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いつもの朝でしかないが、元旦の朝。朝のウオーキングも、初歩き。何でも初をつけて面白がっていたころが懐かしいが、家族は正月もそれほど感動もしていないようだ。元旦だからと早起きしてくるわけでもない。どうも子どもたちの幼いころは、熊本の玉名の妻の実家で正月を過ごすことが長かったので、家で正月の行事をあまりしていないこともある。 ・私たちの戦後世代も、正月行事をあまり大事に思わないで来た。封建時代の遺物のように軽蔑していた嫌いがある。紅白もあまり見なかったし、除夜の鐘も聴いたことがなく、まして初詣も行く気がしなかった。どこかちぐはぐな正月だった。だから正月はどうもあまりピンとこないところがある。 ・へ2・・・伝統を重んじるような躾体験があるのだろう。それは時代の影響もあるに違いない。混乱した社会が底辺にある。そして今の子供たちはさらに輪をかけているのだろう。悪ものだけではない。残していいこともあるのだ。それを知らないでいるに違いない。
2015.12.31
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年寄りの冷や水というのがある。60歳を過ぎれば、それまでのようにはいかない。それを軽く見ようとする傾向があるのは、結局は身を滅ぼすことになる。だろうではない。野鳥たちも鳥インフルエンザがあるが、和白干潟に渡来している渡り鳥たちはどうなのだろうか。注意してみているつもりだが、本気で監視しているのではない。干潟で調査しているそれらしいひともみかけない。 ・それこそ皆でやればできることはあるのだろう。遊んで暮らしているだけではつまらない。生き甲斐をなくしている高齢者も多いのではないだろうか。それこそ植民地政策ではないが、住民はあまり利口になっては困るというのでは政治家は堕落するばかりだ。脇の甘い人が多い世の中であるのは、厳しい世間の目が足りないからでもあろう。 ・へ2・・・大韓航空の副社長だった人も、奢りからであろう。これまであった氷山の一角でしかない。そしてそれは日本でもあるのだろう。目立たないだけだ。陰湿なことは欧米でもあるに違いない。見せしめにしようというのだろう。震え上がっている人もいるに違いない。のど元を過ぎればすぐに忘れるだろうが。どうもアジアでは、極端な差別化が進んでいる現象があるに違いない。年寄りの冷や水というのがある。60歳を過ぎれば、それまでのようにはいかない。それを軽く見ようとする傾向があるのは、結局は身を滅ぼすことになる。だろうではない。野鳥たちも鳥インフルエンザがあるが、和白干潟に渡来している渡り鳥たちはどうなのだろうか。注意してみているつもりだが、本気で監視しているのではない。干潟で調査しているそれらしいひともみかけない。 ・それこそ皆でやればできることはあるのだろう。遊んで暮らしているだけではつまらない。生き甲斐をなくしている高齢者も多いのではないだろうか。それこそ植民地政策ではないが、住民はあまり利口になっては困るというのでは政治家は堕落するばかりだ。脇の甘い人が多い世の中であるのは、厳しい世間の目が足りないからでもあろう。 ・へ2・・・大韓航空の副社長だった人も、奢りからであろう。これまであった氷山の一角でしかない。そしてそれは日本でもあるのだろう。目立たないだけだ。陰湿なことは欧米でもあるに違いない。見せしめにしようというのだろう。震え上がっている人もいるに違いない。のど元を過ぎればすぐに忘れるだろうが。どうもアジアでは、極端な差別化が進んでいる現象があるに違いない。
2015.12.31
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そろそろ年賀状も卒業したい気持ちがある。 ・皆がするから同じことをしなければならないのではない。また無理してやることでもない。というより出来ないのかもしれないが、社交的な性格でもないのだろう。周囲とある程度はお付き合いも必要であるが、できるだけ最低限にしたい。テレビで、アバウトだが、誕生が100万人で、亡くなったのは126万人で、人口減とのことだった。 ・それこそ手遅れになって対策をとっても間に合わない。数字を見て驚いてばかりはいられないのであり、母子の社会環境改善をするらしいが、このままで日本人の人口は半減しかねない。超高齢化社会もかなり前から言われてきた。赤字財政もある。カネをばらまいで国民の支持を得ようとばかりしてきたのが自民党ではないだろうか。官民の癒着も汚職の温床であろう。今年は前を向いて一歩でも前進したいものだ。 ・へ2・・・私たち市民は、時として愚かなことをしがちだ。時代のリーダーが有能とは限らないし、独裁者にもなるからだ。煽動者たちによって狂わされてしまう。風俗が乱れるというのはその前兆でもある。善良なイヌこそ狂犬にもなるということでもある。
2015.12.31
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明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。同行二人は、四国巡礼の時の話ですが、同じ人間として、同じ言語を使い、その中で理解できるものがあると思う。それは、全体の中のほんの一部でしかないとしても、感謝すべきことであり、それは先人たちの犠牲の上にあることも知っている。ひとは間違いを冒しがちだが、正気でいなければならない時はあると思う。 ・人間にはクリスマスが必要なのであり、それは、また宗教を信じていないものにも、必要なのではないのだろうか。他人と共に生きるということは、他人の行為を認めることであり、許すことでもある。人間だけで生きているのではない。環境がなければ生きてはいけない。 過去を認めなければ現在もないのだ。 ・へ2・・・ 日々何かが終わり、そして新しい一日もある。初心忘れるべからず。新しい366日間をどういきていくかだ。うるう年ですね。健康に留意しながら、マイペースで過ごしたいと思っている。どうぞよろしくお願いします。
2015.12.31
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木戸敏郎「若き古代」という本を読んでいる。どんな人物なのだろうか。書いていることはかなり多岐に亘っているが、余り関心がないので部分読みをしている。その中にルイス・フロイスの「日本史」の話が出てきた。当時公家や僧侶がしきりと書いていた日記の習慣があったにも拘わらず、その日記等は個人的なものばかりで歴史的価値はないのだという。 その点、フロイスの「日本史」は、木戸氏は単なる二等資料だというが、歴史学的には一次史料としての価値が充分あるようだ。つまり、文書として事件の発生に付随した記録・資料の価値を理解していたかどうかなのだろう。当時の文化人には、権力者の悪口は残しても、日記を残すことが、一次史料になるという観念がなかったのだろう。 遺稿だけでなく、遺文も重要な史料であり、たとえ日記でも生の資料であれば充分一次史料になりえる。文化の蓄積とはそういうものではないだろうか。フロイスの残したものが日本人の歴史の役立つとは不思議なことである。西欧人と日本人の文化の差だろうか。 歴史は消えるものではない。都合の悪いものを消去しようという考えは間違いだ。何でも「水に流す」というのでは、いつまでも不正が見抜けなくなってしまう。同じ過ちを繰り返すことに繋がるだろう。日本人が、これから世界で生きていくためには、悪いことをすれば、「水に流す」ことはできないし、責任を取らされるということを肝に銘じなければならない。 たとえ「日記」であっても、それは個人のものであるが、然も公然とした記録であることを認識しておかねばならないことだろう。そして、それが価値があれば社会性をも具有していることだ。
2015.12.31
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戦争の脅威や、感染症が猛威をふるい、食料不足が日常であった時代には、ヒ トは短命で「脳の老化」は、問題にならなかったが、これらの克服により、 現代は長寿社会を手に入れたが、皮肉にも「ボケ老人」の増加というかたちで表面 化するようになっている。漸く、「老人の脳」の研究がされている。 ニューロンの数やニューロン間のネットワークの減少することが「脳の老 化」の本態である。そして、脳のニューロンは成人で、毎日10の5乗 の割合で減少する。その典型的な特徴は、 ・新しい環境への適応力・短期の記憶力・エピソード記憶・柔軟な対処能力など。が、加齢により低下することがわかってきた。併し、なにもかもの機能低下 ではなく、逆に、学習や経験に基づく総合的に判断する能力や言葉の意味に 関する記憶は、個人差はあるが70歳くらいまでは低下しないようだ。 脳のどの部位のニューロンの減少がボケの機序になるのか最近もよくわから ないが、どうやら「アポトーシス」の機序が関与するらしい。 シニアになると、 ・頑固 ・短気 ・不平不満が多い ・ひっこみ思案になる 老化の機序を知ることが大切なことだろう。みな何時か通る道でもある・ フランスのボーヴォワール「老い」も「老人とは退屈、怠惰、忍従、疑いや すい存在である」と表現している。 殊に、シニアの女性は、男性に比べて配偶者に不満をもつことが多く、自己 主張が強くなり攻撃的になりがちだ。子育てや永年の夫への不満が爆発しが ちなのだろう。夫のステータスの低下もあるだろう。 シニアのこころの問題は、複雑であるが、特徴的でもあり理解は可能であ る。問題は個人差が顕著なことだろう。何れにしろ、「脳の研究」が進めば ボケ予防も可能だろうし、「脳の老化」も解析されてくるだろう。 シニアは、懼れずエリアを拡げるべきだろう。
2015.12.31
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アンシャン・レジームは存在するだろうか。建前ばかりで本音を吐こうとし ないのはまだ古い意識が残ることを物語るだろう。それにしても進退を明ら かにしない態度はフェアーではないだろう。未だに、巷では「男女共同参 画」が尤もらしく議論される。しかも官主導である。平たく言えば、如何に 現状が男尊女卑が残存することを示している。戦後女性が強くなったとい うが、まやかしに過ぎない。日本国憲法の基本的人権が遵守されていないこ との発現でもある。法は、本来経済活動の後付けの領域であるはずなのだ。 憲法の精神が戦後60年が経過しても生かされていないのは可笑しな話だ。 さて、今年は、どんな1年になるだろうか。 世界は、戦争から、環境破壊から、天災や人災から前向きに前進できるだろ うか。個人としての私は、自分の限界をいつも考えねばならない。何も豪そ うに言っているのではなく、それは誰も同じだろう。限界のない人生などな い。要は時間の問題だろう。終わりがあるとすれば、真剣さと決断がなけれ ばならない。遊びにしても悪くはないが、余りにも人間の存在は興味深いス テージだろう。私にとっての問題の所在は、どう執着し、どう執着せずに生 きれるかであり、時間をかけて、時間をかけずに学ぶかだ。 恐らく、アンシャン・レジームは、日本人の思想のうちにあるだろう。それは、遺 伝子の中にあり厄介な相手である。利己的な遺伝子に勝てるはずがないと諦めれ ば其の呪縛から解放は永久にできない。どれだけ闘えるかは困難であるが 避けて通ることのできない人生が待つだろうと思う。 今年も紅白歌合戦を見ながら除夜の鐘を待っているところだ。いつまで紅白を遣るつもりなのだろうか。止めようと誰も言わないのだろう。それに代わるだけの番組がないか、パンとサーカスの政策しかなのだろうか。
2015.12.31
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「戦争の放棄」は、戦後の日本の世界に対する政治姿勢の表明であったはずであ る。世界の孤児となり、世界を相手に戦争をしかけたのだ。そして破れた。 その反省を世界に宣言したのであれば、「戦争の放棄」にはその存在理由がある。 原爆の被害を受けた国民が、報復をしないのはそのためではないのか。 もし「戦争の放棄」を止めるとすれば、世界に対する謀反であり、平和にた いする反逆だろう。論理が通らないと「憲法9条」の改正を求めるのであれ ば、寧ろ、それは、戦争を肯定することになるだろう。 政府の政治理念のなさが、この事態を招いてをり、国民を欺くものだ。 この政治状況に呑まれる国民であるとしたら、救いはない。民主主義が聞い て呆れると言うことだろう。目先の軽薄な風潮が自分たちの未来を暗くして いないだろうか。 よく見て、考えなければならないことが多いが、急がないことだろう。 私は、昔憲法の教授から中曽根康弘の改正論を聞いていたので、彼の顔がテ レビに出ると、また亡霊が出たかと思う。
2015.12.31
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10数年前から歩数をPC管理をやっているので、いつでも前年との対比をすることができる。数値管理の必要性は言うまでもない。人間の体は化学反応で生きているようなものだから、原因と結果の因果関係でもある。それは自己管理票を作成していつも痛感することでもある。医者が、患者のことばよりも検査結果を重視するのでも解かる。人間の体は複雑であり、その気分にも大きく左右される。 ・明るく生きることが困難を乗り越えることのできるソースになる。すべてのことは係わりがある。毎日、データをとっているが、自分の健康状態も素人なりに解かるようになったところはある。それでも、まだ足りない。大学の講座を聴講に行くのも、直接役に立たなくても自分の生甲斐でもある。それは意欲を与えてくれるからだ。 へ2・・・自分の心がけで、かなりの部分で出てくる結果の原因を自分で作っている。関心のあることを書いている。関心のないものを書いていない。今年はどんな一年にするだろうか。私がどこまで動くかで決まる。 不吉なことを書いて平気なのは若いからだが、間抜けもいる。限界、限界と言いながら歩いている。いつまでつづけられるのか。一生懸命にしていると、時を忘れるが、忘れているだけだろう。お別れを何度もしているようなものだ。状況が刻々変化もするから、はなしも違ってしまう。ゆっくりやりたいがそれには相当エネルギーも消費してしまう。急いだ方が、やり易いこともある。 なぜ人は愚かなのだろうか。必要な時に大事なものが見えない。聴きたいことがあるのに、そしてそれが今できるのにしようとはしない。そしてできないままできなくもなる。娘たちも同じだろう。そういう私も親から肝心なことを聴いていない。
2015.12.31
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アヤ・ソフィア <作品>「こころ」 ・1914.4~1914.8月1日脱稿。新聞に発表された。 ・あまり気が進まない作品。(教授弁) ・テーマが平凡ではないか。エゴのとらえ方。 ・聖書・・・現れているテーマ。新しいものではない。新鮮さがないという疑問。 ・エゴだけをテーマにしたのかどうか。当然、それ以外に何かあるか。 ・人間の「こころ」とは? 「利己心」・・・「不可思議」のテーマでありスタートラインでもある。 ・乃木の殉死の問題に漱石は、関心を持っている。 ・歪な円を描いて散歩をする。長い散歩の間、その時の私は「K」のことを考えなかった。 ・作中で、利己心だけを言っているのではない。不可思議がある。 ・利己心は、たちが悪い。自分も他人をも傷付ける。無意識に触れている。漱石はまだ、のちのフロイトの「リビドー」の概念を知らない。 ・妻の名前。「静」は乃木夫人の名前でもある。乃木の殉死をどう考えていたか。 ・「親鸞」のこと。演「模倣と独立」。 ・罪を犯しても、「あること」をすれば許される。 ・ありのままをありのままに描くことで清められる。浄化される。 ・「あの乃木さんの死というものは至誠より出たものである。・・・」漱石は乃木を認めていた。 ・インデペンデント。 ・先生の遺書・・・「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」。新聞と単行本には編集の違いがある。 ・漱石がどう考えていたか。江口渙著「漱石山房」より。(レジュメ引用)。 ・キップリング「園丁」・・・聖書。園丁はイエスのこと。ヨハネ伝第20章。園丁が現れると怪しくなる。 ・「死神」・・・お前はまたここへやってくる。 ・死んだ「K」が私を招いている。死んで終わりではない。影法師のような「K」は、潜んでいる。近世の怪談。近代小説だけの側面だけではない。モダンだけではない。主人公に付き纏って離れない。 ・長谷川如是閑と橋川」文三・・・明治人とは? ・明治は「西南の役」(明治10年)のあとに始まっているという考えを漱石は持っていた。漱石は自分のことを「明治人」ではないといっている。明治10年が明治元年である。その前に自分は生まれた。 ・Kは坊さん。やたら死にたがっていた。「西郷と月照」西郷も同じ。先生とK=西郷と月照に重なる。責任の取り方。心中未遂の西郷。 ・Kは死後も、先生の中では生きている。「祟られている」。古風・・・明治の精神が包含されている。自由と独立と己に満ちた現代・・・明治ではない。 ・殉死は明治の思想ではない。明治はよく分からない。明治の精神は明らかではない。 ・先生・・・明治の精神ではない。 ・「こころ」・・・コンセプトが明解ではない。 ・「散歩」の場面が重要。重要な話をする。歩きながら話す場面が重要。歩くというシュチュエーションを使う。 ・「永日小品」・・・ 金 ・ こころが、テーマである。 ・「門」叔父と甥の関係。 ・「連想すること」がポイントであり重要。 ・「こころ」と「明暗」の相違。 ・青年が、後の世を生きていくことが抜けている。 ・柄谷行人 ・「不可思議な私」。予測がつかないことをする。予防ができない。読者がいるのであまり暗くは描けない。実は暗い。漱石の人間に対する考えは暗い。自分でも予測不可能なものとして人間を考えている。 ・相手の「心」が読めない・・Kのこと。それは怖いことでもある。相手が死ぬとは思わなかった。 ・Kの死んだ理由。本当はどうかわからない。 ・「作品」・・・こんなことで死んでしまうのか。他に理由があるかも知れない。単純ではない。自殺心理は分からない。「自殺者が死に至る径路」がある。 ・どうしても「釈然とはしない思い」がある。不可思議なところが人間にはある。 ・漱石の拘り。 ・親鸞のキーワードが「不可思議」。 ・不可思議な私・・・生まれ育つ時代と性格。環境。 ・猜疑心が強い男。蛇のような男。 ・山崎正和「淋しい人間」。先生は、伯父に対するものは邪推ではないか。本当のことは分からない。疑い深い。 ・正直過ぎた自分・・・との矛盾。正直ではない。 ・性格悲劇。 ・正確にものが見えないのではないか。正直なのかそうでないのか分からない。作品の中でも混乱している。 ・夫人・・・ごろりと変化する。急に変わるこころ。大岡昇平・・・「変化」を指摘。相手がだれかによって変わるか。 ・奥さんが気づかない。肝心なことを話さない。 ・先生と妻との関係。 ・ミステリー仕立てがある。隠したいというのと打ち明けたいという気持ち。「天の邪鬼」。矛盾が理解できる。 ・先生は女性に固定観念を持っている。そのまま信じることはできない。 ・実は不可思議をテーマにしている。明確に「心」を描いていない。 ・明治元年に漱石は生まれた。三島も昭和元年生まれた。特別の感情があるかも知れない。 大学は4年間だから、文学講座を6年間も、しかも同じ教授から、他に学んだこともないからこれは大したことだと言えなくもない。いい経験をさせてくれたと女子大に感謝したいが、そのお返しもできていない。既に教授は定年退職されて東京に帰られている。単身赴任で福岡に長く来ておられたようだ。奥さんも大学教授だったらしい。もう文学講座も聴けなくなって2年余り過ぎている。学力がないので、付いていけなかったが、日本語だけは解るので理解できるところはあったし、それでいいと言われていた。その気になれば人間には壁を打ち破るだけの力はある。それを使わないだけだ。あるのに遣おうとしない。百千萬劫難遭遇という。出し惜しみしていると人生も終わる。テクニックではなく魂の所在は求めるものの中にある。玉磨かざれば光なし。
2015.12.31
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数年前から歩数をPC管理をやっているので、いつでも前年との対比をすることができる。数値管理の必要性は言うまでもない。人間の体は化学反応で生きているようなものだから、原因と結果の因果関係でもある。それは自己管理票を作成していつも痛感することでもある。医者が、患者のことばよりも検査結果を重視するのでも解かる。人間の体は複雑であり、その気分にも大きく左右される。 ・明るく生きることが困難を乗り越えることのできるソースになる。すべてのことは係わりがある。毎日、データをとっているが、自分の健康状態も素人なりに解かるようになったところはある。それでも、まだ足りない。大学の講座を聴講に行くのも、直接役に立たなくても自分の生甲斐でもある。それは意欲を与えてくれるからだ。 へ2・・・自分の心がけで、かなりの部分で出てくる結果の原因を自分で作っている。関心のあることを書いている。関心のないものを書いていない。来年はどんな一年になるのだろうか。私がどこまで動くかで決まる。
2015.12.31
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どんな環境で、どんなライフステージにあるのか、それは一人一人違いもする。奢れる者は久しからずだろうし、どんなに苦しい時間も眠るまでの時間でしかない。朝は来てくれる。命ある限り、自分の運命を受け入れるしかない。小さな喜びを知る者だけが自分を幸福だと思えるだろう。いま外に出たら、月が見えたし、すこし雲が切れたいた。何とか元旦の朝のウオーキングができるだろう。 ・入院していた時、大物が出なくて良かったですねと医者が言ったが、運の悪い人もいるのだろうと思った。どんな気持ちでここにいるだろうかとも。僅かの差でしかなくてもまったく違いもする。病気なんてなりたくはない。どんなにカネを貰っても入院したくはない。健康で歩けたらどんなにいいだろうかとも。そして退院したら、そのことを忘れてしまう。それを繰り返してもしまう。 ・へ2・・・努力もしないでテイクだけを考えてしまう。得られないとすぐに腐る。卑下して委縮して、結局惨めな日々にもなる。社会からなにを得たいと思うだろうか。幻想でしかない。自分の幸福も自分が願いそれを求めない限り、まちぼうけにもなる。自発性のない人間には、孔子も弟子には教えない。四角の隅を、三隅まで自分の頭で考えなければならないのだ。知る喜びを知るのはそれだけの努力をした人でなければならない。
2015.12.31
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ヒトが観ている世界は素晴らしい。生命の進化は劇的だ。顔がシンメトリーだとかどうかなどどうでも良い。よってたつ人生の重みを学ぼうではないか。大衝突から始まり、全球凍結、海からの離脱、PT境界期大量絶滅、大陸大分裂とアフリカからヒトは旅立つ。悠久の時を経て、さまざまの犠牲があり私たちをここまで導いたのだ。そして、それはまだ旅の途中でもある。焦ってはいけない。来年も、人生の味を噛み締めて、行かれよ。いまは、平和な時間なのだ。ヒトが生きた第4氷河期の世代は最高に恵まれた時代ではないだろうか。あと数百億万年に亙り、宇宙はインフレーションを繰り広げようと、斯くまでに素晴らしい 時はない。
2015.12.31
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干潟が自然の浄化をしている。誰も知らないところで生命を守ってくれるものがあるから私たちが安心して暮らしていける。でも本当は安心していいのだろうか。知らぬが佛という。確かに昔に比べれば自然破壊が進んでいる。この干潟もアサリなどの稚貝の生育が悪くなっているらしい。調査をしている女子大の話では、博多湾は汚染している。ヘドロで海底がドロドロらしい。悪臭が凄いらしい。それを引き挙げて女子大生たちが分析して調査をしている。 ・鳥渡みるだけでは真実はみえない。本音と建前が違う。その使い分けが上手い人が偉くもなる。巨悪は眠らない。サルトルの「存在と無」を読んで、娘に一粒の砂の名前を「紗」に換えて名づけたが本人の自覚がないようだ。自立心を以て生きて欲しいが。目先のことに戸惑っているのは仕方がないが、いつまでもでは困る。 ・へ2・・・ウオーキングも、来年4月で7年間になる。石の上にも3年というから、そろそろ悟っても好いが、どうも口で言うほど悟らない。そしていつこけるか解からない。転んで怪我をするか、病気になるか分からない。一週間も休めば動けない病人になる。リスキーな社会なのだ。毎日2万歩をつづけているが、目的を確り持っていないと崩れるだろう。また初心に戻って来年も一年頑張りたい。
2015.12.31
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これから呑もうとした牛乳にハエが入ったとしたらどうするだろうか。勿論ふつうは直ぐに捨ててしまうだろう。どうしても飲まなければならないとしたらどうするだろうか。テレビでアフリカの子供が泥水を飲んでいるのを見たことがある。飲まなければならないときはあるに違いない。その時どうするか。何が大切か考えて選ぶだろう。 ・好きな異性がいて、その相手には苦手な親がいたらどうするだろうか。いつもいいことにはそうでないものが付いている。山の上まで登ってみたいが苦しい急坂もある。それが必要であれば登るだろう。然し、自分で諦めてしまうかもしれない。何もしないで長生きしてしまいがちだ。自分は本当は何をしたかったのだろうか。中学生のころ、夕焼けを追いかけたことがある。いつも山の上で太陽は沈んでしまった。 ・へ2・・・とても太陽に追いつけるわけがないから、それは仕方のないことだが、気がすむまで追いかけたいという気持ちが残った。遣れば好かったといまは思う。一度くらいやれば人生観が変わっただろう。やがて、自分の歩いている後ろから太陽が昇ってくるまで遣れば、何かを感じた筈だ。蠅が入っただけで牛乳を捨てない人間になったかもしれない。何がその時、優先するのか、決めている自分の世界観がある。あとで後悔するようなことをしないために、小さな勇気を持つことだ。
2015.12.31
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コスタス・アクセロスの「マルクスとハイデッガー」という論文は魅力的なテ ーマであることは間違いない。二人ともヘーゲルに強烈な関心をもつ共通点 がある。ハイデッガーは「家郷喪失性は、世界の遺産となる。それ故に、歴 史的に思索することが必要だ」といい。マルクスは、疎外をアウフへーベン することにおいて、歴史の或る一つの本質的次元の内へまで到達しているが 故に、史的唯物論であるという。未来的な思惟の案内人だ。 「われらなし、われらの探すもの、全てなり」(「ヒュペーリオン」) 大晦日、福岡市の気温は7℃でカメラを持って散歩してきたが、雨上りで和白干潟まで行く元気も湧かなかったので、途中で引き返してきた。明日から正月とはとても思えない。
2015.12.31
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個体発生を研究するのに二つのアプローチがある。全体を動的なものとみな す方法である。そして、局地的、還元主義的に情報や制御といった視点にた つ方法である。科学的な問題は証拠によって判断されるべきであり、思想的 な偏見で判断されるべきではないが、問題は見かけほど単純ではないだろう。 何故なら、そうは大抵ならないからだ。たとえそれが科学の問題だとしても そうだから、その他の場合であれば尚更である。問題解決が難しいのは、一 つには、世の中がどうなっているかで決まるからだ。現代であれば経済の原 理が優先するだろう。更に言えば、その問題の解決方法がいくつかある場合 には、そのアプローチは無数ではないが有限にはあるだろう。 ひとは、美しくも浅ましくもありうる存在だろう。あるひとにとって美しい 存在でも他のひとには醜悪であるかも知れない。どうもいつも見慣れたもの を美しいと思うのは動物の習性らしい。「ジキルとハイド」はひとに付き纏うも のかも知れない。
2015.12.31
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怒涛のように時代は変わりつつある。それを確りとみる目があるか。観ているだけで観察していなければ意味がない。自分に見識がなければならない。オバマ大統領の態度が演説でこれまでとは違っている。違う筈だ。大統領になったからだ。「社会的ステータスがその人の意識を決定する」。がらりと立場が変わっている。少し前にトップシークレットの話をオバマ次期大統領が伝達を受けているというニュースが流れているのを聴いて、恐らく、発言が変化するだろうと感じていた。 ・その立場になれば、「・・・らしく」なるという。大抵そうなる。その座を否定しない限りそうなるのだろう。以前ヨーロッパ・ウォッチャーという人の本を読んだことがある。成程、ヨーロッパ在住してよくあちらの気質を知っていると思ったが、バード・ウォッチャーと同じでしかないと思った。聴いたことをそのままでは観ただけでしかないし、知っただけなのだろう。それでは肥しにならない。 ・へ2・・・どれだけのひとがオバマ新大統領の真意を感じているだろうか。何をしようとしているか。何を守り、どこを目指すのだろうか。壊さなければ新しいものができない。オバマ政権の真のウォッチャーといえるひとが、どれだけいるのだろうか。パウエルの存在が気になる。 1993年に退役後、自伝「マイ・アメリカン・ジャーニー」を出版した。1996年の大統領選挙に向けての世論調査では幅広い層からの圧倒的な支持を示し、もし出馬したなら当選は確実とも言われたが、「黒人が大統領になったら暗殺される」とする妻の反対もあり出馬しなかった。(Wikipediaより)
2015.12.31
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誰も同じことを想い言うのだろう。ルーツは同じだから。自分の措かれた環境で運命も変わる。一本の蝋燭の火も、強風や雨で消されてしまう。傘のない場所に措かれたロウソクの運命は過酷なものになる。どうにか寿命をまっとうしてきたとしても、本体はいつか燃え尽きてしまうだろう。人が蝋燭をみて人の命のはかなさを感じる所以でもある。 ・悟りを開くことは自分にはできないと漱石はいったとか。般若心経の「・・・菩提薩?」以下は、般若波羅蜜多にたっしたひとのことである。自画自賛というのだろう。極楽浄土をこの地上に仏像とともに造ろうとした人や、それができると思った権力者たちの願望でしかあるまい。中島敦の「セトナ皇子」もこの世の真実を知って、蝋の木偶のようになって死んでいく。 ・へ2・・・生物学では種としてのヒトに生きる目的はないと解説する。それは真実だろう。だとすれば個人の生命にも同じことが言えるのだろう。宇宙があって地球があり、人もある。その運命に逆らうことはできない。暗闇の中で一本の蝋燭は、周囲を見渡しながら明かりを点し続けるのだろう。
2015.12.31
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・自分の頭を働かせる人 ・そのふりをする人 ・どちらもしない人 人のタイプを3分類。人間の一生なんて、自分の頭を働かせるといえる時間は殆どないのかも知れない。殆ど眠っているか、他人のために仕事をしているか、食べているか、雑用に追われている。あとは細々したものばかりだろう。どれだけ自分の頭を働かせているのだろうか。そのふりをしているだけではないのか。あるいはそのどちらもしない人なのかも知れない。だから、「自分の頭も働かせた人」が、人間らしい仕事ができるのだろう。 ・多くの人は、できない理由をやまほど上げることができるだろう。然し、それは弁解でしかない。自分の寿命を取り戻すことはできない。だから愚痴を言うことになるのだろう。脳は動くものを追いかける習性があるから、絶えず働いているが、意識的に自分の頭を働かせるとなると意味が違ってくる。所謂「意識的な思考」こそが、自分の脳を働かせることになるというのだ。そうかも知れない。こうして書いているのも、何かのふりをしているのかもしれない。自分の頭を働かせているだろうか、と問われると、どうなのだろうか?少しは物を考えているといえるだろうか。 ・へ2・・・「人間」という存在は、自分で解っているつもりでいるだけかも知れないのだ。他人が理解しているから、自分でも分かっているつもりでいるだけなのだろうか。本当に考えているだろうか。厳密な意味で、自分の頭を働かせているのか? あまり自信がない。困ったものだ。日頃考えているイメージと違う生き方をしているのかも知れないだろう。いうことと、することが違うのだろうか。それは多分にあり得るのではないだろうか。自分の脳のほんとうの使い方を考えるべき。 人並みに生きるというのも結構大変で、ついドロップアウトしたくなる。珍しく家族が揃って昨日から大掃除をしている。そしてもう午後になって、もう一休みをしている。折角プリンターを買ってきたが、どうやら年賀状ができそうにない。PCが正常ではない。元々買換えるつもりでいたが、どうやら動いているのでダウンしたらにしたからだ。
2015.12.31
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ミトコンドリア・イブ 加齢とともにミトコンドリアのゲノム・DNAに変異が蓄積すること。ことにゲノムの複製に重要な1千塩基対より特定のDNA断片に変異の集中が判った。若い内は惹起せず高齢者に5%~50%の確率で起きる。ミトコンドリアのDNAは、核のDNAと異なりヒストンのようなタンパク質による保護が無いため変異の確率が10~20倍高いと言われる。せっかちマウスは短命でのろまの亀が長生きなのはミトコンドリアの活性酸素の放出と無縁ではない。大食いは大量の活性酸素を作り出し動脈硬化と老化を早めることになる。複製のエラー:ミスマッチが発ガンと結びつく。体のメンテナンスは、常に点検を怠らず傷ついた部分を修理しなければならない。手当てをしないと家屋のメンテと同じで怠ると木造家屋ももたない。パーツも大事にしないと修復できない運命だ。 生殖に到るまで個体差が少ないのは子孫を残す為だ。生殖との係わりが希薄になると多様な個体差を生じてくる。熱力学第二法則のエントロピー増大:生物を含む全ての物質は劣化を免れない。 PALE BLUE DOT "A vision of the human future in space " "pale blue dot "の地球が何時か太陽に呑み込まれ、或いは、r=10mm なるかも知れないが・・・。 存在理由 「問題の所在」は何か。意義があり。沿革・構成要件の総論があり。そして存在理由がある。企業も生きているのだ。遺伝子からみれば人体は道具である。脳も精密マシーンでしかない。感情も化学作用で喜怒哀楽がある。どれだけの情報を持っているかで未来は決定される。情報能力のない個体は生き残れない運命だ。蚯蚓でさえ移動しなければ同じ環境で生き残れないことを知っている。遺伝子にプログラムされているからだ。シンメトリーな異性を好み優れた子孫を残そうとして、仕組まれたDNAが遠い数十億年の彼方から来ている。 存在理由のないものは、この世界では消去される。 あと5時間余りで、2015年です。来年も好い年でありますように。
2015.12.31
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人間は夜空や鳥の声や花の香りを感性豊かに感じる能力をもっている。そしてこれらの感覚を奪われると脳は衰弱し、活動を停止してしまう。脳は、詩人を作り、芸術家にする能力をもつが、使い方を間違えると犯罪者にもなるし極悪人もつくるだろう。幼児期に脳の基礎架線工事がきちんとされていないと学習能力が奪われてしまう。幼児教育は、人間形成に最も重要な意味を持つと言われる。何処の国でも弱い母親がその役割を担っている。特に、人の脳は可塑性に富んでおり、そのための良好な環境は絶対条件である。ところがどこの国でも母親は、恵まれているとは言えない歴史をもつ。人間の野望により膨大な資金が浪費されていないだろうか。必要なことは、幼児教育にもっと投資すべきだ!!! 子供たちが、誰も皆健やかな脳によって教育さるべきだろう。そのための環境を整備することが、やがて人間の「叡智」を生むことになると信じたい。これまで、人類は、脳という「ブラック・ボックス」を抱えて過ちを繰り返してきたが、21世紀後半では、人口問題が地球規模の危機になるだろう。そのために何ができるかを考えねばならない。女性が母性を喪失し、子供の産めない時代が来ないとも限らない。
2015.12.31
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歴史的理性の覚醒は、神話を正面の相手とし、ロゴスとミュトスがある。統一的神話そのものが歴史的理性の所産である側面があることを忘れがちである。神話は、象徴的出来事を報告し、命名し、その起源を物語る。記述であり、確定であり、説明である。くりかえされ、暗誦され、編集され、神話となる。世界は、神話の中で、神の思召し、あるいは約束として、人間の支配にゆだねられる世界にかわる。これこそ、ミメシス的呪術からの大きなジャンプである。 ヨーロッパにおける市民的理性は、そもそも出現のときから、自然支配的性格の刻印を自分にきざんでいる。人間は、自然を支配する過程を通じて、自然の一環としての自己を、自己によって支配された自然から疎外させないわけには行かない。人間の自己疎外の原過程は、自然からの根源的自己疎外であり、自己確立と自己疎外の弁証法的過程である。 歴史的理性は、その発端において、進歩と疎外の弁証法的モイラ Moira を背負っている。 理性は、神話からすべての材料をうけとりながら、神話をやぶるために、この材料を逆用しようとし、逆に、神話の呪縛におちこむ危険をはらんでいることだ。つまりヨーロッパの形而上学が自然と人間の永遠的秩序を規定する為に使用した根本的カテゴリーの重要な部分が、統一的神話をルーツとしているという事実である。
2015.12.31
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この社会の現実と自分の意志はどこか違う何かが違うと思っているが、その違いが解からなければ何にもならない。自分の思惑と、自分の暮らしが目指してきたものと違う。社会的正義も、普遍的真理も理想と現実では違う。法の解釈でもそれこそ自衛隊が違憲もあれば合憲もあり、政府の考え方も歴代内閣で違いもする。テレビのタレントたちの栄枯盛衰のように目まぐるしく交代して行くのは人ばかりではない。そのコンセプトさえ変化している。日米安保で日本の政治は世論は二分したが、今や、アメリカ政府の考えも変化した。 ・国際社会はニューリーダーの登場を待っている。アメリカの正義は、いまや世界の正義ではない。中国の底力は、世界に幸福を齎すだろうか。あの北朝鮮でさえ、正しく指導できない。それが現実ではないだろうか。世界の指導者として相応しいものが為るべきであって、覇権を求めるものであってはならない。アメリカや中国は、もっぱら国益を重視しているのであり、これからの国際社会には通用しないものだ。世界から紛争をなくすために何をすべきか、強いリーダーシップを発揮できなければならないのだ。 ・へ2・・・日本の政治の、混迷は、この国の未来に陰りを投げかけるものだ。若者に信頼をおけないのであれば、未来はない。どこが間違っているか、理想と現実は、どう違うのか、その根源にあるものが、広い視野と、深い洞察力によって導かれた論理で解明すべきであって、日和見的な観念であってはならない。どんなスキルを体験しながら成長しているのだろうか。その確信がない若者たちばかりが目立っている。見せかけの華やかさに、酔いしれてはいないか。異性ばかり気にするばかりでは、不安である。簡単に罠にかかるような人間でも困る。
2015.12.31
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私見で創る学は学ではない。歴史も殆ど恣意的に作られた。自分でつくる哲学などマイ スペースでしかないだろう。「一握の砂」を知ったからといって世界を解した訳 ではなく、自分が中心ではない。誰も世界の中心にはなれない。自分が見た ものは夢でしかなく、自分の限界は超えられるはずもない。封建社会の女性 たちには、男を本当に愛する自由のない運命を生きたに過ぎない。 ひとは狭小な自分の存在を客観的に理解などできはしない。それはまだ 科学的事実ではないからだ。見極める力などない。「白雪姫」が、本当は「雪白姫」だ った。童話も、読み方で違いもする。この童話について文学部教授から解説を聴いたこと があるが、その深読みに驚いたことがある。隠された真実を読むことは難しい。
2015.12.31
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確かに、年齢を取れば、社会に合わせていくしかないが、波長が合わなくなると確かに寂しいものだ。黙ってみているが、誰も助けてはくれない自己責任でもある。大自然の中で、崖があっても手すりがしてあるとは限らない。地雷だってあるかもしれないのだ。異教徒を虫けらのように扱う人間さえいるのが21世紀になった現代の姿でもある。くだくだいうのが可笑しいのだろうか。 ・民主主義の国家だと思っていた大国が、爆撃で敵を殺したと公言している。適法の法手続きを経由したというのだろう。死刑廃止の国家だというのに、敵国やその他のものは別だという。自分以外は全部敵だとおもう独裁者が出てこないとも限らない。アメリカの銃規制も、大統領の意見を尊重しなくていいらしい。 ・へ2・・・いい加減なことばかりあるが、今日は2015年の大晦日で、明日から2016年になる。どんな一年だろうか。今年亡くなった友人がいたが、もう彼には死後はない。それこそ誰の身の上も同じだが、来年もいつまでもあるわけではない。 暖かい大晦日は、世界中で報告されている。異常気象の影響なのだろう。
2015.12.31
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ひとりの作家の作品とは思えない奇跡だと言われる。大衆文学からのジャン プなのだろうか。「武蔵野」から「文学界」への昇華か。或いは桃水との絶交やトラ ブルが介在したかは判らないが、「大つごもり」という一葉が求めていた作 品が結実したのは事実だろう。そして「やみ夜」は奇しくも晒しものになって しまう。然し、「とても狂はば一世を暗(やみ)に」というフレーズは、 「もの狂い」の世界を描く一葉のこころと重なる箇所であり、作品をして リアリティ化できなかったからだという。所謂推敲に失敗しているのだ。 それに引換え、「大つごもり」は、世話物であるが、ひとを瀬戸際に立た せて、そのリアリティを表現した作品として高い評価がされている。 文章の価値は、そのリアリティにあると言って過言ではない。どう表現する かで作品を生かしも殺しもする。とても並みの力ではできない。 「大つごもり」のお峰は、憐れを誘う。伯父夫婦を援けるために盗みという 犯罪まで追い込まれる。お峰は、伯父から前給金で身売りさせられて尚且つ 伯父の借金返済のために盗みまでするのだ。醜悪な大人たちに翻弄されて しまう。お峰は「私は悪人になりまする」といい、「舌かみ切って死んだな ら・・・」と思い詰めるのだ。それでも薄情な伯父の汚名を隠そうとする。 これは一葉が書きたかったことだろうといわれる。そして、あとの「にごり え」などの伏線がいくつかある。緊迫した心理描写がされており、ひとつの 文学作品として評価されている。それまでの作品と違い文章が引き締まり無 駄がないのは何故だろうか。進化論でいえば、「突然変異」だろうか。 それはありえることだと思う。一葉の心に何か大きなストレスがあり、その 緊急事態に一葉の潜在力が発現したのではないか。勿論そこに追い込むのは 一葉の非凡な才能でもある。 一葉の死後「三人冗語」「雲中語」で、鴎外、露伴、斉藤緑雨が一葉を評価 された。 どうやら、これまでの講義は一葉を形成する助走を見てきた。
2015.12.31
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まっすぐにただ進むことが正しいのではない。そういう時代ではない。迷いながらひき返す勇気も必要だ。間違うのは、自分だけの責任ではないが、そのまま進めば取り返しのできないことにもなるだろう。考慮すべき分岐点があるかも知れない。引き返すことのできない所までいけばそれまでだ。 外国でものびのび生きている日本人たちもいる。地球上でどこに居ようとも吸っている空気は同じだし、暑さ寒さも大して変わらない。文化の違いは小さいものではないが、それでも、社会的ステータスを手にいれ適応して行く新種の日本人たちがいなければならない。そういう時代が目の前に来ていることも事実だろう。 ・へ2・・・見せかけや、衒いで生きていると、本来の自分のすべき努力を忘れてしまう。日本で生きていようと、たとえ外国だろうと生きる意味や価値や寿命は大して変わらない。それをどう自分で評価するだけだ。よく周囲を眺めてみることだ。そこに自分らしい自分がいるだろうか。空気が合わないところでいつまでも我慢していることはない。それを国籍をいつまで縛りつけ強制する時代ではない。これからの日本人には、好きなところで生きる権利がある。但し、その社会のルールに従わねばならないだけだ。自分の存在に思い上がっていてはならない。それは誰であっても見苦しい者はいる。権力者が自惚れであればみんなが迷惑もする。国民である前に市民でなければならないと思う。
2015.12.31
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ブラジル、ロシア、インド、そして中国は、今後注目されるだろう。韓国も台湾も侮れない成長を遂げている。日本は、アメリカだけを見ていればいい時代ではなくなった。英語だけを話せればいいのでもない。こちらの意向を伝え、相手を知るにはいち早く情報を収集しなければならない。相手のつかう言語を知らなければ新鮮な情報を知ることはできない。 ある道具を使うことだろう。バブル崩壊の原因と10年もかかった日本の政治経済の「先見性」のなさは、致命的なことでもあるだろう。分析ばかりしている学者など役に立ちはしない。提案できない研究者など、絵に描いた餅でしかないだろう。 今年は、どうも大したこともできず終わりそうだ。まあ死ななかっただけは悪くなかった。段々と増悪化していくようだが、大晦日の朝に慌てても仕方がない。あとはしてきたことの報復を受けるばかり。来年がいつものように訪れるとは限らないが、まあ、なんとか。それを威張ってみても仕方がない。この一年を振り返ると、それこそ矢張りこれまでとは違った。世間を甘く見てはならないが、ついついバカにしてしまうのだろう。自分がなにものでもないのに。今年のマチュピチュとアンコール遺跡では、体力の衰えを感じたが、どうにか2015年末まで辿りついた。新しいカメラも購入したし、1月には、ドイツ・スイスとフランスの欲張りツアーをすることになっている。
2015.12.31
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まっすぐにただ進むことが正しいのではない。そういう時代ではない。迷いながらひき返す勇気も必要だ。間違うのは、自分だけの責任ではないが、そのまま進めば取り返しのできないことにもなるだろう。考慮すべき分岐点があるかも知れない。引き返すことのできない所までいけばそれまでだ。 外国でものびのび生きている日本人たちもいる。地球上でどこに居ようとも吸っている空気は同じだし、暑さ寒さも大して変わらない。文化の違いは小さいものではないが、それでも、社会的ステータスを手にいれ適応して行く新種の日本人たちがいなければならない。そういう時代が目の前に来ていることも事実だろう。 ・へ2・・・見せかけや、衒いで生きていると、本来の自分のすべき努力を忘れてしまう。日本で生きていようと、たとえ外国だろうと生きる意味や価値や寿命は大して変わらない。それをどう自分で評価するだけだ。よく周囲を眺めてみることだ。そこに自分らしい自分がいるだろうか。空気が合わないところでいつまでも我慢していることはない。それを国籍をいつまで縛りつけ強制する時代ではない。これからのひとには、好きなところで生きる権利がある。
2015.12.30
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脳幹は、大脳皮質に作用してベータ波をアルファ波に換えられ、言葉で調節できる部位をコントロールもする。睡眠・覚醒の中枢の重要な部分は脳 幹にある。そこに昔からあった神経で、新しくできた大脳皮質(言葉を喋 り、体を動かせと指令を出す)を抑えることができる。脳幹は、瞑想や座禅 などにより大脳に対する能力を高めるらしい。脳幹は、呼吸と咀嚼と歩行の 人間の基本的な生命活動を支配してもいる。セロトニンは、ドーパミンやノ ルアドレナリンの情報をコントロールし、精神を安定させる作用があり、セ ロトニンが不足すると感情にブレーキが掛かりにくくなり、快楽から 抜け出せず依存症に陥ったりもする。自分で役割を持っている訳ではないが 大脳や、大脳辺縁系、小脳をコントロールしているらしい。 どうやら、私たちは、大脳皮質だけで人間活動をしているのではないらしい。 脳と身体との関係は、複雑だ。だから面白いし、学ぶ必要があり価値がある。
2015.12.30
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或る意味で古い社会の中で、新しい生命が生まれているわけで、いつか衣を替えるように新しい生き方をしなければならないだろう。伝統として継承するものだけではこれからの、新たな事態に対応できなくなるときが必ず来るだろう。伝統ばかりにしがみ付いていたら生き残れないことにもなる。そこに自立した考えがないと、選択肢を誤ることにもなる。 ・私たちの世代が、全世界を敵に回して敗戦したという混乱期の中から出発しなければならなかったのであり、公正な世界観や、歴史観が正しく教育されたわけではなかったし、身につけるべき道徳についても日本人としての確立したものがないまま来たのも事実だろう。そのために「自由」と一緒に頼りなさと曖昧な思想を持っているものが多いのではないか。よき指導者が周囲にいないまま来てしまったのではないかという心の喪失感が確かにあるだろう。政治家や官僚、学者や芸術家が、確たるモラルもなしに仕事をしてきたのではないだろうか。そこに将来に対する危うさを感じてもいる。 ・しかし、少なくとも私たちは周囲にあるものから道具を探さねばならない。そうしかできないからでもある。それでも有難いことに、いまや多くの情報収集が手に入るようになった。道具はいくつもあるだろう。問題はその道具が使えるかどうかを確かめねばならない。意図的に流されるものがあるからだ。自立した信念を身につけて用心深くことをなすべきだ。
2015.12.30
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歩くことによって得られるものは計り知れない。歩きながら考えるというのは、纏まり易いのかもしれない。それは、余計なものが排除することが出来るのだろうか。その活用法でもあるのだ。脳の働きや、体の免疫系等の働きを知ると、その使い方を間違えていた気がしてならない。自分に何が出来るか、何をすべきか、誰も的確に教えてはくれない。それは当然のことであって、自分で自分の人生の意味を見出さねばならないのだ。 ・へ2・・・ハワイのワイキキの近くの大きな公園を散歩をして、ウオーキングしている人たちから、気持ち良い挨拶を交わして以来、その悦びを知った気がする。自分の住んでいるところにどんな人が住んで居るか、ウオーキングしながら情報を得ているのではないだろうか。それは環境を知ることでもある。より深く関心をもつことであり、朝の空気を吸い込んで、元気を貰うのだ。街を歩けば、自分の人生が視えてくる。
2015.12.30
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「全体は部分の総和ではない」という基本的なステージは、視覚研究に発している。そのまま聴覚に適 用することはできないが、周波数や音の高さがキーになるとともに、時間の重要性が増すという。 例えば、匂いにしても脳との関わりはこれからだろう。人間の脳は、あらゆる情報で判断しているのだろ う。好き嫌いにしても視覚だけではない。音楽が果たしている役割もまだ総体が見えていないのではな いか。日本人は、和歌や短歌という凝縮したもので、自分の感情や思いを伝えようとしたが、それは、 多分、誤解をされただろう。もし有効だとしても、それは人間のほんの一部のこころでしかない。音をこと ばに置き換えようとしても、収まらない。また、そこに価値があるのだろう。目や耳や鼻でさえ、そうだし味 覚や、触覚でさえ感受性は磨かれる余地がある。これらの感覚様相の、相互の関連を知ることがいよ いよ重要になってきている。 古いゲシュタルト心理学から現代の認知心理学での見直しがされようとしている。進化と学習との 関係について Bragman が注目されている。
2015.12.30
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久しぶりの和白干潟。新しいカメラのテストもあり、天気も良くなったし、晦日とは思えない気温でもあった。生憎満潮で、餌取りの渡り鳥たちも少なかったが、カモ類は相変わらず調整池などに多かった。いつでかけても野鳥に逢える場所でもある。次回は、クロツラを狙っていこうと思う。
2015.12.30
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年中行事を愉しんでいる人も多いのだろうが、それどころではないひとも少なくはないのだろう。盆暮れに国民の大移動によることの経済的効果もあるのだろう。故郷へ帰ってくる子どもや孫を楽しみにしている親たちも、無理をして帰省してくる家族の想いもある。なぜ都会に若い人が集まり、田舎は過疎になっていくのか、仕組まれた社会システムがあり、それで日本の社会も発展して来たのも事実だろう。 ・コストのかからないものはないが、作用と反作用があり、薬も毒であり、得られたものも多いが、喪っていくものも少なくない。富の配分が偏り、中間層の減少が出てきているのは、原因があるだろうし、政府もカネのバラマキでは、財政は悪くなるばかりだろう、血の汗を流して、未来に通用する設計図を作成しなければならない。できなければこの国は破滅しかねない。そのことを肝に銘じて仕事をすべきだ。孫の手も、老人たちの手も必要とするだろう。 ・へ2・・・納得しさえすれば、死ぬことだってやぶさかではない。それだけの努力をしているかだろう。社会契約論ではないが、社会が死ねと言えば死ななければならない。そんな社会にしてはならないだけだ。また正月が来るが、同じことを繰り返しても仕方がない。要はこれから何をしなければならないかだ。死ぬ気でやればできないことはあるまい。
2015.12.30
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アンコールワット 無数の生物が地球上で生命活動を営む。併し無数というのは科学的ではな い。寧ろ有数にすべきだろう。現在人間が知っているの恐らく2000万種 以上だろうと言う推定だし、或いはその倍以上かも知れないくらいだ。何れ にしろ、まだ人間が、総数をカウントする能力がない「ブラック・ボック ス」でしかない。どれだけの価値のある生物が存在するか、これからの人間 に取って回避できないテーマであろう。人間はこれまでそれこそ順調に進化 している訳ではない。それこそデッドロックを乗越えてきた歴史をもつの だ。個人にとっても、何とイライラさせられる人生だろうか。何度もギブア ップしたくなる経験をさせられた。勉強をしたい時に違うことをさせられ、 勉強したくない時には課題を強制され、したくもないテストをさせられた。 教育システムは苦役でしかなく、勝手にしろと社会に放り出されもした。知 らない都会を歩き回りもした。親切な社会ではなかったのは皆同じだろう。 世間知らずの私は、無駄な浪費をしたし、消耗もした。やがて社会人になり 子育てや住宅ローンそして会社勤めでも自分のエネルギーを売らねばならな かったし、自分の時間を見失いもした。そして今考えるのは、人間は皮肉な 時間を生きているだろういうことだ。それは誰が悪いというのではないが、 時代が悪過ぎただろうか。戦前であればもっと理不尽な社会だったかも知れ ない。併し戦後といえども基本的人権は保障されたわけではない。いまだに 具現化できずにいるだろう。 人間は、「ヘイフリックの限界」を生きており、寧ろ短い一生でしかない。 無駄な時間を浪費する訳にはいかないが、いつも皮肉に泣かされる。SEXや 社会的ステータスにしても、自分の欲しいものだっただろうか。いつも忍従 させられる罠ではなかったか。何故、大学や社会一般から自分は莫迦にされ なければないか、どれだけ苦しんだであろうか。貧困のためにどれだけチャ ンスを逃したろうか。ノー天気なひとが、「私は、こうして幸運を掴んだ 云々」という話を聞くとイライラする。自分が幸運だったが他人はどうでも 良いのかと言いたくなる。偶々好き勝手できたから世の中がみなそうなので はなかろう。利己的な奴が好きなことをしただけだろう。偏頗な社会構造が 個人の能力を閉塞させて皮肉な人生を歩かせているのではないか。確かに、 種としてのヒトは、生き残りをかけた自然淘汰という戦略をとっている世界 でもある。多くのリスクから明日を選択をしなければならない。少なくとも 最良の選択をすることのできる能力のあるものを殺しては明日はない。
2015.12.30
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学名オイカワ。川釣りの醍醐味は遣ってみないとわからない。清流で釣り糸 を垂らし一日川のせせらぎの中で過ごすのは素晴らしい。関東以西に生息す る川魚で、産卵期にはオスが婚姻色になる。体調15センチくらいまでになる が小魚だ。清流を好み吊り上げるとすぐ死んでしまう。釣りは、賢者の趣味 と言われて奥行きの深いところもある。私は、釣人までには修行はしていな いと見え悟りがない。それでも、料理法は覚えた。先ず素焼きして暫く日干 ししてその後お茶を浸して、砂糖と醤油と酒でトロトロと炭火で時間をかけて煮詰 める。当時は自分で食べるより、退院後で寝込んだ大好きだった伯父がいて、 大きな弁当箱に綺麗に並べて持参すると喜んで食べてくれた。「旨い」と 美味しそうに食べる伯父をみると嬉しくなったものだ。殊に、「寒バエ」と 呼ばれて、油が乗り冬は美味かった。寒くなると食べたくなる。博多に来て 釣り場もなく「ハエ釣り」も止めたし、伯父もその後亡くなり、もう今は昔 になった。 それでも、「ハエ釣り」をしていたころの菊池川の情景が浮かぶことがあ る。サラサラと流れる浮きがスッーと消えてゆく瞬間の感動は長期記憶にな っている。
2015.12.30
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世間では晦日のようであるが、私はいつものと同じだ。然しこの喧噪も何かほっとし た気分になるのは、不思議だ。来年初めから復帰せねばならないので、今の うちにという気持ちもしてるが、勉強は続けたい。何せまだニューロンのネ ットは隙間が空いたままだ。人生を悲観しているのでもない。問題はエネル ギーだろう。できるだけ深い泉を掘らねばならない。ひとり芝居をしていて は光合成はできない。できれば若い頭脳と話をしたい。年齢ではなく脳が だ。生きていることは可能性を秘めていると思う。意識も表章されたものよ りも隠れたスペースが大きいだろう。可能性を引き出すには訓練しかない。 多くの感動をする必要がある。そのための感性を磨くべきだと思う。知識で も文学でも美術でも音楽でも自然からでも感動は得られるだろう。 瞑想からだって通路はあるはずだ。 体は疲労しても、こころは疲れないようにしたい。
2015.12.30
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<作品>「列車」、「魚服記」、「思い出」 ・みよは、黙って笑ってみていた。 ・鴎外・太宰の関係 ・「人間失格」の構想が当初からあった。「思い出」は「人間失格」と同じスタイル。 ・実母が作品に出てこない。幼いころから母とのスキンシップがなかった。その影響? 母の存在の欠落。トラウマ。 ・「列車」別離の場である。列車は、機械文明・文化のシンボル。「あっという間」に過ぎてしまう。余韻がない。 ・「ぼんやり」という表現。・・・<アンニュイ>・・・ボードレールの影響。 ・作家の真実は胸の内にある。 ・作家は読者を騙そうとする。作品は、二重構造になっている。肝心なことは言わないか、隠している。作家の心理を読むのが文学。 ・男が女に近づけるか? 「小説」には裏があるのが普通。その裏をうまく読んでくれと思って作家は書いている。 ・「すわ」は、二度死ぬ。小鮒-変身-ゆりの花。 ・初潮→色の白い男→死のシンボル。あこがれの男の所に行く。太宰のモチーフである。 ・悪人は・・・寧ろ、才能があるというほめ言葉だ。 ・鱒二 ・・・「山椒魚」書くことばの意味がストレートでなく正直ではない。反対のことを書いている。 ・書きたいことをそのまま書かないのが、太宰のスタイル。 ・太宰の考えでは、男とは、「マザーシップ」である。 「魚服記」・・・ヒロインは学生にあこがれ、・・その場所に帰っていく。 ・「金色夜叉」のおわりの貫一のように。 「思い出」・・・写真がポイント。 ・「似ている」とは、太宰は特別の意味がある。好意を向けているものをそう言っている。<好きだ>と同じ意味。 ・「富士に月見草がよく似合う」・・・太宰の独特の心理の表現。 ・叔母さんに始まり、叔母で終わる。叔母への想い。 ・「滝」をみたら「滝」を忘れない。・・・「忘れない」のは印象を深く持っていること。 ・「ぼんやり」・・・作家になろう。しかし、「ぼんやり」と書くときは実は太宰は本気である。 ・自分の「恥ずかしいこと」を一般人は、中々恥じて書けない(本当のことはまともには書けない)だから、ひとは誰も常識では、作家になれないし、なりたくない。 ・作家は、ある意味どこかで普通の感情や恥などの意識を超えなければ、作品を書けないところがある。 ・太宰の作品は、ふつうの常識では書けないものがある。純粋?
2015.12.30
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日本人は、すべてにおいてタガが弛んでいる。それは、拠って立つ政治基盤の脆弱性にあるだろう。併し、現実に対する甘さは、国際社会において、もっとも忌むべき、また恥ずべき国家の姿勢でもある。国家が、自国の平和を守り、国民の生命と安全を保障しするため最大限の外交上の努力をしなければならない。 政治家たちは、そういう意味では、自分たちの役割を理解していない気がしてならない。米中は、日本の保守陣営から噴き出した核武装論議を牽制している。コンドリーザ・ライス国務長官は、中国との会談で懸念を示している。「アメリカの差しかけている核の傘は、日本列島を標的とした核攻撃に備えるものだ。アメリカがそうしなければ、日本という国は、極めて短期日のうちに核兵器を造り出す能力をもっているからだ」と述べている。 日本の軍事力が、膨張して行くことを米中も、周辺諸国も望んではいない。アメリカ政府は、日本が核兵器をもつことに反対だし、日本の軍事力強化による他国への影響について懸念もしている。これは、国家のエゴでしかないが、日本が軍事大国になることを、世界が歓迎していないことは確かだろう。憲法改正は、そういう意味では、諸刃の剣になる惧れがあるだろう。軍備は、否応なく持てば他国との競合を始めることになるからだ。 日米安保軍事同盟だけが、唯一の安全保障ではない時代が来ているだろう。米ソ冷戦がなくなり、中国やインドや韓国や、その他のアジア諸国が、経済力を高めて来たし、世界の情勢が変化した現在では、日米安保の軍事同盟は、寧ろ危険な選択にもなるだろう。何故なら、正しい情報収集の障害にもなるからだ。 今日の私たちの弛んだ気持ちを引き締め、周囲を見直す時かもしれない。事態を悲観するだけでなく、来年は、弛んだタガを引き締める一年にしたいものだ。
2015.12.30
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記憶力のラットの実験で、豊かな環境・道具や、遊び仲間、学ばねばならないことの多い環境で育ったラットと、そうでない刺激のない空っぽの檻の中で育ったラットの比較研究がされ、前者のラットが後者のラットよりも大きな脳になり利口になったという。つまり樹状突起や、シナプスの数が多く、学習経路も多様で、知能も高かった。人間でテストしたわけではないが共通点はあるだろう。同じ実験で、刺激のない環境で育ったラットでも、年を取ってから豊かな環境に戻すと、脳がより大きくなり利口になった。それだけ脳には柔軟性があるということだ。新しいライフスタイルと環境に劇的に反応できたのだ。 ・成人期の仕事以外の知的、身体的活動の頻度と多様性が、痴呆の予防の効果を持つが言われている。最近の研究では、知的活動が最も重要な要因であること、殊に外国語の勉強による成果が顕著であるという。アルツハイマー病に効果があるようだ。 ・へ2・・・知的活動が脳細胞の蓄えを殖やし、それを老後に必要に応じて引き出すことができる。加齢による構造上の低下が起きても、余分のニューロンやニューロンの回路が、その埋め合わせをするのに役立つのだ。多様で刺激的な活動の経験も新しい脳細胞の発達のサポートをする。どうやら「海馬」に関係があるようだ。海馬は学習と記憶の中枢だ。面白いと思う。豊かな環境を目指すためには、知的活動が重要だ。
2015.12.30
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<作品>環礁「寂しい島」「夾竹桃の家の女」「ナポレオン」 ・環礁-ミクロネシア巡島記抄- ・講座の前に、今年が最後になる講師と茶話会をしようという話があっている。先生の話を訊かないと解らないが、6年近く続けてきたが,一度もこれまでにしていない。 ・自己紹介。6人。・年譜修正分。 「寂しい島」 ・ノウト9。李徴。「自尊心というやつが、猛獣でした。羞恥心、おとなしそうでそうでもない。ライオンよりもジャッカルの方が・・・」が人間に近い。虎ではない。「山月記」の虎ではない。ジャッカルから虎になったということが重要。思わぬ発見だった。・今日の三作品は、ノウト5の中には出て来ない。参照。・ナポレオンとマリアン。・発想の流れ。・「寂しい島」が重要。「狼疾記」につながる。ピタゴラス韻律(音律)。・地球の滅亡。・蕪村。牡丹の盛りと。連想。・象徴としての牡丹。地球の終わり。「寂しい島」のロマンチックは、スケールが大きいのではないか。花の最後と、地球の最後がテーマでもある。中島敦の世界。・「狼疾記」の内容はネガティブに対して、「寂しい島」は明るく書いている。・ステーブンスンの作品群の中にも似たような作品があるかもしれない。・パラオ・・・先日鶴瓶のNHKの番組でパラオ島の紹介をやっていた。「夾竹桃の家の女」のイメージが解った。(私も観た)。・その違和感は大事なフレーズである。そして、それをひっくり返す。・島の最後のひとりが、美しい少女ではなく、美しくない少女が出てくる。わざと書いている。・地球の最後。荒々しい悲しみ。中島のイメージとして。・地球が球体であること。・デモクリトス。・「寂しい島」の群島では、子どもがいなくなっている。ひとがいなくなってしまう。寂しさ。たった一人の子供。絶滅のイメージがある。・将来、その女の子には自分の相手がいない。愛する対象がいないことを暗示している。・人間の頭ではどうしてもわからないことがある。李徴。・・・にも拘わらずありえないことが起きる。「ものが滅びる」時には。こうしたことがある。神の仕業。原始宗教的。解らないことがあること。・全体を視ると、この作品は、大きなスケールを持っている。作家は、ここまで地球の末路を視ている。作家の知性の深さ。 「夾竹桃の家の女」 ・凝視する女。・芥川訳「テオフィル・ゴーティエ「クラリモンド」・惹きつける魔女。吸血魔女。・男を魅惑する眼。・島の女として描いている。・眼をそらさない。・永井荷風「蛇つかひ」。・谷崎潤一郎「秘密」。・「夢十夜」第4夜と「蛇つかひ」。偶然の一致か?・女とへびの関係。・結末。私を無視する眼。「蛇つかひ」の女と無表情な眼は近い。・「蛇つかひ」の文調が似ている。人眼で見て男を滅亡させる。・「宿命の女」。男を誘惑して破滅させる女。冷ややかにそれを視ている。・「秘密」再会と別れ。・中島風に書いて見せた。原型とは似ていない。スタイル・レトリックを真似ている。・自分のものにする。パラオで使うという意味では才能。・先人のものを自分のものにしている。 「ナポレオン」 ・愚鈍そうな若者。だが怖い存在でもある。・二年間で自分の育った故郷や幼い頃のことばを忘れてしまう。・がっかりする。それがまた、ひっくり変える。・悪童が、変わる。手を振る。解らない存在としての人間。・若者の貌が変わる。「憤然とした面持ちで」巡査を突き飛ばす。中島の思惑とは。・題材が、南国であること。・「夾竹桃の家の女」・・・けだるさ。疲労感で表現する。遠藤周作の疲れ。西洋と東洋と違う「疲れ」。とは違う。・「夾竹桃の家の女」のそれは、「アンニュイ」・・・倦怠感。フランス象徴派。に近い。 <作品>環礁「寂しい島」「夾竹桃の家の女」「ナポレオン」 ・環礁-ミクロネシア巡島記抄- ・講座の前に、今年が最後になる講師と茶話会をしようという話があっている。先生の話を訊かないと解らないが、6年近く続けてきたが,一度もこれまでにしていない。 ・自己紹介。6人。・年譜修正分。 「寂しい島」 ・ノウト9。李徴。「自尊心というやつが、猛獣でした。羞恥心、おとなしそうでそうでもない。ライオンよりもジャッカルの方が・・・」が人間に近い。虎ではない。「山月記」の虎ではない。ジャッカルから虎になったということが重要。思わぬ発見だった。・今日の三作品は、ノウト5の中には出て来ない。参照。・ナポレオンとマリアン。・発想の流れ。・「寂しい島」が重要。「狼疾記」につながる。ピタゴラス韻律(音律)。・地球の滅亡。・蕪村。牡丹の盛りと。連想。・象徴としての牡丹。地球の終わり。「寂しい島」のロマンチックは、スケールが大きいのではないか。花の最後と、地球の最後がテーマでもある。中島敦の世界。・「狼疾記」の内容はネガティブに対して、「寂しい島」は明るく書いている。・ステーブンスンの作品群の中にも似たような作品があるかもしれない。・パラオ・・・先日鶴瓶のNHKの番組でパラオ島の紹介をやっていた。「夾竹桃の家の女」のイメージが解った。(私も観た)。・その違和感は大事なフレーズである。そして、それをひっくり返す。・島の最後のひとりが、美しい少女ではなく、美しくない少女が出てくる。わざと書いている。・地球の最後。荒々しい悲しみ。中島のイメージとして。・地球が球体であること。・デモクリトス。・「寂しい島」の群島では、子どもがいなくなっている。ひとがいなくなってしまう。寂しさ。たった一人の子供。絶滅のイメージがある。・将来、その女の子には自分の相手がいない。愛する対象がいないことを暗示している。・人間の頭ではどうしてもわからないことがある。李徴。・・・にも拘わらずありえないことが起きる。「ものが滅びる」時には。こうしたことがある。神の仕業。原始宗教的。解らないことがあること。・全体を視ると、この作品は、大きなスケールを持っている。作家は、ここまで地球の末路を視ている。作家の知性の深さ。 「夾竹桃の家の女」 ・凝視する女。・芥川訳「テオフィル・ゴーティエ「クラリモンド」・惹きつける魔女。吸血魔女。・男を魅惑する眼。・島の女として描いている。・眼をそらさない。・永井荷風「蛇つかひ」。・谷崎潤一郎「秘密」。・「夢十夜」第4夜と「蛇つかひ」。偶然の一致か?・女とへびの関係。・結末。私を無視する眼。「蛇つかひ」の女と無表情な眼は近い。・「蛇つかひ」の文調が似ている。人眼で見て男を滅亡させる。・「宿命の女」。男を誘惑して破滅させる女。冷ややかにそれを視ている。・「秘密」再会と別れ。・中島風に書いて見せた。原型とは似ていない。スタイル・レトリックを真似ている。・自分のものにする。パラオで使うという意味では才能。・先人のものを自分のものにしている。 「ナポレオン」 ・愚鈍そうな若者。だが怖い存在でもある。・二年間で自分の育った故郷や幼い頃のことばを忘れてしまう。・がっかりする。それがまた、ひっくり変える。・悪童が、変わる。手を振る。解らない存在としての人間。・若者の貌が変わる。「憤然とした面持ちで」巡査を突き飛ばす。中島の思惑とは。・題材が、南国であること。・「夾竹桃の家の女」・・・けだるさ。疲労感で表現する。遠藤周作の疲れ。西洋と東洋と違う「疲れ」。とは違う。・「夾竹桃の家の女」のそれは、「アンニュイ」・・・倦怠感。フランス象徴派。に近い。
2015.12.30
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一葉「塵中につ記」より、 「・・・かひなき女子の、何事を思ひ立ちたりとも及ぶまじきをしれど、われは一日の安きを むさぼりて、百世の憂を念とせざるものならず。かすか也 といへども、人の一心を備へたるものが、我身一代の諸欲を残りなくこれになげ入れて、 死生いとはず、天地の法にしたがひて働かんとする時、大丈夫 も愚人も、男も女も、何のけじめか有るべき。笑ふものは笑へ、そしるものはそしれ、わが 心はすでに天地とひとつに成ぬ。わがこころざしは、国家の 大本にあり。わがかばねは野外にすてられて、やせ犬のえじきに成らんを期す。・・・。」 ・碌に教育を受けていない一葉が、明治の世で、女流小説家になろうと決意し たのは、数えで20歳の時である。過酷な環境と貧困と偏見が渦巻く時代に ここだけが陽光が射したように輝いている。やがて金子みすずも生まれてい る。 どこかでみた詩を思い出す。 ・・・ では さやうなら仏さま 地獄は 一定わたしたちのすみかださうでございますから ・・・・ ・思えば、わたしたちの目は何ものも見えていない節穴だろうか。見ようとし ないだけなのだろう。我ことの悩みや哀しみの涙で溺れようとしているだけ なのだろう。 どこが痛いとか、苦しいとか、メランコリーだとか、何だとか、いう前に することをして、ひとりの人間として、立ち上がれ。 自分の首を絞めるようなことをしてしまうのだろうか。勿論それは自分も例外ではないが、悲しいくらい多くの人たちが、その蟻地獄に嵌ってしまう。自分の苦しみから逃れ難くしてしまう。
2015.12.30
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師走のこの時期になると思い出すのは一葉の作品だろう。いわば日本の近代から始まっている日本文学の原風景のように思えてならないこともある。殊に「にごりえ」で七つの子が、「一枚はづれし溝板のひまよりざらざらとこぼれ入れば、下は行水きたなき溝沼なれば、・・・あの時近所に川なり海なりあろうなら私は定し身を投げて仕舞ひましたろ。話しは誠の百分の一、私は其頃から気が狂ったのでござんす。」とあるシーンは、たとえそれが創作であったとしても貧しい当時の日本の原風景には違いないのだ。 ・何が豊かなのだろうか。食えればいいのか。こどもたちのこころはいまも曠野を迷い続けていないだろうか。身を売ることを教えたのは大人たちだった。けがれて行ったのも、狂って行ったのも、誰も援けなかった社会がある。その子が大人に為り、子をまともに育てられなくなっていったのだ。私には日本も、世界もないが、一葉の活きた世界は、解かる気がする。 ・へ2・・・他人の痛みを知らない人たちが、好きなことをいい生きてもいる。孤独に生きて死んでいった人たちのことを忘れている。一葉の時代から、どれだけ社会は明るくなったのか、無責任に振り返る人たちのことばが悲しい。奢れる政府が、途上国に様ざまな援助をし、自国のことを解ろうともしない。一葉の描いた日本の原風景は風化しようとしている。 >韓国・海印寺周辺。慎ましい暮らしをしてきたが、それは派手に暮らすだけのカネもなかったからだろう。定年後自分の好きなことをしようと思ってきた。それがどこまでできたのか、自分ではよくわからないが、確かに世間の付き合いをしていない。元々田舎育ちで、要領の好い方ではなかったから誤解もされた。スポイルされたくなかったが、それほど楽にいたわけではない。
2015.12.29
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<作品> 「三四郎」 ・「風馬牛」「自分と無関係なこと」の意味。中国の古典。 ・この小説は世間で言われているような青春小説ではない。簡単な小説ではない。 ・教養小説…ドイツ。自我の成長のため。「明暗」・・・津田は、30歳でも成長していない。まして三四郎は・・・。成長しない。 ・のんきな小説ではない。大学生レベルでは分からない小説。 ・広田…怪しい人物。高橋英夫「偉大なる暗闇」。岩元偵。 ・「三四郎」広田と野々宮の関係。ホモセクシャル。三四郎は脇役。 ・美禰子・・・婚期が遅れて焦っている。野々宮が好きなのに相手にしてくれない。広田はどうでもよい。美禰子の欲求不満が三四郎に向くだけ、それが三四郎には分かっていない。 ・漱石は三四郎の人間の側にはいない。味方をしていない。三四郎は田舎者で何も分からない存在。・「森の女」・・・「偉大なる暗闇」の関係。 ・美禰子は、いつまでも野々宮が求婚していてくれない。焦っている存在として書いている。美禰子は見かけの良いものが好きなだけ。容に拘っている。女性はそんなものだ。 ・よし子が美禰子のこころを見破っている。よし子は最後のシーンには出てこない。 ・ストレイ・シープと「もも」の関係。 ・ダビンチの髭・・・両性具有的・・・モナリザ。ホモ・・・ダビンチ。ミケランジェロ。 ・プラトン・・・プラトニック・ラブ。・・・「三四郎」との関係。 ・教養ある人たち・・・同性愛者。分からないように書いている。広田・・・ちょう。 ・謎解き小説になっている。 ・卒論で、教授が書いてからのこれまでの付き合い。謎解きのような作品だ。 ・「虞美人草」のようではない。はじめから構想を立てていない。意図的に構想を考えないで書いている。自分で動きだす。 ・こういう書き方は普通できない。漱石だからできる小説。「夢十夜」を書くような作家だからできること。 ・小説のはじめに出てくる「池の女」はよし子だった。美禰子ではない。漱石は、あとで辻褄を合わせている。このとき美禰子とよし子は未分化である。あとでよし子の部屋で分化する。女の謎。 ・汽車のはじめの女・・・人妻・浮気の条件。名古屋の宿。女の正体。「度胸のない男」が最後にどうなっているか。 ・三四郎は、何で口の中で「ストレイ・シープ」というのか。口外していないのは何故か。公言していないこと。それだけ幼い。大人ではない。客観的ではない。 ・誰が「ストレイ・シープ」か。三四郎か美禰子か分からない。 ・ダビンチ・・・意図的に書いている。昨夜の女とダビンチ。無関係なものが結びつく。 ・あの女と美彌子。おんなは解からない。別の女ではない女はみな同じと漱石は思っている。 ・「ハムレット」を知っていない」と理解できない。教養のある人に向けて書いている。 ・広田・・・森有礼事件(暗殺)・・・「幽霊」・・・「森の幽霊」・・・森の女に繋がっている。学生レベルでは分からない。初恋体験。「動くものは卑しい」。 ・広田の初恋・・夢の中・・「森の女」。 ・ハムレット・・・広田。母は夫を殺した義弟と一緒になる。ハムレットは結婚したくない。 ・漱石(当時)は、40歳過ぎた男。簡単な青春小説は書かない。ダビデとバセテバ。 ・母とおじの関係。ハムレット。 ・列車で一緒になった不倫を厭わない(妻)のすがたと・・・美禰子との関係。おんなは同じ。漱石の意識がある。 ・年配の男・・・広田・・・髭の男。野々宮が三四郎と美禰子を引き裂いている。小川のほとりの三四郎。(つまり、小川三四郎と洒落ている。) ・素直に真面目に読む本ではない。 ・広田は、三四郎と美禰子はどうでもよい。 ・「三四郎」は脇役でしかない。つまみでしかない。 ・この作品はしたたかな小説である。 ・髭の男では美禰子は結婚しない・・・髭を剃った男と結婚する。 ・美禰子は、三四郎が自分を好きだと知っている。三四郎をいたぶっている。 ・漱石は美禰子をインテリに入れていない。インテリでないものがインテリをストレイ・シープという。陳腐である。 ・真の教養人ではない美禰子・・・女そのもの。彼女の女を描いている。 ・絵葉書の場面。三四郎の思い違い。デビルは広田。そして「迷子」は、三四郎ではなく、野々宮と美禰子のこと。 ・ももと羊。 ・メレジュコフスキー「先覚」戸川秋骨訳。毒ある果実。「もも」には毒は廻らなかった。「羊桃」 ・ズーデルマン「消えぬ過去」 フエリンタス・・無意識の偽善。 ・野々宮と美禰子・・・広田が邪魔している。意図的かどうか判らない。無意識の偽善の男が広田。 ・読書は、一新させるように読まねばならない。 ・「神々の復活」。古本で。 ・芥川の「邪宗門」・・メレジュコフスキーからの引用。「ピーターとアレックス」。「地獄変」も。漱石にもある。 ・若い人の書いた青春小説ではない。謎解きゲームとして書いている。 ・人物が勝手に動くように書いている小説。それだけ味のある作品でもある。 ・次回の「夢十夜」との繋がりがある。大人の小説である。
2015.12.29
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どんな樹木であろうと生存競争の中で生きている。僅かの差が運命を決めてもしまう。たとえ同じ木であろうと枝は太陽を目指して競い合ってもいる。そして負けた枝は水を断たれて枯れてしまう。生垣の剪定をしたあと枯れた枝を切っていた。よくみると残った枝にも生きている枝と既に枯れた枝がある。枯れた枝は生気を失い炭素化してしまっている。切除してみるとすぐわかる硬いからだ。 時々間違えて生木を切ると柔らかいのですぐわかる。切ってしまって謝っても遅いがわからず切ることも多いのだ。たとえば柘植の枝をみると何と錯綜した枝になっているだろうか。表面は丸くしたり、水平に剪定して如何にも整然としているようにみえる木だが、中身は滅茶苦茶に枝が張っている。枯れ枝もそのまま残っていて雑然としたワールドだ。 遠くで見たら美しい緑の木であり、美しい枝にしか見えないが、中身は激しい戦場でもあるだろう。枯木を剪定しながら、人間社会も運に恵まれず枯れていくような同僚の生き様を見てきたし、私もその一員だった。何と浅ましいことだろうと絶望もしたが、この世界ではどこにでもあることだろうという感慨が湧く。人間社会は、もっと高度な文化だと思っていたが、生垣と同じだろうか。どんな形にでも為政者に刈り取られるままだけだろうか。 枯れ枝はそのままそこにつながる幹に繋がったままだが、強風が吹けば払われるだろう。それども風の吹かないところではいつまでもしがみついている枯れ枝もある。その硬さはひとの骨のようでもある。いささか胸が詰まる思いがした。枯れ枝は払わねばならない。そうすれば木は大きく育つからだ。少なくとも生き生きとしてくる。自分の生命もそうしなければならないだろう。枯れたものは捨てねばならない。そうしなければ早死にすることになるからだ。
2015.12.29
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近くのショッピングモールに買物に妻と出掛けた。早めに正月の用意を済まそうと思って、未だ混まないうちにと思ったが、みんなそう思っていたのだろう。結構駐車場は混んでいた。お年寄りが多かったようだ。どんな世の中になるのだろうか、これまでと同じように暮らしていくつもりでもそうはいかないことはある。火山国であり、しかも海に囲まれ、危険なプレートもある。M9クラスがまたないとは言えない。 ・想定外の大災害が起きる可能性は、その想定外が甘ければ簡単に起きるだろう。勿論万全ということはできないとしても、何が起きるか解らないということでは、万一の想定というのはあるだろう。それが3.11や原発事故で、政府の対応や東電の対応を見ると、これはそれとは違うだろうというほかはない。 ・へ2・・・北朝鮮からミサイルが飛んでくることはないのだろうか。都市圏が遣られて時どうするのか。多くの犠牲者が出て、また想定外だというだけなのだろうか。数十万、数百万の犠牲者が出ても同じだろうか。大地震でも巨大津波でも同じだろう。70年前の戦争で、数百万人の戦争犠牲者も出たが、平和への意識は薄らいでいるようだ。今年は、厳しい一年だった。来年はどうだろうか。 >韓国の寺院
2015.12.29
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メディカル・データベースが必要だ。項目があり過ぎて、何を如何したら良いか分からないところがある。あまり口出ししないのがドクターの方針らしい。文句は言うけれど。こうしたらどうかが余りないので自分で作成したのを毎月持って行く。強制されているわけではないので、勝手であるが、自信もない。睡眠時間とか、眠りの質とかとなると、個人情報になるので扱いが難しいのだろう。それにしても、生きていることは或る意味個人情報でもある。 ・二月に一度の診察を受ける。毎日自己管理票をPCで作成している。これをやり始めて効果もある。何しろ余り恥ずかしいこともできない。メンタルな面が重要でありモードをどう表現するか難しい。それと免疫系がどうかかわるのだろうか。個性もある。偏った栄養とか、効率の悪い運動とか、何のために何をするのか少し解かってくると、如何に、効率の悪い生活をしているかが判って嫌にもなる。 ・へ2・・・すべて忍耐強くならないと長続きがしない。それができるまでに相当時間もかかった。
2015.12.29
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ボキャ不足、実体験の欠如、理由はいくつもある。本源的蓄積がない所以だ。平坦でしかない生活だからでもない。身に付くものが余りなかったからだろう。表現力の乏しさはブログを見れば分かる。良いとか悪いとか、暑いとか寒いとかばかり書いている。本当は、何を言いたいのか?周囲の状況ばかり気にしている。言いたいことがあればさっさというべきなのだ。 ・あと14日間で今年も過ぎてしまうのに。それでも1年間という区切りもあまり意味がない気がしてきた。また正月が来るくらいの感覚でしかない。皆が正月、正月と言っているから合わせているだけかも知れない。何ということもない。単なる仕切りでしかない。 ・へ2・・・これも表現力の無さなのだろう。インパクトのない文章ばかり書いている。街に女で初体験をしていた作家たちに、女性の心理が理解できるのか。疑問だ。ロンドンで神経衰弱になった漱石。自殺した小説家もいる。そんなひとたちが小説家だった。「山月記」にしろ、外国の話から仕入れた話しで、ストーリーを書くしなかったのだろうか。修飾語ばかりの小説で、何を言いたにのか分からないものが多い。自分の生き方に自信が無いのに何を言いたいのだろうかと思ってしまう。他人の残尿を嗅ぎまわっていても、解は見つからない気がしてくる。
2015.12.29
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