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たった一人の子をいけにえにするという構図が、後代のキリスト教徒は神の一人子イエスをいけにえにする象徴的な表現だと読みとっている。 創世記 22-1 これらのことののち、神アブラハムを試みんとてこれを「アブラハムよ」と呼びたもう。彼言う、「我ここにあり」。エホバ言いたまいけるは、「なんじの子、なんじの愛する独り子、すなわちイサクを携えて、モリアの地に到り、わがなんじに示さんとするかしこの山において彼をはん祭として献ぐべし」。アブラハム朝つとに起きてそのろばに鞍置き、二人のしもべとその子イサクを携え、かつはん祭に用いる薪を割りて、起ちて神のおのれに示したまえる処に赴きけるが、三日に及びてアブラハム目を挙げて遙かにその処を見たり。ここにおいてアブラハムそのしもべに言いけるは、「汝らはろばとともにここに止まれ。我と童子はかしこ往きて礼拝して帰えらん」。アブラハムはすなわちはん祭の薪を取りてその子イサクに負わせ、手に火と刀を執りて二人ともに往けり。イサク、父アブラハムに語りて「父よ」と言う。彼答えて「子よ、我これにあり」と言いければ、イサクすなわち言う、「火と薪あり。されどはん祭の子羊はいずくにあるや」。アブラハム言いけるは、「子よ、神みずからはん祭の子羊を備えたまわん」と。二人ともに往きて、ついに神の彼に示したまえる処に到れり。ここにおいてアブラハムかしこに壇を築き、まきをならべ、その子イサクを縛りてこれを壇の薪の上に置せたり。かくしてアブラハム手をのべ刀を執りてその子をころさんとす。ときにエホバの使者天より彼を呼びて、「アブラハムよ、アブラハムよ」と言えり。彼言う、「我ここにあり」。使者言いけるは、「汝の手を童子につくるなかれ。また何をも彼になすべからず。汝の子、すなわち汝の独り子をも我ために惜しまざれば、我今汝が神を畏るるを知る」と。ここにアブラハム目を挙げて視れば、うしろに雄羊ありてその角藪にかかりたり、アブラハムすなわちゆきてその雄羊を捕え、これをその子のかわりにはん祭として献げたり。アブラハムはその処をエホバ・エレ(エホバそなえたまわん)と名づく。 ・カントやキルケゴールなど聖書のこの場面について多くの解釈がされているが、神の真の意図についてはまだ不明のまま残っている。 「我おのれを指して誓う。汝このことをなし、汝の子、すなわち汝の独り子を惜しまざりしによりて、我大いに汝を祝み、また大いに汝の子孫を増して天の星のごとく浜の砂のどとくならしむべし。・・・」アブラハムはベエルシバに住めり。 ・ここに出てくる「モリアの地」とは、のちに神殿が建ったエルサレムのことで、アブラハムが信仰を試された場所としても、信者にとってはエルサレムは昔から特別重要な地とされてきたのだ。
2015.08.31
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ある巨大津波の被災者のはなしで、昔の言い伝えに、村の一番高い木のてっぺんに長い髪の女がはだかで枝に髪を絡ませて引っかかっていたというものだった。男にはわからないが、女性には耐えられない姿でもあるのだろう。それが津波があれば、何をおいても「逃げろ」という教訓でもある。死んだら何も分からないが、そうはなりたくないという気持ちを捨てられないものがある。 ・ひとの出来事は大抵人が引き起こしており、そして原因と結果でしかないが、人知を超えたこともある。逃げたくないという気持ちがある。それは普通は正しい判断でもあるが、通用しない時がある。自分は特別だと思うことも、通用しない時と場所がある。何があるか分からないということが、現実にあるということだろう。何をどれだけやっていたとしても、それがどれだけ成果を上げていたとしても、突然終わるのだ。その覚悟が要る。 ・へ2・・・覚悟をしてもしなくとも同じかもしれない。それは個人の考えでしかない。今朝は夜明け前のウオーキングをするつもりでいたが、また雨のようだ。今年は、梅雨が明けても雨がよく降ったし、猛暑も続いた。これまでにない厳しい夏だった。これも年のせいだろうか。
2015.08.31
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雨がやむ時 いつか、終わる時が来る。雨もやむ。好きな歌も終わる。どんな名作の小説も終わりがある。また読めばいいが、その時が来るとは限らないはかなさがある。こどものころ夏休みが終わるのをいつまでも淋しいと思ったりした。終わりたくないものはあるが、それはいつもあっさり終わってしまう。昔の恋人を今見たら夢が破れる。だからいいのだろう。終わるからいいのだ。人生も終わるからいいに相違ない。 どうも他人から期待されると皮肉屋の蟲が疼くらしい。振り返ればばかなことばかりした。それでも小説やシネマのようにはいかない。人生は小さな絵でしかないし、雨はすぐ止んでしまう。臆病で良かったのかもしれないが、元気の良かった少年がすぐ潰れていった。女たちが男を食い物にしたのか、それが腹いせか知らないが、勇気もない男しかいないのに集団的自衛権もない。 勘違いした青年将校たちが暴走して、騒ぎたいらしい。はた迷惑を起こすのだろう。消耗するようなことばかりする。100兆円もの国家予算でやるだけの実力があるのだろうか。空騒ぎの政治でしかない。人材を育てないと、国は滅ぶだろう。それこそ間違いを繰り返しているだけだろう。
2015.08.31
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そういえば男は優しくなっている。私も優しいと思う。妻や娘に気兼ねもする。妻から頼まれればどこへでも行くし、今日は、カーペットとか掛け布団とか、近くのコインランドリーに行きたいと言うので付き合い。植木の剪定や雑草の草刈り。暑くてやる気も起きなかったので少しタイミングが遅れたようだ。食事療法のこともあるので、我流で家事もしている。 ・思えば我ながら優しい男だ。然しよく考えると気が弱いし、面倒を起こしたくないこともある。長塚節「土」の勘次とかわりはしない。臆病で狡賢くて泥臭い。鄙びた臭いがする。これは田舎のその独特の臭気を想起させる。雅ではない。優しさだけが取り柄だろうか。それもそのふりをしているだけ。家族と離れられない濡れ落葉シンドローム。いえばいえ。何とでもいうがいい。 ・へ2・・・具合が悪くなると開き直る。付き合っても得にならないと友人たちから敬遠されているのだろうか。最近音沙汰がない。それほど威張ることではない。カネのないところに人は集まらないことになっている。鳥渡才能があるだけで天才のように騒いでいる。期待は裏切られるだろう。期待する方が悪いのだ。恋愛沙汰で終わるだろう。もう貫くような愛はない。
2015.08.31
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一瞬の花火のように 花火のように、と喩えられるものはたくさんある。ビックバンから始まったと言われる宇宙の膨張もある。闇の中に突然現れて、やがて闇の中に消えていく。次々に花火は打ち上げられて、前の花火を忘れてしまう。すべては一瞬の花火の如し。 遠景は、人工島だが、彼岸のようでもある。向こうから見ればこちらが彼岸だろう。その中で花火は打ち上げられていく。今年は今週の土曜日に開催される予定らしい。毎年見に行っている。夏の終わりにある花火大会で年々盛大になるようだ。福岡でも珍しく人口が増えている地域でもあるからだろう。 まさかがいつも付き纏うから、安倍政権も突然消えてしまうのだろうが、それまでは夜空には花火を打ち上げるのだろう。神風を信じている人たちは、そして大いに失望するのだろう。アベノミックスは影が薄くなっているのではないだろうか。 Do I make myself Clear?
2015.08.31
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日常生活の中でまず気づくのは、ものの考え方と生活環境のグローバル化が ある。殊に食生活は大きく変化している。そのための影響も多大 だ。それこそ戦前まで多くの日本人は粗食で厳しい労働を強いられてき た。そして戦後の経済高度成長による車の普及と飽食は、今日深刻な生活習慣病 を蔓延させている。経済優先が、ひとびとの健康を脅かす大きな要因だ。それは、わが国だけで はない。世界的な拡がりを見せている。 情報の氾濫は、ひとの欲望を煽っている。そして、航空機などの交通機関の利 便性は、何百万人の貧しい人たちを、先進国に流入させている。 そして、テレビでみた「ゆたかな社会」にあこがれて、ひとびとは、後先の 考えもなく都会を目指している。仮想空間でしかないことに気づくのは、 夢が破れた時だ。何がそうさせているのだろうか。マスメディアの責任は重大だ。現代の先進国では、人のからだに優しい「食の健全化」だ。開発途上国の 多くの飢えた人たちにはあまねく「食の確保」だろう。普遍的論理で見ればわかりきったことができないのは何故だろうか。
2015.08.31
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時代の先覚者は、苦難といばらの道を歩くものだ。ラッセルも然り。彼は40代で確乎たる名声を 得ながら、第一次大戦での反戦運動で、アメリカでの不幸な事件のために、長らく世に容れられず 70歳近くまで思想的背徳者と非難されていた。しかし第二次大戦後になって、改めて世間は彼の 真価を見直し、不屈の哲学者として賞賛した。ケンブリッジに復帰し、英雄として迎えられた。 彼は、76歳のとき、ノルウェーで飛行機事故に遭い、海中に身を投じ凍るような水中を泳いで自 力でボートまでたどり着いた。溺死者が19人も出た最中にである。高齢のラッセルが北海で然も 晩秋の冷たい海を考えると不屈の精神力と偉大なる生命力だ。 1970年98歳でラッセル死す。ラッセルは、貴族として静かな余生を送れたはずだが、そうし なかった「たえず努力するものは救われる」という精神を貫いた。強い意志と情熱の人だろう。 挫折を経験し、それを乗り越える忍耐力こそ、真の人間の姿だと思う。
2015.08.31
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「土」と農民 方言で書かれていると、よく解らない処があるが、その独特の言い回しの中にある心もある。同じ言葉でもまったく違う解釈にもなる難しさがある。私は、熊本で高校まで過ごし、そこから大阪、そして福岡、定年前に横浜にも5年。然し、日本語だからある程度は理解できる。東北弁の中にも違いがあるのだろう。そして時代背景もある。勘次が、近所の畑から収穫物を盗んで、子供に食べさせている。そうしなければ食べていけない。勿論疾しさはあるのだ。 ・卑劣な人間としての人物像があるが、それは英雄ではないにしても根底には生きていかなければならない貧しさが付きまとってもいる。貧しい村人は、畑を荒らされればそれは誰がしたのかさえ知っているのだ。黙って我慢もしている。それは加害者の暮らしを知ってもいるからだろう。宗教心もあるのかもしれない。貧しい仲間同士の同情心もある。母のない幼い子らが可哀そうだという気持ちもある。娘のおつぎは、怯えながら父の背中を見て育っている。 ・へ2・・・どうしようもない遣る瀬ない世界がおつぎの前にある。貧しさゆえにそうした娘たちが女郎に売られた。母のお品は、自ら堕胎しようとしてそれが原因で若くして死んでもいる。何ともやりきれない農民たちが、この国のルーツでもある。
2015.08.31
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私なりの「そこまでの旅」を続けている。ひとはただ天敵に怯えて生きてき たのだろうか。ヒトの歴史は取るに足りないものでしかないだろう。まだ、 夜という闇を抜けてきたに過ぎない。地上には暗黒と静寂がながい時間を支配 してきた。ヒトはあらゆる天敵と闘い地球でニッチを得ただけだ。これから 何をするかですべてが決まるだろう。未だ私の旅は終わらないが、夜の闇の不安 から救われる眠りを手に入れてはいないだろう。僅かな手探りの生活をして いる。この時代で、きっと探せばもっと優れた場所があるに違いないと思う が、少なくとも私にはネットと田舎の図書館しかない。それまでのことだ。 それさえなかったひとたちもいる。自然界の非対称性は何故あるだろうか。 夜の不安から救ったのは、ひとには火であっただろう。その火はいつか燃え るものをなくしてしまう。
2015.08.31
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理性のない社会 周囲に人の蔭のしない場所にいたことが、どれだけあっただろうか。殆どないといっても過言ではない。それでも孤独を感じてしまうのは、人間の弱さだろうか。有り余る能力をもって人間は生まれてくるが、それを活かしきれてはいない。減数分裂が生物の戦略でもある。種の多様性も淘汰の過程だ。 ・仕組まれた社会は偶然と必然の創作物でもある。人が何を考えているか外面からは視えないが、それでも行動から判断できるものはある。そしてその言動によって公のものになる。議員は、どの政党に属しているかで判断される。 ・へ2・・・権力を維持するために何をするかでもある。然し、それが国民のためにどれだけ貢献したか評価もされる。 どこか可笑しいのではないだろうか。間違いに気づかないのは、それだけ愚かな証拠でもある。
2015.08.31
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アンチエイジングの鍵は、「日々を楽しく過ごすことだ」というから、言い得て妙だろう。まことに、世にあるものは玉石混淆の世界でもある。大量生産でできるものではなく、手作りのオリジナルから生まれるものを味わい、食することが、アンチエイジングでもあるということだろうか。どんないい薬でも、それをいいと信じるものがなければ効果も半減するし、毒にもなる。元々薬もある意味毒でもあるのだ。 ・莫迦も長く続けていれば、善くなることもある。とは限らないが、化けることがあるかも、知れない。それを信じているひともいるだろう。いてもいいだろう。それだけをするだけの人間はいるのだ。66億人いても同じことをしては始まらない。みんな違うことをするように出来ていもいるのだ。他人と違うのは当然であり、自分の個性を信じることは当然でもある。 ・へ2・・・「日々を楽しくする」ためにどれだけの時間を費やしているだろうか。その努力次第ではないだろうか。「ユニーク」さはどこかでもある。 歩数累計(2008.4.15~2015.8.31) 2717日間 合計 52,995,050歩
2015.08.31
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内藤いづみ著「最高に幸せな生き方死の迎え方」 「緩和ケア」の医療システムの遅れや、患者の囲い込みに走るだけの医者た ちが大勢いる。医者が日本で一番遅れた集団ではないかとさえ思わせる現状だ。 「ターミナルケア」のできない医療は、現代医療とはいえない。 患者の死を受け入れる心理過程ふつう五段階あるという。 否認ー怒りー取引ーうつ状態ー受容。 何度かこのプロセスを繰り返しながら「受容」にいたるのだという。どれだけのひとが「緩和ケア」の恩恵に浴する ことができるであろうか。ひととしての尊厳を本当に得られる環境だろう か。せめて最期だけでも安らかにありたいものだが・・・。 薬品会社の出前みたいな医師たちに生命を託することができるだろうか。 時々素晴らしい医師もおられるだろうが、出会える確率は低いだろう。 「天災」と同じように突然降りかかるキュアの見込みのない病である「火の 粉」はまだ暫くはそう容易く逃げられそうにない。
2015.08.31
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・「意外と厄介」に思い煩わされながら自分のエリアから離れられずにひとは死んで逝くのだろう。西太后も子孫から見れば偉大な人なのだ。一般の話とは随分と違う。当時西欧人とは多くの中国人にとって、「毛唐」どもでしかない。李来中は義和団を前にして檄をとばす。 「・・・長年にわたり西洋の奴らは我らの土地を侵略し、いわれもない理由で無辜の同胞の命を奪ってきた。奴らは宗教を利用して我らを愚弄し脚下に踏みつけて、いばりちらしてきたのだ。・・・朝廷では皇太后陛下が我らを支持され、・・・赤子の如き素直な心で朝廷への帰服を受け入れ、官軍とともに奴らに立ち向かい、我ら血を持って我らの大地を守り抜くのだ!」 ・少なくとも八カ国連合軍を前にして、当時の中国は統治能力を失っていた。大清国は崩壊の寸前で権力者が換わるたびに歴史も変えられた。それは史実に基づかない歴史でしかない。それでも語られることばはすべてが間違いではないが、それは一部の話であって総体ではない。ラストエンペラーにも視点があったというだけだろうか。 ・へ2・・・当時紫禁城では、皇帝だけでなく、数千人の宦官や妻や女官たちの存在は不気味である。それは歴史的所産であろうが、それを支えた人々のことを忘れてはならない。それが原因であり、その歴史的史実や結果を招いただろう。恐るべき歴史観だ。 「替天行動、扶清滅洋!」 ・日本では「尊王攘夷」だろうか。短いフレーズでアイデンティティを得ようとした。いまもその手法は使われているようだ。まあ小説を読むような面白さがあるが、とても史実とは思えない。 西欧に打ち勝つためには、何をどうすべきだろうか?本気で考えていただろうか。ことばと実行が伴ってはいない。形式ばかりにこだわっていられない。 未来へのビジョンのないものは長続きをしないのだ。
2015.08.31
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どれだけ知識があろうと決断ができなければ意味がない。臆病は、いつも立ちはだかる壁であろ う。日本人は知識を得ることに夢中で、その拙劣は、臆病なこころを形成している。 まともな仕事に目を向けようとしない。碌でもないことに人生をかけようとしていないか。損得だ けに拘ってはいないか。考えなければならないことを考えようとはしない。為さねばならないこと が多いのに我執に捉われている。自分が嘲笑されているのに、態と目を背けている。 時は過ぎて行く。私は、自分のやるべきことを遣るだけだ。 弁解しても仕方がない。生きている間が自分であって、それ以外ではない。 P.S. 芥川「往生絵巻」に、五位の入道が「阿弥陀仏や、おおい、おおい」と西海を目指し、樹上で往生 する話がある。口中には、まつ白な蓮華が開いている。これは、讃岐国多度郡五位聞法即出語第十 四からそのままの引用した。極悪非道の源太夫が、法会の講師から阿弥陀仏の本願を聞き一念発起 してその場で出家し、念仏を唱え、ついに西海を望む高峰の樹上で往生したという話。 彼の行動はまさに壮烈で、いたずらに求道するだけのものに比して、はるかに弥陀の悲願にかな うものだ。「かつ目」して見るも同じだ。しかし、逆バージョンもある。それまでまじめな男が、 一夜にして罪人になることもよくあることだろう。臆病の蟲はどこにでも出てくる。
2015.08.31
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痒みのメカニズムがわからないのだそうだ・先端科学をしても解明されていない。なぜされないのか。その理由が揮っている。ひとが痒みで死んだことがないからだそうだ。そんな痒みなど後回しだというのだろう。もっと大事なことが世の中には溢れていると言い訳する。養老孟司も書いているが、東南アジアの奥地に虫捕りに行くと、「ああいう地域では医療も限界がよくわかります」、なのだそうだ。 ・へ2・・・物事をただ凡庸にみているだけでは何も感じることができない。自分の感性が埋没して右から左へと脳処理しているだけだろう。それは味覚を失くしたものが御馳走を食べているようなものでもあるだろう。何を食べても感動しなくなるに違いない。何も感じないからだ。一つ一つの素材の旨さがわからない人間たちが増えている。この社会で現代科学が知っているものは、ただひとは生まれ、成長し、生殖し、移動して、死ぬという。わずかな時間の知識でしかないだろう。知っているものだけしか知らない。それで、もう何もすることがないと思うとしたら、それまでの、そこまでの生命ではないだろうか。 ・関心のあることしかやろうとしない社会だろう。自分のことだけしか考えようとしない。それでいいと思っている。 ・へ2・・・「あまり知られていないが、じつは歴史上、社会的な禁煙運動をはじめておこなったのはナチス・ドイツだった」という養老孟司のはなしを読んで愕然とした。ヒットラーもムッソリーニもたばこは吸わなかった。そういえばチャーチルやルーズヴェルトは愛煙家だった。世の中は面白い話の泉である。
2015.08.31
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・自分ではいまの私を拘束しているものはないと思っているが、実はそうではないかもしれない。そう思わないとすれば寧ろ可笑しいのではないだろうか。事実は自分の認識と違うことはある。「自由からの逃走」もある。ある意味で不確実な社会でもある。勝手にしているがそうは思えない人たちもいる。true かどうか、チェックされている。 ・へ2・・・評価をするのは自分ではない。少なくともブロガーではないと思っている人たちがいるのだ。そういう意味では謂わば狭い社会の制約を受けているに違いない。下手なことを書けば排除される。ここは自分の脳の空地ではない。欲望と渇いた砂漠の果てが存在している。自分のコストを無駄にしない人々が巣食うエリアであろう。 ・何も分析などするつもりはない。体調がベストではないだけだ。欲張りで、吝嗇は嫌いだが、それがこの社会の大半ではないだろうか。そこで生きていく決意がなければならない。エゴイストが堂々と暮らしている。メルヘンではないからだ。私たちは生臭い日常を生きていかねばならない。然しブッダのいう「苦界」ではない。そう思う心が「苦界」にするのだろう。太宰を読んいるとその時代の天才も、今ではありふれた作家でしかない。 ・へ2・・・それは、私たちが彼よりもより多くのデータをもっているからに他ならない。太宰治の限界が見えるからだ。それが時間の経過の所以でもある。私たちは後から来たゆえに彼らを知るものでもある。拘りも持つものは、自分を拘束している。それは重力のようなものだろうか。ある意味でそれは自分の限界であり、境界でもあるだろう。ぼろぼろ何かをまき散らしながらあるかも知れない存在でしかない。それはヘイフリックの限界を表白している。そして、エネルギーが切れたらそれまでだ。私はダンプカーではない。臆病な観察者にして人知れず飛び回る昆虫でしかない。
2015.08.31
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・ブッシュの話を読んでいて思うのは、ひとはどの空を飛ぶかではないか、ということだ。ブッシュは戦闘機のパイロットだった。敵機をみたら、「旋回計から目を離すな、それから片時も敵機から目を離すな」と彼の先輩は忠告したという。まさにこれだ。これが日本人の政治家には欠けているのではないか?アメリカ人は、かって日本人を皆殺しにしようと思えばできたのだ。そうすれば、私たち日本人は生きてはいなかった。いまアメリカ人を皆殺しにしようと思うほどのスケールを持った人間がいるだろうか。 然し遣れば遣れるという現実を忘れてはならない。 ・へ2・・・片時も敵から目を離さず、日本人を守ろうとしている人がいるだろうか。それだけの集中力を持って、自分の生命と民族を守ろうとしたナショナリストが安倍晋三だっただろうか。何とも歯痒い連中だろうか。戦争も知らない、知ろうとしない奴が防衛などいうのもおこがましいのではないか。おもちゃの国の空を飛んでいるのではないか。空はどこにでもあるが、現実の空はそうあまくはない。 ・日本人は、アメリカから占領され、こころまで占領されたのではないか。相手から殺されるかも知れないのに、何も備えようとしないのか。いつでもどうぞ!、と夜でも窓を開け放しにして眠るというのだろうか。それこそ、旋回計から目を離さず、一瞬も敵から目を離さないタフな外交をしていると言えるのか。 ・へ2・・・気概のない民族は滅ぶに違いない。逃げ出すしかないのではないだろうか?
2015.08.31
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・自分ではいまの私を拘束しているものはないと思っているが、実はそうではないかもしれない。そう思わないとすれば寧ろ可笑しいのではないだろうか。事実は自分の認識と違うことはある。「自由からの逃走」もある。ある意味で不確実な社会でもある。勝手にしているがそうは思えない人たちもいる。true かどうか、チェックされている。 ・へ2・・・評価をするのは自分ではない。少なくともブロガーではないと思っている人たちがいるのだ。そういう意味では謂わば狭い社会の制約を受けているに違いない。下手なことを書けば排除される。ここは自分の脳の空地ではない。欲望と渇いた砂漠の果てが存在している。自分のコストを無駄にしない人々が巣食うエリアであろう。 ・何も分析などするつもりはない。体調がベストではないだけだ。欲張りで、吝嗇は嫌いだが、それがこの社会の大半ではないだろうか。そこで生きていく決意がなければならない。エゴイストが堂々と暮らしている。メルヘンではないからだ。私たちは生臭い日常を生きていかねばならない。然しブッダのいう「苦界」ではない。そう思う心が「苦界」にするのだろう。太宰を読んいるとその時代の天才も、今ではありふれた作家でしかない。 ・へ2・・・それは、私たちが彼よりもより多くのデータをもっているからに他ならない。太宰治の限界が見えるからだ。それが時間の経過の所以でもある。私たちは後から来たゆえに彼らを知るものでもある。拘りも持つものは、自分を拘束している。それは重力のようなものだろうか。ある意味でそれは自分の限界であり、境界でもあるだろう。ぼろぼろ何かをまき散らしながらあるかも知れない存在でしかない。それはヘイフリックの限界を表白している。そして、エネルギーが切れたらそれまでだ。私はダンプカーではない。臆病な観察者にして人知れず飛び回る昆虫でしかない。 8月初めに地域の建築協定が市の認可を受けた。私は役員になったが、問題がなければ、これからの10年間することもないのだろう。週末になると近くのゴルフ場が機械で草刈りをするのでその騒音がひどいので、地域で問題にしようと思っているがどうもそのチャンスがなくて、もう長くなってしまった。ゴルフ場では問題ないと思っているかもしれない。これだけガーガーやっていて気付かないとすれば余程無神経か、鈍感なのだろう。それが30分間余りだとしても、静穏を乱されて気分が悪い。静かに暮らすということの意味が理解できないらしい。私ばかりではないだろうが、誰も文句を言わないこともある。妙にみんな権利を主張しないのだ。裁判すれば勝てるだろう。こんな住宅地の中にゴルフ場があるのが不思議なのだ。 さっさと移転をすればいいのだが、居座っている。一部の金持ちの娯楽のために犠牲になっているのだ。
2015.08.31
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志賀島は、かって遣隋使や遣唐使が、役目を終えて中国から帰国しする時母国をはじめにみた島でもあったと伝えられている。万葉集にも多くの歌が詠まれている。漁師の村が存在していた。そして、いまも博多湾の出入口にあり、志賀島と玄界島を門扉に喩える和歌もあるという。志賀島の西端から、眼前に玄界島が見えて、その間を現在も多くの船が出入りしている。 ・いつも志賀島を車で一周して思うことだが、博多湾の穏やかさと、玄界灘の波の荒さが一目で感じられることだ。博多湾は内海であり、波立つこともさほどないが、玄界灘のそれはその時の風の強さで一挙に激しいものになる。かっての元寇もこの波に翻弄されたに違いない。島の中を縦断して、物見の塔がいくつもあるのに何かひとびとがもつ異変への惧れに敏感な土地柄ではないかと想像した。展望台もいくつもある。蒙古に占領された歴史があるからだろうか。 ・へ2・・・中国や韓国の最近の台頭が、日本との領土問題が惹起しているポイントなのだろう。中国や韓国と日本の歴史認識が違うのは当然であり、お互い対立する利害の下の議論は不毛でしかないのだろう。寧ろ国際社会にどちらが普遍性があるかだろう。それを主張していくしかないが、腹を据えていかなければ長い戦いになることは確かだ。
2015.08.31
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ひとは敏感から鈍感へなってしまうのだろうか。いつまでも敏感と鈍感の「間」ではないのではないか。人間には「天使のパン」はない。天使がいるとしたらそれは天使だから食べられるのではないか。いつまでも夢を見ている人間ではいたくない。然し痛みを知ってこそ、人の価値でもある。いつまでも同じ場所に居ようとする気持ちがいつか心の緩みになる。いつまでも若い気持ちでいたい。だがそうはいかない。これまで何でもなかったものが、できなくなり、遠くなっていく。その悲しみを味わわねばならない時が来る。 ・「威風堂々」を聴いて、それが如何に素晴らしいものであるか、突然判った気がした。いつも何の思いもなく漠然と聴いていたに過ぎない。分からないものには何度聴いても分からない。一度聴いて感動してもその気持ちを忘れてしまう。それが自分のものになっていかないからだ。段々悪くなっていると思うは、自分の思いであって事態ではないかも知れない。こころが挫けているためだ。「 ・へ2・・・何時も不安に苛まれている。それはまた、いつまでも同じでありたいという欲望からに過ぎない。体はただ自分の身の保全を求めている。それを本当に自分のものにしてしまおうとする。いつも何かから逃げようとする。自分だけは特別な存在と思おうとさえする。卑劣はそうして生まれもする。卑劣では何もしてはならない。卑劣な行為をした人間は元には戻れない。 いつでも卑劣な人間になる。いつ卑しいこともしかねない。どれだけの勇気があるのか、それは出たとこ勝負でしかない。したことの責任は取るべきだ。自分のしたことがすぐにはわからないことばかりだ。ただ一事で、転落もする。誰が何と言おうとも。天知る・地知る・我知る。
2015.08.31
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何かしたい 遣ることが多過ぎる。時間が足りないのは、怠け癖がある。中島敦の講座を4月から受講して、作品をいくつか読んできたが、講座の予定があるわけではないが、日記や書簡集を読んでいて、中島の作品だけではなく、どんな人間だったのか少し知りたくなってきた。遅い。6年近く前から文学講座を受けてきて、どこかそれだけで終わっている。何かしなければならない気持ちはあるが、もうひとつできていない。 ・余り文学に深入りしたくないといういつの間にか身についている。先入観があるのだろう。然し、自分がやれることを思うと、そんなにできるわけではない。遣れることをするしかないのだ。最後に何かやれるだけのエネルギーを残しておきたいという気持ちがあったが、それも、そろそろだ。最後のご馳走を食べるのも、余り先に延ばしてもおれないかもしれない。 ・へ2・・・読みたい本を、図書館のWEBで借りることができるので、随分活用が広くなった。態々蔵書の多い図書館に出かけなくても読めるようになったので、全部ではないが、読みたい本は読める。これも体が健康でなければ続けられない。そう思ってウオーキングを続けているが、手段が目的になってしまっている。
2015.08.31
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人類は、今現在の気候に適応し、ひとつの文明を築いた。グリーンランドの コアは、11万年分の記録を刻んでいる。気候は、生物にとって重要なラン ドマークでもある。ヒトはあらゆる意味で無能だが、気候に対しては大昔か ら畏敬の念を抱いてきた。ひとは、自然の脅威を感じているからだろう。 もし地球上の氷が溶けたら海面は60m上昇するだろう。それは数百年以内 に起きるとの証明は未だされてはいない。現在誰も証明できないからと言 って起きない訳でもないが。何でもそうだが、事件が起きるまではことは軽 視されがちだ。天災は、いつも突然起きるように見える。然し大地震にしても 予知できないのは、どうすれば良いかを知らないだけだ。多くのひとたちが 漸く動き出している。少なくともそうすればそのうち予知は可能になるはずだ。 何でも複雑で、深遠だからできないのではなく遣ろうとしないからできない だけだろう。
2015.08.31
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作家脳 人間の想像力という根源は脳であろう。文学を創作している作家たちの脳も、それはふつうの脳に過ぎないが、人のこころをことばで操るひとの脳でもある。別に巧みである必要はないが、他人を感動させないものは意味が無い。中島敦には、「山月記」にあるように、人が何か違う生き物に変化してしまう話を書いているが、関心があったのだろう。「わが西遊記」の中にも、孫悟空が、「変化の法」で次のようなことを言わせている。 「あるものになりたいという気持が、この上なく純粋に、この上なく強烈であれば、竟に は其のものに成れる。成れないのは、まだその気持ちが其処まで至っていないからだ。」 ・不可能と困難の境界があるが、錬金術を信じたり、不老を信じたりしたのは、科学のない時代だからでもある。観念論を信じていた。自分が純粋に然も強烈に思えば何にでも変化できるかもしれないと思っていたのだろう。 ・へ2・・・「野獣は心を労すべき多くの瑣事を有(も)たず、・・・」。的外れなことをくよくよ考え続けていた人間もいた。いまだに天孫降臨でもないが、世に神社は溢れている。それは曖昧な社会がさせている。日本の作家が世界のメジャーになれないのは、その原因は国民の文化レベルにあると思う。文化の質量が少ないし低いのだろう。 軽薄な人間が描く小説では、それだけのものでしかない。圧倒的な創造力を持った人が出てこなければならない。そのための土壌が必要でもある。
2015.08.31
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社会的動物であることを逃れられないのだから、完全に自由もない。他人と比較しても仕方がないが、ついそういう目をもってしまいがちだ。それは競争社会であり、そうでなければならないと思い込んでもいる。安心するためにしていることといえばそれは下らないことが多いのでもある。永遠の愛も、それが本当なら、人間はこれまで活きてはいない。キリスト教も他の宗教もそうだが、それぞれの終末は、過ぎてしまっている。自分の感じている準拠枠は、自分のイメージの世界でしかない。 ・目覚めては眠り、起きて眠って一生を終ってしまう。それは一つの存在の1クールでしかない。見どころを知っているかどうか、自分の人生も違うだけだろう。ガイドブックやコンパスもなしに世界や宇宙に飛び出している。現代のドンキホーテに過ぎないだろう。自分の都合の好いように世界は変えられはしないのだ。適応できなければ淘汰されるだけだ。 ・へ2・・・夢紀行をしているのだろう。それで好いではないか。人間はまだ未完成な生き物でしかない。自分の存在を認識できただけでも幸運なのだろう。過大な夢を持ち過ぎると自滅もする。欲がない人間はいないが、欲があり過ぎても折角の人生を徒にしてしまうだろう。自分の貴重な生命を歌謡曲や小説のようにしてはならない。日々新鮮であるために、何が出来るかでもある。 到頭8月も31日。最近は雨が多かった。 どこか人間嫌いになってしまいそうなことばかりある。暗くならずに暮らしていくことはなんと難しいのだろうか。人が信用できなければ、生きてはいけないが、頼りにならないことも云える。憧れていたことが次々と怪しいことを知らねばならなかった。真理があると信じていたのだ。諸刃の剣が人の心も引き裂くのだろう。ことばも同じだ。
2015.08.31
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Tod Durch Vorstellungskraft 人は悲しみで Das Geheimnis psychogener Todesfalle 死ぬ動物である。 Introduction 「人間は自らの心に殺されてしまう存在である」からスタートする。 次は、山本三毅夫著「アポトーシス」 日本人は、「米をどうにかして節約して水増しし、腹持ちさせよう」とす るが、べトナム人(たとえばキン族)は、水なしのバサバサのままのベトナ ム米を如何に大量に食べるかに心を砕くらしい。同じ米食民族でも、日本は米 国に敗戦したが、ベトナム人は、15年間も戦いついにアメリカを食った。 逃げる敵と闘うのは容易だろうが、立ち向かって来る敵はたとえ誰でも侮っ てはならない教訓であろう。 欧米に学ぶより、ベトナム人の生き方に学んだ方が、遙かに価値があるかも 知れない。
2015.08.31
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ある大学の卒論に関するリポートがサイトに紹介されていた。興味があったので読んでみた。慢性疾患患者にとって自己管理の確立は重要であるとされ、殊に糖尿病については治療の大部分が患者自身の自己管理に全面的に依存されているのは事実である。即ち、患者に病気の自己管理責任は委ねられている。そして患者と医療関係者との間には自己管理の捉え方に大きなズレがあるとされている。そのことを双方に取材してまとめたものである。 ・果して、それが卒論で扱うようなテーマだろうか、多少疑問もある。限られた制約の中でどれだけ広範にデータを収集できるのだろうか。確かにこれまでも多くの報告がなされているが、それは患者に自己責任が当然だとする前提の上での研究ではないだろうか。其れは患者サイドのどれだけの本音を反映しているのだろうか。また、自己責任というものが言われているのは、容易に国家が手を出せないほど患者数が厖大な数に上ることがあるのであり、老人の二人に一人といわれるまで、手を打たなかった政治の不毛にもあるのではないだろうか。 ・へ2・・・患者に自己管理は難しいとの指摘が医療関係者から多く訊かれたようだ。それは治癒が困難な病気であり、ハイリスクの病気でもあることに起因している。だから患者の自己責任だとするのだろうか。とても国家にはそれだけ面倒はみられないということだろう。もしそれをやったら、国家経済の破綻も起こりかねないというのが論理でもある。自分の生命が惜しいものだけを治療すればいい、自分の生命が惜しくない人は好き勝手しておればいいということだろうか。そして、この病気は完全治癒はないのだ。死ぬまで治療をしなければならない。合併症で死んでいくものも後を絶たない。莫大な費用がかかり、患者をすべて救済することは難しいから自己責任にするしかない。それでいいのだろうか。どうも責任転嫁がされている気がしてならない。
2015.08.31
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人間は自らの心に殺されてしまう存在である。「心因性死」というドラマがある。さまざまな出来事でひとは死ぬ。ヴードゥー死・タブー死・ノスタルジー死・魂の死などの 実話が紹介される。心因性死シンドロームの謎があるのは、人間が必ず死んでいるからであり、どんな 死に方もあるからだろうし、迷信や無知が支配してきたからだろう。自然の膨大さに対応できなかった 時代では、この世は果てしもない闇であり、謎であったに相違ない。現代も、公には知ったようにことは 進んでいるが、個人的にはまだ「心因性死」による迷信と無知に翻弄されているのだ。 そもそも「心因性死」とは何かというと、医学界もバラバラで定説はないのだ。「突然」は本当に突然 なのだろうか。 WHOは、1976年「突然死とは、外面的には健康な人間、あるいは病人であっても症状が安定しい るか快復に向かっている人間において、平静のうちに6時間以内に発生する予期せぬ死のことであ る。」と定義している。二分以内なら「直接急性死」二時間以内なら「突然急性死」二十四時間 以内なら「早期急性死」に区分される。 「生」と「死」はまだパラレルに研究されていない。解明かさなければならない「死」がある。
2015.08.31
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個人的には右と左の両の手がなければ困る。二本の手が合わさって、モノを運ぶし、両手で色んな役割を果たしている。もし片方の手しかなければどんなにか不自由だろうか。数え上げたら限がないくらいにあるだろう。片手で受けられる水の量は少しでしかないが両手を合わせて、喉を潤す水を得ることもできる。互いに助け合ってモノを為すことができている。 ・然し、社会には、一人には片方の手しかない。それは自分の意志を示す時に使われるものだ。賛成か反対かだし、イエスかノーであろう。社会では他人の手と協力しなければ、水道の水も自分の片手では満足した水を得ることができない。他人の片手と自分の片手を合わせて水を飲まねばならない。独りでは生きていけない。プラスとマイナスと世の中にはあるが、プラスだけでは、この社会は成立しない。マイナスを引き受ける者がいる。そして成立し秩序づけられてもいる。 ・へ2・・・個人としては、円満に生きるとことができても、社会ではそうはいかないだろう。自分だけで社会がある訳ではない。他人と協力しなければならない。自分の意志通りにはならない。我慢し、忍耐し、待たなければならない。賛成ばかりでは社会は捩じれてしまうだろう。反対する者がいて、確りその主張を聞かなければならない。どんなときにも、どちらかの手を上げて選択しなければならない。もう一つの手は、白旗を揚げる時にしか使えないのだ。どちらかの片手でいいのだろうか。文化の衝突もある。国家もどちらかに傾こうとばかりする。両手の真ん中にある脳は、使い熟さなければ意味がないのだ。
2015.08.31
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暴れん坊の猫が眠りこけて、空気がゆったり流れ出した。秋めいてきた樹木が目に優しい。 止まれ、戦争。 あちこちで不幸な事件が人間の強欲の果てに繰り広げられ、罪の無い人々に対する殺戮が続く。どうしようもな い無力感が世界を包んで放さない。 あのひとり勝ちのUSでさえまたモンロー主義に戻る頃、世界はそれ程ピースではない。ひとつの歴史の終焉となるだけだ。 北朝鮮は・・・。イラクは・・・。中国は・・・。 新しいモラルが生まれ、どこでもニュータイプの若者が平気な顔をして海や山の風を吹きわたる音を聞いている。
2015.08.31
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物事は絵のようには中々いってくれない。何か欠けてしまう。然し世の中にはわざと完璧を避けることさえある。東照宮がどこが完璧かは知らないが・・・。飛鳥も創られたイメージであったのだろう。その化けの皮が剥がれたに過ぎない。その裏があるだろうか。あるかも知れないが、それはどうでもよい。絵のようにあって欲しいというのは、童話の世界ばかりではない。夢と現実を割り切ることのできない人間もいる。それで内に秘めていれば良いが、時々コントロールの利かない人もいて、暴走もする。 ・自分が先にあるのではなく、社会の中に自分がいることを忘れている。時代認識を忘却することがある。ブレーキを持たない車を運転することにもなる。いつも整備された有料道路を走っているのではない。日本では有料だが、有料ではない国もある。それこそ、民主党政権は無料にするだろうか。絵に描いた餅は食えない。 ・へ2・・・自分が描いているイメージ通りに社会がある訳ではない。人間も同じだ。美人が全てきれいなのではない。汚いところもあるが、やはりみた目が美しいから美人なのだろう。それに異存はない。だが、違う面からみれば違ってくるということだ。絵のようにはいかない。演技をするからそれらしく見えるのだろう。今日は防災の日だ。四川大地震のような大地震が日本で起きないとも限らない。テレビではよく「申し訳ありませんでした」と謝るシーンがあるが、自分が犠牲になってどれだけ謝れても仕方がない。
2015.08.30
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「ドイツの血」という利点をもたずにやってくる外国人の多くは「ガストアルバイター」とし て分類される。このことが、多くの混乱や当惑そして感情の痛みを起こす原因にもなる。ナチ ス時代の言語に絶するホロコーストから、悪意のある外国人嫌いの感情は、ドイツ人のこころ から洗い流されたという考えは幻想に過ぎない。 最近の世論調査でも、ドイツ人口の15%は強硬な反外国人主義傾向をもち、「あきらかな反 ユダヤ主義者」も15%と存在するといわれる。外国のものであればなんでも憎しみの対象に するというスキンヘッドやネオナチがいる。はたして、ドイツ人の何割がこうした考えを持っ ているのだろうか。はっきりしたことはわからない。 こういう複雑な要素は、多くのドイツ人が外国人をランク付けするという発想がある。そして もうひとつは言語のようだ。英語を母国語としているかどうか。それとキリスト教徒かどう か。仕事上の能力・格付けも評価の対象になる。 ドイツ人が実際、高いランク付けをしている外国人には、プライベートな会話で、このような 偏見を打ち明けるが、それ以外は知る事が難しい。ドイツ人は、一般によそ者対して好意的で ないので、意地悪で冷たいまなざしでみられたりする。それは誰も咎めることができない。そ れはドイツ人の意識の問題であり、開かれた人格を証明できるかの問題だ。寧ろ、それよりも 外国人にとってドイツの内面のパラノイア見逃さず、油断なく見守る覚悟を決めることが重要 だ。 明治の日本人たちは、長い航海を経てドイツにたどりつき更にドイツの血とも闘わねばならな かった。そして、学んだ知識を日本に持ち帰った。それでも西欧文明にあこがれ続けた熱情 が、いまの日本人に一番欠けている。 偏見に屈しない情熱こそ価値のある資質だろう。 P.S.私たちの前には常に、あらゆる種類の偏見が存在している。それを見極めなければならない。
2015.08.30
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家族が、漸次社会の変動で揺らぎ出してかなり時間の経過があるが、それは中々目に見える 容ではない。OCWも愈々本格的に稼動し始めたようだ。どうやらその兆しが見えている。あとは津 波のように、荒波を受けることになる。おそらく、たいていのことは理解できるだろう。それは、 多くは出す側により多くの負担になるが、それはまだそういう時代でしかないから仕方がないだろ う。寧ろ研究者が、これまで怠惰であったのだ。Creer des liens ?だってそうだろう。狭い井底 の蛙でいるから、いつまでも通説としての翻訳ができないのであろう。 人間の脳の知的能力を一番強く妨害しているのは人間自身だ。真実を懼れるから間違いを取り返し のつかない高みにまで押し上げてしまう。無知を恥じることはない。無知なのは個人だけの責任で はないだろう。教育者も責任があるだろう。分かる奴に分かれば良いというのは、それこそ莫迦で もできることではないか。我輩とか、余は、とか言っていた時代と少しも変わらない。 それこそ、中学生でも分かるように講義すればいいのだ。専門用語でしか説明のできないことなど それこそこの世の中にそうあるとは思えない。陪審制度も、一般人が判決するとなれば、専門用語 だけでは通用しないだろう。研究者が下りていくのではない。寧ろその逆だろう。研究者が現実を 知ることになるのだ。
2015.08.30
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テーマをもっていることは大切なことだろう。それが、実現可能であり、自分にとってプラス思考であれば、生甲斐にもなる。だらりだらりとしているから何もできなくなる。毎日歩いていると、歩くのが楽しくなるが、恐らく、苦しくなる時が来る。その時それをどう乗り越えることができるかだろう。病気をしたり、怪我をしたりしてどうしてもできない時があるだろう。問題はそのあとだろう。いつもハイではいられない。暗いモードのときもある。それにどう対処できるかだろう。 ・最初はわずかな差でしかない。それはライフスタイルと言うまでには相当時間の経過が必要だ。そして、良いことはすぐに苦しくなり、息が続かない。我慢してどこまでやれるかではないだろうか。ひとつのことをやれれば、次もやれる自信がつくだろう。できなければ挫折する。その挫折感もどこまで自覚できているかだろう。人の人格の形成はそうして積み上げられていく。そうした経歴はその人性質になり、そう簡単には変わらないだろう。そのひとの体型や態度が示すものはその成果でもある。 ・へ2・・・それこそ、一日の始まりは無からではない。これまでも自分の生活を引きずっており、昨日の続きの延長でもある。自律神経は生まれてからこれまでも歴史をそのまま刻もうとするだろう。脳は置かれた環境から自由であろうとするが、すぐに縛りあげられる。束の間のまどろみの中で私の脳は何かの口実はないかを探している。何も弁解できない日常が来る。そしていつまでもテーマを探している。
2015.08.30
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アランの「幸福は義務だ」という。勇気が湧いてくる。幸福になろうと思わなければ人は幸福になるように創られているわけではない。「お前は私の奴隷だ」という人たちが大勢いるからでもある。「度一切苦厄」という考えもそうした人間社会への絶望から来ている。周囲との繋がりによってひとは影響されるのであり、身分社会もそうして出来た。 ・誰にも頼らず生きていけるわけではない。一人では生きていけない。自分の好きな小さなグループだけでも活きてもいけない。世界はカルト集団ではない。社会はそれを支えられる組織によって形成される。その社会的規範もある。法は完全ではないが、法を守ることによって秩序は保たれてもいる。権利と義務は、車の両輪でもある。 ・へ2・・・いつもと同じではない一日がある。自分の中で起きていることを他人には解らないらしい。毅然とできないところが凡人でもある。それは行動によって一つ一つ言行一致していくしかない。1クールが終了し、またリセットして出直さなければならない。それはこれまでの柵と決別すること。これから、どういう風にあるべきなのだろうか。
2015.08.30
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私たちは日ころから「普遍性」について理解していると思っている。そして疑おうとはしないものらしい。周囲の人々がその世界観や価値観をもっているという期待をもってもいるが、それが確信といえるか?ということがどこかで不安もある。常に検証しないと安心できない人間もいる。人々は或る種の共感の上に成り立つ社会の環境を夢想しているのかも知れない。少なくともそれでは挫折するのは目に見えている。 ・然し時々姿を現す現実社会に落胆もする。「普遍性の確信」が途端に崩れてしまうかも知れない。教育システムは「現実」と「理想」の存在を証明しようとはしなからだ。現実は、理想社会ではない。テキストに書かれたものと違う環境にさらされている。 ・へ2・・・幼児教育から「普遍性の確信」についてのスキルを受けていないが、これからでも、学ぶ努力をすべきだ。何が「普遍性」といえるかを検証しなければならない。それは社会と個人の問題でもある。そして国際社会で通用するものかだ。世界から孤立しては意味がない。小国であろうと大国であろうと・・・。
2015.08.30
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食事で変わる人生 何を食べるかで、考え方も変わってくる。人は見かけではないと思うが、からだは見かけの通りだとは思う。尋ねてみると大抵その人の体型の通りでもある。医者から言われて、ウオーキングをしているのだろうと思う人は、おそらく当たっているだろう。みるみる体型の変化していく人もいる。それだけ強い意志があるのだ。本気で遣ろうとしてできないものは少ない。 ・福岡市の今朝の気温は23℃。昨日は最高気温も29℃だったが、過ごし易かった。猛暑日が続いていたから余計そう思うのだろう。今朝は、25℃超える日が数カ月続いた後なので寒く感じる。人間は、その想いでどんなひとにもなるようだ。酒や煙草も辞めようと思えば止められるに違いない。それがなければ生きていけないのではない。体重だって、食事だって、運動だって、そして仕事や生き方だって変えられる。宗教もそうだろう。 ・へ2・・・どんな環境でも生きていけるように人間にはその準備ができているし、そのための遺伝子が備わってもいる。私たちはそのルールを無視して暮らそうとばかりしているのだ。長年暮らしてきた祖先の土地で、それに適応して生き延びてきた自分のからだがある。若い時、中年の時、そして老人になって、そのからだが必要としていることをするしかない。
2015.08.30
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カネで踊らない カネに無縁というわけにはいかない。然しカネに負けても、カネに踊らないことはできるのではなかろうか。カネから離れて活きていけることは有難いことでもあるだろう。カネなしでは生きていけないそれは確かだろう。社会で造り上げたルールには従って行かなければ生きてはいけない。現代社会は、どこの国家もカネで踊っている。そうしなければならない処がある。 ・明日は防災の日でもある。天災も人災もある。あらゆる災難が降りかかるだろう。誰にも絶対の安全地帯はない。生まれてすぐつねに死へのプロセスをたどっている。悦びの裏にはつねに哀しみが寄り添っているものだ。得ながら失い。喪失しながら再生しているものがある。これまで生きてきたが、拘ってばかりいて、カネに支配されていないだろうか。 ・へ2・・・求めれば求めるほど、その道は遠のくように思えてくる。地球は球形であり、地球を一周しても、さらに道は続いている。4万キロの円周をどこまで行っても終わらない。地球のどこにいても、カネに踊る人は踊るだろう。カネで踊らない人も何かで踊っているに違いない。何が価値があるかでしかない。 もしかしたら、数十年後には、英語圏になるのかもしれない。それとも中国語だろうか。あてにならない政治家たちは、 根なし草のようなことばかりしている。放浪の民になるしかない。ジャワ原人のように消えていくのだろうか。
2015.08.30
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時々、「これは、自滅かな」と思う。念のため「自滅」を広辞苑で引いてみた ・自然に滅びること。 ・自分の行為が原因となって自分の身を滅ぼすこと。 英語では、 its pertishes naturally. 併し、キリスト教では、自殺を認めない。 勿論、自殺は誤った解決策だろう。でも、案外それに近いことを遣っているのではないだろうか。 雨が降れば、気が塞いできてやる気を失くすかも知れない。他人から好かれないからと陰気になる ひともいるだろうし、何の支障もない身体や顔のことで悩むひとも多い。 まさに、「自分の行為が原因となって自分の身を滅ぼす」ことばかりしているのではないだろうか。 誰も自殺しようなどとは考えないだろう。併し、日本人は年に何万人も自殺するという。それは、 追い詰められると、普通の人間も、遣るかも知れないということではないだろうか。自分を傷つけ るだけではない。他人を傷つけることにもなるのではないか。意識は脳でつくり出しているから、 脳は自分を守ろうとするだろう。必ずしも、最後まで自分の行為をコントロールできるとは限らない。 学識者が、破廉恥行為をするのも、説明することができるだろう。脳の荒業の為せることだろう。 「自滅」するのは、自分の行為が原因なのだから、そうしないように努力すればいいのだ。ことは 簡単だ。自分を好きになり、周囲のひとを大切にして、環境に適応すればいい。自滅しないために。 何てね、いうのは簡単なのだろうか。 >新島襄は、函館から海外へ出発したらしい。アメリカへの密航だったが、のちに留学生として認められた。 ついNHK的解説というか、それこそ 表面的繕いのような論理を身に着けてきたのだろう。それでいいわけはない。2011.3.11 原発事故の時、当時毎日のようにあっていたNHKの解説者の原発事故の解説を聴かされていたものだ。誰もそのことにならされていた。前向きな話になっただろうか。誰に責任があると。滅入るような話ばかりしていた送り手たち。何をすべきかわからない大人たち。時間ばかりが流れてしまった。こどもたちはこの国の社会のネガテイブ・マインドを感じたに違いない。なにもしようとはしないのだと。
2015.08.30
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どうも、これまで弁解や、言い逃れや、無責任という空気を吸い過ぎたのではないだろうか。どうもそれが当り前のようになってしまっている。事なかれ主義でしかない政治や行政ばかりだろう。これではいけないと、誰も言うが、どうしたらいいか具体的な行動が取れないでいる。政治は議員によって運営されるが、その議員が議員に相応しい人材ではない。世襲や、宗教や、圧力団体を背景とした連中ばかりで、ビジョンもあるのかないのか分かったものではない。 ・口から出るのは、弁解や、言い逃れや、或いは屁理屈であり、そして画を描いたような無責任でもある。猫かぶりでしかないではないか。庶民の痛みをどこまで知っているだろうか。選挙制度が齎す弊害はアメリカの大統領選挙ばかりではあるまい。日本もいまだにコネや賄賂が行われてもいる。政治は汚れている。 ・へ2・・・体質改善もまだ初期のステージでしかない。これからできるあと5年先を想定した運動をテストしている。勿論一寸先は闇であるが、まあ、それくらいの想定をしないと面白くない。社会的ステータスがその人の意識を決定する。くらいは知っているが、前提となるコンセプトが揺らいでいる。勝手にやるしかないし、生きるしかないだろう。明日はもう9月である。秋がどっと押し寄せても来るだろう。
2015.08.30
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祖先の一種が突然に絶滅した理由が分らないのは読み解くべき化石の少なさである。原因が私たちの祖先が熱帯雨林を中心に生活していたため高温多湿の熱帯のため、死体がすぐに分解され、化石として残る可能性が少なかった。乏しい化石を求めて、多くの研究者が灼熱のアフリカで懸命の発掘をしている。相手は茫漠たる熱砂の砂丘である。見つかる保証はどこにもないが、彼らは見つかるまで続けるだろう。一片の化石を探求し続づけている。それが彼らの仕事だから。 ・暴力を肯定することは決着については近道かも知れないが科学的な答えを得ることはできない。膨大な砂丘で探さねばならないのは、祖先の一片の化石なのではないだろうか。そこで探してもすぐに原油は出てくるかも知れないが、それは科学的真実ではない。 ・へ2・・・それぞれの探し物はあるだろう。そのダイヤモンドのような化石の一片を探す価値はあるに違いない。なぜなら、私たちは「40億年にわたる命のリレーによって支えられた存在」の一つでもあるからだ。
2015.08.30
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祖先の一種が突然に絶滅した理由が分らないのは読み解くべき化石の少なさである。原因が私たちの祖先が熱帯雨林を中心に生活していたため高温多湿の熱帯のため、死体がすぐに分解され、化石として残る可能性が少なかった。乏しい化石を求めて、多くの研究者が灼熱のアフリカで懸命の発掘をしている。相手は茫漠たる熱砂の砂丘である。見つかる保証はどこにもないが、彼らは見つかるまで続けるだろう。一片の化石を探求し続づけている。それが彼らの仕事だから。 ・暴力を肯定することは決着については近道かも知れないが科学的な答えを得ることはできない。膨大な砂丘で探さねばならないのは、祖先の一片の化石なのではないだろうか。そこで探してもすぐに原油は出てくるかも知れないが、それは科学的真実ではない。 ・へ2・・・それぞれの探し物はあるだろう。そのダイヤモンドのような化石の一片を探す価値はあるに違いない。なぜなら、私たちは「40億年にわたる命のリレーによって支えられた存在」の一つでもあるからだ。
2015.08.30
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遺伝子に関係する病気でも、発症するのとしないケースがある。遺伝子をも って生まれたから、必ず発症するとは限らない。ナルコレプシーの遺伝子を もった全員が発症する訳ではなく、発症しても完治もあるし、完治に到らな くとも生活上に殆ど支障のない状態に戻ることもある。 双子のケースで遺伝的な素因があるのに、片方はストレスが少なく発病しな かったのに、他方は過度のストレスに晒されたために発病した。睡眠不足やストレスの持 続などの環境因子が発症を促進する。素因があっても発症を予 防できる可能性があるということに外ならない。 それは、遺伝的素因と環境因子で病気は発病するのであり、正しい知識さえ あればうまくいけば予防できるだろう。必ずしも私たちの社会が、すべての個人の生命 を尊重している社会ではない。 勿論、複雑で且つ多くの難題を抱えながら生き延びてきた生物種でもあるヒ トであるが、無駄な血も流してきてもいる。全方位で生きてきたとすれば、 遺伝子研究は、種としてのヒトの生命の可能性を暗示している。
2015.08.30
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信号で停車したら、レストランにサラリーマン風の中年男がコ ーヒーを飲んでいた。 ふと思い出したが、東京の町田で、出勤前私も数ヶ月だがドトールコーヒー で朝食を摂っていたことがある。単身赴任をしていて、横浜市内から町田支店まで、暫く通勤して 都会の通勤生活を体験した。朝7時前にマンションを出て、東蒔田駅から地下鉄に乗り、新横浜ま で行き、JRに乗換えて、町田まで通った。所謂ラッシュアワーだ。大抵座席に座ることはできな かったが、帰りはどうにか座れることが多かった。町田駅周辺の混雑は、宇宙から見れば、まるで 黒い川が流れているように見えるだろう。それでも、慣れてくれば大した苦痛でもなく、朝からの モーニングサービスを愉しんでもいた。併し今考えると、それ程こころが豊かであった訳ではな い。多分、辟易しながら過していただろう。僅かなサラリーのために。会社に腹も立てていた。 それでも、土日には、公開講座や図書館通いをしていたし、気晴らしにあちこちに出かけた。行く ところは箱根から日光、鎌倉など多かった。 今考えると、もう少し遣れることがあっただろう。カネや体力があるときにはその思慮がなく、痛 い思いをしながらこれからはしたいことをしなければならない。若いころに脳にすこしの空地をつ くり考えることだ。すこしの思慮でいい。 この社会は、それほど手に負えないような世界ではない。自分が卑屈になっているだけだろう。
2015.08.30
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放射能の不安 まさか、3.11の原発事故でこれだけの甚大な被害が出るとは誰が予想できただろうか。然し、戦争があり、原発が54もある日本では、攻撃されたらどうなるのだろうか。それは、ありえないことではない。簡単に原発が撤去できるわけではない。平和がいつまでつづくのか、戦争と繰り返した歴史がある。人間の争いが無くなっているわけではないし、国連も、必ずしも平和の守護神ではない。 ・政府は、福島第一原発のメルトダウンを、知りながら公表しないでいた。それが許されるかどうかは別としても、事実は事実であり、ぬぐいようのない事実だ。そして日本政府は、世界から信用されない政府になった。国民の安全を第一に考える国家ではなく、命を軽んじる戦前の国家の汚名に戻ったのであり、安全を無視した後進国になったのだ。 ・へ2・・・今度の巨大津波を東京電力に警告していた学者がいたという話がNHKであっていた。予想していた通りだ。切迫感が無かったという。自然災害だけではなく、アクシデントもテロや戦争もある。絶対などない社会ではなかっただろうか。ためにする安全神話だ。人体には影響が無い放射線というが、これも信用できない。解らないから安全だと言っているだけではないのか。放射能は、日本人にとっては人間の愚かさと悲劇の原点でもあるだろう。それをまた繰り返したのだろうか。 放射能に晒されると、細胞は瞬時に生命活動を停止するという。次元の違う世界に突入してしまうらしい。超えてはならない生命のエリアの境界がある。自分たちの利益しか考えない傲慢な人間たちが地球の生命全体の未来を閉ざしかねない。700万年といわれる人類のルーツも、この100年の愚行のために滅びかねない。
2015.08.30
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ドーパミンは直ぐに消えてしまう。セロトニンは気分が明るくなる物質だ。コカインは脳内に侵入する。エンドルフィンは脳で生成して痛みのメッセージをブロックする。麻薬は模倣している。人間は仕組まれた化学物質で支配されている。アルコールは体内にある限り気分を高揚させ明るくさせる。カフェインは・・・・・。 利己的な遺伝子は、時として人間を支配しコントロールする。自分の身体は自分の物ではない。進化の歴史を刻んでいる遺伝子が自分の子孫を残そうとする戦略が仕組まれている。何か無駄な努力をしていませんか。そしてそれはおそらく徒ではない。
2015.08.30
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英米文学と日本文学の領域で自然をテーマとして扱いまとめた本だ。多くのエッセイ集も含まれて いる。英米文学でも「自然」はもっとも重要なテーマの一つだ。イギリスでは、パストラルと呼ば れる田園文学の長い伝統がある。アメリカ文学も「白鯨」や「老人と海」や「ハックルベリー・フ ィンの冒険」等の名作も多い。勿論日本にもある。「おくのほそ道」「武蔵野」「山の人生」など がある。本来山里の民であった日本人は、自然は身近な存在であり、自然の事物のなかに魂のあり かを認めようとさえした古代シャーマニズムがあった。平安時代の花鳥風月や老荘思想に影響され た隠者的自然観を持ち、やがて西欧文化と交わるのだ。日本的自然観と環境論的自然観とは基本的 には相違している。 同じネーチャーでも、何故こうも違うのだろうか。ながい宗教観の違いに由来するだろうか。全く 手に負えなかった祖先持つものたちと、シャーマニズムをもたなかった文化の相違だろうか。 イザベラ・バードは、1873年(明治11年6月)東北および北海道を旅して「日本奥地紀行」 を書いているが、当時の日本はまるで、未開地の劣悪な環境でしかない。農民たちの食べ物といえ ば生魚か半分生の焼魚と野菜の漬物だ。男はふんどし姿で、若い女たちも石鹸を使うことがない。 併し、彼女は書いている。 When Japan gets the sunshine,its forest-covered hills and garden-like valleys are turned into paradise. In a journey of 600 miles there has hardly been a pantch of country which would not have been beautiful in sunlight.
2015.08.30
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措かれた環境で、政治的動物にも、経済的動物にもなる。人間は本来社会的動物である。政治が一部の者の特権に属していた時代ではない。社会を構成する国民の主権に基づいて政治が行われねばならない。 人民の人民による、人民のための政治だからだ。 (government of the people, by the people, for the people ) ・選挙の日だけが政治を考える日ではないが、政治への参加が多くある訳でもない。闘争ではなく、平和的に政治行動をするためには、現在は選挙を通じて政治的行動するしかない。さて、国民の見識がどのように表現されるのだろうか。「責任力」という何を責任と言っているのか分からない政党のスローガンがあったが、少なくとも政治的環境が悪くなるばかりでは困る。
2015.08.30
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・変な夢を見ていました。しかし夢分析をすれば何らかの連想はあるのでしょう。経験したことやそうでなくても脳に無関係のことはあり得ない。ざぶりと残り湯につかり、福岡の気温を見たら25℃でした。これから暫くは爽快な秋になるでしょう。 ・へ2・・・つくられたヒーローが時々話題になりますが、ハムレットがそうであるように悲劇は喜劇になるものです。それは繰り返される虚像でもあります。ある人はそれは、悲惨な悲しみと早く別れるために喜劇にするのだという。まだ西太后の話を読んでいますが、清国からみた西欧列国と日本が描かれている箇所がいくつかある。負けるはずのない小国の日本に負けたとある。日本の勝利は、中国には敗戦でしかない。日本人の英雄は中国人には大悪人でしかない。日本人が揶揄することが中国人は大切なことになる。 ・悲惨な現実と対峙しなければならないとき、物事を黒白で単純化しがちです。西欧人は卑劣で狡猾な「毛唐」であり、魯鈍な中国人であり、残虐な日本人であるのでしょう。創られた虚像が喧伝される。 ・もう虚像が働く時代ではない。けちなヒーローが物事にタッチすべきではない。真の実力が問われねばならない。大清国の崩壊はそういう意味では教科書ではないだろうか。 ・へ2・・・これからの日本は坂道を転がっていくのでしょう。それが緩やかな軌道を描くことになるか。それこそ、ポイント・オブ・ノーリターンなのかは、国民の意識次第でしょう。
2015.08.30
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ヒトのルーツを知れば、だれもみな野蛮の血が流れていることを知るのである。そしてそれが未だにあるのだろう。「社会的ステータスがその人の意識を決定する」という法則があるが、オバマ大統領もやはりその分類から漏れないようだ。そしてアメリカの伝統は受け継がれている。人は野蛮なのであって、時に理性を取り戻すのだろう。 ・柔よく剛を制すも、じつは偶々でしかない。野生と理性と言えば、理性が常に勝つのではない。動物には理性がないだけだ。腹いせでヒトを八つ裂きにした犯罪者たちがいまだに後を絶たない。そして、憎しみに駆られて自分を見失う者もいる。復讐にも燃えた犬を止めるには骨が折れる。ショックでも与えないと止まらないものだ。 ・へ2・・・余程不利益を与えないと止まらない人は理性があるとは言えない。そしてそれは誰もが陥るだろう。正義の名のもとにことは為されて、多くの犠牲者がそのために出ている。戦争になれば罪もない人たちが死ぬことになる。タリオの法則が、さらに大きな犠牲者を出すだろう。
2015.08.30
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肺年齢 肺機能も特徴的な年齢による衰えがある。老化は外部だけではなく内部でも起きている。殊に肺機能は最盛期の2分の1,3分の1までにもなるが、使い方次第では生命を維持できるからすごい。肺活量も漸次、減少していく。肺には痛みを感じる神経がないそうだ。私は、鼻茸ができて鼻が詰まり手術したことがある。その後も長い間、呼吸がスムーズにできず苦しんでいたが、嘘のようにそれが治癒したようだ。 ・肺に色んな病気を持っていたようだが、それが原因で、肺機能も落ちていたようだ。走るとすぐ息切れがした。いつの間にか走るのが好きだったのに、山歩きさえしなくなった。運動は嫌いではなかったが、気が付いたら殆どしなくなり、それがメタボの原因でもある。肉体的なだけでなく、メンタル面もあったのだろう。ひとつやふたつのことではなく、多重の原因が自分の体に蓄積されて行ったに違いない。 ・へ2・・・体質改善を心掛けたのは、かなり以前からだが、頭と体が一致しだしたのは、数年前からであり、それまで長い時間がかかった。気になっていたのは肺年齢でもある。頻脈の傾向もあったからだ。歯が大事だとか、足が第二の心臓だとか、色んなことばを聴いても、その意味が解かってきたのは、自分の体験がある。本当に理解することは難しい。よく美容の話がテレビであっているが、大切なのは肺でもある。呼吸が旨く出来なければ、どれだけ見かけに拘っても自滅するだけだ。 横浜市の鶴見区とか、大阪市の西淀川区とか、結構酷い空気の汚染されていたところに住んでいたことがある。期間は短かったが、都会で暮らしたのは、好いこともあっただろうが、体には悪い影響もあっただろう。それでも、都会でしか生きていけない人間は多いのだ。田舎がいいという人は恐らく過半数ではないのだろう。なにかより安倍政権がいいというのかもしれない。ベストではなくベターで選んでいる。それでもそれが正しい選択といえるのか。好い暮らしがいたいだけか。豊かな暮らしとは何かでもある。リッチとか、セレブも中身がどうかでもある。見栄ばかり張りたがる人間で日本の将来は明るい筈はない。
2015.08.30
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