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「ちょっと早いよな~」とは思ったけど、昨日散歩がてら調査に行ったので、とりあえず速報です。 浄真寺仁王門……ここまで来た時、まだまだの紅葉ぶりにガッカリ……すっ飛ばそうかと思ったけど、一応ぐるり…… 仁王門左手に石碑……今まで撮っていなかったのでパチリ 奥沢城跡……城があったのね~『奥沢城跡は、中世世田谷を治めていた吉良氏または同氏の家臣である大平氏の居館であったと伝えられています。天正18年(1590年)、小田原北条氏が滅び、吉良氏は下総国に逃れ、大平氏もまた等々力に潜居しました。その後、奥沢城は廃城になったと考えられます。 その後、延宝6年(1678年)に浄真寺が建立され、周囲を四角く囲む土塁はよく原形をとどめています。』と、世田谷区HPにありました。 右側の一部だけ……左側は緑だらけ……全部揃うのは難しそうです。 寂しいけど、紅葉している所だけパチリ… 大イチョウは毎年早いんです。剪定してしまったのか? もっとにぎやかだったはずなんだけど…… 天気が良かったから青空に黄色は似合います。見上げてばかりはいられませんが…… 黄色の絨毯……ここはいつもきれいです。 銀杏はなさそう…… 本堂右側の庭……光と影のコントラストがいいです。 三佛堂前……定点観測のように撮っていますが、今年はまだまだでした。やっぱり来月にならないとだめなんでしょう。 [2017年] [2018年] 上品堂の三仏像……左から、下生・上生・中生… 上品上生の往生を願いましょう…… 奥の方もちらほら…… 本堂前…… 白鷺らしい……去年まではなかったはずなんだけど……『奥澤城常盤姫にまつわる伝説の白鷺は鷺草に姿を変え今では世田谷区花に指定されています。白鷺の翼部分に「おみくじ」「絵馬」を結ぶことができます』と、書いてありました。どんな伝説かも書いてくださいませ。 2015年12月、連れ合いと歩いて来たときが一番見事な紅葉でした。「東京にもこんなに見事なお寺があったのね~」と、奈良県生まれの連れ合いが認識を新たにしていました。 東京にもあったんだ 詞・曲・歌:福山雅治『東京にもあったんだ こんなキレイな夕陽が うれしいな 君に見せたいな 君は元気かな……』 みなさん立派なカメラで一生懸命に撮っておられました。私はスマホでちょちょちょです。容量が大きいので後処理が面倒ですが、チビデジカメよりきれいに撮れますから昨日はスマホオンリーでした。 総門への道…… 閻魔堂……場所が代って、建物も新しくなっていました。「うそはつくな!」誰かさんに言ってあげたいものです。 総門から参道を歩かず、脇の道を行くことに…… 知らんかった~……三佛堂の南側にも門がありました。ここから出られたら楽だったのですが…… この後、古墳や等々力不動尊を辿り、五島美術館まで行ったのですがさすがに疲れました。日に日に脚力低下を感じる私です。続きはまた今度…… 蛇足ながら…… お賽銭をチャック付きのビニール袋に入れていた私に、連れ合いがくれました。昨日から使い始めましたが、とても良いです。 飲めるハンバーグ……以前 自由が丘を横切りながら見かけた店ですが、閉店なんですって。6月10日からかなり経っていますが、後の入居者は決まっていないのかしら? 家賃高いんでしょう……どの町も商売は大変そうです。 さてさて、今日は留守番……何をしようかしら?
2019.11.30
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「おでんのやべ」さんで頂戴したお通し……日々考えるのは大変です。 忙しい日は手間をかけられないので奴(やっこ)も登場します。夏場は冷や奴で、冬場は温豆腐……いつもありがたく楽しませてもらっています。 ガンモとフキの炊いたの……「がんもどき」ってのは精進料理で肉の代わりとして作られたんだろうけど、雁の味はわからない。鴨なら食べたことあるんだけど…… コンニャクと野菜の炊いたの……健康的… 牛すじと野菜のみそ仕立て……これからの寒い季節にはピッタリ!!! 冷えた胃袋にやさしいお通しです。仕入れた牛筋をさばくのも面倒そうですが、ありがたい… 枝豆……居酒屋定番……いつも丁度良い茹で加減です。ちゃ豆、だだちゃなど美味しい豆を提供してくれますが、枝付を切るのも面倒でしょう。たかがお通し、されどお通しです。 素麺……夏場の定番……お代わりしたくなります…駆けつけ三杯……したいけれど、お代わりしたことはありません。 エノキとピーマン……炒めてあったか? 煮びたしだったか? クリームチーズといぶりがっこ……秋田の名産らしいけど、これが不思議にマッチします。クリームチーズにかつお節をのせて醤油を垂らしたのも美味しいです。チーズや豆腐がお通しの日は、他の仕込みに忙しいのでしょう。 なす……見た通りだけど、なんとか漬…… キュウリとワカメ……酢の物はあまり好きじゃないけど、さっぱりでこの程度なら大丈夫。しかし、スマホの写真は美しいです……オンボロ・デジカメとは大違い…… 今日は天気が良いので紅葉観察に行ってきます……なので、こんな簡単なので終了……
2019.11.29
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11月4日……朝日地蔵尊からブラブラ散歩をした最終回です。 氷川神社を拝見して、社務所前で一服しながら「帰り道はあっちで良さそう」と眺めていたら赤い幟が目に入りました。 稲荷神社の幟に気付いていなかった私……なんと情けないことか 赤い幟もきれいに整列…… 忍田稲荷大明神……「しのだいなり」と読むそうな…『由緒 忍田稲荷大明神(保食神) 人皇第七五代崇徳天皇保延三年(一一二三)京都稲荷山 より忍田稲荷大明神を芝白金台現袖ヶ崎神社に勧請されたと 伝えられる(八五〇年前) 明治四十一年九月桐ヶ谷村の八幡神社 諏訪神社 第六天神社 の御祭神を氷川神社の末社として勧請し今日に至る 平成三年九月 宮司山口直比古 記』(説明書きのまま) ※ [保食神]は「うけもちのかみ」と読み、日本神話に登場する神だそうだ。 ※ [保延三年]は1137年みたいだけど? 何はともあれとっても古そうだ…… 氷川神社の立派な社殿右奥に隠れていました…… 桐ヶ谷氷川神社の本殿が見えました。 帰路につくべく社務所から眺めた道を行ったら、ちょうど忍田稲荷大明神の後ろにこんなの……どう見ても「滑り台」……なんで??? 子供の遊び場があるのかと上ってみましたが焼却炉があるだけでした。幼稚園を運営していたのかもしれませんね… 上ったついでに本殿の屋根をパチリ……とことん暇な私です。 塀の上にありました。右から、ワラ、木、レンガ……三匹の子豚でしょう。オオカミは見ませんでした。 いつも裏口入社の私ですが、今回は正面から入ってこちらに出てきました。氷川神社は三方向から入れるみたいです。 東急目黒線・不動前駅目前……この駅は地下でなく高架です。奥沢駅は地上なので、まだ踏切がありましたっけ。JR平間駅ほど「開かずの踏切」じゃ~ないからいいのでしょうが、それでも事故がないことを祈ります。 この赤いの、クリスマスが近い印……私だけが思っているのかも… 踏み込んだことのなかった商店街…… クネっとしながら[かむろ坂]に抜けます。つなみに[かむろ]とは、遊女の使う幼女のことだそう。『白井権八-小柴伝説にからむ名称で、遊女小柴の使っていた禿(かむろ)が付近の池に身を投げたことから、この名が起こったという。いつとはなしに、地域の人びとから通りの名称として呼ばれるようになった。』と品川区のHPにありました。 小柴の後を追って自害したかむろ……健気(けなげ)ではあるけど、生きなきゃだめです。ちなみに、かむろ坂は目黒不動の比翼塚と安楽寺の連理塚との間を通っています。 駅そばに郵便局があるのはありがたいけど、寂し気な商店街…… 居酒屋おいどん……鹿児島産の牛、豚、鶏、きびなごなどを使った店みたい……剣先イカ姿造りには大いに興味があります。呼子直送のイカだって……5%還元はありがたいけど、私のは記名式Suicaじゃないから利用できません。 丸福……店構えとは裏腹に、気さくな蕎麦屋さんみたいです。寄りたいですが、ちょいと一杯のつもりが沢山(いっぱい)になっちゃうので我慢の私…… かむろ坂を上りきったあたり……おもしろい字体だったので… だいぶ陽も傾いたので、家路を急いだ私でした。 歩き方が悪かったのでしょう、少々腰が痛かったのですが今は良くなりました。 明日は天気が良さそうなので、紅葉調査に行ってきましょうかしら? 朝、九品仏や五島美術館をテレビが薦めていたから混んでいるかもしれないな~
2019.11.28
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11月4日……いくつかの地蔵や稲荷と安楽寺をウロウロしてから…… 鳥居発見…… 桐ヶ谷氷川神社……正式名称は『氷川神社』なのでしょうが、他所と区別するためにあえてこうしました。さすがに近い「安楽寺」が別当寺…… 鳥居も年代を感じるけど、社号碑はもっと古そう。 奥深い参道を進みます…… 声が聞こえると思ったら、左側は公園……「氷川の滝」と呼ばれ、涼をとる名所だったとか……現在は滝は見られませんが、かすかに湧水があるのか名残の池になっています。 右の大きな石は鉄砲石…… 鉄砲の的にしたんだって……どうりでボコボコ砕かれているわけだ。 石段を上ると…… 狛犬がお出迎え……これは古そう……子どももいました。 更に上ると…… 手水舎……参拝者の動線にかなっていてありがたい。ぶら下がっている手ぬぐいは使ってもいいのかしら? 手と口をすすいで境内を眺めます。スマホの広角が役立ちます。 神楽殿……新しい 美しき良き姿…… 立派ですが創建は分かりません。戦禍は免れたのでしょうか? 唐破風(からはふ)って言うのか? 美しい曲線をもつ銅葺き屋根…… 社殿から境内……とても広い……車は右奥から来られるみたい… 社殿左脇に並ぶのは神輿蔵でしょう。そうとうな数がありますが、ここより先は立ち入り禁止…… 社殿から後方の本殿がかすかに見られました。 左・神楽殿から社殿と社務所…… 社務所……灰皿発見!!! ありがたや~ 社務所の扁額……参衆殿?って読むのでしょうか?『是より 南海道』……煙草を吸っていたら隣にありました。南海道=紀伊半島と四国地方の行政区分および同所を通る幹線道路らしいですが、なんでここにあるのかしら? 不思議です。 今日はここまで……併設する忍田稲荷大明神は次回…… 今日も寒い……寒いからシネマで五目湯麺を食べたのですが、支払いを済ませて出ようとしたら後ろから声をかけられました。振り向くと「やべさん」……珍しくランチに来られたみたい。昨日は雷王さんだったし、明日は誰に呼ばれるんだろうかしら?
2019.11.27
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今朝は寒くてなかなか寝床から離れられなかった私……それでも「新聞読まなくちゃ」と、昼近くに傘をさして西小山ポエムまで行った。 ほぼ満員だったけど、奥の指定席に近い席がポツンと空いていた。座りかけた時、「〇〇さん」と背後から声をかけられたので、声の方に顔を向けると雷王さん……「こっちに来てよ」と言わんばかりに手招きされたので、同席とあいなった。 まさかポエムで会うとは思いもしなかったが、たまに寄るらしい。私はそんな存在を知らなかったが、スタンプを押してもらうカードを持っていた。 雷王模型店にはすっかり行かなくなったので、久しぶりだったから小一時間おしゃべりをしたのだが、喫茶店でコーヒーを飲めるということは暮らしぶりは少し改善されたのだろうと喜ばしい限り。お祝いにと雷王さんのブレンドはご馳走しておいた。 でもって、なぜ偶然かと言えば、昨晩古い知り合いのMさんが来た時に話題にしたから。そんなことって結構あるけど…… いすゞ117クーペ…… 散歩をしながら車を見るのも私の楽しみだが、一昨日 連れ合いと一緒に歩いた時「117クーペは今もあるのかしら?」と、突然連れ合いが口にした。彼女の口から117が出てくるなんて思いもよらなかったが、「兄が乗っていた」と言う。「なんて粋な兄ちゃん」と大いに感心した。私的には日本車を語る中では外せない名車の1台だが、連れ合いにとってはダサいらしい。人それぞれ見方が違うんだな~と改めて思ったものだ。 この写真は連れ合いと歩いた丁度1週間前に撮ったもの。そのうちに載せようと隠していたのだが、連れ合いの言葉の方が先になってしまった。 フロントを撮るには路上にでなければならなかったので後ろ姿だけだが、美しいライン……おまけに新車状態をキープしている。まったくお目にかからなくなった車だから会えたことは奇跡的であり、連れ合いが話題にした偶然にも驚いた私でした。 後塵を拝した1枚……また会える偶然を楽しみにしましょう。
2019.11.26
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昨日は連れ合いと散歩…なんと1月3日以来…… 目黒シティランで渡りにくいことは承知の上で、西小山のホットドックモーニングに行きました。連れ合いはサラダの多さに感激していましたが、トマトは私がやっつけました。ホットドックも美味しかったそうです。また行かれるといいね~ モーニング帰りに円融寺…… 広く紅葉を楽しむことはできませんが、この程度に切り取ればなんとか絵になるかしら? 午後から、連れ合いが見たいと言っていた「龍雲寺」に行ってみました。 近くの野沢稲荷神社と庚申塔も寄りましたが、イチョウはまだ黄色くなかったので写真はなし。そうそう、鶴が久保公園は大改修工事中でした。完成までそうとうかかるんじゃないかしら? 松の緑がよくオレンジを引き立てていますが…… オレンジ1色じゃなくて…… 至近距離だとこんな色とりどり……きれいきれい 本堂脇……天気が良かったらもっときれいだったことでしょう。 雨上がりの庭園……連れ合いが満足そうだったのでよかった~ 昨年も訪問したので、昨日は紅葉だけ撮りました。 夢違観音……ほとんど紅葉が望めないことは知っていましたが、帰り道だったので「世田谷山観音寺」を訪問…… 以前は撮らなかったのでパチリ……平安後期12世紀後半・都内最古の仁王像だそうです。知らなかった~ 連れ合いには、仁王門の天井にある泣き龍も試させてあげました。訪れる人はボチボチおいででしたが、みなさん素通り……知らないんだろうな~ 私も2回目の訪問で知ったしな~ (右から)馬頭観音・水子観音・八方睨み達磨……こちらも以前見過ごしていたので撮らせていただきました。馬頭観音は天保2年(1831年)のようです。 もう一枚『世界平和の礎』……吉田茂書(元内閣総理大臣) なんといっても平和が一番大切です。 見たいというので、ついでに学芸大学付属高校の正門と校舎を眺めながら帰路についた次第です。 トイレに行きたかった私は、勝手に「ながまる」さんに寄り道。連れ合いも「のどが渇いた」と言うので丁度良かった~ 日曜日は3時開店ってのもありがたい。 味噌の乗ったふろふき大根は好きじゃない私にとって、こちらもありがたい。 いつも独りで贅沢をしているので、連れ合いを労った私でした。 なんて言いながら自らお酒を楽しんだ私でもありました。 ビール好きの連れ合いが「気になっていた」と言う「グレゴール」にもついでに招待してあげました。 連れ合いは細長いグラスで外国の生ビール……私はぬるいのが嫌いだから瓶の黒ビール……だけど出されたビールは全く冷えていない。「なんでやねん!!!」 しばらくしたら「これ、どうですか?」と同じ瓶を店主が持ってきた。氷水で冷やしたのか? 瓶を触ると確実に冷えている。「なんでやねん!!! 初めから持ってきよし」仕方なくそれも飲んだが、料金はちゃんと付いていた。当然のことではあるけど、まだまだ修行が足りないね~ たまにしか寄らない私だけど、こんなことじゃお客が減るよ~……と、辛口だけど顔見知りの私からの一言であります。 でも、連れ合いは喜んでいたから私も幸せな一日でした。今日も明日も良い一日でありますように……
2019.11.25
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黙って供される最初の一品が楽しい…… 豚バラロースと大根…… きんぴらごぼう…… ニラ・モヤシ・ひき肉とビーフンみたいなの…… 大根に明太マヨ…… 厚揚げと小松菜……だったかしら? オクラと豆腐……残暑の頃のお通し……暑い時期にはいいです。水貝 食べたいな~ ナス・豚肉とミョウガ……みそ仕立てだったかしら? レンコンと下にルッコラ…… すき焼き風……グリンピースは要らない私だけど、彩がいい。 ゴーヤ……味噌味ってのがミソでした。 揚げとこんにゃく…… たらこスパゲッティ…… 目の前のカウンターに置かれていて…… 頭と胴体を左右にクネクネ……動きがけっこう早いのでタイミングが難しい。スマホも、ワンテンポ遅れてシャッターが切れることに気付きました。酔っぱらってるわけじゃないんだけどな~ 以上、たまにですがお世話になっている「なごみダイニング京み」さんのお通しでした。 今日は大事な用があるので、とっても簡単にお終い……早く雨 止んでくれないかな~
2019.11.24
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11月4日……いくつかの地蔵尊や稲荷を見ながらやってきました。 安楽寺とその脇に神社 発見…… 奉納幟は「稲守陀祇尼尊天」とありますが、扁額(撮り忘れた)は「稲守稲荷社」でした。由緒は不明ですが、とりあえずお詣り…… 狐と鏡の後ろには御簾(みす)がかけられていたので、本殿は確認不能……見ちゃだめよ~ ってことでしょう。 五円玉……突然のカットインですが、 Suicaみたいなのを常用しているのですっかり小銭が貯まりません。お賽銭用に、連れ合いに両替してきてもらいました。五円では失礼かもしれませんが、ちょっと歩くと相当な数が必要です。 安楽寺山門…… 門柱の上に仁王様……これも仁王門でしょう。美しいできです。 睨まれながら訪問させていただきます。 安楽寺境内……右の庫裏が道路側 本堂……松園山寶林院安楽寺 比叡山延暦寺の直末で、弘治2年(1556年)創建の天台宗寺院。 本堂内側の扁額……「金堂」と呼ぶんですね。 本尊は阿弥陀如来……阿弥陀三尊仏だったけど、脇仏だった観音と勢至両菩薩は戦災で焼失してしまったと……(天台宗東京教区HPより) もう二度と戦禍で失われませんように…… 金堂外側の扁額…… 金堂の左前にこんなの……フクロウかしら? 不苦労だから縁起物です。 連理塚(左)・夢違観世音菩薩(右)……金堂の左わきに並んでいます。 連理塚扁額…… 白井権八と小柴の墓所……『目黒にあった虚無僧寺が廃寺になり、そこにあった墓を明治19年に檀徒の要請により移転したもので、位牌等があったが、戦災により焼失。戦前は歌舞伎上演の折は役者衆の参詣が恒例になっていました。』(天台宗東京教区HPより) 白井権八と遊女小柴……二人の来世での幸せを祈って建てられたという「比翼塚」を以前 目黒不動仁王門前に見ましたっけ…「悪夢を 良夢に変える」夢違観世音菩薩……世田谷山観音寺の観音様も以前眺めてきましたっけ…… 赤装束のお地蔵さんは塩掛地蔵というらしい。塩を備えてお願いすると成就するとあって、塩が供えられていました。 安楽寺供養塔群……夢違観音から奥に向かって並んでいました。戦前戦後道路の拡張などにより、道の辻などにあった庚申像などが移転されたもので、品川区指定史跡だそうです。 庚申塔5基と題目供養塔、馬頭観世音供養塔、そして馬頭観世音道標の合計8基……江戸初期から大正期に至る民間信仰の証です。 ちょっと撮りかけたのですが、せっかくなので大きく撮っておくことに…… 奥の方から撮りました。三猿もあしらった庚申塔…… 青面金剛ですが、左の足元は猿ではありません。何に乗っているのかしら? 左は馬頭観音でしょうか? 頭にちょっと付いていますから……「東光寺」でも三面六臂の馬頭観音を拝見しましたっけ……坐像でしたが… 真ん中のは馬頭観世音と読めますから道標になっているのでしょう。でも、なんだか新しすぎる気がします。もっとちゃんと見てこないと駄目ですね…… 左の梵字が書かれた碑……新しそうで古そうで……不明? 観世音菩薩の横顔を拝みながら失礼します。 安楽寺境内から山門……ひょっとして灰皿だったのかしら? 当日は気付きませんでした……残念… 安楽寺を出て、北西に少し歩きます…… 続きはまた今度…… 明日は目黒シティランみたいです。参加されるランナーのために、雨がやみますように……
2019.11.23
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タクシーの難しさは、つねに一定の場所から出発するのではなく、あらゆる場所が出発点になることだ。 梁 石日(ヤン ソギル) 新米のうちは、道に迷うと方角を確かめるため車庫に引き返したくなるが、客を降ろしたその場所が次の起点なのだと、タクシー運転手歴10年の作家は言う。人生も同じ。生まれ落ちたそれぞれの境遇を始点としつつ、挫折しても、挫折したその地点で態勢を組み直すしかない。そう、ゲリラのように。『タクシードライバー日誌』から。 (朝日新聞・折々のことば1647・2019.11.22) 人生も仕事も挫折の繰り返し。くじけ折れるたびに「(起点に)戻りたい」と、幾度思ったことか。変化する環境や立場からの再出発は労力を要すが、決まりきったコースをぐるぐる回っているより楽しかったのかもしれない。やり損じ、やり残しは多々あったけど、なんとかこの歳まで生きてこられて良かったと思っている。『……そして今 わたしは思っています 明日からも こうして生きて行くだろうと……』「今日までそして明日から(吉田拓郎)」 梁 石日と言う作家は全く知りませんでした。「血と骨」って山本周五郎賞受賞作品があるみたい。ビートたけしとかオダギリジョー出演の映画もあったそうだから、どちらか見てみたいものです。 お蔭様で人生には挫折していない昨今だけど、模型にはすっかり躓いている私……人生の再出発は大変だけど、模型も失敗するとリカバリーが超大変なことになります。車のボディーの塗り直しときたら立ち直れないほどの大打撃。今はタミヤのペイントリムーバーがあるから少しは楽だけど、シンナー風呂でジャブジャブからの再出発は精神的にも良くありません。まぁそれでも予測できない落とし穴があったりするのも楽しみなのかもしれませんが…… 古い知り合いのMさんに𠮟咤激励されたので、昨日ほんのちょっとだけ触ってみました。ちいさなことからコツコツと…… コントロールホーンと言うそうですが、1mmの丸棒を両方から削って平らにしました。肉眼では見えませんが、ヤスリ痕が出来てしまったのでサンドペーパーも少し……切り落として両端を整形し、メタルプライマー(塗料が密着するように塗っておく下地剤)を吹いてから塗装します。 一旦潰してからの方がやり易いと教えてもらったのですが、トンカチも鉄板もなかったので連れ合いがくれた蒲鉾板の上で削りました。前回よりも上手に平らにできたみたいです。 操縦席の入り口を塗っておかなくちゃ……と… もうちょっと赤っぽいのが良かったかもしれませんが、箱絵がこんな色だったので……艶消し剤を混ぜ過ぎたかもしれません。ちなみに老眼が進んだお蔭で見にくい見にくい。しょうがないから度の強い眼鏡で頑張りました。筆を持つ指が震えないだけ良しとしましょうか? 紙を巻いてあるのはデカール保護です。機銃と排気管がまだなので、天気の日にやっつけておかなければ……糸はまだ遠いです。 眼鏡……左から①②③…… ① 40代に初めて買ったもので、度が進むたびにレンズは変えています。今現在は机上で模型やパソコンに使用。 ② ①が合わなくなってきた時に新調しました。自宅用、会社用と持ち運びしなくてもいいように使い分けていました。やはりレンズは交換してきたので①より②の方が小さいものはよく見えます。 ③ 出張用にとポケットに入れても大丈夫そうなので買ったものですが、今は屋外の塗装時に使用……度はあっていませんが、汚れてもいいので。武蔵小山商店街で買ったのですが、たぶん「小さなフライパン」で連れ合いとランチをした帰りだったと思います。ふと立ち寄って買っちゃうなんて無駄遣いでしたが、今も現役だから良いでしょう。 ④ 散歩時のショルダーバックに入れてあり、モーニングの新聞を読むのに活躍。 ⑤ ④と一緒に買いました。④より度を強くしてあります。昨日の模型作業に使いました。細かい作業には適していますが、適し過ぎるというか? 強すぎるので長時間は疲れます。この2本は安い眼鏡屋だったからかしら? ⑥ サングラス……これもある種衝動買いだったかも……わずかに乱視の補正だけで、度は入っていません。 ⑦ 遠近両用ってのを作ったのですが、私には合わないので全くと言っていいほど使っていません。そのうちに老眼レンズに入れ替えることでしょう。 ということで、20数年のあいだに増えちゃいましたが、これからもシーンによって活躍してくれるでしょう。 おまけ……昨日の田向公園…… 紅葉と落葉が一気に進みました。今年も九品仏 行かなくちゃな~
2019.11.22
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11月4日に歩きました。朝日地蔵尊の続き… 恥ずかしながらこれも見過ごしていました。浄土寺墓地からわずかに東に進んだ右手の路地……入り口正面にある「わくわく広場」にばかり気を取られていたのでしょう。たいした広場じゃないんだけど……なんでかな~ 國藏五柱稲荷大明神(こくぞういつはしらいなりだいみょうじん)…… 荏原第一地域新聞「まちかど」112号・2012年7月に、『荏原1丁目町会は、荏原第一地区の北東にあり、端の方に位置している。周辺には、北に桐ヶ谷斎場、氷川神社、東に荏原金刀比羅神社、南に星薬科大学などが点在している。近くには「國藏五柱稲荷大明神」が祭られ、地元の守り神として鎮座している。』と書かれているのを見つけました。大きなアメジストが置かれた荏原金刀比羅神社は以前通りすがりに寄ったし、氷川神社はこの後お詣りさせてもらいました。 狐がたくさん……きれいに拭かれたガラスケースからは、地元の方々の思いが伝わってきます。残念ながら由緒は不明… 東に直進すると中原街道に面して「荏原金刀比羅神社」がありますが、手前の信号を左折です。 旧中原街道……右手 消火器あたりが匂います… あったあった…… 旧中原街道供養塔群…… マンションの入り口です。北方100mの辻にあったのを昭和38年(1963年)の区画整理でここに移したそうです。 中央の大きい地蔵菩薩は総高1.9mで、造立年代は不詳ながら江戸中期のものだろうと…… 右の地蔵菩薩は延享3年(1746年)寒念仏供養のため 左奥は馬頭観音・元文元年(1736年)造立で、その時代にこの戸越本村に馬持講(うまもちこう)があったことを示すものだと。目黒区もですが、品川区も馬とともに暮らす人々が多くおいでだったのでしょう。馬の無病息災はもとより、世話をする人々の安全を願ったものだと思います。 左前・聖観音(しょうかんのん)は石造墓碑だって……貞享年間(1684~87年)とのことであります。※ 聖観音は観音菩薩 いずれにしても、江戸中期から後期の庶民の信仰状況が伝わってきます。 ※ 「寒念仏」=「僧が寒の30日間、明け方に山野に出て声高く念仏を唱えること」(デジタル大辞泉) 一応撮っておきました。 旧中原街道を北東に、桐ヶ谷通りを越えてちょっとだけ進んで…… ふり返るとお地蔵さん…… 子別れ地蔵…… 樹木の葉に隠れてちゃんと撮れない……片手で視界を広げてパチリ『このお地蔵さまは享保12年(1727)に建てられた、「子別れ地蔵」と呼ばれる地蔵菩薩です。ここはかつて桐ヶ谷の火葬場に続く道筋で、子に先立たれた親が、その亡骸(なきがら)を見送った場所であったと云われております。』 親より先に亡くなった子は、火葬場まで送っていかれず骨も拾ってあげられなかったのでしょう。やはり江戸期のことか? 小石が積まれていました。「一つ積んでは父の為 二つ積んでは母の為」……泣きながら昼夜を問わず賽の河原で石運びをさせられる子に代わり、親が積んだ石でしょう。 パラパラと雪のようにあたりに散っていたのはこれでした…… 脇にあった石……一応撮ってきたのですが、読めませんでした。 子別れ地蔵さん さようなら……私は桐ヶ谷斎場方向に行きます。 右手は少々上っています。そこそこ起伏がある地域です。 突き当たりは右です… 海老民……なんとなく昭和の匂いが漂いました。かつ丼セットあるんだって…… 街路樹は秋色…… 北東の山手通り・目黒川方向に下っていきます。 五反田方面の眺め…… この後、夢違観音にお会いしましたが、続きはまた今度……「飲食や散歩もいいけど、早く糸 通しなさいよ~」と、昨晩 古い知り合いのMさんに言われてしまいました。めっきり視力が落ちて「目が見えない」……じゃなくて「物が見ずらい」ので遠ざけているPfalz。今日は少しだけなんとかしようかしら?
2019.11.21
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11月4日……天気が良かったのでちょっと散歩に……先月末は桐ヶ谷あたりだったので、この日はその外周・大回りってところかしら……いずれにしても足の向くままです。 唐ヶ崎電波塔……なぜか好き… いつも思うのですが、歩行者妨害をする邪魔な歩道橋の階段と鉄柱……渡っている人を見たことがありません。右側には保育園や図書館があるから作ったのでしょうが、子ども連れやお年寄りには辛い。想像以上に車の交通量が少ないため、大方の人は歩いて渡っちゃいます。押しボタンの信号機にしてくれたら良かったのに……人に優しくない時代です。 アルファロメオ……やっぱり赤でしょうか… また邪魔……目の不自由な方は困ると思います。樹木も大切だけど、ここに存続させる必要があるのかしら? 双子用の横並びベビーカーだったら通れないと思うんだけど… 武蔵小山アーケード商店街の北東側……ここを電車が横切らなくなってどれくらいたったんだっけ? 前の写真の手前側が「八光会商店街」 その先から「親友会」……ころころ変わります。 ちょっと変則な「後地(うしろじ)」交差点を左に曲がるとすぐに撮影場所……(後地ってのは昔の地名でしょう) スーパー「ライフ」の脇に…… 朝日地蔵尊……15時少し前だったからか? 傾きだした陽がまぶしい……おんぼろデジカメの限界…… でもってスマホ投入!……なんてきれいに撮れるんだろう~ 扁額……安産・厄除に子育…… お賽銭入れて、唱えてきました。もちろん厄除けだけ…… 寛政元年(1789年)に建てられた道標……右 不動尊・左 仁王尊 僅かながら移動したので方向が左右反対になったと……道標の左奥は慰霊碑・たぶん太平洋戦争? 合掌…… 堂内左奥の小さな道標は見えませんでした……きっと私の見方が悪かったのでしょう。不審者に見られがちな私なので、長居ができません。 なぜ朝日地蔵なのか?説明にはありませんが、朝日が当たるのかしら? どうみても西向きなのに…… 京栄会……また名称は変わります。 寂しくなっていきます……この道は何度も通っています。 以前通過した時に撮って載せたので、詳細は省略……手抜きの私…… 京極稲荷神社…… 進行方向右手に星薬科大学……本館の屋根が見えました。 30年に一度だけ咲くリュウゼツランの花を見に行ったのは去年の8月……早いな~ 今年もじきに終わるしな~ でもって左手、フェンス隙間から覗いたら薬科大学のテニスコート……その向こうに見えました…先日訪問した長應寺の屋根が…… ここが長應寺参道入り口だったようです。以前、反対方向から歩いた時には気づかなかった私……見ていればその日に寄っていたはずです。ほんとうに見落としが多くて困ります。 少し進むと……浄土寺墓地の入り口……少し探したけれどお寺はなさそう…… それもそのはず……調べたら浄土寺は港区赤坂にあるんだと。明治40年(1907年)に赤坂一ツ木から墓地だけがこの地に移転されたと、品川区のHPにありました。ちなみに、ここに眠る江戸後期に活躍した読本・草双紙の作者・柳亭種彦(りゅうていたねひこ)(1783~1842年)の墓は、同区指定文化財・史跡16号とのことです。 同氏のことはまったく知らないので、省略しますが「草双紙」とは『江戸時代、大衆めあてに書かれた絵入り小説本の総称。文章は平仮名を多く用いる。赤本・青本・黒本・黄表紙・合巻物など』とのことです。漢字が少ないなら私にも優しそうです。 今日はここまで……続きはまた今度…… しかし、なんだか寒いな~ 木枯らし1号は吹くのだろうか? もう少し風速が足りないようだけど……
2019.11.20
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昨日は歯医者に行ったついでに天山飯店の広東麺を食べようと思ったのですが、残念ながら待たなければならない時間帯……仕方なく方針を西小山に変更しました。 ポエムで会計の際、「ご自由にお持ちください」とあったので「一つ頂きます」と言ったら、「どうぞどうぞたくさんお持ちください」だって……なんと気前の良いことか……でもってコスモスと百日草とを3袋ずつ頂戴してきました。どちらも春に蒔くのですが、お袋が来年やってくれることでしょう。 贅沢して2度目のオムライスを食べました。卵は3個は使っていると思いますが、摂り過ぎだったかしら? 医者から注意されていないのでいいでしょう。 相変わらずの大盛サラダ……なにも言わなくても和風ドレッシングにしてもらえるようになっています。ありがたやありがたや…… おまけ…… サザンカ(山茶花)……ちょっと目を離したすきに咲きだしました。 形は違いますが、これもサザンカでしょう…… こちらはツバキ(椿)…… なんでサザンカやツバキの写真を撮ったかと言えば、わざわざ寒い季節に咲く理由を昨日の天声人語が教えてくれたから。『…サザンカやツバキは、虫ではなく、鳥に花粉を運んでもらう鳥媒花(ちょうばいか)である。鳥のエサとなる虫がいなくなる冬はむしろ狙い目で、たくさんの蜜を用意し、ヒヨドリやツグミなどを待つ。何より赤は、鳥たちを引き付ける色なのだと……』 冬場はいないみたいですが、夏場はこいつに付く毛虫にやられて連れ合いが困っています。「チャドクガ」っていうらしく、サザンカにも付くんだって~ 気を付けてくださいね~ サザンカもツバキもよく似ているけど、見分け方……花が散るときに花首から落ちるのがツバキ…… ハラハラと花びらが散るのがサザンカだって……なるほど~ 葉の葉脈にも違いがあるそうですが、比べるのが面倒なので省略です。 看板広告やカレンダー疑惑のサツキは、とうに有耶無耶(うやむや)。萩も桜も早々に幕引き態勢……政治の花はなかなか散りそうにない。 赤色が好きな鳥たち……食堂の窓から観察できるように連れ合いが吊るしました。もっと熟して赤々としてこないと彼らはやってきません。いったんついばみ始めた実は、最後まできれいに完食するのも彼らのルールみたいです。 レモンも巨大になりました。けっこう重いのに、良く落ちないな~ と感心してしまいます。私は手を出しませんが、お袋は全体が黄色くいなるまで収穫を待っているようです。 ということで、今日もこんなのでお茶を濁してしまいました。独り留守番をしながら何をしようかしら? ノンアルデーだから寂しいけれど……
2019.11.19
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今日は歯医者に行くから簡単に……気付いた時に撮っておいたお店たちです。 手前のねこ飯はとっくに気付いていたけど、隣がこんなになっていたとは……「ぼーっと歩いてんじゃねーよ!!!」とチコちゃんに叱られます。 壱福商店(いっぷくしょうてん)……一服しなさいという意味でしょうか? 「喫煙目的室」の張り紙もあります。 とってもレトロ……昭和は遠くなっちゃいました… 駄菓子屋っぽいけれど、居酒屋? 駄菓子Bar?…… 興味はあるんだけど、なかなか踏ん切りがつかない…… 仮面ライダーは私の時代じゃないから知りません。古い知り合いのMさんは馴染みがあるかもしれません。 子どもの店ではありません……大人が見ても楽しいです。「お通し350円駄菓子」……やっぱり大人の駄菓子屋でした。駄菓子「お好きなだけどうぞ」ってのも楽しい……店主の人柄を想像しちゃいます。タコさんウインナーでチューハイでも飲みに行ってみようかしら? 薄田商店……以前クリーニング屋だった場所に、先日オープンしたばかり(写真はオープン前) 創業大正3年・野菜巻き串って書かれていたけど、どんなものか? ちなみに「薄田」は「すすきだ」と読むみたい……知らなかった~ enrich mode……エンリッチモードと読むのでしょうが、いつオープンしたのかしら? リフォーム屋さんだったはずなんだけど、あっという間に変ってしまいました。入れ替わりの激しい街です。 Boardwalk……古着や雑貨のお店みたいです。めったにこの前を通らないので最近まで存在を知りませんでした。 ゴルフショップの隣……2階だそうです。こんな店があったとは全然知らなかった~ Viridian……ハンドメイドの帽子屋さん……先日知人に見せてもらいましたが、すばらしい出来栄えでした。予想以上に軽く、圧迫感も皆無でとてもお洒落な帽子でした。手作りだからこそですが、裏地も選べるなんてステキです。 ということで、歯医者に行ってきます……
2019.11.18
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今日も天気が良いので、ササット書いて散歩に行こう…… 水鏡無私……角をやめて、一昨日から米焼酎にしてみました。一升瓶は重い……『人吉球磨盆地を見下ろす九州山脈の麓、谷川薬師寺の生命の水と同じくする花崗岩を歳月かけくぐり抜けた良質の天然水は、さらに備長炭を使用することにより酒づくりに最適とされる分子のきめ細かい水となります。蔵に敷き詰められた37トンの備長炭は磁場を高め原料の米と水の生命力を引き出し、いきいきとした麹と酵母により醸しだされた自然の恵みです。すっきりとした飲み口でありながら、香りや旨みも十分備えています。』と「松の泉酒造」のHPにありました。 25度……ロックでもいいけど少々強いか? ということで五分五分の水割り。ちなみにお燗しても楽しめる焼酎です。 肴はお通しのごま豆腐と…… サワラの西京焼き……函館居酒屋ながまるさんの手作り……味噌をとことん浸透させないあたりの手加減が主らしいです。上品な味と食感も、水鏡無私にあいました。 鮭の白子の燻製……以前頂戴しました。私にとっては初物……どんなのかと思ったら表現に困る燻製でした。でも美味しかったです。いつもお気遣いいただき恐縮です……ごちそうさまでした。 ビールはあまり飲まない私ですが、昨日、しばらくぶりに「グレゴール」に寄ってみました。ドイツの生ビールがウリの店ですが、ぬるいのが嫌いな私……でもって良く冷えた瓶ビールを注文。 最初に飲んだのが「社長のよく飲むビール」……度数10%と高めで、通常の2倍のモルトを使っているそうで香りは深い……でも私には甘い…… でもって「社員の出世するビール」を試したら、苦みはあるけど喉越しが私好みではありませんでした。ビールってのも難しいものですが、飲みなれたキリンかサッポロが私には似合っているのでしょう。 右のグラスは1リットル入るそうです。こんなには飲めないな~ ちなみにお店はそこそこ繁盛してました。鹿児島か宮崎だったか?から帰ってきた時以来ずっとお会いしていなかったAさんのお顔がありました。少し細くなった様子ですが、お元気そうでした…… シネマの回鍋肉……いつも麺類なのですが、さっきこんなご飯物を食べてきました。特徴はキャベツ……ジクごと大きくカットして茹でたキャベツが脇に添えられています。夜は肉と一緒に炒める一般的な調理なんだそうですが、昼のこのスタイルは女性に人気があるんだって。「ご飯おかわりできます」と言われましたが、肉もたっぷりだし私のお腹はパンパンでありました。私のような高齢者は、最初から「少な目」って言った方が良さそうです。 連れ合いは義母のお使いで外出しました。 私もちょこっと歩いてくるとしましょう……
2019.11.17
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11月9日……迷子になりそうなランドマークタワーを訪問してからブラブラしました。横浜散歩の最終回です。 港の見える丘公園を出て少し南に、外国人墓地に突き当たったら左……右に行けば駅なのですが日暮れまでもうちょっとフラフラ…… 建物は「山手十番館」……勝烈庵(昭和2年創立のかつれつ料理屋)の十番目の店として昭和42年(1967年)に明治100年を記念した建てられたそうです。1階はカフェ、2階はランチとディナーのフレンチレストラン……2019クリスマスランチが5,500円(たぶん税抜き)サービス料もかかるだろうから、グラスワインの2杯も飲んだら1万円……連れ合いが自由に外出出来たらプチ贅沢に連れて行ってあげるんだけどな~ 外国人墓地……山手十番館の正面……食事しながら墓地を眺めるのかしら? 貝殻坂……外国人墓地(右)と元町公園(左)との間の坂道。貝殻が出土されたんでしょう。ここを下っても良かったのですが、頑張ってもうちょっと大回り…… 元町公園前のバス停で待つ人が……高齢者が多かったかも… 向こうにあるのが「横浜山手聖公会」……とても若かった頃、誰に薦められたのか? 夜ここに訪問した覚えがあります。何の会だったかはすっかり忘却の彼方ですが、遠回りでも帰りはあの坂を小走りに下りたはずです。裸電球の灯りが作る自分の影、薄っすらとした記憶が残っています。 エリスマン邸……生糸貿易商社の横浜支配人格として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅で、大正末期に山手127番地に建てられた。残念ながら昭和57年(1982年)にマンション建築のため解体されたが、平成2年(1990年)にこの元町公園内に再現されたとのことです。 移築ではなく、なぜ再現なのか? ちょっと不思議に思う私……中に入って聞いてみれば良かったのですが、入館者がけっこうおいでだったのでパス…… 山手80番館遺跡……この一帯はかつての外国人居留地の中心で、住宅のほかにも学校・病院・劇場などの西洋建築物が立ち並んでいたそうです。 この遺跡は、鉄筋補強煉瓦造(当初3階建)・建築面積は180㎡で明治末期から大正初期に建てられたようです。大正12年当時の居住者はマクガワン夫妻だったとのこと…… 煉瓦壁が鉄棒によって補強されていたとされますが、地下室部分を残すだけとなってしまったことから、関東大震災の被害の大きさを物語っています。 玄関ホールを入ると「サロン前室」から「サロン」、「使用人部屋」「台所下部」「貯蔵庫」などが1階にあったようですが、優雅な暮らしがうかがえます。 すっかり肌寒くなったのでベンチはガラガラ……もっとも、観光客はここには来ないのかも…… 眼下に「元町公園プール」……50m×19m 照明もあったから夜間も泳げるのでしょう。 ぼちぼち帰らねばと、駅方向に下ります。 先が見えない…… 結構な勾配です。上りじゃなくて良かった~ プールの管理棟らしいけど、「ジェラール水屋敷」って看板がありました。湧水を沈澄して貯めたらしいです。貯水槽から堀川まで地下に敷設した管ではこび、川岸から小舟に積み替えて横浜港内の船舶に給水していたとのこと。「インド洋に行っても腐らない」と、明治時代には船乗りの評判を呼んだそうです。恐るべし横浜の水…… 元町公園の南側から入って、北側の出口が目の前まできました。遠くは陽がさしていますが、このあたりは山の影……日暮れは近い…… 我国塗装発祥之地……だって……外国人居留地に建つ住宅に用いたペンキ塗装のことでしょうか? 詳細は不明でごめんなさい。 夏場は、もっとたくさんの水を流してくれるのかもしれません。ジャブジャブ池みたいな… 公園を後にこんな道……近くに美味しい日本蕎麦屋があったんだけどな~ サラリーマン時代に2度お邪魔しましたが、場所はすっかり忘れています。 元町商店街……ということで、始発駅の元町・中華街駅まで無事到着した私です。連れ合いとここに来たのは何年前のことかしら? 10年ぐらいは経っているんでしょう。またいつか一緒に行かれるといいね~
2019.11.16
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11月9日……複葉機展示会を見てから、横浜の港にそってブラブラして……「港の見える丘公園」のふもと(道路の向こう側)までやってきました。長い歩道橋……「フランス橋」と言うみたいです。せっかくなので渡ってみました。 渡り切れば、そのまま「港の見える丘公園」に入って行かれるのですが、対岸の歩道橋階段を道路側に下りて次の写真をパチリ……我ながらごくろうさまです。 メダリオン……壁面にはめ込まれていました。 現在港の見える丘公園にはフランス領事館があり、フランス山と呼ばれたそうです。だから歩道橋もフランス橋だったんですね。ちなみに公園の奥・上部はイギリス領事館だったようです。 公園内を上って行けば良いのですが、天邪鬼(あまのじゃく)な私はこの道が好きです。何十年ぶりでしょうか? 学生時代、公園の上にあったご学友宅に2~3回お邪魔した帰り道がここでした。当時は元町・中華街駅はなかったので、石川町駅から歩きましたっけ……観光客は使わないはずですが、ちゃんと残っていてくれて嬉しかったです。 途中から階段??? ずっとただの坂だった気がするのですが…… 珍しく私のような高齢者が下りて来られました。ここで左を向くと…… 坂の途中なのにこの景色……手前の影はフランス山が作ったものです。 まだまだ上ります……こうご期待…… 台風の爪痕かしら? フェンスが倒れ掛かっていました。このフェンスの存在は、完全に私の記憶には存在しません。白いガードレールもあったっけな~ 若かった頃は少々暗くてもへっちゃらでしたが、今は怖いです。追いはぎに遭いそうだものね…… 展望台に到着~ 若い方ばかりでなく中高年の方々まで幅広い訪問層でしたが、女性の方が多かったです。アベックもちらほらいましたが、さすがに私のような独り散歩は極々稀(まれ)…… 港の見える丘公園展望台からの眺め……横浜ベイブリッジも良く見えました。 こんなのを撮っていたら「申し訳ありませんが押していただけませんか?」と、スマホを差し出されました。母親(おそらく)と来ていた娘さん……一緒に写りたかったのでしょう。 渡された状態で構えたら画面に絵が写らない……「なんでやねん」と思ったら折り返したスマホケースの蓋がレンズを覆ってたのね~。撮るときは蓋をダランとするようですが、レンズ位置だけ穴開けとけばいいのに……なんてスマホ音痴の私でありました。でも、声をかけられたってことは不審者には見られなかったようで一安心の私でもありました。 フランス山の風車……明治29年(1896年)フランス領事館とその官邸が建設された時、井戸水を汲み揚げるために設置された風車だそうです。実際に設置されたのはこの場所ではなく、近くにあるレンガ造り井戸の遺構が残されている場所だと。領事公邸で使用されていた風車の資料が残されていないため、あくまでモニュメントとして置かれているそうです。 旧フランス領事館公邸遺構……跡が少しだけ残されています。大震災の記録でもあります。 愛の母子像……『昭和52年(1977年)9月27日、横浜市緑区荏田町(現青葉区荏田北)に米軍機が墜落し、市民3人(母と幼い子二人)が亡くなりました。生前に海が見たいと願っていたことから、この公園に愛の母子像の寄付を受け設置したものです。』とありました。米軍機の墜落はずっと続いているようです。なんとかならないものか?『白き巨船 きたれり 春も 遠からず (林火)』 すごく目立たないところにポツンとありました。大野林火は横浜生まれの俳人だそうです。簡素でも説明書き看板 作ってあげてくださいよ。私にもありがたいから…… レンガ造り井戸遺構……フランス領事館竣工時に、上水道が敷設されていなかったために設置されたと。現在は涸れているが、深さ約30mで、使われているレンガは円形に積むために扇型をしているって。 保存整備をしたのできれいですが、覗いても何も見えませんでした。 ガーデンベアー……「全国都市緑化よこはまフェア」に登場したマスコットキャラらしいです。傾きだした西日をしっかり浴びています。私の影もできちゃいました。 大佛次郎記念館……昭和53年(1978年)オープン 後方には「近代文学館」があって「中島敦展」が催されていたみたいですが、私は彼を知らないし有料だったのでパス……ケチだな~ ちなみに観覧料……一般700円ですが、65歳以上は350円だって……もう少ししたら半額で入館できる私です。証明書を持って散歩をしないとならないようです。 大佛次郎記念館の手前は「沈床(ちんしょう)花壇」と呼ばれます。 沈床花壇とは何ぞや? と調べたら『…平面の短調を破るために花壇の位置を60~80㎝低く設け、周囲から見下ろすようにした花壇。植え付けの形式は左右相称的でもうせん花壇式で、多くは中央に盛り上げた部分をつくり、四方に小道を設ける…(世界大百科事典・平凡社)』とあったとおりの造りでした。 ※ [もうせん花壇]=平面的な花壇で、草丈の低い草花を色彩的に植えてある。 横浜イギリス館……昭和12年(1937年)に英国総領事公邸として建てられ、昭和44年(1969年)に横浜市が取得……1階のホールはコンサート、2回の集会室は会議などに利用されているって。イギリス館手前はバラ植栽を主とした英国風の庭……文字通り「イングリッシュローズの庭」と呼ぶそうです。 さてさて、今日はなにをしようかしら? 毎日グズグズしているだらしない私……なんとかしなくちゃね~
2019.11.15
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今日は横浜散歩 お休みです。 昨晩作ったイカフライ…… 胴体を引っこ抜きました。立派なワタ…… きれいにむけましたが、今回は廃棄……塩辛にする身がなかったので……塩をふって水抜きして冷凍にしておく手もありましたが、「また、大きいのにお目にかかるだろう」と思ったのでサヨナラ… エイみたい……イカの耳? エンペラ? その他の本体解体は省略……いちいち手を洗ってスマホを手にするのが面倒だったので……そうだ、連れ合いに撮ってもらえば良かったんだな~ 今度は頼むわな~ イカに飾り包丁を入れて粉コショウをふっておくのが私流……包丁は入れなくても良いのですが、それほど歯が丈夫ではないお袋用に「より食べやすく」のささやかな心遣いです。パン粉はソフトじゃなくてハード……細かいのをさらに細かくしてごく薄くも私流…… 揚げ時間は15~20秒……油に投入して下側が色付いたらひっくり返してじきに完了~ ミディアムとかミディアムレアってのが好きな私ですが、余熱で火が通るので揚げたてがベストです。なんて言いながら、お袋と連れ合いに出してからの私……たまには孝行しないといけません。それでも「(これを食べると)さぼてんのイカフライは食べられません」と連れ合いが言ってくれたり、勝手にお代わりして結局8切れ食べたお袋を見ていると「作って良かった」と思った私でした。 ゲソ……醤油に浸けて焼いただけ……酒飲みの最強の肴!!! ちなみに、平凡なので撮りませんでしたがイカ刺もちゃんと用意しました……為念……ちょっとブツブツ……「芸能人を見る会」と化していた安倍首相主催の「桜を見る会」……来年度の開催を急遽中止にした。 安倍首相の地元後援会関係者が850人も招待されていたとか、手荷物検査も本人確認もなく開園前から入場して記念写真、飲み食いもタダで税金を使っての催事にふさわしいのかも含めて疑いが持たれた結果の判断だが、止めたから良いだろうは通らない。 疑惑が浮上した菅原一秀、河井克行両氏は、説明を予定していた予算員会直前に辞表を提出して以来 自ら語ることはない。野党が求める参考人招致も「前例がない」と応じない政権与党。野党からの説明要求に対し、安倍首相は「内閣、与党、野党にかかわらず、一人ひとりの政治家が、自ら襟を正し説明責任を果たすべきだ」と、耳にタコができるほど繰り返し衆院予算委で答弁した。 質疑には正面から答えずかわした答弁ではあるが、今度はどうだろう? 何といっても自らが主催の会である。「(事務所がやったことで)私は知りませんでした」なんてことは言えないはずなのだが、「今後についてはしっかりと見直していきます」なんてことで幕引きを図るのかもしれない。善悪?良識?ってものを持ち合わせていないのだろうか、政治家ってのは…… と、ブツブツ書いてしまった。もっともっと怒っているのだけれど、今日はこのくらいで止めておきます。
2019.11.14
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11月9日……横浜赤レンガ倉庫を後に、ちょいと橋を渡り「象の鼻パーク」にきました。 横浜開港150周年記念碑……まず出迎えてくれるのがこんなの…… 横浜開港150周年の記念の年である2009年「開国博Y150」を実施した証として建立されたとのこと……マスコットキャラクターは「たねまる」って言うそうです。立派な御影石製……象の鼻パーク Aゾーンの「開港の丘」にあります。丘といってもたいして高くはないのですが…… 象の鼻ってなんだと思ったら、右手から中央に延びてくるのを「象の鼻防波堤」と呼ぶんだって……なるほどなるほど、見方によっては象の鼻……鼻先までは歩いていく元気はありませんでした。 とんでもなく巨大な客船…… 左は「飛鳥Ⅱ」……長さ241mで旅客定員872人、おまけに乗組員が約470人と言う数字にはビックリです。船名は分かりませんが、奥にあるもっと巨大なのは倍はあるかしら? 戦艦大和の全長が263mみたいですから飛鳥と同じようですが、この2隻が並ぶとその大きさを感じません。 鉄軌道と転車台跡……鉄道は知識も興味もないので省略ですが、荷役用に多くの鉄軌道が存在したらしいですが、その一つがこの下に隠れているみたいです。 天気が良かったのがありがたい……湾内ではあるけど久々に海を見ました。 インド水塔……インド式の水飲み場だそうで、山下公園に入ったところにありました。 関東大震災(大正12年)の折、多数被災した横浜在住の在日インド人救済に横浜市民が尽力したと。その市民への感謝と同胞の慰霊のために在日インド人協会が昭和14年(1939年)12月に建立したとのこと……いつ何時も助け合いは必要です。少なくともその気持ちだけは持っていたいものです。 赤い靴はいてた女の子像……大正11年、野口雨情作詞・本居長世作曲で発表された童謡『赤い靴』の歌詞をイメージして昭和54年に造られました。平成22年にはこの少女像と同型の像が、横浜市と姉妹都市のアメリカ・カリフォルニア州サンディエゴ市の海辺に建立されたそうです。アメリカまでは見に行かれませんね~『…… 横浜の埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って 異人さんにつれられて 行っちゃった……』 ちなみに同園内には「かもめの水兵さんの歌碑」もあったみたいです……目に入らなかった~ 西洋理髪発祥之地……『ザンギリ頭をたたいてみれば 文明開化の音がする 安政の開港とともに、生活様式の洋風化が進むなか、政府の「断髪令」に先がけ、明治2年(1869年)横浜にわが国初の「西洋理髪店」が開業され、欧米風「ザンギリ頭」は文明開化の一翼を担うこととなった。 彫刻名「ザンギリ」 彫刻制作 木村 賢太郎』 山下公園の芝生はとってもフカフカでした。コマシな格好で行ったので出来ませんでしたが、近所を歩く時の服装だったら寝転がったことでしょう。 ※ コマシ=スケコマシではありません……為念 氷川丸……日本郵船が1930年にシアトル航路用に建造した貨客船ですが、戦争中は海軍特設病院船となり、終戦までに3回も蝕雷したけど沈没を免れたと。戦後は貨客船に戻り、船齢30年となった1960年に引退し翌年からここに係留保存されているそうです。ちなみに太平洋横断は254回……戦争中も含めて大活躍した船です。 山下公園のほぼ中央……奇麗に整備された公園です。 写真中央にあるのが「エル・カミーノ・レアールのミッションベル」というもの……1769年から1832年、聖フランシス派の修道士たちがサンディエゴからサンフランシスコに至る600マイルの道のりに21の伝道所を設けましたが、この伝道所を結ぶルートを「エル・カミーノ・レアール(スペイン国王の道)」と呼ぶそうです。20世紀になって道筋を確認し、道路に沿ってミッションベルを建てたそうで、ここにあるのは複製……姉妹都市サンディエゴから送られたそうです。 ベルだけ撮ってくれば良かったのですが、この日の写真はスマホを多用……バッテリーの消耗具合が分からなかったのでケチっちゃいました。フル充電すると結構撮れるものだと確認できた日でもありました。 マリンタワー……意味はないのですが「やっぱり撮っておかなくちゃ」と… 水の守護神像……逆光だったので映りが悪い サンディエゴから頂いたものだって……この一帯を「サンディエゴの泉」と呼ぶそうです。ちなみに横浜市は「雪見灯篭」や「茶室」などをサンディエゴに寄贈しているとのこと…… 未来のバラ園……山下公園は、関東大震災の復興事業として、がれきを埋め立てて作られた臨海公園。開園のころに寄贈されたバラを植えたのが始まりのようです。平成27年の横浜みどりアップ計画により、昔からのバラと新しいバラ、そして季節の花々の咲くバラ園として再編されたとのこと……だからバラだけじゃなかったのね~ と言うことで、またまた今日もここまで…… おまけ…… 珍しく大き目のを見かけたので、昨日買ってしまいました。昨晩は家族が外出だったのでオアズケ……でもって後で仕込みをする私です。刺身と焼いたのだけにしようと思っていたら、連れ合いが食べたいというのでイカフライも……「足りないじゃないの?」と思われるでしょうが、写真以外にもう1杯あるから大丈夫です。皮剝くの面倒だけど頑張ろう。
2019.11.13
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11月9日……ランドマークタワーの複葉機展示会を拝見してから、知らないところをウロウロしました。やっぱり、迷路のような地下道ではなく屋外が良いです。 遠目で赤レンガ倉庫に人だかりが確認できたので、躊躇したのですがせっかく来たのだからと行ってみたら…… おそらく150台ぐらいあったでしょうか?……1日限りの催しだそうです。なんと運の良いことか…… ロータスヨーロッパ……「サーキットの狼」は古い知り合いのMさんに単行本を見せてもらった気がします。 シボレー・コルベット……奥のブルーのは、どう考えても1960年代だったかと……古いのに皆さんピカピカにしています。模型でピカピカにしようとすると、サンドペーパーでフェンダー上部のエッジを削ってしまいそうな私です。 ご存じ Z……やっぱりマルーンが人気なのでしょう。 MGだって……モーリス・ガレージって言うのかしら? イギリスの車だということ以外は何も知りません。どんなエンジンか見たかったけどな~ やっぱりイギリスしか分かりませんが、前のより時代は新しいでしょう。女性はいいな~ 座らせてもらってました。 日産・オースチン A50型ケンブリッジ……『1959年8月の新車登録より60年が経ちました。登録時のナンバープレートを現在も維持している未再生原形車です』とウインドウに貼られていました。なので、ナンバープレートの上段だけは消さずにおいた私です。 なんとこの車、驚くべきはラジオが真空管だって……振動で球切れしなかったのかしら? 子どもの頃、親父が乗っていたコロナにはグローブボックスの下にヒューズホルダーがあって、何度か取り換えた記憶があります。もちろんガラスケース入りの物でしたが、ライト系統のヒューズだったのかしら? 自分が運転しだしてからはお目にかかったことはありませんが、今もあるのかしら? ヒューズと言えば、ブレーカーの無かった時代にはしょっちゅう家庭で取り換えました。針金みたいなやつ……古き良き時代だったかもしれません。 オースチン・ヒーレー……「Austin Healey」となっていますが、カタカナ表記がどうかもあやふやな私です。 Austin Healey Sprite……1959年みたいです。『非力なエンジンながら軽量ボディーによる、軽快なハンドリングや性能は当時クラス最高を誇った…』とトヨタ博物館のHPにありました。水冷直列4気筒OHV・最高出力:43/32/5200(HP/kW/min-1)とのことです。ライトウェイトスポーツ……昔からあるんですね。 Alfa Romeo Giulia GT1300 Junior (白いの)……1971年……今の時代でも充分かっこいい! ダッツン……白いのは1967年みたいですからZが登場するちょっと前でしょうか。左ハンドルだから逆輸入しはったん? ホイールも純正なのでしょう。 トライアンフ TR-4 (1964年?)……って言うそうな……TRとはTriumph Roadstarの頭文字……スポークのホイールが良く似合います。 と言うことで、思いがけない車たちを見つけてウロウロしてしまいました。もっと写真を撮りたかったのですが、なんせ人が多かったのでこれにて終了~ レンガ倉庫を後にして海岸を歩くと巨大な客船が登場しました。 続きはまた今度…… さてさて、今日は留守番しながら何をしようかしら?
2019.11.12
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11月9日……複葉機展示会を見に行ったついでに港付近を独りブラブラ……帰りの電車が座れるよう、元町・中華街駅までは歩くことにしました。 帆船日本丸……昭和5年(1930年)に建造された練習帆船で、昭和59年(1984年)まで約54年間活躍したそうです。帆船と言うからないのかと思いきやエンジンが搭載してあると……なんと日本初の舶用大型ディーゼルエンジンで、54年動き続けたことは世界一の稼働年数記録を持っていると……ちなみに航海距離は延べ183万㎞で、地球45.4周分だそうです。飛行機の後に、思いがけず船に出会った私でした。 タイミングが良いというか、今朝テレビで日本丸に帆をはっている様子を見ました。「総帆展帆(そうはんてんぱん)」って言うそうですが、専門家ではなくボランティアらしき素人さんたちが蟻のように上って行って張っていました。 ちなみに次回は今月17日……帆を広げ終わるのが11時30分らしいので、昼時に行けば見事な姿を拝見できることになります。行ってみようかしら? でも人だらけだろうな~ エアー・コンプレッサー……横浜船渠(せんきょ) 後の三菱重工業横浜造船所が、造船事業に進出する際にアメリカから購入したんだって。1918年ニューマチック・ツール社製……昭和58年(1983年)に造船所が移転するまで約65年間、4基が使われていたそうです。 少し離れたところにもありました。三菱が2基 おいて行ったということかしら? 汽車道っていうのを歩いてみました。桜木町と新港地区とを結んでいる遊歩道……緑道も良いけど、運河上のこんな道もたまにはいいです。「汽車道」というだけあって、ちゃんとレールがありました。1911年に貨物輸送用に港へ敷かれた横浜臨港線のレールとトラス橋を残して、1998年に遊歩道に整備されたそうです。仕事では横浜方面も行ったけど、こんなのは知らなかったし縁もなかったな~ サボり名人だったから興味があれば行ったのでしょうが…… 汽車道から北方向……天気が良かったからありがたい……雨だったら絶対に歩きません。 南東方向に続く運河…… 運河パーク・観光船……らしいです。船酔いするので、私は乗りません。 絵を描いている方が何人もおいででした。風邪をひきませんように…… でかい錨……1971年に建造された大型原油輸送船「高岡丸」に備え付けられていたものと同型だそうです。プレートを撮ってきたのですがピンボケなので断定はできませんが、重量は「18.27K/T」と薄っすら読めます。1K/T=1キロトンは1000トンだから……えぇぇ~ ほんまかいな? 赤レンガ倉庫のある島に渡ってみました。 不思議な景色…… よく見たら造花が立っていたのでした……そうとうな量です。 せっかくだから行ってみようと思ったのですが、遠目からでもなにやら大勢の人が行列しています……はてさてどうなったことか? 続きはまた今度…… おまけ… 昨日は休肝日の予定でいましたが「(祝賀御列の儀もあったし)お祝いだから飲んできたら~」ということで、日曜もやっているながまるさんに…… また「Maana」さんにお会いしたので一応記念に一枚パチリ……今日は振替公演で仙台……午前中の新幹線で出発とのことでしたが、今頃リハーサルやっていることでしょう。いつも元気な方です。本日の大成功を祈っておきます。 豚肉、高菜、もやしの炒め物のせ湯麺…… 昨日モーニングに行ったらホットドックが売り切れていました。パンかソーセージか不足しているものは不明ですが、今日の午前中に補填される可能性が低いと判断したので、朝抜きでランチにしました。五目湯麺と甲乙つけ難いです。 写真はピンボケですが、とても良いお味でした。
2019.11.11
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「銀色通信72」さんがお知らせ下さったので、昨日(11月9日) 複葉機の展示会に行ってみました。 横浜なんて何年ぶりでしょうか? ましてやランドマークタワーなんて私にはまったく無縁の場所ですし、躊躇躊躇のあげくに重い腰をあげてみました。「みなとみらい駅」なんて初めて降りました。地下は覚悟していたものの、とんでもなく長い長いエスカレーターにドキドキ……でも、この吹き抜けはすごかった~ 一番下にみなとみらい線ホームが見えるんです。乗り換え駅はありませんが、渋谷駅よりもすっきりした構造には好感が持てました。 ところが、エスカレーターを降りると東急スクエアー、クイーンズスクエアなんてのがあって、目的地までの通路は大勢の人でゴチャゴチャ……しどろもどろの私……都会の歩き方には慣れません……ところどころにある会場(ランドマークタワー)への矢印表示を見過ごさないようにキョロキョロとお上りさん状態の私でした。 何とか入場……ランドマークタワー33F 「エレベータEで上がって左折、突き当り」……エレベーターまでたどり着くのに一苦労した私ですが、ちゃんと到着できました。エレベーターEは、A/B/Cとは離れた別の場所……なんでやねん!でした。 熱心に作品に見入る方々……申し訳ないのですが入場無料はありがたいです。作品数は、ほぼこのスペースに置ける程度でしたが、真剣に取り組んでおられる作者の意気込みが伝わってきました。 私も作ったFokker Dr.Ⅰですが、1/48とは違い、1/32(?)は迫力がありました。塗りもまったく上手です。やっぱり熟練者の方々の作品にはかないません……完成品だけでなく、写真も並べて展示するなど考えられた展示会でした。 複葉機と思いきや、私の知らないこんなのも複数展示されていましたが、見事な塗装に張り線です。デカールではなさそうな紅白ラインも見事です。ピカピカの飛行機も有りなんだな~ と目からウロコの私…… 実に美しい仕上がり……スキがありません。なんでこんなに上手に作れるのやら? しっかり塗られた人形があると、さらに絵になります。 作者それぞれの張り線方法の違いにも気付きましたが、素人の私にはとても参考にはなりません。 胴体の塗装に惹かれました。怪獣みたいなのはデカールじゃなくて手描きでしょうが、実に魅力的…… 小さいのもこれだけ並べると絵になります。確か1/72だったはずですが、しっかり張られた線も奇麗でした。 ただ塗っているようですが、質感っが素晴らしかったです。こんな塗り方・表現、私には無理です…… 33Fから南東方面の眺め……手前、運河を渡る「汽車道」なんてところを歩いてみましたが、また今度…… おまけ… 連れ合いが蒲鉾板をとっておいてくれました。この上でならヤスリかけやすいと思います。トンカチでたたいて潰す手もありでしょうが、鉄板がないので……気が向いたらこれで試してみます。…いつになることやら…
2019.11.10
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10月31日……この前日(30日)、最後に訪ねた行元寺を見つけられなかった私……帰ってからGoogleでなくYahoo地図を見たら細かな路地が表記されていました。最初からYahooで確認しておくべきでしたが、悔しいのでリトライ…… 420号線からこんな道に入ります。前日とは違うルート……進行方向左側が品川区、右側の目黒区に品川が食い込んでいる地域です。 小山台公園……なんども通っていますが……突き抜けると羅漢寺川緑道があります。 何処へ行ってもこんな道……車ではよく通りました。抜け道…… 林試の森公園の南側……たぶん公務員宿舎……品川区にあるけど都の持ち物かもしれません。 そうとう長いことこの状態です。広い土地なのにもったいない……耐震性に問題があるのか? 再開発の予定は私には聞こえてきませんが、いずれは行われるのでしょう。 立ち入り禁止ですが、誰かが入り込んでも分からないでしょう。鉄筋コンクリートといっても、不審火による火災は怖いと思います。 5~7階建ての立派な建物が5棟建ち並んでいます。 さてさて、かむろ坂上をちょいと下った所に再訪……前日この景色は見たのですが、パーキングだとばかり思いこんだのが間違えでした。 正面まで行ってみれば分かったのに……なにをやってるんだろう…… 入ってすぐ石塔がかたまっていました。 右手の駐車場整備と一緒に参道だったのを改修してしまったのかもしれません。 行元寺……中を覗き見ることはできませんが、残念ながらお寺らしくはありません。天台宗のようです。 地蔵尊かしら? 亀に乗っているみたい…… 大震災横死者供養塔……関東大震災のことでしょうから、大正末期から昭和初期に建てられたものでしょう。 かむろ坂下から上がって行っても、注意しないと寺の存在は見過ごすでしょう。「あぁ~すっきりした」の私でした。 Quatre Avril……「フランス人のオーナーシェフの営む本格的なビストロ」だって……「アットホームで落ち着くお店です」ともHPにありました。 フランス語ばかり……チンプンカンプン……鴨胸肉のロースト・3,000円だって……本日のサラダ・1,700円は私は要らないな~ ワーゲン・タイプⅢだと、以前師匠が教えてくれました。しかし、本当に早いものです……前回見たのがいつだったか確認したら2017.2.12でした。 この坂、前も歩いたんだけど… 石古坂……右後ろの林試の森公園東門から出てきたので、電信柱に隠れて見落としたと思います。三折坂も近くにありますが、両坂が下った位置にあるこの界隈は低地と思われます。水害に遭いませんように…… 目的があって林試の森公園を横切ります…… 秋ですね~ 落ち葉の上を歩くのも良いものです…… 学校帰りのデート……ちょっと危ない会話も聞こえてきましたが……真面目そうな学生さんでした。 目的地到着……ありがたい…… たぶんスズカケの落ち葉でしょう。 この看板の脇だったので…… 羅漢寺川緑道もちょっとだけ……左側が小山台公園…… 工事中……しかしこの細い緑道沿いの補修や工事は大変です。車が入って来られないんだから…… 台風でベランダから飛ばされた洗濯物でしょうが、心ある方がここにかけてくださったんでしょう。 ということで、簡単でつまらない写真ばかりだけど、一応載せた今日であります。
2019.11.09
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長らくほったらかしだったので、昨日コピットお試し…… プラパーツを紛失したので、シゴーニュさんに頂戴した金属棒を使うことに…… 直径を計ったら1.1mm……1.0mmの金属に0.1mm分のコーティング(塗装)が施されていました。そのまま使えば良いものを「ちょっと太いかしら?」「形状は丸棒じゃないよな?」…なんて知りもしないのに生意気な私。でもって、少し平らにしようとヤスリで削ってみました。先端に向かって細くしようとも思ったのですが、付け根が気持ち削り過ぎなので、いずれにしてもまた後日やり直します。 しっかりした金属線ですが、手に持ってのヤスリ掛けはダメです。置けるものがあったら楽でしょう。こうして書いておけば、連れ合いが蒲鉾板を取っておいてくれることでしょう。こんなことは初めてやりましたが、なんでもやってみないと分からないものです。 今日も義母と酉の市に行ってくれた連れ合い……ご苦労様でした。それに引き換え、一日グダグダしてしまった情けない私……お蔭でこんな日記になっちゃいました。明日は写真の多いの(31枚予定)にしますからね~
2019.11.08
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10月30日……冨士見地蔵から専修寺までブラブラ歩いた続き… 路地の奥、左・専修寺と右・桐ヶ谷寺を拝見して表通りに出てきました。 桐ヶ谷通り…… 霊源寺……私の背後は桐ヶ谷斎場です。 大昔、親戚の葬儀が執り行われた際に参列しました。霊柩車は使わず、大人たちが棺を持って斎場まで運んだことを覚えています。 西霧ヶ谷公園……以前も載せましたが、「桐」ではなく「霧」です。 桐ヶ谷通りをかむろ坂に向かって…… 東急目黒線(旧 目蒲線)の上……不動前方向の景色……踏切がなくなったので待つことのストレスがなくなりました。ちなみに、この位置は地下に潜らせたのですが、北東へ下る傾斜地なのですぐ先からは高架になります。 まだ昼顔があるなんて……と、遊んでみました。 かむろ坂上交差点……かむろ坂通りが横切っています。「坂上」とは言うけど、左にはもう少し上っています。 きりきり舞……どんならぁめんなんだろう? 「葉月」の店主から独立を許された唯一の店だそうです。そもそも葉月も知らない私ですが、ここは醤油系みたいだからちょっと興味があります。 きりきり舞い 歌:山本リンダ・作詞:阿久悠・作曲:都倉俊一『はらはらさせてごめんね いいこでなくてごめんね ……… きりきり舞いであなたの 人生さえも狂わせ 悪いことをしたと思うわ……』 はらはらするようならぁめんなんだろうな~ 私のらぁめん常識を塗り替えてくれるのかもしれない…… 少しだけかむろ坂を下ります。 以前もパチリしましたが、喫茶店ではなく理容室……Googleマップに、この店の真向かいの路地奥に「行元寺」ってのが表示されていたので行ってみた私です。 この路地だろうと、奥まで入ってみたけどなななんとありません。地図上では突き当り斜め右なのですが道がない……寺の姿も垣間見られない……かむろ坂を少しだけ下ってみたけど路地なんかありそうもない。Google地図にもここしかなかったはずなのに…… 仕方なく坂上から裏へ入るべくこんな道……行きませんが、直進すると目黒不動にぶつかります。 直ぐに裏路地に入って…… クネクネした路地をウロウロ……右に見えても良いのに……ない 不審者のごとくさまよう私…… 歩き疲れて、猫に睨まれて……途方に暮れた私は断念して帰路につきました。留守番中だし、家の灯りをつけなくちゃならなかったので…… 平和通り商店街……二葉フードセンター 焼鳥・鳥岡の横を入ります……伊勢武はテイクアウトのお寿司屋さん……鮮魚、揚げ物など13店ほどが軒を並べていましたが、今では閉店しちゃった店もちらほら…… 二葉青果……裏通りに面してとっても広い面積に商品が並べられています。私の近所の飲食店も野菜の買い出しに出向きます。「午前中に行かなくちゃならないの」多くの方が行かれるようで、欲しいものが早々に売り切れちゃうそうです。50年以上は営業されているでしょうが、建物の老朽化対応にご苦心されていることでしょう。 晩酌のお供を買いに行くのが、この日第一目的の私でした。小さな四角だった紅生姜が、少々大き目な三角になっていました。 清水池公園通過……池の真ん中に、大きな鳥が止まる物体があったように記憶しますが、何もない……おかしいな?不思議だな? と、以前の写真を探したのですが見つからない私……だめだな~ 今度探そう!気合で… すっかり秋っぽくなった空……しかしデジカメは画質が悪い… 大した距離ではないのに2時間ちょっと……歩行速度が遅くなったんでしょう。歩き方が悪かったのか少し腰が痛かった私……情けないけれど、めげずに翌日 再度「行元寺」だけ探してきました。面白いものではありませんが、それはまた後日…… おまけ…… 補助26号線……昨日、整形外科の予防リハビリに行ったついでに……フィットネスクラブ脇も、フェンスなど障害物が撤去されて先までつながりました。しかしスマホはきれいだ…… 今朝はさほどお腹が空いていなかったので「サラダ軽めにして~」ってお願いしたらこれ……どこが軽めなのかしら? おまけに、ちょこっとだけど「おまけのポテト」を乗せてくれました。北海道の赤い色の芋をもらったので作りましたと、営業用ではないとのこと。お蔭で今日は8種類の野菜を摂取しました。ご馳走様でした。
2019.11.07
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昨晩、久しぶりにお誘いいただいたので知人A氏のご自宅にお邪魔しました。 峰不二子たち……所蔵品を出してきてくれました。アニメは平面だけど、立体となるとなまめかしい限り……しかし、ずれのない塗り分けはスゴイ!!! 仕事、介護と忙しくしておられるA氏ですが、一昨日 秋葉原で買い出しされたそうです。久々の秋葉原でお疲れだったと……重くはありませんが、抱えて電車移動は大変です。 これらは市販品ではなくクレーンゲームの景品だそうで、獲得した人が店に売るんだって。上手な人がおいでのようですが、こんな箱モノを良くつかめるものだと感心します。 上段の左2箱と右1箱に『CRANEKING(クレーンキング)』ってロゴがあったのでちょっと調べると、『バンダイナムコのアミューズメント専用景品・総合ブランド』のようです。 ひょっとしたら中国製ではなく日本製かしら? バンダイのガンプラ製造技術をもってすれば容易そうです。ちなみに、もう一つ眼鏡?アイマスク?らしきロゴがありました。『BANPRESTO』とありますが、やはり景品の企画・供給を行っているバンダイ・スピリッツのブランドだと。2012年より『CRANEKING』に統一されたようです。 小さいのもあちこちに点在しています。いったい何百点お持ちなのか? ひょっとしたら千点こえるかも? 私も知ってるトトロ……ソーラーパネル付きターンテーブルの上で回っていましたが、こんな気遣いをするA氏にはいつも驚かされます。ドン・キホーテに売っているのかしら? お出迎え……右の人、言われてみれば「あぁ、そ~か~」と私……連れ合いは何人分かるかしら? ありがとうございました……みんな手を合わせたりお辞儀をしています。よくぞ集めたものだととことん感心させられた昨晩でした。 Aさん、Syoさん、楽しい時間をありがとうございました。お風邪など召しませんように…… 昼間はガラスに景色が反射してきれいに撮れないので、帰り道でパチリ…… しかし、とことん低いな~ 海老チリご飯のせ……今朝はモーニングを省略してシネマカフェ……いつも麺類でしたが、初めてのご飯物。美味しかったけど、私にはご飯多かった~ 頑張って食べましたが次回からは「ご飯少な目」って言いましょう。 ランチタイムからワインや生ビールだのを頼んでいるお客さん……「いいな~」と横目で眺めてきました。今日はノンアルデーの私です。明日のために我慢我慢…… スペード 歌・詞・曲:玉置浩二『占いもやってみたんだ 方角が悪かったそうだ 晩年は良くなって来るんだそうだ 昨日はあの辺にいた 今日やっとここまで来た 明日はどっちに行けばいいんだ 夢か現実(うつつ)か 幻かどうか 何をするにも心を込めて 我慢だ ガマン ガマンだ 我慢 我慢 ガマン そうすりゃいいことあるだろう どうだ……』
2019.11.06
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10月30日……冨士見地蔵・たけのこの碑・長應寺と歩いた続き…… 長應寺山門前の道を桐ヶ谷通り方向へ進むと吊り看板が…… ワクワクしながら下まで行くと…… およよ……マンション? なんだか入りにくい…… 桐ヶ谷寺……『今からおよそ50年前、山号を門良山と命名して開かれた道元禅師を宗祖とする曹洞宗の寺院です。高輪の泉岳寺の塔頭寺院であった門良院の墓地後に建立されました。かつてはイギリス領事官として使われたこともある由緒ある寺院でしたが、その後、廃寺となって、わずか4、5軒の檀家の墓所が現在の桐ヶ谷寺が建つ場所に残されているのみでした。 その廃寺を、現在の黒田純夫住職の師父である梅庵白純大和尚が譲り受けて墓所を整理し、8畳一間の仏殿を建てて再興したのが始まりです。 平成15年にモダンな本堂に建て替えられ、翌年4月に落成式を挙行し、檀家数も今や3000軒に及びました。20年ほど前からは、禅の修行に外国人の僧侶が訪れるようになりました。次第にその数がふえたために、今では座禅会は英語でも行われています。』(荏原第一地域新聞「まちかど」平成20年(2008)2月発行より・原文まま) 法話会には中村勘三郎氏、遠藤実氏、藤本義一氏…らが招かれていたそうですが、みなさんお亡くなりになっちゃいました。 見つける私に関心しますが、PDFをアップしてくださった方に感謝します。ただ冒頭の「今からおよそ50年前…」は誤りかと…… コスモスがきれいだったので、ちょっと遊んでみました。 入り口にかけられた扁額は「桐谷寺」……看板には「桐ヶ谷寺」と「ヶ」が入っていましたが、これが正しいのでしょう。 建物入り口に……とても入る勇気はなかったので、ここで失礼しました。 道を隔てて、いかにもお寺…… 木の匂いがしてきそうなぐらい新しそう…… 専修寺山門……浄土宗のお寺 本堂……やはり移転を繰り返しながら当地に落ち着いたと思われます。『一行山弘願院専修寺旧跡之碑』っていうのが、赤坂パークビルの敷地内に建っているようです。赤坂なんて縁がないからな~ 見ることはないでしょう…… 本堂扁額……一行山 木造阿弥陀三尊像……平安時代後期から鎌倉時代初期のものだって…… 庫裏…… 庫裏の右奥に小庭園……鯉も泳いでいました。 圓光大師霊場の石塔……浄土宗の開祖・法然のこと……安永9年(1780)の銘がありました。東都二十五ヶ所霊場の十一番です。祐天寺は八番でした。 ありがたいです……石塔の後ろに喫煙所…… 墓地手前に…… やっぱり三尊…… コンパクトですが、気持ちの良い境内でした。 山門を出ると、もう一つ……本堂裏の駐車場用山門でした。 公園……誰も居ない……左側に桐ヶ谷寺、私の後ろが専修寺でした。 ということで、歯医者に行かなくちゃならないから今日も簡単日記 天気は散歩日和なんだけどしょうがないな~
2019.11.05
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今朝はグズグズしていたので、暇を売る店で新聞を読んで時間調整をしてから、開店時刻にシネマカフェで昼食をと考えた私…… 11時少し前に暇に行ったら「買い物のため今日は11時半の開店」だって……仕方なく安い他店でコーヒーをしながら時間調整して再びシネマに行ったら「なんやなんや!!!」驚き驚き……開店時刻の2分後だったのに先客が10人もおいでだった。 いつも一番乗りなのに……店のせいではないが、湯麺が供されるまで待つこと30分……新聞は読んでしまったし暇な私……「○○さん、遅くなってすみません」とマスターの言葉には救われたけど、余計な時間を過ごしてしまったので今日はこんな簡単日記です。 V8エンジンが入っているんだろう… エンジンはフォードなんだ~ インテリア……渋い!!! 少しで良いから乗ってみたいものです。 ということでこれでお終い……何といっても散歩日和だから、コピッと出かけてきましょう。風の吹くまま気の向くまま……でも遠くへは行きませんよ~
2019.11.04
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10月30日…冨士見地蔵からたけのこの碑を拝見した続き…… たけのこの碑の前の道……結構狭いです。軽乗用車でも、来たら脇で立ち止まりやり過ごしました。この先に寺があることを地図で見たので行ってみることに… この一角がお寺みたいですが、山門の位置は不明……直進するか? とりあえず左に…… 失敗…… 裏門でした。 仕方なく戻って細い道……右は星薬科大学のテニスコートみたい……2面はありそうです。大学本体の敷地とは道路を挟んで飛び地ですが、いいな~ 路地の左に見えてきました… 芳荷山長應寺山門……四脚の立派な門がそびえていました。修繕中なのでしょうか? 山門はくぐれませんが… 冠木に彫られた龍が、これまた立派だったので近づいてパチリ……デジカメあかんな~ シャープさに欠けます。 屋根の端に乗っているこれ、なんて言うんだっけな~ 怖い顔で尻尾の付いた亀みたいなの……うぅ~ん…なんだっけ??? もともと記憶力がない上に、健忘症が追い打ちをかける私です。 山門脇から失礼しました。本堂、庫裏などは昭和20年の空襲で焼失……山門だけ焼け残ったそうですから、このコンクリートの門も残ったのでしょう。 境内は広い… 本堂……入母屋造(いりもやづくり)っていうんでしょうが、美しい屋根です。 同寺は波乱万丈の運命をたどってきたようで、開山以来、他所での焼失や移転を繰り返したそうです。大正時代に当地で完成した本堂……焼夷弾で焼けたのでしょうが本当に残念です。戦争はこりごりです。 同寺の敷地はとても広く、本堂の後ろ側は墓地……本堂から左に渡り廊下で庫裏につながっているみたいです。 本堂扁額……「昭和52年吉日 総本山本成寺七十七世 荒井日幹」……法華宗陣門流の総本山・本成寺は新潟県三条市にあるようですが、この時期に現宗派に落ち着いたのかもしれません。 庫裏……本堂左 本堂正面に…… 土中出現出世不動尊……昭和18年5月と記された扁額があるってことは、この不動尊も戦禍から守られたんですね。 海中出現どっかで見たな~……「微妙庵の海中出現毘沙門天」でした。結構記憶力いいじゃないの? 不動尊の隣の石碑にはこんな文字が…… 古い手水舎…… 彫り物つき……劣化していますが龍なんでしょう。 巨大な碑…… 喜不自勝…… 親父が生きていたら教えてもらえたのに……相対詩は「怒不可遏」らしいけど、連れ合いなら分かるかもしれません。 大勢の方のお名前が刻まれていました。 山門に向かって…… つくづく立派な山門です。焼け残ってくれてありがとう…… 冠木に彫られた龍ですが、顔が外側にあるので、内側は背中みたいです。良くできていることに改めて感激…… 扉に彫られた三つ葉葵……徳川家とご縁があったのかもしれません。「頭が高い!控えおろう!」……なぜか一礼して失礼した私です。 山門を出て長應寺の外壁に沿って北東方面に……先にもお寺があるみたいなので…… 外壁ごしに本堂……手前には右方向に延々お墓が続きます。 なんだかダラダラしちゃいましたから、続きはまた今度…… おまけ… 台風19号が東京を去った翌朝(10月13日)、作業員さんらによって折れた太い枝がきれいにカットされましたが…… 今朝見たら、スッパリ切られちゃってました……上部切断面が大きかったので危ないのかもしれません。残念ながら、この辺りの桜の木は年々数が少なくなっていきます。 しかし、ぼろコンパクトデジカメと比べて、スマホ画像はなんてきれいなんでしょう。通信機能なしでカメラとして安く売ってないのかしら? あったら買うんだけどな~
2019.11.03
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Yahoo地図ではみられない情報が、Googleマップには載っているのでよく見る私です。以前行った石橋供養塔碑・駒場地蔵尊なんてのもGoogleで見つけました。もちろん、馬喰坂上庚申塔・十七ヶ坂上庚申塔・けぼこ坂庚申塔などなど無記載の場所も多いのですが、ありがたく閲覧しています。 先日(30日)、晩酌のツマミを平和通りの薩摩揚にしようと、買い出しついでに近くを散歩……前にGoogleマップでみつけてあった地蔵尊と碑を探しに行きました。 かむろ坂通りを目黒区から品川区に入ると左に行く細い道…… 進むと突き当り…… T字路を右折すると密集した住宅街…… 最初の四つ角から右を眺めるとこんな景色……「ありそう」… 冨士見地蔵尊……発見!!! 敷地的には個人宅と思われる場所です。個人所有・管理かもしれません。 脇に消火器が置いてあります。古くからのものでしょうし、焼失に備えて良いことです。 花も新鮮でした…… 正面の地蔵様は、周囲の土台を改修した時に新しくしたのでしょうか? 台座は昔のままでしょう…… 脇に置かれたものが元来あった地蔵尊かもしれません。 残念ながら由緒はまったく不明ですが、後世まで残りますよに… 東南に向かって次なる目的地を目指します。出発前に、一応地図は確認したのですが記憶力が低下しているので不安だった私です。突き当りを右、そしてすぐに左はちゃんと覚えていましたが…… 大衆割烹とり鈴……チェーン店より個人営業の方がほっとします。近所だったら寄ってみるんだけど……なんて思いながら右の三色ポールを左折…… とにかくこの辺りは初めての道……ほとんど人影がなかったので、顔修正せずに済みました。「あぁ、ここを横切るのね~」……不動前緑道……下を東急目黒線(旧 目蒲線)が走っています。踏切がなくなって良かったです。 少々アップダウンがあるみたいだし、直線道路ではありません。こういう場所は一回間違えるととんでもない方向に行かされます。 変則交差点……よくあります。工事誘導のおっちゃん……ご苦労様です。 住宅街……間違っていないか、尋ねたくとも誰も居ない… なんとなく発見したかしら? 不安解消、一安心…… ありました!!! Googleマップ上は「たけのこの碑」となっていましたが、『孟宗筍(もうそうたけのこ)栽培記念碑』が正式名称みたいです。 門扉が閉まっていたので勝手には開けず、柵の上からパチリ……『櫓(ろ)も楫(かじ)も弥陀(みだ)にまかせて雪見哉(かな) 釈竹翁』竹翁(ちくおう)といわれる山路治郎兵衛の辞世の句が刻まれていると……『山路治郎兵衛(1738?~1805年)は、鹿児島特産の孟宗竹を移入し、戸越村近郊の農民に栽培を奨励して商品化に成功。竹や筍はこの地域の特産品となった。この碑は文化3年(1806年)に、治郎兵衛の子息の三郎兵衛が父の一周忌に際して、歯骨を埋め、その上に建てたもの……(品川区HPより)』 殖中?……私にはわかりませんが、一応パチリ… 荏原地区指定文化財・史跡第17号とのことですが、所有者は個人のようです。 冨士見地蔵尊も指定してあげて、看板立ててくれるとフリーウォーカーの私にはありがたいです……よろしくお願いします。 この後、少しだけ近所のお寺を巡ってきましたが、えらい目に遭っちゃったのであります。ちゃんと地図を印刷するか、もう少し真剣に下準備すべきでしたが、結果はまた後日……
2019.11.02
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『河井法相も辞任』と朝刊トップに…… 菅原経産相の辞任に次いで、今度は法務大臣も事実上の更迭。菅原氏同様に、予定していた委員会直前に辞表を提出し説明責任は果たさないまま…… 後任・森雅子氏も素早く決めて同日就任したが、皇居での認証式、最後の響宴の儀を控える天皇陛下の手をまたもわずらわせた。口には出さないだろうが、きっと「またかよ、いい加減にしてよ」と思っているに違いない。 民主党政権下の2010年、「個別の事案についてはお答えを差し控えます」「法と証拠に基づいて適切にやっております」……この二つの答弁で法相は務まると述べて辞任にいたったのは柳田稔元法相。「あなた自身が法務大臣としての職を汚している」と、法務委員会で取り上げ追求したのが誰あろう当時野党議員だった河井克行氏だと……文春発売日朝の辞任……私ら平民はどう考えれば良いのやら? スピード辞任により国会での追及を逃れよう、逃がそうとする政権の姿勢に辟易する。 河井克行氏の辞任は、7月に初当選した妻・参議院議員案里氏の選挙違反疑惑によるものだが、克行氏による秘書へのパワハラ・セクハラの疑いも以前から報じられていた。なんだか隣国の法相辞任劇とも似ているような…… 安倍首相は「任命責任」と繰り返し言うが、本当に責任を感じているなら野党の要求以前に率先して予算委員会での集中審議に臨むべきだろう。 今朝、喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、来年度から導入される予定だった「英語の民間検定試験実施を延期する」とラジオから聞こえてきた。萩生田文科相は決定の理由を「現時点で自信をもって受験生に提供できるシステムになっていない」と語ったそうだが、遅すぎ。文科相就任時に同様な発言をしていればカッコよかったのに…… しかし、準備を進めてきた民間業者から損害賠償を迫られることはないのかしら? 契約内容は知らないが、それなりに時間と金と労力をかけてきたはずだから訴えられても仕方あるまい。また税金が無駄に使われることにも辟易する私。『首里城焼失』……沖縄の方々にとっては貴重な財産だったはずだし、太平洋戦争の痛ましさが蘇った方も多くおられよう。復元を願っているが、4月に起こったパリ・ノートルダム大聖堂火災も合わせて教訓とし、十二分な防火・消化対策が施されることを願っている。 ブツブツ言ったから口直し…… かれい一夜干し……ふっくら焼けています。 上側の身を食べたら、しっかり子がいました……630円は超お得……日本酒が美味しい~ 最後の楽しみ……卵一口と頭……頭もしゃぶって骨だけにしてやります。 骨まで愛して……は城卓也……城達也はジェットストリーム… 甘えび塩焼き……川海老ではありません。刺身以外の方法で食べたことはありませんでしたが、殻ごと美味しくいただけました。頭は味噌汁などに使ったことがありますが、この方法も旨かった~ ※ 料理提供:「京みさん」と「ながまるさん」……いつもありがとうございます。 さて、今日はなにを食べようかしら?
2019.11.01
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