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対話をするには、対話する人間は半歩だけ自分の領域の外に出る必要がある。それをしないなら対話などできはしない。宗教と科学の対立も問題はそこにある。宗教は教義をあえて否定することはないにしても、宗教現象を虚心にみることからスタートせねばならない。それは外交問題でもそうだろう。日中双方の対話も、その半歩を踏み出さなければいつまでも同じことの繰り返しに過ぎない。 現象を虚心にみるとき、意識のレベルが問題になる。通常の意識レベルとは異なる意識のレベルがあり、それはこれまで「異常」とか「病的」というレッテルが貼られがちであったものであるが、最近はこれを「意識の拡大」とみられるようになっている。それこそ宗教的な修行によって体験するヴィジョンや体験、などである。 新しい美へと進化しているのだろうか。若さのエネルギーは迸りつづけて、明日のニッチをもとめているのだ。 今日女子大から今年度の講座の案内メールが届いた。5月からのスタートのなるようだ。もう一つの大学があるが、まだ案内が届いていない。4月になり、これからいよいよ新年度のスタートでもある。新たな気持ちで、頑張りたいと思っている。
2015.03.31
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脳の中では新生児の脳では、1秒間に30億個のスピードでシナプスが形成される。生後8ヶ月で、約1000兆個のシナプスができる。この数に達するとシナプスの数は徐々に減少し、10歳頃には半減する。その後の人生を生きるための約500兆個が残されるらしい。何故過剰なシナプスが形成されるのだろうか。そして何故半減するまで消滅しなければならないのだろうか。恐らく人間社会の環境レベルでは遣われることのないシナプスなのだ。食べること、喋ること、文化に順応するのにはそれだけを必要としないからだろう。・新生児は、どんな環境でも生き残れるだけの能力を持って生まれてくる。つまり、どんな情報でも受信可能な配線が余分に準備されている。脳の仕組みを理解しないで、外国語を覚えねばならないというのは、効率の悪い話だろうか。何か人間は無駄なことばかりしているような気がしないでもない。
2015.03.31
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日常を単調にしてしまうのは、自分の生き方さえ面白くなく為せるのではないだろうか。生きる工夫をしなくなってしまう。決められたことをしたがるのは、ものを考えようとしないからではないか押してもだめなら引いてみな、がなくなる。食事と運動も一定である必要はない。寧ろ、何をベースにしているかだろう。人間の体は微妙であり、ストレスや、様々心理活動の影響を受けているのであり、いつも一定ではない。どうやら、貧しい日本人の食生活がDNAとなり、私たちの体質を形成している。あの龍之介や、太宰の暗さや、梶井基次郎の性格をどこかに持っていもいるのだろう。それは大変だ。 ・心も体も病人になる素質があるのだろう。パーツは新しくなっていてもエネルギーになるものが、フリーラジカルであり続けるとしたら、何れ突然変異が発現するのだろう。彼らの陰湿な性格は、どこかの汚れた屋台で、同じように腐った魚を焼いている。それを食べねばならないだろうか。そう思い込んでいる若者もいるに違いない。これしか自分たちには食べるものがないと思い込んでいる。悪意に満ちた医者たちが、患者たちを餌食にしているのではないだろうか。有能な医者を演じている。裏で何をしているのか分かったものではない。裏では、イヤラシイオタクではないだろうか。それとも看護師にセクハラをしているかも知れない。患者のできもしないことばかりアドバイスしているのではないだろうか。或いは製薬会社と結託して薬を必要以上に患者に売りつけてはいないだろうか。 ・へ2・・・それこそ、使命感のない医者もいる。何かとカリキューレートなことばかり。どうやら独立する準備をしている。患者は、<儲かるお客さん>でしかないのだろう。個人的に医者に恨みはないが、客観的に見れば言えるのではないだろうか。エイプリルフールもあまり聞かれない。あまり面白くもない4月になるのではないのだろうか。
2015.03.31
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結論を急ぐまい。要は、どれだけ優れた人材を残せるか、時代を先取りできるかだ。アメリカの文化人類学者のクライド・クラックホーンは、「人間のための鏡」を著し、半世紀前のアメリカのあり方に警告している。同じことが日本でも言えるだろう。めずらしい種の標本を集めるような学問で、自分たちを取り巻く文化を理解することはできないし、新しい文化の創造もできはしない。謂わば鏡となる存在を探し出さねばならない。 人間にとって文化とは何だろうか。雑草の蔓延った社会でただ欲望のまま生き残ることだけを考えねばならない環境ではひとは疲弊してしまう。何が遺すべき種なのかを考えるべきだ。仮想敵国を創り、それに立ち向かうだけで済んだ時代とは違う。ひととして自立し、不正を憎み正しい判断のできる人間を育成しなければならない。 日本民族はどうか。国際社会で生き残ることができるだろうか。現在の世界の人口はもうすぐ69億人になる。1.2億人の日本人は1.8%に過ぎない。狭い民族主義に拘るべきではない。自然淘汰を拒絶できない。 要はどれだけ優れた人材を残せるか。時代を先取りできるかだ。
2015.03.31
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分散制御システム生物の自立性の本質は、システムを制御するため必要なルールとしての操作情報をシステム自身で刻々と創り出しながら、それを事態に応じて適用していくところにある。生物は分散制御システムである。操作情報は多くの要素の活動に辻褄の合った適切な関係を与えるようにシステムを統合的に制御できるのだ。生物は、複雑な環境の中で生きていくためには生物システムの適応が必要だからだ。 そして生物システムと環境との関係が変化するのに応じてシステムは刻々とその性質を自律的に変化させていくことが必要になるから、その形質は決して固定されるものでなく、多様に創出される。そしてこの多様性の幅が広汎なほど大きな環境変化の中で生き残れることになる。この生物的自律性制御の本質は生物というシステムが広い意味での境界条件(拘束条件)を創りだすと、その構成要素がお互いのその拘束条件と辻褄が合うように自律的に決定していくという形態とってなされる。公理系が論理体系と矛盾して混乱することはあっても、論理体系から逆に公理系をキャナライズできない。 生物の自己創出性のシステムを理解するためには、拘束条件がどのような原理であるかを問題としなければならない。それはこれまでの科学で人間が直観的に実行してきた仕事に相当し、客観的な問題として論理化されてこなかった問題でもある。課題が拘束条件であり、そのもとで生物システムを構成している各要素が並立的に働いてこれを「解いていく」のである。この課題の発見は一種の「場所の論理」の問題である。(清水博「論点としての生命」より) 清水博氏は、分子生物学は細胞の内部の分子的な過程の連鎖を克明に解明していくであろうが、このままではその論理的限界から「拘束条件としての個体の形態の自律的な形成」そのものを解くことはできないという。 生物は分散制御システムである。人は自立しながら活きている。
2015.03.31
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視覚的刺激から放たれる光は眼球の水晶体を通るときに逆転して、さらに奥にある網膜に到達する。光感受性のある細胞が、それを電気パルスに変え、視神経により視床の一部外側膝状体に送られ、さらにV1という場所に向かう。視覚野はそれぞれ色や形、大きさなどの視覚の各要素を担当している。家のねこが片目の摘出をする。 如何に視覚が果たす役割が大きいかが分かる。然も左右の目はそれぞれ役割分担があるのだ。それは脳の地形図を知れば誰でも知っていることだろう。少なくとも両目が必要だ。片目になれば、彼は自分の体の半分を失ったようなハンディを感じることだろう。それがたとえ猫だとしても・・・。人間の眼のような研究が進んでいるとは思えないが、少なくとも人間の協力なしには厳しいものになる。 右脳と左脳のそれぞれの担当する分野が生きる上で大切な役割を担っている。猫は可哀想だが、私は、観察者だから、面白いものを見ることになるだろう。まあ猫にとっては面白くないだろうが、猫のこれからは片目で生きていくのだ。 それが猫だとしても、生きることはチャレンジだと思っている。自分の持つ寿命を・・・らしく生きていけばいいのだ。何にもいじけることはない。だれかがこまればだれかがたすけてくれるように、できているだろう。いやそうしなければならないのだ。
2015.03.31
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2015.03.31
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ひとの免疫システムというのは、元来子孫を残すためであり、ウイルスや その他の病原微生物から、人体を守るだけのために創り上げられた。 他の野生動物で、数年間も他者の介護を必要とするヒトのような存在はあり得ない。すぐに捕食者か仲間の栄養になる。 免疫は、漸次衰えて行くようにプログラムされている。 加齢によって細胞は劣化し、その特異性は内外ともに障害を生じ始める。 外からの侵入に対して、非自己を認識できなくなり、更に自己を非自己と捉えてしまうようになる。つまりバクテリアやウィルスが感染しても、其れを排除できなくなるし、自分自身の身体の一部さえそうでないと認識してしま うのだ。これが、自己免疫疾患の状態だ。 私たちが、人間をみることができるのは生きている人間であり、死んだひとたちではな い。勿論記憶や、映像や、ことばとして残る「容」はあるが、それは、「真のひ と」ではない。語り合えるのは、生きている人間とだけだ。然し、思えば何と瞬間のことであろうか。懐かしいひとたちは、遂に過去のひととなり、 尊敬すべきひとは、もう眼にすることもできない人たちばかりだ。愛するも のはいるが、それをもう素直に自分の口から言うことはないだろう。 今は、もう誇れるものはなにもない。のこすべき優しいことばも彼方に忘れ ている。在るのはささやかな日々でしかないだろう。せめて、知ることとあと僅かな時間。ひとは、勝つことのない自然へのチャレンジ。 自然の摂理とともにあり、種としてのヒトのプログラムを生き抜くだけ。
2015.03.31
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眠ることと食べることが脳を最大限に引き出す重要なポイントである。「サーカディアンリズム」と呼ばれる生体時計からの命令でリズムを刻んでいる。最低体温で目覚め、最高体温に達すると眠くなる。長年の習慣で生体時計のベースは昼間起きていて、夜寝るようにできている。いちばん目が覚めているのは午前10時から12時までくらいで、14時くらいには眠くもなる。交通事故等もこの時間帯に多いようだ。メラトニンは、覚醒14~16時間後に出てくるホルモンで睡眠に関連しており、抗酸化作用、リズム調整作用、性的成熟の抑制作用がある。老化を防ぐこと、抗がん作用があるとされ、眠気をもたらすはたらきがある。 ・高齢者で日中の受光量が増えると、夜間のメラトニン分泌が増えて、睡眠の質が改善したという研究があるようだ。メラトニンは目覚めて、14~16時間後に暗くならないと出てこないので、夜になっても明るくしておくと、すとんと分泌量が減るのだという。朝の光も重要な意味をもっている。朝の光の中にセロトニンのはたらきを高める作用があり、精神を安定させるという。セロトニンは、こころを穏やかにする神経伝達物質でもある。 ・へ2・・・夜遅くまで起きていることや、朝の光を浴びないことが、健康に良くないことくらいは一般的な常識だろうが、それが脳にどれだけの影響があり、やがてホルモンにダメージを与えて、それが<がん>を発症させるスイッチを入れることにもなる。どうしても、そういう生活をしなけれならない人がいるかも知れないが、これにも対抗策はあるに違いない。どうしたら、よりよい環境をつくれるのか、その努力を最低限はすべきなのだろう。自業自得では始まらないのではないだろうか、そう自戒をこめておもっている。
2015.03.31
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これからは、愈々、世界が迫ってくる感じがする。そのためには島国根性では通用しないことは確かだろうが、どうすればいいだろうか。外国語を覚えるだけではない。彼らの正体を見極める力が必要だ。外国語は道具でしかなく、会話するのが目的ではない。逆転の発想ができなければ壁を乗り越えられないのではないだろうか。故国を棄てなければできないこともあるだろう。こうでなければならないのではなく、出来ることは何かを考えるべきだろう。 ・どんどん棄てて、あるものを拾いつづけることだろう。それで何ができるだろうか。その何かを創り出す創造力がなければならない。素材をどうして集めるだろうか、それはそのひとの日頃の研鑽でもある。 ・へ2・・・明日から4月。気分を入れ替えてやり直したい。 皮相のことしかわからないと全てが分からない。
2015.03.31
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人の孤独 利己的な遺伝子は、誰もが持っているが、それは単純なことばでは表現できないものだ。他人のことを理解しているように言っていても、それは皮相的なものでしかない。たとえ親子でも夫婦でも限界はある。個としての生命の生物学的な存在は、そのひとだけの遺伝子由来でもある。 ・常に周囲の環境を観察していなければ生命の危機にもなる。厳しい生存競争の中で活きていかなければならないのは、現代も変わりはない。何故人間は不死ではないのか、かなり前の科学雑誌「ニュートン」の特集記事を読んでいた。図書館からバックナンバーを数冊借りている。今度の「大宇宙」編も詠むつもりでいる。「ニュートン」は、昔からの愛読書でもある。 ・へ2・・・孤立し、孤独に為るなといわれるが、それは難しい注文でもある。群れることで癒される生物もいるが、ヒト脳は、個性があり過ぎる。DNAは、一日数千個の細胞が傷付くと言われている。ミトコンドリアは、生命活動に必要なエネルギーを生み出すと同時に活性酸素をつくりだしDNAに傷をつけてしまうのだ。修復酵素が働かなくなるひとは老化が早まる。 2015.3月ウオーキング歩数累計(2008.4.15~)年月 歩数日数2015.1.31まで51,061,2302,5102015.3月330,33231歩数累計51,391,5622,541
2015.03.31
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世にあるものは、スポットとスポットであり、無関係に見えて、実は、連関がある。寧ろ関係のないものはない。これからのテーマは「情報を生活に活かす」だ。何が「情報」で、何が「生活」で、何が「活かす」なのか、いまもコンセプトが曖昧だ。短絡的な点と点の集積でしかない。価値を見出すには、リレーする論理がなければならない。 ・世界で起きることは、そのままではバラバラのテーマで、一貫性がなく、一方的で、自慰的だ。焦点が大きすぎるか小さすぎるか、そのどちらかでもない。噛めば噛むほど吐きたくなるような。違うことばかり想起してしまう。でも現実はスポットとして、分らないでもない。おそらく私の知らないことばかり。何がリレーできるのだろうか、分るものだけが分かる。 ・へ2・・・リセットがされつつあるだろう。フロチャートもテストもないたった一度の人生を生きているのに・・・。それでも人間は誰でも、否応なく遺伝子のリレーをしている。
2015.03.31
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ビビット いつか肺機能が止まり酸素を取り込むことができなくなる。時計の針が止まるだけだが、それまでは ego-based の組織化がある。勿論 ancestor-based 組織化という。これは祖先を中心として成り立つ descent group でもある。これを明確に認識しているものを「リニージ」共通の始祖の子孫であることが伝承されているものを「クラン」という。リニージは土地などの保有体を意味し、クランは内部での婚姻が禁止されたりするタブーを共有したりする>。 ・へ2・・・段々と自己を基点とした周囲の人々を知りたくなるものらしい。それは組織化された一定の範囲の親族・姻族であり、文化人類学では、kindred という。日本でいえば、「シンルイ」の一種。生きている間はこの柵に縛られているが、それが無くなりつつある。なくなるのは仕方がないにしても、どこまで自立できるかだろう。ただ飛び出せば何とかなるものでも酸素のないところでは生きていけないように、私たちの世界にはルールともいえるものがある。それは自分と他者との境界でもある。そして時に、権力は圧殺者にもなる。 ・日本では「同族」「家」がある。あったというべきか。それは因習であり、固定観念でもあったが、構成員たちの生命を守っても来たのだ。冠婚葬祭における交際や、祖先祭祀の共同や、家格の上下差などは完全に消滅していないのは、それに内面では頼っているところがあるからだ。 ・へ2・・・私たちの日常は昔とは大いに違ってきている。それは確かだ。だが違わないものはある。そこに回帰しないまでも守るべき何かを知るべきだ。それでも、私は最期の息が消えるまで自分でいたい。
2015.03.31
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方丈 「方丈記」や「徒然草」など、それこそ中学くらいから読んでいる。然し、本当は何も分かっていなかったといまなら思える。 「ココニ、六十ノ露消エガタニ及ビテ、・・・」とあるが、それはわが身に振り返って感じるものがあるのだろう。漱石も40歳近くになって書きはじめた小説であり、それは単純な ものはない。 長明や兼好の時代といまの私たちとどこが違うのだろうか。あまりにも近い気がする。あれか らどれだけのことがあったといえるのか。
2015.03.31
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支えられて今朝も、元気で起きれるということは、少なくとも自分のからだにとって悪いことではない。少し呆けたかもしれないが、健康を保つことに対する自覚を深めたし、それが大変なことだということも、解かる所は解かった気がする。一日3時間かけて歩いたのは、時には苦痛でもあったが、それを遣らなければ、健康は維持できないことを体験していたからできたのだろう。こんなバカな実験ができるのは、余程の暇人でなければできないと思う。自分のことでなければこんなことはしないだろう。 ・疎外されている事は悪いだけではない。逆鏡はチャンスかもしれない。それは其れが出来なければ意味がないだけだ。そのためにする犠牲は払わねばならない。どんなことも。宦官は大事なものを棄てて仕官した。司馬遷の「史記」はそうして出来た偉大な作品だ。3.11で何を日本人は学んだだろうか。其れが問われてもいる。 ・へ2・・・毎日のウオーキングを援けてくれたものに、ブログがあり、万歩計があり、歩数記録があり、音楽があり、家族があり、未だ色々あるが、そのなかでも忘れてならないものが、住環境だ。和白という都会でもない田舎でもない福岡市の郊外に住んでいる。近くに和白干潟がある。まだ微かに残っている自然がある。その中で息をしている。早朝、明けの明星が視える。夜は、木星も見える。
2015.03.31
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アスベルガー・シンドロームの人は、真水に入れられた海の魚のようなものだという。適した環境であればうまくやっていける。アスベルガー・シンドロームの人と環境がうまく合えば問題は解決し、才能を伸ばすことができるが、環境が合わなければまったく能力がないように見えてしまう。 これは、病気の話であるが、真水に入れられた海の魚、というのは面白い表現だ。時々、そういう気持ちにさせられることが、自分にも他人にも感じられる。 勘違いもあるに違いないが、自分と他人との境界は常に変化もする。柔軟なこころを以って物事に向かわねばならない。いつも平穏である日々ではない。腹を立ててばかりでは身が持たない。歩くのが一番だ。
2015.03.31
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河合隼雄の「中年クライシス」から、 精神科医エレンベルガーが、フロイトやユングの深層心理学者の人生を丹念に調べて。その結果 「創造の病(クリエティブ・イルネス)」という考えを提唱した。つまり偉大な創造的な仕事を した人は、中年において重い病的体験をし、それを克服したあとに創造的活動が展開されるという。 勿論、そのまま倒れてしまう場合も多い。芥川も結果的にそうだろう。一葉はその前に夭折した。この考えは、他の学者によって多くの証明がされている。漱石も胃潰瘍で死掛けている。 「修善寺の大患」だ。その後で、彼の作品が大いに変化して深みが増した。自分の生命と交換にした人生もあるのだろう、余りにも切ない人生だ。フーコーも読んでみたけど良く分からない。
2015.03.31
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どうも上手く行っているように思える時には、用心した方がいいというのがこれまでの自分の体験である。調子に乗っていていいことはない。気を抜くと怪我もする。これは自分の体調のことだ。心配事が無い訳ではないが、遣っている事がある。大学でも、テレビでも、プロではないひとの講演会や、講義を聴く機会が増えたのは悪いことではないが、あまり、何の役に立つのか解らない節がある。不思議な時代になった。親切なのか、時間つぶしなのか。 ・自分の知っている事をお喋りするだけのことでレクチャーになるのだから、何でもありだ。誰も文句を言わないから、それでいいと思っている向きもある。自己評価ばかりしている。それは自分も同じだ。誰も文句を言わないから問題が無い訳ではない。嘲笑されもする。大した知識も準備もなしに、豪そうな記者会見をしたり、丁々発止をしようとする。真似てもそれは猿まねでしかない。それが公だから困る。これは文化のレベルが落ちたからだろうか。 ・へ2・・・・へ2・・・裸の王様に、誰も真実を言わなくなる。戦争で負けて、原子力や航空機や、現代科学の最先端の研究が世界から遅れた。カネをかけないで、実験のないものばかりしてきたそのつけがまわっているのが、日本の原子力などの科学研究の現実でもある。スポンサーのない研究はできない。国家はあってない国家組織でしかない。それが、いま国民の目の前の現実だろう。
2015.03.31
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M・ホルクハイマーとT・アドルノ「啓蒙的理性の弁証法」(1947)の中で 「樹木がただの樹木としてではなく、他者の証拠、たとえばMana のやどり場所として語られる場合、コトバの表現するのは、一つの矛盾、すなわち、何かがそれ自身でありながら、同時にそれ自身とはちがう他のものである、同一でありながら、同一ではないという矛盾である」 このような弁証法は、恐怖の二重化、恐怖のトートロジーにすぎない恐怖のさけびから形成されているかぎり、恐怖の克服には無力である。ヨーロッパの歴史的理性は、矛盾にみちた弁証法的過程をたどりながらも、すべての超越を追放し、認識論的には意識内在の立場を守りぬく実証主義的態度が、この過程の一つの頂点であろう。 ヨーロッパにおける理性のめざめは、まず呪術からの解放という大なる跳躍をあえてしなければならなかった。その結果として、呪術はまったくの虚妄、幻想、迷信として徹底的に否定されたのだ。それは一面で、ミメシス(同化的模倣活動)をも追放され抑圧されることになってしまったといえる。相手と一体化し、相手を動かし、自分も動かされるミメシスの直接性がノエシス、テオリアの間接性に置き換えることができるのだろうか。
2015.03.31
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「共感」とは他の誰かが何を感じ、何を考えているかを知り、さらにこれに反応して適切な感情を引き起こす傾向だ、という。相手が考えていることや感じていることをただ機械的に推測する(マインドリーディング)のではなく、またサイコパス(反社会的な人格障害)でもない。もともと女性型の脳は、共感する傾向が優位にできているという学説がある。どうやら、普段にみられる女性の行動はそれを裏付けているようでもある。併し、必ずしも当たらないと思うのは、世界には、サッチャーなど「鉄の女性」と呼ばれている人たちもいるからだ。あれは特異的な存在なのだろうか。 何れにしても「共感」する脳は、これからの世界、人類にとって欠くことのできない資質になるだろうことだけは確かだろう。それを妨げるものが多いのは、これまでの進化の歴史が証明するだろう。「共感」だけしていては多くの場面で生き残れなかったかも知れないからだ。 併し、核を手に入れ、狭い地球に溢れた人口を抱えた種としてのヒトは、あらゆる場面で欲望にブレーキをかけなければならない事態を認識すべきだろう。安易な楽観論は命取りににもなるからだ。ふやけた心に楔を打たなければならない。 誰が、これからヘゲモニーをもつべきなのかを選択すべきだろう。少なくとも利殖に心を奪われし者たちであってはならないだろう。ブレイブ・ハートをもち、人々の平和に対する願いに共感できるひとでなければならないだろう。 小さな愛ではなく、類的な愛でなければならない。それは、どうして育まれるものだろうか。それは、誰もが知りたい。
2015.03.31
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記憶力について、ラットの実験で、豊かな環境・・・道具や、遊び仲間、学ばねばならないことの多い環境で育ったラットと、そうでない刺激のない空っぽの檻の中で育ったラットの比較研究がされ、前者のラットが後者のラットよりも大きな脳になり利口になったという。つまり樹状突起や、シナプスの数が多く、学習経路も多様で、知能も高かった。人間でテストしたわけではないが共通点はあるだろう。同じ実験で、刺激のない環境で育ったラットでも、年を取ってから豊かな環境に戻すと、脳がより大きくなり利口になった。それだけ脳が柔軟性があるということだ。新しいライフスタイルと環境に劇的に反応できたのだ。 ・成人期の仕事以外の知的、身体的活動の頻度と多様性が、痴ほうの予防の効果を持つが言われている。最近の研究では、知的活動が最も重要な要因であること、殊に外国語の勉強が成果が顕著であるという。アルツハイマー病に効果があるかも知れない。根拠があるだろうか? ・へ2・・・知的活動が脳細胞の蓄えを殖やし、それを老後に必要に応じて引き出すことができるという。加齢による構造上の低下が起きても、余分のニューロンやニューロンの回路が、その埋め合わせをするのに役立つのだ。多様で刺激的な活動の経験も新しい脳細胞の発達のサポートをするらしい。どうやら「海馬」に関係があるようだ。海馬は学習と記憶の中枢だからだ。
2015.03.31
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歴史的理性の覚醒は、神話を正面の相手とし、ロゴスとミュトスがある。統一的神話そのものが歴史的理性の所産である。神話は、象徴的出来事を報告し、命名し、その起源を物語る記述であり、確定であり、説明である。繰返され、暗誦され、編集され、「神話」となる。世界は、神話の中で神の思召し、あるいは約束として、人間の支配に委ねられる世界に変わる。これこそ、ミメシス的呪術からの大きなジャンプである。 ヨーロッパにおける市民的理性は、そもそも出現のときから、自然支配的性格の刻印を自分に刻んでいる。人間は、自然を支配する過程を通じて、自然の一環としての自己を自己によって支配された自然から疎外させないわけには行かない。人間の自己疎外の原過程は、自然からの根源的自己疎外であり、自己確立と自己疎外の弁証法的過程である。 歴史的理性は、その発端において、進歩と疎外の弁証法的モイラ Moira を背負っている。 理性は、神話からすべての材料を受取ながら、神話を破るために、この材料を逆用しよとし、逆に、神話の呪縛に落ち込む危険を孕んでいる。つまりヨーロッパの形而上学が自然と人間の永遠的秩序を規定する為に使用した根本的カテゴリーの重要な部分が、統一的神話をルーツとしているという事実である。
2015.03.31
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卑屈なる根性を根絶し、「自主自由の真意義」を自覚し人間としての真価を取り戻すべきだと宮崎 touten は論じた。「ワマカシ」(肥後方言)とは、人間本来の自由をみずからのもとを取り戻すための、因習への反逆であり、時代風潮に対する反抗の精神である。 「己れを馬鹿にし了って而して人を馬鹿にし世を馬鹿にする」 当時の肥後藩は、朱子学が盛んで「屁理屈」が多く「小党分立」し、いがみ合っていた。「偽善」と「虚礼」で鼻持ちならない風潮があったなかで、一部には反骨の精神の気風も育っていた。 そのころ永山という権勢を驕る男がいて、横にいざるようにして歩き、コシで出かけていた。 「永山は一人か、つれしゆ(衆)はないか、つれしゆァあとからコシで来る、 キンキキラ(綺羅)キンの蟹政(ガネマサ)どん、 蟹政どんの横バイバイ。 」 当時大流行したこの歌をある子供が歌っているところにばったり行き合わせた永山はカッとなって無残に斬殺した。このように、藩公の威光をかりた権力がとぐろを巻いて閉塞感が漂ってもいたのだ。 この「ワマカシ」の潮流が、明治に入り、一方で「神風連」事件となり、このあと精神は徐々に堕落したが、個性的な熊本人である、蘆花や蘇峰など、の人物たちも輩出した。 私も熊本で育ったが「ワマカシ」ということばも伝統も、知らない・ただ「モッコス」ということばは、残っている。意味的には近い意味であろう。
2015.03.31
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汚職やカネに絡んだ犯罪が世に溢れている。金権主義が背景にある。犯罪は後を絶たない。悪いと知って遣るのだから、罪は重い。僅かなカネでも100億円近いカネでも構成要件には違いが無いが、真面目に働いてギリギリの生活をしている者たちが重い納税に苦しめられているのに、平気で脱税や犯罪を繰り返している連中がいることだ。犯罪と判決されないが悪人は大勢いる。 ・卑劣な人間を許すことはできないが、それを一々捜し出して、処罰していたらこの社会はどうなるのだろうか。カネの力で、尊敬されたり軽蔑されたりもする。カネさえあればと考えてしまいがちだ。厭な世の中だと言えばそれまででしかない。ダラニ集に gate gate paragate parasamgate bodhi svaha.厖大な般若経典の一部分が般若心経になったとある。末尾にあるフレーズが有名なダラニだという。こんな世の中だからこそ、心に響くものがある。
2015.03.31
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どうも目が暗い方を見てしまう気がしている。探せば明るさはあるだろうが、どうも怪しいものばかりだ。選挙に当選して勉強して政策を考えますというような、素人の連中が政治をしているのだから、問題の本質まで理解するまでに周囲から騙されるのが落ちだろう。そうかと思えば何十年も政治家をしていて進歩のない政治家もいる。あちこちで法螺を吹いてそれで政治家のつもりでいる。他人に愛国心を説きながら、自分は逃げ回っていた昔の陸海軍の上層部と同じことだ。国民の不信感は容易に拭えそうにない。 ・仮想の訓練や作戦ばかりしている自衛隊員たちを指導している者が、それこそ大相撲の稽古部屋のつもりでいるのではないだろうか。たらふく食べさせ、体を鍛えれば、国家のために犠牲になる愛国心ができると思っているかも知れない。それこそ、馬の前に人参で隊員募集しているのではないのか。資格が取れるからと騙してはいないとしても、どこか不純でさえある。防衛大に入学して、かなりの卒業生が別の道を歩くと聴いたことがある。どちらが騙しているのか知らないが、そんなことで、安心せよというのではないだろうか。 ・へ2・・・国民を騙しだまししながら、列強からの侵略を図らねばならなかった時代も確かにあっただろうが、それをいつまでも続けられると考えているとしたら、大間違いだろう。確りした課題を与えないから、人間は堕落するのではないか。それは、未来を感じさせる人間たちが日本から消えているからではないだろうか。目先の利益で、走らせようとする姑息な考えからだろう。人間は、どれだけでも可能性があるだろう。その能力をどうしたら引き出すことができるかだ。クジラくらいの夢を持たなければ、メダカにもなれない。
2015.03.31
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セロトニンはヒトを含む動植物に一般的に含まれる化学物質で、トリプトファンから生合成される。(Wikipedia) 集団で行動する生物には、皆で行動する時にセロトニンが出ているらしいという記事を見つけた。一匹で行動するときはそれがなくて、集団行動するときに出るらしい。ということは、集団行動はやはり嬉しいのだろうと思った。人間にもより大きな木の下にいる時そういう感情を持つのではないだろうか。勿論でない人もいるだろうが。人間行動も脳の化学反応でしかない。 ・仕組まれた罠の中を歩いている。容易にそれと気づくようなチャチなシステムではない。やっとそのことに科学は目覚めつつあるのだろう。世の中を騙そうとする人間が後を絶たない。アメリカの金融界でも生き馬の目を抜くといわれる世界でも、やはり騙す人と騙される人がいる。煽てられると阿呆になるからだろうか。それとももともとそういうふうに脳ができているとしか思えない。 ・へ2・・・企みのある生物世界があるのだ。他のものを餌にして生きている。鳥にだって托卵がある。眼を皿にして生きていないと、見る目がなくなるかも知れない。すべてが終わってからでは遅いのだ。他人を騙して自分だけはいい目に会おうとしている人間が如何に多いだろうか。それとも、猫を被るだろうか。それは知りませんでしたというに違いない。現代日本も危ない政治の選択をしてはいないか。
2015.03.31
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これだけミラクルの世界なのに、それにこたえられないでいる。そんな自分が情けないが生きていかなければならない。どうすればいいか、いつもテーマがある。昨日のNHK[人体…ミクロの大冒険」を、数年前文学講座でしていたように、ワードで遣って見たが、ボロボロだった。これでは一からやり直さなければならない。 取敢えず、 NHK 「人体...ミクロの大冒険」メモ 2014-3-30 21;00 第一回 胎児から思春期まで ・子宮の卵巣からの旅立ち。精子と卵子との合体。 ・はじまりは受精卵。 ・細胞の戦略。 ・ダイエットしている母の子供が肥ることは分かったこと。 ・この番組で細胞の世界を探る。 ・60兆の細胞の存在。細胞が人を動かしている。 ・からだの内側から支える試み。 ・学ぶ力を知ること。 ・細胞の戦略がある。それぞれの細胞の役割がある。考えて動いている。 ・山中伸弥ノーベル賞受賞者の解説がメイン。 ・葉加瀬太郎のゲスト。 ・如何に細胞の戦略があるかそれは複雑で深淵でもあること。37億年の間に蓄積された。 ・細胞は200種類以上ある。 ・誰も見たことがない世界である。 ・母胎の胎児の映像があった。 ・胎盤。子宮の上にある。図説。 ・赤い海に浮かぶサンゴ礁のようにみえる。 ・栄養膜細胞。 ・いのちの木のようにみえる。その下で胎児が育つ。 ・臍の緒。役割の説明。 ・ダイエットした方がこどもが肥り易い。データで解ったのは肥満のリスクが高まるというデータがある。 ・間葉系細胞...脂肪細部になる。母親の胎児へのメッセージになるため。飢餓に備えて生き残ろうとする。 ・細胞は何を考えているか。かなり多様で複雑である。 ・人類の記憶がある。遺伝子が蓄積した記憶が細胞に引き継がれているらしい。 ・ひとのからだにはには遺伝子という台本がある。 ・メラニン細胞。傘の役割をする。細胞を守ろうとする。 ・細胞一つ一つが考えている。アポートシスもある。 ・上皮細胞は3日間しか寿命がない。 ・目的のない細胞もある。 ・死ぬのが目的の細胞がある。アポートシス。細胞が死ぬこと掌の5本もできる。 ・人体とは、60兆の集合の社会である。 ・細胞の変化。その時々で細胞は変化してゆく。 ・脳の神経細胞。800億の神経細胞。複雑な活動をする。 ・スパインを繋ぐ。生まれたばかりの幼児は、どんな言葉も覚えられるだけの脳細胞の働きがあること。それがやがて失われていく。 ・学習する神経細胞。使わなければすぐに死んでいく性質。 ・実験。様々な実験が可能になったことで、知識が拡がった。 ・野田秀樹ゲスト。 ・音感。楽器を演奏することで、神経細胞が活発になることで知能が高まることが証明されている。 ・脳の細胞は入れ替わらない。記憶が残っている。 ・成長すると外国語が覚えられなくなるのは、脳の働きに原因がある。 ・2010 リンクスワンが発見された ・神経細胞の戦略を理解することが重要。 ・DTIとは? ・神経細胞を太くしたもの。 ・オリゴペプチド ・ミエリン化とは。 ・細胞は経験を刻む。 ・細胞は裏切らない。 ・神経細胞の活性化が年齢に関係なく可能であること。
2015.03.31
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物事を俯瞰的に見るという習慣がないのだろう。個人的な豚小屋の理想で終わろうとする。彼奴がどうとかばかり言っている。真理を知ることは、一生をかけても出来そうにない。不可能は困難とは違う。できないことをいくらしてもできないからだ。その執着を棄てられないでいる。アインシュタインのことば深淵でもある。 ・なぜ建設的なことができないのだろうか。愚痴ばかり言っている。これだけ悧巧な人間がいるのに再建や復興できないのだろうか。間違いを修正できないのだろうか。消耗ばかりしている。口ばかりの人間ばかり増えている。スキルもない人が上に立っている。なにが大事かを忘れている。計算高い人間が威張ってもいる。権力や権威に弱い奴では、これからはやれなくなるのが解っている。 ・へ2・・・政治家も、公開の外交能力や教養試験をすべきだし、資産の内容を公開しない人間など必要ではない。公正な人間でなければならない。世界観や、歴史観やさまざまのテストをしてみるべきだ。世論の厳しい評価に耐えたものでなければできないことばかりある。議院内閣制は過去の遺物だ。インターネットの時代に相応しくはない。、増税しか考えられないような官僚機構も廃止すべきだろう。何が大きく狂ってきている。
2015.03.31
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近世の日本は、鎖国の体制であり、幕府や欧米諸国は漂流民を利用しようと してあらゆることをしている。江戸時代になると商品経済の発展で海難も増 加したため漂流民も増えたこともある。殊に、1837年のモリスン号で送 還された漂流民7人は、文政の打払令で、帰国できず、香港や上海で一生を終えている。併し、彼らは、その後の日本人漂民を積極的に援助するなどし て、日本に帰国できるように支援したという。これこそ庶民の人間性の偉大さを示しており、こころある日本人は刮目すべきだろう。 大黒屋光太夫にしろ、ジョン万にしろ、ヒコにしろ漂流民たちが果たした役 割は、庶民の偉大さを示すものだ。 日本人は、宣教者という戦略目的だけでない欧米諸国との接触という幸運と、漂流民という庶民の偉大さが近世を彩り、存在することに敬意を払わね ばならないだろう。
2015.03.31
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チンギス・ハーンのホラズムとコラーサーン遠征はその他にすさまじい破壊の爪あとを残し、中央政府の残滓をことごとく一掃した。併しモンゴル軍は占領地を維持するための守備隊をのこさなかった。その後は無政府状態となり、政治的空白となり、その間隙をぬって、1221年にデリーに逃れたジャラール・ウッディーンが覇権を挽回していく。ためらうことなく残忍な殺戮を命じた。 それこそ人類は近代化するまで、都市はいくども破壊され再建されなければならなかった。喰うだけに飽き足らなくなった人間たちは、破壊される為に城を築き、そして壊したのだ。人間の欲望を抑える為に宗教ができたのだろうか。マザー・テレザの崇敬した聖マリアも、十字軍の騎士団たちの敬愛した聖マリアも同じマリアなのだったろうか。 那律楚材はオゴダイに進言した 「帝国は馬上で征服されました。しかし、馬上で統治はできないのです」 1235年、オゴダイはクリルタイを招集した。モンゴル帝国の歴史で最も重要なものだ。このとき「宿駅」の設立が正式に定められた。 チンギス・ハンのつくあげたモンゴル軍は中国とペルシアへの遠征で鍛えられ、当時、世界最強の軍隊だった。指揮系統と用兵作戦はどの軍隊よりもすすんでいた。ヨーロッパ軍は敵の頭を叩き潰すことしか考えない騎士たちだった。
2015.03.31
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なくしてしまって気づくことは多い。失恋して人が恋しくなるし、若さを失ってからその素晴らしさを知るだろうか。知らずにやってきたが、見えるものが見えず、知らねばならないことを無視してもいた。喰うことも歩くことも当り前と思っていたし、体も何の不自由なく、動いて痛いこともなかった。 人間なんて、どこが優れているのか判らなかったし、寧ろどうして歪んでいる社会だろうと空に唾していただろう。物を食べるということが人間の脳を動かし活性化させ、意欲や力を漲らせてもいる。歩くことが物を考えるエネルギーになるなど思ってもいなかったが、知らずに食べ、知らずに歩いていた。遣ることが判らないでもしていたので、それでどうにかここまでこれたのだろう。 体が老化して、細胞が劣化し、足が動かなくなり、やがて歩けなくなる、歯が抜けてかたいものが食えなくなるだろう。それがどういうことなのか。ようやくその意味がわかってきた。 昔の入牢者に食事の塩抜きをして根性をなくさせたという話を聞いたことがある。 香具師を殺すにゃ刃物は要らぬ。雨の三日も降ればいい。 何が、どこに、どう繋がるのか、判らなければ、見えていても見えないのと同じだろう。よく食べ、歩くことがどんなに体や、脳や、繋がり心身に貢献しているのか、判らないようではこれから物の役に立てるはずはない。 自分の何が無知なのか。それを測るのに、自分の小さなメジャーしか持っていないのに、何ができるだろうか。大航海を始めるのに正しいコンパスのないまま生きて行こうとは、それこそ今様ドンキホーテなのではないか。自分の「蜘蛛の巣理論」でいる奴がいたら阿呆としかいいようがない。 自分の時間を空費してはいないか。そして自分の脳の活動を自分で閉塞してはいないか、ダイエットだから食べず、時間がないからと足を鍛えないでいるのは、山に登ろうとして、谷を下りているようなものだろう。 さあ満開だそうだ、花見に行こう
2015.03.31
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レイチェル・カーソンは、しばらく使っていなかった感覚の回路をひらくことが、如何に大切か、を説いています。「それが、見慣れた風景だとしても、自分自身に問いかけてみて、もし、これが、今まで一度も見たことがなかったとしたら? もし、これを二度とふたたび見ることが出来ないとしたら?」 私たちは、多くの人が科学的知識をもたないまま、自然に接していますが、その美しさはその時々で、自分の心の持ちようで変わるもんだということを知っています。もし親を亡くしてその日の夕陽を見れば、普段と違うものに見えるでしょう。同じ夜明けでも感情が高ぶってみる風景はやはりいつもとは違う。子どもの時の初めてみる感動の感覚の回路は、多くの人が徐々に閉じてしまい、感動を失っていくものらしい。その感覚の回路をひらいて見ることの大切さをいっています。
2015.03.31
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アポトーシスから老化死まで、1日あたり数万レベルのオーダーでニューロンは死滅する。タテ社会日本の科学界では、まだ 権威主義が蔓延り続けている。この枠を突き破る者が出て来ぬ限り、未来は窒息し続けるだろう。彼らは適応に乏しい 人たちでもあるだろう・・・。悪条件では長生きできない。ラッキーな偶然が重なり幸運が味方しないと消えてしまう。 それこそ未来のカードを持った少年たちが専門家を凌駕するかも知れない。一学者のたった数十年間の知識など知れたもの。 逆転の発想により生まれた新発見は数知れない。権威に溺れる者の醜悪な末路はアポトーシスに相応しい。 全く無駄、無価値で害毒だと思われるものも、その時そう思われただけで実はそうではなかった例はいくつ もある。かって 酸素がそうであったように・・・。 そして下半身不随の脳性まひの喋れない天才がヒトの救世主になるかも知れないのだ。 厄介者扱いされている人たちの中から救世主が生まれるかも知れない。 むしろ、その人たちをサポートする装置がこの社会に整備されていない方が問題なのではないか。 どこからでも天才が出て来なければならない、そしてこの社会を未来に導くのだ。 これまでの権威には少なくとも明日の光は射さない。
2015.03.31
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まだまだ知らないことばかりだが、この地球はみんなのものであり、一部の人間のためにあるのではないと思う。私のものでもあり、他人のものでもあるのが自然でもある。自然とは、私が考える自然のことであるが、日本人の自然観は、里山に近い自然のことでもある。原生林の世界ではない。 ことばは心と一致していなければならないが、政府のしていることはそうだろうか。今日4.1から消費税が引き上げられるが、誰が何のためにするかでもある。 ・憲法の前文に、「…、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることにならないようにすることを決意し・・・」とあるが、確かに戦争は、政府が始める行為でもある。だからこそ、政府が今何をしようとするかでもあるのだ。 捕鯨の南極での調査が、研究のためだという日本の主張は、国際裁判所で敗訴になったが、これは当然の結果でしかない。詭弁でしかないからだ。どうも普遍的論理に乏しいことばかりしている。安倍首相は本当に何を守ろうとしているかである。 ・へ2・・・よく働いているように見える人がそうではないことはこれまでいくらもある。政治献金問題も、又もカネと政治家の癒着であり、言行不一致でもある。カネに弱い政治家の裏側であり、それはこれまで嫌というほど見てきたことだ。そして、財界の走狗になってきた政治の歴史でもある。悲しい現実しか目に映らないのは辛い。
2015.03.31
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アメリカでは、健康で自立した個人の集団が社会であるというと考えられて いる。だから、「ディペンデンス」ということを極度に嫌がる傾向がある。ひとに頼ることは道徳的に悪いことである。だから、アメリカ人にとって、 病気でさえ排除されるべきことになる。病人や病気の存在は生きていく上のマイ ナスでしかない。例えば肥満でさえ病気の可能性の高さからエリート集団か ら外される要因になる。喫煙も差別を受けている。医療は、できるだけ早く自立した社会人としての生活に戻るようにすることが目的であり、早く退院させられる。医療費も高い。入院したら、見舞いや差し入れは拒否される し、私物は認められない。男女共通の灰色のガウンとパンツを着せられ、患 者番号をタイプした「腕輪」を嵌められるという。だから、世界でも入院期 間は極端に短くなる。入院は、アメリカ人の価値観の中では、個性が完全に奪われることを意味しており、恥ずかしいことでもあるだろう。そして、ア メリカ社会では、仕事の内容が、専門化され、個性化されており、長期の入 院は失職につながるのだ。どれだけでも病人の代替は可能なのだ。いつでも後釜はいるだろう。WHO の調査では、日本人の長期入院は世界一である。どうも専門化が少なく他の人のフォローが可能である。 病気の人間は、アメリカでは暮らしていけない。少なくとも健康でなければ生活の安定は難しい。考えてみると、日本人は、病気について、それほど否 定的ではないだろう。「あの子は虚弱だから」とかいって、却って大事にさ れたり、甘やかされたりする。病気を自慢するひとさえいる。日常会話でも「実はダウンしましてね」と平気で言ったりする。アメリカでは軽蔑される だろう。アメリカ人には、持病とか体質とかいうコンセプトはないらしい。
2015.03.31
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タイトルのない日常 テーマをもっていることは大切なことだろう。それが、実現可能であり、自分にとってプラス思考であれば、生甲斐にもなる。だらりだらりとしているから何もできなくなる。毎日歩いていると、歩くのが楽しくなるが、恐らく、苦しくなる時が来る。その時それをどう乗り越えることができるかだろう。病気をしたり、怪我をしたりしてどうしてもできない時があるだろう。問題はそのあとだろう。いつも「ハイ」ではいられない。暗いモードのときもある。それにどう対処できるかだろう。 ・最初はわずかな差でしかない。それはライフスタイルと言うまでには相当時間の経過が必要だ。そして、良いことはすぐに苦しくなり、息が続かない。我慢してどこまでやれるかではないだろうか。ひとつのことをやれれば、次もやれる自信がつくだろう。できなければ挫折する。その挫折感もどこまで自覚できているかだろう。人の人格の形成はそうして積み上げられていく。そうした経歴はその人性質になり、そう簡単には変わらないだろう。そのひとの体型や態度が示すものはその成果でもある。 ・へ2・・・それこそ、一日の始まりは無からではない。これまでも自分の生活を引きずっており、昨日の続きの延長でもある。自律神経は生まれてからこれまでも歴史をそのまま刻もうとするだろう。脳は置かれた環境から自由であろうとするが、すぐに縛りあげられる。束の間のまどろみの中で私の脳は何かの口実はないかを探している。何も弁解できない日常が来る。そしていつまでもテーマを探している。
2015.03.30
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どうせ不思議な世界。非日常の中に入り込むのだから。それでもまだそれほど脳の委縮もないらしい。自分の記憶の痕跡が写真の中や脳のどこかの回路に残っている。都合の悪いものを忘れる前頭葉の働きがあるそうだから、その分、インパクトのあるものは残るらしい。今を盛りと咲いている桜も直ぐに散る。昔はただ見れば安心したし、すぐに頭の中から消えていた。 ・目先のストレスのために、感性を鈍化させねば、とてもやりきれなくなったものだ。そうして食べてきたのだろう。狐のようなずる賢さがなければ生きてはいけない社会になってもいる。素直な人ははじき出されるだろう。ひとは善人と悪人の<あいだ>だ。その<あいだ>を振れてもいる。TPOによってカメレオンのように色を変えてもいるのだろう。 ・へ2・・・3月も今日でおわる。年度末でもあり、3月決算の会社は目の色を変えていることだろう。そして未曾有の経済不況だ。麻生首相は何と言っただろうか。世界の最初にこの不況を脱するのは日本だと見栄を切っていた。今やそれを信じる世界の人はいない。未だ、あの「空白の10年間」は終わってはいなかったのではないか、思い始めている。日本がGDPがどうのという時代は終わっている。「死に体」の癖に未だに好い格好ばかりするピエロのようでもある。 >アヤソフィアは、ローマ帝国時代にキリスト教の聖堂として建立されたが、オスマン帝国が征服した後は、イスラム教のモスクとして改装された。モザイク画は500年間漆喰で塗り潰されていた。トルコ共和国になり、大修復工事がされて昔の姿を取り戻した。「キリストを抱いた聖母マリア」をはじめビザンチン帝国の栄華をしのばせる博物館となっている。500年間眠っていたモザイク画は鮮やかによみがえっている。今では訪れた観覧者の中には祈りをささげる者もいるのだろう。
2015.03.30
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科学の本質は、自己修正的であることだ。宇宙は、昔も今も将来も「存在す るもの」のすべてである。私たちの思考力はきわめて弱いけれども、宇宙の ことを考えると、私たちは興奮する。思えば、人間は疑問を持つようにでき ており、人間にとって、知ることは喜びなのである。知識はまた、生き残る ための前提条件でもある。私たちは、孤独のうちに成長する。宇宙のこと は、ゆっくりとしかわからないのである。頭がよくて、情熱的で、好奇心の強い人たちの間に私たち生きている。知識を探求することが称賛される時代に私たちは生きている。そういう意味で、私たちは恵まれている。 21世紀を生きる者にとっても・・・すべてのひとたちにではないにしても・・・。これから、何かをはじめようとしているひとには、「COSMOS]は、素 晴らしいカール・セーガンからの贈物だろう。 過去のことは忘れて、これから、何かをしなければならない私にとっても、 何より勇気を与えることばがあふれている。
2015.03.30
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その苦しさに耐えられない気持に敗けてしまう。自分だけが強いのでも弱いのでもない。あるがままでしかないが、その時で、感受性が異なるらしい。追い込まれないと自分が解からないところはある。勇気を出せるかどうかだろう。ひとはミームを包含している。それが臆病になったり、英雄にもなるのだ。その時、自分はどうするだろうか。 ・人の評価は、その時、どんな行動をするかで決まる。日頃何を考えているかだろう。9.11でアメリカはどうしたか?3.11で日本は、どうしたのか?露呈したものは現実だろう。その時、恥ずかしくない行動がとれるか。自信はない。それでも決意だけはすべきだ。日頃、我慢強く生きることを学ばねばならない。痩せ我慢ではなく、贅肉を付けないだけの鍛錬をすべきだろう。 ・へ2・・・放射能で汚染された土壌をどうするか、狭い国土で日本は苦しまねばならない。原発54基の問題は深刻な問題だが、それを招いたのも政治と経済の所業でしかない。責任を負うのは自分たちではないと思うから、言い逃れをしようとする。卑劣なことをして恥じないような人間もいる。 その時のその苦しさに耐えられないと思ってしまう。それで人生を台無しにした人がどれだけいただろうか。魔女裁判で、火刑にされたくなくて、罪もない人たちを道連れにしたと言われている。恐怖が人を狂わせる。恐怖政治の恐ろしさは、そこにいなければ解らないのだろう。中国の皇帝が自分一人では死ねないと大勢の女を道連れにした例もある。なんとも悍ましいことだろう。
2015.03.30
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これからの、人間の魅力とはその「新鮮さ」にあるのではないか。どこにあるのだろうか。これをみな探している。追い求めている。渇望してもいる。どこにあるのだろうか。恐らく、身近になる。それに気付いていない。誰かがそれに気付く時が来るのだろう。既成概念で、権力や権威では証明されるものでもない。コペルニクス的転回になる。それは、清潔さに似ているのだろうか、或いはその逆だろうか。 ・太宰は無頼の作家だったが、その中に「清潔さ」を見た勘の鋭い女性のようなひともいたのだろうし、梶井の中にも心の奥に「すこやかさ」をみたのではないだろうか。ひとは一般の評価とは違う「新鮮さ」や「新しさ」を求めているのではないだろうか。それは、閉塞した時代にこそ高まるのではないだろうか。すべては、汚れてしまった世界観や価値観の上に成り立つ社会である。汚染されたものが充満している。環境は破局へ向かいつつあるのではないだろうかという、絶望が感じられもする。 ・へ2・・・危機を感じ絶望したグループが暴走する鼠がいるという。闇雲に走り出してしまうのだろう。それに付いて行こうとする鼠たちがいて皆死んでしまうのだ。怖ろしいことだが、人間も同じ動物であることを忘れてはならない。理屈ではない行動をしてしまう人たちがいる。逆上した動物が何をするかは分からない。そのために絶えた種もあるかも知れない。「新鮮さ」の匂いのする者たちが、私たちの中にいるだろうか。それを見分ける力があるだろうか。少なくともそれは二つの目では見えないのだろう。眼の奥にあるもので見なければならないのではないか。
2015.03.30
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多くの日本のサラリーマンがそうだとは思わないが過当競争に追い込まれ、やがて燃え尽きるということに、どこか切ないものを感じるとしたら、それは何かで目にしたことでもあるのだろう。自分にもその経験があるかも知れない。そうなるまいと努力はしてきたが、いくつかの痕跡を隠すことはできない。笑えない事件がつづいていた。それはバブル崩壊にともなう敗残兵だっただろうか。いまだに消えない悪夢だっただろうか。 血流が止まり出して悲鳴の上がるような痛みを何度も感じたけれど、それが自分の会社だと気づくのは遅くなるものだ。その度に否定しようとしたからだろう。ただ私は未経験ではなかっただけだ。企業が破綻するときの、放漫経営を小規模ながら見ていたからだ。企業もひとも、ある相似したものがあるだろう。ものが尽きて倒れるのだ。 よく見れば解ることがあるだろう。それを見ようとしないだけだ。死病に対する多くの患者の受け止め方も一つのパターンがあると訊いている。最期は受容しなければならないだけだろう。燃え尽きるのにも早いか遅いかの違いだけなのだろうか。サドンダイが話題になるがそれが自分のことだと気づくのはいつも手遅れだろう。まさか自分がそんな莫迦だとは誰も気づかないだろう。そうして死んだ人は身近にもいるだろうに。 しっかり物事をみていないのは、そうさせまいとする力があることを忘れてはならない。罠に落ちたものがそれと気づくような簡単な装置であるわけがないだろう。自分で努力をしないで解るような社会ではない。解るものだけが解ればいいのだろう。 写真を観て、分るものは分る、がわからなければわからない。書き手の意図がどこにあるか想像できなければならない。イメージできないものに明日のイメージを描くことはできないだろう。段々と自分の体がシンメトリーではなくなっていくようだ。ヘイフリックの限界がじわりと近づくだろう。今すぐ死にたくないから現代医学にすがってもいる。信用はしないだけだ。「薬は毒だ」と言った薬剤師の卵がいた。汚染された環境がどれほどのものか知っている研究者たちはどこにいるのだろうか。
2015.03.30
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ブログをはじめて、この楽天ブログも10年過ぎたが、同じころリタイヤして、写真も始めたが、以前のものは消えている。写真もあまり趣味でもなかったから、デジカメにしたのはドイツに行ったあとからでもある。折角のフランクフルトでフリータイムの時に、日曜日でフイルムが買えなかったので、懲りたことがある。 ・そのあとは北京と桂林,タイとトルコ,韓国、台湾などで、バチバチ撮ったのはいいが、今度はPCがコーヒーをかけてダメにしたので、メモリーが消えてしまった。バックアップもしていなかったので、後のフオローもできない。それでもブログの写真が役立っている。 ・へ2・・・世界のどこでも美味しいものがあり、世界遺産があり素晴らしい自然や歴史があり、また悲惨な歴史もある。まだ無知と偏見と貧困が解消されたわけではない。私たちは傲慢でも、卑屈になることもない。生存競争の中で、地球上には現在74億人の世界人口を抱えているが、どの民族が生き残るだろうか。あるいは国境のない時代が来るだろうか。植物は春に新芽を出し、それを食べることで動物たちも活力を漲らせることができる。夏は光合成が盛んになり豊富な食べ物が得られる。そして秋には果実が実る。旬のものを食べて私たちは生き延びることができる。
2015.03.30
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写真の日付と時間は、日本との時差でもある。カメラの修正をしていないため。トルコは、東洋と西洋の境界に位置しており、歴史の荒波を受けてきた。それこそ建設と破壊を繰り返してきた遺跡が到る所にある。トロイも9層の戦場の跡地でもある。世界は常に戦争の絶えることのない荒野でもある。私たちはその子孫でもある。庶民にとって日本もこれまでどの時代も穏やかに生きていたのではない。 ・日々は命懸けの修羅場を生きていたのだろう。そして私たちもある意味で、愚かさの中で同じことを繰り返しているに過ぎない。宇宙に対するヒューマンスケールから考えれば、取るに足りないことばかりでしかないのだ。もう笑うしかないけれど、夢のまた夢なのだろう。 ・へ2・・・2時に目が覚めて起きてきた。数時間しか眠れないらしい。寝ても起きていてもあまり変わりはないが、一日10万の神経細胞が消えていると思えば、眠ってもいられなくなる。時間はどんどん過ぎている。誰にも私の思いは通じないのだろうが、言いたい思いはある。
2015.03.30
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外の世界には多くのドラマがあるだろう。少なくとも日本より世界は広い。知っていることを何度確認しても仕方がない。違う世界を知る方が新鮮だ。どんどん新しいものを取り入れていけばいいだろう。何が待つかわからないが、少なくともそうしなければならない必然性があるだろう。もうそういうステップの時だと思う。 捉われずに両手を伸ばして触るものを感じるべきでもある。誰も認めてくれなくてもいい。自分を信じるべきだろう。自分の感触を誰にも分ってはくれないからだ。自分のペースを守るべきだろうと思う。型に嵌らないことだろう。この社会は、自分を生かすのは自分でしかないだろう。他人に期待してはならない。
2015.03.30
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L・H・ガンは日本とナチズムの違いを広域経済圏構想を基礎とする強烈な拡張主義的態度によって引き起こされたとしながら、ともに担い手は陸軍であったが、日本人は、よりよい世界を作り出すという名目の下に民族的な大量虐殺に邁進したのではない。これに対してナチズムは、アーリア人種というもっとも高貴な民族が支配する帝国を樹立しようとする千年王国的信条であった。 実際には日本人は中国人やフィリッピン人に対して残虐な殺戮をし、「従属民の皇民化」の衝動は日本の優越性の前提に基づいていた。しかしなお彼らを勝利者に仕えるか飢え死にをするしかない、人間以下の存在に過ぎないと考える日本の理論家はいなかった。ヒトラーは正統なん君主であり、サンキュロットであったという。 日本人の国民性をめぐる議論は、欧米の目からみた一定の客観性を帯びているものだろう。しかしはたして正鵠をえたものだろうか。アーリア人の優越は、日本人のアジア人蔑視とどこが違うのだろうか。よくわからない。理由が何であれ、圧殺される側からいえば同じではないのだろうか。精緻な分析は、時として都合の好い論理をも生んでしまうのだろう。 何が罪で、誰が責任を負うべきかを明確にする必要があるだろう。それさえ判断できないようで何が決められるのだろうか。曖昧さがいつも付いてくるだろう。それを判断できなければ、日本的軍国主義とナチズム、そして日本人とドイツ人との落差はどれほどあるというのだろうか。
2015.03.30
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教育の領域と経済の領域は、相関関係にあり階級制度や社会的序列の編成に広く影響を及ぼしている。近代から上流階級、中流階級、労働者階級という区分が存在した。しかしこのシステムは構造的には他の近代資本主義社会と類似しているが際立った相違もある。社会の広範な人々は、少なくとも表面的には自分を中産階級だと考える傾向が強いことだ。それは政治的な階級意識を弱くし、地位の非一貫性を助長している。 教育制度と職業制度が密接に関係しているのはヨーロッパよりアメリカに近い。上流階級は主として子どもへの教育投資によって再生産しようとしている。日本では階級が教育的達成の重要な決定要因である。世代間の職業的継承である伝統的な帰属が機能しなくなってもいる。文化的資源の確保は、ほぼ全面的に教育を通じて継承されている。 日本的傾向は主として欧米との比較によって顕著になりつつあるだろう。それは明らかに客観的な指摘なってきている。ことに頂点にある大学と頂点にあるエリートとの関係密接であることはイギリスと類似しているが、イギリスではそうした学生は上流社会の出身者に占められている。日本では最近の現象であるが、頂点以外の経営者が増えてもいる。すなわち地位の非一貫性の傾向が強化されてきている。 欧米との相違は必ずしも単純な傾向ではない。日本特有の教育の序列構造、とくに平等主義や能力主義との特異な組み合わせと密接に結びついている。教育制度に明らかな階級性があるにかかわらず、学力による選抜が行われており、均質で水平的な社会階層がつくり出されることがなかったのである。社会を横断したピラミッド的に組織された複合的な垂直的組み合わせを生んでいる。 いまや日本は、74億人の世界の中の1.2億人のシンプルモデルではない。(・・・昔からそうだが)。特徴的な傾向はまだあるにしても、日本も多様で複雑化したアジアの一国としての国民でしかないだろう。今後は未曾有の高齢化社会が実現するうえで、あらゆる常識は通用しなくなるだろう。それを踏まえなければ議論の価値はなくなるだろう。
2015.03.30
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近代戦は総力戦だといわれる。軍事力だけの戦争ではなく、政治力、経済力だけで戦うのではない。あらゆる手段を使わねば勝利はないという意味でだ、然も部分的なものに終わらない生き残りをかけたものにもなる可能性もある。それは負ければ、勝者の奴隷にされた時代を想起させないでもない。もし、67年前の日本の敗戦において、些かもその例外ではないことを考えるとしたら間違いだろう。 ・言いたいのは、謂わば<スープ>にされたということの認識がなければ再建はできないということだろうと思う。粉々にされたという分析になしに何を始めても同じことだ。何もできないのではなく、始める前提を安易に見ているからだろう。種を選択しなければ実らない。西欧でもなく、東洋でもない、その地域でもない。種を探すことから始めねばならにのであって、その努力を日本人たちはしてきただろうか。どこをみて生きてきただろうか。負けたという認識もなしに、始めさせられたのであり、それがスタートであるはずがない。 ・へ2・・・そういう意味で総力戦である。一部の寄せ集めでは足りない。哲学であり、文化であり、すべてだろう。併し、相手は仮想敵国ではない。立ち塞がる世界であり、挑みかかってくる総体であろう。何ができるのか、考えるのはこれからであり、未来でもある。 一か八かの戦争などしたくはない。追い込まれてしまうのはパニックになるからだ。
2015.03.30
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日々は自己嫌悪のシャワーを感じながら生きてきた。 安息日をもつ人たちは易々と生きて行けることだろう。 僕たちは、悉く裏切られた日常に悪寒を感じ挫折し妥協しながら・・・。それしかないと自分を追い詰め、自 己嫌悪に顔を歪めて耐えなければならない。ふやけた人生の歌謡曲を唄う。自嘲的に家族たちを見回して、納得するしかないのだろう。ただ、このまま寿命を生きて惨めに死のうと決意している。今夜も自己嫌悪のシャワー浴びながら、アルツハイマーか癌に なるぞと怯える。
2015.03.30
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自分の主張を通そうとする。悪い癖がある。私だけではないようだ。他人にはそれが不遜に見えてしまう。出た杭は叩かれる。大抵余計なことを言うからだろう。どうしても言わなければならないことは外にもたくさんあるのに。ついポロリと。どこかにあるから、出てしまう。全体を見てくれと言ってもそれは無理なことでしかない。誰も他人にそれほど関心がない。分かるはずもない。同じ過ちを繰り返してしまう。そしてそのうちアウトにもなる。 ・それほどトリックやマジックが通用するはずもない。いつか見破られる。懲りないといけないのだろう。まだやれると思いたいが、いい加減にしろというヒトも出てくる。信長もそれで殺された。おそらく、懲りないでいると周囲に潰される。
2015.03.30
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明日の風が吹く何のために長生きがしたいのだろうか。種としての「ヒト」に生きねばならない目的があるわけではない。人は自分でただ自分の一生を拘束しているのかも知れない。自分の世界観に拠っているだけかも知れない。たとえ、人並み以上の努力をしたからとして、明日が担保されるわけでもない。アクシデントがあればそれまでもある。美味い物をたらふく食べてさっさと、この世におさらばした方が好かったと思う人もいても可笑しくはない。だが、それではすまない。 ・してみると、無駄な努力をしているのだろうか。何かを信じなければ生きていけないだろうか。生物は、生きるのに必死である。人間だけが自分で絶望して死ぬ動物だといわれる。何故死ななければならないのか。死にたくて死ぬのではない。遣り過ぎれば処断される。然しそれは普通のケースではない。どれだけ健康に留意しても、ひとは生きる条件を失えば死なねばならない。それがいつなのか、知ることさえできずにいる。 ・へ2・・・何ものかであろうとしても、それは個人的な恣意的な解釈でしかない。寧ろ世に出られるものは少ない。多くの人は凡庸に一生を終わるだけである。理想は、単なる指標に過ぎない。どれだけ高い文化レベルを暮らしの中で維持できたからといって自分の心が冷えていては不幸でしかない。
2015.03.30
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