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権威にこと寄せて親鸞は、仏の権威にこと寄せて自らを善知識の高みにおいて賢善精進の姿を人びとに示して尊敬を得ようとする僧侶を許せなかった。権力や権威にこと寄せる人たちはいまもいる。学者や研究者や其の属する権力や権威を虎の威を借る狐の湯に利用するだけの人間は、「内懐虚仮」という。心の成長のない人間が努力もしないで高い社会的地位を得てはいないか。 ・適材適所も絵に描いた餅でしかない。それが何れは社会のボデー・ブローにもなる。想定外とか、未曾有だとかいって責任回避をしていた政府や、公務員や研究者が、3.11でそのことを如実に顕在化させた。どこかが狂っている。東京電力は、生き残ろうとしている。それでいいのだろうか。責任はだれがどう取ったのか。喉元過ぎれば熱さを忘れる。水に流す。忘れるのが許されることとそうでないことがある。 ・へ2・・・明治には英国が一番強い国だった。第二次世界大戦の時はドイツが世界で一番強いと思われていた。戦後はアメリカだった。何時も強い所についてくのが日本の政治だろうか。中国が一番強くなれば、中国についていくだろう。世界はそう思っている。原則も見識もない。権力や権威はその時で変わっていくからだ。そんな国家では国民はプライドを持つことはできない。私たちはどうあるべきなのだろうか。これまでの生き方では通用しないのは事実だろう。一方通行ではない道しかないのではない。間違いと思えば引き返すべきだ。国家権力は、必ずしも国民のためだけにあるのではなかった。民主主義も油断したら危うくなる。逆コースもある。本気で守らなければ平和も得られないのだ。暴力を武器にしようとする国家は21世紀になっても存在している。独裁もあるし、貧困も無知もある。権力や権威とどのように向き合うのか、いつの時代も課題である。
2015.04.30
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9万年前からのメッセージ「aso―4」の火砕流堆積物が、9万年後にどのようになっているか、大地の遺産を見学して来たが、それは美しい景観でもあった。これまで、いつも視てきた観光のそれと別に変らない。が、初歩的な視点とは言え、科学の眼でみてきた学習でもあった。講師は、邪馬台国の魏志倭人伝にも関心があるそうで、卑弥呼伝説の話もされていた。大昔は、博多湾と有明海は繋がっていた。スケールの小さいことを研究しているから、いつまでも研究が進まないのだ。 ・阿蘇山の大爆発も、何度も噴火はあったようだ。一番新しい噴火の後が米塚らしい。その周辺のお椀のようないくつかの丘も、噴火の新しい後なのだそうだ。今は、世界最大級カルデラ大地の農地になっている集落も湖だった。それが現在の立野から、今も白川となり熊本市内に流れ下っている。恐らく白川水源に阿蘇の雨が集まり、地下では伏流水となって熊本に豊かな地下水を供給しているのだ。その水を飲んで生物や人びとは生き延びた。 ・へ2・・・火砕流や火山灰の上に昔の多くの集落ができたらしい。そこが人間の住処になったのには理由があるからだ。火砕流や火山灰は、低い所に堆積したからであり、そこに水が流れていたのだ。そういう視点で集落をみると昔の人たちの考えが視えてくる気がした。戴いたレジュメのいくつかの地質図は、現代に連なると果てしない古代からのメッセージでもあるようだ。
2015.04.30
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高い木 誰でも高い木に憧れるらしい。高い木になるためには、それだけの要件がないと高い木にはなれない。世界一高い木というのをサイトでみたら100m以上の樹があるらしい。屋久島のスギも高いらしいが、そこからいえばそうでもないのだろうが、実際に、木の下へ行ってみればまた違う。 ・もともと種としてのヒトの起源を辿れば、危険な夜を逃れるため樹の上に棲んでいたのだ。海や山に懐かしさを感じるのは遺伝子由来でもあるのだろう。森の中では気分も違ってくるから不思議だ。森のように生きろということばを思い出す。森は一つの水源があるのがふつうらしい。一つのシステムで生きている。水源が枯れたら終わる。然し大抵また違う水源ができて新しい森がつくられる。 ・へ2・・・ひとは永遠の時間に憧れるが、それは儚い夢でしかない。科学を敵にしないで活きていけるかでもある。人間だけではなく、他の生き物も懸命に生きている。高い木はどうしてそれが可能であったのか、必ず原因がある。物理や化学反応に逆らうことはできない。生きるために何ができるか。それを考えよう。
2015.04.30
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文学は文化の華である。そして私たちのこころの故郷。 「狼疾記」・人間の不安。・泉鏡花と通じるスタイル。・死に伴う不安ではない。ルーツ、小4の時の体験。・本当の不安とは何か。・死んだあとのことを言っている。直接の不安ではない。・どう違うかが解からない。・中島敦の感受性は、他のひととは違う部分に注意する。・曖昧ではない。リアル。これは感覚。解らない側の人間として読むしかない。「山月記」が解かるかどうか。主題の分裂。中島では分裂ではない。一つの繋がり方。繋がるかどうか、イエスかノーか。・絵空事ではない。・喘息で生まれた感性?理解のしようがない。違和感。・鏡花の霊感。中島敦の感性。・ユングとフロイトの違い。・霊的なものを信じるか信じないか。以って生まれた感受性。・中島は宗教的にはなっていない。・パラオに行った時の感情も中島敦は、他のひととは違う。・観念的哲学的不安。・個人的な不安ではない。自分の死だけではない。・この作品としての、中島敦の不安の本質的な部分でよくわからないところがある。・「山月記」を関連して読む必要がある。
2015.04.30
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天草四郎は、一瞬輝き暗闇に消えて人びとの網膜に焼付いた、陰画(ネガ)だという。口の中にこっそりチョコを頬張って図書館のなか。内緒だ。目前に「飲食厳禁」の貼紙がある。 ・天草四郎・吉田松陰全集 上・飯沼二郎著作集 全5巻・・・「書物の知識は軽蔑すべきだ。」 内容から ・異なった社会現象の国家と「比較」することによって、その社会現象の底にある本質を突き止めることができる。・近代農業革命の典型とされる19世紀のイギリスの農業革命の研究から、近代日本社会の農業との比較研究の価値があリ得る。・「近代主義」は、西欧の「価値」を基準としていることが明らかだ。・日本は、中国の「官僚制度」を導入したが、「試験制度」を取り入れていない。朝鮮との相違が注目される。寧ろ、官僚制と氏族制をドッキングさせた。中国では皇帝は、最も優れた人格の所有者であって飽くまでも「個人」であるが、日本は、「神格化」されたこと。・日本の支配階層は、7世紀から明治維新まで、1300年間中国の文化を利用して、日本の人民を支配したこと。それまで、支配層の資格は中国文化についての知識量で決定された。寧ろ固有の文化は無視された。精々趣味の程度であった。・それが、維新後「中国」が「西洋」に変わっただけで、精神構造は変わっていないことが指摘される。・その後、日本の知識人は、「先進国」と「後進国」との区分を行い、先進国に向かって一歩でも近づくことをもって進歩とし、それを自らの役割としたのだ。・開国したアメリカから、国情の違いから、やがて関心がドイツに向かう。 日本の歴史は、隙間だらけのようだ。風穴がいくつも空いている。自然科学と違い、すぐに成果の上がらないからだろうか。それともな著作資料が多く厖大過ぎるのであろうか。 裏と表といわれるが、表で行動しているわけではない。国と国の付き合いも、裏が現実か、表がすべてではないのであり、本当のことを言えば平穏では生きられないのだろう。財政赤字の日本は、実の経済でないとよく言われるが、日銀は、本当に現実をどこまで見ているだろうか。責任を取れるのだろうか。責任を取ることが自殺で済むことでもない。後味の悪いことばかりあるが、若者たちの血が流れるのではないだろうか。死ぬのが、自殺が美徳ではない。特攻隊をつくったのは自滅の思想でしかない。愚かな政治が先行している。見栄だけの人生を生きてどうする。
2015.04.30
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コメと小麦 稲作のコメ農業は1万4千年前からだから小麦農業の1万2千年前よりも旧い。西アジアでは、森林を伐採して、畑にする、畑にできないところは牧草地にした。西の文化の形態は進められた。小麦農業は草原で発達した。小麦を蒔いて肥沃な畑にして広げて行った。雨は余り必要ではない。畑にならないところは牧草地にして牛や羊や山羊を飼った。次々と森が失われていったが、森を破壊することが文明の発展でもある。西の文化は小麦と牧畜であり、東の文化はコメとシルクの生産でもある。 ・文明の違いには色々の側面がある。水の存在もある。農業の違いは宗教にも影響を及ぼしている。森を伐採してどうなったか、水の少ないところでは砂漠化していった。文明が砂漠をつくった。砂漠の中からイスラム教が産まれたがこれは人間が中心の考えでもある。中国は北半分が小麦地帯であり、南はコメをつくっている。勿論自然環境の違いによってでもある。山に水のあるところというのは数少ない例でしかない。森林は水を蓄えることができるが、森林がなければ雨が降ったも、地下水になってしまう。 ・へ2・・・雨さえ未だコントロールできない。人間の力の限界がここにもある。ヨーロッパでは人間中心主義が栄えているが、拠って立つ歴史がある。そして、コメ文化では、人間と自然の共存の思想が残っている。ひとにはまだできないことが多すぎるぐらいにある。一人一人が自分の役割を果たさないと、時代は後戻りもしてしまうだろう。油断してはいられない。そう思う。 安倍さんの英語力についてのコメントは聞こえてこないが、辛口もあるだろう。まだ日本人の英語力はそんなものかと。イチローも。子供のチケットでバスに乗っているといわれたが、それからどれだけ大人らしいことをしただろうか。隣国からでさえサポートもリスペクトとない。それでパートナーといえるのだろうか。甘く見てくださいでは通用しない。嘲笑されて踏み躙られてそれでも威張っているのはやはり子供でしかない。
2015.04.30
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現代の日本には、「自分さえよければいい」「勝ちさえすればいい」そして、「カネが儲かればいい」即ち、 「カネが儲かれば女だってついてくるんだ。」という風潮。 慢性疲労が脳からの危険信号だというNewtonの特集で、TGF-βという免疫物質。それから、寺田寅彦は、「好きなもの、イチゴ コーヒー 花 美人 懐手して、宇宙見物」と言う。 「空弁」は、「みち子がお届けする若狭の浜焼き鯖弁当」。これは旨い。以前何度か羽田で買ったことがあり懐かしい。図書館に行き、そのあと図書館の周囲を歩いて来た。木々の中を歩くのは、慢性疲労にも良いらしい。TGF-βの放出で、脳内のグルタミン酸やGABAなどの神経間の情報を伝える物質が低下して、脳内の情報がうまく伝わらなくなるため、体のだるさや集中力の低下などの症状を呈するらしい。慢性疲労が続くと、「前頭前野」の萎縮を招き、シンドロームに突入することになる。ストレスが蓄積するのは、それこそ万病の因。 構えて生きていると、不幸が後ろから付いてくる。肩の力を抜けだろう。
2015.04.30
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・一つ一つの言葉の概念なしにそのフレーズの意図することは解釈することはできないし、その解釈にも多様な学説が可能だ。法には、定説があり、通説があり、判例があり、多数説があり、少数説がある。さらに自説は?そしてそれは、憲法や法律ばかりの話ではなく、宗教にも経典があるし、様々な解釈上の問題がある。拡大解釈もあり、縮小解釈もある。その条文をどのように解釈したらいいのか、それをリードするのか、それがコンメンタール(注釈)でもある。しかしこれだけは、点の解釈でしかない。 ・ややもすると<論語読みの論語知らず>である。解釈の泥沼に沈むからだろう。そこから抜けられなくなり、つい身近なものに縋ってしまい泥船に沈む運命だ。手足がなければ、川の中に沈んでしまうだろう。自分の手足に頼るようなものは自分の手足の弱さを知ることになる。身体には手足があっても、こころには手足がないからだ。そのことを忘れた人間は自滅するしかない。どうも逃げ道のある論理しか考えない学者ばかりだろう。 ・喉元を過ぎた熱さがすぐに忘れてしまう。それなしには人間は生きられないのだろう。だから苦労も、どんな悩みも忘れてしまう。言葉のなかったころに帰ろうとさえする。この世に天国と地獄しかなく、神と悪魔しかいなかった時代が懐かしくなる。同胞か、異教徒しかいない、善人か悪人か、すべてが明解だった。シンプルだからだ。否、もう始めらから評価は決められていたからでもある。
2015.04.30
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共感する脳 「共感」とは他の誰かが何を感じ、何を考えているかを知り、さらにこれに反応して適切な感情を引き起こす傾向だ、という。相手が考えていることや感じていることをただ機械的に推測する(マインドリーディング)のではなく、またサイコパス(反社会的な人格障害)でもない。もともと女性型の脳は、共感する傾向が優位にできているという学説がある。どうやら、普段にみられる女性の行動はそれを裏付けているようでもある。併し、必ずしも当たらないと思うのは、世界には、サッチャーなど「鉄の女性」と呼ばれている人たちもいるからだ。あれは特異的な存在なのだろうか。 何れにしても「共感」する脳は、これからの世界、人類にとって欠くことのできない資質になるだろうことだけは確かだろう。それを妨げるものが多いのは、これまでの進化の歴史が証明するだろう。「共感」だけしていては多くの場面で生き残れなかったかも知れないからだ。 併し、核を手に入れ、狭い地球に溢れた人口を抱えた種としてのヒトは、あらゆる場面で欲望にブレーキをかけなければならない事態を認識すべきだろう。安易な楽観論は命取りににもなるからだ。ふやけた心に楔を打たなければならない。 誰が、これからヘゲモニーをもつべきなのかを選択すべきだろう。少なくとも利殖に心を奪われし者たちであってはならないだろう。ブレイブ・ハートをもち、人々の平和に対する願いに共感できるひとでなければならないだろう。 小さな愛ではなく、類的な愛でなければならない。それは、どうして育まれるものだろうか。それは、誰もが知りたいことでもある。
2015.04.30
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断片を切り取って、それを分析し、その時代の側面に当て嵌めで解釈している。それは何度も繰り返して、統合していくようなものを見ている。その断片は適正なものだろうか。公正であるか。いつも迷わねばならない。時々各種の世論調査が出されるが、それは統計学的な確率の問題でしかない。何とも頼りのないものでしかない。それをそれと知りながら、それを前提とした議論がされている。 ・何処を突いても遺物の中から出てくる事実は、同じなのだろうか。研究最前線という公園を聴いたが、どこがどう最前線なのだろうか。どれだけの調査の成果だろうか。台湾の人たちを唸らせる研究がどこまでできるのだろうか。至難なのだろう。それをこつこつ遣っている人たちもいる。個人の努力は報われるとは限らない。 ・へ2・・・社会から評価されるのは万に一つもないのではないだろうか。それほど甘くはない。人の怨念は目には見えないが、そう簡単に消えはしないだろう。
2015.04.30
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今月は、ウオーキングは散々だった。どうも気力も減退していた。どこかおかしいのだろう。明日から5月になるが気分転換してやり直したい。 2015.4月歩数実績ウオーキング歩数累計(2008.4.15~)年月 歩数日数2015.3.31まで51,391,5622,5412015.4月276,63730歩数累計51,668,1992,571
2015.04.30
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大学の心理学の授業で、友人との接し方の講義があっているのをテレビで紹介していた。何でも教える親切な社会だろうか。ひとを莫迦にしている。幼児扱いされている。何をされても恥ずかしいとも感じなくなっている、のだろうか?知識はあっても、相手の気持ちを察することが出来ない。話してよいか悪いか解らない。それだけ経験したことがないのだ。スキルは一番肝心なことが抜けている。医師が、患者の心理が理解できないでは治療にはならない。検査結果だけで診察しているポーズだけだろう。 ・脚の長くなった若者が、颯爽と歩いている。然し、見かけばかりの格好良さでしかない。有名大学を卒業しても、応用力の効かない人間ではモノの役には立たない。電話の応対も出来ない。顧客のサービスも出来ないものが多かった。大学では必要だから、講座を創っている。それだけ人間力が低下している。体力もない。気力もない。このままでは日本の人口はこれから半減する。経済力の低下は、国際社会で不利に働いて行くに違いない。 ・へ2・・・鳩山元首相でさえ親が大事に育てた培養された子どものように思えてくる。色々教えてくれる人が周囲にいて、そのひとが責任も負って呉れる。殿様は傷つかない。「王は悪を為さず」。それでよい筈はない。型に嵌まって生きることだけを求めて来たのではないだろうか。そのひとたちが、今後の、厳しい国際社会に耐えられるのだろうか。堀辰雄の「水族館」を読了したが、「私は諸君に、なんとも説明のしようもない浅草公園の魅力を・・・」何とも、其の白けた登場人物たちを苦々しく思っている。
2015.04.30
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日本のことも知らないで外国のことをどれだけ知っても、少なくとも日本のことは解らない。西洋の文明を学んで日本の社会に役立つことができなければ意味が無い。研究が理論で終わり実践まで届かないことばかりしている。自分だけが幸福でも周囲がそうでなければ意味が無い。一人で満足して死んでもそれはなんなのだろうか。宗教のない文明はないという。日本の文明とは果たして何なのだろう。何を求めて暮らしているのか。自分だけのことで終わってしまう。ただ恐らく消えてしまう文明を創ろうとしてもそれは長くは続かない。 封建社会や皇国思想では、国際社会では通用しなかった。科学は必ずしも人間や地球を豊かには出来ない。そこには普遍的論理や思想が必要なのだ。文明の衝突が、これから世界中で火を噴くだろう。どうすべきなのか、考える力が無ければならない。ちゃちな論理ではなく、世界で生き残るための議論が必要だし、そういう堂々と議論の出来る人間を育てなければならない。
2015.04.30
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主観と客観のあいだ反省のない暮らしは危険だ。どんな人にも欠陥はある。自分の遣っている事が優れているわけではない。間違いではないくらいでしかないが、それも怪しい。それほど大したスキルを受けていない。何かが違うから、早死にもする。直ぐに安心しようという気持ちが起きる。安心できるほど努力もしてはいない。ただ昨日と同じだと思い込もうとする。突然襲ってくるという意識は、自分に起こりつつあることに鈍感になっているからに過ぎないだろう。 ・さっさと、人生を楽しんでどれだけ自分という世界を活きていられるかでしかない。今日は、福岡はこれから気温が30℃近くになり、夕方から雨になる予報だ。朝のウオーキングをしたいが、今朝は出掛けなければならない。隣町まで医療センターにいくのは、そこしか近所には専門医がいないからであり、車で行くのに便利であり、駐車場も広いからだ。もし他の交通手段を取らなければならないなら往けないだろう。何しろ時間もかかる。 ・へ2・・・車を処分しようかと考えたことがあるが、どうもいけない。病院を替えなければならないだろうし、専門医も少ない。社会もいびつだが、医療システムも患者に優しくはない。原発の事故が起きて騒いでいるが、こういう事態にならないとしない社会だ。50以上も原発はあるし、その代替のことも考えていなかった。本当の反省をしないから、いつまでも同じ過ちを繰り返す。それは社会だけではない。自分の身にも迫る現実でもある。
2015.04.30
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生に苦しまず苦厄というのは、何とも切ない。宗教観というのはそこから始まっている。知らない間にも凡夫にされている。何も分からないという。わたしたちにとって、生きることや死ぬことは、根源的な問題でもある。死を怖れる。生に執着していると言われればそうなのだろう。間違いを冒し易い。鞭で叩かれる前に動けと教えられるが、どちらを向いているかで違いもする。誰の話を聞けばいいのか、それは自分でするしかない。情報はあふれているが、すべてが自分にとって正しいわけではない。 ・私たちは知り過ぎたのだろうか。そうではなく、まだ無智の中にいる。死ぬべきものとして生きているという課題を克服してはいない。苦としての生死を納得していない。 ・取敢えず生きているが、前進しているかは分からないでいる。現在は、すぐに過去になる。何ができるというのだろう。白み始めた窓の外を見ているだけだ。娘が昨夜メモを残していた。「高菜チャーハンを朝から作ってください」。冷蔵庫では、先日玉名に行った時に買った高菜がある。それを朝飯に食べたいらしい。
2015.04.30
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自己責任の原則が今日の私たちのルールでもある。幸せになりたいひとたちだけが幸福もある。成ろうと思えばだれにでもできるというわけではないだけだ。幸福と思えるようには中々ならないだろうし、ついに挫折したままかもしれない。高望みをすれば不幸のままかもしれない。然し、自分だけそう思うだけかもしれない。日本人の幸福感が、欧米では違うだろうし、不幸がそのまま不幸とも言えない。 ・自分勝手に思い込む人もいる。ブータンの国民の幸福感は、日本人には理解できないのが普通なのだろう。キリスト教の原理主義者が、好戦的だというのも、隣人愛を説く教義から理解できないが現に社会的現実でもある。ローマ法王は、人間にも人間ではない人種がいると長い間思っていたらしい。 ・へ2・・・偏見塗れの世界はいまだにある。先軍政治などいう概念があるはずもないが、現にあるから訳が分からない。それが人類のリアルでもある。進歩も糸瓜もない。前進もあるが後進もあるということだ。未来の明るい光も、一つ間違えれば暗転もするということだろう。油断のならない現実がある。自分の命の担保になるものはなにもない。命がけで生きていくしかない試練があるだけだ。
2015.04.30
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NOTES AND EXERCISES 戦後の教育を受けたが、新しい日本の混乱期の中で果たしてドレだけの教育レベルだったのだろうか。教えて貰った方がとやかく言うべきではないのかも知れないが。教育者たちも、まともな教育を受けるだけのチャンスが無かったに違いないからだ。戦争からいのちからがら帰国した人たちもいた。日本は世界の孤児であった。社会は疲弊しており、そこから肌から立ち上がらなければならなかった時代でもある。 ・そんな中で人びとは混乱して食べて行かなければならった。米百俵の話があるが、当時から、未来のために教育の必要が問われたが、それがどれだけ成果を上げたのかは解らないが、企業戦士のためであったことも言えるのだろう。経済での成功はあったが、教育の成功とは言い難い。それは個人的な感想からでもある。自分でノートし練習するというNOTES AND EXERCISESを、一から初めて行こうと思う。 ・へ2・・・私の中のカオスの中から始めるのが、これからの自分のエリアなのだろう。 NOTES AND EXERCISES 私たちは、何が間違っていたのだろうか。そう思えてならないのは何故だろうか。どうも自信が持てないでいる。付和雷同ばかりしてはいないか。目先のことで一喜一憂してはいないか。また国際社会から措いて行かれそうだ。何故だろうか。
2015.04.30
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最近想うことは、私たちはいつも「見えない敵」と闘うのだろうと言うことだ。他人には、それは何でもない ことでも本人は、モンスターにもなり、天使にもなる。いつも等身大の課題に向かっているとは限らない。 生存競争や羨望や嫉妬もある。世の中をふやけた世界だと勘違いしてはならないだろう。厳しい現実があるのだから。自分の敵は、自分自身であったり、世間だったりもする。あらゆるものが襲いかかる敵になる。目を離すとすぐ見失いもする。敵は、他人から創られる仮想だったりもするだろう。 自分の身を捨てなければ、これらの敵と向き合うことなどできないのだ。そのことが、やっと判ってきた気がする。 敵でもないひとをモンスターだと思ったり、くだらないひとを買い被ったり、チャンスを逃したりしたのだろう。ひととの関わりは、避けられない試練だろう。 ひとは、誰も自分のプログラムを生きねばない宿命だ。故に、生存 競争が付いて廻るのだ。ライバルを追放しなければ、好きな相手を得ることができない。其れは、時として略奪に なる。相手が本当は好きなのかどうなのかさえ判らないのだ。女性は、恋人が好きなのではなくて、子孫を残し、 安全を得たいだけかも知れない。もう少し価値のある人生にしたかったが、こんな体たらくだ。どこが間違いだったのか知っても仕方がない。ことは過去のことでしかない。 「我々の国家は、暴力と憎悪の広範なネットワークを相手に戦争を行っている。我々の経済は、ひどく弱体化している。一部の者の強欲と無責任の結果であるだけでなく、厳しい決断をすることなく、国家を新しい時代に適合させそこなった我々全員の失敗の結果である。家は失われ、職はなくなり、ビジネスは台無しになった。我々の健康保険制度は金がかかり過ぎる。荒廃している我々の学校はあまりにも多い。さらに、我々のエネルギーの消費のしかたが、我々の敵を強化し、我々の惑星を脅かしているという証拠が、日増しに増え続けている。・・・」 (オバマ大統領演説より)
2015.04.30
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・種としてのヒトの恋の中枢。恋はながつづきしない。離婚は4年がピーク。・普通の恋は3年間しかつづかない。多様化のため?4年目に別の恋をする。・優れた子孫をのこすため。・7;10 腰のくびれ。子供を産むのに適応。・ドーパミンの野望・脳の巨大化・女は、記憶を頼りに男を選ぶ。・夫婦で子育て・・哺乳類 3%しかない。・すれ違い・・・男女。会話のすれ違い。・脳の同じところが変化しドーパミンが出る。・心拍数男大・・・100を超えると攻撃的になる。話を止める85%・女性は少ない。・男・・・感情を読み取れない。相手の気持ちを。・女・・・相手をみればそれほど努力しなくても解る。・会話・コミュニケーション・・男女の能力の差。・解決方法・・・男が質問をすること。・社会・夫婦がベースである。・あなたの夢は何ですか。成し遂げたいことは何ですか?それさえわからないでは・・・。・相手のゴールを聴くこと。それがわからないで苦労する。・男女・・・子孫を残すのがミッションであり、パートナシップへ変化する。 特徴として、・男・・・目標の設定能力。・女・・・調和させる能力。・男女の能力を最大に活かしてこそ、恋の中枢を発揮することができる。
2015.04.30
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フェスティナ・レンテ ラテン語「ゆっくり急げ」。うさぎが天才なら、かめは鈍才だと決めたがる社会が判り易いのだろうか。かめは「おちこぼれ」とさえ呼ばれたりもする。ラテン語にさえ、こんな有名なことばがあるのだから、昔からそういうコンセプトがあったのだろう。 急げ急げが優先する社会である。他人より一寸でも先に行こうと死に物狂いの、うさぎ型の人間が消耗されている。55歳までの人生だと割り切っているのだろうか。国にとって、何と都合のよいおりこうさんの思考だろうか。それが所謂「美しい日本」のモデルかも知れない。 世界のことわざから、 ・ゆっくり行くことを怖れるな(中国) ・ゆっくりいくものがとおくまで行く(イタリア) ・急ぐなら、もっとゆっくりせよ(イギリス) ・急いで行こうと思ったら古い道を行け(タイ) ・ゆっくり行くものは確実に行く(フランス) ・おそくても、ぜんぜんしないよりよい(ドイツ) ・急げば急ぐほど、まずくゆく(フランス) ・急がばまわれ(日本) ショウペンハウエルは、 「自ら考えるすべての人たちは、根底において、よく一致する」
2015.04.30
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保湿力 無理をしないことが、長続きの常識でもある。そう心がけているつもりだが、ついむきになる性格がある。まだやれると無理をするのは年寄りの「冷や水」と云う。自分にも嘘をつくというのが長寿の秘訣と聞いたことがあった。適当にやることだ。「八割出来て、できたとする」。実は、80%としかできていないが、「今日は、よくできた」と自分に嘘をつくというのだ。腹八分目で満足した、OKとする。簡単に言うが、小人にはできないかも知れない。腹がでかい。 ・小さいことにこせこせしない。莫迦が利口のふりをしても、笑って遣る。おおらかに生きるということは、生真面目では出来ない。人は日々老いるのであり、同じようには遣れなくなる、それでも「よし」とする。人から馬鹿にされても、一々怒ったりはしない。自分に適応できるルールを自分のために創って遣っている。天に恥じないこととは、真理から逃げることではない。 ・へ2・・・無理に古典を現代に当て嵌めようとするから無茶な解釈もするのだ。自分の頭で翻訳する努力を惜しんではならない。と思う。ひとには保湿力がなければならない。それを自分で考えて補って遣らねばならない。解かる人には解かって貰える信じることも必要だ。それこそ自滅しないために何をすべきか、それが問題だ。
2015.04.30
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「日本ブルジョワジー論」の群像を読み始めたが、財閥をきずいたひとたちの群像に関心があるわけではないが、歴史を読むということは政商や財閥を知ることでもあるのだろう。弥之助と諭吉の関係とか、三菱の創業期のひとびとの人脈は岩崎家の一族に繋がってもいる。これは、財閥や大学関係に及んでおり、政治家の世界にも相関関係を持っている。 ・「富国強兵」「殖産産業」は、明治における文明開化の基本的な政策でもあった。政商と財閥は、最も典型的な、商人から政商へ、そして財閥へのコースを歩んだのであり、副産物は「番頭政治」のシステムの確立が日本的でもあるのだろう。優れた番頭たちが台頭したのでもあった。そしてそれに繋がっているのが現在の有力者の政治家のお膳立てをしてきた番頭たちがいたのだろう。 ・へ2・・・戦後アメリカは押し付けといわれている平和憲法を制定させながら、冷戦になって方向転換した。財閥を解体させながら、財閥は消滅させなかった。軍隊も同じだ。古い武器を提供して自衛隊を創設させた。抵抗しない政府を作り再軍備をさせたのだ。「君臨し統治す」。傀儡はいる。
2015.04.30
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日本の教育はを合格するために平均点を上げることに力を入れてきた。数学の苦手な人はそれを重点的に勉強させようとする。それでうまくいくこともあれば却って勉強嫌いにもなる。欠点をなくすことで個性のない人づくりがされてもきた。長所も欠点もない無機質な要領のいい子が成績優秀で、有名大学に進学する。ペーパーテストでは時間内に答えがある試験ばかりが出て、その中で、簡単なものから解いて行き、難しい問題を残してもある程度の点数は採れる。然も答えのないものはないのだから、ある程度までは解答できる仕掛けになっている。 ・要領のいい生徒が良い成績をとり大学に進学して、役人になる。彼らは、難しい問題を遣ろうとはしない。それが年金問題にも言えるのではないだろうか。難しい問題が先送りされていた。安易な問題は取り組むが、難しい問題には手を出さないでは社会の難しい問題は何時までも解決できない。答えの解かっているものだけをやるのであれば、それはテレビゲームのようなものでしかない。 ・へ2・・・前例のあるルーティングワークばかりやっている。答えがあるかどうか分からない改革は、絶対にやらないのが官僚機構ではないだろうか。そういう体質ができ上ってしまっている。わたしも蝉になりたい。
2015.04.30
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「滑利諭言大師めくり」十返舎一九著を愉しんでいる。 「・・・とかく賢いわろたちは、人の用にもたつさかい、何じやのかじやのと頼まれて隙を費し、自然と家業おろそかになれど、あほうなものの徳には、人のためになることは扨おいて、むつかしいこと出けた時は、人を頼んではしりあるかせ、その身はうちにちやんとして商売しておるこつちやもの、万事がそのとをり、人情をしらねば、・・・」というのである。成る程、洒脱なことである。ちゃんと銭計算していて、酸いの甘いのと話題が面 白くて引き込まれるようだ。本作は文化十年(1813年)に当時の大坂から出版されたらしい。 「続膝栗毛二編追加」も掲載されている。大坂滞留中の弥次・喜多に金毘羅詣でをさせるという趣 向らしい。 「・・・そこは見ぬ世の嘘八百、いまの人々其の手はくはず、眼前只の親仁も、仙人まさりの通力 自在を得る事、雲に乗笠に乗るの危うきたのまずして、つくりつけの足弐本に、東の果てから西の果てまで、歩行(あるめ)ども減る事なく、・・・」これでは、いつ本題に行けるやらだが、まあいいか。急ぐ旅ではない。一九を知るも面白かろうと思いまする。
2015.04.30
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島原の乱も悲惨だ。原城に籠城した37,000人の一揆軍は皆殺しされた。ひとりの生き証人を残し て。凶作と過酷な苛歛誅求で生きる望みを失った人たちだった。島原藩主は、冷酷な男で、完納しないといっ て、多くの農民を「蓑踊り」にし、罪の無い娘たちや妊婦まで水牢で殺し恨みをかった。正義は、 一揆を起こした側にあることは明らかだ。これが、全国に広がれば民衆による革命にもなっただろうか。 併し、悲しいかな、そこには打ち立てるビジョンもなく、あるのは絶望でしかなかったのだ。脆く も圧倒的な13万の幕府軍に惨殺された。こうして、それこそ徳川幕府は300年の安定を得たのだ。これは、幕府の農民に対する「見せしめ」でなくて何だろうか。キリスト教弾圧は、口実でしかない。 多くの歴史は、権力者のご都合主義で跡付けられるだろう。だから、その時々で見解が変わるの だ。島原の乱の殺戮をしたのは、知恵伊豆であり、あの名将軍家光である。女子供も惨殺された。 370年前の話など、と思うし、聞きたくも無いが、知ることは大切なことだ。何があったのかは またあるかも知れないのだから。統治を優先させる政治は、隠し事があるからだし、多くの人間を不幸にする兆しでもある。開かれた政治が、大事なのは、一部のものが権力を支配して社会を腐敗させるからだろう。腐敗した政治は、多くの善良なひとびとを殺してきたのだ。それは、歴史が証 明している。二度と圧政が繰り返さないと言う保障はどこにも無いのだ。
2015.04.30
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一年の3分の1吹く風かつて栄えたバーミヤンやシルクロードの古代都市を埋め尽くした風だ。 「ヒトという種」の栄華も永遠ではない。宇宙すらも限界が来るだろう。ひ とは自分が「何もの」であるかを解ろうとはしないのだろうか。自己の狭い視野で生きることを何度繰り返してもそれこそ「蟻の一歩」でもないだろう。 宇宙から見れば、ひとつの小さな風ですら Afganetez になる。そして、ひと つの文明を消し去りもする。自己撞着して人生を無駄にはしたくない。少なく とも他人を惑わせてはならないだろう。スケールの小さな考えで、この世界を誤解していないだろうか。多寡だか、ひとつふたつのことでうまく凌いだ としてもそれだけのことではないか。謙虚な気持ちさえ持たない人が目に余るような気がしてならない。まだ死ぬまでに為すべき努力をすべきではない か。「個」とは、科学的事実として何かが、解明されようとしている。漸く ここまで来ただろう。勿論これからという意味だ。自分の古い服を脱いでAfganetez に立ち向かう準備ができているだろうか。 風はだれも待たない。
2015.04.30
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徳川時代を「幕藩体制」というようになって既に久しい。幕府があり、諸藩があるという社会体制は、世界でも日本だけらしい。世界史的な視野で見て、徳川時代の性格ははっきりしない ということは、実は、必然的に明治維新以後の時代もはっきりしないことになってしまう。それは他国の歴史的事実と、日本がどう違うのかと言う視点が見えないことにもなる。明治維新がブルジョワ革 命といえるのかなど定説が無い有様のようだ。これの根源は、徳川幕府が、絶対王政か?という位 置づけに係わるのであろう。日本の学者は、ドラステックな議論を避ける嫌いがある。というより論理の積み上げが苦手なのだろうか。自分の立場が保障されないと発言できない風潮があるのだろ うか。何れにしても、決着のつかない議論は不毛でしかない。次の議論に進めないからだ。文化の ない空白の時間が流れているのではないだろうか。いつまでも結論のでな議論は、議論ではない。 島原の乱にしても、研究者は、一揆をしたものの生の記録が殆どないと言っていた。徳川幕府が、 証拠を抹殺したのだという。人間だけではない。それは、その存在をも消滅させようとしたのであ れば、それは究極の犯罪行為であろう。その痕跡をも残らないと言うのは原爆爆弾を想起させる。 放射能に晒された細胞は生きることに絶望し、アポトーシスを起こして自らの細胞を破壊するのだ。 人間は過ちを常に犯すものだが、少なくともその証拠を残さねばならない。承継者たちは、何が間 違いであったのかを知る権利がある。検証しなければ、修正すべき手がかりさえあたえられないこ とになるからだ。歴史は検証するためにあるのだ。 「唄がござれば話もござる」を楽しみに聞いているが、いま石光真清「城下の人」があっているが、聴いていて本を読みたくなったのでネットで運よく借りれるようだ。西南戦争や田原坂の歴史は、興味があって読んでいるが、聴いて驚いたが、凄い記憶力の少年時代を描いているが諜報関係の軍人でもあったようだ。西南戦争における熊本城炎上や田原坂の死闘は、子供のころから郷里の話でもあり興奮する話である。
2015.04.30
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誰も人類の悲劇を求めてはいない。必要なものは活路であろう。唯、必ずしも容易ではな い。マイナススパイラルはいくつもあるし、壊さねばならないものもあるだろう。そして、それは短絡的な思考では届かない。あらゆるところからの重圧に耐えられる人間はそうはいないだろう。やはり、何かを為すヒトは、ブレイブ・ハートを持つものだろうか。 多くの人びとは、この社会は得体の知れない世界であり、必ずしも活路があるだろうかと疑念をも っている。いくつもの選択肢の中に悲劇は隠されている。そして、一寸先は闇だという。それであ れば、悲劇の可能性は、必ずあるだろう。 未来は、フィクションではない。現実という修羅場を越えねばならない。いま私たちの前に聳えるのは、ヒマラヤ山脈よりも高い障害物だ。環境破壊、人口問題、食糧問題など山積する問題は多いのだ。もう目先のこととして取り組まないと、地球、そして人類は、疲弊し枯渇するだろう。
2015.04.30
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誰も諂うことなくありたいと思うだろう。迷いたくもない。然し、権力者に支配され已む無く戸惑いながらも諂う続けている人々が存在する。厳密にいえばみなそうかもしれない。国自体が他国に従属していることもある。或いは政府が追随し、国民も支持しているかも知れない。絶対的権力が支配している国家では国の政策に抗うことが死を意味することもある。国の品格とは規律ではない。 諂いを感じるのは未練さからだろうか。品格は識字力ではない。正義を正義と言えることであり、不正義を悪といえる勇気でもある。飢餓死ぬものが多いというのに呆けた生き方をしている者たちが何が、ピースだろうか。それこそ夜の繁華街を歩いてみればいい。東京でも、大阪でも博多でも、そこに何を見るだろうか。ピースだろうか? 言えることは、一度によくはならないということだろう。科学の進化と叫ばれるが、それはまだほんの一部のことであって、世界のあまねく全体に及んだサイエンスの話ではない。人間の意識は、まだ中世から昨日脱出したばかりだ。中東では、中世と変わらない殺戮が繰り返されてもいる。身近に迫る危機を黙ってみている卑怯者と一緒に生きていかねばならない。それが、戸惑いでもなく諂いでもないといえるだろうか。 自分たちは安全なボートに乗り、窓から見える殺戮をまるで映画のシーンのように見ているだけではないのか。聞こえてくる足音はなんだろうか。不安は確かにあるだろう。 日本で、あるいは広く世界で、いまやネット社会になり、知らなくていいことでも目に入ってくるようになったし、なにが真実か分からないこともある。送り手と受け手の力関係もある。それこそいまだに大本営発表もないとはいえないのだろう。すべての情報も玉石混淆があるに違いないのだ。
2015.04.30
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今から100年前、科学者たちは数学と物理学に基づいて、この世界をより精密に記述できるものと期待していた。しかし20世紀の初めの20年間でこの希望は打ち砕かれた。物理系を記述する精度にも限界がることを示した。探れば探るほど、われわれの科学的世界観は曖昧さという土壌に根ざしていることが明らかになってくる。 ・有名な量子力学の不確定性とは、たとえば電子などの位置と速度とを、同時に、任意の精度で測定できないことをしめている。こうして、完全な記述という概念そのものが、決して実現できない幻想だということが明らかになった。解らないことが分かったのでは科学ではない。現実世界の押し付けでしかないからだ。 ・生まれてからいつも新鮮な感動を受けている訳ではない。寧ろその反対のことがずっと多い人生だったり。それでもめげないでいられるのは、なんらかの感動があるからでもある。どうしようもなくなったとき、なにか救われる思いがしたことはある。不思議とそういう思いに連れて行くものが自分の中にあったのかも知れない。それは無意識にそうしていたのではないだろうか。何か海を見たくなるとか、花を見たくなるとか、そのひとによってちがうのだろうが、なにかそういうものが力をくれる。ネガティブ・マインドになろうとしたとき、脳がそうさせてくれるのかも知れない。 ・根拠のないものはないのだから、何かをしたいと思う時には理由もある。それが自分では意識できないこともあるだけだ。脳と身体がバラバラになることがあるだろうか。エイリアンハンドのように、反対を遣り出すかも知れない。まあ、そういう経験をしたいとは思わないが、自由にできる時に心も体を使いたいものだ。 脳が自分を活かそうとしている。それが素直に生かせるかだろう。草臥れるまで働くことだろう。そしてまたよみがえる力が湧いてくるものだ。
2015.04.30
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すべてはショートする 自然淘汰には、目的がなく、ランダムに起きる。たまたまその時の状況や環境で有利な因子があり、「変異」は想像を超えてモンスターになる。進化時間は長い。生存ではなく繁殖することで遺伝 子は次世代に承継される。 natural selection は、変異のある遺伝子形質に淘汰がある。すべて社会は、その時代のルールで形成されるが、実はランダムが支配している。ヒトは、そうして進化した形質を持つ。はじめから目的などない。人間は、神さえ創造した。其れは、必要だったのだろうか。その答えは未だ、ない。何故目的もなく、巨大脳があるだろうか?神経細胞は、この宇宙をも凌ぐ、ニューロン・ネットワークをもっている。ランダムであることはヒトという種の強かな戦略である。私たちはそれに因って生かされている。遺伝子のエラーを創り、病気でさえ、或いは戦略のひとつ。「ヘイフリックの限界」も理由がある。どう生きねばならないと考えるのは、寧ろ淘汰に逆らうことになる。ランダムであることが、ひとの形質であり、終りは必ずある。届かない。すべてはショートしてしまう。考えないでいられることが幸福なのだろうか?苦悩することが幸せか? 男もない、女もない。
2015.04.29
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娘が、私たちがシンガポールへ行った時の写真を見せろというので、アルバムを引っ張り出してきた。デジカメを使うようになる前は、せっせとアルバムを作っていた。ハワイとベトナムとシンガポールとドイツはツアー写真は残っている。普段忘れている。それを見ながら、懐かしくなった。若いころの家族の写真が月日の経過を感じないわけにはいかない。 ・10年間というのが夢のようでもある。もう昔には戻らないが私たちだけに時間が流れたのではない。戦後70年という世界や日本という社会の出来事がある。必ずしも豊かな人生ではない。私たちは果たして幸福だったのだろうか。占領軍に言いたいことも言えなかっただろうか。植民地と同じ扱いを受けていただろうか。操られているような政治がある。 ・へ2・・・TPPも集団自衛権も必ずしも国益につながらないのだろうが、通らなければならない試練といえるだろうか。明治以後政府のしてきたことがそれを証明している。国民のための政治とは言えない。国際社会は、アメリカと日本が国力の違いから同列だとは見ていないだろうし、これまでも虎の威を借りる狐だったにすぎない。どんなスピーチを米国議会で安倍首相はしたのだろうか。これからそのニュースを見ることにしたい。
2015.04.29
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象牙の塔からみたら、凡人は巷に住む人たちであり、似非や素人の科学や論理を使い何をしているかわからない烏合の衆でしかない。では、その科学者たちは似非ではないだろうか。自分たちの周囲を美化しているに過ぎない。科学には素人も玄人もない。あるのは真実でしかない。専門知識だけで、できている社会でも、世界でもないし、まして宇宙でもない。 ・くだらないことをいつまでも云うからショートしてしまう。相手を批評ばかりして、自分を顧みないから、いつまでも空論することになる。不毛の論理でしかない。中国は自分たちの内部にある問題を解決しないで、外へ目を向けようとはかりしている。果たしてそれは弁証法なのだろうか。そして日本の政治も、「政府の行為によって再び戦争の惨禍を起こさないように決意」した憲法の精神はどこへ行ったのだろうか。自分たちの能力で未来を描けなかったからだし、もうアンシャンレジームの時代ではない。 ・へ2・・・墓場から亡霊たちが、日本の未来を奪おうとしているように見える。それでいいのか。好い筈はない。権力に迎合している連中は、風向きが変わればまた元に戻るだけだろう。安倍首相には戦争体験がない。だから勝手なことも言うのだ。殺されるのは誰だろうか。韓国で駐留米軍が人質になるのを恐れているから、日本の政府に賛同しているだけだろう。素人の論理は、いつも見当違いをするが、だから見えるものもある。
2015.04.29
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人生何があるかわからない。どれだけ自覚があっても自由に生きていけない場合もあるし、社会環境もある。エゴイストだけでもいけないし、自分を殺してばかりでは自滅することになる。楽しくやることが自分だけの見識ではつまらない。自分に何ができるだろうか。 ・いましていることが意味があるかどうかだろう。詰まらないことで悩むより歩いていた方が身のためではないだろうか。それはいえる。夢中で歩いていると疲れないが、余計な事を考え出すと疲れる。緑の中を好いなあ、と思いながら歩いていたら、少しも疲れなかった。独りで歩いているとその点気楽だ。マイペースで歩ける。地面と木々よりも、そこに水面があると、太陽が反射して何とも言えず、癒される。今日歩いた長谷ダムの周辺のようなところが近くにあるというのは、何と贅沢な楽しみだろうか。私が歩いていると、若い夫婦らしい連れが挨拶してスイスイと急坂を歩いていった。どうやら、近くに住んでいて、休日の朝の散歩という感じだった。そのスピードについて行けなかった。まるでそよ風に吹かれているような軽やかなステップだった。 ・若いころから夫婦で、歩くのを趣味にできるというのは何と豊かなのだろうと思った。然も羨ましいような景観の中で、森林浴を浴びながら歩くのだから、屹度良い子供が生まれるに違いない。贅沢品などなくても、健康であることは幸福なことであり、こういう自然をかけがえのないものと感じられるとしたら素晴らしいことではないだろうか。そんなひとは戦争などしたいとは思わないに違いだない。 ・へ2・・・日本人はもっと美しいものに触れる必要があるのではないか。それが段々減ってしまっている。誰も美しいものを見て、感動しなものはいない。併し、それが少なくなり、やがてそれがなくなると、何を見ても歪んで見えるのではないか。親が幸福だと感じて生きていれば、その子どもたちもその幸福を至福と感じるようになるのではないだろうか。親が不幸だから、子供たちも不幸になってしまう。
2015.04.29
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どうも尤もらしい話ばかりで、少しも面白くない。脳力革命といいながら「教師あり」「教師なし」の分類で学習が云々だとか文春でやっていたりする。悧巧なのか莫迦なのか知らないけれど、尤も過ぎて、それで何なのだと言いたくもなる。何も変わらないことばかりやっている。進歩していないのではないのか。それで諦めてしまっているのではないか。即ち、現代は尤もらしい考えでは世の中を変えられないという現実を認識すべき時ではないのだろうか。 ・チャチなものばかり造っているから、4,50年もすれば壊さねばならなくなる。天地の引っくり返るようなことをしなければならないのではなかろうか。震度6強くらいで、5万5千人以上も死者が出てしまう。中国がどうのではない。同規模の地震が起きれば日本でもそれ以上の犠牲者が出るに違いない。それは、尤もらしいことばかりしていて、肝心の備えができていないからではないか。何故必要もない軍拡をやらねばならないだろうか。戦闘機を造らず、全部旅客機にしてもいいし、何年かけてでも話し合って、戦争のない世界にすればいいではないか。 ・へ2・・・散歩の途中で、古くなった家屋を解体していた。そこに住んでいた人たちの歴史が刻まれている。もし、それこそ天災や、人災によっても簡単にj崩壊するようでは困る。このままでは瓦礫の山をみることにもなる。個人の一生は短いが、種としてもヒトは、これから成し遂げようとする目標はは小さくはない。どうも尤もらし過ぎて、マンネリの議論ばかりしている。それしかないというのだろうか。そろそろ「突然変異」の条件が整いつつあるではないだろうか。それこそ、地球規模のリセットが必要かも知れないだろう。
2015.04.29
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全ては、明日のために・・・。朝の陽光は、饒舌だ。アラファトは、かってフランスの空の下で最期の時を迎えた。 決して楽観はできない政治の21世紀に生きている。地球の温暖化を止められない。このままでは、数百万の種が死滅して行く。その種の中には、地球の未来を救う種があるかも知れないのにだ。 多くの知らない世界で、私たちが無知故にチャンスを逃していることだろう。私たちは大きな過ちを侵してきた。それは自然破壊だ。やがてその報復を受けるだろう。せめて、この美しい自然をこれ以上壊してはならない、それは私たちの最低限の責務だ。 この至福の朝の空気が、清々しいと感じる思いを伝えたい。 明日の遺伝子とミームたちに・・・。 誰にもリスクがあり、それはいつ走り出すか解からない。生命に溢れた子どもにだって死はある。成人になれば、加齢とともにリスクはさらに高まって行く。限りある生命を徒にしてはならない。
2015.04.29
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日本海に黒潮が来るようになって日本列島の気候は劇的に変化したという。そのためには鹿児島の近くの火山が大爆発しなければならなかった。すべての事象は自然現象でもある。四季があり、季節を繰り返しながらそれぞれのゴールを目指している。自分にそれだけの自覚がどれだけあるだろうか。色と欲ばかりでは、他の動物と変わりはない。 ・福岡市は雨で暖かい。16℃。久しぶりに朝風呂してきた。どうせラジオ体操も休みだろうから、午前中ゆっくりするしかない。少しウオーキングをさぼっているので、体が重いようだ。体調は悪くないがどうも気合が入らないで困っている。また娘はGWを利用して、東南アジアといっていたがシンガポールへ行くらしい。私たちもカンボジアを計画しているが、まだ決めてはいない。 ・へ2・・・アメリカツアーした時の添乗員さんから、ドイツ・スイス・フランスのお誘いがあったが、これから講座も始まる。1月から4月まで最近は講座が殆どないが、数年前までは、文学講座が一年中あっていた。これも女子大の市民サービスに熱心なI教授がおられたからできたことだろう。寺小屋的な和やかな有難い講座だった。そういうことがないと、人生は面白くない。
2015.04.29
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丁寧に生きる昔の人よりも多少利口で居られるのは、過去を学ぶことができるからで、あとから来る人は先人の過ちを学ぶことができるからでもある。ある中国の方が、食べ終わった後少し皿に残っている汁の残りを丁寧に舐められたので、驚いて見ていたら、微笑しながら「美味しいでしょう」といわれた。伯母が、武士の娘で厳しく育てられて、食事のあと皿に残った醤油の残りさえ無駄にしないと母から聞いたことがあった。 ・他人の目を気にしないで、自立心を以って生きることは容易ではない。正しい行いもそうだ。他人から吝嗇だと思われたくないという見栄がさせている多くのことがある。それは大抵小さいことに過ぎない。ものを大事に遣うことは、決して悪いことではない。使い捨てにする時代になり、人間は地球資源を枯渇させようとしている。「勿体ない」の精神も、昔からあった知恵でもある。食べられなくなる時代も過去にはあったことを知っているからできる。 ・へ2・・・貧しさを知ることは、人間の恥ずかしさではない。寧ろ智慧でもあるだろう。ものが美味しく食べられるのは、そのひとが心身共に健康だからであり、その豊か差がひとや物に対する感謝の気持ちにもなる。乱暴に生きるから、粗雑な行いもする。日本人も、中国人もその精神には同じルーツを以って暮らしていると思う。
2015.04.29
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私たちは、物事を俯瞰的に見ることに慣れてはいない。地球は果てしのない大地だと思っていた。どこまでも広がる大地があるからと信じていたいのだ。社会秩序が恒久のものだと信じたいのだ。裏切られ続けた政治がある。そして必ずしも正義で社会は動いていない。それは日本だけの現象だと思おうとしたが、世界も「バランス・オブ・パワー」によって支配されていたにすぎない。 ・個人は自分の行動の準拠枠を出ることができない。それは自分で作り上げた枠組みであって、外からは見えない。客観的に見れば、自分の作った生垣さえ越えられない人がいる。然し、本人には万里の長城のような城壁に見えているかも知れない。小さな障害に躓けば人は哀れな存在でしかない。それで、ジ・エンドかも知れない。そんな危うさが付き纏ってもいる。内外のプレッシャーと闘いつづけねばならない。ひとはそうして鍛えられてもいる。そうした人々の努力なしには次代の道は拓けないのかも知れない。 ・へ2・・・自分でも無駄なことだと思っても、それが無駄だとは誰もいわない。誰にも価値がないものはない。期待されることが無駄になることは多い。言えることは、寧ろ否定される中から新しいものが生まれてくる。何が偉大な発見になるのか誰にもわからない。だからこそ、無駄な努力もしなければならない。ヒトの生存の戦略はもともと、「減数分裂」という無駄を恐れない確率を選んだのだ。
2015.04.29
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自分らしく自分らしくも、個人次第で相当内容は違う。「特上」でなければ自分らしくないと思う人もいるかもしれない。自意識過剰の人が意外と他人迷惑だったりもする。別に、有名だから人生の成功者でも何でもない。他人より優れていると思う人ほど、半端なひともいる。そんな碌でもないひとが人生論を本にしている。それをまた、何かあるかも知れないと読んでいる。 ・大抵何の益もない。時間の無駄なのだろう。無駄を承知で読書もしなければならない。社会的地位があるからと云って優れた人間であるとか限らないが、そういう風に思いたがるのだろう。そうでなければならないと思っている人もいるに違いない。権威主義は厄介な社会にしてしまうらしい。下らない人間がさも人格者のようにイメージされがちでもある。 ・へ2・・・どうにか、一日1万歩を継続中だが、何をそんなに拘るのだろうか。つづけることが、どんな意味があるのだろうか。 それでも、やれるものをやるだけ・・・。自分らしく、やれているのだろうか。どこまで普遍的であるかだろう。まだ天候に左右される。鳥渡したことでモードも変化する。真面目であり、不真面目でもある自分の性格が付いてくる。そうして、一日が過ぎていく。
2015.04.29
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どんなにリスクの高い社会だとしても、若さは一番の武器でもある。それを使い熟せるかどうか。いつもショートしてしまう。それは私たち同じだったのだ。仕組まれた偽善のエリアでもある。虚偽を見抜くだけの能力がなければいつの時代も挫折してしまう。愚痴ばかり言う年寄りの話を偶には本気で聞けばよかったと。それが好いかどうかは別として。悪ければ反面教師でもいい。 ・どうせ疎外された人間でしかない。それが本当はそうではないだろうか。視点で変わるだけだろう。神は何故、キリストであり、マホメットなのか。そしてブッダもいる。日本にも聖人と呼ばれる人はいるけれど、彼らは真摯に理解されただろうか。今日は福岡市は29℃になるとか言っていたが、インドは更に暑いだろう。 ・へ2・・・ツアーでは、参加者が少ないらしいが、添乗員も行くらしい。儲けにはなるまい。それでも行って何かを感じることが出来ればいいと思う。高いもに着くかもしれないが、これもチャンスだろう。外したら、あとは往けるかどうかわからない。それこそ明日は偶然の産物でもある。それをどう生かすことができるかでしかない。たいてい的外れだ。
2015.04.29
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ことばの世界 言語が文化だ。日本人は日本語を話すから日本人でもある。話すだけではなく文字もある。自分の国の言語を以って文化を表現もする。自分は何をしたいか他人に伝える。思うように伝わらないのが常だが、それはこの社会がそれだけ複雑化しているから。それこそ的確な翻訳がされないと誤解も生じかねない。同じことばでも受け手の思惑で意味の違うコンセプトになる。それが誤解のもとだ。 ・正義も平和も概念の違いが大き過ぎる。恐らく日本人の社会認識の概念は世界では通用しない。言い切ることはできないが、そう思っていた方がいい。日本人が日本語を軽視するのは、民族の文化を軽視しているのと同じだ。自分に自信が持てないのはそのためでもある。丁髷の侍が威張っていても仕方がないが。 ・へ2・・・科学者の生命でもある客観的事実や理論を政治によって捻じ曲げられてきたのは歴史の示す通りだ。そして今回の3.11の東日本大震災も、原発事故も、日本の科学者の敗北である。それは勿論国民の敗北でもあり、敗戦後最大の社会的危機だ。乗り越えられるかではなく、乗り越えなければ明日はない。
2015.04.29
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遣っている事は皆中途半端になるのだろう。人生に目標をつくることができるだけだろう。知恵のある人はそうして自分の可能性を試している。それが社会のためにもなる。適応するということは、社会と個人の価値観が近いことでもある。自分の意志に反して生きなければならないひともいる。それは誰にでもあることだ。人生には目標を創らなければならない。 ・ご都合主義で、その場限りの人生もある。信念が無いのが信念の人もいるだろう。誰が好いのでも悪いのでもない。自分で決めている事も、ただ他人は違う視点を持っているだけだ。昨日の自分に満足しているひとに文句は言えない。そうしなければならない訳ではないが、したいことをすればいいのではないだろうか。他人の迷惑にならない限り、自分の感性を愉しめば良い。 ・へ2・良い季節だ。小鳥の声があちこちでしている。知識があれば、もっと植物の生態系も理解できれば屹度散歩も面白いものになるに違いない。新しい発見も皆無ではないのだろう。物をみる目が無いのは悲しいことでもある。価値が解からないからだ。自分のしている事が、価値が無いとはきめ付けられないのだ。
2015.04.29
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無理をしないことが、長続きの常識でもある。そう心がけているつもりだが、ついむきになる性格がある。まだやれると無理をするのは年寄りの「冷や水」と云う。自分にも嘘をつくというのが長寿の秘訣と聞いたことがあった。適当にやることだ。「八割出来て、できたとする」。実は、80%としかできていないが、「今日は、よくできた」と自分に嘘をつくというのだ。腹八分目で満足した、OKとする。簡単に言うが、小人にはできないかも知れない。腹がでかい。 ・小さいことにこせこせしない。莫迦が利口のふりをしても、笑って遣る。おおらかに生きるということは、生真面目では出来ない。人は日々老いるのであり、同じようには遣れなくなる、それでも「よし」とする。人から馬鹿にされても、一々怒ったりはしない。自分に適応できるルールを自分のために創って遣っている。天に恥じないこととは、真理から逃げることではない。 ・へ2・・・無理に古典を現代に当て嵌めようとするから無茶な解釈もするのだ。自分の頭で翻訳する努力を惜しんではならない。と思う。ひとには保湿力がなければならない。それを自分で考えて補って遣らねばならない。解かる人には解かって貰える信じることも必要だ。それこそ自滅しないために何をすべきか、それが問題だ。 アメリカ政府に下心がないわけがないのにその上を行こうというのだろうか。強かな外交はアメリカの専売特許であろう。
2015.04.29
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初期の人類学は、キリスト教の信仰のみが唯一の宗教という視点からスタートしている。従って、キリスト教の信仰からみた辺境の異質で、理解しがたい、グロテスクな信仰だという考えである。自分た ちは文明社会で、大人の合理的な宗教であるという。それに対して、その対極としての未開社会であり、 子どもっぽさ、非合理的で、野蛮な信仰でしかない。それは西洋合理主義に治まらない、はみだしたも のでしかない。現在に措いて、それは払拭されているかといえば、そうではないだろう。あらゆる側面で、その視座があるのであって、そのことを忘れては、その認識は一歩も先に進めない。何もこの社会は複雑でも何でもないが、見せかけの世界が横たわっている。その歴史はながい。宣教師が、世界を飛び回ったのは、この世界にどんな宗教があるかを知りたかったからだろう。そして、キリスト教が、大人だと思ったのだろう。その差別意識が消しがたく学問の世界にもある。それが西欧型の思想の限界でもある。世界を知ってしまったという考えは、異教徒への侮りに変わるだろう。サカの spirit possession に限らず、霊の命令と称して、欲しいものを手に入れようとするのは いまの時代にもかたちをかえて存在するが、キリスト教徒も宣教師以来、同じ誤りを繰り返している。 霊に憑かれたサカ(Saka)の spirit possession は、劣位のものが優位の者に抵抗する一つのかたちで在る。
2015.04.29
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南海トラフも、太平洋プレートの地震もあるときにはあるのだろう。それがいつかでしかないが、それを現実の問題として受け入れられないでいる。想定外はいつでも起きる。科学があってないような社会でもある。四馬のたとえを他人事のように思ってしまう。死んでからでは遅いのに。 ・いつか会えるだろうと思っていた人たちとも二度と逢うことがないかも知れないのだ。いまなら会えるのだろう。でもそれをする理由があるようでない。偶然を期待するしかないが、それはないと同じだ。過去の人とは会えないように、いまこの時代を共に生きているというだけだろう。誰かを思っているのではないが、ただ何かをしなければ何も起きないのだ。 ・へ2・・・じっとしていれば安全であるが、行かなければ何も知らないままだ。このままでは日本は危ない。それはどこから始まるだろうか。否もう始まっているのだろう。そのことをまだみんな知らないだけだ。何時かわかる。その時取り戻せる時間があるだろうか。
2015.04.29
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真夜中でも、戸締りをしなくても安心して散歩をしていたころが懐かしい。ここでもまだ、安心はしている。怖い目に遭ったことはないし、街の明かりの中を歩いている。それでも犯罪が無いわけではないし暗がりもある。若い女性なら危険もあるだろう。他所者がいるし、3回もコンビニ強盗があった店の近くを歩いてもいる。それでも夜でも車は通っているし、4時を過ぎれば新聞配達のバイクの走る音もする。 ・できるだけ転んで怪我でもしないようにしたい。怪我をすれば歩けなくなる。休んだら、歩けなくなるかもしれないという強迫観念がある。鳥渡したことで躓いてもしまうだろう。危険なことを避けるのは当然だし、それを怠ると後悔することになる。リスクを選ぼうとする性質は中々止められない。夜明けの道を歩きたいというのも子供地味ているが、そういう中で発見する悦びもある。 ・へ2・・・あの時、何かをしなければ助かる命もあるが。何かをしてみたいという気持ちは、自分の世界では貴重なものでもある。夜明け前の道を歩いていると、不思議な気持ちになった。自分のからだが消えてしまう。冷たく澄んだ空気の中で感受性が高まり眼だけが暗闇の中で活きている。
2015.04.29
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これから起きることは、おそらくこれまで私たちが知っていることが起きるに違いないが、そうでない可能性もないではない。リスクも不確実性がある。10年後の日本がどうなっているか、だれにも本当は予想できないでいる。とんでもないことになっているかも知れないが、そのことを指摘できるものはいない。 ・自分の知っている経験則で考える範囲で、それがいつまでも続かない。それを知っているが、これから何があるかわからないことはどうしようもない。すべてのことがあらゆる偶然の産物であり、その偶然の出来事に一喜一憂している過ぎないのだろう。 ・へ2・・・どんなリスクの中に突入しようとしているだろうか。そのことが解っている人たちがどれだけいるだろうか。知らぬが仏では、あまりにも情けないが、現実でもある。明日どうなるかわからないのは私ばかりではない。だからといってどうしようもない。地球ではテストができないことばかりある。 これから起きることが想定内であることを祈るしかないが、恐らくそうはいかないだろう。10年内にそれがあるかないかでしかない。そしてそれは自分にとって分岐点でもある。
2015.04.29
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ブログで言いたいことは、もう誰でも知っていることで、おそらくみんながおもっていることでしかない。この地球はどこも美しいということだ。然し、汚れてもいるし、腐っているところもあり、美しいばかりではないということでもある。みんな幸福とか、平和とか、愛するものと生きていきたいと心から思っているのだろう。でもそれは簡単ではない。キリストやマホメットや、仏陀たちが教えたことがお念仏でしかないのだろうか。 ・こどもでも道理を話せば理解できる。みんななかよく生きて行くべきだということだ。私は病気だし、それほど長生きできない。おそらく平均寿命まで辿りつけないだろう。食事や運動や、薬餌療法をつづけているが、10年近くみんなより早いだろう。タイムオーバーまでいつまで時間があるかわからない。 ・へ2・・・それでも平気な顔をしているが、内心は、はらはらどきどきだ。それは何だろうか。それは、みんなそうなのかもしれないからだ。みなどこかハンディキャップがあるに違いない。私にもあるだけだと思う。それに逆らいながら暮らしてもいる。そして地球は素晴らしいし、人生は魅力的だ。それを見て、知りたいと思う。ただそれだけ。
2015.04.29
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遺伝子に関係する病気でも、発症するのとしないケースがある。遺伝子をも って生まれたから、必ず発症するとは限らない。ナルコレプシーの遺伝子を もった全員が発症する訳ではなく、発症しても完治もあるし、完治に到らな くとも生活上に殆ど支障のない状態に戻ることもある。 双子のケースで遺伝的な素因があるのに、片方はストレスが少なく発病しな かったのに、他方は過度のストレスに晒されたために発病した。睡眠不足やストレスの持 続などの環境因子が発症を促進する。素因があっても発症を予 防できる可能性があるということに外ならない。それは、遺伝的素因と環境因子で病気は発病するのであり、正しい知識さえ あればうまくいけば予防できるだろう。必ずしも私たちの社会が、すべての個人の生命を尊重している社会ではない。 勿論、複雑で且つ多くの難題を抱えながら生き延びてきた生物種でもあるヒ トであるが、無駄な血も流してきてもいる。全方位で生きてきたとすれば、 遺伝子研究は、種としてのヒトの生命の可能性を暗示している。
2015.04.29
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