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セロトニンはヒトを含む動植物に一般的に含まれる化学物質で、トリプトファンから生合成される。(Wikipedia) 図書館で科学雑誌「ニュートン」の新刊を読んでいたら、集団で行動する生物には、皆で行動する時にセロトニンが出ているらしいという記事を見つけた。一匹で行動するときはそれがなくて、集団行動するときに出るらしい。ということは、集団行動はやはり嬉しいのだろうと思った。人間にもより大きな木の下にいる時そういう感情を持つのではないだろうか。勿論でない人もいるだろうが。人間行動も脳の化学反応でしかない。 ・仕組まれた罠の中を歩いている。容易にそれと気づくようなチャチなシステムではない。やっとそのことに科学は目覚めつつあるのだろう。世の中を騙そうとする人間が後を絶たない。アメリカの金融界でも生き馬の目を抜くといわれる世界でも、やはり騙す人と騙される人がいる。煽てられると阿呆になるからだろうか。それとももともとそういうふうに脳ができているとしか思えない。 ・へ2・・・企みのある生物世界があるのだ。他のものを餌にして生きている。鳥にだって托卵がある。眼を皿にして生きていないと、見る目がなくなるかも知れない。すべてが終わってからでは遅いのだ。他人を騙して自分だけはいい目に会おうとしている人間が如何に多いだろうか。それとも、猫を被るだろうか。それは知りませんでしたというに違いない。現代日本も危ない政治の選択をしてはいないか。
2015.06.30
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老化を遅らせ、高齢期も健康に過ごすことが知恵なのだろう。飢餓からの脱却がまだ世界の課題でもある。一部だけの健康が問題にされるが、肉体的だけではなく、精神的、そして社会的にも良好な状態であってはじめて健康なのだ。健康というコンセプトを一面からだけから見てきた気がする。少し抽象的にとらえ過ぎたようだ。どうも次元の違う世界のようでもあった。併し、こうして歩くということを通じで感じる思いは、それほど現実離れしたものでもないということだろう。それにしても、最近の食の問題として捉えられている社会現象は酷過ぎるのではないだろうか。 ・利益を優先した社会が齎してきたものは複合汚染であり、環境汚染ではないか。健康はそれらの問題を払拭していかなければ得られない問題でもある。長寿食ではなく健康食でなければならない。肉体的に自由であり、精神的に幸福感があり、社会的には基本的人権が保護され福祉や安全性が整っていなければならない。概念ではなく具現化されなければならない。 ・へ2・・・何を食べるか、どのように食べたらよいか、どのような環境であるべきか、について、具体的な話があったが、適当な運動、過度のストレスを避ける(気分転換を図る)、生き甲斐を持つ、楽しみを持つ、社会とのかかわりを続けることだ、という指摘だった。愉しく食べることもある。健康長寿へのみちは常識の世界でもある。
2015.06.30
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良質の睡眠を得るということは、健康を維持する上に重要であるとされている。然し人間の生体は、加齢とともに免疫機能の衰退を余儀なくされる。其れは誰にも止められない。「不死の薬」などと言っていた悠長な時代でもなくなっているが無駄な努力をしている人はいる。安楽に老後を暮らすために無理をしている人もいるが、そのためにやっている手段がいつか目的になってしまって、カネだけ貯めて過労や病気で死んでいる人もいるのだ。家族のためにやっていることが、いつか家族を離散させてもいる。 ・私も、ウオーキングを始めたが、いつも一日2万歩が気になっている。それは、やり過ぎたら、ストレスになる。ある程度のストレスはやむを得ないが、適度の問題でもある。わざと公表して心理的な圧迫をかけることもある。ハサミは使いようなのだろう。良質の睡眠を得るために運動をしなければならない。ただ寝ればいいだけではなくなってきた。深い睡眠ができなくなりつつある。昼間運動をして、体を疲れて夜よく眠ること。7時間をキープすることが当面の目的である。 ・へ2・・・現在は、一日何回かに分けて睡眠時間7時間を目標にしている。どうも効率が悪い。まだ不安定でもある。気候にもよる。心身がまだ一致していないようだ。自分の健康さえうまくコントロールできなくて何ができるだろうか。時々情けなくなる。まだテストを繰り返している。それでもできるだろうか予測もできない段階だ。それにして、人間の体は動くためにできている。
2015.06.30
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自分では気付かない免疫異常もあるのだろう。細胞のコピーも加齢による劣化で、掠れても来る。どこにそれが起こるか特定できるだけの能力がまだ人間にはないだけだろう。医療技術と言っても、それほど宣伝されるほどのことはない。人工衛星の飛ぶ時代というがそれは、その部分だけの知識の突出でしかない。私は顔だけを整形する人の気持ちがわからない。勿論美容整形の意味は知っているが、高額なカネをかけて整形する為に、それより大切なものを犠牲にするとしたらバカげたことに思える。 ・それ程利口な社会だと思っていないから、色々あるのは分からなにでもないが、この社会がそのために阻害されるものがあるとしたら、悲しいではないか。日本人もみな、海岸の「砂」になろうとしているだろうか。然し、「砂」ではできない社会もあるだろう。「個」であることが重視された時代もあったが、時とともに環境は変化しているのであり、進化しなければ乗り越えられない時もあるだろう。知力や体力で世界から取り残されていた日本が、その忍耐力と努力によって教育を、寺子屋から近代化させた国民の意識の高さはどこから来たのであったか。それは、決して江戸幕府の徳川支配層の由来ではない。 ・へ2・・・黒船の来航はあったとしても、単なる epoch-making でしかなく、それをバネにした国民のエネルギーが必要だっただろう。それを準備していたものがあったし、下級武士をはじめ、土臭いものがあったはずだろう。それが無知と偏見を突き破ろうとしたのではなかったか、決して綺麗ごとではなかった情熱でさえ、時代を切り裂いたパワーを生んだのではなかっただろうか。現代の日本にはそれがない。衒い見栄で造り上げたシステムでできるものは退廃でしかない。
2015.06.30
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信頼される社会 他人の押し付けの意見を自分の感情だと勘違いしているのではないだろうか。そういう風な言い方を随分されてもきたと思う。自分は違うと内心思っても、それを許さない雰囲気に気押されてしまっていた。曖昧な表現になるのはその悪癖の所以でもある。つい断定を避けてしまう。別に差し障りのあることでもないに身を引いている。自己主張は大切な人間の個性であろう。 ・責任を取らない政治家が多いのはそれを許してしまう大衆がいるからであり、政治家を叩き直さない限り政治も善くなりはしない。大物ぶる政治家がいるのは、それで世の中を渡ろうとする不遜な輩でしかない。国民の血税から歳費を払うのだから、それだけ経理も公開して厳しい検査に耐えるだけのものであるべきだ。それができないような人が政治家になるべきではない。 ・へ2...民主社会の基本を弁えているのだろうか。普遍的論理がない。それは文化のレベルでもある。文化的蓄積をすべきだ。それは尊敬できる人が尊敬される社会でもある。
2015.06.30
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むだな努力をしていないか?ドーパミンは直ぐに消えてしまう。セロトニンは気分が明るくなる物質だ。コカインは脳内に侵入する。エンドルフィン は脳で生成して痛みのメッセージをブロックする。麻薬は模倣している。人間は仕組まれた化学物質で支配され ている。アルコールは体内にある限り気分を高揚させ明るくさせる。カフェインは・・・・・。 利己的な遺伝子は、時として人間を支配しコントロールする。自分の身体は自分の物ではない。進化の歴史を刻んでいる遺伝子が自分の子孫を残そうとする戦略が仕組まれている。 何か無駄な努力をしていませんか。そしてそれはおそらく徒ではない。
2015.06.30
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行動の柔軟性は若者の極めて大きな特質だ。そして年をとることは成熟と伴に新しい行動パターンを受け入れ難くする。即ち本質的にこうし た柔軟性は若い動物が環境に適応する為のなくてはならないものだ。コピー はあらゆる複雑な行動を習得するために不可欠でもある。ロールプレイング も同じ。そして、現代は「遊びこころ」があらたな価値を生むかも知れない。ヒトの幼児化は、複雑系に生まれた現象。未来を定めない戦略は、ヒトをぼろぼろにするかも知れない危険な選択だが、敢えて選択し た賭けであろう。この道を辿らねば明日をみることはできないとしたら、こ の道を行くしかない形質を抱えている。 同性愛者だろうと何であろうと先に辿り着くものが「ニッチ」を得る。
2015.06.30
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祖先の一種が突然に絶滅した理由が分らないのは読み解くべき化石の少なさである。原因が私たちの祖先が熱帯雨林を中心に生活していたため高温多湿の熱帯のため、死体がすぐに分解され、化石として残る可能性が少なかった。乏しい化石を求めて、多くの研究者が灼熱のアフリカで懸命の発掘をしている。相手は茫漠たる熱砂の砂丘である。見つかる保証はどこにもないが、彼らは見つかるまで続けるだろう。一片の化石を探求し続づけている。それが彼らの仕事だから。 ・暴力を肯定することは決着については近道かも知れないが科学的な答えを得ることはできない。膨大な砂丘で探さねばならないのは、祖先の一片の化石なのではないだろうか。そこで探してもすぐに原油は出てくるかも知れないが、それは科学的真実ではない。 ・へ2・・・それぞれの探し物はあるだろう。そのダイヤモンドのような化石の一片を探す価値はあるに違いない。なぜなら、私たちは「40億年にわたる命のリレーによって支えられた存在」の一つでもあるからだ。
2015.06.30
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マラリア原虫の複雑なライフサイクルや宿主の概日システムとの密接な相互 作用は、体内リズムの生物学的な意味を解明することは治療に役立つ。マラ リアのほかにも、ガンなどのさまざまな病気について、外科療法や薬物療法の効果を最適化する試みがされ始めている。これをクロノセラピーという。 薬剤等の実験動物としてラットやマウスは夜行性であり、昼行性動物である ヒトに適用することの問題性もある。薬を最も効果の高い時間に投与するの は理に適ったことであるが、殆どの薬は、刻一刻と変化している患者の生理 的、生化学的状態とは無関係に処方され、服用されている。薬の処方は、血 中レベルを維持するのが目標でしかない。本当に薬が効くかどうか。 薬の効果が患者にどれだけ影響するのかを医者は、どれだけ責任をもてるの であろうか。甚だ疑問だ。薬に対してどれだけの知識を持っており、患者の病態をどれだけ把握しているだろうか。医療メーカーのマウス実験の効能だ けの知識を鵜呑みにしただけで医療行為をするのであれば、やぶ医者と言わ れても仕方がないだろうし、現代医療ではないだろう。 人間の生命は、教科書に載っているほど貴重に扱われてはいないし医療もお ざなりで、医師も必ずしも有能ではない。若い連中は傲慢で生意気だし、そうでない人たちも卑屈だったり、無神経だったりするが、誰も時間を止められない。 私たちが時間をどう考え、どう感じるか。これはひとつの世界観だ。 自然から急いで立ち退こうとするか。そこへ飛び込もうとするか。
2015.06.30
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別に悲嘆することもないし、朝気持ちよくしておれるのだから悪くはないのだろう。勿論何があるかわからない、それが明日あるかもしれないが、最悪のケースを覚悟しておけば、慌てる理由はない。恐らくそれは言うだけだろうが。それでもその気持ちがあればいい。戦争は何故あるのか、そこに人間の弱みがあるからだ、 ・屁理屈を平気で言う人がいる、矛盾を感じながら、何も言えない人がいる。自分の人生を他人事のように生きている人もいる。分かっていると思っていることが本当は解っていない。大人が大きく見えた子供時代があるが、自分の愚かさを知ると同時にそれが違うことも分かった。 ・へ3・・・毎日自己管理をするから、からだの現況も分かり、心もそれについてくる。これから何をしなければならないか。それが役にたっていると思う。今朝の血糖値は97mg/dlだった。
2015.06.30
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2015.6月ウオーキング歩数累計(2008.4.15~)年月 歩数日数2015.5.31まで52,019,0442,6022015.6月344,30530歩数累計52,363,3492,632 スズメの涙という言葉を思ったのは、私たちの存在の軽さを考えたからだ。世界の人口は72億人に近づきつつある。これから戦争しようという準備は、中止されてはいない。軍備費の拡大を続けているのは、戦争があることを想定しているからだ。国際紛争を解決するために武力を使うという手法は世界中で現在も継続されている。 ・人権の尊重と言われながら、政府はそれとは違うベクトルを目指している。それこそ「沈黙の春」が来るかもしれない。環境汚染で、小動物たちが絶滅している。多様性が生物の生き残りの戦略であるが、地上で最後に生き残るのは種としてのヒトではないだろう。
2015.06.30
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講座で学んだこと 公開講座を利用させて貰っているのは、学生の時からで、阪大で最初に市民に対して公開講座がされるというのを新聞で読んで参加したのがきっかけだった。それから折に触れて、社会人になってからも、あちこちの講座で聴講して来た。全く解らないという話はなかったのは、市民に向けた講義がされたからだろう。講師がどういう研究をされているか、それがどのように社会に係わっているのか。それを知るだけでも聴く意味はある。 ・勿論中には手抜きの講座もあったが、遊びで研究している人はいないのだから、聴く価値のないものはない。大学と市民の意識のずれは如何ともし難いところがあるが、最近は大学も市民との隔てをしている垣根を低くしていると思う。素人に解るように話すのは難しいだろうが工夫をしないのもおかしい。 >1623年に森本一房が書いたという墨書。
2015.06.30
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飽食の時代でないと美食も出来ないと思うだろうか。その美食が健康も損なう。贅沢したいという気持ちが、他人を軽蔑したり、社会的地位を絶対なものと考え勝ちにもなる、高慢や不遜も生まれる。自分のためにこの社会があると思うことは悪いことではないが、他人の権利も同様に認められるかだ。自惚れ屋が他人を蔑視することに繋がる。確り民主主義の精神を理解できているか?どうも狭い視野しかない人間には難しい。人は不完全な存在でしかない。 ・恵まれた環境で育った人間が、社会の底辺に目が向かなくなるのは、利己的な生活から来る。自分にとって利益にならないものを視ようとしなくなるからだ。人間の健やかな暮らしにとって何が必要なものであるか見分けることができなければ、健やかな人生を生きることはできない。それは多過ぎても少な過ぎても得られない。美しいものに触れたいという努力がなければ何も視ることはできない。自分の内面にあるものと向き合わねば、心の癒しにはならない。 ・へ2・・・セレブな生活がもてはやされているようだが、そんな暮らしに皆ができるわけではない。贅沢に憧れるこころにこそ、堕落の罠がある。蜘蛛の糸などない。青い鳥も飛んではいない。人間には自分の身体に相応しい食べ物があり、必要な量も、それを噛み砕き、消化し、それを重力や運動によって速やかに排泄し、清潔な生活をする責任がある。自分を活かしてくれるからだを顧みないことは破滅への道でしかない。
2015.06.30
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造形美 人もモノであり、モノはいつか滅びる。破壊されるし、朽ちもする。嫌なことを言うのも、美しいばかりではないからで、花が綺麗なだけの世界でもない。何故この世界が美しいと思えるのだろうか。この世界を形成しているすべてのものが、造形美に溢れていると言って過言ではない。初めは歩くためにデジカメを持参したが、最近は撮るために歩いていたりする。 ・どこにでも被写体があるというのは何と恵まれているだろうか。関心のあるものが沢山あるのは人生に彩りを与えてくれる。死にたくない気持ちも起きる。この世に花が無ければ、面白くない人は大勢いることだろう。人間ばかりだったら。殺し合いばかりするかも知れない。昆虫や小動物を視て愚かだと人間は思っているが、自分たちも更に高見から視ているものがいるかもしれない。 ・へ2・・・観察することは、観察されることもありえることでもある。自分のサイズでしか視えないからだ。自分で知ったモノしか驚けない。宇宙が一つとしか知らないものには、それはそれで終わりだろう。ビックバンしか考えることができない人類のサイズでしかない。アジサイを視て美しいと思う。それは一つの宇宙にも視えてくる。
2015.06.30
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観世音菩薩とライ王のテラス ブログで写真を載せるようになったのは、最初は携帯電話からの写メールだった。それから普通のカメラからの写真になり、デジカメになってから毎日載せるようになって3台目になるが、もう7年は経過している。もうはるかに4万枚を超えている。歩数もそうだが、塵も積もれば・・・だ。 ・写真は、添え物のつもりでいたが、書くより便利な所もある。書きたくない時もあるし、気分と違う写真もある。今では車の両輪のようになっているが、写真だけでいいと思っている人もいるに違いない。旅行だけの写真でいいというひともいた。観自在菩薩(かんじざいぼさ)は、「照見五蘊皆空」と。五蘊は集合体とある。 ・へ2・・・自分の知識やスケールで物事を判断するしかないが、それでも面白いと思う。愚かはおろかなりに、凡人は凡人なりに自分がある。それは誰にもない自分の世界であり、そこから蛇のように脱皮して、旧い皮を捨て去ることができるだろうか。それはやってみないと解らない自分の世界であると思っている。 >観世音菩薩とライ王のテラス。菩提薩埵が菩薩の語源である。
2015.06.30
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生物の生活環というのがある。その多様性は複雑であるが解明されつつある。先日の講演会で貰ったレジュメの中に「クラミドモナスの生活環」のフローが説明されている。増殖していたものが環境の激変があると、栄養細胞から配偶子細胞に劇的に変化する。その凝集というのを顕微鏡で見せてくれた。そこで接合する。藻類さえ生活環があり、環境の変化に対応している。地球には何と多様な種が存在しているだろうか。 ・何かが起きれば一変する。それは誰にでも起きる。それを前向きに受け取るか、どうかでもある。何もしないで一年を過ごすことはできない。何かをし、その反対給付を受ける。環境の悪化で巣ごもりもする。そのままだと明るい太陽を見ることはできない。 ・へ2・・・どれだけ明日を見極められるかで運命も決まる。そして、思うことを躊躇しないで遣ることだ。躊躇しているとできなくなってしまう。人々が何をしたいのか知ることでもある。みて感じられる自分の感性を磨くべきなのだろう。そのためにどれだけ全力を集中できるかだ。
2015.06.30
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現実という正体 まあ、生きていれば、その時代の色々な現実に遭遇するわけで、善いことも悪いこともある。今度の桂林は、そういう意味では愉しいばかりではなかったことになるのだろう。ひとつは四川大地震があり、歴史的な大惨事の直後であってことであり、急に往路が関空経由になり、長時間かかったこと。然も観光先のもうひとつの目的地の陽朔が、これまた大洪水の直後であったこと。ある意味、間が悪いと言えなくもない。然し、私にとって、今の時間のチャンスは、一度しかないとも言えるのではないだろうか。勿論ないわけではないかも知れないが、気力や体力や或いは関心が今以上にあると言えるかは自分でもわからないからだ。 ・財布を掏られて気分が好いわけはないが、現在の中国から見て、海外からの観光客の懐を狙うという行為をどう考えているかでもある。それを思うと、治安の悪さは決して、今後の観光にプラスにはならないだろう。同じツアーで、私のほかに、もう一件掏られかけた人がいた。そして、オプションのナイトクルーズでも同じ事件があったらしい。これは、多すぎるのではないだろうか。押し売りも横行していた。中国人には当たり前でも、外国人には異常な行為に見える。国際都市を目指すとすれば非常識ではないだろうか。 ・へ2・・・現地ガイドは、「郷に入れば・・・」と言っていたが、まさか治安の悪さが、「郷」でもあるまい。日本でいえば暴力団は、日本の恥辱である。売春の取締も同じだろう。それはその国のモラルの問題でもある。文化のレベルが、世界からは低いとみられている。文化の低い国が、世界のリーダーになれるわけはないし、なるべきでもない。それは現在のアメリカに言えるのではないだろうか。それは、世界にとっても不幸な結果になる。日本では国の品格のことが、話題になったが、それはどこの国でも同じことだと言えるのではないだろうか。どんなに伝統工芸品が優れていても、まさか他人の物を掠めることが芸術ではあるまい。
2015.06.30
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意識をどれだけ積みあげたところで精神にはならない。精神は胆力でもあるからだ。然し脳のパワーである。精緻さかも知れない。粗さが齎す妄迷から粗雑になるのだろうか。理屈に合わないことを仕出かす。 ・目が少し悪くなり中々読むスピードが先に進まなくなっている。だから矢鱈鈍くなった。それでも、漱石の文章は判り易い。小説とは時間潰しではなかろうか。そして自分の人生も、おそらくそれではないだろうか。時の流れを悔やみながら愉しんでもいる。妙に登場人物が生々しい。どこかでこれまで出逢って来た人たちのようにさえ思えてくる。漱石の時代と変わらない時間を生きてきた気がしてくる。これはとても現代ではない。 ・へ2・・・ことばの通じない世界に「ポン」と放り出されたらどうするのだろうか。同じような顔をしていて、文字も言葉も分からないタイに行き、生きていけるだろうか。とても赤道の下で生きていけるとは思えなかったが、バナナを食べていきていた17世紀に日本人たちが日本人村を造っていた。望郷の念があったに違いない。ヤシの蔭にその子孫がいるのかも知れない。
2015.06.30
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何者であろうと昨日は昨日であり、過去のことでしかない。真宗では「朝に紅顔ありといえども夕に白骨になれる・・・」という。これまでのことに執着し、固執してはならないという教えでもある。在るものいつか終わり、変質もする。これまでの常識もいつか通用しなくなる。世の移ろいとは何と激しく無情でもある。 ・昨日までのブログも足跡でしかなくなる。いつまで続けられるか、それは社会環境にもよる。送り手と受け手、そしてシステムがある。そのどれかが止まれば、衰退する。多くのことで昨日と違う出来事に愕然としてきたことだろう。父母が死ぬことを予想してはいなかったし、その事実は心の中では、中々認知できなかった。必ず、結果には原因があり、プロセスもある。注意さえすれば見えるだけの機序もある。予兆も知ることはできるだろう。 ・へ2・・・私は、何もあすに期待しないことにしている。目の前の現実に背を向けないようにして生きていきたい。それでも自分の時間と在るのは現実でしかない。多くの人たちや自然と共存してわずかな営みにスペースを探したいと思う。
2015.06.30
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講演会で東京の大学の教授だったが、EUの原発への取り組みと日本との違いを強調していた。国民に知らされていないことが多すぎることが問題だと思った。非公開にするのは、都合が悪いことがあるからで、それは個人的にもあるし、それは個人だから許されるからであり、国家レベルとなればそうはいかない。みんなの命がかかってもいる。それを一部の者たちが国益だとか何とか言って隠している。早く知ればそれだけ被害を最小限にとどめることもできるのだ。 ・徳川幕府は300年間も封建社会を続けて間違った政治を繰り返した。毎年のように代わる政権が問題だというが、安倍政権を長期政権にして大丈夫だろうか。危険だろう。毎年のように代わってきた政権はそれだけの能力でしかなかったが、安定政権の意味が違うだろう。肝心なことが国民に知らされていないのは確かだ。NHK解説者が科学の素人がしていたこともある。それでことをすませている。 ・へ2・・・このままでは日本は危ない。そのことを殆どの学者たちは知っている。だが何もしないし、何もできない社会システムがある。ポストを得るためなら、国だって売る連中が既得権益を手放すはずがない。自分が何をしなければならないかわからない学生や研究者ばかり大量生産してきた結果だろう。子どもたちは悲鳴を上げる子孫を見る破目になるだろう。
2015.06.30
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黙っていても、世の中は動いているし、毎朝太陽は昇ってくる。それで感謝しろといわれても有難いとも思わずにいたが、よく考えてみたら、自分は何もしないのに、生きていられる為にしてくれることがなんと多いことだろうか。遊びまわって夜寝て、朝になれば何となく元気が回復している。碌なこともしていないが、動けばつかれることばかりある。 ・今日は、何をしなければならないか、仕事もしていないので使える時間はいっぱいある。社会奉仕でもした方が好いが、企みのある社会でどうもその気になれないのは、自分の責任もあるが、社会がそうしたことをできにくくしている。何故一流の学者でなければならないか。多少は解ったがエリートに成れたわけではないし、なりたいとも思わなった。得あれば損もあるからだ。 ・へ2・・・おバカな世間、お人好しの家族と一緒に暮らしている。家に5匹の猫もいるが、それぞれ宿主のところへ毎日挨拶に来るし、猫なりに気を使っている。黴菌の総合庁舎の汚い猫たちと暮らしているがもう5年以上になる。ある意味でやればできる共存なのだろう。鳥渡手間がかかるだけだ。今朝は昨夜風呂場から脱走して猫を迎えに外を探していたら、自分から近寄ってきた。これまでツアーの準備をしていなかったので、週末に行く準備もそろそろはじめなければならないし、今日は4時ころから誕生記念日のウオーキングをしてきた。残念ながら曇天で期待した星が見えなかった。
2015.06.30
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・コーランの詩文は(伝統的な韻律詩文は複雑だったが)単純な韻律の散文詩で、誰でも唱えやすく、そのコーランの音楽性にも魅了されるといわれる。しかしそれよりも重要なのは、ムハンマドが無学文盲にもかかわらず、これほど美しい詩文をつくりだせるはずがなく、にもかかわらず、だからこそ、確かに神からの言葉なのだ、とアラブ人たちは信じたことだ。 ・メディナに住んでいた人々は農業で生計を立てていたが、ムハンマドが連れてきたイスラム教徒は農業になじみのない人々であった。そこで彼らは飢えないために、メッカからくる隊商を襲って金品を強奪した。事実上の強盗であるが、何かを生産するという観念がまったくないため、金品や女子を強奪することは正当な経済的行為として認められており、彼らの冒険であり、娯楽でさえあったという。彼らはこういう戦いを「ジハード」と呼んでいた。 多神教徒をみつけしだい殺し、またはこれを捕虜にし、拘禁し、あらゆる計略でこれをまちぶせよ。(第9 悔悟章5) ・・・そのとき、なんじらは、彼らの首をはね、また彼らのそれぞれの指先を打ち切れ。・・・信仰するものよ、なんじたが不信者の進撃に遭うときは、決して彼らに背を向けてはならぬ。(第8 戦利品章12~) ・イスラム教では来世は現世のつづきであり、そしてアッラーのために死ぬならば楽園行きが保証される。ジハードに参加することは宗教的美徳の証とされたのだ。どうやら日本人の常識をはるかに超えている世界がある。
2015.06.30
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眠っている間の脳はどのような働きをしているのだろうか。個人差があるとしても、自分の脳の働きには興味がある。睡眠の質が悪くなっているのではないかと、日頃思うことがある。何故そうなるのだろうか。睡眠が学習にもたらす影響は大きいし、重要な役割を果たしているに違いない。SW睡眠の間に、海馬から大脳皮質に伝達が起こり、これが安定した長期記憶になる。だからレム睡眠は一旦大脳皮質に移った知識を強めるために必要であり、SW睡眠はまず情報を海馬から移すために必要だという。 ・ある研究では、新しい技術と知識の習得は、ひと晩の睡眠の後に向上し、さらにその後の数日のあいだ、毎晩充分な睡眠をとる限り向上するという。最初の晩の睡眠をすっぽかしたら、その埋め合わせは絶対に出来ないらしい。つまり、記憶をインテリゲートするためには最初の睡眠と記憶を外せないのだ。はたしてどれくらいの睡眠が必要なのだろうか。勿論個人差があるとしても自分のことは知りたいところだ。 ・へ2・・・6時間以上睡眠しないと学習促進効果のレム睡眠が得られないらしい。とても、それだけ長く眠っていないだろう。宣言型・非宣言型の記憶の双方にSW睡眠とレム睡眠は殆んど新しい仕事の学習に重要な役割を果たしている。目覚めている時の意識的な視点と普通に意識的にアクセスできない脳の部位にある記憶が同じことをしている可能性がある。記憶は、同じ情景でも一人一人違う見方をするものだ。それは自分で見たいと思うものをみているからだろう。
2015.06.30
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西洋医学は、人間をパーツにして治療するのではないだろうか?傷んだ箇所だけを治療して、治ったというのだ。その原因に触れようとはしない。全体の健康でもない。それが日本の現代医療でもあるのではないだろうか。はたして、それが人間を本当に健康にしているだろうか?治療といえるのだろうか。傷んだところだけを治しても、他のところが悪ければ、また同じように具合が悪くなってくる。どうやら紐付きの人生を生きて行かねばならなくなる。まるで麻薬ではないだろうか?医者や、病院から離れられなくなる。そればかりではない薬漬けもある。 ・遺伝子医療が進んだら、それこそますます、人間はパーツになってしまうのではないだろうか。そういえば学問の世界も同じだ。ばらばらに解体して、パーツにされてしまっている。全体を見る目を失くしている。「手術に成功して死んでもしまう」。人も歯車になっている。優秀な人材とは、優秀なパーツでしかない。それでノーベル賞も戴けるのだろう。人間を人間として扱わなくなっている。誰のためにこの社会があるだろうか?だれにも分からなくなるのではないだろうか? ・へ2・・・ホモ・サピエンスなのだろうか。種としてのヒトとは?藻屑と消えるだけではないだろうか。化石にもならない。泥人形のようではないか。ふとそう思ってしまった。私たちは何を騒いで生きているのだろうか?
2015.06.29
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知識をどれだけ積みあげたところで精神にはならない。精神は胆力でもあるからだ。然し脳のパワーである。精緻さかも知れない。粗さが齎す妄迷から粗雑になるのだろうか。理屈に合わないことを仕出かす。 ・目が少し悪い。中々読むスピードが先に進まなくなっている。だから矢鱈鈍くなった。それでも、漱石の文章は判り易い。小説とは時間潰しではなかろうか。そして自分の人生も、おそらくそれではないだろうか。時の流れを悔やみながら愉しんでもいる。妙に登場人物が生々しい。どこかでこれまで出逢って来た人たちのようにさえ思えてくる。漱石の時代と変わらない時間を生きてきた気がしてくる。これはとても現代ではない。 ・へ2・・・ことばの通じない世界に「ポン」と放り出されたらどうするのだろうか。同じような顔をしていて、文字も言葉も分からないタイに行き、生きていけるだろうか。とても赤道の下で生きていけるとは思えなかったが、バナナを食べていきていた17世紀に日本人たちが日本人村を造っていた。望郷の念があったに違いない。ヤシの蔭にその子孫がいるのかも知れない。
2015.06.29
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人は倒れて寝たきりになれば、1週間で20%筋肉が低下する。歩くだけでなく、動くことさえできなくなる。おそらく人生は暗転する。早期リハビリを的確に始めないとますます心身ともに萎んでいく。高齢化社会とは、社会全体で、人と手間をかけていかなければならないのであり、簡単なことではない。子育てがそうであるように、老人たちも、周囲の人たちに手間をかけることになる。 ・脳溢血などで倒れれば、多くの人が以前当前にできたことができなくなり鬱状態になるという。なにもできなくなるという状態は、よほど看護師か身内で世話をした人でない限り想像することもできない。その手間がかかることは想像以上だ。しかも小家族になり世話をする人が少ないとなれば尚更だ。介護疲れによる悲劇も増えているのではないだろうか。倒れた本人の気持ちをどれだけ世間の人たちが理解しているだろうか。医師や看護婦が、そして介護者が、果して本人の真意を理解しているか、疑問だ。 ・へ2・・・世話をされるより、世話をする方がいい。手間をかけることに慣れた人ならまだしも、ほとんどの人は慣れない人たちだ。再起できる人であれば違うかもしれないが、老人たちにはそれがない。それで安易に明るい気持ちをもてというのは無理だろう。しかし、ひとの温かみは是非なければならない。それがなければ人の心は筋肉よりも早く萎えてしまうに違いない。 ・患者が暗い気持ちであれば、家族の気持ちも暗くなる。それを払いのけるだけの力を持たなければならない。ネガティブ・マインドとの闘いは容易ではない。 ・へ2・・・それは、ナチズムがユダヤ人を抹殺しようとしたり、精神病や弱者を邪魔者扱いした非情な社会を想起させる。それほどではないにしても現実の社会は、弱者切り捨ての傾向がある。ひとをただ美化していてはいられない。 携帯に留守電が入ったので折り返しをしたら、現地学習を申し込んでいた大学からの応募OKの連絡だった。7.11の最終回に、筑豊の御三家などの現地学習があるが、応募が多ければ抽選になるといっていたが、その連絡だった。今度の土曜日にはいくことにしているので、その時結果を訊けばいいと思っていた。親切なのは今が初めてではない。これから朝のウオーキングでもしようかと思っているが、まだ4時前である。外に出たら、雲で星も見えなかった。昼前から雨になりそうだ。これまで夜道を歩いても怖いと思ったことは殆どない。それだけ安全だと思うからだろう。海外ツアーに行くと日本と同じようにはいかない。それでも昔のように鍵も閉めないで出かけることはしなくなった。近所で知らない人も増えている。いつまでも話せばわかる人たちばかりとは限らなくなるのかもしれない。日本語を辞めようという人も増えて行くのだろうか。安心して暮らしていけることの有難さがわかる気がしてくる。
2015.06.29
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「自然は、沈黙した。うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ったしまったのか。みんな不思議に思った。裏庭の餌箱は、からっぽだった。ああ鳥がいた、と思っても、死にかけていた。ぶるぶる体をふるわせ、飛ぶこともできなかった。春がきたが、沈黙の春だった。・・・だが、いまはもう音ひとつしない。野原、森、沼地・・・みな黙りこくっていた。」(「沈黙の春」より) 単なる寓話が、真実を語ることもある。人間の優れた形質は、予見することにある。これらは、魔法にかけられたのでも、悪魔に襲われたのでもない。すべては、人間がみずからまねいた禍だった。 いまや、温暖化の齎す影響は世界中のどこにも見られる現象であるが、それに対して明確な認識をもち、危機感をもっているものが政治を動かしているのではない。その一見ゆるやかにすすんでいるように見えるが、ある限界を超えると大きな衝撃となって押し寄せるだろう。「ポイント・オブ・ノーリターン」が。 「警告」が、いつか「現実」になる。 愛しい日々は過ぎてしまう。残ったのは口の中の苦い味だけ。
2015.06.29
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福岡市の今朝の気温は23℃。日照時間は、5;11~19;33で、まだ一年で一番日の長い日が続いている。外に出たらまだ暗いのは雨雲があるからでもある。天候などどうでもいい と思っていた。他人のことは気にしない。他人は他人なり。ゴーイング・マイ・ウエイ。好い こともあったが、見過ごしたことも沢山あったのだろう。過ぎてしまえば戻ってこないものば かり。いつまでも元気で居れない。起伏は段々短くなってもいる。6月のウオーキングもとうとうあまり頑張ったとは言えない成績で終わりそうだ。最後の日で、あまり無理はしない。ベストではなく、ベターでよい。
2015.06.29
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どんな苦しい日だとしても一日は、24時間でしかない。悦びも悲しみも刻々と時間は先に進んでいく、そして一日は終わり、リセットした明日を迎える。「何もないのが一番だ」と、よく祖母がいっていた。それは「日々是好日」でもあるのだろう。特別いいことがある訳でもなく、大して悪いこともなかったという思いが尊い。思い上がった人間は、他人に不満を持ちがちだ。他人より先に行かないと気が済まない。他人より価値のあるもの、優れたものでないと気が済まない人がいる。そういう人は、他人を踏みつけにして平気でもある。 ・人の品格は、社会的地位によっては証明されない。品格のない人間が、虚飾の姿をしたがるのは愚劣でもある。自分にとって「好日」とは何だろうか。それは、自分に相応しくあったということではないだろうか。自分がやれることをやれたということで満足する。できなかったと反省もする。奢らないで生きていくことではないだろうか。直向きだったか。 ・へ2・・・あと何年こうして早足で歩けるだろうか、考えた。いつまできるかなどわかるはずもない。私のもって生まれた遺伝子が決めることだろう。私は、始めたことをできるだけ続けようとするだけだ。親戚のお祖父さんは99歳で亡くなったが、畑で転んで怪我をして、あっという間に亡くなった歩けなくなったからだろう。もし怪我をしなければ百歳はゆうゆうと越したに違いない。「日々是好日」と、生きていることができれば幸福なのだろう。
2015.06.29
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ひとはいつか寿命がある。その日まで走り続けるのだろう。私の身近にいた人たちは、自分の最後の日のことを語った人はいなかった。偉大な人たちではなかったというのではない。それが当り前なのではないのだろうか。私のケースは、誰かのまねでしかないのだろうが、しかし違うところもあるかもしれない。疎外された人間の一人でしかないが、戦後とともに生きてきた人生でもある。 ・今更、衒うようなこともない。誰に対していうべきものでもないが、だから言いたいことを言うべきでもあると信じている。それこそ青年将校のような自民党の若手が物議をかもしているが、彼らにどれだけの思想があるといえるだろうか。それが国家のためでもあるまい。上から言われて素直に従うだけの輩でしかない。 ・へ2・・・何の勉強会というのだろうか。脇を締めなければならないという表現もあまりにも議論の余地のない姑息な手段をしているまでなのだろう。それが果たして日本の将来のためになるといえるだろうか。これまでの私の日々は、朝日が昇ってきた毎日でもあった。それはいつまであるのだろうか。目が覚めたので起きてきた。たった何度目かの記念日である。
2015.06.29
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観察者 同じようなことを書いている。毎日何をしているかなど、余程関心が無いと他人のことは知りたくもない。実は、やはり関心が湧くこともある。仔猫たちが熱心に、私たちのすることを観察している。それは全く無心に視える。人間はそのことを知っているが、殆ど無視してもいる。猫が何を考えているか知ろうともしないし、実際解らないからでもある。猫の脳とは違うヒト脳だからでもある。 ・ある社会心理学者が、休みの日に街かどの喫茶店から通行人を観察しているという話を聴いたことがある。その時は、ああそういう人もいるのだと。通行人は、誰が自分を観察しているかなど考えてもいないだろう。ぼんやり歩いているが、解かる人には解かることがあるに違いない。服装や、体格、歩き方、動作などから来る特徴は、ある特徴から来るそのひとの気分さえ解かるに違いない。然も心理学の専門家ともなると、本人が気付いていないことまで解かるのかもしれないからだ。 ・へ2・・・CMにしろ、世論調査にしろ、人間の心理の研究は進んでいる。色んな観察者がいて、獲物を探しているに違いない。それは許されることとそうでない人がいる。無関心そうに装った人たちの中にも鋭い観察者がいるということだろう。油断のならない社会だ。今日から、また私に新しい一年が始まる。
2015.06.29
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<作品> 「二百二十日」・1906年(明治39年)9月6日から9日までで書き上げた。・「中央公論」に発表された。・圭さんと碌さん。・漱石の体験。・社界主義。・フランス革命に刺激されて書いた。深い思いはないのではないか。・漱石はどうして書いたか?・意図的に書かない。・身体的に閉じ込められた人間に関心がある。海老のようになる容に通じている。ポーズ。・海老のようにある身体形態を書いている。母の胎内にいる子どものイメージ。・昔は、自然と人間とは近かった。・海老のようになっていた自分が、阿蘇の爆発になって出てくる。「二百二十日」の意味。・牢獄に閉じ込められた人間の心理・・・漱石の共感。・漱石の心理の原形がある。・漱石は痛めつけられたような感じがある。・欝屈したものが込められた作品である。それが爆発する。そういう意味では軽いものではない。・兵児帯・・・西郷隆盛の連想。薩摩の強弓。縁語。俳句。・レトリックに煎じこめている。・漱石は西郷を敬愛している。・読売から朝日に代わる時、池辺三山を信用した。西南の役に行きたかった。・漱石は、負けた側についた。そういう印象がある。・二都物語。・破れて死んでいった人たちへの同情。・頭を使って文明の革命をしたいという考えが漱石にはあった。・姦通小説・・・何かを変えていく意志がある。・この作品や「野分」などの時期の漱石の考えには、青年「二百二十日」と先生「野分」の側で書いている。熱っぽさがある。内の力がある。「虞美人草」のころとは違う。・教師が嫌になっている。「坊ちゃん」。教師を辞めて文筆家になろうとしていた。・高浜虚子の勧めがあって「坊ちゃん」を書いていた。漱石自身がマグマの心理状態のときに「二百二十日」「野分」を書いた。・特徴・・・山登りして果たせず、もう一度登ろうとしている。最後の意味。そこからまたはじまる。・「終りの始まり」。・片付かない結末。・「平民」と言った時には平民のがわに漱石自身は立っていない。・えびすビールの箇所・・・ 落語の手法。半熟卵。・小林信彦「小説世界のロビンソン」「うらなり」・小説の裏読み。・泉鏡花も使っている。・ユーモアを入れている。講談本。・革命だけではない。・平民側の教養をつかう。落語レベルで書いている。・漱石の体験。村鍛冶屋、豆腐屋、お寺、を使う。かんかんという寺の鐘の音。・豆腐屋・・・おからを食べて偉くなった。荻生徂徠。・気違い豆腐屋・・・差別語になる。・鏡を見てあばたがみえる。なるほど醜いと認める。漱石もあばたがあった。・狂人扱いされた経験がある。主人公の設定がされている。・文明の革命の意味…具体的にはよく分からない。金権に対する不満。世相に対する批評をしているか。・世の中に抱いている不満のレベルでしかない。それほど深いものではない。・漱石は社会主義者ではない。・仁王像・・・漱石の写生。運慶の仁王像。失敗作と思っている。・「夢十夜」鎌倉と明治の比較。鎌倉の魂がある。明治にはそれがない。魂が入っていない。漱石はそう思っている。完成途中。・圭さん・・・仁王に准えている。仁王のようなことを考えている。青白きではない。・二人旅。「ににたび」。「行人」までつづく。落語の手法が取り入れてある。・獄中日記。気がかりだが教えてくれない。そこから知りたいのに教えてくれない。・この先どうなるか。その後釈放されている。どうということのない結末になる。前後は意味がない。漱石は、閉じ込められた人間に関心があった。件だけを引用している。・「二都物語」・・・後世に託す。これからを見よ。最後は処刑される。・倫敦塔に閉じ込められた人の心理。・漱石は、10月9日(別紙)あり。二人の人物の感想を書いている。・場面、場面で考える。原因が問題ではない。漱石はその方向に向いている。・碌さんが最後に降参しているのは可笑しい(虚子の意見)。時間がない。・根が深くない。余裕のあるところ。滑稽がすぎると虚子が言っている。・普通の小説とは違うと言っている。虚子への手紙。・「破戒」が、漱石の余裕を刺激した。・高見から見ている部分がある。・敗北のプロセスを書いている。「坊ちゃん」「吾輩は猫である」。父や兄と争う。社会に向かっている。代助。社会の描き方が変わっている。草枕から「草枕」から脱皮の過程として、「二百二十日」がある。・虚子の意見が正論ではないか。・「三四郎」のころまでは好きだという人がいる。先生も同じとのこと。・この作品は、どうということのない小説のようだが、却って、二人旅の印象が残る。漱石の狙いが当たっている。記憶に残るようなものが小説としては優れている。
2015.06.29
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文化の衰退 知らない間に身近に外国人が増えているが、国際化を進めている日本では当然の帰結でもある。中国の影響がじわりと身近になっている。アジアを見るとどこも中国の影響がある。中国産の製品や食品を利用している機会が増えた。というより、思うより以上だろ言う。強いものが勝つ。もともと中国から入ってきた文化でもある。 ・威張ってみても仕方がない。普遍的事実がある。日本文化だけを見ているから日本人ではない。世界から視れば中国人も日本人も同じアジア人だろう。自意識ばかりではいられなくなる。何を食べ、誰に喰わせて貰っているか。福岡市では、すでに25千人の外国人がいる。 ・へ2・・・社会環境が変化している。それに適応できる人間だけが生き残る。10年前に日本社会ではない。突然変異は、その時が来ればある。オタマジャクシはかえるになるが、オタマジャクシはそのことを知らないでいる。蛙になったらそのことさえ覚えていないだろう。
2015.06.29
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リラックスして「自由からの逃走」や「不確実性の時代」だったり、企てのある社会で、自己の存在を客観的認識を以て捉えることも難しい。自分が何ものであるか時々自分の意味さえ見失いがち。自分を木偶人形のように感じることさえある。感情の起伏を抑えられない気分がしたりもした。これが煩悩だろうか。それを棄てろといわれてもそれをすれば宮刑ではないかと思ったりした。 ・無害の人間とは、いつもにやにやして魅力もないひとのことではないか。他人を疑い自分さえ疑う。そんな時代である。然しそれは人間社会の中では当然の帰結でもあるのだろう。平和の時と戦時では違いもする。程度の差があるだけだろう。利益社会がさせているだろうか。ストレスがあり、その中で如何にリラックスするかでもある。遣り過ぎたら泣く目にも遭う。 ・へ2・・・少し世の中が解かって来た時には、もうリタイヤをしなければならない。誰にも人生の王道はなく、自分のことは自分で判断するしかない人生観がある。一年も、一ヶ月も、一日さえ、何か節目を感じる。一時間も、一分間さえ重くなる時が来るのだろう。そのことを考えないで、知らないで平気で活きていることのできる間は幸福な時でもある。リラックスできることはまだ、自分のエネルギーがあるからでもある。 中々いうほどリラックスのできない性格でもある。どうもいけない。緊張してしまう。臆病なのだろう。学芸会で一番前に立ったら、緊張のため頭を傾けていたらしい。みんなから笑われた。それがどうも自分でもいやになっていた。でもなかなか治らない。子供のころの形質はその人の人生に付きまとうらしい。
2015.06.29
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バンデアイ・スレイとは、女の砦という意味。遺跡の周囲を取り巻くラテライトの塀以外の建築物は、ほとんど貴重な薔薇色の砂岩で造られている。アンコール遺跡の中でも独特なものである。気品と優美さを兼ね備えた女神のデヴァタの立像が有名である。 2015.6月ウオーキング歩数累計(2008.4.15~)年月 歩数日数2015.5.31まで52,019,0442,6022015.6月332,99629歩数累計52,352,0402,631
2015.06.29
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とまらずアスを目指そう。いくら疲れていてもアスが来ればまた元気になれる。心臓や肺が動いている。その音を感じて。噛みしめるものがあり右と左の足が、動いてくれる力がから だの裡にある。また一つトシを取る。段々いいことも無くなるが、それでもまだ生きてい られるだけで嬉しい。何が無くても好い。命があれば、まだ私は私でいられる。 日本には、一次史料が少ないという話をこれまで何度聞いただろうか。だから歴史も進化しない。いつまで定説のない議論を続けている。生きたデータをもって話すのとそうでないのとでは、ことばの力も違ってくる。本物と偽物の区別がつかないようなことばかり聞いていたら、ひとは変質してしまう。皮相的な問題ばかりしているから、人間も軽くなる。 自民党の青年議員たちはどんな議論をしているのだろうか。とてもまともなものではない気がしてないらない.国際社会に通用する人たちなのだろうか。言論の自由さえ理解していないのではないのだろうか。そういうひとたちが憲法改正や様々な立法をしていると思うとぞっとさえする。
2015.06.29
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「青い鳥」を探して回っても世界のどこにもいない。その童話を知っている筈なのに、つい「青い鳥」を探してしまうのだ。東京の大学の教授で、わざわざ2時間の講義のために来られていたようだ。20数人のために仕事とはいえ信念や使命感もあるに違いない。テレビや本では知ることのできない研究の成果を聴くことができた。 ・重大な問題があり、それがすべて公開されているわけではない。それがむしろ問題なのであり、胡散臭い話の中にある問題の核心でもある。原発問題やエネルギー問題などの、EUと日本と何がどう違うのか。国民は知らないことが多すぎる。学者たちはポストのためならどんなこともするという情けない存在でもある。だから戦争も、核兵器も為政者たちの思うままになったのだ。これからもやるだろうし、体質は変わっていない。そういう社会システムだからだ。 ・へ2・・・優秀な学生たちも、そんな学者たちのために精神を汚されていく、そして巨悪の道具になっても平然としてポストに執着するのだろう。どんなに努力しても待つのは絶望でしかない。希望と自信を求めながら、得られることのない社会でもある。こんな社会にだれがした。 アンコール遺跡に欧米人が多かったようだ。それだけ関心が高いのだろう。彼らは何を感じているだろうか。日本人は、中国や韓国から戦争中の侵略を非難され続けているが、現在東南アジアでは、植民地時代の侵略者たちにどんな非難をしているだろうか。或るツアーで一緒のだった人が、日本人やアジアの人たちには、どうして小物をしつこく売ってくる子供や女性たちが、白人たちにはそれをしないのだろうかと言っていた。ツアーをして気付くことは小さいことばかりではない。
2015.06.29
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これまで、いくつかの出発や、再出発や、そしてUターンもある。明日は一年の半分で、そして誕生日だし。色々思い浮かべることはある。あまり考えもしないで、窓から飛び出して、田舎から大都会に出た。そんな感想文を書いたら会社から人が跳んできた。素直に書いたつもりだったが他人は驚くのだと知った。一人暮らしを始めて、それまでの暮らしや食べ物の好き嫌いで亡くなった。 ・貧しかったが、その時々には優しいひとたちがいて、食べるだけは腹一杯食べていたし、体の弱かった私のために、母はヤギを飼って乳を飲ませてくれるような親だった。一人っ子で甘やかされて育ったが、環境は今のような豊かな社会ではなかったが、戦後の混乱期で人並みに嫌なことがなかったわけではない。碌な教育もない時代だった。世間の親たちが自信を無くしてもいた。どこか卑屈な社会だった。 ・へ2・・・何か、これまでとは違う月日が始まるのではなかろうか。勿論個人的な感想に過ぎない。これまでも、見損ないもあり引き返したこともある。これではダメだと思いもした。ポイント・オブ・ノーリターンというフレーズをこれまでもなんだも書いている。そこから奈落になる。其処まで行かないまでに手を打たなければどうしようもなくなる。石橋を叩いて通るだけでは足りないのだ。止める選択肢もある。答えのない設問もある。私の人生は、是からいつでもUターンもあるのだろう。27日は、午後からオプションで東洋のモナリザを見たくてバンテアイ・スレイまで行ったが、それこそ昔の熊本の道路のように道路が狭く、しかもかなり遠く感じたが、懐かしい田舎の風景でもあった。それでもすべて美しい薔薇色砂岩で造られている。
2015.06.29
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ひとの進化の奇跡的な合成物とは、ことばである。そして、その習得が生きる上で必要不可欠な道具でもある。ことばの力を借りないと生きていけない。ひとは誕生して言葉の習得までには長い時間がかかる。そのために可愛く生まれてくる。どんな悪人も赤ん坊には勝てないくらい可愛いと思うように仕組まれている。ことばは日常の道具であり、これを上手く使わないと苦労もする。言語としての日本語の未来に限界があるかも知れない。 ・世界では、多い民族が生き残りをかけているが、それぞれに独自の言語をもっているが運が悪いと淘汰もされていく。国家でも個人でも、旺盛な関心を持ち、順応できるひとがことばの原理を習得する。「脳」という科学的な視点が人間としてのより豊かな生活を約束する。生き残るのは、どの民族かではなく、混血になるだろう。 ・へ2・・・少し眠ったら、元気が出てきた。頭もすっきりした。睡眠が人間に及ぼすものは小さくはない。ことばをどこまで習得しているのだろうか。どうも、その意味がよく理解できていないようだ。国会中継でも言葉の習得ができていない人たちが、訳の分からない議論をしているように見えてならない。
2015.06.29
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<作品> 古潭 「山月記」・文学講座の教室が、以前の図書館のある教室から、広い多目的ホールに移動。・レジュメ2枚・原典は、「人虎傳」のみではない。・カフカ「あな」、穴のような家。・カフカ「罪・苦痛・希望・および真実の道についての考察」より。・変身。むしろ、引用は、種本になるのは、・司馬遷は「任小卿にかえす手紙」参照。司馬遷は宮刑された。これと「山月記」は関係がある。ふつうの人ではなくなる。・トーマスマン「トニオ・クレエゲル」・中島敦は、日本人には珍しく、英語や中国語が堪能で原本を理解できる。鴎外、漱石と同じくらいの語学力があった。東大卒。英文学に進むと思われていた。・「虎狩り」との共通点。・何かに「憑かれた人間」というのも中島という作家のモチーフである。詩に憑かれた人間。・虎を「文字に憑かれた獣」という中国で伝習がある。・作中のあのシーン「月に吠える」のは「虎」でなければならない。・何故虎なのか?かっこ悪くてはいけないのか。太宰も格好悪さを格好良く書こうとする。・自分が虎になったことを自分自身で理解できない。カフカの変身もある面リアルに描く。詩人の悩みと虎の悩みは同じではない、そこに違和感がある。・「李徴」は、何故虎になったか、答えの無い苦しみ。・人間にはどう考えても判らないものがある。人間の限界がある。・有限と無限。・哲学的な問い。いくら考えても判らない。・詩人の悩みと虎になった悩みは、別のテーマである。・三島や北杜夫は、トーマスマン「トニオ・クレエゲル」を愛読した。・「北方行」参照。・生活への愛着を棄てきれないのは、プロではない。・俗人・・・「生活」。画家のプロ意識もある。・芸術は何に向かって描くか。人に向かう。・やましい良心をもった芸術家。・中原中也 明治以前事象・妻子への愛情の欠如。・・・反面、妻子のために衣食のためにと書いていると別のところで書いている。・どう読むか。非人間的ではない。・虎になったのは非人間的だからではない。安易な答えではない。・アリ地獄の苦しみを書いている。具体的に描こうとする。中島風のあり地獄。・「問いそのまま答えである」。何を問うのか、が問題。・納得できないこと。答えを求めていない。哲学的。・生活への愛を棄てきれない。李徴の嘆き。・志賀直哉「荒絹」。蜘蛛にする。女神から妬まれた孤独な少女。・人との接触を断つと可笑しくなる。孤高の人。・世の中から離れていく。コミュニケーションの断絶が異類になっていく。・自殺する人間の気持ちは誰にもわからない。他人には、解って貰えない。・人間は「教育だ」と思っているひとがいる。漱石。教育次第である意味。・聖書を読まないでも、キリスト信仰者もいる。・あらゆる芸術は凡庸を否定できないのではないか。・選ばれた人間である李徴と、トニオ・クレエゲルとの比較。芸術と生活。愚かな人間と天才。その対立。・司馬遷「史記」。宮刑。・「李徴の独白」。司馬遷の境遇。男でなくなることと同じ。内面の葛藤。・手紙と語りと独白など同類。外枠は人虎傳だが、内面は、司馬遷とトニオ・クレエゲル。・人がトラになる話と一致するかしないか。カフカの作品では解からない。確かめる作業がある。モチーフ。発想。が気になる。調べてみる価値はある。・中島のカフカのメモがある。・Man and Books 漱石、秋成、鴎外。カフカなど。・定説に捉われないことが大事である。「人虎傳」とは内容が違う。
2015.06.29
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・殊に「水晶」については、京伝は、一か所しかないが、馬琴はそれを、最後まで縦横に遣っている。・「源氏物語」は、「事皆淫娃に過ぎて、反て勧懲に鮮やかならず」。・八犬伝には、人畜の交わりをぎりぎりで止めている。発禁を予想している。行間を読むしかない。・ふせ姫が水面を覗くと自分の顔がイヌになっている。八犬伝は単純ではない。・オリジナルを出す事が重要である。・京伝と馬琴は師弟関係であるが、力が逆転している。表の師弟関係だけではなく、関係が好い筈はない。先生もへったくれもないところがあるのが普通だ。・おのれの目を発見することが大学の使命でもある。オリジナルの自分の目に立って考えること。・今昔物語の逸話、目の治療として、胎児を所望する話を引用している。・化け猫。優曇華と八犬伝。・鷲が子供をさらう話の共通性。それが女児である。馬琴は、それを犬に攫われることにした。・優曇華は三千年に一度咲く花。そして吉凶を占うことでもある。・テクニック。・反復は様式である。反復=様式。・リフレーンは、繰り返す。前の作家のいったことを自分もそれを繰り返している。・京伝は、場当たり的であるが、馬琴は違う。・竹取物語から優曇華になったものを馬琴が違うものにした。・八犬伝では、優曇華のおろちが、化け猫の目が光る。別のところでおろちをつかう。・仇打ちが当時の流行であった。そしてお家再興の話。・構成・・・蟒蛇が人を襲う(優曇華) 化け猫が人を襲う(八犬伝)・因果・・・目の病。・八犬伝には、8つの水晶につながっていくだけの構想力がある。・京伝は、腹の子を暴いて晒すというグロテスクの特徴がある。それをあえてやる。挿入画までつけるという方針まであった。大学図書館にその本がある。・「八犬伝」の社会への影響は大きかった。現代でもその片鱗がみられる。これは単純には考えるべきではない。・虞美人草の「藤尾」の魅力は、現在の女子大生にも共鳴する人が多いことがある。悪女の魅力。・水戸黄門の印籠の意味はどこにあるのか。あれは勧善懲悪か。 権力を笠に着ている。様式化することで図式を超える。・その心地よさはどこから来るのだろうか。それを誰よりも馬琴は知っていた。・鴎外は、矛盾の人である。・終わりは始まりであり、終わりはない。・だれかのおわりはだれかのはじまりであり、おわりのないものがたり。
2015.06.29
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勝ち負けだけが人生でもない。まだ夢が見られた時代に生きていた人間たちもいたのだ。それ は、いまなのではないだろうか。そんな気がする。私たちはまだ、自分たちの運命を選択でき た時代の人間なのだ。自由の意味が次代で違うものになり、人間は段々小さくもなるのではな かろうか。管理され、近未来は、昆虫やミツバチのようになって行くのではないか。あまりぞ っとしない。明るい未来を描くことはできないでいる。こうした、私たちの思惑は外れてほし いが、決して明るくない未来しか想像することができないでいる。まだ僅かの自然が残ってい て、自由に歩き回ることができるのは、或いは途轍もない幸福なことなのかもしれないと思っ たりする。 >シェムリアップ。
2015.06.29
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・肯定否定のあとに疑問がある。「二項対立」。・船虫には、悪女の魅力がある。悪を生き延びさせる。殺さないのは、悪の存在の魅力があるからでもある。「デスノート」では、悪が悪をさばく爽快さを感じる。・三島は、漱石が嫌いだったが、鴎外は尊敬した。・京伝ほど馬琴は単純ではない。・二つの作品の共通点。 ・鷲に攫われる女の児。 ・象徴としての「水晶」。 ・獣や人名が同一。 ・足利持氏の時世の設定。 ・眼疾の治療薬としての胎児。 ・お家再興の物語。など。 9世紀ころにクメール王朝が成立し、12世紀から13世紀にかけてピークを迎え、アンコール遺跡が建設された。16世紀にフランスの保護国となり、独立と内戦を繰り返した。1991年10月にパリ和平協定が締結されるまであらゆる悲惨な出来事が繰り返されたのだろう。現地ガイドは、クメール人だといっていた。かっては広大な大地と強大な力を持っていたクメール人たちの子孫であることにプライドを持ち続けている。
2015.06.29
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・山東京伝「優曇華物語」の随所の「趣向」を弟子の曲亭馬琴「南総里見八犬伝」が如何に換骨奪胎したか。・馬琴の勧善懲悪批判に焦点を当てた文学史に就いて。・「小説神髄」や鴎外、露伴、芥川、安吾、漱石からの視点。(馬琴の勧善懲悪)をどのようにとらえていたのか?・レジュメによって、いくつかの文章を紹介された。・逍遥は馬琴に嵌まっていた。・鴎外の馬琴観。・露伴の馬琴観。・龍之介の馬琴観。そのまま肯定していない。・安吾の勧善懲悪批判。・漱石の馬琴観。漱石の勧善懲悪に対する考え方は、明治以前のそれとは異なっている。その作家の持つその人の勧善懲悪であって世間と違うものがあって当然だと言う。自分の良心に恥ずかしぬ様に勧善懲悪をやりたい。・大正5年。アイシュタインの相対性理論について寺田寅彦が、漱石の家で説明して聴かせたらしいが、「先生には解らないだろう」寅彦はいったという。漱石は、理系の頭をしていたが解らなかっただろうとのこと。・梶井も理系の頭だった。だから漱石も梶井も緻密なところがある。・漢文にも数学的なところがあり、それは両者ともよく理解できたのではないだろうか。・鳩山元首相も工学出身。・善悪をいうのは人間だけである。自然界にはない。勝手な世界観でもある。・to be or not to be that is question.
2015.06.29
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知識をどれだけ積みあげたところで精神にはならない。精神は胆力でもあるからだ。然し脳のパワーである。精緻さかも知れない。粗さが齎す妄迷から粗雑になるのだろうか。理屈に合わないことを仕出かす。 ・目が少し悪い。中々読むスピードが先に進まなくなっている。だから矢鱈鈍くなった。それでも、漱石の文章は判り易い。小説とは時間潰しではなかろうか。そして自分の人生も、おそらくそれではないだろうか。時の流れを悔やみながら愉しんでもいる。妙に登場人物が生々しい。どこかでこれまで出逢って来た人たちのようにさえ思えてくる。漱石の時代と変わらない時間を生きてきた気がしてくる。これはとても現代ではない。 ・へ2・・・ことばの通じない世界に「ポン」と放り出されたらどうするのだろうか。同じような顔をしていて、文字も言葉も分からないタイに行き、生きていけるだろうか。とても赤道の下で生きていけるとは思えなかったが、バナナを食べていきていた17世紀に日本人たちが日本人村を造っていた。望郷の念があったに違いない。ヤシの蔭にその子孫がいるのかも知れない。 ツアーの参加者11人で、ひとりだけが不参加だったが、どんな目的で参加されたのだろうか。ツアーの参加もどんな人でも自由だが、どんなこともそれをどう思うかでもあるのだろう。私は今回は写真を撮りたいと思って出かけたので、見学できて良かったと思っているが成果は別らしい。
2015.06.29
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「一夜」・問題となるのは、「折から烈しき戸鈴の響がして何者か門口をあける。・・・」。・「合わせ鏡」になっている。こちら世界の三人と、隣の世界の女ひとりと男二人をそれとなく書いている。清浄と醜悪な世界。精神と肉体、対比させている。・隣りでは、生々しい現実を想像させている。乱れた男女の関係がある。然しそれとは明確に表現せず、想像させる方がインパクトがあることを漱石は想定している。・隣の関係が現実社会である。違う男が登場してくる。三角関係。女一人に男二人。・清と濁。・「こちらの世界の女は、「誹」と賤しむごとく答える。」・髭のある男と髭のない男が象徴的に区別された人格者として描かれる。・「琴の」合奏・・・男と女の関係を指している。匂わせる。・タイトルには意味がある。比喩。「趣味」・・・男と女。・「グループ」・・・で読む意味がある。三人と三人として。・「倫敦塔」地獄の門。漱石の翻訳。ダンテの翻訳をした。「神曲」地獄篇。十五歌。 地獄である魂。これらの引用。・トリスタン・イズ・物語。 「幻影の盾」 ・フランチェスカ 「パオロ・フランチェスカ」(「行人」)・ランスロット 「かい露行」 に出てくる。・漱石は連想で書く作家。・運命的な出逢い。不倫の恋。で地獄に落ちる。・ダンテの影響。・「在天の処女」。・ユリの花に包まれた女。・「神曲」と「漾虚集」の関係がある。・「神曲」を読んだほうがよい。・「一夜」は、こちらでは何も起こらない。然し、現実社会の、「隣」では男女の醜い三角関係がある(汚れた社会)。・「かい露行」との関係がある。・ミステリーが解けないと解からない小説・仕組まれた内容である。
2015.06.29
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フレキシブリティ何がフレキシブルなのかは、かなり厄介だろう。他人を客観的に評価できるのも相当なキャリアが要る。どれだけ多くの経験をしようと学習をしようと、社会的事実を理解できないものは理解できないに違いない。学歴でも知能でもない。小鳥を卵から育てたことのある人は、小鳥が初めて巣から離れたとまり木まで飛ぶのをみて、驚嘆したであろう。 うまれてすぐに、何の経験もなくて も、小鳥は空間を認識し運動の経過を予見している。 知的動物である人間には、長い成長の過程で、欠落した多くの感性があるに相違ない。だがその代わりにフレキシブルな思考が進化を齎している。然し、これは、遣うか遣わないかの問題でもあるだろう。 固定観念が、やがて自分の存在を深みに沈めてしまうことを思い知るだろう そうしないためには、どうすべきであるかは、自己責任の時代では個人の問題でしかない。 簡単に絶望してしまうべきではない。ひとには生まれつき生き残るためのフレキシブルな能力が あるのだ。
2015.06.29
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どうも日本の将来を悲観している人は多いようだ。なぜか?どこの国家にも課題があり、悩み苦しんでいるが、現実の問題をどう解決していくのか、みんなで考えていく社会システムができていて、それに基づいて、コツコツやっている。それが民主主義でもある。それさえできていないのに。原発とかとんでもない危険を持ち込んでいるが、それを都合の悪いところだけ隠して、甘い汁を吸おうとする連中がいる。し放題やって死んでしまい。いなくなったあとで、国民は尻拭いをしなければならない。その繰り返しを遣らされている。 ・EUと日本のエネルギー問題も、3.11があり、そして原発の問題があり、ドイツでは、事故後すぐに脱原発に向けて動き出している。日本ではどうか。しかも被曝国だ。再生エネルギーについて、すでにEUでは、着実に推進されているが、日本は、まだ原発を遣ろうとしている。再生エネルギーの開発も殆ど進んでいない。なぜか。原発の利権が絡み、理由はいろいろあり過ぎるくらいあるとのことだった。 ・へ2・・・政府や、電力会社や、その他もろもろの利害関係者が係わり、そして原発の再稼働を狙っている。原子力の研究者たちが50年以上も実用化の見込みのない実験を繰り返しているという話があった。研究者は、研究費が出て食えればどんなつまらない研究でも延々とやるのだそうだ。哲学のない科学者は怖い。このままでは日本は亡ぶ。どうも日本のエリートと言われてきた人たちが、自分たちの責任を果たしていないのではないだろうか。その因果律が現在の日本の徴憑でもあるのだろう。言論統制から自由が奪われていくのだ。知らない間に、思いもよらなことも起きてくるのだろう。ワットの朝日観光も期待した以上だった。
2015.06.29
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日本への渡来人の背景には中国の歴史が関わり、やがて中・南シナ沿岸の原住民を圧迫するようになり、その動揺から集団的な移住が惹起したのではないか。 ・H2・・・舟を操ることに習熟した沿岸の住民は潮流にのり、朝鮮や、また九州・瀬戸内海・畿内などに到達し、各地に移住し稲作文化を移植したのではないか。(のちに倭韓は従兄弟文化ともいえるほど親密な関係になる)。弥生式文化は紀元前200年ころ西日本ではじまり、東日本では紀元後300年ころまで続いたとみられる。約500年間の時代を指している。平和的・非軍事的であり、呪術的・祭祀的な性格をもっていた。すなわち日本民族の形成は縄文文化と違い他動的躍進をした弥生式文化に始まったといえる。 ・東南アジア諸民族に多く類似する点、(いわゆる南方的要素) ・高床式建築 ・ふんどし、はちまきなどの衣服 ・入墨や身体朱塗り ・ある種の欠歯などの身体加工の風習 ・稲作に関係した農耕儀礼 ・イザナギ・イザナミ神話など多くの神話 ・その他、言語・韓語との類似性、とくに顕著な韓人的形質と大陸的要素など。 ・H2・・・「魏志倭人伝」にみられる所伝も、従来卑弥呼の邪馬台国に偏った論議が多いが、もっと広範な研究が必要だろう。ただ倭人伝にみえるものが、すこぶる南方的であることは明瞭であり、倭人伝の編者が倭地の風俗などから上記の説を肯定しているといえる。要するに3世紀に西日本が東南アジアの風俗を持っていたということだ。(江上前掲) ・西日本に多くの伝承される祭りにも、その名残りがある。 ・H2・・・何れにしても、「日本民族の形成」については、もっと深く広範に研究されるべきだろう。意外とまだまだ面白い話が出てくるのではないだろうか? ・人は皆混血だと思う。拘りを持つことが正解でもない。ただ祖先の恩恵を受けているのであり、それを無視してはならない。それは善もあれば悪もあるだけだ。何故史料を残さねばならないだろうか。それは知るために必要だから。今だけではない将来においても必要になる時が来る。それはルーツを知らねばならない時だ。 ・へ2・・・日々を繰り返しながら、個は消耗し、やがて滅んでも行く。それでも価値を残すだろう。それは容あるものばかりではない。その価値を失くしたときも種としてのヒトは滅ぶのではないだろうか。
2015.06.29
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ナルコレプシーで怖いのは誤診だ。内科ではなく、精神科で、然も睡眠の専門医でないと誤診の可能性がある。殊に中枢神経賦活剤などの乱用になれば中毒にもなる虞がある。 悪用するケースもあるという。薬物療法も正しい診断があってこそであり、副作用による障害も考えられる。ナルコレプシーの根治療法はなく、薬物療法は症状を抑えるため対 症療法なのだ。日中繰り返す居眠りは、特に受験期に発症し易いという。受験勉強で睡 眠不足の慢性化になり、睡眠リズムが成人型に移行しなければならない時期に、ホルモ ンバランスなどの不調がきっかけで幼児期に戻ってしまうのではないかと言われる。幼児は、3乃至4時間毎に覚醒と睡眠を繰り返す「多用性睡眠」であり、成人になれば昼と夜で活動する「単相性睡眠」である。この幼児期のサイクルが単相性睡眠に移行できないまま の状態になるのだ。昼間には、居眠りし、夜は、充分な睡眠がとれないのが、ナルコレプ シーの患者なのだ。遺伝的素因は、日本人に多く、イスラエル人に少ない。ちなみにイス ラエル人の一般人口中のHLA・DR2 の頻度は2%に比較して日本人は36%だ。 誤診されれば、危険な薬物療法をされるかも知れない。専門医にかからないと酷い目に遭うかも知れない。
2015.06.29
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