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人生は、逃げるか追いかけるか、では意味が違うが、傍目にはそれがなかなかわからない。このブログも、裏があったり、なかったり、だろう。逃げたくなる時もある。いつもハイでいられない。滅入っている時に何を言われても、乗らないのは仕方がない。良質の睡眠を得たいと思っているが、加齢は手強い。ウオーキングを何とか4年半2万歩、約15キロくらいを続けている。それができるのだから、意外と不幸とは違う。 ・70代後半の女性が1年前くらい前から毎朝ウオーキングの時挨拶をしていたが、彼女は大柄で鳥渡肥っているので、医師からでも「歩け」と言われたに違いない。いつも明るい声で元気だったが、いつの間にか逢わなくなったので、気になっていた。病気なのではないだろうかと。まあ、4年以上も同じ場所をウオーキングしているので、多くのひとと出会う。それは様々おられる。それこそ、ブログのネタはどこにもある。その中でも、いつかいなくなるひとがいるが、印象に残っている人は少ないが、その元気な女性の挨拶は親愛の籠ったものだった。 ・へ2・・・親愛の籠った挨拶の出来る人はそうはいない。だから心に残っているのだろう。数ヶ月以上も見かけなかったが、数日前に突然知らずに追い越した後ろからその女性が挨拶をされたので驚いた。台車を押しながら片足を引きずって歩いておられた。人間は、逃げるか、追いかけるかだ。何があっても、遣る人は遣るに違いない。
2015.10.31
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他人からの幸福を待っていても生きているうちに届くか分からない。自分で幸せであるようにすべきなのかも知れない。少なくとも、幸せを求めているのであれば、自分の幸せとは何であるかを確り見定めて、それを可能とするものを準備しておかなければならない。折角その時が来ても気がつかないこともある。悪い方へ、悪い方へ考えていれば、幸せは来たくても来れないだろう。他人から好かれたければ、誰からも好かれるようにすべきなのだろう。好きな人がいて、その人ばかりに好かれようとするから、失敗することもある。二人ぽっちで生きているのではないからで、周囲から喜ばれる努力をしたかでも違うだろう。 ・不幸だと思う人も、それは自分だけの思い込みであることが多いのではないだろうか。少なくとも、ゲジゲジ見たいに嫌われているとすれば余程のことで、そうでもなければ、自分に原因があるかも知れない。映画やドラマが決して現実ではない。誰にでもいい気持ちにさせるために作られているだろう。それは、フィクションでしかない。自分の物語は、自分で作るしかないだろう。幸福も、不幸も自分で演出しているところがあるだろう。不幸で死にたくないが、不幸しか考えられなかった芥川や、太宰がいた。自分で幸福を拒否しているのだから、例え、どれだけ時間があったとしても、幸福にはならないだろう。 ・へ2・・・艱難辛苦の人でも幸福者かも知れない。彼は自分で幸福を創造していたかも知れない。だから、傍目には一概には言えないものがある。美人が幸せだとは限らない。彼女が人一倍努力したから、人一倍幸福になるのではないだろうか。身の丈に合った自分だけの幸福が一番なのではないだろうか。他人と比較できるものではない。幸せになりたいものだけが幸せである。幸せであるようにすればいいのだ。福岡市の今朝の気温は9℃ らしい。これから4時前だが、ウオーキングをしてきます。できるだけ歩きたいがどうもあまり歩けない。それでもできることはしておきたい。自分の幸福な一日は、自分で確かめるしかない。
2015.10.31
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昨日「ドイツの建築文化の旅」 というテーマで、ドイツに留学していた若手のドイツ近代建築史の専門家の話を受講してきたが、よくまとめられたレジュメもいただいた。90分間の講義だが、短く感じたから興味深かったのだろう。流石にかなり昔だが自分でも見てきたものは頭に残っていることもある。殊にレジデンツの動画を懐かしく見ていた。 ・帰宅して、妻にレジデンツを見物した時のことを尋ねたが、もう忘れているらしかった。手を繋いで階段を登ったことも忘却の彼方らしい。 私はブログで書いているし、かなり写真も頻繁に載せているので、昨日のように思えるが、彼女は仕事をしているので、それどころではないらしい。ひとはそれぞれだが、自分の関心のあることしか残らないのだろう。 ・へ2・・・たとえ夫婦でも親子でも、親友だとしても社会的環境が違えば考えることも違う。他人は誰も私の心の中までは理解してはくれない。世界観も、人生観も、そして価値観も違うのだ。拘ってばかりはいられないし、日々の生活に追われもする。過去をゆっくり振り返ることもなく人生を通り過ぎるだけの人間にもなる。それこそスポイルされてしまいかねない。何が幸福なのだろうか。さて、もう11月だ。
2015.10.31
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長期記憶になっているものが、時々思い出される。それはある連想からが多いようだ。何か見たり読んだりしている時、ふと現実とは違うものが思い浮かんでくる。ローテンブルクに行ったのは、偶然が重なったからだろうが、若くて亡くなった同僚の女性が、ドイツ旅行をして、ローテンブルクに行き、土産にガイドブックを呉れたが、まさかその写真の中の世界に、往くとは想像もしていなかった。「是非行ったら、・・・」という彼女の言葉も、うわの空だった気がする。 ・連想が浮かぶにも個性があるようだ。そのひとだけの神経回路があるのだろう。妻と最初に逢ったのは、妻が高校を卒業していたころだった。隣に私たち家族が引っ越して来た時だ。その日、彼女は、窓から顔を出して挨拶をした。妙にその時の印象が記憶に残っている。若かったころの母の顔も覚えている。どこか切れ切れになっていく記憶があるようだ。 ・へ2・・・鮮やかに覚えている記憶も、いつか何処かへ消えていくのではないだろうか。一瞬輝いては消えていくようだ。写真というのは、そういう意味では、何かインパクトがあるのだろう。脳の許容量は、果てしない無限の世界でもある。
2015.10.31
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無機質から、微生物、魚類から、両生類へ、植物は花を、動物は♂♀を、二足歩行から脳を巨大化 させ、終に言葉を文字を、そして、137億光年彼方の宇宙捉え、化学は、DNA に辿り着いた。 地球は45億年という時間を必要としている。科学を手に入れるまで・・・。 しみじみとして、悠久の時間を夢想する。まるで必然のようにこれまでの時間を思うが、偶然の産物だ おそらく地球上には数千万種の種があり、進化の過程にある。ヒトも完成品ではない。 明日死すと言えども、この生命の奇跡に出逢う自分の時間に感謝すべきだ。
2015.10.31
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一般的に、男性は社会的地位を認められることに価値を置き、女性の場合は、お互いが平等な 関係にあって初めて成立する共感を大切に考えると言われる。どちらか一方だけでは、現代は形成さ れなかったに相違ない。然し、公正に機能しているとは言えないのは確かだろう。何故なら、男と女は、 それぞれの欠点を克服してはいないからだ。どちらかに傾斜すれば、忽ち歪み捩れるだろう。それが、人間 の歴史でもある。時に「共感」は障害として扱われ、「システム化」は、人々を部品化して拘束する道具でしか ない。人間の文化的ステレオタイプ化は、人間らしさを喪失させもする。やがて活力を見失うのではないか。 そして、女性たちが、どこかに旅立とうとしているだろうか。彼女たちは母性を捨てようとさえしているの だ。何故自分たちだけが子供を産み育てねばならないかと問うている。男社会は、宗教を育ててきたが その秩序は破壊されようとしているだろう。母性をなくした人間たちは何を絆にするのだろうか。
2015.10.31
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レーエン制の第二の起源は、フランク王国において国王直臣の形でのこっていたゲルマンの従士制であった。ゲルマン的伝統を源流とする従士制の思想は、メロヴィング朝フランク王国の政治および社会的生活に絶えず一定の影響を及ぼしていた。 とりわけ誠実の概念は、古いスタイルの封臣制の結合関係に持続的に影響に与えた。こうして、服従の義務は、誠実の義務に徐々に取って代わった。また託身は奴隷の儀式という本来の性質をなくしていった。誠実宣誓が従士制から封臣制に継承されたことは、封臣の倫理的価値上昇にとって重要である。 8世紀中葉以降、封臣はハントガングにつづいて誠実宣誓をなしたことが証明される。「レーエン制的宣誓」Lehnseid は「従士制的宣誓」および「一般臣民宣誓」に区別される。封臣は社会的威信を獲得した。 もう一つの要素は、レーエンの目的物である恩給地であった。封臣制と恩給地とがはじめから一体であったかは研究の一致をみない。いずれにせよ、8世紀までには、託身と誠実宣誓によって設定される人的な紐帯とレーエンの目的物の授与との間には緊密な関係を出来上がっていた。恩給地の受領は、封臣制的結合の本質的な構成要素とみなされた。国王は、武装能力を有するすべての男子自由人を戦陣に召集する権利をもっていたのである。
2015.10.31
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・ひとときは夢のように過ぎてしまう。誰にも止められない時間が、箭のように飛んでいく。穏やかであることが、そうあったわけでもないのだろう。好いことも悪いこと夢だ。今がいいと思えばそれは幸福にも思えてくる。これから何があるか解らないが、家族で暮らしていることの有難さはある。したくてもそうできなかった時もあったからだ。 ・へ・・・若い時は、自分が老いてしまうことなど考えなかったし、それは仕方がない。そんな心配をしても意味がない。その時、何ができるかでしかない。いいことと悪いこともその人の気持ちも持ち方でもある。無理をしても意味がない。自分の準拠枠の中で何をするかだろう。父母は親との縁の薄かったので、私にはそうさせたくなかったらしい。それで名前を占って付けたらしい。それは私と父母とではなく、子どもたちとだったのだろうか。 まあどうでもいいような講座なのだろう。それでも真面目に聴いてもいる。何故だろうか。なにがあるかわからないところに人生の妙味があり、発見もあるのではないだろうか。思いがけないことが、私のこれまでの人生の中でもなかったわけではない。それは突然だった気がする。予想は当てにならない。犬も歩けば棒に当たるというが、好いことも悪いこともある。初恋の人を探しますという探偵が逮捕されたと報じている。無茶苦茶して他人のことを調べたようだ。これも困るが確かにふとそういう気持ちが起きるのはありがちだろうし、ひとの弱みに付け込む商売でもある。
2015.10.31
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追い込まれてから、考えるのは、日頃考えていないからだ。日和見でやっているのではないだろうか。野田内閣も追い込まれて解散総選挙でハ勝つ見込みはない。それでもやらなければならない状況になっているのではないか。嘘つきと言われかねないからだ。そういうことになるようなことをし、いうからに他ならない。 ・強かさが欠けているのは外交もある。それは能力でもあろう。選択肢がなくなるようなことをするからそうなる。喧嘩している相手から付け込まれるようでは、土台能力が無いし勝てない。レベルの違う国際社会がある。束になっても勝てない政治家たちを、ここまで甘やかしたのは国民の責任でもある。なぜか、社会が真実を隠して行われ、それを質さないからだ。 ・へ2・・・追い込まれた人間がすることは破滅でしかない。集団も個人でも、他の動物だって、追い込まれて自滅もする。急激な温度の差には反応しても、じわりと熱くなるお湯の中では死んでしまう魚がいる。状況を正しく判断することは難しい。いつもあとのまつりではまともには生き伸びれないのだ。
2015.10.31
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そこにニッチはなくとも、居場所があるからいるのであって、なければ出ていくしかない。そう思ってこれまで遣って来た。然し、それこそ自分の思うとおりにやれたわけではない。ストレスで病気もしたが、それが原因で死んだ人もいる。ひとは移動して死んでいくものだが、それは結果論でしかない。問題は、死までのプロセスである。簡単にそれを受け入れるわけではない。納得などできそうにない。 ・なぜ足りないと思うのだろうか。探そうとするのだろうか。おそらくそうできているからだろう。そのために足がある。移動できなければ意欲が亡くなってしまうだろう。動けるから脳が働きもする。食べること動くことは脳がさせている。まだしなければならないと思う気持ちが大事でもある。 ・へ2・・・自分の居場所を得られるかどうか、それは自分の努力次第だ。どうしてもそれができない人さえいる。自滅しないでそこまで辿りつけるかどうか。それが問題だ。そして居場所もすぐになくなるのだ。
2015.10.31
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<作品> 古潭 「山月記」 ・文学講座の教室が、以前の図書館のある教室から、広い多目的ホールに移動。 ・レジュメ2枚 ・原典は、「人虎傳」のみではない。 ・カフカ「あな」、穴のような家。 ・カフカ「罪・苦痛・希望・および真実の道についての考察」より。 ・変身。 むしろ、引用は、種本になるのは、 ・司馬遷は「任小卿にかえす手紙」参照。司馬遷は宮刑された。これと「山月記」は関係がある。ふつうの人ではなくなる。 ・トーマスマン「トニオ・クレエゲル」 ・中島敦は、日本人には珍しく、英語や中国語が堪能で原本を理解できる。鴎外、漱石と同じくらいの語学力があった。東大卒。英文学に進むと思われていた。 ・「虎狩り」との共通点。 ・何かに「憑かれた人間」というのも中島という作家のモチーフである。詩に憑かれた人間。 ・虎を「文字に憑かれた獣」という中国で伝習がある。 ・作中のあのシーン「月に吠える」のは「虎」でなければならない。 ・何故虎なのか?かっこ悪くてはいけないのか。太宰も格好悪さを格好良く書こうとする。 ・自分が虎になったことを自分自身で理解できない。カフカの変身もある面リアルに描く。詩人の悩みと虎の悩みは同じではない、そこに違和感がある。 ・「李徴」は、何故虎になったか、答えの無い苦しみ。 ・人間にはどう考えても判らないものがある。人間の限界がある。 ・有限と無限。 ・哲学的な問い。いくら考えても判らない。 ・詩人の悩みと虎になった悩みは、別のテーマである。 ・三島や北杜夫は、トーマスマン「トニオ・クレエゲル」を愛読した。 ・「北方行」参照。 ・生活への愛着を棄てきれないのは、プロではない。 ・俗人・・・「生活」。画家のプロ意識もある。 ・芸術は何に向かって描くか。人に向かう。 ・やましい良心をもった芸術家。 ・中原中也 明治以前事象 ・妻子への愛情の欠如。・・・反面、妻子のために衣食のためにと書いていると別のところで書いている。 ・どう読むか。非人間的ではない。 ・虎になったのは非人間的だからではない。安易な答えではない。 ・アリ地獄の苦しみを書いている。具体的に描こうとする。中島風のあり地獄。 ・「問いそのまま答えである」。何を問うのか、が問題。 ・納得できないこと。答えを求めていない。哲学的。 ・生活への愛を棄てきれない。李徴の嘆き。 ・志賀直哉「荒絹」。蜘蛛にする。女神から妬まれた孤独な少女。 ・人との接触を断つと可笑しくなる。孤高の人。 ・世の中から離れていく。コミュニケーションの断絶が異類になっていく。 ・自殺する人間の気持ちは誰にもわからない。他人には、解って貰えない。 ・人間は「教育だ」と思っているひとがいる。漱石。教育次第である意味。 ・聖書を読まないでも、キリスト信仰者もいる。 ・あらゆる芸術は凡庸を否定できないのではないか。 ・選ばれた人間である李徴と、トニオ・クレエゲルとの比較。芸術と生活。愚かな人間と天才。その対立。 ・司馬遷「史記」。宮刑。 ・「李徴の独白」。司馬遷の境遇。男でなくなることと同じ。内面の葛藤。 ・手紙と語りと独白など同類。外枠は人虎傳だが、内面は、司馬遷とトニオ・クレエゲル。 ・人がトラになる話と一致するかしないか。カフカの作品では解からない。確かめる作業がある。モチーフ。発想。が気になる。調べてみる価値はある。 ・中島のカフカのメモがある。 ・Man and Books 漱石、秋成、鴎外。カフカなど。 ・定説に捉われないことが大事である。「人虎傳」とは内容が違う。
2015.10.31
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銀杏は、木々の中でも一番古い歴史をもつ。雄と雌があったり、精虫を日本人が始めて発見したりで、大学で記章にしている所も多い。あちこちに名所もある。ギンナンの臭いときたら人間のそれに似て凄い。暫く、脳が麻痺してしまう。 小学生の時、大きな銀杏があって、毎年ギンナンの実を拾った覚えがある。今でも焼き鳥を食べる時に、おつまみでよく食べている。そして、その度に思い出している。それとあの大量の落葉はなんだろうか。 横浜では、山下公園のところに銀杏並木があり、よく見物に行った。それと鎌倉の鶴岡八幡宮の階段の公暁が隠れていた銀杏も大きくて立派だ。どこにでも銀杏があるが、「ハイデルベルク城」のマリアンネの詩の高い木々も、銀杏の木だ。城の略図をみるとゲーテの記念碑があり、「西東詩篇」のイチョウの木があるそうだ。最近、イチョウが、精神病薬として見直されていると聞いた。どうも癒しの効果があるらしい。 公立図書館に借りた本の延長をして貰い行き、ついでに近くの銀杏並木を見てきました。もうかなり落葉しています。
2015.10.31
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青い鳥を探して回っても世界のどこにもないという。その童話を知っている筈なのに、ついここではないと思いたいらしい。昨日の講師は東京の大学の教授で、講義が終わったらすぐに空港に行かなければならないという話だった。日帰りするらしい。わざわざ2時間の講義のために来られていたようだ。20数人のために仕事とはいえ使命感もあるに違いない。テレビや本では知ることのできない研究の成果を聴くことができた。 ・重大な問題があり、それがすべて公開されているわけではない。それがむしろ問題なのであり、胡散臭い話の中にある問題の核心でもある。原発問題ウやエネルギー問題などの、EUと日本と何がどう違うのか。国民は知らないことが多すぎる。学者たちはポストのためならどんなこともするという情けない存在でもある。だから戦争も、核兵器も為政者たちの思うままになったのだ。これからもやるだろうし、体質は変わっていない。そういう社会システムだからだ。 ・へ2・・・優秀な学生たちも、そんな学者たちのために精神を汚されていく、そして巨悪の道具になっても平然としてポストに執着するのだろう。どんなに努力しても待つのは絶望でしかない。希望と自信を求めながら、得られることのない社会でもある。こんな社会にだれがした。
2015.10.31
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・コーランの詩文は(伝統的な韻律詩文は複雑だったが)単純な韻律の散文詩で、誰でも唱えやすく、そのコーランの音楽性にも魅了されるといわれる。しかしそれよりも重要なのは、ムハンマドが無学文盲にもかかわらず、これほど美しい詩文をつくりだせるはずがなく、にもかかわらず、だからこそ、確かに神からの言葉なのだ、とアラブ人たちは信じたことだ。 ・メディナに住んでいた人々は農業で生計を立てていたが、ムハンマドが連れてきたイスラム教徒は農業になじみのない人々であった。そこで彼らは飢えないために、メッカからくる隊商を襲って金品を強奪した。事実上の強盗であるが、何かを生産するという観念がまったくないため、金品や女子を強奪することは正当な経済的行為として認められており、彼らの冒険であり、娯楽でさえあったという。彼らはこういう戦いを「ジハード」と呼んでいた。 多神教徒をみつけしだい殺し、またはこれを捕虜にし、拘禁し、あらゆる計略でこれをまちぶせよ。(第9 悔悟章5) ・・・そのとき、なんじらは、彼らの首をはね、また彼らのそれぞれの指先を打ち切れ。・・・信仰するものよ、なんじたが不信者の進撃に遭うときは、決して彼らに背を向けてはならぬ。(第8 戦利品章12~) ・イスラム教では来世は現世のつづきであり、そしてアッラーのために死ぬならば楽園行きが保証される。ジハードに参加することは宗教的美徳の証とされたのだ。どうやら日本人の常識をはるかに超えている世界がある。
2015.10.31
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ヒトは何時か燃え尽きる。死は、誰もが辿る道だ。人間はほんの限られた空間で生命のルールを守りながら、生きてい る。人間の一生はおかれた環境に左右され、各々の寿命で尽きる。たった数百万年をかけて、ヒトは種として 生き延びた、ありふれた存在だ。そして地球で60数億の種としてのヒトが生存している。地球は、一つの惑星で しかなくこれからも限られたスペースで生きて行かなければならない。無謀な環境破壊は、地球の死の序曲と なり、全ての生物を巻き添えにするだろう。数千億の種の未来を絶つのだ。 病む人の QOL は、いまも夢を見ることも出来ず、燃え尽きる前に痕跡も残さず消去される運命だ。 地球が太陽にのみ込まれる瞬間まで生き延びる生物はいない。
2015.10.31
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日本列島にも日没の時間が東西ではかなり違う。関東で暮らしてそれを実感した。もうこの時間では東では暗くなっていることだろう。まだ九州では微かに薄明かりがしている。それほど寒いというわけではないが、やはり薄着では寒い。少し晴れたら、車の中から見えていた鮮やかな落葉の写真を撮りに行こうかと思っていたが、そのタイミングも過ぎてしまったようだ。小雨がまだぱらぱら降っていたので諦めねばなるまい。ウィキペデイアの信用性について読んでいたが、成程信頼性の限界があるようだ。 ・完璧というものはなく。使い方次第だが、すべてのものに価値あるものは少ない。必要とする教養さえ得られなかった一般庶民たちがいた。奴隷と変わらないような貧しい生活を強いられてもいた。日本の若き文学者たちも戦前には夭折した。多くの結核患者が若い命を奪った。貧しい知識と栄養不足と不衛生からだ。私も若いころ肺病になりかけたからペニシリンができる前なら彼らと同じ運命だったかも知れない。 ・へ2・・・昔に比べれば長生きしているが、彼らのように五感は感性豊かに感じているだろうか。生きることに感動を感じているだろうか。社会の投資を彼らより多くを与えられてもいるが、それをどれだけ敬虔に感じているだろうか。遣ろうと思えば遣れることを無視してはいないか。夢を忘れてしまってはいないだろうか。蓑虫のように枯れ木にぶら下がっているようでは申し訳ない。
2015.10.31
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江戸時代は変化のない凡庸な時代と思われがちだが、すばやい対応があり、270年間も命脈を保ちえたと言えなくもない。 秀吉は、検地により石高制度をつくりあげて、農民から米の全生産高の3分2を取り上げ、3分1を生産者農民に渡すという租税制度をつくり上げた。彼は、その税収で自らとその一族の豪華絢爛の安土桃山文化を形成させ、朝鮮出兵という対外侵略によって浪費し、自滅した。 家康は、税率は秀吉と同じ年貢を取るが、それを城下町の建設や、交通網の整備、港湾、河川の建設に使用した。社会の経済基盤である耕地を拡大させて、その安定のための河川、用水路など整備に力を入れたのだ。 そして、過剰なインフラ整備を、時を見計らい社会投資を切り上げて、過重な税率を逆転させた。 寛文6年(1666)「山川掟」の発布が目度となる。 税率を、「七公三民」を、「三公七民」に改めた。 その結果は、庶民が手にした厖大な可処分所得は新しい消費をよび、多くの産業を拡大し、やがて元禄文化の大繁栄を招き入れた。 処で、中世ヨーロッパでは、音楽や絵画でもすべて領主を中心とするサロンが生み出した文化であるが、日本は町人(庶民)うみ出したものである。江戸時代の支配者(将軍も大名)も文化を生み出してはいない。その違いは、根本的には経済構造に由来するだろう。 しかし、やがて元禄のバブル崩壊を招いた。そのうえ新井白石の通貨量を減らすという失政で、酷いデフレに追い込まれる。その後吉宗によって、新しい産業を掘り起こすことにより立て直しに成功する。さらには、平成にもバブル崩壊が、人びとを苦しめることになる。
2015.10.31
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誰のために、というなかれ、時は来るだろう。鍛えられるチャンスがあるだろう。空騒ぎもいつかは終わるのだ。フィードバックがあるだろう。「戦後レジューム」などという言葉を使った首相がいたが、自分が世襲を利用としたではないか。曖昧な言葉を弄して姑息な手段で人の上に立つような奴は信用ができない。自分の利益だけを追いかけているような人間は軽蔑されるしかない。 ・妥協しないことだ。自立とは、自分の心を他人に任せないことだ。「個」として自分に責任を持たねばならない。感情に溺れないことだ。人間として弁解しないことだろう。自分が何ものになろうとはしないことだ。死ぬまで夢を諦めないことだろう。どうも取り巻きを作るような人間は信用できない。自分を鍛えない人間は壁を乗り越えることはできない。 ・へ2・・・これだけ大勢のタレントがいながらメジャーにならないのは、スケールではないだろうか。そうさせているのは芸能界とファンたちなのだろう。ソウルのない人たちばかりではないだろうか。というか自己主張さえないひとをタレントいうのは変な話だろう。社会が歪になっているからだろうか。原石を磨きもしないで世に出しているからだろう。そして大量消費している。そんな「柳の下にドジョウ」がいるわけがない。一つの現象として、芸能界に同性愛や麻薬常用者が多いことだろう。これはこの時代が如何に混迷を深めつつあるかということでもある。
2015.10.31
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自分にとって何が大事であるのかを知らない人間は、全生涯をかけて空虚を埋めるために走り回らねばならない。それでもこの空虚はますます大きくなるばかりだ。なにも成し遂げることができず、自分にふさわしいものを何も手にすることはできない。もし確り見ることさえできれば、些細な喜びさえ感じることができるのだ。そしてそれが実は、一輪の芳しい薔薇とか、少しの貴重な生命の水であるかも知れない。 ・「星の王子さま」は、イニシエーション(修行)の物語である。小さな王子さまは、彼を取り巻く世界や、他の人々や、彼自身について、重要な発見をするように配慮された物語である。この発見は、彼を劇的に精神的に、ときには身体的にも別の人間に変えてしまうのだ。それらは、彼を成熟させ、人生に対する新しい見方をも獲得していくのだ。 ・へ2・・・物語の初めから終わりまで、おとなに教えるもとのとしてあらわれている。おとなたちは、学び、発見し、知識や認識に接近し、思考を深めることによって、ついに変貌さえ遂げるのだ。それがイニシエーションの所以でもある。これは宗教的ストーリーでもある。
2015.10.31
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どれだけ文化的質の高まりがいえるだろうか。最中では評価はし難い。それでも良くしようとする熱意があるかだろう。可能性がないならひとは努力しようと思わない。良いも悪いも私たち次第で決まるに違ない。しかしそう「事」は簡単にはいかない。それは公正ではない社会でもあるからだろう。その認識がなければならない。 ・散歩に出たら、雨雲が垂れこめていたが紅葉も一度に色づいて気分が良くなった。すぐ近くにある溢れる自然の美も、見る心がなければ見えない。どれだけ美しいものがあったとしても、それを受け入れるだけのレセプターが準備されているかだろう。ゲーテがあって、ゲーテの詩が生まれたのだ。何もないと思うのは早すぎるのではないだろうか。自分の目は感受性が残っているのではないだろうか。 ・へ2・・・どれだけ内に清らかな美しい心を持っていたとしても、それを表現できなければ他人には分らない。それだけのことだ。我欲に塗れた人間を善とはしない。たとえ生まれが高貴だとしても、為すことが下品であれば馬の糞だ。 自分らしさがなければ、自分を満足させることができない。他人のためだけでは偽善にもなりかねない。自分の人生を否定してしまうのであれば、悲しいことだ。
2015.10.31
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「ウィキペデイア革命」を読んでいる。情報ソースが複雑化しまた混乱しており、従来の百科辞典ではそのスピードについて行けない面がある。然し確かに信頼性の問題がある。無料というのは魅力だが、信用が措けないのでは意味がない。利用する方にどれだけ判断能力があるかでもある。一つの過渡期として現在があるのだろう。世界共通語がまだ定まってはいないがひとつの方向があると思う。それでも言語は文化でもある。その言語を使うことは価値観や世界観といった文化を包含してもいる。 ・それが何であろうとできたものを利用し、そして残るものが残る。それは価値があるからだろう。一つは利用価値であろう。だが精確さが曖昧であれば情報ソースとしては棄てられる運命にもある。便利さやスピードがあっても間違った情報では意味がない。10年後、この世界はどうなっているだろうか。それこそ刻々と社会は変化している。1年間のスパンでさえ個人によって感じ方が違っている。その筈だ。あと10年間は生きれる人と、其れが判らない人と、そんな心配の要らない人では受け取り方が違うだろう。 ・へ2・・・それこそ個人によって、ハンディが違いもする。心と体と病気も様々にある。社会的な環境にも悩まされる。経済的に貧しい人が明るく、富裕な人が陰鬱な人生だったりもする。健康な体が幸福を意味しない。何かに悩みながら生きているのが一般ではないだろうか。そして若さもすぐ過去のものになる。美しい人が、美しい花が枯れてしまう。それこそ運命はすぐに逆転し、暗転もする。まさかが現実になる。威張っていた人が見る影もなくなるのを何度見ただろうか。今年は漱石を読んでいる。日本のエリート意識というのはやはり異様だ。「坊ちゃん」のような変質者が、文豪にかかると純真な若者のように思えてしまうのだろう。教育革命はひたひたと迫ってもいる。 >志賀島からの眺望。博多湾の出入り口。
2015.10.31
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定点観測を和白干潟にして最近毎日のように出かけている。自転車やウオーキングを兼ねて出かけている。定点から、さらに雁の巣方面まで行くこともある。海岸の堤防に沿って歩くので気持ちがよく見晴らしも素晴らしいので気に入ったコースになっている。野鳥の観察もできるが、野鳥に近づくと必ず、警戒音を立てる見張りがいるようだ。 ・その警戒音に沖の方にまるで全部の野鳥にスイッチがはいったように一斉に動き出すのには感心する。それこそサッと動き出す動作は見事というほかはない。鳥の目は人間よりも余程優れているようだ。こちらから見えない前から警戒音がすることがある。こちらも写真を撮りたいので近づきたいのだが中々油断がない。それこそ、野鳥の目をもった自衛艦であればあんな漁船衝突事故もなかったのではないだろうか。 ・へ2・・・人間のように油断するということを知らないのではないだろうか。人間も本能に由来するものは抜け目がない。必要でないものを捨ててもいるが、何が必要かを確り体に認識させることは容易ではない。野鳥のように注意深く監視しているものがいるのは、そうしなければ生き残れなかったからだ。人間は油断しているものが沢山出てきた。自分たちは生き残れると勘違いしている。それが怖い。>2014.11.3 和白干潟。
2015.10.31
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人を見下げれれば結局得るものは少なくなる。ひとを敬しないものに心を開く人はいないからだ。敬されても敬すことはなお難しい。思い込みかもしれないが。先入観なしに素直に心で聞くことが段々できなくなる。だからこそだろう。同じことを聴いているかもしれないが、改めて聞いていると思えば、新しい発見もあるだろう。 ・こうして朝起きてくるのも昨日とは違う。同じように思うのは、安心したいからでしかない。時は不可逆であり、この瞬間も一瞬後には過去になっていく。現在はアバウトな自分の感性でしかない。夢の中で視ているイメージは走馬灯でしかない。 ・へ2・・・野鳥を見ようと出掛けたが、小雨になり強風が吹いていた。もう寒い。干満時間を見ていかなかったので失敗した。和白川の河口で、いつものサギがいつもところで羽場を利かせていたが、縄張りでもあるのだろう。 他人は敬することにしている。他人に腹を立てるほど自分は悧巧でもないと思う。 それにしても世の中が荒んでいる気がする。他人を信用できなくなりつつある。ひとは他人を信じていなければいきてはいけないのであり、本当に他人を信じないでは生きてはいけない。
2015.10.31
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些細なことだが、毎日歩いているのは自分の健康の指標でもある。いつも気分よく歩けるということはそのための前提条件もある。天候と場所と時間。勿論歩けるだけの気力と体力もなければできない。 ・20世紀は二度の世界大戦があり、戦争の世紀でもあったが、私たちは後半の20世紀を生きてきた。生きた歴史の証人として感慨はある。 ・へ2・・・つまり凡人として生きていることは何と幸福なことだろうか。特別な思いをすることを求める人もいるが、皆と一緒の思いをして生きることも悪いものではない。危険な場所でハラハラしなければならないのは必ずしも幸運ではない。平凡に生きるからこそ一瞬の喜びに浸ることができるのではないか。人並みにあることは寧ろ大いなる喜びでもあると思う。感性とは雨の音でも反応する心だ。
2015.10.31
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人は倒れて寝たきりになれば、1週間で20%筋肉が低下する。歩くだけでなく、動くことさえできなくなる。おそらく人生は暗転する。早期リハビリを的確に始めないとますます心身ともに萎んでいく。高齢化社会とは、社会全体で、人とカネと手間をかけていかなければならないのであり、簡単なことではない。子育てがそうであるように、老人たちも、周囲の人たちに手間をかけることになる。 ・脳溢血などで倒れてしまえば、多くの人が以前当前にできたことができなくなり鬱状態になるという。なにもできなくなるという状態は、よほど看護師か身内で世話をした人でない限り想像することもできない。その手間がかかることは想像以上だ。しかも小家族になり世話をする人が少ないとなれば尚更だ。介護疲れによる悲劇も増えているのではないだろうか。倒れた本人の気持ちをどれだけ世間の人たちが理解しているだろうか。医師や看護婦が、そして介護者が、果して本人の真意を理解しているか、大いに疑問だ。 ・へ2・・・世話をされるより、世話をする方がいい。手間をかけることに慣れた人ならまだしも、ほとんどの人は他人の世話に慣れない人たちだ。再起できる人であれば違うかもしれないが、老人たちにはそれがない。それで安易に明るい気持ちをもてというのは無理だろう。しかし、ひとの温かさは是非必要だ。それがなければ人の心は筋肉よりも早く萎えてしまうに違いない。
2015.10.31
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あれもダメ、これも駄目では結局何もできないで終わってしまう。常識を破らないとできないことがあるのではないか。できないと思うことを常識にしているようではなにもできはしない。毎日1万歩歩くことが難しいと思い、ジョギングはできないと決めていたが、自分がそう思い込んでいただけに過ぎなかった。遣れるのにやれないと思い込んでいることばかりだ。欲が深いのではないく、自分の常識が狭いのだ。 ・歩きだしたら同じことだ。少し負荷が増えるだけに過ぎない。遣る努力とは熱意ではないだろうか。熱意があれば大抵はできることばかりだ。娘が「ここ(東区)は、住みやすくて、好い環境だね」と。へえ、そう思っていたのか、と驚いた。そんなふうに思っていたとは意外だったからだ。 ・へ2・・・最悪のケースを考えておけというのが、やはり吃驚する。ネガティブマインドにもなる。壊れたら仕方がないでしょ。それで自分の人生が終わるわけではない。成るようになると思ったら気が楽になった。はらはら、どきどきして肝心なことを忘れてもしまう。 今日の講座は、ドイツの建築文化の話だったが、面白かった。レジデンツの「鏡の間」の紹介もあったが 、かなり昔に見ただけだが、その時の感動が戻ってきた。
2015.10.31
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新古典派経済学の経済観とエコロジー経済学の考えの違いを昨日学んできたが、これはかなり前から聴いてきた話だが、その違いを頭で理解していても実践されていない現実をどう理解したらいいのだろうか。資源には限りがあることは誰にでもわかることだ。経済が活発化していけば無限に発展していくという論理には矛盾がある。あるものを大切に使うことであり、どうしたら持続可能な利用ができるかでしかない。 ・この世界には、ポイント・オブ・ノーリターンがある。其処まで行けば、クロツラヘラサギとおなじ絶滅危惧種になってしまう。毎日一日3時間15キロ近く歩いているが、66か月になる。急に寒くなったが、歩きだして暫くして足の裏が温かくなっていく感じは、やはりこうして寒くないとあまり感じないようだ。灰の中に冷たい空気が入っていくのも気持ちがいい。真っ暗な朝の中を日が昇っていくのを見るのも楽しい。 ・へ2・・・自分のからだも脳もいつか終わるけれど、持続可能性が問題でもある。光と食事と運動と気を付けなければならないことは沢山ある。生きている限り廃棄物は出るのであり、自然生態系を大事にしなければならない。クロツラヘラサギが何を食べているのだろうか。汚染された餌ではないだろうか。戦後230種の渡り鳥たちが和白干潟にやってきていたが、今年はめっきり少ないようだ。
2015.10.31
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いつダウンするか分からないので、文章が短くなってしまう。まあこういうこともある。ヒトの苦しみもそう長くは続かない。一日は24時間だと。誰にも終わりはあるし。あなただけがくるしんでいるのではない。みなおなじ。色んな意味で。消えてしまえばおしまいだ。自分が終わりたい時に終われるわけではない。どこでもグローバル化というフレーズを聴いてきたが、それが弱いものたちが追われることでもあることを、自分たちのこととして聴いた。父母を看取ったが、自分もそうなる立場になるのだ。一日を、この瞬間を大事にしなければならない。 体内リズムは、ウルトラトラディアンリズムの睡眠周期、サーカディアンリズムの体温、ホルモン分泌、週周リズムの月経、年周リズムの動物の繁殖、筋肉や肺の働き、死亡率などある。私たちの周辺で起きていることはすべて仕組まれた設計図によって進んでいる現象でもある。光や食事が体内リズムとリンクしている。
2015.10.31
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ちいさな日本人として生きていかなければならないとしても、明日に希望を持っている。誰にも特徴がある。好いことも良くないこともあるに違いない。長所が欠点にもなるし、弱点を克服して昇華もする。宝くじに当たったからと言って幸福な人生が送れるとは限らない。人生は塞翁が馬ともいう。敵が味方になることもあるが、その反対もある。愉しもうと海外ツアーをして事故に遭うこともある。アイロニカルN人生もある。 暫くは、まだいつダウンするか分からないので。 いつも違うステージになるだろうことを覚悟しておかなればならない。いつまでも同じではない。めだかの絶滅は、象徴的だ。日本が無くなってしまうグローバル化を進めている政策を黙過してはいないだろうか。勿論原因と結果があり、必ずその予兆はあるだろう。水田に水が無くなって行き、昆虫たちがいなくなった。私たちの食生活も変化した。農業が衰退した。それを選択したのは私たちでもある。 子供の頃殻自分はいつ死ぬのだろうという不安はあった気がする、そしていつもそれを忘れてしまう。そして又思うのだ。その繰り返しが続いている。 >絶滅危惧種のクロツラヘラサギ。2013.11.26 9;00 奈多団地の貯水池で。
2015.10.31
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多くの情報が流れてくるが、明確な判断ができないでいる。それこそ二元論では判断できないことばかりだからでもある。はたしてアメリカは味方で、中国は敵なのか。日本政府の判断が、正しいとは言えない。原発は安全だと言い続けてきた企業や政府は、国民の味方といえるのか。 甚だ疑問だ。 ・アメリカから流されているニュースソースで物事を判断していていいのか。概念が横文字のものでしかない。何でもリスペクトだといっている。尊敬できないリーダーたちで溢れてもいる。それで果たして子供たちは、大人たちを信用できるだろうか。 問題の先送りばかりしているではないか。 ・へ2・・・安倍政権のために憲法は揺れているが、大事なことをしているだろうか。憲法改正が今必要だとは思わない。 戦争が始まりそうな時ではない。中国が攻めてくると考えているのだろうか。寧ろ財政赤字をどうするかではないのか。経済を知らない政府が、している政策を国民は怨むことになるだろう。
2015.10.31
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ルソーのことば 「社会の基礎を検討した哲学者たちはみな自然状態にまでさかのぼる必要を感じた。しかしだれひとりとして、そこに到達した者はいなかった」(『人間不平等起源論』) 「虚栄心を生む者は理性であり、それを強めるのは反省である。-人間が苦しんでいる人を見て、「おまえは滅びてしまえ、私は安全だ」と密かに教えるのは学問である」 「ある土地に囲いをして、「これは俺のものだ」と宣言することを思いつき、それを信じるおめでたい者たちを見つけた最初の人間が政治社会の真の創立者であった」 「各構成員の身体と財産を共同の力すべてによって保護する結合の一形式を見出すこと、それにより各人が全員と結びつきながら自分自身にしか服従せず、以前と同じく自由であること、これこそ根本問題であり、社会契約がそれを解決する」(『社会契約論』) 「人民が十分に情報を持って審議するとき、市民が相互の意志を伝達しなければ、わずかの相違が多く集まってつねに一般意志が生まれる」「民主制という言葉の意味を厳密に解釈すれば、真の民主制はこれまで存在しなかったし、これからも決して存在しないだろう。多数者が統治して少数者が統治されるということは自然の秩序に反する」 「統治者が市民に向かって「おまえの死ぬことが国家に役立つのだ」というとき、市民は死なねばならない。 明日からまた土曜講座の新しいシリーズが始まる。「ヨーロッパを知る」ドイツ建築文化の旅。女子大からも講座の案内が来たので、E-mailで申し込みをした。それこそ、楽な勉強では、脳は劣化を止められない。
2015.10.30
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梅原猛の「日本仏教をゆく」の略年譜から、没年齢 ・聖徳太子 49 ・役小角 ・行基 82 菅原寺 ・鑑真 76 ・空海 62 高野山 ・最澄 56 比叡山 ・円仁 71 ・円珍 78 ・空也 70 西光寺 ・源信 76 恵心院 ・覚ぱん 49 円明寺 ・法然 80 東山大谷の禅房 ・親鸞 90 京都 ・一遍 51 兵庫の観音堂 ・明恵 60 高山寺 ・叡尊 90 西大寺 ・忍性 87 極楽寺 ・栄西 75 寿福寺 ・道元 54 京都 ・日蓮 61 武蔵国池上 ・日親 82 本法寺 ・蓮如 85 山科 ・西行 73 弘川寺 ・運慶 73 ・快慶 ・円空 64 ・無外如大 49以後 ・夢想疎石 77 ・一休 88 報恩庵 ・雪舟 87 ・千利休 70 切腹 ・天海 108 寛永寺 ・崇伝 73 ・白隠 84 松陰寺 ・隠元 82 ・良寛 74 ・大谷光瑞 73 ・河口彗海 80 ・鈴木大拙 97 ・宮沢賢治 38 ・へ2・・・当時の平均寿命からすると長生きしているのではないだろうか。どう解釈したらいいのだろうか。何かあるのだろうか。少し気になりました。
2015.10.30
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他人の考えに便乗することに慣れてしまっている。ついそれが自分の考えだと思ってしまっている。コピーライターの人生だ。中国のデモも、自分が何をしたいのか解かっているのだろうか。他人のことは言えないが。意外と安易に暮らしている。そしてもう黄昏だと慌てたりする。ガンの告知で絶望もする。誰でも死ぬ。然し自分の番になって慌てない人はいない。或いは訳が解からないままかもしれない。黙って死んで逝った人ばかりだ。言う間もなかったのだろうか。 ・何度も、この世とお別れを言っている。他人には気づかれたくないだけだ。そっという。それは自分にもいっている。単身赴任で5年近く横浜で暮らしたが、もうそろそろか、と思いながら、日光から箱根まで色々名所巡りをしながら、九州から関東にも簡単に来れなくなるだろうと、「これが見納めかもしれない」と思いながら物見遊山をした。 ・へ2・・・文学講座で、読書は自分の頭で読めと言われた。浅いも深いもない。自分の世界観で読むしかない。それは自分流の理解でしかないからでもある。それが個性でもある。すぐに辿りつく山を登るか、一生かけて読む価値のある聳え立つ作家や作品であるかでもある。そして自分は、他人とは違う人生でもある。自分の頭で考え悩みながらよちよちの人生だ。
2015.10.30
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。 農民を百姓ととっていっていた。「水呑み百姓」とも、「三反百姓」とも、貧しい農民の代名詞だった。そして小作人は過酷な人生を生きていかなければならなかった。長塚節「土」は、そうした暮らしの小説でもある。祖母が、「一粒のコメにもお百姓さんの汗と涙が込められている」とよくいっていた。腰が曲がり、祖母の足の爪が鋏では切れなかった。農作業に耐えた爪だった。 ・何が幸せなのだろうかと思う。懐かしい故郷の里山を歩いている若いころの自分をイメージする。美しい秋の渓谷をのんびりと下っていくような気分だろうか。欲望に執着せず、心が和やかなときの気持ちだろうか。何も起こらない無事が一番だと昔の老人たちが言っていた。欲を深くするから不幸になるとも。 ・へ2・・・未だ、「科学」を手に入れて、せいぜい100年でしかない。未だ何も知らない赤ん坊の知識でしかないのだろう。地球の生物たちの寿命を圧縮しようとしているのではなかろうか。「あと10年」と思い悔いのない晩年にしたい。秋になってしみじみ思う。
2015.10.30
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記憶力の減退、付き合いが減ってくる。ふつうは生活にほぼ支障のない状態であるが、進行すると経度の認知症になる。早期発見が重要になるのは他の病気と同じだが、予防に対しては、正しい知識のトレーニングがより大切でもある。記憶力の訓練もある。今テレビで認知症の番組で解説がされている。全国で認知症は200万人近くいるらしい。加齢とともに気になる病気でもある。
2015.10.30
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ひとの免疫システムというのは、元来子孫を残すためであり、ウイルスや その他の病原微生物から、人体を守るだけのために創り上げられた。 他の野生動物で、数年間も他者の介護を必要とするヒトのような存在はあり得ない。 すぐに捕食者か仲間の栄養になる。 免疫は、漸次衰えて行くようにプログラムされている。 加齢によって細胞は劣化し、その特異性は内外ともに障害を生じ始める。 外からの侵入に対して、非自己を認識できなくなり、更に自己を非自己と捉 えてしまうようになる。つまりバクテリアやウィルスが感染しても、其れを 排除できなくなるし、自分自身の身体の一部さえそうでないと認識してしま うのだ。これが、自己免疫疾患の状態だ。 私たちが、人間をみることができるのは生きている人間であり、死んだひとたちではな い。勿論記憶や、映像や、ことばとして残る「容」はあるが、それは、「真のひ と」ではない。語り合えるのは、生きている人間とだけだ。然し、思えば 何と瞬間のことであろうか。懐かしいひとたちは、遂に過去のひととなり、 尊敬すべきひとは、もう眼にすることもできない人たちばかりだ。愛するも のはいるが、それをもう素直に自分の口から言うことはないだろう。 今は、もう誇れるものはなにもない。のこすべき優しいことばも彼方に忘れ ている。在るのはささやかな日々でしかないだろう。 せめて、知ることとあと僅かな時間。 ひとは、勝つことのない自然へのチャレンジ。 自然の摂理とともにあり、種としてのヒトのプログラムを生き抜くだけ。
2015.10.30
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人生の真剣さが足りない。土台趣味などくだらないに決まっている。暇人が考えることだろう。 まさに、食うか食われるかだもの。先に取った方が勝ちの世界だ。何故オレはこんなに多忙なのに、他人様は、のほほんと生きていられるのだろう。快適さがないと生きてなどおれない。トップを行かないと安心ではない。勝たなければ人間でもいられない。 どうせ人間は与えられた場所で生きるしかないのだ。自分のいる環境さえ良ければ良いのだ。周囲より少しで体裁の良いことをしたい。他人から羨ましがれることをしたい。ひとつで多くしたい。周囲はオレの思うようにしてくれたら良いだけだ。楽な仕事をして、楽に生活して、それだけで良い。・・・なんとお莫迦な人生だろうか。そして、いつか何かの災難に遭うだろう。突然か否かは別として、彼は、自分の理解できるリスクしか考えないから、容易く災難に渦に呑み込まれてしまうだろう。化粧するから綺麗になるだけで、しなければ、何も少しも変わらないだろう。そのために高価な対価を支払い化粧をするのだから・・・。何のために生きるのか。何をしようともしないのが、それが「川の流れのような」生き方なのだろう。誰が一番人らしく生きているだろうか。ひとにはそれさえ考える意味がないだろうか。もう夏も過ぎようとしている。いつか秋となり、また寒い冬が来る。春は来るだろうか。考えもしなかったのに、加齢とともにどっと厭なことが押し寄せる。「年をとったら楽ができますよ」。と昔はよく言われたが・・・今は誰も言わなくなった。くだらない趣味だけが残っている。 やってもやらなくてもそれだけの趣味。
2015.10.30
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・文春に徳本栄一郎「吉田茂VSチャーチル会談秘録」を読む。1954年10月27日ロンドン。敗戦後初の首脳会談だった。吉田は占領下で首相を務めたワンマン宰相だった。話し合われた内容は"ショッキング的"だが、どうも徳本のジャーナリストとしての特質もある。 ・へ2・・・少なくとも学者ではないということか。会談は、双方の共産主義への警戒心について、から始まった。チャーチルは、吉田の全体的な目的については共鳴した。その中での吉田の「満州再占領」の話は事実とすれば相当物騒だ。当時の日英は共産主義の問題が、共通の最大の関心事でもあった。吉田は破防法を成立させ、暴力的破壊活動を行う団体の取締りを強化した。その対象が共産党傘下の労働組合にあるのは明白だった。これに対して「血のメーデー」が勃発した。英国政府は、吉田の対中国政策に懸念を持っていたようだ。英情報機関は、日本の国内情報を密かに追っており、チャーチルは、インテリジェンスの重要性を熟知している政治家の一人だった。チャーチルは吉田に自分の手の内は見せなかった。 ・日英は、立憲君主制こそ最高の政治形態だとチャーチルは主張し、吉田も自身も立憲君主制の信奉者で、日本の不幸は経験の欠如によるものだったと語る。当時英国人捕虜虐待の記憶が新しく英国内は友好的とは言えず、反日運動が起こり、一部新聞の同調する動きがあったが、チャーチルは「外国使節を気持ちよく迎えるのは、英国の伝統の礼儀だ」として一喝したという。それができた時代なのだろう。 ・へ2・・・日英同盟は英の「光栄ある孤立」の唯一の例外だと言われる。この裏には英国がいかに極東に進出するロシアへの警戒と不信感があったかだ。吉田が、エリザベス女王に対して、「いずれ英連邦に加盟したい」といったというのは、吉田のジョークにしては俄かに信じ難いはなしではある。これまでの吉田の強烈な尊王思想もあやしいことになる。また吉田が自国の皇室を尊敬している印象を受けなかったと英外務省から駐日英国代表部に送られた報告書にあったという。どうも吉田は、民主主義を甘く見ているのではないかと英国から評価されていたようだ。 ・それと吉田の政策は、娘の麻生和子ら個人的な側近の助言に依存しているとも見られていたらしい。吉田が先見的な理想を持ち、世論を擁護するという者はいない。英外務省が作成した「吉田ファイル」は、詳細な分析をしているものだ。吉田が死んだ1年前の1966年7月19日の英外務省報告は、吉田を日本の「グランド・オールド・マン」と表現している。それは大長老の意味で英国ではウインストン・チャーチルの愛称でもある。これをどう考えればいいのだろうか。考えさせられた。この53年前の機密ファイルが物語るものはなんだろうか。
2015.10.30
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死因を証明する所見は可能だ。然しなぜその日で、その時間なのだろうかとい う疑問は未解決だ。父母が年は違うが5月の同じ日に死んだ。父は、その日まであんなに元気だったのに、なぜその日なのだろ うか。心筋梗塞だった。 ・二人の姉妹が、精神病で入院した。姉妹の一方の症状が悪化して、部屋が分けられた。11日 後突然症状が急変して原因不明で死んだ。残された方は、向かいあった病室の窓から、たった 今死亡した姉妹の病室を見つめた後、何分もたたないうちに死んだ。双子の姉妹が先に死亡し たことを知る知るチャンスはまったくなかった。 ・結核患者の死亡例は、週末に高くなるというデータがある。(心因性の情緒的な要因が決め 手だろうか)。 別のデータでは、回復期にあった心臓病患者の半数が、医局長回診の際に死 亡したという。不必要に多くのひとが白衣を着てぞろぞろつき従い、もった いぶった動作で患者を威圧して廻っている。これは呪術師の儀式が及ぼすの と同じだ。 ・58歳の男が狭心症で入院して、其れまでは経過は良好であったが、医局 長が随員を従えてゆっくり病室に近づいてくると、この患者は落ち着きを失い、嘔吐し、それ から二時間後新たに発作を起こして死亡した。 果たして、「個人の死亡時刻は遺伝子的体質とは無関係だろう」か。民間信 仰や心霊術の世界を肯定するつもりはないが,実にさまざまな念の入った 宗教儀礼や慣習があるいまだにあるのは解からないことが多過ぎる。脳の約1.4kgの細胞の塊で不思議な形はなぞの根源でもある。
2015.10.30
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自分では気付かない免疫異常もあるのだろう。細胞のコピーも加齢による劣化で、掠れても来る。どこにそれが起こるか特定できるだけの能力がまだ人間にはないだけだろう。医療技術と言っても、それほど宣伝されるほどのことはない。人工衛星の飛ぶ時代というがそれは、その部分だけの知識の突出でしかない。私は顔だけを整形する人の気持ちがわからない。勿論美容整形の意味は知っているが、高額なカネをかけて整形する為に、それより大切なものを犠牲にするとしたらバカげたことに思える。 ・それ程利口な社会だと思っていないから、色々あるのは分からなにでもないが、この社会がそのために阻害されるものがあるとしたら、悲しいではないか。日本人もみな、海岸の「砂」になろうとしているだろうか。然し、「砂」ではできない社会もあるだろう。「個」であることが重視された時代もあったが、時とともに環境は変化しているのであり、進化しなければ乗り越えられない時もあるだろう。知力や体力で世界から取り残されていた日本が、その忍耐力と努力によって教育を、寺子屋から近代化させた国民の意識の高さはどこから来たのであったか。それは、決して江戸幕府の徳川支配層の由来ではない。 ・へ2・・・黒船の来航はあったとしても、単なる epoch-making でしかなく、それをバネにした国民のエネルギーが必要だっただろう。それを準備していたものがあったし、下級武士をはじめ、土臭いものがあったはずだろう。それが無知と偏見を突き破ろうとしたのではなかったか、決して綺麗ごとではなかった情熱でさえ、時代を切り裂いたパワーを生んだのではなかっただろうか。現代の日本にはそれがない。衒い見栄で造り上げたシステムで造るものは退廃でしかない。
2015.10.30
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読者は自分のこころにフイットした作家の一つの作品に感動してしまう。一人に一つだけの生命だからでもある。ひとは他人の人生を生きることはできない。自分の生命を大事にしたいと思わずにはいられない。彩られた文学作品の物語に酔うのは自分と同じ人間の物語であるからだろう。陽のあたる部分ばかりのストーリーでは深みがない。三次元の世界に相応しい物語でなければ直ぐに飽きてしまうだろう。人はみなサクセスストーリーである訳でもない。 ・人生を味わうには、快楽ばかりではない。その陰になるものがあって成立しもする。喜怒哀楽がワンセットになっている。人間を止めて人形のように生きる人はいる。それを軽蔑するかどうかはその人次第だ。天に唾を吐けば自分の顔に還るだけだ。日本の有名な作家たちの作品を亀の歩みのように読んでいるが、それでも、始めるのが遅すぎたようだ。 ・へ2・・・文学は人生の友にはならない人間ばかりだが仕方がない。目には視えない世界があることを知っただけでも、人間の陰を知るには充分だ。作品の書かれているものの裏を読まなければ、本当に読んだことにはならないという。成程、この社会は単純ではない。本当のことを書いているとは言えない小説があって可笑しくない。それを知ろうというのだから、人間のたくらみは単純ではない。堀辰雄の「目覚め」を読み始めるところだ。そういう題名の小説はないが・・・。
2015.10.30
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政治的動物の存在を日々の中で体験しているが、それだけでも終わらない。自分と云う存在の内と外があるように、あらゆるものには内と外がある。どれだけ国内では威張っていても、それがそこでは絶対だという存在も、外から見れば独裁にもなる。これまで絶対という存在は客観的にはない。或るものが、内に向かっているか、外を向いているかであり、問題は、政治も社会も常に流動的だということだ。 ・自己満足している時の自分は、外から見れば滑稽でしかないのだろう。それでも自分自身は、それで好いと思っている。裡では満足している。心理的には安定もしている。そういう瞬間もその人には、大切な時間に違いない。然し時間の流れは一瞬も停止はしない。直ぐ違うステージにもなる。いつまでも同じ場所ではない。世界人口は75億人近いが、やがて100億人にもなると予想されている。そうなるだろうか? ・へ2・・・物理的な問題は、生存に必要なものを未来は持っているかだろう。資源は枯渇しかけているものがこれからも増え続け、食物連鎖も危機に瀕している。どうも明るい未来を描けなくなっているのは、個人のことばかりではない。個人としての私にとっても、何が重要なのか、その優先順位はどうなのか?ときどき解からない。決定的な間違いを起こしたくはないが、その覚悟はしておくべきだろう。国家も、国際社会もそのリスクはあると思う。
2015.10.30
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待 訓 辞 而 発 志 實 非 好 僧 巨福山建長興国禅寺開山蘭渓道隆寂後大覚禅師の法語。規則に反したら一斤の油を罰せん。罰油を 科す。標題のフレーズは「鞭影を見てのち行くは即ち良馬に非ず。」に続く法語だ。昔から、他人から動くようでは 駄目だと言う事らしい。「罰油」が何か諸説あるらしい。どこの世界でも莫迦な奴はいるし笑い者にされるが、 法語を実践できた人も少ないと見える。偉い人が多く出ている割りには世の中善くならない。建長寺は、官寺 で、罹災にかかわらずよく再興したが、室町幕府の衰退とともに後退した。のち徳川幕府の統制下に置かれる。 寺容の復興が進められ、山門改修が平成8年落慶した。
2015.10.30
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人生は、逃げるか追いかけるか、では意味が違うが、傍目にはそれがなかなかわからない。このブログも、裏があったり、なかったり、だろう。逃げたくなる時もある。いつもハイでいられない。滅入っている時に何を言われても、乗らないのは仕方がない。良質の睡眠を得たいと思っているが、加齢は手強い。ウオーキングを何とか4年半2万歩、約15キロくらいを続けている。それができるのだから、意外と不幸とは違う。 ・70代後半の女性が1年前くらい前から毎朝ウオーキングの時挨拶をしていたが、彼女は大柄で鳥渡肥っているので、医師からでも「歩け」と言われたに違いない。いつも明るい声で元気だったが、いつの間にか逢わなくなったので、気になっていた。病気なのではないだろうかと。まあ、4年以上も同じ場所をウオーキングしているので、多くのひとと出会う。それは様々おられる。それこそ、ブログのネタはどこにもある。その中でも、いつかいなくなるひとがいるが、印象に残っている人は少ないが、その元気な女性の挨拶は親愛の籠ったものだった。 ・へ2・・・親愛の籠った挨拶の出来る人はそうはいない。だから心に残っているのだろう。数ヶ月以上も見かけなかったが、数日前に突然知らずに追い越した後ろからその女性が挨拶をされたので驚いた。台車を押しながら片足を引きずって歩いておられた。人間は、逃げるか、追いかけるかだ。何があっても、遣る人は遣るに違いない。
2015.10.30
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他人の押し付けの意見を自分の感情だと勘違いしているのではないだろうか。そういう風な言い方を随分されてもきたと思う。自分は違うと内心思っても、それを許さない雰囲気に気押されてしまっていた。曖昧な表現になるのはその悪癖の所以でもある。つい断定を避けてしまう。別に差し障りのあることでもないに身を引いている。自己主張は大切な人間の個性であろう。 ・責任を取らない政治家が多いのはそれを許してしまう大衆がいるからであり、政治家を叩き直さない限り政治も善くなりはしない。大物ぶる政治家がいるのは、それで世の中を渡ろうとする不遜な輩でしかない。国民の血税から歳費を払うのだから、それだけ経理も公開して厳しい検査に耐えるだけのものであるべきだ。それができないような人が政治家になるべきではない。 ・へ2・・・自分のからだのために確り食品交換表でカロリー計算をして健康管理をしたらどうだろうか。呆けた頭もすっきりするだろう。国際社会で生き残るためにもそれくらいのことができない筈はない。
2015.10.30
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いつもリスクの中にいるのであり、安全地帯はない。でもまだのんびりできている時代なのだろう。段々厳しくなる。 心象風景がある。これは写真には残せない。それでも風景の持っているパワーはその存在感の所以でもある。毎日のようにここ数年間写真を撮っているが、これもデジカメのお蔭だ。いつも珍しい写真ではないが、日々何か新しい発見を心掛けている。ぼんやり生きてきた。なにかを強く感じたこともあまりない。一枚でもいい写真が撮れればいい。 ・欲張っても何も出来るわけではない。心象風景など撮れるわけではない。人の目も限界があり、自分の目も悪くなり、写真に写っているものをあとで知ることもある。緩やかに下降していく目線になっている。然し、諦めない心はある。いつも私のこころは前を向いている。 ・へ2・・・人生とは、何のためにあるだろうか。自分の世界を知ろうとすることだろう。生まれたばかりの仔猫が、じっとこちらを視ている目が印象に残っている。視覚的な情報は生死にかかわることもある。老化とともに目も悪くなっている。
2015.10.30
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時々思いがけないことが起きる。「人生塞翁が馬」というのは、中学生の教科書で習ったが、そのころの言葉が頭に残っているのは、まだいくつかある。そして、今でも口から出る時があるから、それだけのインパクトがあったのだろう。落ち込んでしまうこともあるが、回数は減ってきたが、生きていて好かったという気持ちも起きる。この月の13日には、朝からクロツラヘラサギを2か所で8羽みた。女子大で英詩の楽しい講義を聴いて、夕方には娘と天神でモーツアルトのコンサートを聴いて、父と娘の2ショットで帰宅した。何でもないことだが、そういうチャンスを嬉しいと思う。 ・母は50歳のころ死んだし、父も69歳だった。まだ父の死んだ歳まで行かないが、同じようなDNAだろう。生きるためには、社会的環境と、自然環境と、そして自分の生体として加齢の条件があって、生きてもいる。1クールのプロセスを心臓の鼓動をうつように進んでいる。余りに早くて、自分の目には視えないでいる。ラジオ体操が昔のようにはできなくなっている。体が硬い。生きていれば出来るが死んではできないことばかりだ。 ・へ2・・・誰が、自分のいのちの最後を決めるのだろうか?幼いころからそれを聴かされて来た子どもたちの一生は、私には辛く感じる。でも、本当にこの世の在り様を信じることのできない人間はもっと悲しい。祈ることを知らないからだ。その祈るということを、私は知りたいと思う。そうあってほしいことが、この世にはあるからだ。私は何ものであろうとは思わないが、一人の人間として、この時代に自然でいたい。 去年の10.27に、絶滅危惧種クロツラヘラサギを、和白干潟で15羽 見つけた。去年は福岡県で、一斉個体数調査で、73羽の観察がされているうちの和白干潟での15羽である。数年前から観察しているが、一昨年は秋に11羽見かけている。日本全体では、2013で、277羽。2014で、350羽で少し増えているが、世界では、2014では、2,726羽で1羽しか増えていない。貴重な存在でもある。今年は、まとまっては見ていないが、来ているのは確かなようだ。
2015.10.30
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限られたスペースで、個人として充実した人生にするためには、すべきことをしなければなら ない。してはならないことをしたらその報復を受ける。誰も視てはいないが、その行為の痕跡 は周囲に残るからでもある。一撃の打撲で死ぬことだってある。人の生命は儚く脆いものだ。 動物も植物も皆、ひとつの始まりと終わりでしかない。何をしようと、その課題に立ち向かう 取組の姿勢で意味も違う。いつも一日を無駄にしてしまう。どうしたら与えられた壱日を活かせるだろうか。
2015.10.30
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2014.10.27 から8回目のクロツラヘラサギ。和白干潟の和白川河口近くで6羽と、奈多の貯水池で1羽だった。これまで、 10.27 15羽 10.31 8羽 11.2 11羽 11.3 15羽 11.4 9羽 11.5 9羽 11.6 3羽 11.7 7羽
2015.10.30
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退化現象 ・性染色体がXXなら女、XYなら男。 ・何が違う。どこが違う。 ・狩猟時代の命をつなぐ力を養った違いが、男女にある。それが現代にも性差として容を変えて存在している。 ・46本 染色体。 ・Y染色体は消滅する運命。精子の減少。 ・人類滅亡の怖れ。Y染色体は、来週でも消えるかも知れない。性の未来。 ・X198;Y78 Y染色体・・・初めは同じだったが減少してきた。 ・500万年~600万年後か。或いは突然変異などで早まる恐れがある。 ・Y染色体の遺伝。そのままの形で子孫に遺伝する。崩壊の一途をたどっている。Yは、1本で修復ができない。 ・男なしなら絶滅か? 爬虫類でオスなしで子を産む。雌のトカゲ・・・フローラの子。 ・哺乳類は?受精卵・・胎盤・・なければ子供ができない。雌だけでは子供ができない。絶滅する。卵か胎盤かによる。 ・15000億年前。恐竜時代。哺乳類が胎盤を持った。卵・・・胎盤の獲得。Yのオスがいないと子を作れない。 ・SRY遺伝子・・・Y染色体。 滅びの道を選んだ。得たものを最大限に生かすしかない。 ・女と男 50%;50% ・胎盤・・・あらゆる環境に適応することができる。Y染色体を手に入れることを引き換えにした。 ・とげネズミ・・・Y染色体がない。絶滅していない。謎・・・突然変異。偶然でしかない。人がたどるとは限らない。 ・男の危機。精子が弱ってきている。人間の精子の質が低下している。85%に異常がある。 ・デンマーク・・・濃度が悪い。不妊20% 不妊予備軍も多い。日本も。 ・人間独自の進化がある。 ・チンパンジー・・・精子・・乱婚がある。人間には、精子に他人との競争がない。 ・質や濃度が低い。 ・予想以上に結果が悪い。更にここ数年の間に、濃度・質の低下がみられている。 ・今目の前にある危機、環境の悪化?原因が分からない。 ・対策はあるか? ・体外受精。試験管ベビー。顕微授精。活動的でない精子を受精させる。質の低下が加速させる恐れがある。精子の競争力の低下。 ・生殖医療の行きすぎが懸念されるようになっている。 ・バチカンの反対。 ・精子バンク・・シングルマザー。ビジネスとして利用される。精子の相手を選べる。 ・テクノロジーで子供を得られる。同性愛。 ・男と女・・・家族の<かたち>が変化している。 ・テクノを使うか、使わないという選択をするのか? ・性の進化・・・タブーか?乗り越えることができるか。 ひとは未知なる環境を生きてきた。恋愛のシステムをつくり。役割分担をし。肉体の違い・・個性を活かそうとする。自ら未来を予期し、選択した道を歩いているか。
2015.10.30
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