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人生は、恋に破れ、夢も破れて、やがて世間から見捨てられて行くものだろう。たとえどんな人間でも、自分の思うように一生はあるのではあるまい。他人には知られたくない恥ずかしい自分がいるものだ。死を覚悟できるまで、そう簡単でもないし、それだけの勇気も必要である。結果が問題ではなく、どう生きたか、そのプロセスが問題なのだと教えられた。然し、つい結果ばかり気にしていた。愚かな人間でもある。 ・他人に負けまいと足掻き苦しんでも来たが、結果は夢破れた。インドツアーに行き、やっぱり良かったのだろう。もっと後でいいと思っていたが、もうその時期に来ていたのかもしれない。そう思うのは、いまだから解るものがあるのかもしれないという予感でもある。弱ってしまった気力では何も理解できないかもしれない。そう思う節もあるからだ。 ・へ2・・・一人ではなく、妻も同行したこともある。あとでは二人では行けなかっただろう。まだぼわっとした思いであり、充分整理できていないが予感めいたものだ。ショートしてしまうかもしれないが、考え続けたい。誰も辿ることを私もしているのだろう。まだしなければならない課題を抱えている。プロセスはこれかももある。
2015.05.31
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今こうして生きていられるだけでも有り難いことなのだろう。なにかの間違いがあれば一巻の終わりにもなる。してみれば、さして悩むこともない。あるがままでやるしかない。端然として坐りつづけているインドの老人たちがいた。なにも求めてはいないし、怒ってもいない。ただヒトの流れを超然と見ているようで見てはいない目だ。哲学的瞑想に耽っているのかもしれない。そばで牛がフンをしていても平然としている。なにも悲観してはいない。 愚か者が勝手なことを言っているに過ぎない。時が満ちれば雨期も来るだろう。親父の顔に似た人たちがいた。親父はインド人のようだと言われていたらしい。あるいは祖先がそうかもしれない。 ヒトはどこかで繋がっている。違うと思う人が違うだけだ。一日を大切にするしかない。中国から娘に子供が生まれたので半年滞在している人が、ラジオ体操を見学に来て、中国語のできる人の紹介で話をしたが、中国では、こういう私たちのような日本人の町内会のつながりはないらしい。ゲゼルシャフトではない。細々とゲマインシャフトの世界が残っている。
2015.05.31
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エコロジカル・フットプリントとは、ひとりのヒトの生活のため必要な平均面積のこと。世界人口の人びとが現在のテクノを維持し米国並みの消費水準に達するためには、たった地球が4つ必要だ。ヒトは、大気中の二酸化炭素ガスを高濃度にし、地球温暖化の原因をつくり、人口増加は地球に負担を掛け過ぎるだろう。そしてその報復を受けるに違いない。 日本列島の周辺では、マグマの活動やいくつかのプレートの移動が騒がしくなってきたようだ。大ごとにならなければいいが、何が起きるか分からない。想定外がまた在るかもしれないからだ。遣ってしまって後から後悔することばかりある。人間はおろかだ。先に快楽を得ようとして、そのための報いを受けなければならない。日本経済も、間抜けな人たちがローマの帝国のように国民を翻弄し続けたのだ。張本人たちは日本銀行だった。そしていまだに人々は金が命だと言っている。
2015.05.31
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大学の講座で、一番面白いのが脳の話だろう。「頭がいい」というのは、その基礎となる脳機能にある。遺伝的な素因については、生物(人)をとりまく生育環境が脳の機能に重要な役割を果すことが分かってきている。そして、脳の発達にプラスの影響力としての環境要因がある。そのポイントとなるのが、 ・外界からの正常な感覚入力 ・刺激の多い豊かな環境 ・運動 ・子育て行動 などが重要。視覚や言語機能等からの情報の獲得には臨界期と呼ばれる感受性の高い時期が存在し、その時期に適切な刺激が入力されないと、正常な機能が成立しない ことが知られている。また、記憶の形成に重要な海馬は、大人になってからも神経細胞の増殖が、豊かな感情下で可能であることが報告されている。学習能力の向上が見込める。それと、興味深いのは、「子育て行動」だろう。よく仔の世話をする母親から育てられた仔は、恐がりがなくストレスに対しても良好な反応を示すとされる。逆に幼少期に虐待を受けた仔が親になり、子どもに虐待を加えるケースが多いことが指摘されている。習慣的な運動がストレスホルモンの設定値を低下させストレスの刺激に対応するという。 ・へ2・・・健やかな脳を育て維持するために、科学的な根拠となる知識が必要だ。自分の脳を知らなければならない。
2015.05.31
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根本的にはシンプルな因果関係であり、加減乗除なのだろう。いま胡瓜の様子を視ていて、以前調べたことを思い出した。節と節の間は約10cmで、その節の間から葉や、新しい芽や胡瓜の実や雄花が出てくる。棚は170cmだったから約16の節ができる。それをどうか調べたら、必ずしも10cmではない節もあるが、大体それくらいであり、節も16くらいだった。 ・どれくらい収穫できるのか、それは、これから子ができ、孫が出来ていくから、そう簡単には推測できないが、確り観察していけば、或る程度は判っていくに違いない。科学者でなくても加減乗除くらいは誰にでもできる。何をどうやるか次第だろう。昨日書いた栴檀の数も今朝歩いて数えて見た。すぐにやるから価値もある。私の数えた栴檀の木は塩浜海岸付近で76本あった。歩きながら数えたので精確ではない。もし、もう少しやる気があるなら、一本一本サイズを記録し、写真でも撮っておく、それを毎年続けたらどうだろうか。塩浜海岸の栴檀の記録になる。 ・へ2・・・定置観測のことを書いたことがあるが、そこから視える風景も変化しているという事実を忘れてはならない。如何に科学的観察と言えるかはその人がどれだけの意味を理解しているかでもある。ある心理学者が、街かどで道行く人を観察するのだと聴いたことがある。視る力があればどんな観察もできる。知ろうとする力は何かを成し遂げることもできるのだろう。
2015.05.31
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特定のDNA断片に変異の集中が判った。若い内は惹起せず高齢者に5%~50%の確率で起きる。ミトコンド リアのDNAは、核のDNAと異なりヒストンのようなタンパク質による保護が無いため変異の確率が10~20倍 高いと言われる。せっかちマウスは短命でのろまの亀が長生きなのはミトコンドリアの活性酸素の放出と無縁では ない。大食いは大量の活性酸素を作り出し動脈硬化と老化を早めることになる。複製のエラー:ミスマッチが発 ガンと結びつく。体のメンテナンスは、常に点検を怠らず傷ついた部分を修理しなければならない。手当てをしない と家屋のメンテと同じで怠ると木造家屋なら先ず30年持たない。パーツも大事にしないと修復できない運命だ。 生殖に到るまで個体差が少ないのは子孫を残す為だ。生殖との係わりが希薄になると多様な個体差を生じてく る。熱力学第二法則のエントロピー増大は、生物を含む全ての物質は劣化を免れない。 問題の所在は何か。意義があり。沿革・構成要件の総論があり。そして存在理由がある。企業も生きているの だ。遺伝子からみれば人体は道具である。脳も精密マシーンでしかない。感情も化学作用で喜怒哀楽がある。 どれだけの情報を持っているかで未来は決定される。情報能力のない個体は生き残れない運命だ。蚯蚓でさえ 移動しなければ同じ環境で生き残れないことを知っている。遺伝子にプログラムされているからだ。シンメトリーな 異性を好み優れた子孫を残そうとして、仕組まれたDNAが遠い数十億年の彼方から来ている。 存在理由のないものは消去される。
2015.05.31
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腦化指数 7 他の動物に比べて、ヒトの脳は巨大化した。60kgで、200gというのが平均値らしいが、ヒトは、1400gくらいある。7倍だ。それは単なる倍数でしかない。実際はそれ以上に、ヒトの進化は、私たちのイメージの想定外だ。いまや69億人に大繁栄した生物といえども末路がないわけではない。その成功ゆえに没落もする。図書館で、暫く雑誌などを読んだが、借りてくる本は止めにした。今度のツアーで借りた本が返せなくなっても困る。 ・潤沢で有利なものがあったとしても、それを利用できなければ意味がない。人の行動はアイロニカルなものになりがちだ。都合のいいように物事は運ばないが、自分のもつ有利な形質を活かすことは大切なことだろう。日本人の胃の消化酵素の中には欧米人には無い消化酵素があるそうだ。それは海藻類を先祖が良く食べていたからである。乗りの消化酵素がそれらしい。人間のからだは、長い歴史で作られた組織でもある。その地に適応できたから生き延びて来られた。 ・へ2・・・地産地消の価値は意外と大きいのだ。言葉や文化も、簡単に考えるべきではない。母国を失くしたひとびとが浮草のような一生を送った例は沢山あるだろう。そこに生きているから、生き延びられもする。そういうものが体の中にあるのだ。目には視えない世界が、私たちの生命を支えてもいる。俗説で潰されそうな人生にするかしないか。
2015.05.31
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・人のいない自然を言うのではなく、ひとがいる自然のことを自然と言っている。この膨大な宇宙の中で、ひとのいる自然は奇跡に近い存在でもある。そして小さく狭いエリアだ。声を出せば誰かに聞こえるし、走り出せば誰かにぶつかる。ひとがいなくなれば死んでしまうだろう。私たちはまだ絶滅危惧種でもない。人口は増えるだろう。然しいつか終わる。一つの事象は終わる。 ・へ2・・・インドのジャイプールでみた群衆はカオスのそれのように見えた。どうして信号機や道路の整備を急がないのだろうか。それをしたら大変なことになるからだろう。世界最大の民主主義国の運命は、その未来志向の選択にかかっている。決してアメリカのまねをしても失敗する。インドはインドのやり方でこれからもやりつづけなければならない。ひ弱な日本人は、酷暑で僅かな滞在だったが、根を上げそうになっている。
2015.05.31
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ひとの中で活きている。恐らくそれが一番安全だからだろう。勿論そのためのリスクも付き纏うが、それでもまだその方が好いのは確かだ。誰もいないところでは何があるかわからない。まして野獣の中とか、砂漠の中に一人ではおれない。気温46℃のインドで、人々は暮らしていた。そして上の写真の犬は、死んだように寝ていた。炎天下の中で、たいていああして眠っていた。当然牛もいる、ラクダもいたし、ヤギなどもいた。 2015.5月ウオーキング歩数累計(2008.4.15~)年月 歩数日数2015.3.31まで51,668,1992,5712015.5月350,84531歩数累計52,019,0442,602
2015.05.31
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松果体(メラトニン)や視床下部(体温調節中枢)が生体リズムの中にあって、光に反応すると考えられている。ドーパミンにしろ、加齢による劣化もある。睡眠の質が低下するのも、ホルモンの分泌にかかわっているようだ。朝から、太陽のたっぷりとある白い光が活動に向けた体調造りに重要であると、昨日の講師の話である。そして、昼間充分な照度と高色温度の光が浴びることが、夜のメラトニン分泌を高め、深い眠りのために重要であるという。更に夜の黄色い光が自然の眠りを誘い、深い眠りの確保のためなるとの話であった。 ・朝の10時から16時までの間。(殊に、10時~12時 14時~16時)に日照を浴びる時間によって統計的にも気分が変わることが証明されている。日照時間の短い冬と、長い春や夏とでは気分が違うのは私たちも感じていることだ。現代社会は、昼と夜を逆転した人々を生みだしている。朝の日射しを受けず、昼間眠り、夜起きている人も多い。生体リズムが破壊されてホルモン異常も起きているに違いない。ホルモン異常による病気が、精神や肉体に影響を及ぼさない筈はないだろう。 ・へ2・・・緩やかにホルモンの分泌が減少していき、若い時ほど、ホルモンのいくつかの調整機能が落ちて来るのは仕方がないが、生体リズムを壊すようなことをしてはいないだろうか。仕事によっては止むを得ない人々も出てくるのは仕方がないことだろうが、それに対する手当てがないわけではない。ヒトも花も美しく生きれない筈はないだろう。そのためにはどうしなければならないかでもある。
2015.05.31
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1931年9月「満州事変」が勃発して、思想界の右傾化が強化された。治安立法強化政策のもとでの権力による国民思想画一化の方向を極端にまでに進めたといわれる。京大事件、美濃部事件と連なる大学の自由が攻撃された。それはやがてなだれ現象となり、いくつくはてが待っていた。 日露戦争で与謝野晶子が「君死にたまうことなかれ」と反戦歌をつくった。勿論そればかりではないが、その屈折した感情はむしろ儚くも悲しいものだ。のみ込まれていく濁流の断末魔のようでもある。 家永三郎の「続わたしが思うこと」の中で、紹介している一文がある。 「・・・ノートを写すためか下をむいていて先生の入室に気づかなかった一人の学友は、「あなたは敬礼をしましたか?」と叱責された。学生を「あなた」と呼ぶのは、「君」という文字は至尊についてだけ用いるものという先生の信念によるものである。小学校に逆戻りしたおもいがした」と書いている。まさに教師と学生が分断されていったのだろう。 付和雷同ということばは好きではない。しかしそれが時に大衆を狂わせるかもしれない。ナチズムがそうであり、天皇神格化もそうであった。これは ひとのもつ meme がかかわっている。狂気はなだれ現象を起こしかねないだろう。
2015.05.31
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どこに住するか。それが問題である。居住だけのことではない、精神の所在もある。そして刻々変化もする。誰がどうのでもない。自分をどれだけ深く観察できるだろうか。身内に甘く、他人に冷たい傾向がある。動物は、自分の体を大きく見せようとする。巨大化で生き残りを図ってきた。その極致が恐竜でもあるが、ある時期絶滅したと言われる。有利な形質が反転した。 ・スパルタ教育も平和な時代では無意味になる。強い軍隊は必要ではないからだ。強い男よりも優しい男が好感される。相手にすがるのではなく、自己の才能を活かしたいと思う女性が増えている。老害の政治家たちがいつまでも権力の座にいるべきではない。私物化された権力がないとはいえいえない。権力は腐敗しやすい。 ・へ2・・・エリートばかり育てようという教育がされていないだろうか。企業戦士を造ろうとするシステムでは、真の教育ではない。ゲゼルシャフトの時代は、さらに次のステップが必要なのだろう。自分の次のエリアを目指したい。
2015.05.31
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肝心な時にへまをしがちなのが人間でもある。他人さまがまだ失笑してくれるくらいはいいが。軽蔑されたり、嘲笑されたくはないが、それはないとも限らない。びくびくして度胸がない。自分ではそう子供のころから思っていた。これではいけないと、夜の道を歩いたり、わざわざ夜の墓場にいったりした。独り芝居ばかりしていた気がする。 ・幼いころに見た湯かんもある。密教を読み始めたが庶民の文化のにおいがある。人生観や世界観が周囲に残っている気がする。ことばの文化の中で自然に教えられた知恵でもある。インドや中国にはない日本の文化を形成しているのだろう。人は何かにすがろうとするが、そんなものはない。 ・へ2・・・孤独から立ち上がるしかない。孤独な島国の住人であり、孤独の遺伝子をもってうまれてきたのだ。自分の人生の演出ができるだろうか。それを試してみるしかない。顚倒するかしないか。それが問題だ。
2015.05.31
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この五月で、一年になるのを記念して参加者31人で、近くの公民館でお祝いをすることになり出かけてきましたが、手作りのタケノコ料理とか、地元の料理もあって、楽しいひと時を過ごしてきました。半分は地元の人たちなので農家の人たちもいて、帰りに野菜をお土産にもらっきた.どうにか一年経過しましたが、あとどれだけ続けられるだろうか、やってみないとおわかりませんが、結構健康志向に熱心な人たちのようです。
2015.05.31
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およそ、ひとの幸福とは似通って平凡だが、苦悩はひとそれぞれ千差万別にある。四苦八苦している。もっとゆっくり考えられないものだろうか。しかし不幸感で固まった意識を解きほぐすことはできるだろう。それは宗教でなくともできるだろう。地獄も極楽もひとが創った概念でしかない。幸福ではなく極楽を求めるのであれば話は別だろうか。 ・物書きというのは、自分勝手なことを書いているがそれが自覚できているかで相当違ったものになるだろう。自分の意識内でしかわからないのだから、他者を認めなければ自己本位なものになる。ひとの「幸福」も、一般的な幸せのコンセプトでしか語ることはできないだろう。 ・へ2・・・ある芥川賞を貰った坊主さんが、如何にもわかったようなことを書いている。修行者であることを忘れている。世間から認知された坊主だと勘違いしている。世の中を知ったつもりでもいる。何かできるのではないかと思いあがるのだろうか。それが自分の仕事だと思うのだろうか。それで、他人に幸福を齎すことができるとおもうだろうか。よくわからないが、釈迦に説法のような本を出している。 有名だからといって人格が高潔とは限らない。その逆のことが多いではないか。権力や権威がミスリードしてきた歴史がいくらもある。地道な努力をしないで成功ばかりいっているといつかは襤褸が出るだろう。袈裟のしたの鎧がいつか見えてくるだろう。
2015.05.31
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どれだけ涼しい生き方ができているだろうか。それは脳で決まるかも知れない。暑苦しくしているのは、ただ環境だけの責任ではない。自分でそうしようとしないからでもある。 自分のペースで、何にかを遣るのには忍耐がいる。ことに本当に遣りたいことをやるのには我慢も必要だ。それができなければ諦めるしかないだろう。桜を見たければ、咲くまで待たなければならないように、待つことも必要だ。 政治家が、首相になるのは、多くの幸運がなければならない。それだけではない。そうなるための研鑽と準備が必要だ。これまで日本の総理は、棚ボタの類で手に入れてきたに過ぎない。少なくともスキルを磨いて首相になる決意をしてなったものが、どれだけいるのだろうか。多分いないだろう。もし、いたとしたら、こんな政府の首相にはなりたくないはずだ。 涼しい脳でいることは難しい。不可能ではないが、非常に困難だ。さっさと読み進んで行こう。
2015.05.31
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法と権力は、いずれも単独では存在しない。法は権力によって維持される。権力は、その目的を達成するために法を手段として維持し、法は、その目的を達成する手段としての権力に依存する。権力は法をつくり、法を支え、法を曲まげ、法をかえ、ときには法を破ることもある。権力は、法の意味を曲げて執行することがある。憲法9条は明確に戦力の保持を禁止しているにもかかわらず、自衛隊が設置されている。権力は、自己に都合のいい恣意的な解釈をして法をまげることをする。 人権保障などの規定は、権力の濫用の防波堤だが、しばしば権力はその本来の意味をまげることをするのだ。そのために司法権の独立と監視が必要だが、その機能が沈黙してしまう。戦後68年になろうとしているが、国民一人一人の平和への意識が脆弱になってきている。戦争の悲惨な体験を知らない人が大多数になったこともある。 ・へ2・・・法は権力を規制する。然し反面権力を維持し、権力に奉仕もする。そのかぎりにおいて法は権力の道具になる。法の意味は、権力を破るということでもある。権力の更迭が行われる必要がある。民主主義の価値はそこにある。 民意を尊重するといいながら、その逆ではないだろうか。それは本当に必然的だろうか。選択は間違いではないだろうか。文明の衝突になるかもしれないといわれている時代である。兵站は戦場でもあるのが今日の常識でもある。安全なわけがない。総力戦でもあるからだ。なぜアメリカは、日本国土に焼夷弾をばら撒いたのだろうか。非戦闘員を殺す必要があったのか。敵とみなしたからだ。戦争は経済的効果があるのだろう。しかし血の代償がついてくるだろう。
2015.05.31
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飽食の時代でないと美食も出来ないと思う。その美食が健康も損なう。贅沢したいという気持ちが、他人を軽蔑したり、社会的地位を絶対なものと考え勝ちにもなる、高慢や不遜も生まれる。自分のためにこの社会があると思うことは悪いことではないが、他人の権利も同様に認められるかだ。自惚れ屋が他人を蔑視することに繋がる。確り民主主義の精神を理解できているか?どうも狭い視野しかない人間には難しい。人は不完全な存在でしかない。 ・恵まれた環境で育った人間が、社会の底辺に目が向かなくなるのは、利己的な生活から来る。自分にとって利益にならないものを視ようとしなくなるからだ。人間の健やかな暮らしにとって何が必要なものであるか見分けることができなければ、健やかな人生を生きることはできない。それは多過ぎても少な過ぎても得られない。美しいものに触れたいという努力がなければ何も視ることはできない。自分の内面にあるものと向き合わねば、心の癒しにはならない。 ・へ2・・・セレブな生活がもてはやされているようだが、そんな暮らしに皆ができるわけではない。贅沢に憧れるこころにこそ、堕落の罠がある。蜘蛛の糸などない。青い鳥も飛んではいない。人間には自分の身体に相応しい食べ物があり、必要な量も、それを噛み砕き、消化し、それを重力や運動によって速やかに排泄し、清潔な生活をする責任がある。自分を活かしてくれるからだを顧みないことは破滅への道でしかない。 午後からラジオ体操の会の一周年記念の宴がある。桜見をした時と同じ大神神社という地元の境内ですることになっていたが、雨が降る予報だったので、集会場ですることになっている。結構会費の割には御馳走があるのは、参加者の有志の差し入れがあるからのようだ。普段食べられない手作り料理が出てくる。流石に田舎なのでその手のひとがそれとなく持参してくる。ラジオ体操の時も、野菜類を持参する趣味で畑作りをしている人がいて、楽しみである。もう十回くらい貰っている。
2015.05.31
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「ゆえに曰く、ひとはカーマ(慾)より成る。カーマに従ってクラツ(意向)あり、クラツに従ってカルマ(業)あり、カルマによってサムサーラ(輪廻)あり」(ブリハダラーヌヤカ・ウパニシャッド)。浄行によりて浄となり、悪行によりて悪となる。ひとは善人でも悪人にもなる。それは行い次第なのだ。然し、「罪障あるものは生まれ返り、罪障なく清浄であれば生まれ変わらないと説く」。一旦人と生まれて、ここにいう罪障無き人間はいるのだろうか。「悟りを開くもの」とは解釈次第ではない筈だ。誰が言うからではない。絶対評価であれば誰にもできはしない。 ・この世に罪なきものはいない。「輪廻転生」「悟り」といいながら、悟りを開けなければ、「輪廻」に堕ちるのだ。たとえ畜生や蛇に生まれ変わろうと、ひとが厭だと思うだけではないだろうか。確かに生命由来は、同じ宇宙のチリには違いないが。教えのために作られた説教でしかないのだろうか。一歩も二歩も退いて読んでいると、熱が冷めてくる。書いた人間の知識が凡庸でしかないからだろうか。それとも請け売りだからか。 >ラージガート
2015.05.31
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世の中はすべて企みに満ちており、人々はその企みの中で肝心なことを見逃してしまう存在なのだろう。真実はなかなか見つけられない。易々と物事は成し遂げられていくが、それは果たしてそうあるべきなのだろうか。地球が球体であることも、加速膨張宇宙であることも知らないでいるひとはいる。芸術も物理を知らないでも平気で暮らしている。人間は何と愚かだろうか。 ・そこに何があるか、本気で考えようともしない。恣意的な観念のエリアから出てこないでいる。世界は広い。日本の常識が通用しないところばかりだ。井の中の蛙の人が世界の嗤いものだ。幼稚に生きているものがだれかだろう。価値あるもののためにどのような努力をしているかだ。継続しなければならないことと改変しなければならないことを選択すべきだし、それが出来なければすべて無になることもある。時間は余りない。 ・へ2・・・あるものは自分の仕事を成し遂げるだろうし、それが何かさえ解らない人もいる。自分の住している場所はどこであるか。何をすべきであるか考えなければならない。残された時間は余りない。 ちょうど去年の今頃インドツアーをしたが、45℃くらいあったので、とてもこれでは暮らしていくのは大変だと思ったが、今年の熱波はまた酷いようだ。二千人以上の犠牲者が出ているらしい。クーラーもつけていないバスが走っていた。インフラもまだずいぶん遅れている。同じ二十一世紀に生きているが、これも長い植民地時代の影響が大きいに違いない。
2015.05.31
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インドのジャイプールの車窓から夢の中で見ているような一瞬の光景は、生涯忘れることはないだろう。僅かなチャンスがあるに過ぎない人々の人生があり、有り余るチャンスを活かすことのできない人々もいるということだ。どちらも夢を達成できないのだ。然し、その目的とは何だろうか。あるものは無上の愛であり、あるものは欲望の果てでしかない。求めているものが違う。 ・日々の苦しみの程度が違う。職場に向かうのに長い間、炎天下冷房もないバスにすしずめで耐えなければならない。廉い賃金で長時間労働かも知れない。とても恵まれた社会環境ではない。職場にも自宅にも冷房がない。油断すればどこでも牛のふんを踏んずけてしまうだろう。悪臭と砂ぼこりの中で暮らしている。然し、彼らにはインドの魂がある。 ・へ2・・・私たちにはないその魂は、尊いものに違いない。世俗の夢に迷い続けている私たちの心は拙しいのだ。子どもの様な幼稚さでしかない。何も騒ぐようなことでもないことに翻弄されて生きる意味を失いかけている。本来の人としての在り方を考えもしていない。目先の営利のために狂騒しているだけだ。チャンスはどれだけあっても知ろうとしない人間は憐れだ。
2015.05.30
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どうも思うようにいかないと遣りたくなってしまう。気紛れなのだろう。オール・オア・ナッシングではないかと。いい時は頑張るが、できなくなるとやめてしまう。それではつづかない。自分ではわかっている。どうしたらできるのか。それさえ確り考えさえしていれば、自分の行為や結果に納得もできるだろう。年々加齢で体力が衰退していくのだから、できなくなることはたくさんある。いまだから出来ることをすべきだし、そのチャンスを活かしていくしかない。 午後ラジオ体操の人たちとの一周年記念のお茶会があるが、老人会のようなものだ。 2015.5月ウオーキング歩数累計(2008.4.15~)年月 歩数日数2015.3.31まで51,668,1992,5712015.5月334,01430歩数累計52,002,2132,601
2015.05.30
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近世の日本は、鎖国の体制であり、幕府や欧米諸国は漂流民を利用しようと してあらゆることをしている。江戸時代になると商品経済の発展で海難も増 加したため漂流民も増えたこともある。殊に、1837年のモリスン号で送 還された漂流民7人は、文政の打払令で、帰国できず、香港や上海で一生を終えている。併し、彼らは、その後の日本人漂民を積極的に援助するなどし て、日本に帰国できるように支援したという。これこそ庶民の人間性の偉大さを示しており、こころある日本人は刮目すべきだろう。 大黒屋光太夫にしろ、ジョン万にしろ、ヒコにしろ漂流民たちが果たした役 割は、庶民の偉大さを示すものだ。どれだけの苦労をしたかいうまでもない。 血の涙を流して人でなければ、彼らの心を知ることはできないのだろう。そして私たちは安穏と暮らしてもいる。戦争も知らない人たちが、集団的自衛権とは恐れ入る。誰が戦場で戦うのかということだ。また妻子が泣くのだろうか。偉そうな顔をしている連中の罪の深さを思わないではいられない。
2015.05.30
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殆んど何も知らないでツアーに行っても、凄いものはすごい。流石に世界遺産だと思うことばかり。旅行社のツアーは盛りだくさんのスケジュールばかりだから、それが何だったのか。良く理解できないこともあるが、あとで分かるものもある。それを知るのも悪くはない。事前にできるだけ調べてはいるが、どうもガイドブックが無かったりするのは、日本人がまだ海外の事情を知らないからでもある。文化の質量が低い。図書館の図書がそれだけ充実していない。それは、福岡市が地方都市で、しかも私の住んでいるところが田舎だからだろうか。 ペルーはある意味散々だったけど、それでもまた来月ツアーをする予定でいる。西し、東ししているのだろう。真木和泉守は、「五事建策」の人だった。鳥渡だけ読んだだけだが、それだけの見識のあった人だったようだ。「三世大義を掲げて、家についにゲツイ(跡継ぎ)なし」とは、彼が尊敬していた楠公祭のこと。昔の人たちはそれだけ純粋でもあったのだろう。
2015.05.30
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インドネシアのフロレス島の場合、体格はさほど重要ではなく、小さな島では食料が乏しく、カロリー摂取は負担になり、身長1メートルの小型化に向かった。人類の進化にも本流から外れた種が存在したことを示している。ドマニシ原人とフロレス原 人の頭骨の相違の発見は、人類進化の研究に於ける最新の成果だ。 私たちの世界は、あらゆるものを生み出す「スープの海」だ。正義とか悪とか裁けるだけの能力を何のデータなしに判断することなどできはしない。ひとは、自分のスペースで自分の仕事をすべきだ。そのための努力をすべき でもある。
2015.05.30
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日本では、常識であっても他国ではどうかわからない。世界観も人生観も違う。そのことをツアーをしながら思うことはある。日本だって他国の人から見れば陳腐なことはあるのだろう。綺麗とか汚いも見るべで違う。それこそ日本人が同じ人格を持っているわけではない。どう思うかは勝手であるが、それを他国の人が見て不快感を抱かせるようなことは言うべきでもないし、するべきでもない。いい年齢をした人が、不見識なこともする。 ・それだけ国際化できていないのだろう。お互いに相手の国情を知らなければならないのはそのためでもある。郷に入れば郷に従え。相手がどんなことをいうかだろう。そしてするかだ。何故この40度を超す酷暑の中で、冷房もしないバスが大勢の人を乗せて走るのだろうか。冷房車にするにるはコストがかかるからだと説明された。運賃を抑えるために冷房で我慢している。 ・へ2・・・富裕層と貧困層との格差が大きい。カースト制度もある。色んな問題を抱えているが、13億人近い人口だ。近い間に中国を超えて世界一の人口になるといわれる。ITの発達や優れた頭脳集団がいる国でもある。あるいは世界の覇権を握ることもあるかもしれない可能性のある国でもある。それこそインドの衝撃があるに違いない。 どうも明治以後の人たちの世界観や価値観には違和感がないとは言えない。むしろそれを否定するようなことばかり戦後の教育はされていたからでもあろう。それが間違いだったというのだろうか。憲法改正の論者たちは、押しつけ憲法だと主張している。占領軍に反対しなかった人たちが今更でもあるが、もともと都合のいい解釈もするのだろう。国際社会は、欧米型の民主主義を推進してきたが、それが、また今日的な多くの課題を抱えてもいる。誰が真の敵か味方か分かりはしないのだ。ISも現在は少数派にすぎないが、未来はどうか分からない。言えることは、人としての常識とは何かだろう。 正しいと思っていても、それは間違っているかもしれない。誤りは繰り返されんもする。近未来は誰がリードしているのだろうか。思いがけないひとなのだろう。
2015.05.30
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歴史は、新しい担い手が、次々に出て来ては消えて行く。それは、西欧や、アジアやその他の地域でも同じだ。温暖な地域で食料だけは豊かにあったとしても、遂には寒冷地で飢えを凌ぎながら開拓し て生き残った者たちが、力を得て、そうでない者を支配した。それは、過酷な環境に生きて学んだ知恵があったからだ。若いころによく学んだものは、そうでないものを凌駕することになる。だから、若いころの苦労は無益ではない。併し、その対価も廉くはない。そのために一生を台無しにして しまうリスクもある。それが生物の宿命でもあるだろう。愛するものから愛されるとは限らない。憧れる夢から嫌われるかも知れない。然し嘆くことはない。それが人生なのだ。欧米人の合理主義が齎した文明も、いつかは使い物にならない時が来る。ひとの選択が誤るのは、それは仕方がない。すべてのひとが幸福ではいられない。もし欧米人に驕りがあるとすれば何れはそのために報復を受けるだけだ。もう、新しい時代の担い手を探している。思いがけない出現があるだろう。 新しいリーダーは、権力者の側からは生まれない。 夜も眠れないで、動き回る人たちだろうか。それともいまは報われないままトンネルを掘り続けているだろうか。
2015.05.30
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客有り客有り名は保臣.罪を以て遂はれ華江の浜に在る。四十の髯髪白く数丈。・・・ (「哀哉歌十首」真木保臣)昨日は、講座で「西海忠士 真木和泉守一族」についてのレクチャーがあり、興味深く拝聴してきたが、その感想を兼ねて、人物の紹介ができればと思う。福岡県久留米水天宮真木家の長男。大男で文武に優れていたようだ。尊王攘夷の志士で、久坂玄瑞とともに1864年の禁門の変で、和泉守以下十七士、天王山にて自刃した。 辞世の句 「大山の峰の岩根に埋にけりわが年月の大和魂」 多くの日記や書簡が残っているが、研究はこれからで、講師はその作業をしているとのことだった。明治になり、真木家に追贈があっている。彼は、藩校明善堂の考課で、学問格別出精上達の部。書かれた日記の文言は造詣の深い漢語を理解して書かれているので、歯が立たないということだった。 上記の「客」は、自分のことを言うらしい。日記の中にある「失三弦」と書かれているのも、むしろ「三弦を楽しむ」という意味らしい。漢詩の教養がなければ精確に翻訳することはできない。 真木一族というのが、系図で見ると血族結婚などを繰り返して血の濃い関係にあることがわかる。それだけ結束の強い関係にあったようだ。子孫の人たちが生きているらしい。明治維新のころ無名の英雄たちが大勢いたのだろう。しかも命を投げ出した人たちの中に真のヒーローたちがいたに違いない。それこそ研究が遅れているようだ。
2015.05.30
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去年の今頃、インド・デリーの空港に到着して冷房の効いた場所から外に出て暫く駐車場でバスを待っていると、外気の熱気が体を覆ってきた。現地時間で、真夜中2時過ぎのことだ。これがインドなのだと。まだ近代的な構築物の中にいたが、空気だけはそのことを教えてくれたのだろう。運転手と運転助手と、添乗員とツアーの4人と、総勢8人のツアーの開始だ。 ・気温は。毎日40℃を超えていたし、昼間は45℃近くあったようだ。72歳の人は、前半は元気で居られたが、後半は体調を崩されて、食事ものどを通らないようだった。何とかツアーにはついてこられたが、帰国の時にはやっとだった。これでは、添乗員と残ることになるのではないかと心配したが。何とか帰国できたありさまだった。もう一人の看護師さんは自己管理ができていたので、うまくコントロールされたのだろう。それでもダメージはあったようだ。妻は、帰国してさすがに疲れていたがいつもの様子だった。そして私だが、後半は、あまり食事が進まなくなり、上海で昼食の時は、食べれなくなってしまった。これも軽い暑さから来る熱中症の症状なのだろうと思う。 ・へ2・・・いつもならツアーの後はすぐウオーキングをしてブログをして、たいてい余禄を余しているが、今回はダウン寸前だったようだ。インド恐るべし。からだへのダメージは小さいものではないようだ。シャワーをして体重を測ったら、51.8キロだったから、2キロ行く前より減っていた。
2015.05.30
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医学、社会科学、人文科学も、人間を対象とした研究は、「人間とはなにか」という問いを重要なテ ーマとしている。自然科学も「世界とはなにか」という問いを中心に措きながら「人間とはなにか」にかかわっている。宗教も同じだ。それぞれ独自のコスモロジーで、人間を位置づけようとする。 私たちは、日常のなかで、「人間とは」を考え、そして、個人的な経験を通して、「人間は利 己的で、しかも、愚かだ」などという感想をもちながら生きている。文化人類学は、そこからスター トするようだ。少し限界が見えてきた感じだ。人間の暮らすところに出かけて、そこの人々と「長 時間」生活をともにして、日常生活やその他の知的営みから、他者にとっての「あたりまえ」の生 活に、身をもって参加し、見聞したものを記録する手法だ。どうも穏やかではいられない。 何故人間は、他人に干渉したがるのであろうか。支配したいからだろうか。大抵失敗する。そんな権利はないからだ。それこそ、本当の意味の人間のコスモロジーを理解していない学問が存在する のであろう。学問を手段にしようとするからだろう。三浦梅園は、凄い人間だと湯川秀樹が書いて いた。大分の田舎で生涯を過して独自のコスモロジーをもっていた。晩年、城主から、遠いので駕 籠で帰れと勧められるの固辞した。「ひとがひとにかつがれるものではない。」という信念からだと いう。
2015.05.30
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一等の流(やから)有り 悠悠として木頭に似たり 語を出すも知解(ちげ)無く 云うらくは我れ百(なべ)て憂えずと 道を問えば道を解せず 仏を問えば仏も求めず 子細に推尋すれば 悠然として一場の愁 (「寒山詩」より)つまり、「心源湛寂」の処を悟りの境と思って、それを信受し、死守し、悠悠と生きているのは、亡者だということだ。所謂「見性」を持たないものを云う。道を問えば、道のことは知らないというし、 仏を問えば、仏を求めずという類だろう。 古典が、段々遠のくようでは文化の衰退だ。より深く学ぶことは、より理解することではな いか。聖書でも、仏教でも何でも関心をもって研究すべきだろう,と思う。 表面的なことで済ましてしまうから、いつまでもショートしてしまう。どれも全部が正しいのでは ない。正しいものを集めればいいのではないか。異教徒として知ろうとしないのは、限界でしかな い。堂々と議論すればいいのだ。論理を尽すべきだ。 少し、フットワークが悪くなっている。ああだこうだではなく、気楽にぶらりと出かけるくらいが好い。そうすれば、思いがけないものがあったりする。
2015.05.30
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人間は自らの心に殺されてしまう存在である。という本を読んでいる。「心因性死」というド ラマがある。さまざまな出来事でひとは死ぬ。ヴードゥー死・タブー死・ノスタルジー死・魂の死などの 実話が紹介される。心因性死シンドロームの謎があるのは、人間が必ず死んで いるからであり、どんな 死に方もあるからだろうし、迷信や無知が支配してきたからだろ う。自然の膨大さに対応できなかった 時代では、この世は果てしもない闇であり、謎であ ったに相違ない。現代も、公には知ったようにことは 進んでいるが、個人的にはまだ「心 因性死」による迷信と無知に翻弄されているのだ。 そもそも「心因性死」とは何かという と、医学界もバラバラで定説はないのだ。「突然」は本当に突然 なのだろうか。 WHOは、1976年「突然死とは、外面的には健康な人間、あるいは病人であっても症状が安定しい るか快復に向かっている人間において、平静のうちに6時間以内に発生する予期せぬ死のこと である。」と定義している。二分以内なら「直接急性死」二時間以内なら「突然急性死」二十 四時間以内なら「早期急性死」に区分される。 「生」と「死」はまだパラレルに研究されていない。解明かさなければならない「死」がある。
2015.05.30
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批判的精神 皮肉屋と批判とは違う。世の中を歪に行きたくはない。あるがままの現実があり、そこに自分の人生もある。ひとびとは柵の中で活きているのであり、云えないことも多い。いえば「くび」が飛ぶ。飛ばないまでも、それ相応のリアクションがあるのが常であり、利口な人ほどそういうことはしないものだ。然しそのために委縮もしてしまう。とかくこの世は遣り難い。 ・つい皮肉を言いたくなり、それが嵩じてしまう。世界一になろうとして嘲笑されるようなことを敢えてする人もいる。敢えてしなければできないからそうするのだろう。それで生甲斐を得る人もいるに違いない。そうであれば、意味が無いとは言えない。自分の心臓の数(心拍数)を産まれたときから数える人がいるとは思えないが、確かに、それをやれば多少は自分の体の状態を知るきっかけがあるかも知れない。 ・へ2・・・歩く距離を万歩計で毎日記録しているのも、それで終わればなんということのないものだが、活かすことはないとは言えないだろう。自分のからだのデータベースを作ろうとする試みは素人には野望でしかないが、それでも遣らないより、遣った方が良いだろうし、世の中に対する自分の考えをぶつけるのも、それは自分を見直す契機には為る。外は雨のようだ。
2015.05.30
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意識をどれだけ積みあげたところで精神にはならない。精神は胆力でもあるからだ。然し脳のパワーである。精緻さかも知れない。粗さが齎す妄迷から粗雑になるのだろうか。理屈に合わないことを仕出かす。 ・目が少し悪い。中々読むスピードが先に進まなくなっている。だから矢鱈鈍くなった。それでも、漱石の文章は判り易い。小説とは時間潰しではなかろうか。そして自分の人生も、おそらくそれではないだろうか。時の流れを悔やみながら愉しんでもいる。妙に登場人物が生々しい。どこかでこれまで出逢って来た人たちのようにさえ思えてくる。漱石の時代と変わらない時間を生きてきた気がしてくる。これはとても現代ではない。 ・へ2・・・ことばの通じない世界に「ポン」と放り出されたらどうするのだろうか。同じような顔をしていて、文字も言葉も分からないタイに行き、生きていけるだろうか。とても赤道の下で生きていけるとは思えなかったが、バナナを食べていきていた17世紀に日本人たちが日本人村を造っていた。望郷の念があったに違いない。ヤシの蔭にその子孫がいるのかも知れない。
2015.05.30
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なにものであろうと昨日は昨日であり、過去のことでしかない。真宗では「朝に紅顔ありといえども夕に白骨になれる・・・」という。これまでのことに執着し、固執してはならないという教えでもある。在るものいつか終わり、変質もする。これまでの常識もいつか通用しなくなる。世の移ろいとは何と激しく無情でもある。 ・昨日までのブログも足跡でしかなくなる。いつまで続けられるか、それは社会環境にもよる。送り手と受け手、そしてシステムがある。そのどれかが止まれば、衰退する。多くのことで昨日と違う出来事に愕然としてきたことだろう。父母が死ぬことを予想してはいなかったし、その事実は心の中では、中々認知できなかった。必ず、結果には原因があり、プロセスもある。注意さえすれば見えるだけの機序もある。予兆も知ることはできるだろう。 ・私は、何もあすに期待しないことにしている。目の前の現実に背を向けないようにして生きていきたい。それでも自分の時間と在るのは現実でしかない。多くの人たちや自然と共存してわずかな営みにスペースを探したいと思う。
2015.05.30
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「安心させてくれる神話より、動かしがたい真実を受けいれる方が、ずっといい」とセーガンは言った。こころの自由な人が、いつも平穏ではいられない。だが、自由である方がいい。まわりに逆らって生きることは、過酷だが、誰かが通る道だろう。それは、釣り糸になる人がいな ければ、希望という「魚」を釣り上げることはできないだろう。 法学の研究では、通説と多数説と少数説と判例があり、学説があり、そして自説を述べる。そんな ものだ。それが現実だ。それでないと評価がないのだから。
2015.05.30
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本当にいいたいことをズバリ言うことは難しい。云おうとする裏側にあるものは複雑だ。どうとでもいえる。いえばいうほど真実から遠のくと感じてしまう。正直であろうとすればするほど嘘にもなる。そうだとすると自分の知恵や知識も自分の無知の延長でしかないのだろう。この世に断定することもできるものはあるのだろうか。自分の確信しているものも怪しくなる。連想するものは一定してはいない。その時々で違いもする。 ・権威のありそうなものは実はそうではないかも知れない。ヒエラルヒーの頂点に真実があるのではない。求めているものは何なのだろうか?何れは逆転の発想に敗れるのではないのだろうか。立ち止まろうとしない現実には限界がある。蒙眛がそこにある。 ・へ2・・・人の人生もある意味、終わらない物語を生きている。私たちは秋にしか運動会はなかったけれど、そしてそれは親戚の人たちや、いつも食べられない御馳走があり、みんなからちやほやされて楽しかったりした。私の周囲にも世界観も価値観も違う人間たちばかりになるのだろうか。
2015.05.30
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1590年、秀吉の命令で、家康は江戸に転封させられた。関が原の戦いの10年前だ。 当時江戸は、寒村だった。城内からは、見渡す限りの葦の原がつづく湿地帯で雨が降れば一面水 浸しになるような荒涼とした荒地だった。家康の武将たちは、その有様に未来への希望を見出すこ とができず絶望した。併し、家康は違う。城の修繕も新築もしない。そして、荒れた城の本格的な築城も、江戸の町づくりも、着手したのは関が原の戦いのあとである。家康はこの時期、関東一帯を歩き回ったという。その調査は、後年の検地・知行割・町割などの政策に活かされた。そして、家康は、「関 東平野」という希望を見出したのだ。肥沃、温暖、豊かな水だ。そして、利根川との闘いが始ま る。何が、財宝かは、隠されている。「真実は隠されている。」それを探さねばならない。 家康が遣ったことは、特別のことではない。データをとり検証したのだ。当前の ことをしただけだろう。 安易に手にはいるものは、すぐ消滅してしまうだろう。形のあるものはいつかは壊れてしまう。 大火を経験した江戸幕府が、森林保護の管理を遣ったことが、日本の緑を、他国の都市に比較して残存させたという。未だ、隠された真実に学ぶべきことは多いのではないか。
2015.05.30
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講座で、スポーツ行動診断検査(DISC.4)というテストをしたが、スポーツ(運動)についての考え方や問題点を調べるテストらしい。45の設問に答えていくものだ。九州大学健康科学センターの作成によるものだ。講師はそのメンバーらしい。 態度・信念・規範信念という項目があり、評点を合計して判定する。それを今やっていた。自己判定は、3-2-3(スポーツ意識の判定表)。総合判定基準によれば、準典型のE型。スポーツ(運動)の意識と行動の水準が高いそうだ。 ・へ2・・・でこぼこの運動能力がある。毎日歩いているから、脚力は多少あるが、上半身が衰えている。それをこれから何とかしたい。心を明るくするのは体が健やかでなければならないからでもある。
2015.05.30
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以前、ハワイの公園を早朝散歩してウオーキングをしている人が多く、そして気持ちの良い挨拶を交わした思い出がある。あのときは公園も綺麗だったが、爽やかな空気と一緒に人との挨拶が気持ちを明るくした。みんな前を向いて、出会う人に皆挨拶をしていた。相手がだれであろうと、外国人だろうと、皮膚の色が違おうと構わない。気持ちよく一日を始めようという強い意志が働いていたのではないだろうか。 自分の住んでいる環境がひとびとを生かしも殺しもする。自分の住まいを自由に選ぶことのできない人ばかりではないだろうか。自分の気に入ったところで過ごしたいと思う。それが一番大切なのではないだろうか。こうして毎日歩けるのもそういう環境がなければできない。歩きたくもないところでは歩けない。里山や和白干潟など自分の住む宅のすぐ近くに広い空間があるのは恵まれている。 6年近くウオーキングを続けられたのも、色んなところで体験したことがベースになって自分の潜在的な意識を形成しているに違いない。どこでもウオーキングはできる。だが続けられるにはそれだけの環境がなければ難しい。環境と行動という意識が合致しなければならない。活かしてくれるものがなければできない。 美しい自然と住環境が人には必要だ。
2015.05.30
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日々は移ろうものである。何かを残そうとしても消えるものでしかない。容あるものは消えるのであろう。束の間の感動を言うしかない。それでいいと思い到るまで、旅を止めようとはしないものたちである。宇宙も丸い輪のようなものの繰り返しなのかもしれないが、やがて終わりが来るのではないかという観念を棄て去れない。「旅に病んで夢は枯野を駆け巡る」。芭蕉は本当は何者だったのだろうか。私たちの遺伝子は、簡単ではない。 ・旅する人もいれば、そこから離れようとしない人もいる。そこで植物のように死んでも本望なのだろう。迷う人もいれば、信念を貫いていくひとも潔いのだろう。ひと筆で書いて迷わない人はいるのだろう。それが自分であると主張もしている。そして人は誰でもないのだ。地球の生物は、動物だろうと植物だろう微生物だろうと、やがては宇宙のゴミでしかない。 ・へ2・・・物質が宇宙では主人公ではない。自分が主人公でいられるのは、それはイメージでしかない。多次元の宇宙が存在しているのだろう。どこまでも旅は続くのだ。
2015.05.30
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「セトナ皇子」・大きな疑いを抱く。・この世の初め。ラーはどこから生まれたか。「ラーの神話」。・みんなが信じて疑わないものを疑う。そのことに不安を感じて行く。「文字禍」も同じ。・疑い始めて、「木偶」のようになる。「名人伝」。結末に似ている。中島の木偶がキーワードである。・にやりとわらった。自分を見て、何故お前は笑うのか。・参考にした本。原典を突きとめた人はいない。つづきがある。・ラーの前。そこからの不安が起きる。見過ごしていたものに気付くと不安になる。同じテーマ。・疑う。知恵が動き始める。疑いから始まる。・聖書では、知恵のリンゴを食べること。 自分の身の上に起きることはとるに足りないことでしかない。それを大げさに考えてしまっているだけなのだろう。
2015.05.30
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「ひとはしばしば愛から野心へ移行するものである。しかし、野心から愛へ戻ることはない」(ラ・ロシュフコーの「マクシム」) 戦争・飢餓・パニック・大災害などの極度の社会的混乱は、恐怖・疑心・自 信喪失・無気力・狂乱の状態を惹起する。そこにあるのは意味など存在しな い狂気であろう。然もそれは、コトの一つでしかなく単なる事象でしかな い。ヘーゲル的な見方に立てばコトそのもの。コトとは、次のようなモノを指す ・事由、事宜、事理・事実、事況、事情、事象、事態・事件、事故、事変・事例、事項、事務、事業ものの世界とは、客体としてのものと、事物化されたコトで成立つ。 「こころ」の多様性とは、・こころは、知・情・意の根本の働き ・思考、志、思惟、思慮・中心・根本・思い遣り、情け ・趣向、工夫 etc感知・認識・思考の能力を意味している。想像力を豊かにし、知性を活性化することでもある。デカルトの「コギト・エルゴ・スム」が出てきたので、まあそのあたりの本であろう。それほど興味はないが、面白いフレーズが出てきた。 「青春とは、絶えざる陶酔のことである。即ち、それは理性の熱に浮かされ た状態なのだ。」 「おおかたの女性たちの才智は、自分の理性よりも自分の幻想を強めるのに役立っているだろう。」
2015.05.30
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自分一人の思い出つくりでしかないがないのも寂しい。あっても自分しか感動はないのかも知れないが。何かにすがろうとして、それは幻影かも知れない。謂わば、スクリーンの中の出来事でしかない人生なのだという。一瞬で消えてしまうその連続写真を見ているに過ぎない。過去にも未来にもつながってはいない。私たちはその写真を見て現実だと思っているだけだ。 ・思い出もその人が死んでしまえば消える。連想の世界で生きているに過ぎない。この面白い空間は、儚いもでしかないが、生きることのすべてでもある。その妙味を理解できるかだろう。この地球をわがもの顔に暮らしているが、それも僅かのニッチでしかない。 ・へ2・・・真木和泉守など「西海忠士之碑」が久留米篠山城に建立されている。大河ドラマン「八重の桜」では、真木は悪者扱いされていたが、会津からの視点だろうということだった。現在あっている「花燃ゆ」で、禁門の変で戦った久坂玄瑞とのシーンでどう扱われているか、気になるそうだった。真木の一族というのが、いとこ同士の結婚など血縁結婚によって強い絆で結ばれていたようだ。阿部一族のような関係だったのではないだろうか。一生を家族とともに生きた人たちでもある。
2015.05.30
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世にあるものは、点と点、無関係に見えて実は、関連ある。寧ろ関係のないものはない。一つ一つが点と点でしかなく、何が「情報」で、何が「生活」何が「活かす」なのか、コンセプトが曖昧。最初にそれを明らかにすることもなく、発表会はスタートした。何が共通認識なのか、すべてが点と点の集積でしかない。日本の研究発表も研究者の意識レベルで決まる。発表するだけ。単なる表現力の問題でもない。 ・バラバラのテーマで、一貫性がなく、一方的で、自画自賛の講演がされる。少なくと、焦点が大きすぎるか、歪曲過ぎて、噛めば噛むほど吐きたくなる。聴きながら、違うことばかり考える。それでも点として、分らないでもない。おそらく<私が>、知らない。何が情報であり。何がリレーだか、文脈だか、分るものだけが分かる。日本的なのだ。誰にも分らなくても、主催者は血祭りにあげられることもなく、追放されることもない、それだけが救いなのだろうか。 ・へ2・・・おそらく貰ったレジュメを見なければ分らないものが、いくつかのポイントがある。問題の所在を点にして、それをリレーして、文脈を探る。何かがあるが、それを理解できるのは個人の想像力でしかない。またしても、<ことばの中核は沈黙か>? 数年前、バートメルゲルトハイムのホテルで一泊したが、滞在したのは真っ暗な夜だけだった。そして暗闇の早朝に出発したから、何も見ていないようなものだった。 >真木和泉守の肖像。1800cmの当時としては大男だった。久坂玄瑞などと禁門の変で、天王山で自刃。久しぶりの講座だったが、あまり知らない維新の志士の話を聞いてきた。 「大山の峰の岩根に埋にけりわが年月の大和魂」 真木和泉守
2015.05.30
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生まれて、肺呼吸をしたときから人生の旅は始まるが、やがて自分を発見し、それからどれだけ視野を拡げられるかでもある。昨夜のダークマタ-の話は面白いと思った。雑誌のニュートンを読んでいたが、ひとは、次々に新しい発見をしながら、ここまで来たという感じがする。それは個人としての自分だけの世界ではなく、類的存在としてヒトの進化のことでもある。この世で起きている事のほんの僅かのスペースしか知らないが、それでも21世紀に生きている恩恵を感じる。 ・ひとは物質を発見し続けてきたが、それでもまだほんの一部しか知っていないことを改めて思った。ダークマタ-という星間物質は光学的に観測できないだけでしかない。それと同じように、この社会には、自力で光っていないだけで存在している多くのものがある。それが、あって成り立っている世界であるのかもしれないからだ。まだ未知のものが溢れているのだから、知らねばならないことはある。 ・へ2・・・人は、人生で何を発見できるかでもある。それは考えるのを止めてしまえば終わる。終わりたい人もいるかもしれないが、私にとっての新しい発見は、人生そのものでもあるだろう。ダークマタ-の存在まで、自分の脳をつれていけるかだ。今朝の福岡市の気温は22℃になっている。放射冷却もあるのだろう。秋めいてきた。本当に自分にとって価値ある一日にできるかだ。
2015.05.30
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生まれおちる場所が違えば出自も違う。親の投資を得られない子もいる。その人にとって学ぶことがなんであるかで違う運命かもしれない。体の弱い者が野を歩き海を渡ることはできないし、体を鍛えることもできないだろう。虐げられた子が他人を愛するなど並大抵ではできないだろう。それは試練であった。何がその人にとって学ぶことになるかは時と場所でも違うだろう。相手も選ばねばならない。 それにしても間の悪いことが多いことだろう。波長が合わずに折角のチャンスを逃すこともいくつもあるに違いない。どれだけ聞いておかなければならないことを両親から訊きそびれただろうか。そして両親の亡くなった年齢に達しようとしている自分を思うと切なくもなる。 これから何をしようというのだろうか。黙っていればいいだけではないだろうか。所詮それだけのことではないか。より豊かな大地に育ち、より多く陽ざしを浴びた者が大きく育つだけではないだろうか。大風が吹けばなぎ倒されるだけではないか。より多くエネルギーをもつものが高みに達し、より遠くへ行くだろう。人間の努力とは何なのだろうか? 病をえて入院し、広い中庭のベンチでよく考えていたものだ。もし悪性ならば命にかかわり死ぬだろう。この風景を微塵も変えることができはしない。生き延びることができたとしても、何ができるだろうか。生物は少しも変わらず生きて営みを続けている。どれだけ喜怒哀楽があったとしても、ただそれだけの営みでしかない。 未練を残さないようにするために何をすべきだろうか。それを考えるべきだろう。学ぶべき時を逸してはならない。死は常に付き纏う衣服のようなものだ。 ここ数日朝から1万歩のウオーキングをしているが、やはり気持ちがいい。一休みしてラジオ体操をしてから、講座に出かけます。午後から雨になりそう。
2015.05.30
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今しかない猫を観ていると、今しかないのだと思う。どんなに昨日まで可愛がられていたとしても、過去は過去でしかない。人間のような記憶装置がないこともある。今ある状況がすべてなのだろう。餌を呉れるのか呉れないのかしかない。それでも生きていられるかどうかだ。常に限界があり、それ以上は先に進まない。じっと待っている。食べられる時に食べるしかないという追い込まれた環境が猫たちにはある。3匹の仔猫たちをガラス戸を隔てたたった数メートルの近くにいるが、別世界の次元で生きている。 ・猫も人間もルーツを探れば同じ祖先になる。どこかで分かれただけだ。上も下もない。戦略が分けた選択でしかない。今しかないという現実は、同じだろう。だが記憶力を持つ人間の選択は有利な形質だ。広い視野をもっていることになるからでもある。情報や選択肢を余計に持っているものが勝利もする。そこでじっと待つよりも動いた方がはるかに多くの選択をすることができる。だが、間違いも起こすだろう。 ・へ2・・・スポットだけに集中する集中力は、天才に特有のものでもある。それは動物の勘に似ている。思考がなくても正解を引き出しもする。一撃で猫は鼠を殺す事ができる。鼠は一瞬に死ぬ。一瞬に苦しまずに死ぬという能力は、鼠の遺伝子に組み込まれている。誰に教わらなくても、自分の目でみて多くの知識を手に入れる仔猫たちは活きる上で何をしなければならないかを凄いスピードで学んでいるに違いない。 どんな天才も政治家になって、世の中をよくすることは難しいらしい。俗人が権力の座に就こうとするから、群がってくるアリたちに負けてしまうのだろう。それが弱い人間の形質でもある。暴力や金に弱い所以でもある。大権が下りたという文言が日本史の中にある。それはどんな意味だろうか。日本人にしかわからないのだろう。しかし日本人も分かったふりをしているだけかもしれないのだ。大人が偉いと思っていたが、中身はそうではなかった。それを今頃言っても遅い。口永良部島の住民の人たちが新岳の爆発的噴火で屋久島に全員百数十名の避難をしたという。日本列島にも近未来にないとも限らないのだろう。マグマの上で生きていることを感じないわけにはいかない。さて、久しぶり講座があるが、今朝は今からウオーキングでもしてきます。気合を入れたい。
2015.05.29
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アメリカが超大国になったのは、情報をより多く集め吸収したからだろう。色んな人種が集まり知識を得たからでもある。偏った情報では先見を得ることは難しい。中国の歴史をそのことを教えてもいる。喩え栄えた時代があったとしても、いつかは衰退もする。時代の本流は様々な変動を経過するからである。敵が味方になり、味方が敵にもなって淘汰を繰り返している。かっての欧州がそうであり、やがてUSAも同じ運命を経過するだろう。 ・私たちがいま目にしている光景も時の流れによって変化していくだろう。10年もたてば見違えるようになるに違いない。束の間の時を垣間見ているだけなのかも知れない。これからも多くの情報を集めることができ、人の集まる場所が、より力を得ることになるだろう。偶然の重なりが、新たな都市を形成するに違いない。そこは何処になるのだろうか。 ・へ2・・・大学にひとを導く求心力が無くなりつつあることは、大学の価値を低下させているだろう。或いは存在理由がなくなるのではないだろうか。そういう予感がする。もう既に死に体になろうとしている。それは教授たちに次代を担う価値がなくなりつつあるからでもあるだろう。先見性をなくしたものに誰が、意味を見出すだろうか。問われているのは、存在理由だろう。 既成概念が崩れ出しているがその足音をどこまで気付いているだろうか。確り観察すれば理解できるはずだが、それができないでいる人は多いのだろう。日本語もいつまで使えるかわからない。消えていくかもしれない。人口が半減すると言われているが、それを食い止めるだけのことができるだろうか。やればできるが、しなければできない。
2015.05.29
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NHKで数年前「山椒魚の生態」を遣っていた。井伏鱒二の小説を読んだことがあるが大半忘れた。生態は実に面白い。そして、人生を見るような思いがした。狭い部屋でよく生きれるものだと思っていたが、繁殖の為に精力的な旅をするとは知らなかった。体型が実に滑稽だし、醜いけど水の中を歩く姿は、生気が溢れているようだった。人間よりもはるかに遠い過去から生きている。小さい目でどのようにこの世界が見えているのだろうか。そして僅かな場所でしか生息できないとしたら、いつか絶滅するだろう。ヒトは今も多くの種を殺しており、いつかヒトと言う種もその為に報復の憂き目に遭うのではないか。そんな気がする。グロテスクで、狭い世界で生きている山椒魚の生態に、何かほっとしたものを見た気がした。
2015.05.29
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