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都会のロック?? メキシコの音楽界には“ロック・ウルバーノ(rock urbano)”と呼ばれるジャンルが存在する。英語に直訳すると“アーバン・ロック”なのだけれども、この英訳だと、おそらくはとんでもない誤解を与えることになる。英語で“アーバン・ロック”という響きを聞けば、多くの人は都会的で洗練された、おそらくはコンテンポラリー・ロックやAORのようなものを想像するに違いない。ところが、メキシコの“ロック・ウルバーノ”とは、そのイメージとは一味も二味も違っている。それは、都市の貧困層や決して裕福ではない若者たちをターゲットにしたもので、そうした層から主に支持されるロック音楽である。そして、この“ロック・ウルバーノ”というジャンルには、ベタでB級ロック的なバンドが数多く存在する。 そうしたバンドのアルバムを多く世に送り出しているメキシコのレーベルにDENVERというのがある。このレーベルは他のメジャーレーベルよりもCDの価格を低めに設定し、低所得層の若者をターゲットにした音楽を多く提供している。アラガン(Haragán)やリラン・ロール(Liran'Rol)といったアーティストがこのレーベルで活躍する筆頭だ(ただし、リラン・ロールは長年ここに属した後、しばらく前に他レーベルへ移籍した)。前掲のEL TRI(参考記事(1) ・(2) )もメジャーデビュー前の前身、スリー・ソウルズ・イン・マイ・マインド時代はこのレーベルからアルバム(当時はいかにもアングラなレコードやカセット)を出していた。何年か前、久々に興味を持ったバンドをこのレーベルで見つけた。それが今回のカリフォルニア・ブルース(California Blues)で、それ以来少しずつアルバムを探索している。 カリフォルニア・ブルースという名前でも、別にメンバーがカリフォルニア出身とかいうわけではない(もしかしてロイ・オービソンの曲と関係あるのだろうか?)。メキシコシティ出身の若者たち(マヌエル、ラミーロ、アルフレドのラジョ3兄弟)が他のメンバーを加えつつ形成されたバンドで、元はカルマ・ブルース(Karma Blues)と名乗っていたらしい。やがて2002年に上述のDENVERレーベルと契約し、『ア・トラベス・デ・ラ・ベンタナ(A través de la ventana)』でデビュー。メキシコシティとその郊外を中心に活動を続けている。 本盤『マヒア(Magia, マジックの意味)』は、2006年にリリースされた第6作(ライヴ盤を除くとたぶんこの枚数と思われる)にあたる。この時点でのメンバーは、アルフレド・ラジョ(Alfredo Rayo, ヴォーカル)、ホセ・アンドレス・パニアグア(José Andrés Paniagua H., ドラムス)、ホセ・グアダルーペ・バレンティネス(José Guadalupe Valentines, ベース)、エルネスト・ゲレロ(Ernesto Guerrero, ギター&コーラス)の4人。なお、2013年現在はドラマーが交代したのと、ギタリストがもう1人加わって5人組で活動中とのこと。 注目曲としては、1.「ペルドナメ(許しておくれ)」、3.「クアンド・カミーナス・エン・ラ・アビタシオン(部屋を歩くとき)」は、このバンドのトーンがよく出ている好ナンバー。8.「ニ・ウン・モメント・キエロ・ペルデール(一瞬たりとも逃したくない)」はいかにもベタなロック・バラード調。スロー系ではもう1曲、恋人との別れを未練たらしく(?)歌う6.「エサ・ベス(あの時)」のベタさ加減もなかなかよい。 上でB級ロックなどという言い方をしたが、別に馬鹿にしているわけでも何でもない。B級映画はその愛好家を抱える立派なジャンル(?)であるし、ジャズなどに目を向けても、“B級”と呼ばれる好演奏者や好盤はそれこそ数多く存在する。概ね、そういった“B級”ものには、“ハマるツボ”みたいなものがあって、一度ハマると抜け出しにくくなるらしい。もうおわかりだろうが、筆者は“ロック・ウルバーノ”にハマってしまっている。日本では入手しづらいのだけれど、何かの機会に聴いたという方からの感想、お待ちしています(笑)。[収録曲]1. Perdóname2. Atrapado3. Cuando caminas en la habitación4. Enamorado5. Esa vez6. Condenado7. Mi única esperanza8. Ni un segundo quiero perder9. Que solo estoy10. Ayer soñé2008年リリース。 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2013年08月28日
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円熟のイタリア歌姫、グラミー受賞カバー作 ラウラ・パウジーニ(Laura Pausini)は、1990年代にイタリア国内の音楽祭で優勝し、その後コンスタントにアルバムを発表してきたイタリア人女性ヴォーカリスト。イタリア語のほかスペイン語と英語でも歌っているが、なかでもスペイン語での活躍が目立つ。 考えてみれば、これが彼女にとっていちばん取り易い選択肢なのだろう。母語はイタリア語だが、イタリア語を母語とする人は決して多くはないので、世界的には売れにくい。かといって英語は言語として別物に過ぎる。イタリア語からみてスペイン語ならそうかけ離れていないし(単語も似ているし、同じ詞を歌ってもほぼ逐語訳)、隣国スペインだけでなく中南米や米国ヒスパニックなど世界的なマーケットがある。確かに、世界進出が本格化したのも、デビューから間もなく、同じアルバムをイタリア語版とスペイン語版で発表し、スペインとラテンアメリカで大ヒットを記録したところから始まった。 実際、彼女は2004年の『エスクーチャ(Escucha)』そして2006年の本作『ヨ・カント(Yo Canto)』と、スペイン語で歌った作品で立て続けにラテン・グラミーを受賞している。この『ヨ・カント』は通算9作目(スペイン語アルバムとしては7作目)に当たるが、通常のアルバムとは少し違い、カバー曲集というコンセプトで作られたものである。 でもってどのような曲をカバーしているのかというと、そのリリース当時、イタリアではオールディーズ・リヴァイヴァルみたいな動きがあったようで、大物の男性ポップ・シンガー、クラウディオ・バリオーニ(Claudio Baglioni)も1960年代前後のイタリアン・シンガーソングライターの曲をアルバムにしたりしていた。ラウラの本盤も同様に今度は70年代末以降のより新しい曲(中には90年代の曲も多く含まれる)を取り上げて歌っている。 各曲のオリジナルを知らないので、元の楽曲とどういう風に違うアレンジがなされているのかはいま一つよくわからないのだけれど、どの曲も現代的に響く。おそらくはリヴァイヴァルの流れにただのってみました、というのではなく、ラウラらしさをどう生かすかが相応に練られた成果なのだろうと想像する。 さらには4.「ミ・リブレ・カンシオン」のように、リスナー受けする企画も組み込まれていて、この曲は当時人気を博していた南米の人気シンガー、フアネスとのデュエットとなっている。同じく12.「ノ・メ・ロ・プエド・エスプリカール」は、オリジナルの作者ティツィアーノ・フェッロ(Tiziano Ferro)とのデュエットという企画で、本盤収録中では年代的に最も新しい曲(原曲は2003年)。 デビュー当時の若さを武器に押していたのとは違い、少し落ち着いて歌を聴かせることを意識したような作りが感じられる。キャリアを積み重ねてきて、いい意味でそれなりの余裕ができたがゆえということなのだろう。少女時代からシンガーとしての成長期まで、いわば聴いて育った音楽を見事に歌いこなしている。イタリア国内市場では80万枚だったが、全世界では300万枚も売れ、上述の通り、2007年にラテン・グラミー賞に輝いている。[収録曲]1. Yo canto2. Dos3. Escríbeme4. Mi libre canción5. Destino paraíso6. Estrella gemela7. Como el sol inesperado8. Cinco días9. Y mi banda toca el rock10. Dispárame, dispara11. Corazón frágil12. No me lo puedo explicar13. En los jardines donde nadie va14. En un cuarto casi rosa15. Cuando16. Por el camino2006年リリース。 【送料無料】【輸入盤】Yo Canto [ Laura Pausini ]下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2013年05月31日
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情熱と情緒に満ちたスペインの女性ヴォーカル 本名マリーア・ルイーサ・サンチェス・ベニーテス(María Luisa Sánchez Benítez)。名のマリーア・ルイーサを略してマルー(Malú)のアーティスト名で知られるのは、1982年出身のスペインの女性シンガー。フラメンコ・シンガーのペペ・デ・ルシーアの娘にして、かの有名フラメンコ・ギタリストのパコ・デ・ルシーアの姪っ子という、音楽サラブレッドの家庭環境に育った人物である。 このアーティストを最初に知った時の曲の一つということで、本ブログでは「アオラ・トゥ(Ahora tú)」という曲をすでに取り上げている。この曲が入ったアルバムもお気に入りなのだけれど、本作『ビベ(Vive)』は、その1つ前のアルバムで、2009年にリリースされたもの。 ジャケのアートワークがなぜか60年代アメリカン・ガールのポスター風(しかも筆者の手持ちは、通常より大判な変形紙ジャケタイプ)なのだが、中身はそのイメージとはだいぶ違っていて、じっくり聴かせるヴォーカルものという感じ。ところどころフラメンコ風を思わせるヴォーカル(7.「コモ・テ・オルビード(あなたを忘れられない)」や9.「ディセン・ポル・アイー(あの辺りに)」など)も含まれる。けれども、全体としては、上で述べたような叙情的ポップ・アレンジな中に位置づけられており、実力発揮のヴォーカル盤といった仕上がりになっている。 それもそのはず、そもそも彼女は15才の時にフランメンコのホームパーティで歌っていたところ、あるプロデューサーの目にとまり、1998年にデビューしている(当時、本人は授業に行かなくてよいという言い訳が立つからといってデビュー話を受けたとか)。早くからキャリアを積み重ねた結果、27歳の誕生日とほぼ同時にリリースされた本作『ビベ』は、既にキャリア11年目、オリジナルのスタジオ作としても7作目(ライヴ盤と編集盤を入れると9作目)という、成熟した作品になった。 ついでながら記しておくと、筆者はこの手の声に滅法弱い。情感たっぷりに歌え、伸びと迫力のある歌声が出せ、それがハスキーがかっているというもの。本盤でのお気に入り曲としては、アルバム全体のトーンを代表する1.「ア・エスト・レ・ジャマス・アモール(あなたはこれを愛と言う)」のほか、バラードやスロウ曲に惹かれるものが多く、3.「オハス・セカス(乾いた葉)」、6.「ナディエ(他には誰もいない)」、上記の9.、フラメンコテイストの11.「イヌティルメンテ(無為に)」なんかがいい。下手なシンガーが歌うと陳腐なラヴソングになってしまいそうな曲も結構含まれるが、この声と表現力ゆえにそうはなっていないというのは、やはり彼女自身の実力発揮と言ったところだろうか。[収録曲]1. A esto le llamas amor2. Que más te da3. Hojas Secas4. Guárdate5. Días de sol6. Nadie7. Como te olvido8. El fallo de tu piel9. Dicen por ahí10. Qué esperabas11. Inútilmente2009年リリース。 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2013年04月20日
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音楽の癒しの力 ビクトル・マヌエル(Víctor Manuel, 本名ビクトル・マヌエル・サン・ホセ・サンチェスVíctor Manuel San José Sánchez)は、1947年アストゥリアス出身のスペインのシンガーソングライター。本ブログではだいぶ前に1996年の『シン・メモリア』を取り上げたほか、アナ・ベレンとデュオによる「アルカラの門」を紹介している。 『シン・メモリア』の項では、彼のことを“惚れ惚れする声”のシンガーと表現した。そのことに変わりはなく、この『ガレージの犬(エル・ペロ・デル・ガラッヘ)』でもその魅力的なヴォーカルは健在である。けれども、より後年のこの盤では、それに加えてさらに上乗せといってよい魅力が付け加わっている。それはいい意味での力の抜け方なのである。リラックス具合と言ってもいいかもしれない。想像でしかないのだが、その理由は、年齢的な問題もしくは円熟度にあるように思う。本盤は2004年のリリースで、ビクトル・マヌエルは既に50歳代後半に入っている。以前と比べて気合が入っていないわけではないのだが、やはりいい意味で肩の力が抜けている。余談ながら、犬の写真のみというジャケットの力の抜け具合は、正直、あまり褒められないアートワークだと思うけれど(笑)。 全14曲(収録時間56分ほど)というのは、わりとヴォリュームがあるが、全体のトーンは概ね上で述べた感じに統一されていて、あまりソリッドな歌はない。収録曲中、表題曲を除きすべてビクトル自身(共作を含む)の作詞作曲。1.「死んだ女たちのクラブ(エル・クルブ・デ・ラス・ムヘーレス・ムエルタス)」のイントロのリラックス具合、ヴォーカルの叙情性で引き込まれてしまうと、あとは勢いですべて聴けてしまう。演奏は特別凝ったところもなく、スタンダードに叙情的なポップス調で進んでいく。 上記1.以外に個人的に気に入っている曲を挙げておきたい。3.「君を夢見る時(シエンプレ・ケ・テ・スエニョ)」や6.「わが祖国は同じではない(ミ・パトリア・ノ・エス・ラ・ミスマ)」、11.「私を狂女と呼んで(ケ・メ・ジャメン・ロカ)」の淡々とした語り口は、ビクトルの本領発揮と言ったところ。7.「もし私が神だったなら(シ・ヨ・フエラ・ディオス)」は、カトリック圏のスペインにしてはかなり挑発的なタイトルだが、ヴォーカルのカッコよさがたまらない。10.「ネプチューン(ネプトゥーノ)」なんかは、独特の語り口とコーラスの対比が面白いし、13.「ルーラを恐れるのは誰?(キエン・テメ・ア・ルーラ?)」でのアコーデオンとヴォーカルの絡みも興味深い。 50代後半で“新境地”という表現はちょっと憚られる。けれども、従来の路線を踏襲しつつも、いい意味で円熟の味が出たアルバムだと感じる。日本での入手は少々難しめだけれど、ビクトル・マヌエルのソロ諸作(特に90年代後半以降)は、ぜひどれか一つでも試してみる価値があると思う。[収録曲]1. El club de las mujeres muertas2. Cuando no pienso estoy pensando en ti3. Siempre que te sueño4. El perro del garaje5. La doble muerte de Juan Diego6. Mi patria no es la misma7. Si yo fuera Dios8. Ustedes no me recuerdan9. Si uno pudiera10. Neptuno11. Que me llamen loca12. Duermo con un ojo abierto13. ¿Quién teme a Lula?14. Para que te quieran y que tú sepas2004年リリース。 下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2013年03月27日
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“母語”で歌うということ ふだん私たちの多くは“母語”と“国語(母国語)”の違いなんて気にしない。いまの日本に暮らしていたら、(実際にはそういう人が国内にいるにもかかわらず、全体から見れば明らかに少数派なせいか)母語も日本語であれば、国語(母国語)も自動的に日本語と感じているからだろう。でも、国や時代によっては、もちろんそれらがイコールで結ばれるというわけではない。スペインのシンガー、ジョアン・マヌエル・セラー(Joan Manuel Serrat)のこのアルバムを聴くと、そういう複雑な思いに駆られたりする。 ジョアン・マヌエル・セラーは、スペインのバルセロナ出身のシンガーソングライター。昨今はカタルーニャ地方の独立運動も報道されたりしているので、ご存じの方も多いだろうけれど、バルセロナで多くの人たちが話しているのはいわゆるスペイン語(別名カスティーリャ語)ではなく、地元独自の言語のカタルーニャ語である。とはいえ、少々現代史をさかのぼってみると、カタルーニャ語はある時期まで公の場での使用を禁じられていた。フランコ独裁体制というと古いことのように聞こえるかもしれないけれど、時期的に言えば、日本での“戦後”を含む。現行のスペインの国家体制が整ったのは1970年代半ば~後半、つまりは、今の40歳代~50歳代ぐらいの世代が子供の時には古い体制だったわけで、学校教育を含めオフィシャルな言語はスペイン語が強制された。実は筆者にもバルセロナ出身の友人が何人かいるのだけれど、彼らは見事にバイリンガルである(とはいっても、スペイン語とカタルーニャ語は逐語訳可能なほど似ている)。ところが世代が下がり、いま20代以下ぐらいの若者世代になると、スペイン語強制がなかったため、カタルーニャ語の方が喋れる(スペイン語が自在に操れるわけではない)という人が多くなるらしい。 そんな経緯を考えながら、セラーのこのアルバムを聴くと、なんとも言えぬ感慨深さがある。1943年生まれで、1960年代後半から音楽活動を本格化させ、1971年には「地中海(メディテラネオ)」(動画はこちら)もヒットさせている。とはいえ、活動初期にはカタルーニャ語で歌うことを当局から制限されたりした。 オープニング・ナンバーの1.「20 de març(3月20日)」(読み方は「ヴィン・デ・マルス」??―カタルーニャ語の読み方がよくわからないので原語表記お許しを!)からして何とも母語で詞を紡ぐ爽やかさが感じられる。他に特に印象に残る曲としては、ふだん歩く道の光景を元に歌った4.「El meu carrer(我が道)」(「アル・メウ・カレール」??)、1.と同様の爽快さがどこかに残る5.「ボン・ディア(おはよう)」あたりが個人的には気に入っている。 背景抜きに聴けば、ふつうにシンガーソングライターが歌っているだけに聞こえるのかもしれない。音楽を背景で聴くことは、本質的にはあまり必要ないとは思っているし、聴き手それぞれの受け止め方があっていいのだろう。とはいえ、上で述べたような歴史の波にのまれ、その中で育まれたり浮かんできたりしたものは、多少違った部分もあるのかもしれないとも思わされる。 余談ながら、どうやって調べたのかは知らないけれど、本盤は“カタルーニャ外でいちばん聴かれているカタルーニャ語のアルバム”なのだとか。まあ確かに、日本でもアマゾンぐらいなら入手できそう(といっても新品5千円!というのは高すぎるけど)なので、有名カタルーニャ語盤であることは間違いないのだろう。[収録曲]1. 20 de març2. Els veremadors3. Conillet de vellut4. El meu carrer5. Bon dia6. Cançó per a en Joan Salvat-Papasseit7. Quasi una dona8. Temps de pluja9. Adéu, adéu amor meu i sort10. Mare Lola1970年リリース。 ↓別盤ですが、いくつかのカタルーニャ語曲を含むライヴ盤です。 Joan Manuel Serrat / Serrat Sinfonico 輸入盤 【CD】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2013年03月08日
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今は亡きラテンのプリンセス、デビュー作 ソラーヤ(Soraya, 本名ソラーヤ・ラケル・ラミージャ・クエバスSoraya Raquel Lamilla Cuevas)は、米国生まれのラテン女性シンガーソングライター。出生地はニュージャージー州だが、両親はコロンビア出身で、生まれて間もなくいったんコロンビアに帰り、その後、8才の時に再びニュージャージーに戻ってきたという。 子供のころから音楽好きで、両親からギターを与えられたり、ニューヨーク市の青少年交響楽団でヴァイオリンを演奏したりしていたという。大学卒業後、アメリカン航空のスチュワーデスをしていた時に音楽業界の有力者と知り合い、レコード・デビューの機会を得た。そうしてリリースされたのが、スペイン語と英語の両方で吹き込まれたデビュー作で、ここで取り上げる『エン・エスタ・ノチェ(En Esta Noche)』はそのスペイン語版の方というわけである。 このデビュー作は好評価を得て、アメリカだけでなくヨーロッパやラテンアメリカでも人気を博し、彼女自身もツアーを行った。筆者はちょうどこのデビューの時期をラテンアメリカ某国でリアルタイムで体験したのだけれど、ちょうど女性シンガーソングライターを歓迎する雰囲気があった。世界的には、例えばアラニス・モリセットのヒットなどがそうだったし、スペイン語圏ではシャキーラ(Shakira)のデビューもこの頃だった。そんな中、爽やかでありながら陰のある、情感豊かなソラーヤの歌声が受けるのは必然だったのだろう。いま思えば、シャキーラの歌い方と似ている部分もあるが、シャキーラが元気に勢いがあるのに対し、ソラーヤの方がもう少し落ち着いた大人っぽさを残していたように感じる。 本盤収録の中で特にお薦めは、シングルとしても好評だった1.「デ・レペンテ(De repente,突然に)」、この人らしい曲調の2.「ケダテ(Quédate,もうしばらくいてほしい)」、アルバム・タイトル曲の8.「エン・エスタ・ノチェ(En esta noche,この夜に)」。それから、少し変わったところでは、10.「プエブリート・ビエホ(Pueblito Viejo,古い村)」。アルバム収録曲のうち、この曲だけは自作ではなく、幼いころに叔父から教えてもらったコロンビアの伝統的ナンバーとのこと。 その後、彼女は2000年、31歳で乳がんであることがわかり、2006年に37歳で亡くなった。実は彼女の母も、ソラーヤが12才の時に乳がんが見つかってその10年後に亡くなっており、さらには、祖母も叔母も乳がんにより亡くなっているということ。若くしての残念な死で、ソラーヤの新しい曲はもはや聴けないわけだが、生前にいいアルバムを他にも残しているので、機を見てまた取り上げたいと思う。[収録曲]1. De Repente2. Quédate3. Amor En Tus Ojos4. Avalancha5. Calma Antes de la Tormenta6. Las Ruinas en Mi Mente7. Debo Saber8. Razón Para Creer9. En Esta Noche10. Pueblito Viejo1996年リリース。*注:こちらは英語版です。 ↓ ↓ Soraya ソラヤ / On Nights Like This 輸入盤 【CD】*ベスト盤です。 ↓ ↓ Soraya ソラヤ / 20th Century Masters: Millennium Collection 輸入盤 【CD】下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2013年01月09日
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大人になったら何になる? ミゲル・マテオス(Miguel Mateos)は、アルゼンチンのブエノス・アイレス出身のロック・シンガー。中南米(スペイン語圏)において母国語(スペイン語)でロックをやったムーヴメントの先駆者の一人である。その動きは、1980年代、「ロック・エン・エスパニョール(スペイン語のロック)」という呼び方で知られる。そうした中のヒット・シングルの一つが1986年のこの「クアンド・セアス・グランデ(Cuando seas grande)」。“大人になったら”(サビの詞は、“何になる?”と続く)というタイトルの曲である。とりえずは、オリジナルの録音ヴァージョン(音声)をお聴きいただきたい。 実は、アルゼンチン人で、若い頃、“ミゲル・マテオスが嫌いで仕方なかった”という人がいた。ロックの本場(米国、英国)の“外タレ”が貴重だった時代、国内で自前でロックが生産される中、“本物”と“模倣”の違いという見方から、国内アーティスト(つまりこの場合は自国アルゼンチンのスペイン語で歌うロック・シンガー、ミゲル・マテオス)を否定的に見るという感覚があったのは事実だったのだろう。いやなに、日本でだって70年代や80年代は洋楽の“模倣”がたくさんあったのだから、人気が上がる一方で、こういう感想を持つ当時の若者がいたことはある種、正常な反応だったと言えるかもしれない。 そうはいっても、往時のミゲル・マテオスには「孤独のアメリカ(ソロス・エン・アメリカ)」のような名曲・名唱もあり、筆者としては好きなアーティストの一人である。だが、その一方で、確かに“模倣”という部分はあったと思う。次のビデオなんかを見ると、確かに曲も声もいいのだけれど、雰囲気がいかにも“ギター・アイドル”的なのも否めない。 問題はその先である。時は流れ、目下、2010年代。1954年生まれのミゲル・マテオスも50歳代後半という年齢になった。上のビデオのような“尖った青年”を演じられる年齢ではない。で、どうなったのかといえば、いい感じに円熟したのである。2010年のメキシコで収録されたライヴ(『プリメラ・フィラ』としてライヴ盤化された)での演奏が以下の映像(スリムな尖った青年はすっかり見た目もおじさんになっているが、無論、同一人物)。 で、その“オヤジ化したミゲル・マテオス”なのだが、これがなかなかいい。というか、こういうオヤジになりたいとすら思う。曲の演奏や演出は今の時代、英米かラテンアメリカかというだけで差がつくものでもない。演奏と歌には、若いころほどの体力は亡くなっているにしても、貫録と風格がある。そして何よりもこの演奏と歌を本人が楽しんでいることがよく伝わってくる。こういう風に自然体で、もはや模倣とはいえないアーティストとなった彼の姿を見たら、先のアルゼンチン人はどう思うだろうか。[収録アルバム]Miguel Mateos/ZAS / Solos en Am?rica (1986年)←オリジナルのスタジオ録音Migeuel Mateos / Primera Fila (2011年)←2010年のライヴ音源 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012年06月22日
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ハスキーで情感豊かなヴォーカルにK.O. 最近のお気に入り歌手の一人がスペイン人女性シンガーのマルー(Mal?)。本名はマリーア・ルシーア・サンチェス・ベニーテス(Mar?a Luc?a S?nchez Ben?tez)と言い、1982年マドリード生まれ。父はカンタオール(フラメンコ歌手)のぺぺ・デ・ルシーアで、かの有名ギタリスト、パコ・デ・ルシーア(パコ・デ・ルシア)の兄に当たる人物。つまり、マルーはパコ・デ・ルシーアの姪っ子というわけで、スペイン伝統の音楽一家に育ったということになる。 マルーのデビューは1998年。デビュー・アルバム『アプレンディス』発表後、スペインとラテンアメリカを回る世界ツアー、ディズニーの映画『ムーラン』の主題曲(「リフレクション」)をカバーして話題になる。その後も1~2年おきにコンスタントにアルバムを発表をし続け、これまで8枚のオリジナル作、2枚のライヴ盤、1枚のベスト盤をリリースしている。2009年のアルバム『ビベ』はリリースと同時にU2に次ぐ第二位につけるという好セールスを記録し、2010年の『ゲラ・フリーア』は初登場1位となるなど、スペインでは抜群の売れ行きを示している。 ここ1年ほど、何枚かのアルバムを徐々に入手し、少しずつ聴いているのだけれど、中でもイチオシなのがこの「アオラ・トゥ(今度はあなたが)」という曲だ。最初に聴いたアルバムはメキシコで収録されたライヴ盤(『インティマ・ゲラ・フリーア』)だった。この時点で、いい曲だなと思ったのと、根本的にマルーの歌唱力が素晴らしいということは実感できた。しばらくして、オリジナル・アルバム(『ゲラ・フリーア』)でのこの曲を聴いたのだけれど、筆者の中でのこの曲の評価はウナギ登りとなった。 スペイン・ポップスというと、どこか垢抜けないイメージを持つ人もいるかもしれない。80年代ぐらいまでは確かにそうだった(それはそれで個人的には好きなのだけれど)。けれども今時は、そしてこのマルーという人はすっかり垢抜けている。録音当時、20代後半だったマルーの声は、溌剌と言うよりも熟した大人の声をしている。そのハスキーがかった声でもって情感たっぷり、迫力たっぷりの歌いっぷりが、よく集約された曲の一つがこの曲のように思う。 父親や叔父がやっている音楽(フラメンコ)とは直接的には関係のない普通のポップ音楽をやっている彼女だが、“魂で歌う”という点はしっかり受け継いでいるといったところか。興味を持った方は↓こちらの映像↓でお試しいただきたい。 下記ランキングに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2012年06月19日
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バルセロナ出身のシンガーソングライター、1970年の古き良き名曲 スペインと言えば、フィエスタとシエスタの国(?)。牛追い祭(サン・フェルミン祭)、バレンシアの火祭り(ファージャス)、トマト祭(トマティーナ)など有名な祭りを思い浮かべる人も多いかもしれない。シエスタの方は、“お昼寝”なわけだが、実際、スペインへ行ってみると、午後は見事にお店が閉まってしまう。実際に昼寝をするかどうかはともかく、夕刻、再び開店して夜まで営業。このリズムがスペインの人たちの生活リズムとしてすっかり馴染んでいる。 こういうのって、おそらくはスペインの一面的なイメージでしかないんだろうけれど、やっぱりフィエスタ好きなんだろう。古きよき地方の村や地区のフィエスタの光景を思い浮かべさせる1曲が、ジョアン・マヌエル・セラーの「フィエスタ(Fiesta)」である。 この曲は1970年のアルバム『ミ・ニニェス(子どもだった頃)』に収録されたが、当局の検閲で歌詞の一部が変更されたといういわくつきの曲でもあった。作者で歌い手のセラーは、1943年、バルセロナ生まれ。1943年と言えば、日本でも戦時中生まれということになるのは想像できる(そして日本やドイツでは戦後、社会が大きく転換した)。けれども、スペインでは、古い体制をさらに数十年引きずることになる。フランコ独裁体制である。フランコ死去が1975年だから、この「フィエスタ」が発表された時を含め、初期のセラーの作品は、当然のごとく検閲の対象だった。結果、スペイン本国では若干変更した詞で、それ以外の国々(スペイン語圏である中南米方面)では変更なしのオリジナル・バージョンで発表されるというイレギュラーな状況だったようだ(フランコ死去後はオリジナル・バージョンに統一された)。 冒頭の話に戻るが、スペインの生活リズムで夜が長いのはフランコ体制で長らく抑えつけられたからで、その反動で開放的になったのだ、とスペイン人はよく言う。フランコ時代が終わってもう40年になろうかというのに、本当にそうなのだろうか。いやはや、フィエスタ好きな伝統はもともとこの国民の中にあったんだろうかな、と思ったりもするけど。 * * *ついでながら、動画も付けておきます。まずはリリース前年、1969年のソング・フェスティヴァルからのバージョンです(古臭い雰囲気がいまいちな方はとばしてもう一つ下の映像をどうぞ)。 続いては、90年代のライブ映像から。スペイン系のシンガーソングライター系との共演です。なお、ボーカルは次の順序です。ミゲル・リオス→セラー→アナ・ベレン→全員(サビ)→ビクトル・マヌエル→セラー→アナ・ベレン→全員 [収録アルバム]Joan Manuel Serrat / Mi ni?ez(1970年)その他、編集盤(ベスト盤)類にも収録。 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012年04月17日
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前回記事のシャキーラについて、追加です。 「ピエス・デスカルソス基金(英語ではBarefoot Foundation)」というのを設立し、子どもたちを支援するという活動をしていることを書きましたが、そのプロモーションビデオです。 こういう宣伝部分だけでは本質はなかなかよくわからないかもしれませんが、次の映像の写真を見ると、子どもたちと触れ合うシャキーラの表情、実にいいと思います。スペイン語圏では超有名な名曲、「ソロ・レ・ピド・ア・ディオス(ただ神に祈る)」の、シャキーラによるカバーとともにご覧ください。 ついでながら、その才女ぶりにも触れましたが、このインタビュー、ブラジルのTV番組のもののようです。ポルトガル(ブラジル)語と、出身国コロンビアの母国語スペイン語とが行ったり来たり。何ともマルチ(トランス?)カルチュラルというか、マルチリンガルというか…。まあ、ポルトガル語とスペイン語が似ていると言えば、それは確かにそうなのですが、字幕のついている部分がスペイン語、ついていない部分はシャキーラがポルトガル語でしゃべっている部分です。筆者はポルトガル語はあんまりわからないので、主にスペイン語部分を聞いての感想ですが、なかなかしっかりしたしたことを言っています。上の基金との関わりでは、初等教育の重要性に特に重きを置いて活動しているということのようです。 下記ランキングに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2012年04月15日
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天才歌姫が世界へ羽ばたいた1枚 シャキーラ、本名シャキーラ・イサベル・メバラク・リポール(Shakira Isabel Mebarak Ripoll)は、コロンビア出身の女性ポップ・シンガー。シャキーラ、メバラクという、スペイン語圏っぽくない名・苗字はレバノン系(米国生まれ)の父親に由来する。10歳を過ぎた頃から歌謡コンテストなどに出場し、1991年、15歳にしてデビューアルバムをレコーディングする(その2年後にもセカンド作を発表)。高校を卒業するためにいったんは休業するも、復帰後は世界的スターへの道が待っていた。 1995年(コロンビア以外では翌年)、本作『裸足のままで(Pies descalzos)』を発表。これが世界進出の足掛かりとなったアルバムになり、コロンビアのみならず、南米各地(特にブラジルなど)、さらには南米だけでなくその他のスペイン語圏やその近隣諸国(メキシコ、アメリカ、スペイン、ポルトガルなど)で一気にブレークした。実は筆者もこのブレークをスペイン語圏にいてリアルタイムで体験したのだが、とにかくラジオでは、最初のシングル10.「どこにいるの?(ドンデ・エスタス・コラソン)」や、第二弾シングルの1.「エストイ・アキー(私はここにいる)」が超ヘビロテになり、街中あちこちで流れまくっていた。 その後も、本盤からは、3.「ほんの少しの愛(ウン・ポコ・デ・アモール)」、8.「裸足と白い夢(ピエス・デスカルソス、スエニョス・ブランコス)」、2.「アントロヒーア」、11.「セ・キエレ・セ・マタ」がシングルカットされ、次作『ドンデ・エスタン・ロス・ラドロネス~泥棒はどこ?』(1998年)以降、アメリカやフランスなど非スペイン語圏を含む世界的大ヒットへの足がかりとなった。その後の活躍はよく知られている通りだが、スペインでは2000年代にもっとも売り上げたアーティストとなったし、米国では2度のグラミー、8度のラテン・グラミーを受賞した。また、You Tubeでの最多視聴記録なるものも樹立したらしい。2010年には南アフリカ・ワールドカップのテーマ曲(「ワカワカ」)も手掛けている。 “尻はあるが、胸はない”とは、シャキーラ自身が語ったセリフだそうだが、自己分析が的確で、世界進出後の派手な見かけとは裏腹になかなかの才女のようだ。スペイン語(出身地コロンビアの公用語)のほか、ポルトガル語や英語を流暢に話し、IQ140という話もある。また、1990年末には本作のタイトルを冠した基金(「裸足基金Fundaci?n Pies Descalzos」)を創設して、コロンビアや第三世界の子供たちを支援する活動もしている。この活動が2006年4月に国連の表彰を受けたが、その式典のスピーチでは「私たちが家へ帰りつく頃には、ラテンアメリカ全体で960人の子どもが死んでいることを忘れないでほしい」とスピーチした。こういうことをタイムリーかつ的確に言えるのも、才女ならではなのかもしれない。 ちなみに、このアルバムが出た当初はアラニス・モリセット(カナダ出身の女性シンガーソングライター)なんかが流行っていて、こういう女性シンガーの潮流が南米にも出てきたのだな、という印象だったのだけれど、シャキーラはずば抜けていて、あっという間に他に影響を与えるアーティストに成長してしまった。その少し後、日本で矢井田瞳(「ヤイコ」の愛称で知られる関西出身の女性シンガー)が登場した時、“どこかで聞いたことがある感じ”と思ったのだけれど、よくよく考えてみれば、それはシャキーラだった。矢井田瞳がシャキーラのスタイルを真似たのか(あるいは参考にしたのか)どうかは知らない。歌(とりわけ節回し)を聴く限りでは、シャキーラの影響大のような気がするのだけれど…。[収録曲]1. Estoy aqu?2. Antolog?a3. Un poco de amor4. Quiero5. Te necesito6. Vuelve7. Te espero sentada8. Pies descalzos, sue?os blancos9. Pienso en ti10. ?D?nde est?s coraz?n?11. Se quiere… se mata*邦盤には1.のリミックス・ヴァージョン2種も追加収録。1995-96年リリース。 【Aポイント+メール便送料無料】シャキーラ Shakira / Pies Descalzos (輸入盤CD)【YDKG-u】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012年04月15日
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待ち続ける女の哀しき物語 マナ(MANÁ)はメキシコの人気ロック・バンド。1970年代末から80年代前半にザ・グリーン・ハット・スパイズ(The Green Hat Spies)、グリーン・ハット(Green Hat)、ソンブレロ・ベルデ(Sombrero Verde, “緑の帽子”の西語訳)といった名前で活動していたバンドが母体となり、1987年にマナとしてデビューした。 90年代に入り、バンドはシングル・ヒットを連発し、メキシコ国内はもとより、南北アメリカ大陸各国で人気を博し、それ以外の世界各国にも活動の場を広げて、大規模な海外ライブもこなすようになっていく。1992年の『ドンデ・フガラン・ロス・ニニョス(¿Dónde jugarán los niños?,子供たちはどこで遊ぶ?)』、1995年の『クアンド・ロス・アンヘレス・ジョラン(Cuando los ángeles lloran, 天使たちが泣く時)』、ラテン・グラミー賞を獲った1997年の『スエニョス・リキドス(Sueños líquidos, 流れ出る夢)』といった90年代の作品群は、このバンドが成長し、成熟していく過程をよく表している。 この「サン・ブラスの波止場にて(En el muelle de San Blas)」という曲は、『スエニョス・リキドス』に収録され、アルバム発売の翌年(1998年5月)にはシングルとしてもリリースされた。マナの90年代の成熟ぶりがよくわかり、1つの曲がストーリーとしての完結性を持っている。しかも、その内容は、叙情的な哀しい物語である。 船で去っていく男とそれを見送る女。男は“すぐ戻る”と言い残し、女は同じドレスを着て日々海辺でその帰りを待つ。海を見つめ続ける女は年を重ね、“サン・ブラス波止場の狂女”と呼ばれるようになる。人々は彼女を精神病院へ連れて行こうとするが、もはや石のように頑として動かない。彼女はもう海から離れることはできない、といった詞で、サビの部分は次のような内容。 “ただ独り、忘却とともに/ただ独り、魂とともに/ただ独り、太陽と海とともに/ (中略) ただ独り、愛と海とともに/ただ独り、サン・ブラスの波止場で” 音の上でもさらりとしたロック系サウンドの中にメランコリックな雰囲気をうまく醸し出していると思うが、いかがだろうか。上の詞を参考にしながら、以下のビデオもお時間の許す方はどうぞ。 [収録アルバム]MANÁ / Sueños líquidos (1997年) ランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2012年04月13日
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スペイン芸能界のサラブレッドによる洗練された好盤 ミゲル・ボセー(Miguel Bos?)は1956年パナマ生まれのスペイン人俳優およびミュージシャン。14歳で俳優として映画に出演し、1975年から音楽活動を行っている。これまで20枚ほどのアルバムをリリースしており、2002年発表のアルバム(『セレーノ』)では、ラテン・グラミー賞(ベスト男性ポップ部門)にも輝いている。 このミゲル・ボセーという人、なかなかのセレブ一家の出なのだ。母は元ミス・イタリアの有名女優、ルチア・ボゼー(名字のボセーはイタリア語ではボゼー)である。スペイン人なのに生まれがパナマなのも、このセレブ一家の生活と関係している。父親は有名な闘牛士のルイス・ミゲル・ドミンギンという人物。この人のドミンギンという名(本名ではなく、闘牛士には普通“愛称”もしくは“闘牛士名”というのがある)は、そのさらに父親(つまりミゲル・ボセーの祖父)から襲名したもの。ともあれ、この父が闘牛の興行でパナマに呼ばれ、その期間中に生まれたので出生地がパナマとなったとのこと。 父親・母親が単に有名人というだけでない。この家族は著名人との交友が広いセレブ一家だったようである。画家のパブロ・ピカソ、イタリア人映画監督のルキノ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ(この人はミゲルの代父にもなっている)、小説家・詩人のアーネスト・ヘミングウェイ、後にコロンビアの副大統領となったフランシスコ・サントス・カルデロンの家族などの名前がその交流範囲に挙げられる。この一家の中で、ミゲルはスペインを拠点としながらも、ミラノ、パリ、ロンドン、ニューヨーク、さらにはラテンアメリカ諸国などを旅しながら育ったという。 レコード・デビューは1975年で、最初のアルバムは1977年に出ている。当初のミゲル・ボセーは甘口ポップ歌手という感じだったが、やがて大人向けに通用するポップへと作品の趣向を変えていく。ここからは筆者の想像も入るが、スペイン・ポップというのは70~80年代にはまだ垢ぬけていない部分もあったのだが、90年代を迎える頃にはぐっと洗練度が増してきた。1990年に出た本盤『ロス・チコス・ノ・ジョラン(男は泣かない)』は、ボセー自身の作風からも、スペイン・ポップ界全般の流れからも、そうした変化の跡がうかがえるアルバムだと思う。 本作からは、1.、2.、3.、5.、10.の5曲がシングルカットされた。これらを含めてのお勧め曲を挙げておこう。1.「バンブー」は適度に肩の力が抜けた軽快さがよく、ボセーのシンガーとしての成熟度がよく表れている。2.「センツァ・ディ・テ」も同じようにヴォーカリストとしての余裕と貫録が伺える好ナンバーで、、基本的にスペイン語詞で歌われているものの、表題とサビの詞はイタリア語という曲。アルバム後半でのお勧めは、9.「ウニカ・リベラ・ラディオ」と表題曲の10.「ロス・チコス・ノ・ジョラン」。特に後者は、個人的には過去のボセーのナンバーの中でも1、2を争う出来の名曲。ついでながら12.で「ミックス・オトーニョ(秋ミックス)」と表記されているのは、4.「オハス・セカス」の別ヴァージョン。この曲も適度に余裕のあるヴォーカルが筆者のツボにはまる曲。 全体としてヴォーカル面でのいい意味での余裕、貫録が伺える。それと同時にほとんどの曲作りにボセー自身が参加しているが、ソングライティングのセンスの良さも伺える好盤と思う。[収録曲]1. Bamb?2. Senza Di Te3. Manos Vac?as4. Hojas Secas5. Si Te Cuentan Que Ca?6. Nunca Pasa Nada7. Aquel Sendero8. Otro9. ?nica Libera Radio10. Los Chicos No Lloran11. Josephine12. Mix Oto?o1990年リリース。 下記ランキングに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2012年04月09日
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活動25周年、勢いづくメキシカン・ロックの王道 1984年にメジャー・デビューしたメキシコのロック・バンド、EL TRI(エル・トリ)のスタジオ録音のオリジナル作としては第8作目(2枚のライブ盤を含めると10枚目)のアルバムが、本作『25年(25 años)』である。リリースは1993年。EL TRIはブルース・ロック色が濃いバンドで、メジャー・デビュー以降、一線で活躍し続ける現在に至るまで、一貫してスペイン語で歌を提供し続けている。 1984年デビューなのに25周年というのはどういうことかというと、その前身のバンドが起点になって数えているためである。EL TRIの前身に当たるスリー・ソウルズ・イン・マイ・マインド(Three Souls In My Mind)は1968年に活動を開始した(ちなみにこの頃、リーダーのアレハンドロ・ローラは英語の詞の曲も多く歌っていた)。 そうは言っても、25という数字の“キリの悪さ”を感じる人もいるかもしれない。でもこの発想は日本的なのであって、西洋語(メキシコは西洋じゃないにしても、言語がスペイン語なので、そうした言葉に基づく発想は“西洋的”とも言える)で考えるとまた違ってくる。 例えば、米ドルを思い浮かべてみるとよい。10セント(ダイム)や50セント(ハーフダラー)に混じって25セント硬貨(クォーター)というのがある。名称からも分かるように、1ドルを半分に割り、さらにその半分(つまりは4分の1)に割る発想である。そう言えば、時間を表す時もそうで、“15分”は、1時間(=60分)をやはり4分の1に分けるというもの。ここまでくればお分かりと思うが、1世紀(=100年)を4つに割る発想で出てくるのが25年という区切りである。ちなみに、日本語では“四半世紀”という訳語があるが、どうも一般には浸透していない。 何だかすっかり話がそれたので、アルバムの内容に戻ろう。都会(首都)へ出ていった人物をテーマにした1.「チランゴ・インコンプレンディード」(理解不能なチランゴ、チランゴとは“メキシコシティの人”の意味)でアルバムは幕を開ける。続く2.「ポブレ・ソニャドール(哀しき夢追い人)」は曲の展開がよくできていて、ハーモニカを多くフィーチャーしたライヴでも定番の名曲。夢から醒めたくない、非現実世界を求める男を歌ったこの曲に対し、詞の内容的に対照的なのが、7.「ドゥエニョ・デル・ムンド(世界は君のもの)」。“自由になるために生まれてきた”、“生きている限り、やろうと思えば何だって実現できる”という前向きなアップテンポの曲で、途中のギター・ソロもきまっている。かと思えば、8.「ミ・チャバ・ノ・コンプレンデ(おいらの彼女は分かってくれねえ)」では、ロックにかける自分を彼女は分かってくれないと愚痴ったりする。通して聴くと、曲の内容の押し引き加減がうまいように思う。 もちろん、『愛なき子(El niño sin amor)』以来の政治・社会問題への言及も忘れない。“物価はあがり、バス代さえきつい”、“政治腐敗はひどくなる一方”、“でも人々は我慢している”と歌う3.「エル・レイ(政府は王様)」。他にも、多くの犠牲者を出した石油タンク爆発事故を歌った曲(4.)や、個人情報を管理される選挙人カード登録の問題をテーマにした曲(6.)など現代化の進む1990年代当時の社会的危惧を歌ったものも含まれている。 個人的には90年代、このアルバムから数枚の期間のこのバンドは、とりわけ曲作りと演奏の勢いがベストだったと感じている。スペイン語の詞が分からなくても、ブルース・ロック的なノリに基づいたサウンドはすんなり馴染めるので、機会があればお試しいただきたい。[収録曲]1. Chilango incomprendido2. Pobre soñador3. El rey4. Dónde quedó la bolita5. Negro como tu conciencia6. Tómate la foto7. El dueño del mundo8. Mi chava no me comprende9. Libertad bajo fianza10. El hablador1993年リリース。 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012年03月24日
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スペイン・ロックと狂女フアナ ホアキン・サビーナ(Joaquín Sabina)は、1949年スペイン南部アンダルシア地方のハエン県出身のシンガーソングライター。若い頃には反フランコ体制の運動に加わりロンドンへ亡命していたが、1977年のフランコ総督死去後に祖国に戻り、1978年に1stアルバムを発表。その後はコンスタントに音楽活動を続けていたが、2001年に軽い脳梗塞を起こし、これが原因でうつ病になる。しかし、現在ではそれも克服し、元気に活動を続けている。スペインだけでなく、ラテンアメリカ諸国でも強い人気を誇り、2011年には初めて米国(NY、ロス、マイアミ)でのライブも敢行した。 狂女フアナ――世界史好きや映画に関心のある人には馴染みのある人物名だろう。スペインの王イサベル(カスティーリャ女王)とフェルナンド(アラゴン王)の娘にして、後に神聖ローマ皇帝となるカール5世およびフェルディナント1世の母。精神不安定の波があり、激しく取り乱したりしたことから“狂女フアナ”と呼ばれるが、一方では、王権をめぐる政争の中、狂女に仕立てられたとの説もあるらしい。彼女の生涯は2001年に映画化(邦題は『女王フアナ』)されている。 さて、「フアナ・ラ・ロカ(狂女フアナ)」はこの曲のタイトルで、こんなところにも歴史上の人物名が登場するところが面白い。ただし、別に歴史上のこの女王のことを歌っているのではなく、堅苦しい生活を捨て奔放に振る舞う“狂女フアナ”のあだ名を持つ女性を歌った、タイトルの割には気軽な曲。ホアキン・サビーナの3rdアルバム『ルレータ・ルサ(ロシアン・ルーレット)』に収録されたものだが、ちょうどこのアルバムからサビーナはロック・サウンドの方に傾いていった。 オリジナル(上記アルバム収録バージョン)の演奏は、今の時代からすると古めかしく、かなり間延びの激しい感じを受ける。けれども、ライブ盤として発表され、後にいくつかのコンピレーションにも収められた1986年のライブ・バージョンは、勢いもあって現在でも十分通用する。筆者は以前からこちらのバージョンが結構好きだったのだが、この動画がアップされているのを見つけたので、興味のある方はついでにお楽しみいただきたい。 [収録アルバム]Joaquín Sabina / Ruleta rusa (1984年) ←オリジナル・バージョン収録Joaquín Sabina y Viceversa / Joaqu?n Sabina y Viceversa en directo (1986年)←ライブ・バージョン収録Rock en tu idioma, Diez años, vol. III (1999年)などコンピ盤にも収録。 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2012年02月21日
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メキシコの社会問題に踏み込んだ第三作 1986年に発表されたEL TRIの3枚目のアルバムがこの『愛を知らぬ子(El niño sin amor)』。メジャー・デビュー作となった『シンプレメンテ(Simplemente)』が1984年で、その後毎年のペースでアルバムをリリースしての第三作目にあたる。このあたりになってくると、気負いみたいなものが少なくなってきて、ますます自然体にやりたい音楽を展開しているというのが全体的な印象。 楽曲は前2作と同じくバンド・リーダーのアレックス・ローラ(アレハンドロ・ローラ)のものが中心で、いくつかは1990年までギタリストとして所属し初期のソングライティングにも貢献したセルヒオ・マンセラとの共作。また、目を引く曲としては、オープニング・ナンバーの1.「ロックは決して死なない(El rock nunca muere)」がニール・ヤングのカバーである。この曲の原曲は、ニール・ヤング&クレイジー・ホースの1979年作『ラスト・ネヴァー・スリープス』に収録された「マイ・マイ、ヘイ・ヘイ (アウト・オブ・ザ・ブルー)」であるが、全編スペイン語の詞となっている。 もう一つの注目曲は、アルバム・タイトル曲の5.「愛なき子(El ni?o sin amor)」である。初期のEL TRIは恋愛や日常的なストーリーを題材に取り上げることが多かったが、90年代にかけて、次第に社会的・政治的な内容を歌詞に盛り込んでいくことになった。そのきっかけとなったのがこの曲と言える。表題の「愛なき子(El ni?o sin amor)」というのは、歌の中では「この子は愛を知らない(Este ni?o no conoce el amor)」とも言い換えられており、親の愛に触れることなく育ったストリート・チルドレン(路上生活の子ども)を指している。ちなみに、本アルバムのジャケット写真もこれを示唆するような道端に座った子どもの写真が用いられている。 明らかに聴きどころだと思われるのは、以上2曲。とはいえ、他のいずれの曲に関しても一定レベルを超えたもので、メジャーデビューから少し先を見渡して次のステップを目指している段階のアルバムと言ったところだろうか。[収録曲]1. El rock nunca muere2. Otro pecado3. Déjalo sangrar4. Qué tal ayer5. El niño sin amor6. Mujer diabólica7. No preguntes por qué8. Más allá del sol1986年リリース。 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012年02月18日
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一風変わったヴォーカル作 ポップ界で成功したシンガーの中には、ジャズ・ヴォーカル・アルバム制作の企画を志向する人も結構いる。それがうまくいくかどうかは、ふつうはシンガー本人のバックグラウンド(ジャズ・ヴォーカルがその人の音楽ルーツとして根づいているかどうか)次第という場合が多い。要するに、ジャズ・ヴォーカルに親しんできたポップ歌手が一度それをやってみたいというケース(この場合はよい作品になることが多い)、それほど親しみはないのだけれどちょっとカッコよくジャズ・ヴォーカルを決めてみたい場合(失敗作になる可能性が高い)のいずれかである。 メキシコを代表する男性ポップ・シンガーの一人、ミハーレス(Mijares)の『スウィング・エン・トゥ・イディオマ(スペイン語でスウィング)』は、そのどちらでもない一風変わったアルバムである。別項でも紹介したように、ミハーレスは下積みを重ねてメキシコひいてはラテン・ポップ界で成功した男性シンガーである。彼の第18作となるのが2007年発表の本作である。何も知らない人が聴いたら、本作は上の例では後者だと思われるかもしれない。実際、ミハーレスの声はこういうアレンジや作風にあまり向いているというふうな感じは個人的にはしない。 けれども、この作品が一風変わっているというのは、料理する素材の珍しさである。実は、本盤で取り上げられている曲は、いずれもスペイン語ロックの有名曲なのである。1.「ノ・ボイ・エン・トレン」はアルゼンチンのロック・シーンを牽引してきたチャーリー・ガルシア(Charly Garc?a)の曲。2.「ADO(アー・デー・オー)」と9.「哀しき愛の歌(トリステ・カンシオン)」はメキシコの大御所ロック・バンド、EL TRIの有名曲である。スペイン語ロックの古典ばかりか90年代以降の曲も取り上げていて、カイファネス(Caifanes)の6.「ノ・デヘス・ケ」、マナ(Man?)の7.「ラジャンド・エル・ソル」、カフェ・タクーバの10.「マリーア」なども取り上げている。アルバムを締めくくる11.「クアンド・セアス・グランデ」はアルゼンチン人ロッカー、ミゲル・マテオスの以前紹介したもの(「孤独のアメリカ」)と同時期の曲。 つまりは、管楽器を入れてあっさりとジャズ・ヴォーカル風アルバムを作っているのかと言えばそうではない。(少なくともスペイン語圏では)よく知られたロックチューンのオンパレードでこれをやっているという意欲作なのである。原曲を知っている聴き手にしてみれば、これがまたなかなか新鮮で、アレンジが凝っているわけではないが、これだけいろんなアーティストのロック曲を一色に染めるアレンジはなかなか面白い。 まあ、ミハーレスの他のアルバムとは明らかに作風が違うので、他のアルバムを聴いたことある人向けではあると思う。あるいはラテン系ロックが好きな人で一度試してみたい人にも向いているかもしれない。[収録曲]1. No voy en tren2. ADO3. Persiana americana4. Qui?n me ha robado el mes de abril5. Lamento boliviano6. No dejes que7. Rayando el sol8. Lucha de gigantes9. Triste canci?n10. Mar?a11. Cuando seas grande2007年リリース。 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2011年12月15日
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メキシコ、ブルースロック系バンド初期の代表作 リラン・ロール(Lira N’ Roll)は1991年にデビューしたメキシコのロック・グループ。バンド名はリーダーのアントニオ・リラ(Antonio Lira、ヴォーカルとギター)に由来する。アントニオ・リラは、1965年メキシコ市生まれで、80年代後半からブルース・ボーイズというバンドで音楽活動をしていたが、このリラン・ロールでの活動で一躍知られるようになった。これまで、リラン・ロールとしては、10枚ほどのオリジナル・アルバム(ライヴ盤等も入れると20枚程度)を発表している。 本盤『レクエルドス(Recuerdos)』は、1996年発売の4thアルバムで、アングラ的雰囲気を残したリラン・ロール初期の作品としては最後(一区切りとなる作品)である。そもそもこのバンドを“ブルースロック”と呼んでいいのか、単なる“叙情系ロック”と呼んだ方がいいのか迷うところなのだけれど、要するに、“洗練されたロック”でないことは確かである。けれども、ブルースに根差したロック音楽が英語ではない言語(スペイン語)でこれほどしっくりきたというのは、筆者にとっては新鮮味溢れるものであった。そう思って以来、すべてのアルバムを聴いたわけではないが、リラン・ロールのアルバムを機会があれば入手して追うようになってしまった。 本作に関して言えば(ちなみに作風はこの後少し変わるのだが)、詞の内容も決して力強い感じはしない。“君のことばかり考えるのに疲れた…君が決して帰って来ないことは分かっている”(5.「愛の記憶(メモリアス)」)、“だめだ、眠れない、俺の人生を、俺の中で起こった問題を考えると…”(10.「夢を見たい(ノ・プエド・ソニャール)」)なんて歌詞を耳にすると、メキシコ人男性はダメ男ばかりかとすら思えてくる。でも、メキシコでは、こういう情けない系の男が“葛藤を抱えたカッコいい男”みたいに扱われるというのも確かなのだけれど(笑)。 まあ、そんな部分も含めて、筆者はこれを気に入ってしまっている。音の面では、特段革新的でもなければ実験的でもない。けれども、上で述べたように、ブルースもしくはブルースロックのリズムがしっかり体に馴染んで消化されていて、それがスペイン語で歌うというスタイルに完全にマッチしている。このマッチングは、別にスペイン語がロックと相性がいいからというわけではないように思う。日本語でもこういうことはあり得るのではないかと想像するが、日本のロック界にこういう日本語の歌詞のはまり方はあまり見られないように思う(あるいは筆者が日本のアーティストをよく知らないだけ?)。 メキシコのマイナーレーベル(DENVERレーベル)からCDをリリースしてきたため、日本では手に入れにくいものだけれども、ロック/ブルースロックの非英語圏での受容、みたいなことを考えるにつけ、リラン・ロールは結構面白い例のように思う。[収録曲]1. Recuerdos2. Una Oportunidad3. Tiempo Atrás4. El Chopo5. Memorias6. Así soy yo7. Pensaba en ti8. Caos Total9. Tú Cariño10. No Puedo Soñar1996年リリース。 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2011年11月24日
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メキシコ有名ポップシンガー、若き日のヒット作 正式なアーティスト名は当初マヌエル・ミハーレスだったようだが、いつの間にか単に“ミハーレス(Mijares)”として知られるようにメキシコの男性ポップシンガー。本名は、ホセ・マヌエル・ミハーレス・モラン(Jos? Manuel Mijares Mor?n)といい、1958年にメキシコ市で生まれた。20代前半でコンテストなどには参加していたが、デビューは20代も後半になってからであった。1985年のコンテストで認められ、大手レーベル(EMIキャピトル)から1986年に最初のアルバムを発表している。デビュー前には、日本のバーで働いた経験や、同じメキシコの有名歌手エマヌエル(Emmanuel)のコーラスを務めた経験もあるとのことで、案外苦労人な側面もあったのかもしれない。 本作『ウン・オンブレ・ディスクレート(Un hombre discreto)』は、1989年のリリースで、デビューから数年して人気実力ともに上り調子だったころのアルバムである。ヒットはメキシコのみならず、他のラテンアメリカの国にも広がった。 メキシコ人シンガーによくある特徴だが、歌を実にストレートに歌う。技術云々ではなく、良くも悪くも真っ直ぐに詞を歌うという傾向である(よく言えば、マリアッチなどの伝統的な歌い方に通ずるのかもしれないし、悪く言えば、テクニックがないままデビューする歌手が多いということでもあろうか)。この手のシンガーの場合、もともとその人の持っている声の魅力とか、場合によってはその歌手の美貌とかがあって、これがうまくマッチすると一気に聴衆受けすることになる。ミハーレスは典型的な前者の例に当たるように思う。男の筆者が聴いても“カッコいい~”としびれる声質で、こういう風に人気に火がついたのもなるほど納得という感じがする。 本作からの有名曲をいくつか挙げておこう。3.「パラ・アマールノス・マス(Para amarnos m?s、もっと愛しあうために)」、4.「メ・アコルダレ・デ・ティ(Me acordar? de ti、君を忘れない)」はいずれもラブソング系バラードで、後々の重要なレパートリーになっている。6.「バニョ・デ・ムヘーレス(Ba?o de mujeres)」はアップテンポの人気曲となった。アルバムを締めくくる10.「アルフォンシーナ・イ・エル・マール(Alfonsina y el mar、アルフォンシーナと海)」は、メルセデス・ソーサが40年以上前にレコーディングして以来、ラテン系の多くのアーティストによってカバーされてきた名曲。[収録曲]1. No es normal2. Un hombre discreto3. Para amarnos m?s4. Me acordar? de ti5. Piel de luna6. Ba?o de mujeres7. Le?a seca8. Fuera de combate9. No busques m?s10. Alfonsina y el mar1989年リリース。 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2011年11月13日
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ラテンの伝統音楽+現代ギタリストの異色アルバム タニア・リベルター(Tania Libertad)は、ペルー出身で、メキシコで活躍する女性シンガー。現代風なポップやロックというよりは、いかにもラテン系の伝統的歌唱を得意とするタイプの歌手(過去記事を参照)である。他方、一緒にアルバムの名義人になっているフィル・マンザネラ(Phil Manzanera, スペイン語読みではマンサネラ)は、イギリス人ながらコロンビア人の母をもち、ラテンアメリカでの生活経験を持つ、一風変わった音楽的バックグラウンドのギタリストである(同じく過去記事を参照)。 『ボレロス・デ・オイ』(スペイン語で『今日のボレロ』)という表題からもわかるように、本盤の題材はボレロでありながら、料理の仕方は“オイ(今日)”つまりは現在を意識したサウンドになっている。ボレロというのは、ショパンやラヴェルといったクラシックで言うところのボレロとは異なり、18~19世紀にキューバで発展した音楽で、ラテンアメリカ諸国に広まっていったとされる。タニア・リベルターが活躍するメキシコでもボレロの認知度は高く、根強い人気がある。それを現代的に解釈したのが、このアルバムということになる。 アルバム全体としての特徴は二つある。一つは、マンザネラの幻想的ギターの演出が随所で効果を発揮している点である。“現代的な音で演るボレロ”というコンセプトは大部分がマンザネラの優れたセンスのおかげで成功しているとすら言ってもいいかもしれない。 もう一つの特徴は、収録された全11曲中の4曲でのゲスト参加である。2.「トレス・パラブラス」は、いわゆるラテン・ジャズ系でもよく取り上げられる曲。ジャズ側の演奏では、例えば、ケニー・バレル(『ブルージー・バレル』)やスティーヴ・キューン(『キエレメ・ムーチョ』)などが思い浮かぶ。ここでは、スペインの有名シンガー、ミゲル・ボセー(Miguel Bos?)が共演している。3.「アモール・ヒターノ(ジプシーの愛)」ではアスカル・モレノ(Az?car Moreno)がゲスト参加となっている。 残る二つの共演曲のゲストは、ラテンアメリカではそれぞれかなりのビッグネームである。5.「アオラ・レスエルタ(いま、わかった)」では、この曲の作者(ちなみに本盤中では4.と10.も彼のペンによる)であるアルマンド・マンサネロ(Armando Manzanero)とのデュエット。アルマンド・マンサネロはメキシコの“小さな巨人”(小さな、というのは背が低いという意味)で、歌手としてだけでなく、数々の有名曲の作者として知られる。さらに、10.「ア・エソ・デ・ラス・オチョ(8時ごろ)」では、ジャズ界でも名を知られたブラジルのミュージシャン、イヴァン・リンス(Iv?n Lins)とのデュエットである。 正直なところ、そもそもボレロという時点で好みは分かれるかもしれない。けれども、ラテンのまったり目のノリが好きで(筆者はそもそもここがつぼにはまっている)、なおかつ古臭い感覚でなく新しい感性のものを求めている向きには、一聴の価値があろうかと思う。[収録曲]1. Flor de azalea2. Tres palabras (d?o con Miguel Bos?)3. Amor gitano (con participaci?n especial de Az?car Moreno)4. No ha pasado nada5. Ahora resuelta (d?o con Armando Manzanero)6. Qu? sabes t?7. Ay cari?o8. Estoy perdida9. Por qu? negar10. A eso de las ocho (d?o con Iv?n Lins)11. Usted1991年リリース。 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2011年08月25日
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凡庸なカバー集なのか、それとも… ユリディア(Yuridia)は“天使の歌声(voz de un Ángel)”の愛称で知られるメキシコの歌手(プロフィールはデビュー作の過去記事を参照)。爆発的ヒットを記録したデビュー作に続いて出された第2弾アルバムが、この『アブラ・エル・コラソン(Habla el corazón)』で、メキシコでは4か月にわたってアルバム・チャートの3位以内に留まる売れ行きとなった。第二弾もまたカバー曲集、それも英米のヒット曲をごっそり集め、大半をスペイン語で歌うという企画のものであった。 ふつうはこの手のアルバムは失敗に終わる公算が高い。英語の有名曲をカバーし、自国語の詞をつけて発表する時点で少々“イタイ”企画だとすら言っていいかもしれない。筆者も最初にこのアルバムを聴いたときは、“いまいちだな”と思った。けれども、よくよく繰り返し聴いていると、だんだんそうではないのではないか、という気がしてきた。 行き着いた結論は、音楽性・演奏・アレンジ云々ではなく、結局のところ、デビュー作と同様に、ユリディアの歌唱そのものを楽しむアルバムだったというものである。しかもデビュー作から本作までの間に、シンガーとしての力量は確実に上昇していた。少し大げさな言い方かもしれないが、喩えるとすれば、カレン・カーペンターのように思う。カーペンターズの場合、カレンには兄リチャードという有能な“裏方”がいたので、音楽的にも優れた作品が多いわけだけれど、問題にしたいのはカレンのボーカルである。明瞭にかつきれいな発音で英語の詞を丁寧に歌い、それが優れた歌唱力とセットになってそのボーカルの魅力につながっている。このユリディアのボーカルも同様に、明瞭かつきれいに発音しながらスペイン語の詞を歌っている。しかも前作のデビュー盤では荒削りな部分が見られた歌唱力についても洗練度が増し、実力がアップした。つまるところ、歌手としてのレベルが格段に上がっていたのである。 ちなみに収録曲の中には次のようなものが含まれる。ザ・ポリス(1.「見つめていたい(Every Breath You Take)」)、ボン・ジョヴィ(2.「ディス・エイント・ア・ラヴ・ソング」)、ボニー・タイラー(6.「愛のかげり(Total Eclipse of the Heart)」)、トニー・ブラクストン(8.「アンブレイク・マイ・ハート」)。1曲だけ(ベット・ミドラーの9.「ザ・ローズ」)だけは英語詞のまま歌われているが、残りはスペイン語の訳詞で、まさしく英語の有名曲のオンパレードである。 面白いのは、スペイン語で既発表の曲が結構多いことである。2.「ディス・エイント・ア・ラヴ・ソング」はボン・ジョヴィ自身がスペイン語圏への売り込みのため過去に録音している。本アルバムの表題になっている3.「リッスン・トゥ・ユア・ハート」はやはりロクセット自身が全編スペイン語の企画盤(『バラーダス・エン・エスパニョール』)を出した際に取り上げた曲の一つ。5.「アイ・ドゥ・イット・フォー・ユー((Everything I Do It) I Do It For You)」もブライアン・アダムス自身が決して堪能ではないスペイン語で吹き込んだことがある。ビリー・ジョエルの10.「ピアノ・マン」は、スペインの歌手アナ・ベレンをはじめスペイン語で何度も取り上げられたことのある曲。[収録曲] = =内に英語の原題を表記1. Siempre te amaré =Every Breath You Take=2. Como yo nadie te ha amado =This Ain't a Love Song=3. Habla el corazón =Listen to Your Heart=4. Otro día más sin verte =Just Another Day=5. Todo lo que hago lo hago por ti =(Everything I Do) I Do It for You=6. Eclipse total de amor =Total Eclipse of the Heart=7. Estar junto a ti =Angel=8. Regresa a mí =Un-Break My Heart=9. Rose =The Rose=10. El hombre del piano =Piano Man= 2006年リリース。【メール便送料無料】YURIDIA / HABLA EL CORAZON (輸入盤CD) 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2011年07月10日
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歴史の重なりを感じさせる70年代スペイン・ポップスの名曲 アナ・ベレン(Ana Bel?n,1951年生まれ、マドリード出身のシンガー・女優)とビクトル・マヌエル(V?ctor Manuel,1947年生まれ、アストゥリアス地方出身のシンガーソングライター)の夫婦は早くからデュオで活動し、70年代後半から80年代前半にかけてのスペインの“移行期”を代表するアーティストと言われる。 少しばかり歴史的な背景を振り返っておくと、第二次世界大戦での敗戦によって各国のファシズム体制は崩れ去った。そんな中、スペインは1975年のフランコ総統死去まで独裁体制を引きずり、西洋諸国や日本のような現在の民主的体制が確立されるのに時間がかかった国である。アナ・ベレンとビクトル・マヌエルの世代のアーティストたちは、ポスト世界大戦の生まれでありながらも、スペインの個別事情からみると、フランコ体制の下で生まれ育ち、やがて現代の自由なEUの一国になるまでを体験した、そんな激動の世代というわけである。 他方、スペインは他のいくつかのヨーロッパ諸国と同じく、ローマ時代から脈々と連なる歴史の深みを感じさせる国でもある。そのことが筆者にとっての先入観となってしまっているのかもしれないのだけれど、以前紹介したジョアン・マヌエル・セラーの「メディテラネオ(地中海)」などを聴いても、今の地中海と同時に、悠久の過去の地中海(近世の海戦の舞台、古代のローマやカルタゴの交易や戦役などなど)も連想してしまう。ボストンやカリフォルニアなどという地名を聞いてもこういう発想は働かないのだが、イタリアとかスペインとかの地名を聞くと、不思議なことにそういう壮大な歴史のイメージが膨らむ。 これら二重の意味で、「アルカラの門」は歴史の重なりを感じさせる曲である。実際、この曲の歌詞には、カルロス3世(スペイン王、1759~88年)から、内戦を経て、いま現在その門を見ている自分自身まで、様々な登場人物が順に描写される。この門はもともとあった16世紀の門をカルロス3世が新たに建設させたもので、首都マドリードにとって、東側(フランス、カタルーニャなど)方面への玄関口だったという。この曲の詞の中では、カルロス3世がお供の者たちとこの門を通る姿が描写されている。 曲が進んで次のヴァースでは、1930年代のスペイン市民戦争時の光景、さらに次のヴァースでは1960年代の学生運動が取り上げられ、その次に現代の門の様子が描写される。つまりは、アルカラの門という実在のモニュメントが、過去から現代までその場所でこうした様々な歴史の光景を見つめ続けてきたことを詞にしているというわけである。 これだけで終わるとあまり面白くないのだけれど、最後に、自分自身がアルカラの門の前で立ち止まり、ふとそれを見つめるというシーンが詞に含まれている。その表現が“誰かに見られている気がして立ち止まり、気付くとそこにアルカラの門があった”というもので、つまりは、現在の自分自身も長い歴史を見てきたアルカラの門に見られているという設定が面白い。 ちなみに、作詞作曲はルイス・メンドとベルナルド・フステルを中心とするスペインのフォーク・ロック・バンド、スブルバーノ(Suburbano)によるが、アナ・ベレンとビクトル・マヌエルのヒットにより、このデュオの代表曲としてすっかり定着している。[収録アルバム]Ana Bel?n & V?ctor Manuel / Para la ternura siempre hay tiempo (1986年)Ana Bel?n & V?ctor Manuel / Dos grandes con historia (1992年)←ベスト盤Ana Bel?n & V?ctor Manuel / Mucho m?s que dos (1994年)←ゲスト多彩なライブ盤追記: ちなみに、プロフィール欄の写真が、このアルカラ門です(2012年春現在)。 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2011年07月09日
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21世紀メキシコのシンデレラ・ガールのデビュー作 ユリディア(Yuridia)は、1986年生まれのメキシコの女性シンガー。2005年、メキシコの大手テレビ局(TVアステカ)が企画したテレビ・ショーで、賞金300万ペソとレコード契約をかけた若きシンガーたちのコンクールがあって、そこでの活躍が認められデビューへのきっかけをつかんだ。ちなみに、コンクールの結果としては2位。賞金の半額とソニー・ミュージックのアルバム契約、さらには最新モデルの自動車を賞品としてゲットしたとのこと。 週末のテレビ番組で火がついた人気と評価への対応は早かった。上記の受賞からわずか1ヶ月後には、このデビューアルバム『天使の歌声(原題:ラ・ボス・デ・ウン・アンヘル)』が発売された。収められたのは、上記コンクール中で彼女が歌った15曲。加えて、彼女の父のつくった曲がボーナス・トラック(16.)として収録された。リリース時にはCDアルバムにDVDもセットにして売り出された。 このアルバムの売れ行きはまさしく爆発的だった。3週間足らずでメキシコ国内ゴールド・ディスクとなった後は、次の1週間でプラチナを達成。その後もロングセールスを続け、最終的には150万セット以上をメキシコおよびアメリカと中南米諸国で売り上げた。リリースが05年夏だったにもかかわらず、2009年の夏の時点でもまだアルバム売上ベスト100に入り続けるというロングセールスぶりだった。余談ながら、筆者がこれを買ったのも、デビュー直後ではなく2006年頃だったと記憶しているので、ロングセールスの一端にささやかながら加担したわけだ。 上記のように、基本カバー・アルバムなので、楽曲の出来云々というよりもシンガーとして“歌唱”を聴かせるアルバムである。荒削りな部分は確かに散見されるものの、当時20歳手前にしてはやたらと歌いっぷりに貫録がある。実際、アイドルといった風貌あるいは体型ではい(失礼!)。むしろ見た目は“田舎のイモねーちゃん”あるいは将来の“貫録あるおばちゃんぶり”が想像されそうなイメージである(重ね重ね失礼!)。 急に作られたアルバムということで、アルバム作品してのまとまりも不十分ではあるのだが、1.「天使(アンヘル)」の熱唱を聴くだけでも価値がある。これが気に入ったら、他のお気に入り曲をぜひ探していただきたい。個人的には1.「アンヘル」がダントツの熱唱だが、他には3.「マルディータ・プリマベーラ」、8.「デハメ・ボルベール・コンティーゴ」、12.「あなた(トゥ)」なども気に入っている。[収録曲]1. Ángel2. Ámame3. Maldita Primavera4. Lo Siento Mi Amor5. Peligro6. Así Fue7. Detrás De Mi Ventana8. Déjame Volver Contigo9. Como Yo Te Amo10. Daría11. La Muerte Del Palomo12. Tú13. Mi Forma De Ser14. Si No Te Hubieras Ido15. Mentira16. Sobreviviré(ボーナス・トラック)*米リリース盤は全10曲入り(ボーナス曲含めメキシコ盤より6曲少ない)です。2005年リリース。 【メール便送料無料】YURIDIA / VOZ DE UN ANGEL (W/DVD) (輸入盤CD) 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2011年04月14日
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洗練された地中海ポップスの好盤 プレスントス・インプリカドス(Presuntos Implicados)は、1980年代初めにスペイン南部のムルシアで誕生したポップ・グループ。当初は11人編成でファンク志向だったらしいが、80年代後半から洗練されたポップ感覚で人気に火がつき、3人組として活動を続けてきた。ながらくグループの顔であったボーカリストのソーレ・ヒメネス(Sole Gim?nez)が2006年に脱退したが、ソロ歌手として既に活躍していたリディア・ロドリゲス(Lydia Rodr?guez)を新メンバーに加えて今も活動をしている。 本盤『セール・デ・アグア(Ser de agua)』はプレスントス・インプリカドスが1991年に発表したメジャー第2作。前作『ブルースの心(Alma de Blues)』(1989年)がスペインでは既にプラチナ・ディスクに輝いており、本作も約束されたヒットだったと言える。発売1カ月で10万枚を売り上げ、スペイン国内では最終的にプラチナ×4の売り上げとなった。しかし、何よりも『セール・デ・アグア』の成功はインターナショナルなセールスにあった。アメリカ大陸のスペイン語圏(中南米諸国)、英国、そして日本が海外セールスの中心だったという。 かくいう筆者も1992年、ラジオで2.「バルバラ・デル・カンポ」を聴いて初めてこの人たちのことを知り、このアルバムを買いに走った記憶がある。同年は、バルセロナ五輪、セビリア万博、コロンブス500周年など“スペイン・イヤー”であった。兼ねてからのワールドミュージックの本邦紹介の流れもあり、スペインのポップ・ロックなどの音楽も紹介される機会が結構多かった。バルセロナ・オリンピックなんて最近じゃないか…と思う人もいるかもしれないが、それは大人の意見だろう。“おぎゃ~”と生まれた赤ん坊が社会人になったり大学生になったりしているだけの年月なのだから、19年というのは“ひと昔”どころじゃない。でも個人的には、プレスントスの音楽との出会いは、やっぱりついこの間のように思ってしまうけれど。 さて、アルバムの内容は、なによりもプレスントスの特徴である“洗練されたポップ感覚”が満載である。前作(『ブルースの心』)と比べると格段の進歩が伺える。この洗練度は、後のアルバムでもさらに増していくとはいえ、本作時点で既に完成された域に達している。筆者の特にお気に入りは、2.「バルバラ・デル・カンポ」、13.「コモ・エモス・カンビアード」(ライブ録音バージョンも1.として収録)で、洒落た優雅なポップを聴かせてくれる。他には、アップテンポの4.「センティール・カロール」、陰りを湛えた5.「ミル・マリポサス」、さらには、8.「イカロ」、11.「アル・アタルデセール」、タイトル曲の12.「セール・デ・アグア」あたりもいい。 あえて本アルバムの不満点を挙げるならば、曲配置にもう少し工夫の余地があったかもしれないような気がするが、各曲のレベルが高いので、難点というほどのものでもないだろう。上で述べた“洗練されたポップ感覚”を集中しながら聴くのもよし、“お洒落なラテン・ポップ”としてBGMに聞き流すのもよしの、魅力的なアルバムに仕上がっている。[収録曲]1. Como hemos cambiado -versi?n en vivo-2. B?rbara del campo3. Recibes cartas4. Sentir su calor5. Mil mariposas6. Llovi?7. De puntillas8. ?caro9. Cuando quiero sol10. Andas junto a m?11. Al atardecer12. Ser de agua13. Como hemos cambiado -versi?n para CD-1991年リリース。 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2011年03月03日
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メキシカン・ミクスチャー・ロックのトップ・バンドの原点 カフェ・タクーバ(正しくはCafé Tacvbaだが、Café Tacubaと綴られることもある)は、メキシコ市郊外のナウカルパンで1989年に結成されたメキシコ人ロック・バンド。カフェ・タクーバという名はメキシコ市中心部に実在する老舗カフェの名前に由来し、あえて古風な綴り(uをvに変更)にしたという。カフェ・タクーバとなる前は、アリシア・ジャ・ノ・ビベ・アキー(Alicia ya no vive aquí)というバンド名でザ・キュアーやデフ・レパードを目指すスタイルの音楽をやっていたらしい。デビュー後は90年代のオルターナティヴ、ミクスチャー、さらにはヒップ・ホップ、エレクトロニカなどポスト・ロックの様々な潮流に乗り、ラテン系バンドの中で揺るぎない地位を確立し、2000年代に入ってからはグラミーを何度も受賞している。 上記の通り結成は1989年だが、デビュー・アルバムをリリースしたのは1992年になってからのこと。セルフタイトルの同デビュー作からのビッグ・ヒット(シングルとしては4枚目)がこの「ラ・チカ・バンダ(La Chica Banda)」である。現地メキシコのラジオでは、ヘビーローテの定番としてすっかり定着しており、頻繁に耳にする有名曲である。 カフェ・タクーバの成功の要因は、上で書いたようなポスト・ロックの時流にうまく乗ったということだけではなかった。それと同時にもう一つ重要な要素がある。それは、メキシコの伝統的音楽要素(マリアッチ、ノルテーニャ、ランチェーラなど)を巧みに取り入れ、スペイン語で歌う詞のテーマにもメキシコ的なものをうまく組み合わせてきた点にある。単にポスト・ロックな潮流で成功するだけなら、メキシコ初のバンドである必然性はないけれども、カフェ・タクーバの登場はこの二つ目の理由からメキシコ発という必然性があったと言えるかもしれない。 この「ラ・チカ・バンダ」という曲は、上の二つ目の要素のうち、詞の部分にもメキシコ的な内容が盛り込まれている。大筋は“イカした女の子の描写”というありきたりなテーマだけれども、その彼女が通う学校(第23中学校)で流行のブーツはメキシコの大手靴ブランド、フレクシ(Flexi)のもの。彼女自身については、父がサン・フアン・チャムーラ出身、母がツィンツンツァン出身で、本人は“大テノチティトラン生まれ”という設定。つまり、父母の出身地はいずれも先住民文化の村として有名で、テノチティトランとはメキシコ市の大昔(アステカ時代)の名称。トサカ・ヘアーの彼女にパンクのコンサートで主人公がコクるというありきたりなテーマの中にも地元性をうまく混ぜ込んだという感じか。 ともあれ、この時期を起点としてカフェ・タクーバはさらなる音楽的実験と地位を確立していった。その意味では、彼らの原点とも言える1曲だろう。[収録アルバム]Café Tacvba / Café Tacvba (1992年)その他、ベスト盤類にも収録。 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2011年02月24日
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音楽の多国籍=無国籍化から生まれた好盤 アルベルト(Alberto)ことアルベルト城間はペルー出身の日系3世。91年から活躍しているラテン・バンド、ディアマンテス(Diamantes)の中心メンバーである。そのアルベルトが2000年にリリースした初ソロ作がこの『ハートに火をつけて(Light My Fire)』というアルバムである。 本人の出身は南米ペルー、活動拠点は沖縄、そして本盤の制作はニューヨーク。このことからもわかるように、多国籍な音楽である。多国籍という言い方をすると複数の土地にまたがるということになり、では主な立脚地はどこなのかという疑問もわいてくるかもしれない。その意味では、本作はもしかすると“無国籍”という表現の方が相応しいのかもしれないとも思う。日本語でも、沖縄の言葉でも、英語でも、出身地であるペルーのスペイン語でも歌えるアルベルトが、本盤では英語とスペイン語を併用。日本だけでなく米盤リリースでNYサルサ界を視野に入れての制作。実際にアルバムを聴いているとその瞬間ごとに立脚点が次々と変わっていく感じで、まさしく国境のない(あるいは国境をひょいひょいと飛び越えながら)という印象を受ける。 上記の無国籍性は、本盤の選曲からも見て取られる。タイトル曲の1.「ハートに火をつけて」(ザ・ドアーズの67年作収録)や2.「素顔のままで」(ビリー・ジョエルの77年のヒット曲)といった、英語でなじみのロック/ポップ・ナンバーがあるかと思えば、4.「ワインレッドの心」(安全地帯の代表曲)や9.「君といつまでも」(加山雄三のヒット曲)という本邦有名曲もある。さらには6.「カネラの花」、7.「ある恋の物語」、8.「ベサメ・ムーチョ」というラテン諸国の定番ナンバーも含まれる。興味深いのは、これら出自の違う曲が次々と登場するのを通して聴いて、何の違和感もなく全体が一色に染まっている点である。“サルサ”という括りのもとに一つの統一感が見事に出ていることは、やはり“無国籍”と評すのがぴったりだと思う。 余談ながら、筆者はラテン系の踊りを伴いそうな音楽(典型的にはサルサもその一つ)は、全く聴かないわけではないけれど、どちらかというと苦手である。けれども、このアルバムはヴォーカルの比重が高く、“歌声を聴かせる”ことにも重点を置いた音のつくりをしていて、ヴォーカルがしっかりと耳に届く。おそらくはアルベルト(および制作スタッフ)の意図もそこに結構比重を置いたものではなかっただろうか。上で触れた選曲と一緒に考え合わせると、どうもそんな気がしてならない。サルサ愛好者には本格的なものであることを示すと同時に、この手の音楽に馴染みのない人が聴いても興味を示し、そのよさを理解しうるようなアルバム。それが、上記のバラエティに富んだ選曲にも表れていて、その意図は見事成功したと思う。 そのようなわけで、ラテン世界未体験のリスナーや“試しにサルサでも聴いてみよっか”という向きにも勧められる好盤という感想を持っている。[収録曲]1. Light My Fire (ハートに火をつけて)2. Just The Way You Are (素顔のままで)3. Como una diosa al caminar (摩天楼の女神)4. Vino tinto (ワインレッドの心)5. Wave (ウェイヴ)6. La flor de canela (カネラの花)7. Historia de un amor (ある恋の物語)8. B?same mucho (ベサメ・ムーチョ)9. Amor eterno (君といつまでも)10. El d?a que me quieras (エル・ディア・ケ・メ・キエラス)2000年リリース。 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓ ↓
2011年01月28日
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ラテンの貴公子によるクリスマス・アルバム ルイス・ミゲル(Luis Miguel、本名ルイス・ミゲル・ガジェーゴ・バステーリLuis Miguel Gallego Basteri)はメキシコの歌手。もともとはプエルトリコ生まれだが、10代でアイドルとしてデビューし、メキシコを活動拠点とし、1991年にメキシコ国籍を取得している。その後、90年代にはボレロやマリアッチといった伝統曲を歌ってシンガーとしての実力ぶりを発揮した。「メキシコの太陽(El sol de M?xico)」のニックネームで呼ばれ、現在もラテン・ポップス界の貴公子として君臨し続けている男性ヴォーカリストである。これまで合計10のグラミー受賞(うちラテン部門での受賞は6回)という経歴からも、その人気ぶりがうかがえる。 そのルイス・ミゲルが有名なスタンダード・クリスマス曲をスペイン語で披露しているのがこの一枚。スペイン語でクリスマスはナビダー(Navidad)またはナビダーデス(Navidades)という。つまり、アルバム・タイトルはずばり“クリスマス”そのものというわけである。 3.「フレンテ・ア・ラ・チメネア(Frente a la chimenea、赤鼻のトナカイ)」、5.「ナビダー、ナビダー(Navidad, Navidad、ジングル・ベル)」、11.「ノチェ・デ・パス(Noche de Paz、きよしこの夜)」といった日本語でもおなじみのクリスマス・ソングが収録されていて、いずれもスペイン語の訳詞で歌われている。同様に、英語でよく耳にするスタンダード曲も多く含まれていて、ビング・クロスビーで有名な4.「白いクリスマス(Blanca Navidad)」(英語White Christmas)がその筆頭である。他には、1.「サンタ・クロース・ジェゴー・ア・ラ・シウダー(Santa Claus llegó a la ciudad、英語Santa Claus Is Coming To Town)」、2.「テ・デセオ・ムイ・フェリセス・フィエスタス(Te deseo muy felices fiestas、英語Have Yourself A Merry Little Christmas)」、6.「エスタレー・エン・ミ・カサ・エスタ・ナビダー(Estaré en mi casa esta Navidad、英語I'll Be Home for Christmas)」、10.「ジェゴー・ラ・ナビダー(Llegó la Navidad、英語Winter Wonderland)」といった具合。もちろん、これらも全てタイトルからわかるように、スペイン語の訳詞で歌われている。 通常のポップ・バンドの編成ではなく、サックス、トロンボーン、フルート、オーボエ、ヴァイオリンといった楽器を取り込み、いくつかの曲では明るく楽しく、また曲によってはしっとりと聴かせる、そんなクリスマス・ソング集に仕上がっている。考えてみれば、年末が近づくとクリスマス・ソングをあちこちで耳にするわけだが、子供から大人まで楽しく歌えるとすれば、やはり自国語に限る。スペイン語圏で大ヒットした理由は明らかで、英語ではなくスペイン語で歌ったことが成功の大きな要因だったのだろう。実際、11.「きよしこの夜」は“ニュー・バージョン”となっていて、スペイン語圏で以前から親しまれている訳詞とは異なる歌詞である。これが何を意味するかというと、伝統的な訳詞は文語調の表現も含んでいて普段の口語と違う感じなのだけれど、本アルバムのニュー・バージョンなるものは、もっとわかりやすい現代調の訳詞なのである。つまり、子供も口ずさむことのできるものというわけで、幅広い支持を受けたのもなるほどと思う。日本語でも似た試みをやると当たるかもしれないと前々から思っている。“主は来ませり”とかいった類の古めかしい訳詞ではなく、いっそ口語調の新しい詞にして有名歌手が現代風サウンドでクリスマス・ソング集を作ってシーズンに発売したら、案外売れるんじゃないだろうか…。[収録曲]1. Santa Claus llegó a la ciudad2. Te deseo muy felices fiestas3. Frente a la chimenea4. Blanca Navidad5. Navidad, Navidad6. Estaré en mi casa esta Navidad7. Mi humilde oración8. Va a nevar9. Sonríe10. Llegó la Navidad11. Noche de paz (nueva versión)2006年リリース。 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2010年12月22日
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メキシコのロックバンド、EL TRIの「転がる石~ピエドラス・ロダンテス(Piedras rodantes)」のビデオクリップです。前回記事のEL TRIのアルバム『ミヌスバリドス(Una rola para los minusválidos)』の収録曲です。 ちなみにヴォーカルを取っているのがバンドリーダーのアレハンドロ・ローラ(アレックス・ローラ)、横にいるのは彼の妻かつメンバー。手前でハーモニカを吹くおじさんも登場しますが、EL TRIにはハープ専門メンバーがいて、彼もバンドのメンバーです。 関連過去記事: EL TRI 『ミヌスバリドス(Una rola para los minusválidos)』(1994年) 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2010年10月28日
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相変わらずの社会風刺+名曲2曲の好盤 EL TRI(エル・トリ、関連過去記事(1)、(2))はメキシカン・ロックのパイオニアにして現在も活躍する大御所バンドである。1994年にリリースされた本作『ミヌスバリドス(Una rola para los minusválidos)』は、先駆者的な活動から、国内産ロックというものがメキシコに定着しベテランバンドへと移っていく時期の1枚である。 アルバム・タイトルは直訳すると『身障者に捧げる曲』の意味で、6.「ミヌスバリドス」はそうした人々も社会生活を他の人たちと同じように送れるよう願いを込めたもの。現在の日本社会から見れば陳腐なテーマに見えるかもしれないが、この当時のメキシコは、例えば車椅子で街に出ることなどはかなり困難な状況だったことを考えると納得のいくテーマである。ジャケットの裏側にもバンドのリーダーであるアレハンドロ・ローラが心身の不自由な人々に捧げる旨のメッセージが記載されていて、EL TRIのコンサートでもそうした人々を招待するなどという活動もしている。 他のアルバム同様、社会批判や社会風刺の曲も相変わらず痛烈で、ちょうどこの年にメキシコ南部で武装蜂起したEZLN(サパティスタ民族解放軍)を歌った4.「レボルシオン ‘94(94年の革命)」、このアルバム制作の少し前に暗殺された大統領候補(当時の与党、制度的革命党のコロシオ候補)を取り上げて社会の不安定と社会正義の不在を歌った10.「コン・ラ・コラ・エントレ・ラス・パタス(脚の間に尻尾を隠して)」のような曲も含まれている。他方、メキシコ人性を強調した7.「いちばんイケてる人種(La raza más chida)」では“俺たちメキシコ人の体はテキーラとメスカルでできている”と明るい詞でありながら、ここでも“自分の運命を自嘲できるのは俺たちメキシコ人だけ”と風刺的な詞を紛れ込ますことも忘れていない。 そうした風刺性はスロー~ミドルテンポの次の2曲に集約されている。2.「ペルデドール(負け犬)」と8.「ピエドラス・ロダンテス」は、地味ながらも本盤を代表する曲で、なおかつ後々のライブなどでも必ず演奏される名曲である。 2.の方は“人生何をやってもうまくいかない”、“いつも負け犬だった”主人公が道端に座って都会の風景の断片を歌うという情緒的な内容の詞である。大通りを流れるバスやタクシーを見つめながらこれらの交通機関に乗る人たちを“皆がもうすぐ無事に到着するという確信を持った顔をした大勢の人”と描写し、人生うまくいかない人と都会生活を忙しく送る人との対比を示しながらも、慌ただしく人が溢れた都会での公共交通の不安性をさりげなく風刺する(日本でも鉄道や突発的交通事故が起こるたびにこの詞が思い起こされる)。 8.は別々の人生を歩んでいくであろう同級生に捧げる内容を歌った体裁で、これから互いの人生は全然異なるだろうけれどもまたいつか出会うかもしれない、それまでいつも落ちこぼれだった俺のように道を踏み外すようなことはするなよ、という情緒的な詞である。曲目の「ピエドラス・ロダンテス」は直訳すれば“転がる石”(つまりは英語で“ローリング・ストーンズ”)という何ともベタなタイトルだが、曲と詞は非常に優れた仕上がりで、筆者の独断と偏見ではこのバンドがこれまでに残した名曲ベスト3に入る。[収録曲]1. Todo es materia2. Perdedor3. Trabaja, niño, trabaja4. Revolución5. La puerta falsa6. Los minusválidos7. La raza más chida8. Las piedras rodantes9. Siempre he sido banda10. Con la cola entre las patas11. No me hagan perder el tiempo1994年リリース。 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2010年10月27日
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フォルクローレとポップの融合 ソレダー(Soledad)ことソレダー・パストルティ(Soledad Pastorutti)は、アルゼンチン北東部のサンタ・フェ地方カシルダ市出身のフォルクローレ/ポップ・シンガー、女優。1980年生まれで、15歳の若さで活動を開始し、1996年にはファースト・アルバム『ポンチョ・アル・ビエント』をヒットさせた。 これまでのところ彼女のアルバムで筆者が唯一聴いているのが本作『祖国への愛(Yo sí quiero a mi país)』である。アルバムとしては4作目に当たり、この頃に女優として映画にも登場し始めている。本アルバムの特徴は、キューバ出身の音楽プロデューサー、エミリオ・エステファン(グロリア・エステファンの夫としても知られる)がプロデュースを担当した点で、最初はエミリオがアルゼンチンまでソレダーに会いに行き、その後、彼女を米国マイアミのスタジオに呼んでレコーディングされた。その結果、本アルバムはソレダーにとって初のインターナショナル・ヒット作になり、本国アルゼンチン以外に、ウルグアイ、パラグアイ、チリ、ペルーといった近隣南米諸国ばかりか、メキシコ、米国さらにはスペインでもセールスを挙げることに成功した。特にペルーでは同国出身の大物歌手タニア・リベルターと並ぶ扱いだったという。 収録曲の曲調はいずれも伝統音楽フォルクローレをベースにポップな味付けが加えられたものである。母国アルゼンチンへの愛をテーマとした表題曲の1.「祖国への愛(ジョ・シー・キエロ・ア・ミ・パイス)」や、同じく母なる大陸への感情をテーマにした8.「アメリカの心(コラソン・アメリカーノ)」(注:ここでの“アメリカ”というのは米国ではなく米大陸の意味)といった情緒に富んだ詞の曲が個人的には気に入っている。またアンデスの伝統楽器サンポーニャ(シークともいい、葦の管が複数並んだもの)やチャランゴ(ギターもしくはマンドリンのような形状の小型の弦楽器)といった民族楽器が効果的に使われているのもいい。 アルゼンチンの国内事情はよく知らないが、想像するに、10代の小娘が伝統音楽をポップに仕上げてヒットさせたことへの批判もきっとあったのではないだろうか。フォルクローレの愛好者やその分野の側からは、こんなのはフォルクローレではないという意見もきっとあったことだろう。けれども、若くてチャーミングなスターが現れてフォルクローレ的サウンドを若者の間に流布してヒットさせ、なおかつ国外(特に南米大陸を越えてメキシコやスペインや米国)でもセールスを上げたことは重要だと思う。おかげでアルゼンチンの伝統音楽の要素がいままでそういう音楽を聴かなかったリスナー層にまで広まったことの功績は大きい(何を隠そう筆者もその一人というわけだ)。10代の少女がアルゼンチン性を前面に出してインターナショナルなヒットを飛ばしたのだからあっぱれというべきだろう。ジャケット記載の謝辞が印象的で、“神に感謝”から始まり、家族や関係者への謝辞の後、次のように結ばれている。“ARRIBA ARGENTINA!!! (porque… yo sí quiero a mi país) アルゼンチン万歳!!!(なぜなら私は祖国を愛しているから)”。[収録曲]1. Yo sí quiero a mi país2. El bahiano3. Cómo será4. Mi consejo5. Luna mía6. Mi bien7. Amarraditos8. Corazón americano9. Un amigo, una flor, una estrella10. De la mano11. El humahuaqueño12. Popurrí de candombes1999年リリース。 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2010年09月25日
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W杯スペイン優勝記念にスペイン産ロックはいかが ~その2~ エロエス・デル・シレンシオ(Héroes del Silencio, “沈黙の英雄たち”の意味で、英語に直訳するとHeroes of Silenceに相当するスペイン語のバンド名)は、1984年に結成された、スペインのサラゴサ出身のロック・グループ。7枚のスタジオ・アルバムを残して1996年に解散し、各メンバーはソロ活動などを展開することとなったが、2007年9月~10月に一時的に再結成してスペインやラテンアメリカでツアーを行なった。 スペインと言えば、東部~南部にかけての地中海側の陽気さ(いわゆる一般的イメージで“太陽と闘牛の国”などという時のスペインのイメージ)と、それとは対照的な北部の陰気さや暗さが同居する不思議なお国柄である。そのことを踏まえた上で、エロエス・デル・シレンシオの音楽性を考えた時、やっぱりスペイン的というべきなのかな、と感じる。というのも、ハード系サウンドを演奏していても、北欧系のHMの様式美みたいな(ある種、能天気な性格の人たちにはできないであろう)境地に全然近づくことはない。しかし、かといって、米国のHRバンドみたいな能天気な明るさが出てくるわけでもない。陰気さと陽気さを少しずつ音の端々に湛え、なおかつ様式美になりきれていない様式美的部分を残した微妙なサウンドがこのエロエス・デル・シレンシオの特徴といっていいだろう。この微妙な音加減は、民族の血やバンドが育ってきた土地柄にやはり関係するのだろうか。人間、育った環境だけでキャラが決まるなどというはずはないとは思いつつも、やはり“お国柄”や“国民性”みたいなものが音楽にも影響を与えるものなのだろうかと考えさせられる。 のっけから2.「ルエダ・フォルトゥーナ(運命よ、巡れ!)」(1.「デリーバス」は1分足らずのイントロ的な曲)というハードな楽曲でアルバムは幕を開ける。筆者の好みは、一方で、3.「デスアセール・エル・ムンド(世界の破壊)」や5.「アバランチャ(雪崩)」のような様式美ハード志向の楽曲群。しかし、他方で、6.「エン・ブラソス・デ・ラ・フィエブレ」のようなスロー&ややメロウ系の曲もなかなかいいと思う。 結局のところ、欧州発ロック・バンドとしては、セールス的に明確なカラーが出にくく、日本ではそんな存在と認識されてしまったのだろう。実際のところ、初期には日本盤も出ていた(しかも現在ではプレミアが付いている)ようだが、やがて忘れ去られてしまっていて、現在では国内で探すとなると輸入盤に頼るしかない。でもなお、このバンドは魅力的だったと思う。とりわけ、メインストリーム(欧米ロック)に迎合的な日本のロックシーンから見ると、ロック音楽界では辺境国のスペイン発のエロエス・デル・シレンシオの音楽は、上に述べたような微妙な色彩の混在具合から、“こういうロックのありかたも存在し得る”という、いわばオルターナティヴな姿を表しているように思えてならない。[収録曲]1. Derivas2. Rueda, fortuna!3. Deshacer el mundo4. Iberia sumergida5. Avalancha6. En brazos de la fiebre7. Parasiempre8. La chispa adecuada9. Días de borrasca10. Morir todavía11. Opio12. La espuma de Venus1995年リリース。[関連記事]スペイン産ロック ~その1~(ハラベ・デ・パロ) へ 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2010年07月16日
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W杯スペイン優勝記念にスペイン産ロックはいかが ~その1~ ハラベ・デ・パロ(Jarabe de Palo)は、ウエスカ(スペイン東部アラゴン地方の都市)出身で、バルセロナで育ったヴォーカリスト/ギタリストであるパウ・ドネス(Pau Donés)を中心に1996年に結成されたロック・バンド。同年にデビュー・アルバムを発表して以来、これまでに7枚のオリジナル・アルバムを発表していて、現在ではバンド名の表記を改めてハラベデパロ(Jarabedepalo、単語の区切りを廃して一続きに表記)としている。 本作『デペンデ(Depende)』は、1998年にリリースされたセカンド・アルバム。1996年のデビュー・アルバムのタイトル曲(「ラ・フラカLa flaca」)がCM曲として使用されて大きなヒットを記録した後、リーダーのパウは“一発屋でないことを証明したい”と考えていて、そんな中で作られたのが本アルバムだという。結局、一発屋でないことが証明され、本盤もヒットを記録することになった。 ハラベ・デ・パロの大きな特色は、聴き手の耳に残りやすいメロディと音にあり、風刺的な捻りの効いた詞がそこに組み合わされている。おまけにヴォーカルの詞の内容が明瞭に聴こえてくる(ミックスの仕方にもよるのだろうが、おそらくはもともとヴォーカルのパウの発音/発声自体が比較的明瞭なのが大きな理由と思われる)。CM起用でこのバンドに火がついたというのもよくわかる。確かに、本盤の曲にもキャッチーで耳につくメロディーやサビのものが多い(例えば冒頭のタイトル曲1.「デペンデ」や、9.「ドゥエルメ・コンミーゴ」)。 そんなキャッチーさから歌ばかりに耳がいってしまいそうになるが、もう一つ別の聴き方もあると思う。リーダー(ヴォーカル、作曲のパウ・ドネス)の担当楽器が主にギターということから、ギターに注目してみても面白い。伴奏楽器としてのいろんなパターンのギター・プレイが、歌の背後で手をかえ品をかえ鳴っていて、結構凝ったこともバックでさりげなくやっていたりする。時としてその個性的ギター・プレイはソロ・パートとしても登場する(例えば、13.「アディオス」のギター・ソロ)が、いろんなことをやっているのでギターが前面に出ていない部分も要注目だ。そんなわけで、普通に聴くだけでなく、たまには歌部分を無視して、ギターのみに注目して聴いてみても結構興味深い。 デビュー作よりも完成度が高いということから、今回は第2作を挙げた。ハラベ・デ・パロのイメージを掴むのに典型的でわかりやすい1枚と言っていい。この第2作以降にも出来のいい作品が続くので、また次の機会には別のアルバムについても紹介できればと思う。[収録曲]1. Depende2. Pura sangre3. Te miro y tiemblo4. Plaza de las palmeras5. Realidad o sueño6. Agua7. Perro apaleao8. Vivo en un saco9. Toca mi canción10. Duerme conmigo11. Vive y deja vivir12. Mi mundo en tu mano13. Adiós1998年リリース。[関連記事]スペイン産ロック ~その2~(エロエス・デル・シレンシオ) へ 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、おひとつでも“ぽちっと”応援お願いします! ↓ ↓ ↓
2010年07月14日
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グロリア初の全編スペイン語アルバム マイアミ・サウンド・マシーン(The Miami Sound Machine)というグループに聞き覚えのある方もいるだろうか。80年代のヒットチャートでダンサブルなサウンドを振りまいた米国・マイアミ発のグループで、もともとは70年代半ばに形成されたものだった(当初はマイアミ・ラテン・ボーイズを名乗っていた)。80年代半ばに「ドクター・ビート」や「コンガ」などのダンス・ヒットを放ち、売れ始めた頃はマイアミ・サウンド・マシーンだったが、少しするとシンガー名を前に出して、グロリア・エステファン&マイアミ・サウンド・マシーン(Gloria Estefan & Miami Sound Machine)に改名。この後、グロリアはソロシンガーとして90年代にピークを迎えるに至った。 こうした経緯だけでは、このグロリアが何者かというルーツは多少わかりにくい。後にスペイン語でも曲を発表するようになったことから、ラテン系ということは想像がつくけれども、具体的にどこの国の人かについては、案外あいまいにしか捉えられていないのではないだろうか。実際のところ、グロリアはキューバ移民であり、1957年に生まれたのはキューバ(ハバナ)であるが、3歳の時には家族でマイアミに移住している。3歳というのは微妙な年齢で、記憶があるかないかという境界線の年齢である。おそらく、彼女にとってキューバは、“少ししか記憶にない祖国”であったろうと想像できる。 さて、本盤『ミ・ティエラ(Mi Tierra)』は全編スペイン語で歌われているアルバムで、1993年に発表された。収録曲2.「ミ・ティエラ」がそのままアルバム名になっている。このMi Tierraとは、“私の土地(または国)”を意味するスペイン語で、上で述べたように、グロリアのルーツであるキューバを歌ったものである。本盤の楽曲の多くは、一般にラテン系にありがちな“陽気”や“明るい”イメージとは一線を画している。その最大の理由は、やはり生まれ故郷でありながらあまり記憶にはない、郷愁的な感情故だろうと思う。 サウンド的にもキューバン・フレイバーの散りばめられたもので、コンガ、キューバン・ギター、ティンバル(一対で使用するので複数形ティンバレスとも呼ばれる)、ギロ(誤読でグイロと言う場合もある)などラテン的な楽器演奏が特徴的である。その一方で、ヴァイオリンやチェロ、トランペットやサックスといった楽器の使用も上記の郷愁的な雰囲気を作り出すのに大きな効果を上げている。 本作はグロリアにとって最初の全編スペイン語アルバムとなり、前後作と比較すると決してセールスの結果の出た作品ではなかった。前作『イントゥ・ザ・ライト』(1991年)は全米最高位5位、次作『ホールド・ミー・スリル・ミー・キス・ミー』(1994年)は同9位でともにダブルプラチナを記録、これに対して本作はプラチナこそ達成したものの同27位止まりだった。 しかし、セールスとは別に、楽曲的には、グロリア・エステファンという人がダンス・チューンだけではなく、歌を聴かせることのできるシンガーであることを強く認識させてくれる内容になった。筆者のお気に入り曲も多く、とりわけ、タイトル曲の2.「ミ・ティエラ(わが故郷)」、3.「アジェール(昨日)」、5.「トゥス・オホス(君の眼)」、10.「アブレモス・エル・ミスモ・イディオマ(同じ言葉で話そう)」あたりがグロリアのよさのよく出た歌唱だと思う。これら4曲に共通するのは、どこかダンサブルでありながらどこか郷愁的という、両者の不思議な同居である。英語のグロリアしか経験のない方は、本作もしくは『アブリエンド・プエルタス』(1995年)あたりを入り口に一度聴いてみてはいかがだろうか。[収録曲]1. Con los a?os que me quedan2. Mi Tierra3. Ayer4. Mi buen amor5. Tus ojos6. No hay mal que por bien no venga7. ?S?, se?or!8. Volver?s9. Montuno10. Hablemos el mismo idioma11. Hablas de m?12. Tradici?n1993年リリース。 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2010年06月10日
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メキシカン・ロック誕生期の古典曲 EL TRI(エル・トリ)は、40年以上の活動歴を持つメキシコのロック・バンドで、アレックス・ローラ(アレハンドロ・ローラ)をリーダーとするメキシカン・ロックの草分け的存在である。かつて同国でロックがアンダーグラウンドでしか存在していなかった時代(そもそもメキシコでは英米アーティストのアリーナ・コンサートが解禁されたのすら、ほんの十数年前のことに過ぎない)に、スリー・ソウルズ・イン・マイ・マインド(Three Souls In My Mind)という3ピース・バンドで活動を開始していた。1980年代に入り、ラテン系諸国で“ロック・エン・トゥ・イディオマ”(君の言語のロック、つまりはスペイン語ロック)というムーヴメントが起こると、その前からアンダーグラウンドな活動をしていたロック・アーティストたちはメジャー・レーベルからレコードを出し始める。そんな時期にメジャー・デビューしたバンドの一つが、このEL TRIである。 この「哀しき愛の歌(トリステ・カンシオン)」は1987年のアルバム『シンプレメンテ(Simplemente)』に収録されたものである。バンドを代表する曲として、今日まで彼らのコンサートのハイライト(聴衆の大合唱)を飾り、後に続く多くのロック/ポップス系アーティストに何度もカヴァーされている超有名曲である。詞の内容は、男と女の物語であるが、振った振られた云々といったありがちな恋物語ではなく、やや芸術チック(?)な詞である。おそらくはそこがこの曲を古典曲として定着させるのに一役買ったのかも知れない。歌詞の一部を少し引用すると次のような感じである。「彼は神のようで、彼女は聖母のようだ 神様は二人に罪を犯すことを教えた そうして永遠の中で 二人の魂は一つになり この哀しき愛の歌が生まれた」 音的には、スタンダードなロック調の曲で、ブルースハープ(ハーモニカ)を大幅にフィーチャーしている。ハープの使用はこのバンドの大きな特徴の一つで、現在もメンバーの中に専属のハーピストを抱えている。演奏自体に、特段“ラテン的”要素というものは見られない。むしろ、70年代までの米国のブルースとロックを消化し、ブルース的要素を残した(あるいはそれに根ざした)ロック・サウンドそのものを披露している。つまるところ、1990年代以降のバンドには、ラテン的やメキシコ的という要素を際立たせたバンドが増えてくるのだが、それに対して、EL TRIは、どちらかといえば正統派なロック・チューンを主に提供し続けている。1980年代にこの曲を含めいくつかの代表曲を送り込むことでラテン・ロック界のメジャーに進出して名声を確立したEL TRIは、その後、1990年代、2000年代とメキシコのロック・シーンの王者として君臨し続ける。そして、現在もばりばりの現役大御所バンドとしてロックし続けている。その原点の一つがこの曲と言えるだろう。[収録アルバム]EL TRI / Simplemente (1987年) 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2010年04月24日
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ラテン系姐御のどこかしら哀愁をたたえた楽曲群 ロックの姐御と言えば、これをお読みの方はどういったアーティストを思い浮かべるであろうか。イギリス系のロック好きならプリテンダーズのクリッシー・ハインド(参考記事はこちら)を思い浮かべる方もいるかもしれない。あるいは米ロック界ならジョーン・ジェットが姐御キャラとしては一番手だろうか。はたまたボニー・レイットの姐御ぶりも同じように定着している。日本のロック界だと、白井貴子あたりがそのイメージに当てはまりやすいかもしれないし、あるいは浜田麻里や中山加奈子(元プリンセス・プリンセス)、もうちょっと上の世代だとアン・ルイスなどを思い浮かべる人もいるかもしれない。こうした姐御イメージが当てはまるアーティストとして、ラテン系ロック界でのNo.1は、筆者の独断と偏見において、圧倒的にこのセシリア・トゥーサン(Cecilia Toussaint)である。 セシリア姐は、メキシコの首都であるメキシコ市の出身。1958年生まれなので、今年で52歳を迎えるということになる。現在は二人の子供がいるとのことだが、もともとは音楽一家で生まれ育ち、ジャズ・ピアニストのエウヘニオ・トゥーサンは彼女の兄にあたる。70年代後半に音楽活動を開始し、ラ・ノパレラ(La Nopalera)というグループで活動した。80年代半ばにソロとなってから頭角を現し、早くからロック姐御なイメージが定着していった。その後、テレビの連続ドラマや映画への出演、映画の吹き替えなど多彩な活動を続けている。年を重ねても(そして子をもうけてからも)姐御イメージというのは、ある種、クリッシー・ハインドと共通するように、個人的には感じている。 本作『アルピア(Arpia)』は、1985年のリリースで、ソロとして最初のアルバムである。アルバムは前半(A面)と後半(B面)に分かれていて、前半が“El Amor(愛)”サイド、後半が“La Ciudad(都会)”サイドと題されている。後々、彼女のライブやラジオのオン・エアーなどで定番となった代表曲(例えば、7.「アマメ・エン・ウン・オテル(ホテルで私を愛して)」や12.「ビアドゥクト・ピエダー」など)を含み、セシリアの実力を知らしめるとともに、ロック姐としての彼女のイメージを定着させた1枚である。 アルバム全編を通じてドラムとベースのリズム音がしっかり聴こえてくるという印象がある。けれども、ただノリのいいロックを披露するというだけでなく、どこか陰のある、哀愁を含んだ曲調が印象的で、ところどころで鳴るソリッドなギター音も印象的である。その意味では、“ラテン系=明るい”というイメージとは必ずしも一致しない。しかしどこかしら憂いをたたえたロックサウンドというのは、後に1990年代以降のいくつかのメキシカン・ロックのバンドの特徴となっていくので、セシリア・トゥーサンはいわばその先駆的となる音作りをやっていたとも言える。 ちなみに、セシリアというのは芸名で、音楽の守護聖人の“聖セシリア”からその名をとったらしい。今でもカトリック信仰が根強いメキシコならではエピソードだと感じる。本盤での演奏は4ピースのバンド編成を基本としていて、セシリア(ヴォーカル)以外のメンバーは、ホセ・ルイス・ドミンゲス(ギター)、エクトル・カスティージョ(ドラム)、ロドリーゴ・モラレス(ベース)である。ソングライティングは、セシリア自身も数曲提供しているが、大半は外部のライター(ハイメ・ロペスおよびホセ・エロルサ、特に前者はメキシカン・ロック・バンドのカフェ・タクバCafé Tacubaの楽曲を作ったことでも知られる)が担当している。[収録曲]~El Amor~1. Testamento2. Prendedor3. Astragalo4. Me siento bien pero me siento mal5. Corazón de cacto6. Tres metros bajo tierra~La Ciudad~7. Ámame en un hotel8. La viuda negra9. Buldog Blus10. Sex farderos11. La 1ª calle de la soledad12. Viaducto Piedad1985年リリース。 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2010年04月08日
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ラテン・ポップス界の“お騒がせ女”、人気絶頂期のアルバム グロリア・トレビ(Gloria Trevi)、本名グロリア・デ・ロス・アンヘレス・トレビーニョ・ルイス(Gloria de los Ángeles Treviño Ruiz)は、1968年にメキシコ北部で生まれ育ち、1990年代前半のメキシコおよびラテン・ポップ界において一世を風靡したシンガーである。1985年からボキータス・ピンターダス(Boquitas Pintadas)というグループで活動した後、1989年にソロ・デビューした。母国メキシコで火がついた後は、91年の2nd、92年の3rdアルバムで他のラテン系諸国でも人気が出始め、スターダムにのし上がった。こうして、上記2ndアルバム『トゥ・アンヘル・デ・ラ・グアルダ(君の守護天使、Tu ángel de la guarda)』(1991年)、『マス・トゥルバーダ・ケ・ヌンカ(史上最高のお騒がせ、Más turbada que nunca)』(1994年)などのアルバムを次々にリリース、シングル曲も続々とヒットさせた。そうした人気絶頂期の只中、1995年にリリースされたのが本作『シ・メ・ジェバス・コンティーゴ(もしもあなたが私を連れていったなら、Si me llevas contigo)』である。 グロリア・トレビと言えば、アーティストとしてというよりは、海外の芸能ニュースでその名を見たことがあるという方もいるかもしれない。上記のような、彼女の順調なキャリアに狂いが生じ始めたのは、1998年のことだった。一冊の暴露本を契機として、彼女と元夫の二人が未成年者略取の罪を犯しているとの告発がなされた。いったんは姿を消して雲隠れしたものの、挙げ句の果てにはインターポールにまで手配され、2000年にリオデジャネイロ(ブラジル)で身柄を拘束される。ところが今度はブラジルでの拘留中(国際手配で拘留されたがブラジルでは裁判にかけられてはいなかった)になぜか妊娠し、男の子を儲けている。2002年にはメキシコへ戻り、ついには司法の裁きを受けることになるが、結局は証拠不十分で釈放された。ちなみに、この騒動の頃、現地のCDショップからは彼女の作品は一時期総撤去された(釈放された現在は普通に売られているし、新作もリリースされている)。 本作『シ・メ・ジェバス・コンティーゴ(Si me llevas contigo)』は、そんな一連の騒動が始まる前、いわば黄金期の最後を彩るアルバムで、1995年に発表されたものである。当時、グロリア・トレビには、“メキシコのマドンナ”という形容がよくなされていたが、今から思えば、スマートにダンサブルに迫るマドンナとはかなり毛色が異なる。敢えてこじつけるならば、伝統的女性観に対して挑戦的なパフォーマンスを見せるという点では共通するが、音楽的にはまったく別物なので、マドンナをイメージを期待してグロリア・トレビを聴かない方がいい。 グロリア・トレビの特徴は、叩きつけるような、ややどすの利いた(したがって低音も強い)ヴォーカルと、激しく動き回るパフォーマンスにある。家出した不良少女が、胸を強調してヘソを出したセクシー系の衣装をまとい、そのままステージを駆け回っているというイメージである。こうしたふざけたパフォーマンスを売りにしていた割には、中身は意外とまとも(?)で、曲と詞は基本的に自作で演じており、ヴォーカルの擦れたハスキーヴォイスが印象的である。 そうした彼女の特徴のうち、勢いという部分だけで言えば、それ以前のアルバムにも力の入ったおすすめ作もある。けれども、トータル5枚目のアルバムということもあってか、この『シ・メ・ジェバス・コンティーゴ』は、全体の完成度では一番か二番にくる作品と言えると思う。いくつかのスローなナンバーもしっかり歌い上げているあたりが、キャリアの積み重ねを感じさせる。例えば、4.「エジャ・ケ・ヌンカ・フエ・エジャ(決して彼女ではなかった彼女)」では、親に人生の道筋を強要され、なりたい自分になれずにいる若い女性をテーマに歌い、7.「メ・エストイ・ロンピエンド・エン・ペダソス(私はばらばらになっていく)」でも、恋に悩む女性の心情を歌っている。 何ともお騒がせだったグロリア・トレビも今年ですでに42歳。騒動の後、2004年、2007年とアルバムを発表しているらしいが、残念ながら筆者はこれら2枚はまだ聴いていない。そのうちに入手して聴いてみたいと思っているが、とりあえず現段階では、本作『シ・メ・ジェバス・コンティーゴ』が、上記2ndと並んで最もよく聴いた一枚なので、ひとまずはこのあたりがおすすめといったところである。[収録曲]1. El fin del mundo2. Si me llevas contigo3. Colapso financiero4. Ella que nunca fue ella5. El curita, la niña y la loca6. Los perros tristes7. Me estoy rompiendo en pedazos8. No, no quiero9. Lloran mis muñecas10. Soñando1995年リリース。 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2010年03月20日
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フランス語でロックというのもカッコイイというのがわかった アンドシーヌ(Indochine)は1982年にデビューしたフランスのロック・バンド。その前年(1981年)にニコラ・シルキスとドミニク・ニコラが中心になって結成された。フランス語読みではアンドシーヌだけれども、要するにこの単語は"インドシナ"の意味。植民地を持っていたフランスにとってはある意味挑発的な名称と言えるかもしれない。実際、当初、レコード会社からバンド名の変更を要請されたらしいが、バンド側が名称変更を断ったと言われる。80年代を通して、フランス国内のみならず、フランス好きなベルギーやスイスでも売れ始め、やがて北欧(スウェーデン、デンマーク)でも人気を獲得していき、現在も活動を続けている。結成当時は4人組だったようだが、メンバーの死やその他メンバー交代が多くあり、現在はオリジナルメンバー1人(ニコラ・シルキス)だけが残っていて、6人編成である。 このバンドの音楽は、"エレポップ"とか、"エレクトロ・フォーク・ロック"とか評されたりするが、要は80年代のニューウェーブ色の影響を色濃く残すバンドで、ギターとシンセを大きくフィーチャーしたロックサウンドを特徴とする。そんな彼らが1994年にリリースしたライブ・アルバムが本盤『ラジオ・アンドシーヌ(Radio Indochine)』である。バンドの変遷から言うと、創設メンバーのギタリスト、ドミニク・ニコラがまだ在籍していた頃の一枚ということである。 とはいっても、実は、筆者が聴いたことのあるアンドシーヌのアルバムは、現在のところ、後にも先にもこれ1枚だ。したがって、他の作品との比較はまったく出来ない。買った理由もよく覚えていないが、リリース当時にCDショップで試聴してよさそうだったので、買ったような記憶がかすかにある。 ともあれ、その試聴は大当たりで、その後、このアルバムは何度も聴いた。結論をひとことで言うと、フランス語でロックをしてもカッコイイということがわかった、というものだ。英語の世界で形成され、熟成されてきたロックという音楽は、言語を移すとなかなかぴったりとははまらない。少なくとも日本語に関しては、明らかにそうである。本筋からそれてしまうようだが、サザン・オール・スターズ(桑田圭祐)の日本語の発音が"変"なのは、音楽(リズムやメロディ)と日本語の"音"が噛み合わない部分を埋めようとした結果だと筆者には思える。それがなぜかフランス語で歌うアンドシーヌは、しっくりくるのである。余談ついでに言えば、筆者はフランス語は解さない(学生時代にちょっとだけかじったが、あっという間のに忘れてしまい、せいぜい辞書を引きながら曲名の意味がわかる程度)。したがって歌詞の意味もわからない。けれども、彼らのフランス語ロックは、なぜか自然に耳に馴染むものなのである。 フランス語というと、パトリシア・カースとかヴァネッサ・パラディなどよく聴く歌手はいるのだが、いずれのもポップ系シンガーだ。フランス語ロックはあまり聴く機会がないのだが、そのような方や未体験の方におすすめと言えそうな1枚である。[収録曲]1. Savoure le rouge2. 3 nuits par semaine3. Canary bay4. Un jour dans notre vie5. Tes yeux noirs6. 3ême sexe7. More8. La machine a rattraper le temps9. Des fleurs pour salinger10. Kao bang11. Bienvenue chez les nus12. Les Tzars13. Crystal song14. L'aventurier1994年リリース。
2009年12月02日
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ポップ・ラティーノ歌手によるランチェラ・アルバム アナ・ガブリエル(Ana Gabriel)は、1955年、メキシコ・シナロア州出身のポップ歌手。「メキシコの女王」や「アメリカ大陸の歌姫」などと呼ばれ、ラテン系ポップ(=ポップ・ラティーノ)を代表する歌い手である。 彼女の本名はマリーア・グアダルーペ・アラウホ・ヨングといい、母方に東洋系(中国移民)の血を引く。1979年にアナ・ガブリエルという芸名で活動を始め、1980年代にはOTI(Organización de Televisión Iberoamericana、イベロアメリカ・テレビ協会)というスペイン語・ポルトガル語圏のテレビネットワークが主催するフェスティバルで優勝している。 アナ・ガブリエルの音楽は、ラテン・ポップ/ロック系とランチェラ系の2種に大別される。好みが分かれると思うので、この人のアルバムを買う時は、どちらの系統かに注意が必要だ。1995年発表の本作『二百年の至宝(Joyas de Dos Siglos、ホーヤス・デ・ドス・シグロス)』はアナ・ガブリエルにとって11枚目のアルバムで、本格的にランチェラ音楽を扱った最初のものである。本盤は、一見してジャケットからランチェラ系とわかるもので、メキシコの伝統衣装に身を包んだアナ・ガブリエル本人のセピア色のポートレートが中央にあり、左右にギターが配された、メキシコのランチェラ・アルバムにしてはなかなか洒落たジャケット・デザインだ(ちなみにランチェラに多いのは、伝統衣装に身を包んだ歌手のカラー写真がこれ見よがしに前面に配置されたようなパターンである)。 ランチェラとは、19世紀に由来し、20世紀半ばに大衆に定着したメキシコの伝統音楽ジャンルである。田舎の生活や恋物語などが詞の題材としてよく取り上げられ、マリアッチやコリードなどといったジャンルとも深いかかわりがある。一般的には、歌い手も伝統衣装(ソンブレロをかぶった典型的メキシコ人イメージ)に身を包み、こぶしをまわすかのように情感を込めて歌い上げるスタイルである。ある意味では、日本の演歌的要素を含んでいると言えるかもしれない。 複数出されている彼女のランチェラ・アルバムの中で、筆者がいちばんよく聴くのが本盤である。選曲もよければ、本人の歌も実に情感豊かにきまっている。収録曲の全15曲中で一押しは、1.「寛容(クレメンシア)」。シンプルなギター演奏に、溜めを効かせたアナ・ガブリエルの歌声が曲調に実にマッチしている。他の各曲も、演奏はギター中心の控えめな演奏(曲によってはヴァイオリン、ハーモニカも入っている)である。上記1.を別にして、本アルバムの収録曲で筆者が気に入っているのは、2.「古き愛(ウン・ビエホ・アモール)」、6.「和解(レコンシリアシオン)」、有名曲の7.「アイ・ウノス・オホス」、9.「黒い結婚式(ボーダ・ネグラ)」、12.「哀しきボヘミアン(ポブレ・ボエミオ)」といったところだが、総じてどの曲も出来がいい。 ポップ系のアナ・ガブリエルではなく、ランチェラ系のアナ・ガブリエルに興味がある人には、最初に聴くなら本盤を勧めたい。[収録曲]1. Clemencia2. Viejo Amor3. Aburrido Me Voy4. Ya Se Va la Embarcación5. La Despedida6. Reconciliación 7. Hay Unos Ojos 8. Flor Triste9. Boda Negra 10. Marchita el Alma11. A la Orilla de Un Palmar12. Pobre Bohemio13. Adiós Mi Chaparrita14. La Barca de Oro15. Valentín de la Sierra1997年リリース。
2009年12月01日
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現代の中南米最高の女性ヴォーカル タニア・リベルター(本名:タニア・リベルター・デ・ソウサ・スニィガ Tania Libertad de Souza Zúñiga)は、ペルーのチクラヨ出身の女性歌手。ペルーの伝統的な歌謡(ペルー黒人音楽やクリオーリョ音楽)から、ボレロ、ヌエバ・トローバ、さらには、サルサやブラジル音楽やオペラまで幅広いジャンルの楽曲を歌う。 1952年、伝統的家族観を持つポルトガル系の父と、先住民系の血を引くペルー人の母との間に、彼女は生まれた。本人が語るところでは、5歳で人前で歌い始めたらしいが、10代になるとペルーの首都リマへ移り、ナイトクラブで歌いながらレコード・デビューを果たす。 1970年代になると、タニアは海外に出かけ、とりわけキューバ音楽に感銘を受ける。やがて1978年にはメキシコへ移り住むことになる。当時のメキシコ移住というのは、アーティストが政治的理由などにかかわらず自由に活動できる国としてタニアが選択したことのようだ。彼女自身の言では「メキシコという国、音楽を暖かく受け入れてくれる人々を大好きになった」そうだ。以降、現在まで30年以上、メキシコを拠点として音楽活動を続けており、ラテンアメリカ諸国やヨーロッパをはじめ、アフリカのいくつかの国などでもコンサートを行なった経験がある。 彼女の声は非常に美しく特徴的で、幅広い音域の澄んだ歌声とエモーショナルな歌い回しが多くのファンを獲得してきた。特に筆者は、この人の"揺れるような高音域"のヴォーカルの虜である。ちなみに、声量も凄いらしく、子どもの頃からしばしば悪条件(屋外の悪天候や埃の多い環境)の中で歌い続けているにもかかわらず、歌い始めてから50年以上たった今も声量は衰えないどころか増していると言う。 前置きばかりになってしまったが、本盤『限りなき愛の歌(アマール・アマンド、Amar Amando、スペイン語で"愛しながら愛す"の意)』は1997年発表のアルバム。曲単位で言えば、ここに収録されていない曲にもいいものがいろいろとある。けれども、アルバム全体として見た時に、トータルな音の調和という意味で、筆者がいちばん気に入っているのが本盤である。中南米系の音楽、とりわけボレロの類が好きな人には特にとっつきやすいアルバムであり、なおかつタニア・リベルターの歌声が堪能できる1枚である。 ちなみに、彼女は大手レーベルに属さずに活動しているので、アルバムによっては後で入手しにくくなるものも多い。残念なことに、本盤も現在は手に入れにくい状態にある。かく言う筆者も、リリース当時はメキシコのCDショップにたくさん並んでいるのを目にしていたにもかかわらず、このアルバムをスルーしてしまい、後で日本で苦労して手に入れた経験がある。見かけたら即買いをお勧めする。[収録曲]1. Aquellas pequeñas cosas2. A dónde van3. Amar amando4. Pajarillo verde5. Tu boca una nube blanca6. Caballo viejo7. Azul provinciano8. Sombras9. La danza clara10. Serenata11. Para tenerte12. La última palabra1997年リリース(Mulata Records)
2009年11月28日
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バルセロナ出身のシンガーソングライターの代表曲 ジョアン・マヌエル・セラー(Joan Manuel Serrat、日本語ではジョアン・マヌエル・セラットと表記されていることもある)は、スペイン・カタルーニャの中心都市バルセロナの出身。スペインのみならずラテンアメリカ諸国でも大きな支持を受けているシンガーソングライター・歌手である。歌はこの地方の言語であるカタルーニャ語と、スペインの共通語であるスペイン語(カスティーリャ語)の両方で歌う。1943年生まれで、まもなく(今年12月末に)66歳を迎える。 ジョアン・マヌエル・セラーがレコード・デビューしたのは1967年にさかのぼり、現在までに30枚以上のアルバムがリリースされている。これまでの功績から、スペイン国内では様々な受賞歴があり、2006年には、スペイン文化への貢献という理由でマドリード・コンプルテンセ大学から名誉博士号を授与されたり、地元バルセロナ市から「国際的な音楽家・市民」として表彰を受けたりしている。2005年には癌を患っていたことが公にされたが、その前年には既に体調不良が噂されていて、その際には「医者がワインをやめろというなら、医者を替える」とユーモアを交えて語っていたと言う(ワインというのが何ともスペイン人的だ)。その翌年には復帰し、150本のコンサート・ツアーを行なうなど、現在も現役で活動している。 この「地中海」(Mediterráneo、読み方は「メディテラネオ」)という曲は、1971年にリリースされたアルバム『地中海(Mediterráneo)』に収録された表題曲(作詞・作曲ともに本人の手による)で、スペイン語で歌われている。ちなみに、同アルバムは、2004年、スペインの音楽雑誌(Rockdelux誌)が企画した「20世紀の国内ベスト・アルバム100選」で、第三位に選出されている。 よく知られているように、バルセロナは地中海に面した港湾都市である。スペイン中央部やスペイン北部に住む人たちには地中海というものにリアリティはないかもしれない。けれども、歴史的に地中海と不可分な発展をしてきたバルセロナ出身のセラーによる、「海の近くで…私は地中海で生まれた」というサビの詞を持つこの曲からは、そこで生まれた人物のリアリティが感じとられるように思う。「アルヘシラスからイスタンブールまで」広がる地中海という海を擬人化し、「どこへ行こうとも、君の光、君の匂いを私は持って行く」と歌う感覚は、出身者ならではの郷愁を誘う趣と言えばよいであろうか。 とにかく名曲である。地中海を見たことがある人もいまだ行ったことがない人も、詞のスペイン語を解する人もそうでない人も、各人がそれぞれに地中海のイメージを膨らませながら、郷愁に満ちたこの曲を楽しんでいただければいいのではないかと思う。 [収録アルバム]Joan Manuel Serrat / Mediterráneo (1971年)Joan Manuel Serrat / La Colección-Volumen I: Sus Grandes Éxitos (1995年)など(ベスト盤類は多数あり) 【送料無料】 【中古】 Joan Manuel Serrat / Antologia 1968-1974 【CD】
2009年11月26日
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アコースティックなギターサウンドとデュエット・ヴォーカルの調和 メヒカント(Mexicanto)は、1985年に結成されたメキシコのデュオ・グループ。ダビー・フィリオ(David Filio)とセルヒオ・フェリックス(Sergio Felix)という名の2人のメキシコ市出身者から成り、1987年のアルバム『エン・ベンタ(En venta)』でデビューした。 メヒカントは、その後、9枚のアルバム(上記デビュー盤、およびライブ盤も含む)を残したが、2001年にいったんデュオを解消し、フィリオとフェリックスの二人は、それぞれがソロ・アーティストとしての活動に専念する。その後、5年のブランクを経て2006年に再結成アルバム『オトラ・ベス(Otra vez)』を発表。翌2007年にはベスト盤(『20周年(XX Aniversario)』)もリリースされている。 さて、筆者の思い入れを含めるならば、他に好きなアルバムもある。最初に聴いた『エン・エル・カミーノ(En el camino)』(1995年)は個人的に思い入れの強いアルバムだし、2枚別々にリリースされたライブ盤(『エン・ビボ 1(En vivo Vol. 1)』と『同 2(En vivo Vol. 2)』)も捨てがたい。けれども、試しに聴いてみる場合や初めて聴く人には、バランス的に2000年の本盤『ドゥエート・エン・ディレクト(Dueto en directo)』がいちばんだと思う。 本作はライブ盤ではあるが、熱狂のコンサートというわけではない。比較的静かな環境で、アルバム制作を前提になされたライブ録音である。加えて、これといった代表曲が相応に含まれているのもポイントが高い。なおかつ、大半の曲が同じ場所の録音(メキシコ市内のショッピングプラザ、"プラサ・ロレート"に併設された文化スペースでの録音)なので、ベスト盤とは違って全体に統一感がある。 一般的に言えば、メヒカントの魅力は、アコースティック・ギターとデュオのヴォーカル・ハーモニーにある。自作曲が多いが、他人の楽曲も積極的に取り入れて演奏している。ただハーモニーだけというのではつまらないが、ギターのハーモニーは時に小気味よく、時に鬼気迫る勢いを見せる。ヴォーカルに関しても、個々がハーモニーを奏でながらも情感たっぷりに歌い上げるスタイルで、メッセージが強く聴き手に届く歌い方をする。多分、筆者はそういった"美しいハーモニーだけではない"部分に惹かれているのだと思う。 CDを入手しにくいアーティストではあるが、機会があれば、一度お試しあれ。[収録曲]1. Claro que2. Danos pie3. Canto de Abril4. Torció camino el mar5. Uno tras otro6. Una guitarra7. Castillo Blanco8. Cautivo en tu calor9. Coincidir10. Si llegas11. Río ancho12. Me basta13. Verso sordo14. Cada día15. Berimbau2000年リリース。
2009年11月09日
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アルゼンチンを代表するロック・アーティストの出世作からのいち推しナンバー ミゲル・マテオス(本名ミゲル・アンヘル・マテオス・ソレンティーノ)は、1954年ブエノス・アイレス生まれのロック・アーティスト。ヴォーカルのほか、ギター、キーボードを演奏する。12歳の時にはクリスタルという名のバンドを結成し、数年後には雑誌が企画したオーディションで最終選考に残るほどの実力だった。1980年頃にはサス(ZAS)というバンドを結成し、1981年にQueenがアルゼンチンで大規模コンサートを開いた際に共演したパフォーマンスが評価されて活動の幅を広げることにつながった。 1982年に最初のアルバムをリリースし、国内での人気を高めていった結果、ZASは、1985年には国内でのレコード売り上げ記録(50万枚、それ以外にこの数字を樹立したのは、マルチアーティストのフィト・パエスしかいない)を作った。こうするうちに彼の音楽は他のスペイン語諸国でも認知されるにいたり、ペルーやチリで人気を博した。さらにその人気は南米のみならず、北米のメキシコにまで飛び火し、1986年にはシングル「大人になったら(Cuando seas grande)」が何週にもわたってメキシコのチャートの1位を占め、同国で30万枚を売り上げるヒットとなった。1990年からは完全にソロとして、現在に至るまで活動を続けている。 上記のシングル「大人になったら」は、1986年のアルバム『孤独のアメリカ(Solos en América)』からのシングル曲で、同アルバムの表題曲「孤独のアメリカ(Solos en América)」も同年にシングルカットされた。このアルバムにはシングルヒットが4曲も含まれており、そのどれもが好曲だが、もっとも筆者の気に入っているのがこの表題曲である。 「孤独のアメリカ」の"アメリカ"とは、アメリカ合衆国ではなく、アメリカ大陸のことを指す(スペイン語では"アメリカ"というと大陸全体を指すのが一般的)。静かなアメリカ大陸に夜が訪れるという夢想的なシーンを描いた歌で、サビは次のような詞である。 "ブエノス・アイレス、ハバナ、ニューヨーク 誰がこの火をつけたのかと俺は自問する 夜が落ちてきて、太陽が 俺の祖国を、俺の灰色の街を染めていく ヨーロッパからは応答がない 俺たちがいるのは、孤独のアメリカ…" この詞のイメージに合うような幻想的な編曲のスローナンバーで、ミゲル・マテオスの楽曲すべての中で、現在までのところ、筆者がいちばん気に入っているものである。[収録アルバム]Miguel Mateos/ZAS Solos en América (1986年リリース)
2009年09月22日
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20年来のメキシカン・ロックの定番チューン MANÁ(マナ)は、1987年にデビューしたメキシコのロックバンド。当初は6人から成っていたが、現在はメンバー脱退や新規加入の結果、4名で活動を続けている(うちオリジナルメンバーは3名)。それ以前から音楽活動歴はあり、80年代前半には、ソンブレロ・ベルデ(Sombrero Verde)のグループ名でもアルバムをリリースしていた。 MANÁとしてのデビューは、"Rock en tu idioma(ロック・エン・トゥ・イディオマ、「君の言葉でロックを」)"と呼ばれるスペイン語ロック・ムーヴメントの中で起こった。セルフタイトルのデビューアルバム(『MANÁ』)は、それなりの成功を収めたものの、絶大な人気を獲得することはなかった。だが、2枚目のアルバム(『ファルタ・アモール(Falta Amor)』)は、1990年の発売から約1年間の国内ツアーを経て人気に火がつき、一躍、メキシコ国内はもちろん南米市場でも成功を収める契機となった。 この人気を押し上げる役割を果たしたのが、同アルバムからのシングル曲「ラジャンド・エル・ソル(Rayando el sol)」である。90年代に繰り返しラジオ等で流れた結果、00年代も末の現在では、メキシカン・ロックのクラシックとしての地位を確立した。20年近くを経て、自国産ロックで育った若者も中年へと差し掛かり、もはや若者だけでなく、一定世代以下のメキシコ人にとっては、誰でも知っているような親しみのある曲になった。 詞の内容は典型的なラブ・ソングで、「君の心に達するよりも、太陽に到達する方が簡単だ」と切ない想いを歌ったもの。音楽的にも非常にシンプルで、メキシカン・ロックらしい要素が特に目立つ曲ではない。しかし、逆にスタンダードな作りでシンプルなラブ・ソングを演奏し歌ったがゆえに、MANÁの地位が確立され、90年代半ばには独自の世界を追求していく道が開けた。そんな意味で出世作となる1曲であった。 この曲は、筆者にとっては名曲なのだが、それはきっと音楽とシンクロした様々な実体験・思い出が伴っているからであって、普遍的な名曲と言えるかどうかはわからない。上で述べたような経緯も考え合わせ、ラテンっぽさとかメキシカン・ロックらしさをサウンドに求める人には、この曲よりも、もう少し後のMANÁの楽曲を勧める。逆に、みんなが口ずさめるほどのスタンダード曲(筆者にとってもそうである)を知っておきたい人、ラテンっぽさは求めないがスペイン語ロックの定番を聴きたいという向きには、いい入門曲だと思う。 [収録アルバム]MANÁ / Falta Amor (1990年リリース)MANÁ / Maná en vivo (1994年リリース、ライブ盤) など↓この曲を含むUnplugged盤です↓ 【楽天ブックスならいつでも送料無料】【輸入盤】Mtv Unplugged [ Mana (Latin) ]
2009年09月21日
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キューバの"ヌエバ・トローバ"の牽引者、パブロ・ミラネス パブロ・ミラネスは、キューバ出身のシンガーソングライターで、1943年生まれ。楽器はギターとピアノを演奏する。同世代に属するシルビオ・ロドリゲスと並んで、キューバの"ヌエバ・トローバ"を確立したアーティストとして知られる。"ヌエバ・トローバ"というのは、キューバ革命(1959年)後のキューバで1968年から1970年代にかけておこった文化的・音楽的ムーヴメントを指す。"ヌエバ"とは、スペイン語で"新しい"という意味で、"トローバ"は"詩"を指す。ちなみに"トロバドール"はそれを実践する"詩人"の意味。 パブロ・ミラネスは、70年代から現在に至るまで、編集盤を除いても40枚はあろうかというほどの膨大な数のアルバムを出しているため、その一部しか聴いていないが、本盤は、筆者が最初に聴いたアルバムとして強く印象に残っているものということから、まずはこれを紹介しようと思う。 アルバム・タイトルは『コミエンソ・イ・フィナル・デ・ウナ・ベルデ・マニャーナ(Comienzo y final de una verde mañana)』、日本語に訳すならば、『とある緑の朝の始まりと終わり』という意味で、収録曲6.のタイトルがそのままアルバム名になっている。このタイトル曲も美しい旋律を持つが、何といっても、ハイライトは5.「ブレベ・エスパシオ・エン・ケ・ノ・エスタス(気がいないわずかな隙間)」である。アルバム後半の曲順がややまとまりに欠ける感はあるものの、概ねどの楽曲もピアノとヴォーカルが奏でる旋律の美しさがきれいで、詞がわからなくても楽しめると思う。上記以外に筆者のおすすめは、1.「ノ・ア・シド・ファシル(容易ではなかった)」、2.「ア・ベセス・クアンド・エル・ソル(時折、太陽が)」、4.「ロス・アニョス・モソス(若き頃)」、9.「36ペルダーニョス(36段のステップ)」。 何分、キューバの音楽なので、アメリカでの流通がよくないことから(かつては一切流通していなかった)、入手しにくいのは確かだが、このアルバムだけがいいわけではなくて、たいていどのアルバムにも外れがない。そんなわけで、どこかでパブロ・ミラネスの名を見かけたら、ぜひ一聴をおすすめしたい。[収録曲]1. No ha sido fácil2. A veces cuando el sol 3. Pobre del cantor4. Los años mozos5. Breve espacio en que no estás6. Comienzo y final de una verde mañana7. Ya se va aquella edad8. Blas 9. 36 peldaños10. Nicaragua
2009年09月06日
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イタリアの歌姫、デビュー当時の伸びのある歌声 ラウラ・パウジーニ(当初、日本では誤ってローラ・パウジーニと表記されていた)は、1974年イタリア出身の女性シンガー。1993年にデビューアルバムを発表したが、1994年以降は基本的にイタリア語とスペイン語の両方で歌い(したがって、通例、アルバムもイタリア語盤とスペイン語盤の二種をリリース)。2001年には英語で歌ったアルバムも制作している。 本盤『ラウラ・パウジーニ』とは、同タイトルのイタリア語デビュー作(これは日本で発売された)ではなく、1994年にでたスペイン語盤(日本盤未発売)の方である。内容としては、イタリア語のみ発売されたデビューアルバム(1993年)と同セカンドアルバム(1994年)の中からピックアップされた楽曲をスペイン語で歌ったもので、スペインやラテンアメリカ諸国でヒットし、世界に彼女の名を知らしめる第一歩になった。 なぜスペイン語で歌ったのか? 要は音楽マーケットとして巨大だからであろう。あのマドンナやボン・ジョビですら、スペイン語圏向きにはスペイン語のボーナストラック追加などの工夫をしていたほどで、実際、スペイン語圏は20カ国を超え、潜在的マーケットには4~5億人が控えている。おまけにイタリア語とスペイン語は親戚のような言語で、イタリア出身のラウラには歌いこなすのが比較的たやすい(間違っても、何を言ってるのかネイティヴすら聞き取れないボン・ジョビのスペイン語みたいにはならない)。 とはいえ、20歳のイタリア人ラウラにとって、スペイン語が外国語であることには違いない。ちょっと舌足らずな部分が時折見られるあるが、かわいらしいということで逆に受けたのだと思う。そして、何よりも、ところどころでスペイン語での歌に緊張してる様子が伺われるにもかかわらず、のびのびと歌えているところが非常によい。8歳からピアノバーで歌っていたとのことなので、その経験から得た度胸だろうか。また、ヴォーカル表現がストレートなのも非常に好印象だ。もっと後のアルバムのほうがヴォーカリストとしてのテクニックは確実に上達している。けれど、この当時はストレートな声が真っ直ぐに響いてくるといったのが第一印象で、その真っ直ぐな声に乗せて、真っ直ぐな若者の勢いが伝わってくる。そんな気持ちいい歌声の10曲。[収録曲]1. Gente ←おすすめ!2. Él no está por ti ←おすすめ!3. Amores extraños4. Las chicas5. El valor que no se ve6. La soledad ←おすすめ!7. ¿Por qué no volverán?8. Se fue9. ¿Por qué no? ←おすすめ!10. Carta1994年リリース。
2009年08月11日
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惚れ惚れする歌声 男が聴いても惚れ惚れする男性ヴォーカルというのは存在する。変な意味ではなくて、まじめな話だ。筆者にもそんなシンガー・ヴォーカリストが何人かいるのだが、このビクトル・マヌエル(Víctor Manuel)はその筆頭である。 ビクトルは、1947年生まれで、スペイン北部出身のシンガーソングライター。フランコ独裁期から現代スペインへの「移行期」を象徴するアーティストの一人とされる。60年代後半からアーティストとしての活動を始め、アナ・ベレン(Ana Belén、公私とものパートナー)と長年デュオで活動しているが、本作のようなソロ作もコンスタントに発表している。 さて、そのビクトルの声であるが、これを描写しようにも言葉が見当たらない。自分自身の言語能力の低さを嘆きたくもなるが、そもそも音を言葉で説明するのは難しいわけで、何ともならない。なので、声質については、興味のある方はぜひ聴いていただき、感じ取っていただきたい。 音楽的な部分は説明できそうなので、付け加えておきたい。アナ・ベレンとのデュオでもたまに見られるのだが、叙情性をたたえたアレンジの曲・演奏が基本である。つまり、明るいポップスではなく、何某かの情景や光景、それも孤独・悲しみ・慈悲などの語を思い起こさせる情景が目前に浮かぶような雰囲気に仕上がっている曲が多い。こうしたアレンジは、詞のストーリーと相まって叙情的な作品に仕上がる、というのがビクトルの諸作に典型的な特徴である。そしてこの叙情性はおそらく、彼の出身地(スペイン北部アストゥリアス)とも関係しているのだと思う。一般にスペインと言うと、明るい太陽の南部や地中海沿岸のイメージであろうが、北部はもっと暗い。そうした意味では、ステレオタイプなスペイン・イメージとはまったく異なる音楽である。 声質の説明ができなかったので、わかりづらいとは思うが、単なる明るいポップスを求めるのではなく、叙情性に富んだ短編映画集を見るような音楽を求める人には、おすすめのアーティストだと思う。そして、筆者のいちばんのお気に入りアルバムがこの『シン・メモリア』(1996年)である。[収録曲]1. Sin memoria ←おすすめ!2. Canción pequeña3. Si todas mis noches fueran como anoche ←おすすめ!4. Cuatro latas de cerveza5. Como no estabas tú6. Agua de la fuente clara7. Yo ya no soy el que soy ←おすすめ!8. Vete pena9. Niño de nadie ←おすすめ!10. Cayó la luna11. Como el agua en un pañuelo12. Laura ya no vive aquí ←おすすめ!1996年リリース。
2009年08月11日
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大御所メキシカンロックバンドの真骨頂 EL TRI(読み方は"エル・トリ")は、メキシカンロックの雄。バンドリーダーのアレハンドロ・ローラ(ヴォーカル、ベース、ギター)をリーダーとし、40年近く活動を続けてきた。1970年代はThree Minds In My Mindというバンド名で活動し、当初は英語で歌っていたが、やがて1980年代にEL TRIとしてメジャー・デビュー。その後は現在に至るまでメキシカンロック・シーンを牽引し続けている。 何枚も推薦したいアルバムはあるのだけれど、最初に聴くなら王道をということで、1997年リリースの『君がいない時―クアンド・トゥ・ノ・エスタス(Cuando Tú No Estás)』を挙げておきたい。EL TRIの作品の中で、90年代終盤以降の彼らの方向性を示すことになった作品であり、サウンド的にも王道ロックを行くものだからだ。 もともとEL TRIおよびその前身は、ブルース系の曲作りをしていた。なので、後々のアルバムでも典型的なブルースの進行の曲が時々あり、楽器としてもハープ(ハーモニカ)が欠かせない曲が多い。本盤はそうしたベースの上に、アメリカンロック的なストレートなロックサウンドを繰り広げるものだ。 詞についても簡単にコメントしておきたい。1.「褐色の聖母」は、メキシコの守護聖人、グアダルーペの聖母をテーマにしたもので、カトリック信者の多いメキシコでは大いにうけた。そして、このアルバムの頃から、リーダーであるローラは聖母のTシャツを着てステージに上がるようにもなった。また、EL TRIは以前から政治性や社会性の強い歌詞で知られていたが、本作でも3.「疫病(Epidemia)」のように政治家批判(詞の中では"売国奴"と呼んで批判)を繰り広げている。全体としては、人生のやるせなさを歌ったような詞が多いのだが、結局のところ「何とかなるさ」という人生への希望を歌っているものが多い。あと、もう一つの特徴は、10.「ロックンロールの虜(Esclavo del Rocanrol)」のように、ロック性を強調しているところだ。これは本作の王道ロックサウンドともリンクしているのかもしれない。 いずれにしても、音的にとっつきやすいので、このバンドへの入口としては最適な一枚だと思う。注:日本盤は存在しませんので、アルバム名・曲名の邦題は筆者が勝手に訳したものです。[収録曲]1. Virgen Morena2. Correteando el bolillo3. Parece fácil4. Epidemia5. Pastillas del Rocanrol6. El ritmo del mundo7. Cuando tú no estás8. Copias piratas9. Echa tus broncas a la basura10. Esclavo del Rocanrol11. De todos modos Juan te llamas12. El muchacho chicho1997年リリース。
2009年08月10日
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