運動会がありました。 下の子どもはリレーやダンスなどに出場していました。ダンスは比較的短期間によく覚えているなぁと思いましたし、リレーは太いながらもよく走っていていました。私は例によって脚立に乗ってビデオ撮影をしていました。撮影も下の子どもだけなので楽なものですが、ご近所さんのところは双子ちゃんなのでなかなか苦労されていました・・・。 ところで、運動会といえば・・・騎馬戦と・・・組み立て体操(組体)ですよね。 いずれも6年生ががんばっていましたよ。
2011年10月01日
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